鉄っ張り爺の話したこと

鉄っ張り爺の話したこと

鉄っ張り爺の話したこと


さて、この年老いた老爺にはまっとうな名もあれば、
帰る里があり、家族があり、玄孫までいる。
しかし山の庵に独りで暮らし、麓へ下ることはごく僅かである。
何故里の者はみなこの老爺を、“鉄っ張り(て ぱ)爺”と呼ぶのであろうか。
これから記すことは、その、“鉄っ張り爺”と呼ばれた、
それはたいそう屈強で、偏屈なおとこが語った話である。

庵は、山に深く分け入り、鬱蒼とする林の中に忽然と現れる。小さな手作りの山小屋である。
戸の代わりに筵が下げられている。軒下の壁一面には小動物の頭蓋骨や干した魚、
小さな木彫りの何か、乾燥した植物の葉や種子、錆びた金属片などがおびただしく括りつけてある。
とりわけ菰を潜ろうとするものを見下す、片方の角が大きく歪んだ巨大な牡鹿の頭骨は、
それは大変な迫力がある。
これは爺いわく魔よけ、とのことであるが、その数のすさまじさは、確かに好奇心で近づく者によく効くのでないであろうか。
さて、中に入ると猫の額ほどの土間、板張りに囲炉裏、梁から無数にぶら下がる燻製と思しき保存食、
獣の骨皮。山の暮らしに用いる種々の道具、縄、小刀、竹棹などが整然と息を潜めている。
この爺を訪ねると決まって囲炉裏の向こうにきまってへの字口で座り込み、微動だにすることはない。
その眼はすっかり長く伸びた眉に隠れ、眠っているのか起きているのか全く判別がつかないありさまである。
枯木と見まごうような黒い肌と狸のような白黒灰混じりの老髪が伸びている。
いつも訪ねる度に、まさかこのまま昇天しているのではないかと不安にもなる。
しかし私があいさつをすると、少しの動作によって座るように促される。
この、囲炉裏端に座るまでは容易いのだが、語るまでとなると大変である。
外の土地の話を聞かせたり、土産を渡したり、ご機嫌をとらなければならない。
その間、爺は木彫りのようにぴくりともしない。
いろいろして、こちらの万策尽きたところを見計らったように
ようやく、もぞもぞと動き出す。
鉤に吊られた古びた鉄瓶に煮えたぎる黒い苦い茶のようなものを勧められる。
この仕草こそが、その不可思議な昔話を語ることの確かな合図なのである。




さる

猿は賢いいきものである。人まねをしたり、命乞いをしたり様々に伝えられるが、
爺が語ったのは悪猿と呼ばれた獣のはなしである。
これは数重の猿の群れであり、荷を盗んだり、家畜に悪さをしたりするのである。
また、旅人を道に迷わせたり、木の実を腐らせ落としてしまうこともあるという。
とかく人に害を与えることに限りはないらしい。
そしてこの悪猿には首領がある。ひときわ大きい白と栗色の斑のある老猿がその群れを束ねているという。
この猿を見分けるのは簡単で、小さな猿たちがあたりを取り巻き、病人に飯を食わせるように
その大猿の口元へ果物などを与えている様子がまさにそれである。この首領猿は頭が上下逆についていて、
口が一番上にあるから果実の汁などが目鼻に垂れてしまうのである。
だから取り巻きの子分たちがこぼれないように食べさせ、流れた汁を毛で拭っているのだという。
かつては毎年のように悪さをされたが、ここ数十年は全く姿をみていないと、爺は退屈そうにため息をついた。




かっぱ

川で魚などを獲っていると、河童が出るという。
よく知られた可愛らしい妖怪ではない、
このあたりの淵に出るのは全く違うものであるという。
大人ほどの背丈で、全身は漆のように真黒でぬめぬめとしている、
しかし足だけは真っ白で、それは大きな水掻きがあるという。
頭に皿はないが、丸い嘴を持ち、目玉は顔の半分ほど、きらきらと光っている。
とくに悪さをするわけでもなく、ただ水辺をぽちゃぽちゃと歩きまわるだけである。
私が思うに、どうやら水辺に現れる奇妙なもののことを、河童と呼び直しているではないだろうか。




