騎士物語 第五話 ~夜の国~ 第三章 スピエルドルフの女王

第五話の三章です。
スピエルドルフの女王であるカーミラさんと、ロイドくんの右眼――そして体質に関するお話ですね。

第三章 スピエルドルフの女王

「……」
 眠れない。ミラちゃんにおやすみを言って、布団に入ってからまるっと一時間。妙に目が冴えてて眠れない。
「……ちょっとのどが渇いたな。」
 起き上がり、ぺたぺたと部屋を横切ってキッチンへ――
「……あれ?」
 眠れないっていうのに寝ぼけているのか、気づくとオレはエリルのベッドの横にいた。勿論そこにはエリル本人もいて、すやすや眠っている。
大抵ムスッとしているエリルにおいて、そうでない顔っていうのはそこそこレアで、寝顔はそんなレア顔の一つになる。
 んまぁ、毎朝起こす時に見ている顔ではあるんだが。
「……今エリルが起きたら燃やされるな……ベッドにもど――」

「んん……」

 自分の寝床に戻ろうとした時、エリルが寝返りを打った。オレに背を向けたエリルの……赤い髪の奥にあるうなじがちらりと見えたその瞬間、表現できない感情――衝動がわき上がった。
「……!? あ、あれ?」
 エリルを左右から挟む感じにベッドに手をつき、そのままゆっくりとエリルの方に顔を近づけるオレ。
 一体何をしているのか。頭ではそれをする気はなかったし、今やっている事は止めようと思っている。なのに、いきなり身体の操縦を他の誰かに奪われてしまったかのように、自分の意思が動作に反映されない。
 あ、やばいやばいやばい! なんか知らんがこれはやばい! このままだとエリルに何かしちゃうぞ! でも身体は言う事を聞かないし……そ、そうだ! エリルに逃げてもらおう!
「エ、エリル! 起きるんだエリル!」
 そこそこ大きな声で叫んだもんだから、エリルはびくっとして……それからごろりと眠そうな顔をこっちに向け――
「…………!?」
 パチッと目を見開いた。
「……ロイド……?」
 がばっと飛び起きるかと思ったんだけど、エリルは驚き顔でこっちを見るだけだった。
「ご、ごめん、起こした――っていうか起きて欲しかったんだけど……あ、あのちょっとオレから逃げた方がいいかもと思って……」
「な、なによそれ……」
「いや、オレにもよくわかんないんだけど身体が言う事を聞かないんだよ。なんかこのままだとその……エ、エリルに何かしちゃいそうで……」
「……あっそ……」
 顔は赤いんだが、しかしエリルは驚き顔をさらっといつもの顔に戻した。
「えぇ!? もうちょっと焦った方が……」
「焦るっていうか、ちょっとしたホラーで怖いわよ、今のあんた。」
 そう言いながら、エリルはオレの右目を指差した。
「魔眼が発動してるわよ。」
「えぇ!?」
 と、とっさに右目を覆ったのがキッカケになったのか、オレはオレの身体の自由を取り戻した。すぐさまエリルのベッドから離れたオレをムスッとにらみながら、エリルは身体を起こす。
「……いつものあんたが今みたいに来たら……そりゃ焦って蹴り飛ばしたりするだろうけど、そんな片目を黄色く光らせた奴が来たら逆に怖くて動けないわよ……」
「びっくりさせてごめん……っていうかエリル、なんでそんな残念そうな顔してんだ?」
「! し、してないわよ!」
「そう――あれ? 今気づいたけど……この部屋妙に明るいな。」
「? なに言ってんのよ。」
「いや、なんか……周りがよく見えるっていうか……」

「やはりそうなりましたか。」

 暗い部屋の中、月明かりを受けてぼんやり明るくなっている窓側のカーテンの前にすぅっと人影が現れた。片目が光っているらしいオレが言うのもなんだが、かなりのホラー現象にビックリしたものの、そのシルエットには見覚えがある。
「? えっと……ミラちゃんですか?」
「あぁ、その呼ばれ方はワタクシの胸に来るものがありますね。」
 すすっとカーテンを開けるミラちゃん。学院内には街灯があるけど、背の高い木が囲んでいるから窓から見える明かりと言うと月か星で、それをバックに立つミラちゃんはすごく様になっていた。
「こんな夜遅くに何の用よ。」
「どちらかと言うと、ワタクシたち魔人族にとっては今の時間こそがメインの時間です。それに、きちんと理解をしていただかないとワタクシのロイド様が欲望に任せてエリルさんを滅茶苦茶にしてしまうかもしれませんよ?」
「欲望!?」
「め、めちゃくちゃってなによそれ!!」
「そうですね……キバのないロイド様ですから、そのもどかしさに全身を舐めていたかもしれません。」
「!?!? な、舐め!? ロイドが!? あたしを!?」
 ババッと布団で身体を隠したエリルだったが、オレにはそれ以上に気になる言葉があった。
「キバ……? ミラちゃん、一体何の話を……」
「ふふふ。本当なら明日お話するつもりだったのですが……ロイド様がワタクシ以外の女性を襲うところは見たくありませんからね。どうぞ、お座りください。」
 ミラちゃんが手を振ると、エリルのベッドの横に二つ、ミラちゃんの前に一つ、黒い椅子が現れた。オレとエリルは目を合わせ、のそのそと黒い椅子に並んで座る。
「エリルさんには申し訳ありませんが、部屋はこの暗さのままでお願いします。」
 同じように椅子に座ったミラちゃんは、どこから出したのか、顔くらいの大きさの鏡をオレの方に見せてきた。そこには……右目が黄色く光っているオレの顔が映っている。
 ……ってか、こんなに暗いのに鏡なんてよく見えるな、オレ……
「その魔眼の名はユリオプス。先ほど少し触れましたが、ヴラディスラウス家の者のみが代々発現させる魔眼です。」
「ユリオプス……という事は、ミラちゃんの……えっと左目と同じって事か。」
「そうです。そしてワタクシの右目は、厳密に言うと太陽の光への耐性を持った吸血鬼の眼ではなく、元から太陽の光などモノともしない眼に吸血鬼の特性が加わったモノです。簡潔に申しますと……ワタクシの右目は人間の眼なのです。」
「……ちょ、ちょっと待ちなさいよ……ロイドの右目があんたの一族にしか出ない魔眼であんたの右目が人間のって……」
「! まさかミラちゃん……」
 月光を背にする吸血鬼は、オレとは逆に左目だけを光らせながらこう言った。

「お察しの通り、元々ロイド様の右目はワタクシの、ワタクシの右目はロイド様のモノだったのです。つまり……ワタクシとロイド様は互いの右目を交換したのです。」

「目を……交換? オレとミラちゃんが? ど、どうしてそんな事に――」
 当然のように理由を聞こうとしたら、ミラちゃんは首を横に振った。
「理由は――申し訳ありませんが、説明できません。ロイド様にご自分で思い出していただきたいのです。」
「自分で……?」
「ええ。でないと……少々卑怯と言いますか、フェアではないので。」
「?」
「なので、お話する事はできません。しかしそれ故に起きた事についてはお話しなければなりません。」
「……わかった。理由は自分で思い出すよ。それで……起きた事っていうのは……?」
「ざっくり言いますと、ワタクシには人間の、ロイド様には吸血鬼の特性が加わっているのです。」
「えぇ?」
「例えばワタクシの場合、ロイド様の右目を手にした時から体質が変化していき、最終的には吸血鬼でありながら太陽の光の下で三、四時間は活動できるようになりました。加えて、元々人間の眼であったこちらの右目にも変化が生じ、夜目が利くという性質などが加わりました。昼も夜も良く見えるという、眼として最高級の能力を持つモノとなったわけですね。」
「……でもってそういう変化がロイドにもあるってこと?」
「そうです。とりあえず……今、ロイド様にはこの暗い部屋がはっきりと見えているでしょう。試しに右目を閉じてみるとわかるかと。」
「! ほんとだ、左目だけで見るといつも通り暗いまんま。」
「しかし、かといって右目だけ太陽の光をまぶしく感じるというわけではないでしょう。ワタクシの場合と同様に、元々吸血鬼の眼であったその右目には太陽の光に対する耐性がついたわけですね。」
「なるほど! いや、こりゃ便利――ってまさかさっきキバがどうって言ってたのは……オレも血を飲むようになったって事!? うわ、まさかオレ、さっきはエリルの血を!?」
 思わずエリルを見ると、エリルもオレを見たとこで――思わずオレは口を、エリルは首を手で覆ってしまった。
「そうです……少し腹立たしいですが。」
「えぇ?」
「昔は確かに血が主食でしたが……新鮮さが命の血を求めて毎度毎度人間や動物を捕まえるのは面倒な事ですし、かと言って家畜のように飼ってしまうと血の質が落ちてしまいます。」
「へ、へぇ……」
「なので、そもそも血に含まれる何が吸血鬼に必要なのかを研究し……結果、ワタクシたちはある一点さえ考慮すれば人間のように肉や魚、野菜を料理したモノでも栄養が摂取できると判明しました。」
「おお。じゃあ今の吸血鬼は血を吸わないのか。」
「吸わないわけではありません。単に扱いが……そうですね、一種の嗜好品のようになっただけです。加えて、必要ではないのですが……どうしようもなく行為として吸血したくなる時があるのです。」
「そんな時が……」
「ええ。具体的に言いますと、異性に欲情した時ですね。」
「へぇ、異性に欲じょ――」
 ちょちょちょ! それってつまり……
「な、なにそれ! つ、つまり……さ、さっき、ロイドはあたしに……?」
「……寝ているエリルさんを見て、何か思うところがあったのでしょう。」
「にゃ!?」
「加えて、この場合の欲情は誰でも良いわけではなく……想いを寄せるような相手に対する欲情の際にのみ湧き上がる衝動なのです。ああ、腹立たしい。ロイド様ときたら、ワタクシという妻がいるというのに……」
 色んな理由で顔が熱くなるオレ。ちらっと横を見ると、エリルも真っ赤だった。
「じゃ、じゃあオレはエリルに……その、ドキッとする度に血を……?」
「いえ、おそらく今夜が最初で最後でしょう。ロイド様の吸血鬼化はそこまで深くないようですから。」
「えぇ?」
「前例がないのでこればかりは推測ですが……吸血鬼に人間の特性を付加する事と、人間に吸血鬼の特性を付加する事では、その難易度のようなモノに差があるのでしょう。つまり、右目を交換したというケースの場合、ワタクシに付加される人間としての能力の量とロイド様に付加される吸血鬼としての能力の量に差が生じるわけです。」
「そうか……言われてみれば夜目が利くっていうのに気づいたのは今が初めてだし……もしかしたら魔眼を発動させてないと普通に暗く見えるのかも……」
「その可能性が高いでしょう。しかし今しばらくは発動したままだと思います。ワタクシがいるので。」
「それはどういう……」
「ロイド様は記憶を無くされています。という事はおそらく、その右目の魔眼はこの前のランク戦でざっと数年振りに発動したのでしょう。戦いの高揚感と言いますか、勝ちたいという意思で――おそらく無意識に。そこにその魔眼の本来の持ち主であるワタクシが現れた。ロイド様の右目が軽い暴走状態になるには十分な理由でしょうね。」
「暴走……そうか、これは暴走してるって事になるのか。」
「ええ。そしてその影響で、ロイド様の吸血鬼性が一時的に高まり……吸血衝動に襲われたのです。もしも元から吸血衝動があるのなら、キバがないと変ですからね。しかし今、ロイド様はその右目の事を理解しました。であれば、暴走も直に収まり……そして二度とそうなる事はないはずです。」
「それは良かった。事あるごとにエリルに襲い掛かるんじゃその内灰になっちゃうからなぁ。」
「事あるごと!? あ、あんたそんなにしょっちゅう――あ、あたしに!?」
「――!! い、いやその……こ、この際だから言うけど、カーテンがあるからなのかオレを……その、信頼してるのか、た、たまに無防備っていうか隙だらけっていうか……なんだからな!」
「――! エ、エロロイド……」
「おや、エリルさんも人の事は言えないでしょうに。」
「ば、余計な事言うんじゃないわよ!」
「? 何の話――」
「う、うっさい! それよりほら――そ、そうよ、魔眼の能力! ユリオプスにはどんな力があんのよ!」
「……ユリオプスの力は、魔力の前借りです。ちょうどアンジュさんの持つ魔眼フロレンティンと逆の力ですね。」
「前借り? アンジュの逆って事はえぇっと……未来の自分がその日に作れるはずだった量の魔力を今の自分が使う――みたいな?」
「そうです。仮に一週間分の魔力を前借りしたなら、その後の一週間は魔法が使えなくなる――という具合ですね。」
「一週間! そんなに借りられるのか……」
「一年分でも十年分でも可能ですよ。」
「えぇ!? じゃ、じゃあ……例えばオレの寿命があと五十年とかだったら五十年分も!?」
「縁起でもない事をおっしゃらないでください。それに、寿命は関係ありませんよ。」
「えぇ? で、でも未来の自分からって言うなら……最大は自分が死ぬまでじゃあ……」
「いいえ。百年分でも千年分でも、到底その者が生きていない先の未来まで前借り可能です。単純に、その者が百年ないし千年魔法が使えなくなるだけです。」
「なによそれ……本人がいないのに「前借り」なんてそんなの……規格外の能力じゃない……」
「ええ、規格外です。おそらくそれ故に、ワタクシの一族にしか発現しないのでしょう。発現する対象に条件が多いほど、魔眼は強力になると言いますからね。」
「吸血鬼の一族……そもそも種族が少ない上にその中のヴラディスラウス家だけっていうんだから、確かに限定的か……」
「? 吸血鬼ってカーミラの一族だけじゃないの?」
「いいえ、他にもいるはずですよ。スピエルドルフではワタクシたちだけですがね。ちなみにこの魔眼が発現するという事も、ヴラディスラウス家がスピエルドルフを治める一族になった理由の一つです。」
「無限に近い魔力を持つから? ああいや、そういうわけじゃないのか……一度使ったらその先使えなくなるわけだし……あーでも千年単位の量を使えるならやっぱり……」
「ふふふ。ロイド様、この魔眼の真価は死ぬ間際にあるのですよ。」
「えぇ?」
「老いや病、もしくは敵対する者によってもたらされた死期。死を前にし、今より先、自分はどうなっても構わない……そういうような状況に陥った時、この魔眼の持ち主は何をするでしょうか。」
「! そうか、何百年、何千年分の魔力を前借りする……死ぬ時に限らず、この先一生魔法が使えなくても構わないっていう覚悟をしたのなら、その人はその瞬間、無限の魔力を得る……!」
「そうです。これを利用し、膨大な魔力が必要となる夜の魔法の維持のためにヴラディスラウス家は代々死ぬ間際には必ずそれを行うのです。」
「そ、そんなに魔力が要る魔法なのか……」
「維持は勿論、代々魔法の効果を追加しているのです。無限とも言える魔力がなければ成せない魔法を。現状、夜の魔法は……いかなる攻撃でも破壊不可能、どんな魔法でも透視不可能、許可の無い者はなんであれ排除、もしくは消去。加えてあの中でスピエルドルフに敵対する者は数百数千の呪いによって戦闘不可能、もしくは即死です。そう言った追加効果の維持にもたくさんの魔力が必要なのです。」
「鉄壁だなぁ……」
「……でもロイド、あんたの右目はそんな魔法を可能にしちゃうモノってことよね……タチの悪い連中に狙われたりするんじゃないの……?」
「言われてみれば……」
「そのあたりは大丈夫かと思いますよ。魔眼ユリオプスの力を狙ってその持ち主をどうにかしようとするという事は、最悪の場合自他を巻き込んだ自爆につながりかねないわけですからね。」
 ふふふと笑うミラちゃん。
 しかしそうか……今思えば、カラードとの試合の後に魔法が使えないくらいに疲れたと思ってたのは、実のところ、数日分の魔力を前借りしたから魔法が使えなかったわけか。
「んまぁ、魔眼については……うん、ちゃんと思い出すとして……オレの……吸血鬼化? は夜目が利くってだけなんだなぁ……コウモリに変身とかできたら良かったのに。」
「変身はできませんが……ロイド様にはもう一つ、ワタクシの右目の影響で変化している部分があるのですよ。」
「えぇ? ど、どこが……」
「ふふふ。夜目が利くというのは、ロイド様がワタクシの眼を得たからそうなっているだけなので、厳密には吸血鬼化してそうなったとは言えません。」
「んまぁ……そうか。じゃ、じゃあどこに変化が……」
 自分の身体をあちこちぺたぺたしてみるが……いや、それでわかるようならとっくの昔に気づいてるよな……
「ロイド様の吸血鬼化はそれほど深くありませんので、血を吸うためのキバや血を美味しいと感じる味覚、血を栄養としてきちんと消化する為の体内器官というような、元々の身体を大幅に変化させる事は起きていません。その為……いえ、むしろそのせいでと言うべきでしょうか。ロイド様の身体には吸血鬼が持つとある魔法がほんのりと付加されています。」
「え――えぇ? 魔法?」
「ええ……」
 見た感じ、ミラちゃんは不満気な顔をしている。
「……血を吸う際の話ですが、まず噛みつく場所としては首が一番です。勢いよく血が流れているところですから、ワタクシたちが頑張って吸わなくても勝手に噴き出て来るので飲みやすいわけです。」
「う、うん……」
「ですが首というのは全生物に共通で急所のような場所……先ほどのロイド様のように飲ませてくれるような間柄であれば構いませんが、基本的には捕食ですからね。相手には抵抗されます。」
「そりゃあまぁ……ていうか飲ませる間柄って……」
「噛みついてしまえば終わりのように思われるかもしれませんが、暴れられるととても飲みづらい。コップに注いだ飲み物を口に運ぼうとしている時にコップが大暴れするようなモノですからね。」
 ははぁ……血を吸われる側としちゃ全力で抵抗するわけだけど、それが吸血鬼にとっては――むしろ暴れるコップ程度の認識になっちゃうのか。それもそれですごいな……
「そこで大昔の吸血鬼は自身の口――いえ、唇に魔法をかけたのです。」
「唇に魔法? なんだかロマンチックだな……」
「そんな事はありませんよ。彼らが自分の唇にかけたのは催淫の魔法ですから。」
「さ、催淫!? って、なんかこう――え、えっちな気分にさせる的なあれですか!?」
「ええ、それです。まず、その唇に触れたい、触れられたい……そういうような欲求を相手に起こさせ、自ら首をさらけ出すようにします。そして噛みついた後も、唇を通して相手に催淫をかけ続け、血を吸われる事に対して快楽……それと性的な興奮を感じるようにするのです。」
「性的な――な、なんでそんな事を……おとなしくさせるだけなら快楽だけで十分じゃぁ……というか動かないように眠らせるとかの方が良かったんじゃ……」
「快楽でも性欲でも、生き物は興奮すると鼓動が早まります。そうなるとより勢いよく血が流れますからね。吸血鬼としては血を吸う手間がさらに省けるわけですから、一石二鳥なのですよ。」
「な、なるほど……」
「そしてこの催淫の魔法は、長い年月を経る事で吸血鬼の基本的な能力の一つにまで昇華しました。今ではすべての吸血鬼の唇にその魔法が生まれつきかかっている状態となっているのです。勿論、加減は可能ですが。」
 血を吸う……いや、吸いやすくするために唇がそんな事になっているとは。んまぁでも昔のおとぎ話とか古い文献に出て来る吸血鬼の絵って、大抵美女やら美男子に噛みつく色っぽいのが多いもんなぁ。
「……」
「ふふふ、そんなに唇を見つめられるとその気になってしまいますよ、ロイド様。」
「あ、いや……つい……ミラちゃんはその……魔法を切ってるの?」
「ええ。ワタクシがこれを全開にしてしまうと、種族、年齢、性別の区別なく周囲の生き物すべてが骨抜きになりますから。」
「……さ、さすが……」
「…………ねぇ、カーミラ。今その話をしたって事は……ま、まさか……ロイドに起きてる変化っていうのは……」
「え……えぇ!?」
「ふふふ、お察しの通りです。」
「オ、オレの口にそんな魔法が!?」
「はい。ただ、そうはいっても極めて微量と言いますか、弱いモノですからやたらめったらに催淫はしません。仮に催淫したとしても、程度のゆるい催淫でしょう。」
「ゆるくても催淫ですよね!? え、えぇ!? やたらめったらじゃないって事は――ぎゃ、逆にどんな時に効果が発動しちゃうんですか!?」
 まさかの事態にあたふたしていると、ふとミラちゃんがしゅんとした。
「……ロイド様、時々敬語になられますが、他人行儀のようでワタクシは悲しいです。」
「え、あ、ごめん……なんかクセなんです――だよ。こう……焦ると。」
「……どなたに対してもそうだと?」
「うん……」
「それは良かったです。ああ、催淫の話でしたね。ロイド様の唇の魔法は、どうやったら発動するかというよりは、どのような相手が影響を受けてしまうかという点で話すべきでしょう。あまりに小さな力なのでロイド様自身で制御はできないでしょうから。」
「制御できない!? それはとんでもない事なんじゃ……い、いや相手に気をつければいいのか。それでどんな相手が?」
「ある程度ロイド様に好意を抱いている者、ですね。言い換えますと、ロイド様をある一定以上異性として意識した女性はロイド様の唇に興味を持つ事となりますね。」
「な、なんと……」
「もっと言いますと、ロイド様を好きになるとキスしたいしされたいという欲求が……ほんの少しですが強くなるでしょう。」
「えぇ!?」
 ま、まさかリリーちゃんから始まったみんなのキ、キス攻撃はそういう理由が――!?
「ロイド……あんた、ただの色魔じゃない……」
「色魔言わないでください!」
「あ、敬語ですね。」
 ふふふと嬉しそうに――楽しそうに笑うミラちゃんは、ふと話題を変える。
「そういえばロイド様、あの封筒はお持ちですか?」
「封筒? あ、そうか、それがあったんだった……」
 壁にかけてある制服のポケットから黒い封筒を取り出し、それをミラちゃんに渡した。
「『開けるな』って書いてあったから開けなかったんだけど……これはどういう意味が?」
「ふふふ。ちょっとした本人確認のようなモノです。封筒の表に書いてある『開けるな』という文字、これは特殊なインクで書かれていましてね。ロイド様にしか見えないのですよ。」
「それでか。なんか先生は中を見たっぽかったからどういう事だろうって思ったんだよ。でもなんでこんな……なんというか、回りくどいようなモノを……」
「ふふふ。本人確認と同時に、これにはある魔法がかかっているのです。」
 そう言うとミラちゃんは指で黒い封筒をピンとはじいた。するとその封筒はぐにゃりと形を変え、気づくと真っ黒な指輪が二つ出来上がっていた。
「どうぞ。こちらはワタクシからロイド様へのプレゼントです。」
「? えぇっと……?」
「受け取った者が特殊なインクで書かれた字を読む、ワタクシが来るまで開かない、と言った多くのルールを条件にする事で、その指輪にはある魔法がかかりました。」
「魔法?」
「いつでもどこでも、ロイド様はその指輪に念じるだけでスピエルドルフの近くにワープできる――という魔法です。」
「え、すごい。」
「その上、元々いた場所を記憶しますので帰りも便利です。」
「おお。」
「そしてもう一つはワタクシの。こちらはいつでもどこでも、ワタクシが念じるだけでロイド様の近くにワープできる魔法がかかっております。」
「へぇ……――えぇ!? ちょ、それはど、どういう――」
「ええ、わかっております。大変申し訳ないのですが、夜の魔法だけは如何なる魔法でも超える事ができませんので、大抵国内にいるワタクシの近くには移動する事ができず……首都に一番近い検問までしか……」
「そ、そっちじゃなくて……こ、この指輪の目的といいますか……」
「? 勿論、ワタクシとロイド様の遠距離恋愛用です。」
「んなっ!?」
「ふふふ。次の休日にでもスピエルドルフに遊びに来てください。ああ、いえ、別にいつ来ていただいてもワタクシは構いませんが。」
「いや、えぇっと……う、うん……」
「もちろん、エリルさんたちもご一緒にどうぞ。ロイド様が許可すれば指輪の力は他の方の移動も可能としますから。」
「……やる気満々ってわけね。」
「ふふふ。こちらとしては横取りされたようなモノなのですが――いえ、記憶を失っていたのは何の影響であれ事実。一から正々堂々と勝負させていただきます。まぁ、ワタクシとロイド様であれば、すぐに昔のように戻ると思いますが。」
「……そ。」
 な、なんて気まずい……!!
「さて、ワタクシはともかく、明日も授業のあるお二人を起こしておくのは申し訳ありませんから、今日はこの辺で。明日の夜に帰ろうかと思いますので、またその時に。」
「随分あっさり帰るのね……意外だわ。」
「ふふふ。愛する方を寝不足にするのは休日前だけにしておきませんとね。」



「無理言って悪いな、こんな時間に。」
 夜更かししてる奴を除けば、学院にいるほとんどが眠ってるこの時間。私はついこの前まで熱気があふれてた闘技場に来ていた。
 勿論、一人で闘技はできないわけで、私と対してる相手がいる。
『いえいえ。私たちにとっては今の時間が活動時間ですから。むしろそちらが無理をしているのでは?』
 スピエルドルフの女王様の護衛として同行して来たローブ連中は五人。その内二人はサードニクスの昔なじみってのと女王様の友人って立場で来てるらしい。よって本当の護衛は三人で……私の前にいるこいつはその一人。
「しかし頼んでおいてなんだが、、護衛する奴が護衛対象から離れていいのか?」
『姫様の許可はいただいておりますし、残りの面々がきちんとついておりますし……そもそも、この時間の姫様には護衛など必用ありません。』
「そっか。なら心置きなくやれる。」
 私は羽織っていた上着を脱いで遠くに放り、槍を構える。
『見慣れた格好です。トーナメント戦の際はいつもその服ですよね?』
 強いっつってもまだまだひよっこの生徒相手なら、先生になれた時に買ったあの服で十分なんだが、今回はそうもいかない。私はガチでやる時の格好――スポーツウェアにシューズをはいたアスリートちっくな服装だ。
 対して……目の前の魔人族は愉快な容姿だった。フードの下の素顔には驚いたが、ローブをとってみるとそれ以上の驚きがあった。
 簡単に言えば水。水の塊が一応の人のシルエットを保ってる――そんな感じだ。でもって……あれはどこの国の軍服だったか。見た事あるような無いような……仰々しいハッタリの効いた軍服を身にまとっている。
『あのルビル・アドニスとの手合せ。きっとよい経験となり、私を更に強くしてくれることでしょう。』
「……そういやあんたの名前を聞いてなかったな。」
『これは失礼。私はフルトブラント・アンダイン。スピエルドルフのレギオンの一つを任されています。』
「……聞きなれない言葉ばっかだな。あぁっと? アンダイン家のフルトブラントってとこはわかったが……レギオンってのは?」
『この国で言うところの国王軍のようなものですね。全部で三つのチームがあり、私はその一つのリーダーというわけです。』
「三つ……ん? 女王の護衛で来てる三人のうちの一人があんたなわけだから……まさか残り二人もレギオンのリーダーなのか?」
『普段はレギオンマスターと呼ばれていますが……ええ、その通りです。』
「おいおい大丈夫なのか? リーダーって事は一番強いって事だろ? 国の最高戦力が全部こっちに来てちゃまずいだろ。」
『我が国における最高戦力は王族――ヴラディスラウス家の方々です。先代国王も女王もいらっしゃいますから問題ありません。』
 ああ……くそ、なんか感覚が違うから変だな。
 うち――いや、人間の世界の王はイコール最強じゃない。王族が政治を専門にしてくれる代わりに、私たち騎士が戦闘を専門にしてる。だけどスピエルドルフじゃ王族こそが最強。護衛で来てるこいつらも、吸血鬼よりは太陽の光の影響が小さい分、日中の護衛って立ち位置なんだろう。
 というか、あの女王はこいつらよりも太陽の光に強いっぽいから、いよいよ護衛がいらなくなるな……
「んま、大丈夫ならいいけどよ。ぼちぼち始めるか。」
『ええ。』
 ……いざ構えて見ると面白い。相手の動きを先読みするにあたって、目の動きや脚への力の入れ方ってのをさらっと確認するんだが……こいつにはそういうのが無い。目ん玉も筋肉もない相手の行動を予測するのは難しい。
『ではこちらから。』
 てっきり私が攻撃してくるのを待つタイプだと思ってたんだが、意外とイケイケタイプなのかもしれない。ひねりもなしに真っすぐに突っ込んで来る。しかもちゃんと脚を動かして走ってる。
「ふっ!」
 この水人間がどういう動きをする奴なのかさっぱりな以上、うかつな攻撃はできないんだが――嬉しい事にこれは手合せであって殺し合いじゃない。
 ならば、決定的なミスの一つや二つ、せっかくなんだから経験するべきだ。そう思って何も考えずに電気をまとった槍をそのまま突き出すと――
『はっ!』
 案の定というかなんというか、槍はなんの抵抗もなくフルトブラントの胸に突き刺さり、そのまま背中へと抜けた。そしておそらく、人間なら即死のその状態が一切ダメージになっていないのだろう、フルトブラントは気にする事なく私に近づき、パンチを一発打ってきた。
「うおっ!?」
 腹に決まったはずなのに全身に走る衝撃。思わず「うおっ」とか言っちゃうくらいに変な感覚を受けた私は、情けない事にその一発で膝が折れた。
「まじか。力が入らない……これは一体……」
 驚く私の目の前、フルトブラントはパンチ後の体勢のまま……たぶんビックリしてるんだろう、気の抜けた声で呟いた。
『……さすがと言いますか……完全に手合せと割り切っているのですね。だから攻撃もとりあえず喰らってみるという姿勢……さっぱりしていますね。相手が相手なので結構本気で打ち込みましたからすぐには立てないでしょう。』
「魔法……いや、なんかなるべくしてなってる物理的なダメージだな。水と衝撃……そうか、生き物の身体は半分以上水だもんな。それを媒介にして衝撃を全身に走らせたわけか。」
 私は深く息を吸い、全身に電流を流した。パンチ一発分の衝撃が全身に拡散しただけなのだから、別にダメージを負って力が入らないわけじゃない。一時的に動作不良になってるだけ……なら、電気でシャキッと目覚めてもらえばいい。
「うし、続けようか。」
『おお……そういう使い方もあるのですね。』
「なんだ、好物とか言っといて。」
『私には今のアドニスさんのような経験はありませんからね……』
「皮肉な奴め。というか、あんたも電気使いなのか?」
『ええ。このような姿ではありますが、私の得意な系統はアドニスさんと同じ、第二系統の雷ですから。』
「……さっきから外見と違うことばっかりだ。」


 雷をまとった女教師と雷をまとった水人間が雷光を走らせて雷鳴を轟かせる闘技場、その観客席に座る二つの人影があった。
「あの格好がアドニス先生の勝負服というのは理解しておるが、改めて見ると生徒の前ではあまり披露せん方が良いのう……少しばかりセクシーじゃ。」
 一つは老人。長いひげをいじりながら眼下で戦う新任女教師を難しい顔で見つめている。
「うちも若い奴を育てるにあたり、若い故に求めがちの欲求諸々の対処に頭を悩ませる事が多い。特に魔人族はそれぞれの種族によって欲を掻き立てるモノが異なるからな。」
 一つは――非常に表現しにくい者。水人間と同様の表現をするのなら、蛇人間と言ったところだろうか。
 前方に突き出た頭部、その左右につく赤い眼、上下二本ずつある一際鋭い歯。時折のぞかせる二股にわかれた長い舌。顔を覆う黒い鱗は首から先、仰々しい軍服の中まで続いており、長い袖と靴によって隠れている両手両脚を含めて全身に続いていると思われる。
 手足があるところから立ち上がったトカゲのようにも見えるのだが、しかしその眼は老人の横に座って眼下の戦闘を眺める事数分、一度も閉じられていない。
「して、話とはなんじゃろうかの? あいにく、スピエルドルフのレギオンマスターの相手ができるほど若くないんじゃが。」
「謙遜を。身体能力では天地の差があろうが、そこに魔法が加わればよい勝負となるだろう。」
 口調的には軽く笑っているのだが顔がそれを連想させない蛇人間は、軍服のポケットから一枚の紙を取り出した。
「内容としてはこちらのミス。それにより、そちらに何かしらの被害が及ぶかもしれん。」
「写真……とは少し違うか。記憶の念写と言ったところじゃな。」
「さすがだな。先日のランク戦でロイド様を見つけた我が国の者の記憶を写したモノだ。」
 蛇人間が渡した紙には、今二人が座っている観客席に一人の男が座っている光景が映っていた。
「この者が何か?」
「……我々は長いことロイド様を探していてな。故にとうとう見つけたその時、我が国の者は興奮して……ついその場で魔法を使ってこちらに連絡を入れてしまった。」
「む? 朗報は早く伝えて欲しいのではないのか?」
「勿論。だが、もう少し人目のないところでするべきだった。興奮のあまり、バレないように消していた魔人族としての気配を放ってしまうのならな。」
「なるほど……するとこの念写に写っている者は、ロイドくんを見た魔人族が何やら興奮してどこかに連絡を入れた、という事に気づいたと。」
「そうだ。そして……その念写ではわからないだろうが、その時の記憶を覗いてみたところ、念写に写るその男からはあまり良くない気配を感じた。」
「……いや、この念写でもわかるぞ。丁度よいいたずら道具を見つけたような顔じゃからな……」
「ほう。やはり同族だと表情の意味するところも見て取れるわけか。そなたに見せてよかった。」
「……儂らの中で魔人族とのつながりを持つ者はごくわずかじゃ。そのつながりを利用しようと悪巧みする者がいるとしたら、ロイドくんは少々危険かもしれんの。」
「そちらもそうだが、どちらかと言うと姫様が心配だ。姫様が心から愛しておられるロイド様に何かあればお心を痛めるに違いない。そして――それを行った者を決して許さないだろう。怒り、そのお力を全開させた姫様を止められる者は存在しない……」
「うむ……そちらの国にも人間の社会にも大きな影響を与えかねんわけじゃな。」
「ああ。だから……こちらの落ち度で申し訳ないが、注意しておいて欲しい。」
「心得た。儂も生徒を危険な目には合わせたくないからの。」
 話したい事を話終え、二人は視線を下に落とす。
「……しかしフルトと互角か……さすがのルビル・アドニスだな。今の《フェブラリ》に負けているのも、年一回という形式故である事は明らかだ。週一でチャンスが巡るのなら初戦は負けても次の週には確実に勝利できる。そこのところ、人間たちは理解できていないわけではないのだろう?」
「周知の事実じゃ。しかしアドニス先生自身が認めん。《フェブラリ》の全力を破ってこそであるとな。」
「効率の良くない事だ。だが……嫌いではない。フルトを通して我々スピエルドルフとも接点を持ったのだ、十二騎士就任の暁には我が国に招くとしよう。」
「それは彼女も喜ぶじゃろう。ところで話は変わるのじゃが……」
「うん?」
「ここにそなたがいて、下に彼がいるという事じゃが……女王様の護衛は良いのか?」
 老人の質問に、相変わらず表情がわかりづらいがおそらく笑ってこう言った。
「情けない話だが……今の時間、護衛されるのはこちらの方だ。」



 別に言わなくてもいい――っていうか言わない方がいいんだけどそれに気づいてないすっとぼけロイドは次の日の朝の鍛錬の前に、昨日の夜にカーミラから聞いた事をみんなに話した。
「告白すると同時にキスをするとは、我ながら大胆なモノだと思っていたがそういう事であれば仕方がないな! うむ。」
「ふん、そんなんなくたってボクはチューしたもんねー。」
「そ、そっか……そうだったんだね……」
「なんかやらしーねー、うふふ。」
 騎士的には右目が規格外の魔眼っていう事が重大のような気がするんだけど……そりゃまぁこのメンツだったらそっちよね……
「だからたぶん……その、み、みんなに少なからず影響を与えてあんな――こ、ことになったんだと思う……思います、はい……」
 ロイドにしたら、あたしたちにキ、キスを……強要したみたいな気持ちかもしれないけど……あたしたち――そう、あたしもちょっとそう思ったからあたしも含めるけど――あたしたちからすると意味合いが違う。
「どうせロイドくんの事だから、わたしたちに悪いと思っているのだろうが……やれやれ、あえて言わせてもらうがわたしたちにとってはとても都合の良い情報だぞ?」
「えぇ? ど、どの辺が?」
「あははー。ホントにロイドは鈍いんだねー。」
 そう言ったアンジュはふと口に指をあてて見事な棒読みをした。
「あー、なんかあたし、ロイドとチューしたくなっちゃったなー。あー、でもこれは吸血鬼の魔法のせいなんだよねー。しょーがないよねー。」
「??? えぇっと……?」
「だからねー。吸血鬼の魔法のせいにして、あたしたちはロイドにチューを迫れるようになったってことだよー。今までよりもずっとお手軽にねー。」
「……あ、は、へ? うぇえぇっ!?」
 ビックリして後ろに一歩下がるロイド。それを見てすかさず攻撃を仕掛けたのはリリー。
「あ、ボクってばロイくんの顔みたらチューしたくなっちゃった。ねぇ、ロイくん、とりあえず朝のチューしよう?」
「な、なに言ってんのリリーちゃん!?」
「だぁってしょうがないでしょー? 魔法のせいなんだもん。ロイくんは責任とらなきゃ。」
 ニンマリするリリーを見て、自分がどういう事を言ってどういう状況を作っちゃったのかを理解したロイドは顔を真っ赤にした。
「あ、それはそうとロイドくん。」
「それはそうと!? いやいやちょっと待ってください!」
「ランク戦での約束は覚えているかな?」
「おぼ――えぇ、ここで追い打ちですか!? ちょ、この話の流れでデ、デートの話はあのその……」

「む、お邪魔だったかな。」

 ワタワタするロイドをいじってると、男の声がした。
「! あんたなんでここに……」
「ロイドに呼ばれてな。ちなみに女子寮の寮長さんの許可は事前にもらっておいた。」
 女子寮の庭に立つ二人目の男子――カラードは、そのままランニングにでも行きそうな格好で許可証みたいなぺら紙をひらひらさせた。
「ほお、許可が出たのか。それはすごいな。」
「まー、カラードってロイドとは違う方向に人畜無害だもんねー。」
「そうでもない。おれはこれをつけるようにと念押された。」
 そう言いながらカラードが指差したのは首についてる首輪みたいなモノ。あたしにはおしゃれアイテムか何かにしか見えなかったんだけど、一人だけ――リリーが目を丸くした。
「え、そんなモノつけられちゃったの!?」
「リ、リリーちゃん、これが何か……知ってるの……?」
「色んな呼ばれ方するけど、簡単に言うと呪いの首輪だよ。」
「呪い!? えぇ、カラード大丈夫なのか!?」
「問題ない。ただ単に――これをつけていると女子寮という建物がこの庭以外知覚できず、そして仮にこの首輪なしで女子寮の敷地に入ったなら全身に激痛が走るらしい――というだけだ。」
「えぇ!? す、すごいなそれ……てか知覚できないって……じゃあ今カラードには――」
「今のおれにはここにあるはずの女子寮が見えず、ただの空き地が見えている。」
「んん? カラードくんには悪いが、それは女子であるわたしたちからすると安心できる話ではある……が、そういう事が出来るのであれば、ロイドくんも何かされていておかしくないはずなのだが……」
「ああ、それはおれも気になってな。ロイドもこの首輪、ないしこれに近いマジックアイテムをつけているのかと寮長さんに聞いたのだが、こんな答えが返って来た。」
 たぶん寮長のまねをしようとしてるんだろうけど、真面目な顔で声を変えたカラードは面白かった。
「大浴場や誰かが着替えている部屋を覗く。女子の私物を持って帰る。大方の男子が思いつく助平な行動を、残念ながら坊やはこっそりできないタイプ。行為が完遂どころか行われる前に発覚してしまうし、自分がそういうタイプだという事を坊やは理解している。故に、起こるとすれば坊や側に一切悪気のない事故くらいだろうから、問題はない――と。」
「そもそも寮長さんなんていたのか。オレ会った事ないぞ……」
「あたしもここに入る時に一回会ったっきりよ……っていうかなんなのよ、あんたの寮長からのその信頼は。」
「さぁ……あ、もしかしてフィリウスの弟子だからーみたいな感じかな。十二騎士の弟子なら大丈夫だろう的な。」
「理由が全然違うでしょ。なんかあんたの事をよく知ってる風なセリフだったけど。」
「えぇ……んまぁ、言われた事は合ってるんだよなぁ……前にフィリウスにも同じような事を言われたから間違いない。」
「ほう。つまりロイドくんは……そういう事に興味はあるが、やったら確実にバレてしまうからやめておこうと我慢している……というわけか?」
「は、はっきり聞かれると恥ずかしいですけど……そ、そんな感じ――」
 そこまで言って、「うぅ」って顔で赤くなってたロイドはふと思いついたみたいに表情を変える。
「そ、そう、そうなんです。寮長さんの言う通りで、し、仕方なく我慢してるだけで、オレも助平な男子なのです! だから何回も言ってますけど、く、くっつかれたりとか、何度もキキキ、キスされたりするといつか……こう、ああなりますからね!」
 ロイドのその言葉を聞いて、あたしは昨日の夜の事を思い出す。
 噛みついて血を飲みたくなるような……よ、欲求っていうか衝動にかられたって事とか、ふ、普段のあたしが無防備とか……
 ……確かに、最初の頃よりも――同じ部屋に男の子がいるっていう事を意識しなくなったような気はするけど……
 つ、つまり要するに昨日は……吸血鬼化も原因の一つだろうけど、ロイドが――が、我慢できなくなってあたしを――!!
「……ボクとしては「ああなって」欲しいんだけどねー。それよりも今の話でエリルちゃんが顔を赤くしたのが気になるんだけど。」
「!! な、なによ!」
「さっき話した事以外に……ねぇ、エリルちゃん? ロイくんとなんかあった?」
「べ、別に何もないわよ……」
「……ロイくん?」
「ぶぇ!? べ、別に何も……」
「あははー。二人とも嘘が下手だねー。」
「ふむ……カーミラくんなら何か知っているかもしれないな。」
「そ、そうだね……やっぱり、朝は寝てるのかな……」
「……本当におれはお邪魔なのではないか?」



 きょ、今日はなんか色々あったけど――頼んでみたら快くオッケーをしてくれたカラードを新たな朝の鍛錬メンバーに加え、フィリウス直伝のそれとはスタンスの違う攻めの体術も学ぶ事となった。
 カラードの、ランク戦でオレと戦うまでセイリオスの優秀な生徒相手に魔法無しで勝ち続けたその体術はお父さんから教わったらしいのだが……そんな使い手が騎士としては無名というのだから驚きだ。
「ほい、おはようお前ら。」
 いつもやる気なさそうに入ってくる先生が妙に上機嫌なのはいいのだが、なんか包帯とか絆創膏とかで身体のあっちこっちが隠れているその姿にクラスのみんながビックリした。
「いやー、久しぶりに強い奴と手合せできてな。楽しくてちょっとやり過ぎちまった。」
 あははと笑う先生は、出席簿を机の上に置いて上機嫌のまま話を始める。
「さてお前ら。ランク戦が終わり、ランクごとの授業も始まり、セイリオスでの学生生活が本番を迎えたわけなんだが……実はもう一つ本番を迎えるモノがある。別の言い方をすると、この時期になってようやく、お前ら一年生が関わる事を許可されるモノだな。」
 んん? なんかあったっけか……
「ずばり、委員会と部活だ。」
 委員会と部活……ああそうだ、そういえばオレたちデルフさんに生徒会に誘われているんだった。ちゃんと返事をしないとな……
「他の先生に聞いてみたところ、学院生の九割以上がどっちかに所属してるみたいだ。んま、それもそのはずで……どっちに入っても騎士としての将来に大きなプラスとなる。」
 そう言って先生は黒板にカツカツと、部活と委員会について説明しながら要点をまとめ始めた。

 まずは委員会。簡単に言うと、学院での生活や授業の手助けを行う人たち。例えば図書委員会は学院にある図書館の管理を、飼育委員会は授業で実際に触れてみる為の魔法生物の飼育を任される事になる。
 ここまでなら普通の学校の委員会とそれほど変わらないけれど、騎士の学校であるセイリオスの委員会にはもう一つ活動が加わる。それが研究だ。
 図書委員会なら、名門故に珍しいモノもそろっている図書館の本を利用して新しい魔法や武器、武術の研究を行う。しかも、研究目的っていう――これまた先生の言葉を借りるとお題目があるからか、一般の生徒は閲覧禁止となっている本も読むことが出来たりする。
 飼育委員会なら、野生のモノも含めて魔法生物の研究を行う。生態や使用してくる魔法の種類は勿論、使役する方法なんかも研究するらしい。
 しかもさすが名門と言うべきか、どの委員会もレベルの高い研究をしているらしく、外部の研究機関と合同で何かをするなんてことは珍しくないらしい。そんな事もあって、例えば図書委員会なら、卒業後は是非うちの研究所に来て下さい――みたいに引く手数多という状態になるとか。
 そのまま研究者になるも良し、魔法を主体とする騎士としてや魔法生物を使役できる騎士として国王軍や騎士団に入るも良し。どちらにせよ、セイリオスの委員会を出ているという肩書は影響力が大きいようだ。
 自分の進みたい道――騎士としてありたい姿が既に決まっている人にとっては良い事だらけの委員会なわけだけど、さすがに誰でもウェルカムというわけではなく……どの委員会にも入会試験というモノがあるとか。

 ……フィリウスの推薦で入ったオレに実感はないけれど、セイリオスへの入学自体が難関だというのにまだ試験があるのだからため息ものだ。

 次に部活。これは……要するに『ビックリ箱騎士団』だと言われた。
 普通にスポーツを楽しんでいる場合もあるけど、基本的にセイリオスで言う部活というのは、すなわち騎士団の事を意味する。一定の人数がそろい、顧問となる人物がおり、そして学院にその活動目的が認められたなら誰でも部活を立ち上げる事が出来る。
 魔法の練習をする部、体術を極める部、ひたすらに模擬戦をする部……という風にその部の方針はそれぞれだけど、どの部活にもきちんとした活動場所が与えられるから、授業以外で何かに集中して打ち込める時間を得る事ができるというわけだ。
 しかも、騎士団を意味するという言葉通り、すべての部活にはセイリオス学院という名前を借りて一騎士団としての活動が認められている。勿論、任務を受ける際には学院側の許可が必要となり、学院生には荷が重い高難易度の任務が認められる事はないけど、それ以外は一般の騎士団と同等の扱い。一足早く実戦を経験したいなら部活はオススメというわけだ。
 こちらも委員会と同じように評判は高く、外部の騎士団――時には国王軍と一緒に何かをするなんて事も場合によってはあるとか。

 試験があるせいか、なんとなく部活よりも委員会の方が上――試験に落ちたから仕方なく部活をしているという人も中にはいる。だけどこの二つは少し活動目的が違うところもあるから、生徒がそれぞれに合った方に所属して欲しい――というのが先生の話だった。

「つーことでサードニクス。たぶん、お前の『ビックリ箱騎士団』も部活としての申請を出せとかなんとか言われると思うぞ。」
「は、はぁ。」
「んじゃ私はこれで。今日から魔法学も本気になるから頑張れよー。」
 出席簿にパパパーっとチェックをつけて、先生は教室から去って行った。
「……えぇ? エリル、魔法学が本気ってなんだ?」
「確か……今まで一つの魔法学ってくくりだったのが系統別に分かれるのよ。」
「えぇ!? 一気に十二個に増えるって事か!?」
「そうなるわね。セイリオスは自分の得意な系統を伸ばすっていう方針らしいけど、他の系統を何も知らないんじゃ困るっていう考えみたいよ。」
「なんだ、方針って。」
「得意な系統を伸ばすタイプと、どの系統もできるようにするタイプ。学校によってどっちの方針で授業するか違うってことよ。」
「えぇ? それなら……第十二系統以外を極めちゃった学院長が学院長なんだから、セイリオスはどの系統もできるようにって方じゃないのか?」
「学院長は例外なんじゃないの?」
「そっか……第四系統の授業の時はよろしくな。……んまぁ、結局全部で「よろしくな」なんだけど……」
「第八系統の時くらい頑張りなさいよ……て、ていうかその時はあたしがあんたを頼るし。」
「えぇ?」
「えぇ? じゃないわよ、《オウガスト》の弟子。」
 嫌いってわけじゃないけどこれまで全くやってこなかったせいか、風を回す以外の事はなんとなく抵抗感があるんだよなぁ……



「くそっ、くそっ!」
 田舎者の青年が新学期から始まる授業に辟易としている頃、フェルブランドの首都であるラパンから少し離れた場所に位置する、首都と同等の賑わいを見せる街に建つ豪華な屋敷の一室。昨日殴られた頬を抑えながら一人の男が壁を蹴っていた。
「一体どうなっているんだ! 王族とつながりを持つ事で我が家は更なる発展を、クォーツは面倒な末妹を体裁よく処理できる――そういう話ではなかったのか!」
「い、いえ、特にそういう約束を交わしたわけでは――」
「交わしていなくともそうする事が最善である事は明らかであろうに! クォーツもいい加減腐ったと見える!」
「ぼ、ぼっちゃま、滅多な事を――」
「やかましい! そもそも大公の血族という事で一本ずれているというのに、何を大事にしているのやら! これはお父様に動いて頂かなくては――おい、お父様はまだ書斎か!」
 屋敷の一室――男の自室にて長々と愚痴を聞かせていた世話係の老人に今日何度目とも知れない怒鳴り声をぶつけたのだが、急に返事がなくなった。
「おい――あ?」
 振り返った先、老人がほんの数秒前までいたその場所には誰もいなかった。扉の傍であるから出て行ったとも考えられるが、あの老人が主人がしゃべっている最中にいなくなるような者ではない事を少なくとも認めている男にとっては理解できない状況だった。
「おい、じいはどこに行った!」
 扉を開け、廊下に向かって声を響かせる。いつもなら誰かがどこかの部屋から顔を出して男の要望に応えるのだが、奇妙な事に誰も出てこない。
 その代わり――

「ピエール・ムイレーフだな。」

 恐ろしい事に、さっきまで老人と二人きりだった自分の部屋からその声は聞こえた。反射的に振り返ると、これと言った特徴のないオールバックでメガネをかけた男が壁に寄りかかっていた。
「!! だ、誰だ貴様! どうやってここに――」
「あの状況、もしかしたらと思って来てみたが案の定だったな。質のいい鉄を見つけた刀鍛冶の気分だ。」
「お――おい、誰か! 侵入者だ! 誰か来い!!」
「彼は中々に好青年でな。苦手とか嫌いとか思っている者はいてもその上の段階……恨みとか憎しみを持つ者がさっぱり見つからなかったんだが――ようやく見つける事ができた。個人的には少し弱いが、補強すれば問題ないだろう。」
「だ、誰も――誰もいないのか! どうなっている!」
「ああ、そういえば言っていなかったな。今この屋敷の中で生きているのはお前だけだ。」
 メガネの男の言葉を無視して屋敷の者を呼び続けていた男は、その言葉でようやくメガネの男に視線を向けた。
「――なん、だと……」
「言い方を変えると、お前以外、全員死んだ。ちなみに屋敷の外にいた連中はどっちか微妙だ。」
「全員死――貴様! お、お父様を!?」
「お父様? どれの事かわからないが、この屋敷の中にいたのなら死んでいる。」
「な……で、デタラメを! 七大貴族のムイレーフ家がそんな簡単に――」
「ああ……そういえばそうだったか。すると今日からは六代貴族だな。」
「――!! き、貴様、何が目的だ!! お父様を殺し――次は私か!? いや、こうして殺していないところからすると私を利用する気か!」
「お前に用はない。お前の中にある感情に用が――」

「おおおおおおおっ!!」

 メガネの男が淡々と語る途中、突如扉から巨大な剣が伸びてきた。それはメガネの男を貫かんとしたが、ひょいと横に移動したメガネの男に届くことは無く、そのまま壁に突き刺さった。
「ピエール様! ご無事ですか!」
「お――お前か! 遅いではないか! 一体どうなっているのだ!」
 剣の後に部屋に入ってきたのは大柄な男。先日セイリオス学院に男の護衛として同行した騎士だった。
「申し訳ありません! 屋敷の外にいた警備の騎士全員に幻術がかけられまして……それを破って屋敷に入ると誰もおらず、唯一ここからピエール様の声が……おい貴様! 屋敷の中にいた者をどこにやった!」
「! ど、どういう事だ? こ、こいつは屋敷の人間を全員殺したと――」
「な――答えろ! 一体何をした!」
 壁に刺さっていたはずの剣がいつの間にか大柄な男の手の中にあるのを興味なさげに見つめた後、メガネの男は軽くため息をついた。
「そこそこいい夢を見させたはずだが……お前のようなタイプに広域幻術は効果が薄かったか。やはり目を見ての直接幻術でないといけないな。やれやれ、ストックが減るから戦いたくはないのだが……」
「質問に答える気はないようだな……ならば一先ず拘束させてもらう! 話はそれからゆっくり聞く!」
「どちらにせよ、手遅れだがな。」
 メガネの男の言葉が終わるや否や、大柄な男はその体躯に似合わない素早い動きを見せ、メガネの男を自身の間合いに入れた。
「んん?」
 メガネの男は何かに気づき、大柄な男に押されるようにして部屋の窓から外に出た。屋敷の最上階――四階の高さからのジャンプだが、メガネの男はきれいに受け身をとって着地する。
「ピエール様はここに!」
 メガネの男を追って大柄な男も飛び降りる。斯くして、屋敷の庭に騎士と侵入者の一騎打ちの場が出来上がった。
「……目をつぶって攻撃とは、妙な趣味もあったものだな。」
「幻術使い相手に目を開いて戦う騎士などいない!」
「結果は変わらないのだから、せめていい夢で朽ちればいいものを。こっちはストックが減る上にそっちは苦痛が伴う――双方にルーズルーズなんだがな。」
「ストック……遠距離武器の残弾か、それともマナや魔力の事か……いずれにせよ、勝った気でいるのは早計だ!」
 目をつぶったまま、しかし目を開いているかのように。ひらりひらりと交わすメガネの男を追う大柄な男の剣は、確実に敵をとらえていた。
「しかし、騎士というのは正義なのだろう? ストックを消費するというのは無関係のモノを巻き込む行為なのだが?」
 メガネの男のその言葉に、大柄な男は剣を止めた。
「……幻術は第六系統の闇魔法の分野……その特性は……まさか貴様、ストックというのは……!」
「何を驚いている。そちらが正義ならばこちらは悪――いや、そちらが正義でなくとも自分は悪だ。禁忌とされているそれを行うのは当然の事。」
「――! 外道め!」
「何を今さら。それに仕方がないだろう。自分はあくまで幻術使い。武器は使えないし、攻撃系の魔法といったらさっきやった召喚魔法くらい。お前のような近接タイプとこの距離で遭遇してしまったなら、できる事はそれしかない。」
 ポキポキと指と首を鳴らしたメガネの男は大柄な男の制止をよそに呟いた。

「『デビルブースト』。」



夏休み明けからが本番というのは何度も聞いていたけど、魔法学に限らず、まるで違う学校に来ちゃったかなと思うほどに全部がガラリと変わった――いや、正しくはレベルが上がった授業のオンパレードにオレは「うへぇ」という顔をし、そんなこんなで本日の授業は終了した。
 夏休みの頃よりは日が沈むのが早くなって夕暮れに染まる学院内を、新しくもらった教科書とか小物を山盛りにしてオレたちは寮に向かって歩く。
「ふぅん、そういう事だったんだね。」
 一人、位置魔法でちょちょいと荷物を瞬間移動させて手ぶらなリリーちゃんは――えぇっと、確か『ポケットマーケット』だったかな? 愛用の手帳とにらめっこしていた。
「どうしたの、リリーちゃん。」
「うん……そろそろボクのお店――購買を開店しようと思って何を入荷すればいいかなって、最近ずっとこれを見てたんだけどね。授業で使った事ないモノばっかり書いてあるからどういう事なんだろーって思ってたんだけど……今日の話聞いてやっと納得したの。確かにこれからの授業には必要そうだなーって。」
 エリルが基本的にムスッとしているなら、リリーちゃんは基本的にニコニコしている。そんなリリーちゃんが真面目な顔で手帳をのぞいていると、やはり商人なんだなぁと思う。
「そういえば……えぇっと、リリーちゃんが例の……あの、そ、組織的なのを抜けてから……えっと、生活するために商人やってたっていうのは理解したけど……今はそんなに頑張って商売しなくてもいいんじゃ……?」
 オブラートに包み損ねた変な質問に対し、リリーちゃんはニコッと笑う。
「昔ならそうだけど、今のボクには夢があるんだよ。」
「夢?」
「田舎とも都会とも言えないちょうどいい感じの町に白いお家を建ててね、いぬとねこを一匹ずつと男の子と女の子と、それとロイくんで幸せな結婚生活を送るの。」
「!! そ、そうなんだ……」
「ロイくんはねー、どこかの王族とかどこかの貴族とかどこかの名門騎士の家みたいに豪華な感じよりもこぢんまりとしたお家がいいと思うの。ねー?」
「ど、どうかな……」
「きっとそうだよ。でもそれでもお家は高い買い物だからね。その為の資金集めが今の商売の目的かな。サードニクス商店もやりたいし。」
「う、うん……」
 リリーちゃんのキラキラの、そして他のみんなのジトッとした視線を受けて「うぅ」となるオレは、女子寮の前にちょっとした人だかりを見つけた。
「……なんか前にもあったような光景が……またフィリウスが来たのかな……」
「え、フィルさんてばまた裸になっちゃったのかな。」
「そういえばそんな事あったねー。ロイドの師匠もマナ吸収の為に露出多めなのかなー。」
「ロイドくんには悪いがそれは勘弁だな。」
「いや、オレだって勘弁だ……」
 フィリウスでない事を祈りながら近づくと、短髪頭とデカい剣の柄が見えてきて――
「んお、遅いな大将。」
 フィリウスがいた。ただし、今回は服を着ている。
「何やってんだフィ――」

「こんばんは、ロイドくん。」

 フィリウスの横、寮の入口前で仁王立ちしているのは――
「お姉ちゃん!?」
「はい、お姉ちゃんですよー。」
 エリルのお姉さん、カメリアさんだった。


「大将から手紙もらったから連中が起きるだろう時間に合わせて学院の方に歩いてたんだ。そしたら後ろから来たクォーツ家の馬車に引きずり込まれてな……気づいたらカメリア様の護衛にされたってわけだ。」
 いつもの流れならオレとエリルの部屋に行って話を聞く――みたいな感じなんだが、例え十二騎士でも女子寮には入れないという事で学院長の部屋がある建物の……客室? 的な部屋に移動した。
「ロイドくんが呼んでなくても、いずれはこうして話の場を設けるつもりだったから丁度よかったわ。」
「? なんで俺様を。」
「ご両親が他界され、唯一の家族は妹さんだけ。と来ればロイドくんの保護者はあなたという事になるわ。エリーとロイドくんが結ばれた暁には、私とあなたは王族と十二騎士以外のつながりを持つの。そういうつもりの顔合わせをするのは当然だわ。」
「おお、そうなるのか。困ったな、結婚式に出られるような服を持ってないぞ。おい大将、服。」
「いや、んな破れたところ縫ってくれって時と同じような流れでオレにふるな。」
「! あらあら、ロイドくんってそういう話し方もするのね。男らしくてそっちもいいわね。」
「あ、いえ……はい……」
 大きなテーブルといくつかのソファーが並ぶその部屋で、『ビックリ箱騎士団』メンバーとフィリウスとカメリアさんが顔を合わせる。でもってそうなると……
「あらあら、あなたはだぁれ?」
「ん、俺様も初めて見るな。」
 二人の視線がアンジュに移る。
「あたしはアンジュ・カンパニュラ。そうだねー……ここにいるみんなと同じ立場の女の子って言えばいいかなー。」
「あらあら、エリーも大変ね。」
「ほお、大将は底が知れないな。」
「――!! で、お姉ちゃんは何しに来たのよ!」
「何って、妹の恋敵に一国の女王が登場したのでしょう? エリーだけじゃ太刀打ちできないかもと思って来たのよ。彼らは昼夜が逆転してるんでしょ? そろそろ起きるかしら?」
「ちなみに俺様も、大将からスピエルドルフの懐かしい連中がこっち来てるから――んま、記憶の事も含めて会っといた方がいいんじゃないかって手紙をもらったから来た。」
「二人ともカーミラたちに会いに来たってわけね……」
「そうよー。だから――あ、そうだ。ロイドくんはその人たちと仲良しなのよね? ちょっと呼んできてもらえないかしら。」
「へ、あ、はい……そうですね、そろそろ起きる頃でしょうし。呼んできます。」



 ロイドが部屋を出ると、途端にお姉ちゃんの顔がキリッとした。
「エリー。」
「な、なによ……」
「それでロイドくんとはどこまで行ったの?」
「い、今聞くの!?」
「ロイドくんがいたら照れちゃうかと思って。それでどうなの? キスくらいしたのかしら。」
「――! そ、それは……」
 な、なにをどこからしゃべればいいのよ、これ!
「あー、カメリアさん。ここはわたしが。」
「あらあら? それはそれで不思議な事だけど……とりあえず聞きましょうか。」
「ちょ、なんでローゼルが――」
 あたしが止めようとしたら――

「ロイドくんはわたしたち全員からキスとセットの告白を受け、一先ずとりあえず差し当たりエリルくんの恋人となっています。」

 一息でつらつらとあたしたちの現状を伝えた。
「あら……あらあら! 今の一言でとんでもない状況だって事はわかったわ! つまりあれね? エリーから聞き出し――聞いた恋愛マスターの言った日まで恋愛バトルが続くってことね! それで今はエリーが一歩リードってことね! すごいわ、エリー!」
 変なところに変に嬉しそうなお姉ちゃん。対してロイドの保護者としてここに連れてこられたらしいフィリウスさんは首をかしげた。
「んん? 大将の運命の相手が恋愛マスターの言った期日に判明するってだけで、その時に大将とイチャイチャしてた奴とくっつくってわけじゃないぞ? 要するに戦い以前に、どこの誰かはわからないが既に勝者は決まっ――」
「フィルさん、そういう話じゃないんだよ?」
 フィリウスさんの言葉を切るリリー。
「もしかしたらボクじゃない誰かが運命の相手だったとしても、それを打ち破ってロイくんと結ばれる。これはそういう戦いなんだよ。」
「そ、そうか。」
 フィリウスさんが……なんか、ロイドの「えぇ?」って顔に似た表情になる。そんなフィリウスさんを横目に、お姉ちゃんがため息をついた。
「やれやれ、そんなんだからその歳になっても未だに良い人の一人もできずに女遊びに留まっているのね。早いところ《ディセンバ》と結婚しなさい。なんなら大伯父様から勅命を出してもらうけど?」
 なんだか……いつも豪快な十二騎士、《オウガスト》のフィリウスさんがこの場では一番下の扱いだわ……
「でもでも、これだけの良い子可愛い子美人な子ぞろいからエリーを選ぶんだから、ロイドくんはエリーにぞっこんなんじゃないの? ラブラブなの? おはようのキスとかしちゃってるの?」
「してないわよ!」
「あー、でもそうなのね。エリーはロイドくんと結ばれたのね。嬉しいわ。どっちから先に告白したの? まぁ、ロイドくんはロイドくんだからきっとエリーからなんでしょうね。」
「な、なんでお姉ちゃんがロイドの事そんなに……」
「見ればわかるわ、今時珍しいもの。ていうかもしかして、今も戦いが続いてるって事はロイドくんたら、毎日みんなからの攻撃を受けてるわけよね? エリーも負けじと!? あらあらまあまあ! うぶそうなロイドくんは大変ね! ちょっとちょっと、その辺の教育はどうなの、フィリウスさん!」
「酔っぱらわなければ鼻血噴くだけだな。」
「む? それはなんの話だ? ロイドくんが漫画みたいに鼻血を出すのは知っているが、酔っぱらう話は初耳だ。」
「フィルさん! それ詳しく!」
 その場の女の子の圧力に押されてどんどん小さくなってるようにすら見えてきたフィリウスさんには悪いけど……そ、その話はあたしも興味あるわ……



 職員室に寄って先生からみんながいる場所を聞き、そこに向かって歩いていたオレは地下の一室の扉の前に並ぶ三つの人影を見つけた。
『おや。』
 その内の一人がオレに気づき、ペコリと礼をした。地下だから太陽の光はほぼ無いはずだけど、その三人はローブにフード姿。反応から察するにストカやユーリではないから、たぶん護衛の三人だ。部屋の中で寝ているミラちゃんを守っているのだろう。
「えぇっと……あの、オレはロイド・サードニクスって言いまして……」
『存じております。姫様にご用ですか?』
「あ、はい。ミラちゃ――女王様に会いたいという方が来てまして……十二騎士の《オウガスト》とカメリアさん――あー、えっとフェルブランドの王族の人で――」
『そちらも存じております。ただ、あと――そうですね、十分くらいすれば姫様もお目覚めになるかと思いますので、それまでお待ち頂いても?』
「そうですか。わかりました。」
 スピエルドルフは常に夜だから、オレたちみたいに太陽の光で目が覚めるみたいな事がない。だから時間で区切って寝る時と起きる時を決めている。その関係で睡眠時間の長さがキッチリと決まっているから、全員その時間分寝るとパッチリと目覚めるような体質になっているのだとか。
 とは言え……ここで十分待つのも――
『ロイド様。』
「……え、あ、オレですか? え、ロイド様って……」
『ふふ、姫様やユーリ、ストカと同じように私たちも忘れていた事を思い出したのですよ。そしてそうであれば――未来の王はそう呼ばなくては。』
「えぇ!? あ、ま、まぁミラちゃんと……そうなるとそうなりますけど……で、でも……魔人族の国にオレ……人間なんて……」
『普通であればそうですね。しかしロイド様は若干ながら吸血鬼であり……そして何より、スピエルドルフはロイド様に大きな恩がありますから。』
「? えっと何の話ですか……?」
『残念ながら、これはロイド様の右眼に関する事柄なので姫様から口止めされておりまして。しかし確かな事は、ロイド様が王になられる事に不満を持つ者は……まぁ、多少はいるでしょうが、それは少数派。国の世論で言うならば賛成となっております。』
「そ、そうなんですか……」
 一体、昔のオレは何をしたんだ、ホントに……
「そういえば……オレはその、護衛の皆さんとも面識があるはずだと……」
『ええ。いい機会ですから、改めて自己紹介をしましょうか。二人とも、ローブを。』
 頭の中に響く声で話す人が促し、三人がローブを脱いだ。全員同じ格好――つまり、同じ服。たぶんスピエルドルフの軍服的なモノなのだろう。パムが着ているフェルブランドの軍服とは違う、襟とかの大きなカッコイイ感じの服だった。
 んまぁ、服はそんな感じなんだけど当然全員魔人族。でもってそもそも魔人族にはどちらかというと人間と同じ姿――顔を持っている種族は少ないわけで、この三人は多数派の容姿をしていた。

『私はフルトブラント・アンダイン。海のレギオンのマスターを務めております。』
 声が耳ではなくて頭の中に聞こえるのは、この人の場合は仕方のない事だったようだ。
 生き物の身体はそのほとんどが水で出来ているというが、この人の場合は百パーセント水だろう。人の形をした水の塊。かといってスライムみたいにドロドロした粘性がありそうじゃない、本当の水。そんな人が軍服を着ている――そんな感じだった。
 当然、眼、耳、鼻、口といった顔の部品が一つもないわけで、だからたぶんこの人――いや、種族はテレパシーか何かで意思疎通をするのだろう。

「おれはヨルム・オルム。陸のレギオンマスターだ。よろしくな。」
 シュルルと舌を出しながらそう言ったこの人は、たぶん蛇系の種族の人だ。蛇の頭をそのまま人間の首の上に乗っけたようなシルエットで、全身が黒い鱗に覆われていて赤い眼をしている。
 なんだかトカゲかヤモリが立ち上がったようにも見えるけど……んまぁ、舌が分かれているし上下に鋭い歯もついているからやっぱり蛇だろう。

「わたしはヒュブリス・グライフっていうの。空のレギオンマスターよ。」
 口調と声的に女性なんだろうこの人は鷹か鷲か……いや、全然違うかもしれないけどとにかく頭部が鳥だった。しかしなんというか……犬とかを見た時に「この犬はイケメンだなぁ」と思う感覚なんだけど、この人はすごく美人だと思う。

「レギオンのマスター全員にお会いする事になるとは……あぁいえ、前に会ってるはずなのか……よ、よろしくです。」
 レギオンというのはこっちで言う国王軍とかお巡りさんのようなモノだ。人間の国でもそうであるように、スピエルドルフの中にも悪い奴はいる。そういう連中から国民を守る為に動く人たちをレギオンと言うわけだ。でもって、人間は主に地上にいるから必要ないんだけど、空や水中を住み家としている魔人族もいる関係で、レギオンは陸海空の三つに分かれている。
 つまり、この三人は三つのレギオンそれぞれのトップという事。こっちで言う十二騎士みたいなもので、たぶんその強さはとんでもないレベルのはずだ。
「あ、そうだわ!」
 すごい人たちと――改めて知り合いになったなぁと思っていると、ヒュブリスさんが……不思議なモノで、「いいこと思いついた!」って顔をしたのがわかった。鳥なんだけど。
「ロイド様、是非姫様の横に! 目覚めた時にロイド様におはようなんて言われた日には姫様大喜びするわ!」
「喜びはするだろうが……しかし急過ぎないか? 昨晩も姫様は興奮しっぱなしだったぞ。」
『仕方がないのでは? 長いこと想い続けた方にようやく会えたのですから。それにヨルムの言う通り、喜ぶ事は確実でしょう。いかがです、ロイド様。』
「え、あ、はい。それくらいなら別に……」
 という事で、オレはミラちゃんが起きるまでそのベッドの横で待つ事になった。三人が守っていた部屋に入ると中は真っ暗――いや、本当に真っ暗で何も見えないぞ、これ。
「――! これは……」
 ふと視界が明るくなる。右目をつぶると真っ暗に戻るから、たぶん魔眼が発動したんだろう。ミラちゃんが近くにいるからなのか、それともしばらくはこんな風に勝手に発動するのか……んまぁ、今はありがたいんだけど。
「……こいつらも寝てやがる。」
 ふと部屋の左右を見ると、ストカとユーリがいた。ストカは自分の尻尾を抱き枕みたいにして寝ていて……んまぁそれはいいんだが、ユーリの方がホラーだった。
「なんで頭と身体が離れてるんだ……?」
 身体の方は普通にベッドに横たわっているのだが、頭だけベッド横のサイドテーブルの上に置いてあるのだ。まるで普段メガネをかけている人が寝る時に外したメガネを横に置いておくような感じに。
「……んまぁ、確かフランケンシュタインの核は身体にあるって言ってたしなぁ。あながち間違いでもないのかも……」
 そんなお化け屋敷みたいな光景を通り過ぎ、一番奥のベッドの横に椅子を置いて、オレはそこに寝ているミラちゃんを覗き込んだ。
 ……なんだろう、なんかこのベッドにすごい見覚えがあるんだが……んまぁいいか。
 ミラちゃんはものすごく姿勢良く寝ている。ベッドに入ってから微動だにしていないんじゃないかと思うくらいだ。
 ん? そういえば棺桶じゃないんだな。吸血鬼と言えばそういうイメージなんだけど。
 それにしても……今更だけど寝顔を見られるのって女の子的にはあんまり嬉しく無い事なんじゃなかったっけか……エリルはそれこそ今更で何も言わないけど。
 ……婚約か……昔のオレが何をしたのかは気になるけど、それと同じくらいに当時のオレの気持ちも気になる。言われてようやく自覚したようなふわふわの感情だけど、今のオレがエリルに対して抱いているモノと同じモノを、その時のオレはミラちゃんに対して持っていたって事だよな……
「……いよいよ真剣に、恋愛マスターにもう一度会わないといけないな。」
 しかし探して会えるような人ではないんだよなぁ。どうしたら――

「んん……」

 暗い部屋の中でモヤモヤと考えていると、ミラちゃんがそんな声を漏らした。そろそろ起きるのかな?
「……ん……」
 目をしょぼしょぼさせながらのっそりと起き上がったミラちゃんは数秒ボーっとし、そして横――つまりはオレの方を見た。
「……」
「あ……えっと、おはよう、ミラちゃん。」
「……」
 心ここにあらずみたいな顔のミラちゃんが、眠そうな目をゆっくりと開いていく。
「……? ……ロイドひゃま?」
「ひゃま……う、うん、オレオレ。ロイド。おはよう。」
「……!? ……ロイド様!?」
「う、うん。おはよう、ミラちゃん。」
「ど、どうしてこ、ここに!? もしかしてワタクシはまだ夢の中に!?」
「いや、夢じゃないよ。えっと、ミラちゃんに会いたいって人が来ててね。それでそろそろ起きるかなーと思って来たら、フルトブラントさんたちがベッドの横で起きるのを待ってたらどうでしょうって……」
 オレの説明を聞きながら、少しあたふたしたミラちゃんは髪をなおして……でもってちょっとドキッとしてしまったのだが、不満そうなジト目でオレを上目遣いに見た。
「そうですか……しかしロイド様、そういう事をするとどうなるかきちんと予想されましたか?」
「えぇ?」
「よく考えてください。ワタクシはロイド様の事を愛しているのですよ?」
 さらりと出て来る言葉に息が詰まる。
「しかも探し続けてようやく昨日会えたばかり……そんなワタクシをロイド様がベッド横で迎えてくれたとあっては……」
「な、なにかマズイこ――」

 言い終わる前に、オレの口はミラちゃんの口に塞がれた。

「んん!?」
 瞬間、今までの――こ、これとは全く違う感覚が全身に走った。しっとりとした唇がすごく柔らかくて、目がまわりそうなくらいにいい香りが――て、っていうのもあるんだけどそれ以上の衝撃が身体中を駆け巡る。
これが人間と吸血鬼の違い――いや、差なのか。口を通して伝わるのはミラちゃんの……そう、圧倒的な生命力。桁違いの存在感というか……とにかくなんだかすごいモノを感じた。その影響なのか……なんというか、妙にオレの身体は活気付いた。一気に体力満タンになったというか、急に全身が力を持て余し始めたというか――
 あれ? なんだ……なんかすごくまずい気がする……! こ、このままだとなんかやばい気がするぞ!
「――あぁ……」
 頭の中がぼやけ、全身をビリビリさせながら今まさに何かをしようと腕をまわしたオレから唇を離したミラちゃんは、ほっぺを両手で抑えてくねくねする。
「ああ、あぁあ、ぁぁあああ……とろけてしまいます……昔と同じ――いえ、それ以上の濃密さ……あぁぁ、でもこれはいけませんね……ついうっかり全力で口づけを……唇の魔法とそもそもの吸血鬼としての力……これらをセーブ無しに人間にやってしまうと……あぁ、でもこれは……ロイド様……」
「ふぁ、ふぁい!?」
 全身麻痺みたいにビリビリしっぱなしで身体がうまく動かせないオレの方に、とろんとしたミラちゃんが滑らかに迫り――
「すみませんがもう一度――」
「んぐ!?」
 再び走る衝撃。この感覚は――昨日、エリルに何かをしてしまいそうになった時の感覚に似ている。つまり、その――
「――はぁ……」
 危うい……本当にギリギリのラインで離れてくれたミラちゃん。オレは頭をぐるぐるさせる。
「はぁん……これくらいにしておきましょうか。正式にそうなったら止めませんが。」
「ふぁ、あ、あの、これは……」
「口づけですよ。キスですね。」
 ニッコリ笑うミラちゃんに顔が熱くなる。
「そ、そうじゃなくて……いや、その、そっちもその……あ、ありがとうございます――って何言ってんだオレ……いや、そ、それとは別に……い、今オレ、なんかやばかったような……」
「ふふふ、そうですね。吸血鬼の持つ様々な力が重なりますから、その口づけを口に受けてしまうと……人間の場合は自身の制御が難しくなるのです。一種の暴走ですね。」
「せ、制御? 暴走?」
「野性的になると言えば良いでしょうか。普段は理性が押しとどめている欲望が暴れるのです。」
「よ、欲望! じゃ、じゃあ今オレ……」
「あともうちょっと口づけをしていたら、ワタクシはこのベッドに押し倒されていたでしょうね。望むところではありますが。」
「なばっ!?」
 な、なんてことだ。何やら抗えそうにない力が働いたとはいえ、二日連続でオレは女の子にお、襲いかかりそうになったのか!
「ふふふ。吸血鬼は対象を殺さない食事をする存在ですから、同時に何かできないかと様々な事――行為を楽しむ為に色々と試してきた歴史があるのですよ。」
 そう言いながらミラちゃんが見せた笑みは、ゾクッとする程に魅惑的だった。唇はもちろん、チラリと見えるキバに黄色い左目――あらゆる部分に息を飲む色気……的なモノを感じた。
「ん? ロイドじゃないか。ミラの寝込みでも襲いに来たのか?」
 頭の中が桃色になってきたオレの耳に、ふっといつものオレに戻してくれる古い友人の声がし、いいタイミングだと思いながら振り返ったのだが……ぐりぐりと首に頭を取り付けるユーリはこれまたホラーだった。
「……ユーリ、なんで頭を……」
「寝癖がつかないだろう?」
「そんな理由かよ……」
「んあ!? ロイドじゃねーか! 何してんだお前!」
 突如背後から迫ったサソリの尻尾に一巻きにされたオレは後ろに引っ張られ――
「ぶあ!?」
 ストカに――その柔らかいモノに埋められた。
「うお、ホントにミラの魔眼がついてんだな! 片目だけ光っててかっこいいじゃんか!」
 たぶん寝間着なんだろう、あのドレスよりも薄手の生地で余計にやばい事になる。
「ば、おま、その前にちょ、こ、この体勢は――」

「ストカ。」

 ずんっと重みを感じる一言。ちらっと見ると、ローゼルさんみたいな冷たい笑みを浮かべたミラちゃんがベッドに腰かけた状態でこっちを見ていた。
「その豊満なそれをロイド様に押し付けて……場合によっては……」
「いーじゃねーか、ダチなんだから。なんならミラもやればいい。」
「おいストカ、それくらいにしとけよ。で、ロイドはなんでここに?」
「……みんなにお客さんだよ……」



「だっはっは! 大将がいない間に大将の恥ずかしい昔話を色々してやったぞ!」
「……何してんだよ……」
「大将が余計な事をしゃべるせいで《ディセンバ》が大変なんだ! それの仕返しだな!」
 カーミラたちを連れて戻って来たロイドに、フィリウスさんは「してやったぜ!」って顔でそう言った。
「うむ……確かに興味深い話ばかりだったな……」
「ねぇ、ロイくん、ちょーっとでいいからお酒飲んでみない?」
「あ、あたしは……い、一緒に釣りに行ってみたい……かな……」
「ロイド、あたしの服着てみるー?」
 みんながフィリウスさんから聞いた話から色んな事を提案する中、ロイドの後ろにいたストカたちが嬉しそうな顔をした。
「フィルじゃねーか! 久しぶりだな!」
「相変わらずのマッチョだな、フィル。」
「んあ? おお! まさかユーリと――ん、誰だ?」
「んな!? お前もかよ! ストカだよ、ストカ・ブラックライト!」
「だっはっは、冗談だ冗談! 大将はともかく、俺様は女だって知ってたからな!」
「なに!? おいフィリウス、なんで教えてくれなかったんだよ!」
「その方が面白いだろ?」
「この野郎め!」
「しかし驚いたな。三年ぽっちでそこまでナイスバディに。もちっと経ったらベッドに誘うところなんだが。」
「馬鹿言え。大抵のベッドを一人で占領するくらいの筋肉のくせに。そもそも俺はそんな安い女じゃ……おい、ユーリ、なんだその目は。」
「いや……どこかの誰かに対しては大安売りなんだと思ってな。」
「また大将か! そろそろ俺様が教えを乞う番だな!」
「ば、な、なに言ってんだ!」
「はーい、ちょっとみんないいかしらー。」
 お姉ちゃんがパンパンと手を叩いた。
「フェルブランドの王族として、スピエルドルフの女王様に挨拶させて頂戴ね。」
 その一言から、お姉ちゃんが――あたしにとっては違和感だらけの……なんていうか外行きの顔になった。
「お初にお目にかかりますね。私はカメリア・クォーツ。フェルブランド王国の主に外交関係を――」
「そんなに畏まらなくても良いですよ。どちらかと言うと、ワタクシの方が緊張しているのですから。」
「あら、そうなの?」
 昨日見たロイドにメロメロな顔が一転、女王の顔になったカーミラと外行きモードのお姉ちゃん。一気に部屋の空気がピリッとした。
「こちらこそ初めまして。ワタクシはカーミラ・ヴラディスラウス。スピエルドルフの女王をしております。ご噂はかねがね。」
「あら、どんな噂かしら。」
「ふふふ。正直な話ロイド様が今、一先ず、一時的にお付き合いしている方がエリル・クォーツだとわかった時点で、ワタクシが最も注意を払わなければならない人物は貴女であると確信しました。」
 すっと目を閉じて、カーミラは淡々と語る。
「四大国に数えられる国、フェルブランド王国。通称『剣と魔法の国』と呼ばれるこの国は、ガルドなどと比較すると科学技術には劣りがある代わりに、世界一の魔法技術を持っています。十二騎士を最も多く輩出している事からも分かるように優秀な騎士が多く、かつ多くの国にとって悩みの種となる魔法生物に関する研究も最先端。故に、四大国と並列せずに、世界を先導する一大国と呼称される事もしばしば。」
「あらあらそんなに褒めてもらっちゃって。王族として嬉しいわね。」
「事実ですから。そしてそんな大国を支えているのは二つの柱。一つは内政外政にその辣腕を振るうフェルブランド国王、ザルフ・クォーツ。世界の王が集う場においても一際大きな威厳を放つ、まさに王の中の王。その手腕は大国を一つにまとめ上げ、フェルブランドという国に盤石な基盤をもたらしています。」
 あたしもそんなしょっちゅう会うわけじゃないけど、確かにすごい迫力なのよね……
「二つ目の柱は大公、キルシュ・クォーツ。その温和な顔からは想像出来ない統率力で屈強な騎士を指揮し、国内国外のあらゆる問題に対応しています。他国が自国で起きた魔法生物や自然災害などによる災厄に対してフェルブランドに応援を頼む事も珍しくありません。無論、内外問わずA級、S級の犯罪者が関わる問題にも迅速に対応。フェルブランドの国王軍に入る事を目指す他国の騎士もいるほどであり、その信頼は厚い。」
 これはつまりあたしのおじいちゃんの話。そういえば……おじいちゃんはあたしがセイリオスに入る事に対しては特に何も言わなかったわね。兄さんとかお父様がやかましかったけど……
「この二つの柱によってフェルブランドはフェルブランドたりえています……しかし今、そこにもう一本の柱が出来上がりつつあります。主に外交の場面で頭角を現したその人物こそ、亡くなった姉のユスラ・クォーツを継いで世界に顔を出した――カメリア・クォーツ。」
 ……は? え、お姉ちゃんが……そ、そんなに?
「……良くない事と承知で言わせてもらいますが、ユスラ・クォーツには能力――才能がありませんでした。外交に関してはその大半を補佐に任せ、ただただ承認印を押すだけだったように思われます。しかしこれは仕方のない事……王族に生まれれば誰もが有能かと言うとそうではありませんし、そもそも向き不向きがありますからね。この辺りは古くからの王家を持つすべて国が抱えるひっそりとした悩みでしょう。そんな中、持てる才能と与えられた役職が合致したケース……それが貴女です。」
 目を開いたカーミラの視線は……やんわりとした、あたしからするとちょっとらしくなくて気持ち悪い笑みを浮かべるお姉ちゃんに向けられた。
「ただでさえ強国のこの国をさらにどこまで押し上げるのか……あの彼らからイメロロギオの採掘権の三分の一を譲り受けた事などが、耳に新しい偉業でしょうかね。」
「うふふ、ありがとう。でも――今ここにいるカメリアさんはエリーのお姉ちゃんとしてのカメリアさん。外交なんてそんな些事を引っ張り出されても困るわ。」
 些事って……
「本当にそう思っておいでですか?」
「あら……どういう意味かしら?」
 ちょっとだけ、お姉ちゃんの雰囲気がピンとした。
「勿論、ワタクシにとってロイド様は最愛のお方。先に立つのは愛であり、続くモノは愛であり、最後に残るモノも愛。ですが……女王としてのワタクシは、その立場故に考えが巡り……そして確信しているのです。ロイド様――いえ、この場合においてのみはロイド・サードニクス。この人物が持つ価値の高さを。」
「えぇ? オ、オレが?」
 すっとんきょうな声ですっとぼけた顔をしたロイド。そんなロイドにニッコリとほほ笑むカーミラは、まるで自慢話でもするみたいに話しを続ける。
「十二騎士の歴史の中で、十二騎士であり続けた期間の長さでランキングをしたなら五本の指に入る実力を持ち、今もなお更新し続ける最強の騎士の一人がここにいる《オウガスト》ことフィリウスさん。彼の最大の特徴はその外見とは裏腹の防御の技術。あらゆる攻撃をかわし、いなし、受け流す。どんなに強力な攻撃も当たらなければ意味がないと、大笑いしながら大地を裂かんばかりの一撃を確実に決めるのです。」
 褒められたフィリウスさんは「そうだろう、そうだろう!」と言わんばかりに、だけど嫌味な感じはしない堂々たるにやけ顔になった。
「そんなフィリウスさんには隠し子ならぬ隠し弟子がいました。それがロイド・サードニクスという人物。フィリウスさんの防御の技術を受け継いでいる事は勿論ですが、それ以上に多くの騎士を驚かせたのは彼が使う剣術。特殊な環境で注意を払いながら修行する事でようやく習得できる、歴代最強と呼ばれるとある代の《オウガスト》が用いた古流剣術――通称曲芸剣術を、彼は体得していました。」
 えっと、確か……曲芸剣術では「回転のイメージ」っていうのが大切で、とにかくその事だけに打ち込んでようやく身につく……度を超えた精密な回転がこの剣術には必須。だけど、例えば他の剣術をちょっとでも勉強しちゃったり、ちゃんとした「回転のイメージ」が身につく前に風の魔法とかを経験しちゃうと、その精密な回転っていうのを生み出せなくなっちゃう――らしい。
「フィリウスさんから騎士としての――いえ、《オウガスト》としての英才教育を受けた彼の実力は申し分ありません。その上、十二騎士の弟子という事実も追い風となり、将来騎士としてその名を馳せる事は確実――と言えるでしょう。」
「えぇ……」
 本人は困った顔してるけど。
「しかし彼の最大の価値はそこではありません。一国の女王であるワタクシや王族として外交を行う貴女にとって魅力的なのは――彼の持つ人脈です。」
 ? ロイドの人脈?
「フィリウスさんは彼を色々なところに連れて行っています。フェルブランドに限らず世界中、しかも十二騎士という身分だからこそ会う事のできる人物、入る事のできる場所などに。そうしてあちらこちらで友人を作ってきた彼の持つ人脈の価値は計り知れません。基本的に人間とは距離を置いているスピエルドルフの女王がこうして訪ねるほどに。」
「……ええ。そうね。」
 ロイドの価値についての話を黙って聞いてたお姉ちゃんが小さく頷きながら口を開いた。
「その辺は事実として私も認めるわ。でもやっぱり、私にとってはそっちも些事で、大事なのはエリーの幸せ。」
「それは勿論、先ほども言いましたがワタクシにとっても大切なのはロイド様自身。ただ一つ、認識の共有を通して――貴女をどういう類の障害として見るかを決めたかったのです。」
「あら、私はどんな障害なのかしら。」
「ワタクシとしては、最も嬉しくない形の障害ですね。」
 空気はピリピリしてるのに二人ともニコニコしてるのが気持ち悪い、色んな意味で怖い空間だわ……こういうのが外交ってモノなのかしら……
「それでは本題に入りましょうか。ワタクシの恋敵の姉としてこの場にやって来た貴女はワタクシにどんな用があるのでしょう。」
 その質問に対して……というかそれをずっと待ってたって感じに、お姉ちゃんはいつものお姉ちゃんの顔になってにやりとした。
「その前に、エリーから聞いたのだけど……あなたが持ってるっていうロイドくんとの婚約書を見せて欲しいのだけど。」
「構いませんよ、突然破ったりしなければ。」
「うふふ、本物をここに持ってくるわけない――でしょう?」
「えぇ!?」
 ビックリしたロイドに、カーミラは申し訳なさそうな顔を向けた。
「すみません、ロイド様。昨日お見せしたモノは複製です。本物はワタクシの部屋にて厳重に保管しておりますから。」
「ま、当然よね。複製でもいいわ、ちょっと見せてちょうだい。」
「ええ、どうぞ。」
 書類を受け取ったお姉ちゃんは、子供の字で書かれたそれを真剣な顔で眺めた。
「…………確かに、この書類は有効ね。あなた――カーミラ・ヴラディスラウスとロイド・サードニクスがこの書類に記された日付に婚約した事になっている。」
「ええ。」
「でもあなたはこれを全面に押し出していくつもりってわけじゃないのよね?」
「……貴女であれば気づいているでしょうが、その手の専門の者であればその書類を否定できてしまいます。文章的な、形式的な穴をついて。何より――ええ、ワタクシとロイド様はお互いを忘れていました。他の者の手が加わっているとはいえ、ね。ワタクシとしては今一度、お互いの愛を育むところから始めたいと思っているのです。」
「そう。うん、それは良い事だわ。でも……使わない武器でも、そこにあるだけで意味を持つモノってあるわよね。けん制って感じに。だから私は、エリーにも同じようなモノをあげに来たのよ。」
「? と言いますと……?」
 カーミラが首をかしげると、お姉ちゃんはここぞとばかりにバーンとテーブルに一枚の紙を叩きつけた。
「それは?」
 お姉ちゃんの手の下の紙は、つらつらと文章が書かれていて一番下にお姉ちゃんのサインとハンコがある……これまた何かの書類だった。
「簡単に言うと、「私、カメリア・クォーツはエリル・クォーツとロイド・サードニクスの交際を認めます」って書類よ。」
「な、お姉ちゃん!?」
「あらあら、何をそんなに驚いているのエリー。ま、元々反対なんかしてないしロイドくんで大丈夫って思っていたけど、それだとエリーのお姉ちゃん止まりだからね。折角なんだから、ここはクォーツ家のカメリアさんとしてもオッケー出すわよーってだけよ。」
 た、確かにお姉ちゃんの態度とか見てればそう――なんだろうなって思ってたけど……あ、改めて口に出されるとなんか……は、恥ずかしいわ……
「えぇっと……」
 あたしが変な気分でいると、ロイドが小難しい顔でお姉ちゃんに聞いた。
「お、お姉さんにそう言ってもらえて……えっと、あ、ありがとうございます……? なんでしょうか……でもオレ……『エリルのお姉ちゃん』と『クォーツ家のカメリアさん』の違いがよくわからなくて……そ、その書類があると何があるんでしょうか……」
「いやだわロイドくんったら。未来の弟に敬語を使われるのはやーよ?」
「お姉ちゃん!!」
「うふふ。そうね、この書類は……例えば一般的なご家庭の誰かが作ったとしても、大した意味はないモノよ。「ああそうですか」って言われるくらいね。けれど……王族とか貴族の者が作ると大きな意味があるの。」
「意味……ですか。」
「王族や貴族はね、家の安寧、発展なんかの関係で結婚相手とか跡継ぎとかに特に重きを置いているの。だからそういう事に関する、王族とか貴族にのみ意味を持つ法律とか昔からの決まり事とか催し物とかが沢山あるのよ。そういう場面で、この書類は威力を発揮するの。」
 お姉ちゃんの説明を聞いても頭の上の?が消えてないっぽいロイドに、今度はフィリウスさんが説明する。
「だっはっは! 難しく考えることないぞ、大将。要するに、ついさっき女王様がすごいすごいと褒めまくったこのカメリア様っつー人がお嬢ちゃんの正式な後ろ盾になったって話だ。」
「そういう事。ま、今までだってエリーからお願いされたら私の持つ力の全てを振るうつもりだったけど、立場が正式になった今、私は何の制限も気兼ねも無く全力でエリーを助けられるの。だからね、エリー――」
 ふとあたしの方を向いて、お姉ちゃんは楽しそうに笑う。
「この私が――今や大注目のフェルブランド第三の柱のカメリアさんが後ろにいるんだから、なんにも気にせずに青春するのよ?」
 ……カーミラのあの婚約書は……そりゃもちろん気になった。使うつもりはないって言ってたけど、それでもやっぱり……なんとなくモヤッとしてた。そんなあたしのモヤモヤを電話からお見通しにして、お姉ちゃんはやって来た。
 なんか、王族とか貴族が一般の人とも結婚できるように――みたいな運動もしてるし……お姉ちゃんはあたしの為に色々やってくれてる。
 なら、あたしはやっぱりお姉ちゃんを守る騎士にならないといけない。
 で、でもって……つ、ついでに……応援された分、けけけ、結果――を出さないと……
「ふふふ、これは厄介な事になりましたね。」
 困ったように笑いながら、すっと立ち上がったカーミラはすーっとロイドの方に移動してその腕に抱き付い――!!
「びゃあ!?」
「ロイド様、昨日の夜にも言いましたが改めて……次の休日、スピエルドルフに遊びにいらしてください。ワタクシ、待っていますから。」
「ふぁ、ふぁい……」
「必ずですよ?」
 人差し指でロイドの口に軽く触れて、カーミラはくるりと離れる。
「あ、フィリウスさんもどうぞ。喜ぶ者も多いので。」
「ああ。ついで感が半端ないが、俺様もちゃんと思い出したいしな。」


 こうして、違う目的だったら大きく報道されそうなカーミラの訪問と、お姉ちゃんとの対面が終わり、スピエルドルフの面々は――来る時は観光も兼ねてのんびり来たらしいんだけど、ロイドに渡した指輪の力で、帰りはパッと帰って行った。なんか――カーミラの護衛の一人があともうちょっとだけ残るって言ったからその人だけは残ったんだけど。
 ま、まぁそれはそれとして。カーミラっていうとんでもないのが……こ、恋敵? ――だ、だからあたしはもう勝ってるんだけど――になってしまった。ただでさえ大変なのにもっと面倒なのが加わって……先が思いやられるってこういう感じなのね。
でも良い事もあった。今回の一騒ぎがキッカケでお姉ちゃんにちゃんと、あたしとロイドがそうなったって伝えられたし、言われてみれば現状ロイドの保護者になるフィリウスさんにも知ってもらえた事は素直に良かったって思う。
 でもそれで思い出した。恋敵とはまた別の方向で面倒そうな相手が……小姑がいる事に。

騎士物語 第五話 ~夜の国~ 第三章 スピエルドルフの女王

スピエルドルフの方々は俗に言うところの異形な方々。
しかしこういう方々は書いていて楽しいんですね、これが。描くのも楽しいですしね。

騎士物語 第五話 ~夜の国~ 第三章 スピエルドルフの女王

カーミラと出会い、失った一年間にどうやらとんでもない事をしていたということが判明したロイドくん。 しかし話はそれにとどまらず、その夜にカーミラが語るロイドくんの体質とは――

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-08-27

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted