ルイとジャクリーン

見えない子

「また来ます」
 中にいる医者にそう言って部屋を出た。台風が近付いて一日中雨が続き、特に今日は朝から晩まで本降りの雨が続く中、職場の近くとはいえキオスクで買った傘を差しながら病院に出向いた矢先、白衣を着た五十代のおっさんが脅しを掛けてきて予定より十分も終わるのが遅くなった。職場に戻ればさっき彼から聞いた話もぼんやりと忘れるのかもしれないが、気付いてしまった空腹は無視出来なかった。
ロビーの奥まった場所にあるローソンで栄養剤を買って出入り口の邪魔にならないところで一気に飲んだ。職場に戻って社食を食べても良いのだけど、二八〇円の鯖の味噌煮込み定食や麺類を見てると胸焼けを起こすようになった。連日続く外科医からの脅しが原因だと分かってはいるが、今更どうすることも出来ないから時間が解決するまで耐えるしかなかった。
「Japansk? Men ikke japansk navn. Jag troede finde ham pa en gang(日本人? 日本人の名前じゃないけど。すぐ見つかると思ったのに)」
 本気で疲れているのだろうか。少し離れたところの、ロビーに続いている広い廊下で黒いケープを着たちんまい何かが、仔馬にしては随分小さく、まるで黒いちんまい物体に合わせたような大きさの歩いている茶褐色の馬と、その背に乗ったカラスを引き連れて歩いていた。ちんまい何かは日本では違法にあたりそうな小さい鍬を肩に担いでいる。そしてあの馬は電動なのか。
 気になるのは、この異様な光景に誰も気付いていないことだった。信じられないほど周りは無関心だ。年配の看護師数人が異様な集団の傍を通っても気付いていない。
 瓶をゴミ箱に捨てて後を追いかけると、黒いちんまいのは何か見ながら歩いているのか、立ち止まった。人通りの少ない廊下の先にはICUがあって、そこから白衣を着た五十代くらいの医者が若い医者を数人連れて出てきたが、そこに何かあるとも思っていないように素通りしている。あれはなんなんだろう。
 傍まで来てみると突然、それが振り返った。僕の足元を見てゆっくり上を見上げると「Ah gud(何てこと)」と発言する失礼な奴ではあった。僕の膝くらいに目線があるのを考えると、ちんまい黒い物体の正体は、ケルト系特有の色の白さと青灰の虹彩をした大きな目と、さっきから彼女の話す言語を考えれば、僕と同じ国出身の四歳くらいの赤毛のゆるい巻き髪が特徴的な女の子だった。
「hvad er du?(何者?)」
 ハッとした彼女は「わたしが見えるんですか?」と少し驚いている様子ではあった。半ば無視してしゃがんで鍬を触ってみたが、刃の部分はただのハリボテだった。
「日本はハロウィーンを五月にするのか?」
「仮装じゃないです。わたし死神なので」
 真面目に話す彼女に返す言葉がしばらく見つからなかった。子供の真剣な嘘に笑うべきなんだろうか。
 けど周りの反応を見ると嘘と断定するのは難しい気がした。もしこの子が嘘をついているにしても、ここを行きかう労働者が悩まし気な顔をした馬と凶暴性のないカラスを連れた女の子を、いくら仕事が優先でも無視しないだろう。もう日本に十年以上住んでいれば、この光景が日本では日常茶飯事ではないことくらい分かる。
「もしかして倉科ルイさんですか?」
「そうだけど」
「本当に日本人ですか? 名前もルイだし。日本人ってカイシューとかリョーマとかシンサクとかって名前がおおいって聞いたんですけど」
「偏り過ぎだろ、なに見たんだよ」
「めがねででっぱで短足じゃないし。サムライとニンジャもいないし」
 舌足らずながらにべらべらと話している彼女の表情は至って真剣である。もし死神が本当なら見た目が小さいだけで思考は子供ってことでもないのか。
「ハーフだよ。デンマークと日本人の」
「だからさっきから私と話できるんですか」
 それ以外にも理由があるような気もするが。
「Taler Japansk?(日本語話す?)」
「Nej tak(結構です)」
 やっぱり僕の知っている小さい女の子にしてはやけに饒舌で断り方を知っている。死神って本当なんだろうか。だとしたら、
「まさか俺を迎えに来たの?」
「そうです」
「俺が死ぬの?」
「そうですよ」
「肺がん?」
「いえ、帰りのタクシーが玉突き事故おこして死にます」
 とんでもない最期を迎えるらしい。
「それ言っていいの?」
 彼女の表情と両手で口を押さえているあたり、口にして良いことではなかったのは直ぐ分かる。
「それ聞いてもタクシー乗んないとダメ?」
「じゃあブリュンヒルデに聞いてみます」
「俺に決定権はないのね」
「ちょっと待っててください」
 そう言って女の子はその場を離れ、どっからともなく取り出したアイフォンっぽい携帯電話で誰かと話していた。僕と馬とカラスを残して。
「心配しなくても大丈夫ですよ、未来が変わることもありますから」
 馬のくせしてやけに穏やかな表情を浮かべ、紳士的に話すのを目の当たりにしたら死神とその連れだと信じない方が難しい。カラスだってカラスとは思えない優しい表情を浮かべて「そうそう、あの子は死神だけど未だ子供だもん」と話す。子供は子供なのか。
 電話を終えて戻って来た彼女は「一度ヴァルハラにもどります」と妙なことを急に話してきた。
「どこだよ」
「ヴァルハラ。また来ます」
「また来るって、俺もうここにはいないけど」
「ここから近いお店で働いてますよね」
 さっきから手に持っていた手帳に僕の個人情報が記載されているのだろうか。それを見ながら「なんですか、カスタマーサービス係って」と話を続けている。どこまでバレているんだろう。
「苦情係」
「ストレスたまるのは分かりますけど一日にたばこ二箱は肺がん以前になにかの病気です。吸うなとは言いませんが減らした方がいいと思います」
「減らしたところで事故死だろ」
「じゃあ帰りますので」
 ぱたん、と手帳を閉じた彼女は僕にお辞儀をしてから馬の背に乗り、カラスは彼女の頭に止まって僕の横を通った。振り返って呼び止めようとしたけど、別空間への入り口が、ただの人通りのない病院の廊下にあるのか、すっと消えてしまった。

