ウィスパー寄稿文店主の憂鬱

 我がウィスパー寄稿文店では、奇想天外、摩訶不思議な体験を一律:100ポンドで購入しております。
 ご自身の体験でなくても結構ですが、ある程度の現実味のある体験であることを希望します。
 当店にお越し頂き、お話を伺えれば最良ですが、それができないお客様に関しましては、体験の詳細・投書者の住所・氏名・性別・年齢を記載の上、当店入口前またはアミューズブーシュ社1F 受付横に設置されてある投書箱へ投書して頂きますようよろしくお願いします。
                       
                  108 クイーンアンネ通り
                      ウェストミンスター
                        ロンドン SW1H9BU

                         ウィスパー寄稿文店店主
                                エマ・アドソン     
                                         

プロローグ

プロローグ

チーン

エマ・アドソンは、タイプの終わった新聞広告用の文章を読み返しながら、モーニングティーを楽しんでいた。
開店準備後の一時である。
湯気と共に鼻腔に優しい香りを吸い込みながら、もう一口。
 今日の気分はオレンジペコであったのだが、茶葉を切らしていたので、やむなくダージリンにした。

「こんなところかしらね」
 
 ふんわりとしていながら、しっかり要所を抑えている自身が今しがた打ち上げた文章の出来に、頷いたエマは眼鏡を机の上に置いてから、「んっ~」と椅子を傾けながら大きく伸びをした。

「あら、袖のボタンが」

 伸びをした時に、ブラウスの袖のボタンの糸が伸びてしまったようだった。

「次の休みに、スカートと一緒に新調しようかしら」

 膝より少し丈が短いタイトスカートにも疲れが見え隠れしているし、それを言えば、裾から伸びる色白な足元に見えるローヒールの靴もそろそろ新しい物を買いたい。

「あぁ…髪の毛もそろそろ行かないと…」

 いつも結い上げている黒髪も、前髪が目にかかりだすと、サロンへ行く合図なのである。

「1ケ月くらい、引継ぎとか書類整理で忙しかったもんなぁ。やっぱり事務と原稿の執筆の両方は疲れるなぁ」

 次の休日はサロンとショッピングに出掛けよう。内心でそんな予定を立てたエマであった。


 ウィスパー寄稿文店はロンドン郊外のクイーンアンネ通りに面する木造3階建ての建物の1階にあった。
元々探偵事務所であった建物をほとんど改修もせずにそのまま使用しているためか、調度品もどこかそちらの方に傾いているように思えて見える。
 濃い色のニス仕立てのポールハンガーに壁一面に打ち付けてある書棚とそれにびっしりと収められた書籍。蓄音機にレコード。そして今、エマが使用している隠し引き出しギミック付きの机。その他にも、ロッキングチェアや単眼鏡、虫眼鏡など小物が山ほどある。
 前店主である、シェラン氏から「探偵が残していった物ばかりだから」っと、軽い説明を受けたものの、実のところは、シェラン氏の趣味なのではないだろうか?記者の勘がエマにそう囁きかけるのだが、『探偵』が残して行った調度品の数々は落ち着いていたし、板張りの床にも良くなじんでいたので言及はしなかった。
 むしろ、アンティークに興味のあるエマからすれば、宝物に囲まれているような面持である。
 お気に入りは、キッチンスペースにおいてある、ロッキングチェアと改行の度にさり気なくベルの鳴るタイプライターである。
 さすがに多すぎる小物道具については地下倉庫に放り込んでおいた。


カラン カラン


 エマが紅茶のお代わりを注いだところで、ドアベルの乾いた金属音が店内に響いた。

「エマ、おはよーっ!」
 
 ドアの前にはブロンドのポニーテルに父親似の整った目元と太めの眉。元気印の笑顔の口元にできる笑窪と鼻っ面にある雀斑は母親似。
 そんなあどけない容姿の少女が元気よくエマに挨拶をした。

