灯火明かりて(改訂版)

コンプレックスをこじらせた弟が兄に対して革命を起こす話です。完結しました

1,プロローグ
統一歴54年、私は兄を裏切った。
過去の傷を精算し、未来の展望を失った。鐘楼から飛び立った一群の鳥が夕陽を横切る。黄昏の光は港町の陰影を穏やかに描き出す。太陽は今にも、夜を連れてこようとしていた。駅舎の窓から入った夕陽は、僕の顔を焼くように照らした。その美しさに呑み込まれながら、僕は床に膝をついた。自分の中身がぐちゃぐちゃになって、全て流れ出ていく。抜け殻だ。もう涙も出ない。手に持ったナイフを線路に投げ捨てると、乾いた鉄の音が響いた。



2、ワルター
軋むドアを思い切り外に押しやると爽やかな風が吹き込む。短い髪の毛が風にはねた。手に持った珈琲を零さないようゆっくりとベランダに出る。床の冷たさがはだしの足に心地よい。顔を上げると早朝の街が目に飛び込んだ。坂の上に位置するこの下宿からは海までも見通せる。私は美しい首都に、乾杯を捧げた。
朝の風は冬のように涼やかだが柔らかく、珈琲の湯気をゆらゆらと運ぶ。春は中途半端だが、だからこそ好きだ。冬の余韻を感じながらも夏の悦びに想いを寄せる幸せな季節だ。淹れたての珈琲に口をつけあくびをするとやっと目が覚めた。
「ああそうだ。駅にフリードリヒを迎えに行かなきゃ」
急いで目玉焼きとパンを口に放り込み靴を履いて下宿の階段を駆けおりた。
3、フリードリヒ
 街の中心部に位置する広場は今日も舶来品でにぎわっている。僕は進学を機に初めて訪れた首都にはしゃいでしまって、広場に迷い込んでしまった。とても和やかでいい天気だ、何か果物でも買おうかとうろうろしていると人が叫ぶ声がした。見ると、人込みがぱかりと割れて、額から血を流した人が走ってきた。僕はとっさの事に動けなくて固まってしまった。動けずにいると、そのまた後ろから黒づくめの軍服を着た男が走ってきた。手には警棒を持っている。そして、僕は、彼にぶつかった。
石畳の上に吹き飛ばされた僕を、彼が蹴り飛ばした。
「くそ、邪魔だ、どけ、俺はあいつを追っているんだ。」
それでも僕は、怖くて動けず地面にうずくまったままだった。地面に移った影が動いて、まわりから悲鳴が上がる。
「あっ……。」
「フリードリヒ!!!」
殴りかかった男と僕の間に人が飛び込んできた。振り下ろされた警棒を逆につかんで男を投げ飛ばしたその人は僕の叔父だった。
「ワルターさん!」
「大丈夫?」
投げ飛ばされた男はすぐさま起き上がって、ワルターさんの後ろから再び殴りかかった。腕をつかまれたワルターさんはバランスを崩して地面に膝をついた。
「この野郎、」
驚いて男を見上げるワルターさんを見て男ははっとした顔をして手を放した。
「失礼した、君は隊長の弟か?」
「そうだが、なんなんだ。あんた、憲兵隊の人か。また市民に暴力をふるっていたのか。」
「やはり弟君か、申し訳ない事をした。失礼させてもらう。」
そういって男は去っていた。
「ワルターさん!そこの男の人、怪我してるよ。大変だよ。このままだと動けないし、後で捕まっちゃうよ!」
「フリードリヒ。」
咎めるような眼で彼は僕を見た。ワルターさんは、申し訳なさそうに目を伏せると、
「もういかなきゃ」
と僕の手をとり、群衆の中へと歩き出した。僕は小走りで彼を追う。
「憲兵隊には深入りしちゃだめだ。」
冷たい感触が頬に落ち、天を見上げると、晴天が曇天へと変わり行くところだった。重たげな雨雲が、海から雨を運んでくる。広場から人影が消えゆく。きっと、あの追われていた人の流した血も雨で洗い流されてしまうのだろう。掌に感じる叔父の温かみを求めて、僕は手を握りなおした。
 
4、ワルター
掌から伝わる甥の不安を感じ取って、私は彼の顔を見やった。まだ子供の面影を残しているが、彼は聡明な少年だ。きっと先ほどの一連の事から多くをさとったのだろう。俯いて歩くその横顔は悲しげだ。
「あの、おじさん」
「ん?何」
おずおずと尋ねてくる甥に、笑顔で応対するが、心のうちは不安で波打っている。
「さっきの人、ワルターさんが隊長の弟、って言ってた。」
「ああ。悲しいことにその通りだ。僕は隊長の弟なのは本当だ。憎まれてる憲兵隊の隊長は、僕の兄だ。」
「僕、知らなかった。」
「お前のお父さん……要するに、隊長の兄だけど、彼が身内の恥だと隠したがっていたからね。でもフリードリヒ、お前は何も気にしなくていいんだ。」
「うん。でも、それより……。」
一層真剣な顔でたずねてきたが、やっぱりいいと途中で口ごもってしまった。
 近頃、憲兵隊による反王政の取り締まりが厳しくなっている。一般市民が殴られて、捕まって。ぜんぶ、私の兄の悪行なのだと思うと、いてもたってもいられない。しかし、私に兄を止める度胸はない。
(ああ、一体どうすればいいんだ……。)
折りたたみナイフをポケットに入れ直す。曇り空から一瞬さした光を目の端に捉え、私は家への岐路を急いだ。
5、フリードリヒ
街のざわめきを背に、僕をつれて叔父は居酒屋「小麦亭」を後にした。重たい樫のドアをあけて、路地裏の階段に進む。この季節でも、夜はひどく冷え込むのだ。まるで石畳の隙間から冬が入り込んでくるよう。彼に手をひかれながら屋根裏に位置する下宿に戻ると、ベランダから街灯と家々の窓のきらめきが目に飛び込んだ。遠くで動く点のような灯は、きっと遠い国からきた船だ。靴を脱いで、ベットにくるまった。
 階下の居酒屋はまだ店を開けているようで床板越しにまだざわめきが聞こえる。それを子守歌に、僕は夢の世界へと入っていった。

