闇オークション side災編

もしを考えぬひとなどいない。

昏い森の中で、その男は炎に映し出されて暗闇から浮き上がっていた。
ぱちぱちと木のはぜる音を上げる炎をぼんやりと眺める男は、その暗い森に気配を溶け込ませている。そのせいで炎に照らされる横顔は、まるで人ではないかのように生気を感じさせなかった。
そしてゆえに、森に棲むものにさえ見えてしまいそうなほど、よく絵になっていた。
著名な画家が描いたようなその男の美貌は、ただ森の中で休む旅人と言い切ろうとするには無理があった。
何せ、その光景が、美しすぎたのである。
その男、何も化粧はしていないというのに、はっとするような美しさが目を奪う。
そこらの女では太刀打ちできないのではないかと、そう思わせるほどに、目を引く顔をしていた。
顔が中性的と言うのも、もちろんあるのだろう。
そして肩よりも長い緑の髪の影響もあるのだろう。
とはいえ、その鎧と身にまとう恰好から、歴戦を重ねた戦士であることはわかる。身なりからでも十分に鍛え上げられた体を知るには十分で、よく見れば男だということがしっかりとわかった。
けれど何よりも視線が行くのは、その男の深い緑の目だった。
夏の緑陰のような涼しさの奥に、太陽の光のように強い意志がちらちらと燃えている。
成し遂げねばならぬという決意はあまりにも高潔で、硬い意志は宝石のように輝いていた。その生気に満ち溢れた輝きが、強く硬く、その眼にあふれている。
汚れた鎧を見れば、その眼に映したものが決して美しいものばかりではないというのがわかる。
けれどそれでもその男は清らかで、汚れを感じさせなかった。にじむ苦難は想像に難くなく、それでも清らかさを失わない強さを感じ取ることができた。
その高潔さがひんやりとにじむ緑の瞳は、美しかった。
誰しも汚れは厭う。けれどその眼に凄惨さを映しても悲しみに染まらぬ姿は、誰もがうらやみ、そして憧れる。
だからこそ、その男は視線を集めるのだった。

「わっ!!!」

「・・・・・・・」
そしてそんな男に、背後から近寄って驚かせようと近づいた黒い天使は、男が背後に顔をすら向けないことに、少々眉根を寄せた。
地に足をつけないまま、空中を移動して正面に回り込む。
男は、表情を変えることなく天使を見上げてきた。
「・・・君はからかいがいがないな」
「わかっていては驚くものも驚けないだろう」
黒い天使の感想に静かに答える男に、わかってないなーと黒い天使は口の端を持ち上げた。
「そこはわざとでも作らないと!人生には驚きがないと、景色がかすんでしまうよ」
そうはいっても、この男の硬い意志は隠しようもない。
高潔さと凛々しさが隣り合わせている男には、だからこそ柔らかさがなかった。
高潔さは尊敬に値するが、ゆえにどこか人間味を欠いたような部分があるように、黒い天使は思う。とはいえ、黒い天使には人間味なぞというものが語れるほどわかってはいないのだが。
しかし黒い天使は、だからこそ、黒い天使が勧めるように人間らしさを作り出そうとすれば、それはそれでこの緑の男は人形のようになってゆくに違いないとは思っていた。
だから、この男が自分の提案に乗らないとわかっていて。
天使は、わざとらしく口にする。
「・・・お前は景色がかすまないために、面白いことを探しているのか」
低く、それでいて聞き心地のよい甘い声で問われ、黒い天使は首を傾げた。
「どうだろうね。でも景色は鮮やかなほうがいいさ。そうだろう?」
緑の美しい男は天使から目をそらし、ゆらゆらと色を変える火に目を向けた。
「・・・お前に言われては、神のお導きとでも言われそうだ」
残念だよ、信仰心がなくて、と男は少しも残念そうには聞こえないように笑った。
見た目だけに反論がしづらい、と黒い天使は思わず眉根を寄せた。
己の背には大型の鳥のような黒い翼。
そして頭の上には砕けた宝石のような天輪。
服は下こそゆったりとしたものを履いているが、上は胸元を隠す程度の布しかない。体つきで男だということは分かるだろうが、その姿はどうあっても『天使』と称されるものだった。
「君のジョークは意外と笑えないよね」
「笑いを取ったつもりはない」
緑の男はすぐに笑いを引っ込めて、すぱんと言い切った。
天使でないが、自分の見た目の天使さにかけたジョークではないのかと思ったが、黒い天使の思惑は外れたらしい。
ふむ、と天使は空中を漂いながら、口元に手を当てて、至極真面目な顔で。
「・・・ぜひ君の渾身の一発芸を聞いてみたいんだが、どうだろう?」
と、提案してみた。
男は呆れを隠そうともせず。
「どうだもへったくれもあるか。エセ天使」
と、すげなく却下した。
「エー?どこからどう見ても天使なのにー」
ひどいなあ、と顔を緩めて笑えば、ふ、と男の瞳が曇る。
憎らしいような、それでいてひどく愛おしいものを見るような。
それでも確かに、その宝石のような瞳は懐かしいものでも見るかのように柔らかくなった。
改めて決意を眺めるような。
そんな目を、している。
きっとこの男自身はそんな自覚はまるでないのだろうけれども。
それこそが美しいのだと、周りに人間を引き付ける所以なのだろう。
「天使は髪が黒いのか」
そしてそんな目で、半ばなじるように言われては、黒い天使は否定する気も起きなかった。
「金色の部分もあるよ」
ほら、毛先とか、と、まるで黒い髪に先のほうだけ染めたような金色の部分を指さす。
ゆるいウェーブのかかった肩ほどの髪は、そのほとんどが黒かった。
世でいう天使はどれも、髪が金糸のようにうつくしいプラチナブランドである。
「・・・白い羽はどうした?」
己の背の翼を指されれば、くすくすと無邪気な子供のように天使は笑った。
「黒も黒できれいだよねえ」
彼の記憶では遠い昔、天使がみな白い翼であったことを覚えていた。
けれど黒い翼を悪いとは思わないし、むしろ闇に紛れるこの色を好んでいた。
こうなってしまったことを後悔もしていない。
もし、という別の可能性を考えなくはないけれども、こうならなければ知りえぬ出会いがたくさんあったと彼は思っている。
「で、君はそんな宗教論議を、ぼくとする気なのかい?」
無意味だよねえ、と肩をすくめて、ケラケラと黒い天使は笑う。
「・・・無意味か」
首を傾げた緑の男の言葉に、ますますもっておかしく、天使は笑った。
「無意味だよ。君は勇者で、天使も女神も、その存在を知っているわけだろう?」
その言葉を緑の瞳に映しながら、男は何も言わなかった。
「存在証明できない一般人とはわけが違うじゃないか。君はその眼で女神も天使も見たことがあるわけだろう?見えないけれど縋らずにはいられない人間たちとは、君は違うのさ!」
天使の言葉に、男は何も言わなかった。
これで激昂でもすればたいそう面白いと、天使は思った。
だが、男の目は炎に向かい、きらきらと光を反射させて輝くばかりだった。
「・・・で、宗教論議をする気がないお前は何しに来たんだ」
もしかしてしたかったのか、と天使は思った。
だが、語り合うことはやぶさかではなくとも、内容が内容だよなあ、と思い、苦笑した。
「なんだよ、ご機嫌いかがと気分でもお伺いにきたらいけないのかい」
じろり、と緑の男から疑うような視線を向けられた。
本当かと問われるようなその眼に心外だなあ、と黒い天使は口の先をすぼめる。
「君と世間話をしに来たんだよ。人間はご機嫌いかがってお話しするだろう?」
人間は、という言葉に、男は一瞬口元をゆがめた。
しかしまずいものでも食べてしまったような表情はすぐに消え、炎のぼんやりとした灯りをその眼に映す。
「何かいいことでもあったのかい?面白い顔をしているよ」
「・・・」
表情の変化を指摘すれば、緑の男は何を言うわけでもなく、訴えるような視線を向けてきた。
まずいような言葉を差し出したのは自分だけども、表情が変わるのはいいものだ、と黒い天使はにこにこと笑う。
「・・・いいことはないが、嫌な噂は耳にしたな」
へえ?と黒い天使が片眉をあげて興味を示すと、男は重たいため息をついた。
「詳しい情報がほしいなら、図書館に住む勇者のもとに行ったらいい。なんでも『聖女の右腕』だそうだ」
ばさ、と背中の黒い翼が動く。にこりと緩んだ顔の中で、天使の明るい瞳からは笑みが消えた。
「『聖女の右腕』、ねえ・・・」
眉唾に近いがな、と緑の男は炎の中に木をくべた。
ぱちぱちと燃える炎をぼんやりと眺めていると、いつかもこうしていたら、夢のように誰かがやってきたことを思い出す。
まるで、この炎のような。
そんな誰かを。
「『オルハザルの右腕』・・・オルハザルはその聖女の名前だが、都市の名前でもある」
ぽつり、と男がつぶやけば、黒い天使は首を傾げた。
「聖女聖女って連呼しているけど、聖女って何さ」
天使ではないが、見た目のごとく、彼は天使だったときもあった。
ちがうのかと言われれば確実にイエスだけれども、自分を作り給いし主は間違いなく神だった。
だからこそ、彼にはその『聖女』がなんであるのかわからない。
自分の創造主が、何かの気まぐれにしても、一般人に何かしらの力を与えたということは、まずない。
それだけは断言できる。
彼女が気まぐれを起すなら、『ゲーム』を使わないはずがない。
彼女の関心は大部分が、もちろん暇をつぶす目的ではあるが、とある『ゲーム』に注がれていた。
だからその『ゲーム』以外のことに気まぐれを起すぐらいなら、『ゲーム』に新しい要素を取り入れるほうを選ぶだろう。
と、考えたところで、黒い天使は一つの可能性に至った。
「・・・宗教論議は、無意味ではなかったのか」
男に自分の言葉を返され、はは、と黒い天使は苦笑した。
「ああ、無意味だね。君自身が語るのは全く意味がない。でも、どうしてこう、君のようなものは、宗教が付いて回るんだろうなあ・・・」
人間だから仕方ないのかもねえ・・・としみじみとつぶやく黒い天使のほうが、よほど人間くさい、と緑の男は思った。
「無意味だけど、これは宗教の話じゃない。っていうか君、本題はこれかよ。この話題を振りたかったのかよ」
口下手か、と黒い天使がツッコミを入れると、緑の男は何も言わずに顔を背けた。
わりあい素直な動作に、黒い天使は苦笑する。
「『聖女』って、そのオルハザルっていうの、勇者かな?」
緑の男は目を細めて、ふーと息を吐いた。
「可能性だ」
はあ、と男は重たい息を吐いて口を開いた。
「君が可能性だなんていうのかい?知り合いじゃないの?」
ばかいうな、と緑の男は眉根を寄せた。
「都市の名前になるようなレベルだ。伝説も伝説。眉唾だと言っただろう」
「ウワー伝説の勇者がなんかいってるー」
そこについては否定できないらしく、うっと翡翠の勇者は小さくうめいた。
「てっきり長生きだから君の知り合いかと思ったぜ。君が伝説なんて言うくらいじゃ、相当昔だなぁ」
長生きであることを翡翠は否定せず、むしろなぜ知らないんだ、と黒い天使に目を向けた。
「人間の伝説を一々精査するほど暇じゃないよ、僕も」
「こうして私の前に現れるくらいだから、相当暇だと思っていたが・・・」
君、何気にひどいよね、と苦々しく笑い、黒い天使は顔を横にした。
(むしろ、なぜ今出てきたのか、が問題だなあ・・・)
いろいろと意図を探りたいところではあるが、はたしてどう絡み合っているのか。
これはほどいてよいものなのかの判断が、彼にはいまいち判別できなかった。
「オルハザルは、その聖女により魔王を退けたという伝説がある。実態の如何や、町について知りたければ、それこそ書物にのっているとは思うが」
「ウワーそれもう勇者だよ、絶対勇者」
間違いないね!と目を輝かせて断言する天使に、翡翠はまた炎の中に木をくべた。
からん、と木がぶつかる音が、小さく響く。
「だが、勇者だとしても、彼女は生きてはいない」
「・・・なんでそんなことがわかるのさ」
君だって伝説だけど生きているだろ、と首を傾げると、翡翠は目を伏せた。
「伝説は終わりまであるからな。彼女は魔王を退け続けた。そして、とある魔王に力のすべてを開放して相打ちになった」
はーん、と黒い天使は腕をくんだ。
「彼女は魔王を殺して殺されたのか」
本当に女神に選ばれた勇者は、死ぬことはない。
女神の寵愛は、勇者の魂を地上へ縛り付けて離さない。彼女によって何度でも再生し、戦い続けることができる。
だが、偉業を成し遂げられても、自分で名乗りを上げても勇者と主張することはできる。
だからこそ、本当に女神の加護がない勇者も中にはいた。
本物、偽物と区別するつもりはないが、女神に選ばれた勇者とそうでない勇者には、決定的な差があった。
女神に選ばれた勇者は、死んでも蘇るという、決定的な差が。
しかし何度でも蘇る勇者にも、女神の寵愛から逃れる方法がないわけではない。
「しかしそんな伝説、歴史の一環として流れていればそれで終わりのような代物じゃないか。なぜ君は『聖女の右腕』なんて話題を出したんだ?」
なぜ、と聞けば、翡翠は片目を眇めた。
はるか昔を思い出すような、過去に目を向けるような横顔は、一抹の寂しさがあった。
何が彼をそうさせるのか、知りえてしまうことは簡単だが、黒い天使はその悲しさに触れなかった。
その表情ですら、造作の整った顔は、凍てつくような美しさがあった。だからこそ、触れてしまえばその美しさを崩してしまうような気がした。
これ絶対一部の人に好かれるよなあ、と黒い天使は場違いに思いつつ、翡翠が口を開くのを待った。
「・・・盗まれたからだ」
「盗まれたあ!?」
驚きのあまり黒い天使が大きな声を出せば、ばさばさと鳥が羽ばたいてゆく音が翡翠の耳にまで届く。
翡翠の能力ゆえにあまりおかしなものは近づかないだろうが、それでも目立つのでやめてくれ、と思う翡翠だった。
「なにそれ!じゃあ、今はどこにあるかわかんないの!?」
うるさいぞ、と翡翠はめんどくさそうにつぶやいてから、そういうことになるな、と肯定した。
「オルハザルの町の教会に厳重に保管されていたそうだが、町が規模のでかい魔物の集団に襲われて、壊滅状態になった。金品、人間といろいろなものが盗まれ、その中に『聖女オルハザルの右腕』があったそうだ」
うわーと黒い天使は目元を覆った。
むしろ彼女には関係ないのではないかという思いもするが、この目の前の勇者からそんなことを聞いてしまっては、動かざるを得ない。
関係ないのならばいい。
それならば、ああ、自分の勘違いだったと笑えば済む話だ。
だが、そうでなかった場合を考えると、動かざるを得ない。
(あのひと、そんなもの残してどうする気だったんだ・・・何かしらの加護があったのか?だとしたら、こういう動乱がいつか起きてなにかしらの動きがあることを期待していた・・・)
あり得る、と思ってしまったから、黒い天使はあきらめた。
これは探し出すしかない、と肩を落としたところで、はたと黒い天使は気づいた。
「・・・君はどうするつもりなんだ?」
翡翠は炎のなかに薪をくべ、重なった赤い炭を動かした。
「私は町の生き残りの人々から助けてほしいと言われたから、探している。少々不自然な点もあるしな」
不自然な点?と黒い天使が口に出しているのを咎めるように、翡翠は顔を上げた。
「・・・なぜ魔族の集団が、人をさらう?」
ハ?と天使は思いっきり顔をしかめた。
「なぜって食べたりしたりいろいろ用途はあるだろう・・・?」
「それとて殺してしまえばいいだけの話だろう。『聖女の右腕』も、魔族に価値が生じるとは思えない。魔王を退けていたものの腕だぞ」
魔族が近寄りたがるはずがない、という翡翠の言葉には一理あった。
(僕はともかく、たしかに普通の魔族が近寄りたがる代物ではない・・・)
黒い天使は、夕焼けに光る閃光のような瞳をすこしだけ眇めてみせた。
その瞳に、ぶわっと様々な光度の線が映る。
線、というよりは糸のようで、たくさんの輝きの違うそれは空中を漂っていた。また目の前の男にも大量に巻き付いており、その中の一つを探し出す。
いちばん明るい糸に触れると、町の人々らしき人間と会話する光景が視界に映る。
焼け落ちた家屋の残骸と、悲しむ人々。
(ああ、ひどい光景だ)
ここが本当に町だったのかと思うようなひどい崩壊ぶりだった。
『お願いします、勇者様!町の学院に通う子たちはみな連れていかれてしまいました!どうかお助けください!』
女の人に縋りつくように懇願されて、彼はもちろんだと返した。
『その学院とはどんな?』
『魔法を体得するためのものです・・・この町では、聖女の加護なのか、魔力を持って生まれる子が多いのです』
お願いします、どうかと縋りつく女性は、その学院の教師らしかった。目に涙をためる彼女は確かに哀れに見える。
ぱち、と瞳を瞬けば、翡翠の勇者が赤い炎を眼に映して、黒い天使をじっと見ていた。
「・・・君の言うことは理に適っている。そうだな、それっぽい情報があったら、君に知らせに来るよ」
本当に来るかどうかはさておいて、黒い天使はにこりと無邪気に笑った。
「助かる」
と、翡翠の勇者は小さく礼を述べて息を吐く。
「次に会った時は、君の渾身の一発芸を期待してるね!」
笑顔でそんなことを付け加え、ばさりと天使は黒い翼をはためかせた。
星屑が銀砂のように散らばる夜空に、黒い天使が舞いあがる。
見れば誰しもが恐れる、黒き翼の厄災はこうして動き出した。
人に恐れと悲哀を運ぶ使者。
人々から黒き厄災とささやかれる天使。
彼は人々から『災』と、そう呼ばれている。



