平和

生きるわたしたちの世界は邪悪に満ちて溢れかえる有様です。そんな世界とわたし、わたしと平和について幼い頃からの出来事を描いています。

物心付いたときには暑い夏の夜の出来事。

平和

物心付いたときは暑い真夏の夜の出来事。まだ背のたけも小さな子供は盆踊りのすみの方で何やら得体の知らない圧力を感じた。楽しく踊るおばさん達を見て心が胸いっぱいに弾んでいた。
ある町のお盆祭りでステージに小さな子供は登った。そこには上級生等、年が上な子供たちもいた。
司会者はスイカをその子供たちに分けこんなことを言った
『スイカを皮まで食べろ』
私は馬鹿正直な人間で今もそうであるがその辺は小さい頃も同じだった。
観客がいる中、私はスイカの皮を本当にかじったのだった。司会者は驚き冗談だと言い、観客も驚いていた。

写真に大きなバケツで遊んでいる自分の写真がある。とにかく農家から嫁いだ祖母と同じように土をいじるのが好きだった。
祖父母の家は庭が広く畑などもしていた。田舎者の私は風船かを見付けたり飛び交う虫達と戯れていた。
祖父母や両親、親戚から愛情を沢山もらい胸が喉元から上がってくるような幸せを感じた。

保育所が嫌だと母に言うと、母はこの子はどうしたものだろかと、他の保育所に私は移った。
保育園を卒業し小学校に入学した。習い事は3年生の時に1年スイミングに通った。こうもあって、4年生の時に学校のプールで先生が生徒の順番で何メートル泳いでいいから泳ぎなさい。ということがあった。
私は出席番号が早いものでみんなの時間を気にするこも出来ないまま25メートルもあるプールを650メートルクロールで泳いだ。息をつぐとき片方を見ると先生が”いけいけ”と応援してくれていたので、止まることなく泳いだ。

平和2

小学6年生になると、青木線の道路でパレードを家族で見ていたとき、少年サッカーが行進するのを見て直ぐさま母にサッカーをやりたいとサッカー倶楽部に入った。当時西村コーチにポジションがサイドバックであったため教えてもらった。
監督が代わり、何やら代表か何かの監督だったがサッカー経験のある監督が付いた。
当時倶楽部で1番足が速かった私は監督にセンターフォワードのポジションに付けと言われた。センターフォワードのポジションでは誰も教えてくれる人はいなく、ただ訳も分からずゴールに突き進んで点も取れなかった。

小学校も終わり友達も沢山いたし、小学6年生は充実していた。中学へ入るやいなやサッカーもしていたので、サッカー部に入ろうと友達と話して入部した。
中学生の時のポジションもやはりサイドバックでゴッツイ相手側のフォワードからボールを奪うという体力のいるポジションだった。
先輩方がよく指導してくれて、何かとても楽しかったのが印象だ。当時の3年生はとても面倒見のいい学級の方達で、楽しかった。釜本さんが学校に来ると夏場の合宿も終わりを過ぎている頃だった。
面倒見の良い3年生は受験のため夏で部活は終わりになった時からは何やらあまり親しくも成りたくない、2年生がサッカー部でリーダー的存在になった。
夏場が終わり秋を迎える頃、部室に練習が終わり帰る最中に左腕と左傍に何やら違和感を覚える腫れがあった。
気にせず学校に行っていると、熱がでた。担任の先生に言うと帰るように言われたので、家に帰った。
病院に連れていかれた、私は国病へ行く羽目になった。一部2箇所腫れたのは何やらリンパ腺が腫れているようで手術をすることになった。
恥ずかしながらその病名は猫にひっかかれたり、猫に噛まれてリンパ腺にばい菌が入って腫れる、猫ひっかかれ病だった。
2週間入院した。入院しているときに夜中に熱が出て看護婦さんを呼んだ。
現実社会とは何やら違う苦しみが私を襲い、まるでアナログテレビの”ジャー”となる現象が目の前で起こった。
とても恐ろしく苦しい、想像も出来ない苦痛が僕を襲った。解決策もわからぬまま来てくれた看護婦さんはお茶を出して看護婦さんも怖がっていた。

平和3

そのような体験も沢山あったが、現実社会よよりも空想世界に入ることが多くなった。自然と生きていることが苦痛であり苦しいと部活も手に負えなくなってサッカー部を辞めたいと親に話したり先生に話したりした。
その頃から母親は教育熱心で『あんたは進学高に行くんよ』と言われ塾や、家庭教師まで付けていた。
部活をどうするかで先生が親身になって話を聞いてくれ、気の知れた陸上部に入部することになった。中学では部活に入ることが必ずであり、あまりしたいとも思わない部活をやるしかなかった。
部活にこんな夢か現実か分からない状態を体験した私にとってまた、苦しい学校生活にいた私は部活に身が入る訳がない、自然と部活もさぼり気味に成り、勉強の方に力を入れるようになった。
2年生の春に差し掛かる3年になる時季に掃除中遊んでいた私に細く堅い鉄板が左足の親指に落ちて来た。技術室で起こった災難だった。左足の親指が病院に行くと折れていた。
当然部活を休まず負えなく、もはや部活をする気にも前の体験からにしてもやる気にはなれなかった。ひたすら勉強に没頭した。
だけど学校に行っているときは友達に恵まれ、友達に他のグループがちょっかいを出すと我慢仕切れず、相手に筆箱を投げつけ喧嘩になったり。
休憩時間まだ連んでいる友達が外にいるのに、休憩時間の終わりのチャイムが鳴った時に他のグループの1人がドアを閉めようとしたので相手の体をドアで強引に挟んだ。その時の相手は直ぐに私に謝ってきた。

いじめに対する自分の考え方も他の生徒とは違っていた。自分にはいじめと言う言葉が頭や心にない。大きなものにぶつかる勇気こそ大事なことで弱い立場の人に対してどうのこうのはなかった。今もないし、昔にもない。

平和4

中学からは本当に心底悩みでいっぱい泣きながら学校から帰り秋の風邪を受けながら秋の季節を楽しんだり、夏は部活や塾をさぼり、そらをずっと眺めていた。
そうこうする間、高校受験を迎え勉強が実りある進学高校へ行くことが無事に出来た。家から学校まで休まず毎日3年間を通った。高校にいく間も勉強を疎かにすることなく学校へ通った。
しかし、悩みの打ち所は晴れることはなく進学高校でも悔しさの毎日だった。ある剣道の授業のとき生意気にちょっかいを出す先生に腹が立ち、先生と喧嘩して学校を辞めてやろうか、と言うことがあったが、ぐっとこらえた。直ぐに友人が出来る地元で一緒の多くの友達に恵まれると思ったが、決してそのようにはならなかった。自分は話をしてする方だが話をすることが出来なくプライドと人間の冷たさを、感じる羽目になった。休憩時間、孤独を感じ眠ることや1人でいることも多かった。部活をやる訳でもなくクラスではプライドを掲げた人がなんにせよ無意味な自信を持ち、気の強いヒトが素晴らしく優位に立つことを露骨に感じ自然と無口になりこころを閉じ、テンションは鎮めるもの、人は馬鹿にしたりされたり、クールを装ってマイナスに考えるようになっていった。
クラス内で男女の会話が全くなかったのにも酷く驚いた。中学では女性に人気者で通っていたが高校に入って1年に1回女性と話すことくらい話さなかった。クラスでは男子はそれぞれのグループを作り、女子と話すことは全くなかった。不思議だと思っていたが、青春さえも感じられず強気な友人や勝手な女子に悩まされるばかりの高校生活。自分にとってこれだけの苦痛はなかった。
一体人間らしくだとか、しっかりするとか人情よりも大切にする冷たさや強気やプライドとは何なんだろうか?
次第に女性と話すことさえ忘れ人に冷たくすることを望んで、どんどんこころを閉ざしていくようになった。
人は勝手だ人は助けを出すよりしっかりする方が優先だと勝手ながら生活していた。生意気な先生としかめ面の女子、人が凄い能力があるならばそちらの方を素晴らしい友人だと思いそこには話しかけていく、裏切られる、情と言うものはなく、みんな軽く軽率に生きてさえいればそれが素晴らしい。そんな妙な人間関係を痛い程感じざるおえなかった。
母に言われ希望のみんなが人生の中で貴重な3年間を生活するしかなかった。
希望よりは失望や絶望、青春を失った。
つまらない友人や裏切る友人
皮肉なことを言う先生と
冷たい町、それがさらに自分を孤独にさせていった。

平和5

生徒の中にも人間らしくないことをする人はたくさんいた。気持ち悪いと悪口の好きな人間。
阪神大震災で今にも生きるか死ぬかをしている人間を慰労することなく、テレビで亡くなっていく死者の人の名前をずっと見て小馬鹿にする人間。
戦争の真っ只中、罪のない人間を苦しめるかと自らに火を付け耐えるお坊さんを授業中見て、俺には関係ないからと言う感じで凄いねと言う人間。
芸能人が来て握手を自分から求めた人間がみんなに向かって、やってやったぞと自己中で変な自信やプライドを持ってガッツポーズをする人間。
芸能人よりも俺のバスケの腕が凄いからと高校レベルくらいの自信過剰な人間達が女性に持てたいがためにバスケをする醜いこうけい。
自分はボクシングをやっているのだといきなりシャドーボクシングをみんなのいる前でやって凄いだろうとプライドを掲げカッコよく見せる醜いこうけいで実際はライセンスも持ってないお山の大将の人間。
正直な話、自分にはその醜いこうけいを見て1番内面では下で愛のない行為をしていることを忘れさせ自分を苦しめた。のちのち私はこのことが非常に嫌なことだと知ったからあえて醜いと書きましたが。外見や見た目の綺麗なことや者は実際のところ非常に醜いと言うこと知らないどころか、それが正しいことと思い間違い行動し町がそのようになっていることさえも気づかなく変な自信を持った人間がいばっているこうけいは私にとって本当に醜いこうけいでした。
まず、何かが出来るとは凄いことですがその行為を他人が見て凄いなと感じさせる自信過剰な人間にこころと言うことを全く理解出来ず、人とは違ったことが出来ることこそ黙って謙虚にならなければならないのに、極めてもないのにカジるだけの程度で自信過剰になるのは自分の辞書にはなくて、本当に悔しい思いをしました。

平和6

人間は建て前や姿形だけではないことを自分は知っていますが、自分本意に生きることが実に無駄なことで自分を苦しめていることであると信じています。人の悪口や悪意は自らに悪いおこないとして却ってくるので、気持ちに嘘や悪態は絶対にいけないと思っています。惨めになるのも自分であり、悪が当たり前でとおることは自らをまた自分自身を苦痛の中においているのだとあとで知りました。悪が蔓延る社会でそれに流されて気づかずとも悪態を付くのであればその町やその人間の救いは遠のき苦しみがなかなか取れることはないでしょう。
光をみんなが求めて、一生懸命に愛し、その光のともしびがもうすでに灯されている現代において、闇の方へ悪態を付くのであれば救いは当然後回しになるからです。
それは仏の世界でも言えることで解釈しています。まずお坊さんになりたいと言う弟子に僧侶はまず、トイレを舐めれるくらい綺麗にしなさいと教えます。それは人間が目に見えて1番汚いところを清掃しなさいと教えています。何故かというと、こころが綺麗になるからです。こころに尊い僧侶はそれをよく知っています。人が醜く、人が汚いとするところを見つめなさいと言っているようです。そうすればこころを綺麗に出来ると言ったことです。

自分は実際のところ精神患者なのですが1度8か月精神病院に入院していました。そこへ真夏なこの暑いなかわざわざ自転車で急な坂を登りお見舞いに何度か桃を持って来てくれました。
もう祖母は他界していますが、桃を持ってわざわざ自転車で坂を登って来た祖母は何もなかったような顔でひろ君来たで、そういうのでした。正直なところ私はとても嬉しく祖母が桃をカジるこうけいを見て一緒に桃にかじりつきました。
退院したときも祖母の家に何度も訪ねました。畑をして土いじりをすることが生き甲斐でしたが、実際に自分も畑仕事を手伝ってみると、暑いは疲れるわで5分ももちませんでした。その間、祖母は一生懸命に土をいじっていたのでした。
苦労もせず、親のお金で大学まで行き、しかも精神病院に入院とは、なんとも情けない自分がいましたが、少しでもそんな祖母のためにも、また両親に親孝行しようと今は考えています。

心もとない経験を高校でしていましたが勉強は疎かにしませんでした。部活はしていないものの、友達とアルバイトをしたり、広島市内に買い物に行ったりしました。それでも精神的な不安は自信を持つことがその頃でも出来ませんでした。内面的な苦しみや悔しさはまだ残り、塾塾、うみが広がる一方でした。プライドを持ち、自信過剰な自分になっていく自分は流されていたことは正直、本当です。
田舎を馬鹿にし、いつしか自分の産まれた町も馬鹿にする始末でした。
そんな空虚なこころははっきり言ってプライドを掲げた愚かな人間でしたし
不器用な性格とあの中学のいまいましい体験など苦しみに対する疑問の解決策のことを頭でいつも考えていました。部活動などこころの鍛錬を怠り勉強だけをして、プライドやエネルギーはありましたが、本当にこころは子供のまま、その幼さのままただ高校に通うことだけを考えていました。
冷たく冷ややかな目で見られたら冷ややかな目で見返す。そこまでの都会ではありませんでしたが、何故か学校の風習に流されたか、町のせいか、本当に冷たく自信過剰な愛の分からない愚かな人間になっていました。

中学の修学旅行や
高校の修学旅行は自分の炎の種に強い悔しさの煽りを立たせました。
中学から涙を1人で流しては悔しがり高校も大学もいつもいつも悔しくて悔しくて涙を流していました。
女性の興味のある青春時代を彼女が欲しいとは思いながらも環境や、いてもたってもいられない体験からも出来ることは出来ませんでした。
それは明らかなことでした。
それは自分がまだ幼い子供だったからです。

