今宵、月は赤く染まる。

漆黒の紅薔薇

漆黒の紅薔薇

私が目的地の小さな町に到着したのは
その日の午後の事だった。
幾何学模様に張り巡らされた石畳みが
美しい大通りを、今夜の宿を探しながら
歩いていると小さな花屋の前で
呼び止められた。

「今夜は赤い月の夜ですよ。
魔物避けの聖月花(せいげっか)の枝はいかがです?」

そうか、今日は赤い月が昇る夜か。
それならば聖月花(せいげっか)の枝を宿の窓に
飾らねばならない。
私は店の主に勧められるまま
店内に入り、聖月花(せいげっか)の枝を購入する
はずだった。

しかし、どう言う訳か、
私がその店を出るときに手にしていたのは
赤い月の夜に不可欠な魔よけの聖月花(せいげっか)の枝
ではなく、血の様に赤く滴る、
怪しくも美しい一輪の薔薇の花だった。


ここは青空と夜空の間に存在する、
「ソラノスキマ」。
この世の何処よりも星に近く、
月の影響を受けやすい世界だ。
今日はその「ソラノスキマ」に 年に一度、
赤い月が昇る夜。


昔から赤い月は、生き血を啜る恐ろしい魔物
を招くと言われており、こんな夜は
魔物に襲われない様、
魔よけの聖月花(せいげっか)の枝を家の窓に飾る風習がある。

そんな危険な夜に聖月花(せいげっか)の枝ではなく
何故わざわざ薔薇の花を?

旅人の自分には赤い薔薇など無縁の
代物だと思っていたが、
どういうわけか、店内で怪しくも
美しくたたずむこの薔薇に
魅かれて手放せなくなっていたのだ。

宿屋の入り口にも聖月花(せいげっか)の枝は飾られているし、
そう心配する必要はないかもしれないが
あいにくここは入り口から一番遠い部屋だった。

「我ながら、とんでもない買い物をしてしまったな。」
一抹の不安を抱きつつ、
今宵の宿泊先のテーブルの上に活けた薔薇を
ながめていた。


古ぼけた部屋の中が徐々にうす暗くなっていく。


間もなく赤い月が昇るのだろう、
窓の向こうの大通りも人通りが少ない。


「今夜は早めに休もう。」

早めの夕食を取ろうと思い、
ドアノブに手をかけた時・・・。

私の背筋は一瞬にして凍りついた。

ドアに取り付けられていた鏡に、
黒いドレスを纏った、血の様な深紅の瞳の
少女が映っているのが見えるではないか。

驚いて振り向いたが、其処には誰も居なかった。
ただ、窓の向こう側に 昇り始めた
赤く染まった月が見えるだけだった。



それから…。
目の錯覚だと思いたかったが、
その少女は鏡の向こう側に現れ続けた。


食堂の鏡、
宿のロビーの大鏡、
廊下の年代物の鏡・・・。

(これは良くない者に気に入られてしまったか・・・。)

やはり聖月花(せいげっか)の枝を買っておくべきだった。

しかし今さら後悔しても仕方がない。
散々悩んだが、赤い月が昇り切った真夜中に
私は外に出てみることに決めた。
鏡の向こうからずっと覗かれるのは気分のよいものではないし、鏡を外しても姿が見えないだけで
彼女が側にいるのかと思うと余計に落ちつかない。それにこの状態が続くと、いつ自分に
危害が及ぶかもわからないからだ。

今は鏡を通じてしか姿が見えないが
建物の中では無く、月の光の下ならば
彼女もはっきりと姿を現すだろう。

これは一か八かの賭けだった。


彼女が言い伝え通りの恐ろしい魔物ならば
私の命の保証はない筈だ。


だが、鏡に映る赤い瞳の彼女は何処か寂しげで
私に何か伝えようとしているのか、
必死に話しかけているように見えたのだ。
只、残念ながらその声は私には
伝わらなかったのだが…。


直接彼女と対話できれば、或いは・・・。
私は、覚悟を決めて宿の外に足を踏み出した。

紅薔薇の紳士

紅薔薇の紳士

静まり返った大通り。

どの店も、酒場すら早々に店じまいして
私以外、外にいる者はいない。
ただ、赤い月が幾何学模様の
石畳を照らしている。

「姿を現してくれないか?君と話がしたい。」
赤い静寂が支配する空間に、私の声だけが
虚しく響き渡る。
(姿を現してはくれないのか…。)
半分諦めかけた時、強い風が街路樹を揺らした。
そして、何者かが背後に現れた気配を感じた。

「ほう、自ら姿を現すとは。中々の命知らずだな。」
低く落ち着いたその声は、明らかに
少女の物ではなかった。

薄赤い月明かりの中に現れたのは
一人の紳士。
漆黒の外套を纏い、少女と同じぞっとするほど
深い血のような瞳…。
その片方の目を紅薔薇の眼帯で覆った
隻眼の深紅の瞳の男だった。

少女とは違う魔物の出現は予想外だが、
もはや後には引けなかった。

「あなたは、赤い月の魔物ですか?」

高鳴る心臓を落ち着けるように、
ゆっくりと彼に問いかける。

「ふん、こちらの者たちはそう呼ぶらしいな。
全く無礼にも程がある。
良いか?私の事はこれからは《紅薔薇の紳士》と
呼べ。本来魔物とは、もっと下等で品のない
生き物の事を言うのだからな。」

