ソング・フォー・ドール

「シオンって、その歌、好きだよね」
 シオンが歌を歌っていた。私が作られてから何度も聴いてきた歌だ。シオンの歌は、特別上手い訳じゃないけれど、聴いていてとても心地いい。
「え? あぁ、この歌ね……恥ずかしながら、僕が作った歌なんだ」
 少し照れながら言うシオンが、なんだか可笑しい。
「そうなの? シオンって歌も作れるんだね」
「……こんなの、ごっこ遊びだよ。専門家に聴かせたら鼻で笑われるだろうね」
 そうやって自嘲するシオンがなんだかもどかしくで、私はそれ以来、その歌をシオンのために歌うようになった。シオンは私に自分の歌を歌われるのが恥ずかしかったみたいだけど、それでも私は、止めなかった。
 だって私は、この歌が大好きだから――。



 かつてはここから、一面の青空が見えた。
 青空が見えなくなるより遥か昔、人類は終焉を迎えた。汚染物質を利用した、世界規模の戦争。これにより、人類の絶対数は大きく減少すると共に、大地の大半はもはや人の住める環境ではなくなった。
 行き場を失った人々は、あらゆる手段で自分たちが生き残れる方法を模索した。知恵と力を持たない弱者はその果てで力尽き、力を持つ大きな存在は、自身に知恵のある弱者を取り込むと共に、新たな世界の体制を築きあげようと、目を血走らせた。
 そうして人々は、ひとつの終着点にたどり着く。それは、一部の者にとっては祝福であったが、一部の者にとっては死の宣告そのものであった。
 空への移住計画。計画の通り、選ばれた人々はこぞって故郷を捨て、空を埋めた。選ばれなかった人々は、空を埋める蓋に従事することを強要された。紛れもない選民に抗う術は、無かった。
 


