四羽の雛

四羽の雛

 梅雨の間中そこに座っていたら、僕の頭にツバメが巣を作ってしまった。数えてみたら卵は四個あった。親鳥はいなかった。温めてみたら手の中で雛が孵った。その瞬間、僕はこの子たちを守らなければいけないと思った。
 
 僕は生まれつき鼻がなかったので、見世物小屋で働いていた。見世物小屋ではお客からお金を取って、珍しい物か、珍しい芸を見せる。僕は物の方だった。人は新しい芸を覚えればいいが、物はそうも行かない。目新しさがなくなってくると、物好きな大金持ちに売りつけた。だから物は割と頻繁に入れ替えられた。だけど僕だけはずっとその小屋にいた。大抵の奇形児は、お客の目に晒されているうちに逃げ出すか狂い死んでしまうらしい。僕は逃げも狂いもしなかったので大事にされた。買いたがる人がいても売られなかった。
 ある時僕はアマノさんから玉乗りの芸を教わった。僕も何か芸を覚えればみんなの役に立てるかも知れないと思ったからだった。アマノさんは黄色い煙の煙草をふかしながら親切に教えてくれた。お手玉をしながら十メートル進めるようになった時、団長さんを呼んで見てもらった。団長さんは驚いた顔になって拍手をして、それから急に怖い顔になって僕を木の棒で殴った。何が何だかわからなかった。
「俺は芸術家なんだ。お前は何もできないからこそ美しかったんだ。お前は人に近づこうとしてしまった。お前はもう美しくない」
 と、団長さんはそう言いながら泣いていた。喜んでもらえると思ったのに殴られて、僕はすっかり悲しくなってしまった。団長さんはアマノさんに言った。
「お前が教えたのか」
アマノさんが言った。
「違いますよ。こいつが勝手に覚えたんですよ」
 後でアマノさんに聞いたら、アマノさんは教えてくれた。
「ごめんな。俺は本当はお前に出て行ってほしかったんだ。気持ち悪いんだお前の顔は。見てると本当に、気分が悪くなってくるんだ」
 僕はいよいよ悲しくなってしまって、小屋を飛び出した。走れなくなるまで走った。
 
 僕がその場所に座っていたのは、そんなことがあってそのまま死んでしまおうと思っていたからだけれど、僕は生きなければいけなくなった。この子たちにはミミズを食わせてやればいい。でも僕はお金がないと生きられない。僕が死んでしまったらこの子たちも死んでしまうのだから、僕はお金を手に入れなければならない。
 しかし僕は働こうにも働き方を知らないし、こんな顔では誰も仕事のやり方なんて教えてくれないだろうから、僕は見世物小屋に戻ることにした。
 小屋の裏口では、お客の切符を切る係のハラダさんが、大して塵も落ちていない地面を箒で熱心に掃いていた。みんなは「あいつだけは信用しちゃいけない」と言っていたけれど、ハラダさんは機嫌が良くなったり悪くなったりしないので、僕は大好きだった。何も言わずに小屋を出たので、ハラダさんに何と言えばいいのかわからなかった。
「帰ってきたのか」
 ハラダさんが僕に気付いて言った。いつも通りの、何の気持ちも込められていない言い方だったので、僕は安心した。
「もう一度ここで働かせてほしいんです」
 僕は言った。
「団長は中だ」
 ハラダさんは頭の巣のことは何も言わなかった。僕はハラダさんのそういうところが好きだった。
 団長さんは僕を見るなり、またあの木の棒を振り上げた。雛が殺されると思って、とっさに手で守った。雛は無事だったけれど、右手の小指が折れた。
「お前は何もわかっちゃいない。いいか、俺は芸術家なんだ。お前みたいな奇形児が頭に鳥の巣なんか載せて、体は醜いしかし心は美しいとでも言いたいのか。そんなものが芸術だと言うのか」
 団長さんが震える声で言った。
「お前は人だけならまだしも善人に近づこうとしてしまった。二度と芸なんか覚えようとしないと誓うなら迎えてやろうとも思っていたがもう遅い。お前は醜い」
 僕は何と言っていいかわからずに黙っていた。
「出て行け。目障りだ。いや、待て。今すぐその巣を取って床に捨ててぐしゃぐしゃに踏みつけるなら、お前をここに置いてやろう。今すぐだ。さぁ早くするんだ。それとも俺がやってやろうか?」
 団長さんが僕の頭に手を伸ばしたので、僕はそこにあった椅子で団長さんを殴った。団長さんは床に倒れて小刻みに震え、しばらくすると震えも止まった。さっきまで動いていた団長さんが動かなくなったのを見て、怖くなって小屋を出た。
 ハラダさんはまだ地面を掃いていた。何も言わずにいると、ハラダさんは僕を抱き締めてくれた。
「お前は人でいいんだ」
 僕はその言葉に涙を流したりした方が良かったのかも知れないけれど、何故かそういう気持ちにはなれなかった。でもハラダさんの胸は暖かかった。雛を落とさないようにお辞儀をして、見世物小屋に背を向けた。
 後で気付いたことだけれど、僕の頭の巣の雛は三羽に減っていた。そう言えばハラダさんは、犬でも猫でも生きたまま食べるのが好きだった。みんながハラダさんを信用しちゃいけないと言っていた理由がわかった。
 
