【Ha incontrato il pianoforte.】

 突然ですが、ピアノの弾き方はご存知でしょうか?
 実際に弾ける方、過去に習ったことのある方は、当然お分かりでしょう。いや、ピアノに全く興味も縁もない方も、おそらく日常生活の身近な何処かにピアノはある(若しくはあった)でしょうし、実際に誰かが演奏している姿も、一度ならず見たことがあると思います。
 弾ける弾けないはともかく、おそらく誰もがピアノの弾き方……つまり、鍵盤を押さえれば音が出る楽器だということは、ご存知だと思います。

 では、初めてピアノを見た時、何を感じたでしょうか?
 恥ずかしながら私の場合、ピアノに携わる仕事をしていながら、自分が初めてピアノを見た時のことは覚えておりません。ただ、一度だけですが、その瞬間に立ち会ったことはあります。

 さて、これはイタリアのカラブリア地方に、出張へ出向いた時の体験談です。
 イタリアの中で、貧しいと言われている南イタリア。 その中でも、特に貧しい地方の一つがカラブリア州。 そのカラブリアの中の、地図にも載らない小さな街。 そこで、ミニコンサートが行われることになり、仕事で出向いた時のことです。もう15年以上も前の話です。

 小さな広場(と言ってもそこが街のメイン広場)に仮設ステージを設置し、レンタルしたピアノで、地元の演奏家による子供向けのコンサートが企画されました。
 私が現場に到着した時、すでにピアノはステージ上で開梱され、中央に据えられておりました。
 人気のない小さな広場で、淡々と仕事に取り掛かりました。とは言え、搬送前に工房で一通り調整を済ませましたので、現場で行う作業は微妙な狂いの再調整のみです。電車とバスを乗り継いで、数時間にも及んだ移動時間に比すると、とても割りの合わない呆気ないぐらいの仕事でしたが、作業は順調に進めることが出来ました。

 最終仕上げの調律を終え工具を片付けていた時、地元の子供が一人、ステージの下から何やら話し掛けてきました。実は、作業中から、彼の存在には気付いておりました。 ずっと、物珍しそうに、こちらを見ていることも察知しておりました。
 歳は、日本で言う小1ぐらいでしょうか、少年は、何だか凄く興奮しています。 話を聞いてみると、どうやら彼は生まれて初めてピアノを見たとのことです。

「じゃあ、弾いてみなよ」
 私は、彼をステージへ招き上げ、ピアノを触らせてあげました。
 彼は、「ドレミ」ぐらいは知っていたのですが、ピアノのことは全く知りません。 なので、私は彼に鍵盤を教え、これを押すと音が出るんだよ、と説明しました。
 恐る恐る人差し指で、鍵盤を押し下げる少年。
 小さな広場に、弱々しくポーンと響くピアノの音。
 緊張と興奮と感動で、少年の目はキラキラ輝いていました。

「ドの音はどれ? 」
「ここがドで、白い鍵盤を右に進むとレミファソって上がっていくんだよ」

 ド・レ・ミと弾いてみて、更に興奮する少年。
 そこで私は、ピアノの弾き方を簡単に教えてみました。 右手の親指でドを押さえ、レは人差し指、ミは中指、ファは……ほら、やってごらん、と。
 少年は、覚束ない手つきながらも、何とかド・レ・ミ・ファ・ソ……と奏で、小指まで辿り着きました。
 さて、ラはどうやって弾かせようか……? いや、放っておくと、彼はどうやって弾くつもりなのだろうか……?
 また親指から始めるのかな? と思いましたが、彼の取った行動は私には想像すら出来なかった奏法で、衝撃的でした。
 彼は、ソを押さえた小指を軸に、掌を裏返したのです。 手の甲側、つまり薬指の爪でラを弾き、中指の爪でシ……

 さて、日本の子供で、初めてピアノを見た時に、そのような弾き方をする子はいるでしょうか? それ以前に、この少年と同年代の子供で、ピアノを見たことがない子なんているのでしょうか?
 仮にいたとしても、このような弾き方をする子はおそらくいない、と思います。 理由は簡単、つまり誰でもピアノを知っているからです。
 実物を見る以前から、様々な情報を知らず知らず身に付けているのです。 メディアを通して、話を聞いて、本や絵本で……
 近所から音が聞こえることもあります。
 ほとんどの幼稚園にもピアノはありますし、小学校には必ずあります。
 だから、演奏が出来る出来ないに関わらず、どうやって弾くのかってことは、誰でも知っているのです。

 この少年は、貧しい田舎町の貧しい家庭で生まれ育ったのだろうと予想できます。 テレビもラジオもないのかも知れません。ひょっとすると、まともな教育すら受けていない可能性もあります。
 両親や親戚、友達、知人の誰もが、音楽とは無縁の人生なのでしょう。 音楽に限らず、芸術は生きていく為に、本能的には必要なことではありません。 ほんの少しでもゆとりがあって、初めて享受出来るものかもしれません。
 しかし、その大前提でもある「生きる」だけで精一杯な人も、たくさんいるのです。彼らには、とても芸術に触れるゆとりなんてないでしょう。故に、ピアノを本当の意味で知らない子どもも、世界中にたくさん存在するのかもしれません。その中には、素晴らしい才能が埋もれている可能性もあるのです。
 皮肉にも、ピアノはイタリアで発明された楽器です。 それから300年以上経過した現在、イタリアにはまだピアノを見たことがない子どもが、少なからずいるのです。
 遠く離れた日本では、誰もがピアノを知っているというのに……

 数ヶ月後のことです。当時働いていたナポリの店に、彼から絵葉書が届きました。拙い文字で、『CIAO!GRAZZIE!』とだけ書いてありました。
 この僅か二つの単語を書くだけでも、彼には大変な作業だったのかもしれません。そして、この短い文面でも、あの日の数分間の交流が、彼に何らかの好印象を与えたのであろうことが十分に伝わり、とてもとても嬉しかったのです。
 やがて、私は帰国することになりました。少年に出会った日から、1年以上経っていました。絵葉書を貰ったのに、返事を出さなかったことが心残りでした。
 おそらく、もう少年と会う機会はないでしょう。そもそも、今となっては、私のことを覚えているのかさえ定かではありません。
 帰国して数ヶ月後……日本の生活にも慣れてきた頃、私は少年に絵葉書を送ってみようと思い立ちました。

『僕のこと覚えてるかな?今は日本にいるんだ。あの日は楽しかったね。またいつか、会えるといいね!』

 そんな感じの文を添えました。しかし、彼からの返事はありませんでした。南イタリアの田舎町ですから、キチンと届いたのかも分かりません。でも、きっと読んでくれたに違いないと思うようにしています。

 数年後のことです。ある日、イタリアからエアメールが届きました。しかし、差出人の名前に心当たりがありませんでした。
 手紙は、丁寧な手書きの筆記体で書かれており、殆んどイタリア語を忘れてしまった私には判読出来ませんでした。仕方がないので、通訳をしている知人に翻訳をお願いしました。後日送られてきた訳文は、以下の通りです。

『○○さん、突然の手紙に驚かれたことでしょう。ご無礼をお許しください。
 私はXXXの母です。息子のこと、覚えていますか?息子は大昔に、○○さんにピアノの弾き方を教わりました。当時、私はとても貧しく、息子を学校に通わせることも出来ずにいました。息子も家計の窮状を理解しており、欲しい物、やりたいことを我慢して過ごしていたのです。
 しかし、○○さんと出会った日の夜、息子はピアノを習いたい!と強く訴えてきました。とても習わせるゆとりなんてありません。それに、毎日の食べるものにも困っていたのに、ピアノを買うお金なんて何処にもありません。息子もそれぐらい分かっていた筈ですが、どうしても習いたいと強く激しく、そして、熱く訴えかけたのです。
 私は、息子になんとしてもピアノを与えたいと思いました。直ぐには無理だけど、頑張って出来るだけ早く準備すると約束しました。すると、神様の御加護でしょうか、僅か数週間後に遠い親戚が亡くなり、遺品のピアノを譲り受けることが出来たのです。
 息子は大喜びで、毎日朝から晩までピアノにかじりつきました。調律も調整も出来ていないボロボロのピアノでしたが、息子にはかけがえのない宝物です。弾き方もメチャクチャでした。いや、弾くというより、適当に叩いて音を出して遊んでいるだけです。それでも、息子は楽しそうで、活き活きしていました。後にも先にも、こんなに充実した表情の息子は見たことがありません。
 いつしか私の経済状況も僅かながら上向き、ふとした縁で知り合った先生に、ピアノを指導して貰えるようにもなりました。
 息子は、どうやらピアノの才能が溢れていたようです。才能の開花に飢えていたのです。みるみる間に上達し、14歳にしてナポリ音楽院に飛び級で入学、16歳で初めてのコンサートを開催し、17歳の時にはヨーロッパツアーを行うまでになりました。そして、去年には、世界的に有名なレーベルからCDをリリースしました。
 ○○○さんと出会ってから、間も無く18年になりますね。いつの間にか、XXXも24歳になりました。今では、ピアニストとして世界中の様々な国でコンサートを行っており、親の私でさえ滅多に会うことが出来ません。しかし、電話ではよく話します。そして、いつも○○さんの話になります。初めてピアノを見、初めて音を出したあの日……もしもあの日、○○さんに会ってなければ、ピアノなんて一生弾かなかったのだろうな……と言っています。
 来月、息子は日本ツアーを行います。那古野公演も予定してますので、もしご都合が宜しければ、是非コンサートに足を運んで頂ければと思い、筆を取らせて頂きました。
 では、○○さんのご多幸をお祈りします。』

 年に数回、工具カバンを整理する度に、カバンの底にしまい込んである色褪せた絵葉書を手にします。拙い文字で綴られた二つの単語を何度も読み返し、あの日の出来事を回想します。
 あの少年も、その後どのような人生を歩んだのかは知りませんが、きっと立派な大人になっていることでしょう。
 私のことなど、とっくに忘れてしまっているかもしれません。或いは、大切な思い出になってくれているかもしれません。

 もし、彼がピアニストになったサクセスストーリーが本当の出来事なら、どんなに嬉しいことでしょう! シミと汚れと劣化で褪色したカラブリアの写真を眺めながら、そんな嬉しい手紙が届くといいな、なんて空想しました。

 えぇ、絵葉書が届いたところまでは実話です。

【Ha incontrato il pianoforte.】

【Ha incontrato il pianoforte.】

初めてピアノを見たのは、いつだろう?(一部フィクションを含みます)

  • 随筆・エッセイ
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-06-17

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