毎日がクリスマスなら

ブラインドに閉ざされたウインドウの内側が、一夜にして光り輝く雪のクリスマスに変わる。

昨日までは固く結ばれていた色とりどりのリボンも今は解かれて、大きさもさまざまなボックスからプレゼントが溢れている。

中央のクリスマスツリーには暖かな灯りが灯されて、窓枠には新雪が降り積もっていた。

クリスマスイブの魔法。
それをかけたのは自分たち。
疲れと充実感とが相まって、四人は不思議な高揚感に包まれていた。

「明日ここを通る人たち、みんなびっくりするといいっすね」
今は誰もいない歩道に目を向けながら中西が言えば

「その驚く顔が見たいよね〜」
頷いて結衣が答える。

白い息を弾ませる後輩たちの背中を見守る籐子も、誇らしい気持ちで思わず笑顔がこぼれた。

「籐子さんのアイディア、大成功でしたね」

榎本が籐子を振り返る。

「うん、でもどうかな。お客さんの反応を見ないとね」

気を引き締めるように真面目くさってそう返して、籐子は腕時計を見た。

「日付が変わる前に終わって良かった。さあ、撤収しよう!今ならみんな終電に間に合うよ」

「はい!」

リーダーの言葉に皆慌ただしく立ち働き、チームはその日全ての作業を終えた。

表に出ると冷えた路面から立ち昇る冷気がたちまち四人を包み、思わず身を縮ませる。

「寒すぎる〜」

結衣は首に巻いたストールに顔を半分埋めて悲鳴をあげた。

見上げる夜空に星は無く、灰色の雲が覆い隠しているようだ。

「これは雪になるかもしれないっすね」

中西がコートのポケットに手を突っ込みながら呟く。

「ホワイトクリスマスか〜。ロマンチックね〜。明日なら休みだから大歓迎です〜」

「この程度の寒さじゃホワイトってほど降らないでしょ。ちょっと降ってすぐとけちゃう程度じゃないっすか?」

興味なさそうな中西を結衣は「つまんないこと言うよね〜」と軽く睨んだ。

「あとちょっとでクリスマスか」

榎本が何か言いたげに口元を緩ませて籐子をチラリと見た。

「榎本くん何か良いことでもあるの?」

「いえ、別になんにも。ただ、あとちょっと一緒にいたら、籐子さんに一番にメリークリスマスって言えるなあと思って」

「うん、でも終電に間に合わなくなるから帰ろう」

「・・あっさりしてますよね、籐子さん」

傷ついたような顔をする榎本がいつにも増して子どもっぽく、籐子は笑って背中を叩いた。

「三人は南窪沢でしょ。あたしは新駅の方だからここで解散しよう」

もう少し早い時間なら軽い食事でもという気分だったが、今夜の四人はさすがに疲れを感じていた。

いや、金曜日のクリスマスイブの夜だ。たとえ早い時間に終わったとしても、どこもかしこも予約でいっぱいだったかもしれない。

「籐子さん、駅まで送りますよ」

「大丈夫、歩いてすぐだから。南窪沢のほうが遠いんだから、二人で結衣ちゃんをちゃんと送ってね」

籐子の提案に榎本は不満げで、そんな榎本を中西と結衣は気の毒そうに、でも面白そうに眺めていた。

「おつかれさま」「おやすみなさい」「気をつけて」

そんな言葉を交換しあって、四人は手を振って別れた。

もうすぐ日付も変わるという時間なのに、表通りに出るとまだ多くの車と人が行き交っている。

イルミネーションはペイブメントを宝石のように彩り、きらきらと路面を輝かせていた。

すれ違う人たちはみは笑顔で、「寒〜い」と恋人に甘えて寄り添う若い女性に、籐子も自然と唇がほころぶ。
空腹も疲労も、この特別な夜の輝きにすべてとけ込んでいくような気がした。

