神の島の天馬

星は死んだ・・・・・・。

星の生命力は自分自身を動かしつづけることを放棄したのだ。まったくの活動を停止した星は、地上に風や雨といった恩恵をもたらすことはもうなかった。地上はただ真っ青な海と、かつては大陸でごくわずかに残された島々しか存在しなかった。
 二千年代、人間社会や科学が一段とめざましく発達したこの時期、人類はすべてを科学に依存し、数年足らずでこの星から木々が姿を消し去った。かつては人々が夜眠る際にかならず聞くことのできた虫の鳴き声や木の葉の囀りは、いつしかまるで夜の闇に溶かされたかのように静かになった。地上の生物は限られた場所に追いやられた。
 およそ五百年ほど時が経つと、多くの大陸が海に沈んだ。多くの生命が死に絶え、地上はごく限られたわずかな生物しか生きることのできないところとなっていた。多くの人々が死んだ。生き残った人々は大陸の残骸にすがって生きた。
 人々は後悔した。人類が誕生してから、いままで信じてきた科学が過ちであったことに気づいたのだ。神の怒りが降臨したのだという人々もいた。〈科学はかならずしも人間を不幸にするものではない〉という思想はくつがえされた。人間たちはそのときになってようやく、科学というものはその強力な力を扱う人間次第で人々を幸福にするか、もしくは不幸にするかが決まっていたのだということに気づいた。生き残った人々はそのときから〈科学はかならずしも人間を幸福にするものではない〉という思想を抱き始めたのだ。
 それからまた五百年近く経ったころ、星は生まれ変わろうとしていた。星はふたたび生き始めようとしていたのだ。わずかに残った陸地に植物は根を張り、人間や動物はそれにすがるように植物を大事に育てた。しだいに自然活動も再開されていった。〈過去の過ちをふたたび犯してはならない〉そういった精神をそのときを生きた人々は心に刻んだのだった。
 
そのとき、天馬は歓喜の涙を流しながら夜空を舞った。天馬の駆け巡った痕跡はオーロラや流れ星となり、涙は天の川となって限りなく広がる夜空を飾った。天馬が海に舞い降りて水浴びをしたところに小さな生命が誕生した。次に天馬は陸にあがると、なにもない岩だらけの地面に口づけをした。するとまたそこから小さな生命が根を張り、それはあっという間に数本の丈夫な絆となってこの星を駆け巡った。星のあちらこちらに生命が宿ると、空腹で地面に這いつくばっていた人々や動物たちはまるで息を吹き返したかのように、喜び、歓声をあげた。
人々は見た。動物たちは見た。すべての生命は夜空を仰いだ。すると天馬が溢れんばかりのやさしい微笑みを浮かべて自分たちを見守っていた。天馬の微笑みはやがて光となって生命をあたためた。太陽が昇ると、天馬はその美しい光を振りまきながら、まだ朝陽の届いていない夜空へと走り去っていった。




ロアナ島

「なんでも東の大帝国の皇帝とお妃が急死なさったそうだ」
 何年かぶりに船でこのロアナ島へとやってきた漁師は、島の商人を相手にそのようなことを言った。
「へえー、そうなのかい。俺はそんなこと初めて聞いたよ。なんでもこんなちっぽけで今にも沈んでなくなってしまいそうな島を訪れる奴なんて、そうそういたものじゃないからね。他の国の情報がまったくと言っていいほど入ってきやしないよ」
 商人はそう言うと、この島の中央に位置し、唯一他の島々や国に誇れるほどの荘厳な姿を持つロアナ火山を悲しそうな表情で見上げた。
「そんなにひどいのかい?」
 漁師もそんな商人の表情を見つめると、次に商人と同じように火山を見上げた。
「ああ、近頃は特にね。この島で収穫できる食べ物も年々少なくなってきているし、おれたちのいま立っている砂浜も徐々に海水に追い上げられてきているよ」
「ところで・・・・・・」
 漁師は嫌な雰囲気を吹き飛ばすためにあえてそう言うと、ロアナ火山から目を背けて話を転換させた。
「その大帝国だが、これがまた面白くもあって、奇妙な話でもあるんだ」
 漁師は無理やり感情を押し殺したような笑みを浮かべた。
「へえー、どんな?」
「皇帝とお妃がお亡くなりになられた直後、なんと王位継承者であって一人娘でもある王女様と、忠実な大臣も姿を消したというのだから妙じゃないか」
「そうなのかい」
 商人は他国の情報がなかなか入手できないと嘆いていたわりには、そのおかしな話にまるで興味を示してはいないようであった。それでも漁師は面白おかしく話を続ける。
「ああ、それでよ。跡取りである王女様も大臣もいなくなっちまったものだから、困ったお国は本来何の権力も政権も持たない軍の将軍をとりあえず国の長に立て上げたそうな」
「それで?」
 漁師は相変わらず、ぶっきらぼうな態度をとっている。
「俺の思うところ、これは何か裏があるぜ。大方、その将軍がその王女様と大臣を殺しちまっているんだろうよ。それでその死体をどこかに隠して・・・・・・」
 話しに夢中になって、熱弁していた漁師は、この話しにまったくの興味を示さなかった商人が行ってしまっていたことに気づかなかった。
「待ってくれよ。まだ話は終わっちゃいねえぞ」
 商人は歩きながら頭だけを漁師に向けた。
「悪いが、そんな話あまり興味はないんだ。今は生きていくことで精一杯でね。他の国のちょっとした事件なんかに興味はないよ」
 そう言うと、商人は早足で行ってしまった。
〈なんだよ。他国の情報源がないことをあんなに嘆いていたから話してやったのに。失礼な奴だ!〉
あまりのひどい態度にすっかり気を悪くした漁師は、フンと鼻を鳴らすと、乱暴な歩き方で自分の船に戻り、まもなくして船を出した。