「もうっ、レイチェル!裏口から入ってって何度言えばわかってくれるのよ‼」

 彼女の名前はレイチェル・ドアー。

ウィスパー寄稿文店唯一の従業員にして記者である。

「いいじゃん。まだ、お客さんが来てないんでしょ?」

 革製のリュックを無造作に革張りのソファの上に放り投げながら、レイチェルが言う。

「それはっ……そうだけれど……ってそういう問題じゃないのっ!そういう嫌な予言的なことは言わないでっ!それよりも、本社に寄って来たんでしょ?投書は?あった?」
  
 レイチェルの言葉に軽い眩暈を覚えたエマは目頭を指で押さえつつ、期待をせずに聞いた。

「いつも通りなかったー。蜘蛛の巣の掃除しといたよ~」

 ウィスパー寄稿文店は、一様、アミューズブーシュと言う新聞社の分社扱いであり、エマやレイチェルが書いた原稿はこのアミューズブーシュ紙の娯楽欄に記載されるのである。

「ありがとう……はぁ、蜘蛛の巣……大嫌いよ……」今度は頭を抱えるエマ。

「この店の前の投書箱みたいに鳥の巣を作られるよりはましっ!」

「それは言わないで~」

 思い出したくない記憶を掘り起こされて、エマはついに机に突っ伏すと額を転がしてゴリゴリとはじめてしまった。

「投書が無くたって!私もいるし、お客さんがネタを持って来てくれるっ!」

「だーかーらーっ!接客が嫌だから、わざわざ投書箱作ったのっ‼作るの苦労したのに……」

 涙を拭う仕草をしながら言うエマであった。
ウィスパー寄稿文店に基本的には来客はない。
接客などしたことがないエマが接客のストレスを回避するため、思案の末に『投書』と言うシステムを思い付き、血豆と時間を浪費してわざわざ投書箱を作ったのだから。

カラン カラン

 店主として、レイチェルにもう二言ほど注意をしようとした矢先、来客を知らせるドアベルが鳴った。

「あぅ」
 
声にならない呻き声と共にみるみる青ざめるエマをよそに、

「ウィスパー寄稿文店って言うのはここでいいんだよな!」

 ドアの前に立つ男はニカッと笑いながらそう言ったのであった。


 そう、基本的には『基本的』には来客はない……ないはずなのである。

投書Ⅰ タイトル:「 自殺志願者富豪 」 ビル・クリストファー 氏 体験談 


「はぁ」

「あはは、お客さん来ちゃったねぇ~ファイトッ!エマっ!」

 丸々他人事の様にニカニカしながら言うレイチェル。

「他人事だと思って!たまにはレイチェルが対応しなさいよ!」

 ビル・クリストファーを応接室へ通したあと、お茶を用意しながら、エマが言う。

「う~ん。エマがど~してもお願いってい……」

「えっうそっ!いいの?じゃお願い!お願いします!このチョコチップ入りのクッキー食べていいからっ‼」

 エマはキッチンの収納棚から取り出したクッキーを紙袋から銀皿に移す作業をやめ、紙袋ごとレイチェルに押し付けながら。必死に懇願した。

「やだ」

 それを軽く一蹴するレイチェル……

「なっ、えっ!えぇぇ!今お願いしたら、代ってくれるって言ったじゃない!」

 涙目になりながら、さらに詰め寄るエマ。
そんなエマに対して、チッチッチッと人差し指を左右させてたレイチェルは、

「『ど~してもお願いって言ってもやだ』って言うつもりだったしー、人の話を最後まで聞かないエマが悪い!」と親指を立てて言うのである。

 エマは、俯いて両肩をワナワナ震わせはじめた……

「っと言うことで、レイチェル・ドアーはただいまから、取材に行って」

「命令……」

「えっ?今、命令って言った?」

「そうよっ!命令よっ!店主命令!」

「うぅ……でも私……エマ意外の人と会話できないし、するつもりもない!」

「なっ、何よそれっ!何なのよそれ!私以外の人と話すつもりがないって‼」

 顔を真っ赤にしてエマが言う。

 相変わらずのちょろエマだなぁ。と思いつつ、レイチェルは饒舌に続ける。

「人には得意分野があると思うんだ!エマは応接。私は盗み聞……じゃなくて、取材っ!」

「何が得意分野よ!私が接客苦手なの知ってるくせにっ!それから今、盗み聞、って言ったわよね……まさか、盗み聞きじゃないわよね⁉ちゃんと交渉して取材して、支払いして仕入れて来てるのよね⁉」