やっぱりクリスマスって魔法みたい。今夜はみんなが幸せでありますように。

世界中の誰もの幸福を祈りたくなるような温かい気持ちを感じる一方で、急に籐子の胸の中にちいさな切なさが生まれた。

会いたいなあ。
そう思った瞬間心がキュッと痛む。
思い浮かぶのはたった一人だ。
柔らかなウェーブの髪を首筋でゆるくまとめた背の高い人。

おっとりと穏やかにわらう、きれいな指をした、優しい人。

「馨さん」

ちいさく口の中で呟けば、切なさはますます増した。

ちょうどホームに滑り込んできた電車が巻き起こす風が、籐子の髪をつむじ風のようにさらった。
ダッフルコートの襟をかき合わせ、電車の扉が開くのを待つ。

ぴったりと寄り添う恋人たちに紛れて乗り込み、入り口付近に立った籐子は何気なく窓の外の空を見上げ、ひとつ大きな息を吐いた。

「OPEN」の札を「CLOSE」にひっくり返して、馨はぶるっと大きく身を震わせた。

「さむぅいなぁ・・」

空調の効いた店内が温かかったから、薄いセーター一枚で出てきしまったけれど、店の外は想像以上の冷気に包まれていた。

扉に飾られたクリスマスリースは明日には外さなければならない。

アンティークな色合いのバラを基調に据えた手作りのリースは華やさはないものの、素朴で懐かしい雰囲気に満ちて、馨は我ながら良い出来だったと思う。

外すのがもったいないような気もするが、クリスマス期間だけという期限付きの飾り付けだからこそ、リースもツリーも輝きを増すのだ。

「そういえば籐子ちゃん、ウインドウのお色直し終わったのかな。もう帰れているといいけど」

クリスマスイブと次の日の朝で、一夜にしてウインドウの飾り付けを変える仕事があると言っていた。
確か樫木通りの宝飾店のウインドウだったか。

普段は少女のようにあどけない籐子が、仕事の話になると急に背筋を伸ばして真剣に語り始める。

深夜に及ぶ作業が連日続いても、それについて語る表情はとても明るい。
誇りを持って好きなことをやっている。そんな籐子が馨にはまぶしかった。

もう三週間も会っていない。
風邪をひいたりしていなければいいけど。

何気なく暗い空を見上げ、馨は思わず「あ」と声をあげた。

白くちいさなものが、ひらひらと降りて来る。

馨のグレイのセーターの肩に、腕に、髪に、その冷たい結晶は落ちては時をおかず消えた。

「寒いと思ったら・・雪か」

そうひとりごちて、あとからあとから舞い降りてくる雪を、馨は寒さも忘れて見つめていた。

人気のない深夜の路地に、音もなく雪は落ちてくる。
まず積もることはないだろうが、クリスマスイブのこの夜、まるで天からの贈り物のように人々は大切に空を見上げるのだろう。

あの子もこの雪に気づいているのかな。
それとも早めに仕事を終わらせて、もう暖かなベッドの中で寝息を立てているだろうか。
気づいていないなら教えたい。
だけど眠っているのなら、その安らぎを邪魔したくはない。

ジーンズの腰ポケットにしまったスマートフォンをそっと指でなぞる。

今、隣に籐子がいたらどれほどうれしいだろうと思った。
二人並んで白い息を吐きながら、雪の粒が冷たいアスファルトに落ちてただ消えていくのを見届けられたなら。

あまり感じたことのない切なさを胸に抱いて、馨は「まいったなあ」と誰ともなしにつぶやいた。

その時、静けさをやぶるように酒に酔った声が角の向こうから聞こえて来た。

「いゃあ、雪だよ、寒いわけだよなァ」

「ダイさん、足元気をつけないと。滑るから、アンタ千鳥足だからさ」

「ナンのナンの。ボカァ酔ってなんかナイですよ、シラフですよ、ボカァ」

「いやいや、ダイさん、アンタしこたま呑んだでしょう」

街灯に照らされた路地裏を壮年のサラリーマンらしき二人連れが踊るような足取りで歩いて来る。

ダイさんと呼ばれた小太りの男性はもちろん、彼を支える小柄な男性も十分千鳥足のようだ。
きっと楽しい酒だったのだろう。
二人の赤らんだ頬は満面の笑顔の形で、たまたま見かけただけの馨の頬も思わず緩んだ。

