私の姉

 私の姉は美人だ。すれ違う男の人が、たいがいが振り返ってもう一度見てしまうくらいに。学校内で言い寄る男子が数知れないくらいに。妹の私は当然、比べられることがしばしばあった。でも、それで僻んだりしなかった。目の前の楽しいことにしか目がいかない、とても楽観的な性格が幸いした。幸いかどうかは疑問の余地が残るところだが、私はそう思うことにしている。実際、気にしていなかったし。
 姉は見えない期待を背負っていた。
 ピアノを習い、バレエを習い、夜遅くまで塾に通った。姉は真面目だった。私は姉が一日も休まずに入れ込んでいるのを見て、そんなに楽しいことをやっているのかと興味を抱いた。そのふと湧いたような興味だけを引き連れて、私も姉を次々と真似た。ピアノを習い、バレエを習い、テニスを始めたらそれに倣った。勉強はどうし
ても好きになれそうにないとわかっていたから、塾には通わなかったけれども。
 姉は全てで完璧を目指そうとした。ピアノ、ああ、やっていそうだなあ。バレエ、へえ、さまになるだろうなあ。そう言う大人たちに子どもらしい笑顔を向けながら、内側ではその言葉に敏感に反応していた。常に期待に応えようとした。中途半端を嫌った。私が妹ではなかったら、ひょっとしたら、忌まわしいものを見るような目を向けられていたかもしれない。
 姉が私立の中学校に受験して入ったことで、私たちは学校が別々になった。姉は中学でも抜群の容姿は多くの人の目を引いた。そこにも、見えない期待は内包されていたのかもしれない。姉はそれに応えて応えて、応え続けようとしていたのだろう。でもその頃には、感じているものと求められているものが離れ離れになりつつあった、と振り返ってみれば思える。
 姉は決して不器用ではなかったし、何より真面目だから、やっていく内にどんどんと上達していき、ある程度の枠の中ではいつも一番を取れた。それでも、努力だけでは越えられない壁がその次に立ちはだかって、最後にはそれに跳ね返されていた。私だったらそれでも満足できただろうに、姉はその壁も越えようともがいた。手が
血まみれになっても、壁にしがみついて、上だけを見据えた。
 その精神状態は、ひどく不安定なものだった。いつ決壊して、水が溢れてしまっても不思議ではない、ヒビの入ったダムだった。――それを決壊させたのは他でもない、私だった。
 姉を真似て様々なことに首を突っ込みながら、どれも長続きしなかった。唯一、テニスだけは惰性で続けていたものの、姉に比べたら圧倒的に真面目さに欠けていた。ただ、私は姉が持っていないものを一つだけ持っていた。努力だけでは越えられない壁を突破できる鍵を。
 ある大会に出たとき、私は次々と勝ち進んでいた。勝つたびに褒められ、それに気を良くして無我夢中でラケットを振った。気がついたら、姉が出場できなかった全国大会にまで辿り着いていた。

 閉ざされたドアを前にして、私は立ち尽くす。お姉ちゃん。私はあなたにここから出て来てほしい。だって、好きだから。好きで好きでたまらないから。それは、みんなが振り返って見てしまうほどに美人だからじゃない。何でもできるからじゃない。あなたがたった一人の、私の姉だからだ。
 ドアの向こうへ声を投ずる。
「お姉ちゃん。お願い、もういい加減に出てきて。――お願いだから」

私の姉

私の姉

私の姉は美人だ。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-10-03

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