月夜の☆じゃむパニック!~YUMESAKIMORI外伝~

月夜の☆じゃむパニック!~YUMESAKIMORI外伝~

序章・戦士とチカラ

序章・戦士とチカラ

 それはヒトから生まれる。

 未知なる力を秘め、その姿は異形。個体を成して「命」を得た彼等は、時に本能、時には業を背負い、躍動する。
 そして、それはヒトに還る。


 ☆ プロローグ ☆


 暗闇の中、月は登り輝く。数多の囁きを従えて地上の小さな生命に眠りを誘う。
 ヒトもまた眠りにつく。
 夜は更けていく……

 今、ある一人の青年が眠りに落ちていた。その瞼は閉じられて長い。
 その姿を遠くから眺める瞳がある。
 一つ、二つ……四つ。
 青い帽子と赤い帽子の少年、いや、掌にすっぽりと収まるその小さな体格からはまさにコビトと呼ばれる類の者達だろう。
 眠っている青年のすぐ傍の本棚、乱雑に並んだ本達の隙間から顔を覗かせている。
 じっと息を潜め、何かを待っている。
「まだかよ、ったく……」
 赤い帽子の小人がうんざりとした声を上げる。
「仕方ないよ、こればかりは僕たちがどうこう出来ないんだから」
 青い帽子の小人がクスリと笑った。
「わかってるよ、良い夢見ろよな~!」
 赤い帽子の小人は溜息を混ぜながら、人間に向かって言葉を吐き捨てる。彼の背中には自分の背丈とさほど変わらない大きな剣が背負われていた。
 対して隣の青い帽子の方には、これまた大きな弓が背負われている。まるでこれから狩りでも行われるかのようだ。

 二人は再度、息を潜める。

 ……
 しばし。
 ……

 不意に、

 キィィン

 剣と弓が光る。
 何かに反応し、輝きと声が重なる。
「来た!」
 赤コビトが叫んだ。
 その目線の先に在る人間は微笑をたたえ今まさに夢の中へと落ちている。
 その頭上、何もない空間に、音もなく、ひっそりと光が集まり始める。
 微かな光、戯れに流れる風にでさえ、掻き消されそうにか細い光。
 それは空間で集束し、形を成す。
 丸く、純白に輝くそれはまるで、
「……タマゴだ」
 思わず呟く程に。
「見惚れてる場合かよ!行くぞっ」
 赤帽子が身軽に本棚からジャンプする。空中でヒラリと一回転を見せて、下にあるしましまクッションに着地した。
「ちょっと待ってよぅ!」
 青帽子も続いてジャンプする。おしりから真っ直ぐ落下し、クッションで弾み、転げ落ちて床でしたたかに頭を打ち付ける様は思わず吹き出してしまう愛らしさかな。
「何やってんだよ」
 赤帽子が叱咤する。後頭部をさすりながら立ち上がり、
「うぅ、ごめん」
 謝る青帽子。

 小さな影が二つ。窓から差し込む月明かりに少し、背伸びした。



 ☆ 夢珠ユメダマと夢防人ユメサキモリ☆


 ヒトは一夜にして数多の夢を見る。
 それこそ全てのヒトの夢を数えるならば、星の数に比類なく、また様々に異なる姿で現れては……はかなく消える。見知らぬ星の生涯にも似た輝き。
 純粋な夢達は光を伴い、愛に満ちた姿はより輝く。逆に悪夢やヨコシマな夢は暗く、ドロのように黒い闇を放つ。
 ヒトの……『想いの力』とも言える、夢に対する想い。その強さは稀に、夢の光を結晶化させる。
 光が集まり、凝縮した塊を彼らは『夢珠』~ ユメダマ~と呼んだ。

 赤い帽子の小人は、頭上に輝く夢珠を見上げながら声を上げる。
「そこそこの大きさあるぜ!回収するか?」
 青い帽子の小人もそれを見ながら、
「一個目から回収するのも可哀相だけど……」
 申し訳なさそうな顔をする。寝ているヒト……それは満面の笑顔の青年に向けられた。

 夢珠は形成されると浮力を失い落下する。
 それはヒトの肉体に触れると溶け込むように再びヒトの肉体へと還る。
 だが途中で回収、落ちて来るのを受け止めたり……奪われたり、破壊されたりした場合、今まさに見ていた夢は還る事なく失われてしまう。
 そして失われたヒトは、

『良い夢を見ていたはずなのに内容を覚えていない』

 という経験をする事になる。

「大丈夫だよ、夜はまだ始まったばかりだ、またすぐに次を見るさ」
 赤帽子が言った。
 力を持った夢珠は、彼ら小人達にとって、生活の一部を担う大切な糧だ。彼ら小人は夢珠を吸収して力を得たり、形を変えて武器や便利な道具を生み出す事が出来た。だが乱雑に回収するわけにはいかない。それはやはりヒトの夢を奪うのだから。
 だから夢珠の小さい物は回収してはならない掟があった。逆に大きな夢珠はある危険も含むために、回収、時にはその場で破壊する場合もある。それは悪夢と言ったようなヒトに悪影響を及ぼすモノが主な対象だ。
 あなたも……

『悪い夢を見ていたはずなのに……』

 ……という経験があると思う。
 まさに彼らは悪い夢から生まれる・悪い夢珠をも回収・破壊する役割を担っている。
 彼らのような夢珠の管理人を、『夢防人』~ユメサキモリ~と呼んだ。


 眠りに落ちるヒト。
 青年は自らが護られている事も知らずに今宵も睡眠を貪る。その頭上に輝く光は珠の形状を成して、尚も肥大する。その大きさは豆粒のようであり、ヒトからすればさほどの重さすら感じないであろうし、何かの拍子に物陰に転がって紛失するやもしれない。
 コビト達にとっては片手でもやっと持てるかどうか、野球、いやソフトボールで使う球のサイズに同等するといったところか。
 柔らかく、儚く、幾多ものホタルの輝きを集めるように、光は線から粒になって収束していく。
「まだ完成まで時間かかるか……もな」

 ゴトトッ

 微かな気配に赤帽子の小人が語尾をにぶらせる。
 彼は経験から次に起こりうる現象を察知していた。
「ジン、来るぞ」
 赤小人が青小人に警告した。
 ジンと呼ばれた青帽子は大きな弓をベッドの下に蠢く闇に向かって差し構える。
 その方向は赤小人の背後を護り、眠るヒトの足側を護るに値する。
「レン、そっちは任せたよ」
 青帽子の小人が言った。
 赤小人のレンは呼ばれ慣れた名前とセリフに返答なく、青小人にその背中を預けた。
 ヒトの頭側に向かって立つ。自分の身の丈ほどもある大剣を両手で構え、闇に向かって気勢を吐く。
 夜闇の奥に潜む、夢珠を狙う【ヤツら】を彼はよく知っている。

「そんなに夢珠が食いたいんなら来いよ【邪夢】ども!叩っ斬ってやるぜ!」

 ーーそれはヒトから産まれる。

 悪意に満ちた夢、ヨコシマな夢の力は収束し、結晶となり、卵から孵った闇が産み出した異形の存在。

『クわセロ……食ワセロ、

 ……ハハラヘッタ……クわセロ』

 闇色の体躯はやや丸く、濡れた毛糸玉を思わせるシルエットが部屋のベッドの下、そしてゴミ箱の影からノソリと現れた。
 体表を覆う長い糸のような触手が何本か突き出し、手足となって移動する。
 毛糸玉の中央に黒く渦巻く塊かたまりが闇を結晶化させた宝石のように唯一、月の明りを反射させていた。それは眼であり、【ヤツら】=【邪夢ジャム】の口でもある。
 そこから聞こえる不協和音の声が、命を感じさせる唯一の輝きだった。

 ヒトは何故にこんなモノを飼うのか。青小人のジンは弓を向けながら未だに解けない疑問を頭に走らせる。
 その手に持つ大弓に力を込めて弦を引くと、左手から右手にかけて一筋の青白い光が走り【光の矢】となってつがえられた。

 赤小人のレンも、油断なく構える大剣に力を込める。両刃の剣から放たれた赤い光を、揺らめく炎のように刀身に帯びてまとわせる。

 彼らはこのような夜を何度も過ごして来た。
 今宵もまた……

「行くよ、レン」
「油断すんなよ、ジン」

 ……長い夜になりそうだ。


 疾駆する二つの影。
 赤と青の戦士は異形の動きを待たない。
 今、次の瞬間にも、また一つの異形が現れるかもしれないからだ。
 常に先行して動く。
 即、排除は夢防人の第一原則だ。
 レンは大剣を両手に、駆ける。
「おおぅりゃあぁああ!」
 咆哮と共に下段から切り上げるように振り抜く。
 邪夢ジャムは虚を付かれ、胴体を下から打ち上げられる。僅わずかに刃が食い込み、触手を巻いた胴体から紫色の体液を吹き出しながら、床から引き剥がされる。
 体液は床に落ちる事なく蒸発し、空中に浮かされた胴体は風船が大気に泳ぐように滞空する。
 レンが大剣を振り上げた反動と共に飛翔する。
 空中で邪夢の胴体を三度蹴り付け、自らの身体を上へ、上へと持ち上げる。異形を踏み台にして空高く舞い上がり、今度は振り上げたままの大剣を全身の力を込めて振り下ろす。
 砕けよと言わんばかりに。
 金属と硬い何かがぶつかり合う音が弾けて、邪夢の【眼】がひび割れる。
 異形の体躯は床に強したたかに打ち付けられ、さらにゴム毬のように弾んだ。
 後を追うように床に着地するレン。赤帽子は軽やかに弾み、左回転する体は大剣をさらに加速させた。二回ほど空回りするも、未だに異形は空中にあり、加速するレンと大剣は大きな風車となって床を滑空した。
 異形の体躯は再び床を踏みしめる事なく、三枚におろされ、体液を撒き散らしながら一瞬の闇色閃光を放ち、霧散した。

 レンは回転を止め、大剣を肩に担ぐ。

 まだ、終わっていない。

 後ろを振り向く。

 青い帽子の弓矢が、空中に浮かんだ邪夢をウニのように針だらけにしながら、奇声を上げさせている。
 矢継ぎ早に繰り出される光の矢は、異形の体躯の下部分を高速で撃ち続ける。
 弓矢の力を下腹に受け、空中で縦回転を続けながら針の山と化していく邪夢。
 苦しみを訴えながら黒く光る【眼】を高速の矢が撃ち抜いた時、その体躯は闇色に光って消えた。

 レンは大剣を肩に担いだまま、青帽子に近づく。
「結構ヒドイよな、その技」
「レンみたいに8連コンボ出来ないもん」
「コンボ数なら30以上はイってるだろうが」
「非力な僕は工夫するしかないのです」
 笑顔を見せる二人の小人の背後で夢珠の輝きが薄れつつあった。
 それは完成を意味する。
「あ、落ちて来るぞ」
 レンは夢珠に向かって駆けた。
 軽い身のこなしでベッドからはみ出したシーツの端を掴み、ヒトの眠る高さまで飛び上がる。
 毛布の起伏を山から山へと飛び移り、ヒトの肩に飛び乗る。丁度、夢珠の真下へ。
「待ってよー、もぉ、いっつも先に行っちゃうんだから」
 小さく愚痴をこぼしながらジンが毛布の上を駆けて来る。
 浮力を失い、落下する夢珠。
 このまま、もしもヒトの身体に触れたならば、夢珠はそのままヒトの身体に溶け込み、吸い込まれるように還る。だが、今回は赤い帽子の小人の両手の中に抱きしめられた。
 大きなスイカを抱えるように、レンが夢珠をしっかりと掴む。
 それは表面が虹色に光る、いつになく上質な夢の塊だった。


 ☆ 戦士とチカラ ☆


 淀んだ空気が澄んでいく。
 堆積たいせきした埃塵が経過した時間の中で月明かりを忘れる。入れ代わりに思い出すのは青白い大気に溶けた朝露の囁き。
 幾重にも折り重なる湿り気を帯びた緑葉が呼吸し、呼応する小鳥たちのさえずりが重なり合っては羽音を残す。
 かすかに。
 遠く。

 二つの小さな影が朝靄に紛れながら昇り始めた陽光から逃げるように家路を急いでいた。
 背中に担いだ荷袋を大きく膨らませ、軽快に屋根瓦を駆け、飛び移った塀の上を伝い走る。
 その俊敏さにネズミの姿を重ね見るが、赤と青のカラフルな帽子と服装は狩りを終えた二人の小人が帰る姿なのだと朝焼けに告げていた。

 二軒分の塀の上を走り抜け、次の家のガレージに飛び込む。そこに駐車されている白い自家用車に用事はなく、その車の下に眠る白い猫に駆け寄った。

「おはよう。今日もよろしくたのむよ」

 青帽子のジンが猫の背中に登りながら声をかける。
 猫の毛足が長く深い。掴んでよじのぼるのに容易く、また隠れる時にも都合が良い。足音は小さく、スピードも中々のモノだ。
 そしてなんと、首輪という『掴む所』がある。
 赤帽子のレンも背中に登り、首輪を掴んで身体を支えると、白い猫・ラグドールは車の下から抜け出し、朝の公道を足音もなく走り始めた。

 白猫は塀の上から屋根を伝い、時には柵をくぐり抜けて独自のルートで住宅街をすり抜けて行く。弾むネズミは姿を変え、それはしなやかな猫の身体に赤と青のリボンが揺れているだけのように、朝の町に風景として溶け込んでいった。

 町の中央に通る二本の道路は交差して方面を分ける。それは人間達の動脈として重用されると同時に、小人達の『領地エリア』を区分していた。町の北東部に位置する中で、大きく古めかしい日本家屋に白猫は肉球を忍ばせた。

 農家を生業としているその家は、母屋とは別に大きな倉庫を所有している。農具は勿論だが、農耕機械や木材、ハシゴ、錆び付いた自転車まで半ば乱雑に収納されている。早朝という事もあり、まだ人気は無い。
 白猫は開け放したままの倉庫の入口から苦もなく侵入すると、片隅に置かれた四つ脚のソファーに居座る。かなりの月日をそのソファーは倉庫の中で過ごしたらしく、あちこち擦り切れ、開いた穴から茶化たスポンジが覗いていた。

 白猫の背中から飛び降りる小人達。
「ありがとう。助かったよ」
 と、ジン。

「またな」
 と、レン。

「にゃー」
 と白猫ラグドール。

 朝露に揺れる雑草の青い花が、雫を土くれに与えながらそれを見守る。
 古倉庫そこが小人達のアジトであり、北東部の中心だ。
 ホコリの舞う納屋の奥で、何十人もの小人達が集まり始めて居た。
 倉庫の奥に荒く傷んだ畳が二枚敷かれていた。その上には、昭和初期を匂わせる整理せいり箪笥たんすが置かれている。直接倉庫の床に置くのを嫌ったのだろう。まだその役割と機能を活かすべく、損傷の少ない木肌を晒して働いている。それを背にして畳の中央付近にまばらに集合した小人達。若者や中年層が多く、老人が数名、女性が二割程混じってはいるが、子供の姿はない。皆、狩りを終えて来たばかりのようで、手には武器と荷袋を携えていた。
 お互いに挨拶を交わし、今日の成果を見せ合う。
 レンとジンも畳の場所にたどり着くと、その和の中に加わる。
 二人の人気は小人の中でも高く、姿を確認した他の者達があちこちから声を投げかける。

「よう!二人とも調子どうだいっ」
「おかえり、未来のエースたち!」
「今日は何体仕留めたんだ」

 様々な言葉。活気に溢れる風景だ。それに律儀に応えていくジンは早々に取り巻きに捕まり、足を止める。
 レンはいつもの事なので余り相手をせずに先を歩く。必然と二人の距離は開いた。が、その内また追いつく事を、赤い帽子は知っている。

 レンが小人達の集会の中に、笑顔が見えない、少し空気が違う一団を見付けた。
 すぐ側に居た、年配の小人を捕まえて尋ねる。
「アレ、何かあったの?」
 呼び止められた小人の戦士は、持っていた手斧を肩に上げて、深妙な顔を向けた。
「誰かやられたらしい。今日は三人だ」
「邪夢に?またかよ」
「【中島家】に行った三人だ。食われてはいないが、かなり重症らしい」
「ふーん、あんなトロい団子にねぇ」
「レン君は強いからな、ピンと来ないかもしれないが、都会に行くとかなり大きくて素早い邪夢も居るらしいからな。運が悪かったんだよ」
 赤い帽子を脱いで黒い髪をかき上げながら、レンは不服そうに口を尖らせた。まるで自分が倒してきた何体もの邪夢が小物ばかりに思えたからだ。
「レン君、今日の収穫終わったなら、あっちでマリベルとサムが受付してるから、タマゴを預けて邪夢の報告をしておいで」
「ああ、わかってる」
「タマゴはちゃんと預けろよ、最近ゴマかす奴が居るからな」
「わーってるよ、んじゃ、ありがと」
 レンは手斧の戦士と別れた。
 その内に青い帽子を揺らしてジンが追いつく。
「何話してたの?」
「お前こそだろ、いちいち付き合ってんじゃねーよ」
 二人は並んで歩きながら、受付に向かう。
 深刻な顔で何やら話し合う一団を横目に通り過ぎながらジンが口を開く。
「邪夢にやられちゃったんだって」
「知ってる」
「中島さんの家で三人だって」
「知ってる」
「すっごいデカいヤツらしいよ」
「あっそ」
「明日は南西部に応援頼んで来てもらうんだって」
「なにぃ?北東部(ウチ)で処理しないのかよ」
「あ、コレは知らなかった?」
「うるせ~よ、さっさと喋れよ」
「レンはあんまり他の人とお喋りしないから、こういう情報に疎いんだよ」
「……」
「中島さん家の噂だって結構前からチラホラ出てたのに」
「……もういい」
「あ、すぐスネる。もう教えてやんないからねー」
「うるせ~」
 受付に着いた赤帽子は、彼が聞かなくても勝手に喋り出す事をよく知っている。

 人間が使っていたリンゴ木箱の一部を拝借して改良した受付台にその日の成果を並べる。大きさを大・中・小の三段階に分け数量を記録して、倒した邪夢の数や様子を報告する。毎朝行なわれる【夜の部】の日課だ。
 また、人間の生活に合わせた【昼の部】も存在する。だが諸条件が悪く、回収率は夜の部より低い。

 栗色の長い髪、大きな藍色の瞳をした肉付きのよい女性、マリベルは二人が提出した夢珠を見て感嘆する。

「小玉が四つに中玉がニつ、それに上等な特大サイズが一つね。さすがはレン君とジン君のコンビね、今日で一番の成果だわ。ご苦労様」

 横で見ていたサムがジンの頭をわしわしと撫で回しながら言う。

「北東部の若きエースだからな!この調子で頑張ってくれよ!」

 サムの男くさい、体躯の良い太い腕がレンの頭にも伸びたが、レンは両手でガードした。
 レンとサムが小競り合いをする横で、ジンとマリベルがささやかな交渉をする。

「小玉もらっていい?」
「いいよ、四つとも持ってきな」
「やった!」

 ジンは持って来た時と同じように、小さな夢珠を手早く荷袋に入れて背負う。
 夢珠を食べると力が湧き、満腹感も得られる。また小さなケガならたちどころに治ってしまう。小さな夢珠は食料であり、万能薬でもある。
 狩りの前に必要ならば配給されるのだが、時にはこうしてご褒美にもなっていた。
 中玉から大きなサイズの物は、そこに秘められた力が大きく、特殊な効果が表れるので不用意に口にする事は出来ない。一度集められ、鑑定士によって力を鑑定された後、必要な部署にて使用されるか保管される。
 特大サイズに至っては保管場所も秘密にされ、厳重に管理される事になる。
 また、小さ過ぎる物は回収してはならず、乱獲も厳禁とされている。
 邪夢たちは形成される直前の光に寄っては来るが、形成されて光らなくなったタマゴ状態の夢珠にはあまり興味を示さない。
 部屋のどこかに隠れている邪夢を全て倒せば、別の部屋で新たに産まれでもしない限り安全が確保される。
 ジンとレンはその家で先に眠った方、主に子供部屋の邪夢を先に処理した後、別の部屋で眠る両親を警護する事で成果を上げている。
 邪夢に対する攻撃力、処理能力の高さが可能にしており、通常三人~四人で行う作業を二人でこなしているのはジンとレンだけであった。

 しばらくして集められた夢珠が、人間仕様の『積み木を入れていた木の車』に積み込まれると、【夜の部】の集会は解散となった。
 皆、自分の寝ぐらに戻るべく、バラバラと歩き始める。

「中島さんの家の近くに学校があるでしょ?……もぐもぐ、ヤツはそこで産まれたんだよ、もぐもぐ」

 小玉をパクつきながら歩き始めたジンは、口を開いたついでなのか、当然のように話し始める。

「学校で寝泊まりするなんて珍しいって思うでしょ?」

 レンは舌の根というものがあるなら見てみたいと思っている。

「なんとサッカー部が合宿をしてたんだなー、高校生だけど他校からも参加してて全部で50人余りさ。想像つく?体育館に布団を敷いて、凄い状況だったみたい」

 レンは舌の根というのは常に川に浸かってびしょびしょで乾く事などないのだろうと想像していた。

「そんな大人数だと眠り魔法かけても全員がちゃんと寝るわけないし、回収や討伐なんて完全に出来るわけないから、もう殆ど様子を見守るしか出来なかったみたい。体育館の外に出てくる邪夢や、外から寄って来たのを狩るのが唯一の仕事さ」

「でも【サッカー部】の人間が本体だったから……」

「そう、中で産まれた邪夢が凄く足の速いヤツだったんだ。逃げたそいつは他の邪夢や夢珠を食いまくって大きくなった」

「それが今、中島家に住み着いたんだろうって事か」

「そゆこと」

 ソファーに寝ている白猫の前まで来て、立ち止まる二人。
 考え込むようにレンは体の前で腕組みをし、しきりに足を動かしている。

「レン、行ってみたいんでしょ」
「うん。ぶった斬りてぇ」
「でも既に応援頼んでるし、明日も自分達の持ち場があるんだよ」

 そう言うジンに向かって苛ついた声でレンが返す。

「最悪、戦わなくてもいいからさ、そんなヤツが居るなら見てみたいし、西南部の夢防人のやつらがどうやって倒すのか知りたいじゃねーか」

 レンの眼と言葉に熱いものを感じて、ジンは少し言葉を失う。
 すぐに頷く。

「……うん、そう……そうだね。見てみたい。僕も知りたいよ」

 二人は見つめ合い、同時に頷くと、
 レンの突き出した拳に、ジンの拳をガツンと合わせ鳴らした。

 ☆

 今夜のレンは燃えていた。
 いつにも増して好戦的に邪夢を見付け、暗がりの中で容赦なくトロいゴム毬を斬り伏せて行く。
「うぉおおおぉりゃああ!!」
 疾駆する。
 先ずは大剣の大振りで邪夢の丸い巨体を吹っ飛ばし、壁際に運ぶ。
 スライディングで足払い。
 ダウンした所を下段連続斬りで徐々に斬り上げて壁に押し付けながら浮かせる。
「オラオラオラオラぁああ」
 完全に浮いたら部屋の壁に押し当てたまま、ジャンプ一番で蹴り、蹴り、殴り、殴り、横速斬、まだまだぁ、タメて脳天振下ろし、もういっちょ、着地からバウンド拾って、
「風車(かざぐるまぁ)!!」
 大剣を振り上げた勢いを殺さずに下から巻き上げるように縦回転して三度斬り上げる。
 会心の当たりを魅せると邪夢はタテ四枚に空中分断されて果てた。
「ノッテるぅ~♪」
 ジンが闇色の残光を眺めながら口笛を吹いた。
 援護を頼まれたのだが、羨望の眼差しと賛辞の言葉を送るのみで、実はすでにやることがない。


 数時間前、
 小人達の集会で今夜の割り振りが決定され、各自に言い渡された。
 確認のために配られた紙に記された配置図を見て、レンとジンはニヤリと笑う。

 当初の目的通り、北東部の【夜の部】の中で自分達の上官に当たる、配置権限の持ち主、一番隊リーダー・シュワルツに先ずは直接願い出た。
「頼むよ!俺たちを中島家に行かせてくれ!」
 レンの直球過ぎる願いは軽くあしらわれた。
「ダメに決まってるだろ。もう応援が呼んであるのはお前達も知っているだろう?あそこは任せておけ。だいたい自分達の持ち場があるだろう」
 歴戦の勇士であり、かつてエースと呼ばれたシュワルツは皆から今も慕われる往年の老兵だ。
 老兵と言っても鍛えられた肉体は強靭でまだまだ現役を保っている。
「見学だけでもいいから!邪魔なんかしないからさ!」
 レンは尚も食い下がる。
 その隣でジンが瞳をウルウルさせて泣き落とし作戦を密かに展開している。
「見学?何をそんなに見たいんだ?」
「俺たちまだ、そんなに強い邪夢を見たこと無いんだ!他の部から来る人達は強いんだろ?倒されちまったら次はいつ見るチャンスがあるんだよ!」
「うむぅ……」
 シュワルツの眉根が寄る。
「お前達の強さは確かに並外れてはいるが……まだ若いからなぁ。まぁ、気持ちがわからんわけではない。私もそうだったからな。見るだけならいいか」
「やった!」
「やったねレン!さすがシュワルツ話がわかる!」
 歓喜する二人。
 シュワルツは二人に向かって釘を刺す。
「ただし、見るだけだ。戦闘は許可しないからな。もし危ない様子なら戦わずに逃げろよ」
『わかった』
 ハモる二人。
「それから自分の持ち場もちゃんとやってもらう。特別に中島家のすぐ近くの家に配置を変えてやるから、そこをちゃんとカタ付けてから見に行くこと」
「うわ、早くやっつけないと、行った時には既に終わってるかもしれないじゃん」
 ジンが目を丸くしたが、レンはさほど気にしていないようで、
「オッケー、オッケー。上等だよ」
 ニヤリと笑って言った。

 そして集会で配られた配置図の紙には、中島家の二軒離れた場所にジンとレンの名前があった。
 顔を見合う二人が笑顔を確認する。
 これならば猫を使わなくても数分で行ける距離だ。
 何よりも、レンが目を付けたのは、中島家と自分達の現場の家に挟まれた、もう一つの家によく知る仲間の名前があった事だ。しかも少し大きな家だからなのか、六人体制である。人数も多い。
「俺に考えがある」
 そう言ったレンの提案は決して約束を反故にする物ではなかった。
 最初に自分達の担当の邪夢を片付ける。
 安全を確認した後、隣に行って六人と合流。その家に居る邪夢を排除。
 そこから人数を分けて二人か三人を自分達の方の家に向かわせて夢珠の回収と管理を頼む。
 邪夢を排除した後の家は安全で、新たに悪夢から産まれない限りは邪夢は来ない。
 人間が悪夢を見るようであれば、形を成す前、産まれる前のタマゴ状態で破壊すればいいので、見張りを怠らなければ、安全に成果だけを得られる。という算段だ。
 自分達の現場の成果を無しにするのはもったいないし、仲間も手伝うのだから、余計な事だと怒られる事も無いだろう。
 必然的に、二軒分の邪夢討伐をする事になるのだが、夢珠の回収を考え無くていいからその方が楽だとレンは言い切った。

「よっしゃ、隣の家に行こうぜ」
 大剣を肩に担いでレンが振り向く。
「1匹だけだとやること無くて困るよ」
 ジンはあくびしながら本棚を降り始めた。引き出しの取っ手に足が届かずに結局ジャンプしてみたり。これから長い夜を過ごす羽目になるなど思いもしなかった青帽子。


 邪夢の掃討を終えた二人は家の二階の押し入れに侵入。壁にあいた穴からネズミのようにスキマを走り、壁の空間や屋根裏を抜けて瓦の屋根から顔を出す。塀を伝い、隣家に向かう。
 煌々と光る月夜に照らされて、跳ねる姿はウサギにも負けぬ跳躍をもってまた屋根に登り、二階の部屋の窓へ近付く。……と、ヒトの声がガラス越しに聞こえて来る。
 やたらと明るい女性の声だが、部屋の電気は消えているようだ。窓から中の様子を伺う。
 薄明かりの照明、乱雑に積まれたマンガと書籍。家庭用ゲーム機の操作する機械やソフトの山。
 ベッドには膨らみが有り、ヒトが眠っている頭が見える。
 その中で、軽快な音楽と共に先程の女性の声が響く。

『漆原めぐみの東京ドゥギーナイト! この番組は星わっぱレーベルでお馴染みのおやびんレコードがお送り致します』

 どうやら声の主はラジオから流れるDJのようだ。

『皆さん今晩わ漆原めぐみです一週間のご無沙汰いかがお過ごしだったでしょうか~?』

 やたらと元気のいい声が、毎週言っているのであろう馴染んだセリフを転がしている。
 レンが窓から一番近い位置にある本棚に向かって手を振ると、中からムラサキ色をしたトンガリ帽子を被った小人が顔を出す。
 レンに向かって手振りと指差しで合図を送る、部屋の西側に来るように言っているようだ。
 屋根を走ってそちらに行くと、屋根と外壁の隙間から先程のムラサキ小人が現れた。
「レン!それにジンも居るじゃないか!」
 細面で勉強がよく出来そうな顔立ちをしている。メガネを掛けたらよく似合いそうだ。
「マサル、ちょっと話がある。この班のリーダー誰だ?」
 レンが言うと、マサルと呼ばれたムラサキ帽子はバツが悪そうに言った。
「以前は僕だったんだけど、今はオードリーだ」

「はぁ?オードリー?あのピンクバカか。女の尻に敷かれてんじゃねーよ、お前なら話が早かったのに」

「面目ない。この家に来てからやたらと仕切り出してさ、一緒の班の奴も手なずけて言うこと聞かないんだ」

「大体は想像つくよ。理由もな。ちょっと上がらせてもらうぜ」

 言うとレンは隙間から家の中に侵入した。後にジンとマサルが続く。
 壁の内側にある空洞から屋根裏を通り、部屋に近付く。徐々に聞こえて来るラジオDJの声が大きくなり、鮮明に響く。押入れの隙間から内部に侵入すると、ラジオからはポップな曲が響き始めていた。

 部屋の隅にあるテレビとその台の上で、三人の小人の姿があった。
 ヒトから見えないように、テレビのモニターを隠れ蓑にして並んで座っている。足を投げ出して幾分リラックスしている雰囲気だ。
 ピンク、黄色、オレンジ。三つの帽子と衣装が揺れて……音楽に聞きいって居る。
 ピンクの小人は髪の長い女の子で、黄色は少し小太りな体格の男の子。オレンジはツンツンした短髪で背が低い、こちらも男の子だ。

 レンは三人の背後に回り込み、脅かすように声を掛ける。
「おい、ご機嫌じゃないか。楽しいか?ニンゲンのラジオは」
 わっと声を上げて振り向く三人。
 黄色とオレンジが這々の体で逃げ出してテレビの陰に無理やり隠れようとする中、ピンクの帽子はいち早く立ち上がり、レンに詰め寄る。

「アンタが何でこんなトコに居るのよ!担当は隣りでしょ!」

 ピンク帽子のオードリーは女の子の割りに強気で迫って来る。
 レンはそれをさらに強気で返す。

「質問してんのはコッチなんだよ。おおかた夢珠の管理サボって深夜ラジオやテレビでも見て楽しんでるんだろうが!」

「サボってなんかないわよ!ニンゲンが眠るまで監視するのも仕事の内だし、ラジオは私達が勝手に消せないのはキマリなんだから仕方ないでしょう!」

「おお、都合のいいキマリで良かったな。じゃあこの部屋のスペースで四人も待機してる理由はなんだよ、どー見ても二人で充分だろうが!」

「そ、それは……」

 オードリーの視線が泳ぐ。図星だった。
 言い訳する材料を探して辺りを見たが、該当する物はなく、代わりに目に入って来たのはレンの後ろに立つ青い帽子の小人だった。
「ジン様!!」
 名前を叫ぶと目の前の赤い帽子を突き飛ばして青帽子のジンに飛びつく。

「どうしてこんな所へ?ジン様もしかして私に会いに来てくれたのですか!?オードリーは嬉しいですわ!嬉しいですわ!」

 突き飛ばされて危うく落ちそうになったレンが叫ぶ。

「おい!ゴマかすんじゃねぇ!」

 抱きしめられて動けないジンが片手を上げてレンを止める。ちょっと待てと。
 ジンは至近距離からオードリーを見つめながら言った。

「漆原さんのラジオ面白いよね。僕も大好きさ」

 それに弾かれるようにオードリー。

「本当ですかジン様!私はもう1年も前から欠かさずに聞いてますのよ!毎週ちゃんと聞いているニンゲンを見つけては特等席を確保して、時間帯によってはその前の【内田ユウキの夜空に you Kiss】から聞いていますわ!今では仲間も増えましてよ!ジン様も今日から仲間入りですのね!」



 ……
 ……
 ……あれ?