「もっ、もちろんっ!言い間違えかけただけっ!」

「本当かなあ」

 じとーっとした目で見てくるエマに、レイチェルは「それじゃ、行ってきます‼」と慌てて、取材用の鞄をポールハンガーからひったくるとドアへ駆けだす。

「あっ!街に行くなら、本社にこれ届けて!」

 エマは慌てて、レイチェルの背中に声を飛ばす。そして振り返ったレイチェルに、書き終えた広告文が書かれた紙を見せた。

「レイチェル・ドアー二等兵はエマ・マドソン軍曹が応接室へ向かった後に、その機密文書を回収後、任務に赴くであります!びしっ!」

 何を警戒してか、レイチェルは、ドアの前でぎこちない敬礼をしながら、そんなことを言う。

「誰が、軍曹よ。もうっ、次は代ってよね。絶対だからね!」

 ニカニカしているレイチェルに頬を膨らませながらエマは言うと、紙袋に残っているクッキーを全て銀皿にぶちまけ、カップとポットを乗せてあるトレーに乗せ、大きなため息を吐いてから、トレイを持ったまま応接室へと向かうのであった。

 
  ビル・クリストファー と言えば、少なくともロンドンでその名を知らない者はいない。
 中年齢に中肉中背、多少焼け過ぎの肌に天然パーマのロンゲ。ぱっと見はどこにでも居そうなおっさんなのだが……

「なあ、仕事終わり何時なんだい?雰囲気の良いバーがあるんだ。なんなら、貸し切りにしようか?」

 と言う年齢にそぐわないチャラい発言と、前歯に光る3本の金歯、両手首に光るブランド不明の金色の時計。首には金のネックレス。靴はフェラガモだろうか……
 多分、この男の身に着けている物の総額は、エマの年収を遥かに超えているだろう。

 つまり、この男はとても金持ちなのである。
 
「いえ、そう言うのはちょっと……」 

「5時あがり?だったらちょっと早いから、バーの前に食事だな。うーん。気分は船上ディナーなんだけど、それは昨日行ったからなあ。5☆レストランでいっか。いいよね?」

「いえいえそんな」

 ダメだ。これはダメなやつだ……人の話を聞かないダメダメなやつだ……早々に、エマは嫌気がさしてしまった。

「えっ?これ紅茶?あー紅茶かあ。俺、紅茶ならベノアのダージリンしか飲まないんだよね」

 カップに近づけた鼻を膨らませて、香りを浚って言うビル。

「ベノアではありませんが、ダージリンですよ?コーヒーにしますか?」
 
 この男が紅茶の『こ』の字もわかっていないことはわかった。

「コーヒー? コーヒーならコピ・ルアクしか飲まないんだよね。この店にある?ないよね?あるわけないよね?あはははっ」

「それで、商談に入りたいのですけど、この度は、どのようなお話をお持ちになっていただいたのでしょうか?」

 相手が例え、拳に訴えかけたくなるような男でも、人の話を聞かなかったとしても!ネタ提供者である以上は、営業スマイルで接しなければならない。
 記者の心得そのⅠである。

「君も可愛いんだけど、俺的にはもう一人の方のさ、えっとーなんって言ったけ?ポニーの子」

 これでもかと身を乗り出して言い出すビル。

「レイチェルですか?」

「そうそう!あの子の方が好みなんだよねっ!ほら、土下座してお願いした何でもやらせてもらえそうだろ‼」

 帰れッ!

「ちょっ!のべふりぁやっ」

 エマの右フックがビルに炸裂したのは、ビルが言い終わるのとほぼ同時であった。

 とりあえず、応接間の壁に顔面をしこたま打ったビルは「痛ってぇー」と顔面全体をさすりながら、ソファに掛けなおすと、すでに、姿勢を戻して目を泳がせているエマに、

「ひっさしぶりに良いのもらったぜ!出来れば、倒れた後に踏んでくれてもよかったんだぜ、もちろん!顔の方向でっ‼」と親指を立ててエマの右フックを称賛した。

 ビルはドMだった。

「そろそろ本題に入りたいのですが……」

「…ハァ…もう終わり…ハァ…なのかい?前金払いってことでっ!も少し頼むよ~」

 本気で悔しがるビルは再び、エマの拳が届くところまで身を乗り出してスタンバイしている。

「それではその……買い取り価格に上乗せすると言うことで……」

 この男、変じてこの変態と早く離れたい。
 とは言え、仕事は仕事。エマは万年筆のキャップを引き抜くと共に、仕事モードのスイッチを入れた。

 ビル・クリストファー と言えば、少なくともロンドンでその名を知らない者はいない。
 これ見よがしに金色の目立つビルのことを人は成金主義者と罵る。
 実際に、ビル・クリストファーは成金なのだから、言い得て妙だ。
 
