森の中

ここはK県にある小さな町。

郊外に出ると、広いなだらかな坂道に出る。そこから小さな池を左手に見てそのまま続く坂道を歩いて行くと、森に辿り着く。

里山という言葉がぴったりの、楢(なら)や樫の木が多く生える森だ。

私は森林浴でもすれば気持ちよいだろうと、森に足を踏み入れた。

木々の葉が密集していて余り陽は差さないが、ところどころにくっきりと影絵のような形が見えるのは、晴れているからだった。

夏場だから涼しさがいっそう快適に感じられる。森に来て良かったと思った。

短い夏季休暇を取って、当てのない小旅行に出て辿りついた駅。小さなビジネスホテルに宿をとりのんびりとしていた。久しぶりに一人で過ごす夏だった。

小さなけものみちのようだが、歩きやすい小道を十数分ほども来たろうか。私はふと、後ろを振り返った。

瞬間、ぞくっとした。

森の入り口が見えないのだ。

道は一本道で、殆ど一直線に歩いてきた。それほど森の中まで入りこんだ訳ではない。それなのに…

いやいや、そんなはずはない。一度前を向いて数歩歩き、また振り返ってみた。…やはり入り口は見えなかった。

得体の知れない恐怖が私の心を苛んだ。同時に気のせいだ、とどこか気軽に考えている部分もあった。

私は念のために確認するんだと自分に言い聞かせながら、来た道を引きかえした。そんなつもりはないのにどんどん足は速まり、しまいには小走りになった。

それなのに、まだ入り口に辿りつかない。もうかれこれ三十分経つというのに。

息が上がって来たので、歩くことにした。…あれからもうどれくらいになるだろう。私はまだ森から出ることが出来ないでいる。


「ねえ、おばあちゃん、この森では遊んじゃいけないって、どうしてなの?」

五歳位の女の子が、祖母に尋ねた。

「この森は、迷いの森と呼ばれているんだよ、この辺ではね。だから土地の人はこの森には入らないのさ」

祖母は答える。女の子は不思議そうに、

「なぜ迷い、なの?」

「神隠しに会う人が時々出るからさ」

「神隠しってなあに?」

「そうだね、山や森には神様がいて、時々人間を神様がいる「常世」に連れていってしまうんだよ」

「怖い…」

「大丈夫、あの森に入らなければいいんだよ」

「うん、わかった、おばあちゃん」

女の子は祖母の手をしっかりと握りしめた。

森の中

森の中

森の中をシリーズで書いて行けたらいいと思っています。

  • 小説
  • 掌編
  • サスペンス
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-09-03

CC BY-NC-ND
原著作者の表示・非営利・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-NC-ND