6、ワルター
 甥の寝息を聞きながら寝る準備をしていると、ドアから影が差し込んだ。
「こんばんは、ワルター兄さん」
振り返るとそこには双子の弟が背筋を伸ばして立っていた。仕立てのいいスーツに、綺麗に整髪された髪。姿勢は正しく表情は挑発的だ。よくもまぁ一卵性の双子でここまで差が出たものだと思う。
「一体どこからはいったの?」
「鍵があいてた。不用心ですこと!」
「ここは僕の家だぞ。まぁ、ヘクター僕はもう寝るから……。泊まっていくの?」
「いや。迎えを呼んだ。」
「じゃぁ何故。」
「自分の兄の部屋に遊びに来て悪い?それに、ここは落ち着くからね。屋根裏部屋だけど、清潔だし。街の眺望も綺麗だ。ほら、遠くの方で貿易船が灯をともしているね。」
「ああ。いつもこの時間に通るよ。モロッコからの船だろう。」
「コーヒーを運んでくるのかな。蒸気船がなかった頃なんて想像できないよ。」
「それで、何の用なんだよ、ヘクター。君が用もなくこの部屋にきたためしがない。また失恋か?それとも皇子自慢。あとは……何があるかな。」
「教えてやろうか?」
「いや、聞きたくもないけど。」
「今日はその二つのどちらでもない用件。はい、これ。」
ヘクターはきちっと仕立てられたスーツの内ポケットから折りたたまれた紙をすっと出した。スーツの裏地が翻って、黒い表地に隠された裏地の臙脂色が目に飛び込む。
「誰から?」
「皇子から。彼の執事であるわたくし自ら持ってまいりました。」
「郵便で送ればいいのに。」
「時として郵便屋ほど信用ならないものはないのさ。というのが皇子の主張なのでね。私も痛く同意するよ。」
「王家に従事しているわりに公共のものに懐疑的だね。変な話だ。じゃあ、この紙はちゃんと受け取った。明日読んで返信を渡しに行くよ。」
「いや」
何処からか取り出した紙巻煙草を口にくわえたと思うと、紙を擦る音とともに硫黄の匂いが漂った。小さなオレンジ色の炎が暗闇に浮かび上がる。口の端から煙をくゆらせるとあたりの空気が白く濁る。
「急を要するものだ。今すぐ読んでくれないか。返答は僕に。あと、読み終わったら燃やすからしっかり内容を記憶してくれ。」
と燃え盛るマッチの先を近づけ、また煙草をふかした。
「そんなに……?」
「ああ、かなりだ。」
ガサ、と折り畳まれた上質紙を開く。マッチの灯りが透けて王家の紋章が浮かび上がった。ブルーブラックのインクで記された字体は紛れもなくテオドール様、この国の皇子のものだ。直筆とは珍しい。前に直筆の手紙を送られたのは、数年前だ。あの時は本当に面倒なことに巻き込まれたと思っている兎にも角にも筆記体で書かれた文字を目で追う。とりあえず情報を頭に叩き込み火の中に差し出した。角に火が移ると徐々に炎が広がっていき燃えカスがチリチリと床に落ちる。黒く光るヘクターの革靴が残り火を踏み潰した。
「この内容は、今すぐには返答できない。」
「わかった。一日。一日返事を待つよ。」
「……。受けると思うのか、この話。」
「さぁ。兄さん次第だろうね。」
「こんな事したって……」
「無理強いはしない。でも、彼の頼みだ。一考はしてほしい。」
ふと外を眺めると、ベランダを強い風が海へと吹き降ろしていく。ろうそくの光が強く揺れ、かき消される。港の船は、もう停泊して灯を消したようだ。夜に浮かび上がる車のヘッドライトが流れるように表通りにたどり着くと、人を乗せどこかへ去っていった。夜はまだ長い。
 ベランダに椅子を運んできて、長い思考に入り込んだ。引き出しから煙草を取り出して吸った。吐き出した煙が風に運ばれ消えていく。
薄靄の中で揺蕩うように生きていけば全て終わるのだと、そう思っていた。時代の変節に拠り所を亡くした思想は千里を惑う。何かを盲信したいのに、懐疑心がそれを許さない。手に持つ紙切れが風に吹かれて、表通りに散っていった。
真剣な顔をしたヘクター、王子の顔、時代、号外、私の手の傷、このナイフ。こんな涼やかな夜に似合わない思案が駆け巡る。一瞥して去る両親の顔、手を握り合って泣いた幼馴染みの顔、回り回る階段、次兄の冷たい顔、祖父の骨ばった手。革命という単語に付随するフレーズだ。15年前から私は一歩も進めていない気がする。いっそヘクターのように神を信じ主を信じ生きられたらこの薄氷を歩くような気持ちは薄らぐのかもしれないとは思う。しかし、あいにくそんなに折り目正しい人間ではない。いつだって、どこかに取り残されている。どこかに取り残されて、行き場を無くすのだ。
 まだ眠らぬ街の中で、私もまた眠れずにいる。昨日まで漫然と生きていた。しかし、今日この日転機が来たのかもしれない。ふと、私の幼馴染、いや幼馴染よりももっと大事な彼女の顔が脳裏をよぎった。
クーデターに、参加するか否か?それがテオドール王子から届いた問いだ。一週間後の晩餐会で、憲兵隊長と彼を庇護する現王が揃う。その時、彼らを襲撃して亡命させようと。そして、護衛隊長である私が参加すれば成功確率はあがるのだと。ぐしぐしと頭を掻きむしって、机にへたり込んだ。
返答の前に彼女、アンニ嬢に会いに行ったってヘクターも怒るまい。

8、ヘクター
 王宮より、愛をこめて。
「皇子、ただいま。渡してきました。」
「ヘクター、ありがとう。」
 兄の部屋も坂の上にあり眺望が美しいが、王宮から見える景色もまた美しい。大きな窓を背にこの国の皇子がくつろいでいる。金の巻き毛に、青い目で、まさに皇子といった風貌。頭もよく、人民を愛し、良い資質を持っている。しかし、いまの国王は彼の父親ではなく、彼の叔父だ……。
「今日も広場で騒動があったようで。」
「憲兵隊が起こした騒ぎか?」
「そうです、そうです。反王政の書物をもっていた男性が殴られていたようですね。」
「やはりお前の言う通り、憲兵隊の存在を許してはならないのだと、私も思う。」
「そうですね。ただ、今の国王の存在が邪魔をしています。憲兵隊がなくならないのは、国王が憲兵隊を庇護しているからですものね。あなたが国王になったら、憲兵隊のような存在は許さないでしょう。」
「許さないよ。私は、反王政を取り締まる気はないし……暴力は嫌いだ。君の言うように、もうこの国が王政である必要はないと思うよ。もっとも、私が国王になれるかどうかはクーデターにかかってるけどね。成功するかな?」
「成功しますとも。もし成功しなかったら、カリブ海にでも逃げちゃいましょう。」
「いいね!手配を忘れないでくれよ!」
7、フリードリヒ
学術的興味と睡眠欲には相関性がないと思う。意欲と眠気は反比例しない。今日も僕が非常に興味を持つ分野の講義が睡魔に踏み潰され頭が餓死しそうだ。黒板には白い文字が並ぶ。年号、地図、意義……。先生の淡々としたバリトンボイスはただの睡眠剤だ。 僕はもう諦める、おやすみなさいごめんなさいさよなら近代史……。ふわふわした世界に誘われていくとふわふわして心地よい。うつらうつらしていると、先生に急に起こされた。
「この……において……グランヴォルフ……であり……。」
「おい、フリードリヒ。フリードリヒ・グランヴォルフ、お前の家のことだぞ。」
叩かれて顔を上げると、興味深げに嘲笑を含む視線が全方向から突き刺さった。晒し者だ。
「すみません……。」
「入学早々居眠りか。まぁいい。続きを読んでくれ。」
「えっと……そして、ろく国は解体……されローズ家を王家とした新しい国家に再、編、成、された。」
「ご苦労。さて、これは統一歴何年の話だ? フリードリヒ、答えろ。」
「統一歴、の1年目だと思います。」
「6国の統合の事を全般的に「統一」とよぶ。統一戦争、反統一反乱など、この「統一」という名称が付けられた関連事件は多い……。」
また眠くなってきた。

「この統一のきっかけとなった事件は何だったか知っている奴はいるか?」
「はい、敵国の侵入です。」
「正解だ。長い事敵対していた隣国の攻撃が激しくなり、一国一国では対応が難しくなった。そのため、統一することにより国力の増大を目指したのた。まずは、軍国として名の知られたグランヴォルフ国がローズ国にくだった。これをきっかけとして他5国もローズ家を中心に編成される事を認めたのだよ。さて、区切りもいいし今日はここまでにしよう。よい週末を。」
遂に睡魔と授業から解放され待ちわびた放課後だ。寮にすぐ帰るのもいいけど、なんとなく街に繰り出したい。それに叔父、ヘクターさんにもご飯に誘われているし。本を革鞄に詰め込みながら、僕は散策がてら出かけることにした。学舎の門をくぐると、今日も晴天であった。坂の上からの展望が美しい。ごちゃごちゃした街並みをすっと大通りが下っている。空に見守られながら、僕は中央広場までの道を下って行った。
海の大通りに面した邸宅のチャイムを押すと、赤髪の若い女性が僕を出迎えてくれた。ワルターさんの幼馴染のアンニさんだ。僕が育った家の、隣に住んでいた家族だ。アンニさんたちが首都に引っ越して以来、交流は少なくなったが、昔は家族ぐるみでお世話になったものだ。
「あら、フリードリヒちゃん。学校終わったの?」

「お久しぶりです。ええ、さっき。それで、あの、ヘルマンさんいますか?」

「お父さん、フリードリヒが来たわ。」
「おう、どうした」

ソファーで寝ていた巨体がもそもそ起き上がって彼女の背後から声を発した。
「おおフリードリヒか!大きくなったなぁフリードリヒ!」
「お久しぶりです。ヘルマンさん!はい、今年で13歳になります。」
「ねぇお父さん、フリードリヒはワルターのちっちゃいときにそっくりね。」
「そうか?あいつはこんな聡明そうな顔をしていなかったが。」
「あの、今日はお聞きしたいことがあってきました。」

「おう、なんだ。」

アンニさんの父親であるヘルマンさんが老体をゆっくりと起こして、暖炉の脇に座った。ほのかに香る紅茶を一杯と、一掴みのクッキーを青い陶磁の皿に入れて僕の前に差し出してくれた。腕に原稿用紙と封筒を抱えたアンニさんが帽子と外套を持ってきて、少し出かけてくると僕たちに告げた。

8、ヘルマン

フリードリヒが訪れたすぐ後、娘は大事な用があると言ってふと出掛けてしまった。男手一つで娘二人を育て上げたが、なにぶん軍人などやっておったもので子供の相手が得意なわけではない。内気そうな少年と暖炉のそばに腰掛けたまま、なんとなく本題に入れず今に至る。