職場にて

「こっちは小銭でお釣りが出ないように出してるのよ、それをなんなの、土下座しなさいよ、土下座。人をバカにして。どういうつもりなのっ?」
 事務所とフロアの仕切りはカーテンが故、すぐ近くにあるレジからの甲高い怒鳴り声は、例え無駄に広い事務所の端にある机と向かい合い、フロアマネージャーと話をしていようが聞こえてくる。レジには確か係長がいるはずだが、その係長に怒鳴っているらしい。それはマネージャーにも気付いたようで、僕の目を見て立てた親指がカーテンの向こう側を指していた。
「嫌です」
「仕事よ、仕事。君の仕事。大丈夫だって。倉科君が笑いかけてご機嫌取れば大概のお客さん許して帰るから」
「日本語通じなさそうって思われてるんじゃないですか」
「大手企業っていうのは人の心理につけ込むのがうまいのよ。日本で木村拓哉に理不尽なクレームつけられる人っているのかしら?」
 想像してみると素晴らしい神対応をしていたので「いないですね」と、マネージャーが言いたい理由とは違うが結論は同じだった。
苦情係には美人と男前を常備しておくといった一種の都市伝説を実践しているんじゃないかという噂が、僕が『カスタマーサービス係』に配属されたことで広まったと聞いた。実際は、外国人客も多くなってきたことで英語、日本語、中国語、マイナーにデンマーク語が話せるから異動になっただけだった。
 無駄話しても係長に悪いので脱いでいた黒のストライプスーツのジャケットをはおり、ボタンを締めてカーテンを開けた。背中にマネージャーの、がんばれー。という頼りないエールが聞こえてくる。
「お客様。どうかなさいましたか?」
 血相抱えて怒鳴り続ける夫人は、化粧っ気のない素朴な顔立ちをした女性だった。クレーマーに容姿の特徴はないが、この女性は目の焦点が合っていない。あまり深追いする客ではない気がする。
「態度が悪過ぎるのよっ、どういう教育してるの? 客をバカにして、土下座するまで帰りませんからっ」
 店員が何をしたのか教えてくれないのでレジのカウンターを見た。カルトンの傍に置かれた会社控えのジャーナルには二三五〇円と印字されており、客が出したのだろう、カルトンにあるお金は五千円一枚と百円玉が五枚だった。百円玉が四枚まとまってるのに一枚少し離れたところにある。多分、お会計をしていた店員が一枚多いと言ったことに腹を立てたのだろう。レジにいるのは与野係長と勤労二十年の女性社員、大宮さん、十年目の男性社員、川口さん、三年目の派遣社員、柏さんの四人。レジは混んでないから忙しいようでもないし、ここのリビング・寝具は毎年覆面調査でA判定をもらっているから、この中で客が怒鳴り散らすほどの感じの悪さで対応した人物がいるとは考えにくい。
「今回は販売員の未熟さ故、お客様を不快なお気持ちにさせてしまい、大変申し訳ございませんでした。こちらとも社員の教育を一から見直し、よく言っておきます。誠に申し訳ございません」
 女性客は何かぶつぶつ言っていたが僕が頭を下げているせいか、よく聞こえなかった。やっと聞こえたのは「もういいから早くお会計してよ」という、怒鳴り声ではなかったが、早くこの場を去りたいような早口だった。
「私がお会計承りますので、よろしければあちらの椅子にお掛けになってお待ちください」
 レジカウンターから一番近い場所に広い通路にある。そこのエスカレーターと通路を仕切る透明なパーテーション沿いにいくつか椅子が並んでいた。そこに案内し、客に適当なことを言ってレジに戻った。
 カルトンに一五〇円と領収書、一階のカフェで使える割引券を添えて紙袋に入れてもらった商品を持って客の元に戻り、何度も詫びを入れて見送った。最終的に怒ってもいなかったが機嫌は悪かった。
「倉科君、ありがとー。もうどうしようかと思った」
 レジに戻ると係長が僕を呼び、大袈裟に礼を言う。柏さんが深々と礼を言ったので多分この子が接客をしていたのだろう。
「とんでもない。多分、女性二人だから強気に出てたんだと思います。きっと若い女の子に指摘されて恥ずかしかったんじゃないかな」
「このあいだもこういうことあったんですよ。おじさんだったんですけど、さっきみたいに、十円多いですねぇって笑い掛けたら、すみません、って笑い返してくれたんで、その調子で返したんです」
「あるある、クレーマーって本当どこでキレるか分かんないからね。見た目でも判断出来ないし」
 そう言った係長に、ああそうですよね、と曖昧に笑って相槌打っていると、彼女の後ろにいる見覚えのある馬とカラスが僕を見ていた。この百貨店の雰囲気にそぐわない生身感に顔が引きつる。馬が座っている様子は写真でしか見たことないが小さい子供が脚を広げて座っている姿に似ているそれは、犬や猫みたいに丸くなっていないから前足を自由に動かすことが出来るみたいで、前足が体の中心部から左へスライドしている動きは何かを指しているらしい。
 レジを超えて左側を見ると昨日のちんまい女の子がディスプレイのベッドに寝転がっていた。本当に転がっている。
「ちょっとフロア回ってきます。新商品入ったんですよね」
 我ながら引きつった表情が残っている自覚はあったが、馬といいカラスといい、売り物に寝転がる子供といい、自分にしか見えていないのは心臓に悪く不気味ではある。目を背けたくなるグロテスクな心霊現象ではなく、むしろこの三体には愛くるしささえあるのだが、平常心を保つのは今の僕には難しかった。
「そうそう、高反発のマットレス。触って来ていいよ」
 係長は僕の表情を意に介さず嬉しそうにそう言って仕事に戻っていた。僕は先に馬とカラスに「Jeg troede aldrig din kommer tilbage hurtigt(まさかすぐ戻ってくるとは思わなかった)」と小声で話しかけた。
「ええ。ブリュンヒルデがさっきのやりとりを見ていらしたそうです」
馬が答えるが馬相手に普通に話しかけた自分が怖い。
「hvad laver du?(何してるんだ)」
 生まれてから十五年間使ってきた第一言語が周りに聞こえていても、まさか僕にしか見えていない死神に話しかけているなんて誰も思わないだろう。新商品のディスプレイされた掛け布団やら毛布、マットレスを見てぶつぶつ外国語つぶやいている変人に思われるだろうが。
「Hej. Hvordan har du det(こんにちは、元気ですか?)」
 ころころ布団の上を転がるのをやめた彼女は体を起こし、座ったままだが律儀に挨拶してきた。
「あと五時間くらいは元気だよ」
「それなんですがブリュンヒルデに延命許可を頂いて来たので大丈夫です。今ごろ父があなたのロウソクを調整してます」
「父? 死神にもお父さんいるの?」
「違います。万物の父でありながら死と戦の神、最高神オーディンです」
 そういえば北欧に伝わる神話の神様は聞いたことがあった。僕が生まれたオーデンセという地名はその神様から由来しているとも母親から聞いていた。
「じゃあ俺死んだら君がさっきまで帰ってた場所に行くの?」
「あれ? ルイさんプロテスタントじゃないんですか?」
「国教はそうだけど両親は無宗教だよ」
「でもここにルイさんの母親がルーテル教会を出入りしてる記録ありますよ」
「そんなこと書いてんのかよ」
 小さな手で持っている手帳を借りると、読みやすい字で僕の微妙な個人情報が三ページに及んで記載されていた。身長、体重、生年月日が書かれているが、ご丁寧に満二十八歳とある。彼女が書いたとは考えにくいが誕生日は未だ来ていないなどのミスもありつつ、字を書くときは右利きで箸を持つのは左利きだっていう情報は明らかに盗撮されているような気もする。五歳の頃にオーデンセからコペンハーゲンに引っ越し、十五歳の頃に親と渡日して日本の高校に進学し、卒業後は現在の職場に入社といった経歴も漏洩しているがいずれも理由は書かれていない。親に関しては教会の出入りくらいしか情報はなかった。
「これ君が書いたの?」
「これはヘルが書いてくれたんです」
「さっきからいっぱい出てくんなぁ。さっき君の連れが言ってたけど、」いつの間にか馬とカラスは僕の足元にいて休んでいた。馬が挙手して死神が「グラニです」と今さら馬を僕に紹介する。「カラスはサズ」と続け、カラスは真っ黒な羽根を広げて「よろしく」と挨拶した。
「君は?」
「ジャクリーン。私たちはジャッキーと呼んでおります」グラニが紹介してくれた。この穏やかで紳士的な口吻が動物らしさに欠けているんだろうが、死神の連れなんだ、きっと僕が知っている馬とカラスではないんだろう。
「さっきジャッキーが連絡取った死神は今のやりとりも見てるんだろ」
「ブリュンヒルデだけじゃないですよ。ワルキューレの全員見てます」
 盗撮っていうか監視だった。「君が来てからの監視?」念のため確認してみると「あなたにはロウソクがあるので生まれたときから監視下にはいます。けど一柱の死神につき千人の人間がつくので全員の個人情報を把握してない死神が大半ですね。ずっと人間とか見ててもおもしろくないし」と暴言を吐かれた。
「ジャッキーも千人の人間を管理してんの?」
「わたしは今のところルイさんだけです。ブリュンヒルデに言われてスクルドから一人任されたのがあなたです」
 ああそう、と曖昧に相槌を打って分かったふりをしたが、僕の監視というより初めてのおつかいを任された子供を心配する親が親戚一同そろって別室のモニタールームで見守っている状況と考えたら納得してしまった。
 ジャッキーはベッドから降りようと弾力のある掛け布団の上をケツと足を使って端まで来てベッドを飛び下り、きちんと脱いでいたサンダルを履いて僕の足元に立った。「鍬は?」聞くと彼女はハッとして思い出したようにベッドに戻ろうとするが僕が取った方が早いので彼女に手渡した。
「今日何時に終わりますか?」
「何もなかったら十八時半に終わるよ」
「じゃあ終わったら迎えに行きます。ブリュンヒルデに一度連れて来いと言われたので」
「死んでないのにそっち行くの?」
「じゃああとで来ますから」
 座っていたはずのグラニが猫や犬みたいに丸くなっているところに僕の質問を無視したジャッキーが背に乗り、グラニは姿勢を崩さずに起き上った。サズもまたジャッキーの頭に留まり、また消えるのかと思ったが消えることなく通路を歩いていた。
「帰るんじゃないのか」
「何度も帰ったりしないですよ、店内で待ってます」
 見送るかたちで彼女らの背を見ていたのだが、うちの制服を着ている真面目そうな職員の横を単騎で歩く少女が通る異様な光景に気付いているのが僕だけというのは、妙につらいものがあった。なんで誰も気付かないんだと理不尽だと分かっているけど孤独感が強まる。

