きっかけ

 どんなことがきっかけで人生が変わってくるのか、予測がつかない。そんなの、誰だって知っている。やっぱり、手を握らなかったあの日なのかな、と思ってしまう。

   *   *

「ああ、これがライトニングコースターかぁ。やっぱり大きいね」
 香美がおれの隣で、間延びした声を上げる。春先のそよ風が、肩までかかる髪のいい匂いを運んでくる。
 おれは今、保育園からの幼馴染みである香美と「マツカワンダーランド」に来ている。福島県内で最大のテーマパークだが、それでも所詮は福島、「ディズニーランド」とかに比べるとかわいいものだ。
 まだ中学生のおれたちは、男女二人きりでこういう所に来るのは初めてだ。これが付き合っている者同士だったら喜ばしい限りだけど、残念ながらそうではない。それどころか……。
「ねえ、聞いてる?」
「ああ、聞いてる、聞いてる。大きいね、はい」
 おれはあんまり気乗りじゃない。だって、今日は予行練習みたいなものなのだ。どういうことかと言うと、香美は来週、同じクラスの小山と
ここにデートしに来るらしく、初デートで緊張している香美はあらかじめ行っておきたいと、おれを誘ってきたのだ。
 まったく、そんなの男に任せておけばいいものを、それに、男が緊張で予行練習したくなるのは分かるけど、どうして女が……と、いろいろ言いたいことはあるけど、一番言いたいことは一つ。
 何でおれなんだよ!
 そう思いながらも、ほいほいと香美の誘いを受けてしまったのは、やっぱり好きだからなのかな? 自分でも分からない。
「じゃあ、あれから乗ろうか。春馬、何か希望ある?」
「何でもいい」
 せっかくなんだから、もうちょっと愛想よくすればいいのに、と自分でも思う。でも、分かっていても、素直になれない。いつも、そうだ。
「……他もちょっと見てみよっか」
 ふてくされたように、香美が小さく呟く。おれは何も返さない。
 おれたちはずっとこうだったわけじゃない。昔は、小学校の低学年くらいまでは、今と比べ物にならないほど仲がよかった。

   *   *

 ――はるま、帰ろう!
 おれの教室まで、香美が迎えに来る。
 ――うん、帰ろう!
 明るい声に応じて、明るい声で返す。当たり前のように手を握り合って、学校から家までの帰路を並んで歩く。
 おれと香美の家は隣同士。保育園のときから家族ぐるみで仲がよくて、他の誰よりも一緒に遊んだ。ちょっとしたことでけんかして、口を聞かなくなるときももちろんあったけど、そんなに長く続きはしなかった。小さい子どもはすぐ「絶交」するけど、「仲直り」もすぐだ。
 小学校に入ってからも同じだった。二人で学校に行って、二人で帰って、どちらかの家で遊んだ。兄弟みたいねぇ、とおれたちの親が感想を漏らすのを聞いたことがある。

 そんな二人の関係を一変させたのは、おれのせいだったと思う。
 ――一緒に帰ろう!
 いつものように香美が誘いに来る。白衣を入れる袋を持っていたから、給食当番だったのだろう。この日のことは、よく覚えている。
 ――掃除当番だから、待ってて
 一方のおれは、掃除当番だった。箒を示して、そう答える。決して、先に帰っていいよ、とは言わない。逆の立場でもそうだろう。
 ――校門で待ってるね
 そう言って、香美は手を振って、駆け出していく。パタパタという靴音が遠ざかるのを、聞くともなく聞いた。
 ――はるま、かみちゃんと仲いいよね
 ――ね、いつも一緒
 男子二人が、互いの耳に手を当てて、囁いている。囁いていると言っても、普通におれの耳まで聞こえてくる。おれは聞こえない振りをして、不機嫌そうに箒を動かす。
 この頃、周りがおれと香美の関係を冷やかすようになってきていた。そんなもの気にしなくてよかったのにと、今となれば思うが、おれは冷やかされるのを嫌だと思っていた。恥ずかしさもあり、面倒に思う心もあった。そういうお年頃だった。
 掃除が終わって、校門まで駆けて行く。香美が待っているから。でも、周りの視線を横目で気にしている。
 下駄箱で靴を履き替えて、校門に達する。――すると、香美の傍で、おれと同じクラスの男子二人が立っていた。ニヤニヤとからかうように笑っている。おれを認めて、来た来た、と面白がるように口にする。
 このとき、おれの中で何かが変わった。こんな面倒くさいことになっても香美と帰る必要があるのだろうか。確固とした気持ちはなかったが、何となくそれまでの当たり前が歪んだ。
 おれは三人の横をスタスタと早足で素通りする。
 ――何やってるの? おれ、一人で帰るけど?
 言わなくてもいいことが、口をついて出る。「待ってて」と自分から言っておきながら、待っていてくれた香美を置き去りにしていく。
 そのとき、振り返れなかったから、香美がどんな顔をしておれを見ていたのか知らない。

 あの日以来、おれと香美が手を繋ぎ合うことはなくなった――。

   *   *

「ねえ、何でそんなに不機嫌そうなの?」
 さすがに痺れを切らした香美が、不満を表す。
「デートの練習に付き合わされて、いい気分なわけないだろ」
「じゃあ、どうして誘いに応じたのよ。来なければよかったじゃない」
「それは……」
 もっともだ。言い返す言葉を見失う。
「それに……」
 かと思ったら、香美も言葉を探すように、言いよどんでいる。頬を赤らめているように見えるのは、気のせいだろうか。
「春馬、私のこと好きなの?」
 おれは予想外すぎる問いに、驚愕した。「はあ? 何だそれ?」
「好きじゃないの?」
「いや、それは、まあ……」
 好きに決まっている。
「好きでもないのに、私と小山君がデートに行くのを面白くなく思うのなら、失礼よ」
「失礼?」そういうの、「失礼」で合っているのだろうか。
「そうよ。私に失礼よ」
 香美は背中を向けて、どこかへ行こうとした。このとき、おれが手を握らなかった日と重なった。あの日、香美がどんな思いでおれの背中を見ていたのか、分かった気がした。
「好きだよ!」
 腕を掴んで、恥ずかしさを押し殺すように叫ぶ。叫び声に反応して、周りの人が視線を寄越してくるが、おれは気にしない。今度は気にしない。自分の想いに素直に従う。
「香美がずっと好きだ」
 すると、少し俯いていた香美が顔を上げた。息を吸ってから、「遅い!」と、おれに負けないくらい大きな声で叫ぶ。
「え、何が遅い?」
「どうして、もっと早く言ってくれなかったの?」
「え?」うそ、もしかして――。
「私も春馬が――好き」消え入りそうな声だったが、ちゃんと終わりの二文字を拾う。「なのに、春馬はいつもどっかに行っちゃう。――私のこと、好きじゃないのかと思ってた」
 そんなことない、と首を必要以上に振る。
 見ると、香美の顔は真っ赤に染まっていた。おそらく、おれも同じくらい真っ赤だろう。二人して真っ赤になって見つめ合う図が浮かんで、くすっと笑う。分かったのか、香美も小さく笑いを漏らした。
 どちらからともなく、手を伸ばす。「あの日」、握れなかった手を、数年を経てようやく握る。
 おれたちは、小学校の頃に戻ったみたいに、歩幅を合わせて歩き出す。今にもスキップしだしそうなほど、胸が弾んでいた。

 香美が小山とデートに行く、というのはうそだった。あれは、おれをデートに誘うための口実だったのだ。素直になれなかったのが、おれだけじゃなかった、ということだ。
 やっぱり、どんなことがきっかけで人生が変わってくるのか、予測がつかない。
 せめて、時間をかけて手に入れたこの「手」を、その時間の分も大切に握っていようと思う。

きっかけ

きっかけ

後悔、からの、小さな一歩。

  • 小説
  • 掌編
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-09-13

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