紙と木を燃やせ。キツネは笑う。

心底嫌うものを

 恭介が教室に入ると身長の高いキツネがこっちを見ていた。人のように二本足で立ち身長は二メートルを軽く超えている。黒いシルクハットを被り白いシャツの襟を立て、黒いスーツで身を覆っていた。ひんやりとした誰もいない空間に静かに見下ろされる恭介は畏敬の念を抱いた。
「朝早くからすいません。どうぞどうぞ椅子に腰掛けて下さい」
 キツネは恭介の席の椅子を引いて言った。だがもちろんそのキツネとしての姿が気味悪い、恭介は目の前で白い髭をぴくぴくと動かす生き物に質問した。
「腰かけて下さいって言われてもな、お前は何者なんだ?」
「何って?キツネですよアカギツネ。猫のようなイヌ科として評判ですよ。聞いた事がありませんか?」
「いや、ないよ」
「ははは、即答ですか。恭介さんらしい回答だ」
 金の瞳を揺らがして微笑むキツネは恭介の肩に手を置いて椅子に招いた。暖かい手で電子レンジでチンした後のロールパンみたいであった。恭介は椅子に座り、続いて横の席にキツネは腰を降ろす。
「そうですよね。いきなり知らない人に声を掛けられると困るものです。簡潔に自己紹介をするとボクはキツネくんです」
「簡潔過ぎだと思う」
「ははは、その通りでございますよ」愉快にキツネは手を打楽器みたくして叩いた。
 しかし恭介は愉快ではない、ムッとした表情を風船を膨らませる様にして作り頬に空気を入れる。それに気づいたキツネは「すいません。すいません。怒らないで下さい。と言うのは恭介さんにお願いがあって此処に参ったのです」
「どうして私に?」
「耐性を持っているのです。それはそれは素晴らしい耐性なのです。ルブヤクソクヤソウソウと言う名前の生物が吐く毒に耐性を持っているのです。ボクも加えて組織はこのルブヤクソクヤソウソウの毒に耐性を持つ人間を探しました。するとです! まさに恭介さん! 貴方がこのルブヤクソクヤソウソウの毒に耐性を持つ人間だと言う事が分かったのです!」
 さっきと打って変わって真面目な顔つきになり述べる。
「ルブヤクソクヤソウソウ? 何ですかそれ? それに耐性を私が持っているって意味がわからない」
「この前、この学校に近い公園に隕石が落下しましたよね?」
「三日前ですよね、確か。イルカ公園の砂場に隕石が落ちたってニュースとか先生が言ってた事を覚えています」
「仰る通りです。問題はその隕石にあるのです。落下した衝撃で割れた隕石の中からルブヤクソクヤソウソウぞろぞろと出てきました。それは大問題です。こいつらは毒を吐いて周りの人間に影響を与えるのです。さっさと駆除をしないと大変な事になります」
「大変な事って?」
「脳みそがほんのりと溶けます」

 本職の陶芸家ならば、紙粘土を捏ね、動物の姿をした貯金箱など容易に、また麗しく具現化するのであろうか。
 「生きた貯金箱」というお題で周りにいる生徒たちは集中して各々、制作を行っている。鈴虫や肥えた豚やメダカに肉体を与え着色をする準備をしている者もいた。私はその中でずっと一塊の白い蒟蒻の形を保ったままの粘土を見つめていた。
 生きた貯金箱を作るだって? 形を作ったところで所詮は紙粘土ではないか、私を見ることもなければ、私の声を聴くこともない、私に向かって威勢の良い言葉を発する事なんてないのだ。小銭を貯めるだけなら四角い金属の箱で良い筈だ。
 私はそんな風に考えている所為で一向に作業が進まなかった。時たま此方に視線を送る美術教師の視線は鋭かったが、それに対して恐れる事もなく、ただ渇いていく白い肌を眺めていた。
「恭介くん、どうして進んでないのかしら? 好きな動物をイメージしてそれを真似して造れば良いのよ」
 遂に美術教師が近づいて来て一向に作業に取り掛からない私にヒントを提示してきた。でもそのヒントは地図の行く先を全く捉えていなかった。
「イメージとかそんなんじゃないんです。なんというか素材で生き物を作るって気分が乗らないんです」
「そうねぇ……」
 美術教師は少し考えてから「取りあえず過去の作品でも見る?」
 美術室の隣の教室の鍵を回して美術教師は私を招いた。埃臭いのと湿気たカビの匂いが鼻を突く。黒いカーテンで窓を隠していて薄暗い。カチリと音を立てる、それと共に天井から黄色い光が射す。美術教師が証明を着けたらしく、蛍光灯はバッタが飛ぶ音を弾き二度繰り返して中にある資材と作品を映し出した後、光線を保った。
「恭介くん、これが去年卒業した先輩たちが制作した作品よ」と細い指を向けた。その先にはおそらく、優秀な作品として生き残った貯金箱が展示されている。私は歩いて見て回る。
 潮を噴くマンタ、バイリオンに伏せるワニ、三日月にもたれたネズミ。確かに才能を感じる作品がズラリと並んで皆、自信に満ちた表情を浮かべ私を見たが、生きてはいなかった。
 もういいや、帰ろうと嘆息した時であった。
 金色の瞳をした彼と目が合った。赤い毛を生やし、黒いシルクハットを被り白いシャツの襟を立て、黒いスーツをで身を覆っている。骨髄まで見透かされるようであった。その作品におのずと近づいて見る。
『三年六組 町沢沙織 キツネくん』
 作品の足元に制作者の名前と作品名が書いてる。と、ピリピリと視線を感じて再び彼を見る。口をゆっくりと上げて、笑みを私に送っている。思わず唾を飲む。歯と歯茎の間からも水分が無くなりそれを探して舌を転がした。
 キツネは生きていた。思考があった。それも私よりも考え深かった。今すぐにも私を支配できる様であった。未知の汗が額を濡らし、心臓だけが鼓動していた。
「キツネくんの作品、気に入った?」
 私は我に返り声の主に振り返る。美術教師が隣に立ち話し出した。
「四年前にいた生徒の作品よ。良くできた紳士的なキツネでしょ?町沢さんは器用な子だったわぁ」
「良くできているだって? こいつ生きていますよ」
 私は落ち着いた声で力強く述べた。
 美術教師は一瞬目を丸くして「あははは! 恭介くん真面目な顔で冗談言わないでよ!」と言った。