「あの、ヘルマンさん、その写真は?」

フリードリヒがソファーに座って紅茶を啜りながら尋ねてきた。写真立てをフリードリヒに寄越すと、彼は不思議そうに見入っていた。

「これはな、俺の旧い友人だよ。君にとっては、この二人は祖父母に当たるのかな。」
「僕のおじいちゃんたち? 若いですね。」

「ああ、若かったとも。俺も若かった。」
「あのね、ヘルマンさん。その、お手数でなければこの時代の事を僕に教えてください。僕、それを聞きにきたの。」
フリードリヒの琥珀色の瞳が一瞬きらめいて、鋭い光を放った。こんな眼を、どこかで見た事がある。きっとあの時の戦場だ……。理由を究明して、知識を求める者の眼。彼の真に意図するところを把握しきれないままにぼそぼそと語りだした。
「自分語りになってしまうがいいのか?」
「ええ。ヘルマンさんが見てきた事が知りたいのです。」
「これは、統一戦争の前の写真だ。統一戦争は知っているか?」
「確か……。六国の統一が行なわれる前に、ローズ家とその他五家の間で行なわれた戦争ですよね。」
「それで正解だ。さしずめ、ローズ家による征服戦争って所だ。五大家はあくまでも自治を貫きたかったからな。その中で、グランヴォルフがローズ家の傘下に入り、ローズ家側として他五家と戦った。」
「だから、裏切り者って。」
「俺もその戦争にグランヴォルフ側で参加したのさ。軍功を得て、勲章を得て、友を失った。娘達と、僅かばかりの栄誉。その他は失ってばかり。失ってばかりだ…。伸ばす手の先を掠めて去っていく、去っていく……。
」
フリードリヒがじっと耳を傾けている事を思い出しふと恥ずかしくなって立ち上がった。
「すまん、老いぼれの感傷だ。」
「いえ、貴方は英雄なんですよ。ぼくたちの。お話きけてうれしいです。差し支えなければ、もっと教えてください。いろいろと気になっている事があって。この首都に来てから、僕には分からない事が多すぎる。」
「なにせ、いろいろあったからな。そういう時代だ。統一革命の時なんか……。いや、君は知らなくていいか。」
「統一革命って、何があったんですか。誰もそういって教えてくれないの。近いうちに何かが起こりそうなのに……僕は一つも知らないんです。」
ティーカップを握りしめてうつむきながら彼はぽつぽつとそう語った。
「何があったんだ?」
「ワルターさん最近おかしいんだ。何か悩んでいるみたいで。」
「そうかワルターか。」
 暖炉の上に飾ってある他の写真のホコリを払いながらふと我が人生に思いを馳せると、遠き日に消えていった友人達の顔すら思い出せなくなっている事に気がついた。わが友人たち、そして私の愛した人。ヘルマン、君には失望したと友人が呟く。背筋に寒気が走る。売国の果てに、勲章を貰うとは。と彼は吐き捨てるように言葉を私に刺す。私の声はもはや彼らには届かない。私は自らの思う正しい事を成し遂げた。だのに、我が親友はそれを裏切りと呼ぶのだ。
「この目で見たことだけを話すよ。まず君の祖父母と私、そして私の妻は幼なじみだった。私にとっては六国の統一が目指すべき未来であったが、他の三人にとってはそれぞれの国の自治が求めるべき者だったのだ。すれ違いの果てに、私は若かりし頃の全てを失った。彼らは自治を求め革命を試みたが失敗し、国外に亡命したんだ。この一連の動きは暴動として歴史に記録された。マイナスイメージだ。これが、周囲が君にこの事を伝えない理由だろう。」
「教えてくれたって、よかったのに。」
「知りたかったか? お前の祖父母がそういう人間だったと。それにまだ傷は癒えていないんだろうな。あの家の人間は皆そのころからおかしくなった。」
「ワルターさんも……?」
「ああ、トランク一個で飛び出してきたんだ。たまたまこの街でばったり出会ったときは驚いた。」
「そっか……。僕どうしても気になっていて。ありがとうございます。」
「おっ、アンニが返ってきたぞ。夕ご飯を食べていくか聞いているが。」
「お誘いは嬉しいのですが、今日は先約があって。」
「そうか。残念だ。またワルターと来てな。」
「最後に、あの、広場のこの店ってどこにあるんでしょうか。」
彼はごそごそと鞄から折り畳んだ手紙を取り出した。