 錆と鉄のスクラップの山の上に、今日も僕は立っている。
 空腹が今日も、昨日と同じ調子で僕の胃を鳴らす。このまぬけな音だけが、無機質な退屈を紛らわせてくれる。
 手に持ったレート表を見ながら、僕はなるべく高価に換金できそうなスクラップを探して、山の上を歩き始める。このスクラップたちは、空から捨てられたものばかりだ。
 ここは、空の人々のゴミ箱。その中からまだ直せば使えそうなものを見つけて、修理して、自動換金機に放り込むことが僕の仕事だ。
 コロニーの人たちはみんな、僕をモノのように見る。それは僕がまだ子供だからだ。僕は別にそれでもかまわないと思っている。地上では子供は働かなくてはならない決まりだから。現に僕以外の子供も、毎日僕と同じようにスクラップの山の上を歩き回っている。
 ……大人になったら、この鉄くずたちともおさらば出来るのだろうか。一瞬だけ考えて、やめた。
 僕は部品だ。このコロニーに生きる大人たちの。そして、空で生きる真っ当な人々の。だから僕はこのコロニーでは人として生きたことがない。眼前のスクラップに妙な親近感を感じて、我ながら笑えないジョークだと思う。
 現実は僕が何をしようとも変わらないし、スクラップを修理して空からの施しで生きながらえる今の暮らしに文句があるわけでもない。ただ、人として生まれたからには、人として生きるべきなのだろうか。と、思う。そんなちっぽけな疑問が、僕の頭上に停滞していた。誰かにそう言ってもらえたなら、僕も人として生きることができる。そんな気がした。
 今日は昨日よりも良いものを拾えなかった。
 作業用の自動車にスクラップを積みながら、家で待っている養父の顔を思い浮かべる。彼は僕がこのコロニーで目を覚ましてから、僕を養ってくれている。根は優しい性格だが、途端に人が変わったように僕を殴りつける時がある。
 きっと彼も、怯えているのだろう。
 僕は窓に映る氷漬けの風景を眺める。
 空を埋める蓋は、僕たちから光さえも奪った。その影響は甚大だ。地上の大気は狂気を孕み、地上に存在する何もかもを氷漬けにした。それは海さえも飲み込む氷の壁となり、今もなお世界を侵食し続けている。
 地上から人々が消え失せてしまえば、空の蓋を支える施設を維持する人員がいなくなってしまうため、天上の人々から何らかの援助がなされるはずだが、未だにこの件に関する連絡は来ていない。
 もはや天上の人々でさえ、この氷を止める術は無いのではないか。毒虫のような疑念が、養父の、ましてや地上のすべての人々の精神を蝕んでいるのだろう。
 コロニーの門が滑るように開く。僕は車を進める。寂れたコロニーの街並みを、記憶の淵に沈殿している町並みと重ねてみる。僕の本当の故郷。僕が生まれた町……。思い出のなかの町並みは、コロニーの町並みとは全然違って見える。どの建物からも光が漏れていて、夜でも道を歩いている人がいる。空を覆う蓋は一切無く、星がとても綺麗だ。
 僕がこのコロニーに来る前の記憶。けれど、確かな実感を持てない記憶。この思い出があるから、僕は頑張れるのだと思う。ここで僕の味方になってくれるものは、せいぜい思い出くらいのものだ。
 ガレージに車を止め、隣接している修理室にスクラップを降ろす。修理室はこの家で唯一の、僕だけの空間だ。だからここに来ると、スイッチを切り替えたように落ち着くことができる。しかし、今日の成果を報告するため、養父の元へ行かなければならない。僕は少し重くなった足どりで玄関へ向かう。
 玄関を開けると、養父はダイニングのテーブルに頭を伏して眠っているようだった。仕方がないので、僕は修理室に戻ることにした。
 自分でも、どうしてこんなに滞りなく作業ができるのか分からない。このコロニーで気付いた時から、様々な工具の使い方、機器の名称、直し方を知っていた。