連絡事項

 事務所に戻ってパソコンに向かい、デスクワークをしながら電話対応をして時間を潰していた。潜在的に気にしているのか左手首の腕時計を見る回数が多くて何かと出入りの多いマネージャーに「今日なんかあるの? デート?」と聞かれた。ジャッキーの説明をするべきじゃないというのは分かるけど、何もないと返したら隠してると勘繰られるやり取りが始まってしまう。
「そういうわけじゃないんですけど」
「同期と飲み会?」
 スウィブルチェアごとマネージャーがいる方に振り向くと、彼女が背にしている事務所とフロアの仕切りのカーテンが動いた。開けた本人を見て咄嗟に「義経」と呼んだのでマネージャーが「国生さんとどっか行くの?」と話を続けている。「飲みに行こうかなって考えてはいますけど」と義経が返したが。
 真後ろで聞こえた声にマネージャーが振り向き、「お疲れ様です」と挨拶する、このフロアの東エリアに導入されたファッションメーカーの営業担当で、うちを出入りする国生義経は、高校で知り合った僕の友人でもあった。入社当初は紳士服部門の販売をしていたはずが二年前に婦人服部門の営業になったという。十頭身あって明らかに脚の方が長い男前だから服がどうこうって話を聞いてモデルでもすんのかと思ったけど違っていた。
「あー、悪い。今日ちょっと」
「デート?」
「早く帰りたい」
「また誘う」
 お互い利き手の拳を軽くぶつけ合ったのだが、マネージャーには異様だったみたいで義経に「そんな理由で断られて良いの?」と聞いていた。
「いーんですよ、この子仕事じゃ笑ってお客さんに対応するけど普段全く笑わないし、本当は愛想のない奴なんですよ。知り合ったときも全然心開いてくれなかったし、本音言ってくれるようになったんです」
 誰にでも接することが出来るお前には人見知りの気持ち分からんだろう。言い返すまえにマネージャーが「真面目で仕事出来る子だから違和感なかったけど確かに身内には愛想ないかもね。最近やっと建前っていうの覚えてきた感じ?」と、味方だと思っていたのに敵だった。そして返す言葉がない。
「マネージャー。熊谷部長から電話です」
 外からカーテンを開けた川口さんがマネージャーを呼び、川口さんと義経が挨拶を交わしている間にマネージャーはデスクに散らばった色んな資料を手に抱え、川口さんと事務所を後にした。来週に控えている催しの件だろうか。
「そういえばさ、さっきこっち来るとき馬にあぐらかいて乗ってる女の子見たんだけど」
「えっ?」
 思わず声を上げてしまい、いつの間にかマネージャーの座っていた椅子に腰掛けている義経は驚いてはいたけど「お前、声張るんだな」と違う方向だった。
「黒いケープ着た白人の可愛い女の子だったけど頭にカラスのぬいぐるみなのかなぁ? 羽根とかは割とリアルだったけど、馬もなんかスゲー小さくて、仔馬でもあんな小さくないし、電池で動くのかな。なんかちんまいのがうろついてたよ」
「それって」
「俺にしか見えてなかった」
 霊感はないらしいが妖精が見えるという彼は小さい頃からそれで苦労したこともあって昔ほど見えていない自分にしか見えないものは僕と高校の頃から付き合っている彼女にしか話さないという。僕は心霊現象も子供のときだけ訪れそうな不思議な出会いも経験したことがないから、義経が嘘をつけない性格を踏まえて疑いもしなかったが、彼が今回見たものは当事者であるだけに親身に話が聞けなかった。
「ああそう」
「あんまりピンときてないよね?」
「ああ、いや分かる。今回は想像出来る」何回か見てるし。
「ほんと? 最近、ニーカにこういうの話したら爆笑されるしさぁ、親は息子の話とか聞かねえじゃん、俺も親父の話とか聞かねえし。ルイルイは絶対聞いてくれるから一生大事にします」
「それニーカに言えよ」
 僕の手を無意味に握手する義経の手を振り払い、話柄を変えようと「そういえば来週の催しって義経のとこのメーカー入るんだっけ」と話を振った。
「一応ね。本社はドイツだから雑貨と美容部門の商品が予定入ってるみたいよ。俺あんまり関係ないけど」
「あ、そっか、担当違うから関係ないんだ」
「けど買いに行くよ。ニーカそういうの好きだし」
「良いなー……、俺も仕事終わったら買い物しよっかなぁ」
「ルイルイいつかデンマーク戻んの?」
僕が話す前に、僕を呼びながら会話を割って入って来たのはカーテンをすり抜けたジャッキーだった。踵まである長いケープを着ているから分かりにくいが、確かにグラニの上であぐらをかいている。
「あ、妖精」と義経。
 義経の真横を通っておきながら僕の傍に来てグラニから降りたジャッキーは人の気配に振り返ったが、義経と目が合うなり後ずさりをするように僕が座っている椅子の後ろに隠れてしまった。気にはなるのか覗くように顔は出している。ただの人見知りか、でかいから怯えているのか。
「hvad er ham?(何ですかこの人)」
「Det er din samme tanke for ham(向こうもそう思ってるよ)」
「二人にして何話してるんだ」
 デンマークの言葉が分からない義経には確かに何を話しているか分からないだろうが説明するような内容でもない気がする。
「俺が言ってた妖精もしかしてルイにも見えてんの?」
「うんまあ、今回だけ」
「どんぐり渡しに来たのか」
「Hvad ham sige?(この人なに言ってるんですか?)」
「Du Ved……. Kender du Hayao Miyazaki?(あー……、宮崎駿は知ってる?)」
 一度立ち上がってジャッキーの傍でしゃがみ、「俺の友達だから怖くないよ」と説明しながら、今ここに誰も来ないでくれと念じずにはいられなかった。傍から見たら身長一九〇近い長身を前にしゃがんでいる苦情係は今から土下座するとしか思えない。
「でもわたしのこと見えてますよ」
「見えるんだよ。妖精とか小人とか人のオーラとか」
「わたし死神です」
「見えるんじゃない。ジャッキー、英語は話せる?」
「Just a little」
「英語で挨拶してきな。伝わるから」
 彼女の小さい背中を押し、一歩前に出たジャッキーを前に義経もしゃがみこんだ。高い位置にあった男の目線が近くなり、少し驚いたジャッキーだったが、舌足らずでありながら流暢な英語で挨拶していた。
「Hello, I’m Jacqueline. You can call me Jackie」
「Hi, Nice to meet you, Jackie. I’m Yoshitsune. By the way what are you?」
「Manden Med Leen(死神)」
 突然の異国語に笑顔のまま固まった義経は彼女が何を言ったのか当然だが分からず、「今の英語じゃないよね? 俺に死ねとか言ってない?」と僕に聞いて来た。もう真顔に戻っている。
「惜しい。死神って言ったんだよ」
「ああ、なんだ。急に聞き取れなくなったからビビったじゃん」
「多分、英語で死神が分からなかったんだろ。Hey Jackie, Ved du, hvordan jeg skal sige det manden med leen pa engelsk?(ねえジャッキー、英語で死神って何て言うか知ってる?)」
 首を横に振ったジャッキーの動きで義経も理解したらしいが、彼は僕にすら聞き取れない異国の言葉を、百点の笑顔でジャッキーに話していた。今度はジャッキーが僕に「何言ってるんですか?」と聞いて来た。
「Ma ikke dekymre dig om, at. Jeg kender ikke ogsa(気にしなくていいよ。俺にも分からない)」
「ロシア語なら得意だよってロシア語で言ったんだよ」
 意思疎通の媒体にもならんことを通訳するわけにもいかず、ああそう。と適当に相槌を打ってジャッキーに「俺に何か用事?」と彼女が戻って来た理由を聞いた。そして突然誰かに入って来られても困るから椅子に座り直し、義経は会社から着信が入ったみたいで電話に出る前に僕とジャッキーに挨拶をして事務所を出て行った。
「さっきブリュンヒルデから電話かかって来て、ちょうどお腹すいたからヴァルハラに一回戻りますって話したら、じゃあルイさんに仕事終わったら連絡してもらえって言われたので連絡先聞きに来たんです」
「別に良いけど電話ちゃんと通じんの?」
「前例はないけど多分大丈夫って」
 全体的にさっきから適当だってことは薄々と感づいてはいたが、こうもなると真摯に受け止めるのも疲れるからジャッキーに自分の番号を僕のアイフォンのキーパッド機能で打ってもらい、一度鳴らした。二、三秒後に普遍的な着信音が鳴り響いた。彼女が電波の入るところにいると考えても、携帯ショップで購入したとは思えない、よく見たらニンテンドーDSをもう少し小さくしたような携帯電話に繋がるのはどういう原理なんだろう。
「けど監視してんじゃないの? 俺が終わる頃に来たら良いのに」
「ずっと仕事してる人見てるほど暇じゃないので」
 僕の返事も待たずに、さっさとグラニの上に乗ったジャッキーは、じゃあ連絡してくださーい、と残し、またカーテンをすり抜けて行った。一応、グラニのケツと尻尾が消えたあとに立ち上がってカーテンを開けると、仕切りの右手側にあるディスプレーでシーツを見ている客だけがいて、目が合った。すぐに笑い掛けて挨拶して出迎えると色々と質問されて接客に入った。

