玃の眼 第三部

玃の眼 第三部

二部を投稿してから半年が経ってしまった、けん太郎坊です。半年間色々ありまして、、就活やなにやらに追われておりました。
この期間専ら読み漁っていたのが筒井康隆の短編でした。
就活が終わりましたので三部を投稿致します。
よろしくお願いいたします。

1/19追記 ・玃を攫と書いていたので訂正しまし
た。
・仮の文章が紛れ込んでいたので削除・加筆致しました。

玃の眼 「すねこすり」

 深い森の中を男は朗々と闊歩している。
 森は鬱蒼としている。こんな処を闊歩するのは自殺志願者か怪異の類のみである。
 しかし男は単なる自殺志願者でもなければ怪異でもない。
 僅かだか確かに男の眼には闘志が灯っている。
 男は上を見上げる――が枝と葉に拠って日光の侵入は僅かしか無い。
 何故森に這入ったのか――男は余り動いていない脳髄を持て余し(なが)ら考える。
 事の発端は私に仕事の依頼が来たことだ。一週間前程だったと記憶している。
 簡易書留で届いたので配達夫に金をせびられるとビク〳〵していた私だが依頼主が払っていたらしく大人しく帰っていった。私は裕福では無いのである。
 配達夫がしっかり帰った事を確認した後、私は封筒の封を開けた。
 かなり知的な文章で調べて欲しい事柄があると云うことが書いてあった。
 しかし何より驚いたのは、成功報酬である。
「――――成功した暁には佐々木様には莫大な富と後世に残るような出来事がある、と云う事をお約束致します」と書かれていた。
 私は最初悪戯かと勘ぐった。
 どこか私の事を知っている人が巫山戯て送ってきたのだ――と思った。
 私の生業は民俗学の研究である。研究と云っても主に御伽噺や民謡、伝承などを蒐集し、編纂して世間に広めることである。
 まあ中々どうして売れるものではないので裕福では無いが。
 しかしこの世は未だに民俗学は世間に受け入れられていない。 
 最近は科学信仰が人々に取り付いている。
 人は科学で証明できなければオカルトとして遠ざけてしまう。
 そんな心の靄を払拭するべく私はこんな活動をしているわけだが……
 ――中々どうして難しい。
 まあ、こんな仕事をしているお陰か、友人は多い方だと思う。
 それは主に民俗学研究の仲間である。
 こんな妖しい友人達もどうかと思うが。
          
                ✽

 私が暗く湿った森を歩いている間にこの依頼を受けた理由を話そうと思う。先程は金銭的なモノかと思った人も多いであろう。しかし、それは違うのである。
 本当の理由は依頼に書かれている事が達成出来ればこの出来事を東北の伝承として残すことが出来る。點すればきっと人々はこの話に興味を持ってくれると思う。そうすれば自ずと私の事のみ成らず民俗学の発展に多大なる貢献出来ると思う。
 云うなればこの依頼の達成は―――科学への反対運動である。
 このご時世に反対運動とは物騒かと思われるだろうがそうではない。
 そうだなあ――柔らかく云うと科学に取り憑かれた人の救済であろう。
 そんな代逸れたことを――と思うかも知れない。しかし本当に真剣に考えている訳だから嘘と云わても仕方がない。
 
                ✽ 
         
 こんな事を考えている間に少し拓けた場所に着いた。先程の陰鬱な森とは考えられない程清らかな場所だ。
 信じられない程空気が良い。
 後ろを向く。
 ――やはり背後は陰鬱だ。
 自然と前に脚が動いてしまう。
 ――ああ、ここは極楽浄土なのか。などと現を抜かしないがら無意識より歩を進める。
 なんだか急に悪寒が走った。
 ――背後がとても気に成る。
 心の中で般若心経を唱え乍ら歩く。

 ――家だ。
 ――小さな小屋が有る。

 おそらく極楽浄土の住人の家だと考えてしまう。こんな平屋の古民家で在るのに……。だがこんな風に考えられる私はきっと民俗学者の端くれとして柳田国男から及第点を頂けるであろう。
 そんな阿呆な考え事をし乍ら家の扉の前で脚が止まった

 私の頭の中に声が響く。
 ――此処を開けたら梅壱満年。
 ――此処を開かずば竹弐銭年。
 ――富財望む者ならば此処に入りて捜し給え。
 ――両の――が――捜して――し給え。
 