そんな成金のビルにつけられたあだ名が『石油会社の庭師』。

 実のところ、私はビルのことを知っていた。私がまだ社会部の記者をしていた頃、ビルが成金になった経緯を友人でもある同僚が取材していて、主に愚痴だったけど、色々と聞かされたのだ。
 ビル・クリストファーはロンドン郊外に住まう銀行員と教員の両親の元に生を受けた。兄弟はいない。
順当に大学まで進み、企業コンサルティング会社に入社する。
 波乱も苦節も激動も不幸もない、とても平凡な人生。
 唯一の、波乱と言えば、婚約していたクリス・ハワーと言う女性に突然、婚約破棄を申し込まれたことだろうか……友人もどれだけ食い下がっても、婚約破棄に至った経緯は聞き出せなかったと言っていた。
「そんなに、興味があるんなら、ここから先は俺の部屋で話そうじゃないかっ!」と言いながら迫るビルを鞄で殴りつけて逃げて以来、取材をやめたとも話していた。

 この分だと、この男にとってはご褒美だったに違いない。 

「俺はクリスを愛してたんだ……フィッシュ&チップスの次に愛してたんだ!それなのに!それなのに!彼女は…俺を捨てた……」

 彼が世間話をしている間に、私は、メモを取るふりをして、適当に相槌を打ちながら、そんな回想に耽っていた。

すると、

「趣味がドライブなんだよね。今度一緒に行こうよ」
「乗り物に酔うので」 
「即答とかゾクゾク来るねっ!君って色々とツボを押さえてるよね!そうだ、ドライブと言えば、フィッシュ&チップスの旨い店を見つけてね。今度、ご馳走するよ。僕のフィッシュ&チップスでもいいけどねっ!」 
「えっと、ちょっと何言ってのるかわからないです」

 僕のフィッシュ&チップスって何?

と言う会話を経て、彼は何かのスイッチが入ったかのように、そんな告白しながら頭を抱えてふさぎ込んだ。
フィッシュ&チップスの次に愛していたクリスに振られたことがよほどショックだったらしい。 

「俺はあまりのショックに、心を病んでしまったさ。それはもう奈落の底に突き落とされてしまったようにね。会社を辞めて、俺は部屋で、膨大な彼女との写真をハサミで切っては燃やしていたんだ……」

 写真をハサミで切って燃やすって……私は軽く引いてしまった。

「そしたら、間違えて彼女の盗……想い出の写真までハサミを入れてしまってさ。その時にさ、あぁ、おれの人生終わったわ。って思ったわけ……」

 この男、今、盗撮って言いかけなかっただろうか?自分の婚約者を盗撮するなんて……差し詰め、盗撮行為がバレて振られたのだろう。

「なるほど。それが自殺の動機だったんですね」

「そうだとも。っで、いざ自殺することにしたんだけど、色々考えちゃってさ、痛いのも嫌だし、薬って言うのもなんか俺には合わないと思って。ほら、俺って人知れず死ぬタイプじゃないからさ」

「そうなんですね」

「そそ、だから、砂漠に行くことにしたんだよ」

「砂漠ですか?観光とか…ではないですよね?」

「もちろん自殺する為に決まってるだろ!飛行機をチャーターして、空港で車を借りて、砂漠近くの村まで行って、そこでラクダを借りて遺跡巡りをしたよ。知ってるかい?エジプト以外にもピラミッドはあるんだよ。まぁ、規模はずっと小さいけどね」

 それを人は観光と言うのでは……

「えっと、それは、死に場所を探していたということでしょうか?」

 行為はどうあれ、『観光』も『死に場所探し』と書けば格好はつく。

「うーん。ちょっと違うかなぁ。ほら、大自然に触れてみると、自分の悩みなんてちっぽけに思えて来てさ、それに、よく考えたら、女はクリスだけじゃないんだって気が付いたわけよ」

「えっ……それじゃ、自殺するのはやめてしまったんですか?」

「なんだよー、それじゃまるで俺が生きてたら駄目みたいじゃないかよー。はいはい~生きててごめんなさい~」

 この男はそんな面倒くさいことを言いだした。私は右手が出そうになるのを必死に我慢しながら「すみません。そういうつもりはありません」と真顔で返事をした。

「うーん。今のはほら、バーンってやって良かったところなんだけどなぁ。君のポイントって難しいよね。まあいいや、クリスのことはどうでも良くなったんだけどさ、ほら、会社辞めてるし、死ぬつもりで来てるから、貯金も使い果たしちゃってたし、アパートも引き払ってて、帰ってもお先真っ暗なの思い出して、やっぱり死ぬことにしたんだよ」

「確かに、家も貯金もなしというのはお先真っ暗ですね」

「とりあえず、ラクダに揺られて砂漠を歩き回って、野宿したんだけど翌朝起きたら、ラクダがいなくなっててさ!杖を杭代わりにして繋いどいたのに、引き抜いてどこかに消えたんだよっ!」

 砂漠に杭打つって……私は苦笑しかできなかった。

「荷物は降ろしてたから、とりあえず歩き出したわけだけどさ、暑くて暑くて、水が無くなっちゃって、やべーって思ってたら、近くに止まってる車があってさ、荷台に水入りのボトル一杯積んでたから、売ってもらって事なきを得たなんだけど、いやー本当に死ぬかと思ったね」

 腕を組んで、何度も頷いた彼は、思い出したように「いや、死ぬつもりだったんだよ、本気で」とつけ足した。

「その車に乗せてもらおうとかは考えなかったんですか?」

「あ……もっ、もちろんだとも!自殺しに行ってるのに!そんなこと考えるわけがないじゃないか!」

 わかりやすく狼狽するビル。

 そもそも、水を買ってる時点で、本当に死ぬ気があったのかどうか疑わしい……

「その後も、歩き続けてさ。汗が出なくなって、干乾びて行くのを実感しながら、ボトルに入った水を砂漠に捨てる俺。ハアハア…ちょっとずつ捨てるのがコツなんだよ!人生であれほどの快感を感じたことはなかったな……ハアハア、今でもハアハァ思い出すだけで、鳥肌がハアハア……」
 ダメだ。やっぱりこの男はダメだ。死ぬ気なんてなかった。これ決定。

「その後、どれくらいの間、砂漠を彷徨ったのです?」

「んーと、10日くらいかな。長年、ボーイスカウトをやってた技能が役に立ったね。主に、どこでも寝られるスキルがねっ!」

「えっ、10日間もですか⁉食料とかはどうしたんです?ボーイスカウトと言うことは、トカゲとかサソリとかを捕まえて食べたとか、そういうサバイバルスキルで乗り切ったということでしょうか?」

 砂漠に身一つで10日間はそこそこ、凄いと思った私は、はじめて、気持ちを込めて質問をした。

「いんにゃ、オアシスとかで観光客相手の屋台だの、宿泊施設とか色々あってさ!トカゲとかサソリ?そんなオゲレツな物、俺が食べるわけないじゃん」

 私は、熱っぽく質問をしてしまった自分がとてつもなく恥ずかしくなった。
 この男に、そんなサバイバルスキルがあるはずがない。

「ボーイスカウトに謝ってもらっていいですか」

「なんで?」

「いいから」 

私は満面の笑みで握り拳を見せた。

「そっ、そんな……ハァ…ハァ…硬く握った拳でっ!ごめんなさい!しかも…ハァ…拳の中にある…ハア…万年筆をどう使うつもりなんだ‼刺すのか、刺すんだよねっ!よろしくお願いしますっ‼」

「ビルさん、続きをお願いします」 

 ハァハァ言ってたけど、一様、謝ったので私の気はすんだ。

「えぇーっ。その振りで何もしないって反則だと思うんですけどー詐欺だと思うんですけどー」

この男は、再びそんな面倒くさいことを言いだした。私は右手が出そうになるのを必死に我慢しながら「すみません。そういうつもりはありません」と真顔で返事をした。


「続きをお願いします」

「軟禁放置プレイはグットチョイスだね!」

 昼食を挟んだ、午後、応接室に入った私を彼は満面の笑みで迎えてくれた。心なしか、顔の色つやが良くなっている気がするのは気のせいだろうか?