平和7

人には人生がそれぞれあります。産まれたくて望んだ訳ではなく、また産まれたことに意義があり、宿命や運命があります。36年間の間、こころの苦しみを与えられましたが、実際はそれは神さまの愛ゆえのために私が人には見せてない内面的の試練だったのかもしれません。今現代では戦後の復興のあとの経済成長から日本は世界に名だたる名声を浴びました。世界に日本の名を欲しいままにしました。それは団塊世代の方々が仕事を命より尊いものと切磋琢磨に昼も夜も働いてきたおかげです。
しかし、未だにこころの平和とはほど遠いストレス社会は現代社会にこびりついたへどろのように人々を苦しめています。解決策が見出せないまま、会社の苦しみから自殺をしたり、学生がいじめにあい自ら命を落とし、親が子供を殺し、子供が親を殺す時代は、誰もが疑問を抱いて問題解決に国の団体や研究者、医者や政治家は躍起になっています。
人は生きる意義を忘れてしまったのかもしれません。経済成長をモノに日本全土に広がる中では物質の普及は仕方がなかったのかもしれません。そこではみんな他人の親が自らの子供を叱ることもあったり、母親が子供のことで先生に言うこともなく、むしろ親は先生に向かってこの子供を厳しく叱ってくださいと頼む親がたくさんいました。どこからともなく、社会や物質主義の影響からか核家族化が進み、親元を離れ都会に集中する生活ではこころの疎外感は広がる一方です。どうしたものかと頭を悩ませる親はあとをたたず、嘆き涙を流す一方になりました。
解決策の糸口に悩み自らの命を張って政治を行う国の代表は世界情勢に加え歴史問題や負債に景気対策にと責任をもちながらも悩みの矛先において、解決策を見出すことが出来ないがやるしかないとすでに形作られた社会で未来の希望を小さな尺度でしか変えれない実状があるのは確かです。
高齢化社会を迎え養護老人ホームが増え現代病とも言える精神的な疾患で悩む人々が急増しています。その解決策のはずの制度がスタッフの頭を抱えさせ安い給料で福祉施設で働いています。101人の患者の生活面を保証するのに1人辺り一週間から二週間掛かるそうです。しかもその案件が無事に終わったと思うと変わった施設や環境にまた問題が生じるそうです。しかも1人辺りに対して残りは100件ではなくうなぎ登りに増えていくストレス社会では、薬を飲まざる負えなくなった患者が150件と増えていくというのですから、スタッフさんもどうしていいか分からないのが現状でしょう。
身体の痛みは何週間か何ヶ月で治療出来ますが、こころの病とは百人百様で治療の仕方が分からないというのは本当に心苦しいものです。
リハビリ的な治療法と薬物治療法とであとは自分次第の気持ちや考え方で治療していくしかありません。
本当にいろんなことに囲まれ生きる希望を見失った人々が一人また一人と自殺や自殺未遂をする現状にとっては国も地方団体もなすすべがありません。
生き急いで立ち上げた文明社会になすすべのない現状病の治療の中ではもっと根本的な改善をしなければならないのかもしれないのかと私は思っています。それは家族の愛だとか、友情とか
全てはそこに棄却すると私は思います。
例えばどのようにかは具体的に言えば不安な人が来てアドバイスをするならば『大丈夫よ』と言ってあげる。
また不安で落ち込むならまた来なさいと言って、来たなら『大丈夫よ』と言ってあげる。大丈夫の言葉には不思議とその人を安心にさせたり自信をもたせるばかりでなく、自分も安心するんです。何回も何回も来る不安な人に繰り返し『大丈夫』と言ってあげると、その人も『あー大丈夫なんだ』と思ってくると思うんです。自信が付いたら自分のこころに余裕が出来ることであるから社会復帰も出来るかもしれません。社会復帰をした人が1人増えていくことで社会が活気づき景気が良くなるなんてこともあるかもしれません。あくまで仮説ですが。
しかし1人の人に着手することは大切な思いやりで現代社会に悪循環から大いな好循環の兆しかもしれません。

平和8

戦後70年、広島は核廃絶を世界に訴えてきました。原爆は広島、長崎に落とされました。エノラゲイ、B29の人差し指で広島では約14万人の死者に昇りました。今後の私達にとって出来ること、こんな悲惨な戦争歴史はなくし。
罪のない人々が心から喜ぶことが出来る社会にしなければならない、そう1日付ける8月6日です。核兵器の廃絶、私達にはいったい何が出来るかを真剣に考えることが必須です。

当時小学生だった私も悲惨に学校の会議室で写真やビデオを観たりしていました。社会は混沌となり、平和とは呼べない沢山の国が世界ではあります。
岸外務大臣やそのほか多くの政治家の中には、決して認めることが出来ない世界戦争の終結の鍵を握った原爆。
このような悲惨な出来事を決して起こしてはならない。
世界中の参賀する代表者は必ず広島と長崎を訪問して欲しい、そのこと限りです。
平和とは尊いものであり、何も変えられない世界の在り方ではないかと思います。
お父さんがカープを応援する理由にもそこにあります。原爆投下以後、復興を遂げるため、広島では復興の糧となったカープを応援するのです。
これ以上人を不幸にしたり、人の嫌がらせをするのは断じてあってはなりません。広島の復興を遂げ、歴史認識に刻むのです。
これ以上悪しきことを起こす必要性はありません。
もう一度胸に刻みました。
そう思います。
平和の尊さを。

平和9

非核三原則を言わずして責任問題を問われる安倍総理大臣。自衛隊の核兵器運搬に大臣が言及したことを責任を持てと国の代表に取れと言う。ニュアンスでは9条の問題が浮上し安保に関する議案がデモを起こした事実の裏手に寄るものであります。
マスメディアも学識を積んだ知識人の評論家を横に並べ、安倍総理大臣の自信が必要と豪語する。そのテレビを観た国家の代表を選んだ国民はなるほどと思わされるようです。
僕は違いました。正直な話、くだらない議論をするなと思ってガッカリしました。
今にも増して私服の肥やしに、帰れば立派な政治家のお父さんだと子供が飛び付き妻は美味しい料理を作り夫の帰りを待つのだ。安倍総理大臣を批判し苦悩の中で審議した代表を批判し、また優雅な豪邸に奥さんと子供の為に、働いたのだと帰るのです。
私には関係ないと、政治も仕事のうちおままごとで国民の為と豪語した愚かな政治家達もいます。
彼らには日本を救うことが出来るのだろうか?また、マスメディアのニュース番組で評論家達も家に帰れば仕事をしてきたと豪邸に帰るのと同じです。
人を散々悪呼ばわりしお金持ちの評論家は豪邸に帰り美味しい食事をします。日本には年間3万人の自殺者と生活に身悶えしているホームレスを尻目です。

平和10

こんなことを思うことがあります。
36年間の間人には言えない事情を抱え密かに心の空虚感を味わざる負えなかった理由。
36年間、正直な話、悔しさや息苦しさで涙を人知れず流してきました。沢山の経験や体験をし帰って来るのです。それが、今後の幸せに於ける答えでした。
最終的には私の心には意思がなかったのであり、それは私の意思ではなく、全て先祖の為であり、若しくは友達や兄弟、親戚に至るまで、全てが人の為でした。それを神は見たのでしょう。
意思がないのではなく、人の意思を尊重し敬愛していたのであり、自分の思いは人の為や神の為だったのでしょう。神はそれを全て知っていました。
だから導かれたのでしょう。

こんな神意があります。逆説的に言うと社会問題や宗教問題にまで発展してしまいますが、イエス キリストの成り行き、その神意を私は知ることが最近出来たのです。
キリスト教にはいくつかのイエス キリストの解釈の仕方が沢山宗派に分かれていますが、神の理想郷によりかつてユダヤ民族の苦悩の叫びの中で馬小屋で生まれたイエス キリストでしたが、30歳の半ばにユダヤ民族の裏切りによって卑劣な痛みで荊の冠を被らされ、鞭で撃たれ、その痛みとは私達には想像すら出来ない、正に肌の全ての毛穴から血が出る程の苦しみを受け、その足でゴルゴダの丘に十字架を背負い進まなければ成りませんでした。
途中、ある婦人がイエス様の痛みを拭う為に布で癒そうとした時でも、イエス様はこう答えました。涙ぐむ婦人を私の為に泣かず、あなたの子供の為に泣きなさい。毛穴から血が出ている苦痛の中でもイエス様は自分の為にはせず、婦人のことを思い、慰労したのです。
涙を流す婦人は、激しくその言葉を聞いた時に泣き崩れました。

ゴルゴダの丘に登りきったイエス様は十字架に架けられました。右の悪党、左の悪党も十字架に3人同時に架けられましたが、ただ苦痛の中にいるイエス様を見た右の悪人は、イエス様に言いました。何故罪のない者をこうして異端だと十字架に架ける必要がある。この人は何も悪いことをしていないと、心の底からイエス様を労い、慰労したのです。最後に命が尽きた時に最初にイエス様と一緒に楽園に行ったのは12人のイエス様の弟子ではなく、心からイエスをねぎらった右の殺人犯でした。
最期の最期までイエス様は自分のことは言いませんでした。イエス様は死の直前に、人類の罪をお許しください。
そこにはイエス様の意思とは最期の最後まで人のため、神のため、でした。平和の尊さに於いて自分のことはいっさい人や人類、神のものだと、苦痛の中の苦痛の中でも言っているのです。

私達が生きる本来の術は決して自分の至福を肥やすことではなく自らの命をも人のため、あるいは神のために出来ること。その様な無償の愛でした。

キリスト教がこれまで多くの信者を募ったのは、絶対主神を親だとしたところでした。こんなことをたまに人に質問します。殺人犯は誰も許してくれないか?誰も許す人はいないか?誰か許してくれる人はいるのか?
みんな悩みに暮れますが、殺人犯の親は何があっても許すのです。それが愛であり親が子供に与える無償の愛です。

神は無償に私達を愛してくれていることを忘れないでください。

平和11

あるテレビ番組で東京大学名誉教授である養老たけしさんはこんなことを言っていました。それは東大を出た人が言うなら間違いないだろうと思いましたが、地域集中型、皆がコンクリートの中でも歪みあって生きて、疎外感を感じている。そのような現代社会では参覲交代な考えや行動が大事であると言っていました。自然のある田舎と都会を行き来する。
都市集中型で暮らす日本人や働くことだけを重んじる日本人の考え方がおかしくなると述べていました。

自由度のない偏った考え方に於いては、自然の有り難みが分からないのだと、要するに私の考えですが、今が暑いので夏だなと分かるのですが、季節は循環しています。秋になっているのになんだか夏なのに涼しいなと言い、秋になっていることにも気付かず、夏なのにとても寒いなと、言って実際は冬が来ていることに気が付いていない。つまり、一年中夏だと勘違いしているのです。
春夏秋冬のある日本において一年中夏だと思い込んでいる人にとって季節の循環は分かるはずがありません。
社会人になってまだ若いですが、1➕1が3だとか5だとか言っているもんです。党是1➕1が5と答える人がいる人は、それ以上の知識を得ることは出来ません。1➕1が分からないのに1➕2が分かりませんよね。
こんな現象が世の中にはたくさんあるのです。

初心に帰ることを忘れ忙しいからと言い訳し、1➕1が分からない事実。
それは偏った考え方にしか生まれませんね。そんな社会でどうおかしなことはしないと豪語することが出来るでしょうか?真意にもないかのように当然のように振る舞う社会では、理想を語ることすら出来ませんし聞いてはくれません。そればかりか間違っていることを正当化し人に叱る始末なので、もう呆れてしょうがありません。

人間のモラルとは人間が勝手に作り出したものであり、当たり前のように扱うなら言語道断です。
らしく生きるとは本来、責任や難題を突き付け人を苦しめることではなく、相手の気持ちを考えた上で喜ばせたりすることだと、思います。
自らに自信があり、やりたい放題の社会では、明らかに社会は矛盾しています。

平和12

世の中は不平等と人は言いますが、神の下では全ては平等です。
格差がありと皆、世間は平等じゃないと言いますが、神はそんな人の元に降り立ちます。神は無限の愛そのものであり勝手きままに自分の人生を生きるという人でも、やはり愛しています。
こんな列暑な環境でどうしたらいいの?と今にも生活の困窮している人の前にまず始めに降り立つのです。
神は天国にいると人は言いますが実際は地獄の底の底にいるのです。
生活が困窮し身悶えしている人ほど神に近いのです。その面からして、神の下では全てが平等なのです。
あの人はお金持ちの家で生まれて自由な生活をしていて羨ましいなと言う人がいますが、財産の高さ故の神の愛ではないのです。マザーテレサが神の声を聞いたとき貧しい中の貧しい者を救いなさいと言ったのも、そこに人間臭い列暑な極貧な生活をしている者に神は降り立つからです。
精神病院で8ヶ月入院し、実際に退院後、10年間働き普通の暮らしをすることでお父さんはある、親戚が集まってくれた時に言いました。ギターを弾ける様になったらお前は自分に自信が付いた時で、病気を克服している時だよ。僕はお父さんの言うことを信じ、あらゆる事に準備をしてきました。働くことに限らず、毎日手帳に日課を記して、覚悟が要りましたが、ギターの基礎練習に20分応用やコピーに20分、他に本を毎日30ページ読んだあと、手帳に細かく仕事以外で身に付けていき毎日記してきました。7年くらい日課を課してきました。
今はしていませんが7年間の手帳を見ると自分がやってきたことに不思議と驚きます。ギターで感性を養い、読書で知識を養い、仕事で心を鍛錬する。
読書に於いては新聞しかり、ある方の自叙伝を101回読みました。8巻ある、司馬遼太郎の竜馬がゆくを2回通して読みました。分からない分野をそのままに出来ず買って読んだりあらゆる本を読みました。簡単ハングル講座などハングルを知りたい為に100回以上読み返し基礎から応用までとは言ったものの実際にはあまり頭に入ってなかったと言う情けない部分もありますが。
7年間で読んだ本は、もうほとんど売りましたが300冊を越えていました。
10年間毎日のようにギターを弾きました。今、気付いた時、実践的にバンドで皆と合わせることが大事なんだと気付かされましたが、日課として弾きました。
実際にお父さんに言われた自信が付くと豪語した親父は新しいギターを買うことに始めに10万くらい貯めて買いなさいと言われましたが、そのことを聞かず私はローンで買いましたが。
親父と喧嘩した時、母から言うことを聞かないのでギターを折ってやろうかと聞いたことがありましたが、それでもその言葉を信じて引き続けました。
終着点は最近のことですが、10年間弾き続けて親父は忘れていました。
その言葉を信じ貫き、やってきたことに目や耳を傾けた方は神様と知ったのでした。10年間働いたことで神から離れていた私を呼んで見ていてくれたことを知りました。
誰にも打ち明けずひたすら頑張っていた自分を神は知っていました。
今現状としてはもう一度、立ち上がらなければならないと決心しました。

平和13

神は一生懸命に働く人を好みます。
例えその行いが間違いだとその人が言っても神はお前が言うのだから正しいと言うのです。神は愛であり、また夫婦円満な家庭を好みます。全ての人が神の子であり、子供を愛する、神を知らない親でも、それは愛であり、また神は喜ぶのです。神は永遠であります。世の為と落ちているゴミを拾って些細なことでも、神は永遠に覚えています。何故なら神は愛そのものだからです。
神はどんな人の中でも光の様に入って感動したり、嘆いたり、悲しんだりします。無神論者や信じない人でも、救います。まず、神は愛であり、愛は神であるからです。私を愛している以上に私の家族や先祖、親戚や友人もより深く愛します。それは神が愛だからであり、人間も愛であるからです。
不安に思えばどうしたものだろうかと神は共に悩み、どうにかする方法で導きます。決してその人を悪くするのではなく、広く深い愛で共に悩むのです。
殺人犯である悪人でも愛するのであり善行を積む人もやはり愛するのです。
それは違うと神は怒ります。何故なら神は愛であり、悪いことを叱る親であるからです。間違ったことでも、腹が立つのは人間です、その人間が神の子なら、やはり親なる神様なら叱り憤るのも神でしょう。
世の中はどんなに憤って悔しく思っていると人は言いますが、やはりこれも、うーんどうにかしなくちゃならないなと神様も悩むのです。
人がザワザワいる時に孤独を感じている人の胸にも神様はおります。大丈夫だよ、お前は1人ではない、私がいるよと神様は言うのです。
どんなことでも、どんな環境でも、大丈夫だよと神はほほ笑んで辛いこともとってあげたいと思うのです。
だから神様は偉大であり、素晴らしい方だと言うのです。大丈夫だよと常に励ましてくれているのです。
あーもの凄く、上手くいかないなー
人間関係が、と思っている人も今日が駄目なら明日があるさと励ましてくれているのです。

