10月22日午前4時

いつものように「334」とかいうくだらないツイートをした後、ちょうどPCを立ち上げる用があったので、ついでということで悩みというか普段感じていることを書き連ねてみます。

赤信号を渡ってしまった後みたいな、そんな、小さな不安のわだかまりが、常に胸の奥に渦巻いています。別に何か心配事があるわけでもないのに、寝ても覚めても、泣いても笑っても、一時的に忘れたり和らいだりすることはあるのですが、その湿気を帯びた黒い霧は決して消えません。青年期に特有の心理状態かとも考えられますが、思えばもう何年、という長い付き合いであるような気もします。始まりはいつだったか、分かりません。

そして悪いことに、日常に散らばる「不安の種」とでも言いましょうか、そういう曖昧なものが徐々にその黒い霧を濃く、深くしてゆくのです。ここで言う「不安の種」というのは、明日は期末試験だとか、気になるあのコに嫌われたかもしれないだとか、そういうものではありません。むしろ、自分に直接影響しない類のものに、「不安の種」を感じてしまうのです。中学生のタバコであったり、講義中に大声で騒ぐ男女、一時停止を無視した車、路上に積まれたゴミの山、クラスメイトの悪口なんかもそうです。こういった光景を目にすると、自分に罪はなく害があるわけでもないのに、どうしようもなく、不安で、怖くなってしまうのです。

エドガア・アラン・ポオは不条理に迫ってくる恐怖というものを、寝台に縛られた男の首筋のちょうど真上で、大きく左右に揺れながら下降してくる大鎌でもって表現しましたが、イメージとしては似ているかもしれません。ただ生死に関わるほどの事ではないので、例えるとするならば、自分の座ろうとする椅子の後ろに常に誰かがいて、いつでもその椅子に手を掛け、サッと引き抜くことのできる体勢で待ち構えている、そんな感じです。つまりは、日常に散らばる「不安の種」、その蓄積が、暗い暗い奈落の底に、あるいは何も視えない、息もできない深海の底に、急にポンと、放り出されてしまうのではないか、そんな得体の知れない恐怖となって襲ってくるのです。そしてその黒い不安の霧は、日の沈む頃、次第に深みを増してゆく闇に呼応するようにして現れます。特に夜眠りにつく時、意識が自分の思考に集中される時、一瞬にして心が不安に包まれ、息苦しい憂鬱の暗がりに迷い込んでしまいます。こういう理由があるので、いつも寝床に入れば一瞬で眠れる、というレベルの眠気を感じるまで、必ず何かしら活動をして不安の霧を払い退けるようにしています。その活動のほとんどが読書であり、空想やおとぎ話の世界に耽り、他人の人生を経験するのが好きなのも、昔からこういう不安を感じるが故かもしれませんね。

もともと内向的で悲観的な性格ではありますが、この原因不明な得体の知れない不安を一言に「性格のせい」と片付けてしまうのも、何だかやりきれない気持ちです。これを読んでいる皆さんも、程度に差はあれ、こういった不安を感じたりしますよね。一体何なんですかねこれ、、、解決策をどなたか下さい。仮に性格に原因があるとしたら、一生付き合っていくしかないんですよね。全く面倒な人間に生まれたもんです。むしろ何かの病気であってほしい。

適当に書いていたらいつの間にか午前5時を回っていますね。8時起床予定だけどまあ何とかなりますかね。こういう時にこそきちんと不安を感じたいものです。
そりでは、ぽやしみなさい~zzZ

10月22日午前4時

10月22日午前4時

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-10-22

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