「おっ食事かー今日はなんやろなー」
と、サングラスをかけた青年は、漂ってきた香りににこりと笑った。
食事を持ってきた緑のフードのついたマントを羽織った男は、呆れたように顔をゆがめた。
けれど何も言わずに、いまだ湯気の立つ食事を鉄格子の下から中へと入れた。
「おっ今日のスープはトマトやな!」
にこにことしながら、むしろ上機嫌にスプーンを手にした青年に、緑のフードは呆れたように重い息を吐いた。
「・・・カイ、お前をみていると、捕まっていると理解していないんじゃないかと、そう思う・・・」
低い声でつぶやいた男に、へ?と口の端にパンくずをつけながら、カイはきょとんとして首を傾げた。
首を傾げた拍子に、色素の薄い肩ほどの髪がさらりとゆれる。瞳も同じく色素が薄く、もちろんそれだけではないけれど、彼の一身上の都合により、サングラスは手放せなかった。
そんな青年の首元には鉄製のチョーカーが締め付けられていた。
中央に灰のような色の宝石がはまっているそれは、価値が出そうでいて、なさそうな、ごまかしがいの利きそうなものに見えた。
「捕まっているのはわかっとるで?せやかてなあ・・・」
カイは苦笑して、せやかて居心地がええんや、という言葉を飲み込んだ。
彼はとある屋敷に捕まっていた。
鉄格子のついた牢獄に入れられて、自由に外出できない状況だった。
いわゆる監禁状態である。
とはいえ、鉄格子こそあるが、室内はベッドに机と、下手をすれば彼が野宿をしたり、安物の宿に泊まるより豪華な室内である。
一週間に一回はベッドのシーツも替えられるし、温かい食事も三食でる。
そして時間を潰すものをくれと、頼めば本を与えられる。
自由に外出できない状況という以外は、わりあい恵まれた状況にあった。
(本体と比べたら、えらい違いやなあ・・・)
彼は牢獄に収容され慣れている。
というと、彼がまるで犯罪者のようだが、彼は何かしらの罰を受けて牢獄に収容されたわけではない。
彼はいまだにとある牢獄に収容され続けている状況だ。
カイの半分以上はここでない場所につながれている。
自分と、その半分以上は別人と言うわけではない。だが、いろいろと制約を受けている身の上である。
こうしているカイ自身は本物ではなく、代わりでしかなかった。
(説明したところで、わこぉてもらえるとは限らんし・・・)
説明することではないと、彼はスープをすする。
そしてそれらに触れられないように、彼は鉄格子の外にいる男に笑いかけた。
「ほらほら、なんか話したってや。会話に飢えてんねん」
はーと緑のフードは重いため息をついた。
「・・・腕一本持っていった男に、話を求めるのか・・・」
わけがわからないと毎度顔をゆがめる男に、うーん、とカイは首を傾げた。
自分の体を見下ろせば、男の言葉の通り、カイの片腕の肘から下はない。
切り口はきれいに処置され、膿んだりということはなかった。
見慣れた指先がないのはおかしな感覚だが、すぎてしまえば、大したことではないという気もする。
そんなことを口にすれば、友人の天使には小言を言われるに違いない。
今の状況が彼に知られるだけでも、つけつけと嫌味を言われるだろう。そう考えると、カイはこの場にいるのがまずいという気もした。
しかし自分を捕らえ、片腕を奪い、こうして閉じ込める男は悪人ではなかった。
この男がした表情のせいで、彼は男を恨む気持ちが失せていた。
「・・・まあ、本位でないのは、よおけわかるさかい・・・」
自分を捕らえたとき、この男は泣きそうな顔をした。
まるでとてもひどいことをしてしまったような顔をして、自分を捕まえた。
そしてカイの腕を切り落とす時、すまないと言った。
そう言いながら、この男は無表情に涙を流した。
だから悪人と言い切るには、この男は感情豊かすぎた。
それを見てしまったカイは、この男がすべて悪いと恨む気持ちが湧き出てこない。
「・・・本当に、お前のような勇者もいるんだな・・・」
はは、と男は肩をすくめて笑った。
なんや、とカイは眉根を寄せて口の先をとがらせた。
「悪いんか」
いや、と男はゆるく首を振った。
「俺があった勇者は、化け物のようだったから」
今日はどうやら彼が会った勇者について語るらしい。
カイが話せといえば、彼はぽつぽつといろいろなことを語った。
はじめこそ話しかけた言葉のすべてを無視していた。
だが、カイがそれでも話しかけるうちに、しばらくするとぽつぽつと語りだした。
彼の故郷を、自分の手で壊したこと。
彼には、幽霊が見えること。
そしてそれゆえに、故郷では忌み嫌われていたこと。
同情するのもどうかとカイは冷静に思ってもいる。
けれど緑のフードの男も、彼なりの事情があるのはよくわかっていた。
これ以上体を切り刻まれるのはごめんだが、それでも彼の力になれることがあるのではないかと、カイは考えていた。
こんな行動を見たらカイの友人は嫌な顔をするに違いないし、「君はバカか」と言うに違いないのだが。
「・・・幽霊が見えるって言ったろ?その幽霊は、俺の故郷をかつて守っていた勇者の幽霊なんだ」
男は目を伏せて、いっそ上機嫌に口を開いた。
「彼女は、俺が壊す前の、町の惨状を嘆いた。自分が守りたくて、大切にしたかったものは、もうなかったからさ」
惨状と言う言葉に引っ掛かりを覚えて、カイは首を傾げた。
むしろ惨状を起したのが彼自身であることは、彼の言葉からよくわかっている。
だからこそカイは、どういうことや?と尋ねた。
「彼女は町を守ったんと違うん?」
ああ、そうだな、と男は壁に寄りかかった。
「彼女は町を守りたかった。あとに続く幼い命を、守りたかったんだ」
情の深い、イイ女だよな、という言葉に、カイは同意できなかった。
たしかに素晴らしい女性ではあるけれども、彼女は、もう生きてはいないのだ。
戦いで負けることはよくある。
うまくいかないいことのほうが、カイはむしろ多い。
だからこそ、命を賭けることが素晴らしいことだとは断言できなかった。
命あっての物種だ。たしかに魔王に立ち向かって亡くなったという彼女は立派だが、相打ちになったというのなら、退けるだけで済ますこともできたのではなかろうか。
「だが、俺の故郷はすこし特殊で・・・なんというか、魔力の保有率が高い子供が生まれやすいんだ。潜在能力が高い子供が多くて」
俺も例に漏れないんだ、という男がそれなりに強い魔法使いであることは、傷を負わされたカイもよくわかっていた。
「でも、そんなに豊かじゃなくてな・・・だから、貧しい家の子どもを学校へ集めて、他国へ売っていたんだ」
「な、なんやて!?」
驚きのあまり大きな声を上げて犯罪やないかと咎めるカイの言葉に、そうだよ、と男は同意した。
「町ぐるみでそんなことをしていた。彼女は嘆くだろう?」
なるほどな、とカイはこれでいろいろ見えてきた気がした。
彼はその彼女の嘆きを叶えたのではないのだろうか。
もちろん、もっと他にやり方はあったとは思う。
けれど形はどうであれ、男もまた、自分の町で行われることをどうにかしたかったのではなかろうか。
そう考えると、やはりこの男ばかりを責めることができなくなってゆく。
「だから、町を壊した。・・・けど、俺は弱かったから」
心を、壊してほしいと、とある魔法使いに頼んだ、と、男は口にした。
は?とカイは言葉を失って、思わずスプーンを落とした。
落としたスプーンは、地面にあたってかつんと音を立てた。
「いま、なんて」
だから、と男は苦笑した。
「俺は、心を壊した」
な・・・とカイが絶句をしても、男はいっそ穏やかにさえ見えるように笑うばかりだった。
そんな男が哀れで仕方なくて、カイはこらえるように目を細める。
「泣いたやないか」
カイの、責めるように口に出した声は、震えた。
すまないと言いながら、腕を切り落としたのに、あれはなんなのだと、カイは問いかけた。
聞きたいような、それでいて聞きたくないような思いを抱える。
それでもカイは、この男を知るために、聞かねばならなかった。
彼は心を壊したと笑いながら語る男を目の前に、苦しくて仕方がなかった。
その言葉は、あまりにも悲しくて。
そして悲鳴のように、耳を刺す。
自分の腕を切り落とす時の、あの涙を問えば、そうだよな、と男は目を伏せた。
「俺の心は壊れただけだから、完全に心が死んだわけじゃないから、不完全で」
勝手に涙が出るんだ、と、男は穏やかに言った。
それは、お前の心が悲鳴を上げているんじゃないかと、カイは口に出してしまいたかった。
本当は、涙を流すほど、お前はしたくないのではないのかと。
けれど涙を流してもこの男は、カイの腕を切断した。
泣きそうな顔をして、カイを傷つけた。
本当は、そんなことができるような男ではないのだろう。
根は本当に、やさしい男なのだろう。
けれど男はそれを弱さだと切り捨てた。
弱さだというやさしさを、壊した。
そしてそんなことをしてなお、きっとこの男にはするべきことがあるのだ。
そんなことに気づけば、カイは唇をかんだ。
(なんで俺には力がないんや・・・)
いま、男がこうならずに済んだ可能性があったのではないかと、そう考えてしまう。
この男が、心を壊さずに済んだ可能性。
そんなことを考えている自分を、きっと友人の黒い天使は理解できないというかもしれない。
それでもカイは、この男を助けたかった。
もし自分が手を貸せば、こうならずに済んだのではないのかと、カイは己を責めずにはいられなかった。
場違いだとわかってはいても、関係がないかもしれないと思いながら、それでもこの男が救われはしないのかと、考えずにはいられなかった。
(もっと、なんか、もっと、どうにか)
できひんのやろか、とカイは俯く。
救いを、この男に与えてやってほしいと、カイは目を伏せた。
「・・・本当に、そんな顔をするような勇者もいるんだな。おまえがそんな顔をする必要もないのに」
男は平然と、それを口にした。
「俺が、心を壊してくれと望んだ勇者は、俺をそんな目で見なかった」
男は暗い瞳でカイを見つめて、首を傾げた。
「心を壊したら、二度と元に戻らないと、彼の勇者は平然と口にした」
それでも、と男は光のない目で、まっすぐにカイを見つめた。
「俺は俺がすることのために、必要だった。いっそ壊れてしまえば、苦しむこともないから。俺は利己的に働けるように、そうして経済を回して、世に貢献していると、そう思えるようになってる」
男は食事を止めたカイに首を傾げ、もういいか、と問うた。
「・・・」
ぐしゃぐしゃと混ぜ合わされた感情に、カイは涙が出そうになった。
この目の前の男は、何と哀れなことだろう。
こうなるしかなかった男に一抹のさびしさと、かなしさがあった。
苦しいから捨てたと、男は言う。
(救いは、このひとに、救いはなかったんやろか・・・)
この男の生き様の凄惨さを思えば、喉が詰まる。
そしてこの男に救いの手を差し伸べなかった周囲と環境に、カイは腹が立った。
運命とやらがあるなら、こんな運命を歩むしか道筋を与えない神に。
腹が立つ。
神じゃなくても。
どうして心を壊してくれと頼まれた勇者は、願いをかなえたのだろうか。
(勇者やったら、どうにか、もっと、どうにか)
出来なかったのかと、知りもしない勇者に対して、カイは怒りを募らせた。
それともこの男には、そうして心を壊してやることが、救いなのだろうか。
心を持っていても、この男にとってはつらいだけなのだろうか。
わからない、とカイは眉根を寄せた。
「・・・聞いても、ええやろか」
絞り出すように口を開けば、なんだ、と男が許可を出したので、カイは顔をゆがめて問うた。
「・・・ほんまに、それでええんか」
男はカイの言っていることが理解できないと言いたげに、首を傾げた。
「・・・?少なくとも、俺は幸せだ。そう思えるから、苦しむこともない」
カイは、ぎり、と音が鳴るほど強く、歯をかみしめた。
そして半ば反射的に、口を開いた。
「今からでもおそうない!!あんたの手伝いが、俺かてできると思う!俺に!助けを求めてくれへんか!」
カイの主張に、男は目を見開いて、驚いた顔をした。
呆気にとられたように、目を丸くしたあと、ふは、と小さく噴き出す。
「・・・善き勇者」