朝日が雲が覆い雨の日でもその裏では太陽が昇っているのであり、陽が昇らない日は決してありません。
どんなに苦痛で夜が苦しくても、朝日は必ず昇ってきます。昨日の夜はいったい何故あれほどまで悩んでいたのだろう?と、陽が昇れば忘れたと言うのです。
必ず次の日はやってきます。
希望は永遠に続いていることを朝日が証明してくれています。
だから、大丈夫よ。

平和14

人生の縮図、人生への答えを探すこと。それは私にとっての課題でした。
7年間読書をして来た私にとって、最終的に読んだ本は、アインシュタインの相対性理論でした。これまでに知識を養うと毎日呼んで来た本の集大成でした。
アインシュタインの相対性理論。
それは、理系の大学にいき数学の常識を知った私にとっての天気でした。
相対性理論とはあらゆる学者が研究してきた光の法則を導き出す答えでした。
光の速さとは秒速30万Kmです。宇宙の神秘に辿り付く為に光の証明を数学者が研究してきました。謎は深まるばかりで、あらゆる物質には質量があります。化学で水素Hの質量が1であることは知っているでしょう。
しかし光とは質量が0なのです。
ある物体を動かすには力が必要であり、止まっている物体を動かしたときは大きな力が必要です。そして、動いている物体を更に加速させる為には、止まっている物体以上にエネルギーが必要であり加速度は止まっている物体より動いている物体に対して小さくなります。
これを光の速さ秒速30万Kmまで近づけた場合、エネルギーは無限大により大きくなり、加速度は無限大に小さくなっていきます。質量がある物体は光の速度まで近づけたときに、光との速度に近づきはしますが、光の速度の秒速30万Kmにはならず、秒速29.9999・・・と無限大に続いて絶対に光の速度である秒速30万Kmにはならないのです。
ここから言える答えとは数学の限界を証明しています。もともと、数学では無限大∞の概念からスタートします。
無限大∞とは変数であり、絶対ではありません。ここに数学の限界があります。数学の限界とは宇宙の神秘、人類の知識の限界であり、光を知識では証明出来ない絶対的なものを証明しています。
光とは絶対としか言いようがないのです。光とは何でしょう?
光と影は相対的であり
光と闇は哲学用語では矛盾です。
光とは植物の光合成で必要不可欠であり、また光がなければ、地球は真っ暗闇になり、人類は氷河期を迎え絶滅します。光があるので、人間には目で見ることが出来、相手の顔を見ることが出来ます。
何が言いたいのかと言うと物質社会では光は証明出来ない絶対的なものと言いたいのです。
では絶対的なものとは神様であり、愛であることが言えます。
とすると、私達は知識、現実的に証明出来ないものがあるとすれば、現実面だけで物事を考えることは出来ないと言うことであり、現実的でないものが存在すると言うことがはっきりと証明されるのです。

7年間の日課の集大成としてここまで理にかなったことまでの知識を得たことを神様に感謝します。

平和15

学問とは自然科学である。
大学に入って驚いたことがあります。大学は専門分野を追求するところです。その大学に入ったとき、学問を自然科学として表していたことでした。
自然とは何でしょうか?
地球に存在するものであり、植物や動物や動かない物体にいききするものです。まず、春に咲くたんぽぽをある人が見つめこの花は何故黄色なんだろう?茎があるな?茎があるとしたら土に何が埋まっているのだろう?この根があるから花が咲いて黄色をしてるんだな。ここまで行き着いたものが専門分野である学問の集大成である大学でした。
もともと小学校や中学校、高校とは大学から下がっていったものです。
小学校が先だと考えられていますが、本当は大学が始めなのです。

今や文明開化が色付き遺伝子捜査も可能とも言えるips細胞においてゲノム編集の在り方をテレビ番組でやっていました。そのゲノム編集とは悪い遺伝子の一部を好い遺伝子に置き換えるといったことでした。もはや、その遺伝子捜査により癌もAIDSも治るといった時代が到来しています。
もはや人間のすることが神の領域に達していることは言うまでもありません。このような時代において私達に大切なことはこの捜査を悪用せず、良い方法だけのみ使用することがとても大事になっています。

非核三原則で平和になった日本には歴史がありました。戦後70周年を迎え広島、長崎に原爆が落とされ世界で唯一の被曝国としての日本は世界で知らない国はいないほど有名です。

これからは人の悪事にものを馳せることは絶対にしてはいけないことであり、世界平和を理想として私達は立ち上がらなければなりません。

自分も前までバンド活動をし、作詞作曲をしました。その中の歌詞で平成の維新を訴えていかなければならないと歌詞に込めたのもそういった定めの元です。

私達は産まれながらにして生まれ、土に還っていく運命、その根本を人がどんな人生を生きようと変えることは出来ません。だから、正しく生きる、そのことに尽きると僕は思います。

平和16

作用と反作用
因果応報と言う言葉はこれからなくなっていくでしょう。勝手な解釈ですが。善いことは善いこととして還り、悪い行ないは悪い行ないとしてなんら違い形で還ってきます。それが人の常であり、それに気付いていない人が沢山いることも事実です。

以前、広島を3人でドライブしたとき、左折するとき、左から来る自転車が目に入らず巻き込みで自転車と接触事故を起こしたことがありました。
警察を直ぐさま呼び救急車も呼びました。足の痛みでもおばさんは酷くヒステリックになり救急車に載せようとしたのですが乗らずこちらを睨み付け、仕事に支障が生じるともの凄い剣幕で私を叱責するばかりでした。
今思うと本当に申し訳ないことをしたと反省しましたが、怪我はそこまでではなく、あとあと保険会社との交渉でなんと金額が80万円を超えていたのでした。ビトンの鞄を持っていただとか、自転車が10万円以上するだとか、ありとあらゆるデマを保険会社に言っていたのでした。
何度も何度も保険会社から自分に連絡があり、実際に裁判沙汰になるくらいまでに、でした。たまりかねた保険会社の方は検察官を募り実際に私はその検察官にこれは詐欺になりますと、言われるくらいでした。
いくらなんでも重症な状態なのなら、直ぐに救急車に乗るだろうし、それさえも自ら拒み多額の請求を見た目からそのような高価なものは所有していなかったと分かるのに、多額の請求を保険会社にしたのでした。
生活に大変だと思う人はいますが、何にも、子供がいるからだとか、生活に窮するものだとかの理由で、人に当たったり自分のことをあたかもあったように云い張り多額の請求をするのはどうしてかと思いました。

この事件でも私はこう考えました。なんぼ、生活に困ろうが、自らの至福のためだとか、嘘を付いてまで多額の請求をして得たお金とは決して善いお金ではないのだと。そのお金は直ぐになくなり、還って自分を苦しめ、且つ、子孫を苦しめる元となるのだと思いました。

お金は現実社会ではパワーがもの凄いあります。万札が財布に入っているときは意気揚々と気分が良くなるし、小銭だけの財布では気分が沈んでしまいます。
でも人様に使われないお金は自分にとってただの紙切れであり、実際に1000円札を眺めていると、ただの紙切れだと実感したときもありました。
使いようによってはお金は争いのもとです。人にしてもらった分仇とならないように自分も気をつけないと。

平和17

1億の医者と100万円の医者
100億の財産がありながら、適当に診察し施設を建設したと心貧しい医者は病院のあまり、美味しくないごはんを美味しい美味しいと言いながらたべ、質素的だと患者の目を向けるお金持ちの貧しい医者。
どうして生活面でやっていけるだけのお金を持っていたら自分は満足なのに他に自分の為に使うお金を多く貰って、それ以外は社会の為に人の為に使おうとしないのだろうかと思うときがあります。
お金持ちはケチな人が多い。そんな話題も飽きてきました。景気対策と言えど、お年寄りは何かしら貯蓄を蓄え、挙げ句の果てに詐欺に騙しとられる実情では何の為のお金なのかと疑問に思うばかりです。
以前熊毛の方の温泉に行ったとき、サウナ室であるお祖父さんに声を掛けられました。スーパーに行ったら皆んな現玉持っとるんじゃのー、ようお金使いよる。とでした。そのお祖父さんは私に歳とって得たお金をどうすれば良いんじゃろーと聞いてこられたので、世のために使えば良いんじゃないですかと答えたら、偉い感心していました。こんな自分でもその答えに感心させることが出来たことを嬉しく思いました。
みんな辛い思いをして得たお金を家族のために使う、素晴らしいことで、その価値がわからなくなってしまった自分は早くその気持ちを分からなければ。
親は働きました。働いて働いて、家を建てることが意地だったのかもしれません。それが少しでも分かりました。
悔しい思いは何も自分がしただけでなくやはり両親も悔しくどうしていいかがむしゃらに働いてきたのでした。
自らの至福を得ることではなく子供のために働いたのでした。
こうして何も親孝行が出来ていない私をまた愛したのでした。その愛とはやはり永遠であり、また神の愛と共通するものでした。握り拳に自分が苦しいときに話を聞き励ましてくれたのも、やはり両親でした。
私はこの愛になすすべがありませんでした。今も昔も。

平和18

重苦しい高校生活で進学高校。それは地元でも、本当に驚かされる毎日でした。しかし、卒業するまで3年間1度も休みませんでした。でっかいプライドを掲げた自信過剰な小山の大将は、その空気に馴染むことすら出来ませんでした。クラスの中でグループを作り男女は話題を持ち寄ることもなく、一年に2回のイベントの打ち上げでしか、話さないのでした。話すことは一年のあまりたったの2回です。
クラスの中では共学ではありましたが男女は一切話をせず。過ごす毎日でした。このような環境は正直に驚きました。中学生までは部活をしていない人でも男女でよく話をしましたが、まるで、高校生活ではありませんでした。
だから彼女といったことは自ずとありましたでした。多感な高校生活の3年間をただ、流され勉強だけをする毎日だったことは言うまでもありません。
冷ややかな目でこちらの方を見られたり見たり、青春といった思いはこの3年間はありませんでした。
何を基準にしていいのか分からず、次第に女性に話すことが得意だった私もさすがに流され話すことが出来ない臆病な自分になっていきました。臆病な私は変に自信を持ち自信過剰になり、プライドで固め装いクールな冷たい自分になっていました。
一年生のとき剣道の授業で生意気にシナイで付いてきた先生に腹が立ち、そのまま喧嘩をして学校辞めてやろうかと思いましたが我慢しました。
高校3年間の青春は自分にはありません。プライドを掲げ自信過剰に振る舞う私は今気が付くと情けなくて仕方ありませんでした。
人が何をしようがお構いなく冷たい人間の集まりの中で休憩時間には机に座って下を向いていると考えがおかしくなりネガティヴに考える毎日でした。
愚かな考えの中、天気は訪れず、小さく冷ややかな自分になっていきました。無口で話さないのがカッコいいと、何が出来るから凄いと友人に言われる友人が羨ましかったり、自分の想像的な個性は失われていきました。失われるどころか完全に考え方のおかしな人間になりました。
今でも悔しい思いはしますが、少しかじる程度で女の子にモデたいがために威張って素振りを見せる愚かな学生達になにも言えないでいるのでした。
次第に男女とは話さないものなんだとも決め付けていました。冷たくプライドを持つことが正義だと勝手な解釈をし、その傷みがこころに太い棘のように突き刺さり”塾塾”したうみを出すので今もなかなかうまいように女性を口説くことが難しいと悔やむこともあります。棘がなかなか取れず、うみを治療するには時間がかかりますが、治療を今からでも少しずつはやっていかなければなりません。
生き場を失った私にも地元の友達が今も気になって仕方ありません。
休憩時間、1人ぼっちで過ごた友人は工業大学に受かり、神戸に住んでいると聞いて嬉しくなりました。1度大学の長い休みの日に会うことが出来ましたが、学問が楽しく気持ちも楽しく過ごしている彼に正直、ホッとしました。
高校から大学も広島に残る友人達を見てやはり、他の環境に身を置くのはなかなか勇気がいり、その地域で収まる人間をみましたが、実際に地元からでも進学の街に行った私達でしたから、そのへんは進学の街で地元を気取る人間とはやはり、こころの上では上だったのでしょう。岡山に行った人は数少なくも進学の街の人ではなかったのを実感したからです。
楽しくもなんともない高校3年間を過ごして大学受験になりました。そうとはいえ進学校であった学校なので皆んなだいたい大学に行きました。私も工業大学と理科大学に受かったので、意を決し親の説得のあと岡山へ進学することにしました。
そこで、本当に色んなことをやろう、色んな経験をしようと、悔しさの中で復讐とも言える色んな経験をしてやろうと決意に燃えていました。
人には言えぬ経験をした後帰ってくれば、そのような人よりこころを上にすることが出来るといった種子のものでとにかく燃え盛らんばかりの情熱でいました。

平和19

ある雨の日、高校に友達と通っている途中傘をさしていなかったのか、1人の女性が濡れている私の友人に小走りでそっと傘を渡すこうけいがありました。天使か?と思いました。そっと傘を渡した女性はまた小走りで自分の友人に行ってしまいました。私にはその光景がいまも忘れられません。好きになりました。こんなこころの美しい女性もいるんだ。頭から離れず残りの高校生活もその人でいっぱいでした。

修学旅行は糞食らえと胸帰らぬ仕打ちにあったことをよく思い出しギターをガムシャラに弾いたこともあります。
グループには悪いのがいることは言うまでもありませんでした。
中学生の修学旅行ではレクレーションの為、前日にレク係が放課後の残って先生と打ち合わせをするのでした。
四、五人いた自分達のグループでそれぞれのグループでリーダーを決めるときがありました。他のグループではリーダーが決まっていたのですが、先生が名指しに私達のグループにリーダーは誰かと、時間が過ぎていくので、早く急かしたので、誰も立たない四.五人の私達のグループにそわそわしたので、自分が責任を持って立ちました。
そのとき私はなんと皆んな自分勝手で他力本願、責任感もない奴らと思いました。
ところがレク係のリーダーになった私はその後にリーダー達だけの集まりがあることを知らずそのまま修学旅行のバスの中でレクをするのでした。
あっ何をしようか?頭が真っ白になり前に座る担任の先生に向かってやるんですか?と目を合わしたのですが、先生は、はーい、やってくださいとの一言、慌ててじゃんけんゲームをしました。そのとき、担任の先生は、むせきにーん と言ったのを覚えています。
生意気な顔付で責任もてよな、なんての様子に前日リーダーとして、立ったことも知らずと、この先生は馬鹿かと腹が立ち、悔しくて悔しくてなりませんでした。今でもあの顔が浮かびあがり悔しくなります。
皮肉といってもよいあの表情をはっきり思い出すことが出来ます。むせきにーん の言葉を大きな棘を私のこころに突き刺したのでした。
牛乳を飲んだ私は気分が突然悪くなった私に何か霊が憑いてんじゃねーの
など、腹が立つ皮肉に罵ったことも鮮明に思い出します。
他の町からきた先生でしたが、腹が立ってしょうがありません。明るく振る舞い人気な先生でしたが、私にとっては皆んなの前では素晴らしい先生と謳われてもこころの中は汚れきっていて見苦しいこころを持っている皮肉な先生にしか私は思いませんでした。
そのような人は近辺では沢山おり、生き辛さも感じた中学生と修学旅行、唐揚げをはしで勝手に私のトレーの中に入れたり悪い人間は醜く映ったのもありました。

