待ちわびる桜

あなたに春を届けましょう。

私の家の近くには、人知れずひっそりと主のいなくなった古民家に咲く一本の桜があり、そこで過ごす一人きりの時間が私は好きでした。
それは、穏やかな風が吹く満月の夜のことでした。
月明かりのもと咲き誇る花々を見ようと一人家から抜け出し、重たい身体を引きずりそこへ向かうと、どうやら先客があるようでした。
慌てて身を隠しそっと覗くと、そこには桜を愛でる人外の姿がありました。
『きれいだ…』そう呟くあなたの横顔は本当に嬉しそうで…愛しいという感情を、私はその晩初めて知りました。

春になるとあなたはどこからかやって来て、それは嬉しそうに桜を愛でるのでした。
気づけば名前も知らないあなたに、私は惹かれてゆきました。
夜は、二人の時間となりました。
お花見をする度に私たちは惹かれあい、気づけばあなたもまた、私を愛するようになりました。

しかし、時の流れは残酷で、桜へと急ぐ私の身体はどんどん重たくなっていきました。
残された時間の少なさをこの身で感じながら、あなたと過ごす時間の愛おしさを改めて知りました。

それは、少し肌寒い夜のことでした。
『今年ももうすぐ桜が咲くだろう。』
嬉しそうに顔を綻ばせるあなたとは対照的に、私は口元をきつく結び、あなたの瞳をしっかりと見つめ、言いました。

「私の命は、もうそう長くはないようです。
いいえ、たとえうんと長く生きて、おばあさんになったとしても、あなたの時間に寄り添うことはできないのでしたね。
私が生まれるずっとずっと昔からあなたは生きていて、私が死んだあとも、あなたはずっとずっと生き続けるのでしょう。
ああ、どうして私は人間として生まれ落ちてしまったのでしょう。
ただあなたのそばにいたい。
そう願うことすら叶わないなんて。
あなたとともに生き、ともに同じ世界を見て、そしてともに、最期を迎えたかった。」

私の話を聞き、少し驚いている様子のあなたを見ているとまた、愛しさがこみ上げてきました。
私は再び唇を動かし、自分でも驚くほどに静かな声色で、あなたに思いを伝えました。

「いまから私は、あなたにとても非情なお願いをいたします。
どうかいますぐに、この木の下で私を殺めてください。
そして冷たくなった私をここに埋めて、毎年お花見に来てくださいな。
きっと、きれいな花を咲かせてみせましょう。
そのときだけは、どうか私のことを思い出してください。
残念ながら、あなたと今年の桜を見ることはもう叶いそうにないのです。
黙っていてごめんなさい。
言ってしまえば、もうあなたと会えない気がして怖かったのです。
しかしこれからは、私があなたの桜になれるのですよね。
だからお願いです。
私の最期をあなたに捧げます。
愚かな私は、この先数百年の苦しみへとあなたを投じると知りながら、それでもあなたの腕の中で逝きたいのです。」

あなたはそっと私を抱き寄せると、その大きな手で私の髪を梳き、優しく口づけを落として言いました。
『愚かな私は、たとえこの先数百年と苦しむことになろうとも、それでもあなたと共にありたい。
これから私はあなたに、とても非情なお願いをいたします。
どうか、私だけの桜になってください。
そうして桜となったあなたを、私は一生をかけて愛しましょう。』

肩に落ちる涙はとても温かく、私は改めてあなたの優しさを知りました。

『本当に、いいのですね。』
震える声で尋ねるあなたを、私はまっすぐに見つめ返しました。
しばらく見つめあった後、あなたは私を強く抱きしめ、鋭く尖ったその爪で私の背中を貫きました。
最後に聞こえたのは、あなたの懺悔の言葉だったか。
薄れゆく意識の中、私は口元に笑みをたたえ、あなたに感謝の言葉を述べました。

もう、幾度めの春でしょうか。
散っては咲いてを繰り返し、私は春を届けます。
今年もうんときれいな花を咲かせ、春風と共にあなたを抱きしめ、いつか共に逝けるその日まで。
私はこの木の下で花を咲かせ、愛しいあなたを待ち続けています。

〜fin〜

待ちわびる桜

ここまでお読みいただきありがとうございました。この話は、こちらで初めて書いた短編「待ちわびる桜」を再び加筆修正したものとなっております。

待ちわびる桜

桜を愛する人外と、愛しさを知った女の話。直接的なグロテスクな描写はありませんが、苦手な方は念のためご注意ください。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-10-03

CC BY-NC-ND
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