狭い道幅をあっちへ行ったりこっちへ行ったりの二人は、ようやく馨が佇む店の前までやって来た。

そこまで来てダイさんは、はじめて気づいたように馨に目を向ける。
柔らかく微笑んでこちらを見ている長身の男を人懐こい笑顔で見上げた。

「おう、おう、お兄さん!イケメンだね、こりゃ」

一瞬酒の匂いがぶわっと馨を包む。
二人は相当に飲んできたらしい。

「ほら、カンちゃん。すごいイケメンだよ〜。ノッポだね、ハロー外国の人かな?」

「うんうん、ダイさん、イケメンだ。イケメンのお兄さんだね。でもこの人日本の人だよ」

「いやいや、外人さんだよ、こんなにイケメンなんだもの。お兄さん、グッドイブニン!」

イケメンだから外国人という決めつけが可笑しい。
馨が吹き出しそうな笑いを浮かべ「こんばんは」と返すとカンちゃんが「ほおら、日本人でしょう」と勝ち誇ったように胸を反らせたが、ダイさんは気にもかけずに空を指さしている。

「お兄さん、雪だよ、降ってきたよ。メリークリスマス!」

「あはは、そうですね。メリークリスマス。お二人さん寒いのでお気をつけて」

馨が愛想良く見送ると、ダイさんはデタラメなクリスマスソングをごきげんに歌い、その背中をカンちゃんが押すようにして、二人は遠ざかって行った。

賑やかな酔っ払いたちが角の向こうに消えると、路地裏は急に冷えた静けさに包まれる。
街灯の光度まで下がったように感じられて、馨はまたひとつ身震いをした。

店に戻ろうとドアの取っ手に手をかけたその時、腰ポケットのスマートフォンが細かく震えているのに気づいた。

そういえばマナーモードにしていたっけ。
右手をすべらせてスマートフォンを取り出す。
手の平を返して明るい液晶画面に視線を落としたとき、そこに表示されている名前に馨の鼓動が早くなった。

『籐子ちゃん』

通話ボタンを押し、息を整えてそっと耳にあてる。

「もしもし?」

落ち着いて応じたつもりなのに焦ったような高い声が出てしまった。

『馨さん?』

平べったく四角い機械から、柔らかく温かい籐子の声がする。

『わたし、籐子です』

わかってるよ。画面に表示されてるから。ううん、表示されなくたって聞いた瞬間にきっとわかる。
心の中でひとりごちながら、馨はその声を少しも聴き漏らすまいとスマートフォンをぎゅっと耳に押し当てた。

「籐子ちゃん、こんばんは」

『こんばんは。こんな遅くにごめんなさい』

「ううん、今ちょうど看板しまうところだよ」

『そうですか。じゃあお店?』

「うん、籐子ちゃんは?」

『わたしは・・・ね、馨さん。雪ですね』

「え?あ、うん。雪降ってきたね」

突然話題を変えた籐子に少し面食らいながら、馨は空を見上げて答えた。
雪は止むことなく今も降り続いている。籐子もどこかで眺めているということだ。
どこだろう?自宅の窓からでも空を見上げているのかもしれない。

『雪が降ってるって、馨さんに教えたくて』

そう言って籐子は小さく笑った。
その声がくすぐったく、馨の胸を暖める。

「私も!籐子ちゃんに教えたいって思ってたよ」

お互いにそう思ったのだ。
馨は籐子がもう眠っているのかもしれないと電話をかけるのを躊躇したが、こんな風に知らせてくれた籐子の気持ちがたまらなくうれしい。

『じゃ、両思いね』
「そうだね、両思い」

両思い。何気ないひとことが、馨の胸を満たしていく。
にこにこと笑む籐子の明るい表情がありありと浮かんだ。

電話をもらえて、声を聞けてうれしい。それだけで心に火が灯るように暖かな気持ちになれる。
しかしどうしたものか。
今、馨は籐子に会いたくてたまらないと思った。
声だけでは足りず、一緒に寄り添って雪を見上げたいのだ。