「うん、よくわかったから、オマエラチョット協力シロ」
「ジン様、レン君がこわい」

 オードリーの肩を掴むレンの手が震えるのは怒りなのかオードリー自身の恐怖からなのか。


 ☆


「最初、歌をラジオで聞いたの。ああ、なんて素直な歌い方をするヒトなんだろう、って思ったわ。特に上手いとか、かっこいいとかよく居る歌手じゃなくて、歌の歌詞に対して思いを乗せてるのが伝わって来るの」

 六人と合流したレンとジンは、隊を分けて邪夢の討伐を開始した。

「その時のラジオで名前だけは覚えてたんだけど、そんなにメディアに出てなくてテレビの歌番組でもFMラジオチャートでも見かけなかったわ」

 他の部屋に真面目に討伐に行っていた二人を、隣の家に向かわせ、事後処理と夢珠の回収を頼む。

「で、ある日ラジオで【内田ユウキの夜空に you Kiss】を聞いたの。その時は内田ユウキが目当てでラジオ聞いてたんだけど、その番組が終わって、しばらくして次の番組が始まるじゃない?ラジオ付けっ放しだから当然なんだけど。そしたら、なんか聞いた事ある声だなーって、よくよく聞いてみたらそれが漆原めぐみだったわけよ!」

 その二人が居た部屋を入れ替わりに黄色帽子とオレンジ帽子、ムラサキ帽子のマサルを三人で向かわせる。

「それから【漆原めぐみの東京ドゥギーナイト】を聞くようになって、ラジオの話からめぐさん、あ、漆原さんの事ね。めぐさんが声優だって事を知ったわけよ~」

 今、子供部屋に居るのはレン、ジン、オードリーだ。子供部屋とはいえ、部屋の主はもう高校生で身体も大きい。壁にかかったサッカーのユニフォームや無造作に置かれたスパイク。大きく成長したニンゲンである程、悪夢を見る回数も、夢珠を発生する機会も同時に多いため、気は抜けない。

「そりゃあテレビで探しても見かけないわけよね、声優なんて職業、基本的に裏方だもの。でも、声や歌にチカラって言うか、魂を込める事が出来るワケを知ったわ。言霊ことだまってやつよ。やっぱり声優だからこそ、あの歌がうたえるのよ」

 気は抜けない。
 のだが、オードリーの漆原めぐみ談議も止まる事を知らない。
 いい加減飽きてきたレンが口を開く。

「俺たち次の部屋に行っていいか。マサルをこっちに寄こすから、あとは二人で監視してくれ」
 オードリーが漆原談議を中断する。
「あら、邪夢はどーしたのよ」
 部屋のドアの隙間から出ながらレンが返す。
「どーゆーワケかこの部屋は邪夢の姿がない。ラジオの影響かもしれないけど、ニンゲンも夢珠作る気配ないし、次行くわ。うるさくてかなわん」
「ラジオの音量少し下げるくらいなら構わないんじゃない?」
「もう一個のラジオがボリュームとスイッチ壊れてるんだから意味ねーよ」
「もう一個?」
 ジンがクスリと笑ってレンと共に部屋を後にする。
 オードリーは部屋にもう一つあるとは気付かなかったと辺りを見回すのであった。

 そして程なく、他の部屋の邪夢討伐を終えたレンとジンは、四人の小人達にあとを任せて【中島家】に向かった。

 ☆

 ジンの後に付いて来ようとするオードリーを、
「お前は見学を許可されてない」
 と一蹴して追い返し、レンは【中島家】の屋根へと飛び移る。
 庭に生えた樹木が枝葉を伸ばし、屋根までの道のりを幾分楽にしてくれていた。身軽な小人達は風に乗って高くジャンプする事も出来るし、高い場所からの落下でも着地体制をとれていればダメージはほとんど無い。
 ジンは風に揺れる木の枝に狙いを付けてジャンプする。
 月明かりに照らされながら空中で枝葉の先を掴み、しなる反動を利用してさらに高く飛び上がる。屋根の上に着地しながら、素早くレンの後を追う。
 相棒を待つ背中でレンが愚痴をこぼすように言った。
「オードリーの奴、アレは油断してたら絶対について来ると思ったけどやっぱりだ。ボーリング部かなんか知らねーけど、自分の担当するニンゲンの管理くらいしろっての」
 ジンがそれを聞いて、先程のオードリーの残念そうな顔を思い出して小さく笑う。
「いやいや、あのヒトはサッカー部でしょ。まぁ、オードリーはあれで悪い子じゃないから。自分に素直なだけで」

「え、あれサッカー部?へー、そうだったのか」

「レンはもうちょっとニンゲンに興味持った方がいいと思うよ」

「部屋にボーリングの玉が見えたから趣味か部活かとは思った」

「あ、そうなんだ。僕見てない」

「おい、到着だ。じっくり見学させてもらおーぜ」

 二階の部屋の窓辺に辿り着いたレンとジンはガラスごしに中を覗く。
 田舎と都会では出現する邪夢の規模が違う。サイズも量も都会の方がはるかに大きく、大量だ。
 それに対応する夢防人の技術、装備の発達も格段の差が有り、今夜のレンとジンの目的はそれを見る事。装備の発達には時間はかかるだろうが都会から学んでいるので発展途上とも言える。だが、技術だけは直接教わる事でもしない限り、自らの工夫と発想が頼りですぐに頭打ちだった。
 狩りの途中で偶然に見るニンゲンのテレビや家庭用ゲームなども、情報の一つとして戦闘に昇華させれば、レンやジンのような戦い方も編み出せる。二人は実際にこの田舎と呼ばれる北東部では上位にあたる戦闘技術の持ち主だ。だがそれ故に、より高い技術を欲してもそれを学べる相手が居なかったのである。
 そこへ来て今回の都会からの遠征部隊は格好の学習チャンスだった。

 乱雑に脱ぎ捨てられたニンゲンの衣服が散らばっている。
 ベッドには大柄な成人男性の眠る姿が見られ、家具は少なく、壁に一体化したクローゼットと、部屋の隅に置かれたテレビ、本棚が一つ。
 小さなテーブルに飲み物の缶やお菓子の袋が散らかり、生活感だけは不足が無い。
 部屋の中央、テーブルの脇に小人が三人見える。
 ベッドの下を警戒しているらしく、窓辺の二人には気付いていない。
 レンが三人の内の一人を指差して言った。
「あ、大剣持ってる奴が居る。アイツ戦わねーかな」
「後ろの女の人が弓持ってるよ。ラッキーだね」
 お互いの共通する武器を見つけて喜び合う二人。楽しみでつい口元が緩む。
「あとの一人はムチかな。あれは邪夢を斬れねーだろ」
 レンが言うとジンが言葉を返す。
「多分縛ったりして捕まえるんじゃない?動きを止める役割も欲しいよね。僕は弓だからたまにそういう時あるよ」
「あー、ナルホドね。弓とは相性いいのか」
 ニンゲンの寝息が大きく響くなかで、やや緊迫した面持ちの三人の戦士達。
 静かに時が過ぎる。
「まだ邪夢いないね」
「遠征組もまだ来たばかりだろ。応援の連絡を朝にして、夕方の出発にも来てなかったから直接来たとしてもこの位の時間かな。やっぱり距離はあるよなー。カラス使えば早いのに」
「野良のカラスはすぐにエサ欲しがるからなぁ、ハトでしょ」
 取り止めのない話しをしていると、

 キィィン……

 ジンの弓とレンの大剣が共鳴を始める。同時に遠征組の三人の武器も鳴り、三人は武器を構えた。
 ヒトの眠りにおいて夢見る時間が始まったのだ。
 だが、それは白い光などではなく、深く黒ずんだ闇色に輝きを増しながら、珠と成るべく集束していく。
 眠るニンゲンの額に汗が、眉根にシワが、ノドから苦しみの声が伝わり始める。
「……悪夢だ。あのニンゲン、かなり毒されてやがる」
 レンの呟きにわずかな苛立ちが見えた。
 悪い夢を見た結晶が大きくなり黒い夢珠が形成され、それを邪夢が食べてくれる。
 それだけならばまだ良いのだが、邪夢は夢珠を全て丸呑みするわけでは無く、かじって残す。その食べた残りカスをまたヒトに還していた。
 体液にまみれた食べかけはレンが俗称する【毒】となってヒトに還る。すると、また次も悪夢のタネとして再成長する。形成されても食べられる事のなかった黒いタマゴからは、また新たな邪夢が産まれる。
 繰り返す悪夢のリサイクルは邪夢たちに都合の良い螺旋を描いていた。

 黒い光に導かれ、闇の中から醜態を晒して邪夢が蠢く。
 身体に覆われた触手は長く、張り巡らされた毛細血管のように脈動しては波打つ。
 その体躯は約15cm、触手を広げれば30cm以上にはなろう。
「でっっけぇ!!なんだありゃ!」
 レンは喜々として驚いた。
 思わず笑ってしまう、それ程までに予測を越えた大きさを見て、自然と身体がうずいた。落ち着いて見てなどいられない。足が跳ね回ってしまう。
 ジンは呆気にとられて言葉を失っている。パクパクと口を動かしてただ見入っている。

 遠征組みの三人はそれぞれに武器を構え、自分達をはるかに凌ぐその巨体に対峙している。
 それを見るのは初めてではないのだろう。至極落ち着いて陣形を作って居た。
 大剣の男剣士を前に、ムチ男と弓女がその後ろに。三角形を作りながら距離を測っているのが分かる。
 レンやジン達のような三角帽子は被っておらず、肩当て、小手や胸当てなど、より戦闘向きな防具で身を固めていた。
 先陣を切ったのは弓矢だった。女の小人が弓を構えると、白く光る一筋の光の弦が張られる。
 そして弦を引き絞ると黄色く輝く光の弓矢がつがえられる。それはジンの青白い矢よりも太く長い。
 そしてその数が増える。
「二本撃ち……いや、三本!?」
 ジンの呟きを待たず、放たれた黄色い矢は閃光となって三つの軌跡を描いた。
 それは空気を貫きながら邪夢の体躯へと突き刺さる。申し分無く深く、鋭く。

『ぎ、ぎぎ、ギィィィ!!』

 邪夢の巨体から耳障りな悲鳴が響く。小さな戦士の存在を認識していなかったのか、余りにも無防備に攻撃を受け、さらに戦士に向かって愚鈍な反撃を開始する。
 長く伸ばした触手が振り抜かれ、三人の居た場所を打ち抜く。機敏にそれを躱すと床の表面に重厚な打撃音が響いた。
 次いで一本、二本と触手が伸び、捕獲しようと、さらに身を躱す小人達を執拗に追う。
 軟体生物のぬめりを纏わせ襲いかかる腕を飛び躱す三戦士達。
 最も機敏な動きを見せたのはムチ使いの男だった。
 ムチの中ほどから先端が輝き、光のムチとなってその長さがスルスルと伸びる。ベッドの脚、テーブルの脚、小さく突き出た物掛け用のフック、引出しの取手など、あらゆる場所にムチをうならせ、ムチの伸縮や発生する遠心力を利用して小人が飛び回る。伸び縮みする片腕のブランコのようだ。
 上下左右に飛び回って距離を取り、隙を見ては巨躯に向かってムチを振るう。光鞭の先が的確に邪夢の体表や触手を弾き、裂き、焦がした。光の先端はバチバチと音を立て、触手とかち合うとビクンと触手を痺れさせる、電撃を帯びたムチであった。

「凄いね、あんなの見た事無いよ」
「ああ、そーだな。でもさっきから大剣の奴がイマイチなんだけど。アレなら俺のが強いんじゃねーか?」

 ジンの言葉を不満で返すレン。
 確かに、大剣の剣士は触手を何度か振り払いながら斬りつけているが、ダメージと呼べる程の斬撃を与えていない。邪夢の大きさからそう見えてしまうのだとしても、期待していたレンにとっては不満が募る姿だった。

 だがそれは……


「そろそろ終わらせましょう!」

「雑魚とは遊んでられん」

「二人とも肩慣らしはもういいのか?」

『充分だ(よ)』

「わかった。じゃあ斬り捨てる」


 ……余計な思慕だ。


【斬ーざんー】


 大剣に纏いし青い光

 それは頭上で形を変えて文字となる

 頭上に浮かぶ文字は【斬】

 戦士が構え上げた大剣は青い炎を上げながら、宙空の文字と合わさり=混ざり合い、さらに大きな炎となりて大剣を燃え上がらせた


「斬(ザン)!!」


 振り下ろすと同時に大気に生まれる巨大な炎の刃影。斬撃そのものをカタチと成してそれは滑空し、


 大気を斬り裂き


 遠く離れた邪夢の巨体をも斬り裂き


 一直線に空間を薙いだ。


 分断された巨躯は青い炎と断末魔の叫びを上げ、暗黒の光を撒き散らしながら跡形もなく崩れ落ちた。



「……何だよアレは」
 赤い帽子が唖然とするのはこれが最初だろう。
 見た事もないチカラの存在を消化するにはまだ彼の知識は乏し過ぎた。

 大剣の剣士は三人で再び部屋の中央に集まり、陣形を整えた。
 そして言う。

「次、行こうか」

 ベッドの下から這い出した先程より大きな邪夢に向かって、大剣を構えた。




 ☆ 長い夜 ☆


 本棚によじ登り、元の位置まで戻って来たムラサキ帽子のマサル。今はピンク帽子が目印のオードリーと二人きりで、眠るニンゲンの監視を続けていた。
 部屋のラジオは今だに鳴り続けているが、間も無く『おやすみタイマー』が働いてスイッチが切れる事を二人は知っている。
 ラジオを聞きながらチョットにやけているマサルにオードリーが言う。
「アンタ運がいいわね。お目当ての番組聞けて」
 ムラサキ帽子が今日二度目のバツの悪い顔をする。マサルも実はラジオリスナーである。目的の番組は『スマッピーのwhtat's up SMAPY』五人組の人気女性アイドルが交代でパーソナリティを務める番組だ。そして番組終了と同時にラジオのスイッチは切れる。
 マサルが苦笑いして言った。
「レンはあれで優しいトコあるからなぁ」
 即座にオードリーが反発する。
「はぁ?どこが?ジン様が優しいって言うなら解るけど、レンなんてイヤミだし乱暴だしすぐ怒るし!なんでアイツなんかとジン様が一緒のコンビなのかしら!私の方が可愛いしセクシーだしずっと役に立ってみせますのに!」
 それを聞いて笑うムラサキ帽子。
「武器も性格も相性いいからなぁ。いつだったかな……昔、ジンが人間に見つかって危ない時にレンが助けた事があって、それ以来ずっと連んでるんだ」

「あら、アナタ意外と詳しいのね。聞いてあげるから知っている事は全て話しなさい」
 マサルの隣に腰を下ろしながらオードリーはもう一言付け加えた。

「ジン様の事だけでいいから」

 口元を引きつらせながらマサルがタンスの上を指差しながら冗談混じりに言った。
「お前、あの黒ツヤのボーリング玉落っことしてペシャンコにしてやろーか。きっとスリムになるぜ」


 ☆ ☆ ☆


 窓ごしに戦いを見つめるレンとジン。圧倒的な戦闘技術の差に絶句するレンにジンが言う。
「今の……何だろう。文字が浮かんで、剣から衝撃波みたいなモノが……」
「知らねぇよ!何だアレ、反則だろうが」
 言葉を遮りながらレンが声を荒げる。
「でも武器にまとわりついてる光は、戦いの最中に僕たちにもある。僕は青い光、レンにも赤い光が剣に」

「わーってるよそんなもん!あの文字だ!空中に字を書いてあんな事出来るなんて聞いたことないぞ」

「僕だって知らないよ。帰ってシュワルツに聞いてみるか……あの人達に直接聞けたら一番早いだろうけど」

「んなもん決まってる!直で聞くんだ!戦闘が終わったらアイツら帰っちまうんだぞ!」

「今日、終わるまで待って聞きに行くって事?教えてくれるかなぁ」

「ぜぇっっったいに吐かせる!」

 猛獣のような目で遠征組を見つめるレン。石に噛り付いてでもと言うより、既に窓枠に噛り付いていた。

 猛獣の視線を受けながら、遠征して来た戦士達は二匹目を相手取っていた。
 変わらず身のこなしは鮮やかで、邪夢の動きに遅れを取ることは無い。
 ムチの戦士が陽動と遊撃を行い、動きが止まった所を弓の女戦士が射抜く。弱ってきたら大剣の剣士がトドメを撃つ。
 そうやって組まれた連携は洗練されており、経験の差をもレン達に見せつけた。
 二体目の邪夢を片付けると、今宵、三体目の邪夢が現れた。

 それは二体目と変わらずに大きかったが、

「気を付けろ!速いぞ!」

 その動きは今までの比では無かった。

 金属を握りつぶすような耳障りな唸り声を上げて、その邪夢は走り、跳ね回った。
 昆虫ならバッタやコオロギを思わせる跳躍を見せ、戦士達を翻弄する。闇色の体躯とうねる触手の体表が伸縮して波打ち、伸びてくる触手の攻撃を振り払いながら戦士達は部屋の床、テーブルを駆け回った。

 と、そこに珍客が現れる。

 騒ぎを聞きつけて来たのか、テーブルのご馳走に釣られただけなのか。
 家庭の害虫、嫌われ者のNo.1、ゴキブリ君である。
 壁を伝い、カサカサと邪夢に負けないスピードで部屋を駆ける。
 窓から覗いていたレンが、思わず吹き出してしまい、ジンにたしなめられた。
「おい!まさかのゴッキー参戦だぜ!速いの一匹でも厄介なのに、こりゃあ苦戦だなあ」
「笑っちゃダメだよ、必死で戦ってるんだから」
 そう言った矢先、

 ドスッ

 跳躍した邪夢が、走り回るゴキブリの隣に着地する。
 逃げようとする害虫を一瞬の内に触手で捕獲し、何本もの触手をさらに重ねて包み込む。
 その体躯は一瞬膨らみ、バキバキと音を立てたと思った矢先に黒く輝き始める。
 波打っていた体表が変貌を見せる。

 毛細血管が浮き出たような波打つ体表は、黒光りする艶やかなテカりを持った、硬い外皮に変わっていた。

 それは黒い鉄の球か、あるいは……


 大剣の戦士から余裕の表情が消えた。
「ちくしょう、取り込みやがったか」
 苦渋の言葉は他の戦士からも余裕を剥ぎ取った。


 ジンは蒼白な顔で言った。
「……レン、聞きたいんだけど……どうしてボーリング部だと思ったの?」
 その答えは無い。
「……」
 絶句だ。
「部屋の何処で見たの?」
 続けて問われた二問目に、レンがやっと口を開く。
「タンスの上……」
「本気でレンはニンゲンの事をちゃんと知った方がいいよ!タンスの上なんかに重いボーリングの玉なんて置くわけないだろう!!」
 ジンは激昂した。
 その眼に涙が浮かぶ。
「戻ろう、僕たちのせいだ。オードリー達が危ない」
 レンが硬直しながらも笑顔を作ろうとする。
「だ、大丈夫だよ!きっとただの見間違いさ。それにそんな邪夢なんて見たらみんな逃げてるって」

「レン、オードリーの武器、知ってる?」

「は?知らねぇよ」

「ムチだよ。君がさっき言っただろ、邪夢も切れないムチだ」

「……」

「オードリーはあの戦士ほど使いこなせていない。逃げる事も、戦う事も出来ないんだ」

 言い終わるとジンは屋根を駆け出していた。
 レンは背中を見送りながら立ち尽くす。
 だが、それも数秒、

 次の瞬間には外から窓ガラスを叩いていた。

「おいコラ開けろ!!そんなヤツさっさとぶっ殺して俺たちを助けろ!!」

 悲痛な叫びが月夜に大きく響いた。


 ☆


 中島家で黒い玉のように変化した邪夢に向き合うのは大剣の剣士。名をロキと言う。
 小人達の中では長身で、細身の二枚目顔は女子の人気も高い。和風の鎧を身に着け、青い長髪を流した頭部には額当てをし、大きめの左小手をしている。この小手は盾の役割もこなす重厚な物だ。そして邪夢に対して構える大剣は日本刀のように片刃でわずかに曲線を描き、自身の体格を模したように細身で、銀色に輝きながら月明かりを弾いた。
 丸い邪夢は黒い外殻から触手を伸ばし、小さな小人達を捕獲しようと跳ね回る。黒く、硬く変わった触手は鋭く、刃物のような斬撃を伴いながら不規則に空を切った。
 素早く躱す小人達。
 次から次へと追って来る触手をロキが大剣で払うと金属同士が織りなす鋼の音色が響いた。
 その音色を不協和音が邪魔をする。
 鈍重ながら荒々しい、ガラスとアルミサッシが軋む音だ。
「なんだ?」
 ロキが音をする方を振り仰ぐ。
 部屋の窓だ。
 月明かりを背中に浴びて、赤いトンガリ帽子を被った小人が必死な形相で窓を叩き、何かを叫んでいる。
 どうやらこの地区の同族らしいと見て取ったロキは、弓使いの女性に向かって言う。
「おい、アルテア!やめさせろ!」
 急に指示を受けた弓使いは窓を見上げながら言う。
「こっちのリーダーのシュワルツだっけ?見学者がどうとか言ってなかった?あのコじゃないの?」
 金色の髪を後ろで束ね、軽装な鎧具を部分的に着けた狩人。アルテアは会話しながらも移動する足は止めない。常に動いていないと邪夢の跳躍に遅れを取るからだ。
 ロキが返す。
「それは解ってる。だがアイツが邪夢の標的になったらひとたまりもないぞ」
「俺が行こう」
 ムチの戦士が本棚の引き出しを使って跳躍した。
「じゃあたのむわ、バルド」
 弓のアルテアが跳躍する仲間の背中に言って、振り向きざま弓を弾く。光の矢が二本飛び、邪夢の体に命中する。たがそれは硬い外皮に阻まれ、深くは突き刺さらない。

 バルドは灰色のローブを風になびかせながら、素早いムチと身のこなしで窓に辿り着き、赤帽子のレンと対峙する。
 バルドの姿を確認すると、レンは窓ガラスを叩くのをやめた。窓ごしにも声は届き、会話も可能だった。
「なんだお前は、邪魔しに来たのなら帰れ!」
 黒い髪、切れ長の目、彫りの深い顔立ちのバルドは一喝する。
 だがレンは怯まなかった。ジンが向かった家を指差しながら言う。
「俺はレン。この街の防人だ。この隣の家にもっとデカイ邪夢を見たかもしれないんだ。一緒に来てくれ!」
「なんだと……どんなヤツだ」
「ボーリング玉みたいで、今アンタらが戦ってるヤツよりもっとデカイ。それに黒くてテカテカしてる」
「本当か?見たかもしれないって事は定かではないのか?」
「俺、今までもっと小さい邪夢しか見た事なかったから、さっきソイツがゴキブリ食べて黒く光るまで、邪夢が変身するなんて知らなかったんだよ!隣の家にまだ仲間が居るはずなんだ!頼むよ!!」
 レンが叫ぶと、部屋の中からロキの声がした。
「バルド!どうした!」
 バルドが叫んで答える。
「どうやら隣の家にもう一匹居るらしい!今この邪夢より二周りはデカイぞ!隣で仲間が危険だと応援要請だ!」
「なんだと?」
「ウソでしょ?」
 ロキとアルテアが目を見合わせる。
 だがすぐにロキが口を開く。
「この家で増えすぎた邪夢がエサを求めて移動した可能性がある。隣の家がここより大きいなら間違いないだろう」
「どうする!?あ!コラ待て!!」
 窓からバルドの声だ。
 ロキが振り向くとバルドが頭を抱えているのが見えた。
「アイツ、一人で走って行っちまいやがった!」
 レンの姿は窓辺に無く、その小さな身体は既に屋根を飛び出して居た。

 ロキが苦笑しながら言った。
「仲間が危ないんだ、待ってられなかったんだろう」
 アルテアも口を開く。
「この田舎じゃあ、ろくな戦士は居ないんでしょう。確かに危険だわ」
 バルドが戻って来てロキに言う。
「どうやらのんびりしていられなくなったな」
 ロキは頷くと大剣を構え直した。
「ここはバルドと俺で片付けよう。アルテアは隣の家に行け」
「私が?」
「でも戦うなよ、他のヤツを逃がす事を優先させろ。こっちを片付けたらすぐに向かう。それまでは無理するな」
「……わかったわ」
 バルドがアルテアに言う。
「この西隣の家だ。さっきのヤツの名前はレンと言うらしい」
「はいはい、レンね。アンタ達、早く来ないと怒るからね」
「解ってる、早く行け」
 ロキが促すと女戦士は小さく舌打ちして飛翔した。


 ☆ ☆ ☆


 私は最初、冗談が本当になったのかと思った。
 マサルが指を差したボーリングの玉が、宙を飛んで落ちて来たからだ。
 その瞬間、余りにもビックリし過ぎて、二人とも笑ってしまった。
「やだぁ、ホントにぺしゃんこになったらどうするのよっ」
 そう言ってマサルの腕を手のひらで叩くと、マサルも引きつりながら笑ってたのよ。
 でも、何かがオカシイと、思ったの。
 その異変が、異変過ぎて頭の中がグチャグチャになって行くのが解ったわ。
 飛んで来たボーリングの玉が、私達の居る本棚の狭い縁に引っ掛かって、落ちないんですもの。
 目の前で揺れる圧迫感に、最初の異変を感じてた次の瞬間、その玉の足元に、何本かの長い管が伸びているのが見えた。それは本棚の淵に横から突き刺さるように、隙間に食い込んで大きな黒い玉を支えてたの。
「あれ?何で足が有るんだろう?」
 そうして見上げると黒い玉はその場でゆっくりと右周りに回転して黒くてピカピカ光る六角形のプレートのような、玉の中心をこちらに向けたの。
「あ、お尻だったんだ、今まで。失礼しちゃうわね」
 私が言うと、グイグイと私の左腕をマサルが引っ張り出した。
 最初はゆっくりだったけど、だんだん服が破けちゃうくらいに強くなってきて、ムカって来てマサルを見たら、マサルが真っ青な顔で震えてた。
 変なボーリング玉を見上げながら、口元をガクガク震わせて、両目に涙を浮かべて、鼻から汁出して、それは二つ目の異常だったわ。
 でも私の頭の中はすでにグチャグチャになり始めていたから、それが何なのか分からなかった。
「何なんだよコイツ……?何なんだよコイツ!?なんなんだよオマエ!!」
 マサルが誰に叫んだのか解らないまま、私は声を聞いたの。
『喰ワセロ、ハラヘッタ』
 どこかで聞いた声、
 ニンゲンが使っている、レコードや古いラジオがノイズするような、耳障りな不快音。
 それが部屋に響いていたラジオのDJの音に合わさって、余計に不快な声になって私の耳に届いた。

 ドスッ

 何か鈍い音がして、私の身体が揺れた。
 え?何だろう、あれ、あれ、痛い。痛い、痛い、アレ?痛い痛いイタイイタイイタイ!!!
 私のお腹に黒くて長いモノが突き刺さって、生えてた。
 思わず黒い剣みたいな何かを右手で掴んで、冷たい金属みたいな薄っぺらさとベトベトした液体が右手を汚したのが伝わって解った。
 何かが私のお腹を刺したんだ。
 それがお腹の中を貫いて背中から曲がった事、
 私の身体をそのまま凄い力で持ち上げた事、
 マサルが私を見上げて叫んだ事。

「オードリー!!邪夢だ!!オードリー!!」


 もう、……遅いわよ


 持ち上がる身体を意識しながら、黒い剣がコイツの触手なんだと解った。
 そう思ったらムカついて、汚ないって思った。
 私の身体を汚した。私に傷を付けた。
 黒い玉のてっぺんまで持ち上げられて、メチャクチャ腹が立って来た。
 腰に巻いた私の武器を左手で引っつかんでフックを外す。
 私の愛用の武器はムチだ。
 愛しいジン様のために練習中の、邪夢を、
 このクソッタレの邪夢を捕縛する為のムチだ。
 私の身体を汚してくれたお礼はしなくてはならない、絶対にタダでは帰さない。
 アレ?
 ちからが抜けてく、
 おかしいな、左手が思うほど動かないや、
 クソッタレをぶっ叩いてやるのに、

 やりたいのに、

 あ、そっか、

 お腹に刺さってるか、ら、だ、

 痛いなぁ、やだなぁ、

「オードリー!オードリー!オードリー!オードリー!」

 うるさいなぁもう、

 早く逃げなさいよ、

 アンタなんかに何が出来るのよ。
 そんな小ちゃな剣で何が出来るってのよ、
 レンじゃあるまいし、
 ブルブル震えてみっともない、
 笑っちゃうわ。
 レンの半分もないじゃない、あ、レンのやつ、
 何が邪夢が居ないのよ、

 メチャクチャ特大が居るじゃない、文句言ってやんなきゃあだめだ

  あー、 だめだ、

 ああ、

 ちからが

 ぬける


 しん

 じゃう

 わた し


 やだなぁ


 やだ なぁ



 ジンさま


 ジンさまぁ



 たすけに
 きて

 ジンさ ま ぁ


 あたし


 しんじゃ うよ


 もうイタクない


 あ、

 だめだ


 ジンさまぁ


 会いたいよぉ



 さっき

 もっと

 抱きついておけばよかった


 ああ


 ねむい



 やだなぁ








 やだよぉ



 ☆ ☆ ☆


 狭い隠し入口から家の中に侵入して、壁の中をひたすら走る。
 青い帽子が揺れながら弾み、ホコリっぽい空気を頬で感じながらジンは全力で駆けた。
 部屋の屋根裏に出て、そこから一枚板がズレたままの穴に飛び込む。
 暗い押し入れの中に続く穴を抜けると、細く光が差し込む真っ暗な空間に出る。布団のホコリの匂いがする。
 隙間からわずかにこぼれる光を浴びながら、押し入れの扉を押し開ける。
 先程まで鳴っていたはずのラジオの音が無い。
 変わりに聞こえるのは静けさなどではなく、仲間の名前を呼ぶマサルの声だった。
「オードリー!オードリー!オードリー!」
 何度も繰り返して叫ぶ声がカスれるどころか、潰れて濁音混じりになっていた。
 マサルは震える腕を自らの腕で必死に押さえながら、自分の剣を邪夢に向けていた。
 持ち上げられたオードリーを食わせないために、こちらに注意を引き付けたかった。
 大きな邪夢が跳躍して、部屋の床部分に移動してくれたのは幸いだった。上に跳ばれていたらそこに辿り着く間もなくオードリーの身体は食われていただろう。
 マサルは走り、触手に追われながらも剣で邪夢の身体を突いて回った。
 硬い外皮はマサルの剣では傷ひとつも付けられないが、そうして突く事で自分がここにいるぞとアピールしているのだった。その場所を遅れた動作で触手が攻撃する。
 それを回避するマサル。
 大きさを逆手に取った作戦だった。
 だが、
 不意に、邪夢が横に回転する。
 ぐるりと周囲を確認して、マサルの前で【眼】を止める。
「ヤバイっ!」
 見つかった!その瞬間に足が竦む。
【眼】に対して背中を向け、振り向きながら両手で剣を振った。
 狙ったわけではなく、背後まで来ているハズの触手を払うためだった。
 キン、と金属音がして両手から虚無感を覚えた。
 剣が空中を舞い、足元にカランと乾いた音をさせて転がる。
 目の前に迫る黒い触手が一本、鋭く光ってマサルの顔面に向かって伸びた。
「うわぁあ!!」
 死を覚悟する刹那、マサルの眼前で閃光が走る。

 ギィィンッ

 青白い一本の閃光が、触手の細長い剣先に突き刺さり、その軌道を変えた。
「マサル!そこから離れろ!!」
 青帽子のジンは眼を見開いて叫んだ。
「オードリーは僕が助ける!!」

 光の弓矢は連続して空間を突き抜けた。
 その全てが邪夢の触手をことごとく打ち払い、マサルの目の前に道を作る。
「しゅううちゅうううう!!」
 ジンの瞳が血走る。
 邪夢の巨体を全て、部屋の空間を全て、
 マサルの居場所、
 オードリーの姿、
 神の眼があるのなら、今のこの瞬間だ。

「1、2、3、4、5、6……!!」

 カウントしながら時計の一秒よりも速く弓を弾く。今までの最大速射数は27本だ。ジンはそれを約20秒で完全射撃する。
 その全ての矢は空間に青い軌跡を描いて、流星のように走り、邪夢の触手を射抜いていった。

 剣を拾う事が出来ずにマサルが空手のままジンの元に駆け寄る。
「ジン!どうしてここに!?」
「詳しい話はあとだ。僕たちのミスでオードリーをあんな目に合わせた。償いはする」
「そんな!戻って来てくれて助かったよ。絶対にもう死んでた」
「オードリーの触手が離れない?」
「一本だけ身体を貫いてるんだ。解るかい?」
「……あれか。よく見える」

 そう言うとジンは目を見開いたまま、速射を始めた。

 ギィィンッ!ギン!ギン!

