死体

私は、死体である。
 
 
 
……この発言の時点でオチを予想し始めた、熟練かつ、少し邪な読者の方々に告ぐ。
この言葉は、そのまま受け取ってほしい。私は死体だ。
「死体のフリをして隙を伺う何か」ではないし、「死体役の俳優」でもないし、私の名前が「死体」というわけでもない。
「死体田ムクロ」とか「吉永死体」とか、そういう名前というオチではない。
発想は悪くないと思うが、「死体」という単語を名前に付けるのはおそらくライトノベル作家すら躊躇うのではないだろうか。
 
私は死体そのものだ、ということでいいはずだ。
死の定義については皆さん色々あると思うが、「心臓が動いていない」と聞いたら、まず死んでいると考えるのではないだろうか。
私は四年前――今気付いたが、ちょうど「死」を連想する数字だ――余所見をしていた2トントラックに、思いっきりはねられてしまった。
その衝撃で、心臓が停止した。
 
……ここまで言っておくと、これから私が話す物語が、「生者と死者の交流による、生きることの大切さ」についてのことだと考える、熟練かつ先走り気味な読者の方、けっこういるのではないだろうか。
おそらく期待には応えられない。申し訳ない。
そして、この「死者」を「幽霊」と捉えられてしまうと少し困る。
とりあえず、詳しいことを今から説明しようと思う。伝わりにくかったら申し訳ない。
おそらく前例がないので、どう言うのが正しいのか自分でもわからないのだ。
 
 
私は、他の人間と同じように生活しているのである。
朝、会社に行き、定時を少し過ぎた辺りに家に帰り、夜は妻を持つことを夢見ながら一人で家のベッドで眠る。
「ゾンビ」のように顔色も頭も悪くなったわけではないし、
「キョンシー」のように体に不自由があるわけでもない。
「心臓が動いてない差別」とかも受けていない。
「心臓が動かなくなった代わりに手に入れた超人的なパワー」とかもない。
私は心臓が機能しなくなる以前と、ほぼ全く同じように生活しているのである。
変わったのは左胸の鼓動だけだった。
 
心臓が止まってしまうと死ぬのは何故か。それは全身に血液が巡らなくなるからである。
しかしこの体は、心臓がないのに体中に血液が巡っているのである。
血液に意思があるのか、他の体の機能の中に心臓の代わりとなる働きをするものがあったのか……ともかく、現時点の現代科学では不明である。
もしかするとこの体の場合、心臓がそもそも要らなかったのかもしれない。
……説明しても正直ピンと来ないかもしれない。しかしわかってほしいのは、一番ピンと来てないのは私だということだ。
正直に言おう、こんな非常識な案件はありえない。私はものすごく困っている。どうしてくれる。
 
――と、医者に言われた。
なぜ私は怒られたのか。そしてなぜ私は謝ったのか。どちらも未だにわからない。
 
一応私の事故も報道はされたが、私の現状についてはなぜか報道されていない。
疑問に思っている間に世論は「人気イケメン俳優が詐欺容疑で逮捕された事件」に流されていった。
私は詐欺の恐ろしさを知った。こういう知り方で知りたくはなかった。
 
なんとなく納得がいかぬまま二年が過ぎた日、事件は起こった。
働き者で有能で人気者だった課長が、運転を誤ってガードレールに突っ込んだ。
私と同じく事故だったのだが、こちらはちゃんとした死亡であった。私のように動き出す気配もない。
 
社員たちは始めのうちは悲しみに暮れ、そして課長の穴を埋めるために仕事に打ち込んだ。
私も必死になって働いた。心臓以外の場所をフル活用して仕事に励んだ。
それから、二年が経過したある日。ふと、私はあることに気がついた。
社員たちの成長、そして日々の仕事によって、課長の穴が埋まってしまったことに。
 
課長は、自分がいなくなることで会社が倒産するようなことは望まないだろう。
しかし、これは残酷なことではないだろうかと考えることがある。
胸に手を当てて考えてはみるが、何も反応はない。
 
そんなことも時々考えながら、私は今日も朝の支度を始める。
トースターが焼けるのを待つ間、テレビをつけて新聞をめくった。
イケメン俳優の詐欺事件で湧いていた朝のテレビは「経済評論家の大麻密売事件」に話題が変わり、
新聞の一面には「新型人工心臓の開発に成功」の文字が並んでいた。

死体

死体

私は死体である。しかし、生きていると言っていいのではないのだろうか……?

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-06-28

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