9、フリードリヒ
四角く切り取られた空は雲ひとつない晴天だ。広場の騒めきが反響して美しく響く。夜が来るのに備えて店を畳み始める人々の間を縫って、角の酒飲み場へ繋がる階段に足を踏み入れた。オレンジの光が傾いて連なる段々を写し出す。古い木材の生み出す音を伴いながらヘクター=グランヴォルフ、僕の叔父との待ち合わせ場所へと向かった。何分、ここはいわゆる「大人の社交場」という奴なのでぼくはおそるおそるドアノブに手をかけた。一息吸って、手に力を入れようとすると背後から大きな手が僕の手の上から力を入れて酒場へのドアを押し開いた。
「ようこそ、エル・プラサへ。ここのスペインワインはおいしいのだ。」
振り返ると、そこには不遜に微笑む、ワルターさんにそっくりな、ワルターさんの双子の弟であるヘクター・グランヴォルフが立っていた。顔は似ているが中身は鏡に写したかのように左右あべこべだ。仕立てのいい服をきっちり着込んだ彼の背を追って暗い階段を駆け上がった。
案内された隠れ個室で、手探りで会話を進める。彼がどのような目的で、何を思って、ぼくを呼び出したのかがわからない。見抜くような目、抜け目ないその言動。いつの間に頼んだのか、ワインと、エッグ・ノッグが運ばれてきた。白く泡立つ暖かい飲料を口に含むと、鼻腔の裏までミルクとアルコールの匂いが漂う。少し気を緩ませてぼーっとしていると、ドアが閉ざされる音が響いた。
「音が漏れちゃうからね。」
フッとランプの光が陰った気がする。
「……なんの話をする気ですか。」
不穏な空気を感じてぎゅっとアルミのコップを握りしめた。
「なんのこと?」
にっこり微笑む顔が恐ろしい。
「ドアが開いてると落ち着かないだけ。」
「……はい。」
僕の事を絡めとるかのように大きな手が僕のつむじに向かってきた。場の雰囲気のせいもあってか、ヘクターさんが恐ろしく見え、僕の肩は少し震えた。しかしその手は僕の頭をそっと撫でて、手元のワインに戻っていった。
「。この国はいいね。地中海のモノはなんだって手に入る。」
「ワインは、フランスだって聞きますが……。あの、ヘクターさん。」
「あそこのワインは一級品だ。でも、こういうのって最終的には好みだからね。」
ヘクターさんはワイングラスの中身をくるくる揺らして、ふと黙り込んだ。僕は間が持たなくて、すっかりぬるくなってしまったエッグノックをかろうじてのどに流し込む。
「ねぇ、フリードリヒ。元気だった?」
「はい、お陰様で元気です。」
「兄さん……ワルターは?」
「……お元気ですよ。」
「首都は綺麗な場所でしょ。」
「はい、驚きました。」
「栄えていて、歴史もあって…。」
「ええ。」
「でも、暗い歴史もある場所だ。」
「ヘクターさん。」
「フリードリヒ。この街でね、クーデターが起こるよ。」
クーデター。クーデター?よくわからなくて、ヘクターさんの顔をのぞき込むが、彼は涼しい顔をして、ワインを煽っている。頭の中がぐるぐるして思考がまとまらない。僕は叔父とご飯を食べに来たのではないのか?
「……。ヘクターさん、何を言っているんですか?」
「クーデターを起こすのさ。」
「僕、何も理解できないです。ヘクターさん、何が起きているんですか?」
「私と皇子が、ワルターにクーデターを起こす事を提案した。ワルターが乗ってくれるかはまだわからないけれど。」
「僕にそれをいって何になるんですか。」
ワルターさんの言動の端々に浮かんでいた、何かが起こりそうな雰囲気。感じ取る事はあっても、僕に直接教えてくれることはないだろう。
「知りたくはないのか。」
「知りたいとは思います。けれど、なぜ僕に教えるんですか。」
「なんでなんだろう?知っておいてほしいのかな。」
「僕、手伝えないです。」
「そうだよね。でも、頼みたいのは明日の夜、ターミナル駅にいてって事だけ。」
「そんなわけ……。」
「ただいるだけでいいよ。ダメ?」
いるだけでいい、なんてわけがない。きっと僕はこれに加担することで何らかの役目を負わされてしまうのだ。
「だったら……。一つ、教えてください。」
「うん?」
「加担するなら、僕も知っておきたい。ワルターさんとそのお兄さん…僕の父さんじゃなくて、憲兵隊長の方のお兄さんですけど、ぞのあいだで何があったんですか。」
「ワルターと兄さん…オットーっていう名前なんだけどね……。」
「少しでいいから教えてください。ワルターさんが時々つらそうな顔をするの、僕もみていてつらいし。きっと今回の事も関係あるし……15年前の暴動とも関係あるんでしょう!」
ヘクターさんはスーツの内ポケットに手を延ばすと、丁寧に折りたたまれた紙きれを取り出し、僕に手渡した。広げてみると、それは既にセピア色に変色してしまった写真だった。写る面々から察するに家族写真のようであった。
「この左端の小さいのがワルター。横の少年と手をつないでいるだろう?その少年がオットー兄さんだ。」
兄の手を握りしめるはワルターさんは、まるで兄に縋っているかのようだった。その写真にうつっているのは、裕福で仲の良い幸せそうな家族像であった。
「この写真は15年前のものだ。この時までは、兄弟仲に問題はなかった。君の予想通りその暴動が冷戦の引き金だ。オットー兄さんがワルターを酷く突き放すようになった。」
「なぜ?」
「そこまでは把握していない。まるでワルターという弟など存在しないかのようにふるまい始めて。相性が合わなかった、としかいいようがないかもしれない。でも僕が思うに、オットー兄さんは、両親を憎んでいたから、その両親を慕い、かわいがられていたワルターをも憎んだんだと思う。」
「両親を嫌うって、何があったんですか。僕さっき、ヘルマンさんに会ってきたんです。ヘルマンさん、言ってたんです、僕のおじいちゃんたち……要するにワルターさんやヘクターさんや憲兵隊長の両親ですよね、かれらが暴動を起こしたって。」
「そうだよ。そうなんだ……。後から人づてにきいた。オットー兄さんは、家族をおいて暴動で死んだ両親が許せなかったらしいんだ。家族より思想を優先した事が許せなかった。だから憎み始めた。」
そう答えると,彼は頬杖をついてふと目を閉じた。天井のランプの色に照らされて陰影が濃くなる。
「それでね。その後、ワルターは家出をするかのように軍の幼年学校に入った。寮付きのね。オットー兄さんから逃げるように、故郷から去っていったようだ。僕はそのときすでに王宮に住んでいたから詳しくは知らないけど。」
「なら、そのまま今に至るまで……。」
「ううん。そのまま喧嘩別れならまだよかったけれど、ワルターのほうが感情を拗らせてしまって。いまだに兄への複雑な思いにとらわれたままだよ」
「じゃあ、今はもう」
「うん。思ったよりありふれた内容だったでしょう?でも、ワルターはオットー兄さんの事を慕っていたから。いまでも、きっとワルター兄さんはオットー兄さんの事が嫌いになれずにいる。」
「ワルターさん、かわいそうだ。」
「フリードリヒ。本当は、ここまで話すつもりなかったんだけれど。フリードリヒは、秘密を守れる?」
「……。はい。」
「クーデターは、ワルターがオットーに対して起こすクーデター…という形をとる。そのほうが始末をつけやすい。実際は私と皇子が、現国王に対して起こすクーデターなんだけど。オットー兄さんがこの国の憲兵隊長なのは知ってる?」
「昨日ききました。」
「じゃあそこから説明しておこうか。憲兵隊は、五年ほど前に設立されて、近年権力を増している団体だ。過激派だから、軍の中では反憲兵隊の流れが強いのだけれど、王が擁立しているからつぶせない。憲兵隊は反王政的な思想を持つ人物や、本を所有している人間を片っ端から検挙して投獄してる。暴力的な方法でね。」
「それをオットーさんが指揮しているっていうんですか?」
「じゃなきゃ、なんで実の兄に敵意を向けなきゃいけないの。」
 いきなり聞かされた、僕の家族についての暗すぎる話に僕は思わず下を向いた。両手でコップを握りしめる。湯気の立つ暖かい飲料物が、アルミ越しに僕にぬくもりを伝えた。目の前がぐらぐらするけれども、僕はこの頼みから逃げてしまっていいのか?
「僕に、何ができるのかわかりませんが……。」

そして僕は、革命の終わりを見守ることになる。


10、ワルター
ケトルから湯の沸き立つ音がした。寝ぼけながらコーヒーを淹れて、これっきり戻ってこないかもしれないわが部屋をぼーっと眺める。顔を洗い、髪の毛をとかして、シャツを一番上まで留めた。これで少しは、毅然として見えるかもしれない。
 ヘクターにはただ一言、参加すると伝えた。彼は浅くうなずき、声のトーンを落とし計画の全容を私に伝えた。まず、私がいつも通りに王宮の警備につくところから始まるらしい。私の日常が転換点になる、そのことに多少落ち着かない気持ちになった。いつも通りに、朝起きてコーヒーを飲んで目玉焼きとソーセージを食べる。いつも通りに、仕事に行って、警備を務める。いつも通りに、帰宅して、ブルックマン家で晩御飯をいただく。いつも通りにアンニ嬢と食後のコーヒーとチェス、それに歓談を楽しんで眠りにつく。いつも通りに……。
 昨日は結局アンニ嬢に会いにいった。いつも通り毅然として明るく綺麗だった。窓際に座った彼女に、もう会えないかもしれないとつぶやくと、その可能性は低いから行ってこいと笑われた。どうやら彼女も計画の内容を知っていたらしいのだ。草花に囲まれた庭のテラスで微笑む彼女に、私はたまらなくなって、彼女の手を取った。彼女はそっと瞼を伏せて、嬉しそうに笑う。その刹那、ガンと殴られたかのように、今まで私の心情を覆い隠していた分厚い壁が崩れ落ち、
今まで私の心情を覆い隠していた分厚い壁が崩れ落ちた。26年もの間かけて作られてきた、彼女は幼馴染だという、覆い。不意に剥がれて表出したその感情に戸惑って私は彼女に背を向けてしまった。目の前に広がっている海が夕日に染まって星を連れてきた。身体中の血が滾っているかのように私の身体を染め上げる。振り返る事もできない、気持ちが爆発しそうなのだ。
「ワルター……?」
「アンニちゃん。」
「どうやら私は、」
意を決して後ろを振り向くと、彼女が私の頬に手を添えて真剣な瞳で覗き込んでいた。金の眼がキラキラして吸い込まれそうだった。
「どうやら私は、君を恋うているようなんだ。」