でもこんな真夜中に会いたいとわがままを言うほどの勇気も無かった。

『ねえ馨さん、わたしね』

籐子が何か言いかけたとき、電話の向こうから調子外れな歌声が聞こえてきた。

『ジングルベ〜ル、ジングルベ〜ル、トナカイさんよ〜♪』

その声に聞き覚えがあり、馨はえっ?と耳をすます。

『あのね、わたし』
『今日は〜たのしい〜クリスマスの日〜♪』
『ダイさん、メチャクチャだよ、その歌!』
『・・もしもし、馨さん?聞こえる?』

黙ってしまった馨に籐子が呼びかける声が、背後の酔っ払いの声にかき消された。

『おう、おう、ベッピンさんだね、綺麗だね〜』

『ダイさん、ナンパはいけないよ、奥さんに言いつけちゃうよ』

思わずスマートフォンを握りしめる手に力が入る。

「籐子ちゃん?籐子ちゃん、そこどこなの?」

『え?何?』

「どこにいるの?」

『綺麗なお姉さん、メリークリスマス!』
『ほらダイさん、真っ直ぐ歩かなきゃ、奥さん待ってるから行こう』

『ごめん馨さん、今なんて言ったの?わたしの後ろが騒がしくて聞こえなくて・・』

酔っ払いの声が段々遠ざかり、再び籐子の声が戻ってきた。

「・・・籐子ちゃん、今どこ?」

息を詰めて馨が問いかける。
数秒の間をおいて答えが返ってきた。

『今ね、やっと馨さんが見えた』

それを聞いて弾かれたように振り返る。
薄青い街灯が照らす路地の角を曲がり、今まさに籐子がそこに立っていた。

「馨さん」

道の向こうと耳元のスピーカーから、二重に聞こえてくる籐子の声に馨は驚いて立ち尽くし、持っていたスマートフォンをゆるゆると下ろした。
籐子はゆっくりと歩み寄り、そばに来て馨と向かい合うと、いたずらっ子のように微笑んだ。

「メリークリスマス」

「・・・メリークリスマス」

高鳴る心音を止められないまま、馨はなんとかその言葉を絞り出した。
目の前に籐子がいる。
うれしくてうれしくてうれしくて、本当は真夜中の路地裏いっぱいに響き渡るくらい大きな声で叫びたいくらいだ。

淡いブルーのダッフルコートに白いストールを巻いた籐子はまるで学生のように若々しい。
肩までの素直な髪に雪の粒を光らせて、きらきらした瞳で馨を見上げているのがさらに可愛いのだ。

「・・びっくりした。もうお家にいるのかと思ったから」

「ううん。さっきね、仕事が片付いたばかりなの」

「えっ?こんな夜中までかかったの?」

「うん。開始が9時過ぎてたから・・。でもなんとかイブのうちに仕上げられたんだ。それで帰り道に雪が降ってきて・・」

「うん」

「それでね」

「うん」

「馨さんに会いたくなっちゃった」

「・・・うん」

どうしよう?胸がいっぱいで気の利いた返事なんかできやしない。
馨は小さな籐子をギュッと抱きしめてその頬にキスしたいと思ったが、やっぱりできなかった。

「それにね、メリークリスマスって一番最初に言いたかったの」

恥ずかしそうに呟かれた言葉に馨は思わず手のひらで口を押さえた。
うれしすぎて可笑しなことを言いだしてしまいそうだ。
本当にこの子は、なんて素直に言葉を紡ぎだすんだろう。

雪が降ってきたことを教えたかった。
馨さんに会いたくなっちゃった。
一番最初にメリークリスマスって言いたかった。

そんなことを言われたら期待してしまう。籐子も馨のことを好きなんじゃないかとか、2人の気持ちは両想いなんじゃないかとか、都合の良い方に考えてしまうじゃないか。

でも誰にたいしても素直な籐子のことだから、今夜はたまたま馨のことを思い出しただけなのかもしれない。仲の良い友達の一人として、馨に雪が降り出したことを教えたかっただけなのかもしれない。

まったく自分はどうしようもないマイナス思考だと思いながら、いつものように馨は期待しないように意識にブレーキをかけた。

ふんわりしたストールから顔を半分だけのぞかせた籐子がぶるっと肩を震わせる。

「籐子ちゃん、お店入って」

慌てて扉をあけると、人気のない路地裏にカランと乾いたベルの音が鳴り響いた。

「ごめんなさい、もう店仕舞いなんですよね」

申し訳なさそうに言う籐子に馨は頭をふる。

「ううん、全然。今日はお客さんも少なくてさみしかったんだ。早めに切り上げようかと思ったんだけど、籐子ちゃんが来てくれたから開けといて良かった」

店内の温かさにホッと息をついて、籐子はストールはそのままに、羽織っていたコートだけを脱いだ。
コートの中は黒い細身のニットとジーンズで、普段の籐子の柔らかい服装とは印象が違う。馨の視線に気づいて

