夏、海に沈む日

 うなぎを食べにきた。
 うな重。一人前、三千八百円。
 きのう、学校の帰り道に、とある異星人の子どもを拾ったから、そのご褒美だった。
 とある異星人の子どもは、折りたたみ式携帯電話を折りたたんだ状態と同じくらいの身長で、車道と歩道のあいだの白いガードレールの上をぽてぽてと歩いていた。歩くことを覚えたばかりの赤ん坊のように、不安定な歩行だった。(ガードレールの上という、僅かな面積しかない足場にいるせいであるかもしれない)シーツみたいな白い布きれを、洋服にしていた。裸足だった。
 きのうは年に一度の海の日で、空が海となり、海が空となる日だったので、イワシの大群が頭の上を通過し、車と車のあいだをマンタがしゅるしゅるとすり抜けてゆき、僕の足元をタコが横切り、息を吐くたびに小さな泡が立ち上った。足の裏が地面についているような、ついていないような感覚は、漠然たる不安をあおった。なんせ年に一度のことなので、からだが海になじまないのだ。少しでも勢いをつけて歩くと必要以上に前進するし、その場でジャンプすると地面に着地するまでにやたら時間がかかる。フィクションの世界でよく見かける、傘をさして、高いところから飛び降りたときの、あの緩やかに落下する感じに、おそらく似ていると思われる。
 それで、とある異星人の子どもであるが、僕の父が彼らの生態を研究している。
 父は、ほんものの父ではないが、やさしい。
 ほんものの父よりも父は、やさしいかもしれない。
 僕の勝手な予想だが、父がやさしいのは、僕と血が繋がっていないからで、血が繋がっていたら、父はもっと厳しかったのではないだろうか。僕が間違ったことをしたら、躊躇なく殴るのではないだろうか。僕の顔色を窺うような真似を、しないのではないだろうか。父のやさしさからは、ときどき、胡散臭さが感じられる。よそよそしさが、垣間見える。
 とある異星人の子どもは、果実酒用の大きな瓶の中で保護している。保護、と、父は言ったのだった。
 瓶の蓋は開いているが、とある異星人の子どもの背丈では、自力での脱出は不可能だろう。食糧は、父が決まった時間に与えるそうだ。なにを食べるのかと訊いたら、
「キミは、知らない方がいいんだよ」
と諭すように、頭を撫でられた。とある異星人の子どもにうっすら興味はあったが、無理に聞き出そうと思うほど知りたいわけでもないので、それ以上は何も訊かなかった。だが、瓶の中でじっと体育座りをしているとある異星人の子どもを見ていたい気持ちも、幾許かあった。ずっと見ていたいなァと思いながら、昨夜は深夜十二時前まで、リビングの天井を回遊する一匹のコバンザメを眺めていた。コバンザメはおなかを天井にすりつけるように、泳いでいた。
 空の高いところには、深海魚がいる。
 深夜十二時を迎えた時点で空は空に、海は海に戻る。
 親とはぐれたのか、捨てられたのか。ひとりぼっちの異星人の子ども。
 うな重を待っているあいだ、僕は、とある異星人の子どもの青白い脚を思い出していた。
 父はビールを飲んでいた。
 厨房から幽かに聞こえてくるうなぎの焼ける音が、なんとなく不快だった。
「生き物が焼ける音って、なんかやだよね」
 父は困ったように笑うだけで、何も答えなかった。

夏、海に沈む日

夏、海に沈む日

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-07-24

CC BY-NC-ND
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