 そう言えば、いつだったか、知らない町で機械を修理している夢を見た。夢のなかで僕は笑っていて、周りの人も、誰かはわからないのだけれど、みんなが笑みを浮かべていた。これもおそらく、僕の記憶に沈殿する記憶。思い出なのだろう。けれど今は、狭い部屋、汚れた作業着、工具、鉄くず。これが僕の世界。
 軍手を外して、工具の冷たさを肌に感じてみる。散乱した鉄くずを眺める。窓の淵が凍り付いていて、部屋を照らす明かりは均一だ。壁一面に貼られたボロボロになったレート表が、僕を逃がさないよう取り囲む。
僕は部屋と一体になった錯覚に捉われながら、ただひたすらに金属音を鳴らし続けるだけだった。
 視界に突然誰かの手が映り込んだ。驚いて振り返ると、養父が立っていた。
「やあ、ソラエ」
「サガラさん、ビックリさせないでくださいよ」
「ああ、ごめん。飯作ったからさ、食べようよ」
「はい」
 僕は持っていた工具と鉄くずを置いて、養父に続いて修理室を出た。
 ダイニングには既に簡単なスープとパンが用意されていた。いつもと変わらないメニューだ。僕たち地上の人々の食事は質素で、貧相だ。たまには贅沢な食事をしてみたいと思う。
 僕ら人間はとても燃費の悪い生き物で、生きていく上で、食事は避けて通れない。いっそのこと、ロボットにでも生まれれば良かったかもしれない。それなら毎日腹を空かせてこんなくだらない思慮に耽ることも無い。
「ソラエさぁ、空飛んでみたいとか思わないか?」
 養父が突拍子も無く言うので、きょとんとしてしまった。
「え、空ですか?」
「そうそう、戦闘機に乗ってさ、ビューンと」
「ああ、好きなんですか? そういうの」
 確か修理室の片隅に、戦闘機の模型があったはずだ。僕が来る前からあった物だから、養父の趣味なのだろうと思っていた。
「いや、俺も好きってわけじゃないんだけどさ、そんなに嫌いなわけでもない……。で、どうなんだ? 飛んでみたいと思うか?」
「いや、特には……」
「そうか……」
 養父は安心したような笑顔でそう言った後、萎れるように悲しい顔になった。僕にはその訳が分からなかった。
「あの、今日の報告なんですけど……」
「ああ、言ってくれ」
「まず、今日はあまりいいものが拾えなかったので、先週よりも収入は減ると思います。詳細ですが――」
 僕は淡々と、今日拾ったものそれぞれの詳細を話す。けれど、何を拾ったかなんてどうでもいいのだ。問題はこれがいくらになるか。養父も、そのことしか聞く耳を持っていない。けれど僕は、詳細を話さなかったことは無い。なぜならそれは、義務だからだ。拾ったもののなかには、換金するよりそのまま使った方が有意義なものもある。それに気付いてほしいという思いもあるが、養父が残しておこうと言ったことは一度もない。けれど、僕が勝手に修理室に残しておくわけにもいかないので、結局は換金してしまう。
 世の中には、こういう腐りはてた義務が存在する。それらはすべて時代に取り残された哀れなもので、それらに捕らわれている人もまた、哀れだ。
「それでは、僕は修理室に戻りますね」
「ああ、お疲れ様……」
 養父はうなだれていたが、僕はお構いなしに食器を片付け、修理室へ戻った。ドアを閉める前に養父を振り返ったが、養父はまだうなだれたままで、まるで最初からそこにあった美術品みたいに静かだった。
 修理室で作業の続きをしていると、見慣れないものが鉄くずの山に紛れているのを見つけた。見えていたのは一本だけだったけれど、それが何なのか、僕の脳は瞬時に理解した。それは銀と錆の色の海の中で、明らかに奇妙な色で、そこにあった。紛れもない。
 それは、人の指だった。

