黒い翼と白い悪魔

黒い翼と白い悪魔

とある魔術の禁書目録 リリカルなのは 作

「とある魔術の禁書目録」15巻の「最強の黒い翼に打ち勝つ者 Dark_Matter.」の二次創作です。
登場人物をリリカルなのはのメンバーで書いてみました。
ツッコミところ満載な感じに書けれたかなと思います。

それでは、どうぞお楽しみください。

Black Wing

Black Wing

 キャロ・ル・ルシエとヴィヴィオはオープンカフェにいた。
ママを捜す、と息巻いているヴィヴィオであったが、どうも長時間歩いている内に足が痛くなってしまったらしく、今はテーブルに突っ伏してグターッとしている。キャロはキャロで、店の名物である大型甘味パフェに挑戦中だ。

「ところで、ママはどうなったの。アホ毛のビビッと反応はもう無くなっちゃったのかな?」

「……ヴィヴィオはアホ毛じゃないもん」

 しかしそうは言っても、十歳前後の少女の頭頂部から一部だけ飛び出している髪の毛が、秋風を受けてそよそよと左右に揺れている。どこに出しても恥ずかしくない天下無敵のアホ毛だ。

「うーん……さっきまで確かにこの辺りをウロウロしていると感じたんだけど、何だかいつの間にかどこかに行ったみたいなの」
 と、あまりの徒労っぷりにげんなりしていたヴィヴィオがいきなり顔を上げた。
 ママが見つかったのかな、とキャロは思ったのだが、どうも違うらしい。
 ヴィヴィオは通りすがりの少女達が持っていた、チェーン系の喫茶店についてくるキーホルダーを凝視している。

「ヴィ、ヴィヴィオもあれが欲しい。ヴィヴィオお財布持ってないから、キャロお姉ちゃんにキラキラ瞳を向けてみたり!!」

「あーもう、ママを捜すんじゃなかったの」

「むむっ、!あっちの喫茶店からママの反応を感じ―――ッ!!」

「真顔で嘘を吐いてもダメだよ。大体、私の大型甘味パフェはまだ序章の生クリームゾーンを終えたばかりであって、ここで席を立つなんてありえないんだから」

「何でそんなにのんびりしてるのーっ!!」

 ヴィヴィオはテーブルをバンバン叩いて駄々をこねはじめた。

「っていうか、タクシーのお釣りをいっぱいもらってなかったかな?」

「ハッ!!言われてみれば」

 ヴィヴィオはポケットに突っ込んでいた札を握り締めて手近な喫茶店にダッシュして行った。
 走り出すヴィヴィオ。キャロはハンカチを振りながら『ちゃんと戻ってきてねー』とひとまず忠告だけはしておく。
 そんなこんなで大型甘味パフェのアイスクリームゾーンへ突入したキャロだったが、

「失礼、ちょっとええかな」

 不意にそんな事を横から言われた。
 やたら小さいスプーンの動きを止めてからそちらを見ると、なんだか優しそうな女性が立っていた。右手には、何かの図鑑のような古めかしい書物を抱えている。
 女性は風貌に似合う、柔和な笑みを浮かべていた。

「はい。どちら様ですか」

「八神はやていいます。人を捜しとるんやけども」

 言いながら、はやてと名乗った女性は一枚の写真を取り出す。

「こういう子がどこへ行ったか、知らへんかなぁ。ヴィヴィオっていう名前なんやけども」

「……、」

 キャロは数秒間、じっと写真の中の少女に注目した。
 はやてと写真を何度か交互に見比べて、それから首を横に振った。

「いいえ。残念ですけど、見ていないですね」

「そうかぁ」

「どうしても見つけられないのなら、『管理局』の詰め所に届けを出した方がいいと思いますよ。連絡しましょうか?」

「せやな。その前にもうちょい自分で捜してみます。おおきに」

 にっこりとはやては言って、そこから立ち去った。
 キャロは細いスプーンを大型甘味パフェに突き刺して、再びアイスクリームゾーンへ突入しようとしかけたが、

「ああそうや、お嬢さん。言い忘れてた事があるんやけど」

「?」

 キャロが顔を上げようとする前に、次の言葉が来た。


「あんたがヴィヴィオと一緒におったんは分かっとるんや、クソボケ」



 ゴン!!という衝撃がこめかみの辺りに走り抜けた。
 殴られた、と気づく前にすでに椅子から転げ落ちていた。乱暴に振り回されたキャロの足が、椅子やテーブルを倒してしまう。ろくに食べてもいない大型甘味パフェが、潰した果実のように路面に散らばった。
 周囲から、通行人の悲鳴が響く。
 何が起きたか判断しきれないまま、とにかくキャロは起き上がろうとした。
 しかし、仰向けに倒れたままのキャロの右肩へ、はやては靴底を思い切り踏みつけ、地面へ縫い止めた。

「せやから私はこう尋ねたんやよ。『こういう子知りませんか』やなくて、『こういう子がどこへ行ったか分かりませんか』ってね」

 はやては足に体重を掛ける。
 グゴギッ!! という鈍い感触と共に、骨と骨を擦り合わせるような激痛が走り抜けた。関節が外れたのだ。あまりの痛みにのたうち回りたくなるキャロだが、はやての足は鉄柱みたいに動かない。
 悲鳴というより絶叫が響いたが、はやての表情は少しも変わらなかった。

「あんたが私の動きに気づいてヴィヴィオを『逃がした』って訳や無いことなんは予想できる。私は外道のクソ野郎やけども、それでも極力一般人を巻き込むつもりはあれへんのんよ。せやから協力さえしてくれたら、暴力を振るおうとは思わへん」

 オープンカフェは大きな通りに面していて、今日は休日の午後だ。周囲にはたくさんの人々が往来していたが、彼らは一斉に現場から距離を取っていただけで、キャロの所へ駆けつけてくれる人は一人もいなかった。
 無理もない。
 キャロは管理局の制服を着ている。実際には管理局の人間でも、事務などに携わる人もいて、全てがそういった暴力沙汰などのトラブルに対処出来る人材ばかりではないのだが、詳しい事情を知らない普通の人達からすれば『あの制服を着ている人は時空管理局の人間だ』ぐらいにしか思えない。警察などにも等しい人間が、いとも簡単にねじ伏せられている状況を見て、それを助ける為に飛び出そうとは考えられないだろう。
 孤立無援の中、さらにはやての靴底のヒールが関節の外れた肩に食い込んでくる。

「……ただなぁ、私は自分の敵には容赦はしーひん。何も知らんとヴィヴィオに付き合わされてたっていうんならともかく、あんたの意思でヴィヴィオを庇うゆーんなら話は別や。頼むわお嬢さん。この私にあんたを殺させんといてーな」

 グギギガリガリ!! と、外れた骨が無理に動かされ、強烈な痛みが連続する。
 堪えようと思った時には、すでにキャロの瞳から涙が溢れていた後だった。何故こうなったのか分からない理不尽さ、手も足もでないほど圧倒的な暴力に対する恐怖、そして状況を打破できない悔しさ。不の感情の全てがグチャグチャに混ざり合い、巨大な重圧となってキャロの人格を内側から圧迫していく。
 そして、その中で意図的に提示された、一つの逃げ道。