「やっと気がついてくれたの。」
「なんだ、しっていたのか君は。」
「私はずっと前からあなたが好きだったんだもの。」
「どこから慕い始めたのかはおよそ見当もつかないんだ。なんせ、ずっと一緒だったからね。何故今になって。」
「だって、ワルター死ににいくような気持でしょう。大丈夫よ、死なないわ。この私がヘクターに頼まれて、いろいろ根回ししたんだから信頼してよ。」
インクで少し黒くなった手を彼女は僕の手に重ねてきた。ぬくもりに少し安心したが、やはり胸の中のざわめきが収まらない。
「かぁさんが。15年前かぁさんが帰ってこなかったんだ。旗を掲げてそのまま。父親も。君のお母様も。まだ幼かった僕たちを置いてさ。だから……自分自身も君も消えてしまいそうで。それに僕には信ずるものがないんだ。兄を憎む、その気持ちだけでこの世につなぎ留められてたのだと思う。今、僕は兄と決別しなければならない。そして、まるで君も失ってしまいそうで……」
「私ちゃんとここにいるよ。消えたりなんてしない。それに、そうね……。ワルター、私を見て。」
「うん?」
「信ずるものがないなら私を盲信して。私を見て、愛して、溺れて。私があなたの信ずる対象になる。私はここにいるから。大丈夫。」
「うん………。うん。」

私の顔を抱きこむようにして覗き込む彼女の眼は融解した黄金のように熱く溶けていた。彼女に吸い込まれて視界が滲んで今にも目尻から涙が溢れそうだった。上を仰いでぐっと堪える。夕陽と宙が混じり合った天が私を包み込むように広がっている。なんだかとても幸せだった。まるで私と彼女しかこの世に存在しないかのような気持ちになって、口の端から言葉が漏れた。
「アンニちゃん……私と結婚してくれないか。」
彼女は美しい瞳のまま、 ニコリと笑い、髪につけていたリボンを私の腕に結んだ。
「帰ってきてね。そして私にちゃんとプロポーズして。きっとうまくいく。うまくいかなかったら……そしたら私、助けに行くから。こんな私だけど人心を動かすのは得意なの。」
木の陰から夕陽の落ちた地面へと彼女を引っ張りだして、抱きしめた。そのまま行ってきますと接吻をした。
そして私は、クーデターに加担する決意表明をした。ドッグタグの鎖を丁寧に抜き取って、リボンを穴に通し結んだ。シャツの下に仕舞われた御守りにそっと手を添えた。今日が決起の日だ。

11、フリードリヒ
突如、群衆の沸く音が聞こえた。はっとそちらを振り向くと人の流れが駅の出口へと向かっている。僕も野次馬となって潮流に乗ってそちらへと歩みを進めた。駅の大階段の上から中央広場を見下ろすと、広場の中央に位置する銅像に人が乗っていた。なにやら叫んで、号外を配っている。風に飛んで乗ってきたその新聞を捕まえ目を通した。
「ワルターさん……。」
僕は山頂にそびえたつ王宮を仰ぎ見てつぶやいた。始まってしまったのだ。人々は口々に意見をこぼし合う。皆、それぞれ異なる表情をしていた。嬉しさ、複雑さ、迷惑さ、困惑。駅から広場へと向かう一群とは別に、広場から大通りへとなだれ込む流れができていた。皆、この出来事に心を動かされて走り出したのだ。僕はそれに背を向けて、駅の中へと駆け込んだ。きっと最終的にここにやってくるだろう彼らを見届けるために。王宮のパーティーにて警備隊が反乱、と新聞の速報には書いてあった。うかがい知れない事が起こっているのだ。そっとベンチに腰掛けて膝をぎゅっと握りしめた。この国が、また平和で文化的で自由な国に戻るように、そして何よりもワルターさんが帰ってくるように。
12、ワルター
堂々と立ちそびえる王宮の内部は、騒然としていた。銃弾が音質のガラスを粉々に飛び散らせて飛び込んできたのだ。美しく着飾った人々が悲鳴をあげて右往左往する間を縫って、制服を見に纏った私は奥へと進んでいった。貴族たちを保護し脱出口へと導く。彼らは私が指揮する警備隊の指示に従ってパーティー会場から去っていった。
 そして、そこには私とヘクター、それからテオドール皇子と現国王だけが残された。パラパラと天井から落ちてくるガラスが太陽光を吸い込んできらめいている。騒動の真っただ中なのにやけに静かで不気味だ。張りつめた空気を震わせて、テオドール皇子が現国王の方へと向かっていった。叔父と甥が顔を合わせた。しばしの沈黙の後、皇子が意を決して口を開いた。
「叔父上、私に王座を譲ってください。」
現国王が怪訝な顔をし、姿勢を直した。
「私はもうあなたの行いに我慢できない。私が新たな国王となります。」
「お前、まさかこれは……。」
「ええ。私たちは、現国王の退座とオットー=グランヴォルフ憲兵隊長の解任、および国外追放を求めます。」
「己、ヘクターどうせお前の差し金だろう!?」
「我々……私と皇子の総意ですよ。現国王お願いいたします。このままだとこの国はこわれてしまう。」
「飲むと思うのかそんな事。」
「飲まなければ認めさせるだけです。」
ヘクターはつかつかと会場の間を横切り、宮廷前広場に面したバルコニーをあけ放った。突如、今までドアにさえぎられていた一斉に飛び込んできた。
「聞こえますか、群衆の声が。」
広場を埋め尽くすようにして人々が王宮を見上げていた。新しい歴史の節目を見守りたいが為に。人が大通りの方からどんどん流れ込んできて、広場の周囲を囲む建物のバルコニーにも人が鈴なりになる。町全体が沸き上がっていた。
「私があなたを殺すかもしれないし、彼らが暴徒になるかもしれません。何がこの後に続くかは知れないけれど、もう動いてしまったんです。いろんなものが。新聞社に号外を出してもらいました。知人の筆を借りて。王宮で、現国王および憲兵隊長に対するクーデターが起きたと。人々がそれを読み、どう行動するか決めた。その結果がこれなんです。」
 口を噤んだ現国王の代わりに、オットー兄さんが口を開いた。
「皇子、それにお前らも群衆も我々がいなくなる事を望んでいることはわかった。だがそれでいいのか?小国を寄せ集めたこの国は王家への忠誠がなければ崩れるぞ。こういっては悪いがテオドール皇子、あなたにそこまでの求心力があるのか?それに、私がいなくなれば王家への反感を抑え込む人間も……。」
「もう、そうやって抑え込む時代じゃない。あなたたちは古いんです。私ならそれを許さない、そうしなくても統治していける!それが国民のためです。」
「生意気な!お前はわかってないんだ。」
「ワルター!!」
そう叫んだヘクターに殴りかかろうとするオットー兄さんを抑えに、私は飛び出した。肩を抑え込んで床に留め置く。久しぶりに、こんな近くで兄を見た。最後に僕を抱き留めてくれたあの時の兄はもういないのだ。そのまま手筈通りに、彼を抑えて裏口へと連れていく。もはや暴力以外の抵抗を失った兄と現国王を連れて馬車に乗った。まばゆいばかりの青空が目ににじんだ。
クーデターは、成功した。