 一本目もニ本目も、そのまた次も、全てオードリーを捕らえたままの触手、その一本に打ち込んでいく。
 傍らで息を呑むマサルにジンが言う。
「そこに落ちてるオードリーのムチを拾ってくれないか」
「あ、ああ。コレかい?どうするんだ?」
 床に転がっていた黒い皮製のムチを、拾って渡しながら尋ねる声に、ジンが弓を下ろしながら答える。

「新しい使い方を覚えたから試してみる」

 オードリーを捕らえている触手には全部で7本の矢が突き刺さっていた。ほぼ一箇所に集中された矢は、触手に僅かな亀裂を産んでいた。

 背中に弓を背負い、右手にオードリーのムチを持ってジンは駆けた。
 右上から邪夢の触手が三本同時に伸び上がり、青い帽子に向かって振り下ろされる。その先端には全て青白い矢が突き刺さり、青の残光を空中に描いて床を叩く。
 薄暗い部屋の中では黒くて早い触手は視認するのが困難だが、青白い光矢がそれを容易い物に変えて居た。無論彼ら夢防人の戦士達の卓越した戦闘技術と、長きに渡る経験からの予測もある。
 ジンは空中に飛び上がり、それを躱しざまにムチを振るう。
 床に転がる剣を絡ませ跳ね上げる。回転しながら飛来する剣を、絡まったムチの先を伝ってキャッチし、左手に装備する。
 空中から落下し始めた身体を、右手のムチを再び振るい、今度はベッドの足に絡ませる。
 体重が極めて軽い小人の身体は少しの負荷で容易に飛び上がり、遠心力を使えばさらに加速する事が出来た。
 ムチを使う戦士から学び取った事は、空中での直線的な移動と、曲線的な移動技術だった。
 それは北東部のこの田舎では画期的な物である。
 邪夢の上まで飛び上がり、ベッドを蹴りながら軌道を変える。
 ムチを三度振るいオードリーを捕らえた触手に絡ませる。
 引き寄せると同時に自らもオードリーの元へと飛来する。
「オードリー!」
 名前を呼びながらオードリーの肩を右腕に抱きしめる。強く。
 同時に左手の剣を触手に突き刺さった矢の束を目掛けて叩き込み、入った亀裂を崩壊させる。
 役目を終えた剣は宙に投げ捨て、両腕でオードリーの身体を抱きかかえながら、邪夢の頭に着地する。
 すぐさま飛んで来る触手の攻撃を躱すため、ささやかな御返しの意味を含めて邪夢の頭頂部を力強くジンは蹴った。
 空中に踊り上がりながら両腕でしっかりとオードリーを抱きかかえ、床に着地する。
 マサルが駆け寄って来る。
「やった!凄いよジン!!」
 歓喜の声を上げながら近寄ると、ジンが叫びながらベッドの下に走り込む。
「油断するな!一度身を隠そう!」
 ジンが走る背中をマサルが追う。
 その直後を触手が掠めて行った。

 オードリーの顔色は蒼白で生気のカケラも無かったが、まだ息はあるようだ。
 マサルは部屋の隅に隠れられる隙間があるとジンを案内した。それは10センチほどの、壁と家具の隙間で、前を物で塞げば邪夢にも見つからずに済みそうであった。
 ジン達はその隙間に飛び込む。
 入口を塞げそうな物が今は見当たらないので諦めて少しでも奥に身体を隠した。
 床のホコリを払い、ジンは右腕にオードリーの頭を支えながらゆっくりとその身体を下ろす。
 マサルが自分の帽子を丸めて枕代わりにオードリーの頭の下に敷いた。
「ジン……様……」
 来てくれた。
 声にならない吐息が零れる。
 薄く目を開けたオードリーは、微かに笑みを浮かべた。
 マサルが安堵する。
「オードリー!良かった!」
「ごめん、僕たちのせいだ。今すぐ応急手当てをするから安静にしてて」
 ジンはオードリーに笑顔を向けて言うと、自分の腰に巻いたポーチから小さい夢珠を二つ出した。
「マサルも出して。あとオードリーもどこかに持ってるはずだ、マサル、捜して」
「わかった」
 小さい夢珠は食料でもあり、小さな怪我なら治せる効果がある。そのため誰でも一つか二つ、携帯している物だった。
 マサルも腰のポーチから夢珠を出し、オードリーのポーチからも二つ見つけて床に並べた。
「五つか……」
 ジンの顔が曇る。
 マサルがそれを見てジンに尋ねる。
「うぅ……足りないよね?やっぱり」
「仕方ないさ。今はやってみよう」
「さっき一つ食べちゃってさ。ああ、食べなきゃ良かった!!」
 悔しさを噛み締めて、マサルはさっき食べてしまった分を吐き出せないかとも聞いてきたが、ジンは優しく笑って仲間をなだめるのだった。
「今はこれしか無いけど、他の部屋に行った仲間や、僕たちの代わりに隣に行った仲間が夢珠を回収しているだろ。そのなかに中か大玉があればそれを使おう。緊急事態だ、怒られはしないさ」
「それで治るの?中や大って身体に影響が出るから使っちゃいけないんだろう?」
「身体を復元させるだけなら問題ないよ。経験済みだ」
「それって……」
「僕が重症で、治したのはレンだったけどね」
 ジンは片手に夢珠の小さい玉を持ち、オードリーの傷口に近付けた。
 まだそこには触手の刃が刺さっていたが、間も無く、黒い光を放ちながら消え始める。
 本体を離れた破片やカケラは、邪夢が消滅する時と同じ現象と共に消え失せる。
 それを確認すると同時に、ジンは夢珠を両手で包みながら押し潰してつぶやく。
「この者のキズを癒せ」
 その願いは夢珠にチカラを発動させる。
 眩い光を放ちながら夢珠が液体のように溶け落ち、両手の隙間から零れる。光の流水はオードリーの腹部から流れ込み、その身体を内側から輝かせた。
 その光は数秒程で消え、ジンは時間を置かずに二つ目を手に取り、同じ動作を繰り返した。

 ☆

 押し入れの内側から扉の隙間を経て部屋の中を伺う瞳が二つ。
 赤い衣装からそれは間違いなくレンであったが、トレードマークの赤い帽子が無くなっていた。
 黒くて太く固い髪質の、ややツンツンした頭が扉の隙間から突っ込まれ、次に右手に持った大剣が姿を現す。
 ラジオの音の無い部屋は、住人の寝息と外を行く車やバイクの排気音を際立たせ、ノイズのようなヤツらの声に、恐怖を感じて息を潜めているかのようだった。
 部屋に一歩、侵入して間も無く、レンの大剣が響き始める。

 キィィン……

 夢珠との共鳴だ。
 見上げるとベッドの上で儚げな光の収束が見られた。それは白く、消して悪夢の類ではなさそうだ。
 だが、その光の中心に向かって、丸い影がにじり寄るのも見える。それは大きく、艶やかでありながら悲しげにも映る背中だった。
 黒く、月明かりと部屋の豆照明を反射させながら、ゆっくりと触手を伸ばしていく。光の中心に向かって。
 それは神に救いを求める亡者の腕のように、一心に光を求めていた。
 レンは足音を消して駆けた。
 床に転がる誰かの剣を拾い上げながら部屋の真ん中まで走る。床に鎮座したティッシュの箱に身を隠し、部屋の内部に視線を捲く。
 人影がない。いや、小人影か。
「ドードードー、ホッホー」
 山鳩の鳴き声を真似る。
 朝方にこだまする奇妙な鳴き声は、深夜の部屋には似つかわしくはない。だがレンは三度、鳴き声を繰り返した。



 夢珠による応急治療を終えたジンが立ち上がり、天井を見上げる。
 眠るオードリーの横で座り込むマサルが、ジンを不思議そうに見つめ、その視線を追う。が、細く狭まる隙間から眺められる天井には何も発見出来ない。
「レンが来た」
 不意に言う。
 それは確信を込めた一言だ。
 驚きを表現する間も無く、マサルの目の前でジンは大弓を構える。
 それは遥かに高い天井に向かって。
 真っ直ぐに直立した、ジンの青白い光の矢が、弦の弾かれる音と共に光線となって放たれた。
 それは10センチの狭い空間を意図もたやすく突き抜け、天井に突き刺さる。
 青白い光が点となって見えるその真下、ジンはマサルに言った。
「レンの夢珠も貰おう。そしたら取り敢えず傷口は塞がるかもしれない」
 マサルが呆気にとられていると、隠れていた隙間の入口から、声が投げかけられた。
「こんなとこに居たのかっ、ジン、マサル、無事か!?」
 暗い隙間を駆けて来たのはレンだ。
 マサルはその姿に驚き、同時に天井を見上げて納得した。
 ジンとレン、この二人は離れた時、お互いの位置を知る為にあらかじめ合図を決めていたのだ、と。
 部屋の天井に突き刺さる弓矢はしばらくすると消えてしまう。たがその真下に居ると分かれば充分に役目を果たしていた。
 ジンがレンの顔を見て、眉根を寄せて言った。
「僕たちは平気だ、けどオードリーが腹に重症を受けた」
「……そうか、コレ使えよ」
 レンはすぐに腰に手を回し、自分の夢珠を差し出した。
 マサルがそれを見て驚きの声を上げる。
「うわっ、中玉だ」
 正確には小と中が各一つだったのだが、携帯する夢珠としては小玉が一般的で、中玉は殆んど見る事はない。基本的に中玉以上は回収されて管理されるので、特別な理由や流通経路を持たない限り、狩りの時に入手する以外は触る機会さえない。
「うん、ありがとう」
 ジンが受け取りながら小さく眼で笑う。小玉を20個積まれても等価ではない貴重な夢珠を一瞬の迷いも無く差し出すこの優しい相棒を、ジンは誰よりも信じている。
 どうやって手に入れたかなど、愚問でしかない。だから聞かない。もし誰かが聞いたとしても、あっけらかんとして答える姿が目に見えるのだ。

「どしたの!?それ!!」
「もらった」

 マサルの声に即答するレン。
 微笑を浮かべるジンはオードリーにその夢珠を注ぎ込んだ。
 オードリーの腹部からオレンジ色の光が溢れる。それは太陽の沈む夕陽にも似た、柔らかく優しい光だ。
 その光は緩やかに波を描き、体内を揺れながら滞留する。
 ジンが傷口を眺めながら言う。
「これでひとまずは安心出来るかな。体力が戻るまではいかないけど、動かしたり運んだりは出来るだろう」
「すげ~、こんなの初めて見た」
 マサルが興奮して言った。仲間が目の前で重症になる事など、そう有るわけがない。いや、有ってはならない。
 そんなマサルに、ジンが言う。
 気を引き締め直して、強い口調に込める。
「マサル、今日はもう撤退だ。他の部屋の二人も集めて、早くここを出よう」
 マサルが頷き、
「あの邪夢はどうするの?」
 尋ねる。
「どうする事も出来ないよ。今は幸いにもあのヒトから夢珠が発生しているから邪夢の意識があっちに行ってるだけだ。元々からあのヒトは余り夢を見る事が少ないんだろ?」
「そう……だね。体質かもしれないけど、ラジオで夜更かし多いし一晩に二つか、良くても三つだ。しかも小玉ばっかり」
「中島家からヤツが来たとして、エサを求めて潜んでたんだろう。ところがなかなか夢を見ない。しびれを切らしてオードリーやマサルを襲って来たのかも。いずれにせよ、他の部屋にも移動する可能性がある」
 冷静な口調でジンが言った。
 次にレンがさっき拾い上げた剣をマサルに渡しながら言う。
「コレ、拾っといた。マサルのだろ。オレ、正直なとこ、あんなヤツぶった斬ってやりてーんだけどなぁ」
 レンの苦笑をジンがたしなめる。
「危険過ぎる。第一、決定的な攻撃手段が無い。シュワルツが見学だけを許可したのはきっとそれが分かっていたんだ。僕たちの力じゃ、今はアレに対抗出来ない」
 その言葉に賛同するのは女性の声だった。
「賢明な判断ね。今すぐにココから全員避難する事が最善策よ」
 それは遠方から来た女の弓戦士アルテアだった。
 いつの間に現れたのか、こちらに向かって歩を進める。
「あ、さっきの……」
「私はアルテア。私もコレ返しとくわ。レン君」
 レンが口を開きかけたが、アルテアは自己紹介と、片手に持った赤い帽子で言葉をさえぎる。
 隠れた入口が解るように、レンが自分の帽子を目印に置いておいたのだ。
 アルテアが言葉を続ける。
「この家に何人いるのか知らないけど、全員退避よ。バカな事考えないで素直に従って頂戴」
 レンが赤い帽子を被りながら言う。
「さっきの技どうやるのか教えてくれよ。そしたら俺たちだって戦える。空中に文字書いてバーン!ってヤツさ」
「ムダよ、今のアンタには。尻尾巻いて逃げるしかないの。大人しくお帰り」
 見下されてレンが飛びかかりそうなのを押さえるジン。
「レン、アルテアさんの言う通りだ。第ニに防御力が違い過ぎる。僕たちの服とアルテアさん達の装備を見て解らないのか?あの邪夢に対しての備えってヤツがハナから違うんだ。触手がオードリーの身体を貫いた。最低でもそれを防げるだけの防御能力が要る。今の僕たちは紙切れだ」
 ジンの言葉にレンは返す言葉もない。確かに、身に付けている装備ですら追いつけてもいなかった。
 ジンは再び告げた。
「全員撤退だ。忘れるな、オードリーの治療だってあるんだ。一秒でも早い方がいい」

 ジンがオードリーを背負い、マサルが他の部屋の仲間を呼びに行って、全員撤退は始まった。それが何を意味するのか、レンとジンは他の仲間達の誰よりも感じていた。
 敗北という苦汁と屈辱を。
 次期エースと持てはやされた日々は、自分達の無知と無力を追い打ちのように繰り返し殴りつける。
 救えなかった仲間、戦う事も出来ない自分。

 本部に帰り、治療を受けたオードリーが目覚めるまでの蒼い月夜は、いつもより長く、長く感じられた。



 ☆ ☆ ☆


 翌日、ジンとレンの二人に7日間の出動禁止命令が下された。
 部隊の編制を勝手に変えた事、それによる怪我人が出た事。さらに巨大邪夢に対してのジンの戦闘行為が問題視されての処分である。
 最後のジンの戦闘行為については、オードリーの救出を成功させ、またマサルも危ない所を助けられたとの証言により、不問とされた。

「まぁ、お前達は日頃よくやってくれているからな、名目だけは仕方ないが、いわゆる休みだ。この機会に羽根を伸ばせ」

 シュワルツは笑って二人の肩を叩いたが、やはりどこか気が重い。
 確かに自宅謹慎というわけではないので出かけるのは自由だし戦闘訓練だって出来る。事実上の長期の休みだ、旅行だって出来るだろう。

 太陽が高く昇り、もう昼も半ばでとっくに寝ていなければならない時間なのだが、二人は眠れないで居た。
 田舎町のなかに閑散とした住居が建ち並ぶ一画、樹木が生い茂る神社の森がある。神主の居ない形だけのその神社の本堂に寝床を作り、ジンとレンは暮らして居る。
 とはいえ、気ままに寝床を移動しているので今は神社に居るだけで、また気が変われば町の方に移動するかもしれない。自由と言えば聞こえはいいが、同じ場所にずっと居座る事が出来ないのだ。それは見つかる危険をはらむ毎日なのだから。

「レン、出かけようか」
 ジンが言った。
 すでに身仕度を開始している様子で、どうやら聞くまでもなく決定事項だ。
「どこにー?」
「ずっと中に居ても落ち込んでしまうだけだし、あの力の事、知りたいだろう?調べに行こうよ。あと……オードリーの様子を見に行って、武器も見直して、防具も欲しいな」
「この時間にかよ、シュワルツぜってーに寝てるぜ。起こしたら殴られるぞ、あのぶっとい腕で」
「何もシュワルツだけじゃないさ。教わるのは他の人だってかまいやしない。例えば、【昼の部】のリーダーとか」
「あー、ナルホド。そりゃあ起きてるわ」
「行こう、ほら」
 ジンが投げた赤い帽子を掴む。
「お前話した事あるの?昼のリーダー」
「あるよ。シュワルツとは昔、若い頃ライバルだったらしい。筋肉もムキムキで、タイプがよく似てるよ」
「名前は?」
「スタローン」
「……乱暴そうな名前だな」


 ☆ ☆ ☆


「よく来たな!元気そうだなボーイ!」
「お久しぶりですスタローンさん」
「噂はよく聞いてるよ、こっちは相棒のレンだな。よろしく!」
 長めの黒髪で堀の深い顔をにこやかに、筋肉で太く張り詰めた両腕で豪快にハグをする昼の部リーダー、スタローン。
「何やら失敗して落ち込んでいるかと思ったが、心配なさそうだな!」
「もうご存知ですか。参ったなぁ。今日は戦闘能力についてちょっと聞きたくて来ました」
「おお、何っでも聞いてくれ!シュワルツじゃなくて俺に聞きに来るなんて嬉しいじゃあないか、見る目があるぜぇ!HAHAHA!!」
 笑い方も豪快だった。
「……なんか熱くないか?」
 レンが額の汗を拭った。
 特に温度変化は無いはずだが、目の前で豪快に笑うタンクトップの男が胸板をはち切れんばかりに上下させているのを見ると、何やら汗ばんでしまう。
 ジンは見慣れているのか、マッチョに耐性があるらしく、涼しい顔で昨夜の戦士たちの様子を話している。
 スタローンは前で腕組みをしながら時折頷いて聞き入っているようだった。

「OK、わかったぜ」
 スタローンがニヤリと笑う。白い歯が光る。

「ボーイ達は【言葉玉】ってわかるか?」

 ジンもレンも頷く。ジンが答える。

「夢珠の中玉クラスで、使うと言葉が話せるやつですよね」

「YES、言葉が話せない奴が話せるようになり、外国の小人とも話が通じるようになるアレだ。今では誰でも必ず一度は使うようになってるから、コミュニケーションも楽になった」

 夢珠のなかに強く反映されたニンゲンの想いや意志、特技などが小人達に影響を与える。
 小人達にも国は有り、日本のジンも居れば米国のシュワルツや中国のレンも居る。
 多国籍の都市では言葉の壁を乗り越える為、小人が産まれた段階の初期の時点で言葉玉は与えられる。
 言葉玉を産んでくれるニンゲン『学校の先生』や『英会話教室の先生』は優遇される存在だ。

 スタローンは話を続けた。
「その言葉玉の中に、よりハイクラスでレアな物がある。大きさは大玉クラスに間違い無いと思うが、呼び名を【言珠・コトダマ】と言うヤツだ。その戦士が使った技はそれで得たチカラだ」

「コトダマ……」

 レンは呟く。どこかで聞いたような響きだ。

「言葉にチカラを込める。もしくはその言葉の持っているチカラを解放する。言葉に魂を込めるとも言うがな、何しろレアだからな、こんな田舎じゃ手に入らんぞ。何処かで手に入れたんだろうがなぁ」


 ……ごく最近、聞いた気がする。


「それを使えば『炎・ほのお』という文字を解放して剣に炎を纏わせたり出来る。さっき聞いた『斬・ざん』という文字は、そのまま『斬・きる』チカラだな。ニンゲンから手に入れられるんだろうが……せめて、どんなニンゲンが産み出すのか解ればなぁ、その家に直接行って運が良ければ手に入るんだろうがなぁ」

 ……思い出した。

「アイツに聞くのか」

 レンは嫌そうに言った。


 ☆


「ジン様!来てくれたのですね!嬉しいですわ!嬉しいですわ!」
 ベッドの上でオードリーが目をキラキラさせていた。
「俺も居るんだがな」
「アンタは嬉しかないのよ!」
 レンとオードリーが火花を散らした。
 横でジンが苦笑して見守っていた。

 オードリーは自分の寝ぐらに戻っており、一応安静にしているようだった。
 夢珠の効力で回復した体は、特に異常が見られないが、そのチカラは全て解析されたわけではない。使った夢珠が予定外の副作用をみせないか、その様子見の期間だ。少なくとも丸一日、安静にしていなければならない。
「暇だろうと思ってね、話し相手になりに来たよ」
 ジンが言う。
 当初の目的の一つには間違いなく予定されていた事だ。だが、昼の部リーダーのスタローンとの会話を経て、今はもう一つの目的を生じている。

「オードリー、そーいえば昨日の夜、漆原さんの話をしてたじゃない?あの時に、声に魂を込めるとか言ってたよね」

「そうですわよ。声に魂を込めているっていうのは、本人もたまにだけど、基本的には私達ファンやリスナーがよく言っている事ですのよ。それにおいてはめぐさんは神よ、神」

「声っていうか言葉に?チカラを込めることが出来る?」

「そうよ。めぐさんの言葉には魂が宿るの。あらやだ、アンタも私と漆原談義がしたかったの?」

「違う!いや、違わないか……」

「結果的にはそうなるよねー」

「コトダマって知ってっか?」

「知ってるわよ。コトダマと言えばめぐさんよ。声優界じゃ当たり前の話よ。知らないの?アンタ遅れてるー」

「知らねーよ!俺は声優界じゃねーんだよ!」

「めぐさんのまたの名を『言葉の魔術師』とか『声の魔術師』って言うのよ。覚えときなさい」

「なんで俺に対してだけは態度が違うんだよ」

「当然でしょ。元はと言えばアンタの所為なんだから」

「それはそーなんだが」

「でも他にも声優さんって居るよね。他の人じゃダメなの?」

「まぁ、他にも新しい声優さん出て来てるし、好きな人は好きなんじゃないですかねぇ?でも顔だけだったり、歌手のまねごとみたいに歌ばっかりやってるのも居るし。その点めぐさんは演技も神ですよね。歌は歌唱力に疑問が残るけどいやいやいや、その妖しい歌唱力を差し引いたとしてもね、やっぱり魂というか、やっぱり言霊、ことだまってやつ?それが感じられるかどうかだと思うのデスよ。だいたい今のアイドル声優にろくなの居ないじゃない。田中まゆみんに一目置かれてんのよあの人は。あの人だけは!やっぱり演技がしっかり出来てないと上には上がれないわよね。そのうちアイドル声優って言葉も廃れて来るんだろうけど、いざそれが無くなった時に何が残るのかって事よ。声優が声のお仕事しなくてどうするのよ?いくら流行だ声優ブームだって言っても、いつか波が去る時が来るの。その時に歌ってる場合?違うでしょー、まぁ、私は歌がやりたかったんです!ってハッキリと転向したヒトも居るけどね。あははは、ある意味、いさぎよいわ」


「……始まったな」
「ああ」


 ☆


 オードリーの家に来て30分後、ある一定量の知識を吐き出したオードリーがふぅっと息をつく。一つの番組を終えたような達成感と共に、溜まっていたストレスがいくらか解消されたような気がする。

 レンは精神的ダメージと体力を払いながら、聞きたかった情報を得るためにやっとの思いで質問した。
「その漆原さんはどこに住んでるんだ?」
「知らないわよそんな事」

 ガクッとうな垂れるレン。

 耐えていた精神的ダメージが限界に達している。まさかの一蹴だ。
「ストーカーでもするつもり?」
「んなわけねーだろが」
「やるかもしれんだろが」
 再び散る火花。
 ジンがなだめる。
「まぁまぁ、実は夢珠の事で調べていてね。【言珠・コトダマ】っていうレアな種類があるらしいんだ」
「まぁ、まさにめぐさんの代名詞のような夢珠ですのね。確かに、漆原さんを始めとした有名な声優さん達の夢珠が今スゴく都会で人気らしいですわ」
「本当かよそれ」
 レンが反応する。
 オードリーは当然といった顔で頷きを返し、言葉を続けた。
「始めはミーハーなコレクター人気だったみたいですけど、使った時の効果も面白いらしくて、今は中玉でも半年以上の予約待ちですわよ」
「はんとしぃ~!?」
 レンがまたもやガックリとうな垂れる。
「面白いってどんな風に?」
 尋ねるジン。
「見たこと有りませんけど、聞いた話では『空中に文字が書ける』らしいですわ」
 レンとジンがニヤリと笑う。
「ビンゴだな」
「うん、間違いなさそうだね」
 オードリーは、二人がその夢珠を欲しがっているようだと気付いた。その通りだが、そんなに声優が好きだったとは知らなかったと勘違いもしていた。
「そんなに有名じゃないヒトのならもっと早いかもしれませんけどね。手に入れたら眺めたり撫でてみたりするのがコレクター魂ですのに。使ってしまうなんてもったいないですわ。私には考えられません。でも、速水さんの夢珠ならこの身に使ってみても……あらいけないわ、オードリーったらそんなっ……」
 一人で赤面してモジモジし始めるオードリーを置いて、ジンとレンが顔を見合わせる。
「半年はさすがに……」
 ジンが眉根を寄せる。
「やっぱり一か八か行ってみるか」
「そうだね、それしかないと思う」
 レンの言葉に頷くジン。
 オードリーは二人の様子にハッと驚き、
「まさか本当に漆原さんに会いに行くんですか!?」
 その問いにジンは少し考え、答えを返す。

「その夢珠、【言珠】がニンゲンの声優さんから産み出される物で間違いなければ、そのチカラはかなり実戦的なモノだ。昨日襲われた黒い邪夢だって一撃で倒せる程の威力を僕とレンはこの目で見てる」

 頷いてレンもその後に続く。

「都会でそのチカラに気付いた奴らがこぞって欲しがるだろうな。戦士なら絶対に欲しい。待っててもこんな田舎じゃ絶対に回ってこないぜ。俺たちの地区にはあの黒邪夢が実際にもう現れてるんだ。俺たちには必要なチカラだ」

「そうだね、黒いヤツが現れる度に他の地区に応援を呼んでたんじゃ、後手に回るばっかりだ。それじゃあ最悪の事態になった時に甚大な被害が出る」

 真剣に話し合うジンとレンを見て、オードリーが顔を赤面させたままで言う。
「私、勘違いしてましたわ。二人とも声優ファンでただ夢珠が欲しいのかと思って……真剣に、町の事を考えてたんですのね」
「あたりまえだろが」
 レンの白い目線が刺さる。
 ジンは微笑んでいる。
「またオードリーのような被害者を出さないためにも、僕たちは強くなりたいんだ」
 オードリーはキッと視線を上げてジンの目を見る。
「わかりましたわ。東京の北区ですわ」

「……え?まさか漆原さんの?」

「知ってんのかよ!!」

「ファン舐めんな!」

 何故か逆ギレされて再び火花が散る。
「ありがとう、オードリー」
「私は行けませんから、何かお土産お願いしますね?」
 ジンのお礼の言葉に、オードリーが笑顔を向けた。
 さらに付け足す。
「めぐさんグッズは殆ど持ってますから、本人の使用済み実用品か夢珠の小で構いませんわ」
(こいつの方がストーカーじゃね?)
 レンは思った事は黙っていた。

 ☆


 その日の夕暮れ、【夜の部】北東部リーダーのシュワルツの元にとある小人が現れた。
 南西部から来た遠征組、剣士のロキである。
 北東部の中心、集会所でもある納屋の家、その母屋の二階、さらに屋根裏にシュワルツの自室がある。
 ここは他の小人達の家や住処とは違い、ニンゲンの住居を模して造られた様相をしていた。
 8人が座って会議が出来るテーブルと椅子。
 書類仕事をするための机、紙を巻き物にした書物をまとめて保管するための書庫、仮眠用のベッド。
 それらは木の壁で区切られてドアまで付いていたが、天井は無かった。あくまでもニンゲンの家の屋根裏だ、雨の心配はない。
 薄暗い内部を明るくするために幾つかの丸い照明が壁に灯る。夢珠から創られた光の球体で、電気も動力もなく自立発光する。そのおかげで部屋の内部は昼間のように照らされていた。
 ロキは壁伝いに歩き、一つの扉の前で立ち止まる。
 他のドアには『会議室』や『休憩所』といったルームプレートがあるのだが、その扉にだけ、何も書かれていなかった。
 そのドアを開ける。
 木の軋む音と共に扉が開き、部屋の内部から男の声が出迎える。

「やあ、首尾はどうだね?ロキ君」

 中央に置かれた大きな机で、書類を忙しく広げたり、何かを書き込んでいるのはシュワルツだ。

「報告を待っていたよ。今日の狩りの配置に関わるからね。【中島家】の近辺の配置が決まらなくて困っていたんだ」

「すいません、シュワルツさん、遅くなってしまって」

「大きな邪夢は排除してくれたんだろう?【中島家】の近辺はまだ様子を見た方がいいかね?【昼の部】の配置はあの近辺は誰も近づかないように手配はしたんだ。昨日の今日だからな、もう一日、様子見てから偵察隊を送ろうかと思ってるんだが、どう思う?」

「発見した邪夢については全て排除しました。一匹が隣の家にまで侵入していたのも排除しました。その時に怪我をした者が出てしまった事については申し訳ありません」

「いや、君はよくやってくれた。我々の部隊が未熟だったから起きた事だ。気にする事はない。怪我をした者も無事に治療を終えている」

「今夜の【中島家】の出撃はもう一度我々の部隊でやらせて貰いたいのですが」

「もう一度か?」

「南西部から追加の応援を呼びました。今こっちに来ているのと合わせて10名で【中島家】とその近辺を含めて隣接する9件に、監視と残っている邪夢狩りをします。それで問題が無ければ明日の夕暮れに我々は引き上げさせて貰おうかと思います」

「9件を10名で?監視だけならともかく、大丈夫かね?」

「昨日倒したのが一番大きな親玉なら問題無いでしょう。それよりも問題なのは【中島家】から移動した邪夢が居たという事実です。すぐ隣で見つかったから良かったですが、まだ潜んだままの邪夢が居ないとは限りませんから。今日もう一日、用心しておきましょう」

「わかった。【中島家】とその近辺の事はもう一日、君に任せよう。よろしく頼む」

「了解しました」

「頼もしくなったな、ロキ君」

「……」

「君が都会に出て行ってから何年になる?もう七年、いや八年か?お兄さんのスタローンには会ったかい?」

「いえ、まだ」

「兄弟が居るのは貴重な存在だ。大切にしたまえよ」

「シュワルツさんにも居るんでしょう?兄弟」

「兄がね。アーノルドと言うんだが、しかし彼はアメリカだ。流石になかなか会えない」

「そうだったんですか」

「君たちは同じ国だ。会おうと思えばいつでも会える。羨ましいよ」

 そう言ってシュワルツは笑った。
 だがすぐに顔を引き締めて机に向かう。今夜の部隊調整を仕上げなければならない。
 ドアから去るロキを見送りながら、シュワルツは黙々とペンを走らせた。


 ☆ ☆ ☆



 時を同じくして夕暮れ、神社の裏手でカラスの背中に乗りながら出発準備を整えたジンとレンが居た。
 夕暮れに出発し、街を一つと、二つほどの山越え、そして山麓ではフクロウに乗り換えてまた街を目指す予定だ。
「まぁ、本人の夢珠を直接回収は出来ないかもしれないけど、その地域を担当する夢防人の団体が居るはずだから、そこで管理している夢珠を分けてもらう手もある。交渉する必要があるだろうけど」
 青い帽子を深めに被り、カラスの首筋にモゾモゾとよじ登るジン。
「その方がラクそうだよな。確実だし」
 レンが後を追うように乗り込みながら言う。二人とも一羽のカラスに乗り込むと、黒く艶やかな翼が広げられた。
 沈み始めた夕陽に照らされながら、その雄々しい羽根で舞い上がり、風を切る。
「スタローンさんが書いてくれた紹介状も有るし、話しくらいは聞いてくれるといいなぁ」
「あのオッサンそんなに有名人なのか?」
「若い頃はかなり有名だったらしいよ。でも紹介状は知名度よりも、ちゃんとした身分を保証するための物だから、僕たちが遊びで来てるんじゃないって事を信じてもらうのが目的さ」
「気が利くな、スタローン。シュワルツより話がわかるんじゃないか?」
「そう思われたいのさ」
 そう言うとジンはニヤリと笑った。
 田舎町を眼下に見下ろしながら、カラスが鳴く。
 夕焼けを背負い、朱色に照らされながら翼を広げ、山を目指して小さな影となる。
 夢珠を求めて行くは東京、そこはさらなる邪夢の巣食う街。
「街に着いたら武器と防具も見ないとね」
「向こうのが進化してるだろうから楽しみだぜ」
 前を向いて笑う二人。いつの間にか自分達の町は小さくなり、一つ目の山に向かって高度を上げていた。

言葉の魔術師

言葉の魔術師

 ☆言葉の魔術師☆

 青い空がコンクリートの森を突き抜けていた。
 時折見せる白い雲は散りながら流れ、四角い箱を出入りする群衆を横目で哀れんでは、その自由を満喫し果てる。幾つもの機影を隠し、生命を見下ろし、地球の息吹と胎動を空に描く。
 風は無力にも箱を撫でる。ただいたずらに逆巻き、舞う粉塵とアスファルトの臭いを、むせ返るような嘔吐臭の中で混ぜ合わせ、行き交う車輪に轢かれても彼らの歩みを留める事すら出来ない。
 影は無数に散らかり、交差点で器用に交わりながらも薄っぺらい無表情の後を追う。
 何に向かっているのか、何処かに帰りたいだけなのか、冷たい視線の先に見たい幻想をせめて追いながら、影の主は交錯して雑踏と言う虚無の旋律を奏で続けていた。

 雑居ビルの屋上で翼を休めるためにカラスが舞い降りる。その背中から降りたジンとレン。
 小さな身体を大きく伸ばして、深呼吸を一つ。次の瞬間に眉根を寄せて地上の人間達を見回す。
「くせぇ、空気悪い。こんな中で生きてるなんて信じらんねー」
 赤帽子のレンのボヤキに深く頷いて言葉を返すのはジンだ。
「環境に慣れるって怖いよね。無意識に大事なものを忘れて行くみたいだ」
 二人が肩を並べて眉根を寄せていると、隣りのカラスがアーッと鳴いた。決してお腹が空いたとか疲れたとか不満を表現して鳴いたわけではなく、その声は近くの空を飛んでいる仲間に向けられていた。
 一羽のカラスが飛来してビルの屋上に舞い降りる。
 小人たちと、二羽のカラスが並び声を掛け合う。

 呼んだカァ?
 おう、すまねぇチョット頼まれちゃあくれねぇカァ?
 何でぇ小人じゃねぇカァ。
 この奴さん達を小人の村まで案内しちゃあくれねぇカァ?
 へっ、お安い御用だべらんめえ、まかしといてんカァ。

 そんなやり取りがあったかどうかは定かではないが、ここまで乗って来たカラスは大きく翼を広げて飛び立つ。
 代わりに、先ほど現れたカラスがさも自信に満ちた風体で鎮座していた。