「仕事だから動きやすい格好してたの」

言い訳のように言う。

「そういう格好も新鮮だよ、すごく似合ってる。私は好きだな」

その言葉も嘘ではなかった。
コート姿の籐子が幼く見えた分、身体に沿う黒いニット姿が少し大人びて、馨には眩しく見える。
何を着ていても馨にとっては全部可愛い籐子なのだが。

「えー?ただの地味な仕事着ですよ。ありがとう、馨さんは優しいね」

照れて笑う籐子は「でもやっぱりクリスマスなんだから、もうちょっと可愛い格好してくれば良かった」と呟いた。

真ん中の椅子に腰かけた籐子とカウンター越しに向かい合って馨は「籐子ちゃん、何飲む?」と聞く。

「じゃあココア」

「承知いたしました、お姫さま」
うやうやしく答えると、籐子は声をあげて笑った。

灯りを落とした店内が、籐子がそこにいるだけでワントーン明るくなる。
火にかけた小鍋にココアの粉と生クリームを混ぜ合わせながら、馨はじんわり暖かいのはエアコンのせいだけじゃないと感じていた。

グラニュー糖を溶かして、温めた牛乳を注ぐ。ダマにならないように、いっぺんに混ぜ合わせず、少しず少しずつ。おまけにマシュマロを一つ落として、できあがった熱々のココアをマグカップに流し込むとホワっと白い湯気が立ち上った。

「はい。ヤケドしないように気をつけてね」

目の前に置かれた温かい飲み物に籐子は目を輝かせる。
ココアなんて珍しいわけでもないのに、籐子はいつもいつもうれしそうな顔をした。
そして口をつけて「あつっ!」とあわてるのも毎度のことだ。
だから気をつけてって言ったのにと思いながらも、眉を寄せてフーフーする籐子はやっぱり可愛い。

「ごめんね、熱かった?」

「ううん、あったかくてすごく美味しい!」

まだろくに飲めていないのにそう言う籐子に、馨は目を細めた。

籐子はココアの熱で温めるように、冷たい両手でマグカップを包み込む。
大きめなカップは籐子の顔を半分くらい隠してしまって、黒目がちの大きな瞳だけがキョロキョロとせわしなく店内をぐるりと見回している。

その視線の先には馨が飾ったクリスマスリースやちいさなツリーがあった。

「そういえば籐子ちゃん12月に入ってからうちに来るの初めてだったね」

「そうなの、ずいぶんご無沙汰しちゃってました。お店の中、こんなにクリスマスっぽくなってたんですね。あのリース、馨さんが作ったんでしょう?可愛い」

籐子が指し示すのは表に飾ってあるのとはまた別のリースで、ユーカリやモスの緑を基調に赤いりんごと金色のベルの飾りつけをしたものだ。

「うん。クリスマスが過ぎたらりんごとベルを外して南天を刺したらお正月ぽくなるかなあ?って思ってるんだけどどうかな」

「それすごく良いアイディアだと思います。ツリーもトピアリーも素敵だし、馨さんのセンス、大好きだな」

「ディスプレイデザインのプロに言われると照れちゃうね」

クスクスと笑いながら馨は小さなガラスの皿をカウンターに置いた。
四角い一口サイズのレアチーズケーキにポンとイチゴがひと粒乗っている。

「ケーキまだ食べてないでしょ?こんなのしかなくてゴメンねなんだけど」

「うわあ、すごくうれしいです!今年はクリスマスケーキなんて食べられないかと思ってたの」

目を大きく開いてケーキを見つめて、籐子はいつまでもフォークを刺そうとしない。

食べないの?と問う馨の視線に恥ずかしそうに「もったいなくて食べられません」と微笑んだ。

そんな小さな仕草や表情にも、馨はじんわりと温かい気持ちになる。
こんなに喜んでもらえるなら、もっと大きな丸いケーキを用意しておけば良かったな。
サンタの砂糖菓子やチョコレートプレートがのっているような。
うん、来年はそうしよう。
・・・来年なんてあるのかな。