13、フリードリヒ
 駅前の中央広場が閑散としてきた。皆王宮の方へと向かってしまったのだ。がらんとした広場に打ち捨てられた新聞記事だけが散らばっている。カモメのなく声が聞こえてわけもなく悲しくなった。駅舎の中にも人の姿は見えず、僕は巨大な幾何学的建築物の中に一人取り残されることになった。そんな静けさの中、突然馬車の音が聞こえ、僕はそちらへと駆け出した。
 下りてきたのはワルターさんと現国王、そしてオットー叔父だった。僕はそっと柱の陰に隠れて一部始終を見守ることにした。後続の馬車からテオドール皇子とヘクター叔父が下りてくる。国外行の切符を買った彼らは駅舎へと入ってきた。テオドール皇子とヘクターさんが現国王を率い、ワルターさんがオットーさんと別の汽車の方へと進んでいった。きっと、成功したのだろうクーデターは。安堵しているとパッときらめくものが目に入った。それは、翻った、ワルターさんのナイフだった。
懐から取り出されたそれは、強すぎる太陽光を跳ね返してきらめいた。折りたたみナイフ。それが、ワルターさんがオットー叔父につきつけたモノであった。ワルターさんの身体はしなやかに、それでいて獰猛に躍動し目の前の獲物へと刃をきらめかせた。緊張が漂い、数秒の事なのに何時間もたったような感覚をうける。飛ぶ汗が、きらめいて、ワルターさんの顔は怒りにゆがみ、オットー叔父の瞳が徐々に見開かれる、その様子を僕は何もできずに柱の陰からただ見ていた。刃渡り数センチのナイフがオットー叔父の首元へと近づいて、僕は思わず目をつぶった。
 カラン…。次の瞬間、聞こえてきたのは金属がコンクリートに衝突する鈍い音だった。ワルターさんの眼尻からあふれては零れ落ち、頬を伝っては床に落ちる大粒の涙は夕陽の光を吸い込んでオレンジ色に光る。ぼた、ぼた、と涙は握りしめた手にもたれた。
 夕陽が海のはるか彼方へと消えていった。駅のホームに長く、よどんだ影が二つ伸びている。ワルターさんは崩れ落ち、かろうじて膝立ちの状態を保っていた。その瞳の焦点はゆらめき、世界との距離を測りかねている。
「僕はあなたを憎んでいる。僕はあなたを慕っていたのに、あなたは何もしていない僕を嫌った。死んだ両親も侮辱した。墓参りにもいかない。僕はあなたを許さない。だから、傷つけようと思った。思ったんだ。思ったんだけど。」
ナイフに手を添えて彼はつぶやいた。沈黙が広がった。ワルターさんがはたと思い返したように、首からさげたリボンを握る。
「でも……。」
ぽた、とまた涙が落ちた。
「でも、僕はあなたを嫌いにはなりきれなかった……。あの頃のやさしいあなたに戻ってくれるかもしれないとそう思ってしまう。でももう無理だね、過ぎ去ってしまったんだ。あなたを刺したら、過去の思い出まで消えてしまう。僕は決別しなければならないのだ、過去のあなたと。アンニちゃんと結婚し、前へと進んでいくためにも。」
オットー叔父が汽車に乗り込んだ。その彼に、荷物を持たせてワルターは言った。
「僕はあなたの事を忘れるよ……。兄さん、昔かわいがってくれてありがとう。」
発車の時間が近づいて人が乗り込み始めた。
「さようなら。」
 汽笛を鳴らし、汽車が駅を滑り出た。煙突から出る煙があとにもくもくと残ってなかなか消えない。僕は飛び出してワルターさんに飛びついた。目を真っ赤にしたまま彼は笑った僕を抱きしめた。
「帰ってきたよフリードリヒ。」
胸からさげたリボンを握って彼は僕を抱きしめた。

 こうして、クーデターは終わった。ワルターさんら首謀者は英雄扱いとなり、特に罪には問われなかった。テオドール国王を中心としたこの国は大きく改革を行い近代化した。後退したところもあれば、進んだところもあるだろう。ワルターさんはといえば、アニさんと結婚した。彼のどこか危うげな所は兄との決別と結婚によって消え去ってしまったようだ。よかった、と僕は思う。
 
終わり






① アンニの独白

今日という日を、何千回何万回と繰り返しさえすれば私の今世はつつがなく終わる。しかし、だからこそ求めてしまうのだろう、飢えを満たすような何かを。その漠然としない何かを見出したのは、彼の中にであった。そちらに手を伸ばせど、向こうから手を取ってくれねば成立しない何か。漠然とした甘い何か。私はその名を知っているようで知らないのだ。