 十年の歳月が流れた・・・・・・。
 この十年のいう長い時間は、あまりにも多くのものを変えてしまう。たとえば、時代、文化、景気、情勢、人の心・・・・・・、あるいは一つの島の形すらも変えてしまうほどの長い『時』であるのだ。ある島は一年間で少しずつ移動し。またある島は乾いた砂の量を増やす。そしてまたある島は砂浜を偉大なる海によって徐々に飲み込まれていく。
 千年と少し前、人類は何らかの原因で超高濃度温室効果ガスを全地上へ放出した。詳しくは伝わっていないが、それはある国が戦争で他国を滅ぼすための兵器の物質として使われたという説もあれば、急激に加速した科学の進歩によって、大量にその物質が放出されたという説もあった。それからというもの、この星全域の海面が上がり、多くの国々がただの島々と化した。
 星は一度死んだ。しかし五百年前に突如生命力を取り戻し、活動を復活させたのだが、千年たった今でもその影響を受けつづけ、海に沈んだ島々も少なくない。このロアナ島も例外ではなかった。
 ロアナ島から、たった一人の少年だけを残して、人々が姿を消した。ロアナ島の人々は誇り高い民族だった。たとえ食料が尽きようとも長年付き添ってきたこのふるさとをあとにする気は毛頭なかった。この民族は他国との交流をほとんど取らない。それは他の民族を信用できなかったからなのかもしれない。とにかく、何らかのかたちで人々は姿を消したのだ。
 少年、トミーはたった一人でこの島で暮らしていた。トミーには身内の者はいない。両親は島の食糧不足による栄養失調ですでに死に、この世にはいない。寂しい日々もあったが、それにもめげずにトミーは自分に残された生命を懸命に生きようという決意を内に秘めていた。そしていつか、いつの日にか、
〈自分で船を作って、この島を出よう〉
 と、考えていた。
生まれてから一三年間人生を共にしたこの島を出るのは、とてつもなく寂しいことだった。しかしいつまでもここにいて暮らしていても埒があかないことはわかっていた。だから旅の仕度が出来次第、この島から出て、他国で他の人の厄介にでもなりながら生きていこうとは考えていたのだ。
 夕方、トミーはわずかな食糧を調達するために、島の中央付近に位置する林の、ヤシの木によじ登ってヤシの実を折れた木の枝で突っついていた。突っつかれたヤシの実がボトリと地面に落ちると、トミーはそれを追いかけるかのようにその木から飛び降りて、それを拾った。
「やったね」
 十分な収穫に満足したトミーは、ニヤッと子供らしい笑みを浮かべると、ヤシの実を丁寧にナイフで切ってかぶりついた。
 そうしているうちに、やがて夜になった。トミーはそのあたりに落ちている折れ枝をかき集めて、火を起こして薪を燃やした。しばらくの間はその薪の光を頼りにして遊びにきた動物や鳥たちとじゃれていたが、やがて眠くなるとトミーはその場で横になった。
「おやすみ」
 眠りについたトミーを見た動物たちがその場を立ち去ると、あたりはほとんど闇のように静かになった。
 やがて雲が島の空を覆いはじめ、激しい雨が降り出した。薪が雨に濡れてほとんど消え、雨水がトミーの頬を激しく叩きつけると、彼は大きなあくびをして目を覚ました。あくびをした口の中に大量の雨が吹き込み、思わずむせてしまい、ようやく雨の存在に気づいた。
「なんだ、雨か・・・・・・」
 トミーが空を見上げると、激しいまでの稲光と雷鳴が空を轟かせていた。だが、トミーの目は雷雨にまぎれ、その空からゆっくりと舞い降りてくる美しい白い光をとらえていた。白い光はロアナ火山のあたりに降りてきそうだった。
〈なんだろう?〉
トミーは走った。林を抜け、ゴツゴツした火成岩の上り坂を走った。
 光の真下へときた。光はゆっくりとトミーの目の前に舞い降りてきた。白い光は激しい雷光と雷鳴が鳴り響くのと同時にだんだんと薄れていき、そしてその光に覆われ、守られていたかのように安らかにまぶたを閉じた白馬が姿をあらわした。
〈天馬?〉
 あまりにも突然で信じられない出来事に、トミーは言葉を発することができなかった。だが、その白馬はそんなトミーの思いを読み取ったのか、閉じられていたまぶたをゆっくりひらくと、まったく口は動いていないのだが、白馬の透き通った声がトミーの心の中に響き渡った。
『そう、わたくしは天馬』
 天馬はやさしさのあふれる微笑みをトミーに向けると、そのまま続けた。
『わたくしは神の使い。神はあなたに使命を与えるために、わたしをここへ差し向けたのです』
「天馬が本当にいたなんて。君はいったい・・・・・・」
 トミーは天馬のからだに目を見張った。背中には白鳥のような白く薄い翼がそなえられ、肌の色はどんな白馬より白くて純粋で力強い。いままで見てきたどんな白より美しく、そしてやさしい。そんな天馬のからだはとてもこの世のものとは思えなかった。
『わたくしがここへいることに疑問を抱いているのですか?』
 トミーはハッとした。
〈考えていることを、読まれている〉
 トミーは思わず、天馬から目を背けた。しかし天馬はそんなトミーにはかまわずに話を続ける。
『たしかにあなたは、わたくしのような奇怪な生き物があなたの目の前にこうして存在いることに理解しかねるでしょう。それにあなたから見て動物であるわたしが話していることもまた奇怪なことでしょう。しかし、あなたの疑問をそのままそっくり返しましょう。・・・・・・それなら、あなたはどうしてここに生きているのですか? いや、そもそもあなたがた人類はどうして存在しているのですか? あなたがたはいったい何者ですか? ・・・・・・いまあなたがわたくしのことを奇怪な生き物と思ったように、わたくしたち神の生き物や他の動物たちにとっても、あなたがたは奇怪に思える。・・・・・・常に自分たちの視点からものを考える。それは人類が誕生したその瞬間から永遠に抱きつづけている傲慢さなのです。あなたがたも、動物やわたくしたち神の使いのように、この星のちっぽけな欠片でしかないのです』
 説得力のあるこの天馬の言葉に意表を突かれたトミーは、そんな疑問を抱いた自分に恥ずかしさのあまりうつむいた。
『それでも・・・・・・』
 トミーは顔を上げた。
『この島の人々は千年以上の長い年月にいたって、他国のよろしくない習慣や感情をこの島へ持ち込まぬようにできる限りの交流を避けてきた。汚らしい者も嫌らしい者もいないこの島はまったく汚れていない。〈ロアナ〉は神の言葉で〈汚れなき白〉。だから、汚れなき白いこの島は〈ロアナ島〉と名づけられた。神はこの〈汚れなき白い島〉のたった一人の生き残りであるあなたに助けを求めるため、わたくしをここへ差し向けたのです』
 トミーはまっすぐ天馬を見つめていた。自分の暮らしていたこのロアナ島にそのような由来があったなんて、まったく知らなかった。
〈だけど、僕は何の力も持っていない〉
 そのとおりだった。島の名の由来だけで、自分自身は何の力も持っていないのだ。ましてや、全知全能である神の役になど立つわけはなかった。
「僕は人間だ。僕は何の力も持っていない」
 トミーがそう言うと、天馬は空を仰いだ。すると天馬はさきほどのような白い光をからだに集中させ、その光をトミーに向けて放った。トミーのからだはそのまばゆい光にやさしく包み込まれた。
 トミーは見た。不思議な光が弾け散り、白熱したその光が自分を包み込む瞬間を。しかし光は熱くはなかった。トミーのからだに不思議な感覚が走った。それはまったく何もなかった自分の空間に、突如爆発が起こり、爆発した光はその自分の空間から空間へと染み渡っていった。それはまるで宇宙の始まり。ただのひと塊だったはずの物質に大爆発〈ビッグバン〉が起こり、爆発した物質は四方八方に飛び散り、壮大な宇宙の中に、無限の銀河、多くの星星、はかない惑星が誕生した。
〈これが、宇宙の始まり?〉
 数多くの希望や夢がトミーのからだ中を走った。空っぽの自分の中に限りない力がみなぎってくるのを、トミーは感じた。だがそれと同時にとてつもない不安や恐怖感がトミーを襲った。この力はこの世の中に存在する、ありとあらゆるものを含んでいたのだ。
 その重みに耐えきれず、トミーは頽おれた。天馬は相変わらずの眼差しでトミーを見つめていた。
『なにを見たのかは、わかっています』
 天馬の声にトミーはゆっくりと顔を上げた。
『あなたに希望を託そう。いまのは神とわたくしからの贈り物です。どうか受け取って欲しい。わたくしたちはあなたにこの星の未来を託します』
 そう言うと、天馬は翼をはためき宙へ舞い上がった。トミーは立ち上がって必死に追いすがろうとした。
「待って、それはどういうこと? 僕はどうすれば・・・・・・」
 天馬はやさしい眼差しでトミーを見下ろしていた。
『この島を出なさい。あなたはここで死んではいけません。いま与えた力はあなたの望みをかなえてくれます。あなたはここを出て、仲間を見つけ、この星を救うのです。その力ならばそれができるはず』
 天馬は続けた。
『でも、いいですか。決してその力を多くの人に見せてはなりません。その力はあなたと、あなたの最も信頼できる人のために使いなさい。もし卑しき心を持った者の望みをかなえれば、その力は兇器と化すことでしょう』
 天馬は空へと舞い上がった。
『さようなら、わたくしたちの愛するロアナの子よ。もしもあなたが与えられた使命を果たし、その力がいらなくなったとき、わたくしをさがし訪ねなさい』
 そう言い残すと、天馬は翼をはためきふたたび白い光に包まれて、空高く飛び、雲の中へと姿を消した。

