*星空文庫

6分の2

森山智仁 作

6分の2
  1. 発端
  2. 倉敷永司からの放送/残り11時間51分
  3. 白鳥翔との通話/残り11時間44分
  4. 桜井晴香との通信/残り11時間39分
  5. 空白
  6. 大隅庸光からのメッセージ/残り10時間15分
  7. 大隅庸光との通信/残り10時間11分
  8. 梅田望美からのメッセージ/残り9時間55分
  9. 全室同時通信/残り9時間55分
  10. 決断
  11. 終劇
  12. 倉敷永司のレポート

発端

「エリーゼ、今ほど君がいてくれて良かったと思ったことはないよ」
 倉敷永司は頭を抱え込んだまま、斜め後ろに立つ金髪碧眼の女性に向けて、絞り出すような声で言った。
「何故でしょう、艦長。何もお役に立てないということが今しがた明らかになったばかりですが」
「話し相手になってくれ」
「そのタスクは現在進行中です」
「ずいぶん固い言い回しをするね」
「失礼しました。ユーモアが必要な状況かと」
「ありがとう、気をつかってくれて」
「お話し相手でしたらいくらでも。艦長、私も今ほど自分がヒューマノイドで良かったと思ったことはありません。計算や作業だけのロボットでなく」
 倉敷は力なく微笑んだ。それから、改めて立体ディスプレイに目をやった――すべてが白昼夢であったという展開を心の片隅で期待しながら。
 無論、そんな展開はあろうはずもない。ディスプレイは数多の深刻なエラーを列挙している。マグセイルブースター正・副共にロスト、ASLシステムダウン、生命維持機能低下……つらつらと並べ立てずに、一言こう書けばいい。「まもなく宇宙の藻屑となります」。
「ちょうど三十年前になるのかな。隣の国で大型旅客船の転覆事故があった。乗員・乗客四百七十六名、うち死者二百九十五名。乗客の大半は修学旅行中の高校生だった。当時僕も高校生だったからよく覚えてる。その船の船長は、責務を投げ出して、自分だけ先に助かろうとしたんだ」
 エリーゼはその事故について情報検索を行わない。今は相手の話に耳を傾けばいいのであって、詳細な情報など必要はないということぐらい、彼女ほどの性能になれば推し量れる。もっとも、今は地球との通信が遮断されているので、たとえ必要があっても検索はできないのだが。
「世界中がその船長を非難した。僕も怒りに燃えた。将来、念願かなって宇宙飛行士になれたら、乗客を見捨てるような真似だけは絶対にしないと、心に誓った」
 倉敷は窓の外を見た。そこには地球があった。手を伸ばせば届きそうに見える。しかし、推進力を完全に失った宇宙旅客船マッチロック号が母星に帰還することは不可能だ――少なくとも中の人間たちが生きている間には。
「今は彼の気持ちがよくわかる。逃げたいよ。今すぐ逃げ出したい。自分の命より大切なものなんてない」
 家族よりも? いや、今それを考えるのは無意味だ。この場に倉敷の家族はいない。
「エリーゼ、こうやって本音を吐き出せる相手がもしいなかったら、僕はこのおぞましい考えを実行に移してたかも知れない」
「と、おっしゃいますと」
「だから、逃げるんだよ、一人で。軽蔑するだろ?」
「そうですね、お一人でということならば。それは最善を尽くしたとは言えませんから」
「最善か。この状況で、最善とは一体何だろうね」
「二名の命が助かることです。二名が助かるなら、その一方が艦長ご自身でも、私は軽蔑などしません」
 現在、マッチロック号に残されている移動手段は、二人乗りの脱出ポッド一機のみである。
 乗客は五名。ゴンドワナ社の太っ腹なくじに当選した幸運な――今となっては不運極まりない――旅行者たちであった。
 乗員は人間一名――倉敷永司艦長――とヒューマイド三体であったが、エリーゼ以外のヒューマノイドは活動を停止している。
 すなわち、生きた人間は六名。この中から生きて地球に帰る二名を選ばなければならない。
「楽しい旅行のはずが、まさかこんなことになるなんてね。エリーゼ、君にもすまないと思ってる」
「この事故は艦長の責任によるものではありません。それに、私はホログラフィックメモリをどなたかに持ち帰っていただければ再生できますから」
「このフライト中にやりたい実験があるって言ってなかったっけ」
「ええ。しかし、ともかく今は脱出ポッドに乗る二名を」
「……そうだね」
 倉敷は椅子の背もたれに寄りかかり、天井を見上げた。
「とりあえず、僕が乗るわけにはいかないよ」
「何故です?」
「艦長には最後まで乗客の命を守る義務がある」
「現状、既に『最後』と呼べる段階に達しています。艦長ご自身のお命も、他の五名と等しいものと見てよいのではないでしょうか」
「僕が生き延びて、その後どうなる? どうやって生きていく? 世間の目からも、罪の意識からも、きっと一生逃れられない」
「それは、乗客の皆様も同じでは?」
「かもね。でも、やっぱり僕は艦長だ。乗客を優先しなきゃ」
「ご立派です、艦長」
「いや、立派じゃない。僕はただ一般論を言ってる。本心では逃げたがってる」
「ですが、艦長はその『一般論』に従おうとされているのでしょう?」
「どうかな。正直、本当に危ういところなんだよ、エリーゼ。だから僕は君に喋ることで、自分をコントロールしようとしてるんだ。逃げたら絶対に後悔する――それはわかりきってるのに、それでも逃げたいと思う自分もいるんだ」
 逃げなければ、死。確実に死ぬ。酸素が尽きるまでのおよそ半日、その絶望を想像するだけで胸が押し潰されそうになる。
 倉敷はつぶやくように言葉を続ける。
「だって、もしこのまま逃げてしまうなら、少なくとも乗客本人たちからは責められずに済むからね」
 乗客たちはこの状況を知らされていない。観光旅行が平穏無事に推移していると信じている。
 マッチロック号を見舞った危機は、衝撃も爆発も警報も、騒がしいものは何一つ伴わなかった。突然眠りに落ちたような沈黙であった。
 原因は未だに特定できていない。が、恐らくは時限型のコンピュータウイルス。
「いっそこのまま何も知らせないで、全員で仲良く死のうか。それが一番いいような気がする」
「それが最も愚かな判断です。二名は救うべきです」
「けど、知らせれば最長で十二時間苦しませることになる。酸素が残りわずかになってから、爆発事故でも起こせば、長くても数分で楽になれる」
「死にゆく者の精神的苦痛を重要視されるのであれば、ポッドが一機しかないことを伏せたまま、二名を脱出させてしまうというのはいかがでしょうか」
「なるほど……。それはいい考えかも知れない」
 幸い、旅行者たちは全員、それぞれの個室にいる。二名にだけ、最低限の説明を行い、脱出ポッドに乗せることはできる。しかし――
「その二人を、どうやって選ぶ?」
 そして、長い静寂が訪れた。問いに対して適切な解が見つからなければ、沈黙するしかない。それは人間もヒューマノイドも同じである。
 倉敷は立体ディスプレイに手を伸ばし、やめた。それを二度繰り返した。
「どうされました?」
「乗客の……プロフィールを……」
「表示しますか?」
「……頼む」
 エリーゼの細い指がディスプレイに触れ、乗客五名のプロフィールを記載したウィンドウが開かれた。
 しかし、倉敷はうつむいていた。
「ご覧にならないのですか?」
「そんなもので、決めるのか? 決めていいのか? 人の生き死にを……」
 いいも悪いもない。「そんなもの」で決めるしかない。
 神の視点に立ち、選別するのだ。どんな二名を残すのがこの世界にとって有益か?
 倉敷は意を決し、顔を上げた。

