記憶についてのエトセトラ 【ヴァリアー編後、雲→髑・骸綱】
クロームさん記憶喪失ネタ。
捏造傾向はこの頃からあった・・・。
記憶についてのエトセトラ 【ヴァリアー編後、雲→髑・骸綱】
不思議に思っている事が、あった。
何故、彼は彼女に、右眼を与えないのか、と。
幾つもの内臓を与えた彼が、今更、面倒がって力惜しみをするとは思えない。
何やかや言って結局可愛がっているのは伝わってくるから、愛の薄さ故、とも思えない。
戦う者にとって、視覚は大切な情報源のひとつだ。左眼健在とはいえ、右眼もしっかりとクリアであるに越した事はないと思うのだが。
何故、彼は彼女に、右眼を与えないのだろう。
という訳で。
「何でなんだ？ 骸。」
「おやおや、沢田綱吉。
つれないですね。折角の逢瀬に、君はそんな下らない質問しか僕に問うべき事はないのですか。」
「ちなみに他にどんな質問をして欲しいと？」
「クフフフ、決まっているじゃありませんか。
僕がいかに君を愛しているか言葉にして欲しい、とか、僕が君の心をいかにして手に入れたいか、とか、布団の固さに好みはあるか、とか、」
「暫く黙っててくれないか、骸。」
「クッフフフフ。」
げんなりした顔を投げ遣りに背ける綱吉に、骸はそれでも楽しそうだった。
爽やかに吹きぬける風が心地良く髪を揺らす。素足に感じる草原は柔らかく、足裏が石に切り裂かれて血を流す心配はない。澄んだ湖水は戯れる小鳥たちを映し、そして真っ青な大空を映している。木々の葉擦れは耳に心地良く、その間を駆ける生き物たちはとても楽しそうで。
これは、夢。
この世界は、骸の世界。
眠っている綱吉の精神に、骸が訪れて見せている、骸の精神世界だ。
湖の畔に白い丸テーブルを置き、これまたシンプルな白椅子を２脚出して。
綱吉と骸は、向かい合って着席していた。テーブルの上には白いティーポットがあり、そして２人の前にはそれぞれ紅茶の注がれたティーカップがる。
「何度来てもビックリするよなぁ、この世界。」
フラフラと手許に飛んできた、モンシロチョウ。何となくそいつに指先を出してみると、素直に爪先に羽を休めた。
そのモンシロチョウを眼前まで持ち上げてよくよく眺めてみる。
「何がビックリって、こんな綺麗な世界が『骸の』精神世界だなんて。」
「気のせいですか？ 褒められている気がしますが。」
「褒めてないから。むしろ貶してるから。」
ぬけぬけとした言い草に肩が落ちる。
美しい自然に満ちた、穏やかな世界。コレが、骸の本当の精神。
（いやいや、有り得ないから。
世界征服とか本気で言っちゃう男だぞ？ その実力があるっぽいのがまた怖いんだけど。他人を操るどころか乗っ取っちゃって高笑いしてるような男だぞ？ 乗っ取ってすぐそいつの武器まで使いこなしちゃう辺り、凄いと思うけど。
でもでも、『そういう』男だぞ？！
油断するな俺っ！！！）
幻覚だ幻覚、この世界もお得意の幻覚に決まってるっ！
自分の甘さや優柔不断さは敵味方問わず指摘されている。いくらこの風光明媚な世界に頻繁に呼び出され、甘い言葉で口説かれているからといって、気を許しすぎだぞ自分っ！
まぁ、その『甘い言葉』の合間に『変態チックな言葉』の数々も織り込まれている為、幸か不幸かきっちり自我は保てているが。
それはともかく。
『ヴィンディチェの牢獄は退屈だ。』という言葉自体は、本当なのだろう。
暇を持て余したこの霧の守護者は、もう何回も、『幻想散歩』と称して眠る綱吉の夢に現れていた。
どうせなら犬や千種やクロームの夢に現れてあげればいいのに。彼らはずっと、骸との再会を待ち望んでいるのだから。
そこまで考えて、綱吉の表情が僅かに曇る。
モンシロチョウが静かに飛び立っていった。
「骸。どうしてクロームの右眼を・・・空洞にしたままなんだ？」
「右眼も有幻覚で創っておけば、彼女は弾を叩き落せたのに、ですか？」
「・・・・・・。」
綱吉の瞳に困惑が混ざり、彼は何となくティーポットに手を伸ばした。
この精神世界にある物は全て、実体を持っていない。骸が自由に『設定』出来る、彼の創造物だ。骸はこのティーポットを『無限』に設定していた。
尽きる心配のないポットから、空のカップに憂いとは無縁の色を持った茶をそそぐ。
「・・・別に、お前を責めてる訳じゃないんだ。
右眼に眼帯がなければ避けられた事態だとは限らないし、そもそも俺が一緒に居たんだから、守れなかったのは俺が悪いと思う。
ただ、少しだけ・・・『もしも』を考えちゃっただけ。」
「・・・・おあがりなさい。」
「うん。」
丸テーブルの上に、美味しそうな焼き菓子が現れる。籐で編まれた入れ物を、眼前に押して寄越した骸に綱吉は、言葉短く返してマドレーヌに口を付ける。
綱吉の好きな、蜂蜜入りのマドレーヌ。
無性に泣きたくなった。
「『眼は脳の出張所』という言葉もあるくらいでしてね。」
「？？」
俯き、危うく本当に泣く所だった綱吉は、骸の言葉が自分の問いへの答えだと気付くまでに少しかかった。
骸は考え深げな瞳で綱吉を見つめている。
「他の臓器と違って、眼球はそれ自体が脳と繋がっています。血管や神経の部分まで。脳にとっての明かり取りの小窓。それが眼球ですから。
どんな牢獄にも付いているでしょう？ 小窓や、あるいは小窓に準ずる外との接点が。」
「・・・ええと、うん、付いてるんだ。」
牢獄に入った経験のない綱吉に、『付いているでしょう？』と同意を求められても困る。
骸もそれに気付いたのか、笑みに苦笑が混ざった。
「要するに、難しいんですよ。脳を欺く幻覚で、脳に直接繋がっている器官を創るのはね。下手をすれば彼女の脳が傷付いてしまう。
いくら僕でも脳までは創れません。」
「脳が、傷付く・・・。」
「クロームの・・・いや、凪の場合、眼と臓器の損傷は激しかったが、奇跡的に脳は無事でした。だからこそ、脳に『臓器は無事だ』と思い込ませる、などという荒業が可能だった。
だが、眼球は。
そちらは、幻覚で創るのはかえって危険。
そう判断して、そちらは損傷した眼球の摘出に留めたのです。彼女自身、眼を取り戻す事を望みませんでしたしね。」
「『望まない』か・・・。
骸。クローム、喪った１３年間は要らないから、思い出す必要はないって・・・。お前と出会う前の時間には、興味ないって・・・。」
「クフフフ。変わった娘でしょう、クロームは。だが、アレで良いのですよ、彼女は。」
「良いって、そんな。」
「彼女が右眼を『要らない』と言った時、僕は確信しましたよ。この娘なら、どんな劇的な環境変化にも耐えられる。自分に何が必要か、ちゃんと見極めてやっていける。
確信・・・というより安心したんですよ、僕は。」
骸は透徹した表情で笑っていた。
目が覚めると綱吉の部屋は、夜明け前の薄明るい光に満ちていた。
時計の時間は、６時１５分。
「・・・・・・。」
コテン、と枕に頭を預ける。
１週間前の事だ。
本人の望みに関わらず、ザンザスを退けた綱吉はボンゴレ１０代目の席に限りなく近い候補で、そしてその存在は対外的に部外秘。秘密中の秘密とされている。だが、例えば骸たちがそうであったように、綱吉の所在を自力で見つける輩も居なくはない訳で。
そいつらも、そういう輩のひとつだった。
丁度クロームの食生活を心配して、綱吉たちが弁当を差し入れに黒曜ランドに行った時に襲ってきた。人気の無い所なら都合が良いと思ったのかも知れない。
武力の程はチンピラ程度。
綱吉は勿論、一緒に居た隼人たちの敵ではなかった。
ただ一点、今までと違ったのは・・・問題だったのは。
彼らの所持していた、特殊弾。
被弾した者の過去の記憶を、一部分だけ削り取る力。全て、ではない。例えば１０歳～２０歳まで、とか、生まれてから１２歳まで、とか。ランダムに、部分的に、それでいて広範囲に、被弾した者に忘れさせる力。そういう力を持った特殊弾だったのだ。
ランボの属するボヴィーノファミリーに時を操る特殊弾・１０年バズーカがある以上、記憶に関する特殊弾があっても不思議ではない。
そして、クロームはその弾に被弾してしまった。
骸を探して偶然黒曜ランドに来ていた恭弥を、庇っての事だった。
「雲雀さん、どうしてるかな・・・。」
珍しく動揺していた。
『必要なかったのに。』とか言って、去って行ってしまうかと思ったのに。彼女の右肩を撃った男を、滅茶苦茶に咬み殺してから彼女を抱え上げて、わざわざ犬と千種の許まで運んでいた。借りを作りたくなかったのかも知れないが、その割には２人の前に彼女を放り出してからも、スッキリした顔はしていなかった。
クロームの右肩の傷は、それ自体は掠り傷で。
でも気を失って、軽く熱も出し、そしてその熱が引いて意識を取り戻した彼女にリボーンが訊ねたのだ。敵を締め上げたリボーンは特殊弾について知っていた。
『お前の本名は？』と訊いた赤ん坊に、首を傾げたクロームは、やや間を置いて答えた。
『クローム髑髏』と。
「行ってきます。」
様々な角度から何度も質問を重ねた結果、クロームは、生まれてから１３年間、骸と出会う寸前の記憶までがスッポリ削り取られている事が判った。
今の彼女の記憶は、交通事故後の集中治療室から。
幻想散歩中の骸と、夢現の中で偶然出会った所から、始まっている。
「おはようございます、１０代目！」
「よっ、ツナ♪」
「おはよう、獄寺君、山本。」
いつもの道、いつもの登校途中。
いつものように隼人・武と合流して学校に向かう道すがら。今ひとつ元気のない綱吉に、２人は顔を見合わせた。
２人共、理由は判っているのだが。
クロームは、自分が１３年分記憶喪失だという事態は、すぐに理解した。だが、慌てふためき心配する守護者仲間たちに、彼女は淡々と告げた。
気にする必要はない、と。
『私には、骸様と出会えてから先だけが、意味のある時間なの。』
いつもの内気で小さな声で、でもはっきりとそう言った。取り戻す必要はないと。被弾したのが自分で良かった、とも言っていた。
良かった、で済ませられないのは、済ませたくないのは、綱吉たちの方である。
５分間で元に戻る１０年バズーカと違い、記憶弾（仮）の効果は永続的。つまり、クロームが記憶を『取り戻す』事は、二度と無い。
でも、新たに『知る』事は出来る筈。
そう考え、綱吉たちはクロームの過去を調べる事にしたのだ。『クローム髑髏』になる前の彼女が、どんな人生を送っていたのかを調べ、それを彼女に伝えれば良い、と。
だが。
「そっか、山本の方も・・・。」
「悪ぃな、ツナ。」
「あ、謝んないで山本っ。収穫ないのは俺もなんだし。」
「申し訳ありません、１０代目・・・。自分も人の過去洗うのは初めてで・・・どう調べたらいいのかも、手探りで。
チックショウ、そもそも一番情報持ってそうなの骸じゃねぇか。自分の分身の事だろ？あいつが黙り決め込まなきゃよぉ・・・！」
「あははは・・・。」
実は綱吉も思っていた・・・納得していなかった事だが、笑って誤魔化しておく。
彼女を『クローム髑髏』にしたのは、他ならぬ骸だ。当然、身元や本名、血縁の家族の事など、最もよく知っている筈だろう。
だが、骸は情報提供を拒否した。
綱吉たちから一通り状況を聞いた骸は、その時点では何も言わなかった。
一度クロームに戻った状態で、精神越しに彼女からも話を聞き、もう一度出現した。
そして『女性の素性など、霧の中に隠しておくものですよ。ベラベラと口に乗せる代物でもありませんね。』という言葉を残して、すぐに消えてしまった。
以来、骸はこの件に関しては沈黙を通している。
何回か、夢で綱吉とは会っているが、その時にも固く口を閉ざしていた。さりげなく聞き出そうとしてもダメ。足組みして余裕の笑みを浮かべ、それでいて、夢の中から出て行く事はしない。綱吉の反応を楽しむかのように観察している。
骸がその態度を通して、暗に何を言いたいのかは、判る。
クローム本人は、記憶の回復など望んでいない。それで不都合はない。本人にも、周囲にも。
幸福に満ちた人生ではなかった事も、彼女を見ていれば判る。
『喪った１３年間も含めて、彼女の人生なんだ。それを取り戻してこそ彼女の人生は輝くんだっ。』
などという言葉が綺麗事なのは、いくら綱吉でも判る。
だから、感情的には納得出来ていなくても、骸に正面から強く言って、口を割らせる事は出来ない。
でも、知りたい。結局は自分たちが知りたいだけ、なのかも知れない。
ならば、自分たちで調べるしか、ない。
「言葉を尽くして食い下がって、教えてもらったのは結局『凪』っていう下の名前と、年が１３歳って、それだけだもんな。
黒曜への転入書類は偽造で、そっち調べても無駄だって事も同時に教えられたけど。」
「名前が『凪』の１３歳の女子中学生。
っだ―――っ、何万人居るんだっつのっ。」
「凪って、別に珍しい名前じゃないもんね。
せめて何処の中学か、それが判れば大分絞れるのに。それか、制服着た写真とか。」
武、隼人、綱吉。
順番に弱音を吐いた所で、ふと隼人が立ち止まった。
「制服着た写真・・・。」
「獄寺君？」
「そうだ、こういうのはどうっスか１０代目♪
例えば卒業写真とかの、集合写真。アレ、結構高く売れるんスよ。クロームの元クラスメートの中に、その手の写真とか、卒業アルバムとか、もしも売り飛ばしてる奴が居たら。」
「そういう店に流れた写真の中に、クロームが映ってるかも知れない？」
「そうっス♪」
「クラスメートの誰も売り飛ばしてないかも知れないし、そういうお店って、それこそ星の数だと思うんだけど・・・。」
「でも、獄寺の言う通りかもな。今のトコ、それ以外に有効な手もねぇし。」
「うん。まずは探してみようか。」
「はいっ！」
３人は気付いていなかった。その作業がどれ程膨大なのかを。
結局、半日も保たずに挫折する事になった。
難しい顔をして黙り込んでいた。
並盛中学・応接室。
その部屋を使うただ１人の男・雲雀恭弥。
彼の眉間の皺が取れた所を見た者は、この１週間誰も居ない。
「恭さん・・・もしや自分の調査に不備でも・・・。」
多大な緊張を以って恐る恐る訊ねてきた副委員長に、恭弥は目もくれずに首を振る。
その視線はずっと、机上に置かれた一冊のファイル、その表紙に注がれたまま。
ファイル名はいたってシンプル、『クローム髑髏について』。
「・・・・・・・。」
ひとまず胸を撫で下ろした哲矢は、しかし、と気を張り直す。
敬愛する風紀委員長・雲雀恭弥から、女性の過去を調べるよう命令された時には何事かと思ったものだが。
その対象がクローム髑髏、という事なら納得がいく。恭弥自身は何も言わない。副委員長である哲矢にクロームの写真を一枚渡し、『プロフィールが知りたい。』と言ったきりだ。が、事情は綱吉たちから聞いていた。
その『事情』から推察出来る恭弥の望みは、クロームの正体、経歴の調査。
綱吉たちと同じだが、群れるのが嫌いな恭弥はそれを独力でやりたいのだ、と。
哲矢は、そう思っていたのだが。
だが、しかし。
『ご苦労だったね。大体判ったよ。』
その言葉に喜んだのも束の間、恭弥はすぐに難しい顔に戻り、以来、ずっと、哲矢の作成したファイルと睨めっこしている。
（一体、何故・・・アレ以上、どの項目を足したら恭さんは喜んでくれるんだ・・・？）
あのファイルに、恭弥は一応の満足を示した。それは判る。だが、それだけでは哲矢が満足出来ないのだ。一分の隙もなく完全に恭弥の知りたい事全てを載せる事が出来ていたら、今目の前の恭弥は、こんな難しい顔はしていないだろう。
恭弥の望みは、全部叶えたい。
それが哲矢の望みだった。
だが、他にクロームの何を調べればこの主は喜んでくれるのだろう
「よぉ、恭弥。邪魔するぜ。」
悩む哲矢をよそに、脳天気な声と共に顔を出したのはディーノだった。恐れ気もなく応接室に足を踏み入れ、恭弥の向かいのソファに腰を下ろす。
教え子の、冷たい視線も何のその、だ。
「何度言ったら判るの？ 部外者は立ち入り禁止だよ。」
「そう固い事言うなって。」
機嫌悪げな恭弥の殺気も軽くいなすディーノ。ふと、彼の眼前の薄いファイルに眼を留める。タイトルにクロームの名が入った、一冊のファイル。
さりげなく、ニヤリと笑う。
「ツナから大体の事情は聞いてるぜ。霧の守護者が記憶喪失になったんだろ？
お前を庇って。」
「向こうが勝手にした事だ。僕は頼んでいないよ。」
「ほうほう、そうか。じゃ草壁に調べさせたソレは？」
「草食動物がうるさいから。」
「ほうほう、じゃぁ、俺が見てもいいよな？」
「・・・何でそうなるの。」
「ツナに渡すんだろ？ どうせツナに見せてもらうんだし、その前にここで俺が見ちまってもいいじゃないか。機密って訳でもねーんだし。」
「・・・・・・。」
また一段階、恭弥の機嫌が悪くなった気もするが。それ以上恭弥はディーノを止めなかった。
一方のディーノは、開いたファイルに目を瞠る。
（風紀委員てのは、一体どんな組織なんだ・・・？）
恭弥は骸からのヒント・『凪』『１３歳』を受け取っていないと聞いている。代わりに骸が幻覚で創った１枚の写真を、綱吉経由で受け取ったと。
たった１枚の写真、それも私服で写った証明写真から、哲矢は完璧に再現してみせた。クローム髑髏が『凪』だった頃の、過去を。
名前と年齢は元より、両親の仕事関係・交友関係・血液型・誕生日・通っていた学校・果ては親戚筋に至るまで。本人の姿を示す写真も、複数添付されていた。その中には学校の集合写真らしき物も含まれている。
下手なマフィアよりも、調査能力には余程優れているようだ。
（だがしかし、やはり草壁も１４歳。あと１歩の踏み込みが足りないな。）
仮にもディーノは、恭弥の家庭教師である。
判っている。普段全くと言って良い程他人に興味を示さない恭弥が、何故、わざわざ部下に、クロームの過去など調べさせたのか。判っているのだ。
彼の眼は、しっかりコトの本質を捉えていた。
「流石だな、草壁。大変だったろ。」
「実は、そうでもありませんでした。
沢田さんは六道骸に、黒曜への転入書類は偽造と教えられたそうです。ですが、念の為黒曜に提出された書類を取り寄せて検証してみた結果、大半の裏が取れました。どうやら本物の経歴を元に、矛盾が生じる部分を偽造して辻褄を合わせた、という事のようです。
母親は、舞台を中心にそこそこ顔の知られた女優だったようで、その線からも色々浮かんできました。」
「だが、つい最近ノイローゼの末自殺、か。継父も同じ時期に死んでるな。
この分じゃ、音信不通の実父も怪しいな。自分から親権を放棄するような奴だろ？」
「どうせ過保護なパイナップルが何かしたんでしょ。」
「お？」
「恭さん？」
「判らないな。何でクローム髑髏が骸を慕うのか。」
（っしゃぁ・・・っ！）
恭弥の言葉の真意が掴めず、困惑する哲矢をよそにディーノは内心小躍りしていた。
これは本格的にもしかするぞ。
「さて、と。
それじゃあな、恭弥。このファイルは貰ってくぜ。」
「何で？ あなたに教える為に調査した訳じゃないよ。」
「ツナに渡すんだろ？ 俺が渡しといてやるよ。」
「・・・置いていかないと咬み殺す。」
「ディーノさんっ！ コピー、コピーをお渡ししますからっ！！」
ディーノのからかいに、本気になりかける恭弥。哲矢は大慌てでファイルを取り上げると、校内のコピー機へ走った。
おかしい。この件に関して、恭弥の反応は悉く、おかしい。
哲矢の混乱はますます深まっていった。
「クローム・・・僕の可愛いクローム・・・。」
「骸様。」
夢の中、あの美しい世界で。
クロームは約１週間ぶりに骸と再会していた。敵の襲撃で記憶喪失になり、綱吉たちに骸の招聘を懇願されたのが先週の土曜日だった。彼女の方から骸を呼び出すなんて殆ど初めてだったから、記憶喪失よりそちらの方に緊張した。
そして、今日は月曜日の夜。
骸に会うのは、会えたのは、１週間と２日ぶり、だ。
「記憶を失くしてから、２週間目に突入しました。
体調はどうですか、クローム。何か不自由はしていませんか？」
「私は大丈夫です、骸様。
体は軽いし・・・精神的にも、特に不都合な部分はありません。」
「・・・・・。」
楽しそうに笑ったクロームに、骸も優しく笑顔を返して、彼女の髪を撫でた。
最初は器として目を付けた娘だったが、こうして同調し、その素直で優しい精神に触れるにつれ、骸の中には彼女を妹のように思う感情が芽生え始めていた。年齢的にも、２歳違い。兄妹ごっこをするには都合が良い年回りだ。
骸にとって、クローム髑髏＝凪は色々な意味で大切な娘で。
その『大切な娘』が、『楽しそうに』笑っている。
初めて見る、彼女の陰のない笑顔。
『あの』記憶がある限りは、見られる筈のない笑顔だった。
「犬と千種は？ この件に関して、何か言っていましたか？」
「２人共、特には・・・。
千種は『大事なのは骸様の器で居られるか、どうか。それだけだ。』って。記憶の有る無しは憑依には関係ないから、欲しくない記憶ならなおの事、失くしたままでいいんじゃないか、って。
犬は何も言わないけれど、同じ意見みたいです。
でも気に掛けてくれているみたいで、お菓子を多めに買って来てくれました。」
「彼は素直じゃありませんからね。アレで結構、お前を仲間として認めているのですよ。
でも菓子ばかりでは体を壊します。肉と野菜を、バランス良く摂るのが大事ですからね。」
「はい、骸様。」
教え諭す骸の言葉に、クロームは従順に頷いて、それから柔らかく微笑んだ。
「骸様、お医者様のよう。」
「医者、ですか。僕が？」
「はい。この間、ロマーリオさんに診察して頂きました。その時お食事の事でアドバイスも頂いて・・・。
ロマーリオさんの口調と今の骸様の口調、そっくりです。」
「あの親父、僕の可愛いクロームに変な事吹き込んでやしないでしょうね。」
言ってから骸は、自分の過保護の片鱗を自覚して苦笑した。他人の体など、自分にとっては自由に乗り換えの効くゴーカートのような物だ。だというのに、ごくごく時たま、こういう相手が現れる。千種然り、犬然り、クローム然り。『こういう』・・・分類不可能な、相手が。
骸はエストラーネオファミリーの人体実験に付き合わされていた過去もあり、人体には他人よりずっと詳しい。自身は医師免許を持たないが、医者に憑依した事は何度もある。外科医、内科医、小児科医、精神科医、珍しい所で産婦人科医なんてのも居た。そうして医者に憑依し、餓鬼道の『他人の技を奪い取る』スキルで、貪欲に知識を吸収してきたのだ。そうやって臓器に詳しかったお陰でクロームの体も創れたし、そもそも『あの時』、病院内を幻想散歩していたのだって、憑依して新たな知識の得られそうな医者は居ないかと、物色していた所だったのだ。そういう相手とは、同調出来なくとも良いのだ。一瞬だけ中に存在できれば、その一瞬で餓鬼道を発動し、一瞬で全て奪い取れる。
「骸様・・・。」
「どうしました、クローム。」
「その、許可を頂きたい事が、あって・・・。
３階の映画館に、いつの間にか野良猫が１匹迷い込んでいて・・・。痩せてて、あまり動かないから心配で。その猫を飼おうかって、３人で話してたんです。ご飯をあげてもいいですか？」
「猫くらい何匹でも飼えばいい。
潜伏資金の事を気にしているなら、その必要はありません。いつか尽きる物です。そして、尽きたらまた奪えば良いだけの事。
そうだ、こうしましょう。
猫には少し高いくらいの食事を与えてやりなさい。猫缶でも、キャットフードでも。２種類売られていたなら高い方を買うのです。
そうすれば、犬も少しはお前や自分たちの食べ物に関心を持つでしょう。ペットより貧しい食生活、というのはいくら犬でも嫌でしょうしね。」
「はい、骸様。」
クロームが再び、嬉しそうに笑った。
骸たちの生活費は、当然ながら全て盗んだ金である。
彼らが最初に得た『現金収入』は、エストラーネオファミリーの研究資金だった。ファミリーの大人たちを全員血祭りにあげた後、現金を持てるだけ持って逃げたのだ。それが尽きてからは、カジノを襲って上がりを奪ったり、喧嘩で倒した相手の財布を奪ったり、脅して通帳から現金を下ろさせてそれを奪ったり。その繰り返しだ。
骸たちにとって、現金とは正面から戦って奪う物、なのである。
クロームが加わってからは、まだ、潜伏資金は尽きていない・・・つまり、『奪う』所を、彼女にはまだ見せていない。
そこらを歩くごく一般的な少女たちなら、きっと恐れをなして離れていくだろう。仲間の強盗姿など見たら。
だが、クロームなら大丈夫。この子なら、どんなに馴染みの薄い事も現実として受け入れ、やっていける。
骸はしみじみ、憑依体質を持つのがこの娘で良かった、と思っていた。
「そうそう、クローム。」
「はい、骸様。」
「トイレの躾などは、あの廃墟の事ですから今更です。多少汚れても構いません。
でも、ひとつだけ。車道に飛び出さないようには、躾けておきなさい。寂れて久しい道ですが、バイクなどが通らないとも限りませんからね。」
「はい、骸様。
轢かれてしまったら可哀想ですものね。」
「えぇ。」
クロームが、無邪気に笑う。骸もそれに笑い返す。
彼女は、自分が何故、集中治療室に居たのか。それを覚えていない。
「でよぉ、リボーン。恭弥の奴、全然自覚してねぇの。
可愛いったらねぇよな。」
「そうか、あの雲雀がな・・・。」
クロームが骸と話をしていた頃、沢田家ではディーノとリボーンが話をしていた。
綱吉も子供たちも、もうとっくに夢の中だ。この家で今起きているのは、夜のベランダで涼むこの２人だけ。内緒話には持って来いだ。
「するとアレだな、将来的にはボンゴレ史上初・雲と霧の守護者夫妻、なんてのが実現するかも知れねぇ訳だ。」
「恭弥がクロームを落とせれば、だけどな。
リボーン。まさか職場恋愛禁止、なんてカタい事言わないよな？」
「バカ言うな。むしろボンゴレにとってはそっちの方が都合がいい。余計な人間に、ファミリーの結束を乱されなくて済む。骸の首に鈴も付けられるしな。」
「まぁ、言いたい事は判るけどよ。」
あくまでドライな姿勢を崩さない師匠に、ディーノは苦笑して缶ビールをあおった。
今日の酒は祝杯だ。可愛い弟子が、ようやく青春を謳歌し始めているのだから。
「俺はさ、リボーン。物凄い嬉しいんだ。」
「？」
「恭弥はあの通りの男だから、誰も寄せ付けねぇ。男は勿論、女もな。一生独りで生きていくんじゃないかと思ってたし、実際、そのつもりだったろう。
確かに、それも悪くねぇさ。でも、やっぱりな・・・。無条件に誰かを大切にする経験、ってのを、一度はして欲しいと思ってたんだ。それに、無条件に誰かに大切にされる経験、ってのもな。
俺は恭弥のプライベートは何も知らねぇ。でも、アイツに必要なのは、そういう事なんじゃないかって。そう思うのさ。」
「・・・・・・。」
６人の守護者たちの中で、身元がはっきりと判っていないのは恭弥とクロームだけだ。
クロームの場合は、骸の身元が判っている為、問題なしとされてきた。彼女は彼の器以上でも以下でもないのだから、と。９代目や家光始めボンゴレ上層部も詳しくは調べなかったのだ。目下、骸の器になれるのは彼女だけである。下手に調べて『不適格』という結果が出てしまっても、それはそれでまずい。
恭弥については、調べようという動きはあった。が、どの角度から調べても、必ず何処かで糸が切れるのだという。学籍、提出書類、自宅、エトセトラ。どれひとつとして、彼は結局何者なのか、という答えには繋がらない。両親は誰で、並中入学までどういう生活をしてきたのか。トンファーは誰に習ったのか。ロクに出てこない。
あるいはその辺りに、恭弥が並盛という地を並ならぬ情熱で愛す理由が隠れているのか。
「ディーノ。そのファイルどうする気だ？」
「これか？
恭弥が本当に知りたい事を書き足してから、恭弥に返してやるのさ。」
「・・・変な事書くと雲雀に咬み殺されるぞ。」
「大丈夫だって。
草壁もよく調べてるけどよ、結局恭弥の知りたい事って、惚れた女の生な過去なんだよな。客観的な身上調査じゃなくて。例えばスリーサイズとか、彼氏は居たのかとか、どんな野郎が好みなのかとか、自分の星座と彼女の星座の相性とか、好きな動物とか。」
「お前最近、シャマルのヤロウに似てこねーか？」
「似てねーよっ。話題が偶然それ系なだけだっ。」
「将来的に雲雀をシャマル化させるのはやめてくれよな。」
「リボーンっ！！」
師の企みを内包して、夜が更けていく。
「これ。」
「え・・・？」
「霧に渡しといて。これで借りは返したからね。」
「え―――っ？
雲雀さん、もう調べちゃったんですかっ？！」
明けて、火曜日。
わざわざ教室にまでファイルを渡しに来た恭弥は、綱吉の机の上にポイッとファイルを投げ落とした。表情はいつものポーカーフェイス。一見すると、いつもの恭弥と変わらないように見える。
「『もう』って、アレからもう１週間以上だよ。写真一枚あれば余裕で調べられるだろう。」
「凄ぇな雲雀。俺たち、名前と歳だけは判ってたけど調べらんなかったぜ。」
「・・・・・。」
「雲雀さん？」
武の無邪気な一言に、恭弥のまぶたがピクリと動く。
だが、それだけだ。それ以上の反応は見せないまま、恭弥は綱吉たちに背を向けた。
「確かに渡したよ。ちゃんと霧に渡しといてよね。」
「はいっ。」
「雲雀の野郎、何かあったんスかね。」
「うん・・・。」
天敵故にと言うべきか、隼人もまた何かが引っ掛かったようで綱吉に問い掛ける。だが綱吉の超直感でも、雲雀に感じた違和感の正体までは判らなかった。
いくらボンゴレの血統でも、余程早熟でない限り、同年代には助言のしようのない悩み、なのだ。
とにもかくにも、彼女の過去は判ったのだ。風紀委員の調査なら信頼出来る。喜び勇んだ綱吉たちはその日の帰りに黒曜ランドに寄ったのだが。
だが、忘れていた。
そうだった。彼女は過去を取り戻す事を拒んだのだ。
「・・・？ 要らない。」
「いや、でもさ、折角あの雲雀さんが調べてくれたんだし・・・。」
「要らない。」
「クローム、雲雀って奴は群れるのが嫌いでさ、他人に全然関心持たない奴なんだ。
そいつがわざわざ動いたってのは、相当レアなんだぜ？」
「でも、頼んでない・・・。」
「頼んでなくても、受け取るのがスジってモンだろーが。あの野郎、これで借りは返したっつってたぞ。」
「貸しとか、思ってないし・・・。興味、ないし。
雲の人が怪我したら、記憶を失ったりしたら、ボスが困る。ボスが困ると骸様が困る。だから・・・偶然だったけど、私に何とか出来る事なら、何とかしなくちゃって、思ったの。もしまた同じ事が起きたら、同じ事をすると思う。したいと思う。
私は記憶を失くした事で何も困っていないし、困っていないのに知りたいとは思わない。だから、そのファイル、要らない。」
「クローム・・・。」
「チッ。」
「意外だな。相当頑固なのな。」
隼人のガラの悪い舌打ちにはビクッと身を震わせたクロームだが、だからと言ってファイルを受け取ろうとはしなかった。
武も苦笑する意志の固さだ。
「あ～、らめらめ、意味ないぴょん♪」
「無駄だよ、一度そうなったらクローム、骸様に言われない限り頷かないから。」
「城島犬、柿本千種っ。」
「フルネームで呼ばないで。めんどい。」
「どういう事だ？ 『そうなったら』って。」
一度は敵対した相手を、下の名前で呼ぶ事に一瞬、抵抗を見せる隼人。思えば綱吉サイドの中で彼が一番、この２人に散々な目に遭わされたのだ。
そんな事には頓着せず、持ち前のフレンドリーさを発揮して訊ねた武に、千種も意外としこりを感じさせない淡々さで返答を与えた。
「そのままだよ。滅多にないんだけどね。
納得出来なかったり、筋違いだと思ったり、どうしても嫌だと思ったり。そういう時のクロームは妥協しないっていうか、意味判んないまま意志を曲げたりしないっていうか。とにかく、物凄く頑固になる。
ただ闇雲に『ファイルを受け取れ』って言っても、絶対受け取らないよ。」
「過去を知る必要を感じない限り、か。」
「そういう事。」
骸が言えば受け取るのだろう。だがしかし当の骸には、情報提供を拒むという形ではっきりと、『過去を取り戻す必要はない』という意思表示をされている。そもそも頼んでも、彼女は骸に連絡を取ってはくれない気がした。
ではやはり、彼女自身に受け取る気になってもらうしかないのだが・・・。
「見るだけでも・・・。」
「嫌。」
とうとう漢字一文字になってしまった返答に、綱吉は頭を抱えた。
このままこのファイルを持ち帰ったりしてみろ、雲雀さんに絶対咬み殺される・・・！
「ええと、ね、クローム・・・？」
「・・・・。」
クロームはとりあえず綱吉を、いつもの純粋で一途な瞳で見返してはくれる。
武と隼人が見守る中、彼らのボスは一生懸命に言葉を選んだ。
「過去とか思い出とかって、とても大事な物だと思うんだ。
俺たち自身が思うより、ずっと深い所で俺たちを支えてくれている物だと思う。落ち込んだ時、小さな頃の事を思い出して元気が出たり。昔誰かに貰った言葉がトラブル解決のヒントになったり。
今、知りたくないならそれでもいいんだ。でも何十年かしたら、知りたくなるかも知れないだろ？ その時の為に、持つだけ持っておいて欲しいなって。」
「・・・・・。」
「ケッ、やっぱお前らボンボンだぴょん。ボンボン育ちのボンゴレやろーめ。」
「てめー！ １０代目になんて口をっ！！」
「めんどいけど犬が正しい。」
「！！」
黙ってしまったクロームの代わりに、聞いていた犬が茶々を入れる。案の定噛み付いた隼人を、犬に代わって過剰とも思える程鋭い眼光で威圧したのは千種だった。
「記憶に苦しめられるだけの人間も居るんだって事、知らないだろ。
励みになる思い出も無ければ、支えになる言葉も貰った事は無い。あるのは消耗品として扱われた痛みの記憶だけ。
そんな人間が居る事なんて、きっと今の君は想定していなかったろ？」
「それは・・・。」
今度こそ、綱吉は言葉に窮した。
頭では判る。でも血肉の通った実感としては解らない。だから、血肉の通った反論の言葉も、慰めの言葉も出てこない。出せはしない。
武も、隼人もこればかりは助けになれなかった。
３人の中で一番近い体験をしてきたのは隼人だろうが、それでも彼は確かに持っていた。８歳までは、優しい家族を。『ピアノ好きなお姉さん』・・・生母の記憶は優しい物だし、今だって、何やかや言ってビアンキが居る。
千種の視線に不愉快さが混ざった。
「条件が違い過ぎるんだ。信じるモノも、何もかも違う。
骸様が仰るからある程度は協力するけど、仲間面してお節介焼くのはやめて欲しいね。」
「ボス。」
「クローム？！」
「私ね、骸様と出会う前の事は忘れちゃった。でも、骸様と出会って、ここで暮らすようになって、思った事はちゃんと覚えてるの。
『昔と違って、私は今ちゃんと此処に『居る』んだなぁ。』って。しみじみそう思ったのを覚えてるの。」
「・・・・・・。」
「その『昔』がどんなだったかは覚えてないけど・・・多分、ずっと１人で、私を見てくれる人が、誰も居ない『昔』だったんだと思う。
私、今幸せ。骸様の役に立てるから。
だから、それ以上の記憶は、私には必要ないの。」
「本人がそー言うんらから、放っとけっつの。」
「そのファイルはボンゴレの資料室にでも押し込めとくんだね。」
それからクロームは、日課にしている修行をしないといけないから、と姿を消し、残った犬と千種にもそれ以上は取り合ってもらえず。
結局綱吉たちはファイルを持ち帰るしかなかった。
さ～て困ったぞ。雲雀さんに何て言おう。
「別に、わざわざ報告する義務はないんじゃないか？」
「甘いよ山本・・・。雲雀さん、こういう事は細かいんだ。絶対向こうから訊いてくるって。『ちゃんと渡せた？』とか言って絶対教室まで来るって・・・嘘ついてもバレるし！
あ～どうしよう、何て答えれば咬み殺されずに済むだろう・・・。」
「ていうか、１０代目。
そもそもこれって、実は２人だけの問題じゃありませんか？ 骸命で雲雀なんて恐らくまともに名前も覚えてねぇし影すら眼中にねぇだろうクロームと、トロくてクロームに庇われた上に借りも返させて貰えない雲雀の。
何で俺たちが間に入って、ファイル持って右往左往させられてるんです？
そのファイルだって、風紀委員が調べたヤツでしょう。俺たち風紀委員のパシリじゃねぇっつの。」
「獄寺君・・・。」
「獄寺、お前その台詞雲雀の前で言うなな。」
「ケッ、１０代目のお優しいお心に付け込む悪い虫め。」
明けて、水曜。
いつものように一緒に登校した３人は、例の件について話しながら校門前に居た。
そう、校門の内側ではなく、外側に、だ。
何故なら入れないから。
恭弥が校門前に陣取っていて、中に入れないから・・・！
「うわぁ、誰かか何かを探してるよ・・・。今日何かの検査の日だっけ？」
「いや？ 探してんのは俺らの事じゃね？ 昨日の今日であいつが俺らに持つ用事っつったら、やっぱ・・・。」
「ファイルの事、だよね・・・。
うわ～っ、やっぱり俺、今日此処で雲雀さんに殺されちゃうんだっ！！」
「任せて下さい１０代目っ！
この獄寺隼人、未来の右腕としてきっちり話、つけてきますっ！」
「ご、獄寺君っ。」
綱吉と、武。生温かく見守る２人の前で、勇んで駆けていった隼人は門柱に寄りかかって人波を眺めていた恭弥の元へ着くと同時に。
咬み殺された。
（（あぁっ・・・！！））
余程重い一撃だったのだろう、トンファーの横殴り一撃で沈む隼人。
その隼人の身を案じる間もあらばこそ。真っ直ぐ自分たち目指して歩いてくる恭弥に、脳天気な武も流石にかなりビクついている。
「よ、よぉ、雲雀っ♪」
「沢田綱吉。
ファイル。渡せなかったんだって？」
「え？ は、はい、そうなんです。
クロームは記憶喪失になった事、全然気にしてなくて。自分の過去には興味ないって、そう言っていました。興味ないし困ってもないから、知る必要もないって。
だからファイルも受け取る気はないって・・・。」
「ふぅん、そう。」
「はい・・・？」
「僕の事は、何か言ってた？」
「え？ ひ、雲雀さんの事ですかっ？」
「・・・・・・・。」
恭弥は同じ事を二度言う気はないようで、じっと綱吉の目を見下ろしてくる。
混乱したのは綱吉だ。
（雲雀さんの事？ 別に何も言ってなかったような・・・。え、そこまで聞いて来いとは言われてないよな俺たち。つか何て言われたいの？ この人クロームに借りが出来て、それを帳消しにしたくて彼女の過去を調べただけだろ？）
隼人ではないが、メッセンジャーになどなった覚えはない。が、そこは恭弥相手の事。口が裂けても言えない訳で。
話の流れ上も、彼の雰囲気上も。『クロームは骸様のお役に立てる今が幸せで、雲雀恭弥との貸し借りなんぞ興味も何もありません☆』と言っていたなど、とても口に出せる様相ではなかった。
出したが最後、間違いなく殺られる。
「ええと・・・『気に掛けてくれるのは嬉しいけど、貸しとか借りとか細かい事は気に病まないで欲しい、もし二度目があれば、今度もまた私が雲の人を守る』、とか、言ってたような言ってなかったような・・・。」
「ふぅん。」
言ってない事１００％な綱吉の台詞に、恭弥からスゥッと殺気が消える。これは大変に珍しい事だ。常に臨戦態勢で咬み殺す相手を探している彼から、一瞬でも殺気が消える事など。
混乱を極める綱吉に、恭弥は欠片も頓着しない。
当然の顔で右手を差し出してきた。
「？？」
「ファイル。返してくれる？
やっぱり自分で渡しに行くから。」
「？ はい。」
言われた綱吉は、素直に鞄からファイルを出した。部屋に置いておくのも落ち着かないし、何となく学校に持って来てしまったのだ。
ぶっちゃけ、恭弥が自分でクロームと話をしてくれるならそれに越した事はない。というか、最初からそうしてくれたら良かったのに・・・とは絶対口には出せないが。
去っていく背中を、綱吉と武は呆然と見送った。
「嘘・・・ついちゃった。」
「だな。」
「でも、バレなかった。」
「だな。」
「雲雀さん、ホントどうしちゃったんだろう・・・。」
「だな。
だけどよ、ツナ。俺たち恐ろしい事実を忘れてるぜ？」
「恐ろしい事実？」
「・・・雲雀が自分で届けに行く→聞いてた話と正反対な彼女の態度→逆ギレして俺たちを咬み殺しに来る。
または雲雀が自分で届けに行く→どうあっても受け取らない彼女→雲雀が無理に受け取らせようとしてトンファーを向ける→骸が出て来て、骸か雲雀、どっちかが倒れるまで戦い続ける→どっちが生き残っても俺たちが咬み殺される。骸は『僕の可愛いクロームを苦しめたから』、雲雀は『僕に嘘ついたから』。
どっちにしたって、俺たち危なくね？」
「―――――っ。」
綱吉は言葉もなく、その場に崩折れた。
「クフッ、クフフフ・・・クッハハハハハハッ♪♪」
「わ、笑い事じゃないんだからなっ。」
「陽も落ちない内から眠りについて、珍しく僕を呼び出すから何かと思えば・・・。
そ、そんな面白い事になっていたとは・・・っ、ク、クフフフフ♪」
「面白くないってっ！！」
余程ツボに嵌まったのか、文字通り『腹を抱えて』大笑いする骸。
綱吉は余程『このテーブル引っくり返してやろうかコノヤロウ』と凶暴な事を思ったがやめておいた。この世界は骸の精神世界。引っくり返そうとテーブルに力を入れても、恐らく根が生えたように動かないに違いない。いくら力を入れてもビクともしない、そんなお間抜けな図を見せたら、更に笑われて話どころではなくなってしまう。
そう、話だ。
綱吉はアレからすぐ、誰も居ない事が判り切っていた図書室へと向かった・・・屋上には恭弥が来る可能性がある。教室には顔も出さずに直行だ。
理由は勿論、眠る為。
眠って、骸に会って、話をする為。
話というか・・・お願い事、だ。
「そういう事で・・・骸。
雲雀さんが黒曜ランドに行く前にクロームに会って、ファイルを受け取るように言ってくれないかな。
目を通さなくていいんだ。お礼とか言わなくていいから。何も言わずに黙って、雲雀さんからファイルを受け取ってもらえれば・・・。その後、雲雀さんの目に付かない所に捨ててしまっても、それはクロームの自由だから。」
「おやおや、まぁ、僕から言うのは構いませんが。」
「ホントか、骸♪ ありがとう、助かるよ。」
「ですが、少々面白くありませんね。
沢田綱吉。雲雀雲雀と、君はあの男の意志ばかりを優先する。知りたくないというクロームの意志はどうなります？ それに僕より雲雀恭弥を怖れているようで、それについても妬けますね。」
「・・・・・。」
（交換条件きたっ！ 『妬ける』の使い方違うし・・・。）
元よりこの男相手に、タダで頼みを聞いてもらえるとは思っていない。起きて図書室で待っているであろう隼人と武も、それを心配していたのだ。
この世界で、骸は黒曜の制服ではなくジーンズに白ワイシャツ、という出で立ちを纏っている。
白いテーブル越しに、骸は綱吉の頬に触れた。
「僕と、そして当事者であるクロームにも。
何かご褒美が欲しい所ですが。」
「ええと、ご褒美、って、何をすれば・・・。」
「そうですねぇ・・・。」
警戒しながら次の言葉を待つ、綱吉。その綱吉の目の前で、骸が軽く腰を浮かせる。
きょとんとする彼の視界が、フッと遮られた。
骸の白い咽が見える。
そして、滑らかな指先で前髪がかき上げられて。
額に、温もりが触れた。
（（え・・え――――っ！！！））
「僕へのご褒美は、これで手を打ってあげましょう。」
「――――――――！！！！！！」
のうのうと着席し直した骸のぬけぬけとした台詞に、綱吉は言葉もない。自分はこの男から、今、額にキスされたのだ。同意した覚えもないままに・・・っ！
軽く灰化した綱吉に、骸は調子に乗って、その指先で綱吉の唇をなぞった。
「もう少しねだって良いなら、唇にしたい所ですが。」
「よ、良い訳ないだろっ、何考えてるんだ骸っ！」
「何、とは？ 君は知っている筈ですよ、僕の望みが、君を奪う事だと。」
「奪うの意味が違うっ。」
「違いません。
可愛いですね、沢田綱吉。もっとも、その可愛らしい君が、これからどんな風に変わっていくのかが興味深い訳ですが。」
「少なくともお前が妄想してる方向には変わらない。」
「今のままなら、ね。僕の手で君を変える、色々なアレコレを教え込む。それが楽しいんじゃありませんか。」
「教えられるのはリボーンにだけで充分だ。
対価は払ったし、帰るっ。」
「まだです。」
「！！」
アレコレ・・・もとい、ああ言えばこう言う骸の態度に、綱吉は怒ったフリをして勢いよく席を立った。このまま適当に歩いていれば、眠りから覚めて意識を取り戻す筈だ。
そう、怒っているのでは・・・ない。怒りより、もっと他の、何か。
その正体が判らなくて、判りたくなくて、それが綱吉を混乱させる。
だが、そう簡単に骸から逃げられる筈もなく。
背を見せた綱吉を、彼はあろう事か後ろからギュッと抱き締めたのだ。
「何するんだ、骸っ。」
１５歳にしては背の高い骸が綱吉に身を寄せると丁度、骸の肩辺りに綱吉の頭が来る。触れ合う腕が、夢の中なのにリアルな体温を伝えてくる。
綱吉の抵抗などものともせずに耳元に唇を寄せると、骸は低く甘い声で囁いた。
「クロームへのご褒美に何をしてもらうのか。それをまだ言っていませんよ。」
「・・・このセクハラに耐える事、じゃないのか。」
「クフフ、それは僕へのご褒美に含めておいて下さい。」
「やっぱり含めるのかよっ。」
骸の右手が、綱吉の右腕に絡みつき、撫で上げる。僅かに身を震わせたその反応に、骸は満足げに目を細めた。近寄ったついでとばかりに、耳朶を口に含み、舌先で舐め回す。
綱吉が、無意識に膝に力を入れる。そうしないと・・・立っていられなくなりそうで。
「っ、骸ッ。いい加減にっ、しろ・・・、」
「猫。」
「猫・・・？」
「愛しき我が家である黒曜ランドに、猫が住み着いたらしいんですよ。クロームがエサ代を気にしていましてね。僕は全然気にしませんが。
期間は１年間、とでもしておきましょう。
１年間、黒曜ランドに住み着いた猫たちにかかる経費、全てを、全部君が負担して下さい。躾の本も付けて下さいね。」
「躾本・・・？ それはいいけど・・・何匹くらい居るの？」
「ご安心を。今はまだ１匹だけです。でもクロームには高級な猫缶やキャットフードを与えるよう指示しておきましたし、結構まとまった額になる筈ですよ。対価には丁度良いでしょう。
それに１年間に１匹で済むとは限りません。経費の対象は『黒曜ランドに住む猫』。何万匹増えようが１年間は負担して頂きます。途中でやめるのは無しですからね。」
「や、やめないよっ。生き物の世話を途中で投げ出すなんてしないって。」
「クフフ、それは良かった。
一番意志を曲げさせられるのはクロームなのですから、僕よりクロームのご褒美の方が大きくなくてはね。」
「俺にとってはお前への対価の方がよっぽど高いんだけど・・・。」
「さて、何の事やら。
さぁ、これで話はまとまりました。あとは、」
「うん、俺はもう帰るから。」
「あとは楽しむだけ、ですね♪」
「骸っ。」
更に体を密着させる骸から、綱吉は死ぬ気で逃げ出した。
だが、綱吉は知る由もない。この『１年間』が、後々様々な出来事の分岐点になる事を。
「知らなかった・・・猫缶てあんなに種類があるんだね。」
「最近のペットは人間よりいいモン食ってますからね。」
「ウチの寿司持ってきたら、気に入ってくれるかな。」
「山本、猫にアレは勿体ないって。」
「そうか？ 親父の奴猫好きだから、喜ぶと思うけどな。」
夕方、綱吉たちは再び黒曜ランドを訪れていた。
骸という男は、こういう取引事では誠実な方だ。霧の守護者になった事自体、家光との取引の結果でもある。こちらが不義理をしない限りは、ちゃんと約束を果たしてくれるだろう。今頃はクロームに、ファイルを受け取るように言ってくれている筈だ。
次は綱吉がクロームへの対価を払う番。
という訳で、学校帰りにペットショップに寄って、トイレ砂やヘアブラシ、骸の注文にあった躾本、勿論猫缶も。そういう諸々を手に入れて、黒曜ランドに届けに来た訳だ。
「なんか緊張するな・・・。この扉を開けたら血の海でした、なんて事になってなきゃいいけど・・・。」
「大丈夫ですって１０代目。クロームより雲雀の方が強いでしょうから。」
「わっかんねーぜ獄寺、俺たちクロームの事、全部知ってる訳じゃねーしな。
それにあの子には骸が居るし。」
「・・・アイツって結構シスコンだよな。兄バカっつの？」
武に対する隼人の返事には、ほんの少しの間があった。ファイルの中身は、やはり気になって彼らも見てしまった。その内容は、千種に言われた事を重く受け止めるには充分な物で。３人共『どんな顔でクロームに会おう。』と一瞬考えてしまったのだ。
どんなも何も、彼女自身はその記憶を忘れているのだけれど。
骸は猫の居場所を『３階の映画館』と言っていた。
歪んで軋みを上げるその扉を、何とか押し開けて３人が見たモノは―――。
（（増えてるっ、メチャメチャ増えてるっ！！））
５、６匹は優に超える猫ランドだった。
「何してるんだい、沢田綱吉。」
「雲雀さんっ。」
アレも猫、コレも猫。何処を見ても、猫しか居ない。猫の王国と化した映画館、その真ん中の椅子に腰掛けて、雲雀恭弥は居た。並中最強と謳われる鬼の風紀委員長が、今は猫を従えて猫の国の王様になっている。
頭には、トレードマークになって久しいヒバードを乗せていた。
混乱・絶句の只中に居る３人の目に・・・恭弥はそこはかとなく楽しそうに見える。
「そこ、閉めてよ。猫が逃げる。」
「あ・・・はい、雲雀さんっ。」
恭弥の言葉に、綱吉たちは慌てて中に入って扉を閉めた。３人顔を見合わせる。
色々沢山、聞きたい事は山程ある。彼が此処に居る理由は判るとしても、クロームにはファイルを受け取ってもらえたのかとか、よもや殺し合いにはなってないだろうな、とか。でも今、目の前に居る彼は返り血１滴浴びずに猫に懐かれていて。
一体何なんだ。何があったんだ一体。
「えっと・・・俺たち骸に、猫は１匹だけって聞いてたんですけど・・・。
何匹くらい居るんですか？ この猫たち全部、雲雀さんが・・・？」
「僕がペットショップで買ってきて、風紀委員に運ばせたんだ。霧は猫が好きって書いてあったから。２５匹居る。」
「書いてあった？」
「ディーノに渡して、戻って来たファイルに。」
またも顔を見合わせる３人。自分たちが見た、他ならぬ恭弥本人から貰ったファイルにはそんな事一言も書いていなかった。客観的な身上調査、の範囲を出るものではなかった。
好きな動物など、そんな情報、まるで女の子の気を惹く為のプロファイリングではないか。ディーノの手を経由したファイルには、一体どんな内容が書き加えられていたのか。
それはともかく。綱吉にとって大事な事は・・・。
「クローム、ファイルは受け取ってくれました？」
「素直に受け取ったよ。」
よし。骸のセクハラに耐えた甲斐はあった訳だ。
「それにしても凄い数の猫だな。迂闊に動くと踏んじまいそうだ。」
「山本武、霧の猫を踏んだら咬み殺す。」
「冗談、冗談だってっ！！
モノの例えだよ、そんな虐待みたいな真似、俺はしないってのっ。」
「雲雀さん、危ないっ、」
慌てた武が１歩、後ろに下がる。折悪しく彼の後ろには大柄な猫が居て、踏みはしなかったものの、いきなり目の前に人間の足が来たその猫は驚きのあまり駆け出した。
恭弥の頭に向かって。
ヒバード、あわや猫パンチの餌食かと思いきや。
「ダメ。」
「クロームっ。」
絶妙のタイミングで現れたクロームが、空中ダイブした猫の体をしっかりキャッチしていた。どうやら別の入り口から入ってきていたらしい。
驚きの連続で言葉の出ない３人の前で、クロームと恭弥は思いの外仲良く会話を重ねていた。
「霧。あの猫は？」
「お腹一杯になったみたいで、寝ちゃった・・・。
今は犬と千種が見てる。」
「そう。元気になりそうなら良かった。」
「今の所、雲の人に一番懐いてるみたい。また顔を見に来てあげてね。」
「あぁ。名前はもう決めたの？」
「ううん、まだ。骸様がね、『どんな名前でもいいけど、使ってはいけない漢字が４つあります。『恭』と『弥』と『雲』と『骸』は、使ってはいけません。』って。」
「へぇ・・・。」
その時３人にははっきりと聞こえた。『あンの変態パイナップルがっ。』と毒づく、恭弥の声が。
（絶対『恭弥』って付けたかったんだ・・・。）
（一匹は絶対『恭弥』にしたかったんだ・・・。）
（もしかしてクロームに『恭弥』って呼んで欲しいのか・・・？）
「猫、ありがとう。沢山連れて来てくれて。」
「別に・・・町に野良猫が溢れてて、風紀が乱れてたから。」
「？ 猫が、風紀を乱すの？」
「・・・たまにね。」
「そうなんだ・・・。じゃぁ、猫を取り締まるのも風紀委員のお仕事なのね。」
「・・・・・ごくたまに、ね。」
聞いていた綱吉たちは、笑いを堪えるのに必死になった。野良猫を取り締まる恭弥。トンファーを振り回して野良猫を追いかける恭弥。そんな風景がクレヨン画で思い浮かぶ。
あくまで本気で言っているのがよく判るド天然娘・クロームに、訂正もせず、ツッコミも入れず、彼女のイメージ通りの答えを与える恭弥。
ここまで来れば、いくら鈍い綱吉たちにも関係性が見えてくる訳で。
隼人が笑いを堪えたニヤケ顔で、綱吉の腹を突っついた。
「１０代目、１０代目。」
「獄寺君？」
「１０代目からクローム髑髏に言ってやったらどうですか？ 雲雀の事『恭弥』って呼ぶように。雲雀の奴少しは感謝して、言う事聞くようになるかも知れませんよ？」
「ナイスアイディア獄寺君♪」
「あ・・ボス？」
話し声を聞いて、ようやくクロームが綱吉たちに気が付いた。余程恭弥に、というか猫に、意識が集中していたらしい。
途端に恭弥から殺気が吹き付ける。
彼の望みを叶えようというのだ、少しクロームを借りるくらい大目に見て欲しいと思う。
「こんにちは、クローム。骸から話は聞いてる？ 猫たちのご飯とかその他諸々、俺たちが協力する事になったんだ。」
「うん・・・。」
「でね、クローム。さっき聞いてて思ったんだけど・・・。
雲雀さんの事、『雲の人』って呼んでるよね。あれ、下の名前にしない？『恭弥』って。『雲』って、肩書みたいなモンだろ？ 仲間なんだし、それだと少し寂しいなって思って。」
「？？ ・・・しない。」
恭弥からの殺気が濃くなる。
「えと、ホラ、俺も獄寺君の事、『嵐の人』とは呼んでないし。山本の事も『雨の人』とは呼んでないし。」
「・・・ボスと２人は、お友達・・・私と雲の人は、おんなじリング持ってる知り合い。」
殺気が嵐レベルになる。
「っっっ、え～とえ～と、あ、でもさ、犬と千種、あの２人の事は名前で呼んでるし。」
「・・・骸様が共通項、だから。」
殺気が瘴気のレベルになる。最早健全な戦闘マニアの出せる代物ではない。
「え～とえ～とえ～と、」
「沢田綱吉・・・。」
「はいっ、雲雀さんっ！？」
「今すぐ体育館裏に来ないと咬み殺す。
じゃぁね、霧。また来るよ。」
「うん、また・・・。」
「じゅ、１０代目っ、」
「ツナっ。」
クロームにのみ淡々とした声音で挨拶し（恭弥クオリティではかなり『優しい』の部類だ。）、すれ違い様綱吉の襟首を物凄い力で引っ張っていく恭弥。
隼人や武が止める間もない。そして３人纏めて黒曜ランド内で咬み殺され、一方的に『猫の世話は僕がするから。』宣言をされて夕暮れの並盛町に放り出されたのだった。
「クフフフフ。それで君は、大人しく約束してしまった訳ですか。『少なくとも猫関連では黒曜ランドに行かない。』と。」
「いや、だってホラ、雲雀さんが全部やるって言ってるんだし・・・。
潜伏資金に猫代が響かないって意味じゃ、俺がやっても雲雀さんがやっても一緒だろ？」
「フフフ、甘いですね沢田綱吉。
僕が本当に猫の為だけに、君を黒曜ランドに通わせるよう仕向けたと思うのですか？」
「違うのか？ ていうか、勝手に人の事仕向けるのやめてくれない？」
「僕は判っていましたよ、最初から。彼が何故、僕の可愛いクロームを気に掛けるのか・・・。ストーカーじみた執着心で、何故わざわざ身上調査などしやがったのか・・・！」
「ストーカーがストーカーとか言うなよ。」
「ただでさえ可愛いクロームの事です。守護者の中でも紅一点ですしね。まぁ二点だろうが三点だろうが、クロームの可愛さに太刀打ち出来る者など居ないでしょうが。
対する雲雀恭弥。
今回のように正面から守られた事などなかったでしょう。その性格の悪さ故に。
それに、今まで彼と出会った大抵の者は、多かれ少なかれ彼の存在を無視出来なかった筈です。今のクロームのように、１００％完膚なきまでに完全にアウトオブ眼中を食らわせてやる事に成功した例は今だかつて存在していなかった筈。流石僕の可愛いクローム。
美人で気立ても良くて、これから強くなる素質充分で、その上『アウトオブ眼中』という新鮮なプレイをしてくる年下の少女。
それはそれは気になる事でしょう。好きになる事自体は許してあげましょうとも特別に。」
「・・・・・・。」
綱吉は紅茶のカップに口を付けながら半眼になった。家で飲むのは緑茶ばかりだが、この世界に来るようになって紅茶も飲み慣れてきた。
昼間、隼人が『結構』シスコンだの兄バカだの言っていたが、訂正したい。
六道骸、コイツは『これ以上堕ち様のない重度の』シスコンだ。黒曜ランドで戦った時は、もっとシリアスで冷たい空気を纏っていた気がするが・・・。少し本体と会わない間に相当堕落したような気がする。変態化が進んだというか。今頃、ヴィンディチェの牢獄で水槽に浮かんでいる本体の口許は緩み切っているのではなかろうか。
了平も大概妹想いだが、目の前の骸は、彼の上を悪い意味で上昇し続けている気がする。否、この場合は『下降』と言うべきだろうか。
「そこで君の出番です、沢田綱吉♪」
「俺・・・？」
しまった、変態の義妹賛歌だと思って骸の話を聞いていなかった。
「そう、君です沢田綱吉。
雲雀恭弥は猫の世話を口実に、これから毎日でも僕の可愛いクロームの許へ通ってくる事でしょう。
いたいけなクロームが悪魔の毒牙にかけられるのを、黙って見ている訳には参りません。君が同じ頻度で黒曜ランドに来て、雲雀恭弥がクロームにちょっかい出すのを邪魔してもらえると助かるのですがね。」
「待て、何で俺っ？！」
「僕の妹は君の義妹♪」
「何で俺っ！！」
「ボスでしょう？ 雲雀恭弥を倒し、クロームを守るのもボスの務めですよ？」
「何で俺っっ！！！」
「そうですねぇ、口実は『クロームの食生活が心配だから』。毎日１回以上、お弁当を３食×３人分と水筒を３人分。それを持って黒曜ランドに通うというのはどうでしょうか。」
「だから、何で俺っ。
雲雀さんに殺されるよ、今度こそ確実に咬み殺されて、息の根を止められちゃうよっ！」
「僕に貸しを作っておくと、後々色々便利ですよ？
僕は取引では嘘をつきませんからね。」
「それは・・・言えてるけど。」
「君だってずっと心配していたじゃありませんか、クロームの食生活を。
犬が食生活に関心を持つようにと思って、猫には高級な物をと指示しましたが。流石にそれだけでは心配です。黒曜ランドって、ガスも水道も電気も通っていないんですよ。だから煮炊きも出来ないし、道が道なので出前を取る事も出来ませんし。
嗚呼心配です。今もクロームがお腹を空かせているかと思うと、僕は心配でちゃぷちゃぷ水に浮かんでいる事も出来ません。」
「お前が出来なくても強制的にさせられるだろ。」
力なく突っ込んで、綱吉は変わらぬ色を見せる紅茶の水面に目を落とした。
骸の嘆きは、一から十まで全て自業自得なので放っておくにしても。まぁ・・・確かに心配なのだ、彼女の事は。
クローム髑髏。昔の名を、桂向院凪。
彼女が骸に出会うまで周囲の大人たちに受けてきた仕打ちは、優しい母と不在がちとはいえ役目をしっかり果たす父に囲まれてきた綱吉にとっては、想像を絶するもので。
その過去は、ただでさえ仲間を大切にする彼にとって彼女を、気遣い救わずには居られない存在にしていた。
「判ったよ、骸。」
「沢田綱吉。」
「クロームの事は俺も心配だし、大切な仲間だと思ってる。
母さんには適当に言って・・・というか、特に理由言わなくても作ってくれると思うけど。適当に言って、お弁当と水筒、用意してもらうよ。犬や千種の分もついでに。
ご飯をきっかけにしてなら、３人と少しは仲良くなれるかも知れないしな。」
「・・・ありがとう。」
「か、貸しひとつだからなっ。」
ありがとう、と。仲間の為にそう言った骸は、変態な台詞や救いようのないシスコン度を一瞬、綱吉に忘れさせる程、格好良く男前に見えた。
顔を真っ赤にした綱吉に、骸はさりげなく、にっこりと笑顔で手を握ってくる。
「判っていますよ、綱吉君。借りは体で返しますから。」
「何だよ体ってっ。ていうかどさくさに紛れて下の名前で呼ぶなよな。
離せ。はーなーせ――――っ！！！」
「クフフフ♪♪♪」
そして今夜も、綱吉は骸の魔手から一生懸命に逃げるのだ。
寝不足になって授業中居眠りをし、山本と一緒に補習を受けさせられて彼との絆が深まる、という満更負でもないスパイラルが出来ているのは、また別のお話である。
―ＦＩＮ―
記憶についてのエトセトラ 【ヴァリアー編後、雲→髑・骸綱】