「ヴィヴィオはどこや」

 激痛に明滅する意識の中で、八神はやての声だけが響く。

「それだけ教えてくれればええ。それであんたを解放したる」

 どこを見回しても出口のない迷路に、たった一点だけ設けられたゴール。暴力という暗闇に押し込まれたキャロは、その存在を意識せずにはいられなかった。管理局員としての矜持、キャロ・ル・ルシエとしての人格、それらの全てが『痛みから開放される』という言葉に塗りつぶされていく。
 キャロの唇が、ゆっくりと動く。
 黙っている事など、できなかった。
 自分の無様さに歯噛みしながら、キャロは最後の言葉を告げる。




「……なんやて……?」


 八神はやての眉が、理解できないようにひそめられた。
 キャロ・ル・ルシエは、もう一度震える唇を動かして、言う。

「聞こえ、なかったんですか……」

 ありったけの力を込めて。

「あの子は、あなたが絶対に見つけられない場所にいる、って言ったんですよ。嘘を言った覚えは……ありません」

 できるだけ人を馬鹿にしたように、舌まで出して彼女は言った。
 八神はやてはしばらく無言だった。

「……良えやろう」

 言って、確かに彼女はキャロの肩から足をどけた。
 ただそその足は地面に下ろさず、今度はキャロ・ル・ルシエの頭を狙ってピタリと止まる。

「私は一般人には手ぇは出さへんけど、自分の敵には容赦はせーへんってゆーたはずやで。それを理解した上で、まだ協力を拒むってゆーんなら、それはもう仕方あれへんな」

 まるで空き缶でも潰すような気軽さで足を動かし、


「せやからここでお別れや」



ブォ!! という風圧にキャロは思わず涙を溜めた目を瞑った。今の彼女には、それぐらいの事しかできなかった。
 しかし、はやての足がキャロの頭部を踏み潰す事はなかった。

 新たな轟音が、ガゴォン!! と辺り一帯に響き渡る。
 吹き荒れたのは膨大な烈風だった。それは衝撃波に近い。キャロが目をあけると、ATMを無人設置場所や壁やガラスごと粉々に砕き、その破片の渦がものすごい速度で八神はやてに激突する所だった。その一撃を喰らった事で、バランスを崩すはやて。キャロの顔を潰す予定だった足は、彼女の僅か数センチ横の地面に激突するに留まる。
 徹底的に破壊されたATMの中から、天使の羽のように紙幣が舞う。
 そんな中で、キャロ・ル・ルシエは確かに聞いた。

「……まったく、つまらない遊びでハシャがないでよ。はやてちゃん」

 白熱し白濁し白狂した、
 時空管理局機動六課スターズ隊の隊長の、エース・オブ・エースの声を。



「どうしてこんな事になっちゃったのかなぁ……少し頭冷やそうか」



「痛ったいな」

 八神はやては視線をキャロから高町なのはへ向けると、静かに言った。

「ほんでムカついた。流石はエース・オブ・エース、大したムカつきっぷりや。やっぱなのはちゃんからぶち殺さなくちゃアカンみたいやな」

「へぇ…私と戦うのが怖くてハンデを求めた臆病さんが、何を凄んでるのかな?あの子を狙うなんていう手を選んだ時点で、もう戦力差は決まってるんだよ」

「バッカやないの。それは保険や。誰があんたみたいな『白い悪魔』言われてるよーな奴と五分五分の勝負なんかしかけるもんか。面倒臭いわ。あんたにそんなけの価値があると思ってるんか」

 時空管理局の中でも飛び切りの能力を有する二人。
 エース・オブ・エース、その強さから『白い悪魔』と囁かれるほどの実力者、高町なのは。
 魔導士ランクは、そのなのはを上回るSSを誇る八神はやて。
 なのはもはやても、コソコソとした隠蔽などに気を配っていなかった。
 そういった後始末は、どこかの誰かに任せればい良い。

「狸……。お鍋の下拵えは終わってるんだよね」

「それにしたかて、流石は『滞空回線』。ロストロギアだけの事はあるわ、まったく予想以上に早く登場してくれたもんや」

「え?」

「笑えるで、なのはちゃん。そうやって、弱者を守る為に戦ってたら善人になれるとでも?」

「ふふ、分かってないね、はやてちゃん」

 なのはは首から下げていた赤い宝石を握り閉めながら、静かに告げた。

「ちょうど良かった。悪党にも種類があるって事を教えてあげるよ」

 バォ!! という爆音が鳴り響いた。
 高町なのはと八神はやてが真正面から激突する。その余波としての衝撃波が周囲一帯へ均等に炸裂し、人々はなぎ倒され、ガラスが木っ端微塵に砕け散り、ビルの壁はひび割れ、道路に停めてあった乗用車はその煽りを受けて爆発炎上した。方々で騒ぎが起こるが、二人はそちらに目を向けない。
 高町なのはの一撃を受けた八神はやてが後方へ吹き飛ばされる。道に面したカフェの中へと突っ込み、バキバキと内装を破る音が連続した。しかし高町なのはの顔には不快しかない。手応えを意図的に外された感触が、杖を通して掌に残っている。

「なのはちゃんの魔法は、今この場にあるベクトルを制御する能力や」

 爆弾テロにでも遭ったような店内から、そんな声が聞こえてきた。

「やったら、全てのベクトルを集めても動かせないほど巨大な質量をぶつければなんとかなるかと思ったんやけど、やっぱアカンかったわ。私自身のベクトルも操作されるんやったらどうしようもあれへん」

 
 無傷。


 店から出てきたはやての全身を、黒い繭のようなものが包んでいた。いや違う。ひとりでに広がったそれらは、翼だ。天使のような六枚の翼が、彼女の背でゆったりと羽ばたく。

 なのははわずかに眉をひそめた。

「似合わないね、メルヘンみたいで」

「心配御無用や。自覚はあるんよ」

 言葉と共に二人は再び動いた。
脚力のベクトルを操作して真っ直ぐ突っ込むなのはに対し、翼で空気を叩いてはやては真横へ飛んだ。一息に数十メートルも突き進んでい大通りの中央分離帯の上に着地したはやてに対し、なのはは杖を振って空気を裂き、その大気の流れのベクトルを文字通り掌握する。
 轟!! という烈風が後ろから前へ突き抜けた。風速120メートルに達する空気の塊が、砲弾となって中央分離帯上のはやてを打ち落とそうとする。

「ッ!!」

 器用に翼を動かして、これをはやてが避けた所で、
 カツッという音を彼女は聞いた。見れば、はやての立つ中央分離帯のすぐ横の路面へ、なのはが足を乗せた所だった。一体どうやって接近したのか、いつの間にそれを実行したのか。その疑問が解ける前に、なのはは勢い良く八神はやての懐へ飛び込んで杖を突き出す。
 はやては言う。

「知っとるか。この世界は全て素粒子によって作られとる」

 そうしながら、彼女は翼を使って身を守った。なのはの杖が翼に突き刺さると同時、自ら翼の一枚を無数の羽に変換してばら撒くこ事で、衝撃が自分自身の体へ伝わるのを阻害する。

「素粒子っていうんは、分子や原子よりもさらに小さい物質や。ゲージ粒子、レプトン、クォーク……。さらに反粒子やクォークが集まって作られるハドロンなんていうんもあるんやが、まぁ、大概はいくつかの種類に分けられるんや。この世界はそういう素粒子で構成されてる訳やな」


 せやけど、とはやては呟いて、


「私の『夜天の書』に、その常識は通用しーひん」



 轟!! という風の唸りと共に、八神はやての背中から再び六枚の翼が生えた。

「私のデバイス、『夜天の書』の生み出す『未元物質』は、この世界には存在しーひん物質や。『まだ見つかってない』とか『理論上は存在するはずだ』やのってチャチな話やないよ。ホンマに存在せーへんねん」

 学問上の分類に当てはまらない、SSランク魔導士によって生み出された新物質。
 物理法則を無視し、まるで異世界から直接引きずり出してきたような黒い翼に、しかしなのはは少しも動じていない。
 素材が何だろうが、ベクトル変換能力は全てを粉砕するのだ。

「分かったよ。生ゴミと一緒に捨ててあげる」

 さらに踏み込み、八神はやての心臓を握りつぶそうとするなのは。
 しかし、

「分かってへんなぁ、なのはちゃん」

 はやてが言った途端に、彼女の黒い翼が、ゴバッ!! と凄まじい光を発した。
 ジリジリと焼けるような痛みを感じたなのはは、思わずはやてから距離を取り、それから事態の異変さに気づいた。
 あらゆるベクトルを『反射』するはずのなのはが、外部からの影響を受けた。

「今のは『回折』や。光波や電子の波は、狭い隙間を通ると波の向きを変えて拡散する。高校の教科書にも載っとる現象や。複数の隙間を使えば波同士を干渉させられる」

 ようは、黒い翼には目に見えないほど細かな隙間があり、その隙間を通った太陽光が性質を変えてなのはを襲った……という事なのだろう。黒い翼が光を放ったのではなく、黒い翼を通過した光が性質を変えたのだ。

「ま、何にしても応用次第やゆー事やね。日焼けで死ぬ気分はどないや」

 だが、

「……物理のお勉強が足りてないみたいだね。いくら『回折』を利用したって、太陽光を殺人光線に変えられるはずないでしょうが」

「それがこの世界にある普通の物理やったらな」

 はやては六枚の翼へ、弓をしならせるように力を加えていく。

「でも、私の『未元物質』っていうんはこの世界には存在しない新物質や。それに既存の物理法則は通じへん。そして『未元物質』に触れて反射した太陽光も独自の法則にしたがって動き出す。異物っちゅーんはそーいうもんや。たった一つ混じっただけで、世界をガラリと変えてまうんよ」

 ズァ!! と六枚の翼が勢い良く羽ばたいた。巻き起こる烈風を『反射』で押さえつけたなのはは、そこで相手の意図を掴む。正面を睨みつけると、はやては薄く笑っていた。

「―――逆算、終わるで」

「ッ!!」

その声を聞いたなのはが初めて回避に移ろうとした時、すでに六枚の翼は放たれていた。これまでとは違う、単なる撲殺用の鈍器として。
 ゴキゴリブリ!! という鈍い音がなのはの体内で炸裂する。
 あらゆるベクトルを『反射』するバリアジャケットを突き抜け、彼女の体が勢い良く飛ばされ、10メートル以上先にある街路樹に激突死、太い幹を一発でへし折った。

「(ごっ、ぱぁ……ッ!?)」

(今の、 太陽光と、烈風の意味は―――ッ!!)

「なのはちゃん。なのはちゃんは全てを『反射』するって言ってたけど、それは正確やあれへん」

 はやての翼が音もなく伸びる。
 20メートル以上にも達した翼は巨大な剣のようにも見えた。ビルの屋上へ飛ぶなのはだが、垂直に構えられたはやての翼は、まるで塔が崩れるようになのはへ直撃する。

「音を反射すれば何も聞こえない。物体を反射すれば何も掴めへん。なのはちゃんは無意識の内に有害と無害のフィルタを汲み上げ、必要のないモノだけを選んで『反射』しとる」

 口から血を吐くなのはは、貯水タンクの残骸を突き破って横へ跳ぶ。
 振り下ろされた黒い翼は、ビルの屋上から中腹までを一気に引き裂いて粉塵を撒き散らす。

「『未元物質』の影響を受けた今の太陽光と烈風には、それぞれ二万五千のベクトルを注入しておいた。後はなのはちゃんの『反射』の具合から有害と無害のフィルタを選別し、なのはちゃんが『無意識の内に受け入れている』ベクトル方向から攻撃を加えれば良えんよ」

 なのはが仮に『反射』の組み立てを変更したとしても、はやてはすぐにそれを再サーチするだろう。このままでは堂々巡り。攻防を繰り返している間にダメージが蓄積していくだけだ。

「これが『未元物質』」

 八神はやては笑いながら六枚の翼を構え、


「異物の混ざった空間。ここはあんたの知る場所とちゃうんや」

 対するなのはは大気を操って自分の周囲に四本の竜巻を起こす。
 そして激突。
 なのはの竜巻がはやての黒い翼をもぎとり、はやての黒い翼が烈風を伴ってなのはの竜巻を吹き消した。その余波を受けて鉄筋コンクリート製の建造物がギシギシと頼りなく揺れる頃には、すでに二人はそこから消えている。並行するように移動しながらお互いの魔法を激突させる両者は、時に風力発電のプロペラに飛び移り、時に信号機の側面を蹴飛ばしながら、恐ろしい速度で町並みを駆け抜けていく。

「『レリック』を強奪したり『停滞回線』の中身を調べたり、私も色々策を巡らせてみたけど、どれも成功しなかった。やっぱり第一位のあんたをブチ殺すんが手っ取り早いみたいやな!!」

 はやては数十メートルにも伸びた黒い翼を振り回しながら叫ぶ。

「何よこのちびたぬき。この期に及んで数字の順番がそこまでコンプレックスなの!!」

「そんなんとちゃうよ。ただ私は、ミゼットとの直接交渉権が欲しかっただけや!!」

 なのははその言葉を無視し、足元のアスファルトをわざと踏み砕いた。衝撃で浮かび上がる小石を、二段蹴りの要領ではのはは思い切り蹴りつける。
 ゴバッ!! という凄まじい音が炸裂する。
 ベクトル操作を受け、『超電磁砲』以上の速度で飛んだ小石は、ほんの四・五センチ進んで消滅した。ただし衝撃波は生きている。その爆音は、もはや音を破裂させていた。しかしはやても黒い翼にありったけの魔力を込めて衝撃波を撒き散らした。両者の中間で波と波が激突し、空気の津波が看板や信号などをもぎ取っていく。