 まるで頭に唄が流れてくるようだ。聞いた事のない唄だが処々途切れしまって聞き取れない。声は童のようだが何故か畏怖の念が溢れて仕方がない。背筋が引き締まって痙攣している。緊張か。

 ――這入ってみるか、否辞めておくべきなのか。
 私は煩悶している。家の中に興味が無いと云うと嘘に成ってしまう。だがもしも本当に浄土への入り口であったなら――出ては来れ無いのであろうな。
 確率は無情である。二択の場合どちらかが正解と云う事もない。しかし私はどうしても財の方に気が云ってしまう。

 ―――這入るか。
 這入ろう。そう決めた。最早脊髄で考えている。
 何か不味いことに成っても直ぐ家から出ればいいのだ。
 後ろにはまだ何か居るような気がするが好奇心、探究心の方が勝った。

――背後でなにかに笑われた。

          ✽

 斯様にして家内に這入ったわけであるが、なんとも呆気ない気持ちになってしまった。
 ――只の古民家ではないか。
 私が期待していたのは富と財宝が屡々と聳えているような――
 そんな事を想像していた私は何とも言い表せない気持ちになって来る。
 斃死(へいし)をも覚悟した私の無頼を返して欲しい、寿命が無くなって本当に斃死してしまう。
 ――本当にただの「平屋」である。
 富の匂いはしない。富の匂いがしなければ財の匂いも勿論しない。
 ウウ――急に緊張が切れて床に倒れこんでしまった。そして沸々と依頼主に怒りと呆れが沸いて沸騰しそうである。
こうなればもう恐れる事はない。
ここまで来たのだ。とことん探し出してやろう。