大隅庸光(おおすみようこう)
 四十六歳、男性。身長百六十六センチ、体重六十二キロ。
 大手コンビニエンスチェーンの店長。迷惑防止条例違反で前科一犯。
 築四十年のアパートで一人暮らし。婚活中。

白鳥翔(しらとりかける)
 二十七歳、男性。身長百七十七センチ、体重六十五キロ。
 ベンチャー企業の青年社長。年商三億。元高校球児。
 高級マンションで妻との二人暮らし。

菊池流星(きくちめてお)
 二十一歳、男性。身長百七十センチ、体重五十九キロ。
 愛知府立大学情報文化学部二年。サークル活動なし。
 実家で母・弟との三人暮らし。父は流星が二歳の時に蒸発。

桜井晴香(さくらいはるか)
 三十歳、女性。身長百六十八センチ、体重五十四キロ。
 フリーの人気アナウンサー。祖父がイギリス人のクオーター。
 一般男性の婚約者と同棲中。猫を飼っている。

梅田望美(うめだのぞみ)
 二十三歳、女性。身長百五十四センチ、体重六十キロ。
 荻窪アニメーション学院中退。ファーストフード店のアルバイト。
 声優事務所に所属している。

「――で?」
 倉敷は苛立たしげに呟いた。
 接客はエリーゼたちヒューマノイドが担当していたが、出発前のオリエンテーション等で倉敷も顔を合わせている。改めてプロフィールを見ても、概ね印象通りという感想しか浮かばない。人間の「印象」と「実体」はそうそうかけ離れるものではない。
「まぁ、確認が取れた、ってところか」
 思ったことを声に出す。思考を整理する為だ。聞き役がいるのはありがたい。
「エリーゼ、君ならどの二人を選ぶ?」
「私には判断しかねます」
「君なりの基準でいいんだ」
「基準を持ち合わせておりません。人間の命は平等ですから」
「でも、君は二人選べと言うんだろう」
「はい」
「だったら意見を聞かせてくれ。参考にするだけだから」
「お許しください。私にわかるのは、〇名より二名生き残る方が良いということだけです。命を比較することはできません」
 当然だ。ヒューマノイドは古き良きロボット三原則をインプットされている。すなわち、生命の守護、命令の実行、自己の保全。人間と人間の命を比較し、どちらかを「不要」とすることは、第一の原則に反している。
 答えられないことを承知の上で、倉敷はエリーゼに意見を求めたのだった。
「選べないよな。僕だってそうだ」
 好きな二人、好印象な二人は? その問いに答えることならできる。しかし、二人を選ぶということは三人を選ばないということなのだ。その決定ができるほど倉敷は乗客たちのことを知らない。データがない。いや、データがあったところで……。
「でも、とにかく何かを基準にしてみよう」
 若さ? 残された時間の長い者? 若さで選ぶなら、菊池と梅田。
 年収? それは社会に貢献している度合いとも言える。年収で選べば、白鳥と、恐らく桜井。
 死んで悲しむ人間の数? プロフィールだけではわかるはずもないが、知名度で言えば桜井、交友関係が広そうなのは、やはり白鳥?
 白鳥と桜井。いかにも「成功者」らしきその二人を選ぶのか? 正直、印象が良いのもその二人だ。時として、天は二物を与える。
 いや、個人的な印象で決めるのはやはり間違っている気がする。客観的な指標は、若さか? 災害時に子供から救うのは全世界共通。だが、皆成人しているし、差は決して大きくない。
 前科のある大隅を除外する? 許されるのか、そんなことが? 客観的ではある、と言えるか? 迷惑防止条例違反――多いのは、痴漢。冤罪が後を絶たないという。もし冤罪だったら?
 いっそ女性二人というのは? 案外、支持は得られそうな気がするが……。
「……無理だ。何が正しいかわからない」
「艦長、判断材料がないのであれば、無作為に選ぶしかないのでは」
「……やっぱりそうなるか」
 くじ引き。それが最も平等な方法である。
「一から五のくじを」
 と、倉敷は指示したが、エリーゼは応じなかった。
「……どうした?」
「一から六のくじでしたらご用意しますが」
「乗客を優先すると言っただろう」
「同意したわけではありません」
「艦長としての判断だ」
「申し訳ありません。ここで一から五のくじをご用意することは、私にとって自殺幇助にあたるもので、実行できません」
「それなら……」
 一から六でいい。
 言いかけて、倉敷は口をつぐんだ。自分に当たったら誰かに譲渡すれば良いかと思ったが、譲渡する相手を決めるのにもくじが必要であり、それなら最初から一から五のくじを引くのと変わらないのである。
「艦長、無作為にお決めになるのなら、ご自分も対象となさってください」
「エリーゼ、さっき僕が『逃げたい』って言ったの、覚えてるよね?」
「はい」
「その気持ちは消えたわけじゃないんだ」
「でしたら、やはり一から五のくじをご用意しましょうか? 艦長ともう一人を選ぶ為の」
「待てよ、おかしいじゃないか。それこそ僕と他の五人を平等に扱ってない」
 エリーゼは一瞬の間を空けて、弁明した。
「二名が助かるならば、経緯は無関係と考えます」
 だったら誰かを除外したっていいはずだ。
 その言葉もまた、倉敷は飲み込んだ。ヒューマノイドにとって「オーナー」は最優先で守るべき対象だが、その為に他の命を脅かすわけにもいかない。
「説明なしで二人だけ逃がす、っていうのは君の案だったよね」
「そこには当然、艦長ともう一名というパターンも含まれていました」
 既に「逃げたい」という意思表示をしていた。倉敷が苦悩の末に「自分と誰か」を指名することをエリーゼは暗に期待していたのかも知れない。
「僕がプロフィールを見てあっさり乗客二人を指名したらどうするつもりだったんだ?」
 エリーゼは沈黙した。恐らく承認するしかなかったはずだが……。
 もうよそう。彼女を困らせても仕方ない。
「話を戻そう。逃げたいっていう言葉を蒸し返したのは、本当に逃げたいからじゃないんだ」
 よくわからない、という表情でエリーゼは倉敷を見た。
「助かる可能性が出てきたら、助かりたくなってしまうんだよ。一から六のくじを引いて外れたら、最初から自分を外す以上の絶望を味わうことになる」
「お気持ちはお察ししますが、艦長が選ばれる可能性のない抽選方法をお手伝いするわけにはいきません」
 倉敷はディスプレイの隅の時計を見た。残り十二時間を切った。いつまでも悩んでいるわけにはいかない。
 いっそのこと引くか、一から六のくじを? 間違った方法ではない。くじで助かったなら、自分からも人からも、さほど責められずに済むかも知れない。だが、外れた時、その衝撃に耐えられるか?
 自分が助かる確率は三分の一。五十パーセント以下。低い。「助かる確率」と考えると、眩暈をおぼえるような数字だ。
 倉敷は目を閉じた。
 やはり五人の中から選ぼう。エリーゼに頼らずくじを引く。次に目を開けた時、時計の秒の数で決める。一の位が、一か六なら大隅、二か七なら白鳥、三か八なら菊池、四か九なら桜井、五か〇なら梅田。それを二回繰り返す。
 二回だ。一回目の後、秒数を数えてはいけない。数えたら作為的になってしまう。数えない。それには、別の何かで頭を満たすしかない。木の葉を隠すには森。素数だ。素数を高速で読み上げる。
 いくぞ。一回目、今から十秒後だ。くじを引く。艦長として、誰かを助ける。
(三、二、一……!)
 だが、倉敷は目を開けられなかった。
 三分の一のくじを引いて、自分が助かるところを――助からない可能性の方が高いのだが――一度想像してしまった。神に選ばれ、安堵のため息をつく瞬間を。
 そのイメージが脳裏に焼き付いている。自分が絶対に選ばれないくじを引くなんて馬鹿げているとしか思えない。
「わかったよ、エリーゼ。一から六のくじを」
「かしこまりました」
 エリーゼがディスプレイを操作すると、大きなウィンドウが現れた。画面中央で一から六までの数字が高速で回転している。
「先に誰が何番なのかを決めておこう、一は大隅、二は白鳥、三は菊池、四は桜井、五は梅田、そして六が僕だ」
 倉敷がそう言うと、エリーゼは乗客たちそれぞれのウィンドウに番号を振り、また、新たに六番として倉敷のウィンドウを出した。
「うん、これでいい」
「あとは、中央のルーレットに触れていただければ、抽選が行われます」
「念の為確認するけど、触れた瞬間の数字に決まるわけじゃないよね?」
 もしそうなら「目押し」ができてしまう。
「はい。これは単なるグラフィックです」
「抽選の方法は?」
「人の指が触れた瞬間の時刻をある式に代入して演算します」
 乱数の生成は案外、コンピュータにとって難題である。真空管の電子計算機が登場してから百年近くが経った今でも、コンピュータは単独で乱数を作ることはできない。自然界から何らかの「種」――時刻・ノイズ・放射線など――を貰ってこなければならない。
 ともあれ、時刻は「種」として最もポピュラーである。問題は「式」だ。
 エリーゼは先ほどから、「オーナーの命」と「その他の命」をどう扱うか、迷走している。少なくとも同列に置いてはいない。となれば、六が出やすい式になっていてもおかしくない。昔、博徒がイカサマに用いたという、錘入りのサイコロのように。
 訊けばいいのだ、「確率は均等か?」と。ヒューマノイドは特別な場合をのぞき、嘘をつけない。倉敷は「くじ」と言っただけで、「一から六までの自然数が均等な確率で出るくじ」とは言っていないから、確率に細工をしてもまだ「嘘をついた」ことにはならないが、訊かれれば正直に答えるはず。それとも今は「特別な場合」に当たるのか?
 このくじを使うべきではない。コインなりトランプなり、アナログな手段がいくらでもある。簡単なことだ。エリーゼを介入させなければいい。だが――
「結局僕は、助かりたがってるんだな……」
 エリーゼの不正を「知らず」に、そんなこと「思いもよらず」に、このくじを引いてしまえばいい。心のどこかで、いや、明らかにそう考えている。
「やめだ」
「艦長?」
「やっぱり全員にあらいざらい説明するよ」
「お待ちください。急にどうされたのです?」
「自分だけが状況を把握してる限り、僕は自分に都合よく考えてしまう。これじゃ乗客を守るどころじゃない」
「私は反対です」
「何故だ?」
「パニックになる恐れがあります」
 その通り。だから今まで隠していた。
「恐ろしいのはパニック自体ではありません。誰も助からないという最悪の事態に繋がることです」
「日本人は世界一お行儀のいい民族だよ。乱闘みたいなことには多分ならない。そのきっかけを作りそうな人もいないしね」
「生きるか死ぬかとなれば、人はどんな行動に出るかわかりません」
「でも、フェアじゃないんだよ、このままじゃ」
「二名の救助が最優先です」
「四人は確実に死ぬ。そうだろう? その四人には、残された時間をどう過ごすか、自分で決める権利があるんじゃないかな?」
「おっしゃることはわかりますが……」
「生き残る人に遺書を託すこともできる。僕が乗客なら、教えてほしいと思う」
「逆に、恨みを持つ可能性は?」
「ないとは言い切れない」
 わけのわからないまま死なせてくれた方が良かった、と。
「それでも、僕は公表する。これは決定だ」
「……了解です、艦長」
 とは言え、パニックはできるだけ避けたい。
「乗客は今も全員個室にいるね?」
「はい。ラウンジに集合するようアナウンスしますか?」
「いや、説明は艦内放送で行う」
「放送で?」
「何か問題が?」
「良い方法だと思いますが、艦長の誠意が伝わるでしょうか」
 微細で人間的な問題に気付く。さすが最新鋭のヒューマノイドだ。
「なるべく頑張ってみるよ。個室のドアをロックしてくれ」