Let's Go Walhalla

「大変お時間頂戴いたしました。明日の午後三時にご自宅に配送承りましたので、本日は暑い中のご来店ありがとうございました。またお待ちしております」
 レジカウンターを出て、寝具一式お買い上げの女性客に配送伝票の控えが入った封筒を手渡し、お辞儀をして姿が見えなくなったあとに二度礼した。商品の梱包を手伝ってくれている川口さんにお礼を言ったあと、配送準備をしようとしたが、いつの間にか会議に出向いて戻って来たマネージャーに呼ばれ、変わりますよと声を掛けてくれた柏さんに甘えて事務所に戻った。
「さっき部長と話してたけど体調大丈夫?」
 デスクの椅子に座るなりマネージャーが僕に聞いた。来週の催しの件だとばかり思っていたから返事が二、三秒遅れた。
「大丈夫そうに見えないですか? 割と平気なんですけど」
「本当? 最近、社食でご飯残してるって聞くよ?」
 深刻そうに聞くマネージャーには本当に申し訳ないけど、湿っぽくなる雰囲気に耐えられなくて曖昧に笑った。「誰か見てるんですか?」と冗談っぽく返しても「販売六部の職員ほとんど。特に子供用品・玩具なんかクレーム多いから倉科君のことみんな心配してるよ」と真面目に返された。みんなって大袈裟な、と笑い返したところで「本当だって」と笑ってくれなかった。煙草吸いたい。
「なんかさ、配属部署が苦情係だから仕方ないけど、販売六部全体じゃなくて一つの売り場につき一人って担当に出来ないのかな。基本はうちの売り場に立ってるわけだし」
「誰も入りたがらないセクションだから人員増やすのも難しいんですよ」
「けど倉科君だって希望したわけじゃないんでしょ?」
「研修後に食品希望したんですけど、文具で二年くらい販売員したあとこっちに回されて、担当が販売四部とか変わることはあったけど部署異動はないですね」
「じゃあもう五年くらい今の部署?」
「そうですね、けどまあ、慣れれば大丈夫ですよ。苦情係って言われてるけど、そんなに悪いお客様ばかりじゃないですよ。それに売り場立ってると本当に良いお客様もいて救われるときもありますし」
「こんなイケメンに素晴らしい接客受けたら誰だってオちるだろうよ」
「妙な言い方しないで下さいよ……」
 マネージャーは立ち上がり、「まあ売り場の方は大丈夫だし、急な休みにも対応出来るから自分のことも考えなよ」僕の頭の上に手をおいて「じゃあね、お疲れ様」と、やっと笑い返して事務所を出て行った。そういえば僕より年上の子供がいるっていってたか。
 パソコン画面を見ると、十八時半を過ぎていた。もう上がりなのかと気分が晴れず、だらだら身支度していると「あら、もう帰ったかと思った」と声を掛けられ、振り返ると柏さんだった。どういうわけか畳まれた黒い布を抱きかかえていて、黒い物体が最近見たものによく似ているので「Jeg gar hjem snart(もう帰るよ)」と返していた。しばらく反応がなかった。
「あ、いや、もう帰ります」
「今の英語じゃないですよね? なんか文句言ったんですか?」彼女の眉間に皺が寄るので「もう帰りますって言ったんです」と話した。義経もそうだったけどなんで異国語=悪口になるんだろう。
 事務所を出て職員に挨拶をして社員通用口に入った。エレベーターを待っているあいだに繋がるのか不安だがジャッキーに電話を入れた。二、三秒ほど途切れるような機械音がしたあと、モスキート音に似た耳障りで不快感を煽る雑音が入り、回線が切れたような音がしたが繋がった。
「Hej.Jackie」
「あ、今終わったけど、どうしたらいいの?」
「じゃあ準備します」
「準備? 迎えに来る準備?」
「いえ、ルイさんがこっちに来る準備です」
 どういうわけか聞こうとしたとき、電話が切れたと同時に着いたエレベーターのドアが開いた。体型に差があっても四十人は入れる広いエレベーターは誰も乗っていなくて、並んでいるのは僕だけだったはずが、誰かに背を押されたような錯覚に一歩踏み入れた足が蹴躓き、バランスを取ろうとしてエレベーターの中に入ると、見えた光景が一瞬だけ、真っ白になった。
 瞬きくらいの短い間に殺風景なエレベーターの中が、あたり全面に広がる草原に変わっていた。柔らかくて暖かい風が生い茂る木々を揺らし、上は雲一つない空が高い位置にある。
「ルイさーん、こっちですー」
 声がした方に振り返ると、グラニの上であぐらをかき、肩にサズを載せたジャッキーがゆっくりと傍まで来た。いつもの黒いケープ姿じゃなく、ユニクロのリラコみたいな七分丈の花柄パンツと、一応輸入になるのか『妖怪ウォッチ』のジバニャンの絵が入った単色シャツを着ている格好で髪が半乾きだった。真っ白い肌の頬がほのかに桃色に染まっているが、風呂上りなのか。
「案内します」
僕の傍まで来て返事も待たずに先陣切って我先にどこかに向かおうとするが、迎えの仕方が手荒過ぎる。
「どこ行くんだ」
「ブリュンヒルデのところです」
 想像ではレッドカーペットが敷かれたタージマハールのような宮殿の中、マリー・アントワネットみたいに頭というか髪が樽みたいな形に盛りこんだゴシックっぽいドレスを着た女性が王座に座ってお出迎えしてくれるのかと気が重かったが、実際、ジャッキーが僕を案内する景色は僕が生まれたオーデンセの街並みによく似ていた。赤茶色のセメントブロックの道筋、似たような外観の家が並び、なんか懐かしいなあと思い出す反面、自分がオーデンセにいた頃に住んでいた家に似ている、黄色の外壁に青色の屋根をした家を見ると、つい立ち止まった。
「ジャッキー」
「もうすぐですよ」
「ここって電波通じる? ちょっと電話したいんだけど」
「通じても雑音が混じる可能性がありますね」
「どんな?」
「分からないですけど相手によっては不快感を与えるかもしれないです」
 そういえばさっき奴さんに電話したとき、かなり耳障りな雑音が入り混じっていたか。人によってはある種の恐怖感さえ与える。
 諦めて再び歩き始めた。
「ここです」