「君が北区の本部まで案内してくれるのかい?」
 尋ねるジン。
「カァー!」
「よろしく頼むよ」
 和かに向けられる笑顔。

 ジンは明確にではないが、知能の高い動物との対話や意思疎通に優れている。これも夢珠の一種・言葉玉による能力である。
 夢防人達はお互いの言語によるコミュニケーションを円滑にするために、誰しもが言葉玉を使用する。
 その時に得られる効果で、稀に目的の言葉を超えた能力が解放される事がある。
 動物との会話もその一つだ。
 もちろん、初めから『動物との会話』を目的とした夢珠が存在確認されている。希少だが、ペットを飼っているニンゲンから得られ、使用すればまさに会話が成り立つ物だ。
 ジンの場合は偶然に付与された能力であり、能力レベルは低い。だがそれすらも持たないレンにとっては、便利そうで少し羨ましくも思えるのだった。

 新しいカラスに乗り換えたジンとレンは東京の空を飛んだ。こうして昼はカラス、夜はフクロウの背に乗り移動して丸二日、ようやく辿り着いた大都会に、赤と青の帽子は雑踏を残して紛れて行った。


 ☆


 人間の中でも有名人や、芸能人の夢珠は質が良く、中玉や大玉が高確率で入手出来る。夢防人達がそれらを管理下に置き、完全に監視と調整、保護をしていた。そうしなければ小人達が奪い合いや乱獲など、同じ夢防人同士の醜い争いに発展しかねない。
 しかしそれでも、監視網を抜けて狩場に侵入する若者や、狩りを終えた後の夢珠の輸送中を襲って奪おうとする非道な者もゼロではない。
 夢珠の管理において、邪夢やニンゲン以外にも、備えるべき敵が居るなど同族ながらに悲しいモノだ。
 少しでも非道な行いを減少させるため、特定のニンゲンを希望して狩場に付ける申請の予約制度、また欲しい夢珠の能力を得るために、集められた管理所に夢珠の予約をする注文制度がある。
 基本的に、収穫した夢珠の大きさによっては提出しなければならない掟があり、倒した邪夢の数や様子なども報告の対象だ。
 だがそれらがごく平和に管理され、正確に報告されているのは田舎町ぐらいなもので、都会においては『現場の臨機応変』の名目の下に、管理は行き届いていなかった。

 都会での住宅事情は夢防人にとって、管理をしにくくなるばかりの発展と進化を遂げ、跳梁跋扈する邪夢たちの大きさや変容も、田舎町の比類ではなかった。
 しかし、それでも絶滅せずにやってこれたのは、田舎町からの夢珠の援助や、都会でその場で得られる高品質の夢珠のおかげであった。
 都会では昔からある組織的な集落による管理団体と、若者や一部の夢防人達が個人で集まってチームを作り、邪夢に対抗している、二分された様相を成していた。
 組織集落は田舎町と契約して援助を得ながら維持され、個人チームは自分達が獲得した夢珠を元手に交換したり、傭兵のように戦いの技術面で仕事を請け負う事で存続を維持していた。
 それも夢防人達が通貨の概念を持たない種族である事も、一つの要因と言えよう。

 東京都北区、夢珠管理団体第一支部、通称『アレックス』は昔からある管理団体であり、北区の中でも一番人気が高く、夢防人達が多数登録している。
 その管理受付のカウンターで一人の小人が肩を落として項垂れていた。
 半年前から予約していた狩場の出動が当日になって延期になったからだ。
「申し訳ありません。上層部の決定事項によりご容赦下さいませ」
 カウンターを挟んでオペレーターが頭を下げる。
 緑色の長い髪を掻き上げながら、その女性、夢防人・モーリスは大きな瞳をオペレーターに向けた。
「半年も待ったんだから、今更一日延期になったくらい構わないけど、理由を教えてもらえないって事は無いんじゃない?他の人は納得してるの?」
「はい、皆様延期については快く応じてお帰りになられました」
「う、何だか私だけごねてるみたいじゃないのさ」
「はぁ……何しろ急な決定でしたので、私共にも詳しい事情が伝わっておりませんので……またはっきりとした事情が分かりましたらお伝えさせて頂きます」
「くぅ~、これだからお役所仕事は!!」
「申し訳ありません」
 機械的に頭を下げるオペレーターに業を煮やしてモーリスはカウンターを後にした。
 黄色いロングスカートのように見えるローブと緑色の髪が映えて、歩く調子に合わせて揺れる。
 女の戦士は珍しいわけではないが、その装備は軽く、戦場に出るには少し心許ない。
 一瞥すると普段着のようにしか見えない程だ。

 戦場の予約を入れて、当日までに編成チームが組まれ、戦力の補填として組織から戦士が補充される。
 モーリスは誰とも組んでおらず、主に単身で活動しているため、あえて自分の戦場の役割を中間的な物にしていた。装備も出動前に用立てるため、普段から鎧めいた装備はしていない。
 武器にも得意、不得意はなく、状況に応じて変更出来るように訓練している。
 カウンターを後にしたモーリスはやり場のない怒りを抱えていたが、それをぶつける事よりも、すっかり空いてしまったスケジュールの穴埋めに悩んでいた。
 エントランスホールに用意されたフリースペース、『待ち合わせ場所』にある椅子に腰を下ろし、天井を見上げる。
 高い天井、ニンゲンの出入りするビルを模して夢珠の力で建造された12階建ての建物。
 ビルに内装されるカウンター、イスを始め、全てがニンゲンの真似をして作られ、小人達がお役所業務をしている。
 モーリスがふと目線を戻すと、お役所の上層部にあたる小人が前を通り過ぎた。北区の管理団体、そのトップ、総支配人アレックスである。後ろに従者を連れてこんな『待ち合わせ場所』に赴くとは如何なる事態か。
 モーリスは目を見張る。
 アレックスを前にして椅子から立ち上がったのは赤いトンガリ帽子を被った小人と青いトンガリ帽子の小人だった。
 いったい何十年前のファッションなのか、明らかに時代錯誤で、現代の戦士からも浮いていた。
 民族衣装には違いないが、そんな来客が北区のトップにどんな理由で会いに来たのか、モーリスは聞き耳を立てる事をやめられなかった。



 長身でスラリと伸びた足。彫りが深く往年の笑顔のシワが人相と性格を表しているようだ。髪は金色の短髪で清潔感と、ビジネスマンのような仕事人を風体としている。総支配人のアレックスは長い足をツカツカと回転よく鳴らし、二人の来客に歩み寄った。
 後ろに控えるのは、藍色の髪を束ね利発そうな眼鏡も光る女性の従者『テス』。秘書と雑務を担っている。
 二人とも、人間のような服装で、黒いスーツという姿で現れた。アレックスにおいてはネクタイまで締めている。それも都会の流行りなのだろう。
 青い帽子のジンと赤い帽子のレンは共に立ち上がり、待ち合わせ場所であるエントランスホールのフリースペースに背筋良く起立した。

「どうも初めまして、総支配人のアレックスです」
 握手を求めるアレックス。
「初めまして、僕はジン。こっちがレンです」
「ども。はじめまして」
 順番に握手を交わす。
 レンが照れたようにすぐに半歩下がると、アレックスとジンが向き合う。
「遠い所から大変でしたね、宿はゆっくりお休み頂けましたか?」
「ご親切に配慮下さり有難うございました。おかげで疲れも取れました」
「それは良かった。スタローン様のご友人とあらば家族も同然、お気の済むまで泊まって行って下さい。とはいえ、あまり長居は出来ないんでしたね」
「そうですね、二、三日したら帰るつもりです。それまでに何とか目的を達成したいんです」
「事情は秘書から伺いました。【コトダマ】の入手については秘書が調べておりますので、直接お聞き頂くとよいでしょう。テス、ご説明を」
 はい、と後ろに控えていた従者が前に出る。
「現在、夢珠の在庫をお調べしたところ、【コトダマ】の在庫はゼロでした。予約待ちで約三ヶ月以降との事です。これに関しては直接の獲得の方が効率が良いと判断させて頂きました。確率としては下がりますが時間の猶予も有りませんし、【コトダマ】を発生するニンゲンの元へ直接行って、夢珠を捕獲して頂けるように手配を致しました」
『ええっ!? 本当に!?』
 ジンとレンが驚く。
 アレックスが満足そうに頷いている。
 秘書のテスは冷静に頷いて言葉を続けた。
「はい。ジン様より情報を頂きましたニンゲン、『漆原めぐみ』の夢珠が最も【コトダマ】として有力であるという説は間違いないようです。管理連にて確認致しました。よって本日の夜8時より、『漆原めぐみ』の自宅にて夢珠の回収捕獲の手配を行いました。援護として我々の組織から戦士を3名お付けしますので、邪夢の排除は彼らにお任せいただいて、夢珠の回収のみをジン様、レン様にお手伝い頂くという形でお願いいただけますでしょうか」


「ちょっと待ったぁあ!!」


 余りの事に驚いて声も出ないジンとレンが突如叫ばれた声の主を見る。
 緑色の髪と黄色い服の少女が手を挙げて震えていた。
 名をモーリス。
 今日、『漆原めぐみの夢珠回収』を延期されたばかりの夢防人である。


 ☆ ☆ ☆


 東京都北区、アレックスの居室(オフィス)にて。
「申し訳ありません、周囲への配慮が足りませんでした」
 オフィスに二人きり、テスはアレックスに対して頭を下げた。
 それを片手を上げて制し、アレックスが言う。
「いや、ここに呼び出さず足を運んだのは私が言い出した事だ。テスに落ち度は無いよ。むしろよくやってくれた。確かにあの状況を予期出来ていれば、君の言った通りここで話すべきだったんだ」
「いえ、しかし良かったんでしょうか、あのモーリスと言う者を同行させて」
「彼らが構わないと言うんだ。容認するしかないだろう。それに夢珠も報酬も要らないと言うし、組織(コチラ)としてはタダで働いてくれる戦士が一人増えたんだ、願ったりだよ」
「ニンゲンの……ファンでしょうか?半年も前に予約して、会うだけでいいなんて、私は理解に苦しみます」
「ははは、芸能人の家から私物やゴミを持ち帰って来る奴も居るからな。まあ、お客様の邪魔さえしなければいいさ」
「彼女を調査しますか?」
「……そうだな、身元が解る程度には調べておけ。後でゴネたらかなわん」
「はい」
「久しぶりの田舎者の上客だ、ここで恩を売りまくって、夢珠の支援の足がかりを作る。相手はあのスタローンだ。きっと側にシュワルツも居る。デカイ取り引きになるぞ!もぐりのチーマーどもに負けてられるか!!」
 鼻息を荒くするアレックスに敬礼し、テスは部屋を後にする。部屋を出て一人、廊下で呟くのは主の陰口か。
「……小さな子供も、役に立つなら使えばいいわ」
 ガラス窓が並ぶ廊下を歩きながらテスは一人、自分に微笑んだ。


 ☆ ☆ ☆



「あれ?二人って聞いてたんだけどなぁ」

「あはっあはははは、さっき武器屋でも言われた、に、二回目っぷぷぷ」
「いやぁ、実は先ほど増員になりまして」
「……すいません」

 pm7:30 エントランスホールで組織の三戦士と合流したレン、ジン、モーリス。
 テスの取り計らいで武器と防具を組織内の武器屋で新調し、出発の準備を整えていざ、という所で三戦士達が首をひねって困り顔をした所だ。

 組織から選出された護衛組の三人、ジュン、チョウサク、ハルオ。白い和風の戦装束をお揃いで身につけ、それぞれ剣、槍、鉄扇を装備している。レン達よりも少し歳上、それぞれがっしりとした体格でとても頼りになりそうだ。
 ジュンが少し考えて、二人と何やら相談し、振り返るとレン達に言う。
「五人乗りの用意をしていたのですが、六人はちょっとそのままではキツくなりますので……今からもう一騎増やして、三人ずつの二騎に切り替えます。我々が先導しますので御三方は後方から着いて来ていただけますか」
「わかりました。レン、笑いすぎ!」
 ジンが応えながら転がる赤帽子にツッコミを入れる。
「じゃあもう10分ほどしたら出発出来ますので、もう少々こちらでお待ち頂けますか」
 チョウサクとハルオが慌てるように準備のために走り去り、その後をジュンが追う。
 エントランスに残された三人は顔を見合わせると、先ずモーリスが口を開いた。
「何だか申し訳ないわ。予定外でバタバタさせて」
 少し落ち込むモーリスの左肩をジンが軽く叩く。
「まあまあ、気にしなくていいんじゃない?もう言われる事ないだろうし」
 あとにレンが続く。
「もう一回言われたら俺が笑い死ぬだろう」
 右隣でレンが予言した。
 モーリスは顔を上げると、ジンに尋ねる。
「本当に良かったの?私なんか着いて来て」
 ジンは頷く。
「いいんだよ、元はと言えば割り込んだのは僕たちの方なんだから。それより、夢珠も報酬も無しなんてモーリスの方こそ大丈夫なの?」
 ジンが問いで返すと、モーリスは微笑しながら自分の手をじっと見る。
「私は、別に報酬目当てで行くわけじゃないから。漆原めぐみに会えればいいのよ」
「でも、彼女の夢珠はみんなも欲しがってるくらいだよ」
 と、ジン。
「いいのよ。そのチカラなら私はもうとっくに持ってるから」
 モーリスは自分の掌を見つめながら、拳を握り、少し遠い目をした。
「ああ、なるほど」
 ジンが頷く。レンも一緒に納得している。
「じゃあ中玉以上の夢珠がもし出来たら予定通りレンが先に使って」
「おう、了解」
「ジン君はあとでいいの?もしかすると、一つだけしか取れない可能性あるわよ?」
「別にいいさ。レンがチカラを持ってくれれば、僕はそのサポートに回る。レンだっていきなり使えるか分からないし、よく分からない状態のチカラを二人で同時に持つより、レンに試してもらって、しばらく慣れてからの方がリスクだって少ない」
「実験代ってわけね」
 モーリスが笑みを見せる。
「レンがチカラを得たら、それ以降の夢珠は選定して持ち帰る。基本的に邪夢はあの三人に任せるけど、必要なら僕とレンも戦闘に参加する。その時は夢珠の回収をモーリスに頼めるかな?」
「イヤよ。私は無理だから戦闘に参加するわ」
 即答で断ったモーリスは当然といった顔を向ける。が、目を丸くしたレンとジンを見てすぐに眉根を寄せて身体を縮めてブルブルと震わせる。
「ワタシニンゲン恐いカラ近寄りたクナイのよほー」
 少しワザとらしい声を出して尚も拒否する。
 ジンはレンと顔を見合わせ、仕方ないとばかりにため息を一つ。
「じゃあ、戦闘にはまず僕とモーリスが後方から援護に入ろう。レンが回収をして、その流れで先に夢珠を使えそうなら使って。その後の回収は臨機応変に出来る者がしていこう」
「ん、わかった」
「オーケーよ」
「じゃあそろそろ行こうか、準備出来てるかもしれないし」
 建物の入口に向かって歩き始めたレン、ジン、モーリス。
 その前方から護衛組の1人、ジュンが走って来るのが見えた。
「ジン様~!ネコバスの準備が出来ました~!」
 叫びながら走り寄って来る。
「え?ネコバス?」
 固まるジンとレン。
 モーリスが当然な顔をしながら言った。
「あら、知らないの?都会じゃポピュラーな乗り物よ。酔わないでよね、けっこう揺れるから」
 先を歩くモーリス。
 後に続くレン。それからジン。

 ……
 ……
 ……

 酔った。


 ☆ 小さなモミジ ☆



「ちょっと、大丈夫~?しっかりしてよ、着いたわよほら!」
「ぐぅぅ、この世にこんな乗り物があっていいのか……」
「都会のゲロ臭さにこの揺れはもう嫌がらせレベルだろ、吐くなと言う方がおかしいぜ」
「これなら僕たちみたいに首にぶら下がる方がまだ全然いいよ。あ、まさか帰りも乗るのか!キッツイなあ!!」
「ふふ、恐ろしいな……ネコにバスケット……ぐふっ」
「レン!気を確かに!」
「せめて窓は要るだろ、密閉するなんて信じられ……ガハッ」
「ジン!目を開けて!」
「……」
「……」
「いいゃああぁ!!」


「何をやっとるんですか」

 思わずツッコミを入れたのは護衛組のジュンだ。
 漆原邸に到着した黒猫の『ネコバス』が二騎、背中に設置された藤籠(とうかご)から這い出したのは夢防人のレンとジン、そして普通に降りてくるモーリス。
 暗闇と夜道に溶け込むため、あえての黒猫と濃い茶色のバスケットは東京北区では一般的な移動手段(ワンセット)だ。
 ただし、乗り心地は極めて不安定で、時折訪れる猫のジャンプ、ダッシュ、急斜面からの急ブレーキなどなど……

「……」
「……」
「ちょっと待ってあげて、二人ともグロッキーだから」

 初心者には辛い仕様になっている。
 この移動手段については、昼間用として、鳥のハトを使用した『ハトバス』なる物も存在するのだが、稀にバスケットが落下する危険があるため、近年では「ハトバスよりネコバスのが使えるっしょ?」という戯(ざ)れた認識が拡散している。

 程なくして立ち上がったレンとジンは歴戦を重ねた老兵のような表情を見せ、漆原邸の前に肩を並べて、家を見上げた。
 宵の闇に浮かび上がる白の外壁、近代住宅の屋根はダークブラウン、日本瓦ではない平面化した屋根は高く、ジャンプして辿りつける距離ではない。
 外壁も四角を綺麗に形取り、幾つか窓はあるがどれも開いている様子はない。
 どちらかと言えば防犯のセキュリティも完備された、侵入し難い造りだ。レン達のような田舎なら、たまに開いている二階の窓から侵入したり、旧日本家屋なら隙間や通気口、ネズミが開けた穴など、利用出来そうな場所を使って侵入する。
「しかしながら屋根まで高いな。鳥のがよかったんじゃね?」
 レンが言う。
 残念ながら揺られまくったネコバスは既に中庭まで侵入しており、庭の片隅に丸くなって待機している。その背後に目線を走らせると、隅々まで手入れの行き届いた青い芝生と鉢植えに並ぶ花、細長いプランターに植えられたハーブが視界に映る。
 それを大きく取り囲む外壁が、都会ながらも庭付きの一戸建てという上等な条件を満たしている事を匂わせる。
 ジンが護衛組を振り向き、この家の入り方を尋ねる。
「いつもどうやってるんですか?」
 一度使用した侵入経路や模範方法があるならそれを知りたい。毎日の事だから定番化していればそれに則る。
 ハルオが建物の中でも一番小さい窓を指差して応える。
「あの窓から解錠魔法を使って入るとの事です。ただし、トイレらしいので、侵入してからもう一つ、ドアを開けるミッションが必要ですね」
 レンが面倒くさそうに声を上げる。
「うわ、じゃあ全員が寝静まるのを待ってからになるって事?」
 頷くジュンとチョウサク。
 こればかりは仕方ないと言うが、それならば時間の調整が間違いではないのかと突っ込みたくなる。
 眉根を寄せてレンとジンが見合う横で、スルスルと玄関の扉に近づくモーリス。
 玄関の前にある小さな階段を軽快にジャンプし、ドアの前に立てかけられた空の傘立てを足掛かりにドアノブにタッチする。
「チョット開けて」
 そう呟いてタッチだけをして、そしてまた高いドアノブからジャンプして地上に降り立つ。玄関の前で振り向きざま、当然な顔をレン達に向ける。
「開いたわよ。先に行くね」
 そう言うとモーリスの目の前で玄関のドアノブが動き、小人が入る分だけの隙間を開いて止まった。自動扉のように人影はなく、ドアが自らモーリスを招き入れていた。
 家の中に消えたモーリスを慌てて五人が追う。
 全員を招き入れた後、ドアは静かに閉まり、カギが掛かる音がした。

 先を歩くモーリスを追いながら、ジンが声を潜めて投げ掛ける。大きな声は出せないがこの少し自分勝手な連れ合いを呼び止める必要はある。
「モーリス、段取りを無視するのはマズイよ」
 元々が小さな身体の小人である。もし人間が居ても、その音量はヒソヒソ声にすらならない。
 玄関に並んだ男性皮靴や女性物のヒール、そして子供用であろう虹色のスニーカー。それらを踏み台にして玄関から廊下へと上がり込むモーリス。
 それを見て真似をしながら靴を蹴るように続くジン、そしてレン。さらに後方から護衛組の三人が走る。
 赤帽子のレンが追い付き、モーリスに言う。
「サンキュー、助かったぜ。あのまま寝るまで待ってるなんてゴメンだよなぁ」
 それを聞いてジンが長年の相棒を嗜める。
「確かにそうだけど、勝手に動くのはマズイよ。見つかったらどうするんだ」
 モーリスはジンとレンを交互に見て、しれっとした表情で応える。
「あら、レン君の方が融通が効くみたいね。ジン君は優等生タイプかしら?ニンゲンが起きてるくらい、どうって事ないでしょう?」
 ジンが少しムッとする。
「僕たちだって毎日夢珠の回収はしてるし、こういう最近の家にも侵入経験はある。ニンゲンが起きてても見つからない自信だってあるさ。それより、段取りってもんがあるんだ、先にヤルならヤルで言ってからにしてくれって話だよ」
「ふふふ、怒っちゃってカワイイ~、いいわ、教えてあげる」
 モーリスは微笑みながら、電気の消えた廊下のあちこちを指差し、次々と説明をしていった。
「通路の奥左手がリビング。今は誰もいないわ。右手の手前がトイレ、右奥にお風呂、シャワーの音が聞こえるでしょ?旦那さんが入浴中よ。今はもう子供が寝る時間だから、5歳の息子と漆原めぐみ当人は二階の子供部屋に居るわ。夜寝る前にベッドで本を読んであげるのが日課よ。この階段、上がるわよ」
 モーリスは慣れた足取りでジャンプし、階段を登り始める。
 軽快に飛び跳ね、段を登り切ると、足を止めて振り向き、全員が登りきるのを待った。
 一番に追いついたジンが確信を込めて言う。
「モーリス、君は何度かここに来てるんだね」
「そうよ、回数なんて分からないけど。この家が建てられて六年余りかしら。最近は人気出ちゃってあんまり来れないんだけど、まぁ、目を閉じてても歩けるってヤツよ」
 自信有り気に言ったモーリスに、ジンは真面目な眼を向ける。
「それは判った。頼りにするよ。でも過信は良くない」
「あ、可愛くな~い」
 続くレンは笑いながら付け足す。
「そう、可愛くないんだよ。ジンは真面目な事ばっか言うけどな、掟やぶりをするのはいっつも俺より先だから気を付けた方がいい」
「あら、そうなの?」
「レン、余計なコト!」
「本当だろうが、ニンゲンとお友達になるとか前代未聞だ」
「まさかニンゲンと接触したの!?」
「ちょっとレンってば!!」
「おかげで死にかけたしな。とんだお利口さんだよ」
「うわ~本当にぃ、意外ねぇ~」
 ジンが舌打ちするのと、護衛組の三人が階段を登りきり、追い付くのが同時だった。会話は聞き取れなかったようで、追い付いたジュン達は頭の上に各自が『?』マークを付けていた。
 モーリスは全員が揃うのを確認すると、二階の廊下の奥にあるドアを指差して言った。
「あそこが漆原めぐみの眠る寝室よ」
 護衛組の三人が頷くと、先に歩いて部屋へ向かった。
「我々が先に潜入して、隠れている邪夢が居たら排除します。ジン様達は一緒に入ってもらってかまいませんが、どうされますか?」
 戦士ジュンがそう尋ねると、モーリスが青い帽子の先を引っ張りながら言った。
「子供部屋の様子を見に行きましょうよ。多分、息子(ジュニア)とめぐみが居るわ。見たくない?」
「わかったから引っ張るなよ」
 ジンが言うと、戦士ジュンは寝室の方へと向かった。
「ではお気をつけて、後ほど寝室の方へ来て下さい。邪夢の掃除が終わったら我々はベッドの下に待機します」
 その背中にモーリスが手を振った。
 レンが廊下に並ぶドアを見上げる。寝室のドアを含めて三つ、その内の階段に一番近いドアから話し声が聞こえる。女性の、ニンゲンの声だ。
 何かの物語を読んでいるらしく、冷静な口調とリズム、時折キャラのセリフなのかとんでもなく元気な声が響いてくる。それに重なるようにして、男の子の笑い声が聞こえた。
「あそこが子供部屋?」
 レンが尋ねると、モーリスがそうよと頷いた。そして廊下の中程まで進み、真ん中の部屋の前で足を止める。
「この部屋は物置きみたいになってるんだけど、ここから屋根裏に上がれるから。上から隣に回り込みましょう」
 モーリスが言って、ドアにそっと触れた。
 頭の上からドアノブが動くカチャリと微かな音がして、さほど力を入れた様子もなく、ドアがゆっくりと開く。
「スゲーな、それ。どうやってるんだ?」
 レンが屈託もなく好奇心を込めた笑顔で尋ねる。
 モーリスは微笑して言う。
「ドアにお願いしてるだけよ。部屋に『入れて』って」
 モーリスの言葉は優しい。だがどこか、悲しい。
「それって言霊(ことだま)のチカラかい?ドアの鍵を開けたりも出来るんだね」
 ジンが関心するように言った。
「まぁ、そんなとこ。ただ、あなた達が夢珠を使って得られるのは戦闘に使うためのモノでしょう。おそらく発動に溜めが要るし、私のチカラとは少し違うから、同じ事をするのは難しいかも」
 部屋の中に入ったレン、ジン、モーリス。その目の前に広がるのは、白い犬のキャラクターグッズが所狭しと並んだコレクションの山。漆原本人が買った物もあるが、ほとんどがファンからのプレゼントだ。
「なんだ、ひょっとしてチカラが弱いのか?」
 レンが言う。
 言葉の夢珠でも、チカラのレベルが差異を産み出す。それはどんな夢珠でもある事だ。
 モーリスが返す。
「逆よ、強すぎるの」
 少し悲しげに言うモーリス。
 だがそれを聞いて好奇心を膨らませるレン。
「おお、スゲーじゃん!」
「凄くないわ」
 即答して立ち止まるモーリス。
 何かに取り憑かれたように虚ろな表情でレンを見る。
「私がレン君に『止まれ』って言って触れたらどうなると思う?」
 レンに向かって右手を差し出し、手のひらを見せる。
 白い小さな指がその繊細な容姿と裏腹に、何か得体の知れない気配を纏って、赤帽子を見つめる。
 レンは少し考え、
「そりゃ……多分、動けなく……なる?」



「じゃあ『死ね』って言ったら?」



 モーリスがレンに向かって差し出した手に、レンが圧倒的な威圧を感じて息を飲む。
 モーリスの目が冷たい。
 空気が凍るように部屋に静寂が生まれようとしていた。
 瞬間、
 二人の間に割り込んだジンが、その手を平然と掴んだ。

「そういえばまだ握手もしてなかったね。よろしくモーリス」

 ニコリと笑顔を向けたジンの両手は、小さくも温かくモーリスの右手を包んでいた。
 驚きを隠せずに両目を見開いたモーリスは、青い帽子の小人の笑顔を見て言った。
「ジン、あなたチョット変わってるわ」
 ジンは手を包んだまま言葉を返す。
「よく言われる。あんまり自覚ないんだけど」
 笑顔が苦笑いに変わる。
 モーリスと同じく驚いて固まっていたレンが笑い出した。
「……はははっ!ほらみろ!そーやって俺より先にやるんだよな」
 言うとモーリスの左手を掴んだ。
「じゃあ俺はコッチだな。よろしくな」

「ちょ、ちょっと離してよ」

 右手をジン、左手をレンに握られて、モーリスの声は上ずった。

「あなた達ヘンよ!……やめてよ!……」

 その言葉に、チカラを発動する気配はない。


「……離してよ……私の事なんて、何も知らないくせに……」


 心から思う言葉ではないのだから。


「あれ?モーリス、どうして泣いてるの?」


 なぜ一人で戦って来たのだろう。


「わかんないわよ!あなたの所為でしょ」


 なぜ同じ戦場ばかり選んで来たのだろう。


「あー、ジンがモーリス泣かした~」


 カエリタイ場所は何処だったのだろう。

「レン君、あなたもよ!」


 思わず吹き出してしまったモーリスは、自らも手を握る力を込めた。
 心から思った言葉は秘めたまま、胸の奥にしまい込んだ。
『このまま離したくない』と。

 温まった手が赤くなって、小さな紅葉のようになった時、モーリスは初めての仲間を二人も得たのだった。


 ☆ ☆ ☆


 東京北区、夢珠総合管理連合『ゆめれん』

 東京北区で行われた夢珠の回収、及びその情報が集められる機関だ。
 組織『アレックス』の一部ではあるが、組織に属さない小団体や、個人単体での回収も受け入れている。
 その情報室の中に、資料に目を通すテスの姿があった。何枚かの紙の束を紐で結び、本のように読める状態にしている資料は、個人別の回収記録だ。
「これは……まさか?」
 テスの目が鋭く光る。
 資料に記載されているのは、日時、場所、回収した数、その大きさ、誰と行動したのか。
 場所に付随される人間の情報、名前や住所、家族構成など。
 そして戦闘行動、邪夢との戦闘における討伐数やその大きさや特徴である。
 テスはその内の一枚を手に、近くに居た事務員に声をかける。
「この子の出生地とオリジナルを調べて欲しいの。すぐに解るかしら?」
 紺色のスーツを着崩した女性の小人が直ぐに応える。
「記載されているこの登録ナンバーで探してみましょう。地元の出身ならすぐ分かりますよ」
「お願い」
 その指示を受けて事務員はものの数分で資料を用意してみせた。
 分厚いファイルの中から一枚を取り出し、テスに渡す。
 それを一瞥してテスは足早に去りながら言った。
「借りるわね。後ですぐ返すわ」
 誰も居ない廊下を急ぐテスの表情がより険しくなった事を知る者は居ない。


 ☆ ☆ ☆


 屋根裏から回り込んだジン達三人は子供部屋の押入れの中に居た。わずかに開いた扉の隙間から、部屋の中を伺う。
 ベッドには短髪の男の子が布団を首元までかぶり、ウトウトとまさに今、瞳を閉じかけている。
 傍らに腰を下ろした女性は、読んでいた本を閉じながら、声の音量を下げていった。
 本は、アヒルの男の子が冒険をする内容の物語で、自然や環境問題をテーマにした奥深いものだが、アヒルのキャラクターがコミカルに活躍して、ストーリーを楽しい雰囲気にしている。また、普通の所は普通に読むのだが、感情が表れるキャラクターの台詞などは声を変えて様々に演じ分ける。登場キャラクターが増えれば増えるほど、その声は七色に彩られた。

 やがて、
 物語も後半になり、興奮も落ち着いて目を閉じた子を見て、静かに立ち上がった女性は、部屋の電気を消し、子供の本棚に手中の本を戻して部屋を後にした。
 足音が遠ざかる。
 階段を静かに降りていく。
「あれが漆原めぐみかぁー」
 声を潜めていた三人の内、レンが一番に呟いた。
「あの本読みは楽しいな。逆に内容によってはなかなか寝ないだろ」
 それを聞いてモーリスが笑みを見せる。
「まぁ、楽し過ぎると寝ないわね」
 ジンも口を開く。
「いつもなら本棚に隠れるんだけど、ここに居て正解だったね。見つかるとこだったよ」
「言ったでしょ、押入れ出ない方がいいって」
「ありがと、モーリス。もうそろそろ、出ていいかな」
 ジンは周りを警戒しながら、押入れから出る。
 子供部屋のドアは閉めておらず、広い廊下と階段の方が見える。
 廊下の電気はオレンジ色で柔らかく、子供の眠りを妨げる程ではない。
「子供部屋の方は邪夢の警戒するんだよね?」
 ジンが言うと、モーリスが答える。
「私達が寝室に行くんだから、入れ替わりであの三人の内の一人に任せればいいでしょ。旦那さんと二人で寝るんだから、寝室に二人来てくれた方がいいだろうし」
「そうだね。じゃあ僕たちも寝室に行こう」
 ジンは二人を促して子供部屋の出口へと走った。オレンジの光が三つの影を作り、小さく弾みながら子供部屋と廊下に軌跡を描いた。


 ☆ ☆ ☆



『ゆめれん』の地下2階、シークレットと書かれた部屋の扉をテスが開く。普段ならば鍵とセキュリティの掛かっている扉は、先人の手によって解除されており、容易く開く事が出来た。
 一歩、部屋に入ると、テスの目の前に広がるのはジャングルと見間違う程の樹木たちだ。
 その幹は太く、生気に満ち満ちた緑色で規則正しい列を成して遥か奥深くまで続いている。
 右も左も、奥も、遥かに際限なく広がる樹木は、頭頂部に丸い膨らみをもたげている。
 それは緩やかにカーブし、七色の優しい光を持って静かに樹木の首を傾げる。

 それは夢の光の結晶、夢珠に他ならない。

 大玉と呼ばれる光の夢珠は、回収され、この場所に運ばれる。
 そしてこの樹木に一本につき一つ、花の蕾のように蓄えられ、静かに長い年月を過ごす。
 時には数年、数十年、時を経て熟しながら、膨らみはいつしか果実か、はたまた大輪の為の蕾か、膨らみながらその瞬間を待ち続ける。
 テスは歩を進め、密林の一画で自らの主を見つけた。
「アレックス様、こちらにいらっしゃいましたか……」
「やあテス、君も見に来たのか。今夜の発表次第でジョディ氏もアカデミー女優だ。今日こそはやってくれると、何処のニュースも期待しているからな」
 アレックスは一際大きく実を太らせた、目の前の樹を振り仰ぐ。
 テスは同じように夢珠を見上げる。
「初来日の時に回収した夢珠ですね。しかし……あいにく、私は別の用件です。アレックス様」
 言いながらテスは手にしていた一枚の紙、夢防人の登録証を手渡した。
「これは?」
「あのモーリスと言う少女のものです。やはり同行させるのはまずかったかもしれません」
 アレックスはゆっくりと書類に目を通す。
「……なるほど、これは……よく気がついたね」
 書類の一点を指差し、パチンと紙を弾く。