 

 僕が指を見つけてから、数か月の時が経った。
 僕は相変わらず鉄くずだらけの生活を繰り返し、養父は相変わらずいつも疲れているようだった。けれど僕がスクラップの山へ行く目的は、ただスクラップを集めるだけではなくなっていた。
 あの日から僕は、仕事のため以外でもスクラップの山へ行くようになり、養父はそれを良く思っていなかった。そのせいもあって、養父はあの日から今日まで、日が経つにつれて神経をすり減らしている様だった。
 僕は今日も長い間、スクラップの山にいた。
 地上には太陽も月も無いから、今が朝なのか昼なのか夜なのか、時計を見ないと分からない。そもそも、朝とか昼とか夜とか、地上の人にとってはただの設定で、何の違いもない。だからスクラップを漁っている内、いつの間にか夜になっていることがよくある。あまりこういうことを繰り返していると、さらに養父の神経を削ってしまうので、最近では以前よりも時間に注意するようになった。
 時計を見ると、もう午後七時を回っていた。僕は作業を切り上げ、スクラップを車の荷台まで運んだ。車のドアを開けて中へ入る。そこに、いるはずのない人がいた。脳から全身に信号が走ったのが分かった。体中の神経が、ビリビリと痺れる。そこには、養父がいた。
「ソラエ、お疲れ様」養父はゴム人形のように口をゆがませて言った。
「サガラさん、こんなところで何しているんですか?」
「お前、俺に隠れて何してる?」
 養父がこうして突き刺すような質問を言えることが、僕と養父の主従関係を端的に表していた。僕を息子のように扱うも、道具のように扱うも、すべて養父の思うままなのだ。
「何って、仕事しかしていませんよ。こんなスクラップだらけの場所で、ほかに何が出来ますか?」僕も自分を人形のように操る。
「仕事ね……なら、前みたいに早く帰って来いよ。お前の帰りが遅いと心配なんだ」
「すいません、稼ぎを取り返したくて、つい頑張りすぎちゃいました。明日からは早く帰ります」
「おう、それじゃあ帰るぞ」
 帰り道、僕と養父は一言も会話しなかった。
 家に着いてからは、すぐに修理室を見られた。しかし、養父は何も見つけられなかった。と言うより、養父の気力を削ぐほどに、鉄くずの山が大きすぎた。食事中も養父は一言も言葉を発さなかった。
 この家を離れる日も近いかもしれないな。そう僕は思った。



