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1

長い長い夢を見ていた。大嫌いなクラスメイトが僕の家の庭にある犬小屋に住んでいて、友達がそれを思いきり壊していた。僕はそれを見て、確か笑っていた。そんな夢。
「学校来いよ」
携帯には通知が一件。23分前。武田から。開ききっていない目に、体に悪そうなブルーライトが刺さる。
鳩の声を掻き消す轟音が空に響いた。飛行機だ。航空祭が近いらしい。地元の僕らからしたら、ただただ迷惑なイベントなのではないかと思う。少しイライラしながらベッドから降りた。
そうそう、今日は書店に用がある。あれの最新巻が出てるのと、中古コーナーで立ち読みしておきたい漫画がいくつか。
そんなことを考えながら、今さっき焼けたパンにマーガリンを塗った。もう昼なので、これは朝昼兼用、あひるごはんだ。
「明日は行く」
そう武田に返信しては、溜まっていた未読の通知を眺めた。徳永さん、彼女は一度僕に振られているのだが、まだ可能性があるとでも思っているのだろうか、まあまあ長い文が三通。島村、こいつのツイッターは本当に気持ち悪い。ついこの間も一年と二ヶ月記念日とかで、写真をいろいろとコラージュしたやつをツイッターに載せていた。こんなナルシストにも彼女は出来るんだな、と思う。
人を選んでは二、三返信し、またいくつか未読を残したまま携帯を閉じた。
パンの粉が散らかった皿をテーブルに置きっぱなしにしたまま、さっさと着替えては書店へ向かった。


「あ、たけるじゃん。」
書店へ向かう途中、後ろで声をかけてきた女がいた。平日の昼間から外を出歩いているやつは、あいつ一人しかいない。
「おう、あや。何しにこんなとこまで来たん?」
あやの家は、ここから近いとは言えない。
「彼ピッピに会いにさ。」
「また新しくできた?前別れたやん。」
「仲直りしたんだお。」
「あー、そう。おめでと。」
そんなあやにどこか呆れながら、「じゃ、また」と別れようとしたとき、
「たける、今つまらんやろ。今日遊ばん?」
さっきまで吸っていたタバコを踏みながら、あやが言った。
「何して?」
「まあいいから、六時に駅な。気が向いたらでいいけど、まあお前、どうせ暇やし来るやろ。じゃ。」
笑いながら言い逃げしていったあやの背中を見つめては、落ちているタバコに目をやった。
それにしても、あいつのさっきの顔は、何か企んでいる感じ。高校に行っていない彼女はいつも人生を楽しんでいる。悩みなんて、何もないんだろう。
そんな想像力の足りてないことを考えながら、再び書店へと歩き出した。

2

不登校になってから一ヶ月がたったくらいだった。別にいじめを受けているわけではないが、社会のいろいろなことにうんざりしていた。
もともと地頭の良かった僕は、少しだけ受験勉強を頑張り、県で二番目の進学校に来た。あのときは、頭のいい高校に行くのが全てだと思ってしまっていた。それも仕方ない。毎日学校に通っては授業を受け、放課後は塾でまた授業を受けるのだから。先生の言う事が正しいと思ってしまうのが普通の生徒である。何も先のことは考えず、ただ勉強をした。
高校に受かったときは、確か嬉しかったはずだ。自分の受験番号の下には、親友の受験番号。二人で喜びあった。しかし、この高校で僕は勉強をすることの意味を知ることになる。
「就職」
高校の先生達は口煩く、この言葉を吐き散らした。頭のいい大学へ行き、就活して、就職し、安定した収入を得て、安定した生活を送る。これが、人生の歩み方の「正解」であると。そして「頭のいい」大学側は僕達にこう言う。
「うちは就職率がいい」と。

彼らは頭が悪かった。

今更知ったこの社会のあり方に、僕は絶望した。

もっと、思うがままに生きたい。日本を飛び出して、自分の生きがいを見つけたい。
とりあえず学校へ行く理由がなくなってしまった僕は、学校に行かなくなった。
で、今送っているのがこんなくそみたいな生活。


「よ」
あやだ。三十分の遅刻だった。カラスがゴミをあさっているのをぼーっと眺めるのは、なかなか退屈だった。
「見て見て、この色、ピンク」
歩き出してからしばらくして、無邪気にあやが言った。髪を一度も染めたことのない僕からしたら、その色は金髪なのだが、どうやらそれはピンクらしい。
「いいね。」
「でもこれ、地肌まで染まっちゃったの、うける。」
甲高い声で大笑いしながらあやはそう言い、タバコに火をつけたのだが、僕の嫌そうな顔を見るなり、すぐに道路に捨てた。
「あやっていい子。」
「自分で言っちゃうんだ。」
「うふふ」
「ていうか、今からどこ行くの。今更だけど。
「それ聞いちゃうのがつまんないんじゃん。わかってないなぁ、たける。って、今着いたんだけど。ほら、これ。」
廃れた夕方の商店街の中に、何気なく在ったそれは、おそらく「ライブハウス」だった。とても静かに、ポツンと。
「行くよ、たける」

あやに手を引っ張られ、錆びれた暗い階段を降りて行った。

3

それは、たった今人生が始まったかのような、錆びれた静かな商店街の地下とは思えないくらい、破壊的で衝撃的だった。
「お前ら声が足りねぇぞ」
腕に刺青を宿したオールバックの男が、そう呟くと、オーディエンスは手を挙げ、盛大に声をあげた。
「俺はあのとき、なんでマイクを握ったか。もう忘れちまった。でもよう、一つ覚えてるこたぁ、俺は現状をひっくり返したかったってことだ。お前ら、頭の中に持ってるめでてぇビジョンなんてのは、そのままにしとけば、めでてぇだけだ。なんでもいい。なんか始めろ。俺はたまたまマイクを握った。これは他人事じゃねえぞ。ヒップホップは革命だ。ありがとう、みんな。」
ステージに覇気だけを残して裏方へ消えていったその男の背中を、大歓声が後押しした。


「信号!赤!」
自転車の後ろに乗っているあやの声で、慌ててブレーキをきった。
「あっぶね、ぼーっとしてた。てか、あや重いわ。」
「がんばれ!」
帰りのバスが無いため、急遽あやを家まで送ることになった。
「ライブ、どうだった?」
あやが聞いた。
「最高だったよ。」
そう答えた。最高だった。あんな感情は初めてだった。
「かっこいいでしょ。ラップ、ていうかヒップホップ。」
「うん」
顔は見えないが、声だけでわかるあやの嬉しそうな表情に、笑いながら答えた。

車体が下り坂に向けて少し傾いたときに、あやが言った。
「うちさ、歌手になりたいんだ。今ボイトレ行ってんだけど。」
まさか、あやがそんな夢を持ってるとは思わなかった。しかし、不思議なことにそれを不可能とは微塵も思わなかった。なぜだろうか。昼にあやに会ったときこのことを聞いていたとしたら、心の中で笑っていたような気がする。
「なれるよ、絶対。」
「ありがと。」
「・・・ねえ」
「なに?」
「・・・僕さ、ラッパーになる。決めた。」
「・・・」
間があった。自転車の勢いが二人の耳の前を次々と通り過ぎていった。
「なれるよ!たけるなら、絶対!」
僕の耳元にあやの声が触れた。純粋な心で僕の夢を信じてくれたあやを、絶対に裏切らないと決めた。やっと今、人生が始まっていくような気がした。あやがいなければ、僕はずっと迷ったまま、立ち止まっていただろう。
冷たい風が、胸を透き通っていった。

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  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-10-24

Copyrighted
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