それから私は家のに中を隈なく探した。探した時に何を考えていたかは余り覚えてない。
探したはいいが財宝どころか一銭もない。

ーーーやはり嘘っぱちだったのだ。
僕は先程覚えた怒りよりもより強い感情を抱いた。

ーーー帰ろう。もう暗くなってしまう。

そんな事とぼんやりと考えていると不意にーー

ーーーもし、聞こえておりますか……

私は全身の毛穴と云う毛穴が逆立った

           *
 
 何故、女性と云うものはこう恐ろしい生き物なんだろうか――と僕、増田 は常々考えている。
 最近は男尊女卑などと云戦前より古くから流れていた思想も戦後にはもう流れていない。僕はそんな思想は端から持ち合わせていないので余り関係の無い話だ。しかし、戦後に這入ってから僕に一つの問題が降り注いできた。
それは僕の職場である警視庁於いては僕の職場である綾瀬区警察署に女性が入隊してきた事だ。
 僕は女性が苦手である。だからと云ってに男性に惹起されている訳ではない。単純に接し方が解ら無いのだ。常々なにを考えているのか解ったモノではないし、少しでも間違った発言、行動をしてしまうと途端に機嫌が悪くなってしまう。僕には結局どの発言や行動に拠って女性に嫌な思いをさせてしまったかが理解し難いのでこの問題は迚も深刻なのだ。それも仕事になってしまえば割り切れると考えていた。しかし僕は間違っていた。
 僕は警察署の警察官と云っても主に精神が関わるような事件を主に扱っている。精神に異常を抱えているような猟奇犯罪などである。
 これには理由がある。僕がたま〳〵心理学の大学に通っていたからである。その大学に通っていたのにも理由がある。当時高校生から憧れていた女性がその大学に通うと小耳に挟んだからである。しかし結果として彼女は其の大学を蹴ってしまったのだ、しかし僕は彼女が必ず通うと信じていたので直ぐ学校側に返事をしてしまった。実に滑稽である。そしてなにより心理学は毛ほども興味ないと云うオチが待っていた。
 当時は戦前であったので全くと云って良い程心理や猟奇の学が発達してはいなかったのだ。大学で覚えた事と言えば相手の目線や仕草で何を考えて居るのか――裏返したカードを使った心理的観測、後は偉人が残した用語などを覚えただけだった。後は自分で勉強した。何も教えてくれなかった、理由は分かっている。大学弐年生の時に第二次世界大戦があったのだ。世間がドタバタしていた。勉強どころではない風潮だったのだ。理系であれば毒を使った兵器、戦闘機などの開発や技術で活躍が出来れば戦地に赴かず国内で復員と云う構図だった。心理学は文系か理系か――国の判断は文系だった。なので戦地へと派遣された。僕は運が迚も良かったのだろう、周りの同官や上官が敵の凶弾や流行り病などで次々と亡くなって逝く中で僕は大した怪我もせずに日本に帰還した。
 それから大学にまた通えたのは戦争が終わってから弐年掛かった。世間は復興で精一杯であった。僕の初就職先は小さな精神科病院だった。然し医師免許の類は所持などしてはいなかったので診察の先生の隣で患者の状態を分析すると云うモノだった。楽しかったしやりがいもあった。しかし刺激が殆どと云っていい程無かった。僕の心の中にひっそりと戦争の時の残弱的な刺激が渦巻いていた。どんなに取り繕ってもこの小さな気持ちは消えなかった。自分を精神分析しようとしても出来はしなかった。僕はフロイトでは無い。煩悶しているのち勤めていた病院で事件が起きた。患者が原因不明のうちに死んでしまったのだ。理由は諒解らなかった。そして警察が検分にやってきた。僕は研修医と云う事で事情聴取された。僕の担当だったのが今の上司に当たる藤原さんである。彼は刑事であり乍ら精神分析官上がりの刑事だったのだ。身分を明かされた時、僕の心は揺れた。事情聴取がいつの間にか警察の面接になっていた。何度も云うが僕は刺激を求めていたのだ。そして半年後本当に警察署に入署した。直ぐに藤原刑事の元で勉強する事になった。そして今に至るのだ。主に現場へ捜査官と共に赴いて捜査、猟奇的な事件の調査、猟奇犯罪の加害者への事業聴取、基分析である。
 しかし、僕は犯してはいけない実務をしてしまった。猟奇犯罪をしたと疑われているホシへの精神分析をして「事情聴取の結果、佯狂の可能性ナシ」と云う報告書を提出してしまった。佯狂と云うのは故意的に精神異常者と偽る事だ。しかし実際は正常だった。警視庁精神病院から彼を通常の刑務所に引き渡す時に「その事件」は起こってしまった。そう、その事件と云うのが警察官が沮洳場に吊るされて酷い殺されてしまったのだ。
 完全に僕のミスだった。彼は佯狂だったのだ。それから僕はかなり落ち込んでしまった同僚が自分のせいで死んでしまった。何も手につかなかった。「それ」を紛らわせるのは仕事だけだ。私は藤原さんにこの事件を僕に預けてもらえるように話に行った。藤原さんにはお見通しだったようだ。二つ返事で快諾してもらった。その時僕はやる気に満ちていた。
 
 僕は今後悔している。何故僕一人で調査すると調子に乗って(うそぶ)いてしまったのだろう――

                ✽
 
 話を場所も変わって僕は今岩手県向かうところだ。理由は以下の通りである。
 夏の暑さで警察署全体が釜茹でのように成っている時に一本の電話が架かってきた。
 女性だった。
 僕は暑さにやられていので呂律が全くと云っていいほど回っていなかったと思う。しかしその女性が云っている内容を聞いた途端暑さが一切なくなった。
 それは僕が追っているホシ「蘇我朔夜」の情報提供だった。
 内容は蘇我朔夜は幼いころ岩手・遠野に疎開していた、と云うモノだった。情報と云っても可也昔の内容ではあったのだが少しでも情報が欲しい僕としては些か大きすぎるモノだった。話を聴き終わり今度は自分が質問する番だ、などと考えていたら向こうから切られてしまった。慌てて再リダイヤルで架けても「この電話番号は現在使われておりません」と云う機械口調の女性の声。そこでふと気付く。 
 なぜ僕の事を知っているのか、なぜ昔の情報のみを伝えたのか。恐らく釣られているのだろう、蘇我に。だがそのときは何故か妙な安心感があったのだ。そうだ遠野に行こう、そう僕は思っていた。
 
               ✽

 はあ――と私、菊池凛はしっとりと溜息を憑くのでございます。なぜ――と聞かれる場合敢えて応えるのならば私は家を出て何か行動を起こすと云う事が嫌いだからでございます。
 理由は単純明白で疲れるからでございます。良く探偵は現地に赴き何か重大な手がかりを見つける――と云う推理小説で見かけますような想像が容易だとは重々理解しているつもりでございますが、それでも私は嫌いなのであります。私は極度の運動オンチなので少し歩いただけでもすぐ足が棒に成ってしまうのであります故、私の理想は椅子に座ったまま事件を解決したいのでございます。
「本当に素質ある探偵であれば現地に赴く前に大抵犯人像が定まっている」
この科白(せりふ)は菊池探偵事務所創設者である私のお父様、菊池次郎のモノでございます。
 私はこの科白に賛同すると共に不信感もあるのでございます。賛同する部分は勿論、現地に赴く前に――と云う部分でございます。
 不信感と云うのは矢張り人間の能力ではその現場の状況が知れないと全うな判断は出来ないであろうという矛盾に対する不信感であります。纏めますと探偵は行動家、私は怠慢家と云う事でありますでしょうか。
 話は変わりますが私は今(列車名)に乗り岩手県、細かに遠野と云う民族属に関係のある職に就いているのならば避けては通れない民俗学の聖地と云っても過言でない地域に赴いている最中でございます。
 私は未だに遠野に赴いたことはないのでございます。良くもまあ民俗学の文士と云う肩書が今日まで廃れずにくっついているなあ――と思われて仕様が無い事案だと思われますでしょう。
 ――行ってみたいとは思うのでございますが正直な処を申しますと文献で事足りると考えてしまうのです。これまで柳田国男さんを始め名高い民族研究者達が自分の眼で見、耳で聞いた伝承を紙と筆を持ち出版して参りました。
こんな優秀な彼らがもうすでに確立してしまった遠野民族学にわざ〳〵私が赤っ恥を身分に塗る事はないでしょう。
          
               ※

 しかし私は行きたくなくとも行かなければならない理由が出来てしまったのでございます。
 事の発端は嘯き狐――もとい佐々木照珊瑚と云う遠野在住の男性でございます。彼は狐に取り憑かれておりました故、彼に罪はないのではありますが彼に憑いていた狐が喧嘩を売ってきたのでございます。買わない訳には征きませぬ。行動したくない私と殴り込みに行きたい私。
 ――まるでお父様の科白のようだと心の中で嘲笑する私。
 なんて罪な女のでしょうか。いや〳〵菊池家と云うモノが代々「このようなイキモノ」なんでありましょう。私が悪いのではないのでございます。
 まあ〳〵私の心の中の駄々漏れの感情は一旦置いておいてお話を戻すと致しましょう。
 兎も角今私は遠野に向かっております。殴り込みです。
 ――ああ、先程から何度も「殴り込み」と体操物騒な事を申しておりますが、実際には違うと云う事を認識して頂きたいのでございます。殴り込みと云っても表向きには佐々木さんからの依頼である「失くなってしまった古文書を捜して欲しい」と云うモノなのでございます。なんと探偵然として居るのでしょう。
 ――私は探しものが嫌いなのでございますが。
 まあ〳〵この理由は表向きなのでございます。 
 さて〳〵そろ〳〵裏側の理由を話そうかと思うのでございます。
 それは憑物筋同士の化かし合いでございます。
 そもそも憑き物筋と云うのは代々先祖にまで遡る話なのでございますが――簡単に云うと家に着いた憑物を使役する者、云う事であります。佐々木さんに憑いた狐は明らかに佐々木さんに「取り憑いて」おりました故、佐々木さんが憑物筋と云う事には成らないのでございます。 
 しかし、そう云う結を述べてしますと一つのおかしな事実も浮かび上がってくるのでございます。それは誰が佐々木さんに狐を憑けたか、と云う事でございます。その喧嘩を吹っ掛けてきた不届き者を先祖諸共鏖――いや〳〵、私としたことが随分と乱暴な言葉遣いに成ってしまったのでございます。
 冷静にならなくては――と車窓の窓から視える尾瀬の小道に怒りの感情をポイ捨てし乍ら駅弁の鮭に舌鼓を打つ私、菊池凛でございます。
         