「ミゼットの婆ちゃんは複数のプランを同時平行で進めてるんや。あの人にとっては最優先事項みたいやけど、仮にそのご大層な計画が詰まったとしても、並行する別ラインに一度軌道を乗せ換えて、後で再び元のプランに戻すから性質が悪い。あみだくじで、一度別の線へ行った後、最終的には元のラインに戻ってくるようなもんや」

 平行に飛んでいた高町なのはと八神はやては、突如その軌道を直角に曲げ、お互い最短距離でぶつかるように駆け抜けた。そこは片側四車線の道路が縦横にぶつかる巨大なスクランブル交差点だ。彼女らの激突によって交通の流れは完全に遮断されるが、文句を言う者はいない。いるはずがない。隠蔽など考えるまでもなく、しゃべれば死ぬと本能が語っている。
 二人の少女の体が交差する。
 空気が爆発し、数秒遅れて、ズバァ!! という爆音が鳴り響く。

「なら話は簡単や。予備のプランを全部潰してまえば、ミゼットは『別のラインに逃げる』って妥協ができへんくなる。その上で、この私自身が『第二候補』やのうて本命の核に居座ってまえば、ミゼットも私を無視できへん。別にこのミッドチルダを潰すつもりはあれへんよ。この街は好きやから。せやからそいつの中心に食い込み、手中に収めたるっちゅーてるんや!!」

 高町なのはと八神はやての双方から血が舞った。

「だから今現在『本命の核』にいる私を殺せば、はやてちゃんが計画の柱に君臨する、か」

 二人は立ち止まり、それから互いにゆっくりと振り返る。
 そこまで豪語する以上、八神はやてはミゼットがどれだけのプランを平行的に展開させているのか、その正確な情報を集められるという自信があるのだろう。
 そして、八神はやてにはそこまでさせるだけの、何らかの理由があるのだろう。それについて、なのはは深くは考えない。ミッドチルダの、時空管理局の暗部に沈んでいれば、悲劇の数など山や星のようにある事が分かる。おそらく八神はやてはそれらの一つに触れて壊れた。なのはが歩んできた道、魔法少女となったあの日から決めたように。なのはがたった一人の少女に名前を呼んでもらう為に命をかけた様に。

「ダメだね」

 それらを予測した上で、彼女は言う。

「はやてちゃんは聖人君子の正論を並べてるつもりかもしれないけど、実際には言ってる事はめちゃくちゃだよ」

「ハッ。ミゼットとの直接交渉権に最も近い場所にいながら、その価値すら分かってへんかったなのはちゃんにどうこう言われる筋合いはあれへん」

「その一言が、すでに安い悪党なんだよ、はやてちゃんは」

ボロボロになったスクランブル交差点で、高町なのははくだらなさそうに言った。

「悲劇の使い道は色々だよ。胸に抱えるもよし、語って聞かせるのもよし、人生の指針にするのもよしだね。でもね、それを抱えたからって無関係の人達を狙ってもいいだなんて理由にはならないんだよ。ご大層な理由があれば一般人を殺していいだなんて考えちゃった時点で、はやてちゃんの悪はチープすぎるよ」

「説得力に欠ける説教やな」

 八神はやても興味のなさそうな調子で答えた。
 彼女は続ける。

「私だって好き好んで一般人を狙うつもりはあれへんよ。気分がええ時は、悪党かて格下やって見逃したる。やけど、それは命張ってまでやるような事やない。なのはちゃんにしたかて、私との戦闘でさんざん野次馬や通行人を叩き潰してきたやんか。コンクリートやアスファルトの破片は音速を超えて飛んでってた。衝撃波は全てをなぎ払っとった。私達の戦いでや」

「……、」

「ヴィヴィオを狙ったんも、その保護者らしき女の子を狙ったんかて、そういう事や。上から説教言わんといてくれるか、人殺し。私を殺すために野次馬を見殺しにしたなのはちゃんにどうこう言われる筋合いなんてあれへん。自分だけは例外、なんて理屈が通るなんて思てへんよね」

「ふふっ。はやてちゃんを殺すために野次馬を見殺しにした、ね」

 しかし、糾弾されてなのはは笑う。

「三下だね。美学が足りないからそんな台詞しか出てこないんだよ、はやてちゃんは」

「なん……やて」

「そもそも、なんで私とはやてちゃんが魔導士ランクでははやてちゃんの方が上なのに、第一位と第二位に分けられてるか知ってる?」

 なのはは笑いながら、緩やかに両手を広げてこう言った。



「その間に、絶対的な壁があるからだよ」

 八神はやての頭が沸騰しかけたが、そこで彼女は気づいた。
 周囲の状況に。
 確かになのはのR・Hと夜天の書の未元物質の激突で町並みはメチャクチャになっていた。高層ビルの窓ガラスは砕け、信号機はへし折れて歩道に倒れ掛かり、あるビルは跡形もなく消し飛び、街路樹が吹き飛んでコンクリートの壁に突き刺さって、道路には隕石でも落ちたようなクレーターができている。
 だが、そこには足りないものがある。
 悲劇だ。
 雨のようにガラスの破片が降り注いだにも関わらず、怪我人はいなかった。吹き荒れる強風がガラスの破片の軌道を逸らし、逃げ遅れた人を庇うように看板や乗用車が飛び、奇跡のように行き交う人々を守っていた。他も同じだ。怪我人が一人もいない。詳しく確かめた訳ではないが、おそらく自分達が来た道を戻れば、見えざる手に守られた『一般人』がたくさんいるはずだ。

(ま、さか……)

 はやての喉が干上がった。

「守ったって、言うんか……?」

 思えば、最初の一発目。高町なのはは八神はやてに烈風を使った一撃を放ったが、あそこではもっと威力の高い奇襲、例えばStarlightBreakerを撃ち放つ事もできた。ただし、それを実行していれば、余波を受けたヴィヴィオの知り合いも店も何もかも消し飛んでいたはずだが……。
 つまりは、それが彼女の生き様。
 たとえミッドチルダ、時空管理局の魔導士同士の、それも第一位と第二位の本気の殺し合いの最中であっても、わずかでも気を逸らせばそれが致命傷な隙となる戦場の中であっても、高町なのはは何の縁もない一般人を守り続けていたのだ。

「ふ、ふざけんといて。あんた、どこまで掌握してたんや?」

 なのはは退屈そうだ。その程度は当然の所業だとばかりに、むしろそんな事もできなかった八神はやてを蔑むように嘲笑っているだけだった。

「ムカついたかな、たぬきちゃん」

 驚愕に染まる八神はやてに、高町なのははくだらなさそうに言う。

「これが悪党だよ」

 ここまでやって、まだ悪党。ならば高町なのはが思い描く善人とは、一体どこまでのレベルを要求されているのか。

「ッッッ!!自分に酔ってんとちゃうで、高町なのはァァああああああッ!!」

 叫びと共に、ブォ!! と八神はやての六枚の翼が一気に力を蓄えた。『彼方より来たれ、やどりぎの技。銀月の槍となりて、撃ち貫け。』長さを変え、質量を変え、殺人兵器と化した黒い翼が広がった。まるで引き絞られた弓のようにしなり、その照準が高町なのはの急所六ヶ所へ正確に定められる。
 それを見ても、なのはは笑っていた。笑いながら彼女はこう言った。