 ジャッキーが案内してくれた場所は、また異空間に入ったのかと勘違いするほど南国景色の強い風景が漂っていた。海が近いわけでもないが真っ青な空の下にウッドデッキのオープンテラスがカントリー色を濃くして、One Directionの歌が流れる中、賑やかな集団が談笑しているとグアムかハワイに来たような感覚になってしまう。自分のスーツ姿がものすごく場違いだ。
「ブリュンヒルデ、戻りました」
 ジャッキーが話しかけた方はその集団の中にいて、呼ばれた方は席をはずしてしゃがみ、傍まで来た小さいジャッキーを抱きかかえ「お帰り、ジャッキー」と熱烈な歓迎をしていた。まるで自分の子供みたいだ。
「あなたが倉科ルイさん?」

Brynhildr

 僕に気付いて笑い掛け、出迎えてくれたけど、きっとこの方も死神なんだろうが、白のタイトなロングドレスは胸元があいていて。胸が無駄に大きい。髪型は想像よりは奇抜ではなかったものの、トップにボリュームがあって腰まである巻き髪がひどく派手だった。美しい顔立ちに沿った華やかな化粧は合ってはいるけど、四人いる女性の集団全員が露出度の高いドレスを着て髪を盛り上げ、豊満な胸元を惜しげなく披露した光景は、なんだか恐怖さえ感じた。女詐欺師とか女スパイとかが無駄にセクシーな雰囲気を出していなければこんな感覚にならなかったかもしれない。
 自分が座っていた席にジャッキーを乗せたブリュンヒルデを名乗った女性は、ハリのある細長い手でジャッキーの頭を撫でながら優しい表情で「お腹すいたでしょ」と言ってテーブル中央に置かれていたパンケーキやエッグベネディクト、フレンチトーストをジャッキーの手前に並べだした。そんな食えないだろという忠告は聞いてくんないんだろうなって分かるほど死神たちはまるで誰もが夢中になるアイドルに対して、ジャッキーにジュースや食事を分け与える。ただみんなが飲んでるのはワインだ。酔ってんのか。
「ジャッキー、私はルイさんと話があるので少し離れるわ。スクルドたちと良い子にしててね」
「はーい」既にフォークを持って食事にありついているジャッキーは、僕が今まで見ていた彼女より子供らしさが出ていて、小さい女の子に間違いなかった。
 ブリュンヒルデは僕に振り向き、ジャッキーに向ける表情と変わらず「ルイさんはお腹すいてない? 少し食べる?」と聞いた。死神に年齢なんてないんだろうが、母親か姉のような安心感を与えてくる。
「ああ、いえ、大丈夫です」
 まさか食事をすすめられるとは思わなかったので微妙な嘘をついた。それが緊張に映ったのか、奴さんは「家にはちゃんと帰すから心配しないで」と、僕の心配を素っ破抜く。こんなところに来て戻れるんだろうかと危惧しないわけないが、こうも言い当てられると何も言えなかった。
「少し歩きましょうか」
 ブリュンヒルデの提案で僕らはウッドデッキを離れ、映画のサウンドオブミュージックに出て来そうな、行き止まりが見えてこない広くて高いところに空がある、びっしりと苔むした草原の中を、僕は彼女のあとをついて歩いた。どこに向かうかは聞いていないが、「お仕事大変そうね」と僕の仕事について話を振って来た。
「たいしたことないですよ」
「そう? なら良かったわ。けど無理しちゃダメよ」
 俺のおかんか。
 風が吹き、彼女の長い腰まである髪が揺れる。すごいわねぇ……、と迷惑そうに呟いて足を止め、振り返ったブリュンヒルデの横顔がジャッキーに似ていた。死神といった類に肉親がいるとは思えないけど僕と同じ人の姿をしているから、不意に「ジャッキーのお母さん?」と聞いていた。彼女は少し目を大きくしたあと、すぐに笑った。
「あら、そう見える?」
「違うんですか?」
「性格が似てないから一緒にいるワルキューレのみんなにお母さんなんて言われたことないわ。私は守秘義務を全うするけど、ジャッキーは隠し事が出来ない性格なの。寝たきりの人間お迎えに行かせばよかったのよね」
 ジャッキーを思って心配しているような発言だが言葉は選んでいない。ああそうですか、と相槌を打つしかなくて、彼女が歩き出したからついて歩いた。
「僕が誘導尋問したっていうことにはなんないですか?」
「意図が読み取れない限り人間の責任には出来ないわ。それに、掟をやぶったにせよ、ジャッキーはあなたを救ったから叱るべきじゃないとオーディンから言付かっています」
 やっぱり死因を話すのは違反だったらしい。
「ここの人はジャッキーに優しいんですね」
 風が吹いたわけでもないけど彼女が立ち止まり、僕に向いた。微笑んだ彼女はとても綺麗で絵画のような荒のない美しさが目立つ。
「心無い大人は子供の傍にいるべきじゃないわ。だから倉科の両親があなたを育てたんだと思うけどね。ルーテル教会を出入りしてたのは本当のお母さん?」
 書いていなかったはずの詳細を話され、一瞬戸惑った。さっきから僕の胸中を読むのが得意な彼女は「ジャッキーには複雑な話してないの。あの子のことだから、どうしてあなたに母親と父親が二人ずついるのかって混乱しちゃうわ」と続けた。僕の監視が元々担当だったスクルドから得てジャッキーに流した個人情報はごく一部だったという。
「未だ傷とか残ってるの?」
「背中とかには少し。服も半袖だったら見えますね」
「けど良かったじゃない。良い人に引き取ってもらえて。きっと良い息子だって自慢してるわよ」
 喉の奥深くに痛みが出て、頷くのに時間が掛かった。
 ブリュンヒルデはさっきまでに笑っていたのに神妙な顔つきに変わり、僕の傍まで来て、跪いた。
「いくら死神のミスとはいえ、死神に助けてもらったからには代償と、今回に限り慈悲を与えています。けどそれも、あなたが覚悟しているからこそ、私たちも決断に至ったことを、お許しください」
 落ち着いた低い声でそう言ったブリュンヒルデは右手の掌を鎖骨の下にあて、目を閉じた。僕は、遠くの離れたところで大人に囲まれ、楽しそうに遊ぶジャッキーの笑い声を聞いた。真面目で、一生懸命だけど空回りして、死神のくせに人間を助けたジャッキーが子供らしく笑っているんだと思うと、なんだかおかしくて、ブリュンヒルデを呼んだ。
「ジャクリーンに伝えてください。ありがとう、って」

