君に会えたから

風の声。

「静かに見なさい」


子供の頃にじいちゃんに言われた。
普段は無口で落語の番組が今、考えれば好きだったのかもしれない。
それを見ているときには近くで大声で俺がケラケラ笑うと決まってお茶をすすり「静かに見なさい」とテレビから目を話さずに言われたものだ。

今、俺はその頃からは大分、大人になった。
時間が大人にしてくれただけで大して中身は変わっていないかもしれないが。
じいちゃんの胡座のなかでちんまりと収まっていたあの頃の自分くらいの子供がいてもおかしくないかもしれない歳になっている。
大学に入るときに大して違わないと笑われたが東京をでて隣の埼玉県の大学に通い、あげく一丁前に独り暮らしまがいなことをしたくて鉄筋コンクリートの小さなアパートを借りた。
バイトもしたが出会いとか色気付いたことは一切目もくれなかったので年中、怒鳴られていても平気だった。

「ぼさっとしてるなら、置いてこい」

食器を拭く手を休めて前掛けでちょちょいと拭いて腰にガツン、と当てられた籠を受け取って表へ飛び出した。

「…あ、涼しいかも」

夕方と夜の間で日中の殺人的な暑さよりは少しだけましになっていて、熊セミの声と日暮の声が混ざる秋っぽい涼しさを時々感じらていた。
酒瓶の赤いケース籠を抱えて店の裏口へ回ると従業員の更衣室兼休憩室がある。
時々休憩時間と明らかにずらしたこの時間に使用されるときには大抵はその辺りに行くな、と止められるが珍しい。俺はジーパンの尻ポケットに捩りこんだ大して吸収が良いわけではない手拭いで首や額の汗を外階段に寄りかかり、拭いていた。

抱えれば自分の背丈より高くなる籠を降ろすと俺は腰を反らせた。

ーーガタン‼

「意味、わかんねぇ」

銀色の扉が開いた音に俺は慌てて階段から離れた。適当に転がっていた物を両手に掴んで振り向いた。

「何してだよ?」

見るからに機嫌が悪い先輩の板前だった。

「お疲れ様です」

取り敢えず、そういえば大抵は済む。
舌打ちをして行ってしまったが、開いたドアを閉めておこうとドアノブを持つと人のいる気配がした。
そっと除くとホールの女の子だった。

「…雨宮さん?」

着物の衿をキュッと慌て整えて膝を抱えて俯いた。

「吉原先輩と付き合ってたの?」

唐突すぎる。
自分でも、思った。
いくらとっさの声かけにしても。もっとましな言葉を投げられれば。

「“付き合ってた”」

「そっか」

「――って言ったら、“エッチしてた?”とか聞く気?」

「…え?」

彼女は着物の裾を叩いて壁を見て話すように焦点の合わない俺の前に立った。

「ねぇ、藤村くんて経験ある?」

「…なん…の…?」

顎を引いて後ずさる俺を面白がるように迫られた。

「空気を詠まない馬鹿。天然な子供。計算高い賢い男。」

「は?」

彼女はクスクス笑って質問を変えようか?と言った。

「藤村くんは好きな人いる?」

目を丸くして首を振った。

「好きな子はいたことある?高校でも中学でも 。もちろん、恋愛対象って意味よ?」

それくらいわかるよ、と言いたいのを堪えて「まぁ、それなりに」なんて答えてみた。どれもこれも片想いまでも行かない恋だったけど。

「私、吉原と同棲してんの。一年いかないくらい。私の顔みるとね…エッチばっかりしたがるの。さすがに嫌になってきた」

ふわっと離れると俺のとなりにすんなり座った。

「宿賃と思って我慢してたんだけど疲れちゃって」

何とも返事の使用がない自分は交わして逃げもできずにいる。

「藤村はフリー?」

何を要求されるのかと内心、ビクビクした。

「彼女はいる?」

「自分、童貞だし」

「…ん?んんんん?」

――ぷっ…ぷはははははは‼


彼女はケラケラと笑いこけた。

「藤村くんのしたの名前って何?」

「智浩。藤村智浩(ふじむらともひろ)。そういえば、雨宮さんは何て言うの」

「美海。雨宮美海(あまみやみう)」

にこっとすると結構可愛い。


何日かして夏休みの終わりが近づいていることに焦る反面、切なさも感じていた。
エアコンを使わず、扇風機で通していたのでバイト先の方が自分にとってかなり快適だった。

“雨宮、待ってる”

口パクでクイクイとやった。

“うん”

彼女も大きく頷いて笑い返してくれた。

吉原もこれに気づかない分けもなかった。
足取り軽く自転車を出す俺を見ていた。

店から少し離れた駅のマクドナルド。
ウキウキで時間稼ぎにもってこいのポテトを買って少し奥まった席をキープ。
もちろん、吉原の存在が気になるからだ。
スマホのゲームにも飽きて柱時計を見上げると結構な時間だ。
それに窓には細い雨が叩きつけられていた。

バサッ‼

緑色の鞄が視界に飛び込んできた。

雨の音

「ここ、あいてるだろ?」

「…あ、えぇ…まぁ…」

察しのとおり。
吉原拓海先輩。

「あ、食っていい?」

「…はい、どうぞ」

ポテトの入った袋を押し出してやると遠慮無しに彼は数本ずついっぺんに食い始めた。

「あいつなら待っても来ないよ」

先手を打つように腰をあげる俺を見た。

「あいつは来ないよ」

勝ち誇ったようにニヤリとして最後の一本までたいらげるとペーパーで指先を慣れた手つきで拭いた。

「どういう事ですか? 来られないって」

「お前もさ、言うことないわけ?」

怒りの頂点。
否、横取りされて一瞬キレたくらいだろうけど。

「意味、わかりません」

ふっ…。

「女の子ならなんつーのかね。“泥棒ネコ”~‼キィーって修羅場はじまんのかね」

「雨宮美海から声をかけてきたんです」

カチッ、と彼の歯軋りが聞こえた。

よりによってちょっと最低だ。
――しかも、守りにはいるなんて。

「“向こうから声をかけてきたんです”
“向こうから誘って来たんです”
“向こうから…”
向こうから、向こうから、向こうから、向こうから、向こうから…‼ お前って全部、相手のせいにすんのな。雨宮美海は渡さない。」

「選ぶのは美海です」

「女の抱き方ひとつ知らねぇ童貞がほざくな」

雨が止まない。
傘は店のロッカーのなかだ。

「藤村くん」

少し汗ばんだ彼女はキャリアケースをもって現れた。

「雨宮…」

俺はさっきまで吉原拓海の話を聞いてすっかり鵜呑みにえげつない想像をしていたのかもしれない。彼女を見たら、ホッとしたんだ。

「藤村くんと一緒に帰る」

大きな傘はすぐ近くのコンビニで買ったと話していた。
彼女は玄関に入るとキチンとハイヒールの向きを揃えて上がった。

「…さっき…」

「…知ってる。吉原と会ってたんでしょ。ほんとはすぐ近くまで行ったの。アイツは気づいたみたいだった。だって、こっちをちらっと見て急にエグいこと吐いてたけど…気にしないでね。鼻っ柱だけ強いの、ほんとは弱い癖に…ふじっ――」

「俺のこと好き…?」

無意識だった。
彼女を抱き竦めていた。

「…俺は雨宮にとって避難場所?」

「…何よ、急に」

「俺だけが美海を好きになったの?
笑顔をみると守りたくなる、想うだけで愛しくて、言葉ひとつで嬉しかったり刃物で引き裂かれるようにくるしくて眠れなくなる。
その気がないなら近づくな‼」

「…やっと、呼んでくれた」

彼女は寂しそうにわらった。
頬から伝わる君の体温が愛しかった――。


トントン、トントントントン…



体を反らすと台所にたつ美海がいた。

頭に血が上り、気持ち悪い。

静かに枕に頭をおろす。


…えっと、昨日、何があったんだっけか。



「眠れた?」

次の瞬間、ドライアイ寸前。



ぱちくり。

ぱちくり。



「ご飯出来たよ」

半開き。

ふわっとやわらかなものが唇を触れる。
ぱち…と目が合うとにこっとして揺さぶられた。

「ねぼすけ智浩、味噌汁が冷めちゃうよー」

…なんだー?
このベターな恋人全開な起こしかたは。

「美味しい」

ワカメと豆腐の味噌汁。
定番過ぎるけど旨かった。
彼女は嬉しそうに自分も一口飲んでウンウンと頷いた。

「学校、嫌だな。また、バイトも時短になるし」

「そういえばコース、何?校内で会ったことないよね」

「法学。美海は?」

「ビジネス」

「あーそっちか」

君に会えたから

君に会えたから

都会育ち、ゼロに等しい主人公は夏に旅先でとある女の子に出逢った。自分の夢を追い求める主人公と正反対の境遇の女の子。二人の共通点にいつしか、惹かれていく二人だが…。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-09-12

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  1. 風の声。
  2. 雨の音