【Concetto di 0(zero)】

ピアノラボ

 童謡「むすんでひらいて」を知らない人は、ほとんどいないでしょう。しかし、この曲が「社会契約論」のルソーにより作曲されたことは、あまり知られておりません。

 ルソーはこの曲を書く際、楽譜を数字で表そうとしました。
 調の根音を1とすると、出だしの ミ・ミレ・ド・ド・レ・レ・ミレ・ド は、
【3・32・1・1・2・2・32・1】
となります。

 この方式には、問題点が多々あります。
 まず、音高は数値化出来ても、音長(拍数)を同時に表現出来ないため、楽譜として機能しませんし、役割が果たせません。上記のような簡単な曲なら読めなくもありませんが、少しでも複雑な曲(例えば、シンコペーションや符点リズムの導入など)になれば、表現出来ません。
 転調や臨時記号にも対応していませんし、変拍子や重音も読み解くのが困難な表記にしかならないでしょう。
 他にも色々ありますが、ルソーの批判は本題でも本意でもありません。この辺りでやめておきます。

 何百年も昔、西洋の大学では、音楽は数学部の一系列に属していたそうです。確かに両者には、秩序や体系の整然さ等、類似点がいくつか見受けられます。
 バロック以前のポリフォニー音楽は、数式のような規律と幾何学的な均整がありますし、楽譜自体、X軸とY軸でグラフ化されていると捉えることも出来ます。
 そう考えますと、ルソーの試みは、ごく自然な発想だったようにも思えてきます。

 かなり前のことです。
「人類最大の発見は何か?」という特集を、某新聞で読みました。その時、私が思い付いたものは、数学でした。
 昨今問わず、人間社会では、あらゆることに数学が深く関わっています。評価や判断、記録、比較……最も客観的で一般的な方法は、数値化です。
 ここで重要なのは、数学は人間が「創り出したもの」ではないということです。有史以前から自然界に存在した体系を、人間が記号化という手法により、その秩序に普遍的な表現をもたらしたに過ぎません。
 その数学で、あらゆる意味で常に中心に位置付けられるもの、それが0です。0の概念に気付かなければ、数学の体系は、絶対に解明出来なかったでしょう。

 音楽、特に楽譜の秩序は、数学が母体になっていると思ってます。
 現在の楽譜に至るまで、様々な記譜法の試みが行われました。その中の幾つかは、実際に見たことがありますが、基本法則は全て同じです。つまり、横軸で時間経過(音長、拍数)を表し、縦軸で音高を表すのです。
 だが、どのような記譜法にせよ、数学と決定的に違う点があります。それは、音楽には「0の概念」がないのです。

 例えば、横軸においては、指揮者がタクトを振り下ろした瞬間が、1なのです。音楽は、常に始まる瞬間が1拍目なのです。
 また、縦軸に目を向けますと、同音(ユニゾン)の音程(音の隔たり)が、音楽では1度なのです。音階を階段に置き換えますと、同じ段にある2音の段差が、1なのです。
 いずれも、数学的な思考では、0に当たります。しかし、音楽ではX軸もY軸も、原点が1になるのです。これは、座標がズレているのではありません。本質的に、「0の概念」そのものがないと考えるべきでしょう。

 では、音楽に「0の概念」があればどうなるのでしょう?
 正直言って、それがどういうことなのか、どういった結果が生じるのか、全く想像すら出来ません。
 しかし、誰かに試みて欲しいとも思いません。と言いますのも、0がないということは、0になることもないのです。
 これは、たとえ微々たる存在でも、掛け合わせ方次第では、どのようにも発展出来得ることを意味します。
 常に限りの無い可能性があることを示唆している気がしますし、それこそが音楽の魅力だと思うのです。

【Concetto di 0(zero)】

【Concetto di 0(zero)】

音楽と数学、決定的な違いは?

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