夏の日、たばこ屋の前で。

 泣けるよ。
 意味もなくね、泣きたくなることがあるのだけれど、たとえばきのう出逢ったペンギンの子どものこと。子どもはたばこ屋の軒下で菓子パンを食べていたよ。チョコチップの入ったメロンパンだった。
 僕は叔父さんに頼まれてたばこ屋にたばこを買いにきたのだが、未成年にたばこは売れないとたばこ屋のおばさん(推定五十代後半)はたばこを売ってくれなかった。叔父さんに頼まれただけで、決して僕が吸うのではない旨を伝えたが、おつかいでも未成年には売っちゃいけないことになっているからね、とおばさんはきっぱり言い放った。
 ペンギンの子どもは、たばこを買えずにぼんやり立っている僕の足元で、もしゃもしゃチョコチップ入りのメロンパンを食べていた。ペンギンってチョコチップ入りのメロンパンとか食べていいの、と思いながら僕はおばさんに軽く頭を下げたが、おばさんはさっさと奥に引っこんでしまった。ちっ、と心の中で舌打ちをしてみた。ちっ、と音にするのは、僕のキャラクターにそぐわないので、実際に舌を打たないよう細心の注意をはらっている。いつものことである。
 叔父さんは酔っ払っていたので、未成年がたばこを買えないことを失念していたのだろうなと考えた。ふだんはそういう“うっかり”をしない人であるから。ついでにいえば父も、祖父も、成人している姉も、従兄も、大人たちはみんなお酒を飲んで陽気だった。言っていることがはちゃめちゃだった。とつぜん笑い出したり、泣き出したりする者もいた。お酒もたばこものめない僕は、大変退屈であった。おばあちゃんが作ったおいなりさんをばくばく食べて、オレンジジュースをごくごく飲んで、従兄が買ってきたフライドチキンをむしゃむしゃ頬張った。従兄に「彼女はできたか」としつこく訊かれて、うんざりしていた。高校生になったらいないといけないのだろうか、彼女というのは。
 ペンギンの子どものチョコチップ入りメロンパンの食べ方は、いまいち豪快さに欠けた。
 くちばしのせいかもしれない。チョコチップ入りのメロンパンをつついて、口の中でむしゃむしゃと咀嚼している、ように見えるのだが、ペンギンというのは魚を丸呑みする生き物ではなかったか。動物にはあまり興味がないので、詳しくはないのだけど。
 僕はペンギンの子どもが食べ終わるまで、たばこ屋に留まることにした。
 しゃがんでいればおばさんに見つかるまいと思い、ペンギンの子どものとなりにしゃがんだ。ペンギンの子どもは僕のことが見えていないのか、それとも食事の邪魔をするなという無言の訴えなのか、ちらりとも視線を寄越すことはなかったが、僕は気にしなかった。
 ペンギンの子どものからだは灰色である。目の周りから頬、あごにかけては白く、くちばしから後頭部に向かって黒い。テレビでよく観る種類であるが、名前はわからない。
 どうしてたばこ屋の前にいるのか。
 親や兄弟はどこにいるのか。
 キミたちは鳥であるが、空を飛べないことをかなしいと思ったことはあるか。
 それより、チョコチップ入りメロンパンはおいしいか。
 いろいろ訊いてみたいことはあったが、僕のことを怖がって逃げられても嫌だなと思ったので、やめておいた。ペンギンの子どもは熱心にチョコチップ入りメロンパンをついばみ、僕はときどきペンギンの子どもを横目で盗み見つつ、ぼうっとしていた。
 夏なのに妙に静かだった。
 夏の虫が一斉に消えてしまったみたいだった。
 今にも世界が終わりそうな真っ赤な空だった。
 ペンギンの子どもがチョコチップ入りメロンパンを食べ終わる頃に、どこからかたばこのにおいが漂ってきたが、あたりを見渡してもたばこを吸っている人はおろか、ひと一人いなかった。ペンギン一匹も。

夏の日、たばこ屋の前で。

夏の日、たばこ屋の前で。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-08-23

CC BY-NC-ND
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