高校の修学旅行もロクな思い出がありません。憎しみと皮肉の前でそれはシッカリしてるのサインのような醜い顔の女は彼女がいる男の話がここぞとばかりに聞いてやるぞと言わんばかりかバスの隣の席で男に話しているのでした。
ディズニーランドに行きましたが、親しかった友人達は冷たくし私はひとりぼっちにさせられ、ひとり、バスへ戻っていました。人を人間とも扱わず、それを出しに裏切り、自分は凄い人間なんだなんてほざいている自信過剰な人間がここでは沢山いました。
自信過剰 劣等感 不甲斐なさ 皮肉
冷酷 意地っ張り 醜い男女が集まる、愚かな学校でした。

平和20

神は私の全てです。劣等感や悔しさを知り、幼少期スイカを皮まで食べようとした36年間のわたしを慰労し、両親より深い血肉な繋がりで分かち合った仲です。私がこころ苦しいときには慰労し、私が悔しいときには共に泣き。
そのような絶対的な存在なのです。
そのこころを知っている神様はニューヨークの国連で東大の方と祝福くださったのです。何故、を神自信が理解してくださっているのであり、大学の卒業で聞こえた、卒業だな。おめでとう。のボロボロな神様の言葉を今でも忘れることはありません。私を導きそれ以来もずっとずっと私を見捨てず苦しいときには慰労し、悔しいときには一緒に涙を流した私達でした。
神ご自身の心情を理解する、それは私にとってやらなければならない宿命でした。しかし、どんなときでも私を片時も見離さず愛してくださるのです。

中学生や高校生の悔しさの後、岡山の大学に進学しました。初めての集団生活、見慣れない地の学生生活。それは今までとは打って変わって180度反対の出来事でありました。1日目、寮生活の私は夢か現実か分からない凄まじい怖さで闇で気が狂いそうになりました。実家へ電話した私はそんな中でも、お父さんは言いました。お前が決めて行ったことだ、しっかりやりなさいと。
父は苦悩の中にいる私を厳しくしつけたのでした。一週間くらい朝は点呼があり辛く寂しげな不安な状況や溢れんばかりの喜びの繰り返しで胸震える毎日でした。しかし、一週間もすると、不安が全く消え、喜びしか残らない状況になりました。県外から来た友人達と大学生活をエンジョイし寮長さんとは仲良くし、たまに寮母さんと大喧嘩になりながらもエンジョイしていました。
そつなく、寮生活に落ち着いた頃からギターを弾き始めました。最初はアコースティックギターでしたが、直ぐにエレキギターに変えたりと、とにかく何か一つ取り得がなければならないと一生懸命に練習しました。
寮母さんも音漏れには何も言わず構わず寮でも弾くことが出来ました。
寮で知り合った友人達は同じ寮で暮らすので深い絆で結ばれた仲で寮生と本当に仲間が出来ました。この経験は私にとっての財産であり、また感謝でしかありません。
寮では9時が門限であり、9時以降は2人部屋の部屋でいなくてはなりませんが、寮母さんの目をかいくぐり、親友の部屋へこっそり入りました。
当時、熊本から来た友人と愛知県から来た友人でしたが、愛知県の友人が寝たあとでも、熊本の親友と今での出来事を洗いざらい、こころの底の底まで話しました。あの夜を今も忘れることが出来ません。結婚式に呼び合う約束もしました。
こちらへ帰った、あとに結婚するというので熊本に行きましたが本当に本当にしっかり堂々と立ち、多くの後輩から慕われていることを知り涙が止まりませんでした。
二次会の席で親友は私の手を取り、やー凄い立派な手ばい。仕事をする手ばい。と言ってくれました。あのように言われたことはこちらの方では言われませんでしたがそんな親友は私の手を取り言うのでした。

いずれ話さなければならないと思っていたことを今回は結婚式なので気分をと思いながら話しませんでした。
また会う機会にと、また福岡で飲む機会にと思いました。

人を平気で裏切る町とは一変しこんな町もあるんだと体験しました。
そのとき、人の温もりや、人の情けや愛情を一心に受けて喜び毎日幸せで包みました。180度冷たさから温かさ、
皮肉から愛情へと変わったのです。私にとっては大きな変化でした。

そんな中、思案に人生のテーマを考えることについても思慮深くいつも自問自答していた記憶があります。分からないことをそのまま分からないことにしたくない性格なので、今までに得て耐えて現実か夢か分からない現象について深く深く考えることもありました。それは正しく中学のときの体験や高校の体験に至り、幼少期にとんでもない圧力にさらされた現象からでした。次第に口数も少なく自分への葛藤が続く毎日でした。そんな中なので現実に目を向けることが出来ず人の話を聞けない状態もありました。
アルバイトにするにせよ叱られたり、人に馬鹿にされたりとありました。

しかし、今に至るや何もかもがこのとき、36年間の集大成でした。解決策に準ずる発想とは如何に、やはり、私は神様に愛されているのです。

今だに何をどのようにしてとははっきりとは明確には分かりませんが、今は気楽に明るく楽しいことでと、現実社会にやっと目を向けることが出来るのです。

平和21

くだらぬ幻想も忌々しい過去も辿り付いてみれば、あーなるほどと発見することが多いのは確かです。

大学四回生になると、二回生からアパートで一人暮らしを始めましたが、歳下の彼女が出来、あっちフラフラ、こっちフラフラと岡山市内をぐるくる回っていました。
岡山の方は情的なものに欠けるところがありますが、知識と行動力は半端ではありません。相手のペースに合わせるだけで何かしら付いて行くばかりでした。

話が変わりますが、人にはそれぞれ、産まれた年や月があり、環境や宿命、運勢によってその人がどのような性格か分かります。占いも統計であり、実際に統計学は論文を書く私の研究テーマでした。ある沢山の材料となる物や事柄を集め、統計に掛け傾向を探る学問です。多次元多方程式、主成分分析が私のやるテーマでした。

占いが学問であり、確率論の応用なら、断じて気にしないことにはいけません。占いや運勢を信じない人も沢山いますが、それぞれに人の状況や在り方とは常にいつ何度きでもいつ存するものです。
今の状態がどのような状況でどのような立場にあるのかはしっかり知っておくことが必要不可欠だからです。
準備や訓練をしていなければ本番で上手くいかなかったり、試合に勝てないなどあると僕は思います。
そう考えるなら、人生においても状況を把握していない限りは上手くいくようにもいかないんじゃないかって思います。

宿命に対する考え方、あるいは運勢による将来像を見据えなければと準備してきたのが、36年間の月日でした。
バンドをやるにせよ、GOD knows
から始まり、これは正に神は知っているです。それから、今夜神になる。ここまでいけば、バンド活動は一種の区切りを付けなさいと言われているのかと思いました。

だから、納得しました。そーいうこと。東大の方はもう既に異なる人と結婚していますし、また自分にとっては物理的、または現実に目を向けることが急がれています。

平和22

今を生きる。その言葉になんとっと思ったことがありました。情報化社会、この現代では言うに言われない苦しみの歴史的な過去によって造られています。あたかも自分の物や自分のことのように振る舞うなら、その人は歴史的な過去を無視する行動であり、多大な罪を子孫に遺すのです。
決して他人事ではありません。カリスマドットコムと天ぷらキッズの歌詞にさっさと自分と闘えばあはん もー やばい やられそでやれない との歌詞です。
産まれながらに障害を持つ子供はあの世に逝ったら自由に飛び回ることが出来るのそうです。何故、飛び回ることがか?
答えは明白です。神は平等に人間社会を造られているからです。現世だけの判断で神は平等に造られているのなら、もし身体的な障害に産まれ育つならば現世こそ、修行の場であり来世こそが素晴らしい自由な世界でしょう。
あの世がないと言う人がいますが、それは環境が良いからだと言えます。
では神の平等論において平等なのに障害者が現世で生きてあの世で自由になれないなら、初めから神様は平等にしてないことが言えるからです。

この世の中で自分主義に走るものほど愚かなことはありません。
霊界に逝けば、まず長いスプーンわ与えられます。一生懸命にその人は自分でご飯を食べようとするがスプーンが長いので食べれません。すると、どうするのか?他の人に長いスプーンで食べさせてあげ、その人にスプーンで自分の口に入れてもらい食べることが出来るのです。

このような原理で神様は世の中をお造りになられたのです。自分主義に走り私は可愛い可愛いと言って罪を重ねる女性霊界では本当に醜く見えるのです。
しかし、この現代社会、見よう見真似で合わせている感はありますが、一概にはあの世がどのようなものかは死んだ者にしか分からないのが常です。
希望の祠をそこへ遺すのか?堕落の箱を開け醜い生活をし人を傷付けたことは後々、自分に返って来るか、子孫が継ぐなっていくしかないのです。私は産まれながらにして頭が良いや私は産まれながらにして可愛いと言ったことはあの世では通用しません。
人を愛し徳を積んだ者だけが分かりうる。そんな原理原則なのです。
自らをさらけ出しみ堕落な行為を神はあまり嬉しく思いません。頭が良いと産まれたのなら、その知識を世のため人のために使いなさいと言われるのが神様です。
分からないにも理由があり、無知こそが一番罪だと、世界的な偉人は言っています。人を愛さないばかりか世の中で悪い行ないは因果応報の律により必ず巡り廻って我に返ってきます。
だから常に正しい行いをしておくのが肝心です。あなたの存在を否定するなら神をも否定しているのと同じだと言えます。
恋愛に走る者、離婚を要求する者。
この現代社会では沢山いますが、いつも神はそれを見ては憤ったり、シクシク泣いているのです。
このような世界に産まれ育ったことを尊び清く生きるなら必ず神の祝福がもたらされます。現時点で恋愛結婚に至った人でも仲睦まじく生活し愛し愛されをしていると、神は降りてきて、お前の家族はなんと愛があるのだと喜ぶのです。そのような、子供や子孫に神は降りてきて神はまた、それではこのような愛に満ちた家庭ならきっと神の道も教えて導いてあげようと言うのです。

浅はかな考えで自分勝手にしても与えられる命に感謝します。
神の本当のご意志とは神は無神論者でも抱えることを望む愛そのものなのです。神にまたは愛に皮肉や冷酷など因果応報などは一切存在しません。
その家族が居心地がいいと言い。
人を愛する愛がこの人にはあると言っては人のこころに入りまた、喜ぶのです。
疎外感や疑心感で育む愛でないことを知っていますし、勝手に振る舞う中でも神はどうなんだろうと心配しては一緒に涙を流すのが神です。

だから、私達は息苦しい祠に終止符を打ち希望の祠に愛を持っていかなければなりません。いずれ煩悩も消え、より確かな経験が身を結ぶ時がきます。
いや、実際にはもう来ていて春が過ぎ夏頃になっているんです。

不思議な現象に驚くこともなく内面の素晴らしさにこころを向ける時代です。

平和23

神は愛そのものであり、また愛です。
今まで宗教的な争いや信じない者を罰すると恐がられる存在としてしまっている風潮があります。日本人においては、えっ宗教やってんの?ちょい引くわー とする人々がいますが、神にとって宗教とは人間が本来の道に逝く手段でしかないのです。人間誰もが平等です。
神はまた自然です。広い草原で華々しく咲く花そのものです。鳥がさえずり湖では白鳥がキチンとした足そのものです。神以外なものとはいったい何なのか?歴史を紐解くためには必ずその由来した手段である宗教を使うまでなのです。神が信じていない者も救い、神が宗教でないとしたら、私達の生活も一変しなければなりません。
どんな、悪事を働いた人に自然の刃が向かい災難を起こしたりするのも、やはり神が人間を愛し、神様だって人間の親であるから無論、憤ることもあるでしょう。
しかし神は悪事を働いた人でも、まあー少し生活してみれば時間が解決するだろうし反省し考え直して生きるだろうと広く深い愛で私達を包み込んでくれているのです。
幸せになりたくてもなれない人の元にいき大丈夫お前ならやれるさといつも励ましたり、大丈夫、今度は幸せにいくぞ と勇気付けたりするのです。

私達は神の愛で生まれ、神の愛で家族がいるのです。より良い世界のため、常に6000年もの間神は休むことなく人間にこのことを知らせるために摂理されて来たのです。

自然の流れに人は順応することは、何十年間の仕事から幼い頃の気持ちが薄れていく忘れているのかもしれません。もう一度あの幼く愛に溢れた時期に戻り、大切な何かを掴み取れと言っているのかもしれません。

自然は循環器しています。春が来れば、必ず夏が来る、秋が来れば、必ず冬が来る。春夏秋冬、この循環さが愛の循環であり、悪循環から善循環へループしているのです。ですから、絶対に大丈夫なのです。物事はすべて、うまくいきます。

平和24


愛に媚びるのではなく愛を受け入れる勇気。硬い石に幾ら息吹を与えても石はびくともしません。多勢の大人の男が集まって動かすなら少しずつでも石は動くでしょう。ある頭の良い人が丸太を下に引き詰め用と何本かの丸太を用意したなら子供や女性の力でも簡単に動かすことが出来ます。

人の一生とは100%で全力投球することが望ましいことがあります。しかし、この100%は神様のたったの5%なのです。神の愛は無限であり神は人間に5%しか責任分担を与えていません。残りの95%は全て神が用意してくれています。どんな些細なことでも神は喜ばれます。コンビニでゴミが駐車場に落ちているのを拾いゴミ捨てまで行って捨てる行為だけでも、永遠に覚えていて嬉しがるのです。神は一過性のものではなく常に与えて与えてくれます。
何故神がこのようにするのでしょうか?実は簡単な話なんです。それが神が親だからです。神の愛は砂漠のオアシスのように旅人の喉を潤し、旅人のこころも癒します。
この砂漠化した世の中でも耐えず潤いの水を流し飢えた者に水を与え続けるからです。

