懊悩者

                                                   一 

 娘を持つ身としては、生まれた条件が人生の全てだと、口が裂けても云えまい。岐路はそれぞれだが、選択は自身に委ねられる。希望は枯渇した心を潤わす清涼剤となるものの、自ら放棄して道を降りる者も少なからずいるものだ。私は他人の私事に口を剪むほど愚かではない。ただ、彼女の見切りを英断と割り切れるほどに成熟してもいなかった。他人の疝気を頭痛に病むとは徒爾であるが、度を越えた差し出口は性分である。なにしろ数十年前のことなので、記憶は曖昧模糊したものであり、斟酌なく彼女を想起できるか些か心もとない。彼女の名前は倉越真理恵と云った。醜女とは結論が恣意的ではあるものの、数多の吹き出物と迫り出した頬骨は見るに忍びない。重ねて鶏肋の体躯と相俟って寸足らずの足は嘲笑の的である。そんな真理恵は恬淡な気質なのか、さほど拘泥した気勢もなく、悪罵は僥倖の兆しとばかり常に破顔していた。
 私たちは同室で学んだ。三年間、教室を違えたことはない。双方とも、若盛りに摩耗を与える翳りが昂揚を搾取することから、必然的に単独行動が多くなった。無論、周囲の者とは疎遠となり、孤独が絶対的価値を生んだ。教室を移動する際、生徒たちが談笑に花を咲かせているのとは対照的に、私は日々貝となって刻々と影を差した。隣接する机の距離が開くたび、乾いた空気が執拗に張り詰めるのだった。そうして入学から数日を過ごすうち、酷似した境遇の真理恵の存在に気が付いたのだが、彼女のいかにも粗悪な容貌に声をかけるのを躊躇われた。友と云う曙を凌駕する輝きに啓蒙しながらも、真理恵のような女に声を掛ければ私と云う人間が貶められ、これ以上ないと云った粗暴な扱いを受けないとも限らない。校内の噂にでもなれば、肩身の狭い私の居場所など、熱した鉄板の上の水同様に雲散霧消してしまうだろう。
 昼時の時間潰しは専ら図書室の本棚の隅に凭れ掛かり、読了できない哲学書やら専門書やらの頁を繰って済ませた。棚の本は端から五十音順に整列しており、一糸の乱れもなく屹立している。受付脇にあるシェフレラが観葉植物にしては儼乎に映ったため、私は窓から差し込む光が反映して、幾ばくか心穏やかにしてくれることを願った。係りの者であろう色白の女子生徒が、頬杖をついて不逞も露に嘆息している。云い換えればそれは、稀薄な生の代替行状だ。室内は閑散としており、私一人があの女子生徒のように嘆息したところで、なんら疚しいことはない。校庭を疾駆する快活な絶笑が此処まで届き、折々想起されるところでは、そう云った快活さが内奥にある相反した慷慨と結合した時分、私の盛時を煽った。面映ゆいが、私は癇癪持ちなのだ。一度だけ、此処で真理恵を見たことがある。書物と彼女の関係を云々しようとは思わないが、どこか異質な感慨を禁じ得なかった。と云うのも、あのような集団生活に不適格な者が決まって陥る空想癖は、此れが全てだと云わないまでも、雑多な書物を通読することから起因し、真理恵に限っては妄想の類を拠り所にするより現実を斜めから構えることで、シニックな結論に到達するのを好むように推測されたからだ。
 私は真理恵を注意深く観察した。彼女の陰湿な所作、指の一つ一つの軌跡、首に傾げ方、微笑の企みが、甚く私の嫌悪を誘った。そのわざとらしい喜劇は、贈呈品の包装紙のように無意味だった。

                                                 二

 県立朱鷺高等学校は、深閑とした山を背にして建てられている。粗末な間道を行き、校門までの短い急勾配の坂を上りきることが日課だった。毎日が簡素で瞠目とは無縁の暮らしであり、煤嶽村がいかにして都会との誤謬を孕む素因となっているか了得できる。規律は寛容に、競争は相互愛に、資本主義は共生に取って代わった。瀟洒と利便性に目を瞑れば、普段の生活は安いものだ。流行に頓着しない様は、暗に時間の経過を鈍重にしていた。日が昇れば目を覚まし、日が沈めば床につく。規則正しく波止場に船の碇が下ろされて、子供たちは衆人環視の掣肘を享受しながら、難路な人間関係に薄明を見出していった。私は子供と大人の境目にあって、未だ黎明の兆しすら適わなかった。迎合できない仔細を詮索しては癇癪を起し、令名は頑健な鎖で括り付けられた木箱にしまわれた。素行は崩さず礼儀は行き届いていたものの、内にある形容し難い感情のしこりが、私の気紛れに拍車を掛けた。例えば託けの類を耳にすると感情の行き場を無くしてしまい、新たな空語を拵えるよりは距離を縮めたくなり、苛立ち紛れから過言してしまうのだ。情操に落ち度があるのかもしれない。祖母に相談を持ち掛けたことがあるのだが、大なり小なり性格の歪みは個性の範疇と、一笑に付された経緯がある。そんな私のことを、真理恵は癇癪玉と呼称した。
 校風は往々にして寛大である。生徒の自立を促す意味で個性を尊重し、慧となるを主眼として尽瘁も厭わない心胆を育むとあった。健全な人格を構築するにあたって智は懸隔ではなく、寧ろ尺度として用いるに足る干戈となる。教師たちの口癖は決まって此の言葉に集約された。進学校ではない、地方の県立高校にしては稀有なことだが、文教に注力しており、意識の高い数十名に及ぶ秀抜な者が著しい成果を上げた。東京大学、京都大学、国際基督教大学、一橋大学、大阪大学など、各大学に卒業生を送り出した田丸博学校長は、他校から羨望の的だった。異例の事態に都の教職員が足を運ぶほどに――。
 入学から二ヶ月後に行われる中間試験は、そう云った意味でも試金石だった。私は学問を習熟する勢いで、一日の大半を自己研鑽に費やした。喫緊の問題はなく、科目挙げて平均点を凌駕することは自明の理だ。後はなにほど、評点を伸ばせるかに懸かっていた。
 「笹川」
 私は呼ばれて顔を上げた。伽藍の教室は夕映えが射し入り、落日は目下、東雲の前座に足らんとしていた。いい加減に並べられた机は極右の行進であり、掛け時計の秒針は喧しい極左の糾合だ。下校時刻を告げる放送が校内に響いたので、私は此れを契機に帰宅するつもりだった。学生鞄に教科書を詰め込み席を立った刹那、入室してきた坂本正一に呼び止められたのである。坂本とは同じ中学校で学んだ。外語学に通暁しており、中学校時代の成績は彼と主席次席を分けることが間々あった。闊達な性格に裏打ちされた不壊で根太い精神は、他者の信頼を勝ち得 るには充分過ぎるほどだ。仄聞したところでは、空気の綺麗な此処煤嶽村に引っ越してから後、才知をいかんなく発揮して、同期の者を悉く退けていった。水際立った東京弁を話、些少の方言も解さない達者な言詞は、時代の先端に達しているかのような心証を与えた。私のような神経過敏な者と話ができたのも、こうした純朴な安閑さからきたものなのかもしれない。
 「なんだ」
 私の音吐に若干怒気が含まれていたのは仇視のせいだろう。
 「いや、勉強が捗っているのか気になったものだからね。敵情視察と云う奴だ」
 坂本は莞爾すると、手にしていた日誌を教壇の上においた。
 「進学校ではない田舎の高校だからと云って、事前準備が肝要なのは承知しているはずだ」
 「そう気張るなよ。それより、こんな遅くまで残っていると云うことは、雑務かなにか押し付けられたってところかい?」
 私は学生鞄を肩に下げ、坂本を睥睨した。遅くまで校舎に残っていたのは、偏に閑静な環境を希求したからであって、坂本の云うような諸事は微塵もなかった。暗識は精根が必需であり、何者からも障りを負う羽目になるのだけは避けなければならない。今もこうして、坂本と対話を続ける気は毛頭ないのだ。よもや、私と懇話できるなどと、不毛な思慮に囚われているのでもあるまい。
 「俺はもう行くぞ。無駄な戯言をつらつらと述懐するつもりはない。時間は万人に共通の認識だからな」
 「共通の認識だって!?」
 坂本は大仰に慨然としてから続けた。
 「君が浦島効果について、知らないわけではないだろう? まぁ、待てよ。一人の人間に数分の時間も割くことができないほど、切羽詰っているのではあるまい。よし、いみじくも君が時間の概念を陳述してくれた礼に、今度は僕が人と人との繋がりについて、見識豊かな講釈をたれてやろう」
 「講釈は日がな一日聞いて飽いている。それも、耳朶が腐れ落ちるほどにな。つまらない東京の言葉でもって、忌々しい人生訓を一言でも口にしたら、お前の面をかち割ってから東京湾に沈めてやる」
 坂本は愁眉の面持ちで、窘める様に私に一瞥をくれた。こうした咎めは、終始、私の失われた調律の標榜であり、暁闇に灯る赫怒の焔でもあった。耐え難い激昂が騒擾せよと駆り立てる。幼い頃から例外なく私の桎梏であり指針であったそれは、今でもこうして深淵に確固として根を張って、必要とあらばいつでも残虐な暴君さながら、荒天の思念と化した。眼前の男を嬲り殺しにしているところを想像した。頤に対する私の報復は、陰惨な仮想の暴力に帰結された。現実に投影されない侭になった朽ちて摩耗しつつある命が、生殺与奪の掌握者に遁辞を述べ、敵わぬとみるや大童に遁走している痴態は、食物連鎖の極地だった。捕縛され蹂躙された肢体の華美は尾籠を誘致して、気付けば此れこそが痴だと知った。私は恥辱に視線を逸らして、坂本の紡がれる言葉を待った。
 「それにしても解せないな。笹川は友人が欲しくはないのかい? 中学時代もそうだったけど、孤独でいることが誉だと云わんばかりだ。いいかい、生の帰趨は改革と対極に位置する。保持精神は、況や相互の人間関係から発生すると結論付けられ、そこから生じた該当する感情の発露が物事の成否を判断する。此れなくして、社会生活を営む上でなにが緊要になってくるのか、是非ご教示賜りたいね」
 「主観的だな。大方、眼鏡が曇っているのだろう」
 「いやいや、譲歩したつもりだよ。抑々、社会はマイノリティで構成されていない。賛成多数の民主主義で決する以上、異質な奇癖は問題にしないものだ。混和しなければならない。そうしなければ、個の持つ性質そのものが無機質になりかねないからね。但し、個性を潰せと云っているのでもない。個と個の融合は最低限の節度だと云いたいのだ」
 「隣の芝生が青いと云っては相互干渉する癖に、賛成多数で決議された議題には口を差し挟まない。まったく面妖な国民性だよ。まだ、リチャルド・クーデンホーフの友愛政治論の方が、耳に耐えられると云うものさ。個性の有無をあやふやにしておきながら融合を説くのは、拝金主義で胡乱な宗教家共の専売特許だ。そうだ、いっそのこと共産民主主義の旗を掲げてみると云うのはどうだ? どっちに転げ回ったところで、それ相応の弁疏が可能だぞ」
 「共産民主主義とは、独裁政治の持って回った湾曲な云い回しなのかい?」
 私は坂本の皮肉も構わず続けた。
 「生の帰趨が保持にあるとは思いたくない」
 「うん?」
 坂本の顔に怪訝の色が窺えた。
 「徹底的な効率に基づく善行こそが、人間が人間の助力を為し底上げを図る。人間以上ならしめるものだ。生は道徳の観念に沿って、改革に直結するある種の能動的要素が不可欠だ。それが無ければ詭弁であり、行動は虚無と云う名の廃棄物に過ぎなくなる」
 「やれやれ……」
 坂本は憮然とした表情を浮かべ、教壇の上の日誌を拡げて制服の胸ポケットに挿してあった万年筆を取り出した。一日の行動を簡約して記された一語一語の文辞は、人生の切り絵然としており、立ち返ること容認されない籠の中の鳥である。不得要領な方寸を解き明かす算段が立たない以上、仮象の姿が映る鏡の裏側がどうしても気になるものだ。腕を差し伸べたところで決して届く筈がないと知りつつも、鏡を引っ繰り返して内側まで覗き込んでやろうと云う好奇心は拭えそうもない。潜在意識は兎に角厄介な代物であり、未開の地に足を踏み込むことは容易でなかった。真相の究明は此澱みなく進む坂本の手の動きは精練された舞の方のようであり、躍動と確執した諦念の息吹が見事なまでに私と対比をなしていたのである。一日のあらましは、枠を食み出さんばかりの野太い字体で記述されていた。日付、授業詳細、所感の欄に記載された色彩豊かな潤色は、消光の装飾であり息の緒でもある。室内は夕日が韓紅に熱情の渦をなし、空隙を跋扈しながら無音韻の結晶でもあった。
 私は窓を開け放った。乾いた風が髪を梳いた。校舎向こうの山は、近々麓から山間にかけて、雛罌粟、菖蒲、金鶏菊などが観賞できる。小高木である白雲木に連なる五列の花冠が、純然な美の連想として峻烈な光彩を放つだろう。唐種招霊の甘い芳香が蘇ってきて、私は軽く酩酊を覚えた。
 「五月の連休は、なにか予定を立てているのかい?」
 坂本は日誌から顔を上げて訊ねてきた。
 「紫外線の強くなる時期に、どうして戸外を探索しなくてはいけない道理がある? 勉学に決まっているだろう」
 「君をそこまでさせるインセンティブってなんなのだ?」
 私は返答に窮してしまった。此れ、と明晰に断言できるものがないことに愕然とした。今迄そのような隘路とは無縁だったので、坂本の発した何気ない疑問は謎語であり、殊更私は清新な感懐を受けた。学生が自身の滋養のために学業に専心することは本務なのだが、対人より卓抜せんと遮二無二に邁進しているのかと問われたら、否と云わないまでも、とても首肯できるものではなかった。不得要領な方寸を解き明かす算段が立たない以上、仮象の姿が映る鏡の裏側がどうしても気になるものだ。腕を伸ばしたところで決して届く筈がない知りつつ、鏡を引っ繰り返して裏側まで覗き込んでやろうと云う好奇心は拭えそうもない。潜在意識は兎に角厄介な代物であり、未開の地に足を踏み込むことは容易でなかった。真相の究明は、此処に到ると考えた。不可視の領域は魅惑の宝庫なので、困難でありながらも確と検分しておきたかった。その中に扇情を焚き付ける火種が燻っているかもしれない。常時、私を傲慢な苦役に扇動する、あの忌まわしい狂乱の桃源郷が――。
 私は黙殺した。敢えて話題を転ずる必要がなかったので沈黙を守っていると、坂本は日誌を小脇に抱えて私を凝視した。その双眸には一欠けらの野心すら宿っていなかった。詰問するほどの値打ちもないので、坂本も危険を冒そうとしない。それはそれで寂寥の感があったが、適切な距離感を維持する彼の配慮に、私は匠の技巧を垣間見た思いだ。教室を出て行っても差し支えなかった。それをしなかったのは戯れであり、興趣が起こったからに他ならない。人好きのしない気質なので、こうして声を掛けられたことが欣快だったのだろうか。心奥にあるエスの求めに何某かの救恤があって然るべしだ。それが偶さか、坂本の人間関係における留意に直結していたのかもしれない。
 「自分でも理解に乏しい」
 私は抒情的になるのを避けるために道化を演じた。
 「命題論理、いや、演繹法で導き出せる質疑だけにしてくれ。真理表を書く手間が省ける」
 「前提となるものがないだろう?」
 坂本は私の言葉を受け、調子を合わせてきた。
 「此れでは三段論法も地に落ちる。君の熱意の大本を解き明かすのに、真理表は不適格さ。それより、連休中は家にいるようだから一緒に勉強しないか? 悪い話ではない。同盟を結べば相互に利点があると云う、簡潔な論理から導き出された帰着だよ」
 「竜虎相打つだ。ずっと家にいるとは云っていないぞ。まぁ、いいさ。確かに利害が一致すれば、右に倣う奴だって出てくるものな」
 「ふん、云っていやがれ。君は本当に好感の持てない男だな。鼻持ちならない東京弁がすっかり板についた。その様子では、下稽古に余念がなかったのだろうね。荏苒としている毎日よりはいいが」
 その時、教室の脇を通りかかった教師が、即時帰宅するよう促してきた。私たちは折り目正しく返答した。二人して教室を出る真似はしなかった。坂本が帰宅の準備を始めたのと同時に、私は背を返して無言で教室を後にした。

                                                 三

 煤嶽村のインフラ整備が急速に進んだのは、私が三十路の風を感じ始めた頃だ。三位一体改革における地方分権化が進み、自治体は財源確保のために新たな取り組みを模索して奔走した。家屋を低価格で販売したり、家賃の賃下げにも積極的に働きかけたりと、新規の村民確保に躍起となった。裁量権の拡大は地方自治体の責任が増すばかりでなく、煤嶽村のように已むに已まれぬ事情があったにせよ、公共事業に焦点があてられ始めたことは好ましいことだった。ただ、地方交付税は当てになる額ではなく、自主財源から公共事業を賄うとなれば自ずと限界がある。ましてや、煤嶽村のような規模の小さな自治体の財力はたかがしれており、ダム、港湾、道路、通信施設、発電所などの産業基盤はおろか、社会福祉や環境施設の充実となれば、成果のほどは不十分と云わざるを得なかった。
 私が学生時分に、インフラ整備が進んでいなかったと云えば嘘になる。寧ろ、今に比べて充分な資金が確保されており、煤嶽村は第一次成長期を迎えていたと云っても過言ではない。理由は至極明確だ。当時、朱鷺高等学校に田丸博学校長が就任したことが大きかった。田丸博学校長は煤嶽村の村長であった香月史郎氏に、挨拶がてら財源捻出の惨憺を慮って水力発電所の誘致を提案した。朱鷺高等学校の背後に、一際大きく聳える三笠山を源流とする神無月川が煤嶽村の中央を流れており、村の面積の約七十パーセントが森林である。人口は千六百人を数え、六十五歳以上の高齢者が人口比率の四十パーセント以上となっており、煤嶽村は過疎地域に指定されていた。村民税は個人法人合わせて一人当たり平均六万八千円、固定資産税の平均は八万八千円であることから、とても公共事業に乗り出す状況ではなかった。
 そこで田丸博学校長が提案した水力発電所の誘致案は、財政難そのものを大型の固定資産が煤嶽村に所在させるだけで解消されると云うものだった。固定資産税は土地、家屋及び償却資産と固定資産を課税客体として課せられるものである。よって、固定資産税を急増させたければ、特異の固定資産を煤嶽村に誘致したらいいのだ。田丸博学校長は用地交渉に自ら同伴する旨を申し出た。勝算があってのことだろう。私が後に知り得た情報によると、田丸博学校長と東京電力の牧田取締役は旧知の間柄だったと云う。交渉するに当たっても、それなりの配慮がなされることは明白であり、田丸博学校長にとっても根回しなしに自治体に恩を売る好機でもあった。
 香月村長は田丸博学校長の提案を受けて云った。
「お分かりだろうと思いますが、償却資産の課税評価額は取得評価額から毎年その耐用年数に応じた減価率を乗じることによって算出されるため、固定資産税は初年度をピークに年々数パーセントづつ低下していきます。恒久的な年金として期待している訳ではありませんが、増収分は煤嶽村振興発展基金として積み立てる必要があります」
 田丸博学校長は、厳かな表情で香月村長の話に耳を傾けていたが、やがて緩慢に口を開いた。
「そう云った話は誘致が成功してからにしましょう。私が朱鷺高等学校に就任が決まった時から、煤嶽村の状況は見過ごせない事案です。煤嶽村の発展は我が校の成長に必須であり、優秀な生徒を中央に送り出す事態にならぬよう、故郷への愛着を喚起する必要があります。財政難は一刻も早く解消していただき、公共事業に着手できる状態を作り出せねばなりません」
 「ですが、思い切ったことを考え付いたものです。水力発電所の誘致ですか……」
 「どうしても、火力発電では環境破壊の懸念がありますし、原子力発電に到っては放射能漏れの恐れがあります。遅かれ早かれ、再生可能エネルギーに目を向けざるを得ない状況だったのです」
 香月村長の顔色が変わった。
 「この機に乗じて、と云うことですか?」
 田丸博学校長は頷く。
 「どの電力会社も再生可能エネルギーに着目しているし、あわよくば実験も兼ねて設置、運営を目指しています。ただ、理論上は可能でも水力発電は本質未完成であり、設置に関してもダムを建設する以上は景観を損なうことにもなります。完成には後数十年はかかるであろうし、積み上げるべきデータ収集も必要です」
 「実験場を設けさせてあげる代わりに、電力会社から資金を引っ張ろうと云うことですね」
 「三笠山は裾野が広い、村の中央は神無月川まで続いています。発電に欠かせない水の流れる力を利用するという点からも、高低さがある分、落差のあるダムを建設しやすいメリットがあります。水力発電所を設置するには最も適した場所です」
 香月村長は感服したと云うように頭を下げた。
 「恐れ入りました。大変な情報網をお持ちのようだ」
 「誘致が成功すれば莫大な税収入を、村民の負担なしに獲得できる。振興発展基金も宜しいですが、私は第二矢を企業の誘致に絞り込みたいのです」
 「と、云いますと?」
 「課税評価額が毎年減少するダムや発電所などの償却資産からの税収とは異なり、企業が転出せず且つ利益を出し続ける限り、安定した財源が確保できます」
 「成程、所在企業の設備投資によっては、亦、固定資産税も増収される仕組みですか」
 「察しが早くて助かります。工場が建てば煤嶽村に新たな雇用も創出されます。問題があるとすれば、誘致した企業が風邪を引けば此方側は肺炎になると云う一点だけです」
 二人がこうした遣り取りをしたかどうかは私の想像だが、大体において本筋から遺脱していない筈だ。誘致の話は着々と纏まって、煤嶽ダムに湛水が行われ、私が朱鷺高等学校に入学する六年前の十二月二十日に営業運転が開始された。地方税法三百五十九条によれば、固定資産税の賦課期日は当該年度の初日の属する年の一月一日とするとあった。この規定により、十二月中に水力発電所が運営できなければ固定資産税の課税対象とならず、増収が一年先送りになってしまう。私が役場に行って聞いた話では、年末が近付いていたので翌年度の税収動向を懸念して、予算を二通り用意していたほどだったと云う。資料によると、煤嶽村にダム、水力発電所などが誘致されてからの固定資産税の総額は二十五億円にも上っている。前年度の固定資産税額が約五千五百万円であることから、殆どが水力発電所関連の増収だった。
 資金の潤沢は発展の一助となり、商業施設の開発を促した。隣村の南櫛灘村に向かう中央道は、三井不動産や三菱地所の建物が並んだ。テナントも多数に上り、イオンの他にもこうした企業が軒を連ねる意味は大きかった。人口も右肩上がりに推移しており、二人が画策した目論見は概ね順調に遂行された。なにより雇用の安定が村全体の経済を安定させた。林業による第一次産業が主流だった煤嶽村の現況を、複数の企業が集約されるところから生じる貨幣と人の動きでもって、村になかった新たな雇用を促した。セブンイレブンジャパン、ワタミグループ、マツモトキヨシも流れに乗じた。それでも開発は局所集中であり、煤嶽村全体を見渡せば依然手付かずの侭の処も多く、生活水準が飛躍的に向上することはなかった。不必要な森林伐採に拠る開発は村民の反駁も大きいのだ。開発は煤嶽村西方に偏っていった。
 此れにより、今まで連帯意識で臨んでいた南櫛灘村との共存共栄の形は必然的に薄れて行き、やがて両村は資金格差の現状から深い溝ができ、時を待たずして関係が断たれていくこととなる。そんな折、危機感を持った香月村長は南櫛灘村の村長である新見義輝氏に、アミューズメントパークの誘致を立案、誘致した企業の開業資金を負担する名目で、資金の半分を出資する旨を申し出た。然し乍ら、田丸博学校長の二番煎もあってか中途で頓挫した。騒音と塵の問題を解決する術を見出せなかったと云うのは建前であり、実質は両村の自治体が資金面で折り合いがつかなかったためだ。香月村長は兎も角として、煤嶽村の村民たちは南櫛灘村の者たちにあまり良い感情を抱いていなかった。それは南櫛灘村の村民たちも同様である。旨趣は追々していくこととするが、今は割愛させていただく。此処で云えることは、形はどうであれ兄弟仲は決して良好ではなかったと云うことだ。
 片や朱鷺高等学校の学校長である田丸博は、拓かれつつある煤嶽村にある程度は満足していたのだろう。急速な発展ばかりが、正しい訳ではないのだ。村民の生活が一夜にして様変わりするなどと、そのような妄想を抱くのは子供の見る夢である。舗装されていない獣道、錆び付いたバス停の標識、未だ点在する藁葺き屋根の家が煤嶽村に住まう村民たちの意思なのだと、倫理の授業中に田丸博が自ら教鞭をとって語っていた。私は過去を想起するにあたり、田丸博と云う男の深層心理に触れた気がした。
 精神科医の真似事が狂言回しの役目ではないことは自覚している。傾聴してくれる者に、物語の洞察を助勢する一臂の力であれば良いのだ。私が進行役など烏滸がましい限りだが、今更代役も期待できまい。寧ろ、私が適任なのだろう。実際、その場に居て肌で空気を感じたのだから。照り付ける不祥な陽光の傲慢さ、乾いた空気の執拗な白々しさ、私は煤嶽村に吹く余所余所しい阿りの風が嫌いだった。共存と伝統を振り翳す退化した老害共の保身が、なにより私の気に食わなかった。今だ青臭く未成熟な私の虚勢心は、昔から成長の兆しすら見られない。能動的であればこそ人は前を向いていられるのであり、革新に触れるたびに生の愉悦に傾倒していけるものだと盲信していたからである。私の生来の気性が気性なだけに、雑輩たちが遠巻きに見やり扱いに倦ねていた。私は神童と持て囃された驕肆の産物であり、煢煢となっていったのも得心が行く。鶏群の一鶴であるなどと矜持に溺れ、人の心を察して思い遣るより小馬鹿回しに明け暮れて、爾来、対応に難儀する賢しい子供と云う認識を持たれるに至った。

                                                  四

 中学生の時分、私は学業の修練に飽いて授業を抜け出し、校舎を囲繞している金網を攀じ登り当てもなく逍遥した。背後から沙羅左が尾行しているとは露程も考慮にいれずに。反抗期からの卒爾な行動ではなく、胸奥に堆積した不穏な瞋恚を発散してしまわねばならない課題もあったのだ。近傍に感情の起伏に囚われた者がいると、私は空気が伝染するように内部から興ってくるのだ。まるで火が熾るように、盛んに私を焚き付けるのだ。相手が誰でもと云う訳ではない。全く干渉を受けない方が圧倒的なのだ。彰彰なことだが、万事が万事であったならば身が持たなかったであろう。悪い話ばかりではない。私の精神状態が心火に満たされたならば、奥底から湧き上がってくる活力の幅は尋常ではなかった。数十時間の修文を収めるのに、コンセントレーションの維持は容易くなるのだ。己を見失ってしまう嫌いはあったものの、結果に対して云えば充足の域に達するものだった。遺尿していたのは誤算だったが、家族の者に見咎められなかったのは幸いである。処理に多少の手間はかかったが、超人的な意識の埋没が齎す問題点を除けば、薬物が与えるであろう効能を感受性の観点から獲得した経験は得難いものだった。
 だが、此の状態が継続している様は具合が悪い。忘我の態で校内を彷徨うなど以ての外だ。人や物に八つ当たりできなければ、一心不乱になにか没頭する逃げ道すらない。取るべき選択は一つ、こうして人目を避けて燃え盛る焔が鎮火するのを待つしかなかった。慣れてしまったとはいえ、作業を実行に移すのは骨が折れた。人目を盗んで教室を後にして、なにごともなかったように席に戻る。仮令、教師や同級生たちに見付かる羽目になっても、私を見咎めるような愚行は犯さなかった。私は腫物でありながら、教師たちの思惑でもあったからだ。乾いた打算が、確実に私の心の綻びに届いていたと云うのに。教師たちが希求していた進学校への進学は、蓋し私と坂本だけが可能性だったのだろう。思惑が水泡に帰したとき、私が坂本を指嗾して、朱鷺高等学校への進学を誘因したと勘ぐられたのはこうした経緯があったからに外ならず、坂本の姦譎な執り成しで事なきを得たのは些か不本意ではあった。磊磊落落で如才ない坂本の存在は、折衝の折にどれだけ頼みにしただろう。当時や今も、私が過てば彼が後処理をする。汚れ仕事は坂本の十八番であり、沙羅左の件に関しても例外ではなかった。私たちが角逐していたにも関わらず利害を超えて互いに挺身だったのは、村民性より私淑の心によるものが大きかった。
 南櫛灘村に向かう中央道に出ると、途端、都会風を吹かせた建造物が顔を覗かせた。精一杯背伸びしたが故の不釣り合いな建物群は、村の者たちに云わせれば、顰に倣ってみたものの西施になれなかった醜女そのものだとした。私は三井アウトレットパークの一角である、三井アウトレットパーク煤嶽村の窈窕たる表構に心酔した。此れこそが村から町へとする改革の一歩であり、香月村長の信念の象徴だと感嘆した。
 村が町に移行する際、当該都道府県がそれぞれ条例で定める町としての各要件、人口、連坦戸数あるいは連坦率、必要な官公署など、産業別就業人口割合などを具備する必要がある。且つ都道府県知事が都道府県議会の議決を経て、直ちに総務大臣に届け出なければならない。市制施行後にその要件を満たさなくなった市が町や村に、あるいは町制施行後に要件を満たさなくなった町が村に戻ることについても、前述と同様の手続きを踏むことで実施できるが、今まで行われたことはない。市が町村に、または町が村に戻れば、一部の業務を都道府県の管轄に移管することができる。これにより自治体の行政の負担が軽くなるというメリットが見込めるが、一方で業務軽減に応じて地方交付税の交付額が減額されたり、職員の名刺や印刷物の表記変更などに膨大な事務量がかかるなどのデメリットがあるからだ。
 香月村長は煤嶽村を近代化すると云ったスローガンを掲げており、村を都市化していくことで過疎化の波を食い止めて、村に住まう者たちの愛着と歓喜を呼び覚まそうと試みた。前述しているが、人口は右肩上がりに推移しており、今も尚、煤嶽村の人口は顕著な伸びを示している。二十年後の村の総人口は二万二千人を数え、村から町への移行作業が行われている最中でもあった。現首相は脱デフレ・経済再生を基本方針として、経済大国日本の復活を目指している。煤嶽村も同様に経済強化を基本の柱に据え、それを支える地盤として教育システムの強化に取り組んでいる。
 余談だが、此の村に住まう者で英語を話せない者が一人としていないと云う事実に目を向けてみるとしよう。村独特の方言に混ざって、いかにもネイティブな発音で英語を話す老人たちが多いことに驚愕する。無論、子供たちとて国際化の波を受けて英語は習得科目であり、外国人教師たちに師事して着実に我が物としていた。煤嶽村へ新規に移住してくる中に、教育上の理由を挙げてくる者がいる。自治体の助成金が、教育と社会福祉に向けられていることに好感を持ってのことだ。蓋し、移住の条件に成人前の者を除く二十歳以上の者に、英語研修を最低半年は受けてもらうと云った条件が付加されている。任意ではあったが、外国人移住者が二割強を占めているための配慮だ。研修は無償であり、小・中・高で雇われている外国人講師ALT=assistant language teacherのボランティアで執り行われている。後々、移民政策の先取りとしてマスメディアに取り上げられることになるのだが、煤嶽村は積極的に外国人たちの受け皿になっていながら、犯罪率の低さ、景観の美を称讃する声は止まない。Youtubeで村の様子が動画配信されている中に、楽しげに花見に興じる外国人が、帰り際に塵の後処理をしている様子が映っていた。動画を撮影している若者の問い掛けに、一人の外国人が語っている。
 「煤嶽村はおらあの第二の故郷さ。故郷はおっかのずなものだ。感謝と慈悲を持って接するのは当然のこと。この歳になって、猿のずに尻を林檎にして歩きたくはねえからね」
 興醒めなのだが此の外国人、流暢な日本語を話すくせに妙な訛りが多くて聞き辛いことこの上なかった。まるでカナダ訛りの英語である。
 三井アウトレットパーク煤嶽村は、平日だと云うのに多くの人で犇めき合っていた。八十台は駐車可能とされる立体駐車場は七割方占められている。三井アウトレットパーク煤嶽村の建物は全て平屋建てであり、大阪府大阪市鶴見区に開業された鶴見はなぽーとブロッサムの半年後に建設された。二〇〇八年四月一日から三井アウトレットパーク+地域名称で統一されるのだが、一九九五年当時から、此の建物は三井アウトレットパーク煤嶽村と妙名されている。云わば水力発電所同様、実験を兼ねたアウトレットモールであり、村は森を切り開けば無駄に広い敷地面積を有するだけあって、交通の便を克服できれば三井不動産にとっては宝物庫だ。過疎化の波に抗えない村の現況を余所に、外部から客足を伸ばしていける目論見が戦略上確かにあった。都市部からアクセス可能なラインは、電車、新幹線の他、東京から車を乗り入れれば中央自動車道で八王子ICを経由するか、亦は関越自動車道で練馬ICを経由することになる。往復となるとそれなりの時間を有するが、その問題点はクリア可能だった。村に格安のホテルを建設することで、日帰りを強制しないシステム作りが成された。此処までの着眼点は良かったのだが、本来の課題は客にあらず働く従業員にあったのだ。当然の如く、ここで働く以上は近場に居を構える必要がある。精々、職場から離れた場所に住むにしても、一時間程度を移動時間としたいのが本音だった。態々、辺鄙な処に持って来て、疲弊した体を休める場所までが、予想だにしない片田舎だとしたら目も当てられない。休日を利用して都心に出るにしても一仕事だ。数ヶ月単位の単身赴任ならいざ知らず、会社に骨を埋めてやろうという気概まで削がれては本末転倒だ。この壁にぶち当たり、複数の企業は勤労の本質を見直す切っ掛けができた。所得の増加と有給休暇の強制取得である。増えた所得は都心に向かず、住めば都ではないが見知った煤嶽村の各々が通ずる位置に、自然と落ちていくこととなった。
 店舗数は五十店舗以上はあるだろうか。亭午の時間帯もあってフードコートは家族連れで賑わっている。普段なら餓さにかまけて血糖値の上昇に努めていたはずが、私は払拭しきれないでいる情念の渦が人目を避けて自ら死角になる場所を求めて徘徊した。三井アウトレットパーク煤嶽村を概観してから裏手に回り、建物を支える数本の太い支柱の内、南西の柱が駐車場からも死角となっていたので、身を潜めるに最適だった。折悪しく、私が柱で息を殺して異質の想念が咲き乱れるに任せていると、脇を疾走する黒い塊が視界の隅に入った。真黒な体毛に覆われた有機体は猫である。不吉な予兆を孕んでやしないだろうか。私を認めるなり立ち止まると、牙を剝き出して敵意を露にする。毛を逆立て威嚇する矮小な勇者は、虎や獅子にだって所構わずの有様であっただろう。私は黒猫と図らずも同質の感情を抱いていたためか、シンクロニシティが生み出す怒りの助長に歯止めが利かなくなっていった。彼の生き物は捕食対象であり、私は食物連鎖の頂点に存在する捕食者だ。唐突ではあったが、黒猫を殺して喰らいたいと云う真摯な欲求が心を侵食した。
 断りを入れておくが、私は精神病質者ではない。共感性が他者と比べて著しいばかりで、虚言癖や良心の異常欠如が見られるとも思われなかった。希死念慮に苛まれているのでもなく、寧ろ衝迫に突き動かされているのだとすれば、同級生の高田麗光が良い例だろう。瞳に狂気を宿し言動は不可解、特定のイデオロギーに固執して扇動する様はアジテーターそのものだった。潮が満ちるみたいに突如激情に駆られたと思えば、理由のない死の傾倒へと耽溺する。双極性障害に酷似した症状は、殊に私の精神と符合するかの如く影響力を行使した。中てられるとは云い得て妙であるが、どうか浅陋な高田麗光と同等に扱うのだけは止めてもらいたい。諄い様だが、私は決して病んでいるわけではないのだ。高田麗光との強いシンパシーは性質そのものが類似しているのであって、私と彼の有り方や本質とは全く別種のものだと云いたかったのだ。
 私は膂力の許す限り黒猫を蹴り飛ばした。眇眇たる捕食対象は、物云わず壁に叩き付けられて身動ぎ一つしない。此のまま放擲しても構わなかったのだが、私はそれを許さなかった。完膚なきまでに執拗且つ凄惨な攻撃を加え続けた。私は止めを刺さんと黒猫を鷲掴み、頭の隅では既に息絶えていると理解しつつも、地面に勢いよく叩き付けた。
 「真向! 笹川真向!」
 我に返った時、視界の隅に映っていたのは、顔を紅潮させて有らん限りの声を振り絞る沙羅左の姿だった。寸刻脳裏に過ったのは、見られたと云う羞恥心よりも、何故此処に沙羅左がいるのかと云う率直な疑問である。沙羅は両膝に手を付き、肩を上下させて息を整えると、顔を上げて転がっている真黒な肉塊を顎で示した。彼女の額から汗が滴り落ち、頬を伝って地に垂れた。爽やかさは微塵もなく、まるで灰汁の強い根菜の煮汁だった。
 「器物損壊よ。此れ、首輪がついているわ。誰かの所有物で間違いないわね」
 私は沙羅の言葉で、ようやくそれが飼い猫だと気付かされた。まだまだ冷静な頭でいられなかったが、意識は少しづつ覚醒に向かっている。地面に転がっている黒猫の躯が誰の物だって、私は不可解な感情に留意するものではなかった。他者が抱く疑問は多々あれど、私はそれについて言葉を濁すよりない。激情の果てに殺人を犯す可能性について考察したところで、世界体系が複雑である以上、未来は予測不能なのだ。スーパーコンピュータを駆使して演算に取り組んだところで、初期値の値に僅かな違いが見られたら、算出される結果は大きな違いとなって表れる。此れを初期値鋭敏性と云う。カオス理論を語る上で、初期値の正確性は最重要事項だ。天気を予測するにしても、現在の東京の気温が三十度だとして、初期値に数字を入れると一週間後の東京の天気予報は晴れになる。次に三十・一度の値を用いて計算すると、明日の天気予報は雨に変わる。少しでも初期値が変われば、結果は大きく異なってしまうのだ。それに初期値を完璧に計測する術は人間の中にはない。目前の木材にすら、正確な長さを測定する際、拡大、測定を試みても観測に終わりはないのだ。一・五四〇六二九七八四七六二八……。完璧に測れない初期値の誤差が、観測に著しい影響を与えるばかりか、結果を大きく捻じ曲げるのだ。人間は物理現象を完全に解明したとて、初期値を完璧に計測できないので、未来を予測することはできない。故に私の未来も計測不能なのだ。此れが結論である。
 「首輪が付いていれば、どうだったっけ?」
 「親告罪、飼い主の告訴が必要になるわね」
 沙羅は額の煮汁を手の甲で拭い、私に生気のない視線をくれた。口調は淡々と、声質は無機質な機械音だった。
 「ところで、なんでお前がここにいるんだ? 尾行なんて結構な趣味じゃないか」
 「授業を抜け出して、此処で油を売っている人の台詞ではないわね。動愛法罰則って知っているかしら?」
 私は首を振った。法律には疎いが、なんとなく察することはできた。
 「動物愛護法は親告罪と違って、告訴がなくとも罪に問え亦、所有者がいない動物も含めて護る法律よ。確か懲役一年以下、亦は罰則金は百万円以下だったかしら?」
 動物愛護法は平成二十五年九月に法改正があり、懲役二年以下、亦は罰則金二百万円以下に変更になっている。
 「相変わらず、嫌な記憶力だな。自負しているんだろう? 瞬間映像記憶のこと」
 沙羅は息絶えて間もない黒猫を大事そうに抱え上げた。繁々と見つめる眼差しは、どうかすると探求心の強い子供のような輝きがある。裏に表に丹念に観察すると、終いは鼻を近付けて死臭を嗅ぐ真似事までしてみせた。
 「玉響、春を感じてしまいました」
 そう云うが早いが、沙羅は満足した子供がするように、無造作に玩具を放り投げた。再び地に落ちた黒猫は、力なく腹這いになり舌を覗かせた。三味線ができるわね、などと独り言ちる。不覚にも、邪気のない子供みたいに振る舞う沙羅の魅力が、私に神阿多都比を連想させた。沙羅左は取り立てて美人ではなかったが、人の感情を揺さぶることを得手として、他人の好感を掻き立てることに成功した。教師受けも良く、言動は溌剌さを欠いているが勤勉さを高く評価されている。就中、数学の成績は私でも舌を巻くほどであり、国語を除く成績は常に上位であった。彼女の周囲を取り巻く状況は極めて良好である。沙羅は難があった読解力の向上に努めんと、毎日のように図書室に入り浸っていたところで、私を無理やり同胞に引き込んだ。私も私で普段は他人に干渉されることを良しとしなかったが、一度でも心の障壁に風穴を開けられると、極度に脆いと云う事実が露呈した。お節介とやらに従順で、この時ばかりは私の頑なな独りよがりも、他者の桎梏を取り除いてやりたいとする仁恕の精神構造に作り替えられるのだ。此処で沙羅は戦利品を獲得した。相変わらず読解力は可能性を見いだせなかったが、語彙は豊富となり識字能力が向上した。担任教師に促されて中学二年生で商工会議所主催漢字能力検定一級の資格を取得したが、進学にも就職にも然したる意味がない勲章は関心の対象外であった。文盲ではないのだから、学べば誰でもできる大道芸の一種だとした。私は坂本の後塵を拝していた英語の、主にリーディングに努めた。コンフォートゾーンを遺脱しないよう、勉強は放課後の二時間を目安としてストレスに対処した。帰宅した後も継続して取り組めた背景は、沙羅が隣で適度に知識欲を刺激してライバル役を買って出てくれたからだ。
 「この後、どうするのかしら?」
 私に問い掛け乍ら、沙羅は黒猫を足で壁際まで追いやっていた。視界に留めておくには、あまりに雅に欠けて情緒に訴えかけてくるからであろう。沙羅は髪をツインテールに纏めて、流行り始めたルーズソックスを履き、制服のスカートは極端なまでに短くしていた。セックスアピールの手段としては陳腐であったから、沈黙の螺旋が敷かれて、同調圧力に屈したとみるのが妥当だ。
 「此の儘、帰ろうと思う。鞄を持って来てくれないか?」
 沙羅は渋面を浮かべた。
 「内申点に響くと思う。私の思考は先生に盗聴されているから、拡声器で村全体に放送されてしまうわ」
 「付き合いたくないなら別に構わないさ。俺が裁かれない理由、分かってないわけないだろう?」
 沙羅は眉間に皺を寄せて、両の目を閉じつつ何度か頷いた。
 「贖宥状が二枚発行されていることは知っているわ。真向と坂本君にね」
 私は天を仰いだ。生憎と曇天だったが、今の心境を忠実に反映しているようで滑稽だった。沙羅が私と坂本について嫉視していないのは明白なのだが、贖宥状という云い回しになんの含みもなかったなどと、悪足掻きが過ぎた弁明はしまい。沙羅は学問を等閑に付すようなことはせず、真摯な姿勢で短所を補い奮励した。中学二年生の期末考査では、私や坂本に次ぐ上位三名の仲間入りを果たし、学生たちが己がじしなさねばならぬ一般教養の習得成功を示して見せた。更に上を求められるのは必至なのだが、私たち同様、朱鷺高等学校への進学を打ち明けた時分、強く慰留されたと聞く。地元で最も偏差値の高い県立高校に進学することが落ち度なのかどうか甚だ疑問だった。私立高校と違って法外な寄付金や授業料を請求されないのだから、無理を押して中央の進学校へ行くメリットがあるのかどうなのか、私みたいな浅慮ではとても計れそうにない。朱鷺高等学校の教育と、開成高等学校や灘高等学校のような進学校の教育にどの程度差が出てくるのか、結果三年後にどのような開きが出てくるのか、納得した説明があってもよいのではないだろうか。個人面談ではそこいらが漠然としており、鮮少な情報から割り出せたことは朱鷺高等学校に対しての不明瞭な噂についてだ。
 今だから披瀝するのだが、個人面談、三者面談終了後、私たち三人の待遇は見るからに悪くなった。精々腫物に触る扱いが、すっかり鼻摘み者だ。他にも朱鷺高等学校へ進学意思を明示した生徒たちは、教師たちからあからさまな冷遇を受けた。沙羅も多分に漏れず、豹変した教師たちの態度に不信感を拭えなかった。推察するまでもなく朱鷺高等学校へ進学することは、学校側にとってなんらかの不利益を齎すのだろう。肝心な不利益とはなんなのか、事由については些かの論もない。どうやら真相はその噂とやらに隠されているようだった。私が進学意思を表明した朱鷺高等学校の情報は先方が開示してくれた。朱鷺高等学校へ直接連絡を入れた際、事務員から代わって田丸博学校長自らが、私に学校見学を提案してくれた。オープンキャンパスの日程は既に公開されていたのだが、学校にはその旨を知らせる情報は張り出されていなかった。隠蔽工作が行われたのか、偶々学校に情報が伝わっていなかったのか、勘ぐっても仕方がなかったので学校見学の日程を指定の用紙に記入して提出した。受理されたが、職員室の空気は水を打ったように静かだった。
 学年で主席を占める私の進路希望先が広がり始めると、予想外であったのか他の生徒たちが色めき出した。確かに地元で有数の県立高校ではあったが、傲慢な云い方を許してもらえれば、私の力を持ってすれば奨学金制度を利用してでも都会の進学校へ通学できるはずだった。実際、奨学金制度の話は担任から持ち掛けられたのだが、私は取り付く島もなく断りを入れた。上京しようと云う野心は、時期尚早と判断したのだ。家庭の経済力も考慮した。父親は三年前に他界して、母親は多感だった私の陶冶を一身に背負うことになった。村の良い処は、そうした弱者を捨て置く習慣がなかったところだ。煤嶽村の子供たちは村民全員で育てる暗黙の了解があった。母親は村の者に世話されて、簡易郵便局の職員として採用された。お蔭で贅沢しなければ生活に困窮することもなかった。然して娯楽があるわけでもなく、否が応でも勉強で時間を潰すよりほかない環境下ではあったが。私が云うのもなんなのだが、こうした捻くれた性格も、村民たちは扱いに難儀していたが、一定の理解は示してくれていたと思う。家庭環境から難しい年頃の子供がいると云う証明問題は、共通の解である愛と云う模範で証明された。私は坂本と沙羅を連れ、図書室を利用しながら不明瞭な噂について、それぞれが見聞きした情報を交換しあった。共通していたのは、朱鷺高等学校に在籍していた学生たちの思想が、大きく様変わりしていった事実についてだ。
 日本人の多くはモダンリベラリズムに傾倒しており、自由を重んじ社会的公正を志向する思想体系に異議を唱える者は少ない。朱鷺高等学校の生徒たちも、モダンリベラリズムを自身の思想に掲げている者が多かった。思想が述べる自由とは、内奥の真実と外的世界の変化を通して、調和ある自己と平和を構築していくことにある。根源は自己にあり、自我にはない。自由が最も必要な要素は、他者の存在であり関係にある。他者への働きかけによって自己の変革を促す。それがモダンリベラリズムの生き方だとした。モダンリベラリズムは奔放な振る舞いを指すのではない。自身の思う侭に行動することである。自由であると云うのは、内面の思いが大切なのだ。思いとはなにか、その根本はどこに帰属するのか。思いの大本は思いの対象になければならない。対象の働きかけは、自己の内面が反映されたものである。と同時に、その働きかけが自己の思いに反映されるからだ。反して勝手気儘に振る舞うことは、他者の思いが全く反映されていない。故に傍若無人な振る舞いは、自由とは真逆の姿勢をとっているため対極に位置する行動である。自己の心情が向く対象者に察しや思いやりが皆無であれば自由は成立しない。そのため、モダンリベラリズムの定義は愛なのだと云うべきだろう。その模範と云うべき生徒たちが、ある日を境に奇行に走るようになり、中には攻撃的な人格になって周囲の者に危害を加えた事例が発生した。

                                               五

 一例が畜産農家の家畜群を一夜にして皆殺しにした生徒の存在と、未成年であったため名前は世間に公表されていないが、殺人を犯して少年院送致になった生徒の存在である。後者の事件は通り魔的犯罪だ。事の起こりは年の瀬も押し詰まった午後八時、外灯もない村の夜道は危険であるとする認識は、村民の誰一人持ち合わせていなかった。施錠の重要性も蔑ろにされており、それも此れも煤嶽村の村民たちは皆家族だとする共通意識の弊害によるものだ。流石にその後は危機意識も多少は高まり、施錠の義務と外灯設置を新たな村の取り組みに設けて対処にあたった。殺害されたのは当時齢九十を数える大村家の尊翁である。足腰強くいまだに現役を貫く樵であり、煤嶽村の中にあって有数の名家であった。資料である二〇一〇年の世界農林業センサスによると、林業経営体の数は約十四万経営体あり、その内の約六割は保有山林面積が十ヘクタール未満となっている。林業経営体の九十四パーセントは法人以外の経営体であり、その大半は個人経営体とあった。大村家は十ヘクタール以上の山林面積を有しており、亭々と伸びる杉や栂等を択伐していくことで生計を立てていた。課題は杉の木の立木価格にあり、一九八〇年から一九九〇年にかけて、一立方メートル八〇〇〇円近く下落した。煤嶽村は大村家同様、林業主動で生計を立てている家庭が多く、年々木材価格が下落していくことは死活問題だった。林業から足を洗って、他の稼業に鞍替えする者も多くいた。そう云った者たちは煤嶽村の経済基盤を揺るがす可能性があるとして、どこにでもいる保守的なうつけ共から、確固とした理由もなく疎んじられることが屡だった。大村家の尊翁は、自ら此のうつけ共を指揮して、第一次産業から遠ざかろうとする者たちを糾弾した。大村久雄は強硬派の人間だった。村の経済は第一産業を主体とした、地道な人間の汗と労働で発展してきたのだと信じていた。彼は目前の労苦に弱音を吐く者たちを仮借できなかったのである。
 一方、迫害された者たちは、村の一か所に纏まって集落を形成した。人によっては此処を部落と呼ぶ者もいたが、明確な区分はなされていなかったと記憶している。私が朱鷺高等学校に通学している時分には、此の集落は香月村長の手腕によって著しい発展を遂げる。私と母も恩恵に与った口だが、大村家が関与した区域は田丸博学校長が云うところの、村民の意思が如実に反映される結果となった。村八分と云う概念は、ほとほと聞こえが悪い。マスメディアは村八分と云う言葉自体を自粛対象としているほどだ。村八分とは地域の生活における十の共同行為の中から、二分を除く一切の関係を断絶することである。二分とは葬式の世話と火事の消火活動だ。先ず葬式の世話についてだが、死体を放置しておけば無論のこと腐臭の発生源となり、夏場はそれだけで周囲の者が迷惑をするからだ。火事の消火活動についても同様であり、延焼を防ぐ意味でも放置することができない。残りの八分については該当するところなく、よって堂々と制裁行為に及ぶことができるのだ。成人式、結婚式、出産、病気の世話、新改築の手伝い、水害時の世話、年忌法要、旅行がそれにあたる。日本には村八分の風習が今でも色濃く残っており、集団ともなれば垣間見える人の目が観念に根差している以上、早々は改善されない遺伝子に組み込まれた澱のようなものなのかもしれない。
 久雄の遺体が発見された場所は、大村家の保有森林の中だった。第一発見者は久雄の長男である大村光方である。猜疑心が強い久雄のことだ、部落に逃れた賤民共が復讐から保有森林に火を放つのではないかと思慮しているだろうことは、光方の想像の内だった。光方自身、代替わりして家長の座に就いていたが、久雄が保有する森林の名義変更までは許されていなかった。故にたとえ森林に火が投じられたところで光方が痛手を蒙ることはないのだが、彼は久雄以上に事態が起こ得る可能性に恐怖を感じていたようだ。有体に述べれば、父親の保有している森林を失ってしまうと、光方は他に従事できる仕事がなくなってしまうのである。煤嶽村でも有数の名家に生まれて、何不自由ない暮らしを送ってきたつけが、此処にきて彼の人間性を堕落させるだけでは飽き足らず、久雄の圧制とも云える陶冶の果てにアイデンティティの欠損まで招いているとするならば、自活することは苦痛の一言なのだ。既に齢は六十を超えており、云われるままにこれまた一大農家である里中家の長女晴美と、姻戚関係から生ずる強い結びつきを得る政略結婚の出汁にまで使われた。それでも光方は生涯に亘ってモラトリアムにあったので、反骨精神が芽生えるなど期待するべくもなかった。
 光方と晴美の間に儲けられた息子の晃弘はと云うと、学生時代に柔道で培った武道の精神は、強きを挫き弱気を助くを地で行くような人柄だった。百九十五センチ九十キロを超える偉丈夫で、村の力仕事は彼が全般引き受けている。鬼瓦のように強面なのだが愛嬌があり、台風時の水害対策に用意した土嚢を軽々抱え上げる姿は、熊のように畏敬の念を想起させた。実際、山から下りてきた熊が煤嶽村に迷い込んできた時分、晃弘は一戦交えたことがある。村に複数人いる第一種猟銃免許者が揃いも揃って不在と云う戯けた偶然が引き起こした不祥事に、晃弘は寸分も躊躇うことなく熊と対峙して、これを追い払い華々しい戦果を上げた。代償に隣町の病院に運ばれて額に八針、腹部に六針縫う大怪我を負ったが、大村家の家名は煤嶽村で益々と盛んになった。私もよく覚えているのだが、包帯で巻かれてミイラのような晃弘に、中央の報道局員が群がりインタビューをしている姿が、地元報道局の手によって放送された。その時、彼が口にした言葉はいまでも私の胸に残っている。
 「昭文さんとこのお孫さんがいたんだ。ずくづいたら熊のめーでに立っていたよ。命に代えても守らなくてはと思ったんだ。ぼこは村の宝だもんでね」
 光方は武勇伝数知れない自慢の息子を護衛につけ、自身の保身を最優先事項に、大村家保有の森林を毎夜見張り続けた。久雄が物故すれば、自ずと森林は自分の物になると、そればかりを考えていたようだ。立木価格の大幅な下落など、光方のような暗愚な者に及びもつかないことだった。大村家の尊翁は、とっくに見透かしていたのかもしれない。息子には大村家を維持していく力がないと云うことに。代わりに孫の晃弘はどうなのか。これも一応は検討していたのだろうが、久雄が外部の者に語った言葉を私が風聞と云う形で耳にしたことによれば、確かに人徳があり真面目な性分ではあるものの、いかんせん知恵が回る人間ではなかったようだ。中央の大学に進学して経済学を専攻したものの、レポートは常に及第点に届くか届かないかのところで、単位の取得も担当教授のお情けに縋っていたと云うのが現状らしい。卒業論文に到っては、友人の助力でなんとか形にすることができたと聞く。後継者問題は大村家の一大事であったが、やがては久雄の危惧も立ち消えとなる。遺体は頭部を鈍器のような物で殴りつけられかち割られていたと云う。
 一学生が調査できることと云えば、村での聞き込みから神無月公立図書館で過去の新聞を漁るくらいが関の山だ。事件の仔細は物見遊山で聚合しない。第一発見者の光方に話が聞ければ私たちの好奇心も満たされるはずだったが、高齢の上に凄惨な現場を目撃したことによってすっかり塞ぎ込んでしまい、無遠慮に彼の薄氷な心に罅隙を入れる蛮勇は振るう気になれなかった。そうでなくても、村の有力者に安易に接触できるわけもなく、代わって晃弘に話を聞くことも憚れるほどだった。村は久雄の暴挙から東西に分かつ冷戦状態であったため、東の旧民派に踏み込んだ聞き込み調査は避けなければならず、必然、情報は不足し流言飛語が飛散して西の新民派に迷妄を促した。事件が起きてからかなりの時間が経過していたため、事件の真相は煤嶽村を管轄している隣町の飯田警察署で調査書を読むことでしか叶わなかった。飯田警察署の刑事が私たちの疑問の空白を埋める手伝いなどしてくれるはずもなく、事件の顛末は新聞記事から抜粋した既存の情報に合わせて、逞しい想像力で補填していくより他になかった。
 私たちが取った行動は、潔いほどの匙投げだ。図書室での会合は、村の笧を再確認するにとどまった。人間の変容など、時が刻むのと同様に当たり前のことなのだ。まして大人になっていく過程で、確固とした自己が形成されていない段階では、心の機微に触れるなにかしらが外部から到来したとき、一にも二にも魅力的に映ってしまうだろう。人は変化を好む生き物であり、それを許容できるものを内側に隠し持っているのだ。いままで知らなかった世界が眼前に広がると、手持ちのカードがどうしても貧窮しているような錯覚を覚えてしまう。新しいカードがジョーカーであっても、いや、破綻した論理であればあるほど常識を折り畳んで照応し、そこに明晰な真理が浮き彫りにされて人を包括するのだ。悪への誘惑は抗い難いほどに促進して、無事乗り越えられたら若気の至りで片づけれるほどの些末なことだった。誘惑の潮騒は人を選別する。選ばれた人間は運命の大波に飲み込まれ、法律や道徳に縛られない純粋な個体として生まれ変わるのだ。人は愛を教えられなければ愛を知らない。他人の干渉を一切受けなかった子供は、無機質な愛を知らない人間へと成長するのだと云う。鬱陶しいと思えるほどの両親からの庇護は、お節介と過干渉の狭間で揺れる起き上がり小法師だ。
 外灯もない寂れた村の夜道は危険であるとする認識は、村民の誰一人持ち合わせていなかった。施錠の重要性も蔑ろにされており、それもこれも煤嶽村の村民は皆家族なのだとする共通意識の弊害によるものだ。事件の後はさすがに危機意識も多少は高まり、施錠の義務と外灯設置を取り組みに設けて対処に当たった。教育委員会は朱鷺高等学の相次ぐ不祥事の責任追及として、霧島浩平学校長を辞職に追い込んだ。後任に田丸博学校長が就任すると、亦別の問題が勃発した。前例のような刑事事件に発展することはなかったのだが、過度の情操教育の弊害なのか生徒の一部が市民運動に走り出したのである。学生運動のような過激な暴力に訴えるまでには至らなかったが、原子力発電所の撤廃を求めて態々東京くんだりまで足を延ばし、自前の看板に生徒一人一人の血で書き殴った、反対! 認めない! 即時撤廃を! などの文言を躍らせてデモ行進したのだ。かと思えば朝鮮学校の閉校を主張するレイシストな生徒も現れて、朱鷺高等学校は一時世間の注目を浴びることになった。
 彼の生徒が複数人の生徒と結託し、校内を占拠して行ったヘイトスピーチは、村の問題に留まらず国内外にセンセーショナルな話題を提供した。毎日新聞が此れを大きく取り上げたことから、日本人学生の間で差別主義が横行しているなどとして、日本の外交に微少ながら影響があったと当時の外交官が口にしたほどだ。二〇一四年九月二十六日、香港の高校生と大学生を中心とした、授業のボイコット及び「真の普通選挙」を求めるデモが、香港中文大学内で繰り広げられていたことは記憶に新しい。雨傘革命は、二〇一七年に行われる香港政府首長(行政長官)の選挙制度に関する中国政府の取り組みが、香港市民の強烈な反発を招いたためとされる。これまでは中国政府が香港行政長官を指名していていた。二〇一七年の選挙ではいわゆる普通選挙の方式がとられることになっていた。しかし中国政府は、二〇一四年八月の議会において、二〇一七年の選挙では中国政府が支持する者のみ行政長官の候補者として認める方針を固めた。すなわち候補者はあらかじめ中国政府により選定されることとなり、政府に対立する候補者は選挙前に排除されることとなる。香港行政長官の選挙制度に関する方針は二〇一四年八月末に決定した。これを受け、普通選挙を求める抗議活動が学生を中心に行われはじめた。彼らは平等な権利を主張してデモ活動を行ったわけだが、朱鷺高等学校を占拠した生徒たちは、どこか見当違いな方向に熱が発散された嫌いがあった。朝鮮学校の有無は問題視しておらず、汚濁した眼で口角泡を飛ばして、内々に込み上げてくる怒りを発散しているかのような様子だったと云う。
 私は二人が云うところの生徒たちの思想云々ではなく、舞台の配役が入れ替わったかのように人格が変化していった様に着目した。霧島前学校長の時分から朱鷺高等学校の生徒たちは奇行が続いており、更に時代を遡って同様の問題が頻発していたのか、そうであったならばいかにして報道関係者の網目を掻い潜ってきたのか、疑問は尽きることなく私を悩ませた。前述の問題は置いておくとして、学生たちの変貌には明確な説明が欲しかった。田丸学校長の情操教育による生徒たちの暴走と片づけられているが、それでは腑に落ちないところがある。煤嶽村で起こった殺人事件の犯人は、田丸学校長と一切の面識がないのだ。此れでは思想の変化に整合性が保たれていない。それ以上に不可解だったのは、私たち子供が情報一切を秘匿されていたと云う事実であり、記憶を掘り起こしてみれば神無月公立図書館で過去十年毎に新聞が保管されているものの、個人宅では終ぞ購読している様子は見受けられなかった。情報源は強いて云うなればテレビくらいなものだろうか。私は情報の裏付けが欲しかったので、学校に一台しかないパソコンから、当時ISDN回線で重々しかったインターネットを閲覧することから洗い出した。パソコンを使用するには許可を貰う必要があったものの、学科試験で基準を満たしている者は特別な承認を必要としなかった。調査結果を目の当たりにして、亦、担任教師から噂を耳にするまでは、朱鷺高等学校についてなんの疑念も抱いていなかったのだが、どうやらこれでは入学に妨害があったとしても理解しなければならないだろう。
 加えて坂本が開示した情報は興味深かった。朱鷺高等学校の学生たちの中退率が他校に比べて軒並み高く、殊に女子生徒が九割近くを占めていた。学年が上がるほどに中退率も上がる傾向にあり、こうした結果は閉鎖された村の因襲に沿っているとも云えた。煤嶽村だけの風俗と見れば簡単だが、夜這いの風習は一九七〇年代まで各村に残っていたとされる。各地方に色々と耳を疑うようなハレの慣習があったようだが、煤嶽村は一九八十年代一九九十年代と時間の潮流にあっていまでも現存していた。初潮を迎えた娘の初性交に、村で有力な人望厚い年配者に手解きしてもらうなどと云った、現代では考えられない仕来りがあった。大村久雄に手解きを受けた生娘も多くいただろうし、彼の死は複雑な心境を生み出したに相違ない。
 私はこの後、教師たちから坂本と沙羅を誑かして、朱鷺高等学校への進学を奨励したとされる嫌疑がかけられた。職員室に呼び出されて何時間も尋問された。生徒指導担当の大森教諭から胸倉を掴み上げられることまでされたのは、将来を見据えての愛の鞭であったのか定かではない。私は歯牙にもかけなかったが、坂本は内申書の査定を気に病んでいた。私に黙して坂本は先手を打った。校長先生を捉まえると、窮状を訴えて教師たちの指導改善を要求した。折衝自体、難航める主題ではなかったものの、予想外に校長先生の態度は硬化していたと云う。詰まる所が、それだけ朱鷺高等学校は危険視されていたのだ。折衷案を手探りしている過程に於いて、坂本に相談されて初めてそれが知れた。厄介な事態に、私は知恵を絞りださねばならなかった。坂本が先走ったとは云っても、煽りを喰ったのは否定しようのない事実だからだ。教師たちに内申書を細工させない代わりに、此方側が提示できるものはなにかないだろうか。思案していく内に、妙案とは云い難いが一手を謀ってみることにした。

                                               六

 五月の連休を前にして、私はこの上ない愁嘆に苛まれていた。祖母の宿痾が危殆の域にあることに、減退する活力の維持すら侭ならず、憔悴した面持ちで飽かず涕泣していたのである。私は祖母を愛していた。誰よりも愛していた。耳学を頼りに人生を綱渡りする豪胆な気性の裏には、戦争を体験した者が持つ独特の色濃い影を落としていた。死体の流れる川で洗濯したと云う逸話は豪気の最たるものであり、血と肉の爆ぜる様は晩夏の夜空に浮かぶ淡い花火と似寄りだったらしい。
 祖母の病が発覚したのは四年前に遡る。右肺上葉腺に腫瘍が見つかるのだが、一時は肺気腫が疑われた。症状として動悸息切れに始まり、咳や痰が頻繁に生じるようになったからだ。医師は癌と肺気腫の両面から検診を行った。喀痰細胞診やヘリカルCT検査を通して肺の組織をデジタル画像化すると、凝望の末、細胞が一部固着しているのを目に止めた。癌腫だった。
 高齢が功を奏して、リンパ節への転移は遅く、速やかに処置がとられた。治療は抗癌剤投与と併用して行われる定位放射線治療が選択された。肺の静と動に合わせて放射線を照射する画像誘導放射線治療が一応の成功を収めたものの、今年に入って遠隔転移が認められた。医師の敷衍だと、癌の部位が剥がれ落ちて血液やリンパ液から全身を廻り、他臓器やリンパ節に付着して増殖するのだと云う。医師の御託など意に染まない。遠隔転移など到底認められるものではなかった。反して現実はより克明に真実を告知し、寸刻の猶予もなく須臾の余命を浮き彫りにした。私は一縷の望みを絶たれ、不覚にも脱力感だけが全身を覆った。
 私は現実逃避に躍起となった。中間試験の対策に没頭したのである。校内では交友関係の喧しさもなく、ただ只管に打ち込んだ。坂本から重ねて二度目の同盟話が持ち上がった。今度は背後に複数人いることが精査せずとも知れた。学問に刻苦精励することを知らない、難題を他力で解決することを良しとする半可通の集団だ。そう云った者とも懇意にできる坂本の度量には感服した。私と云えば、毒を飲むつもりでこれを承諾したが、それと云うのも経験が人生の命綱とする祖母の教えがあったからに他ならない。今年のゴールデンウィークは土日を含めると五日ある。短期合宿のつもりで蝟集してくる有象無象の者たちに、私が鞭撻を執る役割を押しつけられるのは否めない。どうやって坂本に負担を分散させるか打開策を探りながら、私は大型連休を前に臍を固めて、一度祖母の見舞いに行く決意をした。
 四月最後の日曜日は生憎と雨だった。催花雨の役割は終焉を告げ、梅雨に入る前の一時期、三笠山の麓にある幾本もの霞桜が見頃を迎える。高さ一五メートルから二十メートルにもなり、葉や花に毛がついているのが特徴的だ。葉は倒卵上楕円形、長さは八から十二センチメートル、両面や葉柄に毛が疎らについており、表面は新緑色で裏面は淡緑色で光沢がある。これを目当てに三笠山に登山しにくる者がおり、煤嶽村の村興しの材料にも利用されていた。
 私は驟雨の中、祖母の入院している国立がん中央センターがある築地を目指していた。東京駅に着き、百千の群集を縫って駅構内を小走りに進んだ。東京メトロ丸ノ内線で銀座駅に行き、東京メトロ日比谷線で築地駅まで向かう。新宿駅同様迷路のような東京駅を進みながら行程を脳内で反芻していると、背後から私を呼びかける高音質の声音がした。振り返り相手に視線を投じる。見慣れない顔に逢着した。と、思った矢先、声の主が真壁蜜柑だと想起された。私のような日陰者でも、真壁蜜柑の容姿を讃嘆する声はよく耳にした。真壁の存在を知り得ているのは、何回にも亘りインプリンティングされた結果であろう。繰り返された情報の必要性は、この際問わないこととする。真壁は奇遇とは別の、そう、諧謔を認めた様相で私のパーソナルスペースを存分に侵犯した。同学年ではあったが、さほど親しくもない間柄故、彼女の心意が図りかねた。
 「実なき学問は先ず次にし、専ら勤しむべきは、人間普通日用に近き実学なり、ね。東京駅は国内の玄関だもの。よくよく検分することだわ」
 私の懐疑を孕む視線と対峙しても、真壁は表情一つ変えなかった。
 「お礼が云いたかったの」
 「礼だって?」
 真壁は莞爾した。
 「ゴールデンウィークに行われる勉強会に、私も参加させてもらう手筈になっているの。坂本君から聞いてないのね」
 あゝ、合点がいった。真壁の言動は予め私の存在を知覚していたために起こった誤認識による諧和からきているのだ。誤り処か短兵急に過ぎる。真壁は外見に非ず、ざっくばらんな性分なのだろう。反して瓜実顔に切れ長の瞳は、真壁蜜柑の聡明さを面伏せに語ってもいた。第一印象など当てにはならないが、成程、坂本が招集したのは一定の上昇志向が強い面々なのかもしれない。真壁からして積極的に勉強会に参加してきたのだ。意志は瞳に集約されている。加功は相互に行われるべきものであり、若しかしたら同盟は放資の価値があるのかもしれない。
 「俺と坂本が和合しているのだと、勘違いしているみたいだな」
 「善意の過程に於いて、調和と多少の縁があるわ。貴方たちの関係がどうであれ、人との関係ってそう云うものよ」
 私は溜息をついた。
 「せめて、ポツダム宣言が快諾されたものだったらな」
 「ポツダム宣言の原文は恫喝そのものだったらしいけど、笹川君が弱みを握られたり強要されたりしていないのだとすれば、気乗りしないと云ったところかしら?」
 「勉強会が嫌なわけじゃないさ。ただ……人が多いと酔ってしまう質なんだ」
 今度は声を出して真壁は笑った。
 「なに、それ? 馬鹿みたい」
 言葉とは裏腹に、真壁の声質は優しいものだった。肩まで伸びた褐色の髪は遺伝の発露か怠惰か、手櫛で前髪を梳いてから、私の告白など凡そ京都晩秋の紅葉ほどに赤々と滾らせる心象すら覚えないと云った風情だった。おそらくご両親の陶冶と慈悲の心が、彼女の放資闊達な性格に感化しえたのだろう。性格形成に影響を与えたほどだから、行使された愛は予想を超えた効力を発揮したようだ。後々になってからも、真壁蜜柑の人格識見共に有徳の人であったのは、三つ子の魂百までではないが、幼少の教育の賜物と云えよう。そうした得難い資質を持つ者は、総じて常人には理解し難い艱難辛苦を胸に秘めているものらしい。世の不条理の一端である。
 真壁は私から少しだけ距離を取ると、真顔に戻って言葉を続けた。
 「改めて確認するけど、私が勉強会に参加することを知らなかったと云うことは、他のメンバー一切も、把握していないというわけね?」
 有体に述べれば、興味がなかったのだ。まさか、本心を口にするわけにもいかず逡巡していると、彼女は私の態度を肯定と受け止めたらしい。呆れた表情を浮かべて、それでも根気強く私に参加するメンバーを指折り数えながら紹介してくれた。勉強会に参加する者は、主催者である坂本正一、私こと笹川真向、真壁蜜柑、沙羅左、新見翔太、川端真紀、倉越真理恵の総勢七名だった。沙羅左の名前には驚かされたが、それ以上に倉越真理恵が参加してくるとは想像外だ。
 「随分と風変わりな名前が入っているな」
 「誰を指して云っているのかな」
 真壁は恋愛話でもするかのような調子だ。私たちの脇を子供たちが元気に走り抜けて行く。殷賑な構内は平日のサラリーマンに代わってカップルや家族連れが多かった。グランスタやノースコートで食事や買い物を終えた手持無沙汰の子供たちが、阿諛と対立する頑是ない狂乱者のように、強固で熱望的な躍動でもって籠太鼓を打ち鳴らし、保護者の憐れみを誘っている。見兼ねた一人の母親が慌てて子供を追って手を引くと、宥め賺しながら早足でその場を去って行った。
 「左ちゃんのことなら気にしないでね。あの子とは親しいから、なんでも話してくれるの。勿論、貴方のこともね」
 私が舌打ちすると、真壁は舌を出して応戦した。
 「同じ組なのか?」
 「それも聞いていないの?」
 目を丸くして、真壁は首を傾げた。
 「友達だったとは初耳だ」
 「熱いベーゼを交し合う仲よ。毎日おっぱいだって揉んでるわ。で? 聞きたいのは三人の内、誰なのかしら?」
 私、坂本、沙羅の煤嶽村出身者を除外した四人の中から、真壁自身を除く三人に絞り込んだ単純な演繹法だったが、それだけで良かった。彼女が慧敏な証明にはなった。賢しい者と会話をしていると、言葉は節約されて余剰がない。時間が短縮される様は快感だった。冗長な話は読むのも聞くのも退屈だ。情報は乾いた雑巾を絞り込むほどに取捨選択されたものが好ましい。
 「倉越だ」
 どうやら、真壁は二の句が継げないらしい。云いたいことは明日云え、と顔に書いてあった。絞り込んだ三人の内、私と倉越が同じ組であると云う情報を掴んでいれば、真っ先に除外してもいい選択肢であるからだ。彼女の脳裏では新見と川端の両名に選択肢が絞られており、新見に限っては南櫛灘村の村長である新見義輝の息子として煤嶽村では有名なのだから、必然的に川端真紀が候補としてピックアップされていたのだろう。無論、それに対しての答えも用意していたはずだ。ここまでは良しとした。云いたいことは理解した。が、風変わりな名前が入っていると云っただけで、何某に興味があるから情報を共有してくれとは持ち掛けていないのだ。私は倉越とは答えたが、誘導尋問に引っ掛かったようなものであり、取り返しのつかない事態に陥っているのではない。一か月を三十日として休日を省く二十二日を拘束時間に換算すると、午前八時半から午後十五時半の七時間の二十二日を積とする百五十四時間である。一日六限として一限四十五分の内訳とすると、四時間半は授業で消費しているのだから残りは二時間半だ。そこから昼食の一時間を差とすれば、倉越真理恵の人となりを調査できる時間は一日一時間半となり、二十二日に九十分の積を導き出せば一月千九百八十分が限度であって、更に過程や興味などと云う未知数nを持ち込まれたら猶のことお手上げだった。
 「そうね。相手の人柄を知るにあたって、三十時間は短すぎるわ」
 「お前の思考については言及しないが、三時間の誤差については訂正を要求したいね」
 「左ちゃんと深い関係になるのに時間はかからなかったな。相性の問題なのね」
 「性格の問題だろうな」
 「声を掛けたの」
 性格については先ほど指摘しているので追及するつもりはなかった。積極性は物事の進展に著しく寄与して、中途のプロセスを簡略化する力がある。ある種の鷹揚さは馴れ馴れしさとは同義に扱われないのだろう。坂本に通ずるものがあった。
 「主語をつけてくれ。どちらのことを云われているのか分からない」
 「勉強会への参加、了承してくれるとは思っていなかったわ」
 倉越真理恵のことで相違ないだろう。話が戻ったわけだ。だが、真壁はいかな心持で倉越に声を掛けたのか。頃合を見計らって、級友との昵懇に至る機会を設けんとする真壁なりの配慮だったのか、いまは先の言葉を待つことにした。
 「倉越さんとは三笠中学校で同級生だったの。少しばかり奇天烈だけど、ええと……奇天烈って彼女自身の言葉なのだけど、聡明で理知的な人よ。兎に角と偏見がないの。私は彼女のことが、あの……とてもとても好きなの」
 好き撓むという言葉が浮かんでは消えた。私は赤面する真壁の態度から違和感を覚えたのは、好色一代女の堂上家の姫と同様に、図なしな色情魔の臭いを感じ取ったからに他ならない。此れについては後で作家の友人に斧正を希う破目になるだろう。数十年経ったとは云え、事実との差異は当人の名誉に反するからだ。色情魔やら違和感やらは誤認であったし、要するに懸想する対象が白ではなく黒であったと云うことだ。
 「学校では浮いていることは否定しないけど、私たちはもっともっと理解するべきだと思うの。月旦評は程々にして、科学的見解が欲しいわ。ラベリング理論は簡潔に逸脱者を創造、増産してしまう。悪意に満ちた視線は、今後も世界を取り巻いて恒久に廃れることはない。人が地球上に牛耳る限りは、個々の生来の気質から互いを誹り罵り、誰よりも自分の方が賢いのだと信じる。それこそ狂信者のように、経典に書かれた訓示に注視する。個々人が持つクオリアは見る意思を持たぬ者には心の姿見にすら映らず、思想は捻じ曲げられて信念は脆く崩れ落ちてしまう。ある考えはシナプスとシナプスを繋ぐニューロンに電気信号が走るが実態はない。あるのはあくまで電気信号であり、世界に点在する一物質ではないの」
 そこで言葉を区切ると、真壁は東京駅構内に貼られた自殺防止キャンペーンのポスターを叩いた。赤々と注意を喚起するゴシック体は、自殺は貴方だけの問題ではないと明記されている。愛する人を傷つけてはいけないと、再三にわたり自殺防止を呼び掛けていた。そう、赤々と、まるで赤い墨汁が半紙に染みをつくるように、幾度も幾度も……。
 「笹川君はこの文字が何色に見える?」
 「色覚異常でもなければ、赤だと誰でも分かるだろう」
 「先天赤緑異常……」
 真壁は勢いよく頭を振るう。
 「祖父がそうだったと云うだけよ」
 私は苦笑した。
 「聞いていないのだが」
 「閑話休題、見たままに赤色ね。六三〇~七六〇ナノメートルの光の波長が、網膜を通じて脳に伝達された時に感じるあの赤々とした質感は、いまだ科学者の口から説明されていない。前述したようにあくまで電気信号であり、赤の質感そのものではないわ。では、此の質感はどこからくるのか」
 「まあ、この謎を解き明かしたものは、間違いなくニトログリセリンの恩恵に与れるだろうな」
 「ストックホルムまでは、飛行機で十時間以上かかるわ。電車ではないから、いまみたいに脱線事故に遭わずに済みそうだけど」
 「悪かった、続けろよ」
 真壁は腕を組み、小さく溜息を吐いてから続けた。
 「このクオリアこそが、私たちが云うところの個性だと思うの。同じ系統の色を見ても、果たして同色の認識を共有しているかどうか疑問だわ。異性に焦がれる者もいれば、同性に魅かれる者だっている」
 「ベルリンの壁と結婚した女もいたな」
 「ええ、この世界には無性愛者すらいるわ。否定しない。いいえ、否定してはいけないの。何故なら、各々持つべきクオリアが違うから」
 成程、クオリアが違うなら倉越や私のような風変わりな者にも、単純なラベリングを設けるものではないと主張しているのだ。そもそも、人は違って当たり前、その認識に至らないことが問題なのだと云うところだろう。
 「それでは、サイコパスも個性と受け止めておくことにするさ。消されるようなことがあっても、クオリアの違いから受容することにした」
 私の皮肉に、今度こそ真壁の口元が引き攣った。私は臆したわけではないが、失敗したとは感じた。こうした微妙な感情の揺れに直面するに当たって、どうしたって尻込みする理由があった。倉越への思慕が下手なクオリアを引っ張り出し、揚句が盲点を突かれたら腹も立てるだろう。だが、なんでもかんでも個性で片づけられたら堪らない。世の中にはラベルを張られてもいい人間は存在するし、レイプ犯の男が被害者女性に暴行した理由が、健常者以上の強い性欲はクオリアだから仕方ありませんは論外だ。恥辱と怒りの二重螺旋に憑かれているであろう真壁の感情が、私の目に紅紫玉として映った。これも彼女の云うクオリアなのか。私にだけ見える人間の強い怒りの感情が、体内を鋭く深く抉ってくる。浸食されるのではないかと身構え、両目を固く閉ざして意識を逸らす。どうやら、私と真壁の間に共感性における仮初の齟齬を生み出すことに成功した。
 「偏見とは所詮、公理に過ぎない。クルト・ゲーデルによって正当性を失ったように、証明不能な暗黙のルールは、レッテル貼の専売特許だろう?」
 「では、笹川君がゲーデルになってくれるの?」
 不図、真壁は艶然と口唇に指を這わせてから、私の腕に触れてきた。肉の質感は艶めかしく、衣服を透かして内側に切り込み潮のように満ちてから欠けた。掌に多量の汗を覚え口中が乾くにつれて、水面に打ち鳴らされた波紋が数多の円を作り出し、心中に馴染みのある妄念が拡散していくのが実感された。急速な接近が齎す効用はいままでの努力を悉く否定して、真壁の悠揚たる動きに反比例するように、寛大であったらと悔いるほど私の無辜を肯定した。口角が上がってしまったが、男の性と受け流された。心の闇は本能で片付けられ、真壁の目算が私の破倫と合致して憚らぬ渇望と相克した。姦計は悟られて後に隠匿され、真壁の指が空で二度三度と弧を描く。私は情欲よりも強い衝動が沸々と盛り、断続的な解放感が体を弛緩させた。吉兆であるのか凶兆であるのかは問題ではなかった。野放しになった私の爛れた精神世界は、唯一無二の明晰な硝子細工のように煌めいた。世界にある数多の感情が私の深層意識に集約しているかのような錯覚に陥り、澄明な空気を肺一杯に吸い込んだように清々しい心持がした。真壁は先ほどの行動が意図的なものではなく、交通事故に類似した偶発的なものであるかのように主張した。とは云いつつ、はにかんだ様子を見せながらも、眼光は鋭く私の挙動を具に観察していたのを見逃さなかった。
 「寧ろレッテルを貼られているのは俺の方だ。倉越ばかり危惧している場合ではない。ただ、石を金に変える錬金術は持ち合わせていないぞ。なんらかの胸算用をしているようだが、内股膏薬も良いところだ。いつだって相手に合う錠前を用意しているように見受けられる」
 「お互い、背伸びは感心しないわね。十年もしない内に大人になるのだから、子供は子供らしく徹しないといけなかった。これでは胡乱だわ」
 「花柳界に属する者は似た者風情だな」
 「私を遊女だと云いたいのね? それで、錠前……!」
 「穿った見方をしたつもりだが?」
 既に真壁の紅紫玉では私を感化し得ないことは明白だったので遠慮はいらなかった。すっかり柳眉を逆立てると踏んでいたが、とまれかくまれ真壁は辛抱強いことこの上なかった。
 「笹川君を喜ばせて上げられたようだわ。有卦に入るのではないかしら?」
 闊達な気分だった。昂進とは相手の言葉などで促進されるのではなく、自身の思考に密接な繋がりがあるのだと再考させられた。滔々と述べる私は腹話術師さながら、内奥は狂奔した駿馬の息吹を感じ、突き抜ける烈風が眼界を遮り、灼熱の太陽が肌身を焼くほどに、滾る大海の荒波迫る神秘の形式美に打ち震えた。秋波を送る真壁の予兆と嬌声の示す意味が、総じて私の言葉とは無縁の確信に至った。外連味のない素朴な私の正義そのものだった。激情とは痛痒に統治されていない。仮令伝播されたところで欺瞞であり、夥しい邪念と作為の具象が人間の本質であったとしても、私は私の身の上に起こった感情を否定しまいと誓った。然し、つらつら思索したところで蛙鳴蝉噪であるとする声が聞こえてくると、今度はマーラの誘惑が幻聴として私に頸木を科した。途端、直叙するならば空虚であるとする解が公式そのものを覆してしまった。次第に感情が希薄となり、最後に迷走して飛散した。感情の遁走は、私を無明に晒した。昂揚が冷却されていくに従い、幼子のように覚束ない無垢で無知な思考に囚われ、やがて酷い倦怠感が全身を纏った。思考力の欠如著しく、富や宗教以上に私が世界を禍乱に招く因果性を主張する何者かなのではないかと云う結論に達した。
 真壁は私の変化に不安を覗かせた。無理もない、こうも短時間で感情の起伏に落差が生じる人間を目の当たりにしているのだから。祖母のことが少なからず私の情緒に影響を与えているのだろうか。顔を見て声を聞くまでは、私を安らかにさせないのだ。私は真壁に改悛の意思があることを示唆した。此処での和解は心を見透かされないための補填に過ぎなかった。他人に内心を悟られるのは辱めであり、張り詰めた糸を断ち切られる行為に等しいのだ。まして、友人とは云えない同学年の者に、私の思考や心理に手を差し入れられ探られるなどと考えると悪寒が走る。
 精緻に創られた人工的な深層意識が、私と云う媒介を通して活動することに納得していた。自身は大きく肥大した自我そのものであり、私もその一部でありながらそれが全てではないとする考え方だ。そこに時間の概念や欲求もない。いまの私は短い人生で培われた観念によって生成された、まさにエゴが肥大した汚物だった。世界は我々の創造物であり、野山に生える草木の一本一本も、電子機器や建造物や所有する富の総量までもが、現存するありとあらゆる物は私たちの中にある想像が現象化したものに過ぎないと云う思考の飛躍を垣間見た。このような思考はお伽噺なのだが、私は偏屈で夢見がちな子供だったのかもしれない。
 「言葉が過ぎたな。どうしたって女性と話をするのは緊張していけない。会話の構成力そのものの質に問題があるんだ、きっと」
 「いざ、コミュニケーションを取ろうと云う段階で、会話の構成力を気にするのはデートで失敗する布石ね」
 真壁は右腕に装着した腕時計に目をやった。
 「私、もう行かないといけないわ。引き止めておいてなんなのだけど」
 「気にするな。俺も時間がない」
 真壁は歩きだしてから、思い返したように私に振り返った。邪気のない笑みを浮かべて数回に亘って両手を振って見せた。
 「話ができて嬉しかったわ。亦、学校で会いましょう」
 私も人の子である以上、円滑な人間関係を望んでいる。私は無難に手を振り返して真壁蜜柑の見送りを済ますと、雨が降り止んでくれたらいいなと考えながら、国内の玄関を先に向かって急いだ。

                                                  七

 祖母の存意は一切の慰藉など無用と云ったところか。私の見舞う行為が、ともすれば意義ある時間の友好的な活用方法も知らない無能のすることだと一蹴されかねなかった。祖母が動けるほどだったら、手にした竹刀でもって私は打擲の憂き目にあっていただろうと推測できる。昨今、体罰が問題視されている中で、昔気質で気丈な祖母は、痛みこそが最良の教訓であると云う哲学を引っ提げていた。子供時分に人権は教育の枷であり、人生に於ける目的が生き残るとする境涯にあるならば、近頃の子供たちを鑑みるに孫の私にはいっそう厳格に接する腹を決めたのだとした。毎日の扱きは、人間を頽廃に陥れる退屈から私を遠ざけた。病弱だった体は習慣になったランニングと食事療法によって日毎夜毎に改善されて行き、鉄錆が取り除かれて真新しい鋼が浮かび上がってきた。健康になると霧が晴れて、世界に媚を売る必要がなくなった。医師であった父が彼是手を尽くしても一向に改善されなかった体は、祖母の恫喝と叱責に触れることで見事壮健ならしめた。
 学問の方は国民学校も真面に通学していなかった祖母では収まりが悪く、代わって慶応大学を卒業している父に師事した。父の指導は的確であった。山で遭難した登山家は高い所に迎えと云われているが、見晴の良い場所に出れば現在地を確認することが容易になる。父親である故笹川守は、私の手を取って共に稜線を登って行くことも辞さなかった。眼界が開けると、病弱で遅れていた学力は兆しが見え始め、可能性が頭を擡げた。継続は力なり、我利我利と知識を蓄えていく過程で、気が付くと十歳を数える頃には高校の問題にも正確な解を導き出せるようになっていた。当時、私は純粋に勉強が愉しく興味を駆り立てられた。成績は蚊帳の外にあり、知的好奇心が満たされていく精神的充足に重きをおいていた。
 唯、知識が増幅していくに従い、私の中で云い知れない不可解な熱を、頭の中央部に感じるようになった。事の起こりは小学校からの帰宅途中である。教科書を拡げ乍ら歩いていると急に視界がぼやけて千鳥足になり、苗が植えられたばかりの田圃に落ちてしまったことがある。幸い直ぐに村の者に救出されたが、父親の居る診療所まで運ばれて行く途中でも、私の脳内では熱を帯びた蛇がのべく幕なしにのたくる様な有様だった。原因不明の頭痛が数日続き、高熱に浮かされる日々の中で、流石の祖母も此の時ばかりは峻嶮も鳴りを潜めて私を気遣う言葉をかけてきた。一週間が経過して後、様子が芳しくない私を慮って、父は東京都新宿区にある東京女子医科大学病院に連絡を入れた。脳神経外科に名医がおり、その方は父の大学時代の先輩にあたるらしい。脳腫瘍や動脈瘤まで勘考しながら、原因を虱潰しにしていく構えだった。
 時間を経ても頭痛が改善されず、感冒薬を服用してもいっかな症状に変化が見られなかったため、最初は細菌による脳膜炎が疑われた。お次は機能性頭痛に行き着いたのだが、事由は原因そのものが不明だったからに他ならない。機能性頭痛と一口に云ったところで、片頭痛や緊張型頭痛亦は群発頭痛など諸々あるのだが、どうやら私は痛みや生活苦だけを危惧するだけに止まらなかったようだ。症候性頭痛の可能性を最後まで捨てきらなかった名医の面目が、癲癇性脳症の一つに分類されるレンノックス・ガストー症候群と云う耳慣れない単語を水面から引き揚げた直後、脳がしゃっくりをしているなどと云い得て妙な例えをしたユーモアのセンスに、私は讃嘆したい面持ちだった。痙攣の比喩にしては申し分なく、病名もはっきりしたおかげで悲嘆に暮れずに済んだのだから。脳波検査の際、棘徐波結合など特徴的な波形が見られたことが決め手になったと聞く。発作は意識が薄らぐ非定型欠神と脱力発作が主だった。
 頻度の少ない稀な疾患であり、前兆もなく意識が消失するために、全身が脱力して激しく転倒してしまうので生傷が絶えず、頭の保護に保護帽が必須だった。
 「あまり症状が酷い場合は、脳梁の裁断手術も念頭においているからね」
 医師は現実的な選択肢の一つを口にしたに過ぎないのだろう。祖母は不謹慎な冗談と受け止めたらしい。口角泡を飛ばして医師に食って掛かる姿に、父が何回にも亘って諌める面倒を強いられていた。祖母が私のために感情を露にしてくれたことに対して、素直に喜ばしく思われた。子供ながら感激のあまり、涙を滂沱せずにいられなかったのである。両親からの愛は云うに及ばず、普段から厳格であった祖母からここまで思われていると知った私は、自身におかれた症状の重さなど物の数ではなかった。なんとかしてこの病いを克服してやらねばと息巻いたほどである。いまではレンノックス・ガストー症候群に最も適しているとされるルフィナミドと云う薬剤が、二〇一三年三月に日本で承認されている。一九九〇年代当時はルフィナミドは存在せず、バルプロ酸ナトリウムを経口投与していた。協和発酵キリン株式会社からは商品名をデパケン、興和株式会社からは商品名をセレニカとして発売されている。GABA(γ-アミノ酪酸)トランスアミナーゼを阻害することにより抑制性シナプスにおけるGABA量を増加させ、薬理作用を発現するとされている。
 薬を服用しながら発作を抑えていくのだが、治療を開始して数年はカタプレキシー患者同様、突如意識が喪失して頽れ転倒してしまうことがあった。レンノックス・ガストー症候群は重篤な脳機能障害と発達の停止・退行を来す希少難治てんかんに分類されているが、家族が最も恐れたのは私に齎されるであろう、その後遺症の類だ。幸いなことに、天運がこの身にはあった。私は不可知論の立場をとっているので、神の存在も大いなる力とやらも立証などできないが、確かに奇跡はあったのだ。勿論、他者の尽力が大きかったのは云うまでもない。目立った後遺症もなく、薬で寛解状態を維持するのは容易かった。時間の経過に伴い薬の量も減っていき、恐れていた発作もすっかり影を潜めた。とうとう医師からは服用義務を解かれるまでになったが、それでも手放す勇断に至らなかったのは、寛解から完治までの僅かな道のりに確固とした確信が見いだせなかったからだ。確信を持てるまでいつになるか知れないが、完治までは私の一握りの決断に委ねられている。その間、周囲の者は父親の死に胸を痛めているであろう私の精神面を考慮して、口煩く薬の副作用の危険性を説くような愚かな真似は控えてくれた。医師も無理に薬を止めるよう進言はせず、成り行きに任せていく腹積もりのようだ。沙羅は口を開けば薬を止めるよう慫慂してくるのだが、私が発作で昏倒するようなことがあっても、いつでも隣にいて介抱する準備はできているとするのが云い分のようだ。信用していないのではないが、私は他力を内に招じ入れる度量に欠けていた。腹を満たすように、軟な精神に誇りと云う滋養が必要だったのである。私の精神と誇りが決して交わることがないことは承知済みだった。水とも液体とも区別がつかない超臨界水同様、臨界点に達した二つの非物質が連続変化を伴い、常染色体優性遺伝によって触発されるハンチントン病の不随意運動のように、私を無明長夜の檻に誘うのだ。永遠不変の地獄沼地に嵌まり込み、もがけばもがくほどに沈没していく悪循環……。
 国立がん研究センター中央病院に到着し、受付で祖母の見舞いに来た旨を伝えると、病状の悪化に伴い面会謝絶を云い渡された。元より想定できたことなので、私はただ負債を払うつもりはなかった。休日なので時間は十二分にある。担当の大森医師を捉まえて、現状を把握しておくに越したことはなかった。再度受付に行き、大森医師を呼び出してもらうことにした。程なくして彼は姿を現した。寝癖が酷く、無精髭も散々だったが、物臭な態の中にちらつく穎敏は出色の才が窺えた。事実、難解な食道がんの手術を受け持って、通常手術による死亡率三パーセントを一パーセント以下まで抑えた功績は高く評価されていると云う。研修医の時代から非小細胞肺がんの根治手術に携わり、外科手術の腕を磨いてきたらしい。本人から直接聞いた話では、大手医療製造メーカーに特注で造らせた外科手術用シミュレーターの代金を、二十年後のいま出世払いしているところは同僚から笑い種になっているとのことだ。
 「お待たせしました。今日はお見舞いですか? だとしたら、悪いことをしましたね」
 大森医師は私の傍まで来ると、頭を掻きながら軽く会釈した。私も会釈を返してから、祖母の様態を詳しく聞くために、場所を変えて話をすることにした。一階フロア右奥にあるカフェは、平日は午前七時から、土日は午前八時から開店している。午前十時までモーニングメニューが用意されていた。隣はコンビニエンスストアもあり、襁褓や杖など院内ならではの品揃えだ。十九階まで足を伸ばせば理容店や美容院もあってか、身嗜みを整えるだけなら造作もなかった。私たちがカフェに入店すると、人影はまばらだった。アメリカンコーヒーを注文して、丸テーブルに向かい合って座ると、大森医師は大きく深呼吸した後、私に深刻な表情をして見せた。物云いも奥歯に物が挟まったものであり、それだけでも祖母の様態が想像でき、余命幾許もないことを示唆していた。
 「うん……まあ……大方、貴方の考えている通りだと思います。いまや癌の転移も方々に及んでおりますし、抗癌剤の投与も躊躇われるほどです。云い難いことなのですが、その……」
 「分かっています」
 私は大森医師を遮って云った。毛頭、皆まで云わせる気はない。死の宣告など聞くに堪えなかったし、私はただ、覚悟を決めてしまいたかっただけなのだ。
 「後、どれほどの時間が残されていますか?」
 「私は余命宣告はしないことにしているのです。人の命は神のみぞ知る領域です。我々が推し量れるものでもありません。最善は尽くします。決して諦めたりせず、御祖母様にとってより良い治療を継続していきますから」
 抗癌剤の投与も躊躇われるほどなのに、今後の治療のなにに期待できるのだろうか。大森医師の無責任とも思える発言に、反発したい気持ちで一杯だった。寸前のところで押し留められたのは、私を落胆させないための配慮であるのが理解されたからだ。闇夜の中では木端に点火した言葉の灯りすら貴重な効果を発揮してくれる。蜉蝣のように短命でも、刹那の灯りは不思議と抽象的余韻に満ちていた。 大森医師が仕立てる言葉の誂えが、徐々に私を軟化させた。平静を得た私は、改めて祖母の延命治療について訊ねてみた。
 「延命治療と云っても、これ以上体に負担はかけられません。御祖母様の苦痛を取り除く治療が優先されます」
 「いまは出来得る限り苦痛を取り除いて上げて下さい」
 大森医師は両の眼を固く閉じた。
 「人の生は思うに任せないものです。なにを成し遂げるにせよ、命あっての物種ですから。貴方も体に充分過ぎるほどに留意することです。体が資本とは良く云ったものですね。それはそうと、貴方の持病は問題ないのですか?」
 「ええ、いまのところは問題ありません。此処のところは意識を失うと云う事もないですし、頭痛に悩まされる心配も減りました」
「レンノックス・ガストー症候群は症例が極めて少ないのです。そのため、薬剤の開発に二の足を踏む企業も多いことは間違いありません。確かに需要がないため利益は見込めませんから。ですが、一度発病してしまえば、薬を手放すことは容易ではないのです。癲癇は薬で治ることはありませんが、根治には寛解状態を維持する必要があります。子供の場合、薬を服用せずとも完治する癲癇もありますが、大人の場合は此れに該当しません。貴方は寛解しているようだから、このまま順調にいけば完治までそう遠い道のりではありません。実は癲癇が自然に治る仕組みは未だ分かっていないのです。寛解が続けば薬を止めても発作の症状が出てこなくなると云うことは知られています。現代医学の力をもってしても、脳内のメカニズムを理解するのは難しいところですね。人体とは真に不思議なものです」
 大森医師とは祖母が入院した当時の付き合いであり、私のこともなにかと世話を焼いてくれた。持病の癲癇のことも話をしており、専門外ではあったもののセカンドオピニオンの役も進んで引き受けてくれている。ふと、私は怒りのシンクロニシティからくる精神的昂揚感について、大森医師の見解を聞いてみたい衝動を覚えた。この様な不可解なことが、医学的見地から有り得ることなのかどうなのか。相手の感情が、就中、憤りの念が色彩を帯びて感じられるのである。暗緑色に類似する色彩は、私の精神によく符合した。大体に於いて人の感情は、明度の強いものが多い。突発的に生じる怒りの感情は、私の目には色も鮮やかな赤を基調として映り、明滅を繰り返すことで歩行者信号のように警鐘を促すのである。然し乍ら、そう云った大多数の人間が行使する力は、私の持つ感応力の網目に引っかかることもなく、噴霧されたスプレーのように飛散していくのだ。此れに該当しない者は、奇警な感情の収縮を見た。圧縮された負の精神がダークグリーンの球体を模し、私の外側から減り込むように体内に浸食してくるのだ。程なくすると私の内側にある数多の感情が、玉子を攪拌したかのような一つの黄色い液状と化し、体内を目まぐるしく行きかったかと思えば、自我を喪失した気狂い道化師のように、焦点定まらぬまま粗暴な振舞いに出るのだった。
 意識の昂揚は確かな結果に導いてくれる可能性もあるが、制御できるならば越したことはない。暴発する恐れもあるし、なににも増して自制心を失う恐怖は計り知れないものがある。気が付いたらどうかしていた、などとする未来があってはならないのだ。常に自身の思考と行動が、道を切り開いていくものだと信じ続けられなければならない。因果はそれに従属していなければならず、能動的であればこそ人間性を保っていけるものではないだろうか。前述が前提としてあれば、精神の起伏から起こる子供じみた思考の飛躍も許容できると云うものだ。世界が人間一人一人の想像から創造されているとする論理も、思考が媒介としてあれば空気清浄機もとあるメーカーが製造した物であると錯覚できる。精神の均衡は一本の糸でもいいので括り付けておく必要があった。
 「他者の怒りが、脳の神経回路になんらかの影響を与えていることは否めません」
 大森医師は腕を組んでから続けた。
 「貴方は共感性が強いのかもしれません。必要以上に周囲の空気を感じ取る行為が心に負荷をかけており、ニューロンとニューロンを繋ぐシナプスに走るパルスが不可解な放電を起こしているのかもしれません。まぁ、専門外なのでめったなことは云えませんが。あくまで仮設ですが、心的負担を考慮する必要がありそうですね。此れが癲癇の一種でなければシナスタジアの可能性もありますので。不安なら、一度脳のMRI検査を受けてみた方がいいかもしれません」
 「シナスタジア?」
 「共感覚と云い直した方がよろしいですね。通常の感覚では得られない特殊な知覚現象のことを指します。文字や数字に色を感じたり、ある形に味を覚えたりと云ったものです。ただ、他者の感情に色を感じると云うのは、かなり特殊な例かもしれません。その中でも怒りの感情だけに感応して、暗緑色にだけ不可解な感化力があるのですから」
 私は頷いた。
 「同期する理由が見当たりません。そう云った感情の持ち主は稀ですが、日が悪い時は四~五人にあたってしまうこともあります」
 「四~五人って、それでは貴方が参ってしまうでしょう」
 「そうなれば一日の記憶は断片的なものになってしまいます。どこでなにをやらかしているかなんてあやふやなままですし、下手を打てば犯罪に手を染めているかもしれません。どうにか制御する方法があれば、大森先生に教えていただきたいのです」
 眉間に皺を寄せつつ、大森医師は難しそうな顔をした。
 「結論から云えば、我々医師には不可能です」
 「何故ですか!」
 私は期待を裏切られた衝動から、つい語気を荒げてしまった。
 「非可逆性の共感覚者は非共感覚者にあらず、だからです。元来、共感覚を有する者は、非共感覚者と違って先天的なものなのです。非共感覚者が頑張って努力しても共感覚者になれないように、逆も亦しかりと云うことです。そもそも論ではありませんが、共感覚者は非共感覚者と違って、ある病から発病してそうなってしまった訳ではないのですから」
 私は愕然とした。大森医師の見解はおそらく正しいものと思われる。共感覚者は他者にないそれを有しているからであり、治療することも感応力を自力でもって押し止めることも不可能なのだ。なぜならそれと云う代名詞が全てであり、それがあるからこその共感覚者なのだから。
 「懈怠している訳ではないのです」
 大森医師は続けた。
 「西洋医学は悪いと思われる部位を遠隔で見定めて、切り捨て縫い合わせるだけのものですから。常人に備わっていないクオリアに、直接メスは入れられません。よって、科学的アプローチは皆無と云ってもいいでしょう」
 「人だけでないのです。場合によっては、動物でも似たような感情に支配されることがあります」
 「そんな……」
 私の言葉に大森医師は耳を疑った様子だった。波長が合えば、無残に殺戮に及んでしまった黒猫の一件のように、感情の蜷局に囚われてしまい、私の意識は最果ての向こう側へ半ば拉致される格好となる。いかせん、人間だから猫だからと云うものでもないらしい。あの厭らしい負の感情は、すかりと私を解放してくれそうもなかった。
 「その、暗緑色の球体なる感情を目にした時、そこから意識を逸らすことはできないのですか? まあ、貴方を見ていれば自ずと知れようと云うものですが」
 意識を逸らすことが難しいのではない。逸らすことができないのだ。此れには大きな隔たりがある。いくら頑張ったところで、大森医師から有効的な打開策は生まれてこないようだ。祖母の見舞いも叶わない以上、油を売っていても仕方ないと云う結論に達した。私は適当なところで話を切り上げて、大森医師に礼を述べてカフェを後にした。
 時間は午前十時にならんとしている。一旦帰宅してから沙羅を呼び出して、勉強会の一件を問いただしてやろうと思い立った。どうして、沙羅は勉強会に参加する旨を私に伏せていたのだろう。サプライズ演出のために、坂本から口止めでもされていたのか。否、それでは、沙羅が黙っている理由にはならない。何故なら、真壁の口から勉強会の参加メンバーを紹介されているからだ。サプライズ演出のために実行されたのであれば、当然のごとく二人で口裏を合わせていると考えるのが自然の流れである。沙羅がなんらかの逡巡から、私に時が来るまで黙っていようとしたとしか思われない。しかし、いままで失念していたが、話しそびれてしたったと云うことはないだろうか。これにも疑問符がつく。同じ組である真壁と沙羅は、毎日のように顔を合わせているのだから、この手の話はいくらでもするであろうし、忘却の彼方に追いやられるには、あまりに情報の反復が過ぎるのではないだろうか。反復学習の成果は、今更検証するには及ばない。
 ゴールデンウィークに初顔合わせの面々で勉強会を催すのである。私たち学生にとってはイベントであるし、ただ、勉強会で終わらないであろうことは、想像に難くない。親睦を深めようなどと云いだす輩は必ずいる者だ。いつの間にか目的がすり替えられていて、気が付いたら親睦会がメインになっている可能性も考えられた。どれだけ、おおなおおなに試験対策ができるか、メンバーには質の高い要求をする羽目になるだろう。フォーカス・オブ・アテンションではないが、一点集中することを意識レベルでやってもらうことになる。ついで入力された学習内容に対する早期のレスポンスを見る。レスポンス率の強弱で習得範囲の基準を見定めて、最終日までに出題範囲を押さえる。付き合いの浅い人間に対しては、案外機械的な見方の方が適している場合が多いものだ。

                                                 八

 雨はすっかりやみ、晴れ間が顔を覗かせた。電車を乗り継いで家に帰りつくと、戸口の前で母と沙羅が立ち話をしていた。近く、煤嶽村と南櫛灘村共同で行われる五月祭について、なにごとか打ち合わせをしているのだろう。ヨーロッパにおける民族的な春の祭りが、両村に形を変えて伝承されている。古来の樹木信仰に由来し、五月一日に豊穣の女神マイアを祭り供物が捧げられた。夏の豊穣を予祝する祭りと考えられている。嘗て、ヨーロッパ各地では、精霊によって農作物が育つと思われており、精霊のことを女王や乙女の形で表現されていたらしい。英、仏、独などで最近まで残っており、所によっては今日まで続いている。
 「あら? 今帰ったの。おっかの様態、どうだった?」
 母が私に気づいて声をかけてきた。
 「もう、手がつけられねえみたいだ。面会謝絶だってさ」
 沙羅が私の傍まで来ると、細い指を絡めてきて云った。
 「真っ向、大丈夫? 辛そうだよ」
 「人が死ぬと云うことを理解するのに、少なくとも首を捻る歳でもないさ」
 「無理しなくてもいいのよ。おらあはえーかん辛いわ」
 母はそう云うと、背後から私の肩を抱いて額を押し付けてきた。昔から行われている愛情表現だった。肉体的接触が多いのを特に訝しんだことはなかったが、当時を回想するにあたって、村の悪癖が間接的だが表現されており、こう云った繊細な話を他人にする時は、玻璃に触れずに金槌を振り下ろすようなものだ。
 「今、五月祭の話をしてもいいかしら?」
 私は母の言葉に頷いた。遅かれ早かれ聞かされるの出し、毎年の恒例行事だから不参加は認められていなかった。概ね村に伝承されたのは、独の南西部、バーデン=ヴュルテンベルグ州ツンツィンゲンで催されている祭りだ。十二歳くらいの少女が、五月の女王的存在の、天の花嫁(ウッツフェルト ブリュトリ)に扮して、案内役の女の子二人と、七、八人の少女を従える。お伴の最後尾の少女は籠を下げ、天の花嫁の訪れを村の家々に告げ、籠に乳製品や、卵、果物、などを受け取る。天の花嫁は、感謝を表すと同時に、その家を祝福する。一方で「冬」を表す少年たちが、黒い服を着て、体中に縄を巻き、別の地区を歩いて、少女たちと同様の口上を述べて、贈り物を受け取る。しかるのち、示し合せておいた場所で、天の花嫁(夏)と少年(冬)との決着が始まる。冬の持つブナの木の枝を、花嫁が三本折り取ると、天の花嫁の勝ちとなる。子供たちは、昼食に一旦家に戻った後、午後はまた家々を回ることになっていた。村の祭りはそれを忠実に再現している訳ではなかった。が、天の花嫁と冬を表す少年を毎年選び出し、家々を回り祝福を与えて、受け取った献上品を宇迦之御霊の神に捧げるため、伏見稲荷大社と伊勢神宮に奉納することになっている。選出は村長に一任されており、煤嶽村の村長が稲荷神社に、南櫛灘村の村長が伊勢神宮に、毎年恒例の奉納品を手土産に参拝に訪れる手筈となっていた。
 「今年は南櫛灘村の新見村長の口利きで、煤嶽村の者は南櫛灘村の家々を回ることになったの。それで、今年天の花嫁に選ばれたのが左ちゃんなのだけど、冬の少年は貴方、真向が担うことになったわ」
 私は辟易した。母の言葉に訛りがなくなる時は、事後承諾だと相場が決まっていた。冬の少年にと、後押ししたのは母であることは明白だった。なんだってこう面倒なことが重なるのだろうか。試験も近いと云うのに、慣わしもなにもあったものではない。だが、断れば村八分にされるのは明白であり、まして我々親子は村民に借りがあるのだ。母は借りを返す意味合いもあったのだろう。だとしたら、礼を逸する訳にはいかない。母の美佐子に仕事を斡旋してくれたのは、なにを隠そう、私の眼前にいる沙羅左の父親である沙羅悟なのだ。娘の晴れ舞台に泥を塗るような真似をすれば、私の立ち場がどうなるか以前に死活問題である。
 云い変えれば沙羅左を通して、村の者から監視されているともとれた。一挙手一投足は彼女の監視下にあり、父親を亡くして傷心している私の慰め役を仰せつかり、世話役、親友役、恋人役、果ては初体験の役まで無難にこなしてみせた。もちろん、沙羅も処女であったから行く道は難路ばかりだったが、初めから近道を模索する方が芸がない。そうした行為も含め、二人で思索することが成長とも云える。幸い、惣掟に於いて未成年者の鳳友鸞交を咎めるとは言及していなった。むしろ奨励している風でもあったのは、煤嶽村に迫る過疎化の波を食い止める防波堤の一助になって欲しいとする村民たちの打算もあったようだ。
 「私、とても嬉しいの。こうして、真向と村のためになにかしら寄与できることが」        
 沙羅は添い臥しを希求された生娘みたく、面映ゆいのか両手で顔を覆いながら云った。その姿がどこかしら発条仕掛けの玩具に見えた。いつだって沙羅の動作は、ある種のわざとらしさに満ちていた。喜怒哀楽は選択を誤った解答で埋め尽くされており、通夜や葬式の席で満面の笑みを浮かべることも間々あった。それでも狼狽することがない分、誤りは機転の早さで修復されるため、傷口を広げてしまう愚は犯さなかった。私は動物実験のつもりで、沙羅のこうした不首尾の感情流動性を観察している。殊、感情選択の誤りである綻びが取り繕われる様は、沙羅が人間の本質を知悉しているのではないかと思われるほどだ。突貫工事の正確性を考慮すれば、初期の段階で感情選択を見誤るボトルネックがどこにあるのか、不可解この上なかった。
 「左ちゃん、可愛いわ。真向に夢中なのね」
 母は私の傍を離れ、沙羅を抱き寄せてから云った。
 「私は、そんな……」
 沙羅の瞳はどこか虚ろなものに変化した。
 「俺はお前みたいにはなれないな」
 私は続けた。
 「細部に目が行きがちな分、大局観をもってことに当たれないのが難点だ。確かに村全体の収益を考慮した方が、教育に費やせる予算も増す。必然、教育水準が上がり、触発されるように底上げもなされてくる。常に視野を広く持つことの重要性が問われるな。五月祭と教育水準の因果関係は無視してでも」
 私は隣家の村瀬宅の物干し竿にかかっているYシャツが、強風に煽られている様を見て、飛ばされない内に知らせに云った方が良いか思索した。次いで頭に浮かんだのは、ついこの間朱鷺高等学校の図書室で読了した、ハドレー循環について説明している本の中に出てきたコリオリについてだった。どうして、コリオリなんてものが念頭に浮かんだのか定かではないが、髪が乱されるくらいの強い風だ。直ぐに収まるだろうとは云っても、それが懇篤だと誤想してもらえる要因にはなる。いつだって、村で生きる者は僅かな試みから、自身に有益とされるラベリングを調達していかなければならない煩わしさがあった。
 「今は、そんな話をしているのではねえのよね?」
 母は沙羅の顔を覗き込みながら云った。表情は慈愛が滲み出ていると云うよりも、大人の余裕が感じられる。息子と恩人の一人娘の恋愛事情が、永続的に行われない飯事だとしても、いまの自分達の生活を、強いて云うなれば息子である私が一人で生き抜く力を身に着けられるその時まで、確かな保険を生活保障として囲い込む必要が母にはあったのだろう。私的な感情で、村の微妙な人間関係を壊してしまっては本末転倒である。壁に耳あり障子に目あり、時が経てば私の力で村を出て行くことも可能なのだ。親権義務を遂行するためには、時間の経過がなにより肝心な事柄なのだろう。
 「チョコレートの話だったか?」
 私は村瀬宅から視線を戻して云った。
 「甘いとこく点ではね」
 母は私の言葉を受け流した。母の手が優しく沙羅の頭を愛撫しているのだが、沙羅自身は放心した状態でなすがままにされており、一体なにを思っているのか判断が付かなかった。母は続けた。
 「それでさぁ、五月祭のめーでは斎戒沐浴をする仕来りがあるのは、覚えているわよね?」
 「いつも思うことなのですが……」
 沙羅は母の愛撫する右手を両手で包み込んでから云った。鬱陶しい愛撫を、相手の気分を害することなく対処したのだろう。そう受け取った私の性格に問題があったのだろうか。
 沙羅は続ける。
 「私たちはイスラーム教徒ではないのですから、五月をラマダーン月にする必要はないと思われます」
 母は思案顔で頷く。
 「そうね、一度香月村長に相談してみるわ。精々、沐浴程度にへら方が、時代時代に適応できているとも考えられるし」
 「断食と云っても、日の出から日没までの半日だけ、一切の食事を取らないと云うだけだろう?」
 沙羅は私に視線を投じた。
 「うん、天台宗の千日回峰行に比べたら、寛大な処置だとは思う」
 「千日回峰行なんて、よく知っていたわね」
 母の言葉に沙羅は頷いた。
 「授業で弘法大使空海を調べる機会があって、唐まで随伴した天台宗の開祖である最澄まで触手を伸ばした結果です。空海の人物像から真言宗の仔細まで、全七巻が図書館に置かれていました。なに書いているか、理解できませんでしたが」
 「学校ではなくて?」
 「図書室にも何冊かありましたが、揃えが良かったのは神無月公立図書館の方でした」
 沙羅の云う神無月公立図書館は、神無月川河口付近にある図書館だ。Mアウトレットパーク煤嶽村と並んで村の誇る建造物であり、本の揃えは六百万冊以上を数えている。県外からも蔵書の貸し出しを希う声は複数あった。それに応える形で貸し出しを行っており、日本でも有数の大図書館だ。田丸学校長が水力発電所を誘致する際、香月村長に取り決めさせた最も大きな誓約だったらしい。莫大な固定資産税の見返りとしては微々たるものだが、田丸学校長が念押しさせたほどだから、図書館の建造が煤嶽村に重大な意味を持つのだろう。朱鷺高等学校の図書室だって、学校図書館法により設置が義務付けられているとは云え、充実度は神無月公立図書館に引けを取っているとは考え難い。司書教諭もきちんと配属されていることから、教育に関する田丸学校長の理念に、全くブレがないことに着目したい。
 「でも、あの図書館、村に建てられているどの建造物より浮いている感じがするわね」
 母は空いている左手で、沙羅の包み込んでいる両手に触れて続けた。
 「新たな企業の誘致に資金を投入するのは分かるけど、利益回収が見込めない図書館に、自治体が資金を投入するメリットってあるのかしら?」
 当時、私は母の言葉にそれほど意味を考えなかったが、いまにして思えば確かにインフラ整備に資金を回した方が、村の発展に繋がるだろうことは明白だった。誓約を反故にしろとはあんまりだが、資金の投入が常人の考える以上のものであったし、やはり他に狙いがあったのだろうと訝しみ、実際、私が事実を知った時は子供と云うのはいつだって身勝手であり、なにも知らない内から物事を批判するべきではないと云う自戒を胸に刻み込む良い切っ掛けとなった。田丸学校長が煤嶽村の子供たちに向ける愛は、己の身勝手さを悔いるため懺悔するためなされたものであると云うことは、この際問題にならない筈だ。そのことは後々述懐するからいまのところは目を瞑ってもらいたいのだが、やはり声を大にして云わねばなにごとも伝わり難いと云うのが現実である。
 母は触れた沙羅の両手を念入りに愛撫した。その行動が私にとって後ろめたいものを目にしている感覚に陥れた。目にしていてもいいのかどうなのか、私はできるだけ物思いに耽っている姿を演じた。母の視線に沙羅は吸い込まれるように顔を近付けた。ここまでくれば違和感の正体は分かりようものだった。寸前で押し止まった沙羅の瞳を見つめながら、母が囁くように云った言葉を私は聞き逃さなかった。
 「大丈夫……きちんと生理はきているかしら?」

                                                  九

 謀った一手を語るには、インターネットが普及してブログ作成が一般的になる少し前の話だから、HTML言語がホームページ作成に必須だった時代とだけ付け加えておく。私は例の図書館から借りたHTML言語の専門書と格闘しながら、ホームページ作成に取り掛かっていた。受験勉強の合間を縫って、学校のパソコンを使用して行う作業は苦行と云えた。だが、完成した暁には教師たちの鼻を明かしてやれると云う、生徒としては下衆の極めではあったが、どこか面白がっている自分がいたことも自覚していた。
 ホームページの内容は、至って詰まらないものだった。それでも良かったのだ。私の中学生時代を遡って一年生の時分から公開すると云うものであり、日を追うごとに閲覧者がのめり込んでいくような物語性を含んだ構成で描写して、父の死と私自身の持病を語りつつ感情移入をさせながら、ここで目的だった教師たちから受けた朱鷺高等学校への進学阻止に行われた尋問や体罰の数々を列挙していった。不特定多数の閲覧者がいる中で、多少誇張した節もなかったわけではないが、目論見は大方達成された。ホームページ上に設置された掲示板の中に、私が通学していた小金中学校への批判が殺到し始め、やがてそれはお節介を通り越した大人たちの抗議の電話で埋め尽くされた。教師の一人が作成したホームページを見つける頃には対処の仕様がなくなっており、小金中学校の校長先生が非難の矢面に曝されて、気が付くと私はなんら咎めを受けることなく、この後を無事乗り切れたのである。
 裏では坂本が暗躍していたことも挙げておく。教師たちの動向が自分たちへ向かわないよう便宜を図るため、進学希望先である朱鷺高等学校の学校長である田丸学校長に連絡を入れていたと云う事実だ。抜け目のない坂本の行動が、更に小金中学校の教師たちに追い打ちをかけることとなった。田丸学校長が自ら乗り込んできたのである。一介の受験生のために、田丸学校長は事実確認と今後の処置を取決めさせ、生徒の自主性を無碍にする行為を戒めることまでしてくれた。
 「君のしたことは行き過ぎた感があるけれど、悪いことをしたのは彼らの方だから、今回は不問としておこうかね」
 そう云った田丸学校長の顔は、悪戯好きな少年そのものだった。私はその時から、この男のことを嫌いになれなかったのかもしれない。いや、一度だって嫌いになれなかった。田丸博はいつだって子供たちの味方であり、朱鷺高等学校に入学してから勉強会で親しくなった我々七人の良き理解者なのである。
 「まさか、ここまでしてくれるとは思っていなかったですよ」
 坂本の白々しい言葉すら、田丸学校長は意に介していなかった。未来に対して結果が良好であれば、この男は満足できるのだろう。田丸学校長は、校舎屋上から日が暮れかかった煤嶽村の空を仰ぎ見てから、皺が刻まれた知性的な顔を私たちに向けた。
 「当日は遅刻しないように睡眠は充分取ることだ。一夜漬けなど、漬物業者に一任したまえ」
 「僕は一夜漬けより、糠漬けが好みです」
 田丸学校長は声を出して笑った。よくまあ、容易く切り返しができるものだと私は感心しながら、今後なにか交渉事があったら坂本に全て一任する腹を決めた。それが、大人になったいまでも継続するなんて考えもしなかったが。
 「君の文章校正能力は中々のものだったよ。将来は作家志望なのかね?」
 田丸学校長は私に向き直って云った。
 「まさか、私のような卑小の者が作家志望なんて烏滸がましいですよ。普通に食べていける職につければ本望です」
 「ちぇっ、どうしたら君の口から卑小の者なんて言葉が出てくるんだ」
 坂本は欄干に凭れ掛かり、悪態を吐いた。
 「謙遜こそゆかしいものさ。品のない戯言は鼠にでも食わせておくんだな。俺はこの村にきてから、そのことを身に染みて実感したよ」
 「君はこの村の生まれではないのかね?」
 田丸学校長は意外そうな表情をした。見事なまでの白髪と上髭が紳士然としており、上背の高さも相俟って男の理想の歳の取り方だった。温厚な顔つきは人徳に溢れており、人柄の良さが滲み出ていた。
 「父は千葉で開業医をしていたのですが、煤嶽村の前村長だった友人の河野氏に乞われて、此処、煤嶽村に越してきたのです。私が七歳の時分に」
 私の返答に田丸学校長は頷いた。
 「そう云えば、高坂医師が引退してから、この村に医師不在が続いていた筈だ。そうか……あの後にこられた先生が、君の……」
 そこまで云うと、田丸学校長は欄干に両手をつき溜息を吐いた。
坂本も顔を顰めて、俯き加減に肩を落とした。私同様、外様であるはずの坂本ですら、父を死に追いやった事故のことを知っているのだ。果たしてこの村に、そのことを知らない人物がいるかどうか。車のブレーキに細工して、父を事故死に追いやった人間が村にいると云う事実にを――。
 未だ事件は未解決のままだった。私が気が付いていないだけで、村のどこかで挨拶を交わしているかもしれないのだ。そう考えると、虫唾が走った。
 坂本は重苦しい空気を一蹴しようと口を開いた。
 「君の親父さんは、確か流行り病を駆逐した英雄だったか?」
 田丸学校長も続いた。
 「結核だったかな? ストレプトマイシンを大量に持参してくれたとか」
 「はい、薬の知識は疎いですが、大量の荷物を抱えていたのは記憶しています」
 私は当時の記憶を思い起こしてみた。大概があやふやなものだったが、河野氏に案内された診療所で、父が大勢の患者に次々注射を打っている光景が浮かんできた。安堵に包まれた表情の患者に、父がなにごとか声をかけて、滋養強壮作用のある、大蒜、玄米、えんどう豆、大豆、人参、松の実、山芋、韮、海老、鰻などを渡している。礼を云って受け取る老人たちの背中を、優しく擦っている母の満足気な笑顔がおぼろげながら見えてきた。そんな中、診療所の隅にいた一人の中年男性が口を開いた。
 「どうして、村がこんな状況だってのに、南櫛灘村の連中は俺たちを見捨てたんだ……」
 あゝ、脳裏に浮かぶイメージが段々と鮮明になっていく。
 中年男性の顔は怒りに満ちており、私の視界に紅紫の玉が飛び込んできた。診療所の者は誰一人気づいていない。その後、大勢の患者から一斉に紅紫の玉が飛散していったっけ。父が慌てて河野氏に問うた。
 「一体、どう云うことなんだ?」
 河野氏は両目を固く閉じた。
 「一方的に交流を絶たれたよ。幹線道路から果ては一般道路まで、強行に封鎖を宣言するものだった」
 母は口元を手で覆い、著しく動揺している。父が傍まで行き、母を抱き寄せることまでした。
 「それはあまりに横暴と云うものだろう。あちらには医師がいるのだし、少し足を延ばせば多くの命を助けることができたはずなのに」
 そこまで口にしてから、父の表情が険しいものに変わった。
 「そうか、だから……この村に……」
 「私は嘘はついていない。流行り病の対処は、君の専売特許だからね。問題はこの後のことなんだ」
 父は苦虫を噛み潰した顔で、怒声交じりに吐き捨てた。
 「私に煤嶽村専属の村医者になれと云うのだろう?」
 そうだ、父は初めからこの村に越してくるつもりはなかった。河野氏から村で結核が流行しているので、助力を乞う連絡を貰っただけなのだ。流行り病の対処が済んだら、礼がしたいからと私と母まで連れてくるよう仕向けてまで。正義感の強い父は、薬と大量の食糧を車に詰め、私たちを連れて取り急ぎ村に向かった。考えてもみれば結核が蔓延る村に、私や母まで呼んだのには違和感を拭えない。感染するリスクを考慮すれば、仕事がひと段落したら家族ぐるみで村の観光などいかがですか? などと湾曲な云い回しで誘い出すはずもないのだ。取る物も取り敢えず、村に駆け付けたい一心の父が、ありとあらゆる条件を呑むだろうことは、河野氏はとっくに見抜いていたはずである。
 「そう云うことだ。だから、君の妻子にもご足労願った」
 「このまま、帰すつもりもないのだろう?」
 父の目の奥には、はっきりと動揺が見て取れた。河野氏はそれに答えず、沈黙と云う形で肯定して見せた。卑怯なやり口だが、そうでもしなければこの村に医師がきてくれる可能性は低いのだろう。母は父の横顔を不安そうに見つめている。なにか云って安心させてやりたいのだろうが、父は考えが纏まらないみたいだった。
 「それでも、帰ると云ったら?」
 父の問いに、河野氏は鎮痛の面持ちで返答した。
 「お前たちをこの診療所に軟禁しなければいけなくなる。私にそんな酷い真似をさせないでくれ」
 「随分、身勝手な言い草だな」
 父は河野氏の左肩を掴んだ。
 河野氏の顔が苦痛に歪む。
 「お前は、俺たちの生活を壊そうとしているんだぞ。息子だって、千葉の学校に通学している。私も細々だが開業医をしている身だ。あちらに私の多くの患者がいる。見捨てろと云うのか? 南櫛灘村の連中みたいに!」
 診療所にいる多くの患者が息を呑んだ。漸く、自分たちの行いが、忌み嫌っている南櫛灘村と同様のものであると理解したみたいだった。父は激しい勢いで頭を掻き、考えを纏める形で精神の安定を図っているように思われた。その時、齢八十は過ぎているだろう老婆が、床にへたり込むと父に頭を下げた。
 「先生、どうかご慈悲を下さいませ。おらはもう、そんなに若くはありません。この先、いついかなる病が襲うかもと考えますと、夜も眠れねえ心地です。先生が村に居て下されば、おらあら年寄連中は安穏とへら日々が送れるのです。それに村のぼこの未来を慮れば、いつまでもお医者様不在と云う訳には参りません。河野村長のやり口は、えーかん褒められたものではございませんが、どうかおず持ちだけは察してやってさーくんない。ご慈悲を……どうか寛大なご慈悲を……」
 額を床に押し付けて、平身低頭に乞う老婆の姿は痛々しいものだった。母は急いで老婆の傍に行き、体を起こしてやった。一斉に診療所にいた村の者達が頭を下げる。助力を乞う弱者の嘆きが、父にどれだけの衝撃を与えたことだろう。紡ぐ言の葉を忘却し、茫然自失する父の姿は、幼かった私の目に滑稽に変装させられた案山子の姿に映った。やがて、父は歯噛みした後、右拳を白色の壁に打ち付けた。複雑な心境だったことは、想像に難くない。家族の幸せと、村に住まう力を持たぬ老人子供を見捨てられない倫理観を、天秤にかけられない父のもどかしさは、母が敏感に察した様子だった。老婆を助け起こし壁際の席に座らせると、父の傍まで行って腕を取り優しく寄り添う。父の表情が幾分和らいだのを確認すると、母は気丈に自身の考えを語り始めるのだった。
 「私、この村のことがとても気に入っているの。木々も多くて空気も綺麗で、なにより村の方々の子供たちに対する思いが伝わってくる。私たちも人の親ですもの、頭で納得できなくても、感情に訴えかけてくるものがあるわ。どう? 考慮してみることはできないかしら」
 「この子のことはどうするんだ。私たちはどうにでもなるが、真向が成人を迎えるまでは責任があるんだぞ?」
 母は父から離れて私の傍まで来ると、頭を数回撫でてくれた。
 「真っ向は大丈夫よ。男の子だもの。それに子供は色々な経験をさせてあげた方がいいわ。今すぐ考えれないなら、数日時間を貰ってもいいのではなくて? 村長は監禁とは云わず、軟禁すると答えたわ。意味することは自ずから図れると思う」
 父は河野氏に一瞥をくれると、再び母に視線を戻した。
 「時間はいくらでもあるから、よく考えろと云うことだろう。くそっ! まるで北朝鮮に拉致された気分だ」
 母は苦笑した。
 「不謹慎よ。そう云うことは、思っていても口にしてはいけないわ。責任を云うなら、結核は空気感染するのよ。診療所に子供を入れている時点で問題だわ」
 「君も共犯だ」
 「ええ、そうね。感情的になっても、それこそ埒が明かないわ。もっと、合理的に検討してみましょう? これだけのことをしているのだから、きっと河野村長も私たちを特別待遇で迎え入れて下さるわよ」
 母のこれ見よがしの皮肉に、今度は河野氏が苦笑する番だった。やり込められた村長を見て、村の者たちから自然と笑みがこぼれた。空気が一変したのが、私のような子供でも理解できた。どうやら、父の面子を潰さず立場を有利にする術は、母の方が一枚上手のようだ。
 こうした空気の澄明は、人の思考の汚濁を取り除く。環境の悪化は、固執する悪癖を高邁な思考の堅城として死守せんとするが、捉え方次第では縛めは解かれて、悉皆剥き出しになった情報から篩にかけられた醇正だけを抽出できる。趨勢はただ導かれるままに一方通行となり、道順に沿って行けば迷いはなくなって、時を待たず大通りを抜けることになる。行き着く先は凡庸な帰着と呆れられるかもしれないが、心の重石はそれだけで行動を抽象的に駆り立てるので、早期に手を打つべき明確な可視の部分と云えた。
 父の翳りはこうした重石効果だったのだろうが、うそ寒くほの暗い井戸から水をくみ上げる釣瓶の役割こそ伴侶としての見せ場であり、良女を定義する際の条件に該当する。母はただ、嘗試して河野氏の反応を窺っただけなのかもしれないが、意外なところから突破口が切り開かれるものだ。まさに重石が思兼神によって除去されて、父は視野を奪われていた不条理から一定の距離を置くことができた。不条理を経験すればカミュの講義の十時間分に匹敵する。彼の死が交通事故であったのは、不条理を定義付ける意味ではうまかった。突発的はところは形式ぶらないぞんざいな態度であり、死を押し付けられた意味では彼の文学人生を半ば肯定したようにも映った。
 笹川守も亦、不条理を押し付けられたことによって、強制的に人生を肯定された一人だ。岩盤みたく構成された基盤であるところの正義感とやらは一筋縄ではいかず、一時の回避は気休め程度に終始し、利己を貫く気概に欠ける気質は、煮詰めて利他と云う名の藍蝋となった。夜のしじまは診療所との間に境界線を引き、ここだけが世界から放逐された残欠の象徴だ。流行り病に蹂躙された医師のいない寂れた村で、両親は夜通し治療に専念し、捨て置かれたはずの命に希望を咲かせた。日の出と共に、父の心が別世界へ干渉を始めると、現実に帰参する頃には腹が決まったようだった。
 「分かったよ……。ただ、転居の準備がいる。院もそのままと云う訳にはいかない。一度、千葉まで戻るが、それだけは信用してもらわないといけない」
 診療所は一斉に歓喜に包まれた。誰某ともなく父に握手を求め、私たちの注意を惹かない者はいなかった。
 河野氏は腕を組んで渋面であったが、口は重く云い淀んでいる。我儘を押し通すなら譲歩は損だとばかりの体だ。彼の厄災を孕む口が開かれる折、母は重ねるように快活な口調を投げた。
 「私が人質になればいいわ。いざと云う時は、真向が守ってくれるもの。振る舞われるであろう豪勢な食事に感けてしまう前に、どうかお早いご帰還をお願いします」
 父は額に手を当て、苦笑いした。
 「見目麗しく聡明な君のことだ。高校時代の制服に寸法を合わせることが馬鹿げでいることは分かっているのだろう? 行ってくるよ、真向を頼む」
 母の顔にも安堵の笑みが浮かんだ。気が緩んだのか、母は私に身を寄せて深く深く溜息を漏らして呟くのだった。
 「いってらっしゃいませ。そして、有難う……兄さん」
 私は母の大きな乳房に埋めた顔を父に向けると、その表情は幾分複雑だった。

                                                  十

 坂本に強く肩を揺すられたことで、私の埋没した意識が覚醒された。夢と現が旁魄していく過程で、屋上の真下に映るポプラの揺動が、私の心の有り様だ。記憶の暁闇は可視放射の介在を拒み、私も決してその後を追うまいとした。回顧してはならない秘匿があるような気がして、入り口に足を踏み入れたら最後、二度と帰還できないだろうとする勘が働いた。君子危うきに近寄らず、安易な現実に身を投じて可能な限り逃避したが失敗した。田丸博と坂本正一の姿を目視できたことで、私はいま此処にいる世界が全てだと認識できた。ただ、世界がうろ覚えに近い感覚が生じて、天と地が距離感をめぐって必要以上に鬩ぎあっていた。終末期が私に飛来する。小刻みな時間の断片が少しずつ不透明になっていき、∞になろうとして誤った独創性を発揮している。先端が丸みを帯びた9という数字は8ではなく、削げて反転して♭になった。6ではなかったのが気にはなったものの、9が♭であって6ではないのは、当初の∞と矛盾していない。∞は半音下がるのだから……。父の話をしたことで、私が著しく心を乱してしまったのだと、田丸学校長は思い違いしている様子だった。態々、両者の喰い違いを指摘する労は省略させていただいた。
 父の死は、私以上に村に住む人々にしこりを残す結果となった。父の死の切っ掛けとなったのは、煤嶽村と南櫛灘村の和解に用いられるはずだった合併話が原因である。私からしても良案とは云い難い愚策を、弄するにしてもあまりに児戯に等しいものであった。和解を模索して一計を案じたのは河野氏であり、なぜ、今更になって南櫛灘村と交流を再開しようと思いたったのか理解に苦しむ。それが合併と云う極論をとれば尚更であり、村民の根深な憎悪を精密に修正できていない段階では、火に油を注ぐことになるが真理と云うものだろう。村民たちにとって合併は寝耳に水であり、色々と根も葉もない噂が立ち込めてきて、やがては背後にきな臭い動きを感じ取りはじめた。
 話の続きをする前に、手元に資料があるので目を通して見る。元々、煤嶽村と南櫛灘村は一つの村として存在していたらしい。それが両村に分断していまに至るのは、当時、村の中央に幹線道路を設けることで、事実上の解体分割がなされたからである。一九六七年に法的に成立して、煤嶽村南方から二分されたことで、南櫛灘村と妙名された。解体分割された理由は、田丸学校長の口から偶然語られることになる。中学生の時分に知り得た情報なのだが、あまりに衝撃的だったので、大人になった時分に内容以上に記憶に残っていたほどだ。自ら調査して村の実態に迫るに辺り、閉鎖された世界は独自の文化を形成するとともに、倫理や道徳から著しくかけ離れていくものだと云う認識に至った。
 余談だった、話を戻そう。程なくして、法定合併評議会が設置された。構成員は煤嶽村の村長である河野史郎氏、南櫛灘村の村長である新見義輝氏、地元出身の議会議員、学識経験者で占められていた。その中に、父である故笹川守の姿もあった。河野氏に乞われて出席したのだが、この頃には煤嶽村の重鎮として、なくてはならない人物となっていた。近況を知らせるべく村の者達が、頼まれてもいないのに足蹴く診療所に顔を見せるようになっていた。父もこの生活に慣れてくると、自分を慕ってくれる村民たちに気を許していた。昔からの知り合いであるかのように旧交を温めている、そんなふうにも受け止められた。年配の者が父の幼少の話をしていたので、私の洞察もそう的外れではなかったようだ。どのような経緯で村の者は父を知っていたのか、母や祖母から聞かず終いになってしまった。が、聞き込み調査の末、父が煤嶽村の出身者であり、此処で育って慶応大学に進学するために十八歳の時分に上京したのだと知った。
 「私は君の父親と面識があるんだ」
 田丸学校長は感慨深く口にした。
 「父をですか?」
 「いや、正確には君の母親と云った方が適切だね」
 「どういうことですか?」
 「笹川美佐子さんは、私の教え子なんだよ」
 「えっ?」
 私は意外な言葉に驚いた。
 「いまは廃校になった中学校で、最後の一年間クラス担任したのが私だった。平塚らいてうさんの生き様に強い憧れを抱いていてね。此れからの時代、女性はかくあるべしと云う信念を抱いていた――」
 文武両道で冷静沈着、時折見せる母のひらめきや発想力は、田丸学校長の度胆を抜くことがあったと云う。日本は高度経済成長期の只中、九歳で東京オリンピック、一五歳で大阪万博を体験した母は、日本が西ドイツを抜いて国内総生産第二位になったことで、経済的ピークに達したとみたようだった。岩戸景気の終焉は東京オリンピックの前に決着はついていたが、体感で語る分、若干誤差があったのだろう。銀行よさようなら、証券よこんにちわ、と云うフレーズが流行ったものだが、そんな大手証券会社は軒並み赤字、政府が戦後初めて赤字国債の発行を敢行したお蔭で、なんとか昭和恐慌の再来を未然に防ぐことができた。
 「ただ、美佐子さん曰く、日本は必ず経済的に息詰まるだろうと推測していた」
 急激な経済発展と比例して伸びる給与所得と人口増加。余剰資金は証券から不動産神話に流れていき、やがて暴発した人口の加齢が大きな社会保障費となって圧し掛かってくるはずだと、母は十五歳の時分に田丸学校長の授業で長広舌を揮ったとされる。圧迫された生活は人口の粛清に繋がり、少子化問題が表面に浮き彫りになる頃には、担保にしている不動産の暴落がとっくに始まっている可能性が高いと主張した。此れから景気は最大の見せ場がやってきて、その反動から大きな痛手を蒙るだろうとした。
 私は田丸学校長の話を聞くに及び、何故斯様な話をしているのか、皆目見当がつかなかった。話の切り出しは、父と面識があるとする話だったはずだが。脇で聞いていた坂本も要領を得ていない様子だ。
 その云い分は然りと、田丸学校長はひとつ頷いて続けた。
 「岩戸景気終焉の煽りは、なにも中央だけの問題ではなかった。ここ煤嶽村も第一次産業で、主に林業だが、生まれた資金は有価証券の購入に回されていたんだよ。村は木材加工の会社が多く、その殆どが合資合名会社の類だった。こう云ってはなんだが、当時の村は教育水準が低かった。証券会社のホールセールの勧誘が及ぶと、規模の小さな会社の、それも有って無い様な余剰資金など、あっという間に底をつくものだ。村は二年後から来るいざなみ景気を待つことが困難な状況だった」
 坂本の顔が見る見る蒼褪めた。逸早く田丸学校長の心意を汲みとったらしく、一度舌打ちしてから胸糞悪いなあと連呼した。
 「相次ぐ倒産の影響は、村全体に波及した。貧困に喘ぐ村民たちは、所得の低下を埋め合わせるため、彼の云う胸糞悪い所業に及んだ」
 田丸学校長は表情を硬くして唇を震わせた。
 「口減らしだ……!」
 私の体中に文字通り衝撃が走った。口減らしだって? この男はなにを云っているのだろうか。
 田丸学校長の言葉が、容赦ない追撃を開始する。
 「兄弟姉妹の多いところは、跡取りだけを残して村の南に置き去りにされた。少しの食糧と共にね。無論、老人たちも棄老の憂き目にあっていたのだが、私はその行為が公然と行われていたことに愕然としたんだ。まるで悪夢を見せられているかのようであり、一教職員だった末梢的な私では、この悪行を止める術がなかった。村の中央に幹線道路が設けられたのも、外部の者に悟られないよう、村を二分したのだと錯覚させるためだった。新見は若くして南櫛灘村の疑似村長になり、目くらましの役割を押し付けられた。彼は少数の者と村の南へ移り住み、法的に解体分割を成立させてから、南櫛灘村の村長としていまの状態まで発展させた。捨てられてくる子供たちを受け入れて、棄老された者を保護し、そうして彼は人生の大半を弱者救済の時間にあてていたよ。親友として、私は新見をとても尊敬しているんだ」
 逆様言など忌むべきもののはずなのに、それを親自ら行為に及ぶなど、正気の沙汰ではない。奉公や養子に出すなら納得もいくが、田丸学校長の口振りから察するに、産業廃棄物として処理されていたと云うことになる。
 「この時代この日本で、口減らしが行われていたなんて俄かには信じられません。法治国家であるはずの日本で、そのような反人道的行為が行われていたなんて、とてもではないけど信じ難いのが現状です」
 「無理もない。が、美佐子さんも口減らしの被害者だとしたら、君は今一度、私の話を検討してみなくてはいけなくなるだろう」
 人間性の不実が覆い尽くす私の内奥は、近親者の不幸を取り込んで、やがて平穏を乱しながら体内を流動した。他言できなかった母親の憂戚が悲涙の絶唱を奏で、私の耳朶を焼きつつ生得的解発機構に基づいて、リリーサーと云うべき言葉の誘因が、事の信憑性より大きく私の遺伝子レベルから触発された。
 「そんな……母は一度も……一度も……そんなこと……」
 絶望が私を謙虚にするどころか、極端なまでに憶病へと促した。咽喉は旱魃した土地さながら深刻な水量不足に陥り、波立つ心は不穏当な刃となって内側から切りつけてきて、血とも涙とも似つかない悲劇の結露が滴った。
 最も近しい身内の労苦が、私を得も云われぬ悲哀で満たした。その折、私の眼前に映ったのは、暗緑色の球体だった。この暗緑色の球体を目の当たりにした時は、決まって怒りの感情に囚われた者に中てられなければいけないと相場が決まっていた。だが、私はいま暗緑色の球体を目の当たりにしているのだ。
 斯様な事態に収拾をつけられるとすれば、この暗緑色の球体を自らに取り込んで昇華してしまわなければならない。紅紫玉と違い暗緑色の球体は、抽象的概念は微塵もなく、ただひたすらに私の魂から殺伐と問責するのだ。
 私は間違ってやしないだろうか。涅槃とは程遠い他者への見解は、私を甚く我儘にも頑固にもすれば、独り善がりが過ぎ、田丸学校長に対して敬意が損なわれた卑しい怠慢の放逐だけが残った。
 彼は尊敬する人物に値しない。怒りと云う感情の檻に住まう衆人以外に形容できなかった。暗緑色の球体が証左であり、彼の大火の源泉がおしなべて人間性の不実にある以上、殊更、理智を期する訳にはいかない。炯眼は対岸の彼方へ帰して後、不図、私の心も亦、田丸博と云う男のそれと同義であることに気付かされた。
 誤算であったが、快活にもなれた。私は理解されたと感じた。暗緑色の球体が私の胸に減り込むと同時に、激情が生じる。それも一過性のものだ。代わってあまねく精神を満たしてくるのは、落涙するほどに永世な憐憫だった。
 「……聞かせて下さい。母の過去を」
 私は覚悟を決めた。
 坂本の右手が私の左肩に置かれた。彼の気質は私と硬貨の裏表であったが、こうした些細な気遣いは、今回ばかり有り難かった。坂本はてっきり振り解かれるものと思っていたのだろう。意外の感が表情に表れていたが、私は黙って首を振るばかりだった。十二分に勇気を貰った私は、再度田丸学校長に向き直り、話をしてほしい旨を訴えた。
 「いいのかい?」
 坂本は私に耳打ちをする。
 「僕たちはまだ子供なんだ。なにも辛い話を聞かなくてはいけない立場にないはずさ。知らなくてもいいことは知らなくていい。お母様が話をしなかったのは、君自身が辛苦と無縁であってほしいとする慈悲の心だ。ただでさえお父様を亡くして傷心の身、心に膿や汚濁を抱え込むのは自殺行為に等しい」
 「構わない。心に備蓄する物は、いついかなる時も真実だけでいい」
 私はきっぱり云い放った。迷いはない。
 「君と云う奴は……もう、勝手にしたまえ」
 坂本は苦笑を浮かべて、私から距離を取った。
 屋上から見渡せる血を想起させる残照が空に残り、私の背後から強烈な光を浴びせてくる。視界を奪われるほどの光は、私の覚悟を後押しするかのように、繊細且つ流麗な響きを持って迫ってきた。
 見守る田丸学校長の形貌には影が差し、常に彼の傍らには後悔と苦渋が、まるで呪詛の連環で繋ぎ止められているかのような節があった。奇妙なことだがこの紳士然とした男には、そう云った闇の一部が渦巻いており、始終閉塞された世界に揺蕩っている様子だった。
 風がおぼつかない。湿気を多分に含んだそれは、咎めを受けてある種の秩序を伴い私の髪を撫でた。田畑の肥やしに使われる牛糞の悪臭が混ざっていたものの、嗅ぎなれてしまったが故の鈍感な慣れが生じていた。
 日々の生活が中央と、否、世界から大きく隔離されている。煤嶽村は文明から少なからず後退しており、文明人であらんとするよりも、むしろ原始的生活に立ち返らんとする者が多数派だった。
 文明機器に触れるより、泥にまみれ痩せ細ばった傷だらけの手は、鍬や鋤を好んで持ち入って、要らぬ労力と時間を割いては充足を覚えるのだ。仕事とは効率や成果だけでなく、人間としての本質に準ずる行動によって成長するのだとした。
 それが家族に害を為し、口減らしなどと云う反社会的行動に結びついていることを考えもしないで……。
 田丸学校長が、ゆっくりとした歩調で私たちに近付いてきた。立ち止まると、両目を固く閉じて物思いに耽るかのように顔を上に向けた。時間を逆行する時分に人がする、世の常識なる認識への誤謬を悟り、今から過去へそして亦現実へ、一頻りの人生への回帰が、聡明な男の口調を僅かに鈍らせていた。
 「美佐子さんを発見した時は、それはもう、居た堪れないほどに憔悴しきっていたよ」
 彼の目には、過去の遺物がまざまざと見えているはずだった。当時の母の姿見が鮮明な色彩を帯び、私たちに説明するより早く動的な映像となって、後ろ向きの感情を想念として携えながら進んでいる。口が重いのは、目にしている映像があまりに凄惨であるからだろう。説明する言葉が、より説得性を欠くためだ。
 時に言葉は無力になる。荒れ果てた想念は波が強く、継ぎ目をほぼ視認できないほど盛んだ。本来は沈黙こそが答えであるが故、言葉を費やせば費やすほど目的地から遠ざかり、果ては道なき道の狭間で立ち往生してしまう。元来た道を引き返そうにも、荒蕪地である以上、殊はそう単純ではない。
 私は逸る気持ちを宥めて、彼が自ら啓蒙主義の原点に立ち返ってくれることを願った。他者との垣根を越えた先が相互理解であり、真実を伝えることは教育者の良心から生まれ出ずる。忌避することなく伝えるべきことを伝えることで、子供たちがこれからぶつかるであろう壁を乗り越えていける強さを得るのだ。
 「幼かった美佐子さんは、トラックの荷台に乗せられてね……」
 田丸学校長の声音に力はなかったが、私たちが聞き取れないほどではなかった。私も坂本も沈黙と云う形で先を促す。
 「南櫛灘村に連れていかれると、外灯もない暗い森の奥地に取り残された。年の瀬も押し迫った十二月中旬、冬の夜は凍てつく寒さだったと云っていたよ。あの子は心細さと空腹から涙が止まらなかったらしい」
 私の生来の想像力が、田丸学校長の拙い言葉を翻訳して、微細な映像を作り上げる。暗緑色の球体が齎す悲哀の感情が、心を急き立て拍車を掛けた。
 彼の心が私の中で燻って同化する。見えてきたのは、体表に無数の傷を受けた幼き母の姿だった。
 私の胸を強い思念が穿ってくる。母の中で困惑と私怨が、絡まりあった糸のように交差していた。捨てられた事由は明白だ。役割を果たさない者はこの村にいらない。煤嶽村では、女の務めはひとつである。
 石女は穀潰しと揶揄されて、女だてらに男と混ざって野心を滾らせたりすれば、母のような者は激しい折檻の末、こうして御役目御免を云い渡される。女三界に家なしとは今日では死語に近いが、子を孕み産み落とす役割は、いつの世も女性だけが担ってきたのだ。
 「あゝ……しみる……」
 母は目隠しされて、四股を麻縄できつく縛り付けられた状態で、トラックの荷台に積み込まれた。時に猿轡は鬱陶しく、これからのことを考えると、身の毛がよだつ思いだった。
 この先、自分の未来は絶望しかない。連れていかれる場所は母には大体見当がついた。南櫛灘村にある、別名姥捨て山と呼ばれている高嶺の森だ。
 あの暗い森の奥地に運び込まれて、犬や猫と同様に置き去りにされるのだ。せめて四股に結ばれている縄を解いて欲しい。目隠しや猿轡も取り除ければ幸いだ。この自由を獲得できなければ、寒風吹きすさぶ冬空の元、紛ごう方なき死地へ赴くことになるだろう。
 高嶺の森には人骨が散乱していると云う噂だった。友人が亦ひとり亦ひとり消息を絶って行ったのは、森の中で寒さや空腹に耐え兼ねて力尽き、生息している獣に意識を保ったまま体中を貪り尽くされたからだ。自分も亦、友人のように抵抗することも叶わず、獣たちの血肉の一部になってしまのだろうか。
 嫌だ! 
 嫌だ! 
 母の恐怖が私に伝染する。絶望はやがて生きたいと願う生存本能に帰した。心拍数が跳ね上がっていくのが分かる。
 私の心臓も、母の鼓動に同調して駆ける。呼気が乱れ、汗が止まらない。
 只ならぬ様子に、坂本が私の傍までやってきた。
 「おい、どうしたのだ!」
 坂本が背後から私を力強く揺すった。
 駄目だ。ここで完全に意識を戻したら、母の身に起きた惨事を知ることが出来ない。私は知らなければならなかった。
 慈母の身の上に起こった悲劇を通じて、煤嶽村に蔓延する悪しき風習を打破するのだ。復讐の代行など律儀なことだが、相手が相手なだけに捨て置くべきではない。一旦芽生えた感情は、あらゆる理由も正当化した。殺意すら内側の正義を主張する悖理からの目覚めだ。
 もし、命と云う掛け替えのない物に取って代わって、経済活動に生ずる安価な代替品が市場に出回るならば、殺人は肯定されるであろう。命の価値は乏しくなり、人が煙草をのむように安易に消費されていくからだ。
 それが資本主義であり、建物を増築するように、貨幣があれば命の数が鼠算式に増えるなど空中に楼閣を建てる様な話だが、可能ならば人命など救助するに及ばない。
 人権があり、命を尊ぶ背景には愛や正義以上に、それがこの世で代えの利かない、誰もがたったひとつしか与えられない物だからだ。富める者も貧しき者も、貨幣価値が一切及ばない、ましてや代替品が増産される見込みがない物は、命の他になにがあるだろうか……?
 私はそれを奪ってやろうと云うのだ。これを真偽に照査された正義と云わずになんとする。命の対価に貨幣が遠く及ばないのであれば、等価な物は云わずもがなだ。煤嶽村に住まう者たちは、代償を支払わなければならないのである。
 「心配など、いらぬ気遣いだ。少しばかり、気が動転しただけさ」
 私は坂本を制してから後、再び母の記憶深くに潜っていく。今度ばかりはリリーサーはいらなかった。
 トラックの走行する音が夜陰のしじまに響いた。荷台から伝わる振動は縦に小刻みな揺れを伴い、愈々道なき道に入っていく。
 虎鶫のうら淋しい鳴き声は、母の鎮魂を唄っているかのようであり、生きながら行われる生前葬は、息が続く限り苦しみが持続する生き埋めとの共鳴をなした。
 これらは逕庭することなく融合して、体から徐々に水分が抜け落ちていく錯覚が生じ、母は体が即身成仏にでもなったかのような幻覚を見た。
 雲間から覗く月が妖しく揺れる。目隠しされた母の目に見えていないものが、過去の意識を通じて私の目には確認できた。月は薄い靄がかかり、月光は凄惨な現場を映し込まんとして、おぼろげな鈍い光を放つだけだった。
 高嶺の森から東、狐中と呼ばれる小さな沼地がある。一頻りの強い雨を溜め込んだだけの覚束ない水溜りのような沼だったが、獣たちの大事な水分補給地となっていた。
 片耳を麺麭を千切るように失った野犬が一匹、渇きを癒すために沼の畔に佇んでいる。遠方から響く狼のような遠吠えは、仲間が危険を察知して報せを送ってよこしたものか。人間の介入を拒む轟は、まだ高嶺の森にすら到達していない母の恐怖を煽った。
 世界とおしなべて自分は確執しているのだと、母は諦観の中で失望した。お蔭で恐怖心は薄れてきたが、あからさまに命に対する執着心が薄れていくのが分かった。抵抗の際に光明が見いだせるなら兎も角、希望はなく妙案も浮かんでこないこの状況で、方角も土地勘も働かなければ、自分は雛壇の雛人形ほどの価値もない。
 あれはあれで見られるだけで良いのだ。一年の内、僅か数日だけの美だが、それだけで存在を許された。ただ押し黙り、所定の場所に坐して、時間が過ぎれば暗室に篭って永い眠りに入る。
 野心は寝入ることを許さない。母は上京して、教養を身に付けたかった。学歴を付けて、社会の歯車として積極的に経済活動に従事しかったのだ。原点はマルクス主義を乗り越えることにあった。
 母が十歳にしてマルクス経済学に興味を持った背景は、煤嶽村に住まうプロレタリアートが一部のブルジョワジーに搾取されていることを直感的に理解したことにある。煤嶽村で生産されているあらゆる商品価値は、生産に投下された労働によって価格基準を明確化していた。アダム・スミスの国富論に記載されている等価労働価値説が基礎として据えられている煤嶽村の経済状況は亦、アダム・スミスが説く資本家や地主の登場によって、賃金や利益や地代を考慮に入れた支配労働価値説を無視した形で行われている。
 從って、リカードがスミスの等価労働価値説を踏襲して、支配労働価値説を退けたように、ある労働者が生産性が二倍増しになったとしても、労働者が所定の賃金から二倍増しにならないのであるから、これに該当することはないとした。
 だが、リカードは等価労働価値説を支えきれなかった。等価労働価値説においては、賃金が上昇してもただ利潤の低下が生ずるだけで、商品の価格に影響を及ぼすことはないとしていた。しかし、投下資本に占める賃金の比率が社会の平均以上だとすれば、賃金の上昇は生産費用を圧迫する。常に一定の利潤を満たそうとすると、単純に考えても商品の価格は上げざるを得ない。等価労働量に関係なく、商品の価格は変動するのだ。
 問題は、利潤のあらわれが剰余価値にあることを、母が気が付いてしまったことにある。例えば貿易の観点で考えれば、自動車一台を生産する労働量が日本で十時間足らずのところを、後進国が生産すれば完成までに百時間を要すると仮定した場合、十時間と百時間で十倍の不等な労働量が交換されたと云う問題だ。流通過程に於いてどんなに不等価交換が行われても、社会全体の価値総額は常に等価であるから、利潤が商品の売買差益で生じるとするのは早計だと母は思った。
 前者を特別な剰余価値とするなら、本来の剰余価値は、商品の価値を超えて行われる必要労働時間だ。資本は生み出された労働力商品の価値額に対して賃金を支払うが、労働者が生み出した剰余価値に対して対価を支払っていない。それ故、資本家は労働者に不払い労働を強いて不当に搾取していることになるのだ。
 弱り目に祟り目ではないが、煤嶽村は更に固定相場を採用していた。あらゆる物の真の価格、すなわち、どんな物でも人がそれを獲得しようとするにあたって本当に費やすものは、それを獲得するための労苦と骨折りであるとし、商品の生産に投下された労働によって価値を規定したのだ。
 労働とは人間にとって神聖不可侵なもので、それによって生み出された労働力商品は、ある種の信仰を伴っているため、天候不順による需要と供給のバランスが崩れたからと云って、価格が変動するのは可笑しいとする思想が幅を利かせていた。更に労働力商品は尊い労働から生産されるため、社会平均以上の価格で店頭に並んでいたのである。
 これは、煤嶽村が他方に対して鎖国していることに他ならない。颱風によって他県に労働商品が出荷されることはあっても、他県から通常価格で商品が入荷されることはない。これは経済活動にとって痛恨事だ。神聖な労働から生まれていない商品を店頭に並べるなど言語道断と云う訳である。
 それもこれも、煤嶽村に数人しかいない権威ある人物たちの思惑があった。商品を通常価値より高値に設定しておけば、安易だが商品売買に於ける差益分が増すからだ。得た利益を設備投資に回し労働力の質そのものを下げてしまえば、必要労働時間が減って総労働時間の観点からも、必要労働時間と剰余労働時間の和がそれなので、相対的に剰余労働時間が増える計算だ。敢えてそれをしないのは、労働者の労働力に対する姿勢を変えさせないための処置なのだろう。神聖不可侵とは言葉ではなく、心に根付かせた枷である。
 十歳の少女にとって、自力で考えられることはここまでだった。ここから先は専門書を紐解くか、専門家の講義を受けなければ経済学は修め切れない。当時、煤嶽村には神無月公立図書館はなく、年端もいかない少女が一人他県に渡って専門書を繰ってくることなど及びもつかない。
 ましてや野心を悟られたら事だった。遅かれ早かれ周知のこととなるが、その時分には自身もある程度自由に行動できるようになっているはずだ。
 そのはずだった。
 魔が差したのは、一通の手紙によるものだ。
 抑制が利かない好奇心を満足させるために、母は担任教師だった福鞆教諭を尋ねて職員室に向かった。目的は大学時代に経済学を専攻していた福鞆教諭に、剰余価値における煤嶽村労働者たちが不当搾取されている問題を訴えるためだった。
 母が剰余価値と云う言葉を知らなくても意味するところは同じだ。福鞆教諭もさぞ驚愕されたと思われる。たかだか十歳になったばかりの女の子が、マルクス経済学の重要な側面に自身の思考で辿り着いたのだから。
 小学校の図書室に資本論は置いていない。ましてや、思想を形成するに足る蔵書はなかったはずだと、福鞆教諭は考えたはずだ。むしろ、誰にでも優しくしようとか、努力することの大切さだとか、そのような情操教育に長けた本が置かれているはずだった。
 煤嶽村全体で云えることは、外部からの情報は子供たちに悪影響を及ぼすとして、極力目に止まらないよう配慮されている。前にも述べたように、どの家庭も新聞購読しておらず、テレビにしても情報番組は惣掟において視聴制限するよう規制されていた。
 「このことは、決して他言してはいけないよ」
 母の訴えを耳にした福鞆教諭は、過失を承認し難いのか、表情は霞みで覆われて影が辷った。憂いが観念を補強して、益々依怙地となり、明晰が屑鉄へと変貌したかに思われた。眉間には幾重にも皺が寄り、潔癖の上になにかが塗装されている。絶対的価値観が理解を妨げており、彼がいかにも生真面目で倫理を重んじる側の人間であることが知れた。是非を論ずる際の恒常的な役割がそれで、受容できればひととなりからも、福鞆教諭は母の嫌悪の枠外にあった。真摯な生き様が含む拙速な結論は、余人の接心に茫漠とした叱責を孕んでおり、擦れ違いの予兆が危険な残り香となって母を打った。
 「私、間違ったの?」
 福鞆教諭は無言で母の手を取ると、職員室から連れ出して、校舎裏手にある中庭に向かった。道すがら母の心意が汲み取り難かったのか、福鞆教諭は筋論を通す遣り方で頭押さえにかかった。
 当然の如く、母に反発したい欲求が生まれたはずだ。概念そのものに誤りあったのだろうか。福鞆教諭の反応を窺う限り、どうやらロジカルそのものよりも、得られた結論から導き出されるであろう、村全体に及ぼす波及効果が懸念材料になっていると思われた。
 中庭には一年生が育てている朝顔の鉢植えが複数あった。排水溝の脇で、雌に頭部を食い千切られた雄の蟷螂に、大量の数の蟻が群がっている。蟷螂の体を巣に持ち帰る蟻の行動が資本蓄積に相当するとした思考は、ロマンチシズムを欠いたおよそ子供らしからぬ現実主義的回帰だった。
 小さな小さな足が、無慈悲に蟷螂であったろう残骸を踏み躙った。少女の意図に即座に焦点があてられる。福鞆教諭は行為の残酷さより別の、早熟過ぎる感性に危険な思想を垣間見たようだ。
 「美佐子ちゃんは、煤嶽村のルールが独裁制を帯びているように感じているのかな?」
 母の瞳に、掴み難い退屈が闖入した。
 「それは班長に一任しているのではなくて、学級長が幅を利かせていると云うことですか?」
 「なるほど……語彙も豊富ということか」
 「ここでは必要な物を必要な時に必要な分だけ得る様にしているわ。私は一見無駄だと思われる蓄積に、だいぶ頭がいかれちゃってるのね。お天道様に恥じぬよう、一所懸命に働いていらっしゃる方々が、気付かず奪われている頑張りが、徒労になっているのを見ると、とっても嘔気を感じるの。分かって?」
 「うん……まあ……そうだね」
 「私は方言が嫌い。絵本が嫌い。この両手に溢れるくらいの水が欲しいの。でも、奪ってはいけないわ」
 福鞆教諭の顔が蒼白となった。齢四十を超えた男の顔は、深く法令線が刻まれており、油で照り輝いている。いまだ教育に対する情熱を失っておらず、時を経るにつれて益々隆盛となっていった。働き盛りの男が発する加齢臭とて、母にとっては好感の対象でしかなかった。
 彼の態度がぞんざいであったことだけが残念であったものの、問答無用で話を打ち切ろうと云う訳でもない。一応、聞く耳はある様子だった。
 「君が云うところの搾取にあたるのは、物質的なものなのか、それとも労働者の精神的なにかなのか。全て奪われていると考えるのは、浅薄な判断だと思うよ。労働から得られるものは、生産物や富だけではないからね。例えば掛け値なしの充足とか-―」
 「精神論も、スピリチュアルな話も、非科学的な話も、つまらない男の中から一つでも良い処を探そうと努力しているみたいだわ。グループの輪の中心にいた人物を無暗に動かせば、纏まっていた結束は霧散して取り返しがつかなくなるわよ」
 「私が論点をずらそうと躍起になって見えるかい?」
 苦笑する福鞆教諭が、なににも増して可愛らしく母には映った。
 「搾取に付随する言葉が連想できないほどいかれているのは、お父さんだけにしてもらいたいの。皆が皆馬鹿だなんて、それこそ始終高井鶴で酩酊している下男の仕事だわ」
 「生意気だね」
 「私は可愛いわ。それが証拠に、福鞆先生の経済論を聞きたくてうずうずしているもの。私はもっともっと知らなくてはいけないわ。出来れば進学したいのだけど、両親が諸手を挙げて……とならないのは語るまでもない。これぞ語るに落ちる、私の野心もだだもれね。私に恥ずかしい告白をさせたのだから、先生も胸襟を開いてくださらなければ不公平だわ」
 福鞆教諭は大仰に溜息を吐いた。彼の複雑な顔はせから生じる暗示は、不安の釈明に依存しており、絨毯についた染みのように不快だった。適度に緩和させてやる必要があるか、母は徒に模索した。対手の緩和から得られる和議が、最良の政なのか感覚の上では示されなかったが、後一押しすれば折れることは判断がつく。いみじくも話法の槍手で戦況は一変し、そうこうしている内に、母の胸中は片時も退屈している暇はないなとほくそ笑んだ。
 「君の胸の内に止めていられるなら、一人紹介してあげられる男がいる。一緒に赤門をくぐって管を巻いた仲さ。私の後輩なのだが、これがなかなかに一筋縄ではいかない奴でね。美佐子ちゃんに良い影響があるかどうかは疑問符がつくが、これも人生勉強だと思えばなにごとも無駄はないだろう」
 母は満面の笑みを浮かべると、両手を打ち鳴らした。
 「まあ、素敵! その方も福鞆先生同様、経済学に精通していらっしゃるの?」
 「仮にも卒業できたのだがら、それなりには熟すだろう。頭は切れるが、なにせ喰えない男でね。行き成り会って師事を乞うても、門前払いが関の山だろう。難題を吹っ掛けられて、頬っ被りしながら這う這うの体で逃げ出さんことを祈るよ」
 そう云うと、福鞆教諭は手帳を取り出して住所と氏名を達筆な字で記し、一枚破って母に手渡した。紙には田丸博と書かれており、東京の住所が続いていた。
 「私もこの村に住んでいる関係上、君に彼是と話をしてあげられる立場にはいないんだ。それは分かって欲しい。教員でありながら自分可愛さから、生徒の学問に対する情熱を理解していないなどと思わないでくれよ」
 二度三度と、母は力強く頷いた。貰った紙を後生大事に胸ポケットに仕舞い、顔を上げて福鞆教諭の目を確と見据えた。
 「田丸の奴もこの村の出身だが、いまは東京におるし文通するにしてもなんら差し支えないだろう。ただし、手紙は郵便局で直接受け取ることだ。そして、このことを内密にしてもらえるよう計らうことを忘れずに。それが出来ないなら、ただちに野心を捨てて女としての生を全うすることだ。この村で皆が望む生き方をしていれば、少なくとも一生を波乱に富んだものにしなくてすむ」
 そこまで云ってから、福鞆教諭は財布から一万円札を取り出して母の手に握らせた。
 「切手代も馬鹿にならんさ。後は田丸の奴にせびってくれたまえよ。私も給料前で台所は火の車なんだからね」
 「なんだか私、福鞆先生にご迷惑をおかけしてしまったみたいね」
 「今更だな。生意気な子供の好奇心を満足させるのは容易じゃない」
 母は貰った一万円札を穴が開くほど見つめた。聖徳太子の肖像が裏の鳳凰と相俟って、格式高い芸術の凝集だった。色彩を帯びていないのが品良く映り、透かしの法隆寺夢殿は見えるか見えないかのところで鬩ぎ合っている。まるで心象の風景が一部具現化しつつあるかのようであり、寸前のところで煌めきは失せ、ゆるやかに失速していく過程を得て、法隆寺夢殿は気高い拒絶の夢幻と化した。
 ここにも断絶があるのだと、私は畏怖した。一枚の紙切れが衣擦れの音のように些細なことであったとしても、感受性の強い母にとっては、その音が齎す呻き、紙切れが働きかけるあだびとへの揣摩が、そのまま日常性を瓦解させて世界から隔てるのだ。
 母は孤独だった。理解されないことに焦燥感はなかったはずだ。進化を拒んだ末路が停滞だけに止まらず、生末が退化から頽廃まで疾走していく様が分かっていながら、なにも出来ずに茫然と眺めているだけに終わるのが、ただただ歯痒かったのだろう。
 数名の権力者が無教養の労働者から搾取していること、それ自体がトロンプ・ルイユの本領である錯覚のようなものであり、騙されていながらそれと気付かず生活している煤嶽村の村民たちが哀れだった。母の抱く危惧が伝わらないだけにとどまらず、危険視されることの窮屈さは、年齢にそぐわない慢性的な疲労感として残った。
 その母の疲弊を癒してくれたのが、田丸博と云う人物だった。
 母は両親が寝静まるのを待ってから、連絡帳に徒然なる侭に自身の考えを綴っていく。兄と違って女である母に自室を与えられる訳でもなく、灯りに乏しい居間のテーブルで鉛筆を走らせることは手探りの作業だった。縦しんば闇に目が慣れ始めた頃には、鶏鳴が早起きである老害共の螺子巻に勉め、翻って母は数時間の甘美な微睡に落ちる。
 ……夢の中に於いても、野心の河川は堰を切ったかのように氾濫し、いつしか一つの信念として定着した。

                                                十一

 今日と云う朝も、いつもと変わらぬ他愛ないものだった。村は五月祭の準備に余念がなく、男たちは天の花嫁が通る南櫛灘村に向かう中央道にかけて舗装整備にあたっていた。両村入り乱れての大掛かりな祭りであり、年に何度とない共同作業は煤嶽村観光協会にとって頭痛の種だった。
 予算編成過程に於ける財政所轄部署の担当者、事業課の担当者の間で、毎年この五月祭の是非が論じられる。煤嶽村観光協会は予算見積額調書に観光振興費の名目で計上しているが、数千万単位に及ぶ予算額が果たして適当なのか、煤嶽村観光協会事務部長を務める沙羅悟は、ヒアリングの際、本庁の事務所を所管する事業課の人間と議論を戦わせるのだと云う。
 確かに五月祭は観光客を呼び込むと云うよりも、村全体の豊穣を願って執り行われるものであり、厳かな伝統行事はどこか陰鬱で不合理めいた非日常的な一齣だった。
 それでも毎年ニュースで取り上げられるほど世間では広く認知されていた。天の花嫁に選出された女性は、その年、村を彩る藤棚の紫の如しであり、集まった観光客の喝采を浴びることでいっそう輝きは純度を増して、本来煤嶽村と縁故の醜形さは面を被せたみたく押し黙るのだった。東西から足を運ぶ観光客は両村の大事な収益であり、煤嶽村の物価高は埋め立て地に建てられた世界規模のアミューズメントパークで、夢を見ながら消費される感覚と同種の喜びをつくりだすことに成功した。
 茅堵蕭然とした家々は、この時をもって景観に溶け込み、縄文、弥生時代を彷彿とさせる古の空間を醸成する。藤に後れをとるまいと、山野の草地に生える菖蒲が独自の濃紺色で唄えば、南櫛灘村の狐中と呼称される沼地周辺では、燕子花が哀惜の悲恋歌を奏でていた。
 かかる自然美の外圧は、屹立する木々の梢から漏れ出る光にすら、意味を持たせた。閉鎖的な村の風土が部外者の侵入でもって、天岩戸を押し開くように顔を覗かせた刹那、悪夢は私と私以外の者とを、精緻巧妙に造作された橋で繋ぎ止めようとする。強要する人工的な媒立が結ぶひとつの因果が、運命の歯車を一定の速度から急転させて、ただ災禍の予感を、破滅を、淡く藍の空に滲ませるのだった。
 繊細で脆い者は、この予感めいた暗示に囚われた。
 空に累積する積雲が、日光の支援を受けてまざまざ明暗を際立たせる。日射が地表を敲くと、光の筋を透かして地球大気の化学組成まで視認できそうだった。三笠山に生息する雄のコルリが、色目鮮やかな瑠璃色を背に、倒木上で前奏から雄大に演奏を始めると、風も呼応して山五加木の黄緑色の花を静かに揺らす。
 カシワやトチノキの彼方、朱鷺高等学校へ続く開けた通りに出ると、風雨に曝されて錆びついた、然れど所を得た感じのバス停が見える。脇に杉材を使用した年代物を思わせるベンチがあり、三角波形のトタン屋根は、ペンキが剥がれ落ちて此方も赤黒い錆を発生させていた。
 通学途中、私はここのベンチに腰掛けて、よく休息をとっていた。なんてことはない、一時間に二台しか発車しないバスを、持ち時間を存分に余した棋士がするように、沈思の時間にあてていただけに過ぎなかった。
 どうやら今日は先客が二人あるようだ。
 一人は女子学生であり、端然とベンチに腰掛けて、遠方を見るともなしに眺めていた。表情は冴えず、なにかしら思い煩う問題でも抱えている様子である。目元は潮がこぼれ髪は烏の濡れ羽色であり、校則の間隙を縫うように、眉を細く切り揃える程度の手間を惜しまないところは、女性の嗜みを心得ていた。胸元の結ばれたリボンは赤く、私が結ぶ赤のネクタイと同色であるところは、制服と相俟って私と同校同学年の生徒であるようだ。
 脇に佇む男子学生は一際背が高く、鼻筋が通って眼光鋭く、金剛力士像を想起させる厳めしい顔つきだった。制服の上からでも分かる精悍な体は、若草の青臭さが香るほどに熱量の迸りが盛んである。どこか落ち着かない仕種は性急さで満ちており、俗世の即物主義を固形にして、口腔で舐め溶かしている厭らしい表情をしていた。二人に共通しているのは、抒情詩人も接近を控えるであろう、俗人の肉の喜びに満ちているところだ。
 興を覚まして恐縮だが、ここで捕捉させていただく。
 煤嶽村に於ける未成年者の性の対応は少し触れていたはずだ。ある一定の年齢に達した女性は村の有力者の元へ預けられて、法律など無視した格好で性の手解きを受ける。これには理由があり、子供たちの情報不足を補うと云う名目があった。
 思春期ともなれば、男女問わず性行為への興味も深くなる。性病の問題や欲望だけに走った性行為がどれだけ危険なのか、知識が不足していれば必然的に事故が起こり得るものだ。レンタルショップもなく、だからと云ってビデオを観賞できたところで、得られる知識は過度に偏ったものになる。実地に安全に知識を吸収できるとすれば、それなりに経験を積んだ者に任せるのが良いとする考えだ。
 まあ、ここまで記したことは大概嘘だと思ってくれて構わない。そんな論が通れば金満家の者は、さぞ世を謳歌できると云うものだ。真実なんて胃のむかつく話が多いが、このことも多分に漏れずである。
 村の有力者共に娘を人身御供として差し出せば、地代や給金を考慮してくれるとしたら大筋も攫みやすいことだろう。更に子を宿せば、姻戚関係になれずとも親族間の繋がりができる。
 子供は分家筋として村で十分な力を手に入れられるし、母親ないし母方の一族までもが発言力を増すとなれば損はないといったところだ。有力者は自身の息子の筆おろしにあてがう場合も多く、妊娠を切っ掛けとして婚姻に辿り着くことも稀ではなかった。
 察しの良い方ならお気づきだと思われるが、朱鷺高等学校の女子中退率が、学年が上がるにつれて上昇している理由はこれも原因のひとつだった。十六歳になれば女性は結婚することが可能なのだから、母子ともに万全を期すため、学校を中退して出産の準備にかかるだけのことだ。
 相手の男性が十八歳に達していない場合は、それを待って婚姻することが普通だが、時にはどこの馬とも知れない身分の卑しい者として扱われることもあった。財産分与の際に生じる法律上の問題もあり、相続税の観点からこればかりは法律から目を背けることが出来なかった。よって人工妊娠中絶という形をとるのだが、中には母性に目覚めた女性が中絶を拒否して、逃亡を企てることまであった。
 こういったことは法律の枠外で行われていることもあって、おおっぴらにできない以上、こういった不始末は身内の裁量ひとつであった。家長を筆頭にこういった家族間での涙ぐましい待遇改善の裏側では、世間様に顔向けできない陰湿で横暴な取引が過去頻繁に発生していたのである。
 そんな中、環境適応能力に優れた者がいることも愉快なことだ。強要された性行為の中から、大量のドーパミンを脳内から放出させることに成功した女性たちだ。肉の喜びに目覚めた女性は、求めに応じる遊女の如く、有力者の家々を転々として、体を提供しながら家族ともども豊かな暮らしをしていた。
 どの時代も三大欲求に根差した商売は需要があるものだ。避妊や性病など何処吹く風であり、毎日の性行為から快感中枢であるA10神経が刺激されて、化学的にはアミンの化合物である、覚醒剤と極めて似通った化学構造をしているドーパミンが大量に放出されるとあっては、中毒にならない方が珍しいのかもしれない。
 私の前でベンチに坐している女性も、そんな性行為に中毒を覚えた一人だった。真壁と並んで校内で噂が絶えない人物だ。彼女の名前は川端真紀である。
 尻軽の蔑称で揶揄されている彼女だったが、授業態度は極めて勤勉であり、あらゆる物事を先陣切って行える推進力があり、性格も明るく男受けすることを除けば、そこいらにいる年頃の女の子である。豊満な乳房は過度のエストロゲンが齎した産物かどうかはおいておくにしても、十六歳にしては随分完成された女性の体をしていた。
 それだけ栄養価の高い食材を口にできる環境化にいることだけは想像できる。裕福な暮らしの中で、犠牲にしている物がどれだけ大きいかは、大人になってみなければ判断がつかない。私もこの歳になって、やっと村で行われていたことが世間の常識から外れていることを自覚したからだ。環境とはかくも人間を容易くに染め上げるものである。
 川端の脇に佇む男子学生は、南櫛灘村がひとつの国であったならば、生まれながらの王子と云うべき重要人物だった。南櫛灘村で村長を務める新見義輝の嫡子である新見翔太は、誠実で温厚な父親と打って変わって、素行は悪く狡猾で腕っ節だけは大脳新皮質の記憶容量を三倍増しにしたほどだった。始終、喧嘩の種を探し回っており、犬の嗅覚を上回るほどの勘の良さは、どう云う訳だかその手の者を嗅ぎ分けて、即席ラーメンが出来上がるよりも早く行動を起こし、食し終えるまでには鼻歌交じりの凱歌を揚げるのだ。
 彼からのお零れを頂かんと、多くの取り巻きが脇を固めており、どうどう上級生に挑んでいく新見の益荒男っぷりは、安保闘争で反対運動の中心を担った全学連のように、いつまでも湧き上がる泉のように無尽蔵なエネルギーに満ちていた。
 白昼堂々、新見の腕が伸びて川端の乳房を弄り始めた。尻軽、淫乱、売女と蔑む言葉ならいくらでも並び立てることができるが、川端にも選択する権利はある。無抵抗な彼女の疑懼は、おそらく公衆の面前で戯具にされるより、彼の思いが精神を離れて肉体に耽溺している部分であろう。
 いくら肉の喜びを知る女でも、淡い恋に溺死したい願望はあるはずだ。二人は恋人同士なのだろうから、尚更、純白な雪が降り積もるように思い募るのだろうか。後、四五分もすればバスが到着する。制服の上からでも分かる柔らかな脂肪の塊が、潰れて拉げて歪な形を取った。愛情や労りとは距離を置く、盛りのついた猪のようだ。
 私と川端の視線が絡みあう。彼女の憂いを含んだ瞳の奥に、私の琴線に触れる何かがあった。不特定多数の男と体を重ねてきた川端が、ここにきて打って変わって手弱女のように振る舞う背景には、相応の理由があるのかもしれない。蹂躙される痛みは肉体を超えて内奥まで枝葉が伸びているのが分かる。川端の痛みは細部に亘って走っていた。
 「まざって……くれませんか……?」
 川端の懇願する言葉が、私の耳朶に届いた。
 理性や常識を逸した新見の行動は、尋常一様とはかけ離れた獣然とした本能に根差していた。
 「お前も好きものだよな? 見ず知らずの男に犯されると燃え上がるくちか!」
 新見は川端の頤を掴み、自身の方へ顔を向けさせた。二人の唇が荒々しく重なり合い、蛞蝓の様な舌が口腔で激しく展開された。卑猥な唾液音が兎角私の神経に障った。
 それでも川端の視線は、絶えず私を捕捉している。頻りになにかを訴えかける眼差しは、観察眼を試されているようでもあった。
 二人の唇が離れる折、唾液が糸を引いた。蜘蛛糸のように粘っこく、そうそう二人の
関係が途絶えたりしないことを、それとなく暗示しているかのようだ。
 川端のむせ返るような呼吸音は、この二人の行為が甘い営みの中にだけ調和されていない、失意と叱責を多分に孕んだひとつの命題を作り上げていた。難問に匹敵する川端の心意は汲み取り難く、絶望は三笠山の峰をむこう成層圏を超えて、遙か宇宙彼方まで続いていた。
 送られてくる視線は雄弁に語っているはずだ。川端から発せられた言葉は、漆塗りの陶器の上から金箔を張り付けろと云うことではない。本意は陶器その物が元来の仕様とは異なるが故、戸惑い失望して補填を促す意味で催促に及んだと見る方が妥当だ。獣に犯されるくらいなら、いっそのこと見ず知らずの人間でもいいから、丁重に扱って欲しいのだろう。
 天地無用、コワレモノ、上積み厳禁、段ボール箱に明記されている言葉が頭に浮かんでは消えた。一々川端の思いを汲んでいたら、性行為もままならないだろうなと私は考えながら、それでも喫緊の問題を処理しなければいけないようだ。
 私の提案するトレードオフに新見が応じるか否かは判らないが、この二人も勉強会に参加するメンバーである以上、学力向上もとい試験の点数をなにより気にしているはずだ。点数を保証してやる代わりに、問題行動を自粛するよう提案した場合、新見が乗っかってくる可能性は零ではない。犬に待てを教えるのは面倒ではあったが、躾は最初が肝心だ。我慢することの有用性は、身を持って体験した方が早い。
 にしても、坂本と云う男は再三に亘って述べているように、なんとも抜け目のない人間であろう。同学年の主要な人間を調べ上げて、内に取り込むことでいち早く自身の立ち位置を確立しようとしているのだ。私や沙羅は兎も角として、真壁、川端、新見、倉越の四名はこの狭い両村の間で絶えず噂になっていた。噂の内容は良し悪しあるものの、新見を取り込むことに成功すれば、企業のバックボーンに暴力団がつくようなものである。ひとつ数万円もする注連飾りを購入せずとも、背後をちらつかせるだけで火の粉が振り払われるのなら安いものだ。
 勉強会と称して私もいつの間にか取り込まれるような恰好になったが、坂本の狙いが分かった上で、ここはひとつその術策の後押しをしてやるくらいわけなかった。私にとっても損はなく、今後のことを考慮すれば、預金に相応の利息がついて戻ってくる計算だ。尻馬に乗っかったようで面白くないが、目前に金が落ちていれば誰だって拾うものだろう。
 後はどれだけ旨く遣れるかだが、口下手な私が新見を絆すとなれば、話術よりは損得を分かり易く計れるようにしてやることだ。チンパンジーに算術を説いたところで二階から目薬かもしれないが、あの三白眼から察するに、この男は欲深く人の道理から大きく逸脱した人物だと判断がついた。
 果たせるかな、新見は川端を路肩に突き飛ばしてから、高圧的な態度で私の眼前に迫ってきた。虹彩の部分が小さく、白目の部分が左右及ぶ下方に面積が多い三白眼は、それだけで常人離れした感がある。三白眼の人間が揃いも揃ってこうであると云うのではないが、私の主観はどうにも一物あるような様子で、ただならぬ犯罪臭がそこかしこから漂ってくるのだった。
 犯罪生物学の創始者であり精神科医でもあるチェザーレ・ロンブローゾは、犯罪人の身体的特徴として、斜視のほかにこの三白眼も挙げていた。いまでは犯罪人説は完全に否定されているが、ロンブローゾの説く言外の意味はなんとなく把握できる。要するに嫌な予感がするのだ。
 差し迫った危険の渦中にありながらも、私は悠長に護身術でも身に付けておくべきだったと猛省していた。塚原卜伝のように無手勝流が通らないのは世の習わしである。切り付けられたら、相手に道理を説いたところで事態は悪化の一途をたどるだけだ。ペンは剣よりも強しなどと、戯けたことをほざくブルワー・リットンは蚊帳の外として、さて、男根の大きさと筋肉の膨張具合が男の全てだと妄信している新見に、私は前頭葉、頭頂葉、後頭葉、側頭葉、海馬を総動員して、原爆に対する抑止力は世論ではなく原爆そのものだと示せなければ負けである。
 「俺の体からアドレナリンの臭いがするか?」
 私は数十年来の友人に接するように問うだ。
 「なんだって?」
 新見は虚を突かれたらしく、歩幅が狭まりやがて歩みが止まった。まだ若干の距離があるのは有り難かった。距離を詰められたら、即命取りとなる。幼少の頃から祖母に鍛えられたと云っても、場数の違う人間相手に油断できるほど楽観視してはいない。あの丸太を思わせる二の腕は、相当の腕力で締め上げてくるだろう。
 「そもそも、アドレナリンとノルアドレナリンの違いがよく分からないんだ」
 私は姿勢を崩して、できるだけリラックスしている風を装って見せた。
 「アドレナリンは、脳の視床下部が危険を察知すると、その指令が交感神経を経て副腎に伝わり、副腎髄質から分泌される物質なんだと。神無月公立図書館に入り浸っている時に、脳関連の書物を漁って覚えたんだ。一方、ノルアドレナリンは脳内と交感神経の末端から分泌されて、主に脳の働きに影響を与えているらしい」
 「なにが云いたい? 俺は獲物を横取りされるのがなにより不快なだけだ」
 私は声を出して笑った。
 「誰だってそうだろう? 俺たち男にとって、女なんて遊ぶ道具だ。取り上げられたら、血液だって沸騰しかねないものな」
 「分かっているじぁねえか」
 新見も下卑た笑いで応えてきた。
 いまさら男尊女卑もないが、後で川端に謝罪する羽目になるのは否めない。後、どれくらいでバスが到着するだろうか。まさか、公衆の面前で暴力に訴える様なことはしないだろう。新見も一応朱鷺高等学校の入学試験を掻い潜ってきているのだし、ここで私の読みが外れるなんてことは想像したくない。しがない田舎の県立高校に、まさか裏金が動いているとは思われないし、それなりの物は有しているはずだ。両村に限って云えば、新見翔太は血統書付きのサラブレッドなのだから。
 「まあ、聞けよ」
 私は更に姿勢を崩して続けた。
 「アドレナリンもノルアドレナリンも、命の危険もしくは、不安、恐怖、怒り、過度の集中力を要するときに分泌されるホルモンらしい。相違点はアドレナリンは体内を廻って各臓器に興奮系のシグナルを送るのに対し、ノルアドレナリンは神経伝達物質として思考や意識を活性化する役割を担っている。厳密にはアドレナリンも血管を通じて脳内を循環するし、ノルアドレナリンも体内を廻っているため、書物では違いがあまり強調されていないんだ。そのため交感神経と副交感神経の違いだと誤解してしまいがちだが、正しくはアドレナリンもノルアドレナリンも交感神経の伝達物質なんだと」
 路肩に突き飛ばされていた川端が、緩慢な動作で身を起して制服のスカートについた汚れを払っている。私と視線が合うと、微かに口元を綻ばせて一度頷いた。先ほどの言は気にしていませんと云う意思表示なのだろうか。どちらにせよ、川端と言葉を交わしている暇はなさそうだし、事実確認は自身の身の安全を確保してからだ。
 「さて、ここでお前に問いたい。何故アドレナリンは体内用で、ノルアドレナリンは脳内亦は神経用なのかと云うことだ」
 新見は不遜な態度でせせら笑い、眼光鋭く私を睥睨した。
 「俺が知っているのは、精々アドレナリンがマンモスから身を守るためのものだってことだ」
 「それは用途だ。俺が訊ねているのは組成の仕組みだよ」
 そう云いつつ、私は新見を刮目してみる気になった。眼前の男は、肉体的な強靭さが、慧敏さと必ずしも相反しないこと、庇の下にできた影のように取り扱われていないことを、言動の奥底から、池面の波紋に揺れる月を覗き見るがごとく窺い知れた。
 この時分、私に生まれた直感にも似た感覚は終生忘れないだろう。感動とは程遠くありながら、不快感とは亦別の、同じ人間であって太陽と月のように役割が違う者が、理解することにより得られる、細やかな未完成への気配りであった。
 新見の横暴さは、自身から切望されて引き起こされているのではない。暴力を介して訴えかけてくるのは、自傷に類する自虐的精神と、ある種の劣等感に苛まれて懊悩している様が朧げに伝わってきた。
 「お前がそれを知ってどうなるってものでもない。この社会は搾取する側とされる側の、二者択一だからな。勝ち続けていなければ、いつかは社会の片隅で息を吸うのもやっと云う生活を強いられるだけだ」
 「話が飛躍し過ぎているし、論点もずれている。社会を語るには、俺たちは若さを余しているぞ。それにあんたは南櫛灘村の村長の息子だろう。怯えて卑屈になるには、随分恵まれすぎてやしないか?」
「俺が怯えているだって? もう一度、云ってみろ!」
 新見は怒りのあまり肩を震わせ、頬を紅潮させている。自尊心の上に置かれた紛い物の自信に僅かな瑕疵が生じた。これが布石に為るか否かは、私の迅速な対応一つで決する以上、進捗状況を推し量っている猶予はない。
 「お前如きと丁々発止遣り合うつもりはないさ。養豚場の豚を見る様な目で悪いが、いまのあんたはそれがお似合いだ。力を持たない者に、抑制の利かない暴力で従わせようとしていること自体、お前の弱さを如実に表している。この邂逅を有り難く思えよ。今日から自身を顧みる機会が与えられるのだからな」
 相当のストレスが新見に圧し掛かっているのは、私の肌身にも感じられる。針で執拗に刺激されているかのようであり、私もここにきて愈々アドレナリンの世話になる時だと腹を括った。
 それにしたって、後半は随分と芝居がかった台詞じゃないか。いまどき、こんな旧石器時代の演出家がいるとも思えないが、朱鷺高等学校の演劇部が部費を削られている理由は、私のような大根がいるからではなく、脚本、演出担当に失態があるのではないだろうか。
 そう云えば演劇部に高田麗光が入部したことを坂本が口にしていた。彼については先に少しだけ触れた。ここでそれ以上触れる気はない。ああいったトリックスターは存在しているだけで不愉快な気分にさせられるからだ。仔細を語らずとも、時折顔を見せては場を引っ掻き回していくのだし、いずれは知れることになる。
 諄い様だが、私のような狂言回しは、ただ物語の進行を理解し易くする手助けをし、時に語り部を担うだけのことだ。唐突に始まった私の語りも、耳を傾けてくれる者がいなければ始まらないのだ。仮に聴衆がいなくとも、私は一方的に語り続ける羽目になるのだろうが。と云うのは、弔いに必要なのは死者の霊魂を鎮めるのではなく、生者の心の整理に費やす時が重要なのだから。
 こうしていたって、この経験も扁桃核が記憶しておくように指令を出すのだろうな、と私は自嘲した。脳は情動に関する情報を記憶に刻み付ける機能がある。いまわの際では遅すぎるため、緊急事態に体に攻撃、逃避反応を命じるシステムが、同時にその状況を記憶する。私の経験記憶を生かす意味でも、この場を巧みに遣り過ごさなければならないのだが、どうやら例の球体は私の退路を塞ぐ形で、思考の大半を奪っていく。
 仁王像が具現化された新見の形相は憤怒に満ちており、触れたら忽ちのうちに火災旋風に巻き込まれるのではないかと危惧された。最早、バスの到着は待っていられない。煤嶽村の村民性は、揃いも揃って気が長い分、時間に於ける正確性を希求するなど、臍で茶を沸かすようなものである。
 眼前にちらつく球体が、私にどれだけ権勢を振るうかは相性如何によるものの、出来得ることなら牢名主の役目は御免だ。
 球体には紋様一つ無く、紅紫色が映える様は、さながら人の流す血を凝固させたかのようで悍ましい。コスタリカで発見された花崗閃緑岩の石球と同様、限りなく真球に近い造りは、私の共感覚をしてオーパーツの神秘性に富み、神々しいまでの輝きを放っている。
 私だけが捉えられる感情の振り幅が、怒りと云う一点に集約していることを、形而上的に捕捉することは何ら意味を持たない。見えるから認めるだけであり、人の感情を推し量る過程で、ピアノを弾く際、譜面が無いと弾けない訳ではないが、有れば便利であるというだけだ。
 他者との同調に対する利点と欠点は、私自身が服用している癲癇薬の副作用に類すると考えている。欠点だけに着目していれば、意識の迷妄は道理であり、故に道徳的観念から逸脱してしまう。
 ただ、母の過去を垣間見た際、私は誓ったはずではないか。復讐代行を務める上げることにより、煤嶽村に蔓延る悪しき風習を打破するのだと。人命の略奪は大義名分によって免償が与えられる。
 聖地エルサレム奪還の折、セルジューク朝の圧迫に苦しんだ東ローマ帝国皇帝アレクシオス一世コムネノスの依頼により、一〇九五年にローマ教皇ウルバヌス二世がキリスト教徒に対し、イスラーム教徒に対する軍事行動を呼びかけ、参加者には免償が与えられると宣言した。
 私はクリスチャンではないが、十字軍の騎士そのものなのだ。正義の鉄槌は下されるべきであり、一時の道徳を冒涜する結果が、道徳そのものを高みにまで押し上げ、崇高なまでに美しい真理に到達する。能動的であればこそ、村の安寧秩序が保たれるのだ。恒久な平和は行動理念の賜物であって、齎される神からの祝福は千年王国であり、そこへ至れるのは悔い改めを実行した者だけだ。
 だが、私は許さない。懺悔は何の意味も持たない。何故なら、祈るだけなら誰でもできるからだ。贖罪に到達し得ない心理が、真理足り得るわけがないのだ。
 愚鈍で滑稽な村民たちが、悔い改める機会を逸してしまうことは気の毒である。馬鹿も過ぎれば可愛く見えてもくるが、だからこそ魂の救済が必要なのだ。クルセイダーの一員として、煤嶽村の村民たちを隠世へ導き入れ、深き業の淵から解放してやらねばならない。それが私の宿命であり、終生違わぬ誓とした。
 「武勇伝と云う奴は、どうにも誇張される嫌いがあるよな。喧嘩なれした者なら、相手と対峙しただけで力量を見抜くと云うじゃないか。それがどうだ? どこぞの御曹司は闇雲に熱量を放出するだけで、抑制を利かす理性も働かないときた。そうせざるを得ないなにかに突き動かされているようにも感じられる。お前、なにかコンプレックスでも抱えているな?」
 刹那、新見から怒りの石膏が剥がれ落ちて、内側から羞恥心と罪悪感が綯交ぜになって醗酵された懊悩が抽出された。
 「俺がやったんじゃない!」
 取り乱した新見に乱暴に肩を掴まれた私は、不覚にも痛みに顔を歪めてしまった。見咎められる恐れはなさそうだが、この無様は体は下手に核心をついてしまったがために引き起こされた想定外の結果だ。
 相手の気勢が削がれたことを単純に喜ぶべくもない。やはり、この男は危険だ。私は猛禽の類を相手にしているのではない。人間と対峙して、これに対処しているだけなのだ。
 「落ち着けよ……ここは告解をする場所じゃない。いまは罪数を指折っている時ではないぞ。どうしたって云うんだ?」
 「こ、殺してない。俺はなにもやってない!」
 新見の顔色は傍目にも悪く、額からは脂汗が滲み出ていた。殺害を否定する背景には、なにかしら類似する状況を経験して、それを他人に指摘亦は疑われたためにする行為だ。とするならば、彼はなんらかの殺害に関与したか、それとも目撃したかによって不利益を被っていると云うことになる。このまま探りを入れてもいっかな構わないのだが、藪をつついて蛇を出す結果になれば、自身の身の上にも災厄が降りかかってくるかもしれない。触らぬ神に祟りなしとも云うし、ここは新見を正気付かせて、この場をやり過ごすことが得策だろう。
 そんな思案に開けてくれていると、川端が音もなく私の傍までやってきた。まるで気配を感じさせない足取りは、猫を想起させる忍び足だった。
 「翔太さん、その話はもう終わったことです。貴方は何も見ていないし何もやっていない。訴追する検事役はここにおりません」
 川端は私に一瞥くれてから新見に振り返って続けた。
 「ましてや、貴方を捕縛する過程で、少年法はおろか警察官すら見当たりません。これで満足できないのなら、一様に記憶の改ざんをする必要が生じます。その必要がありますか? ここにおられる方は翔太さんの過去は知らないし、態々打ち明け話に興じるような暇もないはずです。バスの到着も間近、寝言は涅槃で歌ってなさい」
 二人の関係は新見がイニシアティブをとっているものと考えていたが、どうやらそう単純な繋がりではないようだ。
 新見の背中を優しく擦る川端の表情は、先ほどの淫行の過程で見せた違和感を増長させるものだった。あの憂いを含んだ眼差しは一体何を意味していたのだろうか。この張子の虎も同然の新見の体たらくは今更として、私の興味の対象は大きく川端真紀に傾いていった。
 「バスが到着したようです」
 川端が私に言うともなしに呟いた。
 舗装が行き届いていない路面を、バスが車体を上下しながら迫ってくる。到着予定時刻を八分超過してもどこ吹く風である。停留所で停車して、後方のドアが喧しい音を立てて開いた。
 「額の汗は拭ってやれよ。真夏の日差しを言い訳にするには早計だ」
 「何も訊ねられないのですね?」
 「言い訳がしたいなら車内でどうぞ。俺はもう少し、お前らと面を突合せないといけないらしいからな」
 私は先に整理券を抜き取って、車内後方の長い椅子に腰を下ろした。遅れて新見と川端も私の長椅子に陣取る。どうやら長期戦を望んでいるようだった。

                                              十二

 今日の授業は身が入らなかった。なにしろ聞かされた話が話だ。
 新見が子供時分にかけられた嫌疑は殺人容疑。公にはなっていないものの、新見少年の精神異常が発端であると誤認されたこの事件は、遺体の頭部が切開されて、中にある脳が綺麗さっぱり持ち出されていた猟奇殺人事件である。外部からの観光客である第一発見者を含め、村全体に箝口令が敷かれて間もなく、公安局の人間が日本の中枢から欠け離れた辺鄙な片田舎に出張ってきたのには相応の理由があった。
 新見の口振りでは、この猟奇殺人事件は単独犯の犯行ではなく、複数の人間が絡んでいるのだという。ここまで云い切る背景には、彼自身が犯行現場に直面して、直接犯人一味と接触しているからに他ならない。
 「首謀者は女だった……」
 新見は絞り出すように声を発した。以前、顔色は冴えず、声音も震えていた。
 「その女から血が凝固している鋸を手渡された。初対面の人間にこんなこと云うのは正気の沙汰じゃないのは分かっている。だけど……」
 「紛うことなき真実である」
 川端は新見の後をとって続けた。
 「翔太さんの話を補足すれば、その女性はまだ息があったとされる被害者の頭部に直接鋸の刃を当てて頭部を切開、脳を取り出して保冷剤を敷き詰めたクーラーボックスに入れて車のトランクに運び込んだとされています」
 「それこそ、正気の沙汰じゃないな」
 私の眉間に自然と皺が寄った。さて、この非現実的な話を鵜呑みにしていいのだろうか。犯行に使われた鋸を目撃者に手渡すなど、証拠を現場に残していくようなものだ。ましてや、頭蓋骨のような強固で頑丈な物に鋸一本で事が足りる筈がないし、犯行現場を目撃された際、隠蔽のために目撃者を生かしておこうなどと考えるものか。
 一度、殺人に手を染めた以上、今更ひとり増えたところで良心の呵責に耐えきれなくなるなんて想像できない。新見が子供だったにしろ、生きた人間の頭部を切開する連中だったら、サイコパスやシリアルキラーの類だろうし、そもそも良心というものが著しく欠如している側の人間である。子供を殺すことに、なんら躊躇いなど生じないだろう。現実は小説よりも奇なり、というが、我々には及びもつかない精神構造をしているものだ。
 「思うのだが、子供の力で頭部を切り開くなんて可能なのか? そんな些細な事案を県警が見過ごす筈がない」
 「公安局です。無論、警察庁も警視庁も動きましたし、いまでも水面下で捜査は継続中です」
 「なんでお前がそんなこと知っているんだ?」
 「情報操作や隠蔽体質のこの村で、私は知り過ぎていると仰りたいのですね? 貴方だって子供なのに、警察組織についてアイスの蓋を舐めるように詳細な情報をお持ちのようですが」
 「生きた情報が遮断されていると云うだけだ」
 川端は頷いた。
 「そうですね、ここには世界有数の大図書館が建造されていますものね。労を省かなければ、いくらでも知識を仕入れることが出来ます」
 「公安局が動いた理由は、国家転覆を目論む反政府組織が絡んでいるからなのか?」
 私の冗談に遠慮なく川端は声を出して笑った。
 車内の人間の幾人かが振り返ったのを見て、川端は笑みを浮かべたまま一度軽く会釈した。豊満な胸を前で組んだ腕で持ち上げる動作をすれば、大抵の男たちは視線を窓の外に逸らす。女たちは軽薄な川端の仕種に声なき批判を表情に浮かべて抗議する。煤嶽村で行われている性交の簡素化は、公の場では取り繕う義務が生じている。人間とは随分と都合の良い生き物だと再考させられた。
 「過激な左翼主義者たちの行動には辟易させられますが、なんだって生きた人間の頭部を開いて、脳を保存環境の良いクーラーボックスに仕舞い込む必要があるのですか? それで法改正が助長させられたら問題ないですが、これはただの猟奇殺人事件ですよ」
 「それだけで公安局が動くとも思えないんだ。公安内部がどのようになっているかなんて知らないが、警察組織と違うことくらいは想像で補える。処理する案件が水と油くらい違うだろうに」
 「そこですね。先程はあゝ云いましたが、わたしも不思議に感じておりました。翔太さんのような子供を、人身御供にしなければならないほどの極秘情報があったとなれば、一晩飽きずに語り尽くせると云うものです」
 「映画鑑賞がしたいならこの村を出るんだな。県境に進めば、映画館の一つも見付かるだろう」
 川端は徒に首を傾げ、いま一度声を出さず笑みを浮かべた。莞爾したと云った方が正確だろうか。魅了されるべきは肉厚の唇であり、唾液で濡れ染まった様は、赤く充血した果実を想起させた。
 私の視線に気付いた川端は、睦言の調べをその肉厚の唇を舌で舐める音で表現して見せた。卑猥な唾液音が私の耳に刺さったものの、車体が上下するほどの劣悪な道路事情で霧散する。独創性を奪うほどにこなれた雌雄の饗宴は、房事の疑似的な絡みに終始した。
 「現実はこんなにも興味をそそられる話があるというのに、どうして映画鑑賞に興じる必要がありますか。不謹慎かもしれませんが、人間が抱く好奇心は否応なく恐怖に類するものと相場が決まっております」
 私は苦笑せざるを得なかった。偏見も甚だしいが、否定しても仕方がない。川端の主観はともかく、好奇心が刺激されたことは確かなのだ。
 「俄かには信じ難いって話だ。猟奇殺人事件とはいえ、警察庁が動いたとなれば特異な事件に関連する。管轄する都道府県警を指揮して情報を収集しただろうし、その後に箝口令が敷かれたとあらば、国家を揺るがす規模の極秘情報を掴んだことになる。況や公安局が出張ってきても不思議な話じゃない。夜伽の睦言が必ずしもロマンチックじゃないのも頷けるな」
 川端は両の瞳を閉じて天を仰いだ。
 「やはり、私のことは知っていましたか。煤嶽村と南櫛灘村を股に掛ける通風孔などと揶揄されてもいますが、座敷に響くのが嬌声だけならいざ知らず、閉塞状況を打開したいのであれば、当時を知る者に口を割らせるのも一興かと存じます」
 「建前だな。だが、悪くない」
 「閉て切った室内で、加齢臭の酷い老害共を相手にするのは骨が折れるわ。警察連中と懇意にしたのだって、好奇心だけと云う訳ではありませんけど」
 そう云って新見を見やる川端の視線は、どこか冷笑的な侮蔑を含んでいた。新見は恥辱に顔を伏せ、やり場のない溜息を吐いた。
 「本能行動の贖罪が、十四歳の少女を通風孔にした挙句、極秘情報を垂れ流さなければならなかったあの刑事。いまとなっては良い金蔓になっているのですから、渡りに船と云ったところですね」
 「そこまで話す必要なんてないぞ。聞くに及んでどっちもどっちだがな。ところで新見?」
 新見は顔を上げて私に視線を向けた。生気の抜けたその表情からも、自分のことも知っているのかと問うているかのようであった。
 「呼ばれてますよ、翔太さん? 界隈で浮名を流しているツケをここで支払う必要が生じましたね。自制が利かないのは私も同様ですが、理由が理由なので庇い立てする義理はありませんよ」
 「憔悴しきっているとこ申し訳ないが、俺も好奇心を満足させたくてな。当時の状況をもう少し思い出してもらいたい。現場が何処だったのか、複数犯だとして犯人たちの特徴、主に主犯格だった女の容貌とか――」
 やや間があってから、新見の口から途切れ途切れに言葉が紡ぎ出される。幼少の頃に受けた大人たちからの尋問が再開されたかのように、固く強張った顔は苦悶に満ちた醜悪な害虫を想起させた。
 「腐葉土場だ……そっち側のな」
 「あっちじゃなくて?」
 「いや……煤嶽村だ。恐らく部落地名総監に記載されていただろうが……東側の方だ。祖父の時代には相当荒れてたらしいな……大正時代は自分に正直な奴が多かったのだろうよ」
 私は首を捻った。
 「西側の間違いじゃないのか?」
 「それは最近の話じゃないですか?」
 川端が口を挿む。
 「このご時世、部落の存在は抹消したい過去ですから、役場も手を入れて開発に心血を注ぐのでしょうね。局所的な開発は不自然の極みですが、大人の事情が介在するといつだってこんなことが起こり得ます」
 煤嶽村の東西冷戦は父が存命だった頃からの問題だった。村長が無視できないほど威光ある家名の存在が、どうしたって政治の枷になる。虫の居所次第で、村の経済活動に働きかけるほど影響力がある以上、一村民の生活を守らなければならない立場の者は、調整力を如何なく発揮して、全体のバランスを取ることに時間をとられていた。
 西側に追いやられた部落民たちが不利益を蒙らないために、父は河野村長の意向を押し切って部落民たちと生活を共にした。と云うのも、東側に居を構えた形では部落民たちがおいそれと院に立ち入ることができず、反対に権勢を振るう側が折れる形で院の敷居を跨げば、そこから妥協と友好が生まれる可能性があることを模索したためでもある。
 結局はその目算も父の事故死をもって終焉を迎えるのだが、車のブレーキに細工してまで笹川守を事故処理したかった背景は、正確には判明していない。村に一人しかいない医師の存在を抹殺してまで守りたかった物は、権力維持か、それともいまこうして話をしている猟奇殺人事件のような、口外できない秘密でもあるからなのか。
 私は母共々肉親のこうした無念を背負って生きている。村に蔓延るこうした闇の部分に切り込んでいこうとする切っ掛けが自身の持つ異能の力であればこそ、常時能動的であれと云い聞かせてもいられるのだろう。家名の存在に怯える必要もなければ、絶対に感付かれもしないのだから。
 「女の……容貌は覚えていない。思い出そうとしても……ただただ胸糞悪い吐き気に襲われちまうんだ」
 そう云うと、新見は両目を固く閉じて俯いた。正気を保つ上で記憶を蘇らせる行為は、精神の均衡を著しく阻害してしまうのだろう。新見のこうした心理状況は、無意識による自衛行為にまで及んでいる。精神的外傷は大きく、私ですら同情を禁じ得ない。子供が背負うには少しばかり荷が重い過去だった。
 川端はハンカチを取り出して、新見の額からいまにも滴り落ちんとする玉のような汗を拭ってやっている。呼気が荒くなっているのを察して、私は少し時間をかける必要があると感じた。
 好奇心を満足させるために、ここで彼を壊してしまっては事だ。ジグソーパズルは時間をかけてひとつひとつピースを当て嵌めて行っても良いのだから。
 なに、ここで新見と今生の別れと云う訳でもなし、勉強会で顔を合わせることが分かっている以上、ショートケーキの苺は最後の楽しみにとっておくだけである。聞き出したい情報だけ得られれば、後は野となれ山となれだ。
 最後に此の村は地図の上から消える予定になっているし、出来得る限り、煤嶽村に在住する人間も迎えに行ってやるつもりだった。
 その前に私は村の全てと云わないまでも、隠蔽されているであろういくつかの情報を得て、公にしてやろうと云う意図がある。口減らしだけでも重罪であろうに、それ以上の悪が底の方に沈殿しているとあれば、きちんと証拠を形にしてやらねばと考えたのだ。
 猟奇殺人事件が直接村の秘匿に繋がっているかは疑問だが、なんでも手に入るなら拒まず受け入れてみる。そこから重要な手掛かりにぶつかれば、もしや父の事故死のことも繋がりが見えてくるやもしれないからだ。全ては微かな希望だったが、可能性を示唆する上で行動は不可避なのである。
 「翔太さんのことでがっかりさせたからと云うわけではないですが、管轄外のとこで起こった事件で警視庁が動いた背景が面白かったのでお話しします」
 「川端、お前性格悪いだろう?」
 「同族嫌悪の意味が知りたければ、ご自分の顔を鏡で映し見て下さい。辞書より早く意味を知ることができます。当時の法務大臣ですよ……」
 「法務大臣?」
 川端は頷いた。
 当時の法務大臣については、惣掟のため情報が不足していたので思い当らなかったが、年を経てテレビや新聞に目を通せるいまとなっては、村中忠樹の名前を挙げることができる。大蔵大臣であった畑山一郎の不正献金が明るみに出て、隆盛を誇っていた与党が選挙に敗北した後、野党最大勢力であった新明党の台頭により、三党連立化で過半数を勝ち取り、政権交代に移行した。
 新明党は当時代表を務めていた越谷修を内閣総理大臣とし、連立内閣を組閣して、ここで黎明党の村中忠樹を法務大臣に抜擢した。三党連立の際、各党から一人は大臣を選出する約束を取り交わしていたため、村中忠樹の他、法泉党から後藤雅臣を運輸大臣とした。
 越谷修を代表とする新明党としては、単独では議席数が過半数に達しないため、連立している黎明党や法泉党の存在が必要不可欠であり、この取り決めが履行された訳だが、政権運営に直接口を挿まれたくない思惑もあった。
 利権ポストとして名高い運輸大臣の役職には、清廉潔白を旨とする後藤正臣が適職とする越谷内閣総理大臣の推挙から結論に至ったのだが、黎明党の扱いだけがどうしても頭痛の種だった。新明党の次に議席数を占める割合が多いため、あまり無碍にすることもできず、だからと云ってあまり重要な役職を与えることも躊躇われたのである。
 打開策を提示したのは、幹事長に就任した三森昭雄だった。法務大臣の役職こそが、最も現状に適した策であると滔々と説いたのである。職務も地味であり、華やかさに乏しい一面もあることから、一線から外れた衆議院議員、亦は参議院議員に配慮した形で割り当てられることも多いポストでもあったため、与しやすいと読んだのだろう。
 役職としては申し分なく、中央省庁再編前は首相、副総理の次位に数えられたので、黎明党からの非難を受けることもないと踏んでの行動だったと推測される。
 「法務大臣に就任してから一週間後、彼の元に一通の封書が届いたらしいのです」
 魅惑的な唇に人差し指を当てて、川端は声量を落として云った。
 「請求書なら間に合ってるかもしれないぞ」
 「それが、お金では買えない素敵な夢が手に入るらしいのです」
 私はその抽象的な云い回しを訝しんだ。
 「なんだ、その封書に怪文書が入っていたとでも?」
 「ご丁寧に煤嶽村までの地図が添えられて」
 身を乗り出した川端の手が私の膝上に置かれた。声は低く抑えられていたが、明らかに興奮しているのが分かる。川端の紅潮した顔が至近距離まで迫り、新見の手前私は顔を背けざるを得なかった。
 以前置かれた膝上の温もりは抗い難く、それ以上に歓喜させられる女性を主張する部位が悩ましかった。自身の感情を、人体機能の一部で悟られまいとして自制をかけようとするものの、どうしても若さを跳ね除けるだけの心の余裕が生まれなかった。仕方なく体制を変えてみるも心意が伝わらなかったのか、川端は私の肩に手をかけて背中越しに体を預けてきた。
 柔らかな脂肪の弾力が背から伝わり、下半身に痺れのような感覚が走った。意図的な行為なのか無意識の行為なのか、検討しているほど私は大人ではない。本能が理性を上回る前に、どうにかして自制を利かせなければならなかった。公然猥褻罪なんてもってのほか、審判官や調査官と手を取り合って、今後の人生設計など組む気にはなれない。
 耳元に迫る川端の吐息に、いい加減激怒してやろうと思った矢先、紡がれた言葉に私は息を呑んだ。
 「脳を取り替えっこするんですって……」
 私は振り返って川端を睥睨した。
 「なんだって?」
 「だ、か、ら、脳を取り替えっこするんですよ」
 莞爾した川端は、まるで性魔術に中てられた色情魔の体をなしていた。だらしなく開いた口腔から、情報を絞り出すための道具が卑猥に形作っているよう思われた。あれで男を喜ばすのだろうかと、脳裏に兆した自分に嫌気がさされた。
 「先ほど、貴方に話の腰を折られた刑事がくれた情報です。開封前、開封後では商品価値に差が出ますからね。代償としては足りないくらいです」
 「骨董品の価値を見定めるには、それなりの鑑識眼が必要だ。歴史の潮流に曝されて猶、現代まで生き残ってきた代物は、それだけで異彩を放つと云うじゃないか。多少の欠損は本質まで影響しないさ」
 「要するに処女膜の有るか無しかで女を判断しないと云うことですね?」
 「本質と商品価値は比例しないがな。それより、差出人が誰なのか検討がついているのか?」
 「差出人は不明だが、投函されたポストはここで、煤嶽村の簡易郵便局の局員が処理していたらしい……」
 新見が絞り出すような声で云った。
 「怪文書に依拠しますと、最先端の医療技術で脳を傷一つ無い状態で摘出し、目的の人物に移植するとあります。相手の同意があるかどうかは言及されていませんが、その人物に成り代わって今後の生活を謳歌できる。私のような容姿端麗に生まれついているなら話は別ですが、人間は平等ではありませんし、常時理想と乖離した境遇の中で、虚像に追い立てられるように自己を演じ続けているのでは、平穏など皆無ですからね」
 「脳の移植手術など聞いたことがないぞ」
 「被験者を探しているのではありませんか? 心臓の方で、ほら! 和田寿郎氏が御茶目しちゃったこともあって、臓器移植そのものに遅滞を招く結果となりましたが、今後日本の医学は、脳の方へシフトチェンジしていくものと思われます」
 馬鹿馬鹿しい話だ。だとすれば、この怪文書は医学に携わる者が法務大臣宛てに手紙を出して、我々の素晴らしい医療技術を是非体験して見て下さい、とダイレクトマーケティングしているとでも云うのだろうか。消費者の反応なんて推し量るまでもなく、身に危険が迫るなら、おいそれと首を突っ込む輩がいるとは考え辛い。好奇心は猫を殺すの観点から論じても、猟奇殺人事件と怪文書の間に同一人物の顔が浮かび上がってくる以上、此れも亦、同様である。
 レシピエントを誘い出す文句にしては陳腐であり、失笑を買うだけの子供じみた行為だ。箝口令が敷かれたこの猟奇殺人事件を知る者が、愉快犯として法務大臣宛てに怪文書を送り付けたのなら兎も角、ここら辺がはっきりしないことには下手なことは云えなかった。
 肉体的な若返りを期するあまり、怪文書の甘い蜜に群がる蝶にならないとは断定し難いが、そうなれば法務大臣は政治家の道を擲って、ドナーの新たな身体で人生の再設計を迫られるのだ。急に人が変わったように振る舞えば、家族の者にも訝しまれる恐れがある。実入りの少ない選択と云えるだろう。
 なんらかの伝手で、法務大臣の性癖がマイノリティ側の人間であると云う情報を得たとして、ドナーである女性の身体を手に入れられるとした場合、ひた隠しにしてきた積年の思いを形にしたいと考えるだろか。
 これも駄目だ。いくら日本が性同一性障害の理解に乏しいとはいえ、当人の苦悩を天秤にかけても秤が大きく傾く計算にはならない。
 となると、レシピエントよりはドナーを誘い出している要素が強い。社会的な影響力があり、且つ裕福な暮らしをしている人物をドナーとして取り込むとしたら、法務大臣宛てに怪文書が郵送されても矛盾はない。ただ、この怪文書にあるように、医学的見地から、脳移植が可能だとする立証がなされた前提に立った上での話であるが。
 「その大臣様は脳移植を承諾したのか?」
 「詳細を窺い知ることはできませんが、否、とは云い切れないところがあります」
 法務大臣が脳移植を受けていたとしても、姿形が同一人物である以上、直接本人の口から真偽のほどを問い質さなければ結論が出ないと云うわけだ。亦、問い質したところで、真実を口にしているか確証も得られない。となれば、川端のように曖昧に終始した結論に落ち着いてしまう。
 警察関係者は、時効が成立する前になんらかの手を打つものと思われるが、目撃者と情報、犯行に使われた凶器が現存しているのにも関わらず、被疑者すら割り出せていないことを考慮すれば、狐につままれた気分にもなるだろう。理屈の上で子供だましの怪文に意味などないのは明白であり、何故、法務大臣宛てに怪文書が郵送されたのか、この意図を解き明かすことが、事件の最大の手掛かりになるかもしれない。愉快犯の仕業であることも否定できないが、箝口令が敷かれた手前、この問題は棚上げしたままでもいいだろう。
 唯一、引っ掛かるのが、主犯格の女が犯行に使用したと思われる鋸を、新見に手渡したと云う事実だ。目撃者を生かしておくだけにとどまらず、凶器を目撃者に預ける行為が、どれだけ不合理かは語るまでもない。
 「少し気になることがあるのだが? いまでも、その大臣様は存命なのか?」
 「私が1+1=3って答えてしまうような人物に見えますか? 胸に刮目するのではなく、私の言葉に傾注していただきたいのですが」
 「先の質問でお前の心意は汲み取っているさ。ただ、少ない情報からでも、この事件の重要性が垣間見える。猟奇殺人事件と怪文書の因果関係に止まらず、大臣様になにか事が無ければ、綿密な捜査が数年に亘って継続されていること自体、腑に落ちないだろう。事件は日夜に増加していくだろうし、捜査員の手が空いているならまだしも、そうそう事が理想的に運ぶわけではない。少ない人員を割いてでも、捜査を継続する理由があるなら、殺人と怪文書が同一人物の手で行われたことを裏付ける証拠や情報が……そうか……被疑者が割り出せていないわけではないんだな……!」
 川端は音を立てず両手を小さく打ち合わせて、私に称賛の拍手を送ってよこした。
 「X+2=3ですね。簡単な式ですが、気づかないことが多々あります。X=大臣様の狂死です。怪文書が送られてから数日後、ある稀覯本を片手に森の奥地で変死体となって発見されました。顔や体には無数のひっかき傷があり、爪からは自身の皮膚が付着していることが判明、発狂の末の自傷が血圧低下を招き、循環障害による外傷性ショック死症状であると報道されています」
 「どこで拾った?」
 私が厳しい表情で問い質すと、川端は落ち着いた表情で頭を振るった。
 「新聞は中津刑事から。拾い食いはルンペンの趣味です」
 被疑者の目星がついているなら、何故逮捕に至らないのか、つまらない詮索をするつもりはない。逮捕まで漕ぎつける物的証拠はただひとつ、新見が手渡された犯行に使用されたと思しき鋸である。指紋、亦は製造元から販売元まで徹底的に調査、犯行直前に購入したと思われる人物を洗い出せば、主要な人間をピックアップできるはずだ。
 警察だって無能ではない。私のようなど素人が考え付く程度のことは手を回しているであろうし、それでは不十分であるいくつかの要素が混在していると見て良いだろう。
 情報から大臣の死が決定したことにより、私の愚にもつかない推論は一応の決着をみた。これは愉快犯の仕業ではなく、明確な意図を持った者が、大臣の元へ封書を送り付け、なんらかの薬物か医学の力でもって大臣を発狂させた後、自決の道へ誘ったのだ。 
 おそらく煤嶽村で起きた猟奇殺人事件の犯人一味が、自らの犯行である旨を怪文書を使って示唆することで、公にすることが躊躇われるであろう思想を流布する手掛かりとしたのだろう。つまらない結論だが、いつだって素人は推理物の探偵のようにはいかないものだ。所詮、現実なんてこんな程度である。
 「一応問うが、割り出せた被疑者のことは聞いても構わないものなのか? お前を通風孔にした中津刑事とやらは掴んでいるのだろうが」
 「国家公務員採用試験、総合職試験の方ですが、合格してキャリア組として採用された方ですからね。現在の階級は警視長に当たります。警視庁で部長を務められているので、情報は随時耳にしておりますよ。ああ……そうでした。刑事は管理職ではない私服警察官のことを指すのでしたね。捜査部長と訂正しておきます」
 「へぇ……人間性は兎も角、有能な人材なんだな」
 それほど私の言葉を深く吟味する様子もなく、川端は肩をすくめてから、いま一度私の方へ身を乗り出してきた。憑き物は落ちた表情だったが、譴責されるべき人物を称えてしまって手前、私の方としては体裁良くとはいかなかった。
 その心の間隙を縫うように、重ねられた掌の温もりは必要以上に熱量を帯びて感じられた。皮膚を透かし、体内に浸食してくる厳粛な儀式に似た宣告は、ただ彼女の思いを汲んで容認することを強く要望するものであった。
 「被疑者を知れば、物の見方が変わる恐れがありますよ」
 至近距離まで迫っていたので、川端の息遣いが分かる。好奇心と憂いが綯交ぜになった複雑な図形を模したものが、川端の瞳の奥底から窺えた。抗することもできず、私はただ直視することしかできなかった。なにか名状し難い生き物が蠢く様を見てしまったかのようだ。
 心臓が不規則な不協和音を奏でる。耳障りな鼓動は、眼前の女が醜形な肉塊をした冒涜的なナニカだと、奇妙な信号を送っている。何故、そこまでこの女を危険視しているのか、自身でも判断がつかない。
 あの濁ったような焦点定まらない瞳の所為なのか。はたまた重ねられた手の温もりが、常人を凌駕するほどの熱を発しているからなのだろうか。
 私は冷静にならねばならなかった。世界に引かれた境界線の向こう側を覗くことは躊躇われるのだ。この先も、この世界で生き続けなければいけないのであれば、跪いてでも許しを請い、私の身の安全を確保しなければならない。それほどまでに、私は世界と断絶されているのだと、幼少期から強く認識していたのである。
 頭の中を恐怖が圧迫してくる。空間に幾何学的な図形が幾つも顕在したかと思えば、一つ一つの三角形やら四角形やらが、拉げてアメーバのような認識に窮する形状に変容して、凡そ図形らしからぬ液状化した粘液物質に様変わりした。最早、幻覚であることを疑う気勢すら削がれた。やがて、粘液物質は蚯蚓が這い回るかのように細長い棒状へと変化して、脇からは触手のような更に細長い糸を垂らした真黒な浅ましい汚物が姿を現した。
 あゝ……あゝ……醜い……とても、とても醜い……。
 川端が重ねてくる手の甲からは、黒煙に似た瘴気が噴霧された。車内は瞬く間に瘴気が占拠して、著しく視界を遮った。私の恐怖は愈々臨界点に達し、呻きとも悲鳴とも似つかないくぐもった音が、声帯を微かに振動させたに過ぎなかった。視界は黒い瘴気で奪われるほどなのに、乗客の一人として気にする様子が見られない。もしや、私だけがこの切迫した事態に陥っているということなのか。いくらなんでも不可解であり、怖気立つほどの川端の異様さが、迂闊に身動ぎすることすら許さなかった。
 額から、背中から、私の発汗量は凄まじく、展開される非現実的な状況に、思考が只々現実を、これは一つの虚構世界なのだと信じ込もうと奮闘する。触手が蜷局を巻く川端の右手が私の頬を辷る時分、心音より大きく頭の中で擂り半鐘が、警笛の音のように注意を促した。今度こそ悲鳴が対象者の鼓膜を振動させようかと云う刹那、私の震える唇はその対象者の唇で、南京錠を用いてバンダリズムを咎めるかのように、しっかりと栓をされてしまった。
 私の眼孔から眼球がいつ飛び出ても不思議ではなかっただろう。それほどまでに見開かれた私の目は、恐怖によって拡張していた。状況が呑み込めない侭に、私は口腔内に侵入してくる川端の舌の異様な感触に嘔気を覚え、振り解こうとして必死にもがいた。抵抗空しく、二本の細い腕はまるで万力で捩じり潰すかのような力で持って私の両肩を押さえ付け、あまつさえ抵抗どころか私の体の自由ですらなんなく無力化してしまった。
 浅ましく醜い触手が私の耳朶に触れた折り、恐怖は許容範囲を超えて暴走を始め、男である自尊心をかなぐり捨ててまで命乞いに及んだ

懊悩者

懊悩者

  • 小説
  • 長編
  • ホラー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-08-31

Copyrighted
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