ちいさな上人

ある時、爺の親友が山菜を採りに山へ入った。求めたのはウドだかタラの芽だか、
確かなのはその親友は猟師ではなかったことである。
しばらく探し回っていると、どこからか人の声がする。
どうやら少し向こうの茂みから聞こえるようで、少し覗いてみることにしたそうだ。
枝葉をわけて顔を出すと、そこに小さな人が十数人、列をなして歩いていたのである。
大きさは一寸足らず、みな同じ服を着て、青い狩衣のような着物に黄色い帽子を被っていたそうである。
どうやらみな子供のようで、きゃっきゃっといいながら愉しそうに歩んでいる。爺の親友はたいそう驚き、
はっと声を出してしまったのである。その音を聞くや否や、列の先頭にいた、
少しばかり体の大きい人が(それでも一寸とすこしである)こちらを見て、ピィピィと笛を鳴らして、
どうやら追い払おうとしている、と感じたそうである。そこで深く頭を垂れてその場を去ったそうである。
そのあと親友はいつもの倍は山菜を得ることができたという。
これはきっと、山の聖人なのだ、とその友は語ったとのことである。




おおかみの火

山道に小さな火が独りでに動き回ることがある。
その日山に入った者の全員が時や場所を違えても見るという。
数日の内に里あたりまでに近づき、家の中に入っていくという。
入られた家はひどい火事になってしまうのである。
これはおおかみの火と呼ばれ、山神の一種であるとされている。
火事になる家には必ず、人を騙したり物を盗んだりしたものが居て、
それを罰しにくるのだという。これは滅多に見ることはないそうである。




天狗がくる

ある時、里を見慣れない男が大声を出して走り回ったという。
天狗が来る、天狗が来る、と大声で叫びながら慌てふためき、
ぐるぐると走り回ったのである。
結局その男はどこかへといってしまい、
その日もその後も、何事もなかったという。
迷惑な人もいるものだ、と爺は笑った。




やまおんな

山姥や山女というものは、山の怪としてよく語られるものである。
しかし、この山には決して山女は出ないのだという。
これは爺が子供の頃、一番の古老から聞かされた話で、
理由ははっきりとしないが、山女が棲むところにはどうやら違いがあり、
ここがたまたま棲まない山であるとのことである。
こればかりは爺にも判らず、
当人はもちろん山でそのようなものには一度も出会ったことはないという。




おばい馬

月のない夜には、これに気をつけるという。
必ず刃物を身につけ、出来れば火を絶やさない。
塩が手もとにあればなおよい。
他には厩以外の場所に飼い葉を置いたりしてはいけない。
間違っても飼い葉桶の傍にいたり、家の中に置いたりしてはいけない。
これを破ると、たいそうこわい目に遭うそうだ。
(例によって、爺はそのこわい目とはなにかは語らなかった。
だが爺の様子からするに一度そのこわい目に遭ったことがあるのではないか、と思わざるを得ない)




どどら火

さて、爺は山で狩りをしていると、奇妙なものに往き遭うことが幾度となくあるという。
どどら火というものも、そうしたものの類であるという。
これは夜によくあらわれるもので、きらりと二つの目が炎のように眩しく光輝くという。
人を嫌っていて、こちらに気づくと追ってくるが、狭い竹藪のような場所に隠れているとやがて何処かへ去るという。
このどどら火にも等位があるようで、大きなものは小山のような大きさで目の数も二つ四つと多くあり、
目は燃えるような明るさで甚だしい。
しかし位の低いものとなると目は一つだけ、子牛ほどの大きさであるという。
どれも大きな唸り声と毒気を吐くので、そのあとの猟はうまくいかないという。




のいのい

山で往き遭うものの中でももっともよく見かけるのが、これであるという。
人のような姿をしているが、化けたためであり、本性は知れないらしい。
姿形は人そっくりだが、布を継ぎ合わせたような妙な着物を着たり、
面を付けているのですぐに分かる。
こちらの姿を見られると、のーいのーいと声を出して近づこうとしてくる。
これは決まって一匹で現れ、複数でいることはないという。
その声は大きいので、獣は逃げてしまうらしい。




井戸の雷

ある日のことである。鉄っ張り爺が山から下りてきて、里の家族の屋敷にいきなり現れた
爺はすたすたと歩んで、裏庭の古井戸の前にどっかり座りこんでしまった。
娘が用を訪ねても、真一文字に口を結んで語ろうとしない。
家族たちが不思議そうにその日一日見守ったらしい。
明くる日も爺はしっかり座りこんでいる。
食物も口にしない様子なのでいよいよ心配になる。
そして昼頃であろうか、俄かに天がかき曇り強烈な雷雨となった。
土砂降りの中でも爺は微動だにしなかった。
そうしていると、カッと雷鳴とともにその古井戸へすさまじい稲妻があった。
家の者共が驚くなかこれを見届けた爺は、
焦げた井戸蓋をさらさらと撫でてその煤をぺろと舐めたという。
そして何事もなかったようにすたすたと屋敷を去ったらしい。
後に家族が訪ねると、一言、まぁあれは大事ない、と言ったきりであったという。




おんのうんがい

おんのうんがいというものがたびたび山で見つかるらしい。
おんのうんがいの おん とは鬼のことで、うんがい とは刃物のことをいうらしい。
黒々とした大きな鉈で、刃渡りは三尺ばかりもある。
これが唐突に木や地面に突き刺してあるという。
無闇に引き抜くと害をなすとされている。
爺は昔これと往き遭い、なんと引き抜いてみたそうである。
よくよくその鉈を見ると、巨大な木板と膠で誂えた偽物だったそうだ。
妙な悪戯をする者もあったものだと、爺は大きく笑った。




ひとつめ

山童などのたぐいは目をひとつしか持たぬとされているが、これもそうしたものであろうか。
あまりに遅い時刻まで山に残ると、ひとつめがでるという。
これはひとりかあるいは二~三人で現れる。
目は額のあたりにひとつ、毛髪はない。手には長い燃える炭を持っている。
しきりにこれを振り回して脅かしてくるという。
こうしたものはもっと悪いものを呼ぶとされるので、近づかないようにするという。




ばば

山で往き遭うものでも、もっとも恐るべきものとされるのが、このばばである。
普通、ばばというとなんとかのばばとかであろう異名をもつが、
ここでは、ただ ばば とだけ呼ばれている。
白木の杖を持った婆の姿をしており、怖ろしい形相をしているという。
もしくは、山林に唐突に現れる更地にぽつり立っているともいう。
これが出ると必ず魂を抜かれるというが、こういった話が残るあたり、
これをみて生還したものがいるようだ、と爺は笑った。




音食い

これは姿を現さない獣である。
他に獣と違うのは、音を食べるということがある。
鳥の声や沢が岩打つ音のすべてをすっかり食べ尽くすという。
妙に音の無い場所はこの音食いが食事をしたあとである。
爺は、この獣が音を食うところと足跡を見たことがあるといった。
音食いは音を食うとき、大変な唸り声をあげて、
それが響き渡った周囲の音を呑むのであるといった。
この唸り声は耳が傷むほど強烈なもので天を引き裂くようであるという。
また足跡は決まって岩肌にてんてんと残されていて、
堅い岩盤に鋭い爪を杭のように立てて登るのだという。




犬食い

犬食いというと、顔を食器に近付けて犬のように飲み食いすることであるのが通常であるが、
ここでは、犬食いという犬を好物とする獣があるという。
大きさは雄牛ほどもあり、長い尾と筍の皮のような丈夫な皮をもっているという。
たいそう足が速いが、身丈に合わず前足が短く稚児の腕ほどもない。
このように手が小さいので獲物を掴み取ることが叶わず、
口で噛み殺した犬を地面に置いて、足で押えて地を掘るように食べるという。
その様子もまた通常の犬食いの似ているのである。
何度が撃ったが、肉は堅く味が悪いという。




おんど池

ある猟師が山で見慣れぬ場所に出くわした。
いつも通いなれた山道であるというのにどうにも景色が違う。
いつかもとの場所に出るだろうとそのまま進むと、急に視界が開ける。
そこには見渡す限りの途方もなく大きく深い池があったのだという。
四角く切り取ったような池に大きな川が注ぎこんでいるが、
その川が雨の滴りほどに感じられるような、それほど大きな池であったという。
これを見た猟師は、海を見た、海を見たといって触れまわったが、
結局再びその池を見ることは叶わなかったという。




鬼の太腕

まだ爺が猟師になって間もない頃のことである。
ある冬のこと、冬眠をし損ねた樋熊が随分と山を荒らし、
寒風が深まると里にまで下りて民家を襲ったらしい。
里の猟師が集められて熊狩がはじめられた。
爺も師について山を駆け巡り、熊を追いたてたという。
そうして何度か銃を撃ち込んだが、その気迫の凄まじさで近づいた猟師に襲い掛かり裂き殺し何処かへ逃げ去ったのである。
そのあとも熊狩が続けられ、ようやくかなり離れた崖下にその姿は見つけられた。
逃げ延びるうちに足を滑らせて堕ちたのであろう。
姿は見えるが人が降りることができないほど切り立った絶壁であった。
熊もわずかに動くだけでひどく衰弱している。
もはや害はないと判断され猟師たちはその場を後にした。
だがその後になって、毛皮欲しさにある猟師がその崖へと独りで向かったのである。
だがそこに熊の姿はなかった。
そこには巨木の幹ほどの太さの大きな腕がにょっきりと地面から生えていて、
崖はすさまじい音を立てて削りとっていたという。
この様子に肝をつぶして逃げかえった猟師は反省し、ことのすべてを猟師たちに話したのである。
そして一番年長の猟師はその行動を叱り、またこう付けくわえた。

その熊は地獄に落ちたのだ。
お前のみた大きな腕は鬼の腕だ。
熊の亡骸を地獄へ持ち帰るために奈落から手を伸ばして崖ごと削りとっていったのだろう。
人を襲い領分を乱したものは必ずああなるのだと。
爺はその話をはっきりと覚えているといった。

その腕をみた猟師は程なくして病に伏してしまった。
鬼の腕に生えた三つの爪が怖ろしい、とうわごとを言い、死んでしまったのだという。




みっつのうりもの

夕暮れ時になると、人気のない山に筵を引いた物売りが出るという。
こんなところで売っても、通りかかるのは獣か風だけであろう寂しい場所に専ら現れるのである。
容姿は様々で、老婆や青年、僧侶や若い女であるともいわれる。
特徴はその筵の上に必ず品物を三つ置いていることである。
二つは使い古しの古道具や傷んだ野菜だの干物だったり、
およそ誰も欲しがらないようなくだらないものである。残りのひとつは布で覆い隠されていて中身は判らない。
これに出会ったときは相手にせずその場を立ち去れば害はない。
しかし興味本位で話しかけてはいけない。
とくに布で隠された品物の値を聞くと、売り子はにやっと笑ってすっと布を取り去ってみせる。
そして(ここで爺は厠に立った。しばらくして戻ってくると、良い竹の見分け方だとか山菜の種類について語り始めた。
この売り物の話の結末を私は訪ねたのだが、
爺はいじわるそうに笑って、おので遭うてみちえ(自分で遭ってみろ)といって、結局解らずじまいになってしまった)




子取りじじ 

子取りじじ、というものがある。
これは決まって雪が深く降り、しんと静まった日に現れる。
体をぐるりと布で覆っていて、決して肌を見せない。
大男ほどの背丈があるのに、それは素早く雪の上を動き回るのだそうだ。
どれだけ走っても追いつけぬほどである。
これほど素早いのは、指から生えた三尺ほどもある長く鋭い爪を雪に引っ掛けて
滑るように動くからだという。
里に下りるとちゃらちゃらと面白い音を鳴らして子供を誘い、食べてしまう。
だから、雪の降る静かな日は子らを表に出さないのだという。




訪ねるひと

山小屋を訪ねてくる者があるという。
山に迷ったものとの判別は難しいが、ひとつだけ見分ける方法があるという。
懐に猫の毛を忍ばせておいてその客に吹きつけると、ただの迷い人であれば不審がったり、
あるいは気付かなかったりであるが、これはたいそう喜ぶのだという。
そのよろこび方は大変で、小躍りしたり歌を歌ったり、ひどく酔ったようになるという。
こうなったら力づくでも小屋から追い出さなければならない。
これを小屋に泊めて寝入ってしまうと、そっくり体の皮を剥がれるという。
面白がって一泊させた猟友があったらしいが、あくる朝目を覚ますと、
体中の皮を剥がれてひどく苦しんだあげく死んでしまったそうである。




おっどらたへい 

猟師になって間もない若い者は、このおっどらたへいによく出くわすのだという。
おっどらたへいは身の丈七尺はあろうかという巨躯で、
ど派手な着物に分厚い一本場の下駄、もしゃもしゃと濃い髭を蓄えた侍の姿で、
必ず岩の上で大変な大いびきをかいて眠っているという。これを見たらそっとその場を離れなければならない。
もし興味本位で起こしてしまうと厄介である。
目を覚ますと大声でこちらを呼びとめ、やれ相撲をしようだの、
力比べをしようといって引きとめるのである。途中で逃げ出そうとしても決して叶わない。
必ず気付かれてとらえられてしまう。三日三晩遊びまわされて気まぐれにかき消えるのである。
疲労困憊してその後は長く休まなければならないほどである。
ある猟師は立て続けにこれに出会ったので、すっかり身を潜めて歩くのがうまくなってしまったという。
しかし何度も出会いやり過ごすうちに、おっどらたへいが音も出さないのに目を覚ましたという。
しまったと思ったが、これが言うに、おまえは忍び足のうまいやつだ、面白いから見逃してやる、
といって、また高いびきで寝入ってしまったという。
これにあまり出くわさないようになると、猟師も一人前なのであろうか。




ちっかり狸 

狸という獣は人をたぶらかすのをとても好むという。
ちっかり狸とは、木陰からいきなり閃光を出して人を驚かせるのである。
この光は狸のもつ特別な火打ち石から出るのであるという。
爺は幾度かこれを見極めんと打ったが、ことごとく逃げられたという。
しかし打った辺りには小さな小石のようなものがぱらぱらと落ちていたので、
狸は慌ててこの火打ち石をとり落としたのであろう、とのことである




松枝のまじない
 
里の猟師には、いくつかの秘術が伝承されている。
松枝のまじないもそのひとつである。
このあたりの猟師はみな、懐に松の葉を持っているのだという。
二股に分かれたものを選って、巧みに組み合わせ手の甲の上にそっと置く。
そうすると簡易な方位磁石のようなものになるのだという。
しかし、そのまじないによって得られたそれが示すのは北ではない。
山で迷い万策尽きた時にこれを使うと、
必ず帰るべき場所を葉が示してくれるのだという。
このまじないに、爺も何度か救われたと話した。
だが、守らなければならないことがある。それは、窮地に至った時だけに使うということだと爺は話した。
このまじないが指し示す本当のものは、自身の望むものの在り処であるのだと。
ある猟師がこのまじないに取り憑かれ、ずっと松の葉を掌の上でくるくるとさせて、欲しいものを手に入れていたのだと。
しかしある時、松の葉はくるくると回り続け、どこも指し示さなくなってしまった。
だが、その猟師はずっとそのまじないを信じ続けて、
まだか、まだか、いつか、いつか、と山を彷徨っているだという。
だから、むやみにこのまじないを使ってはならないのだそうだ。


神獣

ある時爺が山の淵の辺りに差しかかったとき、その水辺に不思議な獣を見たという。
大きさは狼より少し大きく、脚は倍ほどもすらりと長い。
毛は絹のような美しさで、ふさふさと栗色に輝いている。
頭はまるで鶴のようで、長い舌でぺろぺろと水を呑んでいたという。
爺は身を潜めていたが、こちらに気づく様子はない。
銃で仕留めようかと思ったが、その美しさから、これは神獣に違いない、と思い撃たなかった。
しばらくすると突然、その姿はかき消えてしまった。
辺りにはなんともいえない花のような芳香が漂っていたという。




さて、ある日のことである。
爺は山へ入ったきり帰ってこなくなってしまった。
もう数カ月になるが、持ち物の一つも見つからない。
何処かへかき消えてしまったような心地であるが、
あの爺のことであるから、きっと、あの妙に甲高い声で笑いながらひょっこり
また姿を現すように思えてならない。

鉄っ張り爺の話したこと

鉄っ張り爺の話したこと

さて、ある日のことである。爺は山へ入ったきり帰ってこなくなってしまった。

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-09-25

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted