Mother side of the world

Mother side of the world

自分自身の身体の不調は、自分自身が一番良く分かっていた。これでも医療従事者の端くれなのだから。そしてその身体の不調が、大きな病のサインである事も分かっていた。手術や治療を施して少し寿命を引き延ばしても何の意味も無い。だから一年前に身体の異変に気付いた私は、病院へ行く前に保険会社に駆け込んだ。病が診断されてからでは保険に加入出来ないのだから。

「俺、看護師になりたい」
高校生になる一人息子がそう言い出した時に私は正直戸惑った。看護師という職業。看護師である私だからこそ分かる大変さがあるからだった。看護師と言う仕事は決して綺麗な仕事では無い。”3K”のキツイ、汚い、危険、と呼ばれている程に過酷な職業なのだから。そして看護師に必要とされる要素に母性が必要不可欠だと私は思う。傷付き病んでいる患者を包み込む母性が無くしてケアをする事など絶対に無理だ。男の息子にその母性が果たしてあるのだろうか?きっと無いだろう。それに母子家庭だという事だけが理由では無いのだけれど、私は息子を甘やかして育ててしまった。優しいけれど弱い、とても心配性な人間になってしまっている。
「看護師は仕事な大変だし、無理なんじゃないかな」
看護師になりたいと言う息子に、最初私は反対していたけれど、それでも看護師になりたいと言ってくれた息子の言葉が嬉しかったのも事実だった。女手一つで育てた息子の成長を、息子が産まれる前に死んでしまった夫に見せたかった。立派に育ててくれたね、と褒めて欲しかった。

息子は看護師になれるのだろうか?そんな不安を抱えながら息子を看護系の大学に進学させたけれど、哀しいかな私の不安は的中した。
「俺、看護師になるのは無理だ。看護系の大学になんか行くんじゃなかった。大学も辞めて働くよ。その方が母さんだって楽だろ?」
大学二年生になったその息子の言葉が私には、こんな家に産まれたくなかった、そう言っている様な気がした。母子家庭では無く、普通の家庭を息子に与えてあげれなかった事に私は打ちのめされた。しかも私はもう直ぐ死んでしまうだろう。両親のいない息子はたった一人でこれからも生き続けなければならない。どうやって?優しくて弱い心配性の息子のこれからの人生を思うと私は死んでも死に切れない想いだった。

私が息子に遺してあげられるのは、私が死んで振り込まれる保険金の一億円。これで息子が最先端のタイムスリップで人生をやり直してくれれば、息子はきっと幸せになれるはず…果たして息子はいつから人生をやり直すのだろうか?看護系の大学への進学を決めた高校生からだろうか?それとももっと前?産まれる前には戻れないけれど、将来的には遺伝子レベルのタイムスリップが可能になるかもしれない。父親がいない事で辛い事や悲しい思いをきっとしていたであろう息子は、けれども私には何も言わなかった。それを聞いた私が哀しい想いをしない様にと気遣っていたのだろう。優しくて心配性の息子。子供が親を選んで産まれてくる時代がきっとやってくるはずー

私の病名が診断されて、余命三カ月の宣告を受け入院を余儀無くされた頃には息子は大学を辞めていたので、殆ど付きっ切りで看病をしてくれた。何か食べたいものは無いか、必要なものは無いか、と甲斐甲斐しく看病をしてくれる息子に心とは正反対の言葉が出た。
「貴方が大学を辞めてくれていて良かった」
本当は辞めて欲しくなんてなかった。心が折れてもそれでも踏ん張って看護師になって欲しかった。それが息子を産んで育てた自分自身の誇りの様な気がしていたから。けれど目標を失った息子の事を否定したくは無かった。それは息子を産んだ事さえも否定してしまう事になってしまうからだ。私がそう言うと息子は哀しそうに笑った。
貴方は自責の念に駆られる事は無い。大学を辞めて私の看病をしてくれている息子を誇りに思っている事も事実だったから。

最後の瞬間は自分自身でも良く覚えていない。こんな母さんでごめんね、と思っていたけれど言葉にはなっていなかったと思う。覚えているのは哀しそうな息子の笑顔だけ。こんな息子でごめんね、と言っていた様な気がする。そんな事は無い。貴方は私に、生きる力を与えてくれるたった一つの存在だったのだから。

Mother side of the world

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  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-09-22

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