独白 1
城谷直樹の苦悩について知る者はそう多くないはずだ。彼はこの国で今世紀最悪の犯罪者の一人に数えられるほど、起こした事件の方があまりにも人々に偏ったイメージを植え付けてしまったのだから。人々の知るその人物像は情報規制とマスコミによって歪められ、その生い立ちについては未だ正確には明かされてはいない。
だがここでは最初に明言しておこう。城谷直樹という青年は、その昔誰よりも心優しい少年であったと。今になってその意外性ある事実について私が関心を抱いたのは、彼が逃亡中に『独白』と称して遺した、自身の手記による長文の遺書が発見されたためである。
城谷直樹についての弁明と共に、私は歪められた彼の人生の足取りを辿っていこう。
『最初はほんの淡い恋心からの些細な悪戯だったのです。しかし、思えばあの日から私の抑えきれない狂気は、私の心に巣食っていたのかもしれません(城谷直樹 中学時代を振り返って)』
城谷直樹は中学時代までは特別問題行動を起こすようなタイプではなく、所謂普通の学生であったようだ。成績は平均的か、少々下回る苦手科目があった程度だが、生活態度は真面目、無遅刻無欠席、課外活動やボランティアにも参加し、協調性もあったらしい。
親しい友人こそいなくとも、誰かと衝突する事もない。それだけならば誰とも波風立てず平凡に暮らしていた学生、と云えるのではないだろうか。だが調べるうちに、この当時の彼は、まるで空気のようだな、という印象を抱かずにはいられない。
彼がどんな人物だったか、という質問に対し、その当時の彼を知るはずの者がほとんど城谷直樹という存在を記憶していないのだ。つまり彼について知り得るこの当時の情報というのは、誰かの記憶ではなく、あくまで記録に過ぎない。それほどまでに印象に残らない人物だったのか。個性が無いという事、そのものがまるで個性のような。だが、それははたして個性と呼べるものなのか。
中学生までの彼の家庭環境は裕福なものではない。その両親はというと、単身赴任で一年中ほとんど家を不在の父、病気がちで毎日家に閉じこもる母。そして家での彼は家事や母の看病をしつつ、幼い兄弟達の面倒を看る日々。誰を頼るでもない貧しい生活の中で、彼は何を思い過ごしていたのだろう。
もしかしたら彼は、自分の生活を悟られまいとあえて他人との距離を置き、目立つことのないよう、それこそ誰一人と自分に関心など抱かぬよう、空気としての自分を意識的に演じていたのかもしれない。
そんな彼に不審な動きがあったのは中学も卒業間近に控えた頃の出来事だ。一人の若い女性教諭が中学校内の階段で転落する。女性教諭は足首の骨を骨折、全身の打撲と擦過傷、全治二ヶ月の怪我を負った。彼女はその時に相手の顔こそ見ていなかったが、どうやら男子学生によって突き飛ばされたようだ、と同僚に話していたそうだ。そして、これが城谷直樹による最初の犯行であるという事が遺書の中では明らかにされていた。
『誰かを愛おしく思えば思うほど、その人を傷付けずにはいられないのです。自分が傷付くその前に』
独白 1