 翌朝、トミーは島に生えている硬くて丈夫な木を選び抜き、船を作っていた。
 昨夜に天馬が言い残した『この星を救うのです』という言葉がまだ頭をよぎっていた。
〈この星を救う? いったい、どういうことだろうか〉
 あの不思議な天馬は様々な言葉をトミーに残していった。考えれば考えるほど、次から次へと疑問が湧いてきた。
〈考えても始まらないや。島を出ればきっと、すべてがわかるだろう〉
 トミーはそんなことよりも、いま作っている船が気がかりだった。縦が五メートルほどの小さな船だが、それほど波の荒くないロアナ島周辺の海ならこれで十分だろう。それより気がかりなのは、
〈この船は本当に浮くのだろうか〉
 ということだった。
 船作りは始めてのトミーにとって、作るのが難しい部分になると行き詰まり、時折、そのような不安に襲われた。そしてこの船で海へ出る自信をなくす。
〈いや、きっと大丈夫だ。かならず浮かせてみせる〉
 それでもそういう気持ちでなんとか船作りに励んだ。










     






メリボルシア帝国 一

 この国で皇帝と王妃の謎の急死から十年たったメリボルシア帝国。いまではその亡くなった皇帝に代わり、かつて軍事を扱っていたアルベルト将軍がこの国をおさめている。この国では本来、軍人は特に権力も政権も持つことはなかったのだが、国の一大事だったため、仕方なくこのアルベルト将軍に国をおさめる権限を与えたのだった。
 皇帝が亡くなった場合、その王子あるいは王女が王位を引継ぐことになっている。皇帝には一人娘、いわゆる王女がいた。本来はその王女が王位を引継ぐはずだったのだが、皇帝と王妃が亡くなった直後に、その王女も、側近であった大臣と共に行方をくらましていたのだった。
 何の権限も持たないことにひがんでいたアルベルト将軍が二人を殺してしまったのだ、と国民に疑われたこともあったが、十年たっても何の手がかりも証拠もなく進展がなかったため、結局、ほとんどの人が当時のことを忘れてしまっていた。
ロウソク一本のうす暗い小屋の窓から見ることのできる真夜中の満月に心を奪われていた少女がいた。首に鎖をつながれ、うす汚れてボロボロの服をきたこの少女は奴隷であった。少女は幼い頃に両親を失い、それからは家を出て、自分の親身になってくれていた者を慕って生きてきていたのだが、ついこの前、その者が死んでしまい、これからどうすればよいのかわからず途方にくれて道端を歩いていたところを、あくどい奴隷売りにつれてこられてしまったのだ。
 小屋にいるのはこの少女のほかにも同じような子供の奴隷であった。彼らも盗賊や首狩りに親を殺されて孤児となった子や、不景気なために親にからだを売られてしまった子もいた。また不幸なことにも代々奴隷の身であった子もいた。
 少女は最近つれてこられたのだが、この子供の集団のなかではあどけなさが残っているといえども一番年上だった。
「ねえ、アニタはどうして奴隷なんかになったの?」
 となりで寝ていた四、五歳の女の子が、悲しそうに月を見上げているアニタを不思議そうに見つめた。アニタはハッとして振り返ると、無理やり感情を押し殺したような笑顔を作り、それを女の子に向けた。
「わからない。気づいたらここにいたの」
「だけどアニタは最近ここへきたよね。奴隷はあたしのようにうす汚くて、小さい頃から奴隷の子がなるもんだって親方が言っていたよ」
「あら、わたしもうす汚い娘よ」
「でも・・・・・・」
 女の子は悲しそうな顔をすると、アニタをまっすぐに見つめた。
「アニタはきれいだもの・・・・・・」
 アニタはハッとして女の子の目を見つめた。その目にはいつの間にか涙が宿っていた。アニタは胸を打たれて、力一杯に女の子を抱きしめた。すると、女の子はしっかりとアニタにしがみつき、激しくからだを震わせて泣いた。
「泣かないで、わたしがきれいであってもなくても、わたしはあなたと同じ奴隷よ」