「砂漠で10日間を過ごして、それでどうされたんですか?」

「持ってたお金も無くなって、どうしようかなーってぼんやり砂丘の上に座って考えてたら、すっごい、砂嵐に会ってさっ!」

「砂嵐ですか?本物のですか?」

「あ、そこ疑うんだ……まあいいや、本当の砂嵐に吹き飛ばされてさ。今度こそ死んだと思ったんだけど、目を開けたら夜空がとっても綺麗だったから、あ、生きてるって思ったんだ。全身砂だらけだったけどね」

 私に疑われたことに、イラッしたのか、本当の砂嵐の本当のところをやや大きな声で言った彼は、「まあ、君の方が綺麗だけどね」とニヤニヤしながら続けて言った。
 とりあえず、褒めればいいと思っているらしい。

「次の朝、目が覚めてみると、俺の靴が真っ黒に汚れててさ、よく見たら、服とか色んなところにドス黒い油みたいのがついてやがんの。うわーってなって、ハンカチで拭いても全っ然落ちなくて、この服高かったのにーって凹んでたら、近くのその黒いのが水たまりみたいになってるのを見つけたんだよ」

ツッコミどころが多すぎて、どこからツッコンでいいのか迷うけれど、とりあえず、

凹むところそこ⁉

「おぉ、やっと話に終わりが見えてきましたねっ!」

「おっ、なんだか早く出て行けって言われてるみたいで、ゾクゾクするねっ!」

 彼は、そう言いながら、親指を立てて金歯をのぞかせた。

 大切なところは大体、ここらあたりまでだろう。
 なぜなら、結末は私を含め誰もが知っているからだ。
 パッとしない無職で貯金も住む所もない中年の男が、突然、大金持ちになった事件は、彼が住まう街と言うことも相まって、当時、この界隈ではそこそこの騒ぎとなり、新聞各社もこぞって彼の事を書き立てた。
 もちろんアミューズブーシュも例外ではない。

 彼が見つけたのは言わずもがな、石油だった。『ミダスの水』と呼ばれている石油は文字通り、彼に有り余るほどの財力と黄金を与えた。
 彼は、直接油田会社を経営するのではなく、一帯の土地を買い占め、それを油田会社に貸して掘削量+土地代を得ている。彼が『石油会社の庭師』と呼ばれる由来もそこにある。
 駐車場経営の豪華版と言ったところだろうか。
一切働かずに、利益だけを得る。なかなか賢いやり方だと当時の私は思ったし、油田を発見してから、間髪入れず、土地を二束三文で購入して、石油の埋蔵量の調査などを行った、行動力とコンサルティング会社勤めで作ったコネを使っての手回しの速さ、ビジネスマンとしての彼の手腕には、純粋に尊敬さえした。

当時の私は……

「あの」

「なんですか?」

「すっごい、話をまとめられちゃったんですけど!」

「えっ、何か間違っていますか?」

「いや、間違ってないよ。間違ってないけどさぁ‼」

 言いたいことはわかる。でも言わせない。当時の私なら、我慢して続きを聞いたかもしれないし、彼自身に興味さえも湧いたかもしれない。
だが、今の私は、彼に対して、軽蔑しか持ち合わせていないのだ。

「あ、それでは、最後に、油田を見つけてからどうやって帰ったんです?」

「最後にって、もう少し興味もとうよ!俺の成り上がりヒストリーにさぁ‼どんだけ、詳しく話したって、どこの新聞もヒストリーの部分を書かないんだっ!ひどいだろ⁉挙句の果てに、石油会社の庭師なんて呼ばれてさっ、庭師ってなんだよ!管理人とか他にもあるだろ、色々と!なのに、なんで庭師なんだよっ‼俺は毛虫が大嫌いなんだ!」

「そうなんですね。っで、どうやって、砂漠から帰ったんですか?」

 興味ないですそのあたりの趣向に関しては。
 だけれど、なぜ彼がわざわざ、店を訪れたのかという理由はわかった。どうやら、彼はヒストリーの部分を新聞に掲載してほしいようだ。
 そう言えば、当時の新聞にも騒がれたわりにヒストリー部分が記載されていなかったように思う。
 まあ、冒険奇譚ならまだしも、観光に毛の生えたような話を記事にするのはスペースの無駄と言うものだ。私でも記事にはしなかったと思うもの。 

「うん。そのスルースキル、グッチョブ!簡単な話だよ、荷物の中に衛星電話入れてたことを思い出してさ、それでタクシー呼んで、衛星電話をそこに置いといたんだ。GPSで油田の場わかるし。あっ、タクシーさ、車じゃなくてラクダが来て、あれにはまいったよ~」

