かみなりパンダ
かみなりが鳴っているから、かみなりパンダがいるということ。
かみなりパンダとは、かみなりが鳴ると家の近くのバス停に現れるパンダのことで、小屋みたいなバス停の中でかみなりに怯えているパンダである。ひゃあ、とか、ひょえ、とか、のわ、とか、まのぬけた悲鳴を発する。背中を丸めて、ぶるぶる震えている。かみなりがおさまると、バスに乗っていなくなる。それが、かみなりパンダである。
ある日の学校からの帰り、バスに乗っていたら窓の外が青く光った。かみなりだった。
バスを降りたら、かみなりパンダがいるかもしれない。わくわくした。
ぼくはかみなりパンダのことが好きであった。かわいいからだ。おおきなからだも、黒白の模様も、白い部分がすこし汚れているところも、毛がごわごわしているところも、ぼくのことを「キミ」と呼ぶところも、いくら名前を教えても一向に憶えてくれないところも。
かみなりパンダは人間の年齢に換算すると、三十五歳であるらしい。情けないおじさんでしょ、と苦笑いを浮かべるかみなりパンダは、確かに情けないというか、頼りないというか、女の人の尻に敷かれそうなタイプだなァと思った。しかし高校生のぼくからすれば三十五歳っておじさんであるが、二十代後半の人からすればお兄さんで、四十代五十代の人たちから見ればまだまだ若者に値するのだろうなとも思った。
「ぼくね、こうみえて喫茶店のマスターをやってるんだよ」
かみなりパンダは言っていた。コーヒーよりも紅茶を淹れる方が得意なのだけどね、とも。
かみなりパンダは絵本が好きで、今まで集めた絵本数百点を店内に飾り置き、お客さんが自由に読めるようになっているそうだ。絵本カフェとして雑誌にも紹介されたことがあるんだ、とはにかんだかみなりパンダは、やっぱりかわいいと思った。
かみなりの恐怖をまぎらわせるためか、かみなりパンダのおしゃべりはかみなりが止むまで続く。かみなりの音が次第に遠くなり、完全に聞こえなくなった頃にバス停に一台のバスがやってくる。かみなりパンダはそのバスに乗り込んで去って行くのだが、かみなりパンダの乗るバスはバス停の時刻表に載っていないものだから、まったく謎である。謎であるが、まァいいか、とも思っている。かみなりパンダが自らしゃべらないことを訊き出すのは、なんとなく気が引けるのだ。
「やァ、キミ」
バスを降りると案の定、かみなりパンダはいた。小屋みたいなバス停の中で備え付けのベンチに座らず、地べたに正座していた。かみなりの音が遠のき始めていたからか、かみなりパンダは震えてはいなかった。
「いると思ったよ」
「うん、いたよ。キミに渡したいものもあったし」
そう言ってかみなりパンダが差し出してきたのは、水色の水筒だった。かみなりパンダは、紅茶だよ、と言った。
「紅茶?」
「ぼくの淹れた紅茶。ぜひキミに飲ませたくて」
ぼくは水筒を受け取り、バス停のベンチに腰掛けた。茶葉はダージリンのファーストフラッシュというらしい。原産地や歴史など紅茶のうんちくもかみなりパンダは教えてくれたが、聞き慣れないカタカナばかりで頭には入ってこなかった。紅茶のことを話しているときのかみなりパンダは、実に楽しそうだった。かみなりパンダが三十五歳の人間の姿だったら、かわいいなんて思わないだろうなァと考えながら、水筒のふたをくるくるとまわした。ふたがコップになる水筒であった。
こぽこぽこぽと紅茶を注ぐ。
ときどき、かすかに聞こえてくるかみなりの音に、ぼくの右斜め下にいるかみなりパンダのからだがびくっと跳ねる。
白い湯気の立つ紅茶に息を吹きかけながら、コップに口をつけた。
「わあ」ぼくは思わず声を上げた。
「どうだい?」
「さわやかで、おいしい」
紅茶なんてあまり飲まないものだから、そんな拙い感想しか出てこなかったけれど、かみなりパンダは満足そうであった。よかったァ、とかみなりパンダは微笑んだ。
「ほんとうはぼくの店に招きたいのだけれどね、うん、できないから」
「…どこにあるの?お店」
思い切って訊いてみた。はぐらかされる予感はしていたのだけれど、訊かずにはいられなかった。
かみなりパンダは困ったように笑って、それから指(爪?)を一本、口の前に持ってきて、
「ひみつ」
と言った。言った直後にやってきたバスに乗り込み、かみなりパンダは去って行った。
ひみつ、と、かみなりパンダの言葉を口の中で反芻しながら、紅茶といっしょにぐいっと飲み干した。
ぼくもパンダになれば、かみなりパンダの喫茶店に行けるのかなァ。そんなことを思いながら、かみなりパンダが淹れてくれた紅茶をぐいぐい飲み続けた。
かみなりパンダ