今日、私達のいる世の中では、不思議な現象が溢れています。硬い頭を柔軟にし、訪れる秋を神々しいと思わなければならないと思います。一瞬の棚引く風にほどよい安心と懐かしさを感じ、親身に認めてくれる方々を信じまた、躍進しなければなりません。
これからの世の中は、ずっと楽しむことに一生懸命にならなければ、却って我慢したり、辛抱するなどといったこともなくなります。こころに神様が宿り、広く深い愛を持っているならば、どんな苦しみや痛みなど溶けてなくなるからです。
朝日が昇らない日は雲に隠れているときでも、見えないだけで昇って来ます。どんなに辛い夜でも、明日になれば昨日は何故あんなに辛かったんだろうと忘れて1日を過ごすことが出来ます。
季節も同じで夏が来て、涼しい秋が来る。四季とは日本人にとって、とてもありがたいことです。ただ、何だか夏なのにとても涼しいな。と思い、秋が訪れているというのに、夏だというのはとても悲しいことです。季節は巡るのであって一年中、夏だと勘違いをしている人が沢山いるのです。
夏ばかりが続くと勘違いをして季節が春夏秋冬を迎えるのに、それに気付かないのは日本人にとってなんともどかしいばかりか?
たまに質問とは違うことを言い、答えとは違う判断をする人が沢山います。
素直に正直なこころは、この現代社会、物質文明にはなんと分からずしている人がもどかしいばかりか。
ただ、質問している答えを素直に答えれば良いのに、妙な解答をしたりする人は時代が移り変わっていくことが分からない無頓着な方であり、それを無知と言います。無知はいけないと思います。長い年月の団塊世代は年をとって社会では妙な解釈をしているので、その凝り固まった硬い頭では価値観が全く現実的過ぎるのです。頑固さはもちろん大事ですが、物事には温故知新と言う言葉がちゃんとあるのです。
そこから脱することが出来ないとなかなか季節の変わり目が分からず四苦八苦するのです。もうこれ以上人は我慢したり苦しんだりすることは必要ありません。第一に我慢より楽しみを見つけて笑って過ごすことが大切だと私は思います。
こんな簡単なことを人は複雑だとか、悩みだとか言って愚痴をいいたがります。実際シンプルに楽観的な方が全て上手くいきます。笑ってる顔に貧乏神や悪魔は取り憑かないのです。分かりきったことを悩んだりして、自分の首を自分で掴んで苦しんでいるだけのことなのに、苦しいだとか辛いとか我慢だとか、何かに付けて複雑にします。

前にこんな悩みがあるんだけどと相談されたことがありました。だけど、僕ははっきり言いました。悩まなければいんじゃない。
どんなことでも自分の考え方次第です。そんなに悪循環の無限ループに入りたいのですか?善循環の無限ループに入り永遠に幸せでありたいものじゃありませんか。

平和25

大学四回生の頃の出来事です。当時何もかも自分勝手で何かエネルギーに燃えていた時期で1人きりでアパートにいて一生懸命に勉強ばかりして人への愛情をを理解出来ないどうしようもない自分になっていました。

彼女がいたものの岡山の街が嫌いだと妙なプライドを立てネガティヴで沢山の学科の友人のグループでも孤独でした。高校のときの3年間があまりにも私を変えてしまっているのでした。一度プライドを持ち愛情を自分勝手に振る舞う自分は結局何もこころのない私を容赦なく打ち付けていました。
顔もぶきっちょ面で冷酷な私は本当に愚かでした。

ある日駅前を歩いているとある女の子に声を掛けられました。その人の時にだけ何故か笑顔で話しました。
一度、真の幸せって知っていますか?と質問する女の子に私は不思議だと思いつられるまま付いて行きました。
とても親身になって私の話を聞いては笑い気にかけてくれる人だなあと思いました。
つられるままある建物に着いて私は何やらビデオを見せられました。
そのとき、家族論を始めて観た時に涙が溢れんばかりに流れました。
今までの学生時代の現象や不運はと思い謎が紐解かれたのでした。私は何に苦しめられていたのかそこではっきりと分かりました。こと細かくご先祖様がどのように付いていくかなど、実に細かいある人のビデオでしたが、真剣に見入っていました。
家系学か家族論か忘れましたが、今でも本当に興味深い内容でした。家系学においてひいおじいちゃんは3人の中の長男に付き、おじいちゃんは次男に付き3男はおとうさんが付くらしく、財産があるお金持ちの時代もあり、それは子孫に受け継がれますが後に衰えと、また時代が変化し財産がある時代の子孫があるというのでした。

母親の愛情についてもありました。3人兄弟では1番愛なるものか知りませんが、長男が母親に近寄ってきたときはその長男に世界で1番愛しているよと言うのでしたが、次男が近寄ってきたら今度は次男に世界で1番愛しているよと言う内容で3男も同じように1番愛しているよと、同じように1番を掲げていました。

彼女と花火大会に行ったり、倉敷に行ったりするたびに何やら惹かれていったいたのは事実です。その間も建物に通いながら彼女とあちこち岡山市内を歩き回る毎日でした。しかし、なんとワガママな女の子なんだと思いながらコンビニでヤンキーみたいに居座ったりアパートでご飯を一緒に作って食べたりとか、自転車がある場所に移動されたからとバスに乗りながら帰りは2ケツで帰ったりしていました。

今、思うと良い経験でありましたが、もしその彼女と結婚したら絶対に上手くいかなかったことだと思っています。しっかりはしているのですが、何か情に掛けることがありましたし、こんなみ堕落な経験とも束の間、愚かなただのズーたいのデカい馬鹿になっていっているのが自分でも分かりました。

平和26

その頃からではありますが、神の存在が急速に近づいてきていたのを今は分かりました。建物に通いビデオを観ながらコーヒーをいつも出してくれる人達にありがたいとも思いながらも1時間くらいそこに居て彼女からの電話があり、そこで彼女とまたフラフラ歩いていました。ある日街を2人で歩いていると、真の幸せって知ってると言った人が石本くんダメよ、まだ若過ぎやしない?と言うのでした。3ヶ月近く建物に通って暑い夏の日でしたが、ふと証があったのです。石本くんの人生で一番大事な日になるから、必ず来なさいと言われました。分からず、行ってある部屋に通された私はそこで確実に知りました。ここで出す名前は控えさせてもらいますが、いわゆる弥勒仏の存在、キリストで言えば再臨主の方の証でした。
あるとき神戸で4デイズか修練があると聞き行きました。そこでは証のあとに学び愛の教育を歴史を紐解いていくような修練でした。どれだけの苦難を歩まれた方だとか、実に歴史の全てを聖書を通して学びました。
そこには隠しきれなくわならない出来事、神様の言うにいえない状況を創世記から堕落論、の全てをどのような人がいてどのように神様の摂理で歩まれた理由など、イエス キリストやモーセ、アブラハムからノア聖書の理解されない謎を少しずつ愛の教育で学んでいきました。
神様は私達、人間をお造りになったときに聖書の林檎の木からと、実に細かく解いているので凄いと思い一生懸命に勉強していきました。
神様は人間を不幸にさせるために私達をお造りになった訳ではなく、卑劣な神様ではなく、今も尚も人間の摂理をし救いの手を伸ばしてきたとのことでした。

当時大学に行き、教会を行き来していましたが大学も卒業が近づいていました。そのためにか時間がありました。ただ論文を書くために週に2回くらい学校に行くくらいで良かっからです。
就職活動の真っ只中スーツ姿で建物に行ったりしていました。そのときからも神様の導きは強く悩みを抱え苦し紛れになりながらも教会に行きや祈り、新たな真意を少しずつではありますが理解していきました。こころにいつも答えを求めていた私はここに縋ることしか難問題を解決することが出来ないんだなと思い一生懸命に通っていました。彼女から電話があり、何処おるのやら、凄く気にするのですが、自分は別にの一辺倒でした。

それから班長に彼女とは別れるようにと言われ彼女とは別れました。それから信仰生活が始まったのでした。

平和27

あらゆるお金のパワーに悪なことを日本においても、社会はなかなか汚いものですな。ふと車を運転していると信号のない横断歩道を渡るため、車が行くのを待っているおばあちゃんがいました。自分が止まると、後ろの車はじゃっきっとせい、怒りで、はよいけ!
前から来る車は自分勝手に右へ左へとおばあちゃんを無視して通り過ぎるあり様でした。誰もが分かることを平気で自分は関係ない。そんな人が多いのが目に付きました。どんなにせっかちでも、横断歩道を渡ろうとするおばあちゃんは車が来るので渡ることが出来ません。こんな状況でも周りの訝しげな声の中でも止まってあげました。
おばあちゃんは軽く会釈をして渡るときも笑顔を絶やさないのでした。
なにか、こんな風潮があるのでしょう。自分のことが良ければいいと、自分が家族だけが大切だとか、分かりますが、仕事だけが人生ではありません。どんな社長でも、その会社ではトップであり、威張り散らしてもそれは仕事なので当たり前のことだと思います。
しかし、横断歩道を渡ろうとする、おばあちゃんにとって、あなたが社長であり、あなたが仕事で業績を上げている方であろうとも、おばあちゃんには関係ないことです。
我先我先に行くことがあれば先に譲って行かせてあげなさいと、僕のばあちゃんの言葉に離れません。
社会がどうであれ、人がどうであれ、無視すること到底私には出来ませんでした。いつからこんな社会になったのか。苦しい苦しいとは嘆き忙しい忙しいとはせかせかし、自らの首を絞めていることも分からない人が多すぎです。
世の中はあなたがたを中心には周ってないのです。結局、自らの首を絞めているものは何か?
そんなことは幼稚園や小学校の頃に習ったでしょう。先生が人に対して悪事を行いなさいといいましたか?
全く逆で良くしましょうと教えられたんじゃなかったんですか?

団塊世代の学校教育は確かに必要でした。親が強く子供にしつけていましたから。先生も成り立ち学校教育が本当に大人になって社会生活を学ぶ場としては効果がありました。

その教育を受けた大人が犯罪をし社会を駄目にするなら、決して今の学校教育が的確ではないと思います。
しかし、このような時代に一生懸命に自分と向き合ったり、血のにじむような仕事を毎日する人はたくさんいます。
実際、僕はその上の気持ちを持ち行動したいと思っています。
資本主義において働くことは競争を勝ち抜き、利益をあげることが経済成長には必要なことだと思います。
力をかして頂ければありがたいです!

平和28

これまでの人生の中で上手くいった試しをあまり思い出すことが出来ませんでした。災難、苦難、私にとって人が上手くいくのをみては、悔しさのあまりで涙をずっと流していました。恋愛においても贅沢な悩みだと自分の幸せに対して蓋をしてしまっていたことは最近の話でした。環境に私は何度も悔しさを感じることでなんだかんだ自分を保つすべも苦難であると自負していたのでしょう。今では相手を愛せないと人から罵声を浴びせられる次第でした。しかし、私にも幸せの予兆がやって来ているのであり、それが神様のご意志ならそれに沿うことを私は願います。有志以来、ずっと過去に東大の方と祝福を受けたことを何かしら忘れることが出来ないでいました。この人で本当に良いのかと自問自答し、恋愛に力を入れることが出来ないでいたのは事実です。
人が幸せに過ごす恋愛関係に対して、愛で持ってと常に葛藤してきました。まだ早いと自分で蓋をしていたのでしょう。人が楽しく恋愛生活をすることに対して自分の幸せを考えないでいたせいでしょうか、いつしか恋愛に億劫になっていました。こころの何処かに叶うはずかないと自負して生きて来ましたし、それによって私に対するこころの罵声とは私をイラつかせました。
それによって人にあたる始末と自らに負のループを展開させてきたのでしょう。誰もが好きな人に告白し、その恋愛成就に喜びを感じ愛を知っていくことに対して疑問を寄せてきたことも事実です。辛い恋の経験を今までしたこともなく友人に打つ手段が全部障害となって上手くいかないことにたいして、なんら当たり前のように考えるようになりました。バンド活動で出会う女性は必ずアドレスを聞いたとしても必ず返って来ることがありましたが、どうせ上手くいかないだろう。そのように私のこころに蓋をして成就しない恋愛において、またかと思いを越え、何も感じなくなりました。それが神様の私に対する試みなら私はその辛さを越えなければなりませんでした。私は神様を愛しているのであり、私は神様の中で泣ければ、恋愛を成就することは出会いにおいて愛ではないと勝手に蓋をしてきたのも事実です。
人が楽しく幸せに過ごすことで私が愛した人もいいよと譲ることで、自分を愛さず、結局は人も愛していなかったのです。
このもどかしさの中でもある親友は私に相手が出来ることに、本当に願ってくれたことがどれだけ救いだったか。
勇気のない、愚かな人間になっていました。ずっとこのことを抱えていたのです。赤い糸を信じこころがボロボロになり、何故か不幸を呼び込む私は空元気で明るく振舞ってきました。こころの中味を知るひとを知る人は少なく、私のこころはいつも涙でいました。私のこころをもっと知って欲しいと願い、出会い相手にたいして腑に思わせていたのでしょう。
これからは上手くいくことを臨みます。

平和29

異性と手を繋ぐだけでも私は嬉しいのです。それ以上になる思いとは至福な喜びを望んではいましたが、実際には望んではいなかったのでしょう。それは私が今まで経験したことがないので想像すら出来なかったことは事実です。勝手に恋愛で遊ぶことはなるべく避けてきました。今まで経験したことが頭にあったからでした。男女の中には必ず奇蹟的なものであり、一生を意味し永遠であることを知っていたからです。奇蹟的な出会いをした2人ならば必ず結婚し子供に恵まれます。子供が出来た以上、その愛する子供に両親のせいで辛い思いをさせたくなく、それはご先祖様から両親に至り私達と子孫に至るまで真っ直ぐな血統で神様と繋がりたいと思ったことでした。常に私の頭にはそれがありました。私の両親は離婚していないのであり、私の祖父母もまた、離婚をしていません。結婚とは私だけの問題だけでないと思っていたからです。親戚の女の子が若く結婚し何度も離婚し結婚をする事実を見て、一度私のお父さんの考えで、私の家で親戚の女の子も住んだことがありましたが、そのレイちゃんという子供の人生をこころの底から願いました。父親のいない懐いてくるレイちゃんの笑顔や行動が今も気になるのです。
だから私はそのつぶさにあべこべになった血統を正す責任がありました。
永遠と言える結婚をわたしは疎かに出来なかったのです。それは私自身の問題ではなく神様の意思や願いだからでした。こうして、こころの中で人に言うにも言えないものがありましたが、わたしはご先祖様や両親や子供や子孫を裏切ることは出来ませんでした。
私には私の人生がありましたが、私の人生において、数知れない多くのご先祖様が眠るのであり、そのご先祖様をわたしは裏切ることは出来ない一種の責任が存在していました。
神様のご意志を知るわたしは恋愛を遊びとか考えることが出来なくそのことが常に私の頭にありました。そのようにわたしは恋愛に器用な人間ではありませんし、神様もそれを望んでいたからであり、わたしは守られていたとずっと思いました。また、環境において、精神疾患で30年間の間の通院生活で蝶々がひらひら目の前で飛び交うのを見て60のおじさんが結婚もせず、そのように純粋なこころの何かを解決する責任があると感じるようになっていたからかもしれません。異性を愛する前にわたしはやることがあったのでしょう。
その思いがいつも離れず、恋愛においては力を入れて注ぐことがなかなか出来ないでいました。
また、血統を受け継ぐわたしにおいてご先祖様の悔しさを清算しなければと常にその思いがありました。自分勝手に自分の幸せに正直に向き合うことはわたしのご先祖様の悔しさを償ってからのことだと思っていました。

