イッツ・マイ・ライフ

 やかましい音とともに、あたしの一日は始まる。寝ぼけたまま、目覚ましがあると思われる方へ向かって、手をバシバシやる。でも、手応えがなくて、「もう、うっさいなあ」と、仕方なく起き上がる。そして、薄く開かれたまなこで、床に落ちているプーさんを確認する。プーさんが「朝だよ、起きて!」と言ってくれるわけではなく、ただジリジリと鳴っているだけの、ありふれた目覚まし時計だ。拾ってやって、音を止めた。
 あたしは朝に弱い。というか、眠るのが好き。何の緊張もなくて、柔らかいベッドに身を預けているのがたまらん。できることなら、これでもかというくらい眠り続けていたい、でも、そんなの無理だ、大丈夫、分かっている。何で学校というものは、こんなに早く起きないと間に合わない時間に来させようとするのだろう。もっと、遅くていい。午後からでいい、せめて昼前から。あたしが総理大臣になったら、睡眠時間を大切にする法律を作ろう、うん、絶対やる。
 思考回路が暴走気味の間に、時間はすっかりなくなっている。着替えを手早く済まして、玄関へと急ぐ。ところが玄関には、お父さんがいた。これぞ中年、と主張しているかのように出ているお腹、寂しい髪の毛、脂ぎった顔。とても好きになれる要素のないただのおっさん。物心ついたときから、お父さんはこんなおっさんだった。お母さん曰く、「昔は痩せてた」そうだが、今の姿からは想像できない。でも残念ながら(?)、昔の写真に写っているお父さんは確かに痩せている。まあ、今と変わらなかったら、お母さんも結婚相手に選ばないかと思い、納得した。
「サエ」
 すると、お父さんが話しかけてきた。あたしが急いでいるのが分からないの? そこにいたら邪魔でしょ! と思いつつも、「何よ」と、とりあえず答える。
「スカート、短くないか」
 はあ、何だそんなことか。「うるさい変態、時間ないんだからどいてよ!」あたしは無理やりどかして、黒靴を履いて、家を出た。
 あたしは結局、走るはめになった。ふざけやがって、あのデブ、遅刻したらただじゃおかないんだから。スカートが短い? このくらい普通よ、いまどき。パンツが見えちゃわないか心配しているんだろうけど、そういうところにしか目が行かないのね。スカートを短くするのは可愛いからよ。全体のバランスを考えたときに、制服のスカートは短くした方が映えるのよ。どうせ、分かんないでしょうけど。
 秋晴れの空の下、あたしは息を切らして走った。チェックのスカートを揺らして。

 机に突っ伏して寝たり、たまに起きて授業を聞いたり、寝たり、寝たりしている間に、六時間目まであっという間に終わった。毎日のことだが、学校で学んだはずのことは何一つ覚えていないで家に帰る。起きていた時間に聞いたことも、すっかり頭からどこかへ行ってしまっている。でも、教科書に全部書いてあるんだから、テスト前に読んでおけばいいことだ。こんな調子でも進級できてきたわけだし、卒業もおそらく問題ない。
 あたしはそわそわしていた。一日で一番楽しみな時間が、もうすぐやってくる。あたしはその時間のために学校に来ているのだ。そのためだったら、聞いているのがだるい授業も頑張って受けられる(まあ、寝てるんだけどね)。
 何の時間かって? それは、部活だ。

 体育館に入って、先輩たちに挨拶をする。その先輩たちの中から、部長の小関先輩を見つける。
「部長、こんにちは」
「こんにちは」
 小関先輩はにこやかな笑みを返してくれる。ああ、いつ見てもかっこいい。試合中もかっこいいけど、普段からそのたたずまいは凛としていて、見惚れる。あたしは小関先輩に憧れてこの高校に進学してきたのだ。そのために血の滲むような猛勉強を――してないけど、頑張ってスポーツ推薦をもらった。
 あたしが所属しているのは、バスケットボール部だ。正確には、女子バスケットボール部。男子とは別物になっている。男子は校舎から歩いて数分の、もっときれいな体育館を使っている。こっちの体育館も充分きれいだとは思うけど、やはり学費が高いだけあって、スケールが違う。
 あたしはバスケが大好きだ。小学校の高学年からやっていて、嫌に思ったことは一度もない。当然、自分よりも上手い人がいて、その度に悔しさを覚えてきたけど、やめようとは一度も考えたことがない、そう、ただの一度も。
 そんな努力の甲斐あってか、半年前に入部したばかりのあたしが名門校のレギュラーの座をつかみかけている。あたしのバスケに対するモチベーションは上がりにあがっている。
 なのに、あんなことが起こるなんて……。

 練習試合の最中だった。最初は、あれなんか変だな、くらいにしか思わなかった。リバウンドを捕ろうとしてジャンプし、上手いこと捕って着地したが、片足がくじく形になっていた。でも、歩いているときに足をくじくことだってあるし、普通に立ったら何でもなさそうだったから、そのまま気にすることなくプレーした。
 いつもに比べたら、いまいちスピード感のないプレーだった気はするが、最後まで試合に出続けた。練習を最後までやり通すのがあたしのモットーだ、少しの違和感で抜けるわけにはいかない、そんなんじゃ、レギュラーもおぼつかないし。
 だけど、それがいけなかった。
 あたしは、足を捻挫していた。しかも全治一ヵ月。しばらくは包帯を足首に巻きつけて、変な方向に曲がっている骨を固定しなくちゃいけない。当然、運動なんてもってのほか、治りが遅くなるだけだ。
 絶望しかなかった。なぜなら、来週から大会が始まるからだ。せっかくレギュラーをつかみかけていたのに、こんなタイミングで怪我をしてしまうなんて、ついてなさ過ぎる。
 小関先輩は、あたしの怪我にすぐ気付かなかったことを詫びた。「ごめんね、私が気付いていれば……」そんな風に言ってくれる先輩はやっぱり素敵で、優しくて、でもあたしは心から申し訳なかった。