「彼女の回収記録は同じ人間の家ばかりをローテーションしていました。それだけでなく、漆原めぐみの回収については五年前からは必ず毎日と言っていいほどの参加」

「ファンと言うには行き過ぎてるね」

「問題なのは、他の人間の時には夢珠の回収も邪夢の退治もちゃんとしています。ですが漆原めぐみの時は邪夢退治のみで、夢珠は一つも回収していません」

「……なるほど、だから気がついたのか。確かに、夢珠の回収には、その人間に多少なり接触する時があるからな」

「はい。おそらくモーリスは漆原めぐみに接触する事が出来ません。もしくは……」

「自殺志願者か」

「はい。可能性はゼロではありません」

「うーん、夢珠も報酬も要らない。会えるだけでいい……か。しかし、何度も参加して自殺するならチャンスは沢山あったわけだ。今まで何もせず、無事に帰って来ているわけだから、今日も大丈夫だと思いたいね」

「最近の漆原めぐみは【コトダマ】の人気のせいで順番も半年待ちでした。楽観視は出来ません」

「ふぅ、厳しい見解だね」

 アレックスが振り仰ぐと、頭上の夢珠が輝き出し、虹色の光を強く発し始めた。

「おや、産まれそうだ。アカデミー賞の夢が無事に叶ったな」

 夢珠は一際大きく、さらに膨らんで蕾を弾けさせた。
 それは巨大な華が花弁を惜しげも無く開くように、光を撒き散らしながら大輪の花を咲かせた。
 周囲の樹木が共に喜びを分かつように共鳴する。
 虹色の花、そしてその中心、
 蕾の中から現れたのは、金髪で青い瞳を潤ませた、一人の女の子、新しい小人の姿だった。

「おめでとう、出来れば名前を聞かせて欲しいな」
 眩しさに目がくらむアレックス。手を伸ばし、少女の小さな手を取る。
 テスが外国語を操りながら現れた少女に話かける。

「……アリシア・クリスティ……」

 少女はまだ虚ろな瞳でゆっくりと答えた。

「ようこそアリシア、まずは夢珠で言葉を覚えよう」



 ここは小人達の秘密の森。


 夢の花咲く【夢咲き森】


 ☆ ☆ ☆



 寝室に入り、護衛組の三人と合流したジン、レン、モーリス。先発として部屋の邪夢討伐を行っていた三人から、隠れていた一匹を討伐したとの報告を受ける。
 護衛組はジュンとハルオの二人をベッドの下に残し、チョウサク一人を子供部屋に向かわせた。
「よろしく頼む」
「何かあったら知らせる」
 護衛組のジュンが言うと、子供部屋を任されたチョウサクが槍を手に走って寝室を後にした。
 その背中を見送って、ジンとレン、そしてモーリスは部屋にある本棚に身を隠す事にする。下に隠れる方が見つかり難いのだが、眠るまでの監視をするためにも上からベッドが見える場所を確保したいのである。
 ジンが背中に背負っていた弓を手に取る。組織の武器屋で新しく能力を付加した新しい弓。かつて都会から来た弓の女戦士アルテアから知った要素も取り入れた。
 弓には水色に光る玉が付いている。接着されている訳ではなく、まとわりつくように弓の周りを浮遊している。この光の玉は弓の本体の形状に合わせて大きさや姿を変える。弓の場合は光の弦となり、本体が杖のように伸びると球体になって先端を飾る。そして、杖のまま光の玉から糸状に長く伸ばすと、
「釣り竿?魚でも釣るの?」
 モーリスがそれを見て真顔で聞いた。
 ジンはニコリと笑ってモーリスの手を掴む。
「こう使うんだ」
 言うとジンは片腕で釣り竿を振り、本棚の中間を目掛けて針先を打ち込む。上手く掛かったのを確認すると、光の糸を急速で縮めた。
 それは竿を握るジンと、手を繋いだモーリスの身体を空中に運ぶには充分な力と速度である。まさに一瞬で飛行した二人は本棚の中腹に着地した。
「ムチと弓の融合を目指したらこうなったんだ」
「びっ、びっくりした!」
 驚くモーリスをなだめて、ジンが微笑む。
「杖にもなるしね。あとはこの光玉が剣みたいに尖ると槍になるんじゃないかと思ったんだけど、そこまでは容量オーバーだったみたい。もっと強い夢珠が要るね」
 レンが下から声を投げ掛ける。
「おーい、俺も俺も~!」
 目をキラキラさせながら手を振っている。
 ジンは竿を振るって、レンに糸を飛ばす。
 赤帽子はその光の糸を左手で掴む。
「オッケー!」
「いくよー」
 ジンが竿を立てると勢い良くレンが釣れた。
 空中を飛んでモーリスの隣りに軽やかに着地する。
「うほーっ!!たっのっしっい!」
 レンが興奮している。
 背中に大剣を背負いながらも軽やかな身のこなしを見せるレン。彼にモーリスが問う。
「思ってたんだけど、レン君」
「レンでいいぜ」
「レンはその邪魔そうな剣は小さく出来ないの?」
「ん、無理だ」
「……即答ね」
「でも重さを自由に変えられるから、今は重くないぜ」
「いやいやいや、もしサイズを変えて小さく出来たら軽くなるでしょ。それでいいじゃない」
「違う違う違う、サイズ変更の能力だと、最初の重さが最大重量だろ。それじゃあ攻撃力ダウンだ」
「え?」
「持ち運びだけのために軽くするならサイズ変更の能力で正解だ。俺だってわかってる」
「何?重くしたいって事?」
「そう、そっちがメイン。このサイズのまま攻撃力を増すために、邪夢を斬る瞬間にドーンと重くしたいわけだ」
 呆れた顔をするモーリスが思い出したように言う。
「でも武器屋でレンも新しく武器に何かしてたじゃない。何か変わったの?見た目全然変わらないけど、店でスゲースゲー言ってたじゃない」
「ああ、アレ。聞いて驚け、なんと重量コントロールの変化時間が0.2秒も速くなったんだぜ!」

 ……
 ……
 ……


「ゴメン、よく分からないんだけど、それだけ?」
「馬鹿な!こんなスゴイ事が分からないなんて! 0.2秒って言ったら12フレームだぜ!?」
「ゴメン、その例えピンとこないから」
「技を出した後の硬直や空振りしたあとの硬直が0.2秒短縮されるんだ、それだけ俺は早く動けるようになるし、着地硬直だっていくらか軽減される時があるし」
「着地こう……何?」
「マジか!?そこから説明するか」
「いや、多分聞いても分からない気がするわ」
「例えば邪夢を上から叩っ斬るとするだろ?これが当たればいいけど避けられた時にだなぁ……」
「え、何この子めんどくさい」
「めんどくさいって言うなぁ~!」
「ジン君、あなたの友達アタマがいいのか何なのか分からないわ」
「ジンでいいよ。レンはすっごく頭いいよ。ただ自分の好きな事にだけ120%頭を使うタイプ」
「ああ~、いるいるそういう子」
「それ褒めてんのか?」

 睨むレン。一応、貶(けな)されてはいない。

 そんな三人のやり取りを護衛組のハルオが羨ましそうに見ながら呟いた。
「仲良いな。若いっていいなぁ」
 隣でジュンが吹き出した。
「ははっ、俺たちだってまだ若いし仲も良いさ。負けてないだろう」
「いや、あの女の子とは今日初めて会ったらしいけどもう打ち解けてるからさ」
「ああ、そう言えばそうかな。でも俺たちだって初めて会った時から意気投合していたじゃないか……どうした?ハルオにしてはしんみりして、悩み事か?」
「ああ、まだジュンにもチョウサクにも言ってなかったんだけど、ずっと言えなかった事があるんだ」
「何だ?言ってみろ」
「俺の名前、実はミズノ・ハルオじゃないんだ」
「!?」
「最初に自己紹介した時からそのまま今日まで来ちゃったけど、ギャグのつもりで言ったのにお前達に受け入れられてさ、何だか本当の事を言えなくなっちゃったんだ。ごめんよ。チョウサクにもあとで謝るから……」
「……それで本当の名前は?」
「ほ、本当は……」

 ハルオが意を決して何かを言おうとした時、階段を踏み上がるニンゲンの足音が響いて来た。


 ☆ ☆ ☆



 息を潜めていた。
 夜が時を経るに連れて静寂を取り戻して行く中で、部屋の住人と管理人達はいつしか無音を求めていた。
 洋室に鎮座するダブルベッドに、今夜の管理対象である人間、漆原めぐみとその夫が眠りには就いてまだ間も無い。
 寝室のドアは開け放たれたまま、部屋の電気は消され、廊下のオレンジ色の照明だけが、唯一の灯りとして寝室と子供部屋に柔らかな光を届けていた。子供が夜中に起きてしまった時の為に、残された優しさの灯りであり、ドアである。
 だが、夢防人たちにとって、ドアを開け放した状態は、管理において好ましいものではない。
 戦闘中に邪夢に逃げられたり、別の部屋から現れたり、一般家庭に巣食う害虫の類が紛れ込んだりもするからだ。
 だが、夢防人たちはドアを閉める事が出来ない。人間が意図的に動かした物、触れた物を夢防人たちは個人の都合で動かしてはならない掟がある。
 だが、長期間人間が触れていない物、自然における風や揺れによって動く可能性がある物はその掟に外する。
 人間に見つからない事、人間を恐がらせない事が優先されるべき掟だからだ。
 もしも人間の目の前で勝手に物が動いたなら、それは怪奇現象にしか見えない。そして精神的にも深い恐怖を与えられた人間は良い夢を見なくなる。

 モーリスは本棚の中、傾いた本の陰から出て、眠る人間を眺める。
 その眼差しは遠く、少し唇を噛んで、まるで片想いをする薄幸の少女だ。
 ジンが危ないよと声をかけた。身の危険ではなく、見つかる危険を考えての声だ。
 モーリスは静かな声で応えた。
「もう寝たわ。寝つきは良い方なのよ」
 視線は逸らさない。
 レンが足を投げ出して大剣にもたれ掛かり、怠惰な姿勢でモーリスの横顔を見ている。それはレンにとって見覚えのある横顔だった。

 ジンがモーリスに近寄るために一歩距離を縮める。その瞬間を悟っていたのか、止めるようにレンが服の袖を掴んだ。ぐいっと引っ張る。
 ジンが引き寄せられて驚くようにレンを見る。
 レンが言った。
「お前も昔あんな表情(かお)してたよ」
 一瞬考え、モーリスを振り返る。ジンの脳裏に憂いた横顔が張り付く。
 ジンの背中に向かって、レンはさらに言葉を続ける。
「似てるよな。ああやって遠くから見つめたり、同じニンゲンの家に通いまくるトコとか」
 そのヒントにジンが呟きを返す。
「まさか彼女も……」
「たぶんな。行く前から変な事言うから気になってたんだ。気をつけろよ」
「……何を?」
「お前は大丈夫だと思ってるだろうが、お前が特別なんだ。普通ならお前だってここに居ないんだ。もっと自覚しろ」
 レンに怒られて苦笑するジン。
 怠惰に見えながらもジンやモーリスの事を気にかけてくれている赤い小人は、立ち上がりながら微かな笛の音を聞いた。
 甲高い、鷹が天空で鳴く声に似た笛の音。
 一度目は長く、次に短く二回。
 ジン、レン、モーリスが本棚の上に横並ぶ。そこから見えるのはベッドの下で同じく立ち上がり、警戒の眼差しを放つ護衛組の二人。
 さっきの笛は、呼子笛と言う。小人達がよく使う連絡手段だ。
 鳴らし方で事態を知らせ、時には応援を呼ぶ。
「何だ?」
 レンが呟き、ジンは声を投げた。
「どーしたんですかー?」
 二人の護衛戦士は本棚を振り向く。
「チョウサクからの合図です!向こうの部屋で何か起きたようです!」
 ジュンが応えた。
 護衛戦士は何やら話した後、お互いに頷くと、ハルオが寝室のドア、入口に向かって走り出した。
「邪夢ですかー?」
 ジンの声だ。
「邪夢の事なら合図が違います!何か予定外の事態だと思われます!」
 ジュンの回答にモーリスが言う。
「ジュンさんも行って下さい!ここは私たちに任せて!」
「申し訳ない!お任せします!」
 ジュンはすぐに駆け出す。
 今回の責任者としても、護衛組のリーダーとしても、全力で駆け出さずにはいられなかった。


 ☆


 夕暮れの空に似たダウンライトのオレンジは眼を凝らすまでもなく優しい色で長いフローリングの廊下と二つの影を照らす。
 寝室を出たジュンが見たのは廊下の半ばまで先を行くハルオの後姿だった。決死の足取りで足を回転させ、子供部屋へと急ぐ。
 ジュンは自分も後を追っている事を告げ無かった。それは余計な叫びが廊下にこだまするのを避けた為だ。ニンゲンが起きている事を想定すると不用意に叫ぶ訳にもいかない。

 先を行くハルオは子供部屋にたどり着き、その開け放したままのドアを潜る。
 薄暗い部屋の中、ベッドにはニンゲンの子供が寝顔を見せている。
 どうやらこの子供は非常事態の原因ではないらしい。
 そして次に、ベッドの側に横たわるチョウサクの姿を発見する。
 うつ伏せになり無造作に肢体を伸ばすその身体に、急いで駆け寄るハルオ。
 思わず駆け寄ってしまったと言っていい。
 本来ならば現状確認をしてリーダーに報告するのが最優先であり、駆け寄る行為自体も安全を確認した上で許可を取るべきだった。
 だが、些細な事から心を乱していたハルオは、高まった仲間意識から冷静な判断を失っていたのだろう。チョウサクに駆け寄り、両ヒザを付いて右手に持っていた武器、鉄扇を傍らに置いた。空いた両腕でチョウサクの身体を揺り起こそうとした刹那、衝撃と共に視界が歪む。
 チョウサクの身体に倒れ込みながら、それが邪夢の攻撃などではなく、何か重い鈍器で頭部を殴られたのだと思い知る。
「……」
 声が出ない。
 不覚を取られた。その想いも虚しさも悔しさも、頭部の痛みさえも言葉にならない。
「……!?」
 いや、呻き声さえも目の前で、いや喉から掻き消されたように音にすらならない。
 そこまでのダメージを受けたのか?と、ハルオは一瞬絶望した。いや、これは異常だ。身体がそう言っている。
 ハルオの声は地底に住む悪魔にでも奪われたように一音にもならず、口をパクパクと動かしながら息だけが漏れる、不可解な現象を起こしていた。

「ちょっと【黙】ってろよ。そっちのお仲間さんは【眠】ってもらってるだけだ。安心しな」

 誰か男の声が聞こえた。ハルオの視界に足が映る。
 同じ小人の足が四つ。膝まであるブーツに小さな鉄板を幾つも張り巡らせ、防御を上げている。それは戦士としての装備に違いない。
 ハルオは痛む頭で理解した。
 同族の小人の戦士、部外者が侵入し、チョウサクはそれを知らせたのだと。
 だが気付いた頃には遅い。
 指先の感覚が僅かにあるが、今動くのは得策ではないと判断する。
 何より、リーダーに知らせなければならない。寝室の赤帽子達にも、緊急事態だ。
 だが、肝心の声が出ない。

(そうか、だからチョウサクは笛を……)

 チョウサクも同じように声が出なくなったのだ、とハルオは直感した。すぐにこの事態を知らせるならば笛を使うより叫んだ方が早い。だが先に声を奪われてしまった。

(確かに……笛ならば吹く事は出来る)

 そして、眠らされた。

 ハルオは次第に身体の感覚と頭部の激痛を取り戻しながら、未だに動けないフリを続け、思考する。
 おそらくこの侵入者は夢珠を横取りするつもりなのだ、と。
 どこの組織なのか、野良チームなのかは不明だが、こういう乱暴な輩は存在する。
 それがレアな夢珠を産む人間の家ならば、尚更その危険も増すだろう。
 チョウサクを眠らせた後ですぐ近く、ベッドの陰か上に隠れて、呼び寄せた仲間である自分を待ち伏せていたのだ。ハルオは静かに憤怒した。
 頭部の痛みが酷く、首の根元まで重く感じる。ベッドの上から飛び降り様に一撃を浴びたのだと判断する。
 そこまで逡巡の判断と思考を取り戻し、次の一手を思考するハルオの耳に、聞きなれた仲間の声が届いた。

「誰だお前達は!!二人とも何処のチームか名乗れ!!チョウサク!ハルオ!意識はあるか!?」

 子供部屋の入口に立って叫んだのはジュンだ。
 その声は冷静に裏打ちされた叫びだ。部屋の状況を寝室まで聞こえるように叫んでいる。
「あらら、もう一人居たよ。もう少し隠れておくべきだったかな」
 侵入者の一人が言った。灰色の髪を怒髪天のように逆立たせ、黒い鎧を身に纏う。背は高く筋肉も鍛えられており、その太い腕に似つかわしくない腰の短剣が金色に輝いている。
 その隣には同じくらい長身の赤銅色の鎧戦士が無言で立つ。こちらは灰髪の男よりもやや細身だが、顔を全て兜と仮面で覆い、表情は見て取れない。その無言と、持つ剣のやたらとギザギザした刃の凶々しさが不気味なオーラを放っていた。

 ハルオは何故ここにジュンが来たのか分からなかったが、自分の意識があって動ける事を伝えるため、寝ながら右手を僅かに上げた。
 それを確認してジュンが叫ぶ。

「ちくしょう10日ぶりの仕事だってのに問題起こしやがって!今行くからジッとしていろ!」

 それを聞いてハルオが微かに緊張する。

(オーケー、10秒後に反撃する)

 ジュンが叫んだのは裏の意味を含めた指示だ。
 10日というのは10秒という時間を示し、ジッとしていろとは逆指示で反撃となる。
 10秒数えたら同時に二人で動くという意味だった。


 長い10秒が始まった。
 ジュンは腰の剣に手を掛け、部屋の中へと歩を進ませる。
 目標である灰髪の男と赤銅色の鎧戦士に向かって。

 ……2……3


 正面に灰髪、左に鎧戦士。二人の間に出来た隙間からチョウサクとハルオの姿が見える。
 数歩前に近付いた後、右に急転進する。

 ……5……6


 駆ける。灰髪と鎧戦士を縦一列に並べるためだ。鎧戦士からは灰髪が邪魔になり攻撃し辛くなる。
 ジュンの目標は灰髪の男に絞られ、その間合いを詰める。
 灰髪の男が言った。
「ちょっと、仲良くさせてくれませんかねっ……!?」
 不敵とも取れる余裕がある笑みを見せながら、腰の短剣に手を掛ける。
 その目はギラギラと開かれ、疾駆する白い戦装束を捉えた。
 ジュンは大声で応えながら床を蹴って跳躍した。
「ここに入り込んだ事が既に成敗されるに値する!」
 抜剣するや両手で握りしめ、灰髪の男の首元を目掛けて振り下ろす。
 同時に動くハルオの右腕が、床に閉じていた鉄扇を拾い上げながら灰髪の足をめがけて振り上げられた。
 刹那に斬撃が重なり合い、二つの金属音が耳を突く。
 その攻撃が描いた理想ならば、ジュンの刃と灰髪の刃が結び合い、鉄扇により灰髪の左足を打ち据えていた筈だった。
 だがジュンの剣は首元の寸前で、背後から滑り込むように差し出された赤銅鎧の凶剣に食い止められ、鉄扇の一撃は灰髪の短剣により受け止められていた。
「くぅ!!」
 ジュンがバランスを崩しながら床に着地する。思わず口惜しいセリフを吐きそうになりながら。
 凶剣は切っ先でありながらも強靱な反発力でジュンの一撃を跳ね返したのだ。その全体重を跳ね返した力も、背後から正確に首の真横を通した技も驚愕の一言だ。
 灰髪の男は見開いた眼をジュンから一度もそらさなかった。
 斬られるその刃を無視して、ジュンを見つめ、心眼のような神業でハルオの攻撃を防いでいた。しかも左腕一つ、逆手に引き抜いた短剣で。
「!?」
 ハルオが驚いて声を出そうとしたが無言に阻まれた。
「そんな馬鹿なってか?随分と舐められたもんだな」
 灰髪の男が左腕に力を込める。鉄扇はその重さにより敵を打ち据え、骨をも砕く。だがその重さを物ともせずに弾き飛ばしてみせた。
 空中に舞う鉄扇が開き、扇状になりながら床に落ちる頃、灰髪の持つ短剣はその姿を変え、ロングソードと呼ばれるほどに大きく変化した。
 体勢を崩したジュンの身体を蹴り飛ばしながら、
「同族を斬るのは心が傷む」
 灰髪の男は言った。
 その言葉に背中が凍るジュンとハルオ。
 ハルオが身体を起こし、振り向きながら手を伸ばした。
「だが先に殺されそうになったのはこちらの方だ。悪く思わんでくれ」
「逃げろ!ハル……!!」
 立ち上がりながらのジュンの叫びが予期していた光景を彩る。
 振り上げ、振り下ろされる黄金色のロングソード。
 抵抗を示すハルオの左腕、
 そして眠る仲間を守るために広げられたハルオの右腕。
 袈裟掛けに振り下ろされた黄金の剣は、赤く染めた手の平を紅葉のように舞い散らして床に揺れ落とした。
 崩れるハルオの身体が光を放つ、儚く散る夢の光は、収束してから空中に弾け飛んだ。
 脱力するように両膝を突くジュン。
 この瞬間、部屋で最も幸せだったのは、眠りについたままのチョウサクと、ベッドの中の子供だけだったのかもしれない。
 床に転がる小さなもみじは、時を置いて光となり、散る運命なのだから。

凶戦士

  ☆ 凶戦士 ☆

 寝室に射す照明が、間接的に部屋の内部を照らしている。その光は小人達が隠れている本棚にも届いているが、傾いた書物の影に遮られ、その中の赤い帽子も青い帽子も、黄色い服も視界に映る事はない。
 子供部屋の異変からわずかに時が過ぎた。
 ジュンの叫びは寝室の三人に届いており、「侵入者が二人?」「護衛組の二人がやられた?」という憶測の域ではあるが、現状を把握する事が出来た。
 ジンとレンの二人だけだったなら、「同族の妨害」という不測の事態に予測も理解も及ばなかっただろう。だがモーリスの都会での、いや漆原家での経験が、情報を正確に咀嚼するに足る知識だった。
 モーリスが呟いた。
「静かになったわね。大丈夫かしら」
 レンがニヤついた笑みで続く。
「力尽くで奪いに来るような輩だろ?それなりに腕に自信があるからそんな事が出来るんだよな。ははっ」
「楽しそうね?」
 モーリスの呆れた声にジンが答える。
「レンはそういう輩をからかうのが大好きなんだよねー。いじめっ子とか笑顔で蹴り飛ばすし」
「そんなダサい奴らにペコペコする必要ないだろ。正義がこちらにあるなら強気で攻めないとな」
 レンが鼻息を鳴らす。
 ジンは少し頭をひねる。
「イジメっ子に正論で責めると必ず逆上するけど、それを愉しむのは趣味になるのか?」
「相手が自分より強かったらとは考えないの?」
 モーリスが問う。
「それはソレで楽しみが増えるだけだな」
 レンの答え。
 そしてジンの答え。
「ただのバトルマニアだよね」
「静かに、こっちに来るわ」
 モーリスが静寂を促した。
 ゆっくりとした足音が、寝室に近づいて来る。同族の足音だが、複数に渡って鎧や具足の金属音を混ざり合わせている。
 それを聞いてレンが言った。
「やられたっぽいな」
 レンの表情が真剣なものに変わる。
 ジンが頷く。
「ジュンさんやハルオさんだったら走って来るよね」
 モーリスも無言で同意し、頷きを返す。
「敵に【コトダマ】の能力者が居るかもしれないよ」
 ジンの心配にモーリスが口を開いた。
「その時は任せて」
 レンとジンが頷く。
 大剣を握りしめながら、レンが立ち上がって言った。
「俺が隙を作る。ジンはここに隠れて援護な。モーリスはコトダマ使いが居るかどうか分かるまで待機。様子を見て、居たらそいつを頼む。居ないなら援護に回ってくれ」
「了解……来たわよ」
 モーリスが隠れながら告げた。

 寝室に現れたのは四人。先頭を歩くのは頭に両手を上げたままのジュン。
 そして灰髪の男がジュンの背中を長剣で小突きながら歩き、その後ろを赤銅鎧がチョウサクの襟首を掴んで引きずりながら歩く。
 ジュンの足取りは重い。
 連戦をしたばかりのように脱力し、背筋も緩んで居た。だが、気力が尽きた訳ではない。むしろ憤怒していた。ハルオを斬られ、その怒りが身体を溶岩のように燃え滾(たぎ)らせている。しかし、一対二の不利と、眠ったままのチョウサクを盾にされては、灰髪の男の言う事を聞く他に無かった。
 そして、寝室の客人達に助力を願うつもりはなかった。
 護衛を任された身であり、守るべき存在だ。それに敵の実力を見れば、客人達には逃げてもらうのが最良だと思える。何とか隙を作り、レン達を逃した後、この身を賭して打って出る。刺し違える覚悟であったが、気掛かりなのは未だに眠ったままのチョウサクの身だ。
 何とか客人達と共に逃げて貰いたいと思案する。寝室までの道程を敢えてダラダラと歩き、僅かながらの時間稼ぎをする。だがジュンもハルオを失った直後でいつもの冷静な判断が鈍っていたのだろう。良い策も浮かばないまま寝室に辿り着いてしまった。
 ジュンが苦悩の表情を上げる。
 視界にはベッドで眠る人間、そして本棚から一直線に駆けてくる赤い帽子の小人の姿。
「ジュンさぁーん!おかえりなさーい!」
 満面の笑みで手を振りながら走るレンは、どことなくキラキラした瞳をしていた。

 屈託無い笑顔を振りまきながら駆けてくる赤い帽子の小人を、灰髪の男は声を張り上げて呼び止めた。
「おい、お前!そこで止まれ!」
 警戒心が強い表れだろう、不用意に近付けないように静止を告げる。
 だがそれを無視してレンは走り続け、ジュンの目の前まで走り寄る。
「ジュンさん!待ってましたよ!そちらの方はお友達ですか!?」
 ニッコリと笑うレンに、驚いて固まるジュン。そして即座に長剣を向ける灰髪の男。
 突き付けられていた剣が、ジュンの背中からレンの首筋に変わったが、変わらぬ気迫をまとったままで灰髪の視線がレンに向けられる。
「止まれって言ったのが分からないのか?」
 レンが後ろを振り返る。
「お前だよ!お前しかいないだろ!」
 レンが眉根を寄せて、少し困ったカオをする。
「えーと、お友達さんですよね?」
 ジュンが頭に手を上げたまま、首を左右に振る。
「えーと……恐いお友達さんですか?」
「お前ナメてんな?それとも本気でバカなのか?よく状況見ろよオイ」
 灰髪が長剣の先でレンを小突く。
 レンは引きつり笑いを浮かべて言う。
「恐いカンジのお友達ですね」
 灰髪がそれにノッて来る。
「おおー、そうだ。恐いお友達だ。かなり恐いから、俺の剣のサビになりたくなかったら言う事を聞いとけ」
「ええっ、全然友達じゃないじゃないですかっ!昨日街に来たばかりなのに何で斬られなきゃいけないのさっ」
 慣れ親しんだ者なら即座に見抜ける程の無理のあるセリフ回しだが、初対面の相手なので当然のようにぶつけていく。
「そうか、お前イナカモンか。道理でイモ臭いと思ったぜ、って嗅ぐな!臭いを嗅ぐな!」
「どんなニオイなんですか?」
「真面目かお前は!もういいから持ってる武器を渡せ」
「……え?」
「背中の剣をよこせ」
「……コレをですか?」
「そうだよ!」
「大丈夫ですか?」
「何がだ!早くしろ!ちゃんと小さくしてからこっちに投げろ」
 ちょっと困った表情を向けるレン。
「小さく出来ないんですけど」
「はぁ!?マジでバカだな!そんなもん担(かつ)いで歩いてんのか?イナカモン丸出しか!大きい武器は小さくして持ち運ぶのは基本だろうが!」
「へー、そうなんだー」
「納得してないで早く渡せ!」
「あ、はい。どうぞ」

 ゴトトッ

「ぐわっ!!」
「重いから気をつけてネ」

 灰髪の正面に投げつけるように渡されたレンの大剣は、レンの指先から離れる直前に最大限の重さに変化する。
 人間サイズならば冷蔵庫を突然投げつけられた恐怖に値する。
 灰髪はそうとも知らずに左腕一本で受け取ろうとして、支え切れずにバランスを崩し仰け反り帰る。
 直前までレンはそこまで重量を感じさせない仕草で扱っていた上に、武器を重くできるようにしている小人など皆無に近い。灰髪は完全に策にハマっていた。
 レンが笑う。
「大丈夫かって聞いたろ!」
「こんのヤロウ!」
 灰髪が叫ぶ。そのよろけた背中を赤銅鎧の戦士が剣を持つ手で支える。左腕にはチョウサクを掴んでいるので、必然的に両腕は塞がる。
 それを見た瞬間、レンは鎧の戦士に向かって飛び蹴りを見舞う。
「あらよっ……と!!」
 素早いレンの跳躍は戦士の左肩を捕らえる寸前で食い止められる。戦士の左腕がレンの足を弾いた瞬間、チョウサクは床に転がって頭を痛打していた。
「……っ!?」
 チョウサクが言葉にならない声を発して唇を動かした。そして目を開け、驚いた両目を見開く。ジュンを見つけ、次に部屋を見回す。
 その一瞬でジュンは活力を取り戻す。
 今まで客人だからと頼るつもりのなかった自分に対して、思わず反省をしてしまう余裕さえ産まれた。
 ジュンは頭に上げていた両手を使い、チョウサクの身体を抱き起こした。
 それは自分の身体を盾にするように仲間を抱きしめる姿だった。
「イナカモンは俺が斬る!コマ切れにして犬に食わしてやる!」
 灰髪が顔を紅潮させて長剣を構えた。床に転がるレンの大剣を踏みつけ、金色の長剣の切っ先で赤い帽子を苦々しく差し示す。
「やれるもんならやってみろい!」
 レンが目をキラキラさせて手招きして見せた。

 激昂を持って空気をなぎ払う剣、黄金の刀身は黒い光をまとい、三日月を描きながら赤帽子に襲いかかる。
 レンは向けられた殺気をいなしながら軽やかにバク転を披露し、一振り、ふた振りと灰髪の剣士に油を注ぎ足す。
 少しオーバーアクションではあるが、神経を逆なでするのが目的で、息を呑む攻防を探求している訳ではない。
 レンは距離を取った後、身体を正面に、足を肩幅に、掌をパンと小気味よく音をさせて合掌する。その手をゆっくりと広げる、右を突き出し、左を後ろに。鳥の片翼のように広げながら映画のアクションスターのようなキメ顔。
「どうした、剣が泣いてるぜ」
 嘲笑を混ぜるレン。
 武器が無いから実は防戦一方だが、余裕がある笑みでゴマかす。
 灰髪が剣を構え直しながら言う。それはチカラのある言葉を含む。
「このチョロチョロと……【縛(ばく)】」
 長剣が黒く光る。剣の刃から黒い輝きが生命を宿したように動き始めた。闇色の光は炎のゆらぎのごとく見る間に大きくなり、剣先に集まりながら形を成していく。それは【縛】という文字。
 灰髪の剣が【縛】の字体に触れると、文字は黒炎を刃に絡ませる。黒蛇がうねり螺旋を描いて渦巻くと、黄金の長剣は振るわれた。
 距離を取っていたはずのレンに向かって螺旋が伸びる。
 シュルシュルと蛇の声にも似た風切り音が空間を突いて走り、躱そうと横飛びしたレンの右腕を素早く捕らえた。
 革のベルトにでも巻かれたように、硬い質感がレンの右腕をからめ取り締め付ける。
 レンが小さく舌打つ。
 歓喜の声を上げるのは灰髪。
「捕まえたぞ!!」
 長剣を引き付ける。そこから伸びた触手がレンの体を揺さぶる。着地したレンが対抗心を露わに右腕を引き、その場に踏み止まって堪えると張り詰めた触手は軋んだ音を空気に返した。
 赤銅の鎧戦士は動かない。傍に居るジュンやチョウサクにも手を出さず、凶剣を携えて、ジっとレンと灰髪の戦いを眺めているようだ。
 灰髪はレンを引き寄せようと剣に力を込める。
「さあ、どこから切り刻んでやろうか!?そうだ、そっちのお仲間と一緒がいいか?」
 灰髪の声に反応して、鎧戦士が動く。それまで不気味に起立していた身体を反転させ、ジュンとチョウサクに向き直る。右手の凶剣をゆっくりと振り上げるとジュンの背中を目掛けて……
「そうは行くかよ!」
 レンが叫んだ。
 その声に呼応すると同時に空間を滑る青い光。
 細く、鋭く、空気を切り裂いて光の軌跡は描かれる。