平和30

わたしは正直なはなし、わたしのことを信じいまでも続けているお方を忘れることは出来ません。病院から退院したわたしにとって実家に帰った12、3年間の間は少し神様から離れていましたが、父親のある言葉に、そしておじさんや親戚のお兄さんが来てはなしをしてくれたことからの12.3年間でした。
その間薬を服用しながらも10年間働いて自分で自分を鍛えようと努力してきました。そして10年間、神様から少しはなして生活する後にもう一度呼んでくださいました。その気持ちをなんだか嬉しくなり感謝でいっぱいです。
両親が分からぬわたしのこころの底の底を神様は知っていたからでした。わたしは神様と共に生きてきたのであり、神様はそんなわたしを10年間を見てまたお呼びになられました。神様から離れて生活をするわたしを愚直にも再びお呼びになされました。わたしにはそれがとてもありがたく、これは、両親にはないものでした。こころの奥の底の底を知っていたのは神様であり、わたしは神様が絶対に裏切ることのない親そのものだと思いました。薬を飲んで働くわたしをいつも慰労しそのことをずっと堪えわたしをずっと見ていたのでした。そのことをこころから知りました。神は愛であり、絶対に裏切らないのを確信しました。離れて12.3年過ぎたわたしを、愛でなければわたしをお呼びになることがなかったからです。それは神様のわたしにとってのささやかな愛であり、わたしにとって離れて生活するまた、愛であることを知りました。
永遠に愛する、愛することしか出来なかった神様にとって、わたしの存在が嬉しかったのに他なりません。そしてわたしはそんなやるせない親なる神様の気持ちをありがたくうけとりました。
これからわたしがすることをしなければなりません。

平和31

団塊世代の悔やみ。戦争が終結し経済成長を促した時代、天性の才能さえも働くことに人生の全てを掛けてきました。私たちに出来ること、時代の流れはこうも、本当は才能を開花させたくも働くことに追われた日本人であり、団塊世代の方々。現実を見ることが絶対的であり、夢を語ることも出来ず仕事に心地を注ぎ家族のために子孫のためにと団塊世代は懸命に働きました。働いて働いて自分の時間などほとんどなく、働いて働いて。
時代が変わっていきます。悲惨な戦争歴史からわたしたちに出来ること。
いつもいつも考えていました。才能に恵まれそれが実力社会になってきた現代では可能になってきました。
きっと人が平等であるならば、団塊世代の方々も現代社会で生きにくくも働く若者にとっても、ましてや30年以上の障害者の方々も、きっと平等なのでしょう。天は人の上に人を造らず、人の下に人の造らず。
きっと天の前ではその人の苦労であるとおっしゃるのでしょう。権力を持ち財産を持つことに、私の父親が意地であったことがあります。
以前、散歩したときお父さんにこんなことを言われました。お父さん、お爺ちゃん酒飲みやったんやろ!戦争にお爺ちゃん。戦後も酒を浴びるほど飲み、急性中毒で2回救急車で運ばれたそうです。おばちゃんがやってきた、倒れこんでいる、お爺ちゃんの顔を叩いていたそうです。お爺ちゃんは劣悪、戦争に行った後に国鉄で働いたそうです。酔い潰れて、亡くなった弟達の名前を言っていたそうです。
私にお爺ちゃんが亡くなり、お婆ちゃんにこんなことを聞かれたことがありました。上手く行ったじゃ!結婚を愛で貫いた方々です。内のお父さんお母さんも、上手く行きました。子供を育てあげた夫婦は夫婦仲良く今では旅行を楽しんでいます。孫の顔を見て、本当に愛らしいのでしょうね。

昔の話ですが、お爺ちゃんは朝早く帰りは23時の私の父親に向かって、お前はいったい何時に帰っているんだ?と言われたそうです。さすがに母親が子供を育てているのにと、お爺ちゃんは息子に言ったのでしょう。
父親はさすがに言われたーや!と言っていましたが、どれだけの愛をと思うのです。お爺ちゃんは息子を愛する以上に息子の奥さんである私の母を愛していたことでした。
無口で酒を浴びるお爺ちゃんは私が小学6年のときに癌で亡くなりました。
お父さんから聞いたところ、癌になりながらも病院生活で、痛いの一言も口にしなかったようです。死ぬ間際まで痛いを言わなかったのです。我慢強さ、その一語に尽きません。
そんな我慢強さを私が受け継いでいるのかもしれません。
このような歴史たるや過去の無念をわたしたちは現代でしっかりと精算しなければなりません。現代で生きる意義と意味、それは、そのような無念の先祖を晴らすことが重要になっているのかもしれません。

平和32

神様はわたしたちが勝手に考えているように何もしてくれないと思いがちでありますが、全く反対です。人類歴史が始まったときから6000年もの間、人類救済に休むことなく摂理されてこられたのです。
神様は人が劣悪な環境にいる人の側にいます。絶望のかなたにいる人の側にいます。人から汚いトイレや電灯のない真っ暗な狭いところにいます。
目に見えるものや感覚より目に見えなく辛い現状なあなたの側にいるのです。独占することのない神様の愛はいつどこでも、あなたを慰労していることです。子供が悩んでいるなら、同じように、どうしたものかと神様も悩んでいのです。
誰かしらの神様ではありません。誰にでも、一言神様と言うのであれば、直ぐさま近寄って来てどうしたんだい?と囁くのです。
決して神様は無返答な愛でわたしたちを包み込んでいるのではありません。
親としてボロボロになりながらも、今まで愛することを止めませんでした。
神様の愛は偉大であり、劣悪な境地に立たされている子供をみてはいつも大丈夫と励ましているのです。
神様は天国にいると思われがちですが、地獄の底の底にいるのです。
一番神に近いところは生活が困難で水さえも飲むことに苦労している、劣悪な環境にいて人々をなんとかして救わなければと、いるのです。
世の中のチグハグはもともと罪の木です。そこから自由意志を与えられていた人類始祖が罪を侵しエデンの園を離れなければならなかたことから、人類罪悪歴史がはじまりました。この6000年間、世界戦争歴史が始まりました。
歴史の歴の文字をご覧ください!
2つの木を止めると書いてあります。
要するに6000年もの間罪を止めるため、あらゆる偉人を選び神様は人間救済に掛かってきたわけです。

神様のご意志とは世界平和です。自然を見ても分かるように、争い合う人間とは違い植物も相手に対して相対的に生きています。ならば、植物が光合成をし実を結びます。その実を動物が食べ動物の排出物や死骸を栄養として、また植物が育ちと、自然の循環はこうなっています。これが食物連鎖であり、幸循環です。

しかし人間は悪循環をしています。自分達の欲望がままに生きるため、人を殺したり、人を恨んだりと、自然とは全く反対の悪意を持っています。
要するに、人間に悪が入ったことから始まっています。自然には悪がありません。悪が存在するのは人間だけです。だから、浄化するということは、人間のこころに悪を残さないということが言えます。
決して人間は人を傷つけることなく、善を施行しなければならないことが、宇宙の原理原則です。日本昔ばなしでも天国と地獄のストーリーがありますが、本来天国しかなければ、そこに地獄はないのです。では、天国とは愛の溢れる世界であり、地獄は愛の全くない世界であることはいうまでもありません。

世の中に矛盾という言葉がありますが
善悪は矛盾であり、相反するものではありません。光の反対は闇ではなく陰なのです。善悪は相対しません。矛盾です。

平和33

有志以来、この人間の問題を求めてきた偉人達が、この時代神様の手伝いをして、現世に降りたってきている時代です。出来るだけ、物や形に執着せず、そのような援助を受け、一刻も早く神様の理想を実現していかなければいけません。

お釈迦様は有名な偉人です。そのお釈迦様が人間の本質を知るために厳しい修行で解脱を図りました。そのお釈迦様はこう思ったそうです。解脱の図ったお釈迦は人間は私だけでいるのではない。人間は個人的なものばかりではないと悟ったというのです。本来の人間の在り方とは、あなたがいてわたしがいる、必ず1人や孤独な訳ではなく、あらゆるものに相対していると悟りの境地に立たれたのでした。

これからもわたしたちがやらなければならないことは人と人の繋がりを大切にし、あなたがわたしのためにあること、また、わたしはあなたのためにあることを理解し行動しなくてはなりません。人間関係によりよい善循環の無限ループを生み出すのです。争いもなく思いやる、少しだけの小さな愛が地球を救うのです。世に平和をもたらすのです、外見も内面も、それしか、人間本来の問題から解決しなければ、社会に矛盾は消えないでしょう。
だからわたしたちひとりひとりが力を合わせて神様の仕事をしなければなりません。それが、この現代に生きる世界の方々の責任分担であることを知らなければなりません。人が傷ついている、正直な人が馬鹿をみる時代はもう古いし、新しい季節の流れを掴み、自然となり、協力し合い、環境、偉人達の援助、天使の援助をかり、世の中を救っていきましょう。

人は生き、そして人は死んでいく。
あらゆる山あり谷ありの人生。2人で乗り越えてきた過酷な人生であったり。
また、戦争の最中、兄弟の早くした死に悔やみ、辛い思いをして、土の中に還るものです。このような罪悪はなしてはいけないと僕は思っています。

幸せになりたいと願いながら、幸せになれないでいる友人もたくさんいます。どんなに苦しい思いを持ちながらも笑顔で接してくれる友人です。
また、親友と絶対的に信じてわたしのことを心配してくれる友人もいます。
また、わたしに彼女が出来ることをこころから思ってくれる友人もいます。
同じ精神疾患を抱えながら、死んでいった友人もいます。
同じ精神疾患であまりにも幻聴が激しく体に火を付けて未遂をした友人もいます。
幼馴染もわたしのことをこころから心配し同じ精神疾患ではありますが、より良くなるように支えてくれる友人もいます。

きっと人はその愛を忘れることが出来ないのでしょうね。今も昔も変わらぬものとは愛の他に不変なものはありません。友情を分かち合った熊本の親友、誰しもが苦痛を味わうことがないように、己と戦ったわたしたちにとって大切なことは、わたしたちは不幸ではなく、わたしたちは幸福でみんな愛を持っている。それこそが、人間へのまた人生の答えなんじゃないでしょうか?
どこかに空虚感や劣等感。やるせなさや、息苦しさを抱えて、荒波を乗り越えてきたわたしたちとわたしたちのご先祖様達、もうこれ以上苦痛や苦しみは必要ありません。我慢をすることもなければ、自ら命を絶つこともありません。すべてがうまくいっている。
すべてが善循環に向かっている。
それを思ったときはわたしは孤独な人ではなく、愛されていることを実感しました。
愛し愛されて人は歴史を紡ぎ、後孫に確かなこころの平和と幸せを受け継いでいかなければなりません。
それがわたしたち現代世界で生きる責任分担ではないでしょうか?
そうしなければ、江戸幕府を倒幕に向けての維新のなみだながらの武士達の無念を解放することが出来ないどこれか、平和に至った日本の戦争の傷痕を癒すことは出来ません。
人1人ずつに幸せはもう少しです。
春が来て、夏が来て、秋が来て、冬が来て、そして春が来る。
この自然の幸福ループに入っていかなければならないと思います。

平和34

たまにあの大学卒業後、東大の方といったニューヨークの国連で祝福を受けさせていただいたあの方を思い出します。あの方の本を101回読みました。320ページくらいある自叙伝を真剣に読んでいました。
自己犠牲、あらゆる聖人は撃たれてきました。しかし、あの方程の苦しみを経験した方は過去にいないでしょう。
わたしはあの方をを信じてきました。

平和35

当初、信仰生活を始めたての頃は、人生への答えが決まったと、一生懸命に信仰生活をしました。協会のスタッフさん方々は、とても優しく、親切で兄弟姉妹と呼び合い血肉な関係で繋がっていました。最初は新トレといって、愛されることから始まりました。
良きお兄さんと良きお姉さん。神様は人類を兄弟姉妹として、為に生き家族のように愛し愛されることを思い、わたしたちを造られました。まず、教会では愛される新トレから入り、実際人を愛する為の訓練の実施トレに移っていくことが信仰生活の一部でした。
愛されることばかりしか分からないわたしはとても、愛することに無頓着であったの、愛というものがよく分からず苦痛な気持ちでいました。
この世、あの世でも一番辛く険しいのは神様の試練です。実際、わたしは教会に入り信仰生活をするなかで、人生の山あり谷ありの、真の辛さを何度も何度も受けました。これは、明らかに神様の試練であり、悪魔の迫害でした。快く思わないのが悪魔であり、全身全霊で人生の難問題に立ち向かっていかなければならなかったのです。
神の子は強く逞しくをモットーに人や神を愛し大人に成長するのでした。
自分をしっかりさせるのも愛であり、成長するのも愛でした。神様は早く成長させて、人類の平和にする勇志を育てたいと教会員がいっていました。

平和36

平和世界を夢見ることに宗教という。題目でしたが、今では良き1年間の体験でした。河の音が流れ、青い空に棚引く白い雲を見たときは、何故か嬉しくなりました。人々は辛いということをわざわざ実態で示した訳ではありませんが、心理的にどうかというと気分が上がらずいつもマイナス思考というありさまでしたから、人が軽く乗り越えられる壁がわたしにはそびえ立つ塔のように高くて内面を隠していました。
わたしには正義感や責任感があると、三者面談で父親は担任の先生に言っていましたが、父は実際そう思っていたことにわたしは不思議に思いました。
また、最近ですが、母親はしきりに進学高校に行くことを、何故幼いわたしにいったのかを尋ねてみました。
すると、あんたはやれば出来る子だからよと言うのです。
そうです。わたしはやれば出来る子です。如何なる壁が例え他の人でも軽く乗り越えることの出来る壁であったとしても、なんとか人並みに勉強して、大学まで行かせて頂いたのですから感謝のしようがありません。勉強とは不思議なもので、やはり大切なんです。
大学に行くと決め、工大と理大、両方受かりましたが、もう広島では学べないとの思いの行動でした。悔しさで今までも過去を振り返ることがありましたが、高校で学べなかった経験をして人より一目二目も幅広い視野と深い感情に成長しようとしていました。誰もかれもそれがわたしにとっての人生を賭けた青春だったからです。わたしは中学や高校の青春とやらが分かりません。青春と今までも一度も感じませんでしたし、まさか高校三年間の青春がこのように妙な環境でしたので、いうまでもありません。
わたしの人生、わたしの行いが全て鵜呑みに出て上手くいくことが全くありました。そんな心境を知っていた方が神様だけであり、卒業式の朝の日に教会で卒業だねと感覚ではなく、はっきりと言葉にしてくれたのは神様でした。卒業だねという言葉はわたしにとっての終わりではなく、始まりであったことを不思議に思いました。

平和37

このご時世、奈落の底で新しい、新鮮な風を受け入れないなら、あなたの人生ほど愚かな人生ほどないでしょう。
天使が行き交う世の中において、温故知新の分からぬ子女など天は望んでいないのかもしれません。なぜにわたしたちはこんな世にも奇妙な世界を生きるのでしょう?幸せになりたいと決めた己にたいして前を向けぬわたしがいました。こんな愚かなわたし。わたしはこうまで、人の愛情が分からぬ愚かな人間に愛し得る相手などとの疑問や葛藤。わたしの喜びの全てをわたしのこれまでの環境はわたし自身の問題であり、わたしはそんな過去の現状にたいして、なんらかの疑問や答えを求めてきました。
気づきました。人生とは苦痛や我慢ではなく気楽や喜びに溢れるのです。
綺麗な人を綺麗だと思い、醜い者を醜いと思う。人間にとってそれは目に見える当たり前のことであることを正直に分かりました。
らしき日本にも、らしき女性にも、何やら恐ろしいものを感じる今日この頃です。特に酷くつらい恋愛の経験はありませんがわたしにとっての異性の在り方、見える全て、なんやらおかしなことにと、甚だ思っていました。

太宰治の人間失格を読みましたが、またわたしもそれに付随したなにやらがあるのかもしれません。皮肉かもしれませんが、わたしは自分自身を人が勝手に動き愛してくれるものと思ってきて相手の為に動けないのです。
いつもわたしとは合い判する環境に怯え、愚直にもわたしの気持ちを出したところで相手を怯えさせるありさまなので異性には申し訳ないと、うろたえるのです。人間失格とはわたしみたいな人間をいうのでしょう。人が分かることが分からず、人が分からないことが分かる奇妙な人間です。
アインシュタインの相対性理論を分かった事態で変人なのです。自分自身で環境に合わせる為にレベル7をレベル2くらいに合わせていました。下げる必要性もないよと言われましたが、人が生きる中ではやはり、レベル2に下げる必要性がありました。
わたしをこころから分かることの人気は東大の方なのか?とそれ以後自負している自分に苛立ったり、相手に腹を立てたりしました。こころのそこを知らない人のように接することに負担を感じていたばかりか、合う人とはいったい誰なのか?分からないのです。

平和38

無理なことを神様は望むのです。
それを打ち破るものを求めて、彼を探すのです。歴史に賽の目した矛盾の渦を正す者の為に光を降ろすのです。
わたしにはわたしの宿命があり、わたしにはわたしの人生があることを神様は知っていました。
その内に治り、井戸の中の蛙を神様はあまり快く思っていません。わたしたちには幾つもの壁があり、それを打ち破る者を求めて光を降ろすのです。
あなたが生きてきた人生、あなたが産まれた全てを知り、また、あなたの生活の術をあからさまに知っています。
あなたが嘘をつき真実から目をそらすときには光は軽く薄くなることを。

こころの貧しい者は幸いなり、天の国はあなたがたの国であるから。そう答えた人はイエス キリストです。どんなに財産を持ち、どんなに親に恵まれ、どんな強運で、どんな素晴らしい人生であっても、こころの貧しさにおけるイエス キリストの言葉は何よりも真実で何よりも神様に近いのです。
人を求めて神様は彷徨います。人の嫌う場所や環境を求めてやはり神様は彷徨うのです。気楽に生きた人生であろうが、どんなに知性に恵まれて、人生の全てを手に入れたとしても、神様は1番貧しい孤児の元に先に降り立ち助けるのです。
神様は苦しい人が喜んでいる姿をこころから嬉しく近寄るのです。
お金に塗れ、愚直な生活をしている者の下には訪れず、貧素なあなたのこころに常に降り立ちます。きっと誰もが愛し愛されることを望みます。

神様はいつも人を思いやる愛に喜ぶのです。これはあなたの人生があなただけのものではない、あなた自身の人生ではないことを示しています。あなたはあなたの人生を生きているようであなたは肉親や兄弟、姉妹、あるいは、隣人や自然、神のために生きているのです。
あなたは気付くことのない喜びあるセンスと器用さ、知識と生活に恵まれているに過ぎません。
神様はそのようなものに対してあまり興味がないのです。
知識がないなら、勉強する。
感性がないなら、音楽をする。
こころが弱いのなら、働く。

神様はそんな壁を撃ち破るわたしたちの側にいます。

平和39

精神疾患に悩み、苦しんだ、ある出来事をわたしは知ることが出来ました。
今は元気に過ごして明るく振る舞っていますが、精神病院に8ヶ月入院し、退院した当初は本当に寝てばかりいました。あることにこころが死ぬほど辛く生きることすら、辛い毎日が続いていました。しかし、働くことにおいても半年がせいぜいで、働いては辞め、働いては辞めを繰り返していました。精神的な疾患にあるものにおいて、社会に出て生活するということは本当に大変なことでした。
上司には怒鳴られ、何度も何度も辞めたいだとか、辛いとか、福祉方々にお世話になりながらも働いてきました。
普通の人が働いて苦労することより、2倍くらい正直、疾患を抱えながら働くことは苦しいでしょう。
続けることの大切さ、人は精神が弱いだけだろう!、と言いますが、体験したものにしか分からないでしょう。
しかし、病院を変え、実際に3年くらい続くと働くことに慣れたせいか楽になりました。
実は共に病院で知り合った友人を亡くしているのです。その人はとても頭がよく、バスケも中、高、大、と10年間やった友人です。とてもわたしの面倒を見てくれる先輩でした。共に広島に行き、服を買った友人でしたが、なにやら逃亡節があり、何カ月か岡山に行ったりだとか、福岡に行ったりした、友人でした。気がつくと精神病院の中で生活でした。知り合い、また、求め、下関には花火を観に行った友人でした。
その友人の野望はわたしに託されています。友人の野望は精神病院のありさまを描くことです。わたしはそれを引き継がなければなりません。亡くしてかなりの月日が経ちますが、共にわたしと生きてきた友人です。歯を握りしめ彼のこころと共にわたしは生きています。
なので、わたしはその野望を成し遂げなければなりません。
精神病院のありさまは本当に無惨の宝庫、語り尽くすにも何日も掛かりそうです。きっと、わたしたちが想像することのない、異様な空間の実際をわたしは綴っていくつもりです。

平和40

実体におけるありさま。わたしたちは本当に仲の良い友人でしたが彼はわたしに弱味を一切みせませんでした。見せるどこれか、わたしのいない時でも病院のおばさんにわたしの良い面を言っていた本当にこころの強い友人でした。わたしが薬を飲みながらも本当に一生懸命に頑張ると言ってくれた唯一の友人でした。
その抱えるストレスとは本当に立派なものでした。わたしに弱味を吐くことをせず、誇らしい人生であったと思います。きっと彼のこころの中にわたしが大きくあったのは間違いありません。
誰もが病気で苦しみ、当初、わたしが精神病院に入院した頃は神様への執着心が拭えず、現実に目を向けることの出来ない、ポワンとした感じで生活していました。
教会で二階から飛び降りようと決めたわたしは何人かの教会員の方々に抑えられ生き延びることが出来ました。マザーは言いました。病院行きましょう。丁度目覚めた時にはベッドの上でした。目覚めてみると、トイレが部屋に設置されており、父親がいました。
父親の顔がいろんな顔に変わっていったのが思い出します。何やら、救われて大変な1日を過ごしましたが、正にそれは鳥がさえずり、飛び回り、春の暖かさと、素晴らしい気持ちでいました。

父親がわたしを連れて帰るとの教会員の話の後、実家の精神病院に入院しました。四年あまり岡山で生活をしましたが、とても、ストレスが溜まっていたのでしょう。人生の休息です。幼い頃から、スイカの皮も食べ、中学の猫引っ掻かれ病の不思議な体験や、高校3年間の悔しさを持ちながらも、大学生活での経験からは本当になにやらストレスの塊になっていたようです。人生の休暇が必要でした。

今だになにやら神様の真意を多くの聖人たちと問う、わたしと神様の試練がわたしのこころと身体で起こり、2週間くらい経ちました。しかし、神様のご意志を知り再び6数を越えるためのエネルギーを纏うことも出来ず、わたしは失敗したのでした。

感覚で天使が大丈夫と言ってくれましたが、神様は怒ってズドーン、ズドーンとわたしのこころと身体を打ちつけました。なにがイチゴ食べたら100歳生きれるだ!お前に与えた試練がなんであるか分かるか?と言われ、あの式です。と答えると神様はヨシと離れていきました。

平和41

なんだか、若い時には本当にいろんな経験をしてみるべきだと思います。人には言われない事情を克服し、自分の力で旅立って実体験として経験をしたものにこそ、与えられる幸せというものがあるからです。皆がそれぞれ経験していますが、今ではそんな経験は遠の昔に経験したよと言えます。
悪いことも、良いことも、恋愛も、仕事も、他の土地で生活することも、全て自らの肥やしになります。
高校生の時に誓った経験が今では役立っています。
型を破らずして栄光はありません。そのような辛い経験があるにせいか、怖いものはなくなりました。
ただ言えることは人が発想する以上のことがわたしには出来ますし、しかもその発想を切り換えることも出来ます。

悪魔の実の刈り取り。根がおかしいことに気が付くことさえ、分からないのでいるのでしょう。種をいくらか蒔きましたが、実る果実はやはり、悪魔の実であり、これに悩まされるわたしです。どうしたら良いものか?
精神レベルとはその人がどのような環境に産まれ、どのような血統をもち、どのような生活をするかによってもたらされる、数直線上で表現出来ます。
0が何もない平坦な平野だとすれば簡単なのですが。土を肥えた土に耕し、種を植え、実りは天に繋がる血統を受け継ぐことが出来ます。
しかし、ある環境では0ではなく深い根を生やしているのであり、ー2にすることもー4にすることをしているのです。
腐った根をとることで1年はかかり、実際に土を肥やして種を蒔く状態にするには2年くらいの時間が必要です。
数直線を見てください。
ー5 ー4 ー3 ー2 ー1 0 +1 +2 +3 +4
といった具合いです。新たな生命を産む場合、この数直線での値は様々でありー3で産まれたり、+2で産まれたりと赤ちゃんの頃からその全てが決定しています。生きていくなかで、淫らな生活をしていると、ー2がー5になったりし、その報いを子孫に託すことしか死んだら出来ません。+とはその人が神へ還る血統の値であり、−とは悪魔が刈り取る血統です。
過去には多くの出来事があり善人や悪人もある血統が産まれます。
受け継がれた思いの中で赤ちゃんは誕生します。
天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。平等なのです。魂の存在に異論する必要はありませんが、現世でもし、身体障害者で産まれ落ちる子供がいます。その子供が大人へ成長し、そのリスクの人生を歩むに苦労することにおいて人それぞれの人生が平等であるなら自ずと分かる答えです。障害を持って産まれ、生活する障害者のこころとはとても綺麗だそうです。
なのに、ただ叱ることが、建て前で怒れることが素晴らしいとする人は結局、レベルが低いのです。身勝手な考え方は下の下で、闘う我慢強さに強さを感じるべきなのに、悪しきことを当たり前のように振る舞い、それが正しいという環境はやはり、霊界にいっても上手いように自由に飛び回ることが出来ず苦しみを感じるのです。
病院で知り合った友人を知っていますが、何度も入退院をしていましたが、今でも幻聴や不安で苦しめられています。
入退院を繰り返す友人をなんとか出来ないかとずっと思っていました。病院内で幻聴に苦しめられたあげく、友人は苦しみがゆえに身体に火を放ったのです。今でもその火傷の身体を見るたびにわたしは胸が痛く、なんとかしなければと思いました。
呆気にとられた病院のトップはどうしてか、本来救うはずの病院が友人を強制退院させたのでした。お金を今でも自分の私欲のために使い施設を作り大きな環境を作っただと言い張るのです。そのとき、わたしは思って誓ったことがあります。例え、1億2億を積まれても受け取らないと。命や行動を軽んじる、そんな賄賂はわたしには必要ではないからです。
わたしはこころから友人のことが心配であり、こころから救いたいと思っているからです。

いばり散らし、悪が正義だとか、強さだとか言う人はこの現代で神は必要としていないのであり、やはり裏切りものであり、ユダと一緒だからです。
愛だ愛だと言い張ってサタンの愛に身もこころも売った人間は潤沢な水を水槽から入れ直さず、悪魔の愛を愛だと勘違いして、勝手に水を汚しているのです。潤沢を失い、人を1番最後で批判する裏切り者をわたしはゆるせません。

平和42

あらゆる環境や時代から流されている人を沢山みます。人はわたしをみて裏目で分かってないと言いますが、実際に分かっていないのはわたしではなくあなたの方なのです。人は環境に恵まれていれば自分勝手に振る舞い愚かな自分の風習を当たり前だと感じ、その愚かな風習や属性にハマりきって抜け出すことすら分からず染まりきっているのですから、族世間と言うものほど恐ろしいものはありません。
神様がそんな世の中に光を持って導こうとされ彷徨い困っているお姿をなんとかしなければ、駆られるばかりなのです。
そんな族世間にハマりきった人でも神様は救いを求めるためにいるのに、気付くことは愚か当たり前だと自信過剰に生きている人を見るたびにわたしも苦しくなります。
殺人犯でも神様は許すのです。その深く永遠の神様の愛はあなたが何をしても絶対に許すのです。それが分かっているのに自分がもどかしく思いました。情けなさもなければ、人がしっかりしろと言ってはと実際はわたしは、それ以上を越えた考えを持っていたので何食わぬ顔を平然と装い、愚かな自分のありさまに少しずつはしっかりしていかないと気付いていきます。

正直者が馬鹿をみるという族世間で、亡くなったおばあちゃんが正直に生きなさいと諭してくれたことばを今でも胸において行動しています。
無慈悲な政権でもきっと希望の種を蒔いたら必ず肥えた土には根が張りしっかしと芯を建てやがて花が咲き実のなることを知っています。難儀をしている人々を見てなんとかならないか、なんとかならないかといつも神様は気に掛けてくれているのです。
あなたは実際ひとりぼっちではない、わたしがいるだろ、と宛もなく彷徨う人々の神様は味方なのです。信じていない者でも救う。それが神の本当のご意志です。ただ宗教的にこういうのであるのであって、信じるという意味を履き間違えてはいけません。信じるというのは、絶対に大丈夫だという確信です。あらゆる愚かな行ないも、風習染みた悪く染まった世界でも、絶対に生きていればなんとかなるさ、大丈夫だという愛であることです。だから本来の信じる意味とは何があっても大丈夫だよ、安心なさいという愛そのものなのです。
救いとは気楽に生きていく人のこころにも悩み苦しんでいるこころにもやどり愛の無限ループを達成する神の願いなのです。