「お前にできることはない」

それは残酷な言葉でありながら、男の仕方ないというまなざしが、やさしさを残していた。
たしかに拒絶と無力さをたたきつける言葉であるというのに、男は言葉に反して、とても優しい顔をしていた。
「お前の腕を奪ったことも、お前をこうして捕らえることにも、俺は罪悪感を覚えることも、苦しいと思うこともない」
だから、お前はそこにいろと、男は微笑んだ。
「もう、俺は、助かろうとするには、遅すぎる」
そんなことはないというカイの言葉を、男は聞こえないように、壁から背を離した。
「大丈夫だ、心が壊れても、たとえ悪事を働こうとも、俺にも女神はついているから」
その言葉の意味を聞こうとするより前に、男はかつかつと部屋のドアに向かった。
「おい!ちょぉまたんかい!」
「またあとで、食事をとりに来る」
まて、というカイの言葉を無視して、男は入ってきたドアをぎい、と音を立てて閉める。
「おい!オルハザル!」
男は反応することなく、バタンとドアを閉じた。
「・・・あいつ・・・」
とんでもないやつだ、とカイはすっかり冷めてしまった食事を見下ろした。
男の話を聞いて、これですべて納得した。
オルハザルと名乗った男は、まずはじめに、自分の故郷を破壊したとカイに話した。
(オルハザルって、どっかで聞いたと思うててん。あれや、町の名前やな)
オルハザルという町は、きな臭い噂があることで有名な町だった。
むしろ、その町を守ろうとした勇者がいたことのほうが、カイにとっては驚きである。
曰く、魔法使いを売る、という嫌な噂があった。
噂は噂に過ぎず、国が介入したところで証拠も出ていない。
だから、その町付近に犯罪組織が巣くっているのでは、というのが、もっぱら噂の補完だった。
(町ぐるみやったんやな・・・)
証拠が出ないはずである。
それを目にしながら、町を守ろうとした勇者の幽霊の嘆きを聞いていた、オルハザル。
(どんな、思いやったんやろな・・・)
そして幽霊が見え、会話をするオルハザルは、気持ちが悪いと、また使えないと厄介者扱いだったそうだ。
『売れないと言われた』と、言っていたことを思い出せば、彼も売られる側だったのだろう。
嘆きをみているのはつらい。
悲しむ姿をみているのは、よい気分ではない。
それはカイ自身も経験があるからこそ、よくわかる。
何とかしたいと、あがくことも。
してきたし、しているから、よくわかるのだ。
(俺ができることは、ほんまにないんやろか・・・)
うーん、と片腕を顎に当てて、考え込む。
こんなとき、神出鬼没の黒い天使の友人が知恵でも貸してくれればいいのになあ、と思いつつ、彼はぐるぐると考えた。
(遅いはず、あらへん。まだ助かる道は、あるはずや)
あがくことをやめては、そこで終わりだ。
だからカイは、バカだと言われようとも、最善を尽くす。考えて、助けを求めて、それで少しでも救われるならば、上々だ。
それを考えると、カイは余計に、かなしくなった。
「なんで、心を壊してしもうたんや・・・」
ぽつりとつぶやいた声は、誰にも聞きとられることはなかった。