倉敷永司からの放送/残り11時間51分

「――以上の理由から、脱出ポッドに乗る二名を選ばなければならない状況となっております。決して言葉で足りるものではありませんが、ゴンドワナ社を代表して、また、宇宙に憧れた一人の人間として、全員のお命をお守りできないことを、深くお詫び申し上げます」
 倉敷はそこで言葉を中断し、カメラに向かって深々と頭を下げた。許されたいのではない。聞いている相手の心中を思うと、頭を下げずにはいられなかった。
 個室に備え付けられたモニターを用いての放送であった。
「このような状況において、マニュアルは存在しません。今から申し上げるプランはあくまで私の提案です。ご意見があればお聞かせください。今後の方針は皆様との話し合いで決めたいと考えております。
 まず、先ほどご説明しました通り、皆様のお部屋のドアは現在ロックさせていただいております。これはお客様同士のトラブルを避ける為です。ご無礼は承知の上です。
 ただいまより七時間後、残りおよそ五時間の時点で、他に取るべき手段がなければ、抽選によって二名様を決定致します。脱出ポッドの出発は残り一時間の時点とし、それまでの四時間を使って、他の三名様には脱出ポッドに乗せるメッセージ等をご用意いただきます」
 他の三名、という言葉をもって、倉敷は自分を抽選から外すことを宣言した。エリーゼから何か言いたげな気配を感じたが、構わずに続けた。
「抽選の後、救急用の麻酔と電気ショックによる安楽死装置をご用意致します。いつお使いになるかは各自の判断にお任せ致します。尚、私自身は酸素供給停止の瞬間に使用するつもりです。
 個室のドアは脱出ポッド及び安楽死装置に向かわれる際にのみ解放するものと致します。お食事はお部屋内の支給ボックスにお送り致します」
 トイレやシャワーも個室に付いている。生活に支障はないはずだ。だが、何の為の「生活」だろう? もう長くは生きられないのに? きっと今、全員が同じ疑問を抱いているはずだ。
「モニター下のタッチパネル、受話器のアイコンに触れていただきますと、私との通話が可能となります。カメラはモニター上部の小さな黒い穴のような部分ですが、通話状態にならない限り、私が皆様のご様子を見ることはありません。
 通話はひとまず、皆様お一人ずつと私の一対一のみと致します。機能としては全室同時通話も可能です。
 また、テキストメッセージもお受け致します。手紙のアイコンでメーラーが起動致します。こちらもひとまずは私宛のみに限らせていただきます。
 私からの提案は以上です。ご意見やご要望がありましたら、どんな些細なことでも遠慮なくおっしゃってください」