 朝がくると、子供たちは奴隷売りの親方に首の鎖を引っ張られて、街の奴隷売り場へとつれて行かれた。親方は乱暴に鎖を引っ張り、その勢いで小さな子供が倒れ、そこで泣き喚くと張り手の一つはくれてやらんとする恐ろしい男だった。
 親方は奴隷売り場までくると、息を大きく吸い込んで競り商売を始めた。たくさんの人買いの群衆がまわりに集まり始めた。
「さあさあ、今日もまた子供の奴隷を売るよ! まずはこの娘! 二〇〇からはじめよう!」
 昨夜、アニタと話をした女の子が最初の競りに出されてしまった。
「アニタ・・・・・・」
 女の子はアニタに助けを求めるかのように目に涙を浮かべ、見つめたが、アニタにはどうしてやることもできなかった。
「五〇〇で買おう!」
 群衆の中からそんな声が飛び交うと、親方はニヤリと嫌らしい笑みを浮かべた。
「五〇〇? 売った!」
 親方がそう言うと、女の子は暴れて抵抗したが強引に鎖を引っ張られ、売られて行ってしまった。
「アニタ! 助けて!」
 女の子の悲痛の叫び声がアニタの胸を深く突き刺さった。アニタはこの悲鳴の重圧から逃れるかのように声に背を向けた。そうすると、女の子の叫び声が止んだ。その女の子はアニタが自分にくるりと身を翻すのを見ると、からだの奥底から何かが崩れていくのを感じたのだ。女の子は諦めた。そして絶望し、自分は大好きだったたった一人の本当に信頼できる友達に見捨てられたのだと気づいたのだ。それから数日後のことだったらしいが、その女の子は急に消息を絶ったそうだ。
〈ごめんなさい。ごめんなさい。許して・・・・・・〉
 アニタはとてつもない悲しみに心を奪われ、いまにもその場にへたり込んで泣き出しそうだった。
〈あんなに仲が良かったのに。どうして? どうして?〉
 同じように多くの子供たちが売られ、ついに自分の番がまわってきた。親方がいちだんと声を張り上げた。
「さあ、本日の目玉だ! この娘はいままでの中では一番年上で、言うことも良く聞き、よく働く! こいつは五〇〇からだ!」
 いままでいちだんと人買いたちの怒鳴り声が大きくなった。「七〇〇、九〇〇!」と声が張り上げられ、アニタは気が遠くなっていくのを感じた。
〈ああ、ついにわたしも売られてしまうんだ〉
 そういった絶望感がアニタを取り巻いた。
「一五〇〇で買おう」
 その声に一瞬だけあたりがシンと静まりかえった。しかしすぐに親方は反応すると、声を張り上げた。
「一五〇〇! 売った!」
 アニタの首の鎖が引っ張られ、自分の買主のところへ連れて行かれた。人買いは壮年の分厚い口髭を生やした、キリッとした男だった。人買いはしゃがみこむと、アニタの顔を覗き込んだ。人買いの視線はしっかりとアニタを釘付けにしていた。
「君の名は?」
「アニタです・・・・・・」
 アニタはいまにも消え失せそうな声で答えた。
がっぽり儲り、もうどうしようもなく嬉しくてたまらない親方は、ニタニタ顔で買主に近づいてきた。
「ところで旦那、その娘をどうする気でいらっしゃいやす?」
 人買いは一瞬だけ眉間にしわを寄せて顔をしかめたが、すぐに顔を引き締めると丁寧に返答した。
「わたしはある農家の者でね。メリボルシアの北の農家に住んでいるのだが、この不景気で若い者はみんなこちらへ出稼ぎしてしまい、この刈り入れの季節になると何かと手間がかかって人手不足なんだ。そこで若い者を誰か雇おうとやってきたのだが、偶然ここを通りかかったときにこの娘を見つけてね。何でも働き者らしいじゃないか?」
「はい、おっしゃるとおりで。よく働きますし、賢い娘です」
 親方は相変わらずニタニタ顔をしていた。そしてアニタと目が合うと、その嫌らしい顔をますますニヤつかせて、それを見たアニタは思わず戦慄した。
首の鎖を外され、アニタは少しだけ自由な気分になった。だがそれもふたたび辛く苦しい奴隷生活が始まるのだと思うと、そんな思いはすぐに消え失せた。
 道中を馬車でメリボルシアから北へ移動することおよそ三時間、はるか彼方に頂上に一年中溶けることのない雪を積もらせた山々が見え始めてきた。
「あの山のふもとにわたしの農場がある」
 そう人買いは言っていた。街で親方と別れて以後、初めてかわした会話だった。
「そうなんですか・・・・・・」
「そっけない返事だな」
 人買いはアニタを横目で見据えると、こわばらせた顔をかすかにやわらげて微笑を浮かべた。
〈以前に雇っていた根暗な青年より扱いにくそうだな〉
 しかし、人買いはすぐにもとのように表情をこわばらせると、アニタから視線をそらした。
「わたしはネオ。君はなぜ奴隷になんかなったんだ?」
 アニタは初めてまじまじと〈人買い〉ネオを見た。ネオの引き締まった表情は、とても力強く、頼りがいがあり、アニタが幼い頃に両親を亡くしてしまったためか、なにか父親みたいなとてもなつかしい温かさを感じた。
〈でも、この人は人買い。わたしは奴隷なんだ〉
「話したくないのかい?」
 ネオがそう尋ねると、アニタはうなだれ、ゆっくりと首を横に振った。
「いいえ、話します」
 アニタは重い口をひらいた。
「わたしの両親は、わたしの小さい頃に突然死んでしまったんです。そのときわたしが生まれた頃から親身になってくれていたおじさんに引き取られて、つい最近まではメリボルシアの街の外れで一緒に静かに暮らしていたんです。ところが、その人も・・・・・・」
「お亡くなりになったのか?」
 ネオは馬車の手綱を両手で持ち、前方の山々を見ながら言った。表情はまったく変わっていなかった。
「はい・・・・・・」
「それから?」
「それからは、もうどうしていいのかわからなくなって、街をさまよっていたところをあの親方に連れて行かれて・・・・・・」
 言い終わらないうちに、アニタの目から涙があふれ出てきた。まだ昼だというのに今日はいろいろありすぎる。仲のよい友達とのおそらく永遠の別れ、自分に値打ちがつけられて同じ人間に買われたこと、そしていままでずっと味わってきた辛い出来事と日々を思い出す羽目になってしまったこと。どれも身も心もまだあどけなさが残っている少女には残酷すぎた。
「すまない。もういい」
 ネオは左手を手綱から離してアニタの肩にそっと手を乗せた。
「君はもう十分すぎるほど傷ついてきたようだな。あの親方の手前はあのように言ったが、本当のところ、わたしは君の姿がじつに惨めに見えてしまってな、君を自由にしてやりたいあまりにあんなに高い金を払って君を引き取ったんだ。君はもう自由だ。しばらく君にははわたしの家で暮らしながら、少しだけ仕事を手伝ってもらおう。やがて時がきたら、あとは君の思い通りにやっていい」
 もう何日も人の醜い心に触れてきてしまったアニタは、そんなネオの言葉に胸を打たれ、激しく肩を震わせて涙を流した。
「ありがとう。ありがとうございます・・・・・・」
 ネオは温かい表情を浮かべてアニタを見つめ、思わず苦笑した。
「それにしてもひどい格好だ。家に着いたら、もっといいものを着させてあげよう」













