夏と魔法使い
即興小説・お題「恋のダンジョン」
私はどこへ行こうというのか。
そんなことを考えながら、泉谷(いずみや)は日差しの照りつけるアスファルトを歩く。蝉がやかましく騒ぎ立てるこの 季節を、泉谷は好きになることができなかった。ポケットからウォークマンを取り出して、両耳に突っ込む。蝉の声に負けなくらいのポップミュージックを流し たところで、泉谷の心は明るくはならなかった。
高く上った太陽は、彼女の心にくっきりとした影を落とす。
「さっちゃん、夏休み予定ある?」
終業式が終わってすぐに、クラスメイトの安藤夏菜(あんどう なつな)が泉谷のもとに駆け込んできた。安藤は名前に負けずとも劣らないくらい、さわやかで凛としていて、クラスではいつも中心にいるような人物であった。そして同じくらい、暑苦しい面があるのも事実ではないか、というのを泉谷は心にとどめたまま にしている。
「ううん、ないよ」
泉谷の返事に安藤の顔はぱあっと明るくなった。さながら、入道雲の陰から太陽が昇ったようであった。
「プール行かない?」
ああ、と泉谷は頷く。その言葉の裏に何が隠れているのか――隠れているとは言っても、彼女は全く隠そうともしないのだが――それが明らかだったからだ。
「……澤田、か?」
安藤は驚いた顔をする。何でわかったの、という顔に書いているが、むしろ泉谷のほうからすれば何でわからないのか不思議なくらいである。
「いいよ、声かけておくから。日程決まったら連絡ちょうだい」
わああ、ありがとう。と安藤はいつもよりも高いトーンの声を出した。「渡辺君と、藤田君と、それからみっちゃんにも声かけるね!」そう言って安藤は早足に泉谷のもとを去っていった。泉谷はふうっと一息をついてから、鞄を肩にかけ教室を後にした。
澤田は、泉谷の幼馴染である。といっても、昔から家族ぐるみで仲がいいというだけで、特段深い仲というわけではない。中学までは泉谷よりも背が小さかったものの、高校に入りぐんと伸びた今では、逆に泉谷が見上げる形になる。
彼が、もてる、という話は聞いたこともないが、人を引き付ける正確なのは間違いない。誰にでも気さくで、クラスの中心にいるでもないが、友達も多い。特にかっこよくはないのだが、時折見せる優しさが乙女には高得点だ。
そしてそのことに気が付いたのは、安藤が、澤田に惚れていると知ってからである。
泉谷はバックからスマートホンを出した。安藤から日程の連絡が来ていないことを確認すると、RPGゲームのアプリを開き、探索のボタンを押す。グラフィックに映し出された主人公たちは、ぐんぐんとダンジョンの奥に進んでいく。
先頭に立つ戦士。後ろにはお姫様。その後ろに魔法使い、格闘家などのサブキャラクターが並ぶ。
泉谷は不意に、このゲームの終わりを考える。
ダンジョンを攻略しつくし、その最後にあるものは何だろう。
――ハッピーエンド。きっと、ハッピーエンドが待っている。今までの経験からすると、戦士は王様に認められて、お姫様をお嫁に迎える。めでたし。めでたし。
――お姫様は安藤だな。泉谷は思った。
夏の太陽のように暑苦しくはあるが、これが物語なら彼女こそが中心にいるはずだ。
私はきっと魔法使いかそのあたりで、きっと後方支援に徹するのだ。安藤がピンチになれば回復魔法を使い、安藤の攻撃前には、敵のパラメータを下げる妨害魔法をかける。ゲームと違うのは、魔法をかける相手が戦士であるということくらいだ。
そしてハッピーエンドの後ろで、私は手をたたいている。
「なあ、なんでお前は頑張ってるんだよ?」
泉谷は画面の中に問いかける。魔法使いは返事の代わりに、お姫様に回復魔法をかけた。
きっとこのダンジョンを進んでも、魔法使いにいいことなんか一つも起きない。泉谷はそのことを知っていた。きっとハッピーエンドの、その一幕のほんのひとかけらになるくらいだ。戦士とお姫様以外は、きっと彼らを幸せにするために命がけで戦っている。
彼らの道の先には、きっと宝箱も何もない。
魔法使いは呪文を唱えた。今度は攻撃魔法だ。敵モンスターに大きなダメージを与えたところを、先鋒の戦士が叩く。
「必死だな、お前――」
「何、お前、画面に向けて話してんの」
後ろから唐突に掛けられた声に振り替えると、キキイ、と自転車のブレーキがきしむ音がした。澤田は機敏な動きで自転車から降り、泉谷の横に並ぶ。
「サッカー部は?」唐突な襲来に、泉谷は心臓を抑え込むだけでいっぱいだった。
「今日はオフ。大会も終わったしいったん休憩」
そうか、泉谷は小さく返事をして、スマートホンを鞄にしまった。
「そういえば、夏菜にプール誘われたんだけど、あんたも来る?」
まじで、と澤田は目を輝かせる。その様子に少しだけ悲しくなり、そして、まんざらでもないのか、と泉谷は頭に来た。
「絶対いくよ。後で連絡来たら教えてよ」澤田は自転車に跨り、右手にスマートホンを持っていった。連絡ちょうだい、のジェスチャーだろう。
「うん、わかった」そう言いながら、泉谷は今この瞬間だけ攻撃魔法が使えないものかと苦心した。使えたら一撃でとっちめてやる。
「それから」
「――何よ」
「さっきのゲーム、俺もやってるんだ。通信対戦もできるから、今度一緒にやろうぜ」
じゃあ、そう言って澤田は自転車をこぎ始めた。じゃあ、と返事を返したつもりだが、うまく声が出せたか泉谷にはわからなかった。代わりに、小さく手を振る。澤田の影はどんどん小さくなっていった。
頬が熱い。不意打ちの魔法攻撃だ。戦士も魔法を使えたのだろうかと、泉谷は考える。そして戦士が魔法を使うということが許されるのなら、魔法使いが戦士を仕留めるのも許されるのではないだろうか、と。姫のためでもなく。戦士のためでもなく。予定調和のハッピーエンドを完全に無視して、魔法使いはほかでもない魔法使いのために。
それならば、しばらくこのダンジョンを歩いてみるのも悪くないかもしれない。
想像して、泉谷は小さく笑う。
そして、遠ざかっていく澤田の背中に向けて手を伸ばす。
蝉の声が煩わしい。だがきっとこの喧騒なら、彼に届くことはないだろう。
泉谷は小さな声で呪文を唱えた。
夏と魔法使い
お読みいただきありがとうございました。