 レンを縛る触手に一撃を、
 灰髪の足に一撃を、
 鎧戦士の腕に一撃を、

 青い光を放ち、輝矢(せんこう)は深く突き刺さる。

「何だと!?」
 灰髪が自分の右足に見舞われた一撃を目視して方向を割り出す。視線を走らせる先にあるのは本棚とその中腹から大弓を構える青いトンガリ帽子の姿。
 忌々しくも赤い帽子と似た服装に、イナカモノの増殖と認識する他ない。
「仲間がまだ居たのか!」
 灰髪の苦い声を待たず、青い閃光はさらに加速する。
 空間を走り、触手に突き刺さる一撃と同じ箇所へ寸分違わずに、二本、三本……加算される矢は触手を貫き、さらに烈断させた。
 自由を取り戻すレン、灰髪がバランスを崩して膝をつく。その刹那に灰髪の肩、腕の鎧部分に刺さる閃光。

 そして鎧戦士の右腕に突き刺さる一撃にも追加の閃光は走る。
 鎧戦士はそれを空中で切り払って見せた。空中で砕かれる光矢。欠片たちが降り注ぎ、鎧戦士にまとわりつく。
 鎧戦士は右腕に刺さった矢を引き抜こうと矢を掴む、と、これもまた途中でポキリと折れ、粉々に破片が舞う。
 舞い散る青い光、それらは鎧戦士を暗い部屋の中で一番目立つ存在へと変えて見せた。

「マーキング完了」

 ジンの呟きは灰髪達には聞こえない。

 そしてその矢の雨が侵入者達の目を奪う中、闇に紛れて走る影。この部屋の誰よりも詳しくここを知る少女は、目を瞑ってても歩けると豪語する以上に、暗闇を自在に疾走して行った。


 ☆



 自由を取り戻したレンは床に転がる自分の剣に走り寄る。灰髪がすぐ近くに膝を折って苦い顔をしていたが、レンは気にしない。
 灰髪が自分の肩当てに刺さった光の矢を掴むと、矢は脆く折れて破片が舞う。その破片は灰髪の肩当てから右胸にかけて付着し、青く輝く。
 右足に刺さった矢も引き抜こうとするが、同様に右足を青く輝かせる結果になる。
「何だこれは、痛くもかゆくもないが目障りだな」
 右足に突き刺さる矢は幾らかのダメージはあるだろうが、灰髪にとっては意に介さない程の事なのだろう。それとも強がりで言っているのか、まあいいこれからさ、と呟きながらレンは床の大剣に触れて重さをキャンセルする。
 灰髪が長剣を振り上げながら向かって来ている。長剣の間合いならば数歩動くだけで切っ先が届く。先程の文字による束縛の力は消え失せ、今は長剣そのものになっているが鋭い斬撃は変わらずの脅威だ。
 レンは大剣の柄を右手で掴み、軽やかな動作で振り上げて灰髪の剣を弾いて流す。
 灰髪が眉を寄せる。
「どんな手品だ?それとも見た目より怪力(モンスター)って言わないよなぁ」
 レンが返す。
「教えてあげない。手品のタネがわかったらつまんないだろ」
 両手で大剣を握り直して正面に構える。
 灰髪は剣を持ち替え、右腕に生えたままの光の矢を長剣で叩き折ると、青く輝く右腕を真っ直ぐにレンに突き出した。
「お前から始末する。後ろの仲間をこっちに呼ぶなら今のうちだぞ」
 灰髪の背後に赤銅鎧が近付く。ゆっくりとした動作だが、凶剣はレンに向けられた。
 2対2には違いないが、前衛と後衛に別れているレン達にとっては戦力は分散されており、前衛だけを見るならば2対1には違いない。
 ジュンとチョウサクが立ち上がり、赤銅鎧の戦士から距離を取ろうと僅かに下がるのが見える。ジュン達の武器は無く、今は子供部屋に置き去りのままだった。それに口をパクパクと二人で動かし、声が出ない事をアピールしている。すぐに走り去らないのは、戦士として加勢したいという思いが、足を鈍くさせていたからだ。
 レンはジュンとチョウサクに対して頷きを返す。ここは任せろと笑む。
「余裕のようだな、いつまでもつのか楽しみだ」
 その笑みを見て灰髪が長剣に力を込めた。その黄金剣を床に突き立てる。
 赤銅鎧が灰髪の背後に立ち、右腕に持った凶剣をレンに突き出した。


 ギィィ……


 赤銅鎧の正中線、頭の上から股関節に一本の黒い光が走る。
 その光は禍々しく、軋みながら赤銅鎧を開胸させた。
 頭部が真っ二つに開き、胴鎧も大きく前を展開する。
 中は空洞に、だが闇色の渦が巻き、何処までも底の無い沼に似た澱みを見せる。
 腕と足が二つに開いて灰髪の腕を、足を、鎧は身体を包み込む。
 全身が闇色に光る。そしてジンの施した青いマーキングの光がその闇とせめぎ合い、明滅する。
 灰髪は全身に赤銅鎧を身に纏い、兜の中から眼光をレンに向けた。

「さあ、始めよう」

 右腕に凶剣を、左腕で黄金剣を引き抜き、双剣を構える。
 長身の身体に鎧を覆い、さらに大きくその身を変貌させた凶戦士は暗闇の中で明滅しながら静かにレンに斬りかかった。
 左右の剣は重厚に、流麗に乱舞しながら繰り返し斬撃を放つ。
 レンは大剣で交互にそれを受け流すが、重さをゼロにしても剣の大きさが変わるわけではない、二刀による高速の斬撃の回転に、追いつく事は出来ても上回る事が出来ない。レンは徐々に防戦に追い込まれて行った。

「レン!離れて!」

 本棚からジンが叫んだ。
 弓で援護するにはレンの背中が邪魔になる。凶戦士がそうなるように位置取りして攻めているのだから仕方ない。

「む、ちゃ、い、う、な、よ!」

 レンが斬撃を受けながら叫ぶ。
 と、ジンが矢を放ちながら言った。

「じゃあ当たったらごめん」

 シュッ

 ガキィン!

「こらぁ!」
「ほう、良い腕だ」

 青い矢がレンの右肩を掠(かす)め、凶戦士の左胸に直撃する。
「あの位置から心の臓を狙うか、面白い」
 凶戦士が兜の下で笑んだ。
 矢の威力が鎧の強度を上回っていれば大ダメージだが、鎧の最も分厚い部分でもある。肩や腕には刺さっても、僅かに胸板の防御力が勝った。

「……て事は、鎧の隙間を狙うしかないな」

 ジンが言う。
 もしもレンに当たったら……と、威力を弱めた訳ではなく、鎧の強度を確認する為に放った一矢だ。
 そこに迷いはない。


 ジンは大弓を構え直す。マーキング・アローとは違い、威力を重視して放つ攻撃的な弓矢だ。マーキング・アローは命中のみを重視し、当たってから対象を光らせるのが目的だが、今、構える弓矢はより太く、長い。
 いつか見た都会の弓戦士アルテアとジンの弓矢の違い、その威力の差に探求した答えはこれだ。
 射る前に、矢をつがえる時に何を意識しているのか。
 今までのジンは速さと正確性を意識して来た。それはレンの援護をする上で必要な技術(スキル)だった。
 だが、正確な連射を繰り返す内に、矢の威力は落ちてしまっていたのだ。
 この青い輝きは貫けと念じながら、ジンの渾身を込めて引き絞られている。連射性能は落ちるが溜めて打つ、威力は数倍だ。

 双剣の猛攻を大剣で受け続けるレン。その赤帽子が揺れる。対する戦士の武器が一本の剣ならばレンの優勢は揺るぎないものだったろう。
 レンの持つ、重さを自由に変えられる剣は、受ける者からすれば厄介な事この上ない。
 速度はレイピアに匹敵する素早さと、受けるには厳しい重厚なハンマーを同時に相手し、そのどちらであるかの判断はレンの思いのままなのだ。
 もしも一刀でレンと戦ったならば、先に武器が耐えきれず、破壊されるだろう。
 だが凶戦士は二刀を構えた。
 連続で攻撃をし続ける事で、レンの攻撃を押さえ込んでいる。
 そしてジンの弓矢に対する防御として、全身鎧がある。
 このままレンが攻撃に転じる事が出来ないのであれば、ジンの弓で鎧を貫くしかない。たが来ると分かっている攻撃に当たってくれる程、凶戦士も愚かではないのだ、ジンは矢をつがえたまま、放たれる時を待つしかなかった。


 暗闇を駆ける少女・モーリスは本棚からベッドの下を大きく回り込み、凶戦士の背後、さらに死角を取る。
 両手には何も持たない。空手のまま戦場へと赴いた。視線の先に護衛組のジュンとチョウサクが見える。手近にあった紙ゴミと糸くずを丸めて投げる。チョウサクが気付いて声を上げたように見えた。
 無音の叫びは戦いの中の戦士達には気取られる事はなく、足音を消してややゆっくりと駆けるジュンとチョウサクはモーリスと合流を果たす。
 ベッドの足の陰に隠れる三人。
 モーリスがジュンとチョウサクの首に同時に触れる。
「話して。もう大丈夫よ」
 それは力を込めた言葉だ。
 ジュンとチョウサクの二人が顔を見合わせる。何をされたのか理解していないまま、
「大丈夫か?って、アレ!? 声が!」
 と、ジュン。
「あ、あああ、本当だ!どうして?」
 と、チョウサク。
「静かに。奴に気付かれるわ」
 モーリスがすぐに注意する。二人は喜びと共に冷静でいなくてはならないと悟ってすぐに警戒する。
「すまない、俺の不注意でこんな事に……」
 チョウサクが肩を落とした。言葉を続ける。
「……奴ら突然現れたんだ。何も無い所からいきなり居て、おそらくは禁制の【透明になる術】か何かを使っていたんだと思う。殴られて、気付いたら声が出なくて……」
 チョウサクが少し口早に話す。
 小人達にとって、夢珠は使い方によってはあらゆる事が万能に叶うと言っても過言ではない。
 だがそこには小人同士のモラルがあり、制約がある。例えば、お互いに存在が見えなくなる【透明化】や人間にも直接被害をもたらす【毒】や【爆発】、それらは禁制(タブー)として夢珠の利用はもちろん、実際に作る事も禁止されている。
 だが、それらは実際に管理されているのは組織に属するものだけである。近年拡大する独自の集団【チーム】と呼ばれる者たちの中には、モラルが欠落した者が存在してしまっていた。自由という意識は、お互いの守るべき秩序すらも崩壊させたのだ。
 チームに属し、自由を尊ぶ一部の小人達は、自由に夢珠を搾取し、使用し、作り上げ、自らを過剰に強くし、さらに闇の副作用に溺れていった。
 管理されない自由は、自分を守れない危うさと隣り合わせだと気付いても、今だに増加の一途を辿っている。

 モーリスはチョウサクを励ましながら緑色の髪を後ろでまとめ、糸で結び上げる。少女のくるりと丸い瞳には熱のある光が宿る。目つきが鋭く変わり、姿も心も戦闘モードへと移行していく。
「チョウサクさん、起きてしまった事は変えられないし、今はまだやれる事があるわ。レンもジンも凄く強いし、頑張ってる。私も今から援護に入るわ。下を向かないで、前見てブワァーって行きましょ」
 ジュンがチョウサクの隣で頷いて言う。
「チョウ、お前が必死に知らせてくれたから今があるんだ。本当なら俺もどうなっていたか。俺たちの武器はまだ子供部屋にある、取りに行って俺たちも戦おう」
 ジュンの手がチョウサクの肩を優しく叩く。その言葉にチョウサクが頷く。モーリスは彼らを見て安堵し、ベッドの陰から飛び出した。
「本気で行くわよ。【疾風】!!」
 モーリスは言葉と同時に自らの両足を叩く。その動きは加速し、一陣の風のごとく凶戦士に向かって駆けた。
 モーリスの小さな両手の指先が黄色い光を放つ。それをクルリと回し、円を描くと光るリングが二つ発生する。リングは即座に物質化して硬度のある武器・リングブレードへと変わる。一箇所が持ち手になり残りの円部分は鋭い刃だ。
 モーリスは両手に光るリングを握りしめ、床を蹴って跳躍した。


 ジュンとチョウサクが走り、部屋から出る。長い廊下を駆けながら、チョウサクが言った。
「驚いたな。あの三人、実は俺たちより強いんじゃないか?」
 ジュンが答える。
「そうだな。まさに予想外だったよ」
「ハルオはどうしたんだ?」
 チョウサクの質問に、言葉を詰まらせるジュン。
「……すまない、ハルオは……あの男に斬られて……助けられなかった」
「そんなまさか!?ハルオが!?敵を一人やっつけて……勝ってたんじゃないのか!?」
 チョウサクが驚いて立ち止まる。
 ジュンも立ち止まり、チョウサクを振り返る。
「何?……どういう事だ?」
 チョウサクはショックからか動揺して、顔を引きつらせて言う。
「奴らが現れた時、三人居たんだ。灰色の髪の男と、全身鎧、そして朱(あか)い髪の女」
「何だとっ、本当か!」
「ああ、さっき鎧のヤツと灰色の髪が合体してたから三人があと一人になって、……みんな強いし、だから女はもう最初にやっつけたのかと……」
 頭を抱えるチョウサクにジュンが思考して言う。
「女があと一人……何処かに隠れてるのか?なぜ出てこない……急ごう、部屋はすぐそこだ。武器を持ってすぐに戻ろう!」
「あ、ああ……そ、そうだな」
 ジュンとチョウサクは残りの廊下を急いだ。



 容赦の無い双剣の斬撃を、ジリジリと後退しながら大剣で受けるレン。わずかな時間にもう二十合、いや四十合程も打ち合ったであろうか、息は上がり額に汗がにじんでいる。
「どうした!さっきまでの元気はどこへ行った?」
 凶戦士の嘲笑が浴びせられ、その黄金の長剣からムラサキ色の光帯が立ち上り始める。【コトダマ】を発動する力の漲(みなぎ)りだ。
「燃えてみるか!刻んでやろうか!」
「アレか!やばぃっ」
 引きつるレンの視界の端に黄色い影。
「それは【無し】よ!」
 背後から斬りかかるのはモーリスのリングブレード。両手の二枚刃が凶戦士の鎧を傷つける。
 体躯の違いからか、さほどの衝撃は無かったが、その斬撃は鎧にしっかりと爪跡を残した。さらに、
「なに!?力が消える!」
 凶戦士の長剣から揺れる紫光が霧散していくではないか。
 力が集中しつつあった文字は跡形も無い。黄金の長剣は元の静けさを保って凶戦士の手に道具としての重さを残していた。
 モーリスは着地と同時に後方に跳び、距離を取ってリングブレードを構える。
 凶戦士が忌々しく怒りを伴なって黄色い服の少女を振り向いた。
「何だこの女ぁ?今何をしやがった?」
 右腕の剣先をレンに、左腕の剣先をモーリスに。
 レンは少し距離を取り、やっと訪れた休息を使って深く呼吸を繰り返す。
 モーリスは答えない。
「あら、私なんかに気を取られていいの?」
 それよりも忠告をしてあげた。



 空気を切り裂く迅雷、

 蒼い閃光は稲妻の如く闇を駆け、

 凶戦士の頭部で爆音を上げた。



 フルフェイスの兜が変形して空を舞う。凶戦士が咄嗟に身を捻り、僅かに中心を捕らえきれなかった光の矢は、兜を側頭部から半壊させ、尚且つ凶戦士に片膝を付かせた。

「ここまでよ。降参なさい」

 モーリスが強い口調で告げた。
 剥き出しの頭部にもう一度あの弓矢が狙いを定めている。
 ジンは二度目の的を外すほど、ヌルい狙撃手ではない。

 一瞬の静寂と、荒い呼吸音が揺れる部屋の中、

 ……キィィン

 レンの大剣とジンの大弓が光り、共鳴を始める。
 レンが呟いた。
「こんな時にかよ」
 それは夢珠が結晶化する合図。
 ベッドに眠る人間が、夢珠を産もうとしている光と、光の夢珠から作られた武器たちとの共鳴だ。


 部屋の暗がりに、淡く、そして白く輝く武器は、人間に発見される可能性を含む。かつて人間達が昼間に活動し、夜に眠るという生活を基本としていた頃、夢珠が発生する度に知らせてくれる機能として、共鳴する武器や装備品は小人達に常用されていた。
 だが近代化する人間社会の流れは、昼夜問わずに働き、眠る生活へといつしか変わり、武器の共鳴は発見される危険を考慮されて都会では敬遠される対象にあった。
 武器は人間の技術を真似すれば、鉄鋼も被服も問題なく、それらに能力を付与したければ、夢珠をコーティングするように使えば良いのだ。
 夢珠に反応する武器は、純粋に夢珠のみを使い、例えば剣ならば、剣の先から柄元、握りに至るまでを生成する。
 それは大玉サイズの夢珠を複数使う事と同義である。過去の技術としては当然であった事も、現在では嗜好品や高級品として捉えられている。
 やはりここでも、田舎者ならではの武器を持っていると公言したようなもので、レンとジン以外の小人達は共鳴する武器を見て僅かな驚きを覚えていた。
「便利な機能だなぁ、さすがイナカモン」
 鎧の頭部を失って灰髪を露わにした凶戦士がレンを冷やかに睨んだ。口元が僅かに上がる。
 レンはそれを細やかな抵抗と見て取ったのだが、灰髪のそれは別の事態を察しての優越感から来るものだった。


『邪魔をしないで』


 突如響いた声。それは強い意思を伴いながら部屋の誰しもに届いた。
 頭の中に直接ぶつけられるような、方向性の察知出来ない声の存在。
 一人離れて大弓を構えるジン。
 本棚の上からは他に小人の存在も、人間も、声の主としての存在を目視で特定出来ない。
 この部屋にまだ誰か居る、その考えに直結しながら、ジンは自分のすぐ目の前の空間が歪むのを目撃した。
 蜃気楼が突然発生したように、視界が揺れる。
「何だ!?」
 ジンの叫びを待たず、歪む空間から白く、細い腕が生える。
 右手が空間から音も無く伸び、ジンの大弓を掴んだ。

『アナタ、キライ』

 今度はジンだけに、声が直接響いた。
「うわっ」
 驚いてジンが大弓を手元に引き寄せる。
 その動作が必然的に掴んだままの腕をも引っ張り、歪みの中から、腕から肩、頭部を引きずり出した。
 掴んだ腕の力はさほど強くはない。容易に引きずり出される程に弱い、いや脆弱とも感じられた。
 怪奇映画かホラー映画でも見ているように空間から顔を出したのは、朱い髪の小人、肩までの緩やかにウェーブがかかった秋の夕暮れを深く朱色に染めた髪に女の子らしい大きな瞳と小さな口元、肌の色が白く、深い碧色の目がジンを見つめて離さない。
 ジンは大弓に構えていた光の矢が消えるのを悟る。攻撃の集中を妨げられ、矢が維持出来なくなったからだ。それでも朱髪の女の子は大弓から細腕を離さない。ジンが左右に振っても上下に振っても、異常なまでの執着で上半身を宙に揺らした。
「この子……浮いてるのか!?」
 足場の無い位置でも、ジンの頭上でも付いてくる上半身。幽霊だと言われたなら納得してしまう光景に、弓を通じて微かに重さを感じる。
 レンの叫びが聞こえる。
「何やってんだ!サッサとぶん殴れ!」
 苛立ちが見える声に、ジンは戸惑いを返す。
「でも!……女の子だよ」
「甘い事ほざくなバッカヤロー!敵だ!」
 レンがさらに激昂しても、ジンはその朱髪と碧眼を有する上半身だけの存在を攻撃するのを躊躇った。
 見つめる瞳が脆弱で、掴む両手が脆弱で、伝わる重さが脆弱だった。
 これはきっと、攻撃対象ではない。守る対象だ。守られる側の存在だ。ジンは戦士として本能に感じるのだった。


『レオンをイジメないで』


 ジンだけが聞いたその声は、確かに朱髪の女から発せられているようだ。
「レオン?あいつの事か?」
 ジンが呟く。灰髪の凶戦士を無意識にあいつと発声していた。
 女の声はモーリスにもレンにも聞こえていない、二人には離れた場所でジンが敵の女に手間取る姿しか見てとれない、レンは苛立ち、モーリスは灰髪の凶戦士への警戒を続けている。それはジンの強さを信じている故の油断でもあった。
 朱髪の女の瞳がジンを見つめる。
 悲しみに似た痛みがジンの胸を締め付けた。女の弓を持つ手がぐいと引き寄せられる。それは弓を引き寄せるためでも、奪うためでもなく、女の上半身を前に進めるための動作だった。
 ジンと顔の距離が縮まる。眼前に近づく碧眼が、ジンの意識を深く吸い寄せた。ジンは体温を急速に奪われるような悪寒と共に、自分の脳に進入して来る声の奔流を抵抗する術もなく受け入れる。


『レオンヲいじめないでわたしたちノ邪魔をしないでレオンわるくないアナタキライじゃまシナいでレオンハイイヒトダカラ消えて居ナクなってダレカたすけてレオンをいじめないでわたしたちの邪魔をしないでアナタキライダレカたすけてレオンイイヒト邪魔をしないでダレカトメテあなたきらい消えてワタシタチヲ誰か邪魔をトメテ……』


 濁流となって頭の中を声が渦巻く。
 その意識の波にジンは飲み込まれ、一瞬の吐息を漏らしながら膝から崩れ落ちるように倒れ伏した。


 ☆


 遠くでレンの声が聞こえる。
 モーリスも、名前を呼んでくれている。
 だが真っ白な意識の世界に落ちていく。ジンは抜け出せない落下シューターか廃棄される瓦礫のような虚脱感にその身を委ねた。
 永久に眠りに誘う恐怖よりも、逃れられない睡魔に負けてしまう羞恥に両瞼を閉じていく。


 これは君の声か?

 ジンは問うた。
 波に呑まれながらも、幾重にも重なる声の濁流に僅かな意識を向ける。
 女の声が白い世界で反響した。

『レオンを殺さないで』

 君は何者なんだ?

『レオンはとても優しいの』

 どういう事だい?

『わたしが悪いの』

 女の声が聞こえる先に、白い世界は終わりを告げ、色付きながら、別の世界への扉を開けた。


 ☆ ☆ ☆


「エンジュ?また鳥とお話しかい?」
「あ、レオンが驚かせるから逃げちゃったじゃない」
「ごめんごめん」
「またエサをせがまれちゃったわ。明日またエサを欲しがってやって来るわよ」
「エンジュは何か欲しい物はないのか?」
「私?そうだなぁ〜、あの鳥さんみたいに、空を飛べたらいいな」
「そんなの簡単さ、夢珠で飛行の力を付ければいいんだよ」
「まぁ、レオンったら夢が無いのね」
「そうかな?普通だろ」
「第一、夢珠だって、そんな簡単に手に入るモノじゃないでしょう。大玉か中玉だし、私達みたいな田舎組織の下っ端じゃあ、何年も予約待ちよ」
「……かも、しれないな」

 ……
 ……
 ……


「エンジュ、これ見てよ」
「わぁ!どうしたの!?中玉なんて持って」
「知り合いのフリーでやってる戦士に貰ったんだ。なんと【飛行珠】だ」
「ええ!?最近一人で何処かに行ってると思ってたけど、まさか悪い事して……」
「ハハハっ、違うよ。ちゃんと仕事を手伝って貰った報酬さ。大変だったんだぜ、都会の邪夢はこっちより何倍も強いんだ」
「まぁ、やっぱり危ない事してたんじゃない」
「そう怒るなよ。コレ、あげるからさ」
「え?私に?」
「前に言ってたろ、空を飛びたいって」
「そんな!大変な思いまでしたんだからレオンが使ってよ」
「俺は別の夢珠をもう貰ったからいいんだ。これはエンジュのために、まぁ、都会に行った記念のお土産だよ」
「そう……ありがと」
「……嬉しくない?」
「めちゃくちゃ嬉しい!」
「うわ!抱きつくなよ!」
「レオンはどんな夢珠貰ったの?見せてよ」
「ああ、あとで見せてやるよ。【マリオネット】って呼ばれてる力だ。鎧なんかを自由自在に動かせるんだぜ」

 ……
 ……
 ……

「ここに居たのか、エンジュ。探したよ」
「あら、怖くない方のレオンね。うふふふ」
「どういう意味だ?……エンジュは最近、飛んでばかりいるね。その内歩けなくなるぞ」
「ふふふ、飛ぶってすごく気分がいいのよ。自由を手に入れた、最高の気分」
「それは何より。エンジュはよく笑うようになったし、活発に動き回るようになった。でも、働かないサボリ魔にもなった」
「レオンはたまにすっごく怖くなるわ。まるで優しいレオンと怖いレオンの二人居るみたい」
「組織の仕事、行かないと怒られるぞ」
「レオン、組織やめちゃおうよ。仕事なんて辞めて自由になろうよ」
「エンジュ?」
「そうだ!都会に行ってフリーになろうよ!私と二人で色んな町や国や人や、世界中を見て回ろうよ!」
「……」
「ね!そうしましょう!決めたわ、私もレオンも自由(フリー)になるのよ!」
「……エンジュが望むなら、そうしよう」

 ……
 ……
 ……

「エンジュ、エンジュ!大丈夫か!?」
「……レオン、わたし、溶けていくみたい」
「どうなってるんだ!?身体が消えかかってるぞ!」
「あの夢珠は、きっと自由になりたいって想いから出来てるのね、だから私、自由になりたかった。何もかもから逃げ出したかった」
「ちくしょう!何でこんな事に!」
「同じ場所に居られないわ。身体も、心も、きっと自由を求めているのよ」
「あの夢珠が悪いのか!?俺のせいだ!*イヤ、アノ戦士ガワルインダ」
「レオン、私は貴方のそばに居るわ」
「組織に戻って助けて貰おう*アノ戦士ヲミツケテブッコロソウ*夢珠が要る。きっと夢珠で治せるさ!*スベテノ夢珠ヲオレノモノ二シナケレバ」
「レオン、気をつけて、あなたが戦う度に、もう一人のアナタが目を覚ますの。きっと、自分を保てなくなる……」

 ……
 ……
 ……

「エンジュ、どうした?声が聞こえないぞ」

「言葉ヲ失ッタノカ?」

「そうか、大丈夫だ。言葉の夢珠を使えばいい」

「オマエノタメニ最高ノ夢珠ヲ手二入レテヤル」



 ☆ ☆ ☆


 倒れ伏したジンの姿を視認してから一呼吸の時間も置かずに、凶戦士レオンは黄金の剣を振るった。一瞬とはいえ、ジンの姿に動揺して目を奪われたレンは一撃を受け流す事が出来ずに、大きく後方に吹き飛んだ。
 身体の正面で直撃は免れたものの、重量が軽い小人の体躯は、大剣の重さが無ければ何処までも飛距離を伸ばす野球のボールのようなものだ。
 部屋の壁にしたたかに背中を打ち付けてレンは呻いた。
「レン!!」
 モーリスの声。
 リングブレードを構えながら凶戦士に向き合う。その背後ではベッドの人間・漆原めぐみ氏が放つ鮮やかな夢の光がゆっくりと形を成しつつあった。一般人とは少し毛並みの違う夢の光は強く、見る間に大きく夢珠は成長していく。
 灰色の髪に汗を滲ませながら凶戦士は笑う。勝利を確信した笑みなのか、闘いに興じた故の歓喜なのか。
 モーリスはその笑みに背中を冷たくして後ずさる。背後への攻撃を成功させたとはいえ、不意打ちでしかなく、レンを片腕で吹き飛ばした凶戦士と正面でやり合えるほどの自信過剰は持ち合わせていない。
 灰髪のレオンは金色の長剣を再び床に突き立てる。身に纏う鎧が節々に赤く光りを放ち、その身から分離する。
 全身鎧は戦士の前で合わさるとまたヒト形を成し、離れて転がっていた損壊した頭部が、逆再生を見るかのように床を転がり、跳ね、カシャリと首元に収まった。
 頭部の半分はヒビ割れ崩れ落ち、開いた穴から、がらんどうを覗かせている。それでも尚、赤銅鎧は息を吹き返した一つの強敵として黒光りする稲妻の如き凶剣を用いてモーリスに襲いかかった。



 子供部屋で自分達の武器を取り戻したチョウサクとジュンは、子供部屋を飛び出して驚愕した。
 子供部屋のすぐ前には廊下を挟んで階下に続く階段がある。
 途中で屈折してコの字に螺旋を描きながら伸びるきざはし。それを黒い暗雲を伴いながら、触手を使い、一段ずつ登って来るのは奇声を放つ丸い塊たち。大小まるで親子のように一列に並んだ二体もの邪夢の姿だ。
「今夜はパニックだな」
 ジュンは苦い気持ちを冷静に抑え込んで呟いた。
 チョウサクが青ざめた表情でリーダーを見る。
「どうする!?登って来るぞ!」
 ジュンは冷静な口調で剣を抜いた。
「ここで食い止める。チョウサクはこの事をみんなに知らせてくれ。戦闘中にここから叫んでも聞こえないだろう。さっきの女の事も忘れるな」
「一人なんて無茶だ!ハルオが居るわけじゃないんだぞ!?」
「わかってる。登ろうとしてくる触手(あし)を狙って払えば多少時間稼ぎにはなるだろう。無理はしないさ」
「本当だな?ハルオの次にジュンまで居なくなるなんて、俺は耐えられないからな!」
「俺だって同じさ。だから無理はしない。出来るだけ持ちこたえてみせるが、その後は子供部屋に入らせないように寝室の方に誘導する」
「わかった!」
 チョウサクは廊下を駆け出した。振り返る事なく寝室へ向かう。フローリングの廊下に小さな足音が鎧具の軋みと共に刻まれていく。
 部屋に辿り着く間も惜しんでチョウサクは叫んでいた。
「邪夢出現!邪夢が二体出現!階段で応戦中!!」



 モーリスは赤銅鎧の振り下ろした凶剣を素早く躱して後方に飛び退(すさ)る。自らの力で高めた敏捷性は赤銅鎧の動きに遅れを取る事は無い。
 寝室の入口の方から誰かの声が聞こえる。焦っているのか、声が揺れて聞き取り辛いが、どうやら護衛組の声だ。
 モーリスは一時的に距離を取り、戦況を見る。
 レンが壁際で大剣を携えながら立ち上がる。
 それを明らかな殺意を向けて睨むのは灰色髪の侵入者。黄金の長剣を構えているが、レンに向かって攻撃をするまでには至らない。先程のダメージがまだあるからなのだろう。
 変わってモーリスの前に赤銅鎧。こちらは元気なようで今まさにモーリスに向かって距離を詰めようと走り出す。
 遠くの本棚の上で、ジン。ゆっくりと頭を持ち上げる姿が見える。
「ジン!大丈夫なの!?」
 モーリスは叫んだ。
 意識を取り戻したジンは、モーリスの声に応えなかったが、右手を上げて、振って見せた。
 だが、その本棚に居たはずのもう一人の侵入者、半身の朱毛女の姿が無い。眼を見張るモーリスに、ジンがその右手で指差して示す。
 眠りに落ちている人間のベッドに向かって、空中を飛行する半身の朱毛女だ。
 ジンはその後ろ姿を指差しながら、呻くように言った。
「モーリス、夢珠を……」
 ジンの声が届いたのか、赤帽子のレンが叫んだ。
「こいつら夢珠を狙ってるんだ!モーリス!走れ!あの女に盗(と)られちまう!」
 夢珠の形成は、今まさに集束した光の中心にてタマゴのように固まりつつある。その大きさは真珠のようではあるが、小人たちの世界では中玉と称されるに申し分ない。
 完全に形成されると、浮力を失い落ちて来るのだが、朱色髪の女が空中を飛ぶ事が出来るならば、俄然有利なのはこちらではない。
 モーリスは瞬間、戸惑う。
 事前の打ち合わせならばレンがタマゴを取りに行くはずだ。
 だが今一番足が速く、最も近い距離に居るのは自分なのだ。
 誰しもが自分の役目だと言うだろう。灰髪のレオンも、そう見て動いた。
「そうはさせん!行けエンジュ!そのまま夢珠を戴くんだ!」
 灰髪の声と共に、赤銅鎧が走る軌道を変えた。
 モーリスに向かって走り出した脚は、真横に方向を向けて、人間のベッドに向かう。
 モーリスが夢珠に向かうであろう先に立ち塞がるためだ。
 モーリスは目の前の赤銅鎧が左に方向を変えるのを見て、足で床を蹴った。
 人間のベッドにではなく、
「超・特・急!!」
 レンの居る壁際に向かって。

「馬鹿な!?」
 灰髪のレオンは目を疑う。
 一瞬で消えたモーリスの姿と、その行動に理解を超えた戸惑いが口を突いて出る。レンに向かってモーリスの進路を開けてしまったとはいえ、その選択は『無い』はずだ。


「何考えてんだよ!」
 レンの叫び。
 目の前で黄色いスカートを舞わせて急停止したモーリスに湧いた不満をぶつける。
 当人は困ったように眉根を寄せている。
「一か八か賭けてみたくなったのよ」
 モーリスは、立ち上がったレンの背後に回る。痛い視線を躱すためでもあり、これから行う動作の為でもあった。
「何を賭けんだよ?」
 尋ねるレン。
 モーリスは少し早口に言った。
「今日まで私は他の仲間達にこの力を使う事を禁じてきたの。私の強すぎる力で誰かを傷つけるような事はしたくなかったし、それを利用されるのもまっぴらゴメン、だから絶対に使わなかった」
「モーリス?」
「レン、私はあなたを信じてる。ジンも心から信じる。だから私は……初めての仲間に、私はこの力を解放するわ」
「モーリス……」
「いくわよ、【疾風】!!」
 チカラを込めた両手で、モーリスはレンの背中を叩いた。
 レンの身体が一瞬、緑色に輝きを放つ。
「身体が、軽くなった!」
 レンが驚きの声を上げた。
「慣れるまで気を付けて」
「モーリスと同じように動けるって事か!よーし!」
 大剣の重さをゼロにして、夢珠に向けてレンは床を蹴った。
 一足の跳躍は空気中の流れを産む。それは風と呼ばれる大自然の力だ。その軽やかに強大な大気の流れはレンの意思とは幾らか誤差を産み、目指したベッドの方角のみを正確に突き進む。
 その先に灰髪の戦士が立ち塞がらなければ、反対側の壁に激突していたと推測される。が、しかし横から割り込んで来た灰髪のレオンは、身体ごとぶつかりながらもレンの進行を阻止した。
「ぐわっ」
 勢いは殺せずに方向転換を余儀なくされたレンが弾かれ、お互いに吹き飛ぶ。
 レンが呻くその隣りで、灰髪が強く言った。
「エンジュは、俺が守る!手出しは、させない!」
 その真っ直ぐな言葉に、レンは違和感を感じる。今までレンが受けてきた殺気とは違う、別の気質だ。
「何だ?コイツ?」
 レンが転がった床を蹴りつけて起き上がる。身体は軽いままだが、衝突のダメージが左肩の芯に重い熱を帯びていた。
「ああ、レン!大丈夫!?」
 モーリスが声を投げる。
「大丈夫ぅ!」
 レンが戯けた声を返す。
「でもちょっとぶっつけ本番でやるにはキツイなぁ、練習いるわコレ」
 苦笑いしながらもレンは大剣を構えた。灰髪との距離が近い。
「わわわわ、どうなってるんだ!?」
 部屋にチョウサクの慌て声が響く。
 見ると夢珠に、さっき子供部屋で見た朱髪の女が近付いている。
「あ!あれ、あの女!ジン様レン様!階段で邪夢が二体来てます!」
 言葉も上手くまとまらず、戸惑うチョウサクに向かって、赤銅鎧が凶剣を片手ににじり寄る。

 シュッ ガキィン!