「ここに本当に、そのせーいぶつとやらがあるのか?」
金色の髪をした少年は、洞窟の入り口を見て、首を傾げた。
「君に一つ、いいことを教えてあげよう。君が聖遺物と言うとなんかエロいぞ」
ばっと反射的に口をふさいだ少年を見下ろし、黒い天使はにやりと笑った。
金色の髪をした少年は、スカイブルーの海のような瞳を吊り上げて、自分より高い位置に浮かんでいる黒い翼の天使をにらみつけた。
「聖遺物」
「なんだ、いえるようになってしまったか」
もとから言える、と返す少年に、黒い天使はケラケラと笑った。
二人は、とある山の中腹にいた。
そこは人の手が入り、石造りの道が整備されていた。石の道は、山の洞窟の中へと続いている。
金色の碧眼の少年は、そんな先を見て顔をしかめた。
顔には瞳によく似た色の宝石がはめられた額当てをしている。身なりは黄色を基調とした、動きやすそうな身軽な鎧をまとっていた。
まだうら若い少年は、風貌に似合わぬ剣を腰に下げていた。
その腰に下げた剣だけは細かく施された装飾から、価値が出そうなものに見える。
少年の持つ剣を目的に狙われてしまいそうに若さがあったが、黒い天使の隣にいても、物おじた様子は少しもなかった。
「ここかあ・・・」
「さあ行こう。すぐいこう」
ノリノリな黒い天使に比べて、少年は乗り気ではなかった。
「ここ絶対なんかでるじゃん、俺、今べつに金欠じゃないし・・・」
と、ここまできてもそう言ってしまうのは、途中の町の惨状を目にしてしまったからだった。
付近の町では、最近魔物に襲われたらしい。家屋は倒壊し、人々の悲惨な生活がそこにはあった。
その町は、付近に魔法使いを売るという犯罪組織が巣くっていることで有名な町だった。
その犯罪組織がいるであろうと言われているのが、この神殿なのである。
見た目から、人の手入れがされていないことはよくわかった。荒れた神殿の、奥へと続く石の道の端々に、ひびが入っている。草は無造作に生え、とても神への祈りをささげるための場所ではなかった。
とはいえ、逆にその荒れ具合が、ここを人の出入りのないものであると示していた。
「いや、出ないでしょ、逆に」
「ドラゴンとか、魔物とかはわからないだろ・・・」
と、二人して入り口を検分していると、ふわ、と白い煙が洞窟の入り口あたりで漂った。
なにかと、視界を横切ったそれに目を向けた少年の視界に、白い煙は、やがてゆらりと形を持った。
『・・・カエッテ』
そう、小さな声が届き、黒い天使と少年は顔を上げた。
見れば、困った顔をしたような女性が、洞窟の入り口に立っている。
緑の髪をした、美しい女性だった。
聖職者らしい、黒いワンピースを着ている。
しかしその女性、足元が消えており、体も半分透けていた。
「で、でたー!!!幽霊!幽霊じゃんあれえ!!!」
ひいい、と声を上げる少年に対して、黒い天使は目を細めた。
しかしその瞬間、すう、と女性は消えていってしまう。
黒い天使は視界の端でわずかに光の線は捕らえられた。
しかしどれも光度が薄く、何かを見ようとするには難しかった。
(だいぶむかしだなこれ・・・)
「なあ、これ無理じゃないか・・・帰ってって言ってたぞ・・・」
金色の少年の弱音に、何を言ってるのさ、と黒い天使はけろりと笑った。
「君、いつももっと強いのと戦ってるだろ?」
「買いかぶりすぎだぞ」
「聖遺物は君に力になるかもしれないぜ」
いいじゃないか、探検しよう、という言葉に、まあ、ここまできたしなあ、と少年は肩を落とした。
「しょうがない、行くか!」
金髪の少年は腹をくくったように、ふん、と息を吐いた。
怯えたがりな癖に、こういう切り替えははやいと、天使は頬を緩める。
がさがさと草をかき分け、少年は内部を伺う。
石畳はこの先まで続いているようだった。内部は暗いが、とくに何かの物音が聞こえてくるわけではない。
「・・・おい黒いの、そういえば地図は?」
黒い天使に探検しようと言われて、まあ懐も温かいし、因縁の魔王に相変わらず負け越しだったので、気分転換にでもなるかとあっさり乗った少年だった。
深く考えずに宝物もあるからとついてきた少年だったが、肝心の冒険道具をきちんとそろえていない。
洞窟にしても森にしても、何回かかかることを想定の上で、きちんと準備をしなければならないのは当然である。
それらを準備していないことに今更不安を抱いていると、黒い天使は、えーと口の先をとがらせた。
「もっと親しみを込めてくろぽんと呼んでくれて構わないぜ」
「黒いの!!!地図!!!」
はい、とあっさりと渡したあたり、黒い天使のほうがそれなりに準備をしているのだろう、と少年は息をついた。
これでこの黒いのさえ準備をしていなかったらまた、どこかの町に引き返す羽目になるところだった、と少年は安堵した。
そんな内心を読んだのか、黒い天使は首を傾げて、けらけらと笑った。
「冒険者としてはあるまじき行動だね」
「・・・俺は勇者だからいいんだ」
少年は苦しい言い訳をしつつ、地図を開く。
そんなことを因縁の魔王に言おうものなら、へえ、ふーんとじろじろと眺められるか、いつになったら倒せるんだなどと言われそうで、気分転換になっていないな、と少年は顔をしかめた。
「とはいっても、地図いらないぐらいなんだけどね。この道、ずっとまっすぐ行くだけだし」
白い指が、後ろからほら、と地図の道を示す。その先には祭壇のような広い空間が広がるだけである。
たしかに、一本道だな、と確認して目の前に広がる暗い内部に続く道を眺め、少年はあることに気づいた。
「しまった。火打石、切らしてた・・・」
たいまつは一応準備があると荷物から取り出すと、黒い天使は、なんだそれか、と笑みを浮かべた。
「ぼくだって、火をつけるぐらいの魔法はつかえます!」
えへん、と胸を張る黒い天使に、少年は思わず顔をしかめて微妙な顔をした。
例えるなら、ジュースと安いエールを間違えて口にし、想像以上にまずく、これもはや何か別の液体だろうとあたりをつけてしまったような。
そんな顔である。
「ウワーなにその顔。君、魔法使えないよね?ぼく、全くできない君より魔法出来るんだよ?もうちょっとなんか、嬉しそうな顔するとこじゃない?そこは」
いや、と少年は眉間にしわを寄せたまま、視線をそらし。
「黒いのに、マッチみたいなもんかって・・・」
「言うに事欠いて、マッチ?ぼくのこと火打石の扱いもしないの、君」
火をつけるぐらいが、全く頼りにならない、と少年に告げられれば、黒い天使はしょうがないでしょ、と苦笑した。
「魔法を複雑化させてるのは人間だよ。原始は火と水さえあれば生きていくのに事欠かなかったじゃない」
言い訳みたいだと、少年は黒い天使の前で松明をかざした。
黒い天使は素直に掌を向け、ぶつぶつと長い詠唱を紡ぐ。
そうしてようやく、ぼ、と松明に明かりがついた。
「・・・ずいぶん長いんだな」
「普通は長いよ!」
少年はそうか?と首を傾げながら、松明をかざして、中へと踏みこんだ。
足元が石造りなために、かなり安定感がある。だが、蛇などがいては困る、とうつむいて確認しながら少年は足を進めた。
後ろは気遣わずとも、羽音で黒い天使がついてきていると知るには十分だった。
「・・・最近の魔法は、詠唱もなく魔法を発動させるものもあるじゃないか」
あのねえ、と少年の後ろから、呆れたような声がした。
「あんなのは、一部の魔法使いがするものだよ。詠唱なしでは普通できないから。君だって、一撃で相手を倒すことなんてのは無理だろう?」
自分の剣の腕を馬鹿にされているような気がしなくもなかったが、たしかに、と少年はうなずいた。
「一撃で相手を倒そうとするなら、一般的には相当な訓練がいるよね」
どうやら一般的な話をしているらしいと知って、少年は小さく息をついた。
「たしかにな」
「まあ、天賦の才能でもあれば別なんだろうけど、ぶっちゃけ、俺ツエ―を体現するためにだって、一応努力の痕跡はあるでしょ?」
「オレツエ―?」
なんだそれ、と振り返ると、黒い天使はにこりと笑った。
「いわゆる、無双状態みたいな?」
「・・・負けなし?」
それに近いかも、というので、少年はふーんと頷いておく。
この黒い天使の言葉の意味の分からなさは今更なので、突き詰めだすときりがなかった。
「だから詠唱無しの魔法発動は、相当に努力と研究があってのものだし、普段から相当使い慣れてないとできないよ」
ふーん、と少年は何となく納得した。
「魔法も奥が深いんだな」
「ぼくはこれでも専門じゃないからね・・・」
今度専門家に会ってみたら、と勧めた際、黒い天使は、ふと、地面のおかしな線に気づいた。
埃と土が重なる石畳の上に、おかしな線があった。
蛇がのたうったとは考えにくい。
棒のようなものを引きずった線が、一筋伸びている。
「・・・ねえ、これさ」
その線を指さすと、少年も気づいたようで、すぐに顔色を変えてかがみこんだ。
「・・・新しいだけじゃない。これ、足跡もある」
よく見れば、そのそばには靴跡が並んでいた。
「大きさからして、男のものだと思う・・・一人、とは、考えにくい」
よく検分しながらそうつぶやいた少年の言葉に、黒い天使は嫌な予感がした。
自分の名前を冠するものが、この先に巣くっているのでは、という気がしてならない。
「先を急ごう」
そうだな、と足を向ける少年は、足元を気にせず、先に進み始めた。
「なあ、今更だけど、ここには何があるんだ?」
聞いていなかったけど、という言葉に、黒い天使は、前を向きながら。
「聖女オルハザルの残した、聖竜の呼び笛だってさ」
魔王と相打ちした彼女は、聖なる竜を従えていたという。
そして戦うときは、いつもその竜を呼び寄せていたのだと。
「あー・・・あの、勇者だったって言われている、慈愛の聖女?」
慈愛、という言葉に、違和感を覚えて、黒い天使は首を傾げた。
「じあい?」
あれ、知らないのか、と前を向いたままの少年は、有名な話なのにと口にした。
「聖女オルハザルは、竜だけでなく、様々な生き物を呼び出していたんだよ。彼女はあらゆる生き物に分け隔てなく、愛情を注いでいたから、そんなことが可能だったって」
なるほど、と黒い天使は若干白けたような気分で納得した。
(勇者としての能力は、召喚だったんだろう・・・誰にでも分け隔てなくねえ・・・)
果たしてそんな人間がいるのかと、嗤いそうになったところで、少年は足を止めた。
「お話はここまでだ。誰かいる」
そう言って少年は松明を地面にすりつけ、静かに消した。
そして壁に身を寄せ、静かに内部を伺う。
『ヤメテ!!!』
それは確かに女性の悲鳴だった。
入り口で聞いた幽霊の悲鳴に、少年と黒い天使は反射のように中に入った。
「ハーイ。おまえは黙ってさっさと回収うううう。されろくださいい~。よし、そんじゃ、あとはこのドラゴンの首でもいただきますかあ」
やけに陽気な、この場にそぐわない声は、白い髪の男から発せられていた。
男が手にする美しい水晶に、女の幽霊は白い煙ととともに吸い込まれていく。
「な、なにを・・・」
少年の声に気づいたのか、おりょ?と白い髪の男は、首を傾げた。
顔には白い包帯がまかれており、片目は包帯が巻き付いていて色が見えない。残った片目は、紫水晶のような暗い色をしていた。
黒い外套を纏う男は、そばにいた、緑のフードをした男に水晶を渡した。
「あらら・・・なんか思わぬ参入、しゃ?ひとかな、あれ。まあ、いいやあ。明日どうせ忘れるし、なんかいるうー。あーあの子、そう、あの子の言ってたことにはない、から」
あんた、あの子のとこ行って、と白髪の男が緑のフードに言った。
瞬間、黒い天使の視界に、ぶわりと緑のフードをかぶった男の光の糸が、むしろ自分にまとわりつくように絡まってくる。
なんだ、と反射的に触れれば、その視界に映るのは、過去。
血塗れた、サングラスをかけた友人。
片腕がないながらも、薄い色素の髪を揺らして笑う、その友人を。
見た瞬間、頭が沸騰した。
(・・・あの、ばか)
思いっきり毒づいて、それを行った犯人が目の前のいることに、黒い天使の顔が歪みそうになった。
緑のフードは、小さく頭を下げて何かをぼそぼそとつぶやく。
その瞬間、ひいいという悲鳴が、黒い天使の隣から聞こえた。
はっとして振り向けば、隣で起こっている事態に、黒い天使は反応できずに固まった。
「えっと、君、それ、あの・・・」
スライムなのだろう。青色の透明な液体の塊が、手のような触手を出してうねうねと動いている。
問題は、隣の勇者が、速攻そのスライムに捕まって、なぜか体を拘束されているという点だった。
「ひいい。なに、なにな、ちょ、ばかそこやめろ!アッ」
とりあえず毒性はなさそうだし、放置しておこう、勇者だし大丈夫だろう、と黒い天使は自分に言い訳した。
顔の赤いちょっと扇情的になっている少年なんていなかった、と言い訳をして、目の前に向き直る。
そして向き直ったときにはすでに、緑のフードは消えていた。
残っているのは白い髪の男だけである。
「人でないものはたくさん見てきたけど、お前なにー?天使みたいじゃん。あーでも誰かがあの子のことを天使って言ってた」
誰だっけ、忘れたという男は、へらへらしながらこちらを眺めていた。
男の横には祭壇なのだろう、石造りの台があった。
その上に大きなドラゴンの頭が載せられている。
「君はなんでここにいるんだ?」
敵の可能性はまだない、と黒い天使は男に話しかけた。
あー?と首を傾げた男は、忘れた、という。
「・・・ふざけてるのかい、君。ここがどこだかわからないわけじゃないだろう?」
その態度に苛立ちを滲ませて追い立てる。
しかし男はどこ吹く風といったように、ただただ首を傾げた。
「ここがどこだって俺にはどうでもいいのさ。だって明日には忘れるし、そう、そう、あの子が、ここに来てくれって言ってて、えーと、邪魔もの、いらない、のは、えっとえっと・・・うーん・・・おれ、がらくただから思い出せない・・・」
難しいのはよくわからない、と男は片手に持っていたものを掲げた。
「よくわからなから、全部殺そう!」
(むしろ意味が分からない)
とんでもないものにぶち当たった、と黒い天使は顔を覆った。
掲げた剣を片手で構えた男は、にやにやとしたまま、祭壇から降りて、一目散に黒い天使のほうへと向かってきた。
そしてその道すがら、小石を蹴り上げて飛ばすという芸当までする。
ばさりと羽ばたけば、威力を失う小石は、けれど近くで、いきなりばあんとはじけた。
「うわっ」
思わず声を上げて目元を覆えば、目前に白髪の男が迫っていた。
(しまっ)
反射的に手を出して掌底で殴りつける。手加減無しに繰り出したそれは、攻撃をよけない男の腹にあたり、そして黒い天使の肩のあたりを、刃がかすっていった。
(・・・いま)
ぞっとして男を見れば、吹き飛んだ男は石の壁にぶち当たって埋もれていた。がらがらと砕けた壁からげほ、と赤い液体を吐き出し、ふらふらと立ち上がる。
(こいつ、よけなかったぞ・・・)
己の体を躊躇なく犠牲にした。
それも、勇気があっての行動とか、そういう類のものではない。
体という概念がないかのように、この男は戦闘において己の体を憂慮しない。
それがこんなに恐ろしいのかと、黒い天使は目を見張った。
「あの子がほっしい。こーのこがほっしい♪」
歌をうたいながら、男は肉弾戦に切り替えてきた。剣はしまい、殴り、蹴るを確かな洗練された技で繰り出してくる。
黒い天使はそれを避けながら、す、と掌底を繰り出した。
手加減したそれに、むしろ思いっきり力をつけて片足をぶつけてくる男に、動きが止まりそうになった。
けれど思いっきり掌をぶつければ、ど、という衝撃の後に、足があらぬ方向を向く。
そして体の勢いのままに吹き飛ばされた男は、ずざ、と床を滑って着地をした。そのあと、あーと口を開いて、首を傾げる。
「たーいむアップ。逃げんとダメだこれ。ドラゴンはまあ、今度回収すればいいか・・・かーえろかーえろ」
いきなり攻撃をやめた男の影から、ひらひらと青い蝶が現れた。
そしてぶわ、とこの場に不似合いな重厚な扉が開く。
その、瞬間だった。
ぶわ、と光度の強い糸が、男から伸びてくる。
視界の端でとらえたそれは未来。
金色に、青い目をした少女が、目の前の白髪に語り掛ける姿が映っていた。
そして少女が、籠に入っている、その姿さえ。
見てしまって、すぐに男の姿が消える。
悲鳴を上げそうな気分だというのに、どうすればよいのかわからない天使は、ゆっくりと膝をついた。
(・・・あの子が、あの子が、だめだ。だって、カイも、ああ、でも)
「お、おい、どうなったんだ・・・」
自力で脱出したのか、金髪の少年はいろいろ衣服を乱れながらも無事のようだった。
顔が赤くて、息が乱れていることには触れないでおこう、と呆然とする心とは乖離した部分で冷静にそう思うことに、天使は笑った。
天使の顔をみた少年は、衣服が乱れたままだというのに、眉根を寄せた。
「何があった。大丈夫か、黒いの。俺でできることなら力になるぞ」
どうしてこうも自分の周りにいる勇者はやさしんだ、と黒い天使は口を裂いた。
笑おうとしてもうまくゆかない顔は、まるで泣いているようだった。
そして天使は、何よりもこの勇者のやさしさと、自分の思いを傾ける者たちの無事を、心から祈った。
神ではなく、未来へと、祈りをささげた。



どさりと音がして、彼女は足を止めた。
振り返れば、後ろのほうで黒いフードをかぶった男が倒れている。
男はげほげほと咳き込みながら、何かを探すように、手を彷徨わせていた。
男の前には杖らしきものがあり、それを探しているようだった。
男が手の届く範囲にはないが、目を向ければすぐに届く距離である。
(・・・もしかして)
彼女はすぐにその男のもとへとかけてゆき、杖を拾った。
だが、すぐ近くの彼女の行動にも、男は目もくれない。
(やっぱり)
疑念は確信に変わり、あの、と少女は声をかけた。
「はい?」
と、顔を上げた男は、頭に包帯を巻いていた。白い髪で目立たないが、片目は包帯で覆われている。
かろうじて残った紫の瞳は、彼女と焦点が合わなかった。
なにより、誰しも振り返る彼女の背に、視線が向くことがない。
「目、見えないんですか・・・?」
遠慮がちに問えば、ああ、と男は明るく笑った。
「一過性のものなんだ。そう、すぐ治るってあの子も言ってたし、たしか、魔力を使ってしまうと、見えなくて・・・。もうだいぶガタがきているからさ、おれはガラクタだから、だめなんだ」
がらくた、という男の言葉に、胸が痛んだ。
つまり目の前の男には、少女の金色の髪も、青い瞳も見えないのだろう。
そして、背に広がる、羽のような青い魔力の塊も見えていない。
魔力をためる自分の体からその力を排出するために、背についた機械からこぼれる透明な青い筋は、羽ではない。
それを動力として飛ぶことはできないので、ただただ、異色なだけである。
そんな自分の姿も見えないから、きっと彼にとって自分は普通に見えるのだろうと思うと、彼女は複雑な気分だった。
「がらくたなんて、言わないで、お兄さん」
彼女も、ガラクタとして廃棄されそうになった経験がある。
寸でのところで免れたけれども、がらくたという烙印を押されたことには違いはない。
自分のような経験者が早々いてほしくないとは思うけれども、もしかしてこの男も似たような経験をして、そういう扱いをされたのかと思えば、彼女の顔は曇った。
「・・・がらくたな人なんていないよ、だって歯車さんなら直してくれるもの」
今日、ともに買い出しに来た兄のような存在の名を口にすれば、男はふ、と息を吐いて笑った。
彼とよく買い物に来るこの町では、彼女の姿は物珍しがられることはあまりない。
とはいえ当初は奇異の目で見られ、恐ろしい思いをした。
歯車から離れて行動、ということは全くできなかった。
だが、彼が何度も事情を説明してくれたおかげで、今は一人でも動けるほどになっている。
「ああ、少女はいい少女なんだな。あの子も、壊れているなら直せばいいと言った。そうだな、ガラクタは良くない。じゃあ、名乗ろう。俺はバーデ。少女の名前は教えてくれなくていいぞ。どうせ明日には忘れてしまうから」
バーデはそう言って、にこりと無邪気に笑った。
「ところで少女、その辺に杖はないか?義足が折れてしまったから、杖がないと歩けないんだ」
彼女は杖を拾ったことを思い出し、はい、と差し出した。
そうしてから、バーデが空中に手を向けて彷徨わせるので、失礼しますと言って、片手を握った。
そして杖を握らせると、バーデはありがとう、と焦点の合わない目を緩めた。
「もし少女に時間があるなら、ちょっとお願いがあるんだが」
歯車が必要なものをそろえる間、好きに見ていいと言われていたので、時間はあった。
知らない人にはついて行かないように、とひどく念を押されたことを思い出したが。
(私だって、勇者だし)
何より一過性とはいえ、目の見えない男を放り投げていくのも気が引けた。
「・・・いいですよ。なんでしょう?」
ちょっと、と言っていたし、明るく笑うバーデが悪人には見えず、彼女はあっさりと了承した。
遠く離れたところで、一連の流れを見ていた、とある男が頭を抱えたことなど、知る由もない。
「助かった。茶葉を、買いたいんだ。あの子は食事が嫌いだから、あまり食べてくれないが、お茶なら飲んでくれるからな。少しでも外ものを触れさせたいんだ。おいしい茶葉がある店はどこか知らないか?」
よいしょ、と杖を手にしたバーデは立ち上がった。
確かに右に体重を傾け、斜めになった体で、右手で杖を突いている姿はひどくバランスが悪かった。黒い外套でよく見えないが、左足は靴がない。
「それなら、おいしいケーキとお茶のお店がありますよ」
女の子に人気だというその店は、彼女も気になってはいた。
茶葉が買って帰れる、というのも耳にしていたので、どうかと言えば、ああ、そこでいい、とバーデはにっこりと笑った。
「ちょっと遠いと思うんですが、大丈夫ですか」
「おれは大丈夫だよ、でも、歩くのが遅くて少女に迷惑をかけるなあ、すまない」
杖を突きながら歩き出す男の、杖を持っていない方の手を見た。
「・・・あの、よければ手をお貸ししましょうか」
え、とバーデは声に反応したのだろう。彼女のほうをみたが、やはり少々位置がずれた視線を向ける。
「うーん。それはありがたいんだが、なにせ、俺は左半身が欠けてばかりで・・・。左腕もない。だから義手なんだが、あまりに人に見れせられるようなものじゃなくてな・・・あの子も、えっと誰かも、あまりよくないって言ってたし・・・」
だから、つまり、と言葉を探す男に、大丈夫です、と彼女は男を見上げた。
自分も背中に人には見せられないようなものがある。だから普段は、外套を羽織って隠していた。
とはいえ、あふれ出る魔力は制御できないので、近場の町に来るぐらいならば、外套をすることもない。
だからこそ、そうして気遣うバーデの気持ちもよくわかった。
でも彼女は、背中に人とは違うものがあっても受け入れてもらった。そしていろんな人が仲良くしてくれている。
その気持ちをうれしいと思うからこそ、ここでバーデを突き放したくはなかった。
「人は見た目じゃないと思います。あの、私も、人と違うところがあって・・・でも、受け入れられたことが、うれしかったので」
彼女もうまい言葉を見つけられないまま、それでもバーデに伝えれば、そうか、と明るい言葉が降ってきた。
「少女は素直でいい子だなあ。あの子にもそれぐらいの素直さがあってもいいのになあ。ありがとう、それじゃあ、頼む」
そしてバーデが差し出した左腕は、深い黒でできた、木の腕だった。
人形のように精巧にできた、けれど年輪のある木の腕に触れれば、すべすべとしていた。
きちんと指は普通の人間と遜色なく動く。
その技術の精巧さに、見とれていると、どうした?と気遣うような声が降ってきた。
彼女は慌ててこっちです、と手を引きながら、どうせ時間もあるし、とバーデに質問することにしてみた。
「木なのに、すごくきれいに動くんですね・・・」
「ああ、魔法だって、確か言ってたな。俺が軽いのがいいって言ったから、普通の人間の体より軽いものっていうと、木ぐらいしかなくて、軽さと丈夫さを兼ね備えるにはこの木しかないって、文句言っていたな、たしか・・・」
ざか、と歩きにくそうではあったが、バーデは片足と杖で歩くことにずいぶん慣れていた。
これならばすぐにつくだろう、と彼女はバーデを見上げた。
「ところで、あの子ってどんな子なんですか?」
んー、とバーデは正面を向いて、顔を緩めた。
「髪は、藍色で、瞳は空のような色をしている。少女より、背が低いかもしれないなあ。少女の頭はもう少し、この手の位置より上だろう?」
肩ほどの位置でバーデを導いていた彼女は、こくりとうなずき、しかしそれでは彼に伝わらないことに気づく。
「そ、そうです。手の位置が、肩ほどなので」
彼にはすべて話さねばならないのだと気づき、改めてバーデを見上げた。
「じゃあ、もう少し低いなあ。あいつはずいぶんと背が低くて小さいんだ。そしてとっても軽い」
自分より低いということは女の子なのだろう、と少女は思った。
「・・・家族なのですか」
自分にはいないからよくわからないけれど、そうなのだろうか、と問うと、どうだろうな、と彼は首を傾げた。
「血はつながっていない。おれはたくさんのものを守りたかったんだ。あの子も守りたかった。でも、おれは守れなかった。壊れてガラクタになった。使えなくて、どうしようもないおれを、あの子は助けてくれた」
でも、おれは助けてもらったことを、感謝できなかった、とまるで別人のことのように、バーデは口にした。
「悪夢のようだった。でも夢ではなくて、おれは生きたくなかった。でも死ぬ理由もなかった。思い出そうとすると思い出せるのに、現実味はまったくない。だからいらないと思っていたら、本当に思い出せなくなった。そんなおれに、あの子を家族と言えるかは、わからない」
詳しいことは何一つ語らないが、それでもバーデが凄惨な目にあってきたことは、その言葉尻からよくわかった。
もし、という思いが沸き上がらないかと言えば、彼女は嘘になる、と思った。
何かが間違っていたら、自分はバーデのようになる可能性があったのかもしれない。
明日になったら忘れるという。
そんな風に。
「少女は、ガラクタじゃないんだろう?直してくれる人がいたんだろう?だったら、それを大切にするんだぞ」
焦点の合わない笑顔が、彼女に向けられる。
「・・・バーデさんは、直してくれるひと、いないんですか」
いいやあ?とバーデは前を向いた。
「いるよ。でも、おれは直らなかったんだ」
壊れたままのほうが、楽だったからさ、と言う彼が、明るく話すのが、なんだか彼女にはさみしかった。
そんなこんなをしているうちに、人気のお店につく。
中に入るのは並んで難しそうだが、茶葉を買うだけならば、問題ないだろう、と彼女はバーデを振り返った。
「バーデさん、私、買ってきます」
そうか、頼む、というと、バーデは懐から貨幣を出した。
「袋をふたつ、買ってきてくれ」
はい、と言って、売店のほうにかけてゆく。
その後ろ姿に青い筋が伸びていることに気づいたバーデは、ようやく己の目が回復してきたと知る。
少女は、美しいプラチナブロンドをしていた。ワンピースのような、青を基調とした服の、背中には機械のようなものがむき出しなって埋まっているようだった。
そこから、翼のような青い光が走っていた。
「ああ、」
がらくたじゃない、という少女には悪いことをしたと、バーデは思った。
きっと彼女も、ガラクタ扱いをされたことがあるのだろうと、バーデはうっすらと理解した。
それでも太陽のもとで青い光を伸ばしながら歩くさまは、まるで別の生き物ように美しいと、バーデは目元を緩めた。
少し離れたところから少女を見ていると、店員と問答しながら、きちんと言われたとおりに買っていた。
そしてすぐに振り返って、こちらにかけてくる。
「バーデさん、買ってきました」
二つ、袋を差し出してくる少女から、一つだけを受け取って、バーデは笑顔を見せた。
「やさしい少女に、おれからのお礼だ。家へ帰って飲んでくれ」
少女は、バーデが難なく受け取ったことに目を見張った。
青い、空のように美しい瞳は、バーデが唯一思い出せるあの子に似ていた。
他は次の日になれば、すべてかすんでしまう。
けれど鮮やかな空の色だけは、それに付随した記憶さえも、思い出させてくれる。
「ようやく見えるようになった。少女は、あの子と同じ目をしているんだな。でも、あのこよりきれいだ」
ありがとう、助かった、とバーデは頭を下げると、少女に背を向ける。
「あの、バーデさんは、がらくたなんかじゃありません!」
その声に足を止め、首だけ振り返った。
「がらくたなひとは、こうして、お礼とか、してくれないです!」
その少女の言葉に、少しだけうれしくなって、バーデは笑った。
やはり明日、忘れてしまうのだろうけども。
それでも、うれしいものはうれしい、と無邪気に笑って、ありがとう、と手振る。
そして、ひょこひょこと歩き始めた。
足を壊してしまったことは、あの子に謝らねばならない。
さらに帰り方を忘れているのも問題だ。
どうやって帰ったらよかったのか、思い出せずにいる。
それでもなんだか久方ぶりによい気分で、バーデは顔を緩ませながら歩いていた。
「あ!バーデ!」
見つけた!と言う声に反応すると、ずかずかと目の前まで、赤い髪の男が近づいてきた。
青い瞳は、あの子に似ている。
「お前なー残って時間稼ぐのはいいけど、せめてニーナの召喚した魔物ぐらい連れてけよ・・・」
「えーっと、俺はどこに残って時間を稼いだんだ?ニーナ・・・・えっとえっと、あの子はお前についてなんか言ってたっけ・・・?」
忘れた、というと、赤い髪の男は慣れているように、いいからこっちだ、と町の外れを目指して歩き出した。
「アベルだ。とはいっても、お前はどうせ忘れるからいいんだ。オルハザルが大体の事情は説明してくれたし、計画自体に問題はないんだから、寄り道せずに帰ってこい。ニーナが心配してたぞ」
「心配とか、あの子がするのか・・・?」
アベルは嫌そうに顔をゆがめてから、お前に至ってはな、と付け加える。
「だいたい、お前のそれは狂ってるフリだろうが。ニーナが言った時しか認めやしないのも腹立つけどな、何よりあいつがお前に対して関心を寄せるのが気に食わない」
素直に吐き出すアベルに、狂ってるというのはどういう意味だったか、とバーデは思い返す。
「あ、そうだこれ。この町で人気だっていうお茶の茶葉。あの子にお土産」
手に持ったそれをアベルに渡すと、はー、と顔を抱えた。
「お前、ほんっと腹立つ・・・」
「そうか、すまん」
「よくわかってないのにとりあえず謝るな。変なもんまで連れてきやがって・・・」
何のことかわからないバーデが首を傾げると、いいんだ、とアベルは肩を落とした。
「ただ、オルハザルの言っていたことが正しく、またニーナの考えが当たったら、最悪なものが絡んできたことになるぞ」
はあ、と後ろ髪を掻くと、アベルは胸元から煙草を取り出した。
白く細いそれを口にくわえると、黙って魔法で火をつける。
そうして話すうち、町の中心からはどんどん遠ざかっていた。あまり大きくない町からでて、あたりが木に囲まれてくると、アベルは道から横へとそれた。
アベルは人気が完全になくなった場所で、足を止める。
煙草を指に挟むと、空中に火で文字を描いた。