「なるほど、長々とありがとうございました。帰って下さって結構です」

 こんな話、娯楽欄にだって使えやしない。私は肩を落としながら、それだけを口早に言い、さっさと応接室を出て行った。

「ちょっ!えぇっ!まだ後日談があるんだよ、誰にも話してない話がさあ‼」とビルが半泣きになって、私の後を追いかけて来た。

 私は、徐に振り返ると、

「その話、詳しく」

彼の話を聞くことにした。

「石油会社と契約を交わした俺は、契約金でまず、馴染みの店にフィッシュ&チップスを食べに行ったんだ。一ケ月ぶりに食べるフィッシュ&チップスは本当に美味かったよ。そう白身の揚げ具合が……」

「っで?」

 私は、彼の言葉を切って言う。

「っで、って……あの、顔こわよ。すっごい怖い顔してるよ……そのまま凶器っぽい物を構えてくれると、ゾクゾクはするけど……」

「っで?」 

「すみませんごめんなさい。えっと、フィッシュ&チップスを食べていて思ったんだ、俺はクリスの事を愛している。彼女でないと駄目なんだって‼」

 そこまで言うと、彼は、財布から一枚の写真を私に見せた。

 写真には赤毛の女性と彼が一緒に写っており、赤毛の彼女は喜色満面で……

「クリスと結婚するんだ」

自身の薬指にはめられた大きなダイヤの指輪を見つめていた。

「なるほど、長々とありがとうございました。帰って下さって結構です」

こんな話、娯楽欄にだって使えやしない。私は肩を落としながら、それだけを口早に言い、さっさと応接室を出て行った。

「えぇえっ!その反応なんだよぉーロマンチックだろ!一回別れたけど、最後には結ばれる2人なんだぞぉぉ‼そうだっ、君に質問に答えるからっ!どんな質問にでも答えるからっ‼」とビルが半泣きになって、私の後を追いかけて来た。

「……」
 
 私は、冷ややかな視線を必死なビルに送りながら、渋々、嫌々、応接室に戻った。

「それでは、クリスさんはどうして、婚約を破棄したのでしょうか?」

 すでに興味はなかったのだが、敏腕記者である友人がとうとう聞き出せずに終わった質問を私はしてみた。

「婚約破棄の理由?うーん。正直、俺にもよくわからないんだよね」

「なるほど、長々と……」

「ターイムっ‼ちょっと待って、今思い出したからっ‼」

「っで?」

「多分なんだけど、式の時、誓いのキスを素足にするって駄々をこねたら、彼女すっごい引きつった顔をしていたんだ」

「理解しました。長々とありがとうございました。帰って下さって結構です」

 こんな話、娯楽欄にだって使えやしない。以下略。

「いい加減、それひどすぎやしないかー、いや、いいんだけど、どうせだったら、もっと、さげすんだ感じで、わわわっ、ちょっと待って待ってってば!最後にとっておきの話をするからっ!」とビルが半泣きになって、私の後を追いかけて来た。

 私は、無言で、応接室のドア口に立った。

「プロポーズの、」

「なるほど、長々とありがとうございました。帰って下さって結構です」

 こんな話、以下略。

「ちょっとぉーっ!まだ何にも言ってないんですけどーっ‼聞けば君も絶対に胸がキュンキュンするんだからぁー聞いて!お願いします聞いてください‼」ビルが半泣きになって、私の後を追いかけて来た。

 私は、ドアを静かに閉めた。

エピローグ


「疲れたぁ……」 
 
 私は、机に戻ると、両手足を投げ出して脱力した。

 結局、ビル・クリストファーの体験談は、ボツだと判断した。
 お金に困っていない分、金銭的な要求はなかったが、店から押し出す最後まで「せめてご褒美だけでも‼」と言い続けていた。
 記事としてはボツだけれど、個人的には友人に、婚約の破棄の真相を教えてあげても良いかもしれないとは思った。

「はぁ、今週の記事どうしよう」

 実のところ、締め切り間近だと言うのに、ネタがない。投書(来客)は数あったのだが、結果は全てボツ。
 困った。結構、本当に私は困っている。
レイチェルに期待したいところだけれど……彼女の獲物待ち蜘蛛の巣作戦は収穫率がとにかく低いのだ。
 持ち帰ってくる経費の領収書は、毎月束になるって言うのに。

カラン カラン

 私が、そろそろ編集から催促の電話がかかってくるだろうな。とため息をついていると、ドアベルがなり、

「たっだいま~っ」とレイチェルが帰って来た。

「お帰りレイチェル。って、また正面ドアから入って来てっ!」

「小さいことは気にしなーい。っでどうだった?成金の話はネタになりそう?」

 取材用の鞄をポールハンガーにかけながらレイチェルが聞いてきた。

「全然ダメ。あんなの与太話の方がまだまし」

「与太話って…」

「与太話ってなかなか聞かないにゃ~」

 そしてソファに寝っ転がるレイチェルは、ニカニカしている。 

「期待はしてないけど、一様聞くわね。レイチェルは収穫あったの?」

「むっふっふっふっ、よくぞ聞いてくれました、エマさん!」

 あ、これダメなやつだ。私は直感でそう思った。

「今、あ、これダメなやつだ。って思ったでしょ‼」

「えっ、私、声に出てた?」

「うぅ、思ってたんだね……エマってば酷いやい!」

「だってぇ、いっつもレイチェルったら、思わせぶりするだけして、一日カフェに居たってことばかりじゃない」

「うぅぅ、まぁ、否定はしないけど……今日は違うんだにゃー」

「えっ、嘘っ、収穫あったの?本当⁉締め切り間近だからとっても助かるんだけど‼」

「私よくわかったよ。エマに信用されてないってことが……」

 涙を浮かべながらレイチェルはそう言ってから、続けて、

「カフェテラスで聞いた話なんだけどね」と話し始めたのであった。

ウィスパー寄稿文店主の憂鬱

「あれ?」

 私は、新聞の広告欄を見て首を捻っていた。

「あれあれ?」

 何度読み返しても、私が書いた広告文が短すぎるのだ。
                                 

  我がウィスパー寄稿文店では、奇想天外、摩訶不思議な体験を一律:100ポンドで購入をしております。ご自身の体験でなくても結構ですが、ある程度の現実味のある体験であることを希望します。
 
尚、体験の詳細は投書者の住所・氏名・性別・年齢を記載の上、当店入口前またはアミューズブーシュ社1F 受付横に設置されてある投書箱へ投書して頂きますようよろしくお願いします。
 
 ※投書はノンフィクションに限ります。投書頂いた投書がフィクションであると判断した場合は代金をお支払い致しません。また、投書頂いた内容が他の新聞社などへ掲載された場合は違約金を頂くことになります。あしからず。
                      
                   108 クイーンアンネ通り 
                         ウェストミンスター
                           ロンドン SW1H9BU

                            ウィスパー寄稿文店店主
                                エマ・アドソン     
                                         」
 
 ふんわりとしていながら、しっかり要所を抑えている私の会心の出来だったはず……なのに、実際に新聞に掲載されていたのは、




  我がウィスパー寄稿文店では、奇想天外、摩訶不思議な体験を一律:100ポンドで購入をしております。ご自身の体験でなくても結構ですが、ある程度の現実味のある体験であることを希望します。
  当店にお越し頂き、お話を伺えれば最良ですが、それができないお客様に関しましては、体験の詳細、投書者の住所・氏名・性別・年齢を記載の上、当店入口前またはアミューズブーシュ社1F 受付横に設置されてある投書箱へ投書して頂きますようよろしくお願いします。
                       
                  108 クイーンアンネ通り
                      ウェストミンスター
                        ロンドン SW1H9BU

                         ウィスパー寄稿文店店主
                                エマ・アドソン     
                                         」

 と言う広告文だった。

「ねぇ、レイチェル。私のお願いした広告文ってちゃんと本社に届けてくれた?文章が差し替えられてるんだけど。これじゃ!お客さんますます来ちゃう‼」

「うん。受付の所で、キャシーちゃんに会ったから渡しといた。相変わらずセンスの無い文章だって、笑ってたよ」とレイチェルも笑いながら言う。

 この添削の犯人はキャシーだった。キャシーめ。

 私は、婚約破棄の真相を絶対に彼女に教えまいと心に誓ったのであった。 

ウィスパー寄稿文店主の憂鬱

ウィスパー寄稿文店に店主エマ・アドソンは接客が苦手だ。だから、画期的な方法を思いついた。 投書と言う方法を‼ これなら、直接人と接しなくても寄稿用のネタを集めることができる。 我ながら頭が良い。そう思った。 善は急げ、エマは早速、新聞広告用の文章をタイプし始めたのであった。

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-09-06

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted
  1. プロローグ
  2. 投書Ⅰ タイトル:「 自殺志願者富豪 」 ビル・クリストファー 氏 体験談 
  3. エピローグ