さよなら

 十三年前、父が亡くなった。母さんは僕に、お父さんとお母さんが育った国に行きましょうか。と話し、僕が高校に上がる年に両親から話で聞いていた日本に移り住んだ。その頃の母は未だ元気で、高校二年の進路で迷っていたとき大学に進学してもいいと言ってくれたけど、就職を選んだ。それから五年が経ったとき、母の乳がんが見つかった。
母さんは父が亡くなった理由を僕に教えてくれなかった。でも何度か、母が病院の医者と言い合いしているのを見たことがあった。きっと、医者不足で風邪の診断をしてもらうのも十日待ちの家庭医制度では病院で診てもらうのも時間が掛かり、どのみち僕が生まれ育った国では父を助けることが出来なかったんだと日本に来てから知った。
自宅から近い民間の病院に通院していた母は紹介状を持って僕の職場に近い国立の専門病院に入院することになった。最初はそれほど実感なかったけど、医者から抗がん剤の話や手術の話、転移、病室の移動、余命宣告を受けると十三年前に亡くなった父を思い出して、またあんな気持ちにならないといけないんだって、意図的に実感を持たないようにしていた。
 けどそれも無駄な努力に終わろうとしていた。ベッドで寝ている母親は目を閉じて僕を見ていない。医者は母に声を掛けながら何か作業をしている。素人の僕に何をしているか分かるはずないけど、がんを患っていながら延命治療を希望していない母親を苦しませることないよう配慮しているとは思う。
 ドラマとかでしか見たことのない心電図モニターの脈拍が一定のリズムを保っているけど数字はほとんど変動がなく、いつ波形がフラットになってもおかしくなかった。
 ここにどう帰って来たか覚えてないけど、僕はいつの間にか自室のベッドで寝ていて普段通り朝を迎えた。身支度しながら職場に向かう前に母親のところに着替えを持っていこうと荷造りしている最中に病院から電話が掛かって来た。すぐに職場に連絡を入れてジーンズとシャツに着替え、家を出ると年配の看護婦さんが受付に来た僕を呼び、母のところに案内してくれた。
「もう少し近くで見ても良いですよ」
 医者が気を使うほど体が緊張していた。一歩ずつ少しだけ近付いて、僕と似ていない母親の顔を、久しぶりにじっと見た。
子供の頃、オーデンセで過ごした母親は何度呼んでも気付いてくれなくて、気を引こうとスカートを引っ張った。そうすると自分の顔に痣が出来て、一緒にいる酒臭い男に押さえつけられ、気を失うまで何をされたのか、じゅうたんに染みついた紅い斑点と、ひりついた体中の痛みで気付かされた。だから、いま目の前で眠っている日本人女性と初めて会ったとき、この人も同じことするのかなって怖かった。けどこの人は、僕に笑い掛けながら頭を撫で、可愛いと何度も口にしたあと軽々しく僕を抱きかかえ、まるで小さい女の子がぬいぐるみを可愛がるみたいに力強く僕を抱きしめた。同じようにお酒を飲む日本人男性は僕を持ち上げ、自分の肩に僕を乗せて今でも見ることが出来ない高さからコペンハーゲンの街並みを見せてくれた。
 こんなときに、今度ジャッキーに会ったら肩にのせてみようかなって思ったけど、彼女にも二度と会えないことに気付いて、ため息が漏れた。
「Op med humored(元気出して)」
「Tak(ありがとう)」
 おもむろに返事した僕の声に反応したのは医者だった。どうかしました? と聞くが僕の足元でベッドに眠る母親を一目見ようと飛び跳ねている死神が見えているはずもないし、説明も出来ないから「話しかけたかったんですけど日本語だと難しくて……」と、ここにきてハーフを気取った。
「母さんに話しても良いですか? 母さんは僕に生まれた国の言葉も教えてくれたので、その言葉ならうまく話せそうなんです」
 我ながら苦しい言い訳だったが医者は快諾して少しベッドから離れた。ジャッキーは飛び跳ねるのをやめたらしい。
「Hvorfor er du her?(なんでいるんだ?)」
「Jeg kom her for at tage hende til Wallhalla. Hvorfor du er her ogsa?(この人をお迎えに来たんです。ルイさんこそなんでいるんですか?)」
 慈悲がどういうこと分かっていたつもりではあったけど、これもそれに入るんだろうか。
「俺の母親だよ」
「似てますか?」
似てないよ、と答えようとしたけどブリュンヒルデの話を思い出して「少しだけね」と嘘ついた。そうですか、と納得したジャッキーがもう一度飛び跳ねることはなかった。あまりチャレンジ精神ないのか。
「あの、ブリュンヒルデから聞いたんです」
 ジャッキーが珍しく僕の目を見て話をしようとしてる。小さい小さい手が僕のジーンズを少し引っ張って、何かを訴えていた。僕がその手を弾いたり、彼女が持っている鍬が今度は本物だって気付かずに、どうせおもちゃだろって奪って彼女に振り掛かるような人間だったら、最初からジャッキーに会えていなかったんだろうか。
「誰かに叱られた?」
 黙らせるつもりなかったのに、ジャッキーの手が離れて、俯いた。ごめんなさいと謝ったジャッキーに少し笑ってしまった。
「俺だって怒ってないよ。もしジャッキーがあのとき何も言ってくれなかったら俺が死んでたんだろ。余命二か月の母親残して事故死って最悪な親不孝だよ。こうやって見送ってあげられなかったんだから」
母さんの枕の横で小さい手がベッドのシーツを掴み、懸命に背伸びして寝顔を覗き込んだジャッキーは「あ、本当だ。ルイさんにちょっと似てる」と言った。気を使った発言なのか本当にそう思っているのか戸惑ったけど、今の家に引っ越したとき隣の家に挨拶に行ったらそこの家族に「男の子はお母さんに似るのよね」と言われたことを思い出した。
背伸びをやめたジャッキーの頭を撫でる仕草が、周りにいる医者や看護婦には、亡くなりかけの母親を目の前にして頭おかしくなった息子くらいにしか見えてないんだろうけど、ジャッキーは少し喜んでくれたみたいだった。
「ジャッキー、ありがとう。母さんをお願いします」
 モニターに映る脈拍の波形がフラットになり、しばらくしてから医者が僕に声を掛けた。そのあと背伸びをしていないジャッキーが眠ったままの母さんに声を掛けた。
「Jeg er kommet for at hente dig.(お迎えに来ました)」
 母さんが少し、笑ったような気がした。