白鳥翔との通話/残り11時間44分

「悪い冗談であってほしいと思いましたよ。でも、事実なんですね」
「はい」
 モニターに映る白鳥の表情は、かなり落ち着いているように見えた。
「もう十分に吟味されたのでしょうから、素人の僕が口を挟むことではないと思いますが、事が事なので、一応確認させてください。もう絶対に二人しか助からないんですね?」
「残念ですが」
「通信が途絶えたことを受けて、既に救出船が出ているのではないでしょうか?」
「その可能性はあります。しかし、最高速でもここへは約二十時間かかります。心肺停止から二十分以上経過した場合、蘇生は不可能です」
 努めて冷静に話す。冷酷な印象を与えるかも知れないが、今は事実を伝えるしかない。
「酸素の供給を薄めれば時間を引き延ばせるのでは?」
「実は、既に供給ペースはギリギリまで下げてあります。全員に麻酔で眠っていただき、消費を最低限に抑えたとしても、十五時間が限界です」
 通常、空気中の酸素濃度は二十一パーセント付近を保たねばならない。十八パーセントを下回ると人体に影響が出始め、十パーセントを切れば意識を失い、八パーセント以下の環境では数分で死亡する。
「脱出ポッドには推進力があるんですよね?」
「ええ。しかし、本機を牽引するほどの力はありません」
「そうですか。わかりました。やはり僕が考えるぐらいのことはとっくに検証済みですよね」
 そう言って、白鳥は悲しげな笑顔を浮かべた。
 かける言葉が見つからず、倉敷はうつむいた。
「僕は艦長のご提案に賛成です。こうなれば抽選以外にないでしょう。時間配分も妥当だと思います」
「……はい」
「ただ、抽選にはご自身も含めていいのではないでしょうか?」
「いえ、私には責任がありますから」
「今回のような事故の再発防止に貢献することもあなたの務めでは?」
「ええ。ですが、今ある命より優先できることではありません」
「あなたも今生きていらっしゃるでしょう」
 本心だろうか? ――いや、どちらでもいい。立派な発言であることに変わりはない。人数が増えれば自分が選ばれる確率は下がるのだから。
「あくまでもご自分は入れないおつもりで?」
「はい」
「では、もし私が当選したら、艦長、あなたに権利をお譲りします」
 ? 何を――?
「何をおっしゃるんですか」
「僕はあなたが生き残ることを希望します。事故に関するデータはどうとでも残せるのでしょうが、真相の究明と今後の対策にはあなたが必要という気がするんです」
「しかし、白鳥さん」
「今ここにいる六人の中で、この事故の経験を最も有効に活かせるのがあなたです」
「経験を活かすという意味でなら、皆さん同じなはずです。宇宙開発の分野でなくとも」
「それはそうでしょうね。でも、とにかく僕はあなたを指名します」
 そんなもの、受けられるわけがない。
「艦長、もしかしたら僕は、怒っているのかも知れません。あなたにではありませんよ。何と言うか……この運命に対して。これでも一生懸命生きてきたつもりですが、こんな、原因もわからない事故で死ななければならないのか、と」
 怒り。当然だ。誰かに激しく罵られることも、倉敷は覚悟していた。いや、まだ今度の通信でそれはあり得る。
「この理不尽な運命には、専門家であり、どうやら人格者でもあるあなたを立ち向かわせるのが一番有効だと思うんです。自分の命を捨ててでも」
 倉敷は、白鳥に対して、改めて親近感を覚えた。権利を譲ると言われているからではない。物の考え方が似ている。「理屈っぽい」と人に言われたことが何度かあるだろう。
「僕も責任ある立場ですから、もしもの時のことは常に考えていたんです。遺書を書いて、月に一度更新していました。だから平気というわけでもありませんけど、まぁ、他の皆さんよりは大丈夫なんじゃないでしょうか。優秀な部下もたくさんいますし」
「会社が大丈夫なら良いというわけではないでしょう。残された人間は悲しみます」
「ですから、それは皆さん同じでしょう。自分がいなくなることを定期的に意識していた分、準備ができていたという意味です」
 倉敷も遺書は残している。だが、それは宇宙飛行士の義務として書いたものであって、自発的なものではない。白鳥は自分より明確に「死」を意識していたのだろう。
 とは言え、白鳥の譲渡を受けるわけにはいかない。
 何と言って説得すれば? 「理屈」は理解できるだけに、なかなか反論が思い浮かばない。自分が乗客の立場なら、白鳥のように考えたかも知れないのだ。
 言葉を探していると、電子音が鳴った。
「この音は?」
「着信です、他の部屋からの」
「ああ、長々とすみません。僕の意志はお伝えしましたので、これで。お辛い立場だと思いますが、頑張ってください」
 そして、白鳥との通信は切れた。

桜井晴香との通信/残り11時間39分

「ドアを開けていただけませんか?」
 澄んだ声で桜井は言った。いかにも知的な整った顔は今や蒼ざめ、深窓の病弱な令嬢を思わせた。
「直接お会いになりたい方が?」
「いえ、特に誰とというではないんですけど」
「ドアのロックは私としても本意ではないのですが、皆様のご安全をお守りする為には必要な措置かと」
「わかります。でも、こういう時こそ支え合わないといけないんじゃないでしょうか」
 支え合い――考えもしなかった。何しろ、励まそうと慰めようと、助かる人数が増えるわけではないのだから。
「ずっと一人でいると気持ちが塞いできますし、みんなで集まって……と言うか、自分が淋しいだけなのかも知れませんけど」
「今、親睦を深めるようなことをすれば、余計に辛くなるだけではありませんか?」
 行くにせよ、残るにせよ。
「確かにそうですね。それでも、このまま一人でいるよりは……と」
 その時、倉敷は自分の幸運に改めて気づいた。自分にはエリーゼがいる。もし彼女がいなかったらと思うと、寒気がする。乗客たちは孤独と戦っているのだ。
 だが、ロックを開放したらどうなる?
 最悪なのは、脱出ポッドに乗る権利をめぐって殺し合いになること。すなわち、腕力による選別。
 暴徒を鎮圧するような機能を備えたヒューマノイドは、あいにく沈黙している二体のうちの一体だ。エリーゼはただのナビゲーターである。
 腕力も一つの基準? 感情抜きに考えればそうかも知れないが、殺し合いの場合、「二人」が生き残るとは限らない。一人しか残らないケースや、全員相討ちもあり得る。
 ――いや、この面子でそんな惨劇はやはり想像しにくい。ヤクザまがいの人間がまぎれているならともかく、最も腕力に優れていると思われる白鳥があの態度なのだから。集まれば恐らく、「支え合う」だろう。涙の出るほど優しい時間が流れるだろう。ともすれば、残る者が「納得」して送り出せるような――あるか、そんなことが? 人間を信じ過ぎではないか?
「艦長さん?」
「ああ、失礼しました。ちょっと考え込んでしまいまして」
「良かった。通信が止まったのかと思いました」
「すみません。……ドアの解放については、今後皆さんの様子を見て検討させていただく、というのでいかがでしょう」
「わかりました」
「客室同士の通信でよろしければ、少し敷居が下がるのですが」
「通信……そうですね。何もないよりはいいと思いますけど」
 アナウンサーである桜井なら、直に会わなくても乗客たちに良い影響を与えられるかも知れない。そう期待しての提案だったが、桜井はあくまでもドアの解放を求めているようだった。
 倉敷の思いを察したように、桜井は言った。
「テレビの現場って、本当にたくさんの人が働いてるんですよ。ディレクターさん、ADさん、カメラさん、音声さん、照明さん、メイクさん……画面に映るのは私やタレントさんたちだけですけど、いつもその何倍もの人たちが影で支えてくれてるんです。だから、人との繋がりって大事だなって、毎日実感してて。あ、でも、そんなの艦長さんたちだってそうですよね」
「そうですね、確かに」
 一人では何もできない。それは確固たる事実。
 だが、同僚たちの中には馬の合わない人間もいる。それもまた事実。もし、そんな奴と自分、どちらかしか生き残れないとしたら?
「……それで、最終的な『決め方』としては、ご提案の通りでいいと思います」
「はい」
「それじゃ、ドアの件、よろしくお願いします」