また後ろ向きなことを考えてしまいそうだ。

馨の心の内のつぶやきなど知らない籐子は穴が開きそうなほどケーキの上のイチゴを見つめている。
真剣な表情が可愛いくて馨は頬を緩めた。

「籐子ちゃん食べないなら私が食べちゃうよ」
「ダメです」

言われて慌てて頬張るところが子供みたいで可笑しい。
そんなに夢中で飲み込んだら味なんかわからないだろうに。
籐子の唇の端にほんの少し付いたクリームを思わす指で掬い取って、馨は自分の口に運んだ。

何が起こったのか数秒遅れて気づいた籐子がみるみる頬を染めて呆気にとられたように馨を見る。

「甘いね」

誤魔化すように言ったものの、馨のほうこそ味なんかわからない。
ただ触れたかっただけなのだ。
籐子に。
籐子の唇にふれたものに。

欲を言えば本当はもっと直接的に、その唇に触れたいと思う。
でもそう思うことでさえ籐子との距離を広げてしまうような気がして、馨はもうずっと自分の衝動に蓋をして見なかったことにし続けていた。
それでも時折ふと本音をこぼしてしまうし、さっきのように不意打ちに触れてしまったりもする。

そんな時に籐子が見せる戸惑いや恥じらいの表情が、馨を高揚させ、時には自己嫌悪させもした。

籐子にとっての馨は安心して側にいることのできる兄のような・・いや、兄でさえないかもしれない。ひょっとしたら姉のような存在なのかもしれなかった。

こんな風にカウンターで差し向かい、ささいな悩みを打ち明けたり、日々のささやかな出来事を語る。
本当の家族や友達にするよりも気楽で、だけど決してそれ以上に踏み込んだ関係ではない。
もっと近づきたいと思うのは馨だけで、籐子はカウンター越しの2人の距離をもっとも心地よく感じているのかもしれない。

いっそ想いを打ち明けたいと望む一方、築き上げてきた信頼をこのまま壊さずにいたいとも思う。
籐子の望まない感情を一方的に押し付けることで、今の曖昧ではあるけれども温かい関係を失うことの方が怖かった。

籐子とのことになると馨はどこまでも臆病になる。
こんな気持ちは今まで誰にも感じたことはなかった。

外ではまだ雪が降り続いていて、この夜は不思議な静けさに包まれている。
それはどこか特別な夜だった。
もしも今、2人を隔てるカウンターが取り払われてしまえば、思わず馨はその手を伸ばして籐子を抱きしめてしまうかもしれない。
そんなばかな真似をして籐子を怯えさせないうちに、彼女を送り出さなければならなかった。

壁の時計を見ると、とっくに終電も過ぎた時間だ。
駅前のタクシー乗り場も混み合う頃だった。降り止まない雪の中、並んで順番を待たなければならない籐子が可哀想に思える。