この子の父である男はワルターの兄であり、国家の主では無くなってしまった家を立て直すために方々を駆けずりまわっている。そんな中でよくここまで素直でいい子に育ったものだとしみじみ感じ、溜息をついた。この子の素朴な強さはワルターによく似ている。
1歳で出会い、共に育ち、11の歳に離別し、16の時に再会した。再会した時には、彼は人生のどん底にあってその持ち前の明るさを失っていた。私も彼も同時に親の片方を失い、暗い淀みの中にいた。互いに立ち直せたのは双方の助力によるものだろう。手を取り合ってあの暗い場所から抜け出したのだ。
彼といれば、何だってできる。幼い時の肝試しも、初めてのパーティーも、なんだって彼といれば出来た。これからもきっと。その自信がある。きっと彼と私は二つで一つなのだ。欠けた何かを埋め合う存在なのだ。けれど彼は、何処かで止まってしまっている。
彼より程度の高い男など星の数ほど居る。私に興味を寄せる男だって、片手で数え切れないほどいる。美しい赤髪、黄金の眼、深い知恵。それでも私を満たし私が満たせるのは彼しかいない。彼しかいないのに。
② ワルターの独白
努めて、柔らかな手の感触を思い出す。僕にとってのわずかな光だった。12の私と繋いだ手、16の私の手を取ってくれた、その両手。どん底にいた時はいつだって彼女がいた。家出同然で首都に飛び出て数年目、私の精神は酷い栄養失調だった。故郷は僕の帰れる場所ではなくなっていたし、首都に頼れる人がいるとは知らなかった。士官学校の寮の重たいドアが開いて光の差し込んだ時の事をよく覚えている。僕の父の親友であり、幼馴染みの父であるヘルマンさんの笑顔に私は咽び泣いたように思う。そのまま連れて行かれた邸宅で待っていたのは、暖かい御飯と幼馴染みのアンニ=ブルックマンだった。私の顔をみて私にビンタするなり泣きだし怒る彼女を見て、自分が誰かに欲されていた事に気付いたのだ。その瞬間、ずっと重たくのしかかっていた闇が晴れた。救ってくれたのは彼女だ。何度も救ってくれたのは、彼女なのだ。
③ 叔父と甥
本を積み上げると、埃が舞った。クリーム色の綺麗な紙にハサミを入れていく。窓の外から雨上がりの鈍い光が入り込む。パラパラ、パラパラと床に本の欠片が積もりゆくのを見て少年は顔を顰めた。湯気の立つカフェオレがごとんと置かれ、顔を上げる。
「フリードリヒ、手伝いありがとう。思ったより数が多くてね。」
「これ全部、日記ですか。」
「ああ、結婚前に処分しようと思って。結構書いたな。」
「あれ、こっちは本ですね。意外だな。」
「何が?」
「ワルターさん、こういう本読むんだ。」
「この本は、実家にあったんだ。トランクに詰めて、持ってきた。父親のなんだ。」
青年は懐かしそうに本の表紙を撫でた。
「好きだったな……。」
フリードリヒはもくもくと手を動かしている。
彼はいつだって、考え込むと琥珀色の眼を伏せる。
「僕ね。ワルターさんは、そういう本読まないと思ってた。」
「なんでさ?」
「だって、おじさんは。」
フリードリヒはそっと腕時計を撫でて、つぶやく。
「なんのしがらみにもとらわれてないじゃない。自由な人だ。」
残光が、床に長い影を作り出す。盤面のガラスが光を鋭く反射し、天井に跳ねた。
「僕は……僕は……どこにも行けないの。」
「その時計は?」
「パパに貰ったの。立派な当主になってって。」
手に持っていたコーヒーをベットサイドのテーブルに置き、ワルターはしゃがみ込む。琥珀色の眼をのぞき込んで、そのまま甥を抱きしめた。
「フリードリヒ、ごめんね。」
叔父の羽織る、織目の荒いカーディガンに顔を沈めると陽だまりの匂いがした。思わず笑顔になる。きっと毎日律儀にベランダに干しているのだ。
「私がお前のそばにいれたらよかったのに。」
清潔に刈り込まれた首元に手を伸ばし、叔父を抱き返した。没落しつつある名家の悲しさは、重荷だ。時に無性に悲しくなるほどに。でもワルターさんが、いつだってそこから僕を連れ出してくれた。
「おじさん、僕大丈夫だよ。叔父さんがいるから……。またいろんな所連れて行ってね。」
「そりゃもちろんだけど……。」
「ね、コーヒーもう一杯ちょうだい。」
「ミルクは?」
「たっぷりと。お砂糖も。」
自分のためにコーヒーを入れに行く叔父をみて、心のわだかまりが溶けていく。この人がいるから、僕は突き進めるのだ。時に、感情的に心が揺れ動いてしまうのは、きっと僕が未熟だからだ。でも、その揺れを受け止めてくれるこの人がいるから、僕は大丈夫だ。もっとも、僕が生まれた時からずっとそばにいてくれたら良かったのにと願わないわけではない。豆を挽く匂いが漂いだす。僕は再び、本を壊す作業に戻った。最後の一冊が塵になったころに、僕はテーブルに呼ばれた。
 分厚いチョコレートクッキーはカフェオレによく合う。片肘をついて、穏やかに僕を見守る叔父をじっと眺める。相変わらず、陽だまりのような人だ。どこまでも暖かい。
「君のお父さん、遊び方を知らないからな。」
いたずらっぽく笑う叔父につられて、僕も苦笑いする。
「僕も、叔父さんみたいに自由でありたいな。」
「違う、私の在り様はそんな良いものではない。私はね、ただ拠り所をなくしていただけなんだ。」
「あれ、今は?」
「今は、その……。」
顔を真っ赤にしてどもるワルターさんの姿をみてなんとなく察しがついた。アンニさんか……。
「ね、フリードリヒ、それより今度はどこに遊びに行く?」
「えーっ迷うなぁ!」
二人で、明日の計画を立てているといつの間にか外が暗くなっていた。ワルターさんが立ち上がって、天井のランプをおろした。火薬を擦る音がして芯に火がともる。輪郭のはっきりしない暖かい光が部屋中に広がった。

④ アンニ
出窓に面した書き机に座って万年筆の先から物語を綴る。これを読んだ子供たちを、続きを待つ子達の心と冒険欲を満たすように。私の中の物語が誰かの想像力を満たすと言うのならそれほど光栄な事はない。何故児童書を描くようになったのかは覚えていないが、物書きとしての原点は私の物語るのをキラキラした目で覗き込む彼の姿だろう。あの瞳を思い出す度、書く事の喜びを思い出す。私の幼馴染みである彼、ワルターグランヴォルフは、私と同じくそろそろいい歳だが未だに少年のようだ。いい意味でも、悪い意味でも。
昔の話だけれど、絵本を書いたことがある。子供の書くしょうもない話で、絵もへたくそだった。それでも私は絵本を作ったのが嬉しくて、パパに見せ、ママに見せ、その後、木立に囲まれた小道を書けてワルターの住む邸宅へとかけていった。ソファーに座りながら私の書いた絵本を嬉しそうに読む彼を見て、私は心の底から嬉しさが込み上げてきた。
「アンニちゃん、ねぇ、続きは?」





「THE AGE 54(灯火明かりて)」
初版:2016/5/5
再版:2017/5/6
作者:イシダタミ(PN ニチハ)

灯火明かりて(改訂版)

灯火明かりて(改訂版)

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-10-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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