おひさまちゃん

 おひさまちゃん、って呼んでる。
 よく学校の中庭のベンチで眠っている、となりのクラスの男の子のこと。
 男の子だけれど“ちゃん”という敬称が似合う男の子である。肩につくか、つかないかくらいの黒い髪に、牛乳のように白い肌。長いまつ毛。
「おひさまちゃんっていうより、小雪ちゃんって感じ」
と言ったのは友だちの恵美ちゃんで、確かに明るい太陽より冷たい雪を連想させる容姿であるが、でも、おひさまちゃんはいつも学校の中庭のベンチで日差しを浴びながら眠っているから、おひさまちゃんでいいのである。
 おひさまちゃんは、ほそい。枯れ木の枝みたい。
 ワイシャツの袖から伸びる腕も、襟に包まれた首も、濃紺色のズボンで隠れた脚も、それから腰も。起きているときのおひさまちゃんを見て、腰が折れそう、と呟いたのも恵美ちゃんである。恵美ちゃんは、わたしがおひさまちゃんを好きでいることを、あまりよく思っていないようだった。おひさまちゃんのことが嫌いなのか、好きなのか、それとも実はわたしのことが嫌いなのか、恵美ちゃんの表情からそのへんは読み取れないが、あまりわかりたくはない。わたしは恵美ちゃんが、わたしの大切な詩集のページをびりびりに破いても、ずっと友だちでいたいと思っているからだ。口紅を塗っていないのにきれいな桜色のくちびるを、恵美ちゃんはしている。
 きょうもおひさまちゃんは学校の中庭のベンチに座り、すやすや寝息を立てている。
 やさしい寝息だ。
 たんぽぽの綿毛をそっと風にのせるくらいの、やさしい息。
 おひさまちゃんはわたしのことを、下の名前で“ツキコさん”と呼ぶ。
「なんだかミント味のアメみたいな、胸がすっとするような名前だね」
 おひさまちゃんとはじめて言葉を交わしたときに、そう微笑んだのだった。両端の口元をゆるやかに持ち上げる感じは、やっぱりぽかぽかのおひさまというより、ふかふかのやわらかい雪を想わせた。
 男の子にしては長めの髪がじゃまで、おひさまちゃんの寝顔は窺えない。
 だらんと垂れさがった腕を見る。
 ほそい手首。わたしの片手に、すっぽり収まりそうなほど。
 夏がおわって、秋も半ばになって、そろそろスカートの下にタイツをはきたいなァと思う。おひさまちゃんはワイシャツ一枚でいる。さむくないのかなァと一瞬心配になったけれど、おひさまちゃんだから大丈夫かと、よくわからない理屈で自己完結した。
 わたしはおひさまちゃんを起こさないよう、おひさまちゃんのとなりに静かに腰かけた。二ヶ月前は一面緑色だった中庭も、すっかり赤や黄色の葉に彩られている。
「おひさまちゃん」
 名前を呼んでみる。
 もちろん、返事はない。
 だっておひさまちゃんは、夢の中だもの。
「おひさまちゃん、好きよ」
 好きよ、と、くちびるを動かしたとき、世界はわたしとおひさまちゃんのふたりだけになったような気がした。
 気がしただけ。
 でも、そうなったら素敵だなとも思う。ちょっとだけ。
 わたしのことを“ツキコさん”と呼ぶおひさまちゃんが、わたしのことを好きなのか、嫌いなのか、好きならば恋愛の意味で好きなのか、どうなのか。
 恵美ちゃんと一緒で表情からは読み取れないけれど、でも、きっと、おひさまちゃんが三番目に好きな食べ物のハムチーズトーストよりは、好かれている自信があるよ。わたし。

おひさまちゃん

おひさまちゃん

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-08-05

CC BY-NC-ND
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