お姉ちゃんと俺君の世界テクテク旅 ヨーロッパ・リバー・クルーズ編 『ケルン大聖堂』

お姉ちゃんと俺君の世界テクテク旅 ヨーロッパ・リバー・クルーズ編 『ケルン大聖堂』

天を突く双塔が、40有余年の時の流れを逆戻りさせてしまった。

マイン川とライン川の合流点に位置し、河川交通の要衝でルネッサンス期の
3大発明の一つに数えられ、活版印刷を発明したグーテンブルク生誕の地
マインツからライン川に入り、リューデスハイム・アム・ラインを経て更に下流
のビンゲン・アム・ラインからコブレンツまではライン渓谷と呼ばれ、川幅が狭く、
蛇行し、流れが速く、また、水面下に多くの岩が潜んでいることもあり、全長
132mのリバー・クルーズ船アマベラ号はそのまま直進できず、岸に寄ったり
離れたりを何度も繰り返し方向調整しながら進むと、その間両岸に19箇所の
城、城郭、砦、城址が現れ、初夏の太陽の光を浴びて光輝く古城と新緑の
ブドウ園や牧場が広がり、その内にローレライ伝説で有名な「ローレライ像」を
通過する。

オーストリアのヴァッハウ渓谷(デュルンシュタイン、メルク27km)が、ドナウ
流域で最も風光明媚な地で小高い丘にブドウ畑が広がり、その中に城、宮殿、
教会等が数分おきに登場し、ドナウ川クルーズのハイライトであるように、この
区間はライン川クルーズのハイライトで眺めのいい船首や最上階のサンデッキに
乗客が溢れているのも知らず、長椅子に寝転がってうつらうつらしていた。 

そんな船旅を続けケルンに到着したのは夕暮れのイルネーション・クルーズに
魅せられたハンガリーの首都ブダペストを出港してから13日目の6月11日の
昼過ぎで、船は市中心部に近い「Hohenzollernbricke」(ホーエンツォレルン橋)
のすぐ横に停泊した。

実はここケルンは、1ヶ月間バイトした中華料理店「金都シナ・レストラン」のあった
ジュッセルドルフから車で僅か30分程の隣町だった。 それはもう44年前の
1972年10月。 駆け足で冬に近づく頃だった・・・・・・。

金都レストランの営業は月曜から土曜日の週6日夕食のみで、仕事は皿洗い
だった。
当然夕食と夜食スナック付の上に、屋根裏部屋で中年の小太り中国人コックと
同室だったが社員寮も提供され、その部屋はスチーム暖房が設置され、真冬
の夜半袖Tシャツでも時々天窓を空けるくらい暖房が利きすぎ、毎よ冬の星座が
きらめいていた。

レストランのオーナーは香港出身のラムさん夫婦で、奥さんは片言の日本語を
しゃべり、俺君と同年代の息子が2人いて彼らがウエーターの仕事を手伝い、
ドイツ人ウエーターも2人いて、キッチンには香港から来たコック長のおじさんと
生意気な兄ちゃんと同室のおっちゃん、下働きのポルトガルから出稼ぎに来た
お姉さんとおばさんと俺君の6人が働いていた。 

主な仕事は、皿洗い以外に閉店後のキッチンの掃除とライス係だった。
それはウエーターが受けたライスの注文に従ってご飯を皿やジャーに盛る仕事で、 
それ故このレストランで覚えたドイツ語は「グロッシャー・ライス(飯大盛り)」
だけだった。 

テーブルから下がってくる客の食べ残しのライスはすべて捨てていたが、ある時
おやじさんから、酢豚等の料理が付いていないライスは捨てないで、セイロに入れ
、ゆで直してもう一度客に出せと指導された、中国人はしっかりしてると感服。