「おいで」

「余裕やね。なのはちゃんの『反射』の有害と無害のフィルタはすでに解析済みや。インチキ臭いその防御能力かて、これには通用せーへんよ」

「確かに、この世界にははやてちゃんの操る『未元物質』なんてものは存在しないね」

 なのはは人差し指を動かして誘いながら告げる。

「その攻撃魔法に教科書の法則も、ベルカ式の魔法だってミッドチルダ式の魔法さえも通じない。素粒子に触れた光波や電波が普通ならありえないベクトル方向に曲がっちゃう事もあるかな。だから、この世界の理に従ってベクトル演算式を組み立ててたんじゃ『隙間』ができちゃうのも無理はないよ」

 二人の間で殺意が膨張する。
 スクランブル交差点の中心点が死で埋め尽くされる。

「だったらそれも含めて演算し直せばいいんだよ。この世界は『未元物質』を含む素粒子で構成されてると再定義して、新世界の公式を暴けばチェックメイト。ね」

「私の『未元物質』をも……あんたのベクトル変換で操れるやて……?」

「できないと思うかな?」

「はっ。私のそこまで掴み取るつもりかいな」

「浅い底だよ」

「……ッ!!」
 
「悪いけど、いちいち掴むまでもないかな」


 ドバン!! という爆音が炸裂する。
 お互いの交差は一瞬。
 それで、第一位と第二位の勝負は決した。





 

The White Devil

The White Devil

 高町なのはは地面に降り立つ。彼女はデバイスであるR・Hを元の宝石の状態に戻し、バリアジャケットを解除し、通常モードへと切り替えた。その途端に、スクランブル交差点を中心とした、周囲からの雑音が近付いてきた気がした。目撃者の数は100人から500人程度か。しかし隠蔽に気を配るつもりはなかった。それは雑用の仕事だ。そんな瑣末事で困るのは自分ではない。

「……、」

 振り返る。
 複雑に描かれたスクランブル交差点の中心に、八神はやてがうつ伏せに倒れていた。自らの生み出した黒い翼のベクトルを読まれ、制御を奪われ、身体を刺し貫かれて。まるで得体の知れない魔法陣のように、交差点のど真ん中に赤い血が広がっていた。
 しかし、まだ未元物質は死んでいなかった。
 そして高町なのはは善人ではなく、悪党だった。
 こんな時、あの忌々しい『善人』ならとどめは刺さないだろう。そのまま立ち去るだろう。下手をすれば悪党相手に世話を焼いて、更正への足掛かりを残してくれるかもしれない。だが、なのははここで人差し指をかざした。高町なのはを倒す為の弱点としてヴィヴィオや一般人を選択した八神はやてを見逃すという選択肢は頭になかった。それが善人と悪党の違いなのだなと、彼女はぼんやりと考えていた。
 例えその悪党が、自分の親友であったとしても。

「……さよなら、はやてちゃん」

 なのはは指先に魔力を集中させ、気絶したはやてに呟いた。今にも、泣いてしまいそうな声で。

「なんで、なのかな……ま、善人にやられるよりかは惨めじゃないよ、ね」

 心で引き金を引くように指をかける。これで終わり。人の善意や神の奇跡に頼らず、ただ行動の結末によって未来を作る悪の道。高町なのはは自らの生き様をまっとうすべく、己の敵の頭に明確な『死』の銃口をピタリと合わせ、その右手に最後の力を加えていく。
 全てが完遂し、死によって平和を築く一歩手前で、



「お願い、待ってよなのは!!」



 

 彼女の視界の外から、割って入ってくるような大声が響いてきた。そちらに目を向けると、野次馬の壁から見知った顔が飛び出してきた。金髪の長い髪に赤い瞳、一目で美人と判るその女性は時空管理局の制服を着ている。
 フェイト・T・ハラオウン。
 彼女はまっすぐこちらへ走ってくる。

「今までどこに行ってたかは知らない。今この状況が何を示しているのかも多分理解出来ない。ただ、私にもこれだけは言えるよ。……その手を下ろして。そんな事はなのはには似合わないよ!!」

 フェイトはデバイスを持っていない。特殊警棒やスタンガンといった最低限の護身具すらない。周りの野次馬たちはバカだと思っただろう。あれだけの事をやってのけた暴走能力者を相手に、ただ素手で近づいていくなど自殺行為だと。
 おそらくは、フェイト自身もその危険性を十分に理解している。
 むしろ時空管理局機動六課のフォワードとして最前線に立つ彼女は、ただその野次馬より格段に理解している。

「……私は悪魔だもん」

「それなら私が止める」

「本気で言ってるの」

「止める以外の選択肢を私は知らないから」

 倒すではなく、止めると言った。それが彼女のやり方だった。高町なのはは悪党の生き様を、自身を悪魔としてその道を選んだように、フェイト・T・ハラオウンは守るべき人に武器を向ける事を肯定しない。高町なのはは、フェイト・T・ハラオウンの瞳を正面から見据えた。その目には意思の光があった。なのはからすれば、馬鹿馬鹿しく思える行動指針。おそらくそこに、彼女は自分の命を捧げるだけの価値を見出している。

「なのは。貴女が善人か悪人なんて関係ない。貴女がどんな世界に浸ってるかも関係ない。重要なのは、そこから連れ戻す事だよ。どれだけくらい世界にいようが、どれだけ深い世界にいようが、私は絶対に貴女を諦めない。だって、そうして私も貴女に助けてもらったから」

 その瞬間、二人は同じフィールドにいた。時空管理局のエース・オブ。エースとか、なんの力も持たない大人だとか、そんなものは別の次元で、フェイト・T・ハラオウンは高町なのはの前に立ち塞がった。

「だから私は立ち塞がるよ。守るべき人のために、愛するべき平穏のために。それはなのはがいて、はやてもいて、みんなが笑って暮らしていける風景。その未来のためには、貴女が今しようとしていることは必要ない事だよね」

「……、」

 なのはは、しばらく黙ってその言葉を聞いていた。
 そして結論は出た。
 はやてみ向けていた指先を、フェイトへと突きつける。

(だから)

 フェイト・T・ハラオウンは敵だ。たとえ善人であったとしても、その行動がなのは自身の幸福だったとしても、彼女はなのはが君臨するべき悪の道を阻害してしまう。故に排除する。殺しはしない。魔力ダメージだけでのノックアウトだ。それぐらい造作もない。

(ここで)

 高町なのはには、守るべき者がいる。それはヴィヴィオであり、スターズの二人であり、機動六課の仲間であり、フェイト・T・ハラオウンだ。だからこそ、冷酷に徹する。たとえ世界の全てを、それこそ守るべき者を敵に回してでも、その守るべき者を闇から救うと決意したのだから。

(撃つ!!)