 雛に餌をやって、商店街を歩いた。
 電気屋の前に子供たちが並んでいる。新発売の対戦ゲームの体験コーナーがあるのだった。マスクやグローブを身につけたプレイヤーが台の上で動くと、立体映像のキャラクターが同じように動く。キャラクターが相手に攻撃されると、プレイヤーに電流が流れるという仕組みだった。子供に混じって順番を待っていた背広の男は、電流の設定を強くし過ぎたらしく、尋常小学校ぐらいの子供に脛を蹴られて気を失った。
 ブティックのショーウィンドーの前に立つと、烏帽子をかぶった美男子の姿が映った。こういった場所の鏡は大抵、自動補整機能が付いている。ショーウィンドーの中では、綺麗な顔をしたマネキンが最新モデルの耐火服で左右から次々に現れる炎を消火器で消していた。店の中からハタキを持ったおじさんが出てきて、僕を追い払った。
 古タイヤと空き缶四個を拾って、濃硫酸の噴水がある広場に行き、空き缶一つを置いてタイヤに乗りながら三個の空き缶でお手玉をした。タイヤは横にしか揺れないので玉に乗るより簡単だったが、空き缶はボールより取るのが難しかった。一人、二人とお客が集まって、あっという間にちょっとした人だかりができた。中にはハンカチを目にあてている人もいた。しかし僕にできる芸はこれ一つだったので、五分もしないうちにお客は誰もいなくなった。空き缶にコインは入らなかった。それでも、日が暮れるまでそうしていたら、顔が三つある犬を連れたおばさんが金貨を一枚投げてくれた。
 金貨を握り締めて神社に行った。その日はお祭りで、夜店ではすごく不味い食べ物をすごく安い値段ですごくたくさん食べられるからだった。若い人は櫓の周りに集まって、男が外側の輪を、女が内側の輪を作る。そして音楽に合わせ、一人ずつ相手を替えながら交わる。かなり短い時間で次の相手に替わることになっているので、殆どの人はあまり気持ち良さそうではなかった。僕はナチス屋でテレジン・スープを何杯も飲んだ。ベルゲン・スープの方が少しだけ味は良いが、テレジン・スープの方が少しだけ具が大きい。
 次の日も公園で芸をしたが、儲けは昨日の十分の一ぐらいだった。途中で夕立が来て、屋根のある場所まで走ったけれど雛はずぶ濡れになって、一羽は助からなかった。
 
 僕は街外れの墓場に来た。街の電信柱で「墓掘りアルバイト募集」のチラシを見たからだった。墓掘りのコンドウさんは早口で僕に聞いた。
「チラシはどこで見たんだ」
 電信柱の下の方ですと答えたら、コンドウさんは嬉しそうに言った。
「そうだろう。何故かわかるか」
 わかりませんと答えたら、コンドウさんはもっと嬉しそうに言った。
「墓掘りは伏し目で生きてる奴でなきゃならん。上向いて鼻歌歌いながら生きてる奴なんかにゃ務まりゃしないんだ。わかるか?」
 僕は頷いた。コンドウさんは目を輝かせて言った。
「お前は匂いは嗅げそうにないが、人の話は聞ける奴だ。俺はお前が気に入った。給料は安いが、人間の最後の居場所を作る立派な仕事だ。ここで働け」
 コンドウさんはそう言って、僕にスコップを貸してくれた。スコップは柄にヒビが入っていて今にも折れそうだったけれど、僕は何も言わなかった。
 僕が墓場だと思っていた場所は、実は墓場の一部でしかなかった。ここはそこそこ金のある死体の場所で、あんまり金がない死体は周りの森のどこかに適当に埋める、全然金がない場合は海に飛び込むか、自分を肉屋に売って家族を助けるんだとコンドウさんは教えてくれた。森に埋める時は目印に五芳架を立てておくのだが、五芳架はすぐミツアシネズミが齧ってしまうので、たまに前に掘った墓を開いてしまうことがあった。そういう時は、せっかくだから蟲を何匹か雛に食わせてやって、もう一度埋めた。
 墓掘りの仕事は住み込みで三食付きだった。コンドウさんは買い物に行っても肉を買わなかったが、食事にはかなり肉が出た。僕は当たり前のことだと思ったので、何も訊かなかった。コンドウさんは錆釘酒が好きで、酔うと必ず「お前は本当に墓堀りに向いてるよ。何しろ臭いを嗅がなくていいからな」と言って笑った。何度も何度も聞いたけれど、何度でも笑った。一週間後に僕は給料を貰って、ジャガイモ味のガムを買った。
 働き始めて丁度一ヶ月経った日、コンドウさんは僕に墓を掘れと言った。いつもは死体が来てから掘るので僕は不思議に思ったけれど、何も訊かずにコンドウさんが指さしたところに墓を掘った。コンドウさんは、僕が墓を掘るのをじっと見ていた。僕が掘り終えると、コンドウさんは少し照れ臭そうにして、その穴に入った。
「よし、埋めろ」
 とコンドウさんは言った。僕はコンドウさんに土をかけ始めた。土が目にかかりそうになると、コンドウさんは目を閉じた。土をならして、
「お休みなさい」
 と呟いた時、大きなカラスがやって来て、僕の頭の雛を一羽くわえて飛んでいった。
 
 僕は鉄製の五芳架を作って、コンドウさんの墓に立てた。最後の一羽はもうすぐ飛び立てそうなぐらいに大きくなっていた。

四羽の雛

四羽の雛

荒廃した世界のちいさなものがたりです。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ホラー
  • SF
  • 青年向け
更新日
登録日
2016-09-04

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