平和43

大学卒業。その言葉は新トレから実トレに向かうわたしの究極における試練の始まりにしか過ぎませんでした。アメリカの方では6数と言う数字をあまり好まない傾向にありました。しかし、復帰した数字には何やらとんでもない状況で戦いを迎えようとしていたのです。幼い頃、何かしら圧力を感じたり、中学のねこ引っ掻き病で得体の知らない恐ろしさで夜中に目が覚め、ナースコールを押し、看護婦さんにお茶をもらった実体験、高校でクールを装いプライドだけのわたしが岡山の大学での寮生活のどうしようもない、こころの沈みや不安、夏休み、川で泳ぎながら夢か現実か分からない状態、実際生きていて生きていない、夢みたいな体験は何度かありました。真理を知り、かつわたしの本当の責任を果たす時でした。
その6数の水行40杯の真冬に立てた条件を姉に渡し、救いの術を求めて、わたしと神様だけの極めてきつい試練が始まったのです。一瞬何が始まったのかわたしには分かりませんでした。
1日目、ピーっと鳴った瞬間にこころの中で火炎地獄の中で小さな子供が走っている光景がこころの中で、現実にはないほど、死ぬより恐ろしい胸騒ぎというか、走りました。そのほんの30分間くらいか地獄の中の地獄で走り走り、夕飯を迎えたとき、さあっ夕飯を食べるか、と前向きになった瞬間、神様はヨシと言うことが聞こえ1日目の試練は終了しました。しっかり夜に水行をやりましたが、お湯も掛けずそのまま布団に入り寝ました。正直なところ私の真意はこれほどまでかと思いました。
2日目、教会に行くやいなや右向け左向けとわたしは操り人形のように現実をしっかり見るため、あっちの人を見る、そこの感情は違う、そっち向け、馬鹿、こっちだと動きました。しかし、あまりにも気持ちが下がっているので、兄弟姉妹に何度も何度も相談しました。
3日目、朝起きた瞬間からものすごい圧力でホームの階段を登ったときにわたしは碌な言葉を苦し紛れに言ってしまったのです。神様が物凄く近くに感じる中で何故神様はこんなことをはするのだろう、と言ってしまったのです。
ただ苦痛の中であらゆる付いているものが溶けたときわたしの本心の中の本心を神様は見て頂きました。わたしのこころはまだ、ウブな赤ちゃんそのものでした。ホームの扉を見たとき視界は光一点しかなくまわりは闇に囲まれ本当に一点しか見えない暗闇を体験しました。
部屋に入るなり兄弟姉妹と共にお祈りをしました。
昼間は何処かでイベントがあるので会館に行きました。えぐく皮肉な憎悪に呑まれそうになりながらもしっかり実体を見るものの、熱く苦しい責任における体験は容赦なくわたしのこころで蠢いていました。
夜に止めようと思いました。
姉に相談しました。今までの後ろ向きでプライドだらけで学生時代を過ごした経験はなんともか弱く小さな小さなこころでした。部活から逃げ、街から逃げたわたしはただの、か弱い子羊でした。逃げて逃げて、こうやって生きてきた全てが試される試練でした。
露骨に渦巻いていたわたしのオーラは次の日からもうなくなっていました。こころの中でホームの窓を開けたとき、多分ご先祖様でしょうか。弘文が失敗したぞー。と叫んだのを覚えています。

平和44

わたしは21修練会の前にある6数の試練を乗り越えることが出来ず、たったの3日で止めたのでした。それは23年間逃げ続けていたわたしのか弱い赤ちゃんのような内面に原因がありました。
なんとも情けなく、もう一度立とうと教会の清掃を朝から晩までしては教会の中で次はやるぞーといきなり叫び出したりと、おかしくなる兆候そのものでした。1日1日にこの体験から明日は頭を使う内面の試練とあり、結局は朝のお祈りの6時に遅刻しました。弱い人間を打ち付けるひび割れと精神はもうボロボロでした。ストレスがあるならばもう限界を越え、無理を越えていました。常に自分が分からなく、乗り越えれなかった自分に容赦なく地獄の苦しみがやってきました。視野が狭く、身勝手な自己中の愛のない弱い人間をまた容赦なく打ち付けました。
それ以来、本来現実的にはおかしな経験ですが、神様はまだ神様王権即位式があったのです。絶対に掴んで離すなと言われ、突然、朝に声が聞こえ吐くまで走れといわれ夜に飛び出しました。月を目掛けて、溝を走り、靴も脱ぎ捨て裸足で走りたかったのですが、歩いたり休んだりと月が消えるまで、なんと愚かな人間だろうと、吐くまで走れと言われては歩き、結局のところ岡山から倉敷まで行きました。落胆するわたしは帰りに電車に乗り教会に帰りました。
もう死について考えていました。
次の日また、朝方からお前はもう植物園まで行けと自分の棚を持ち、走り出しました。見る人は息が切れ、汗だらけでも、どうしたんか?、と聞かれましたが、とにかく植物園へ走りました。と、おかしく思った人が警察を呼び、またも植物園で自力で走ることが出来ず、パトカーで乗せてもらったのです。ここで良いかと警察官はいい、死ぬ覚悟で植物園でことの成り行きや、自分がしたことに悔い改めをしようとこころの底まで何回も何回も反省しました。死ぬときが近付いたり、どうしようもない不安と、とんでもないことをしてしまったという思いでいっぱいでした。
壁に頭をぶつけて死のうと思いましたが、途中、兄弟姉妹達が車で迎えに来てくれました。

平和45

愛を知り、愛に生きる術がわたしの全てならば、神様はわたしに永遠の祝福をくださるでしょう。わたしはおかしな人間ではなく、人間失格でもありません。人間が死ぬ間際に見る自然の光景をわたしは知っています。わたしは人が死んだあとの世界も知っています。平和とはとてもありがたいことであり。日本に生まれ、こうして生きているのも、わたしの生き様であり、わたしに対する人々の微かな愛そのものであります。母は言いました。小さい頃口いっぱいにチーズを入れて食べたのです。これ以上、わたしの母を傷付けないでください。これ以上わたしの父を傷付けないでください。わたしは生きています。こうして、わたしの氏族は永遠に生きますし、わたしのご先祖様も永遠に幸せであります。そして、子子孫孫、永遠に神様のモトで暮らすのです。誰がなんと言おうと、神様は絶対に裏切らないからです。

平和46

今も懐かしく想うのです。田畑の実りの収穫の季節に、暑い暑い猛暑の中、桃を2つ丘の高台にある病院に年老いたおばあちゃんが1人汗をひたすら流しながら急な坂を自転車で登り、病院に着いたおばあちゃんは僕を見て、ひろくん、来たど!あの笑顔がわたしにとっての宝です。
今も懐かしく想うのです。神戸のおばあちゃんが僕の弟を抱きかかえている写真を。
今も懐かしく想うのです。お正月に大竹ばあちゃんの家の隣に建ついとこの部屋でドアを開けにっこりと笑いお年玉を渡しに来てくれたおじちゃんの顔を。
今も懐かしく想うのです。節分の日に鬼の面を被った父に豆を投げ掛けた穏やかな光景を。
いつもいつも、私達は一つの愛そのものであり。愛から抜け出したものでもありません。私たちが経験した全てを神様にお返しするのです。神様はわたしたちをずっとずっと掴んで、離さないのです。わたしたちの氏族は永遠に神様のものです。ねばっこい愛があり、それゆえにわたしたちは苦しみました。わたしたちはそれでも愛を握って離さず、ずっとずっと愛を一途に育んできた血統だからです。だから、どんなにされてもわたしたち氏族は苦痛に歪んでも、神様はずっとわたしたちを見てきたのです。それは、わたしたち氏族が皆、愛があるからです。だから、永遠にこの愛は不滅なのです。

平和47

氏族復帰、それはわたしが責任を持って成し遂げる重要な責任分担でした。
そして、これからは平和の理想を実現するためにわたしは人を愛することを沢山していかないといけないと思っています。愛されて育ったので人を愛することに重点を置き、愛を返していかなければと思っています。まだまだ、未熟で人を傷付けたり、世間知らずで、迷惑ばかり掛けている自分です。
そんな、わたしのこころを知っている神様がいます。いつでも、人は裏切りましたが、神様だけはそんなわたしを裏切ることをしませんでした。
些細なことに怒りを覚えたり、みすぼらしく泣く惨めなわたしのこころを底の底から心配し、しかもそれ以上に信じてくれた神様がいます。
みんなのいる中でひとり孤独を感じ、ひとり涙したわたしのこころを知っているのは他でもない親である神様でした。
導かれて以来、10年近く経ちました。
一時わたしは離れていましたが、10年間働いた後に、再びお呼びになりました。一度離れたわたしは準備してきました。仕事を10年間したのもその通りに、自分の内面を鍛えるために、また、知識が必要だろうと、毎日毎日、読書をし、今では簡単なエッセイなら2日で読むことが出来ました。
感性や感覚に至るまで振り返ると18歳からやっているギターを13年くらい毎日毎日弾きました。
知識、見識、常識、理解、感性、心情。あらゆる全てにおいて、自分に自信をつけることであり、何においても責任を果たさなければならないと思っています。
人に嘲笑され、障害者である自分のこころにおいて、しっかりとこれからは愛されること以上に人を愛することをしなければならないと思っています。
まだまだ、非常識で愚かなわたし自身。めげることなく悔しさの思い出を胸に確かな道を歩いていこうと思っています。
障害者が社会復帰することにおいてはみなさんは働くことになにも抵抗がないと思いますが、実際のところ、薬を服用して臨んだ労働とは計り知れない苦労がありました。
社会復帰に関して、病院で30年間入院している患者さんも見て、また自殺未遂でリストカットを試み、担ぎ込まれた患者さんもいます。また、酷い幻聴ゆえに隔離された小部屋で自分に火を放ち体に大火傷を負った友人もいれば、命を落とした頭の良い友人もいました。
人が簡単に生きていく中で、こころの底から真剣に向き合い、未遂や己と闘う人が働くことが困難で結婚も労働も出来ない人が沢山いることを知りました。
大いなる経験において、痛切に胸を苦しめ、退院した当初は一日中寝てばかりいました。しかし、諦めることはわたしにとって出来ないことでした。
人と同じように生活をしたいし、自立をしたい、いつもそう思って生きてきました。地球を抱え、飛躍的な考えを持ち真ん中のニュアンスが分からずともしっかり働いてきました。
誰もがたやすく、器用に生きている人生を難儀し複雑なこころでまだハイハイも出来ない愚かな赤ちゃんが働きました。
何も自分だけが苦しんだ訳ではなく、器用に働いている人もやはり悩み、障害者でも悩み、このストレス社会で鬱病でまた、統合失調症で苦しんでいる人は沢山います。ここにおいて、低水準な生活も疎かな現状を見てきました。
誰の胸にもあるこころの問題を究極に考えてきたわたしたちです。
今では多くの聖人たちがわたしたちを支援してくれています。
今後、このように苦しむ人が一人でも消え、新しい人生の素晴らしさを感じる季節をわたしたちは掴みとらなければなりません。
秋の収穫を存分に堪能し、わたしたちの人生の狼煙を挙げる時です。

平和48

今でも懐かしく思います。プライドを掲げていたずうたいのデカイお山の大将が、一気に岡山に行くことで180度、生活が変わり、プライドをズタズタにされた思いを。自信過剰なプライドを持つ環境から一変し全くプライドすらない自由な環境で生活したこと。
寮生活において、こころの底の底までありったけの思いを話した親友と川の文字で眠ったあの夜を忘れることは出来ません。
誰もが形作り、内面を隠している人が沢山います。親身とはなんでしょうか?あなたは本当に楽しいのですか、あらゆる現実に囲まれ考え方が硬くなっていませんか?柔軟な考え方で時には真をとうした頑固な考えも必要なこともあります。
学問において初めて大学で目にしたものは概念という言葉でした。
あの信号は赤だから止まる、青だから進む、黄色だから注意して進む。これは常識なことで決めつけてしっかりとすることなら必要なことでしょうが、何故に青が進むのかなどとは人は考えません。青だから進む、ただそれだけです。しかし、青色に光ることを知るには概念でしか証明出来ません。
何故、青に光るのだろうか?まず、学問とはそこから始まりこれが概念です。ありそうにあり、なさそうである。勝手気ままに青く光っているのではなく、勝手気ままに青は進むことである、常識的なルールに他なりません。人が常識と思って行動することにおいて、ルールは青が進むことだと決めつけられているだけで常識のマインドコントロールみたいなものです。
同じように概念を知ることにおいて、数学の表記に∞が存在します。∞とは永遠のloopであり、変数です。
江戸時代の方々が実際にこの現代に来たらどうでしょう?直ぐに腹を切り、割腹するでしょう。
時代は流れ流れて、この概念を理解しない限りは知識を得ることにはなりません。当たり前の様です当たり前ではない。この世の中で目に見えるものが全ててはありません。見えないものも実際に存在するのであり、こころというのもやはり見えないフワフワしたものです。物質社会は団塊世代の方々の引退によりもう古いはなしです。
これからは物や姿にとらわれず、内面的な現象が起こる時代に移り変わろうとしています。物ばかりに執着するのなら本来の人間の意味も分からないでしょう。人の繋がりとは人と人であり、そこには必ず内面があります。
どんな可愛く綺麗な人でも性格が良くなければ実際に結婚したとしても、生活の、中で醜い部分も見えてくるでしょう。
それを含め全てを愛することは本当に大事なことだな、とわたしは思います。

平和49

平和な生活において、戦争歴史の集大成です。あなたは当たり前の様に生活していますが、この結末は戦争後の集大成であり、何もなしに平和になったことではありません。数知れず志士たちが血を流し倒れてきた末裔なのです。
わたしたちにできること、罪を償い、喜びあって生きること、それが一番尊いことです。くよくよせず、前向きに。そして暗くするのではなく、明るく振り舞うこと。
大切な何かに自分が気付いたとき、相対を考えるようになりました。
アインシュタインの相対性理論の本を読んだとき毎日、読書をしてきた集大成でした。はっきり分かったことは学問では宇宙の全てを知ることが出来ないと知りました。光は質量が0ですが、このような物質が現時点で数学を使っても証明出来ないのです。そのときに光は絶対を使うのであり、絶対とは何か?聖書の創世記の話ですが、7日間で神は地球をお造りになったとあります。1日〜6日まで造り、7日目で休まれたそうです。6日の後は神は光あれと言われ、地球に光が差し掛かったのです。要するに光とは神そのものであり、地上に降り注ぐ光がなければ、植物も生きることが出来ず地球に光が届かないなら氷河期の真っ只中で人類は生きのびることは無理でしょう。
だから、光とは神そのものであり、また愛そのものです。
絶対ということが分かったところで、発想を変えると、絶対に大丈夫だということです。絶対に上手く世の中は上手くいくということです。大丈夫。大丈夫。どんなに些細なことで喧嘩しても仲直りすればいいし、失恋した人が夜が苦しくあるときでも朝日は昇り光が差し太陽は必ず昇ってくるのであり、昨日のことは何故あんなに悩んだんだろうと思うくらいに開き直るんです。どんな棘が刺さっても病院に行けば治り、大丈夫でないことが過去にありましたか?絶対大丈夫でしょ。死人さえ救うという神様の愛はやはり、絶対でしょう。神様は絶対なのです。だから何が起こっても絶対に大丈夫です。それが人生における解答です。

平和

人は幸せを痛感したときに始めて生きている素晴らしさを体験します。かつて、歩んだ道も大胆で計り知れない苦痛もいつかは消えていくことを望む一人の人間として、生きた成果と救ってももらった全ての方に感謝します。

平和

歴史から学びまた、未来から学ぶ。活かし、また落胆し、跳ねたり飛んだり、ゆっくり休んだり、焦ったり、迷ったり。励ましあって学びました。

  • 随筆・エッセイ
  • 中編
  • 青春
  • 成人向け
  • 強い言語・思想的表現
更新日
登録日
2016-10-10

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