 その足を止めたのは青い閃光の弓矢だ。

「チョウサクさん、ここは任せて!邪夢を頼みます!」

 本棚から叫んだジンは、頭を押さえながら立ち上がり、苦痛に顔を歪めていた。
「すみません!お任せします!ジュン今行くぞー!!」
 一度子供部屋で鎧戦士と剣を交えているチョウサクは即座に踵を返した。
 まったく太刀打ち出来なかったチョウサクの目には、半壊した鎧戦士の頭部が信じられない光景でしかなく、場違いの感を否めない。あの侵入者達は確実に護衛組より強く、さらにレン達はその侵入者と戦ってダメージを与えられる程に強いのだ。
 階段に伸び上がる触手を相手に剣を振るうジュンの姿を遠く見ながら、せめてあの邪夢には負けないと誓うチョウサク。長槍を構えて廊下を駆けていた。



 本棚の上でジンは弓を構え、赤銅鎧に三度弦を鳴らした。
 青く光る矢は真っ直ぐに肩胸足を狙ったが、凶剣によって振り払われ、落とされる。
 ジンは痛む頭で、その実は思考していた。

『アレはただの鎧だ、本体をやらないと止まらない操り人形だ。でもどうやって止める?彼はあのコを助けたいだけだ……』

 流れ込んできた意識の波を咀嚼しながらジンは受け入れて行った。
 それが偽りでもまやかしでもなく、真実だと思うのは、記憶の欠片の中に確かな証拠など無くとも、信じられると、そう信じさせる言葉の強さがあった。ただそれだけだ。
 たとえ敵として現れたとしても、そこにある真実は、善も悪も差別なく受け入れなければならない。

 ジンの居る本棚の下、すぐ近くにモーリスが居る。
 レンに力を与えた少女の姿を見て、ジンは一つの仮定を思案する。

「自由……自由か……」

 ジンはモーリスを呼ぶ。
 本棚の上で待つ事、数秒。
 モーリスは疾風のごとく跳躍してジンの隣に立った。
「何?どうしたの?」
「モーリス、『自由』の反対って何だろう?」
「はぁ?」
 モーリスは真剣に聞いて来るジンに向けて眉根を寄せた。



 赤い帽子を揺らして灰髪の戦士と剣を打ち合うレン。二合、三合と打ち合う毎に、レンは大剣の重量を上げていく。最初は押され気味だった打ち合いは、次第にレンに優勢を示し始める。
 一刀を持って戦うお互いはダメージの有無と大小もあるが、その敏捷度に歴然たる違いがあった。
 身を捻って躱すレオンに対して、疾風の力を得たレンは、まさに体ごと消えるのだ。そしてまた現れた時には全体重に大剣の重量を加味して攻撃して来る。
 その離れた距離がそのまま加重の威力と合わさり、数回打ち合う内に早くも受け切れない重さにまで威力を増していった。加速するための体術と加算される大剣の重量コントロール、僅かの間にレンは一対一の戦闘ならば無敵の強さを手に入れていった。
 もちろんそれは大剣を重くしたり軽くしたりという一秒未満の繊細な切り替え能力と、レンの戦闘センスが要因としてあるのだが、レオンにとっては知らない事だらけだ。目に見える事実を受け止めるならば、今までにない強敵として、この赤い帽子の小人の存在を脳裏に刻みつつある。

 だが、戦闘に優勢を迎えても、夢珠を持ち去られては勝ったとは言えない。肝心の夢珠は光が弱まり、完成を間近に控え、さらにその目の前で幽体のように透ける両手を広げて待っているのは朱毛の半身・エンジュの姿だ。
 ジンとモーリスは、離れた本棚に居るし、赤銅鎧はゆっくりとではあるが歩を進め、灰髪とレンの戦いに加勢する動きを見せている。
 たまらずレンが叫んだ。
「おい!ジン!モーリスも何してんだ!?」

 それを聞いてモーリスがジンを見て言った。
「ジン、急ぎましょう」
「きっと束縛や拘束じゃない、コレが正解だと思うんだ」
「わかったわ。使った事がない文字だし、弓矢もやった事ないけど、試してみましょ、ぶっつけ本番だけどね」
 ジンは矢をつがえた。
 片膝をついてやや斜めに構えられた大弓は弦を青く輝かせ、そこに二本の青く光る矢を乗せる。
 ジンの隣に立って、モーリスが力を与える。矢を引き絞る右手にそっと触れる。
 ジンの右手を伝い、光の矢に注がれるチカラは、黄色い渦を巻いて螺旋を取り巻く矢じりへと姿を変えた。

「威力は要らない、マーキングアローより細く、速く、正解に、同時にふたりを射る……」

 ジンは静かに集中した。
 一呼吸して息を止め、右手を放つ。

 細く光る矢は空中に線を引きながら飛翔した。
 瞬速の矢は黄色く輝く粒を撒き散らし、流星のほうきを形どる。

 ジンに背を向けていたエンジュは自分の背中に矢が当たった事を針の痛みにすら感じなかった。細く脆い矢は命中すると同時に砕け散り、エンジュの身体を青と黄色の光で包み込んだ。
 光の粒がエンジュの目の前で文字となって視界に割り込み、エンジュは反射的にそれを読んだ。無言ながらにそこに感じた想いは、たった一つの思い出を記憶から連想させ、身体の奥底まで光が届くのを感じた。
 内に秘めた想いが増幅される。
 この【自由】を決してそれは阻害しない。



 灰髪の胸元に閃光が走り、青と黄色の光の粒が大きく舞う。
 それはジンの放ったもう一本の矢だ。
 レンとの戦いの間隙、一撃も受けるわけにいかない状況で、赤い帽子の大剣に集中していた事が、容易(たやす)くその矢を命中させてしまった。
 突然目の前が輝きで満たされ、何かの文字が視界に飛び込んで来る。

「何だ!?……これは?」

 痛みは無い。
 胸にチクリと針かトゲでも触れたかというほど、気にもならない痛みはすぐに忘れてしまう。
 それよりも気になり、目を背けられないのは目の前の文字だ。


【誓約】


 ……
 ……
 ……


「俺がエンジュを護るよ」

「私はずっとレオンのそばに居るわ」


【二人でいつまでも一緒に居よう】


 ……
 ……
 ……



「君たちは交わしたはずだ。二人だけの約束を、永遠の誓いをきっと。それを増幅する矢だ」
 ジンは確証を込めて言った。

 契りを交わした約束は、レオンとエンジュの中で増幅され、輝く光の渦となって身体を満たした。

 柔らかく、月夜の淡いオーロラの揺らめきは、体内から湧き出るほどに身体中を輝かせ、

 エンジュの身体を虚無の世界から解き放つ。それは透ける事なく伸ばされた両手の中に、夢珠を抱かせる。
 虚無の空間から両脚が、つま先まで実体となって現れる。

「きゃあ!」

 突然何かに引き寄せられて、エンジュは悲鳴を上げた。
 浮力を失ったわけではなく、何か見えない力で引っ張り込まれた、空中に居たはずの身体は、ベッドの下に居たもう一人の存在、灰髪のレオンの腕に落ち、力強く抱き締められていた。


 ☆



 レンは振り抜いた大剣を引き寄せ遠心力を小さくして回転させながら見事な身のこなしをみせる。赤帽子を揺らしながら、大剣を最大重量に変え、床に突き立てる。それを支点として跳躍した身体を急停止させた。
「何だぁ?」
 ジンの矢が当たったらしいのは解るが、光り出した敵と、降ってきた女の子の様子が理解出来ない。何故か目の前でイチャイチャ……はしてないが、抱き留められている。
 頭にハテナ?を浮かべるレンを置いて、抱き合う二人。
「エンジュ!本当にエンジュなのか!?体が元に戻っているじゃないか!ああ、何が起きたんだ!」
「レオン、レオンなのね!ずっと幻の中を彷徨っていたみたいだわ、レオンに触れてレオンの体温を感じてる!」
「エンジュの体、匂い、温もり、俺も感じているよ!」
「レオン!レオンレオンわたしのレオン!!」
「エンジュ!声が出ているよ、君の声がちゃんと聞こえる!聖夜の鈴の音よりも美しい、俺の耳の奥まで震える天使の歌声のようだ!」
「レオン……」
「エンジュ……」

 ……
 ……
 ……イチャイチャしている。


 レンが毒気を抜かれて惚けている。
「あー、うわぁー、あ、あーんなことや、ああんなコトまで、うひゃあー、さっきまで殺伐としてたのにいきなりラブラブだぁ~」
 呆れて見ている。
 本棚から降りてきたモーリスが走り寄る。レンの隣に立ち、
「あらあら、あんなに抱き合ってちゃ夢珠が潰れちゃうわ」
 一緒に呆れる。
 赤銅鎧は動きを止めて立ち尽くし、飾り物の鎧のように鎮座している。
 レンがモーリスに尋ねる。
「何をしたんだ?」
 モーリスも明確には分かり兼ねるようで、両肩を上げて首をすぼませた。
「ジンの言う通りにしただけよ。……とりあえず、もう敵意は無さそうね」
 モーリスの声に、レンが戦闘態勢を解こうとした瞬間、男達の声が廊下から響いて来た。

「ジュン!小さい方もあっちに行ったぞ!」
「チョウサク走れ!このまま二体ともおびき寄せるんだ!」

 廊下で邪夢と戦う護衛組の声だ。
 レンとモーリス、離れた場所でジンが寝室の入口に目を向けると、こちらに背中を向けながら後ずさり、駆けるジュンとチョウサクの白装束達が現れた。
 そしてそれを追って、二体の丸い邪夢が触手を伸ばし、這うようにこの部屋に侵入する姿が……

「もうひと仕事残ってるなぁ」
 レンが大剣を肩に担ぎ上げながら苦笑した。
 頷いてモーリスはジンを振り返る。
 本棚の上で立ち上がる青い帽子は、大弓を静かに構えていた。すでにマーキングとジュン達の援護を開始している。
 モーリスは安堵して向き直る。両手に握るリングブレードが輝き出し、その大きさをふた回り大きく変える。輝きは失われないまま、輝くリングとして両手にあった。
 モーリスは一つ大きく深呼吸をしてレンに言う。
「私が邪夢の動きを止めてみるわ。大きい方は多分長い時間止めてられないかな。ちょっと厳しいわね。レンは今の内に夢珠を使って」
「え、あの二人が持ってるやつかよ」
「他にないでしょ。ホラ、急いだ急いだっ」
 活発に声を投げてモーリスは駆け出した。邪夢に向かって瞬速に消える。
 レンがうな垂れつつ、ラブラブ組を振り向くといつの間にか背後に立っていたエンジュとレオン。
「うわっビックリした」
 驚くレンにエンジュはしずしずと持っていた夢珠を差し出す。
「ゴメンなさい、これ、あなた達に返すわ」
「いいのかよ?」
 レンが尋ねると、エンジュの隣に立っていたレオンが口を開く。
「このエンジュの声が出なくなったから欲しかったんだが、どうやら君たちのおかげで治ったようだ。だから君たちに返す。すまない。そしてありがとう、どれだけ感謝してもしきれない」
「よくわかんねーけど、遠慮なく貰うぜ。礼ならジンに言えよ、俺は詳しいことわかんねーし」
 レンが夢珠を受け取りながら言う。レオンは本棚を見る。
「ジン、あの弓の戦士か。ぜひとも話したい!」
「今は邪夢を片付けるのが先、この夢珠、ちゃんと【コトダマ】の力使えるようになるのかなぁ」
 レンが夢珠を見つめているとレオンが言った。
「君は【コトダマ】をまだ持ってないんだな。大丈夫、夢の内容よりも、その人間の素質や才能を元にして得られる力だ。良ければ手伝わせてくれ」
「あ、ああそりゃ助かる。頼むよ。あんた雰囲気変わったな」
「そうかな?自分ではよく解らないんだが、前に【マリオネット】の夢珠を使って以来、二重人格になってしまったようなんだ」
「レオンはこっちが本当のレオンよ。とても優しいの」
「エンジュ、口を挟むな」
「あら、先に挟んだのはレオンじゃない」
「ちょっとちょっと、ケンカはあとにしてよ。みんな待ってるんだ」
 レンが慌てて止めた。
「よし、じゃあここに寝て、夢珠を胸の前に持って、直接身体に触れさせるんだ」
 レオンが促した。レンが言われた通りに寝そべる。服の前を少しはだけて胸の上辺りに夢珠を当てがう。
 レオンが静かに口上を紡ぐ。

「夢珠に願う、この者に言霊の力を、この者に言葉の秘めたる力を解くる鍵をその身に与えよ」

 横たわるレンの手を上からレオンの手が押さえる。夢珠が光を放ち、丸い形を崩れさせ、液体の光をレンの身体に振り撒く。光は浸透しながらレンの体表を駆け抜け、全身を七色に輝かせる。
 その光が波打ち、波紋を繰り返してレンの身体に満ち渡ると、静かに光が消えていく。光の波が落ち着いた時、レンは新たな力を手に入れていた。



 ☆ 帰還 ☆



 公園の木々が鬱蒼と茂っている。自治体の管理が足りていない訳ではなく、その公園が自然の木々を大切にするという趣旨の元、作られた公園だからだ。木造の遊具を始め、トイレや水道、ベンチなども、ログハウス風やアスレチックをベースにしている。だが、家庭内電子遊具が主流になってしまった現代っ子は、昼間にも関わらず公園に姿は見せない。
 その公園の一角に建つ、掃除道具や消防道具、お祭りの備品などが仕舞われた倉庫にいつしかピンク色の帽子を被った小人が住み始めたとしても、何の不都合も無い。むしろそれが必然とも言える。
 その密かな住人であるオードリーは長い髪を揺らしながら倉庫の天井裏に差し込む光を背中に受けていた。
 夢珠を使って整えた寝床はちょっとした別荘地を思わせる程に豪華で、ある意味切り取った豪邸だ。部屋にはもちろんドアがあり、窓がある。そしてくつろげるリビングにソファ、眠るためのベッド。
 ところが、それは他の小人が来客として訪れた時のための部屋であって、今オードリーが居る別室は、扉の位置も隠した秘密の小部屋だ。
 オードリーは小さな窓から差し込む光を背中に受けながら、その部屋の中央に置いた一人用のソファでくつろいでいた。
 目の前にならぶ声優のコレクションは、漆原めぐみを中心に置きながら、男性のアイドル声優や今話題の女性人気声優も網羅している。その並びもこだわりを見せ、音楽から舞台までジャンル分けも抜かりない。その中で、漆原のポスターの前に、ポツリと空間を作ってある。いずれここに置くはずの、届く予定のコレクションのためのスペースだ。
 オードリーはその時を想像して、歓喜の声を上げる。
「もうすぐよ!ジン様がここに漆原様のお土産を持って来てくれるわ……それは夢珠、きっと夢珠。ああ、早く帰って来てくれないかしら……ああ、待ち遠しいですわ~!」
 オードリーが顔を赤らめて興奮していると、来客用の別室からドアを叩く音が聞こえて来る。
「オードリー、居るのー?おーい」
 マサルの声だ。
 オードリーは至福の時間を邪魔された事に少しムッとしながら、来客向けの顔を整える。
 秘密の部屋を出て、隠し扉がキチンと閉まったかを確認し、鏡で自分の姿を見て、容姿を確認する。
 問題なく確認を終えると、叩かれるドアを開いた。
「なぁに、マサル。新しいリスナー見つかったの?」
 オードリーはニコリと笑い、ムラサキ帽子のマサルと顔を合わせる。
 中に入れて貰おうとしたマサルが、その入口でモジモジしながらオードリーの笑顔に困惑する。住人には部屋に入れてくれる気配はない。
 だがそんな事は可愛い笑顔を見ればそれだけで誤魔化される程の事だ。
 何よりマサルは、あのケガ以来、以前より増してオードリーに従順だ。
「それがね、オードリー。やっぱり漆原のラジオをかかさずに聞いてそうな人間がこの近くには居なくて、電車で一駅移動すれば、居たんだけどね」
「電車ぁ?バカな事言わないでよ。ケガしたばかりの私に電車移動させるわけ?」
「だよね!そうだよね!そんなバカな事は無いよね!?あはは、何言ってるんだろうね!」
 マサルが動揺して訂正するが、オードリーの身体はもちろん完治している。
「という事は、やっぱりあの家に行くしか……ないんだけど」
 マサルが口ごもる。
「遠征して来たロキとか言う防人の仲間達が、【中島家】の周辺を一掃して、もう安全が確保されたはずでしょ。元々は私達の班が担当だった家なんだから、元通りにその担当が戻るだけじゃない。何でそれが通らないのよ」
 オードリーがにらむ。
「それはそうなんだけど、【中島家】に住んでる人間がかなり毒されてるらしくて、また邪夢を産み出す可能性が高いんだ。いくら僕たちが担当だったとしても、またすぐに戻るには色々と条件が……」
「何?どんな条件!?」
「う、しまった」
 条件についてはまだ言って無かった事をマサルは忘れていた。口を滑らせた事を後悔するよりも、オードリーの機嫌が悪くなる方がより後悔してしまう。
 マサルが言う。
「あの時よりも、僕たちの戦力が高くなる事が、シュワルツの言う最低条件……」
 それを聞いてオードリーは鼻で笑い飛ばす。
「はんっ、そんな事チョー簡単じゃない!あんたが強くなりなさいよ!」
「そ、そんな無茶な……」
「じゃあ、今すぐ班の全員新しい武器と防具を新調なさい!見た目だけでも変わっておかないとねぇ!」
「え、ええ~……すぐバレちゃうよ」
「じゃあ新しいラジオリスナーの人間を見つけて来るしかないじゃない。私が頼んだでしょ?居たの?」
「それが、さっき言った通り……」
「元の家に戻るしかないんでしょ?じゃあ今すぐに全員呼び出して!武器屋に集合!かけあーし!!」
「わわわわ、わかったよー!!」
 一目散に走り出すマサル。
 ふぅっと、一つため息を漏らしながらオードリーが呟く。
「……あんなに焦らなくても、ジン様が戻って来たら万事解決よ」
 微笑むオードリーは、ドアを閉じて、自分も出かける準備を始めるのだった。



 ☆ ☆ ☆



 伸縮性のある長い触手が床を叩く。その度に青い光の矢が触手に突き刺さり、その動きを縫いとめる。
 脈動する体躯から新たな触手を生やした邪夢は、再び周りを囲む夢防人達を捕らえようと触手を振るう。
 だが新たに触手を増やした瞬間に、青い光の矢がまたも突き刺さり、触手に光のマーキングを施す。
 マーキングされた触手は闇夜の部屋でも視認しやすく、夢防人達は難なくその攻撃を躱す事が出来る。
 躱された触手は床を叩く。
 いつしか動きを制限された邪夢は、不快な声で不満の意思を奏でていた。

 モーリスは手にした光のリングを邪夢達に投げた。そのリングは瞬く間にサイズを数十倍に広げ、邪夢の身体に輪投げの的のように収まる。
 丸い体躯にリングを付けた惑星を思わせる姿が二つ、夢防人達の目の前に出来上がる。
「リングの中心には光の力を集中させてあるから、しばらくの間はコレで動けないハズよ!」
 モーリスの声にジュンとチョウサクが武器を手に突撃する。
 触手を縫い付けられ、リングの力で動きを抑制された邪夢は苦しみの不協和音を撒き散らす。
 その体躯に剣と槍が交互に突き立てられる。トドメとばかりにジンの青い閃光が走り、邪夢の核とも言える『眼』を貫き、ソフトボール程の小さい邪夢は、闇色の光の粒になってその体躯を崩壊させた。

 その隣で同じようにリングの阻害を受けていた、ハンドボール並みに大きい邪夢が大量の触手を全方位に向かってつき伸ばす。巨大なウニかイガ栗に変貌した邪夢は、光のリングを破壊して動き出した。
 モーリスが叫ぶ。
「ごめん!リングが大きくなると光の力が弱まるから、このサイズは長く持たないわ!散開して!」
 ジュンとチョウサクが邪夢を囲みつつ距離を取る。
 振るわれる触手にはジンのマーキングが施されてはいるが、大量に増えた触手が全て光っているわけではない。
 その全てを射抜くにはまだ時間がかかりそうだ。
 ジンの声が戦友を呼んだ。
「レン!やれそうならサッサと今すぐやって!!」
 呼ばれた赤帽子は苦笑いを見せながら走り出す。
「何だその言い方は!もっと違う言い方あんだろ!?」
「無い!」
「有りません!」
「待てません!」
「お願いいたします!」
 ジン、モーリス、ジュン、チョウサク。順番に返す声に、レンが苦笑をやめて真顔に変わった。
 大剣を構える。
「せっかくカッコイイ技で締めてやろうってのに!もっとお膳立てしろよな!」
 レンが言うと即座にジン達が叫んだ。
「さっきハズしましたよね!?」
「二度目でしょコレ!?」
「もう待てません!!」
「今度こそお願いします!!」
「うるせぇお前ら!見てろよチクショー!」
 レンは二度目の大剣を構え、二度目の集中に入る。

 大剣からほとばしる紅い光。
 それはレンの身体に渦巻き、螺旋を描く。
 紅光は頭上で揺らぎ、炎を型取りながら一つの文字を成し、宙空に現していった。



 ━━━【 滅(メツ) 】━━━



 滅(ほろ)びを意味する破壊的な言葉、
 それは存在を否定し、生命の礎を崩壊へ導く言葉だ。
 大剣は頭上に掲げられ、文字を炎の業火に変えて刀身に纏う。

 それを見ていた周りの防人達が青ざめて後ずさる。

「さっきと同じ文字じゃないか!」
「どうして使えもしないモノを選びたがるの!?」
「またこっちに飛んで来るぞ!」
「やめて下さいお願いします!!」

 レンは二度目のチカラを大剣に込め、衝撃波として打ち出す……のではなく、身体ごと駆け抜けて邪夢の巨体に向かって突撃した。
 振り下ろした刃は邪夢の突き出した触手に触れると、触手の細胞を粉微塵に崩壊させる。
 大剣を水平に構え、捻り込むように邪夢の眼に突き刺して、うねり動く体表から中心に向かって剣の根元までひと息に押し込む。
 剣からほとばしる閃光は紅(くれない)にアカく染まり、カラダから吹き出す血液に似た凄惨な終焉をもって邪夢の眠りへと変えた。
 丸い体躯は粉塵となって飛散し、粒子は闇色の粒に変わりながら部屋の闇に霧散してまぎれて消え入った。

 存在が消滅され、大剣を振り回して床に突き刺し、決めポーズを取るレン。

 駆け寄る仲間たち。

 自慢気に笑うレンに、一番早く駆け寄ったモーリスが脳天からグーで殴った。

「いっってぇ!!」

「そういうヤバい文字はもっと慣れてから使いなさいよ!!」

「ちゃんとやっつけたろうが!」

 反抗する赤帽子を次々にグーで殴る仲間たち。

 決して、全力ではないのが幸いである。



 ☆



 邪夢の掃討を終えて、集まる護衛組とジン達。ようやくひと息付くと、少し離れていたレオンとエンジュがゆっくりとその輪に近づく。
 ジュンとチョウサクが武器を持って身構える。
 すぐにレオンは立ち止まり、両手を挙げて無抵抗を示した。ジンが間に割り込む形で立つ。
「ちょっと待って、もうこの二人は敵じゃないよ。同じ夢防人の仲間だ」
「何を言うんです!コイツがハルオを!」
 ジュンが激昂する。
「……それは……本当にすまない」
 レオンの表情が曇る。
 エンジュが灰髪の腕に寄り添う。
 小人同士で争う、戦いになるなど本来あってはならない。掟で定められた事より、モラルや存在の根底に関わる、暗黙のルールだ。
「この二人は今は組織に属さないフリーの戦士だ。だがかつては組織に居た普通の夢防人だった。でもある夢珠を使った時、その副作用を強く受けた……」
 ジンが話し始める。エンジュから受けた記憶と意識の波を、思い出しながら。

 レオンが持つ【マリオネット】は離れた鎧、人形などを操る能力だ。ただ操れるだけでなく、視界や感覚までも共有出来る。もし、話が可能な人形だったなら、会話も出来る程だ。
 だが、そこにあるのは無機質な物体ではない。物に宿る精霊や意識、夢珠から作られた鎧にはニンゲンの意識が眠っている。
 レオンは『闘いのために作られた鎧』を操り続ける内に、その本来の自分の意識よりも、鎧に込められた闘いの意識に支配されていったのだ。それはまったく別の人格とも言っていい。その意思は強く、抗えるモノでは無かった。

 ジンとレオン達が交互に説明をしていく。その話を聞きながら護衛組の二人は肩を落として泣いた。
 憎いと牙を剥いた相手は、助けるべき同胞だったのだと。振り上げた拳を下ろしたジュンは、話を聞きながら、自分の懐に手を入れる。
 布で巻かれた小さな包みを取り出して、ゆっくりと開いていく。
「実は、まだ持っているんだ」
 取り出して見せたのは、なんとハルオの腕だった。
 驚くモーリスとレン。
 チョウサクは知っていたようでそれを見てまた泣いた。
 ジンは驚くよりも先に、食い入るようにハルオの腕を手に取り見始めた。
「どうして消えてないの?」
 モーリスが不審げに声を震わせる。
 ジュンが涙を拭いながら言う。
「わからない。さっき武器を取りに行ったら、まだ消えずに残っていたんだ」
 青い帽子はまじまじと腕を見続ける。
 後ろでレオンがまた頭を下げた。
「本当にすまなかった」
 ジンがそれを聞いてあっけらかんとした声で言った。
「レオンさん、やってしまった事は仕方ないよ。謝るよりも先にまだやれる事が出来た、そっちやろう」
 ジン以外の一同が口を開いてポカンとする。真っ先に声を上げたのはレンだ。
「あ!そっか!!手が残ってる!まだ手がある!」
 ジンが頷く。が、レンとジン以外には理解が出来ない。
 ジンはハルオの腕を持ったまま、護衛組のリーダー、ジュンに尋ねる。
「ジュンさん、聞きたいんだけど、ハルオさんを産んだオリジナルの人間ってまだ生きてるよね?」
「あ、ああ。人気のお笑い芸人で、もちろんまだ生きてる」
「この近くに住んでるかな?居場所解りそう?」
「ああ、一度ハルオと見に行ったから、知って……る。それが何なんだ?」
 ジンは良しと笑ってモーリスに向き直る。
「モーリス、この腕を消えないように、時間が止まるようなコトダマないかな?そんな事出来る?」
 モーリスは少し考え、
「多分、出来るわ。私が『止まれ』とか、『消えないで』って触れてお願いすればいいと思う」
「じゃ、さっそく頼むよ」
 ジンはモーリスに腕の包みを差し出す。モーリスはハルオの腕を上から撫でるように触れると、お願いをする。繰り返し、二度、三度。
 ハルオの腕が微かに光を帯びて、固まり、動かなくなる。
「よし、今すぐにこの腕を持って、そのオリジナルの人間の家に行くんだ。1分でも1秒でも早い方がいい」
「どういう事だ?俺にも解るように説明してくれ」
 チョウサクが言うと、ジンが微笑みながら口を開く。
「邪夢(ジャム)たちは夢珠(ゆめだま)を食べたあと、どうする?全部食べずに残して人間の体に返すだろう。そうするとまた人間の中で成長してまた同じ夢珠が産まれるんだ」
 ジュンが言う。
「でも毒されて闇の夢珠になるじゃないか」
 ジンは頭をポリポリ、
「それはそうなんだけど、……じゃあ僕たちがオリジナルの人間に触れたらどうなる?」
 これに答えたのはモーリスだ。
 ベッドの上で眠るニンゲンを見つめ、悲しみを込めて言う。
「消えて、死んじゃう」
 ジンは首を横に振った。
「違う。死ぬんじゃない。殆どの小人達が勘違いをしている。それは間違った認識さ」
「まさか……」

 ハッとするモーリスの言葉を遮り、ジンは言う。


「僕たちのカラダは人間に還る。そしてまた夢珠になって産まれるんだ」


 それは誰も知らない、小人たちの理(ことわり)。

 かつて人間と触れ合ったジンと、それを見届けたレンだけが知る、もう一つの物語(しんじつ)。


 ☆


 窓辺に座って、モーリスは呟いた。
「あなた達に出会えて本当に良かったわ」
 寝室に残って夢珠の回収を続けるモーリスとレン。ジンは子供部屋の様子を見に行っている。
 窓からすぐ下に、眠るベッドは漆原めぐみとその夫の二人。
 他の小人達、護衛組のジュン、チョウサク、そしてレオンとエンジュの四人はハルオを復活させるためにオリジナルの人間の家に向かった。
『私がお手伝いします。私のチカラは身体を透明化出来る。私以外にも、5、6名くらいなら一度に透明化出来ます。きっと役に立つわ』
 エンジュが申し出るとそれを護るレオンはおのずと同行する事になる。
 かつてそのチカラは暴走したのだが、今は【誓約】のチカラにより制御され、自由に操れていた。
 戦闘中レオンに施した【コトダマ】を【無し】にしたモーリスはそれを解除して送り出した。
 ジュン達は少し戸惑いもしたが、少しでも償いをしたいと願うレオン達を許し、信用したようだった。
 今、夢珠の小を回収してきたレンがモーリスの隣に戻って来て座る。
「ん?良かったって?……ああ、ネコバスが二匹居て良かったよな」
「違うわよ、私が、レンとジンに会えて良かったって言ったの」
「ああ、そうか」
 勘違いを悪びれる素振りもなく、レンは夢珠を腰袋にしまう。
「私ね、まだ言ってなかったけど、実は……」
「漆原めぐみが本体(オリジナル)なんだろ」
「!? 知ってたの!?」
「そりゃあ、解るよ。普通のヒトを見る目じゃないし、あの時……」

 エンジュに夢珠を奪われそうになった時、

「……モーリスは夢珠に向かって走らずに俺の所にダッシュしたろ。それにその『強すぎるチカラ』ってやつ?」
 レンはモーリスの手を指差す。モーリスは不用意に何かに触れないようにしているためか、お腹の前や背後で手を組む癖がある。
「オレ、さっき一回目に失敗したろ?あの時、実は【滅殺】って書こうとしたんだ。でも一文字しか形にならなかった。モーリスは二文字とか操れるし、すげーよな。まさに『言葉の魔術師』って感じだよ」
 モーリスは自分の両手を見つめ、視線を漆原めぐみに移した。
「最初は悩んだわ。このチカラが何なのか解らなくて。触れた仲間に……ただ『止まりなさい』って言って、触れただけなのに……その仲間が時間が止まったみたいに全く動かなくなった。あの日から、仲間のみんなが、私を見る目が変わった」

 ……
『おい!あっちにお菓子があるぜ!ちょっといただこう!』
『ダメよ、勝手に食べるなんて!掟を守りなさい!』
『うるっせーよ!バレなきゃいいだろ?』

 ……

「最初は怨みもしたわ。こんなチカラ要らないって嘆いてた。私を産んだヒトを憎んだ。もう死んでやるー!って思ってた。そして自分を産んだ人間について調べて……めぐみの存在に辿り着いた。彼女を知る事で、この意味の解らないチカラの正体が分かった気がした。私はめぐみのそばに居ながら、消えてしまいたい思いと、それが出来ない自分の弱さに立ち止まってしまったの」


「ママぁ~、ママぁ」
 いつの間にか人間の子供が、寝室の入口に立っていた。
 母親は目を覚ます。
「ん?……起きちゃったの?」
「一緒に寝るぅぅ」
「はいはい、こっちおいで」
 ベッドに潜り込む子供。
「はいはい……寝ましょうね~……」