ルイのろうそく

 昔は映画もやっていたと部長が話す七階の催し会場は天井が黒く、内壁もグレーという確かに映画館向きの小ホールだったけど、未だ梅雨明けしていない陰鬱とした雰囲気を明るくして大阪難波の地に多くのお客様を呼び込もうという目標にあたり、『屋内でも青空の下』といったコンセプトに基づいて黒い天井一面に余すところなく青空模様のシートを貼り、グレーの内壁には馴染みのない日本人が北欧と聞いて一番多くの人が思い浮かべるだろうフィンランドの風景を貼る提案もあったが、僕が頑なにコペンハーゲンの街並みの素晴らしさを訴えたため、店や家が並ぶコペンハーゲンの市街地の巨大写真が張り巡らされ、足元もびっしりと苔むした人口芝生を敷き詰めて百貨店の一角が全く別世界になった。
 僕が職場復帰したのは開催二日目で、北欧雑貨の販売や、苦情係に異動になる前に入っていた販売二部が受け持つ北欧文具の販売を手伝いながら、開催日当日に買った食器が割れただとか、おもちゃが壊れただの、担当したことのない食品の味が悪いだというクレーム対応に迫られていた。
「だから子供が普通に遊んでたら壊れたって言ってるんです、うちの子が嘘ついてるって言いたいんですか?」
 血相抱えて混んでるレジを独占して怒鳴り散らす客に「責任者呼びなさいよ、責任者」と、つばを飛ばされる洗礼を受けた販売員に呼ばれ、「お待たせいたしましたお客様。どうなさいましたか?」と本職に入った。今のセクションに配属したての頃、人事の課長に「こんな頭使うセクション希望してません」と相談したら「人事課は倉科ルイと書いて『賢い男前』と読むんです」と言いながら手を合わせてお辞儀をするインド式の挨拶も含めて何も言い返せなかった思い出がある。男前って言われて嬉しかっただけなのに。
「大変申し訳ございません。北欧の輸入品になりますので説明書が日本と勝手が変わります故、分かり難いこともあったかと思います。大変失礼ですが遊ばれていたのはそちらのお嬢様でございましょうか?」
 女性客の横で僕を睨むように凝視している子供は四歳くらいだろうか。ずっと母親と手を繋ぎ、もう片方の手の親指をずっと噛み続けている。母親はシャネルのバッグにヒールの高いジミーチュウのパンプス、商品の箱を持っている手にはカルティエの指輪をはめているが、子供は肌が透けるほど薄いよれたシャツに、部屋着のようなハーフパンツは色んなシミがつき、怪我や痣、日焼けした皮がめくれて赤くなっている脚は細く、量販店で買ったような小汚い瞬足の踵部分を潰して素足で履いていた。髪も母親は艶のある巻き髪をしているのに、子供は前髪が鬱陶しいくらい伸びっぱなしで、眼鏡を掛け忘れた状態では確認しづらいが、目の下に青痰のような肌色とは違う部分が見える。
「そうよ、この子が部屋で普通に遊んでたって言ってるの。普通に遊んでてもこんな潰れ方しないでしょ? 不良品渡してんじゃないわよ、返品させてよ」
 女性客が買ったのはドイツ製のおもちゃで、中を見ると数枚のカードとステンレス素材のベルが一つ入っている複数人で遊ぶおもちゃだった。説明書は輸入の際に日本語訳も同梱されていて、それを見ると遊び方が記載されており、ベルを鳴らそうとしたが壊れていた。パッケージにはベルの底に黒いゴムのような滑り止めがはめられているが現物にはそれがなく、へこんでいる箇所もあれば油性ペンで意味のない落書きもされている。カードの枚数だって合っていないし、全てのカードにも油性ペンで落書きされていた。説明書には『5の足し算が出来る計算力が必要』とある。
商品を箱に戻しながら親から離れた子供を一瞥すると、僕にも飽きたのかレジカウンターの横にディスプレーされたアディダスの子供靴を手に取り、アンビタッチでつけられた値札を力任せに引っ張り、千切れたそれを人口芝生に捨てた。そして母親は何故かアイフォンを触りだして子供に気付いていない。
「お客様、大変失礼ですがこの状態での返品は出来かねます」
「そんなのいいからお金返して」だから出来ねえつってんだろ。
「商品状態を考慮した上で返品は出来かねます」
「うちの子の遊び方が悪かったって言いたいんですか? 説明書が悪いんじゃない、うちの子は未だ字が読めないのよ」
「左様でございますか。商品状態を見る限り、おっしゃられたように正しい遊び方はされていないとお察し致します」
「だって未だ四歳なのよ? こんな難しいおもちゃで説明書通りに遊べるわけないじゃないっ」
 普通に遊んでたら壊れたっていう主張が一転したような気もするが、パッケージ表を陣取る商品名の横には決して小さくない文字で対象年齢の記載があった。
「こちらの商品は対象年齢六歳からとなっておりますので文字が読めないお子様には難しかったかもしれません。確かにこの状態ですと説明書通り普通に遊んで頂けていないと思われますので、お客様都合の商品破損が理由のご返品は固くお断りしております」
 顔をひどく歪ませる女性は商品を奪うようにぶん取り、もう二度とここには買いに来ません、と捨て台詞を吐いたあと、引きつった笑みを浮かべる販売員に「投げちゃだめだよー」と注意を受けながらも子供靴の値札を千切り続け、靴を投げ捨てる我が子の腕を引っ張って会場を出て行った。「あんたがそんなんだからお母さんが恥ずかしい思いをしなきゃなんないのよ」と言った怒鳴り声が会場に響いている。もう二度と来ないでください。
 僕を呼んだ販売員が僕に何度も礼を言い、その場にいた全員が労いの言葉を掛けてくれた。「ああいうのは謝ったらダメなんです、負けを認めるわけにはいかないんです」と対処法を話しているつもりが、自己啓発にも思える。
「本当、いつも助かるわ。頼りにしてるのよ」
苦情係といってもああいった客はほんの一部で、実際に本当に困って電話や店に出向いて来た人が多くいて、そういった客は申し訳なさそうに店を後にするが、一人握りの客が暴言を吐き、店内の何かを蹴ったり破損したり逃げ帰ったりしたあとは、こうやって身内が支えてくれるからクレームに対応できるんだろう。
「死神は確か千人相手だったか」
「ルイルイ」
「あ、どうも」
 独り言は仕事が休みの義経と彼女のヴェロニカ来たことで打ち消された。二人には特別に濃厚な接客して何か買ってもらおうと思ったけど既に二人とも、うちの社名が入った紙袋を持っていた。
あまりレジにいたら邪魔になるから人通りの少ないところに移って何を買ったのか聞いた。
「生活用品。デンマークって環境先進国って初めて聞いてさ、柔軟剤とかタオルとか、あと無駄なもの」
「まあ無駄も必要だから、ニーカは?」
「チーズケーキとね、アンデルセン童話のロシア語訳。将来、子供に義経と読んであげるんだ」
 にやついて嬉しそうにしている義経はねちっこい笑い声を、上げてはいなかったが気持ち悪くはなっていた。案内しようかと思ったが仲の良い二人には返って邪魔になるかもしれない。
「もう帰る?」
「休憩してから。未だ仕事?」
「今日遅番だから」
 二人は僕が早番だったら晩御飯に誘おうと思っていたらしい。少し残念そうにするヴェロニカは、また遊んでね、と言い、固く握手した。義経には、また連絡する。と言ってヴェロニカと歩いていく後姿を見送った。
「あ、さっきジャッキー見たよ」
 振り返った義経がそれだけを残して行った。ここをうろついているらしいが、ヴェロニカが「さっきの可愛い子?」と彼に聞いていることを考えると、状況が今までと違うらしい。
「Det er sod. Jeg vil have det.(可愛いー。これほしい)」
「Mumin? Ah gud. Ting er dyre i Japan.(ムーミン? あらやだ。日本って物価高いのね)」
 会場が広いから、僕の持ち場から離れているから、色々と理由はあるが、それでもなんで存在に気付かなかったのかと疑うくらい、長身で細身の体に露出度の高いワンピースを着た、髪のボリュームは健在の目立つ女性の横で大きいムーミントロールのぬいぐるみを抱きかかえているのは、素材がしっかりしているシャツに赤のギンガムチェックのマキシスカートを穿いたジャッキーだった。英語が話せる販売員が女性に話しかけており、高価そうなかばんから財布を取り出した。ぬいぐるみを買うらしい。
「hvad laver du?(何してるんだ)」彼女に何度言っただろう。
「ルイさん。ブリュンヒルデに買ってもらったんです」
全長四十センチほどある、もふもふとしたムーミントロールはジャッキーが持つと大きく見えた。会計を終えたブリュンヒルデが戻って来て僕に挨拶するが、そんなことより気になって仕方ないことがある。
「なんで他の人にも見えてるんですか」
「ケープ着てないからじゃない?」
 その程度だったのかよ。
「何か有名なものない? みんなにお土産買って来る約束したのよ」
 あのケバい集団に土産になるものが、素朴さが売りの北欧商品にあるとは思えなかったが、義経のメーカーが出店していることを思い出し、「美容品ならあっちですよ」と会場の奥を陣取っている特設パウダールームを案内した。思った以上に好反応を示すブリュンヒルデは、少しだけジャッキーお願いするわ、と僕の返事も待たずにそっちに向かって行った。ジャッキーは、ムーミントロールがいるから平気そうだった。とりあえずジャッキーの目線に合わせてしゃがんだ。単に立ちっぱなしが疲れただけでもある。
「好きなの? なんかそういう……、丸いもの」
「えっ、嫌いな人いるんですかっ?」
 ジャッキーがびっくりする沸点が謎だが「あ、いや、分かんないけど」と自信をなくしている自分も謎だった。
「人が多いですね」
「日曜だからね。今日も雨だからみんな室内で遊べるところに来るんだよ。特に毎年うちの物産展は黒字出してるから」
 言ったあとに、難しいか、と話をやめるとジャッキーは正直に頷いた。悪かったよ、と頭を撫でると、いつも着ているケープの感触じゃなくて艶のある柔らかい髪質の心地いい質感で手が離せなかった。
「どんなけさわるんですか」
 照れているようでも怒っている様子でもない。すみません、と謝ったけど手はジャッキーの頭を撫でたままだった。ジャッキーもなんか丸みあるもんな。
「ジャッキーもなんか見てまわる? もうまわった?」
「未だです。ルイさんも見てまわりませんか?」
 仕事中だと言いたかったけど、マネージャーが僕を呼んで傍まで来たから返事が出来ないまま、立ち上がった。マネージャーはジャッキーを見て「あらやだ可愛い子」と本題をさっそく飛ばしている。ブリュンヒルデたちを普段から見ているジャッキーからしたら小柄で童顔のマネージャーは義経のように隠れたりする相手ではなく、むしろ好感すらあったのだろう。マネージャーには聞き取れない発音で挨拶していた。
「何言ってるか分かんないけど挨拶してるのかな? ちゃんとお母さんが教育なさってるのね、偉いわぁ。倉科君の知り合い?」
「知り合いの子供です。今お母さんが見て回ってるので」
「あ、じゃあ休憩行っておいでよ。未だでしょ?」
 時計を見ると既に十五時を回っていた。朝の十一時半から仕事を初め、今の今まで時計を見ていなかった。
じゃあ休憩頂きます、と断り、マネージャーは「楽しんでね」とジャッキーに笑い掛け、頭を撫でて売り場に戻って行った。ジャッキーはその仕草に少し驚いたようだったけど、それに驚いたのではなく、別の何かに気を取られていてハッとしたようにも見えた。何を見ていたのか、視線があった場所を目で追うと、父親に肩車をしてもらっている子供がいた。
「ジャッキー、案内するよ」
 ぼんやりしている軽いジャッキーを持ち上げ、肩に乗せた。僕の知ってる子供みたいに高い、高いと喜んでいる声は、なんだか懐かしささえあった。
「そういえばブリュンヒルデが言ってたんですけど」
「俺は悪口は言ってない。ただケバい集団だって思っただけだ」
「違います、ルイさんのロウソクのことです」
「ろうそく?」繰り返してから、オーディンがロウソクを調整していると話していたことを思い出した。
「ああ、なんかあったね、そういうの」
「燃えるのが異様に遅いみたいなんです、何かしたんですか?」
 さっきから後頭部にあたっている柔らかい感触はジャッキーが持っているムーミントロールだと気付き、このまま、腕に持ったカゴへ次々と商品をストックしているブリュンヒルデの元に向かった。
「少しだけね」
 掴んだジャッキーの脚から片手だけ離し、ノータックスラックスのバックポケットに入れたままの本数が減っていないアメリカンスピリッツメンソールを取り出した。
会場の随所に設置しているゴミ箱に煙草を手放した。

ルイとジャクリーン

ここまで来たということは読んで頂けたと思いますので、本当にありがとうございました。いつかこの話を絵で描きたいものです。私のようなものがこの話を通して何か訴えたい、伝えたいというようなものはございません。ありがとうございました!

ルイとジャクリーン

職場の近くで出会った、自分を死神と名乗る小さな女の子ジャクリーン。そんな彼女に、お迎えに来た。と言われた百貨店のカスタマーサービス(別名・苦情係)勤務の倉科ルイ。「自分の死因聞いても死ななきゃダメ?」

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-11-09

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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  1. 見えない子
  2. 職場にて
  3. 連絡事項
  4. Let's Go Walhalla
  5. Brynhildr
  6. さよなら
  7. ルイのろうそく