 僕は修理室に籠って、あの日からずっと直し続けてきたモノの最終調整に入っていた。これが終われば、とうとうこいつは動き出す。顔を見つめてみる。瞼を開いて、瞳を見つめる。まるでたった今ここで死んだ人間のように、白くて生気の無い、しかし美しい肌。潤いのない、透かすと奥が見えそうなほどに透明な、ガラス玉のような碧の瞳。
 天上の技術は、地上より遥かに発展している。それは僕が今まで修理してきた製品を見ても、明らかだった。このアンドロイドも、もはや組み立ててしまうと、ただの人にしか見えない。よりリアルな人に近づけるように、人の感情や身体機能もそのまま再現しているようだ。
 僕は多分、ワクワクしていた。けれど、思い出の中でしか感じたことのない感覚だったから、これが確かな感覚なのか、僕には分からなかった。
 作業が終わり、完成したアンドロイドを起動させた。
 地上にある旧式のロボットと違い、起動音はほとんど無音に近い。
 氷漬けの静寂のなかで、アンドロイドだけが、時間を有していた。瞼がゆっくりと開く。
「……おはようございます。……あなたは誰ですか?」
「僕はソラエ。君を直した人だよ」
「ソラエさん……。覚えました。私を直してくれてありがとう。ところで……あの……」
 アンドロイドは、恥ずかしそうに顔を赤らめた。
「どうしたの?」
「服を……いただけませんか?」
「えっ、あっ、ごめん! すぐに持ってくるから!」
 我ながら、なんともマヌケなことをしてしまった。女性型アンドロイドなのだから、女性として恥じらうのは当然か……。組み立てている時は何の感情もない金属の塊だったので、油断していた。
 養父と二人だけでの暮らしでは到底起こらないであろうハプニングに、僕は少しだけ笑ってしまった。僕はクローゼットから服を取り出して、アンドロイドから顔を背けながら服を手渡した。
「すみません。ありがとうございます……」
 僕は壁を向いたまま、アンドロイドでは呼びにくいから、何か名前が必要だと考えていた。もしかすると、空で使われていた時に何か呼ばれていた名前があるかもしれない。それがあれば名前を考える手間が無くて助かる。そもそも、名前を付けるなんて無責任なことは出来ればしたくない。
「もういいかな?」衣擦れの音が止んだので、訊いてみる。
「はい、どうぞ」
 ついさっきまで、まるで死人だった彼女は、今ではもう、僕よりも人間らしいモノになっていた。
「君の名前さ、『アンドロイド』じゃ呼びにくいから、教えてくれないかな?」
「私はカランです。さきほどはソラエさんにだけ名乗らせてしまって、すみませんでした」カランは深々と頭を下げた。
「いいんだよ、別に。僕が悪かったんだし。それと、そんなに礼儀正しくしなくていいよ」
「え、でも……」
「いいんだ、その方が」
「……わかった。ソラエ」
 カランは笑ってそう言った。
 僕はその笑顔を、思い出の中の町で見た気がした。

 

 その日は吹雪だった。視界は狭い。カランは閉まっていくコロニーの門をずっと眺めていた。僕は微かな明かりを頼りに、まっすぐ前だけを見て車を走らせ続けた。
「どうして逃げるの?」
 カランがいつもよりも静かな声で訊いてきた。
「それは……」 
 どうしてだろう。僕は答えを探したけれど、湧いてくる言葉がどれも上手く喉を通らなくて、何も言えなかった。それから、養父の顔が浮かんできた。カランのことを言えば、養父はカランを売ろうとするだろう。まして、僕がカランと逃げるつもりなのがバレれば、カランを壊されたかもしれない。僕が目覚めてからずっと、養ってくれていた養父。確かに愛情を感じる時もあったし、確かに憎悪を感じる時もあった。それは決して家族という形ではなかった。それでも僕は、彼と共に時間を重ねていたのだ。彼はそれだけで良かったのかもしれない。けれど僕は、あの時、嘘だったとしても、空を飛んでみたいと言っておけば良かったと思った。
 闇の中を当てもなく走り続ける。コロニーの外は氷だけではなく、汚染も広がっている。僕は定期的に計器を見ながら、汚染の少ない進路を選択していく。汚染が少ない方向へ行けば、人が居る可能性が高いからだ。
「そういえば、カランは空にいた時のこと覚えてる?」
 質問に答えられなかった代わりに、少しでも場を盛り上げようとしたつもりで言った。
「覚えてるよ」
「どんなだった?」
「うーん……」少し考えた後、「綺麗だったよ」
「綺麗?」
「うん。町も、空も、星も、信じられないくらい綺麗だったよ」
「そうなんだ。僕も行ってみたいな」思ってもみないことが言葉になった。
「一緒に行こうよ」カランは笑った。
「無理だよ。地上の人が空へ上がることは出来ない決まりなんだ」
「どうして?」
「地上の人間は、空の人間を支える道具だから」
「そうなんだ。じゃあ、私も道具だから、私と同じだね」
 カランはさっきまでと何も変わらない笑顔で、僕を見る。なんだか落ち着かなくなって、僕はカランから目を逸らして前を見る。
「……空のアンドロイドはすごいね。そんなことまで言えるんだ」
 何故か僕は、カランをからかいたくなった。
「アンドロイドだからじゃないよ。私だから言えるんだよ。シオン」
「……シオン? 誰?」
 突然誰かも分からない人の名前が飛び出して、アンドロイドでもジョークが言えるのか。と、可笑しくて、僕は笑ってしまった。カランの顔がみるみる赤くなっていった。
「待って、笑わないで。今のは冗談でもなんでもないの! 私を作ってくれた、空にいた時の、その……相棒みたいな人の名前なの! 今までで一番呼んでた名前なの! だから間違えたの! 笑わないでー!」
「あはは、分かったよ。ごめんごめん」
「まだ笑ってる! もー!」
 必死になるカランがまた可笑しくて、僕はずっと笑っていた。カランはずっと僕を叩いていた。
「あはは。カランは面白いね」
「面白くないよ!」
「多分、地上の誰よりも人間らしいよ」
「……それは、人間らしく振舞うようにプログラムされているからね。本当に人間なのは君だよ。ソラエ」
「さっきは『私と同じだね』とか言ってたのに」
「あれは君を励ますために言ったの」
「そう。本当によくできてる」
 僕とカランは、窓の外に見える氷漬けの風景とは裏腹に、こんな他愛も無い話を、何度も何度も繰り返した。話をしている間は楽しいけれど、一度話し終わってしまうと、なんだか無性に寂しくなって、また話をせずにはいられなくなるのだ。カランも多分、そんな気持ちだろう。
 僕もカランも、同じ場所に居て、同じことを考えているはずなのに、どうしてこんなにカランを遠くに感じるんだろう。
 僕は……所詮どこへ行っても人形なのだ。そしてカランも……どこへ行っても、所詮は人形なのだ。



 夢を見た。いつもの町だ。星がよく見える。僕はまた、何かの機械を作っている。アンドロイドだ。死んだように白い肌をしていて、瞼は閉じられている。まだ上半身しか無くて、中身が丸見えになっている。こうして見ると、人間も、中身を裂いたら機械で出来ているんじゃないか、という空想をしたりする。すべてが仕組み通り、プログラム通りに動き、誰も争ったりしない、そんな世界が実現できるんじゃないか、と。人間そっくりの組織を、感情を作って、冷たい鉄の骨に肉を、皮を付けて、偽物の体温を分かち合うのだ。そうやって愛し合って、死にたい時に死ぬのだ。
 まどろむ夢の中、僕は眼前のアンドロイドを見つめる。瞼を開いて、瞳を見つめる。アンドロイドは、碧色の涙を流し始める。僕はその瞳の中に僕を見つける。そしてそのまま、僕は瞳の中の僕とひとつになった。アンドロイドの瞳が閉じられる。
 


 どれほどの月日を僕らは過ごしただろう。あのコロニーを逃げ出してから、僕たちはひたすらに車を走らせ続けていた。食糧や燃料は、途中で見つけた死んだコロニーから補充しながら、それでも僕らはどこに留まるわけでもなく、当てもなく車を走らせ続けた。
 そうして無気力に車を走らせ続けていると、カランが突然声を上げた。
「ソラエ、あれ見て!」
 カランは窓に顔を付けて、空を指さしていた。僕もそちらを見た。そこには、修理室で何度も見た、旧式のレシプロ戦闘機が飛んでいた。それは徐々に高度を上げて、空の蓋の方へ消えていった。あまりに頼りなく、しかし一心に空を目指して飛び、線を引き、命を叫んでいるようだった。悪くないと思った。
「これって、近くに滑走路があるってことじゃない?」カランが言った。
「そうだね。あの戦闘機が飛んできた方向に行こう」
 僕は進路を少し修正して、また車を走らせ続けた。
 三十分ほど走らせていると、僕がいたコロニーよりもずっと大きなコロニーが見えてきた。コロニーの門は閉まっていて、入るには身分の証明が必要だろう。僕は大丈夫だが、カランがすんなり通れるか、心配だった。
 門に着き周りを見ると、門番用らしい小さな小屋があった。僕は車をその近くに止め、カランと共に小屋へ向かった。
 僕のいたコロニーには門番はおらず、身分の証明ができる者は、自動的に中へ入ることができた。対してこのコロニーには、何か門番を置く必要があるのだ。僕はあまり良い予感はしなかった。
「あの、すいません」受付の窓を叩く。
 奥から普段見慣れない服を着たうなだれた門番がゆらりとこちらへ向かってきた。
「身分の証明を」事務的な声で門番は言った。
 僕は地上の人々がそれぞれ持っているタグを見せた。門番はそれをスキャンする。画面に映った僕の顔を見た門番は、驚いたような顔をした後、口を曲げた。僕にはその意味がよく分からなかった。
 カランはどうしたらいいのか分からないといった様子で、オドオドしていた。
「そちらの方もお願いします」門番が淡々とカランを諭す。
 カランが怯えたように、一歩後ずさりした。
「これは、僕が作ったアンドロイドです」僕はカランを庇うよう言った。
「そうなのですか? しかし、これほど精巧なアンドロイドは地上には存在しないはずですが?」
「空から捨てられていたところを、僕が直しました」
「空のモノを直したのですか?」
「はい」
「……ソラエさん、自分の知らない記憶を持っているといったことはありませんか?」
 カランが不思議そうに、僕の方を見つめている。
「……はい」僕は背筋を凍らせた。記憶のことは、誰にも話したことがなかった。養父にも、カランにも。
「でしたらあなたは、紛れもない私たちの仲間です。通っていいですよ。中に入りましたら、まずはここへ向かって下さい」
 門番はそう言って一枚の紙を僕に手渡し、門を開けてくれた。
 自分の中を見透かされたようで気分が悪かった。初めて耳にした仲間という言葉にも、抵抗感があった。僕は頭に靄がかかったような気持ちで、コロニーの中へ入った。
「なんだか怖いね、ここ……」怯えた様子でカランが言った。
 町は閑散としていて、すれ違う人はみんな門番と同じような服を着ている。そして誰もが、何らかの武器を持っていた。
 僕は門番に手渡された紙を見ながら、町を歩き続ける。町を歩いていると、所々に空の機械らしいものがあった。僕と同じようにスクラップを拾って直している人がいるんだと分かった。だとすれば、門番が言っていたことにもうなずける。仲間という表現は適切ではないが。
 しばらく歩いていると、目的地に着いた。僕のコロニーでは見たことがないくらい、大きな施設だ。僕とカランは恐る恐る中へ入る。自動ドアが開くと、そこには大きな広間があって、右手にはエレベーターが、左手には簡単な椅子と机がいくつかあって、青年が三人腰かけていた。そのうち一人がこちらに気付いて、僕らの方へ歩いてきた。
「初めまして。俺はハリ。話は門番から聞いてるよ」彼は白い歯を見せ、手を差し出した。
「初めまして。僕はソラエ」僕はその手をとって握手する。
「カランです」カランは深々とおじぎをした。
「本当によく出来ているな。まったく腹が立つ」ハリは僕とカランに粘質の視線をすべらせた。
「腹が立つって、どういうことですか?」僕はハリの視線を遮るようにカランを後ろへやって言う。
「いや、何でも。そうか、このコロニーがどういうコロニーなのか知らないのか」
「ええ、何も」
 僕はハリの奔放で配慮の無い態度に嫌悪を覚えた。
「このコロニーはさ、レジスタンスのコロニーなんだよ」
 薄々気付いていたけれど、予想通りだったみたいだ。僕らがいくら反抗しようと無意味だということは分かりきっているのに……。
「空の奴らから自由を取り戻すためのコロニーさ。だから戦争に利用できるものは何でも利用するが、基本的にみんな、空の機械は嫌いなんだ」
 僕はカランを見た。カランは黙ってハリの話を聞いている。この話をこのままカランに聞かせるのは良くない。
「ソラエ。お前はずっと騙されて生きてきたんだ」
「……何を言っているんですか?」
 ハリの言葉の意味が、まるで分からなかった。ハリの声を聞くたび、鼓動が早くなっていくのが分かった。カランは僕の服を握っている。だんだんその感覚も遠くなっていく。
 僕の耳が、ハリの言葉を吸い込む。
「お前は、ソラエじゃないんだよ」
 僕のなかで、何かが大きく揺さぶられた。無意識に感じていたことを、赤の他人に突然言い当てられる、気持ち悪い感覚。何も考えられなくなって、頭の中で、僕と、僕の知らない記憶のイメージが現れては消えていった。スクラップ、サガラ、知らない町、氷、届かない空、僕、シオン……。
「お前は人形なんだよ。体はここの人間のクローン、頭は上の奴らに都合のいい記憶を植え付けられた、実験動物さ。本当のソラエは、奴らと戦って死んだ」
「そんな、どうしてそんなこと……」鼓動がさらに早まる。
「どうしてそんなことが分かるのかって? 俺も同じだからだよ。俺もお前と同じ実験の被験者さ。俺だけじゃない、このコロニーにいる奴らのほとんどが、俺たちと同じ実験の被験者だ。俺は運が良いのか悪いのか、失敗作だったらしい。記憶が他の奴らより多く残っていたから、真相に気付けた訳だ」
 ハリの口角が上がっていくのを、ただ見ているだけしか出来なかった。
「どうして……上の奴らはそんな……」
「そんなの、少し考えればすぐに分かる。俺たち地上の人間のクローンを、奴隷として空で使うためだよ。行き過ぎた技術の進化は、逆に清潔な一般市民の怠慢を生んだわけだ。しかし、お偉いさんは金が欲しい。労働力も欲しい。そこで思い付いたのが、地上の人間の利用って訳だ……。人間の傍にお前が送られたのも、人間の傍に居ても人間に危害を加えないか調べるためだ。そのアンドロイドも、お前に修理させるためにお前のコロニーの傍に捨てられたんだろうよ」
「そんな……そんなの、嘘だよ」
 一瞬、誰の声か分からなかった。とても懐かしい……ああ、カランの声だ……。僕の後ろで、カランが震えていた。
「空の人たちが、そんなひどいことするはずないよ……。あなたも空にいたころの記憶があるなら、分かるでしょう?」
「……」
 ハリに表情はなく、ただ虚空を見つめているようだった。
 誰の手も届かない、遥か遠くを見つめているようだった。