「ぼくのことを気付いているのに、もう帰ってしまうの?」

ずいぶんと甘い声だった。
ばさり、と空からわざとらしい羽音立て、厄災が下りてくる。
黒い髪は、夜明けの前のようだ。ゆるくウェーブのかかった肩までの毛先だけが、明け方の空のように金色だ。
体は人間の男のそれだが、背中には黒い大きな翼。闇を塗りこめたような羽を持ちながら、頭の上には、砕けた宝石が円を描いて浮かんでいる。
瞳は、まるで翡翠の宝石のようだった。
怪しい光をたたえるその瞳は、まるで人を不幸にさせる力を持つ、逸話のついた石のようだ。
誰もが恐れるその姿は、言葉にできないほど美しい。
白い肌は、汚れもない陶磁器のようだ。
微笑まれれば、それがたとえどんな悪魔のささやきだとしてもうなずいてしまいそうな。
そんな、甘い顔をしている。
アベルは反射的に顔をしかめそうになりながら、無表情を作った。
黒い天使と見まがうような、その姿は、アベルとて知っている。
厄災を運ぶモノ。
不吉の眷属。
あるいは不幸の主。
「あーなんか見た・・・?ような気がする!でもあの子が言ってなかった・・・から、えっとえっと、邪魔もの?うーんと、とりあえずころ」
「うるさいぞ、お前が戦うとあいつが怒る。おまえは静かにしてろ」
アベルにそう言われたバーデは、なら仕方ないな、と体を一歩引く。
そうしてアベルは、目の前のものと向かい合った。
まさか伝説になっている不幸の主と相対するとは思っていなかった。
長く生きてみるものだと思っていると、目の前の黒い厄災は、わずかに首を傾げる。
「君は話が通じるのかい?」
アベルのことをさしているのだと気づき、向こうもどうやらむやみに襲ってくるわけではないと知る。
「はい。どうやらうちの狂人があなたにご迷惑をおかけしたようで、非礼をお詫びします」
ふうん、と黒い不吉は納得したようなそぶりを見せる。
けれど、この存在が目の前に来たことで、アベルは一気に不安になった。
今の計画が、むしろ失敗に終わるではないかと、そんな気さえする。
だから落札して終わりにしてしまえばよかったのに、とアベルが思っていると、目の前の幻想のような生き物は、じゃあ、とやさしく笑った。

「君たちの意図を、みせて、おくれ――」

そう言った瞬間、アベルとバーデにかけられていた魔法が発動した。
それは黒い天使の視界を揺るがした。
(なんだ・・・これ・・・)
光の線がいくつもある。それはいい。
問題は、二人の男の中にあった二人の共通する未来。
空色の瞳の少年が、ふてくされたようにベットに横になっている。その少年の強い瞳が、男たちを通して、たしかに、黒い天使を捕らえた。
『・・・見つけた』
ゆっくりと少年の口がそう動いた。
その瞬間、ザザ、とノイズがかかったように、見ていた未来が切り替わった。
赤い目。美しい横顔。
次第にはっきりとする映像は黒い天使がよく知る商人と、空色の目をした少年が向かい合って会話する映像へと切り替わった。
(なんだ!?)
何が起こったのかわからずに呆然とする黒い天使を前に、アベルは眉根を寄せた。
「・・・バーデも反応したってことは、つまり・・・」
ぼそりとつぶやいたその言葉に黒い天使が我に返るより前に、アベルは魔法を発動させていた。
ぎいいと両開きのドアが、二人の姿を飲み込み、ばたんと閉じる。
そしてすぐにドアは木々の影に飲み込まれていき、黒い天使は一人、その場に取り残される。
水晶を渡したあの子の未来は、とくに不安する要素はなかった。バーデという男との縁はだいぶ薄れている。
まあ、あんまりにも無防備で心配にはなったので、彼女が身を寄せる家の友人に忠告ぐらいはしておこう、と決意する。
それ自体は、喜ばしいことだった。
だが、問題も生じていた。
「・・・未来が、変わった・・・」
それ自体はさしたる問題ではなかった。
問題は、おそらくあの少年によって、半強制的に替えられたということだ。
(いや、今はそれどころじゃない。とにかくこの問題については、あとだ)
金色の勇者の協力で、彼の勇者は今、囚われの友人の様子を見に行ってくれるはずだった。
すぐにそちらに向かおう、と黒い天使は上空に舞い上がる。
呑気に囚われている友人に思いつく限り文句を言ってやらねば気が済まないと、彼は息を吐いた。



「う、あ・・・」
痛みにうめいて目を覚ますと、見知らぬ天井が視界に映った。木目の天井は薄暗く、自分が普段、寝起きするための貴族の屋敷ではなかった。
「起きたのかい、オルハザル」
舌足らずな声に呼ばれて、顔だけを傾ける。
そこには、小さな少年が立っていた。
「勇者、さま・・・」
小さな、そして恐ろしい勇者。
無造作に伸びた紺の髪の間からのぞく空色の瞳は、よく晴れた日の彼の故郷の空に似ていた。
「ぼくをそうやって呼ぶのは、今日が最後だよ。君も晴れて今日から勇者なのだから」
ゆうしゃ、とオルハザルは口にして、小さく息を吐く。
勇者と言われて思い出すのは、屋敷に監禁したままの、片腕を奪った青年のことだった。
すまないと思った。
ひどいことをしていると、そう思っていた。
けれど、あのおかしな勇者は、自分にできることはないかと言ってくる。
(この方とは、えらい違いだ・・・)
小さな勇者はオルハザルの腕を持ち上げ、異常はないかと検分していた。
この少年を恐ろしいと責めるのは筋違いだと、オルハザルは理解していた。
この勇者に、心を壊してほしいと願ったのはオルハザルだ。
そして少年は、『壊してしまえば二度と戻らない』と言いながら、オルハザルの心を壊してくれた。
恐ろしいことをさせているのはすべてオルハザルの望みであり、少年はその願いを取引してかなえてくれているに過ぎない。
「・・・俺の戯言に、お付き合いいただいて、ありがとうございます」
かすれた声でそう伝えれば、少年は無表情なまま、オルハザルに顔を向けた。
「・・・何事かと、思ったけどね。魔法に心得がありながら、自分を勇者にしてくれと、しかもぼくに人体実験を願うなんて」
はは、とオルハザルは当時の己を思い出して笑った。
図書の国に住む勇者は、どんなものでも、狂気的でも、受け入れてくれると聞いた。
オルハザルは、これしかないと思っていた。
だから、図書の国にきて勇者に頼み込んだ。
自分を、勇者にしてくれと。
「人為的に勇者を作り出す、という実験は、ぼくも経験した身だからできたんだよ。『聖女オルハザル』・・・彼女が勇者だったのではないかという説は、ぼくも知っていた」
まさか幽霊として残っているとは思わなかったけれど、と少年はオルハザルの腕をベッドへと横たえた。
「君の体には、実体を持たないオルハザルの魂としての核と、『本物のオルハザルの右腕』、あとは彼女が残した呼び笛を埋め込んだ。できるだけ聖性をあげ、彼女に近づけるという方法をとった」
だからこそ、と少年は淡々と語った。
「君は、彼女に侵食されていく可能性がある。もちろん、彼女自身も意図するところではないだろうが、君は彼女に乗っ取られる可能性も、頭に入れておいてくれ」
はい、とうなずいて、鈍い痛みが漂う己の体を感じる。
むしろオルハザルの意識など早くなくなってくれれば、きっとこんな思いをせずに済むのだろう。
そう思えば、壊れた心でも明け渡してしまいたいと、彼は思った。
「・・・結局、彼女は勇者だったんですか」
ぎし、と少年はベッドの端に座り、青い瞳をオルハザルに向けた。
「答えはイエスだ」
瞳が明るい色へと変わり、ぼんやりと底光りする。
それはこの勇者が魔法を使っている証だった。
ぱき、ぱき、と小気味良い音を立てて、青い液体が、ぶわあと少年の背後に広がった。
「彼女は、勇者だった。ただし、彼女の従えていたものは、ただの竜じゃない」
水のようなそれは、きらきらと反射して空中を舞った。光を受けては、うねり、ただよう美しい青に、オルハザルはしばし見とれた。
「彼女は魔王を従えていたんだよ。そんな力を持っていた彼女は平和を作り出していたんだ。だってそうだろう?魔王を従えた勇者なんて、魔王からしても恐ろしいに決まっている。彼女は呼び寄せた厄災を、彼女自身で振り払っていたんだよ」
水は、別れては集まった。塊は空気を含み、白と混ざり合い、鮮やかなグラデーションを作る。
その、夢のような光景に。
オルハザルは目が熱くなった。
ほた、と抑えきれない感動が、瞼からあふれて頬を濡らした。
どうしようもなく美して、ただたださみしかった。
きっと自分はもう二度と、この光景を目にすることはないのだろう、と。
そう思うからこそ余計に。
「・・・う」
何もかも戻ることはない。
失って、奪って、変わってしまった。
だから、無性に寂しかった。
「・・・ドラゴンは、己が魔王であったことも、自分の世界も忘れ、彼女の遺体を守った。あのドラゴン、ろくに人語も話せなかったそうじゃないか」
彼女の遺体は、きれいに直され、魔法によって朽ちることなく存在し続けた。
魔王であったという彼女につかえたドラゴンは、己の力のすべてをそれに注ぎ、永遠に彼女と共にいることを選んだ。
だが、変わらないものなどない。
ドラゴンの力が弱り、町の人間は、彼女の美しい朽ちない右手を奪った。
彼にだけ届く、彼女の悲鳴とともに。
「彼女は気づいていたんでしょうか」
流れる涙は止まらないまま、彼は少年に問う。
少年は作り出した水中に浮かぶ液体を眺めて、どうだろう、とつぶやいた。
「少なくとも、己が魔王を引き寄せていることぐらいは気づいたんだろう。勇者はそういうものだ。だから多くの勇者は旅をし、世界を巡り、魔王を引き離す。それか、こうして一国の中核を担い、すべての敵を迎え撃って皆殺しにするだけの力を持たねばならない」
どちらがいいとは、一概には言えない、と少年はつぶやいた。
「・・・俺も、そうなるんですね」
ぶくぶく、と液体の中で逃げていく気泡に目を向けていれば、少年は変わらない表情から、すこしだけ憐みのようなものを見せた。
それは勇者と言う位置に先に立ったものの、やさしさだったのかもしれなかった。
「・・・君、やることやらずに、ここで生きることを選びなよ」
おまえの目的は捨てろ、と小さな勇者は言う。
「ぼくの庇護下に入って、ぼくのために動け。君にはあらゆる叡智を授けよう」
ここにいれば、君の願いによって壊したものも、そのうち治せる、と彼はつぶやいた。
それはとても魅力的な提案だった。
正直、つらい。
活動しやすいから、と非合法の犯罪組織に入ったが、犯罪に手を染めるのはあまり性に合わない。
力はあっても、奪うことも、悲鳴も、気分がよくない。
けれど。
「いいえ」
と、オルハザルはその申し出を断った。
「俺は、勇者になりたかったんじゃない。目的は勇者になることではなかったんです」
ただ、その名と力が必要だから、あなたに願っただけで、とオルハザルは少年を見上げる。
「目的は、俺の故郷を、破壊することだった。完膚なきまでに。二度と同じようなことができないように。あんな、親元から引き離されて、商品として扱われるような、あんなことは、するべきではないと、」
俺は思いました。
と、濡れた目で、少年を見上げる。
ぶく、と空中の水は踊り、光が瞬いた。反射して、ゆっくりとうねる。
「別に、友人がかどわされたとか、そんな大層な理由があったわけでありません。俺は確かに、あの故郷が憎かった。聖女と言われた彼女の嘆きを聞いていたのも本当ですが、俺はただ、気に食わなかった」
誰も、俺を救ってくれなかったから、と、言えば、少年は手の見えない長い袖で、オルハザルの涙を拭った。
無表情に見下ろして、そうか、とつぶやく。
その慣れないことをするような動作に、オルハザルは目元を緩めた。
「でも、俺は救われなくてよかったと思っています。あなたに出会えました」
少年は首を傾げた。
きっと、オルハザルにできることがあるか、と尋ねるあの青年は理解できないだろう。
「ぼくは君の心を壊し、人工的に勇者にするという、人体実験まで行ったのに?君は、体が動かないほどの痛みと負担を負ったのに?」
はい、とオルハザルは微笑む。
体はろくに動きはしないけれど。
それでも良い気分なことに変わりはない。
「俺の望みは、すべてあなたが叶えてくれた。願っていました、いつか、俺のこのひどい望みを叶えてくれる悪魔は現れないかと」
ぼくは悪魔だね、という少年に、はい、とオルハザルはうなずいた。
「あなたは、化け物のようです」
「ああ、よく言われる」
相変わらず無表情な少年に、オルハザルは笑った。
たしかに、本当に、化け物のようなのだ。
どうなるか、考えもしない。
あの善き勇者のように、助かる術があるだろうと諭しもしない。
別の可能性があっただろうと、そんなことは絶対に口にしない。
でもだからこそ。