 部活には、行かなくなった。怪我をしても見学するべきなんだろうけど、行く気になんてとうていなれなかった。自分が混ざれないバスケを見ていたって、つまんなく感じるのは明らかだった。
 学校に行っても、六時間目が終わったらすぐに帰った。授業中はやっぱりよく寝ていて、家に帰っても翌朝ギリギリまで眠っていた。なんだか、寝てばかりだった。そんなあたしは、誰から見ても分かるほど憂鬱な表情をしていたと思う、バスケ部の友達も、あまり話しかけてこなかったから。

 家でぼうっとパソコンの画面を眺めていると、あたしの部屋のドアをノックする音が聞こえた。「入るわよ」と言って入ってきたのは、お母さんだった。
「サエ、最近元気ないわね」
 どうやら、あたしを励ましに来てくれたらしい。隠すことなく、励ましてくださいと言うかのように落ち込んでいながら、あたしは余計なお節介だと思ってしまった。
「別に、何でもないよ。宿題やるから、出てってよ」
 お母さんは、しょうがないわねえ、と言うようにため息をついた。そして、あたしの言葉に逆らって、部屋から出ずにベッドに腰掛けた。
「大会、出れないんだって?」
 大会が近付くにつれて気分が高揚していたあたしは、その高ぶりをお母さんに伝えまくっていた。楽しみだなー、緊張するなー、頑張らなくちゃなー、とそわそわしながら話していた。それだけに、大会への道が閉ざされたことで意気消沈している度合いは、容易に測れるのだろう。
「まだ一年じゃない。来年も再来年もあるわよ。腐らないで、良い経験になったと思えばいいのよ」
 知ってるよ、来年があることくらい。でも、あたしが一年のときに行われる大会は一度きりしかないんだ。それは小関先輩がいなくなるとかだけじゃなくて、上手く説明できない何か貴重な輝きを持っている。
 あたしが黙っていると、お母さんは言葉を重ねた。
「……サエ、実はお父さんもバスケ部だったのよ」
 え……、何それ、本当に? 冗談じゃなくて? お父さんって、あのおデブさんのことかしら。そういう名前の人がいるとかじゃなくて? あ、でも昔は痩せていたんだった。
「お父さん、このことはサエに言わないでって言ってたの。サエに嫌われてるだろうから、同じ道に進んだことを知ったら、バスケやめちゃうと思ったのよ」
 確かに、お父さんもバスケやっていたと知ったら、ひょっとしたら続けてなかったかもしれない。いや、関係ないくらい今はバスケ好きだけど、始めたばかりの頃だと気分が違っただろう。
「お父さんも、レギュラーだったんだけど、怪我で出られなくなったのよ。でも、腐らなかった。ちゃんと練習に見学行って、大会でも声を張り上げて応援してた。そしたら、次の年の大会でちゃんと出場して、怪我してた分も活躍したのよ」
 あたしは、いつの間にかお母さんの話に聞き入っていた。あのお父さんが、あのお父さんが……。
「だから、サエもつらいでしょうけど、乗り切らなきゃダメよ。ファイト!」

 今日も、あたしの登校はギリギリだった。お父さんが、玄関の前で立っている。どうしようか迷ったけど、あたしはお父さんに言った。
「お父さん、邪魔」
 ひとまずどかして、だけど、それだけじゃなくて。
「あたし、しっかり治して、次の大会で頑張るね。お父さんみたいに」
 そう言って、返事を聞くことなくドアを開けた。気恥ずかしさを振り払うために走ろうとして、怪我をしているから無理だと気付いた。けれども、この怪我はもうあたしを憂鬱にさせない。この経験を必ず生かしてみせる、そうだ、お父さんみたいに!

 パスカットして、ドリブルで敵陣まで攻めかかる。二人かわして、風を切るように走り抜ける。気持ちいい。この快感があたしの気分を最高にさせる。
 台形の中に入った。シャドーディフェンスを読みきってゴール下に潜り込む。体勢不十分だったから近くの仲間にパスして、外に戻ってもう一度パスをもらう。スリーポイントラインから、狙いをすましてシュートを放つ。ボールは誰も届かない高さで弧を描き、パシュッというネットを揺らす音をさせる。
 あたしはこの舞台に立つために努力してきた。初めて経験した怪我を乗り越えた。去年が無駄な一年間じゃなかったと証明するために、どこまでも限界に挑戦する。
 体育館に響く、バスケットシューズと床が擦れる音、ボールが跳ねる音、選手たちの掛け声、声援。あたしはバスケがとてつもなく好きだ。お父さんも好きなバスケが本当に好きだ。
 もちろん試合に集中していたけど、大好きなバスケに没頭できる今を思ってか、自然と笑顔になっていた。

イッツ・マイ・ライフ

イッツ・マイ・ライフ

バスケットボール部のサエに舞い込んだ、予期せぬできごと。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-09-23

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