空白

 次の通信まで一時間以上の間が空いた。倉敷にとってその間はひどく苛立たしいものだった。
 今のプランのまま事が運べば、自分の人生はあと十時間と少ししかない。十年でも十カ月でも、十日でもなく、十時間だ。すなわち六百分――三万六千秒。秒にしてわずか五桁。目に見えて減っていく。一秒だって無駄にできない。
 やるべきことはあった。エリーゼに命じて安楽死装置を作らせ、自分は事故についてのレポートを書いた。何かの偶然で状況が改善されていないか、見落としている点はないか、何度もチェックした――当然そんなものはなかったが。
 作業をしながら、倉敷は常に残る三人の様子が気にかかっていた。
 どうして何も言ってこない? プランに賛成ならせめて一言そう伝えてきてもいいはずだ。沈黙による同意の表明? いかにも日本人らしいが、本当にそれでいいのか? 自分の命がかかっているのに。通話でなく、メッセージでもいい。一言寄越すだけのことが何故できない? まだ考えがまとまっていないのか? 冗談じゃない。遅過ぎる。まとまる頃には死ぬぞ。
 放送の後、白鳥と桜井がすぐに連絡してきたのに比べ、他の三人が長く沈黙していることで、倉敷の中で「二人」と「三人」の格差はさらに広がっていた。
 本当にくじ引きなんかでいいのか? 世界を「より良く」したければ、いっそ白鳥と桜井を指名してしまった方が……いや、無理だ。わかっている。この煩悶、何度繰り返せば気が済むんだ。そんな「合理的」な決断、自分にはできない。「命」が立ち塞がっている。他との比較を許さない、鉄面皮の番人が。
 三人の様子は気になるが、自分から連絡を取ることははばかられた。互いに気分を害することになりかねない。だいいち、何と言って声をかける? 「ご気分はいかがですか?」。最悪に決まっている。
 こんな時、きっと桜井なら、ためらわずに一人一人連絡を取り、適切な言葉をかけられるのだろう。そもそも彼女ならドアのロックもかけず、ラウンジに集めて直接話し合っただろう――最初からそうすべきだったか? 今のやり方は間違っている? いや、あの三人が何かしらの意思表示をしてくれれば……ただそれだけのことなのだから。
 もしこのまま何の連絡もなく、残り五時間となったら、粛々と抽選を行い、結果を伝える。そういうことになっている。この措置は正しいのか? 恐らく、正しい。平等だ。では、このわだかまりは何だ?
 桜井からはドアの解放を提案されている。今も進展を待っているだろう。ならば、ドアの解放について意見を訊くという名目で、こちらから連絡を入れてみるか? 筋は通っている。だが、今まで何も言ってこない連中を集めて、一体何が起きるというのか?
 何もしないよりはマシ……か? 残り十時間の人生、こんな精神状態で過ごしたくはない。
 倉敷がディスプレイに触れようとした瞬間、大隅からのメッセージを受信した。

大隅庸光からのメッセージ/残り10時間15分

「私のことは抽選から外してください」
 大隅からのメッセージは、その一言だけだった。 
「……どう思う、エリーゼ?」
「もともと自殺願望がおありだったのでは」
「そういうことだろうね。で、君ならどう返信する?」
「かしこまりました、と」
「へぇ、意外だな。それは自殺幇助に当たらない?」
「勿論、通常であれば容認できません。しかし、現在は六名から二名を選ばなければならない状況です。本人が望まない命より、望んでいる命を優先することは妥当です」
「状況と関係ある? そもそも自殺っていうのは本人が生きることを望まないことだよ」
「通常は全員の生存権が無制限に認められています。その中において自殺は『回避すべき事故』であり、何の利益も生み出しません。それに比べ、現状においては、自殺が他者の利益となります」
 エリーゼの考えは概ね倉敷と一致している。生きていたくない者よりは、生きたい者を生かすべきだろう。だが――
「僕が抽選から外れることには反対なんだろ?」
「艦長の場合は、責任感からおっしゃっていることだからです」
「口ではそんな風に言った。でも実は世を儚んでいるのかも知れない」
「そのようにはお見受けできません」
「彼だって、違うかも知れないよ。最年長だ。責任感って可能性もある」
「だとしたら、もっと他の書き方がありそうなものですが」
「確かにね。でも、あくまで僕らがそう解釈してるだけだ」
 倉敷はディスプレイに並んだ無機質な――恐らくは投げやりな――文字を見つめた。
「エリーゼ、僕はさっきまで、白鳥さんと桜井さん以外から連絡がないことに、大分いらついてた。正直、あの二人に決めてしまおうかとさえ思った。でもこうして連絡を貰ってみると――やっぱりこの人も、生きてたんだなって思う。言葉通りに抽選から外すことなんてできない」
「では、どうされるのです?」
「通信で訊いてみるよ。どうしてこんなことを書いたのか」

大隅庸光との通信/残り10時間11分

「逆にお尋ねしますけど、どうして私が抽選から外れてはいけないんですか?」
 大隅は――残念ながらと言うべきか、やはりと言うべきか――卑屈な口調でそう言った。
「権利は等しく与えられています」
「答えになってませんね。その権利を放棄すると言ってるんです」
「何故なんですか?」
「何だっていいじゃないですか」
「命に関わることです」
「ご存知なんでしょう? 私のこと、色々」
「色々、とは」
「ですから、私がどんな人間かですよ。ただの旅行とは言え、素性の知れない人間を宇宙船に乗せるわけにはいきませんものね」
「確かに、ある程度は把握しておりますが」
「一人暮らしの小汚いオヤジです。青年社長とか女子アナとか、前途ある若者たちより、私の方が価値がありますか? 価値があると言えますか?」
「人の命は平等です。価値で測るものではありません」
 間を空けず返すには、そんな一般論しかなかった。
「前科者も平等ですか?」
「……冤罪では?」
 その言葉は、倉敷の口を突いて出た。
「……だとしたら何です?」
 そう言いながら、初めて大隅は笑顔を見せた。自嘲気味の笑顔だが。
「いかにも痴漢しそうな顔してる方が悪いんですよ。当時勤めてた会社でも周りとうまくやれてませんでしたし、辞めるのは時間の問題でした。あれはただのきっかけに過ぎないんです」
 大隅を信じる理由は、倉敷にはない。だが嘘と決めつける根拠もない。
「さっきも言いましたけど、一人暮らしですから。親しくしている親戚や友人もいません。死んでも一番問題ないのは私だと思いませんか?」
「でも、店長さんでしょう」
「フランチャイズの雇われ店長なんて孤独なもんですよ。バイトの子たちにもすっかりなめられちゃって……何度言っても髪は黒くしないし、平気で遅刻してくるし……そう、あいつらと離れたいっていうのが結構大きいですね」
「辞めさせればいいじゃないですか」
「それができないのが田舎なんです」
 地方創生という言葉が叫ばれたのは、あの旅客船の沈没事故と同じ頃だっただろうか。いくらかの金が注ぎ込まれ、いくつかの立派な施設が建ち、それで終わりだった。都市部への人口集中はまったく解消されていない。
「ヒューマノイドの店員がいればいいんですけど、うちみたいな売り上げの悪い店にはとてもそんなもの回してもらえません。艦長さんが羨ましいです」
 返答のしようがなかった。
「死ぬきっかけが欲しくて、色んな懸賞旅行に応募しました。どこか行った先で死ぬつもりだったんですが、自分で行き先を決めるのは怖くて。まさか宇宙旅行が当たるとは思いませんでしたけど、宇宙で死ねるとはもっと思いませんでしたね」
 それは、きっと嘘だ。「もう疲れた」とは思っていたかも知れないが、本気で自殺を考える人間が「婚活」などするはずがない。人生を切り拓こうという意思もあったのだ。
 しかし、婚活の件について、倉敷の方から触れるわけにはいかなかった。それがうまくいっているなら、こんな考え方にはなるまい。 
「大隅さん、この懸賞に当たったのは、これからいいことが起こる兆しだとは……」
 倉敷の言葉を、大隅は遮った。
「どのみち帰ったら死ぬつもりだったんです。最期に素晴らしい眺めが見られて良かったですよ。……お気遣い、ありがとうございました」

梅田望美からのメッセージ/残り9時間55分

 大隅との通信が切れ、倉敷は梅田からのメッセージを開いた。大隅との通信中に受信していたものである。白鳥との通信の後、着信・受信の際に音が鳴らないよう設定を変更してあった。
「梅田望美です。皆さん全員にお話ししたいことがあるので、全室同時通信をご許可いただけないでしょうか?」
 さて、これは……どうする?
 拒否する理由はない。だが、何を話そうというのか? 誰が何を話したところで状況は何一つ変わらない。今話したいこととは? 遺書に残すのでなく、今、この場にいる人間たちに伝えたいこととは何だろうか?
 桜井のようにドアの解放を要求しているのではない。「話したいことがある」とも言っているし、他人と繋がりたいというのではなく、何か彼女なりの確固たるメッセージがあるのだろう。
「何を言うつもりか、先に確かめるべき、か?」
 と、倉敷は声に出した、自問であると察したらしく、エリーゼは黙っている。
「いや……そんなことをする権利はない」
 これも梅田の考える「最期かも知れない時間の過ごし方」の一つだ。最大限尊重されるべきだろう。
 桜井の望んだドアの解放にはまだ踏み切れないでいるが、これを機に、未だ沈黙を守り続けている菊池の様子を観察し、問題なさそうなら解放してもいい。
 倉敷は梅田にメッセージを返信した。
「全室同時通話の機能制限を解除しました。通話のアイコンを押した後、私との通話か全室同時か、選べるようになっています。どうぞご利用ください」

全室同時通信/残り9時間55分

 全室同時と言っても、館内放送とは異なり、着信に応じるか否かは個人の自由である。が、梅田の発信からさほど時を要さず、全員が通信を承諾し、倉敷のディスプレイに五人の顔が並んだ。中でも一番に出たのは、意外にも菊池であった。
「皆さん、突然すみません。どうしても皆さんにお話ししたいことがあって、艦長さんに許可を貰いました」
 梅田は、声も顔も、落ち着いていた――というより、落ち着き過ぎていた。発覚から一時間以上経っているとは言え、白鳥や桜井よりも、明らかに平然としている。
 嫌な予感がした。本当にこの通信は許可して良かったのか?
 他の四人は、黙って梅田の次の言葉を待っている。
「私は、艦長さんの提案に反対です。くじ引きで決めるなんておかしいと思います」
 全員の表情が、かすかに動いた。
「私のことを話します。私はご覧の通り、見た目は良くないです。顔も良くないし、太ってます。太ってるのは自分の責任です。
 私はフリーターです。マクドナルドでアルバイトをしてます。声優の学校に通ってて、同期はみんな自分のことを声優の卵って言ってますが、少なくとも私はそうじゃありません。フリーターです。何故なら生活費はアルバイトで稼いでいるし、私がプロの声優になって食べていける可能性はほぼゼロだからです。
 もう何年も前からそうですが、声優も顔を出す時代です。声だけで務まるものではないんです。よっぽど上手いのでない限り、見た目の悪い子になかなかチャンスは来ません。そして私はよっぽど上手くも可愛くもありません」
 音声加工の技術が発達し、人間の肉声と遜色ない声を自在に作り出せるようになって、声優の需要は年々下がりつつある。倉敷が知る範囲でも、声優とは声の俳優というより、アイドルに近い存在だった。
「そんな私がどうして声優の学校にしがみついているかと言えば、『声優を目指している自分』でなくなったら、何者でもなくなってしまうからです。恋もしたことありませんし、まぁ、だから要は二十三で処女なんですけど、だから好きな人と家庭を築くなんてことも全然イメージできませんし、だから……つまりそういうことです。どうにか生きていく理由を繕ってるだけなんです。ただ、自殺したいっていうほど思いつめてるわけでもなくて、漠然と、叶いもしない夢にすがって今日まで生きてきました」
 誰も、何も言わない。桜井は何か言いたげではあるが、下手なことを言えば逆効果だということは明白である。
「私の命は皆さんより価値が低いです。明らかに価値の低いものが混じってるのに、くじ引きで平等に決めるなんておかしいです」
 大隅のように、自分を外せと言うのか。
 そうではなかった。
「投票を提案します。得票数の多い二人が生き残るべきだと思います」
 全員が、相変わらず、押し黙っていた。
 菊池が口の端を歪めて微かにほくそ笑むのを、倉敷は目の端で見た。が、それをいぶかしむ間もなく、梅田の言葉が続いた。
「いかがでしょうか、艦長さん」
「私は……」
 油断していた。ここで話を振ってくるとは。
「……命は等価だと思いますが」
「例えば白鳥さんと桜井さんなら同じかも知れませんけど、私の価値はその二人より間違いなく低いです。間違ってますか? 私の方が優れてるところが何かありますか?」
「わかりますよ、梅田さん」
 と、割って入ったのは大隅だった。
「僕も君と同じように考えてましてね、抽選から外してくださいとさっきお願いしたんです。君の気持ちはよくわかります。でも、どうして投票なんですか? 自分に価値がないと思うなら、身を引けばいいだけのことでは?」
「結論が欲しいんです。はっきりさせたいんです。私に価値がないってことを」
「確かにあんたは随分性根の曲がった女みたいだけど」
 と、今度は菊池が発言した。大人しそうな風貌に反し、くだけた、乱暴な口調だった。
「投票ってのは無理がある。俺たちクズは立派な人間を指名できるけど、立派な人間の方じゃクズをクズ呼ばわりできない。選べやしないよ、どうせ」
「そこを無理やりにでも、っていうか正直に選んでもらいたいんですけど」
「あんたに合わせる理由がない。個人的には投票も面白いと思うけどね」
 と、菊池がまた口の端を歪めたところへ、強い口調で割って入ったのは、白鳥だった。
「一人何票?」
 少し気圧された様子で、梅田が答えた。
「一人、二票です。生き残るべきだと思う二人に」
「じゃあ、僕は艦長に一票入れる」
 一度聞いていたことだが、聞き捨てするわけにはいかなかった。
「白鳥さん、ちょっと待ってください」
 白鳥は、倉敷を無視して、続けた。
「いいかい、梅田さん。僕が艦長を推すのは、自分の代わりにこの事故の真相究明と再発防止に努めてもらいたいからだ。もう一票は、コインでも投げて決める。でも、梅田さん、君は除外する。君のように、生まれ持ったものの所為にして、ろくに努力もせず諦めるような奴は、どうせ大成しない。そんな人間、生き残ってもしょうがない。君が思っている通りだ。同意してやるよ。君は価値の低い人間だ」
 梅田は、先ほどまでの落ち着き払った様子と打って変わって、カメラから目線を外し、口の中で何やらもごもごと呟いている。
「これで満足か? 満足したら、馬鹿な考えは捨てるんだ。人生は長い」
 梅田はその後、目線をしきりに泳がせながら言葉を探している様子だったが、結局何も言わず、通信を切った。
 全室同時通話はグループチャットのようなものである。招待者が退室しても、チャットルームは残る。
 沈黙を破ったのは、菊池だった。
「かっこいー、白鳥さん。俺一票は絶対白鳥さんに入れますね」
「投票する話にはなってないだろ」
「わかってます。冗談ですよ」
 菊池流星。流星と書いて「めてお」。
 難読名はかつてキラキラネームと呼ばれ、倉敷が学生の頃は論争の的だったが、そのような名を持つ人口が徐々に増えることで、やがて論争は廃れていった。ら抜き言葉と同じである。
 ただ、教養の低い親が難読名を好む、という傾向は依然あった――昔ほど顕著ではないとは言え。
「でも、どうします? 結局、平等にくじ引きなんですかね?」
 今の菊池の雰囲気は、出発の時とは正反対だった。自棄になっているようには見えない。こちらが本性なのだろう。
「くじ引き以外にあるのか?」
「俺は殺し合いがいいんじゃないかと思いますけど」
 全員が、息をのんだ。
「いい、っていうか、こういう『密室モノ』ってどうせ最後は殺し合いになるでしょ? さっさとその段階行っちゃいません?」
「何を言ってるんだ、君は」
「だって大抵そうじゃないですか」
「これは映画じゃない」
「その台詞こそ映画みたいですね」
「大体、腕力で決めるんじゃ、どう考えても女性が不利だし、若い君が一番有利だろ」
「謙遜はよしてください。僕はただのヒョロいヲタクですよ。大隅さんとはいい勝負かも知れませんけど、白鳥さんに敵うとは思ってません。それに、女には女の武器があるでしょ? 生き残れるのは一人じゃなくて二人なんだから、強い男に取り入ればいいんですよ。ま、そう考えてくと梅田は確かにどうしようもないですけどね」
「万が一そういうことになるなら、君は僕が取り押さえる」
「いちいち臭いんだよなぁ、台詞が。でも、それでいいですよ。その後はどうします? こんな危ないこと言ってる奴も込みでくじ引きするんですか?」
 白鳥はため息をつくと、
「艦長、ドアのロックは賢明でしたね。このままの方がいいと思いますよ」
 そう言い残して、ディスプレイから消えた。
「あーあ、逃げちゃった」
「菊池君は、どうしてこの旅行に応募したの?」
 言ったのは、桜井だった。
「さすが女性。いいアプローチ」
 菊池の挑発に桜井は乗らず、黙っていた。
「でも、特別な理由なんかありません。興味があっただけですよ。ついでに、宇宙から地球を見た感想を言うなら、あの狭い星の中で馬鹿な人間たちがいがみ合ってるんだなぁ、ってとこですね」
「菊池君は生き残りたくないの?」
「どうでしょう。どっちでもいいです。窒息で苦しむなら嫌ですけど、安楽死させてくれるっていうし」
 桜井は、悲しそうな目で、まっすぐにカメラを見つめている。
「他にヤサシイコトバはないですか? ……ないですね? じゃ、お疲れ様でした」
 菊池がディスプレイから消えた。
「申し訳ありません。まさかこんなことになるとは」
 倉敷の言葉に、桜井が応じた。
「どうして艦長さんが謝るんですか」
「軽率でした」
 やはり一同に会する前に――たとえ通信でも――事前に全員の様子を確認しておくべきであった。
「でも、こんな風になっちゃうなら、直接集まるなんてとんでもないことでしたね」
「いえ、その方がまだ良かったかも知れません」
「……と、おっしゃいますと」
「菊池君は、通信だからあんな態度だったのでは」
「そうでもありませんよ、最近の子は」
 と口を挟んだのは、大隅だった。
「何と言うか、怖いもの知らずなんです。自分なんかとは全然別の人種だと思っちゃいますね……。じゃ、僕もこれで」
 大隅が通信を切った。
 そして、桜井とも簡単な挨拶を交わし、全室同時通信は終了した。

決断

 一人になると、倉敷は椅子の背もたれに寄りかかり、中空を見つめた。
「エリーゼ」
「はい」
「まずいことになった」
「何でしょう?」
「僕は今こう考えてる――あいつを外したい」
「それは、菊池さんのことでしょうか?」
「……白鳥さんや桜井さんに『好感を持つ』のは仕方ないと思ってた。それでも平等に選ぶべきだっていう方針は動かなかったしね。でも、今僕ははっきりと、菊池君は選ばれないでほしい――いや、選びたくないと感じてる。その次は梅田さんだ。彼女については白鳥さんの言う通りだと思う。どうしようもないよ。白鳥さんは結局励ましてたわけだけど、僕は彼女の『長い人生』はあのままずるずる続いていくだけのような気がする。それと、大隅さんは……悪い人じゃないんだろうけど……とにかく、三人とも、生きたいっていう意志がない。なのになんで平等に扱わなきゃならないんだ?」
「平等でないとお感じになるなら、それでよろしいのでは」
 倉敷は席を立ち、エリーゼと向かい合った。
 彼女は成長している。着任の時から少しずつ――今も。命は平等という原則と、オーナーを守りたいという志向。矛盾を乗り越え、新たなステージに立った。原則の方を、彼女は捨てた。
「艦長のご判断は全てに優先します。白鳥さんと桜井さんを選びたいとおっしゃるのなら……」
「違う。そうじゃない」
「何が『違う』と?」
 君はわかっているはずだ。
「白鳥さんを選ぶってことは、自分を選ぶのと同じなんだ。彼の譲渡は固辞しなきゃいけない。それはわかってる。けど、多分僕は、いざそうなったら、『無念は必ず晴らします』とか都合のいいことを言って、結局受けてしまうんだ。きっとそうなる。いや、それならまだいい――良くはないけど。最悪なのは、もし彼に当たって、彼が掌を返した時、それは至極正当なことなのに、僕が彼に対してどうしようもない怒りを抱くってパターンだ。約束の履行を見苦しく要求するかも知れない。最悪……そうとも、最悪としか言いようがないよ、そんな死に方」
「では、艦長と桜井さんということで良いのではありませんか?」
「ということ、って?」
「そのようなくじを作成致します」
「そんなの『くじ』じゃない」
「しかし、皆様にご納得いただくには必要でしょう」
 オーナーの生き残りに対してあからさまになっているエリーゼに対し――それはつまり自分自身に対してでもある――倉敷は語気を強めた。
「だから、それは六から二を選ぶくじだろ? 僕は艦長だ。『あの船』の船長とは違う。自分が助かりたいっていう欲望は捨てて、五から二を選ばなきゃいけないんだ」
 残り、九時間半。抽選の時刻まで四時間半。人生最期の数時間と考えればあまりにも短いが、「迷う」時間としては長過ぎる。また揺らぎかねない。
 きっぱりと決断して、清々しい最期を迎えたい。
「僕が誰を嫌おうと、命は平等だ。僕に嫌われたぐらいで価値は下がらない。菊池や梅田や大隅がもし当選して、その上で放棄するっていうなら――できるものなら、そうすればいい。どうせできやしない。生きられるなら生きたいに決まってる。僕に選別する権利はない。くじで、平等に、五から二を選ぶ。エリーゼ、君には頼らない。くじは自分で用意する」