賄いの夕食を作る前には必ず生意気な兄ちゃんコックがいつも「何が食べ
たい?」と尋ねた。 
田舎もので中華料理と言えばラーメン、餃子、チャーハンくらしか知らなかった
のでいつもお任せだった。 
ある時、オックス・テール・スープ(牛のしっぽのスープ)が出た。 これはあっさり
とした塩味で、しっぽの真中の骨に肉が付いていたそれがとても美味しかった。 
またある時は醤油味の干し大根と豚肉の田舎風煮物が出たり・・・、ザーサイと
ご飯は食べ放題で毎晩腹いっぱい動けなくなるくらい食べた。

その頃の最大の目標は、イスタンブールから列車、バス、馬車、徒歩を駆使して
陸路でシルクロードを通り抜けて祖国日本へ帰国を目指し、どうにかしてインドの
デリーにたどり着く為に旅行資金を稼ぐ事で、それ故まずは節約し、食生活を
切り詰めてた。
幸いにも、仕事は夕方からスタートするので朝は遅くまで寝て、昼はまずいドイツの
パンと水くらいで済ませ、まともな食事は賄い夕食だけの実に貧しい食生活の
日々を送っていた。 

営業が終了し、キッチンの掃除を終えて帰宅するのは夜11時を回っていたので
路面電車トラムの最終便には乗車出来ず、祖国へ向って歩くように、冬の深夜、
雪や雨が降り出しても、社員寮まで30分歩いた。
店が面していた大通り「ベルリナー・アレー」を7、8分歩くと18世紀にカール・テオ
ドール選帝候の依頼をもとに、ニコラ・デ・ピガージュによって造られたドイツ初の
公式な公園「城公園ホーフガルテンHofgarten」に突き当たり、ゲーテ博物館もある
公園は、昼には園内の川にガチョウや白鳥が泳ぎ、朝方は木々からリスが降りて
きて枯葉の上を走り回る木々が生い茂る自然豊かな公園だが、深夜は人っ子一人
いない淋しい公園で、底冷えの寒さの中をただ黙々と公園を横切りる毎日だった。

中東、インドで見る世界がその後の人生に必ず何かを与えてくれると信じ、満開
の桜を夢見て頑張ったバイト生活が約1ヶ月ほど続き、そろそろ労働ビザなしバイト
がヤバくなり、次のバイト要員と交替し、いよいよユーレールパスを使ってフランク
フルト経由でハンブルクへ、そして北欧へと旅立ちの時、ケルン中央駅に停車し
車窓から見上げた大聖堂の高さ157m余の2本の尖塔は、そんな苦闘の一コマを
蘇らせ、前進する為に何事にも真っ直ぐに突き進んでいた青春時代を思い出させ、
胸がジーンとして目頭が熱くなり、慌ててお姉ちゃんの視線を遮った。

まだ日中のような明るい夕暮れの午後7時30分、最後の寄港地アムステルダム
へ向けてライン川をすべるようにクルーズ船が進み始めた。
夕食を終え、サンデッキに立つと、夕暮れの心地よい川風に吹かれながら
お姉ちゃんが言った「俺君、若いころ苦労したのね。」
「あれから随分時が流れて、俺の人生いい発展したと思うよ。」と応えると
「そう? 自分では、『いい発展と言い張ってん』じゃん!」

とこで俺君、この長~い青春のストリーのオチは? とお姉ちゃんが尋ねた。 
「さっき言っただろう」、と心でぶつぶつ繰り返しながら。
秋のホーフガルテンは木立の葉が色づき、枯葉が舞いはじめ、休日の午後
陽だまりのベンチには手をつなぎ、首には二人で一つのマフラーを巻く若い
カップが楽しそうに語らう姿があちこちで見られ、学生風のお姉ちゃんから
「もし一人なら、今晩パーティーするから来ない?」と誘いがかかった。
これは渡りに船。 その気になって一句詠んだ。

『独り身に 恋も身近な 濃い紅葉かな』

お姉ちゃんと俺君の世界テクテク旅 ヨーロッパ・リバー・クルーズ編 『ケルン大聖堂』

お姉ちゃんと俺君の世界テクテク旅 ヨーロッパ・リバー・クルーズ編 『ケルン大聖堂』

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 青春
  • 時代・歴史
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-06-23

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