「籐子ちゃん、帰るときは駅まで送るよ」

「大丈夫。外寒いし、一人で帰ります」

「そういうわけには行かないよ。こんな真夜中に女の子を一人で歩かせられないでしょ」

「でも一人で来たし、駅近いから」

「だーめ!酔っ払いに絡まれたら大変だよ」

言いながらふと「ダイさん」と「カンちゃん」の二人組を思い浮かべて、馨は笑いをかみ殺した。
その表情に不思議そうに籐子が首をかしげる。

「まあ、とにかく。それ飲んだら送るからね」

「・・じゃあ、朝までゆっくり飲もうかな」

馨がえっ?と顔を上げると、籐子はうつむいてスプーンでカップに残ったココアをかき混ぜている。
言葉の意図を図りかねて馨はじっと彼女を見つめた。

「・・籐子ちゃん?」

呼びかけられてパッと顔を上げた籐子は「なーんてね」と笑ってみせた。

「ごめんなさい。店仕舞いの時間に押しかけちゃったのに、私がいつまでも居座ってたら馨さんも休めないよね」

「そんなことはないよ。そういうことじゃなくてね」

「もうすぐ飲み終わるから、もうちょっとだけ」

「籐子ちゃん、あのね」

「美味しかったです。ごちそうさまでした」

籐子はカウンターにカップを置くとバッグの中をゴソゴソ探り始めた。
財布を探しているのだろう。

「籐子ちゃん、聞いて」

ほんの少し強くなってしまった口調に手を止めて籐子は馨を見上げた。

「私、籐子ちゃんが来てくれて嬉しかったって言ったでしょ。あれ、本当に心からそう思ってるよ。別に早く帰ってほしくないし、籐子ちゃんともっとお話してたいって思ってる。雪が降ってることも籐子ちゃんに教えたいって思ったし、一番最初にメリークリスマスって言えてうれしかった」

それだけで十分だと思っていた。
そう思おうとしていた。
でも本当はもっと欲深い人間で、それ以上先を願ってしまうのだ。

「でももう夜も遅いしきっとタクシーも拾いにくいから、早めに出た方が良いと思っただけ」

口当たりの良い嘘をついて、さも籐子の為のような言い方をする。
そんな自分に内心舌打ちをした。

「うん、わかりました。大丈夫」

籐子は馨をじっと見つめて頷くと微笑んだ。
何が大丈夫なのかはわからないものの、とりあえずホッとして馨は
「お代はけっこうです、お客さま」
と冗談めかした口調で言った。

「来てくれたお礼だから」

重ねてそう言うと籐子は「ありがとう、ごちそうさまでした」と小声で呟く。小鳥がささやくようなその声も、馨の胸をそっとくすぐった。

コートのボタンをひとつずつ丁寧に留める籐子を待つ。

馨もキャメルのムートンのコートを羽織り、カウンターに放り出してあったキーホルダーを手に取った。

店の明かりはつけたまま、鍵だけ掛けて出よう。籐子を駅まで送って戻った時に、暗いときっと一人が寂しいと感じるだろうから。

まだ雪は降ってるだろうか?
扉を細く開ける。一息に表から冷気が吹き込んで、馨は身を震わせた。
傘が必要かと外の様子をうかがったとき、馨の背中にコツンと何かが押し当てられる。

驚いて首だけを回すと、籐子の丸い頭が馨の背中にピタリとくっついていた。

「・・籐子ちゃん?」

呼びかけても返事がない。
馨は開きかけのドアをそっと戻す。

黙ったままの籐子の温もりが背中にじんわりとひろがり、馨の心音が高まった。それを悟られないようにあえてゆっくりと何もないように振り向いて、馨は籐子と向かい合った。

うつむいていた籐子がふいに馨を見上げ、その瞳が何か言いたげに揺れている。
小さなくちびるが少し震えて、でも音を為さずにそっと閉じた。

「どうしたの?」

できるだけ優しい声で問いかけると
少しの間逡巡したあとで、籐子が瞳に力をこめて馨を見つめた。

「あたし、馨さんが好きです」

一瞬、何を言われたのかわからなかった。頭が真っ白になって、あとから思考が追いかけてくる。何か返事をしなければと口を開くのに、言葉が喉の奥に張り付いて声にならない。
『アネモネさん大好き!』
酔った籐子が女装バーのママに抱きついていた姿をふと思い出す。

『仕事好きなんです』
『私、このお店の雰囲気が好き』『馨さんのココアが大好きなの』

今まで籐子が言った数々の「好き」が脳裏をよぎった。
ついさっきだって『馨さんのセンス好きだな』って言ったばかりだ。
混乱する心を鎮めようとして、馨はひとつ大きく深呼吸した。

その沈黙を何かの答えだと思ったのだろう。
馨を正面から見つめていた籐子の視線がふいに揺らいだ。
「なーんてね」さっきと同じセリフで笑う。その笑顔の裏側に隠した本心を馨も今度こそは感じ取った。

