スノースマイル

 とある中学校の、とある一日。
「おい、怜司。クリスマスイブはどうすんだ?」
「あ、どうするって、なにが?」
「とぼけんなよ。誰かとデートしないのかー?」
 まったく別の会話を友達と交わしながらも、くるみの意識は、教室の隅の二人に向いていた。お調子者の平岡と――宮尾。
「は、なんだそれ。そんなメンドくせーことするかよ」
 それを聞いて、くるみは不思議と安堵していた。意識だけではなく、そちらの方へ少しだけ視線をやる。椅子に深く腰掛けるようにして、宮尾が嘲笑うような表情を浮かべている。彼特有の笑い方だ。
「ちょっと、くるみ、話聞いてたー?」
 動揺しそうになるのを必死で抑える。「え、なになに、なんの話?」
「もう、聞いてないじゃない。いっつもぼうっとしてんだから」
「ごめんごめん」
 友達の輪に戻りはしたものの、くるみは絶えず彼らの会話が気になった。どうやらクリスマスの話題は終わったらしいけど、くるみの心は落ち着かなかった。

     *     *

 あんなこと言っていたけど、ほんとうになにもないのかなー。宮尾君、モテるから、きっと、隠してるだけで彼女がいるんじゃないかな……。でも、確かめてみなきゃ分からないし……。
「はあ、クリスマスかぁ」
 寒空の下、ベランダの手すりに寄りかかって、くるみはため息混じりに呟いた。顎先を軽く手すりにつけると、ひんやりとして冷たかった。
「あれあれ、こっちから恋の香りがするぞ」
 抜け目なく聞き咎めたのは、親友の真琴(まこと)だった。音だけだと男子みたいな名前だけれど、もちろん女子である。肩がぴったりとくっつくまですり寄ってくる。
「くるみ、好きな人でもいるの?」
「い、いないよ」
 なんでもないことのように言い返した。つもり。
「ふーん」真琴は楽しげな笑みを頬いっぱいに浮かべる。「くるみって、一途そう」
「な、なんで分かるの?」
 言ってから、しまった、と口を塞いだが、もう遅かった。
 真琴はくすくすと笑う。「あんたってほんとに分かりやすいねー。テキトーに言っただけだよ」
 くるみは悔しさから顔が赤らむ思いだった。実際、赤らんでいた。
「やっぱり、好きな人いるんだ?」
 もう認めたも同然だったけど、頷かなかった。最後の意地だ。黙って、正面だけを見据える。
「いいの、誘わなくて? もうすぐイブだよ?」
「だって、無理だもん――」
 宮尾君はかっこいいし、スポーツも得意だし、勉強――は、ちょっと苦手だけど、クラスの人気者だし。私なんかじゃ、絶対に無理だよ――。くるみは、胸の内でそう続けた。
「ふーん」
 真琴は優しげな笑みを向ける。「実行する前からくよくよ考えているようなら、言っておくけど。……クリスマスは、一年に一回しかないからね」
 それは、くるみにも分かっていた。だから、諦めようと自分に言い聞かせながらも、諦めきれないくらい、後悔したくないという思いが強かった。
 決断、するべきなのだろうか。くるみは思った。
「ま、私は好きな人いないから、遊びたかったらいつでも誘ってね。イブの日」

     *     *

 それから数日後。下校時間、下駄箱にて。
「やべえ、忘れてた」
 平岡が大仰に頭をかかえた。
「なにを?」
 落ち着いた様子で、宮尾が聞き返した。
「おれ、先生に呼び出されてたんだった。早くいかねーと殺される」
 悪い、怜司、先帰ってて。時間かかりそうだから、待たなくていいよ。そう言って、平岡は慌しく駆け去っていった。
 取り残された宮尾は、仕方なく一人で帰ることにした。気だるそうな足取りで、校庭を横切っていく。

     *     *

「ほら、急いで」
 くるみは、なぜだか焦っている真琴に手を引かれていた。
「ねえ、なんで急がなきゃいけないの? まこ?」
 説明もなにもされていないくるみは、大いに戸惑っていた。
「いいから、いいから。行けば分かるって」
 真琴は、さっきからそればっかりである。
 下駄箱で手早く靴を履き替えて、校庭に出た。校庭は何年かぶりに降った雪が積もって、一面の雪化粧だった。その上を、一つの足跡が正門の方まで伸びていた。――あの後ろ姿は、宮尾君だ。くるみは気づいた。
「さあ、追いかけて」
 真琴は、そっとくるみの背中を押した。
「えっ」
「チャンスは作っといたよ。生かすか殺すかは、くるみ次第」
 そんなこと言いながら、真琴の目は期待に満ちていた。どうやら、選択の余地はないみたい。
 そもそも、どうして好きな人が宮尾君だと分かったのだろう。私って、そんなに分かりやすいかな。教室でちらちら見てたのが、ばれてたのかな……。
 でも、くるみは嬉しかった。自分のためにしてくれる、親友の存在が。
 一歩、踏み出す。今までのどの一歩よりも、勇気のある一歩を。

     *     *

「ひゃあっ」
 宮尾を追いかけて走り出したくるみだったが、目標を目前にして凍った地面に足を滑らせてしまった。
 そのとき、倒れそうになるくるみの腕を、宮尾の手がしっかりと掴んだ。
「あ……」
 お互いの声が重なる。時間が止まったようだった。弾かれたように、宮尾は手を放す。
「ごめん、ありがとう」
「いや」
 気まずい沈黙が下りた。道の真ん中で、向かい合うようにして突っ立っている。
「どうしたの?」
 沈黙を破って、宮尾が尋ねる。
「どうしたの、って?」
「ずいぶん、急いでたみたいだから」
「ああ、それは――」くるみの脳裏に、真琴の言葉が浮かぶ。このチャンス、生かすか殺すかは自分次第。
「……宮尾君を、追いかけてきた、から」
 彼のことを直視できなかった。マフラーに埋めるように、顔を俯けてしまう。
 刹那、寒風が二人を包んだ。くるみは凍える手をさする。そのとき――、
「わわっ」
 突然、くるみが驚いたような声を上げた。宮尾が、再び彼女の手を取ったからだ。
「ごめん、違うんだ」
 宮尾は、なぜか弁明しようとする。「その、寒いだろうから――ポケット」
 と、自分のポケットを指し示す。入れてくれる、ということだろうか。
 くるみは目を瞠って、彼を見つめる。視界に映るその表情は、恥ずかしげに紅潮していた。
「うん、ありがとう――」
 そう言って、手を預けた。ポケットに手を収めると、温もりが心地よかった。
 そうして、二人で歩き出す。白い絨毯の上に、足跡の平行線を描きながら。
 彼らの後方、様子を窺うようにして電信柱の影に隠れていた真琴と平岡は、揃ってガッツポーズをした。
「くるみ、今年のイブは私と遊べないね……」
 真琴の心中は素直な嬉しさと小さな寂しさが混じって、少し複雑だった。

スノースマイル

スノースマイル

そうして、二人で歩き出す。白い絨毯の上に、足跡の平行線を描きながら。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-10-22

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