     メリボルシア帝国 二

 もうどのくらいの距離を航海してきていたのか、まったく見当もつかない。たった一つのコンパスを頼りに、トミーは手作りの船でずっと航海してきたのだ。わかっていたのは、ロアナ島からはるかに東の海を航海していたことだけ。トミーにとっては、どこへ行こうがまったくおかまいなしだったのだが、東に浮遊した結果、メリボルシア帝国に着いたのだった。
 トミーは生まれて初めて外国の地を踏んだ。外国の地を歩くというのはどのようなものなのか、ロアナ島とは違う何かを味わうことができると思い、楽しみにしていたのだが、それほど変わったところもなかった。
 驚いたのはこの国の文化と科学だった。街の道では千年前の特色を真似ているのか、車輪もないのに、人が馬乗りになって少し宙に浮き、猛スピードで前に進んでいく乗り物や、箱型の機械のなかに人が乗り、その人がなかのハンドルらしきものを握らないで居眠りをこいているのにもかかわらず、やはり前に進んでいく。
〈おかしな国だなあ・・・・・・〉
 すれ違うたびに驚かされる、おかしな乗り物、人の服に装飾品、なかには人たちにまぎれ込んで同じように歩いているロボット。見たこともない物ばっかりにおっかなびっくり歩いていたトミーであったが、ふと、全体を反射する鏡のようなガラスにおおわれた巨大なピラミッド状の建物の前で足を止めた。そしてよく見ると、そのピラミッドの入り口らしきところから白衣を着た研究者らしき人たちが出たり入ったりしているのだが、ふたたび驚いたのは、その入り口のドアーも人が近づくと開くという、面白い作りをしていた。
 トミーは自然な好奇心で、研究者らしき人のあとを追って一緒にその面白いドアーの中へ入っていった。
 ピラミッドの中もこれまた驚かされることばかりだった。入るとそこは広いホールで、いきなり案内係なのか、胴の細い女性型のロボットがトミーを出迎えたのだ。
「ようこそ、人間科学センターへ。ここではおもに人間の遺伝子の研究をしており、その遺伝子を巧みに操作してクローン人間の製作を行っております」
 トミーはロボットが自分に話しかけてきたことに驚いた。
「人間の製作?」
 女性型ロボットは器用なことに、まるで人間であるかのようなやわらかい笑みを浮かべた。
「あら、ご存じないのかしら? クローン人間というのはある特定の人間の遺伝子を取り出し、その遺伝子と同じ遺伝子を作り出す、つまり姿ばかりでなくその人間の性格も癖も知能もまったく同じ人間を作り出すのです」
「へえー、すごいなあ。それでそのクローン人間のもとになるのはどういう人なの?」
「はい、そのクローン人間のもとになる人間のことをドナーというのですが、そのドナーになるのはほとんどが優秀な人間です。たとえば一流の建築家や政治家、芸術家、医者、科学者、弁護士、教師などまだいろいろありますが、ドナーになる人間はこの国ではけっして失ってはならない存在なのです。人間という生き物はわたしたちロボットとはちがい、寿命は短く、病気もし、事故も起こして死んでしまう可能性が高いのです。だからそういった災難から逃れるため、優秀な人間の遺伝子を取り、永遠にこの国の役に立ってもらうのです」
「よくわからないや」
 トミーは首をかしげた。女性型ロボットは相変わらずの笑みを浮かべながら、トミーを手で招いた。
「それはそうですね。それでは実際にクローン人間の研究所をお見せしましょうか?」
「いいの?」
「もちろんですよ。このクローン研究はメリボルシアの国家事業。国民はこの事業にじつに協力的です。あなたはどこか遠いところからきた旅の方とお見受けいたしましたが、何一つ隠す必要などないのです。それどころか、メリボルシアの科学力を世界中にせらしめるためには必要なことなのです」
 女性型ロボットはそう言うと、このホールから細い通路へ歩きだした。
 廊下は思わず目がくらんでしまいそうなほどの明るい照明で照らされていた。あちらこちらに研究室の窓があり、その窓の向こうでは研究員たちが忙しく動きまわっていた。彼らは全員マスクを着用していた。清潔で埃一つ落ちてなく、それはここの機関の重要性を意味していた。
 女性型ロボットが廊下の一番奥にあった窓の前で止まり、トミーのほうに向きなおって微笑んだ。
「この部屋でクローン人間製作の初期段階が行われるのです。なかへ入ることはできませんが、ここでドナーの遺伝子を抽出し、その遺伝子の情報をもとに受精卵を作り上げるのです」
 部屋のなかでは研究員が男の腕から何かを注射器で抽出している光景が見えた。
〈ああやって、遺伝子というものを取り出すのか〉
 トミーはその光景から目を放して、同じように慌しく作業に取り組んでいる研究員たちの姿を見つめた。ある部屋ではおそらく受精卵から孵り、順調な成長を遂げているのであろう赤ん坊が狭いカプセルの中に閉じ込められていた。またある部屋ではそれぞれ姿形はちがうが、ずいぶん行儀良く何か難しそうなことの書いてあるボードの授業を受けている自分と同じ歳ほどの少年少女たちがいた。トミーはそんな彼らを見ているうちに〈自分は彼らに比べればずっと幸せかもしれない〉と思えていた。たしかに自分は幼いころに両親を失い、身を引き裂かれるほどの辛さを味わった。しかし、自分はそれからというものある程度は自由奔放に生きてきたのだ。嬉しいときに喜び、悲しいときに泣き、辛いときに悩み、楽しいときには笑った。ロアナ島で暮らしていたとき、時折、両親の死がとてつもなく悲しく辛いことがあった。だが、そんなことも島の動物たちと一緒ならすぐにやわらいでしまう。ふたたび生きる希望がからだの奥底から湧き出てくるのだ。しかし、このクローンの子供たちは・・・・・・。
 この子供たちはきっとそんな感情を抱いたことはないだろう。子供たちは生まれたときから狭いカプセルに詰め込まれ、やがて成長を遂げても、その次にはかつて生きていた、ドナー以上の知識を頭脳に叩き込まれるのだ。喜びも怒りも悲しみも楽しみも、余計な感情はいっさい無用。このクローンの子供たちに求められていたのはドナーの所有していた能力だった。
「彼らは最近亡くなった学者たちのクローンでして、その学者たちはこのメリボルシアに多大なる科学の貢献をしていただきました。ここで無くすのは誠に惜しいのです。ですからわがクローン技術で彼らを蘇らせたのです。彼らを成長させるには長い年数と費用を必要としますが、ここの整った教育施設ならば、以前の彼らより、より優秀な人材を作り上げることができるというわけです」
 トミーは生徒たちを見つめながら、遠い目でまだ両親の生きていた頃のロアナ島を回想していた。
 幸福で自由な日々、貧しかったけれどその胸には夢と希望を抱いて生きていた。両親はそんな自分をやさしく見守っていたっけ? ・・・・・・そう思うと、トミーの脳裏にあらぬ考えが浮かんできた。
〈もし僕と父さんと母さんがこの国で暮らしていたら、僕らはまだ幸せに生きていれたかもしれない〉
 不意にトミーの目から涙がこぼれ落ちた。
何かの機械音にトミーはわれを取り戻した。それからたったいまの自分の恐ろしい考えを振り切った。
〈なにを考えているんだ。そんなことあってはいけないんだ。人が人を作るなんて、そんなの間違っている〉
「さあ、次はクローン人間に埋め込まれている緊急停止装置の説明をしたいので行きましょう」
 トミーは涙をためた目で女性型ロボットに振り返った。
「どうしたの?」
 女性型ロボットはまったく感情の含んでいない声でそう尋ねた。
「もういいです。行きます。ありがとう」
 トミーはそう言い放つと、もと来た廊下を走っていった。

