【Fisica e sensibilità】

ピアノラボ

 距離も時間も、物理的な“量”として、定められた単位により数値化して表現されます。つまり、絶対的な値が存在するのです。
 ところが、それらの数値は、いつでも誰でも正確に測定出来るものではありません。従って、距離や時間に限らずあらゆる分量は、経験に基づく感覚により計られるケースが多くなるのは必然でしょう。
 この辺は、慣れた料理の匙加減にも似ていると思います。大匙◯杯とか◯cc、◯gなど、厳密な調理はともかく日常生活の料理においては正確に測ることはせず、何となくこれぐらいかな、という経験に基づく感覚で分量を決め、それがほぼ適量に収まるのです。いや、もっと言えば、若干の誤差が生じ、予定よりも多少味が薄かろうが辛かろうが、許容されるのです。

 時々、お客様の家が見つからない場合があります。住所と地図を頼りに、時にはナビを使用して訪問するのですが、それでも入り組んだ分かり辛い土地もあり、容易に辿り着けないことも珍しくありません。
 そんな時は、お客様に電話を掛け、道をご教示頂くのですが……

「国道を真っ直ぐ10分ぐらい走ると、○○が見えてくるので、それを越した次の信号を右折、そのまま200mぐらい行ったところの一方通行を右折した突き当たりです」

 例えば、こういった説明が返ってきたとします。しかし、ここで言う「10分」「200m」は、お客様の感覚に基づく数値でして、正確な数値ではない場合が多いのです。
 もちろん、それなりの器具を用いて測定したところで、精密な数値を求めることは困難でしょうし、こちらもそこまでの精度は求めていません。
 なので、ある程度の誤差は全く問題ない前提ではありますが、とても“誤差”とは言えない、いや、それどころか、全く違う結果が待ち受けているケースも珍しくありません。
 例えば、「10分」が「25分」だったり、「300m」が「50m」だったり。かなり高い確率で、お客様の説明通りでは辿り付けないことがあるのです。物理的な数値と感覚が、少し乖離しているのでしょう。

 これはお客様の話ではありませんが、かつてお世話になっていた某お偉いさんは、とにかく説明がいい加減で有名でした。
 ある時、その方に高速道路のインターまでの道を尋ねたことがあります。まだ、スマホなんてない時代の上、たまたまその日は借りものの車だった為、地図もナビもなかったのでした。なので、土地勘のあるその方にご教示を仰いだのです。

「さっき通った役所の信号は分かるだろ?そこを左に曲がってだな、一つ目の信号を右。後はずっと真っ直一本道やで。そうだな、15分もありゃあ着くで」

 その通りに車を走らせると、まもなく道が怪しくなってきました。教えて頂いた通り役所を左折し、一つ目の進行を右折後はずっと真っ直ぐに走ったのですが、次第に道は細くなり、必ず現れる筈のインターへの案内標識も見かけることはなく、ついにはT字路にぶつかりました。
 結局、途中で通過したコンビニまで戻り、道を教えてもらいました。すると、一つ目の信号を右折後も、少なくとも4,5回は右左折の必要があり、おそらく順調に走っても40分近くは掛かる距離でした。

 ここまで極端なズレは珍しいとしても、何事も物理的な数値と感覚的な数値は、必ずしも一致するとは限りません。いや、上述した料理の様に、“近似値”の範囲に収束することさえ稀でしょう。
 ピアノのタッチも、原理は物理と数学で解明されます。設計上の物理的な数値を揃えることは、技術者にとっては、さして難しい作業ではありません。しかし、それで仕上げた調整が良いタッチかどうか、それは奏者の感覚に委ねられるのです。
 音にも同じことが言えます。平均律の理論的な唸りを綺麗に並べても、そして、ゼロビートのユニゾンで完璧に揃えたとしても、奏者が良い音と感じるか否かはそこに依存しないのです。

 要は、物理を取るか感性を取るか……極論かもしれませんが、そうとも言えるでしょう。
 つまり、物理的に完璧に揃えた調整であっても、奏者が弾きにくいと感じたならば、それは良いタッチではないのです。音もまた然り。しかし、そのことが理解出来ない技術者も、残念ながら一定数存在します。
 ある年配の技術者は、自分の調律をけなしたピアニストのことを、「アイツは耳が悪い」と吐き捨てていました。大先輩とは言え、同業者として、何とも残念な発言に思いました。
 また、ある別の調律師は、自分の調整したタッチを「弾きにくい」と指摘され、「あのピアニストは弾き方がおかしい」と言っていました。これまた、とても残念な発言です。

 おそらくですが、彼等にとっての調律や調整は、数値を物理的に揃えることが唯一無二の正解であり、感覚を揃えるという発想や見識、もしかするとその能力もないのかもしれません。
 もしそうだとしても、奏者の感性や奏法をけなすことには、決して繋げてはいけません。音楽を表現するのは、あくまで演奏者です。その為のお手伝いをするのが我々であり、その逆ではないのです。
 そして、おそらく演奏者は、物理的な数値の均一性なんて関心はないでしょう。それよりも、繊細な感性をいかに表現するかの方がずっと大切でしょうし、音もタッチも物理学ではなく、感覚で受け止めるのです。

 数値的な均一性と感覚的な心地良さ、この二つが同じところにあれば、何も問題はないのでしょう。
 ところが、ピアノという楽器は、必ずそこに多少の“ズレ”が生じるのです。いや、ズレと呼ぶよりも、理論を超えた感覚に委ねるべき世界と言うべきかもしれません。
 我々が仕事で優先すべきものは、技術者の理屈じゃなく、その先にある奏者の感性だと思います。

【Fisica e sensibilità】

【Fisica e sensibilità】

理屈の向こう側にある世界

  • 随筆・エッセイ
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