「無理だ」

 気がつけば、フェイト・T・ハラオウンが間近にいて、なのはの手を優しく包み込んでいた。

「なのはは、その程度の悪党なんかじゃないよ」

 それで勝負は決していた。魔力を撃ち放とうとしていた指先の光は、フェイトの手の中で線香花火の光のように小さく、そして徐々に消えていった。なのははこの結末について、しばらく呆然と考えていた。

 そこへ、


 ドバァ!! と。
 八神はやての『未元物質』が襲いかかり、高町なのはの思考を遮断した。
 狙われたのは、彼女ではない。
 フェイト・T・ハラオウンの目が、驚いたように見開かれていた。彼女はそれからゆっくりと、自分の目を下へ向ける。その脇腹が、正体不明の黒い翼の先端が、まるで刃物のように飛び出していた。茶色の制服が、真っ赤に染まっていた。ただでさえ染まっている部分が、さらに時間の経過と共に恐ろしいほど広がっていく。

「……、」

 フェイトは、何かを言おうとした。しかしグラリとその体がよろめいて、抵抗なくアスファルトの上に倒れてしまった。高町なのははそれを眺めていた。フェイト・T・ハラオウンが倒れた向こう側に、一人の影があった。今まで気絶していたはずの、八神はやてだった。
 彼女の背にあるのは六枚の翼。
 何が起きたかなど、改めて説明するまでもなかった。
 ズルリ、と。フェイトの脇腹に突き刺さっていた鋭い羽が、静かに抜き取られる。

「……どれだけくらい世界にいようが、どれだけ深い世界にいようが絶対に諦めない、やて……」

 八神はやてが、血まみれの顔で何かを言っていた。
 彼女がフェイトを狙ったのは、フェイトが邪魔だったからではない。はやては最初からなのはしか見ていない。フェイトの前で『悪』を中断しようとした、そのわずかなためらい。八神はやてを殺す理由そのものを取り下げようという行為。それこそが『邪魔』だったのだ。
 これでは、何のせいで負けたのかも曖昧だ。
 だからこそ、八神はやては憤る。

「できる訳あれへんやろ。そんな簡単な訳あらへんやろうが! これが私達の世界や。これが闇と絶望の広がる果てや!! さんざん上から偉そうな事を言いくさりおってからに、最後の最後ですがりつきよって。これがあんたの語る美学かい!!」

 支離滅裂な言葉。怒りと悪意が先行し、結論として論理と適合性が失われた言葉の数々が、ただ衝撃波となって高町なのはの体を叩く。

「結局あんたは私と同じや。誰も守れやしない。これからもたくさんの人が死ぬ。私みたいな人間に殺される。なぁ、そうやろなのはちゃん!! 今までかてこんな風に大勢の人間を死なせて来てるんやろうが!!」

 のろのろと、八神はやては血まみれの体を引きずって起き上がる。
 高町なのはに牙を剥くためではない。悪意というものを肌で感じる彼女には分かる。はやての悪意は、もっと別のところに向いている。
 すなわち、地面に崩れているフェイト・T・ハラオウンへ。

「やめ、て」

「聞っこえへんわ」

 ゴリリ!! という音が聞こえた。何が起きたか分からなかった。はやてはフェイトには触れていないのに、彼女の体が見ええない何かに踏みにじられる。フェイトの体がビクンと震えた。赤黒い染みが、圧迫を受けてあっという間に広がっていく。

「やめて!!」

「聞っこえへんゆうてるやろぉおおおおおッ!!」

 なのはの言葉は、はやての怒声にかき消された。

「あてられてんとちゃうでバーカ! 何を会話で解決しようとるんや悪党!! ちゃうやろうが。そんなんは私達のやり方とちゃうやろうが!!」

 さらにはやての能力が重圧を増す。
 脇腹どころか、フェイトの口からも粘液質の赤い液体が溢れてくる。

「動きを止めたかったら殺せば良え。気に食わへんもんがあるんやったら壊せば良え。悪っていうんはそういう事なんや! 救いなんて求めてるんやないで!! へらへら笑って流されようとしとるんとちゃうで!! あんたみたいなクソ野郎にそんなもんが与えられる訳あれへんやろが!! なんやねん、見せてみぃや。さんざん偉そうに語っとった、あんたの悪ってヤツをァあああああ!!」

 ――――――馬鹿だ、と吐き捨てた。
 一般人や通行人を戦闘に巻き込まないと言っておきながら、結果はこれだ。光の道を捨てたのに、闇の頂点に君臨すると決めたのに、温かい言葉に惑わされて伸ばされた手を掴もうといてしまった。自分のいる闇の世界から一瞬でも目を逸らし、もう届かない光の世界へ一瞬でも触れようとしてしまった。その行動の結果が、一刻も早く八神はやてという障害を排除するという優先事項を見失わせ、生まれなくても良かったはずの悲劇を生み出した。
 だからこそ、


 高町なのはは、今度こそ徹底した『悪』になる。
 たとえ何を失ってでも、八神はやてを粉砕するとここに誓う。


 右脳と左脳が割れた気がした。切り開かれたその隙間から、何か鋭く尖ったものが頭蓋骨の内側へ突き出してくる錯覚が確かにあった。脳に割り込んだ何かはあっという間になのはの全てを飲み込んでいく。パキィンッ、というガラスの塊が割れたような音が聞こえた。両目から涙のようなものが溢れた。それは涙ではなかった。もっと赤黒くて薄汚くて不快感をもよおす、鉄臭い液体でしかなかった。涙腺からのすらも、すでに嫌悪感しかなかった。
 一つの暴走。

「ァ」

 自身を構成する柱が砕ける音を聞いた。中心から末端までがドロドロした感情に染まった。歯を食いしばり、眼球を紅く染め、高町なのはは世界の果てまで咆哮を響かせる。

「ァァァああああああああああああああああああああああああッ!!」

 背中が弾け飛んだ。そこから桃色の輝きを放つ翼が飛び出した。噴射にも近い桃色の翼。彼女の意識すら飛ばし、自我すらも叩き潰すほどの怒りを受けて爆発的に展開される一対の翼は、あっという間に数十メートルも伸びてアスファルトを薙ぎ払い、ビルの外壁を削り取った。

「は」

 八神はやては、それを見て、知った。
 この世界に存在しないはずの素粒子、『未元物質』。それは一体なんだったのか、どこから引きずり出してきたものなのか、何を意味していたのか。

「凄いな……凄い悪や。やればできるやないか、悪党。確かにこれやったら『未元物質』は『第二候補』やよ。ただし、それが勝敗まで決定するとは限らへんけどなあ!!」

 叫びに呼応するように、八神はやての六枚の翼が爆発的に展開された。数十メートルにも達するそれらの翼は神秘的な光をたたえ、しかし同時に機械のような無機質さも秘めていた。まるで神や天使の手になじむ莫大な兵器のように。
 バォ!! と六枚の翼が触れた空気が悲鳴を上げた。
 高町なのはと八神はやてがそれぞれ抱えるのは、有機と無機。それも、こことは違う世界においての有機と無機だ。神にも等しい力の片鱗を振るう者と、神が住む天界の片鱗を振るう者。この条件ならば勝負は互角。そして八神はやては、高町なのはと違って我を忘れていない。
 今まで感じた事もないほどの力が、体の中で暴れている。
 それでいて、その隅々までも完璧に掌握しているという自覚がある。
 これで時空管理局の第一位と第二位の順位は逆転された、とはやては思った。それは無理な虚勢でや負け惜しみなどではない。感情による脚色はなかった。ただ単純な感想だった。今ならば、世界中の軍隊を相手にしても、時空管理局にいる全ての魔導士と同時に敵対しても、傷一つなく打ち勝つことができる。彼女は素直にそう思っていた。

「あはははは!! はははははははははッ!!」

 笑いに笑いながら、はやては真の覚醒を遂げた六枚の翼をなのはに叩きつける。
 もはやなのはなど眼中にない。とりあえず近くにあるもので実験をしてみたい。はやての心にはその程度の考えしかなかったが、


 ぐしゃり、と。
 直後に、八神はやての体が莫大な力を受けてアスファルトにめり込んだ。


「ご……ッ!?」

 何が起きたか分からなかった。
 なのはは桃色の翼を動かしていない。ただこちらを見て、緩やかに手を動かしただけ。それだけで絶対の位置に君臨していたはずのはやては敗北し、地面の奥の奥まで押しつぶされていた。
 ブチブチという音が聞こえる。
 何かの図鑑のような、古めかしい書物を持っていた右手が、肘の辺りから一気に千切れた音だった。

(が……ば、ァ!! な、何が、 一体何が――――――ッ!!)

 高町なのはは何らかのベクトルを拾い、その向きを変換し、一点に集中して八神はやてを攻撃している。それは分かるのだが、たとえ世界中にある全てのベクトルをかき集めてでも、これだけの現象を起こせるとは思えなかった。今の八神はやてがこの世界に負けるとは思えなかった。
 理屈がない。
 理解ができない。
 ただ圧倒的に君臨する高町なのはは、押しつぶされた八神はやての元へと、一歩一歩ゆっくり近付いてくる。その歩幅が、はやての寿命なのだと彼女は知った。距離がゼロに達した時に命が尽きる。そしてすでに、高町なのは最後の一歩を踏み込んでいた。

「は、は」

「――――――rrkr悪as」

「ちくしょう。……あんたぁ、そういう事か!!あんたの役目は――――――ッ!?」


 返事はなく、殺意の拳が振り下ろされる。
 圧倒的な虐殺が始まった。





 肉を打つ音だけがミッドチルダの待ちに響き渡っていた。そのたびにアスファルトに亀裂が走り、余震のように大地は震え、建物が不気味に揺れる。野次馬は、声も出せなかった。目を逸らすことさえも、勇気を必要とした。多くの者は何もできず、ただ圧倒的な光景を眺めるしかなかった。

「くっ……」

 そんな中で、フェイト・T・ハラオウンは目を覚ました。
 朦朧とする意識の中、彼女は咆哮を聞いた。獣よりも恐ろしく、悪魔よりもおぞましい叫び。しかし、フェイトにはそれが子供の泣き声のようにも聞こえていた。
 止めなくてはならない。
 自然と、フェイトはそう思った。

「テスタロッサ!!」

 しかし、倒れているフェイトが動く前に、誰かが彼女の腕を取った。そのまま担ぎ上げられ、急速に
事件の現場から遠ざけられる。その手際の良さは、同じ管理局員の手によるものだった。ただし、制服のフェイトとは違い、デバイスの装備とバリアジャケットで完全武装している。

「……っ、シグナム、ですか。放してください、私はまだ――――――ッ!!」

「駄目だ、テスタロッサ!!」

 フェイトは振りほどこうとするが、普段の力が出せない。そうこうしている内に、バタバタバタバタ!! という空気を叩く音が聞こえてきた。フェイトが見上げると、青空を引き裂くように緑色のヘリが頭上を舞った。機動六課発足にあたって配備された輸送用ヘリコプター。二年前から採用され始めた最新鋭の『JF704式ヘリ』だ。

「先ほど一時的に回復した衛星が、異変をキャッチしたんだ。相対性理論でも説明のつかないゆがみが、周囲100メートルにわたって広がっている。ルキノとシャーリーの話では、おそらくAIM拡散力場が異様な干渉をしているらしい」

「だから自滅覚悟で歪みの原因を攻撃する、ですか。ふざけないでください!!」

 叫んだ途端に血を吐いたが、フェイトは今度こそ、機動六課ライトニング隊のライトニング2、シグナムの腕を振りほどいた。改めて周囲を見渡してみれば、他にも完全武装の魔導士が大勢いて、駆動鎧や装甲車などの地上部隊まで展開されている。悪夢のような光景だった。かつて、自分の母親であるプレシア・テスタロッサと敵対した時の事を思い出させるような光景に、胸を氷でできたナイフを突き立てられたような痛みと冷たさが襲った。
 繰り返させるわけのはいかない。
 あの時の幼い自分は、母親と姉を救うことができなかった。そんな自分を救ってくれた一人の少女が、目の前で苦しんでいる。泣いている。きっと助けを求めている。
 フェイトは脇腹に受けた傷も気にしないで、血まみれのまま魔導士に立ち塞がる。

「杖を……武器を下ろしてください!! なのはを『説得』するのにそんなものは必要ない!!」

「しかし、ハラオウン執務官!!」

「あそこにいるのは誰だか分かっていますか。私達の仲間です。共に歩んできた大切な人です! だからその仲間に武器を向ける事を、私は認めない。そんなもの認めてたまるか!!」

 その時、なのはが天を仰いだ。
 桃色の光を放つ翼の噴射の勢いがさらに増す。

「ァァァああああああああああああああああああああああああああああああッ!!」

 ズドン!! という衝撃がその場の全員に走り抜けた。
 それは物理的なものではない。ただ単なる命の危機だ。動物としての本能が、ギリギリと心を締め付けた。油断するとそのまま地面に潰されそうなほどの重圧だった。高町なのはの怒りは、野次馬や魔導師達に向いていない。彼女はそんなものを見ていない。にも拘らず、その感情の切れ端だけで彼女は世界を支配し、ねじ伏せ、叩き潰しかけていた。
 高町なのはの狙いは、八神はやてのはずだ。
 しかし、今のなのはを見て、その一人で終わると信じられるか。標的が消えた後、行き場を失った怒りが別の場所に向けられる可能性は? その可能性、いや危険性を考慮しない者などいないだろう。彼女の事を良く知るフェイトですら、なのはの動きを予測するのは難しい。

(くそ。何か……ないのか……)

 フェイトはなのはの方へ近づこうとして、そこで血を吐いた。シグナムが慌てて羽交い絞めにし、フェイトの動きを阻害する。身動きを封じられ、それでも霞む目で親友を見て彼女は思う。

(なのはを止める方法はないの。こんな……こんなつまらない事で、なのはの未来を終わらせてしまうっていうの!!)