「脳みそがほんのりと溶けるって何だよ?」
「そのままな意味の通りです。ルブヤクソクヤソウソウの毒は脳を溶かして人の良心を破壊するのです。ボクはそれを恐れています。まさに罪悪感を感じずに犯罪に手を出すでしょう」
 キツネは両手を上げて首を振った。
「もしかして、その毒の耐性を持っている私に駆除しろって言うんじゃないだろうな?」
 恭介は嫌な予感を率直に述べた。
「はい、恭介さんに駆除を願いしたいのです」
「嫌だよ! 得体の知れない生物じゃないか! 怖いに決まっているだろ」
「仰る通りです。しかしルブヤクソクヤソウソウと言う生物は毒を吐く以外は何の武器もありません」
「いやでも……」
 恭介が話を続けようとするとキツネは言葉を遮って「大丈夫です。恭介さんにやってもらいたい駆除は何も道具を持って直接戦うと言うものではありません」
「つまり私にどうしてほしいんだよ」
「ルブヤクソクヤソウソウと言う生物は紙と木を心底愛しているのです。どうやらそれらが沢山ある場所を住処にしているのです」
「それ共々燃やして駆除しましょう」
「紙と木を燃やせ」

 十月四日の夏が暮れていく頃であった。学校付近にあるイルカ公園に夜が更け朝方のカーテンが開かれる時刻である。突如、星と大気の狭間から隕石が落下した。雷鳴が鳴り響き公園の砂場に巨大な杖を落とした穴を掘った。地響きは恭介の枕まで到達したが深い眠りについていた所為で瞼は一寸も開かなかった。
 これがほんの三日前になるが未だにパトカーと巡査はイルカ公園にロープを張って人を入れなかった。ただのそのそと進む毛虫だけは許されいた。

 恭介は朝方早くから家を出た。学校に向かうのだ。錆びたママチャリに靴を掛けて回転させ、発信させる。計画通りと言ったところかまだ校舎にも教師の駐車場にも誰も存在していない。存在しているのは恭介と、『ルブヤクソクヤソウソウ』だけだろう。恭介はママチャリを花壇に放り投げて教室には向かわず足を速めて歩いた。目的を果たす為に。
 紙と木が沢山ある場所。それはスグに恭介は連想できた。この学校の敷地内にある築九十年になる図書館だ。赤い瓦に白木造りの木造建築。有名な設計者が建造したと噂で聞いた事があるが正直に言って興味は一ミリもなく、ただただ新校舎の後ろに建つこの陰湿をイメージさせる図書館は早く改築でもしろと思う程度であった。
 一度、中に入った事はあるが建物の影に長く覆われている所為か本や冊子さえも湿気ていて、ヌルヌルとした手触りだった事を覚えている。
 恭介は図書館の廻りにある植栽に隠していた赤いガソリンタンクを出し始めた。昨日の夜、忍び込んで置いたのだ。
 蓋を開けてトクトクと壁や柱に掛けていく、危ない匂いを吸い込み自分が何をやっているか改めて認識した。
 家の近くにあるコンビニで購入したライターから小さい火を出す。この小さい火から勢いのある腹の減った怪物に変貌し、食っては食っては成長する炎になると思うと、躊躇する。だが恭介は火種を放った。
「紙と木を燃やせ」
「ルブヤクソクヤソウソウを燃やせ」
 火は予想していたよりも赤かった。

「ルブヤクソクヤソウソウは無事に駆除できたと思います」
「思いますだって?」
 恭介の声にキツネは訂正した。
「駆除しました」
 恭介はキツネに言う。
「なぁ、やっぱり私にはお前がわからないよ、お前は生きているのか? それともこれは幻なのか?」
「それは誰にも判断はできません。でも恭介さんは救ったんですルブヤクソクヤソウソウからね」 
 キツネは笑う。
 ただこの放火事件の後にウソを吐く人と約束を破る人は減った。

紙と木を燃やせ。キツネは笑う。

紙と木を燃やせ。キツネは笑う。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-10-02

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted