夏炭酸

今日が曾祖母の命日だったので、ふと思いついて書きました。

久しぶりに実家に帰ると、母が珍しくメロンを買っていた。
スーパーで特価品だった安い果実が、野菜室に放り込まれているのを見たことはあれど、メロンなど珍しい。
そう思っていつ食べるのかと期待した私に、母は笑って言った。
「それはひいばあちゃんのお供え物だから。明日、命日でしょ」
ああ、と私は気の抜けた炭酸のような返事をしていた。
メロンは曾祖母の好物だった。
それと共に思い出すのは、三ツ矢サイダーだ。
夏の日差しを庇で和らげた縁側に座り、三ツ矢サイダーのペットボトルを横に置いている姿。
私がせがむのを見越して、グラスを一つ、余分に用意してくれている。
透明な液体はグラスに注がれると、白い泡をぱちぱちと跳ねさせて賑やかになる。
爽やかな飲み物は、二人の好物だった。
そんな曾祖母は、私が小学1年生の時に亡くなっている。
死因は今でも不明らしい。
朝、ちっとも起きてこないのを心配した祖母が、離れの様子を見に行くと布団に入ったまま冷たくなっていたと聞く。
前日までちっともそんな素振りを見せなかった親の突然の死に、祖父も祖母も動転して慌てて警察やら葬儀屋やらに連絡し、そこまで気が回らなかったという。
何故、死んだのかという原因を追究しようとは思いつかず、思いついても言わなかったようだ。
火葬されて灰と骨になって二十年近く経つ今でも、当時の未練があるのだろう、親戚の集まりがあると時折、思い出したように誰かの口に上る話題だった。
そんなとき私は、食事に集中したり飲み物を手の中で揺らして遊んだりして、いつもさりげなく耳を閉ざしていた。
興味がなかった。心臓発作、脳溢血、熱中症など交わされる様々な推測は憶測の域を出ず、ただいつもそこには曾祖母の死という事実だけが横たわっている。
その事実だけで十分ではないかと、思っていた。
私の中の曾祖母は、少し痴呆が始まって同じ話を何度も繰り返す面白い人であり、手押し車に乗せて散歩に連れて行ってくれる遊び相手であり、その先でいつも立ち寄る喫茶店で、大きなかき氷を食べさせてくれる優しい大人だった。
手をつなぐと、骨に皮が張り付いただけの痩せた手はとても温かくて、今はもう顔をほとんど思い出せないのにその手の感触だけが不意によみがえってくる、そういう存在だった。
それで十分ではないかと、思っていた。
けれど私が成人を過ぎたころ、曾祖母と祖母の意外な一面を知ることとなった。
きっかけは確か母だ。うちの親戚連中は仲が良いよね、と近所にほとんどが住んでいることもあり、何かと理由をつけては一堂に会する機会の多い一族に辟易していた私が、あるとき皮肉っぽく言い放った言葉に、母が困ったように眉尻を下げたのだ。
そうでもないんだけどね、おばあちゃんとひいばあちゃんなんか、とくに。
定かではないがそんなことを言っていた。詳しく聞くと、嫁姑問題よ、と言われた。
祖母は、曾祖母から酷いいじめを受けていたらしい。
しかも相当陰湿な。
詳しいことは母親も知らず、祖母が固く口を閉ざしているようだった。
母はただ、だからおばあちゃんは私に優しいのよ、と何とも言えない顔で笑っていた。
それ以来私は、曾祖母の話題が会食の際に出るたびに、祖母の顔色を窺ってしまう。
じっと硬く口を引き結ぶ、あるいは私と同じように食事に集中する姿を見るにつけ、つまらぬ想像が廻る様になってしまった。
けれど事実、祖母は曾祖母の話題になると途端に黙り込み、徹底して聞き役に回るのだ。遺体の第一発見者であり、長年一緒に住んでいた義母に対して何か語ってもよさそうな祖母が、この二十年間その死に顔についてさえも言及しようとしない態度に、触れてはいけない領域を感じ取ってしまうのだった。
夕方に、曾祖母の仏壇に供えるからと、メロン片手にすぐ近隣にある祖父母宅へ出掛けて来る、と母は言った。
私は咄嗟に、三ツ矢サイダーは、と聞いていた。
その時初めて思い出したという顔をして、母は私に買って来てよと言う。
日が傾いても外は蒸すような暑さで、セミが必死に喚いていた。
今年も夏が廻ってきていた。
祖母は曾祖母の年齢を追い越して、近々迫る盆のために墓掃除をしたのだろう。
手押し車に乗せられて連れていかれた喫茶店は、今ではもう自分の足で歩いて行ける。
あの時残してばかりだったメロン味のかき氷も、きっと食べきれるはずだ。
久しぶりにあの店に行こうかな、と思った。
かき氷を食べて、その帰り道にコンビニで三ツ矢サイダーを買おう。
私の分と、曾祖母の分と。
盂蘭盆会が来週に迫っている。

夏炭酸

三ツ矢サイダー大好きです。

夏炭酸

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-08-04

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