 メリボルシア帝国の中央に位置する大要塞。ここにこの国の軍事力が集結し、かつては皇室にあったはずの政治権力もいまはここにあった。人々はここを要塞と呼んでいるが、この建物のつくりは軍人ばかりいる物騒なイメージとは異なり、雲をも貫き、高さ三百メートル以上もある塔である。
 このビルの最上階の大広間、しっかりと引き締まった体型に黒いスーツを着こなし、濃い口髭を生やした男は、白色のスーツを着込んだ二人の男・一人の女を鋭い眼光で見つめていた。しかし、その鋭い瞳には憎悪とも怒りともいえない、何らかの奇妙な感情で揺れ動いていた。
「いったい、いつまで待たせるつもりかね。王女を探し出し、元老院議長殿に彼女をあけわたさなければ、正式に権力を持つことはできない」
 そう言ったのはアルベルト将軍である。国民のあいだでは、将軍は十年前、大いなる権力が欲しいがためにメリボルシア皇帝・王妃を暗殺したと言われていた。そしてその一人娘である幼かった王女をも暗殺しようとしたのだが、王女の命の危険を察知した大臣は王女をつれ、行方をくらましていたのだ。王女と大臣の行方を十年追い求めつづけたのだが、ついに捜し出すことはできなかった。ところがつい最近、捜査に進展があり、王女をつれて逃げた大臣はこの世を去り、一人孤独となった王女は奴隷となり、ネオという人買いに買い取られたという情報を掴んだ。しかし、このネオという男の居場所がわからない。そして将軍がなにゆえ、それほどまでに権力を欲しがったのかは知られていない。
「アルベルト将軍、ここまで情報があるのです。ネオという男の居場所が割れるのは時間の問題です」
 この白スーツを着込んだ女、クイーンは欲と憎しみがあふれ出たような恐ろしく鋭い目付きをしていた。
「それにしても遅すぎるとは思うがね」
 将軍は苛立っているのか、机を人差し指でコツコツ叩きながらクイーンを見つめた。この机を叩く音が部屋中に響き渡り、三人は青ざめ引きつった顔でアルベルト将軍を見つめた。部下たちにとってこの男はまさに驚異だったのだ。鋭い視線と恐ろしいほど低音でよく響き渡る声、かつては兵士であったらしく、その面影は黒いスーツのなかにその無骨なからだでもってよくあらわれていた。そして何よりも恐ろしかったのは、この男がいったいなにを思い、考えて生きているのかがわからないというところであった。将軍は何も考えないでただ権力が欲しいなどと考える男ではないことは誰もがよく知っていた。だからといって、権力を握り、世界を手中に治めようなどと考える男でもなかった。なぜなら将軍は兵士時代、人一倍世界の平和と安泰を愛した男として語り継がれている。それに将軍が世界を治めたところで世の中が平和になるわけでもなく、むしろ反抗勢力が起こって十年の戦争に突入することは必然だった。それならこの男はいったい何をしようとしているのか・・・・・・。
「報告!」
 そのとき、外で控えていた部下が大声で駆け込んできた。
「なんだ?」
「ネオという男の居場所が発覚しました!」
 その瞬間、四人は互いに目を見張りあった。アルベルト将軍の目が鋭く光り、机を叩いていた指を止めた。
「それで、居場所は?」
 将軍は静かな声で言った。
「ここより北、名もなき平原に畑を築き、家族四人と買い取った奴隷を使用人として雇い、暮らしております」
「どうします、将軍?」
 白スーツの一人で長身の男、キングは不敵な笑みを浮かべた。
「いよいよ俺らの出番ですかね?」
 もう一人の男、ジャックもつづける。
「例の〈神の島〉の捜索はどうなっている?」
 アルベルト将軍は尋ねた。すでに冷静さを取り戻したようであった。キングが答えた。
「順調ですよ。本当にその島が存在していることは確認できました。特定はまだできていませんが、どうやら南海に位置しているようなのです」
 将軍は相変わらずの無表情で顔を上げていった。
「わかった。クイーンとジャックは北の地へ向かい、王女をここへつれてくるように。キングは引き続き神の島の捜索を続けたまえ」
 三人が出て行くと、将軍はうつむいて独り言をつぶやいた。
「政権が正式にわたしに移り、神の島が見つかれば天馬の力を借り、そうすればわたしのやりたいことを成すことができるのだ」

 北の地は夕暮れ時を迎えていた。アニタは左肩に乗っていたアカガネ色をしたお下げを払いのけると、すっきりした顔で北の山の夕暮を見つめた。山に日の光が照らされ、紅葉した山はつい長い時間見とれてしまうほどの美しい光景であった。
 アニタは今日一日で刈り取った麦のカゴを大事そうに抱えると、家に向かって歩きだした。
 奴隷売り場でネオに買われたときは大変心細い思いをした。しかしネオは寡黙だがとても心優しい人で、自分の身の上を知ると、そんな自分を不憫だと思い、使用人として、いや、家族としてこの家の一員として迎えてくれた。ネオには妻と二人の息子がいた。子供たちはまだ小さいのだが、さすがにこのような辺境の地で生活していただけあって、しっかり者で何でもテキパキやる子供だった。ここへきた当時はアニタもずいぶん助けられたものだった。アニタはここに家庭の温かさを感じることができたのだ。
 アニタが家に戻ると、おいしそうなシチューの匂いが漂ってきた。ネオの奥さんはアニタが扉を開けた音に気づくと、シチューをかきまわす手を休めた。
「ああ、アニタかい。ご苦労だったね。寒かっただろう。カゴはそこへ置いておいておくれ」
 奥さんはやさしく微笑むと、トマトのポタージュをアニタに飲ませてくれた。
「ありがとう、奥さま」
「ああ、いいよ。旦那は、今夜は遅くなるって言っていたから、あたしたちでさきにいただきましょう」
 奥さんはシチューを皿に入れると、それをアニタに手渡し、アニタはそれをテーブルに並べた。
「坊やたち! ごはんだよ!」
「ハーイ」
 奥さんの声と同時に二人の子供の元気な声が響いて、奥の部屋から飛び出してきた。
「お帰り、アニタ」
 子供たちは同時にそう言うと、きちんと椅子に座ってニタニタ顔でアニタを見つめた。
 アニタはもう家族同然だった。ネオ一家と共に働き、共に暮らし、共に食べ、共に生き。やはりけっして裕福ではないのだが、家族がいることの幸せは貧困を凌ぐものがあった。かつてのアニタは〈生きることって、なんて苦しくて辛いことなの。いっそのこと死んでしまいたい・・・・・・〉などと、考えていた。ほんの三歳のときに両親と死別し、天涯孤独となった自分を親身になってくれたおじさんに引き取られて暮らしていたけど、それでも暮らしは厳しくて一度も〈自分は幸せだ〉と感じたことはなかった。そのうえ、そのおじさんも死んでしまい、自分の人生に絶望したときは〈もういやだ〉と思い、喉に刃物を突きつけて死のうとしたが、いざ死のうとしても結局はそんなことをする勇気もなくて、自分の不甲斐無さに涙を流したこともあった。しかし、ここには・・・・・・。
 ここには、アニタのずっと求めていた幸せがあった。家族の温かさがあった。この幸せさえあれば、どんなに苦しいことがあっても乗り越えていくことができる。と、アニタはその肌で感じていた。
 ふと、扉を叩く音が聞こえた。
「旦那が帰ってきたのかな。アニタ、ちょっと出ておくれよ」
「はい、奥様」
 アニタが立ち上がって扉を開けると、そこには白スーツを着込んだ男と女が立ってアニタを見下ろしていた。
「こんばんは、お嬢さん」
 二人の目が怪しく光ったのを見ると、アニタは飛びのいて二人から離れようとしたが、男が強引にアニタの手首を掴んで引き寄せると、女のほうはナイフを首に突きつけた。奥さんは何事かと思い、フライパンを持って構えた。
「動くんじゃないよ、動くとこの娘はブスリだよ」
「アニタ・・・・・・」
 子供たちは泣き叫んでいる。奥さんはアニタの目をまっすぐに見つめていた。そののち、フライパンを後ろに投げ捨てた。
「いったい、その子をどうしようって言うんだい」
 女はナイフをアニタから離した。
「連れて行くだけさ。べつに危害を加えるつもりはないよ」
 奥さんはもはや何も言わなかった。ただアニタを見つめているだけだった。アニタはもう連れて行かれることを覚悟していた。そして悟っていたのだ。
〈やっぱり、わたしは幸せになってはいけない運命なんだ〉
「奥さま、ごめんなさい。やっぱりわたしはここへはいられないみたいです」
「アニタ? ・・・・・・それは、どういうことだい?」
アニタはうつむいたまま、そう言った直後の奥さんの表情を見ることはなかった。いや、見ることができなかったのだ。今まで面倒を見てくれた奥さんに、そんなことを言ってしまった自分はそんな資格はないと思っていたのだ。
 男はアニタを強引に引っ張ると、いつのまにか小雨が降ってきた外を見上げた。
「今夜はひどくなりそうだ」
 男は止めてあった車にアニタを乗せると、メリボルシアへと続く道を走っていった。