 やたらと膨らんだベッドを見つめるモーリス。
 すぐに二人はカーテンの陰に隠れたのだが、また出て来て座ると、ジンがムチに変えた武器で飛び上がって来るのが見えた。ジンも窓辺に着地する。
「ジン、来る前に何か知らせろよな」
「怖い夢を見たみたいなんだ。すぐ破壊して終わらせたんだけど、起きちゃってさ」
「まぁ、三人とも一緒に居てくれた方が、ラクでいいわよ」
 モーリスが言うと、そのまま言葉を続けた。
「ママかぁ……私の方がお姉さんなんだけどなぁ」
 窓辺に三人が並んで座る。
 ベッドには川の字。
「私もママぁ~って抱きついてみたい、それも叶わない、ママなのにね。姿を見られてもいけない。話す事も出来ない。産んでおいて知らんぷり。可愛がるのは弟の方ばかり、私の事なんて知りもしない」
 左でモーリスが拗ねながら後ろにパタンと倒れる。
「わかるよ。妬けちゃうよね」
 その隣、真ん中に座るジン。
「そんな事考えてたのか。俺の本体(オリジナル)は中国人だからな、武術の大会か何かでたまたま日本に来て、俺はその時に日本で産まれた。だから会いたいとも思わん。海越えなんて面倒だ」
 右のレンが伸びて寝転ぶ。
 ジンも真似して寝転ぶと、窓辺にも川の字が出来上がる。
 モーリスが言った。
「でも、救われたわ。あなた達に会って、私は救われた。だってめぐみに触れても、また産んで貰える、その事を知ったから。もうめぐみが怖くない。ありがとう、レン、ジン」

 月夜に光る、星の瞬きは、二つの川の字を照らす。夜が明けるまで、まだしばらくの時が要る。
 三人が夢珠の回収を終えて、ネコバスに乗り込む頃、モーリスはこの地を離れる決意をする。
 それは今まで足踏みを続けていた自分との決別であり、レンとジンとの新しい仲間としての生活を始める決意だった。



 ……
 ……
 ……酔った。



 ☆ ☆ ☆


 組織『アレックス』に戻ったジン達は、ネコバスの改善案を含めてテスに会って報告をした。夢珠の回収結果と、【コトダマ】の力を無事に手に入れた事、そしてハルオの事を話すと、テスは一安心といった表情で支配人アレックスに取り次いで短い連絡を入れる。施設の中で電話を真似した通信機器のような物を使用しているが、夢珠から創ったもので、電気系統の回路は無い。話すマイクと聞くスピーカー部分があれば機能は自由に変えられる。
「お二人がご無事で何よりでした。まだ戻っていない護衛班もその内に戻るでしょう。どうぞ奥でお休み下さい。モーリスさんも無事で良かったわ、一緒に奥へ。後ほどアレックスが伺うそうです」
 テスは二階の奥にある客室に三人を案内した。
 広々としたリビングには大きなソファが並び、飲み物やお菓子などがすでに用意されている。
 ジン達が戻って来た時から、客室に通される事を予期していたという事だ。
 三人が部屋で武装を解き始めるとテスは短く声を掛けて退室した。
 モーリスが結んでいた髪を戻してソファに座りながら言う。
「ジュンさん達、大丈夫かしら?」
 防具を剥ぎ取りながらソファに身を投げるレン。
「まぁ、大丈夫だろ。それよりネコバスはもう乗りたくないー」
 ジンも頭を押さえてソファにうずくまる。
 回収してきた夢珠を袋から取り出してソファに囲まれた中央のテーブルの上に並べていくモーリス。
 大玉が一つ、中玉が一つ、小玉が六つ。
 大玉と中玉、そして小玉二つは漆原めぐみの夢珠。あとはその子供と夫から回収した物だ。

 しばらくして、ノックと共に客室のドアが軽快に開き、支配人アレックスが登場した。従者もなく一人きりで。
「無事にお戻り下さいましたね!お疲れ様でした。いやぁ~、良かった良かった。成果もバッチリでしたか?おや、見事な大玉ですねぇ!これがあの貴重な【コトダマ】ですか?」
 アレックスはワザとらしく見える程にオーバーリアクションで夢珠をマジマジと眺める。
 ジンがアレックスに向き直り、座る場所を変えて促した。
 アレックスがソファに掛け、その対面に三人が並ぶ。
 ジンが口を開く。
「アレックスさん、今回のご協力に心から感謝します。当初の目的通り、レンがチカラを得る事が出来ました。それで色々と甘えてしまって何なんですが、まだあと二つ程、お願いしたい事が有るんです」
「いや、三つだ」
「レン、それは後にして」
「二つでも三つでも、何なりとおっしゃって下さい!今、テスを呼びましょう」
「ああ、大丈夫、それには及びません。一つ目は、今回持ち帰った夢珠の事です。今回の戦闘中に、必要になったのもあるんですが、すでに中玉を一つ、レンが使いました」
「構いませんよ。能力を得る為です」
「厚かましいお願いなのですが、さらにお土産にもう一つ、戴きたいのです」
「この大玉ですね?どうぞどうぞ!構いませんよ。初めから回収した夢珠は全て差し上げるつもりでおりました。今回の夢珠は全てご自由に持ち帰って下さい」
「あ、いえ、この漆原めぐみの小玉が一つ戴ければ。それで満足です。私達が帰る道中、荷物になってしまいますし、貴重な夢珠で予約待ちの状態でしょう。あとはアレックスさんの方で収めて下さい」
 これにはアレックスもレンもモーリスも驚いた。
 能力を秘めた夢珠よりも、小さな夢珠を一つだと言うのだ。帰りの荷物とは言うが、背負い袋で充分持ち帰ることが出来る量でもある。
「それは、また……こちらとしては大変有り難い申し出ですが……ジン様の方で今から使う物かと思っていたんですが……?」
「いえ、私はまだ技が未熟です。今はレンがチカラを得てくれれば、私の街にも役に立つに充分です」
「おいジン、もったいね~ょ」
「うるさい。いいったらいいの。実は友人に漆原めぐみのファンが居まして。その子に頼まれたんです。『お土産は漆原めぐみの夢珠の小』って。ほら、大玉や中玉って、許可がないと持っていられないし、許可取らないならすぐに使わないとダメでしょ?その子はコレクションが目的ですから、小玉のが都合が良いんですよ」
「ああ~、ナルホド、そうですか。それならば有り難く、他の夢珠はこちらで管理に回しましょう」
 アレックスが笑顔で言うと、レンが諦めたようで、首で天を仰いだ。ジンが頑固なのはよく知っている。諦めるしかない。
「それで、もう一つとは?」
 アレックスが言葉を促す。
「はい、仲間の事です。今回の戦闘で護衛組のハルオさんが戦闘不能に陥りました。回復にはかなりの時間がかかると思います」
「知っています」
「同時に私達は、現場で二人の戦士と出会い、味方に付ける事が出来ました。彼らは未所属で、私達に協力したいと言ってくれています」
「ほう、二人の戦士?」
「かなり強い戦士達です。実力としてはお借りした護衛組三人と同等かそれ以上かと」
「それは強力ですね」
「そこでお願いです。アレックスさんの組織に所属する、こちらに居るモーリスと、その戦士二人、交換してくれませんか?」
「……え?」
 アレックスが言葉を失う。
 モーリスも絶句している。
「ぷっ、あはははは!」
 レンは笑い出した。
 ジンはモーリスを組織から抜けさせて連れて行く、その代わりにレオンとエンジュを引き取れと言っているのだ。
「ハルオさんが倒れて、モーリスが居なくなると二人分の空きが出来ちゃうでしょ?だからその二人を補充としてココの組織に入れて貰うという事は出来ませんか?」
 アレックスは即答しない。
 口元で両手を組んで思考する。
 組織に所属するのは戦士の自由意思だ。支配人だからとてそれにイエスもノーも無い。
 だが組織に入る為には素性や過去の戦歴を審査する必要がある。つまり、以前の組織から抜け、一時的とはいえ暗い過去を抱えたレオンとエンジュは普通の組織からは敬遠される存在でもある。という事だ。
 だが、今のレオン達二人はモーリスとジンの【誓約】のチカラでのみ、その意識を持ち直した状態だ。そのチカラが弱まり、消えてしまう前に、こういう設備の整った組織で改めて夢珠を使い、処置をする必要がある。

(…… ジン君は意外と策士だな。その二人、かなり厄介だと見える。それとも、ただの仲間想いと取るべきか?……とにかく、あげようとした夢珠を返されてはこちらの『恩』が足りなさすぎる)

 アレックスはジンの住む田舎組織に取り入りたい思いがある。ジンにここで出来るだけ恩を売り、田舎組織に取り入る足掛かりにしたいのだ。
 思案するアレックスが口を開こうとした時、ノックと共に客室のドアが開いた。

 ドアを開けて中に入って来たのはアレックスの秘書、テスだった。
 紺色のスーツに藍色の髪が似合い過ぎている。
「丁度いい、君を呼ぼうと思っていたんだ」
 アレックスが助け船に微笑んだ。
「御用ですか?」
 テスが応える。実は会話の内容は全て把握している。
(聞いてたな)
 ジンは口には出さない。
 アレックスの懐刀はこのテスだ。だからテスが来る前に、アレックスと話を通してしまいたかった。
 アレックスが微笑んだ顔を崩さずに説明をすると、テスは当然とばかりに応えた。
「あら、それは考えるまでも有りませんわ、アレックス様。組織に入るも出るも戦士の自由、本人達に聞いてみればいいのです」
 テスは、部屋を出てすぐの廊下に声を掛ける。
「どうぞお入り下さいませ」
 部屋に現れたのは二人、灰髪に赤銅鎧を纏ったレオンと朱髪のエンジュだ。
 姿を見てレンが尋ねる。
「どうだった?レオン」
「上手くいったよ。暫くあの二人が毎晩あの人間の様子を見るそうだ」
「そか、間に合って良かった」
 レオンの答えにレンが笑うと、アレックスが突然立ち上がり、声を上げる。
「レオン!?リビングデッド・ナイトメア!?」
 目を見張るアレックスに、レオンが冷静に応える。
「お初にお目にかかる。総支配人のアレックス殿。私はレオン、こちらはエンジュ。過去にはそう呼ばれた事もあったが、今はフリーの戦士だ」
(全身鎧に黄金の剣、本物か!護衛三人と同等だって?戦士百人でも敵わないだろ!)
 背中に冷たく汗をかきながらアレックスは舌打ちするのをこらえた。
(やはり即答で受けるべき話だったんだ!彼が組織に入ってくれれば、この地一帯のチームなんか目じゃない、全員尻尾巻いて逃げ出すぞ!)
 テスはアレックスの傍に立ち、静かな面持ちでレオンに尋ねる。
「単刀直入にお聞きしますが、レオン様とエンジュ様は我々の組織アレックスに加入して、ご助力していただける、その意志はございますか?」
 ジンとアレックスが回答を先読んで視線を落とす。
「愚問だな。この身はジンとレン、そしてモーリス殿に救われた身、三人にこの恩を返すまで、三人のための剣となり盾となって働くつもりだ。聞けばここの組織ではないそうだな。加入などあり得ん」
『ですよねー』
 ジンとアレックスが同時にうな垂れた。
 レンがジンを見て笑う。
「余計なお世話だったな」
「僕たちの田舎で剣にも盾にもなってもらうような事起きないよ」
「二度も死にかけたお前が言っても説得力ないぞ」
 レンとジンのやり取りの横で黙って見ていたモーリスがジンに言う。
「私もあなた達について行くわ。これは戦士の自由意思よ、来るなって言われても勝手について行きます」
 レオンがそれを聞いて大きく頷く。
「そうだな、勝手について行くさ」
「そう言わないでよ、モーリスは健康体だから心配無くてもレオンさん達は身体の事もあるんだからさ」
 ジンが眉根を寄せると、テスが場を制するように声を通した。
「ではこれは如何でしょう?ジン様はレオン様達のお身体がご心配のご様子。何か治療が必要だという事ですよね。ジン様達がお帰りになるまであと二日ほど猶予があった筈です。レオン様達は今から出発の時まで我が組織にてその治療を受けて頂きましょう。お帰りまでの二日間みっちり治療させて頂きます。ジン様達にはその間、観光でもなさって戴くということで」
 アレックスが少し考える。
「そりゃあ、大切なお客様だ、ここを我が家だと思って自由に使ってくれて構わない。皆さんがそれで良ければだ」
 レンが笑って手を挙げる。
「おお!観光したいしたい!」
 モーリスが笑顔で続く。
「じゃあ私が案内してあげる」
「レオンは?治療受けてくれるかい?」
 ジンが聞くと、レオンは優しい瞳で答えた。
「願っても無い話だ。お言葉に甘えよう」
 それを聞いてジンは微笑んだ。
「それでは早速手配致します。アレックス様、会議の時間です、参りましょう」
「え?あ、ああ、そうだな。では失礼する。皆さんはごゆっくりとね!じゃあ、行こうか!」
 部屋を出るアレックスとテス。
 廊下をスタスタ歩きながら、アレックスがテスに言う。
「会議なんかないだろ?」
「方便です。私の提案に納得されてないようですが?」
「そりゃあ、あのレオンを仲間にするチャンスだったんだからな」
「良い噂で有名になられた方では有りません。本来はジン様達に恩を売り、組織の足掛かりを作るのが目的です。レオン様の治療がレオン様に対する恩になり、ゆくはジン様に恩を売る形になります。本来の目的を忘れないで下さいませ。家の中でライオンを飼うのは後にして頂きます」
「う、そりゃ、まあ」
「それにレオン様は組織の中ではかなり浮く存在になります。強すぎる力は組織の中に波紋を作ります。今まで勤めて来た戦士達にも影響があるでしょう。ライオンは家で飼うのではなく、外に放し、たまに帰った時にでも頭を撫でてやればいいのです。わかりましたか?」
「……納得した」
 アレックスは頭を下げて苦笑した。
(うちにはもうメスライオンが居るんだったな)

 口が裂けても言えないけど。と、アレックスは頭の中で付け加えた。


 ☆ ☆ ☆



「オードリー、やっぱり無理があるよ」
 部屋のテレビ台の片隅でマサルは無表情に言った。
「うるさいわね」
 オードリーは相変わらずのカカァ天下を見せており、ラジオから流れる人気芸能人内田ユウキの声にのみ集中し、マサルの愚痴も聞く耳を持たない。
「レンとジンをウチの班に入れるってのも勝手に書いてるし、二人が帰って来てシュワルツに挨拶もしないで直接現場に入るわけないじゃん」
 マサルとオードリーは自分達が襲われたあの部屋に居た。新調した装備の見た目とレン達の名前でシュワルツを丸め込み、六人居た班を八人に膨らませて強化された部隊であるとのたまった。
「もうアレから一週間、二人の謹慎も解けるし丁度いいじゃないの。第一今日はラジオの日なのよ?どんな事をしてでもラジオの前に立つのがリスナー魂ってもんでしょ」
 二人の眼前に眠る人間はあの日と同じように、一週間前の風景を繰り返している。
 ラジオから流れるDJの声は、相変わらず軽快で楽天だ。
「出動禁止命令だし、あと1日あるし」
「誰も覚えてないわよ。当のシュワルツ本人がそうかそうかってガハハハ笑ってたじゃない」
「レン達が今すぐ帰って来てシュワルツに会ったら僕たちアウトだよ」
「そうならない事を祈ってなさい」
「無理だ、絶対ムリだ」
「うるさい!you kiss が聞こえない!」
「レン達に怒られて、シュワルツにも怒られて、ダブルパンチだよ」
「ボソボソと女々しいわねー、男でしょ!」
「よう、楽しそうだな?」
 突然投げ掛けられた声に一瞬だけ固まるマサルとオードリー。
 振り向くとそこには赤い帽子のトレードマーク。
「レン!いつ帰ってきたの!」
「ジン様はどこ!?」
「まぁ、待てよ。って相変わらずの失礼さだよな、お前わ」
 冷たく睨むレンの背後にジンの姿を見つけてオードリーは赤帽子を突き飛ばして跳躍した。
「ジンさまぁ〜ん❤︎」
「うわっぷ!ただいま、オードリー」
 抱きついてきたオードリーを受け止め、返す笑顔。
「ずっと!ずっと毎日ジン様の事だけ!を想っておりましたわ!いつ帰るのか、会いたくて会いたくて震えておりましたわ!」
「だけって強調したな、今」
 レンが震えている。
 それをなだめるマサル。
「レン、今帰って来たの?」
「ああ、まだ本部には帰ってないんだけど、帰る途中でこの近くまで飛んで来たからさ、時間的にもしかしたら居るかと思ってさ」
「良かった!!助かったよ!」
「はぁ?何が?」
「あ、ああ、コッチの事……あ、その防具かっこいいね!僕も新調したんだよ!」
 都会で手に入れた装備や、新調したばかりの装備をお互いに見せ合い始めるマサルとレン。マサルは何かをうやむやにした。
「あのぅー、今晩わ、皆さん初めまして……」
 ジンに続くように姿を現した黄色い服の小人、緑色の長い髪。
「あ、紹介するよ、東京で知り合ったんだ。彼女はモーリス。こっちがオードリーで、紫色の帽子がマサル」
 ジンが和かに紹介すると、ジンに抱きついていたオードリーが突然叫ぶ。
「 ぃいやぁー!!ジン様ったら浮気モノ〜!!」
 もはやエンディングを迎えた内田ユウキの番組には集中力もなく、次に始まるのは漆原めぐみの番組だったがオードリーは狂気乱舞する。
「何なんですのこの女は!私という者がありながら他の女に手を出してあまつさえお持ち帰りなんて!」
「ち、ちがう、そんなんじゃなぐ、ぐるじいぐるじいょ」
 ジンが絞め殺されつつある後ろで、モーリスはラジオから流れる声に聞き入った。今まですぐ近くで聞いていた声に、懐かしさと新鮮さを感じる。ラジオで番組をやっているのは知っていたが、実際に漆原のラジオを聞くのは初めてだ。

「レン?まさか人間に見つかったんじゃないの?」
「そんなわけないだろー、セーフだ、セーフ」

「モーリス?どうしたの?悲しいの?」
「ジン様、ゴマかさないで!何よこの女は!泣いて気を引こうなんて、見え見えよ!」

 涙を拭うモーリス。
 ニコリと微笑んで言った。
「私、一人じゃないんだって思ったの」
「はぁ?見ればわかるでしょ?」
 オードリーの言葉に、モーリスは頷く。

 部屋に入って来るオレンジや黄色のとんがり帽子たち。
 赤い帽子とムラサキと、青にピンク。
 目の前に並ぶ、小さくてカラフルな帽子たち。モーリスは何色にしようかと、提案を新たなる仲間に投げ掛けるのだった。



 ☆ ☆ ☆


 フクロウの背中に乗りながら、レオンとエンジュは街の空をゆっくりと飛行していた。
 ジンに聞いた街の北東部地区の本部を目指している。
「私達も他の仲間たちに会いたかったわ」
 エンジュが残念を口にしてレオンの背中に寄りかかる。
「また明日だな。治療を受けたばかりの体で邪夢に遭遇するのは良くない。一足先にリーダーに挨拶だ」
「そういえば、ジンが明日、探偵ゴッコに付き合って欲しいって言ってたわ」
「探偵ゴッコ?何の遊びだ?」
「さぁて、何でしょうネ」
 首をかしげるエンジュ、レオン達を乗せた茶色いフクロウは月夜の中を滑空して行った。


 ☆ ☆ ☆


「ジン様、待ちなさ〜い!」

「ちょっと!オードリーそんな場合じゃなくて邪夢が来てる!あそこにホラ!」

「よーっし、一丁やるか!行くぞジン!モーリス!」

「了解、私がレンの援護するわ、新しい技、皆さんに見せてあげて」

「じゃあ私がジン様の援護を致しますわ〜!あの女より役に立ってみせましてよ」


 今宵もまた、月は登り輝く。数多の囁きを従え、地上の小さな生命達に眠りを誘う。
 ヒトもまた眠りにつく。
 夜は更けていく……

 今夜もヒトは夢を見る。

 彼らはそれを守護する戦士。

 夢防人(ゆめさきもり)という。

おまけ1、2

おまけ1、2

 《 おまけ 1・東京ドゥギーナイト》


『漆原めぐみの東京ドゥギーナイト!この番組は星わっぱレーベルでお馴染みのおやびんレコードがお送り致します』


 ♪ ふんばって~ 昨日よーりもっとふんばって~ ♪



 今晩わ!漆原めぐみです、一週間のご無沙汰いかがお過ごしだったでしょうかー!

 っという訳で今日も始まりました、今夜はお葉書とトーク、音楽を中心にDJやって行きたいと思いまーす。普段はゲストとかラジオドラマとか挟んじゃうから、まるっとDJでお送りするのはかなり久しぶりですね。皆さんのお葉書いっぱい読みたいと思います。期待してて下さいませませ~

 さてと、最近の近況としましては、まぁボチボチ、仕事をやりーの、家事をやりーの、育児にバタバタとね、まま順調に?やらせて頂いてます。
 先日ですね、うちの息子、ジュニア君がですね、5歳になるんですが、早いねーもう5歳だよ。ジュニア君がですね、普段別の部屋、子供部屋の方で一人で寝てるんですけど、夜中に目が覚めちゃったみたいで、
『ママ~、一緒に寝るぅー』
 って、私と旦那が寝てる寝室にね、来たわけですよ。
 あらあら、しょうが無いわねーって、ベッドに呼んで、三人で狭っこくなってベッドに川の字作って寝たんですよ。
 私もこんな事あったなぁーって思いながら寝てたら、ジュニアが、
 小さい声で、
『ママ、ママ』
 って呼ぶわけ。何?って聞いたら、
『ママ、小人が居るよ』
 ってめっちゃ小さな声で言ったんです。私もう眠かったから
『はいはい、寝ましょうねー』
 って、その時はテキトーに促して寝たんですけど、

 翌朝、息子がパッと起きて、布団をぶわっとめくって、いつもダラダラ寝てるのにいきなり飛び起きたんです。うわ、何~?って見たら、息子が
『小人がいない!』
 ってキョロキョロして探してる。
 どんなの?黄色い小人?って聞いたら、
『ううん、赤いのと青いの!トンガリ帽子かぶってる!』
 って言うんです。
 不思議でしょー?彼は、きっと本当に見たんですよ。メルヘンだけど、親バカって言われるかもしれないんだけど、そこはやっぱり、信じてあげたい。

 漆原もですね、実は、

 実は、見たことあるんです。小人。

 黄色い小人?って息子に聞いたのは、実は一度、一度っきりですけど、黄色い服を着た、女の子の小人を見たことがあるんですねぇ。あ、音響さんが笑ってる。信じてないなぁ?信じてる?本当だよ?

 私が見たのはですね、まだ息子が小さい頃、2歳かそこらですね。
 息子にお昼ご飯を食べさせてた時に、息子の目の前に離乳食のご飯を置いて、スプーン持たせて、まぁ、ほっとくと勝手に食べてくんで、そのままほっといてちょっとキッチンで自分の分とか、飲み物とか、イロイロやってたんですよ。
 そんで、ふっと、息子の様子を横目でチラッと見たら、
 息子の目の前に、小さーい、5センチくらいかな?黄色い服を着た小人がですね、腰に手を当てて、息子に向かって何か言ってるんです。
 多分、ちゃんと食べなさいとか?そんな事を言ってるような雰囲気だったんですけど、息子がその小人を見て、急かされてるのか、一生懸命ご飯を食べてる。っていうね、そんな事が、有りました。
 ちょっと目を離したらすぐに消えちゃったんですけど、何だか小さなお姉さんがいるみたいで、ちょっと心強く思ったりしてね。
 あんまり驚くこともなかったんですねぇー、まあメルヘン?メルヘンなんだけど、どっちかって言うと、居て当たり前っていう印象だったかな。
 多分、私が小さい頃に、そうやってまた違う、別の小人を見てるのかもしれませんね。

 だからね、ジュニアが見た赤い小人と、青い小人も、ちゃんと居るんです。あー、不思議な出来事でした。

 さて長くなりました、『早口言葉の挑戦状』いきましょう、福島県はペンネーム『夏の小鳥』さん……




【しーゆーあげいん!おやすみ!バイバイ!!】


 ☆ ☆ ☆



 《おまけ 2 ・ 探偵ゴッコ 》

 狩りが終わった朝、集会場でその日の成果と報告を終えたオードリーは自分の部屋に居た。ジン、レン、モーリス、そしてレオンの四人が一緒である。
 ジンが仲間の紹介と一緒にお土産を渡したい、と言って、全員をオードリーの家まで連れてきたのである。
 家主のオードリーは、わざわざ家にまで来て貰わなくても良かったのだが、何よりジンのお願いだ。断わる事が出来ない。
 広いとは言えないリビングに集い、改めて紹介を受け、モーリスとレオンの二人と握手を交わした。
 面倒な事になるからと、レンの意見でモーリスのオリジナルが誰なのかは伏せられていたのだが、オードリーは知る由もない。東京から来た油断ならない女という擦り込みは尚も継続中だ。
 紹介が終わった所で、ジンが腰袋から、布で包んだ夢珠を手渡す。
「じゃあコレ。約束のモノ」
 オードリーは目をキラキラさせて包みを開く。待ちに待った漆原めぐみの夢珠である。
「ありがとうございますジン様!大切に致しますわ!」
 マジマジと見つめ、手の平で観察を続けるオードリー。
 その姿を見て、満足そうに微笑んだジンは、皆を帰るように促した。
「じゃあそろそろ帰って休もうか。あー、長旅の疲れがどっと来るなぁ」
 ジンは入口のドアを開け、皆を外へ出す。次に自分もドアを抜け、
「じゃあねオードリー、また夜に」
 と、手を振った。
「はい!また夜に!ジン様ありがとう!」
 キラキラした笑顔で返すオードリー。

 家を出て、帰路につくレンがジンに言う。
「あーあ、苦労した夢珠あげちまいやがって。それよりジン、【コトダマ】はお前の分、どーすんだ?予約して来るなら付き合うぜ」
 ジンは立ち止まって返す。
「実はそれについてはアテが有るんだ」



 部屋に一人きりになり、クルクルと踊りながらはしゃぐオードリーは、ピンクの帽子を脱ぎ、ソファに投げる。
 手にした夢珠を見つめ、尚も喜びを表すために鼻歌を歌いながら部屋を歩く。

 そして秘密のコレクション部屋へ。

 隠し扉を開いて一回り小さな部屋に入ると、ズラリと並ぶ声優達のコレクション。
 CDやポスターなど、実物大の人間サイズならば到底置き場など作れない。だが、夢珠の能力を利用し、サイズ変更をする事により、自分達のサイズに合わせ、音楽CDもプレイヤーも小人サイズで楽しむ事が出来る。ポスターを壁一面に貼るなどは基本だ。
 オードリーは小部屋に置かれた中 で、中央の最もアイテムが溢れた人物の前に座する。
 中央に作られた祭壇と思われる場所に、手にした夢珠を鎮座した。
 漆原めぐみのコレクション、その中に夢珠の小が加わったのである。
「やったわ。やっとこの時が来たのね」
 オードリーが一人呟く。
「どれだけ苦労したか。無駄に繰り返した夢珠のトレードも、もうしなくていいのね」
 そう言って衣装を入れるクローゼットを開ける。
 木製の扉が観音開きに中を見せると、中には10を超える夢珠の大や中が並んで居た。
「速水さんや田中さんの夢珠はまだトレード価値も高いし、コレクションの中でも苦労したから保管するとして、新人の夢珠はもう用済みね。解らないように処分するか、別のアイテムに交換しないと……」

「そういえばオードリー!忘れていたよ!」

 聞き間違える事のない声に固まるオードリー。

「もう一人、仲間を紹介するのを忘れてたんだ!!」

 ゆっくりと振り返る。

「ジン……さま?」

 目の前には帰ったはずのジンが、開いた隠し扉を背に立って居た。
「いやぁ、申し訳ない。お土産を渡して安心してしまったよ。エンジュ、出てきてくれ」
 ジンが言うと、空間が歪んで朱髪の女の子が現れた。
「この子の名前はエンジュ。レオンさんの恋人だ。ご覧の通り、なんと自由に姿を消す事が出来る。凄いだろう」
 ジンが冷静な口調で言うと、オードリーは観念したように頭を垂れた。
「ひ、酷いですわ……そんな」
「実はさっきも彼女は部屋に居たんだ。紹介しようと思ったらずっと消えたままで、つい忘れてしまったよ。すぐに引き返したんだが、オードリーが部屋に見当たらなくてね。そしたらまだ中に居たエンジュが扉を教えてくれたよ。いやぁ、驚きだ、こんな部屋があったとはね。ありがとうエンジュ、外でレオンが待ってる」
 エンジュを見送り、ジンはゆっくりと小部屋を歩き、コレクション達を見て周る。
 CDやDVD、本や写真集。そして夢珠。
「オードリー、無許可で大きな夢珠を所持してはならない。掟は理解しているね」
 ジンが中玉の一つを手に、静かに言った。
 オードリーは目を潤ませている。
「どうして解ったんですか」
 ジンは頷き、言葉を続ける。
「最近、夢珠の回収を終えて、帰って来るとよく言われるんだ。『ちゃんと夢珠を提出しろよ、最近ゴマかす奴が居る』、そんなバカなって思ってた。想像出来なかったんだよね、情報不足で予測ができなかったんだ。
 でも、オードリーがケガをして、僕とレンがお見舞いに来た時、オードリーはファンだコレクターだって事をたまに言うくせに、部屋の中にはまったくそういうコレクションが無い事に気付いた。そして出発する僕にお土産を頼んだ。『夢珠の小か使用済みの日用品でかまいません、殆んど持ってますから』いやいやいや、持ってないだろう?一つも飾って無いんだから。
 僕は考えた。自分ならどうする?欲しい物があって、お金なんて使わない小人だ。あるのはそう夢珠だ。夢珠くらいしかない。それをなんとか手に入れてトレードする。都会の知り合いや同じ趣味の仲間と交換するんだ」
 オードリーはすがるようにジンを見る。
「お願い!ジン様!見逃して下さいませ!オードリーは何でも致します!」
 それを無視してジンは続ける。
「オードリー、君はずっとここに住み続けているね。普通、見つかる事を恐れて小人なら寝ぐらを変える。でも君はそうしない。変えたくても変えられない理由がある。一つは荷物、コレクションの山は引越しに不向きだ。そして住所を固定化しておかないと、トレードした荷物が届かない」
「お願いよ、ジン様……」
 涙に崩れ落ちるオードリーの肩に触れ、ジンは微笑みを浮かべて言った。
「安心してオードリー。ここには僕しか居ない。エンジュは元々フリーで何処にも所属していない戦士だ。うちの組織の中の事をベラベラ話す子じゃないよ」
 立ち上がってジンは夢珠に向き直る。
「声優さんの夢珠なら、【コトダマ】として申し分ないチカラが得られる。それはワザワザ有名な声優でなくてもいいらしい。という事は、今ここに【コトダマ】が約10個以上ストックされている訳だ」
 オードリーはジンを見上げる。
 振り向いた想いを寄せる戦士はニコニコ笑顔を絶やさない。
「オードリー、さっきのお土産の小玉と、この中から一つ交換してくれないか?僕はまだ【コトダマ】のチカラを持ってないんだ」
「……え?」
「そして残りの【コトダマ】はこのまま保管しておいてくれ。いつか、時が来たら仲間で分け合う。【コトダマ】として使えない夢珠は、今夜の出動後に本部に提出だ。いいね?」
 オードリーは小さくはいと答えた。
「僕とレンがこの【コトダマ】のチカラを研究して、皆んなに教えて使えるようにするから。それまで待っていてオードリー、君も強くなって、いつか僕が【コトダマ】の使い方を教える。それはそんなに先の未来じゃない。見ていろ、僕とレンはこの北東部のエースになる」
 強く語るジンの瞳に、オードリーはさらに惚れていく自分の心を感じた。

 エースとはその地で最強の戦士に贈られる称号だ。
 北東部ではシュワルツがエースの座を引退して以来、誰もその称号を継いでおらず、無冠のままである。

 そして一ヶ月後、北東部に初のダブルエースが誕生する。

月夜の☆じゃむパニック!~YUMESAKIMORI外伝~

はじめまして、ゆめらいとです。親しみを込めてらいとんとお呼び下さい。日常にある不思議な体験、夢を見ていたはずなのに忘れてしまった、そこからヒントを得て産まれた作品です。序章を書いた頃はまだ二十歳とかだったので稚拙な文章だったなぁと反省しているのですが、編集さんからの指示がない限りはしばらくこのままになります。修正する時間があるなら他のモノを書く時間に回したいので……
読んで頂いた皆さまには大変感謝感謝しております。
また、このじゃむパニックは一部ファンの方からも続編を期待する声や要望も多く、私も現在、その声に応えるべく執筆中です。
また次回、レンとジンの活躍をご期待くださいませ。

月夜の☆じゃむパニック!~YUMESAKIMORI外伝~

夢を見ていたハズなのに起きたら忘れてしまった。そんな経験有りませんか? あなたが眠り、夢を見ている間に、あなたの夢をひっそりと守ってくれている者たちが居ます。この物語は、そんな護り人=【夢防人】たちのお話です。 毎夜、人間が眠りに落ち、夢を見ると形成される【夢珠】を夢防人のレンとジンが守護をしていた。ある時、仲間がやられたという報告と共に、都会から別の夢防人がやって来る。圧倒的な力の差に驚く二人はより強くなるため立ち上がる。 原作:夢☆来渡(1978生/三重県) イラストレーション:緋川和臣 (1979生/ 伊勢志摩・伊賀のイメージキャラのデザイン等を手掛ける)

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • アクション
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-06-30

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 序章・戦士とチカラ
  2. 言葉の魔術師
  3. 凶戦士
  4. おまけ1、2