 さらに咆哮が放たれ、世界が黒一色に染め上げられた。翼の色は桃色で、光の粒子はまるで桜の花びらのようにゆらゆらと美しい。しかし彼女の背にある翼が与えるのは、人の領域を越えた絶望。指示がなくとも、反射的に武器を構えてしまう魔導師も見えた。しかしその引き金が引かれたら、全てが終わる。行動によって社会から拒絶された高町なのはの心は砕け、そしてもう一度取り戻せるとは限らない。
 圧倒的な力を前に、誰もが希望を失った。
 その力の暴走に巻き込まれないように、体を縮こませて震えている事しかできなかった。
 そんな彼らの前に、



 ――――――最後の希望が舞い降りる。



 それは、10歳前後の少女の形をしていた。背中まである金色に近い茶髪に、あどけなさのある顔立ち。ピンク色のスカートに何かの動物を模したキャラクターがプリントされたTシャツという服装の『希望』は、恐怖に襲われた野次馬を一生懸命押しのけて、スクランブル交差点にやってきた。

 ママを捜している、と彼女は言っていた。
 ようやく見つけたその母親を前に、彼女は臆していなかった。圧倒的な光景が広がっていても、彼女はまっすぐになのはの元へと近づいた。それを見た者は、誰もが終わったと思った。そう感じながら、手を伸ばして彼女を止める事もできなかった。それぐらいに、彼女は破滅の中心点へ接近しすぎていた。

「見つけたよ、ママ」

 ゆっくりとした口調で話しかけ、彼女は咆哮を続けるなのはの背中へ近づいていく。
 なのはがゆっくりと振り返る。
 ブォ!! と風の唸る轟音が炸裂した。
 ミッドチルダ最強の魔導師が取った行動は実に簡潔だった。その噴射のような桃色の翼が空気を引き裂く。振り向きざまに圧倒的な威力を秘める翼を使い、無造作に莫大な攻撃を放っていた。
 その場の全員が悲劇を思い描いた。
 彼女の幼い体がグシャグッシャにひしゃげて路面に散らばる光景を思い描いた。
 だが、



 ガキィィ!! という凄まじい音と共に、桃色の翼はヴィヴィオの手前で停止する。

 なのはの放った攻撃は、見えない壁に阻まれていた。彼女の顔からほんの数センチの位置で、ギリギリと震えながら、しかしそれ以上は近づかない。ただ、彼女はなのはの桃色の翼を受け止めるような能力など持っていないはずだ。そもそも、世界中を捜してもそれをできる人間がいるかもわからない。実際ヴィヴィオには『聖王モード』という魔法を使う時の姿が存在はするが、今はそれを使用はしていないままだ。
 彼女にできないというなら、世界中の誰も止められないというのなら、一体どこの誰がどうやって桃色の翼を止めたのか。
 呆然と眺めていたフェイトは、やがて一つの答えを思いついた。

「なのはだ……」

 ミッドチルダ最強の魔導師。誰にも届かないほど圧倒的な力を止められる者がいるとすれば、それは力を生み出している本人だけだ。最後の最後の土壇場で、高町なのはは翼を止めたのだ。
 ギチギチと、桃色の翼は震えている。
 怪物の嗚咽のように、震えている。
 その時、バァン!! という火薬の弾ける音が響いた。
 ギョッとしたフェイトがそちらを見ると、地上部隊の一人が発砲した所だった。
 まずい、とフェイトは思う。
 ヴィヴィオが近くにいるという状況で、なのはに向けての発砲だ。彼女の桃色の翼が裂け、複数の鋭い羽へと変貌する。矛先は周囲の魔導師。ヴィヴィオが攻撃されたと認識しているのだ。
 なのはを中心に、ゴバッ!! と一斉に攻撃が放たれる。しかし、

「ストップ、ママお願い」

 ヴィヴィオの一言。
 それを合図に、魔導師達の喉元まで迫っていた羽の先端が、ピタリと動きを止める。

「大丈夫だよ」

 手を伸ばしながら、小さな少女は、状況を理解していないのではない。なのはがどれほど危険な存在かを知りながら、それでも華奢な手を差し伸べる。

「もうこんな事しなくても大丈夫だよ、ママ」

 正しさを諭すような声。その言葉を振り払うようになのはは桃色の翼を彼女に叩きつける。
 しかし、やはり桃色の翼は彼女の一歩手前で止まる。ガキィィン!! という鈍い音だけが炸裂した。それはなのはの葛藤だった。彼女の心は、捨ててしまえと言っていた。こんな想いをするぐらいなら、悲劇を繰り返すぐらいなら、もう全部捨ててしまえと。だが、どうしても捨てられない。指先を少し動かせば殺せるくせに、彼女の小さな体を吹き飛ばすことなど造作もないくせに、何をどうやってもなのはにはこの希望を捨てられない。

「あァああああああッ!! がァァああああああああああああッ!!」

 咆哮が炸裂した。
 ひたすらに桃色の翼を振るう音だけが連続した。
 しかし、そこにはもう圧倒的な重圧は感じられなかった。小さな子供が駄々をこねているようなものだった。彼女はそれを眺めていた。次々に振りかざされる攻撃に対し、目を瞑る事すらしなかった。信頼があったから。だから彼女は驚かなかった。
 一際大きく翼が振り回され、渾身の一撃が彼女へ振り下ろされる。
 それが彼女の顔の手前でピタリと止まった時、なのはの動きも止まった。
 俯く彼女の表情は、誰にも見えない。
 その背中にある一対の翼が、音もなく空気に溶けるように消えていた。それと同時に、高町なのはの体から全ての力が抜けた。彼女は両手を広げて母親を迎え入れた。ぐらりと揺れた彼女は、ゆっくりとヴィヴィオに向かって倒れかかる。
 なのはの体重に押しつぶされそうになりながら、それでも彼女は抱き留めた。
 彼女はなのはの耳元に口を寄せて、小さな声でこう言った。


「お帰りなさい、ママ……」




END

黒い翼と白い悪魔

読んでいただきありがとうございます。
前半は原作そのままの流れで、話が進むにつれてリリカルなのはの要素を入れてみました。
二次創作にしても、ほとんど変化なしといったような仕上がりにはなりましたので、次回作はまったく別のところからアプローチをしてみようかなんて思いつつも、またまた似たようなネタを書きたいなと思っています。

はやてファンの方、どうもスイマセン。


では、これからも末永くお付き合いくださいませ。
失礼いたします。





2012年7月6日  緋奈多スバル

黒い翼と白い悪魔

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • アクション
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-07-05

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. Black Wing
  2. The White Devil