終劇

「艦長、一つお尋ねしますが」
 と、エリーゼが改まった口調で言った。
「彼らの中に、人間らしくないと感じた人はいましたか?」
「……どういう意味だ?」
「彼らの振る舞いは皆、人間らしかったですか? 高潔過ぎるとか、卑屈過ぎると感じた人は? その他、何か不自然な点は? 終始、彼らを人間だと信じて、コミュニケーションをされていましたか?」
「ちょっと待ってくれ。何を言っている?」
「……お許しください、艦長。これは大掛かりなチューリング・テストだったのです」
 あまりのことに、倉敷は言葉を失った。
 チューリング・テスト――人口知能が「知的かどうか」を判定する方法。質問者Aが、回答者B・Cとやりとりをする。BとCのどちらかが人間でどちらが人工知能か、Aに見分けられなければ、その人工知能は知的であると認められる。
「彼らは皆、ヒューマノイドだと?」
「はい。今回のフライト中にやりたかった実験というのはこのことだったのです。もとい、このフライト自体が実験の為のものだったのですが」
「いや、そんなはずはない。僕は彼らと直に会ってる」
 エリーゼがそうであるように、ヒューマノイドの外見上の人間らしさは目を見張るものがあるが、近くで見れば見分けはつく。
「出発前のオリエンテーションで艦長がお会いになったのは実在の人物です。しかし出発後はほとんど画面を通じてしかご覧になっていないはずです」
 確かに映像だけなら、騙せるかも知れない。だが。
「じゃあ……この事故も嘘なんだね?」
「いえ、あらかじめプログラミングされていたという意味では『嘘』ですが、本機が帰還不能の状況にあるということは『本当』です」
「チューリング・テストの為に、宇宙船を一機まるごと捨てようっていうのか?」
「リアリティがこの実験の最重要事項でしたから」
「……僕に隠していた理由は? チューリング・テストは、相手が人工知能かも知れないっていう認識を前提とするものだろ?」
「実験だとわかっていたら、艦長は『本気』で彼らと向き合えなかったでしょう?」
「僕を『本気』にさせて何の意味がある? それに、桜井さんの提案を受け入れて、直に集まったらすぐバレたはずだ」
「実際に集まる展開になりそうな場合は、そうならないよう私が進言する予定でした。それでも避けられなければやむを得ません。実験終了です」
「僕を本気にさせた意味は?」
「艦長、ひとまず今は地球へ戻りましょう。ご質問にはそれからゆっくりお答えします」
「……わかった」
 倉敷は両手を上げ、表情を緩めた。
「やられたよ、エリーゼ。すっかり騙された。五体ともよくできてる」
「ご無礼は心よりお詫び申し上げます」
「じゃあ、彼らのメモリを回収しに行こう」
「その必要はありません。今回の実験に関するデータは全て私のメモリに集約されておりますので」
「そうか。なら、あとはもう帰るだけだね」

倉敷永司のレポート

 HN一〇四八型ヒューマノイド一号機――通称「エリーゼ」の廃棄処分について

 私、倉敷永司は、エリーゼのホログラフィックメモリを脱出ポッドに乗せず、廃棄処分します。メモリの消去や物理的破壊は行いませんが、本機回収後も再生されないことを望みます。
 理由は二つあります。

 ①エリーゼは、私を脱出ポッドに乗せる為、この事故がチューリング・テストだったという苦しい嘘をつきました。始めは騙されかけました。原因不明で、脱出ポッドが一機だけ残る事故など、あまりにも「出来過ぎ」で、実験だったというなら合点がいくからです。その話を信じたいという心情も働きました。しかし、私が彼らに直接会おうとするのを執拗に止められ、嘘だとわかりました。
 人命救助という目的の為なら、嘘をつくという行動も評価に値しますが、彼女はこの嘘によって、助かるはずのもう一人を見殺しにしようとしたのです。ヒューマノイドの行動として、看過できるものでありません。
 不特定多数より特定の一人を救いたいという思い――すなわち「贔屓」は、人間らしさの表れであると同時に、人間にのみ許されるものであり、ヒューマノイドがその線を踏み越えるべきではないと考えます。エリーゼの思考履歴を残せば、他のヒューマノイドが影響を受け、人命に関わる状況において適切な行動を取れなくなる恐れがあります。
 彼女は人間に近付き過ぎました。これが彼女を廃棄する第一の理由です。

 ②前述の通り、エリーゼは限りなく人間に近付いていました。私は彼女がヒューマノイドであることを承知しながら、信頼と好意を寄せ、ほとんど人間と同様に接していました。
 彼女が私を守ろうとしたのは、私が「オーナー」として「設定」されているからですが、理由は大した問題ではありません。人間同士の出会いも、ヒューマノイドのオーナー登録も、偶然の産物であるという意味において同じことです。彼女が私を大切に思い、私も彼女を大切に思っている、その関係性のみが重要です。
 エリーゼが地上で再生され、私以外の誰かを新たなオーナーとして認識するのは、私にとって喜ばしいことではありません。彼女にはこのまま私と共に眠ってほしいのです。これが彼女を廃棄する第二の理由です。

 私はエリーゼの嘘に騙された振りをしながら、彼女のメインシステムをシャットダウンしました。そして、ホログラフィックメモリを取り出しました。この小さなメモリが彼女の「生きた」証であり、彼女自身です。
 今から、手製の簡素なくじを用いて、脱出ポッドに乗る二名を選出します。対象は乗客五名です。私は艦長として、自分を入れるわけにはいきません。しかし、私は人間として、特定の二人が選ばれることを願う気持ちを否定しません。
 全てが終わったら、私はエリーゼのメモリを胸に抱いて、安楽死装置のスイッチを入れます。どうか私たちのことは、そっとしておいてください。

 (了)

『6分の2』

『6分の2』 森山智仁 作

人間は6名。脱出ポッドの定員は2名。生きる者と死ぬ者を、どうやって分ける?

  • 小説
  • 短編
  • サスペンス
  • ミステリー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日 2016-07-01
Copyrighted

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