             ※

 確かに僕は岩手県には着いた。着いたのは一日前である。駅の近くの宿屋に一泊したのだ。白米が消しゴムのように硬かった以外は快適だった。宿代をケチらなければ良かった。僕は朝早くに起きてしまった。腹がなか〳〵痛む。
 うぬ……と僕は感嘆の気が漏れ出している。
 提供者が指定してきた家があるらしき山着いた。しかし情報提供者が住んでいると云う山、物見山と云うらしいのだがこの山――大きい。
 こんな山の山中に人間が住んでいるのだろうか。こんなに大きな山ならばどこかに開拓された小径があるはずだ、
 しかしそんな径がはどこにもない。もう意を決してこの獣道を通って奥に進むしかないようだ。
 一応僕も警察官の端くれとして山にて死体をせっせと掘った事もあるのだ。しかしあの時は同期や上司もわんさかいたのだ、今は一人である。
 ――怖いのだ。死体は人間の成れの果てであると云う自分なりの解釈があるので気にはならない。だが森と云う場所は何が棲んでいるか解ったものではない。職状柄得体のしれない存在は逮捕出来ないので恐怖しかない。――まあ分析はいくらでも出来るが。
 ――まあ取り敢えず進むか。行けば蘇我の手がかりが掴めるかも知れない。
 森の中は本当に鬱蒼として居る。妖怪がひょいと出てきてもおかしくない空気を醸し出している。
 弐時間程歩いただろうか、一面位緑で囲まれている。始めの方の浴びていて気持ちのいい溢れ日は濃ゆい緑に遮られている。そして何より後ろを振り向いても帰り道が分からない。入ってきた道が見当たらない。あるのは自然と生物が共存出来ないであろう空気の空間に来てしまった。世間で云う処の―――迷子である。まだ焦りはない。理由は山に這入ったのが朝早かったからである。感覚では二時間程度経過しているにしろ最悪でも正午を超えたであろうか、と云う程度なのだ。しかし、沸々と不安が溢れている。迷っている以上は日が沈む前に目的の家につかなければ成らない。 
 その先僕がどうなるのか簡易に想像が憑く。

 不意に――

 ――アハァ……

 ――笑い声が聞こえた。闇に木霊している。
 ついに僕は幻聴が聞こえるようになったのか。
 そう思った。異常だ。
 しかし現実は更に異常だった。
 僕の脚が固まってしまって何分経った頃だろうか。
 ――ァハハ……
 段々と笑い声が近づいてくる。
 ――ァハ……ァハア……
 ザワ〳〵、ザザ…
 ――足音が草や落木を踏み乍ら僕の周りを駆け囘る。
 物凄い笑い声を上げ乍ら女が走ってきた。
 風貌はまだ若い女性だった。きっと僕より若い。短く切り揃えた前髪が禿のようになっている。

 ――問題は眼と口だ。
 走ってきた女の眼は完全の見開いて焦点が合っていない。口にしても此れでもかと云う具合に開いている。

 ――妖怪の類だと素直に感じた。
 きっと柳田国男ならば狂喜乱舞しながら喜んで特徴をネタ帳に書き込むのだろう。私は多少なりとも度胸がある方だからおどかないと思っていた。それは軽率だった。
 この場合正しい反応は矢張り叫ぶ事だろ垢。

 ―――アァ……
 人間本当に恐れを成すと喉にポッカリ穴が空いたように声が出ない云う世間で云われている通説は本当だったようだ。
 
 しかし恐怖の時間はそう長くは続かなかった。
 
 ――フっと世間に戻された。
 急に眼の前にいた女がいなくなっていた。
 いつまで僕は立ちすくんでいたのでろう。
 汗が凄い。女らしいモノはどこにいったのか今の僕には理解らない。
 今僕が分かっている事は――

 ――森の中で出会った女のような怪異は鉄錆の匂いがした。
  
               ※

 私はどうやら寝ていたようなのでございます。電車はどうにも寝てしまうのであります故、幾ら私がこの物語の主人公だからと何だと責められてしまわれても謝る事しか出来ないのでございます。
 あゝ、寝起きの微睡みに身を委ねて居ると、目的地近郊の駅に着いたようでございます。
 うむ〳〵なか〳〵い素晴らしい土地だと思います。空気が良い。しかし一つの迚も大きな問題があります。こんなに田舎だったとは―――宿は取らずここまで来てしまったのでございます。理由と致しましてはここまで遠いとは考えてはいなかったのでございます。
 まあまあ良く私の父上も「探偵たるものどこでも寝られるモノだ」 ――と良く言っておりました。まあしかし私は今日妙齢の女性と云う奴のでございます。道端で鼻提灯を焚きながら睡眠する事は出来はしないのでございます。
 取り敢えず現地の人にこの近くに羽を休める処があるのか、あそこの大きな石に座っているエルドン・ローゼンにようなおじさんに聞いてみるのでございます。
「すみません、現地の方ですか?」         
「――えど、なんど云っだがね」
 ――矢張り東北の方言訛りは聞き取り辛い――と感じながら本題を聞いてみるのでございます。        
「そこのお父さん、お一つお聞きしたいことがございます。この辺りにお宿はございますか?」
「ああ、それですだらあっちゃ弐里ぐらいあんべ処に緑夢荘とかへる古宿がではるでえ」
 ――ああなんとも言葉に癖がございますが私は民俗学者の卵としてしっかり遠野言葉を阿部順吉さんの著書で勉強しております故、大体の内容は掴めたのでございますが――実際に自分の耳で聞くと曖昧に成るのでございます。そして何よりお父さんが仰っていた古宿「緑夢荘」でございますが此処は今話題である座敷わらしが出ると云われているお宿なのでございます――えへへ、一度行ってみたい常々考えていたのであります。ああ、涎が出て参りました申し訳ない。
 「ああ、お父さんありがとうざいます。いやあ私は常々緑夢荘に行ってみたいと考えていたのでございます。何を隠そう私は迚も妖怪怪異の類が好物でして――」
「はあお嬢さんお若いのに随分好事家のようだすなあ、んだけど一つあつことあっでえなあ、あっこ路さもんこが出るべな気つきな」
「はい、お気遣いありがとうございますお父さんもお元気で」
 そう云って私はお父さんと別れたのでございます。只今の時間はまだ余裕がありますが弐里とも成ると少し不安になってくるのでございます。何故なら此処遠野の小径は全くと云っていい程外灯が存在しないのでございます。知らない土地を真っ暗闇の逢魔が時に彷徨くのは幾ら妖怪怪異が好物と云っても嫌であります。もし緑に囲まれた暗闇で何処からともなくヒョーヒョーと聞こえてくると考えると―――夜も眠れません。
  
                 ✽
 
 かれこれ一時間程歩いたでしょうか。大分獣道に這入ってしまったようですが地図を視る限りはこの道順であって居るはずなので大丈夫なはずでございます。それにしても何とも妖しい場所だと感じてしまうのでございます。今直ぐにでも道端の草むらから赤舌や鉄鼠がのっそり出てきたり白坊主に「狐の罠を私に下さいますか」などと声を掛けられてもおかしくないような雰囲気でございます。まあまあそんな迷い事は止して早くお宿に向かうとするのでございます。
 ―――ザザっ
 あら、今そこの草むらで何やらモノが動く音がしたような――――
 ―――ザザっ!さささ――ー
 きゃっ!
 ああびっくりしすぎてか弱い女の子代表のような悲鳴を上げてしまいました。今何か丸っこいクロンボが草むらから出来きたのでございます。一体なんでございましょうか―――

辺りはかなり暗いので良く眼を凝らしても把握できないほどソレは俊敏且つ軽快に走り回っております。
やあやあ段々と眼が暗闇に慣れてまいりました。こう慣れば私のもの・・・さあさあ此奴の正体を見極めてやるのでございます。

 ――ああ、あれはすねこすりでござましょうか!四足歩行で毛むくじゃら、犬のような風体で行動する事と云ったら人間の脛廻りを這い回るだけの人畜無害の妖怪でございます。
 そんなことを考えて居る間にすねこすりは道沿いの獣道に戻ってしまったのであります。急いで追いかけるのでございます。すねこすりを探すに当たり私の相棒を使役する時が来たようなのでございます。何を隠そう私の家系は狐の憑物筋なのでございます。
初代は鎌倉だか江戸だがだったでしょうか・・記憶が曖昧であると同時に私にとっては今早急に必要な情報ではないのでここで思考は辞めるのでございます。
 私の使役する狸の最も判りやすい文章があるので紹介致しましょう。
   
   狸は飄逸にしてしかも知謀周密でなかったためにかかる類の妖怪を現ずるのだと云うように         
   聞いていたと記憶する。                
                              出展 柳田国男『妖怪談義』
  