随分と気位の高そうな魔物…もとい
紳士である。

「失礼、紅薔薇の紳士殿。
あなたは、黒いドレスの少女のお知り合いか?」

「いかにもその娘は我が一族の者だ。
だが、今はそんな事は関係ない。
お前、あの薔薇を一体どこへやった?」

「あの薔薇とは…、私がさっき買ったあの
薔薇ですか?」

彼の意外な要求に一瞬戸惑ってしまった。
魔物の要求するものが生き血ではなく、
一輪の薔薇とは・・・。

「あの薔薇はお前には分不相応な代物だ。
今すぐ私に渡せば命だけは見逃してやる。
もし、拒むのならばどうなるのか…。
わかっているな?」

紅薔薇の紳士は、低い声で私を
脅すように語りかけた。

「仰る通り、あの薔薇は私には分不相応な
ものでしょう。他の薔薇とは違う、
不思議な力を感じます。しかし、あれは
あなたの薔薇なのですか?
本当は、あの少女のものではないのですか?」

「お前には関係のない事だ。
余計な口を利かず、私に薔薇を渡せ!」

確かに、状況的にはあの薔薇を彼に渡すしか
助かる方法はなさそうである。
彼はまるで、
小さな野花を眺めるかのように私を見据えていた。

…お前など、野花の如く簡単に踏み潰せるのだ。

彼の赤い瞳は、そう語っているようだった。

だが、どんなに脅されようとも
このまま魔物のいいなりになるのは
釈然とせず、返事を決めかねていたその時だった。

「申し訳ありません、どうかあの薔薇を返して
頂けませんか?」

背後から聞こえたその声の主は、
鏡の中にいたあの少女だった。
赤い月の魔力が満ちて、ようやく
姿を現したようだった。

「あの薔薇は、私の世界とこちらの世界をつなぐ
大切な《鍵》なんです。《鍵》がないと
赤い月の扉を開いてあちらの世界に戻る事が
出来ない…。そうなると私は、
朝日を浴びて灰になって消るしかない…。」

「こちら側の者に、詳しい事情を話す
必要などない!渡さぬのならば
力ずくで取り戻せばよい!」

紅薔薇の紳士はそう言って言葉を遮ろうとしたが、
少女は続けた。

「私が空から薔薇を落としたのがいけない
のです。私のせいで、紅薔薇の長(べにばらのおさ)様に
これ以上迷惑はかけられません、
どうか、どうか薔薇を返して下さい!」

今にも泣きだしそうな顔で、少女は
私に訴えかけた。
終始高圧的な紅薔薇の紳士はともかく、
流石に少女の必死の訴えを聞き入れ
られないほど、私は薄情ではない。

「そんな顔をしないでおくれ、今すぐ
あの薔薇は君に返すから。」

私は急いで部屋に薔薇を取りに行き
再び彼女たちが待つ大通りへと戻った。

少女の小さな手に赤い薔薇を返した時に
やっと彼女は笑顔を見せて、小さな声で呟いた。

「・・・ありがとう。」

「いいんだよ、もともと君のものなのだから。」

「ふん、色々と気に入らないが
無事に薔薇を取り戻したのだから問題ない。
まだまだ赤い月が夜空を照らす、
我々の時間はこれからだ。
せっかくだから、こちらの世界を楽しもう
ではないか。」

一部始終を憎々しげに眺めていた
紅薔薇の紳士が、そう言って不気味な笑みを
浮かべると、私の脳裏に最悪の事態が
横切った。

「こちらの世界を楽しむとは、まさか・・・?」

「安心しろ、
我々はそこまで恩知らずではない。
約束通り、お前は見逃してやる。

・・・最も他の者にはそうとは限らんがな。」

彼は怪しく笑ってそう言うと
少女と共に 赤い月が浮かぶ夜空に舞い上がり
月明かりの中に消えていった。



彼の最後の言葉が、
冗談か本気なのかは見当がつかなかった。
だが、今夜に限って聖月花(せいげっか)の枝を買い忘れる
うっかり者は私くらいのものだろうから、
まさかの事態が起こる事はないと信じたかった。

部屋に戻り、寝台の中に潜り込んでも
紅薔薇の紳士が最後に見せた不気味な笑みが
まぶたの奥にこびりついて
結局一睡も出来なかった。


朝日が昇り始めたばかりの早朝、
いてもたってもいられず
ロビーで刷りたての新聞記事を確認したが
昨夜はこうといって大きな事件はないようだった。

但、新聞の片隅に小さく

「生花店の赤い薔薇が、何者かによって夜のあいだに全て盗まれる。」という記事が掲載されていた。

…彼の仕業か?

一見、冷徹な紅薔薇の紳士が、必死に
《鍵の薔薇》を探している姿を想像すると
急に小さな笑いと、強烈な眠気が込み上げてきた。

チェックアウトまで部屋でもうひと眠りしよう。
私は部屋へ戻り、再び寝台に入る事にした。

その時、
ちょうど西の空では、朝日の中に
赤い月が消えかけていたー。

今宵、月は赤く染まる。

今宵、月は赤く染まる。

minneで販売した ハロウィン限定あみぐるみ用の ミニストーリーです。今回も全2作同様、 語り部はカノープス氏です(^^) ハロウィンを意識して製作したので、 前2編とは少し違う雰囲気のお話しになっています。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-09-30

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Copyrighted
  1. 漆黒の紅薔薇
  2. 紅薔薇の紳士