眠り姫

「おはようございます。今日も陽が昇りました。
 姫,今日もお綺麗です。本当にお美しい……」

 森の中で,ボクの呟く声だけがこだまする。
 朝の光を浴びながら,真っ白な棺に横たわる姫君。
 その手を取り,ひたすら話しかけ続ける。
 幾度も,そう,幾度もその光景は繰り返される。

「王子様なんて,来ないんですよ。
 あなたには,ボクさえいればいいのです……」

 ボクは微笑で,眠る姫に話しかける。
 彼女は,この森に囚われて眠りについた。

 いや,姫がこの森にボクの魂を捕らえたのかも知れない――。

<第一章>

『ねぇ,一緒にあの森へ行きましょう?』

 ”あの森”とは,姫が幼い頃によく話していた,王子様に逢えるという噂の森だ。
 彼女を護衛する役目を担っているボクは,その森に行くことを受け入れることは出来なかった。
 ボクは諭すように彼女を諌めた。

「いけません,姫。あなたはこの国の大事な姫君。
 あのような危険な場所へ行くことは,わたくしとしては……」

『ねぇ,一緒にあの森へ行きましょう?』

 ボクの言葉を遮り,その華奢な白い手が,ボクの手首をつかむ。
 その力は,女性のものとは思えないほど強く,手首に跡がつくほどだった。
 驚きながら彼女の顔を見上げると,恍惚とした夜中の狂った笑顔を浮かべていた。

『ネェ, イッショ ニ アノモリ ヘ イキマショウ?』

* *
 ボクは逆らえなかった。

 正直,彼女を恐ろしいと感じたのも要因のひとつだった。
 しかしそれ以上に,哀れな姫君の希望を叶えて差し上げたいという純粋な思いが,
 ボクの頭の中を占拠していた。

 ―― もし何者かが姫君を襲うようなら,自分の命を賭しても彼女を守ればいい。

「……わかりました,姫。 ただし今回だけですよ?」

 ため息混じりにそう答えて彼女の表情を見ると,
 そこにはいつもの,屈託のない,
 子供のような笑顔を浮かべる美しい姫君がいた。

 嬉しそうに微笑みながら頷く彼女を見て,ボクは安心しきっていた。

『……フフフ,実はね,もう運んであるの』

* * *
 彼女の口から発せられたその言葉が何を意味していたのか,
 その時にはまだ分からなかった。

『あなたはこの花束を持ってきてね。』

 そう言って差し出されたのは,大量の紅い薔薇が束ねられたものだった。

「姫,これをどうされるのですか?」

『向こうで少し眠りたいの。フフフ』

 彼女はボクの問いかけには答えずにそう言った。

 その微笑みは,いつもの姫君のように見えた。
 しかし,ボクは見逃さなかった。
 彼女が,飲み薬が入った小瓶を胸元にしまったのを。

 かつて”魔女”が述べた言葉がボクの頭をぐるぐると巡り始めていた。

* * * *

<第二章>

 その飲み薬は,長く不眠が続く彼女の患いを癒し快方に向かわせるために,
 王国の一番優秀な”魔女”が調合したものだった。

「この秘薬は本当に良く効きますぞ。
 一日の終わりに,眠りの床に就くその前に,
 喉を濡らすとよろしいでしょう。
 ただし,一滴だけですぞ。
 それを超える量を垂らしてはなりませぬぞ。
 姫,よ~く覚えておいでなさい。
 これは姫の病のために特別に調合した,
 本当に良く効く秘薬なのですぞ……。」

 ”魔女”の指示は適切だった。
 その秘薬は,姫君の不眠をみるみるうちに快方へと向かわせた。

 その薬瓶を持って彼女は”向こうで眠る”と言う……。

* * * * *
 ざく,ざく,ざく。

 月明かりに照らされながら,
 草を踏みしめる足音がやけにうるさい。

 ざく,ざく,ざく,ざく。

 彼女に案内されてたどり着いたその場所は,
 森の中でもとりわけ空がよく見える空間だった。

 少し広いその場所はまるで,
 幼い頃の”秘密の遊び場”のようでもあった。

 そしてその広場の真ん中にうっすらと浮かび上がる白い箱。
 銀細工が施されたその箱の中には,
 真っ白な布団が敷かれていた。

 その箱には,確かに見覚えがあった。

* * * * * *
 あるとき姫は,一生懸命になりながら
 ボクのもとへ何か大きな木箱を運んできたことがあった。
 木箱には,彼女の好きな銀細工が施されており,
 その美しい模様は,
 さしずめ彼女の美髪が木箱に纏わりついているようだった。

「姫,これは何の木箱ですか?」

 嫌な予感がするのを必死に抑えながら訊ねたことを覚えている。

 姫は,やはりいつもの純粋な,
 屈託のない微笑を浮かべながら答えていた。

『これはね,わたしが森の中で眠るための棺。
 わたしはこの中で眠りながら,王子様が訪れるのを待つの』
 
 背筋を寒気が襲ったそのときの感覚は今でも忘れられない。

* * * * * * *
 姫は”森のおとぎ話”が大好きだった。
 いや,信じていたと言ったほうが正確だ。
 それとも,信じていたかったのだろうか。

 ――森で眠るお姫様,
     迎えにくる王子様。
     接吻によって目を覚まし,
      二人の幸福な日々が始まる――

 姫君はよくこの”おとぎ話”を楽しそうに話していた。
 ボクはずっと聞かされ続けていた。
 なんともありふれたおとぎ話。

 まさかそれを現実のものとして考え,
 自分で棺を準備するとは思いもよらなかった。

 彼女を守らなければ――。
 ボクはそのとき,なぜか自然とそう思っていた。

* * * * * * * *
『この棺にはね,あなたに花を手向けてもらうのよ。
 そうね,真紅の薔薇がいいわ。わたしを彩るように飾ってくれる?』

 やはり屈託のない表情で姫は言っていた。
 その言葉に絶句しながら,汗を流す右手を握り締め,
 ボクは小さな声で,はい,とただ返すしか出来なかった。

 姫は嬉しそうに微笑み,言葉を続けた。

『だってあなたが一番わたしを見てきたでしょう?
 いつもそばに居てくれるもの。
 だから,あなたなら,どうしたらわたしが一番美しくなれるかわかるはずだわ』

 ……姫,棺や花で飾らなくとも,あなたはそのままで十分に……

 ボクの言葉は喉まで出掛かっていたが,グッとこらえるしかなかった。
 護衛の身分でしかないボクには,恐れ多いその言葉。

* * * * * * * * *
 叶わない想い。

 側近として姫君を長年見続けてきた。

 彼女の美しい髪に惹かれ,

 彼女の屈託のない笑顔に惹かれ,

 彼女の純粋すぎる瞳に惹かれ,

 そう,彼女のすべてに,ボクの心は奪われていた。

 いつしかボクは彼女から目を離せなくなっていた。

 でも姫を守ることだけが,名も知られぬボクに求められている役目。

 彼女にもしものことがあれば,自分もこの身を捧げよう,
 自分だけでも添い遂げよう,と心に誓うだけだった。

<第三章>

 森の静けさが辺りを包んでいた。
 姫君は,棺の中の布団に無防備に横になって,
 幸せそうに瞳を閉じて見せた。

 それは,あまりにも自然なしぐさだった。

 ……毎晩,人知れず,ここで姫は眠っておられた……?

 彼女にとってはごく慣れ親しんだ場所,
 いや,それ以上に居心地の良い場所であるかのようだ。
 落ち着いたその表情はかえって不自然なはずなのに……。

 どうして今まで気付かなかったのか。
 ボクはバカだった。
 彼女は,夜な夜な城を抜け出しては,
 ここでこうして眠っていたのだ……。

* * * * * * * * * * *
 護衛として十分の役目を果たせていなかったボクを,
 彼女はどう思っていたのだろうか。

 姫は,横たわったまま目を開けて,ボクをじっと見つめた。

『ごめんなさい,少し喉が渇いたわ。
 お水が欲しいの。取ってきてくれるかしら?』

 こんな森の奥に,大事な姫君を独り残して……と少し戸惑った。
 しかしその不安はすぐに払拭してしまった。
 彼女にとって,ここはプライベートな寝室ほど慣れた場所なのだから。

 彼女のお願いに,頷かざるを得なかった。
 きっと大丈夫だろう。
 いつものことなんだから。

 大丈夫。
 いつものこと……。

* * * * * * * * * * * *
 水を持って戻ってきたとき,
 彼女はやはり穏やかな表情で目を瞑っていた。
 きっと待っている最中に眠ってしまったのだろう。

 少し微笑ましく思いながら,ボクは声をかけた。

「姫,お水でございます」

 ……目を開かない。

「姫,姫!」

 失礼とは思いながらも,今度は体を揺さぶりながら声を張り上げた。

 彼女はかすかに瞳を開き,まどろんだ声で答えた。

『ごめんなさい,眠ってしまっていたのね……』

* * * * * * * * * * * * *
 目を覚ました彼女の言葉にひと安心したボクは,
 持ってきた水を彼女に渡した。
 姫は上半身を起こし,その水を飲み干した。

 カタン……

 彼女の胸元から,例の薬瓶が落ちた。

「姫,大切なお薬が……」

 そういって手にしたその瓶は ――




 空になっていた。

* * * * * * * * * * * * * *
 何が起きたのかわからなかった。

 ボクが手に取ったその空き瓶を見つめていると,
 彼女は俊敏な動きでボクの手から瓶を奪い取り,
 ものすごい剣幕と形相でボクを睨み付けたのだ。 

 それまでみたことのないその姿と表情には,
 驚きを隠すことはできなかった。

『……ご,ごめんなさい。少し気が立っていて……。あ,ねぇ,お水,ありがとう』

 彼女を凝視するしかできなかったボクを,
 またいつもの微笑で安心させてくれた。


 ―― それを超える量を垂らしてはなりませぬぞ ――

 だが,”魔女”の言葉が頭を巡っていた。

* * * * * * * * * * * * * * *
『ねぇ,わたしを飾り付けて?
 せっかく薔薇を持ってきたんだもの, わたしを飾り付けてくれるでしょう?』

 ふと,彼女が優しく微笑んで言った。

 ボクは,その言葉に少しの違和感を感じながら,
 彼女の周囲に薔薇の花を敷き詰めていった。

 この森に入ってくる時点では,小瓶は薬で満たされていた。
 ではその中身は今,どこへ……?


『足りなかったみたいね』

 確かに,棺の中の彼女を薔薇で包むには,
 十分の束ではなかった。

『でも大丈夫,ほら,そこに薔薇が咲いているわ』

* * * * * * * * * * * * * * * *
 その言葉に促され,姫の目線をたどった。
 しかし,どこにも薔薇は咲いていなかった。

「姫?薔薇の花はもうありませぬが……」

『何を言っているの? ほら,そこにたくさん咲いているじゃない?』

 もう一度,辺りをよく見回し,
 彼女の目線をたどってみる。
 だがやはり,どこにも薔薇は咲いていなかった。

『ほらぁ,たくさん咲いて……イル』

 彼女が見ているのは,
 少し色味が変わった葉っぱのことだった。
 一枚だけちぎり,姫のもとに持ち寄る。

『キレイ……』

* * * * * * * * * * * * * * * * *
 寝ぼけているのだろうか ―― いや,
 そうではないことをボクはすでに悟っていた。
 そしてその葉っぱを棺の中に敷き詰めていった。

『ありがとう……すごく……キレイ』

 姫はボクにいつもの笑顔を返そうとしていた。



 しばしの沈黙。


 その沈黙を最初に破ったのは,姫のほうだった。

* * * * * * * * * * * * * * * * * *
『わたしは,この森の伝説になるの。
 きっと王子様が迎えに来てくれるわ。ワタシノ オウジサマガ……』

 彼女の瞳はまどろんだままとはいえ,輝きを呈していた。
 しかしその声は,今にも消え入りそうな,か細いものだった。

 ボクは,小瓶の中身の薬が,
 彼女の体内に消えたのだという事実を確信していた。

 無礼とは思いながらも,彼女の手を取る。
 それは,その手は,雪の季節ではないかと思うほどに
 ひんやりと冷たかった。

『そう……この森で眠って……オウジサマにめぐり逢うの……
 そして接吻で目を覚まして……ワタシハ シアワセニ ナレルノ……』

 虚ろになってゆく姫の瞳。
 不安を覚え,彼女を揺さぶった。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * *
「姫!姫!」

 大きな声で呼び続けた。
 しかし,彼女はぼんやりとした表情のままだった。

『……ンネ』

 小さな声で呟く姫。
 何を言っているのか聞き取れなかったので,
 彼女の吐息を感じられるほどに耳を近付けた。

 姫は力を振り絞って語りかけてくれた。

『ゴメンネ……あなたを……巻き込んでしまった……。
 ワタシのことなんて……忘れて……ね……、レヴィノス……』

 ボクは耳を疑った ――。

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 姫が,まさか,ボクの名前を知っていたなんて。
 そのボクの名を覚えていて,
 そして呼びかけてくれるなんて……。

 ボクは驚愕していた。

 薄れていく彼女の意識とともに,
 ボクの中での彼女への恋心は,
 確かなものになっていった。

「忘れろだなんて……そんなこと言わないでください!
 わたくしは……姫……あなたのことを――」

 彼女の手が,ボクの手から滑り落ちた。
 そして空き瓶が,小さな音を立てて彼女の手から落ちた。
 もうかすかな息しかしていない彼女に,小さな声でささやいた。

「あなたを……愛しています――」

* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * *
 ボクの目から涙がこぼれる。
 あぁ,この涙が”秘薬”ならば良かったのに。


 彼女の両の手を胸の前で組ませ,
 その上にボクは自分の手を乗せた。

 ボクの言葉は彼女に届いたのだろうか。

 いや,届いてはいない。


 届いてはいけないのだ。



 それでも,姫はいつか目を覚ましてくれるのだろうか。
 そしてまたボクに微笑みかけてくれるのだろうか。

眠り姫

 月明かりに照らされて,
 決して訪れることのない王子様を待ちながら眠る彼女の横で,
 冷たくなってゆく彼女の手を温めるように包んだまま,
 ボクはその夜,棺の傍から離れずに過ごした。

 気のせいか, 彼女はボクに微笑んでいるかのように見える。

 気のせいに違いない。

「姫,王子様は来ないんですよ……
 来ても……ボクが守ってあげます……
 あなたには,ボクさえいればいいんです……」

 ボクは眠り姫が目を覚ますのをいつまでも待ち続ける。

 ボク ガ キミ ヲ マモッテ アゲル……

眠り姫

美しい幻想の物語。 今日も少女は夢を見る。 ああ,これは少女の夢なのか, それとも幻の魅せる世界か――。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-08-20

Copyrighted
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Copyrighted
  1. <第一章>
  2. <第二章>
  3. <第三章>