 この一文は柳田国男の妖怪談義を体現したような憑き狸が私の使役する狸小僧である「たぬこ」であります。名前を付けたのは私のはるか昔の先祖なので言及しないで頂きたいのでございます。「こ」と云ってオスだと思えるくらいの暴言吐きではございますが。話を戻しまして――彼奴の力は至って判りやすいもので変化と未来予知でございます。字面だけ視るとすんばらしい能力なのでありますが実際そんな事は全くないのでございます。
 兎に角働かないのであります。
 そも〳〵先祖と化け狸との出会いが阿呆そのものでございました。
 この化け狸、元々狸囃子の一員として夜な夜な自身の棲家近郊の民家に出向き狸鼓を囃子立て猛威を奮っておりました。そんな中の先祖である民家にも狸囃子一行が参り狸鼓を囃子たり植えてある木を抜いてしまうなどの悪戯をしていたようでございます。そしてドンチャラ〳〵と囃している一疋の化け狸、間違えて自分の性器を叩いてしまい失神し仲間にも見捨てられている所を私の先祖が介抱したのでございます。何とも慈悲深い行いであります。そうして拾われた化け狸は住み込みで奉仕し始めたとの事、ここでお話が終わればただの笑い話で終わったのですが終わりません。この化け狸全く家事手伝いが出来なかったのでございます。聞けばこの狸は生まれてからずっと鼓を叩いていた人生だとの事、憑き狸ではないのであまり力を持ってない事であったそうでございます。先祖は悩みました。折角拾ったのに何も役に立たないのは惜しいと。なのでご近所の陰陽師の人間に一週間預けてみる事にしたのでございます。それが功を奏しすぎたのでありました。
 完璧な憑物狸に昇華して帰ってきたのでございます。変化はもちろん何と若干の未来予知の類が使えたらしいのです。斯くして先祖は繁栄に預かったそうな――
 
 ――で終われば昔話として伝承されたかもしれませんがそうも如何ないのでございます。
 付け焼き刃の狸力では一代の繁栄が限界だったようなのでございます。私の父上に世代が交代する時にちょうど無くなったらしいのであります。父上もたぬこを何とかトレーニングして微妙な変化と微妙な予知が出来るようには力は戻りましたが使役する時の燃費が半端なく悪いのっでございます。まあ〳〵燃費と云っても体力の話であります故眠くなる位の問題なのでありますが。
 全く話は変わってしまうのでありますが私は余りたぬこを使役したくはありません。先程申した通り燃費が悪いのは第一の理由でありますがもう一つがこの阿呆狸は全く働く気が無い風太郎であると云う事実でございます。長年生きていると堕落してしまうモノなのでありましょうか。
 もし使役するとなると召喚する訳でありますがもし出しても働かなければ私の代償が目立ってしまいます。まあ〳〵気まぐれなのでございますよ、この狸は。
 まあ〳〵この辺でたぬこの紹介を終わっていこうとおもっております。何とかかんとかと祖父に教えて貰った咒文を唱えると杢杢と煙と共に腹を出しながらぐうすか寝ている狸が出て参りました。
 「ねえもし、たぬこさんよ起きて下さいな」
と私は何とも谷崎潤一郎の氏通作である『痴人の愛』と登場人物ナオコちゃんのような口調になりながら狸に話掛けているのでございます。
 ――――ぐう、ぐうーーーー
 ――はあ〳〵まあ知っていたことでございます。基本寝ているので起きている方が珍しいのであります。そんな時には私の足の匂いでも嗅がせておけば良いのでございます。スゥ――

 ―――わあ!?
 くく、いい気味ね。あ
 あらお目覚めかしらたぬこ。起きたばかりで悪いけれど一つよろしくね。
私は早口でたぬこに伝えたのであります。なぜなら反論されるのが目に見えていからでございます。弁論する余地を与えない―――少し探偵らしいと思いのであります。
「話もよく見えないがーーおい小娘、よくも昼寝の邪魔をしてくれたなア。主がいない今お前を始末して自由の身になれることを思い知らせてもいいんだぞ」
「寝起きそう〳〵騒がしいわね。第一今の主は私なのだから――私が死んだら貴方も消滅するよわよ」
「――あゝ、忘れせたぜ。こうも判断力が鈍るたあ歳を取るのは怖いなア――」
―――この科白はいつも云う常套句のようなものだ、無視が鉄則である。
「まあまあいつもの流れを披露訳しているにはいかないのよ」
「何だってんだ人様の眠りを邪魔しておいてヨ―――はあ――んでその訳ってなんだヨ」
「妖怪よ、妖怪。すねこすりが出たわ。貴方は知らないだろうから説明してあげるわ。一言で云ったら人畜無害な野郎ね。人間の脛に自分自身の身体を擦り付けてくるだけなの―――ええ今回は安心して貰って構わないわよ、ええ、ええこの前の事は反省してるわよ――こらしつこいわね、あの時謝ったじゃない。ええ頼豪でも清姫でもないわ。さあ捜して頂戴。」
「っけ――まあ清姫じゃないだけマシなのかもねえ――仕方ない、これも先祖の恩返しだと思って我慢するわ」
「あら、珍しく従順じゃない。まあ私として嬉しいけれど。んじゃあ早速宜しくね」
 はいよ――とたぬこが返事をしたのを確認してから私は眼を閉じた。たぬこを私の身体に憑依させるためだ。手順は殆ど降霊と変わらない。下ろすのが霊か妖怪かの違い。瑣末な事柄でございます。
 ―――さあすねこすりを捜しに行くのでございます。

               ✽

 ―――完全にやらかしてしまったのでございます。憑依状態の私を視られてしまったのであります。視られてはいけないと云うタブーがある訳ではないのですが――なにせ憑依状態の私は――殆ど獣同然の身なりになるのでございます。猫背、歯はむき出し、涎も垂れ流し。全てたぬこの生態そのものでございます。妙齢の女性が殿方に見せていいモノではございます。
 まさかこんな山奥の獣に私と同年代とも取れる殿方が彷徨いているなんて―――一生の不覚でございます。こうなったら切腹でも致して潔くこの世から消えてしまおうか――いやいっそあの殿方を抹殺すれば万事解決なのでは――などと考えていると―――

 ――ああ!すねこすりでございます。此
 処であったが百年目――
私は先ほどの殿方の事など一切合切忘れ垂涎の心ですねこすりに近づくのでございます。
ぜひとも研究対象兼飼いモノにしてやろうと思う所存でございます。

 ――はてはてすねこすりに気を取られていましたが、どうやら昔ながらの古民家が私の目前に建っております―――

 ―――!!!!まさか―――迷ひ家――?

               ✽
  
 鉄錆風の妖怪?に出会って一時間が経とうとしていた。
 幽かな意識の中、僕の脳に混濁する記憶あり。内容――僕よりも二回り程歳を喰ったじいさんが山を登っている。その眼、幽かだが強い目的を抱いた瞳であった。はてそのじいさん、ある古民家にて立ち止まりければ何やらぶつくさと喋っている様相、何を云っているかまでは聞き取れない。
 ふと又何やら決意に溢れた瞳を懐きければぽつ〳〵と歩きだす。
 こんな意識がずっと僕の頭の中で流れて戻って流れて戻って―――
 
 ふと、足が止まる。疲れからなのかそれとも僕の意識の中の記憶が止めたのか――
 ――図らずともそれは脳髄で流れていた古民家と瓜二つであった。

 !
 何だこの寒気は――――
 ――あれは!
 先程の――鉄錆風の妖怪?!

               ✽

 家の前で立ち尽くす。迷ひ家は諸説ありますが、確定事項としてはやはり見つけたモノには一生涯あっても使い切れない富・財宝が手に入る――と云う事でございましょうか。
 
 しかしなんでしょうかこの重圧。平屋の古民家とは思えない位の威圧感があるのは確かでござますね―――

 ―――ざざ――ざあ。 足音  ぽつ〳〵――。

 ――!
 急に寒気がして参りました――

 暗闇から姿を表したのは――

 ――先程私が憑依状態を披露した殿方でありました。 

                          ―――第三部 上 了―――
                               片桐 けんたろう

玃の眼 第三部

今回は過去と現代を上手く混ぜようと意識ながら文章を書いてみました。

玃の眼 第三部

蘇我の生い立ちを知るために藤原は岩手へ向かう。 菊池は狐に誘われ岩手へ向かう。 別々の物語はようやく交わる。何の因果か諒解らないが妖しく混じり合って行く。昭和の時代を舞台にした怪異ミステリーが幕を開ける。 なんと立派な屋敷だろうかーー藤原は嘆願する。

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • ミステリー
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-10-17

Copyrighted
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