 ハリに話を聞いた後、僕たちは食糧と燃料の補給のため、また町を歩いていた。
 ハリの話を聞いて、カランはその意味を理解しただろう。僕もまた、その意味を理解した。話の後、ハリにレジスタンスの一員になるよう誘われたが、断った。
「最初はみんなそう言う」別れ際、ハリはそう言って。「このコロニーにはいつまで居てくれても構わないから、気が変わったらまた言ってくれ」僕の嫌いな笑顔でそう付け加えた。
 僕は養父のこと、修理室に置いてあった戦闘機の模型のことを考えていた。レジスタンスにいたらしいソラエという人物が、おそらくは、養父の息子だったのだ。
 ソラエは一度死んでいた。僕とカランが闇の中で見たあの戦闘機のように、空へ上って。そして、死んだソラエから僕が作られ、シオンの記憶が植え込まれて、今の僕になった。
 僕が養父の元へ送られたのは、偶然なのだろうか……。
 ソラエの親に、クローンの僕。
 もしかすると、養父がそうするよう頼んだのかもしれない。そんな可能性があることに、気付いてしまった。
 何もかもを壊してしまいたいと思った。
 空を覆う蓋も。
 このコロニーの奴らも。
 養父も。
 僕自身も。
 ソラエは僕じゃない。
 シオンも僕じゃない。
 養父が求めていたものも。
 ハリが求めているものも。
 僕じゃない。
 僕は、誰でもないんだ。僕は、誰のものでもないんだ。
 僕は一体、誰なんだろう?
 僕は――。
「……それでも、君は君だよ」
「……」
 カランのことを、見ることが出来なかった。
 僕のなかで、誰かが泣いていた。
 カランが僕の手を握った。温かい。けれど、作られた暖かさ。そして僕も、作られた温かさをカランに伝えている。
 シオンは何度、この手を握ってきたのだろう。繋いだ手を見ると、僕の手が、記憶のなかのシオンの手に変わった。本当の人間だったシオンの手は、どんな温もりをカランに伝えていたのだろう。僕はただその手を見つめることしか出来なかった。
 カランが僕の手を強く握った。決して離さないように。
 シオンの手が僕の手に変わる。
 それに応えるように、カランの弱い手を握り返した。
 人形と人形が、作られた心で精一杯に鳴いていた。
 涙を流して、人間の真似をして。



 車に荷物を積んで、エンジンをかけた。このコロニーを出て、どこへ行こうかなんて、僕もカランも考えていなかった。何をするのかも。
 門番に門を開けてもらい、コロニーを出る。思えばあの門番も、ハリも、死んだソラエの姿をした僕を見て悲しかったはずだ。けれど、様子から察するに僕以外にも同じような境遇のモノが、あそこには何人も居るのだろう。
 コロニーを振り返ると、また何機かの戦闘機が離陸するのが見えた。闇を背景に飛ぶその戦闘機に、僕は、終わっている戦いを見た。
 繰り返される破壊と死の象徴は、僕とカランの後ろで、静かに氷のなかへ沈んだ。
 僕はあてもなく車を走らせながら、ふと思い浮かんだ懐かしい歌を歌った。
 カランは少し驚いて、それから微笑んで、僕と同じ歌を歌い始めた。
 氷は歌を反射して、僕らの世界を閉じ込めた。
 終わる世界で、僕らだけが生きていた。
 僕らだけが、手を繋いでいた。

ソング・フォー・ドール

ソング・フォー・ドール

  • 小説
  • 短編
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-09-16

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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