籐子の言葉ひとつひとつの奥に垣間見える馨への想いに気づいていないわけじゃない。
でももし違ったらと思うと怖気付いて知らないふりをしていただけなのだ。

臆病な自分を呪いたくなる。
「好きだ」と言うべきは自分のほうだったのに。

たとえ彼女が言う「好き」が恋ではなかったとしても、だから想いを告げないなんてくだらない言い訳だ。

物分かりの良い優しいお兄ちゃんのふりをして、今の心地よい関係を崩したくないだなんて、そんな嘘を縒り合わせた糸で繋がっていたって何にもならないのに。

「・・馨さん、ごめんなさい。あたし変なこと言っちゃって。答えて欲しいわけじゃないの。ただ、言いたかっただけだから」

だから気にしないでね。
馨をきづかうように籐子はもう一度そっと微笑んで、少しうつむいた。

「ううん、ちゃんと答えさせて」

馨の言葉に驚いたように顔を上げる。

「籐子ちゃんが好きだよ」

籐子の大きく開いた目の中に映っている自分の姿を見て、馨はきっぱりと言った。

「・・それ、どういう好き?」

ふるえる声で小さく呟く籐子に、今度は馨が驚く。

「どういうって、え?」

「・・お店のお客さんとしてとか、友達とか・・妹みたいとか・・そういう好き?」

どんどん小さくなる語尾を必死で聞き取りながら、馨の心は不思議な温かさで満たされて来る。

そうか。籐子もまたずっと同じ不安の中でぐるぐる回っていたのだろう。ばかだなあ。
籐子にも自分自身にも、そう思う。
もっと早く言葉にして伝えていたら。
でもきっと、こんな臆病さも馨と籐子は良く似ているのだ。
お互いを失いたくないあまり、相手の気持ちを確かめることが怖くてその場を動けなくなってしまうほどに。
それでも今夜一歩を踏み出したのは籐子の方だった。
それがどんなに勇気のいる一歩だったか馨にはわかる。

「好きだよ、籐子ちゃんが好き。
お客さんとか友達とか、そんなんじゃない。籐子ちゃんは、私の好きなたったひとりの女の子だよ」

「・・ほんとうに?」

「本当だよ。先に言わせてごめん。もっと早く言うべきだった」

くしゃりと顔をゆがめた籐子が、泣き出す手前のような表情になる。
瞳を薄く潤ませて「良かった」と消えそうな声でつぶやいた。

「俺の彼女になってくれますか?」

籐子の小さな手を取り真剣な眼差しで伝えるさまは、まるでプロポーズみたいで籐子は目を丸くした。そしてその目をふわりと細め、くすくすと笑いだした。

「籐子ちゃん?なんで笑うの?」

「だって馨さん『俺』って言った」

指摘されると急に恥ずかしくなる。
馨は額にそっと手を当てて赤らむ顔を隠しながら天井を仰いだ。

「いいでしょ。こういう時くらい男らしくしたって」

「なんだか馨さんじゃないみたいだったから」

なおも笑いの止まらない籐子に恨めしげな視線を送り、馨は大きく息を吐いた。

「もう。せっかくカッコつけたのになあ。こんな『馨さん』は嫌い?」

ぼやきながらももう一度真面目な顔を作って籐子を見下ろした。

「ううん。どんな馨さんでも、それが馨さんなら、大好き」

当たり前のように言われて、馨は言葉に詰まった。こんなに寒い夜なのに、身体中が火照っている。
あまりの嬉しさに弾けそうな胸を、どうやって止めたらいいんだろう。
でもまだ大切なことを聞きそびれていた。

「・・・それで籐子ちゃん、返事は?」

こつんと額と額がぶつかるほどに顔を近づけて籐子の目を覗き込む。
籐子はその目をしっかりと見つめ返して頷いた。

「はい。馨さんの彼女にしてください」

生真面目な彼女のまっすぐな答え。
なんだか泣きそうになって、馨は慌てて目を瞬かせる。
どうしたら伝えられるんだろう。
今、どんなに幸せな気持ちをもらったか。

「・・キスしてもいい?」

掠れた声の馨に籐子は微かに頷いて、二人は冷えた唇をそっと重ね合わせた。





















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毎日がクリスマスなら

毎日がクリスマスなら

フラワーアレンジメントの講師とバーの雇われ店主を兼任しているオトメン馨さんと頑張り屋さんの籐子ちゃんの、ほっこりな恋物語。ふたりの出会いからはじまる物語ですが、ここにアップしているのはラスト部分だけです。半端なことですみません。 98°のif everyday could be christmasを聴きながら。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-11-20

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著作権法内での利用のみを許可します。

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