衒う短編

地下室

 ずいぶん久しぶりに地下室を開けた。
こういうことは億劫なのだ。

まず、この地下室の狭さである。
地下室といっても部屋ではなく収納庫のようなもので、
急な数段の階段に足を踏み入れると、もうそれで窮屈である。
体を捻ったりして難儀しなければ、漬物石だの、大きなタッパーだの
昔のキャンプ用品だのは取り出すことができないのである。
敷物をめくって、取り外し式の扉を持ち上げる。
なんともいえないカビとゴキブリ獲りのにおいである。
まだ入ってもいないのに、ほこりが舞う。

とても億劫である。
階段にはほこりと、ざらざらしたなにかが積もっている。
こういうのも気持ちをげんなりさせる。
仕方なく足を下ろす。

体をすべて中に入れたところで、ああ。
よくあるアレだ。
冷蔵庫まできて何をしにきたのか忘れる、あれである。
もう年だなと、ありきたりに思う。
せっかく面倒な思いをして入った地下室であるから、
窮屈な姿勢のまましばらく考えた。

そしてようやく思い出した。
ああ、そうだそうだ、だからわざわざ、花まで買ったのだと。
目的を終えたので、地下室の扉を閉めた。
今日は旧友がこちらまで出てくるので、
ここで一杯やろうと約束したのだ。
しかし、なんだか腰が痛くなってしまった。


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「おう、ひさしぶり」
「おまえこそ元気かよ」

酒を飲みながら、
久しぶりによく話し、よく笑った。

ふと旧友がこんなことを言う

「祥子さん亡くなってもう十年か」
「ああ、もうそれぐらいになるか」
「まぁ変な話で悪いが、お前再婚とかは考えてないのか」
「いやあ、もういいさ」
「そうか、まぁお前いいならかまわないけどな。」

そういう会話をしたと思う
そして彼は 妻に手を合わせたいと言う。
小さなテーブルの上に花と水の入ったコップを置いてある。

仏壇は置いていないのである。
位牌は普段はしまってあるからだ。






藤と花

友人がいよいよ危篤と聞いて駆けつけた。
長患いの彼はいつものように座敷で横になっていた
だが、顔色こそ悪いがケロリとして私をからかうのである。

「おや、香典でも持ってきたか」
「バカ言え、なんだ、元気そうじゃないか」
「なに、このぐらいなんともないさ」
「なんだ、だがよかった。報せを聞いたときは肝をつぶしたよ」
「おいおい実は喜んだんじゃあないだろうな?」
「ははは、実はな、と言ったらどうする」
「化けて出てやるさ、毎晩金縛りだ」
「そりゃ恐ろしいな、ははは」

しばらく話をした。
しかし彼は、死にゆくのだと分かった。

「なぁ、聞いていいか」
「なんだ」
「こんなことを聞くのは本当は許されない、だが、お前だから聞く」
「勿体ぶるなよ」
「死ぬとひとはどこへ行くのだろうか」
「ははは、どこぞの文豪同士の会話ようだ」
「すまない、だが死に一番近いおまえなら、きっと、
 少なくとも俺よりそれが分かるんじゃあないかと」
「いいさ、だが俺にもわからんな、地獄かもなぁ」
「お前が地獄なら俺はどうなる」
「さぁ、俺が死んだら地獄のその下を見てきてやるよ」

時計の針の音がする。
その会話は静かであった。


「なぁ、おれは」
「おれはおまえのことを」
「なぁ」
「俺はお前のことを愛してやれただろうか」
「死ぬと人はどこへいくんだ」
「俺はそれがわからないんだ」
「なぁ、俺は」



友人はくらいくらい箱にいれられてしまった。

けむりをしばらく見ていたが、結局最後までわからなかった。








開かない木箱


もう八合ばかり呑んだ

おい、聞いてるか。
 ああ聞いてるよ。
だからさ、これだよ。
 ああ、分かってるよ。
どうするんだよ。
 いやぁコレだけ考えて分からんのだ、もうずっとこのままかもしれん
それはないだろう、気になる
 そんなこといったってよぉ
だが、何か方法があるだろうよ
 はぁ、堂々巡りだな…
やっぱりもう壊すしかないだろ
 待て待て、仮に壊したとして、
として?
 中のものが無事でも、この箱に価値があったらどうする
うーむ
 そうだろ、箱が大事ってこともな
そうかもしれんがなぁ、
 なにか、こう、からくりで、パカッと
ずっと試してるじゃあないか、ウンともスンとも
 そうだなぁ…
水につけたらどうだ
 さっき冷をおまえがぶちまけたばかりだろ
そうだったな
 あれで箱がゆがんだのかもしれん
待て待て、それより前から開かなかっただろうよ
 はぁ、こいつは困った
いつまでこの箱をいじくればいいんだ
 なぁ、そういえば
なんだ
 あいつはいつ来るんだろうな
さぁ、今日は来ないんじゃあないか
 じゃあいつ来るんだ
俺が知るかよ
 どいつもこいつも

そういって男の手から箱をむしりとると
地面にたたきつけたのである。

木箱はパカリと開いて、中から男が出てきた。

おまえ、ここにいたのか
 いやぁ待った待った
一体いつ来るのかと
 おい冷をもう一本つけとくれ

二人を待たせた男は手に、小さな木箱を持っている。

九合目の徳利が運ばれてきた。





なみだ

 水面に街灯が、車のライトが、月明かりが、遠くの漁船の明かりが、
ちかちかゆらゆらと反射している。

 さぁ、いよいよだ。
しかし改めてみると、その水の汚さである。
細かなプラスチック片、ペットボトル、ふやけた紙、ビニール袋、
清涼飲料水の缶、黒いゴムの欠片、ボロ布。
それでも仕方がない。
ざぁざぁざぁと波がそよいで、葦もゆれている。

アスファルトの階段をひとつづつ降りる。
四段目は半分で、五段目は完全に水の中だ。
靴の隙間からじう、と冷たい水が入る、靴下が濡れる。
進むともっと酷い、かなり心地が悪くなる。
裾が濡れる、膝が重くなる。
向こう岸の水生植物が見える。
あの草のすきまの暗闇には何があるのだろうか。
鴨が巣をつくっているのか、青大将が潜んでいるのか。
ベルトが浸かる。
靴底がぬるりとして、砂と泥と、おそらく藻があるのだな、と足先を考える。
シャツが空気を持ってぷくりと膨れる。
私はそれを手で押さえてぶくぶくと空気を抜いてやる。
いよいよ布が肌に張り付いて寒くなる、芯が冷える。
ずぶずぶと水がくる、体がゆう、と浮こうとする。
すこし波があって、わたしがゆらりとした。
 
首が沈む、顎が水につく。
波がどんどん近くなる。
襟足がいちばんぞおっとしたのではないだろうか。
昔からこのあたりを触られるのは好きではなかったなぁ、と思う。
もう反射した光はそれだけになって、水面は墨汁である。
さて、呼吸器官が沈むといよいよである。
鼻から気泡がぐぐうともれる。
耳がふさがれて音が曇る、すべての感覚が居眠りをしているように鈍くなる。
目は開けたままにしよう。
波がぐちゃととろけてすべて不明瞭になる。
でもまだ前髪がクラゲのように浮かんでいるから、もっと進む。
そして全身が水の中に入る。

そこで、ああこんなものか、といつも思う。
もう靴も、靴下も、襟足の不愉快さも忘れてしまった。
もっと深いところへ行こうと思う。
もしかしたらこのまま海まで流されて、漁船の網にかかるのではなかろうか。
脱げない服が鉛のようになって、どんどん揺れて、どんどん沈む。
ぶくぶくと泡がでなくなったら私が終わるのだろうか。
私が水になるのか、水が私になるのか。
息がいつまでつづくのか。
そんなことを、わたしはかんがえていた。

こうしていると、彼女が私を迎えにきてくれた。
彼女は私の手を引いて水から引っ張り上げて、
風邪ひくよ、などと言う。
困ったひとだと思う。






丸窓より

なんかこう、ワッーと。

宇宙全ての星々が語りかけてくる感じがして、

ああ、やっぱり ひとりぼっち、 なんだなぁと思いました。


だからさ、君には、


もう絶対「本当はそうじゃなかったよ」、って言って欲しかった。


どうもありがと







再会


ポーチを置いたまま家を出ました。

ファンデーションもマスカラも必要なかったからです。


電車にずっと乗って、最後の駅で降りました。

ずいぶん前に買った新しいままの靴がなんだか足に合わなくて、

砂浜までは時間がかかりました。

曇った空だったし、海はごみとかよくわからないもののくずが

たくさんで、なんか期待外れでした。


また少し歩いて息を吐いたり、立ち止まったりします。

その間ずうっと、彼は足跡だけでついてきました。


すこしだけ嫌な匂いのする波辺で、彼と会いました。

つるっとした石みたいな感触です。

そのあとは自販機で炭酸を買って、ふたりで飲みました。

いつもの駅で降りて、家に帰りました。


砂浜に忘れ物をしたみたいで、またふたりで笑いました。







衒う短編

衒う短編

しばらく話をした。 しかし彼は、死にゆくのだと分かった。

  • 小説
  • 短編
  • ホラー
  • 成人向け
  • 強い暴力的表現
  • 強い性的表現
  • 強い反社会的表現
  • 強い言語・思想的表現
更新日
登録日
2016-08-23

Copyrighted
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  1. 地下室
  2. 藤と花
  3. 開かない木箱
  4. なみだ
  5. 丸窓より
  6. 再会