「あなたは、俺の救世主です」

そう、かけ値なく心の底から言える。
少年は理解できないというように、首を傾げた。
それでいいのだと、オルハザルは思う。
「心を壊してほしいと願ったとき、あなたは俺に言いました。『心を壊してしまえば二度と戻らない』と」
言ったね、と少年は肯定した。
ぼこり、と背後で気泡が膨らむ。
「そして『お前が進む道がどうであれ、人間はみんな破滅に向かうしかない。待っているのは死だけなのだから、君は先へ進んで、みんなと同様に死ね』とも言いました」
気泡を含んだ液体は、光にきらきらと反射した。その中に光ごと包んでいるようなそれは美しくて、オルハザルは目を細める。
「言ったかな・・・だが、君はもう、死ねない体になった。後戻りをする道もいらないという」
はい、とオルハザルはうなずいて、重たい腕を持ち上げた。
びりびりと震えながら持ち上げた手を、詠唱もなく少年の魔法が支える。彼はそのまま少年の手を握ると、願った。
「俺を、先に進ませてください。あなたの計略で」
ぼご、と少年の背後で、白い気泡が液体から出ていった。
「・・・君が聖女の腕の代わりにするために捕まえたのはどうする」
片腕を引きちぎった青年を思い出して、どうしましょうね、と苦笑した。
「組織は、勇者の四肢すべてを売りに出すようですが」
「そういう好事家もいるんだな。いいよ、君の願いを、最後まで聞いてやろう」
どうしたい、という言葉に、オルハザルは、目を伏せた。
「・・・機会があれば、逃がそうと思います」
本当は、その体を奪って勇者となることも考えてはいた。
けれどもう疑似的とはいえ、勇者となってしまった以上、その必要もない。
少年は責めることなく、わかった、と頷いた。
そしてオルハザルから視線を外し、魔法でかちゃかちゃとお茶の用意をする。
「・・・あなたは、俺を責めませんね」
むしろそこが救いとなっているが、なぜかと問うてみた。
少年は、ちらりとオルハザルを見た後、魔法でカップの中にお茶を入れる。そしてこちらに持ってくる途中で、空中を漂っていた青い液体を、少しそのカップに少し入れた。
「ぼくは『どうしてあなたはそんなに本を読むんですか』という質問ほど、煩わしいものはないと思っている」
魔法でカップを近くに持ってきた少年は、起き上れるか、とオルハザルに尋ねた。
オルハザルが身を起そうとすれば、詠唱もなく魔法で手助けをする。
「読みたいから読んでいる。そこには理由も何も存在しない。ぼくがそういう生き物だからだといえば済む」
カップを手渡した少年は、それを飲んだら帰るんだよ、とつぶやいた。
カップを受け取ったオルハザルは、中身を見下ろして首を傾げた。
「・・・これは?」
「君との取引のための、契約印だ。ベリー味にしといた」
オルハザルは、ふ、と相好を崩した。
ありがとうございます、と言って飲み干す。ごくり、と喉を鳴らせば、体の痛みは消えていた。
「残念です、もし、があったなら、俺はあなたに忠誠を誓ったのに」
そう言って、オルハザルは立ち上がった。
きっと、もしがあったら、会ってはいないだろうけれど。
それでも、この少年の庇護下に入りたいと思った。
がちゃ、とオルハザルがベッドの端に座っていると、ドアが開いて、男が一人やってきた。
白髪の頭に包帯を巻いた男は、にこやかに笑った。
「ニーナ」
と、手を広げる男に無言で少年は地面から足を離して浮かんだ。
少年は男に近づいて顔を覗き込むと、目を輝かせた。
そして振り返り、オルハザル、と名を呼んだ。
「君が見たのは、本当にあの不吉の象徴の、黒い天使なのかい」
はい、と頷くと、ニーナは顔をゆがめた。
「ああ、ああ。本当に、久しぶりに感情が動いた。これは、何というんだろう。まさか、本当に、こんなものが存在するなんて、ああ」
オルハザルは、何があったのですか、と尋ねた。
白髪の男はニーナの背を軽くたたいて抱き寄せる。
少年は、泣きそうな顔をしていた。大きな目を揺らめかして、声を絞り出す。
「僕は、未来をみるために、未来の可能性として一つの道筋を魔法で組み込んでおいた。これが魔法で反応したのなら、未来を見える存在がいることになる。その仮説を証明するために、魔法を、バーデに組み込んでおいた」
存在した、と震える声でつぶやく少年は、まるで救いが得られたようだった。
「これで、時間軸に干渉できるかもしれない」
きっとニーナもすべきことがあるのだろう、とオルハザルは首を垂れた。
「いつかあなたの、その大成を、目にすることができたらよかったです」
オルハザル、と呼びかけた声に、顔を上げる。
気が付けば、ニーナは自分より高い位置にいた。そしてすぐそばでオルハザルを見下ろしている。
「・・・君は素晴らしいものをくれた。約束しよう」

ぼくの計略で、君を必ず殺してあげる。

幼い少年が、やさしく微笑んだ。
正しく受け取って、舌足らずに言った言葉に、オルハザルは破顔した。



ぎい、と彼が牢のある部屋のドアを開けると、カイは「おっ飯か~」と上機嫌に呟いた。
「今日はなんや?」
サングラス越しに目を輝かせる青年に苦笑して、オルハザルは、飯はないよ、とつぶやいた。
代わりに、彼の荷物と、牢屋の鍵を、鉄格子の隙間から投げ入れた。がしゃん、と落ちた鍵を呆然とした目で眺め、カイはゆっくりと顔を上げる。
「・・・どういうことや、何してるん」
「俺の独断だ。バレたら殺されてしまうかもな」
ふざけるなと言いたげに目を吊り上げる彼に、オルハザルは笑った。
その表情豊かな顔を見るのも今日で最後かと思うと、一抹の寂しさがあった。
けれど、何もかも今日で終わりだと思えば、気分もよくなる。
「お前の腕は、これから『聖女オルハザルの右腕』として、競売にかけられる。存分に装飾品のついた観賞用の腕だ」
もしお前が取り戻せたなら、その装飾は売ると良い、と淡々と彼は告げる。
「ちょお待て!いきなりどないしたんや!」
「タイムリミットだ」
緑のフードをかぶり、彼はドアを眺めた。
ドアの向こう、オークション会場では、招かれざる客がたくさんいることだろう。
「今日、大量の魔王と勇者がここに押し寄せてくる。あの翡翠の勇者も、あの人の計略とは別に動いているからな・・・。うっかりこの部屋の鍵をかけ忘れた俺は、この後呼ばれて戦ってくる」
「待たんかい!オルハザル!!」
カイの叫びに、ようやく目を向けたオルハザルは、無表情に青年に目を向けた。
何を言っているんだという、すがるような目に、彼は少しだけ眉根を寄せる。
そのカイの表情が少しだけ痛ましくて、見ていたくはないと、そう思ってしまった。
「た、大量の魔王て・・・どういうことや、君、大丈夫なんか」
オルハザルは、暗い瞳をカイに向けた。カイの驚きに見開かれた目を見て、何を思ったのか、小さく首を傾げた。
時間はまだあるし、いいか、と彼は小さく息を吐く。
「俺の故郷では、人身売買をしていたと、貧しい家の子供を魔法使いにして売っていたと言ったな」
俺は、故郷で一番魔力が強かった、だが、売り物にならなかったんだ、とオルハザルは、左腕をまくった。
その左腕を見て、カイは顔をひきつらせた。
「母親は、身寄りのない哀れな女だった。よくある話だが、俺の母親は町の金持ちの愛人になって、俺を生んだんだ。そこの正妻は旦那との間に子供がいなかったから、俺に呪いをかけてな」
その左腕には鉱石が浮かび上がっていた。まるでガラスの欠片のような紺色の石がところどころに浮かび上がっている。
カイは絶句して、言葉をなくした。
それどころではない。
その腕には、無数の傷跡が大量に残っていた。
「正妻は売り物にしたかったらしいが、俺の親父は後継者にしたかったようだ。毎日正妻に拷問みたいなことをされながら、親父にかろうじて生かされる」
そんなことの繰り返しで、とオルハザルは淡々と口にした。
「呪いによってできたこの石は、夜になると成長する。ある程度大きくなったものを体から抉り出して加工すると美しい宝石になるんだぞ」
その言葉の端々から、オルハザルが実際に経験したことだと察したカイは、さっと青ざめた。
その様子を見てから、彼は自分の腕に視線を落とした。
「・・・だから、お前の左腕をもらう予定だったんだ」
ぽつりとつぶやいた言葉に、待ってや、とカイは声を上げた。
「あんな、俺、」
「お前が本物でないことは知っている」
困惑したような声を遮ると、カイはまた目を丸くした。
「それでも、少しの間でよかったし、あるいは、お前の体を乗っ取ってしまうつもりだった」
でも、もうそれも必要ないから、とオルハザルは息を吐いた。
「俺の体が目当て・・・」
呆然としているから、思ったままにつぶやいただろうカイの言葉に、オルハザルは苦笑した。
それではまるで、付き合っていた女の別れ話のようである。
「組織を使って、故郷をめちゃくちゃにするためには、動かすためだけの理由が必要だ。それが彼女の右腕。いかにもで好事家には受けがいい。組織のやつらに、その右腕があれば俺を勇者にできるとささやいたら、スポンサーには代理のものを与えてしまえば良いと提案した」
だから俺は、女神の信託を受けながら、本物ではないお前の体がほしかった、とオルハザルは告げた。
「・・・知ってたんか」
苦々しい顔をするカイに、推測だ、と告げる。
「お前のほかに、俺は信託を受けた、本物の勇者を知っている。まあ、あくまで推測でしかないから、詳しいことは分からないけど。その推測をすべてしたのも俺じゃないから」
俺はもう、お前に用はない、とオルハザルは笑った。
カイはぎり、と歯をかみしめて、せやったら、と立ち上がった。
「オルハザル、お前も逃げたらええ!もう、お前の目的はええんやろ!?」
その言葉に、オルハザルは眉尻を下げた。
困ったような顔をして笑うその顔に、カイは拒絶されたような気がした。
「それは、できない」
「なんで」
オルハザルは暗い瞳を緩め、大切なことを思い出すように、目を伏せた。
これから魔王と相対するというのに、まるで幸福そうなその表情が、カイには理解できなかった。
「俺は、世界に救いはないのだと思っていた」
「そんなん、いくらだってある!」
「俺は、ずっとずっと、」

「みんなと同じように、死にたかった」

泣きそうに笑うその顔が、この男の本心でしかないと知って、カイは愕然とした。
次の言葉を探すものの、かける言葉が出てこない。
「呪いのせいで、化け物だと言われた。俺に優しい彼女は、幽霊だった。みんなには見えなかった」
俺はこの世界でただ一人。
「盛大に間違った、ヒトのカタチをした、バケモノみたいだった」
その言葉に、カイは今度こそ言葉を失った。
「どれだけ痛めつけられても、俺は死なない。そのたびに、俺は人ではないような気がした。死にたかった。地獄のような毎日からの、終わりを願った」
そこから逃げ出しても、俺はやっぱりヒトのカタチをした、化け物だった。
「みんな、俺より弱かった。ヒトは弱くて弱かった。ならば、本当に怪物になってしまえと願った」
皮肉なことに、とオルハザルは微笑んだ。
「俺はハクをつけるために勇者になることを目指したが、そのための知識と技術がなかった。そしてそれをすべて持つ魔法使いに出会ったとき、俺は己が化け物ではないと思えた」
あの人こそ、正真正銘の化け物だった、とオルハザルはにこやかに口にした。
「そしてあの人は言った。『ヒトはみんな破滅に向かう。だからお前も同様に死ね』と」
俺は、人だったよ、カイ、とオルハザルはかすれた声でつぶやいた。
言葉もなく彼を見つめるカイを見たオルハザルは、やはり優しく笑う。
「そんな顔するな、お前は本当に」
「すまん」
すまん、とカイは残った片手で顔を覆った。
「もう、お前を止められる言葉が、思いつかん・・・」
震える言葉に、この善き勇者の道筋が明るいものであることを願った。
久方ぶりに、彼の壊れた心が悲鳴を上げる。
「・・・俺は、先に進むから」
ずいぶん先で、また会えたらいいな、とオルハザルは、ドアに向かった。
どさり、とカイが床に膝をついた。
オルハザルはドアを閉めないまま、廊下に出る。
ちょうどそのとき、ドーン、と屋敷全体を揺らすような音が響いた。


ときは遡り、少し前。
翡翠の手引きで、黒い天使は、とあるパーティ会場にいた。
(うわ、赤目の商人、あの子も連れてる。うわ、あれ勇者だ。うわ、アベルとかいうのまでいる・・・)
と、非常に顔見知りが多いパーティで、黒い天使は壁に立ち、こっそりと時間が来るのを待っていた。
正直、少しでも歩き回ろうものなら、顔見知りにばかすか会ってしまうにちがいなかった。
いつもの大きな羽をしまい、黒い礼服に身を包み、仮面までかぶって変装したというのに、その変装が全く無意味になってしまう。
それだけはしてなるものかと、彼は必至で気配を殺していた。
(まあ、たぶん、これだけ色々いるってことは、何かしらの動きがあるだろう)
今すぐにでも囚われているであろう友人のもとに行きたい気分だったが、金色の髪の少年の情報によれば、今日出品されるという『聖女の右腕』は、おそらく彼のものだという。
それだけは回収せねばならないし、どうしたものかと考えていたところに、勘で来たという翡翠に出会った。
翡翠によると、今日、何かしらの動きがあるらしいという話なので、おそらく勘に違いなかったが、何しろ彼の勘はよく当たるので、潜入して回収するのが妥当だと考えた。
正直、あのオルハザルとかいう勇者のせいか、魔法の結界と罠による対策は万全だった。それが今日になれば解除されていることを考えれば、何かが起こるのは間違いない。
パーティ会場に翡翠も潜入するというので、こっそり入れてもらった災だが、入って早々、翡翠から離れた。
(なんなんだろうな、あの人のモテ率・・・)
翡翠とて仮面をしているというのに、そして変装のためか、長く青い髪をひとまとめにして黒い礼服を着ているだけだというのに、なぜかえらく注目を浴びていた。
勇者も伝説級になると、ああして注目を浴びるのだろうか。翡翠にはかわいそうだが、好意の視線は男女問わないあたり、きっと勇者特有の何かを放っているに違いない、と災は思った。
(それにしても)
災は目当ての商品を視界にとらえ、仮面の奥の緑の目を細めた。
指輪や、様々なネックレスやら、装飾品の飾られた腕は、もはや芸術品のようだった。
しかし武骨なそれは明らかに女性のそれではない。ごまかすためのものでもあるだろうが、まるで見世物にされている腕が、気に食わなかった。
他にも会場中では、銀の鳥かごに、少年や少女たちが着飾らせて入れられている。
人形のように意志のないその瞳は、何らかの魔法を受けていると、一目でわかった。
名前も知らない誰かの子供など、哀れにこそ思いもすれ、自ら手助けしようとは思わない。だが、この会場はずいぶん居心地が悪かった。
おそらく、何かが間違えば、青い羽を持つあの子だって、ここにいた可能性がある。
そう思うと、災はたまらなく顔が歪みそうになった。
だが、災はそうは思っても、多くの人間たちが楽しそうに談笑していた。
人間というものは、知能が発達している分、同種をさらしている中で笑えもするのだから、ひどく恐ろしい生き物だった。
(ぼくだったら、天使がそんなことをされたら、笑えないけどな・・・)
などと思っていると、ドーンと扉が吹っ飛んでいった。
(え、えええええー)
今見たものは見間違いかと災が思っていると、ばき、とホールの入り口の壁を、黒い手がめり込ませながらつかんだ。
ぬう、と顔を出したのは、にい、と白い歯をのぞかせて無邪気に笑う、鬼。
(ア、アアアアーアレシッテル!やばいやつ!)
言葉もなく固まっていると、肌の浅黒い鬼は、赤い目を愉悦に歪めた。
「ずいぶん楽しそうなことをしているなあ???」
楽しそうに笑う鬼は、手始めにテーブルをひっくり返し、勇者はどこだああー!と叫びながら暴れ始めた。
(ウワ・・・最悪・・・さっさとカイの腕回収して、カイ連れて逃げよ・・・)
青ざめた災は余計なことに巻き込まれるまい、と算段を立てた。
これはおそらく誰かの計画だ。
その上ならば、自分は顔見知りもいることだし、派手に立ち回らないほうが良い、と即座に判断した。
素早く視線を巡らせると、空気を替えて鬼を見る翡翠の姿が見える。
状況を判断しているようだが、あんな殺気と闘気では、あの戦いの王に目をつけられかねないだろう。
(ウワーやる気だ・・・絶対やる気だ・・・)
あとで感想でも聞くか、と災は動き出す。
腕は奥のほうへと回収されているのが見えた。
わからなくなる前に回収せねば、とパニックを起こして逃げ惑う人の列を走る。
と、その時、気を付けていたつもりだったが、どん、と誰かにぶつかった。
「あ、すいませ・・・」
相手がこちらに視線を向けて、言葉を止める。
(ウワー・・・最悪・・・)
赤髪に青い目の、アベルとかいう男だった。
また何かが発動してはたまらない。彼の主たる存在が気にはなったが、すぐにいえ、こちらこそすいませんと言って離れた。
ばれなかっただろうか、とどきどきしながら腕のあとを追う。
一応人間の振りはしているし、あの時は翼があったし、あの男はずいぶんと聖界での災に詳しいようだったから、大丈夫だろうと思っておくことにした。
舞台裏に身を滑り込ませば、ずいぶんと血塗られた惨状が広がっていた。
赤い液体が廊下を鮮やかに彩っている。壁に飛び跳ねる血しぶきのあとと、倒れる人はどれも客人のものではない。
これは完璧に作戦ありきの行動だな、と慎重に歩いていると、カイがいると思しき部屋の近くで、緑のフードの男に出会った。
「・・・おや」
ぎゅん、と視界に光の線が漂う。
未来、過去と見えた男の時間に、災は顔をゆがめた。
そして全くするつもりはなかったというのに、忍ばせていた剣を男に突きつけた。
「あなたは、閉じ込められている男でも迎えに来たんですか」
その言葉にすら反応できなかった。何か少しでも動けば、彼は自分が目の前の男を殺してしまいそうな気がした。
だからこそ、ぎり、と歯を食いしばり、災は男をにらみつける。
殺気だった災に男は軽く肩をすくめた。
「ああ、こわい。ここはひとつ、俺と取引しませんか」
緑のフードをかぶった男の影が、闇よりも深くなった。
そこからずるり、と現実に侵食してきた血の気の悪い、緑の腕がガラスケースを男に差し出す。
「この腕、あなたにお渡しするので、ここは見逃してくれませんか。あなたが来ることは、あの人の計略にはないはずなんです。俺は、あの人の計略によって殺されたいので、困るんですよね」
影から出てきた巨大な手からガラスケースを受け取った緑フードは、にこりと笑った。
「・・・あれだけ、あの勇者に諭されて、そして傷つけておきながら、お前はそんなことを言うのか」
さっきまで交わされていた会話も、災は見たからよくわかる。
カイはとても傷ついた。
わけのわからない理由で腕をとった相手を助けようとする。
そう言う馬鹿なやつだけど、だからこそ、この男の絶望が腹立たしい。
「死ぬにも理由がいるんです。ましてや俺はもう、勇者ですから」
あの人がくれた理由を抱えて、俺は死にたい、と断言する男に、災は剣を下げた。
すると、男は笑って、歩き出す。
そしてすれ違いざまに、芸術品のような腕の入ったガラスケースを渡した。
歩き去る男に目をくれることもせずに、ガラスケースを受け取る。
無駄だ、あの男は救われる気がない、と眉根を寄せながら立ち尽くしていると、ぎい、とドアが開いた。
「あれ、ウィル・・・?」
ぐす、と泣いているらしい中から出てきた青年は、仮面をして人の姿をしている災にすぐに気づいた。
災は唖然として、片腕のない青年を見つめる。
ぼたぼたと目から涙をこぼしながらもその目に光を宿していた。
「なんでこないなとこに・・・いや、それより緑のフードの男を知らへ」
「この、ばかー!!!」
災は反射的にそう叫び、片手で彼の肩をつかんだ。
「ほんとに、君、四肢ぜんぶ亡くすところだったんだぞ!?わかってるのか!?他人より自分をみろ!!」
「なんや、心配してくれるんか」
やさしいなあ、と腫らした目で笑うカイが痛々しかった。
「心配してない!!!たまたまだし!!ぜっぜん心配してない!!君のことなんか!これっぽっちも!!」
全力で否定しながら、他人に心を砕く姿を見るたび、やめてしまえと災は思う。
傷ついて、それでも立ち上がって。
何度でも、この男は立ち向かってゆくのだろう。
それが、痛々しくて、見ていられない。
「まあ、腕一本なくなったかて、俺は死なんし、世界も終わらん。大丈夫や、なんとかなるって」
僕の世界が終わりそうだ、と災は静かに項垂れる。
「馬鹿じゃないのか、剣すら握れなくなるのに。凡人以下ちょんちょんの君が、さらにハンデ背負ってどうするんだ。ばか」
せやなあ、と和やかに笑うカイを不満げににらむ。
とはいえ、本当に今回は自分が間に合ってよかったと災は小さく息を吐いた。
ほら、とガラスケースを見せると、カイはおお、と顔を輝かせた。
「俺の腕や!!」
「感謝してよね、ほんとにもう・・・」
ありがとう、と嬉しそうに笑うその顔を見ていると、本当に動いてよかったと今回ばかりは思う災だった。
「じゃあ、すまんけど、俺の腕もっててくれんか。俺、助けに行かんとあかんやつができてもーてん」
ばかやろう、という言葉を飲み込んで、この男の切り替えのはやさに言葉を失う災だった。
さっきまでは泣いていただろうに、この行動力と切り替えの早さは、見習うべきかもしれないと、災は呆れを通してそんなことを思う。
どうやっても無駄なのだ。
あの男は、あれであれなりに救われている。
少なくとも本人はそう思っているし。
(契約が果たされれば彼は・・・)
取引した勇者の契約は、真に彼を救うだろう。
しかしそれらを説明するわけにはいかず、うーん、とうなっていると。
「あの勇者なら、別の勇者に捕まっていた。『餓狼の勇者』と呼ばれるものだ。ひどい扱いはされないだろう」
かつん、と黒いスーツの男がけだるげにネクタイを緩めながら、二人の前に姿を現した。
仮面はしていない中性的な顔は、高潔さが漂う凛々しい顔をしていた。
青く長い髪を後ろで一つに束ねていたが、すでにとってしまったらしい。
「はーえらい美人さんやなあ・・・」
その言葉は、翡翠の瞳をした勇者の心を突き刺したに違いなかった。
うっと動きを止める翡翠に同情しつつ、君、離脱したのかい、と災は訪ねた。
「なんのかんのと叫んでいたが、計画的なものだろう。子供たちは魔王が助けていた。あとでオルハザルの町の子供は引き取って、町まで送り届けようと思う」
そうか、と返しつつ、あの子供たちが助かることに、災は少々ほっとしていた。
「で、その腕は本当に『聖女の右腕』ではないのか」
どうやら改めて確認しに来たらしいと知って、災は仮面を外した。
「しつこいな。どう見ても女のものじゃないだろう」
「あ、すんません。俺のですぅ」
傍らにいたカイがぺこりと頭を下げて、右腕を見せると、ふむ、と翡翠は頷いた。
「女神の遺恨ならば壊すつもりだったが、そうでないのなら用はないな。失礼する」
すぐに背を向ける秀麗な男に、災はその背に一つだけ忠告を投げつけた。
「君、今の格好、けっこうエロいから気をつけろよ。あとで今日の感想聞かせてくれ」
歩き去る男は、顔だけを災に向けて、ぎろりとにらんだ。
今日一日で相当な目にあったに違いない。これは後日談が楽しみだと、災は手を振った。
「えらい美人さんと知り合いなんやな・・・」
なぜか感心を向ける傍らのカイに、災は無言になった。
(男だし、あれは伝説の勇者だけど、いいや、とりあえず)
友人は無事だったことだし、と災はカイにガラスケースを渡した。
「え、あの」
「君のでしょ、いいから、面倒なことになる前に離れるよ」
災が血塗れた廊下の窓を開くと、簡単に開いた。
彼はよっこいしょ、とカイを横抱きにすると、窓枠に足をかける。
二階分ほどしかない高さに、少々低いかもしれないと目測した。広がる夜空は、満点の星空が広がっている。
「ちょ、ちょおまって、ウィル、やな予感がするんねやけど」
「捕まってなよ」
と、災はカイの言葉をすべて無視して飛び降りた。
「ぎゃああああ」
色気のない悲鳴にくすりと笑って、使っていた魔法を解く。
ぼき、ばき、と背から生えてくる黒い翼をはためかせて、災は縋りついてくる友人を助けることができてよかったと、小さく笑った。
そしてとある犯罪組織が壊滅になった会場で、黒い翼の不吉な天使の姿が目撃されたと噂になった。
その腕に誰かを抱いて連れ去ったのだという噂は、人々によって語られ、当の抱えられた本人は、耳に入れた後に顔を覆った。

闇オークション side災編

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闇オークション side災編

ムゲンWARSの派生。闇オークションを見ているとより楽しいです。 ムゲンWARSについてはどうぞお調べください。

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-09-12

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