出会い

「ひどい天気だよ、まったく」
 クイーンはそう言って、時折ため息をつくと、車のフロントガラスから夜の闇と分厚い雲でどんより曇った空を見上げた。
 車は土砂降りのなか、メリボルシアへと続く道のりを着実に進んでいた。クイーンとジャックはアニタを後部座席に乗せると、任務を達成したことに満足して笑いにゆるんだ顔で会話をかわしていた。
 ジャックはクルッと後ろに振り返った。アニタは一瞬チラッとだけジャックを見ただけで、すぐに目をそらした。
「お前、なんていう名前だ?」
 アニタは微動だにせず、まったく動く気配を見せなかった。ジャックは顔をしかめ、頭をもとの方向に戻すと、不機嫌そうにうなった。
「モッサリした娘だなあ。ひどく嫌われたもんだ・・・・・・」
「あたりまえさ。あたしらはその子を無理やりさらって来たんだからね」
 アニタはドアーに寄りかかり、うつろな瞳で窓の外に見える畑を見つめていた。アニタの目にうつったそれらは、何もかも絶望の色をしていた。せっかく得た幸せをことごとくぶち壊され、ふたたびこの世に生まれてきたことに悔恨を抱かされたからである。
〈どうして、わたしは幸せになれないの〉
 そう思うと、涙があふれ出てきた。
〈こんな人生、もういやっ〉
 くやしかった。歯痒かった・・・・・・。あんなに苦しんだのに、あんなに悲しんだのに、あんなに泣いたのに神様は自分を助けてくれない。自分は何もしていない。何の罪も過ちも犯してないのにどうして神様は自分を見放すのか。
 涙がアニタの頬を伝ったとき、ジャックがふたたび後ろを振り返った。ジャックはそんなアニタを見ると動揺して、思わず目をそらしそうになった。それからツンツンと肘で運転をしているクイーンの肩を突付いた。
「なにさ?」
「ちょっと、車を止めてみなよ」
「えー?」
 クイーンは面倒臭さそうに顔をしかめながらも車を止めると、眉間にしわを寄せて後ろのアニタに振り返った。クイーンは不意に胸を突かれた。なにげなく振り返ってみたのだが、そうするとアニタが大粒の涙で頬を濡らし、自分のことを一心に見つめていたのだ。しかしクイーンは表情一つ変えることなく、感情とは裏腹の言葉を発して動揺を隠しとおした。正直な話、世間では〈冷徹のクイーン〉の名で知れ渡り怖れられているといえども、さすがにこのときは少しばかり心が痛んだ。
「なにベソベソ泣いているんだい。情けないねえ」
 クイーンは片腕を伸ばして二本の指でアニタのあごをしゃくりあげると、顔を近づけて静かな声で言った。アニタの涙の破片があたりに飛び散った。
「あんたに泣き顔なんて似合いやしないね。せっかく可愛らしい顔をしているんじゃないか。きっとあんたは笑っているのが一番似合うと思うけどね」
 クイーンは指を離すと、前に向きなおって車を発進させた。
 アニタはしばらく呆然としていたが、ふたたびドアーに寄りかかると窓ガラスにうつった自分を見つめた。
〈この人たち、そんなに悪い人じゃないみたい〉
 そう思うとアニタの表情が自然と柔らかくなり、窓ガラスにうつった自分に向かって二人に気づかれないようにそっと微笑んだ。
 相変わらず降り続く雨のなか、車はメリボルシアの街の入り口にたどり着いた。ここからは車で進むことはできない。二人はアニタを車から降ろすと、アニタを挟むようなかたちで一列になって歩き始めた。夜ということもあるかもしれないが、たとえ普段は賑やかな大都市・メリボルシアであっても、さすがにこの土砂降りのなか外を出歩こうとする者はほとんどいなかった。アニタは隙さえあれば、すぐに逃げてしまおうと考えていた。雨は強烈で三人の肌を容赦なく打ちつけ、痛すぎるほどだった。そのくらいの雨だったものだから、数メートルも離れればまわりはまったく見えなくなってしまうほどだった。
 アニタの後ろを歩いていたジャックはほとんど寄りそうように歩いていた。しかしアニタがしきりに後ろを見ると、強烈過ぎる雨に怯えているのか、ジャックはキョロキョロと不安げにあたりに視線を散らせていた。
〈逃げるには今しかない〉
 アニタはすばやく振り返って、必死の体当たりをジャックに食らわせた。そこまでやってしまうと、不思議なことに恐怖感は吹き飛んでしまった。水たまりのなかに仰向けに倒れたジャックの上を飛び越えてそのまま走り出した。ジャックの悲鳴と異様な音にクイーンが振り向いた時には、すでにアニタの姿はそこにはなく、雨の音に混じって遠ざかっていく足音がかすかに聞こえてくるだけであった。
「なにしているんだよ、この馬鹿! はやくあの娘を追いな!」
 自慢のスーツごと水たまりに倒され、グショグショになったことに激怒したジャックは鬼のような形相でアニタのあとを追った。クイーンもそれに続いた。
 荒い息をつきながらもアニタは逃げ惑った。猛り狂った怒鳴り声と足音が後ろから追い上げてくるのを感じると、アニタはふたたび恐怖を覚えた。泥の混じった水たまりに押し倒されたあの白スーツの男の激しい怒りに燃えた形相をまざまざと思い浮かべてしまったのだ。激しい雨にどこへどう逃げたら良いのかまったくわからずに混乱し、アニタは行けるところを所かまわず逃げ惑った。
 アニタがまったくスピードを緩めずに曲がり角へ差し掛かったときだった。アニタはちょうどその曲がり角を歩いていた誰かと激突し、互いに激しく吹っ飛んだ。どうやら当たり所が悪かったらしい。アニタはあまりもの痛みに顔をゆがめると、からだを折り曲げ、有無も言えずその場で悶絶した。
「いたたた・・・・・・」
 アニタと激突したその誰かがムクリとからだを起こすと、立ち上がり近づいてきていった。
「ごめん。君、大丈夫?」
 アニタは痛みに堪えながらその声の主を見上げた。声の主は少年だった。
「ごめんなさい。あなたは大丈夫?」
 少年は鮮やかな栗色の髪に、ジャケットと襟のあるシャツを着込んでいた。雨に耐えるため、ジャケットの襟を首に上げていた。アニタはしばらくの間、自分が追われていることを忘れてしまっていたことに気づいた。同時に少年の方も目を丸くして自分のことを呆然と見つめているのがわかった。
 トミーはあわてて少女に手を差し伸べた。
 二人の目が合った。
トミーは驚きを忘れ、呆然とアニタを見つめていた。雨に濡れて左肩にかかったアカガネ色のお下げ髪が水滴に反射して輝き、何かに怯えているのか、その感情をあらわすかのように青い瞳が揺れ動いていた。まるで青空のように輝いていて美しかった。これほど純粋な瞳を見つめたのは、いったいどれくらいぶりだろうか。髪に結ばれたバンダナ、黄色みを帯びたシャツに袖のない上着、青いスカートはどれも古びていて質素だが、整った顔立ちがまぶしく、とても可憐で、トミーは思わず我を忘れて呆然としていた。
〈きれいだなあ・・・・・・〉
アニタは釘づけになっていた視線をはずし、すぐさま立ち上がると、そそくさとその場を立ち去ろうとした。
「ごめんなさい。わたし、行かなくちゃ」
「待って」
 呆然としていたトミーはハッとしてアニタを呼び止めた。
「そんなにあわててどうしたの?」
 走ってくる足音が近づいてくるのが聞こえた。あの白スーツの二人がもうそのあたりにいるのがわかった。今から逃げてとても間に合わない。
〈もうだめ〉
「ああ・・・・・・」
 トミーはアニタの絶望的な嘆きと、どこからともなく確実に近づいてくる足音を聞き取ると、
〈これは、ただごとじゃないな〉
 と感じ取り、すぐさまアニタの手首を引っ張って自分の後ろに隠した。そのうちにすぐに激しく息のあがっている二人の男女がトミーの前に姿をあらわした。
 クイーンとジャックはまっすぐにアニタを見据えていた。アニタの顔が青ざめ、からだをガタガタと震わせて怯えているのをトミーは見ると、二人の視線からアニタを庇い引き離すように立ちふさがった。
「なんだよ、あんたらは?」
 二人はアニタから視線を離し、鋭い目付きでトミーを見据えると、鼻を鳴らしてニヤッといやらしい笑みを浮かべた。そのうちにクイーンがトミーをまるで嘲笑するような口調で切り出した。
「あたしたちかい? あたしらのことはどうでもいいんだよ、坊や」
「どういうことだよ?」
「あんたはとっととそこをどいて、その娘を渡せばいいんだよ」
 トミーは二人の全身を見渡した。白いスーツを着込み、几帳面すぎると思うほどしっかりとネクタイを締め、そのスーツの胸ポケットには龍だか蛇だか、なんだか奇妙なエンブレムが縫いこまれていた。トミーはアニタを後ろへ押しながら、じりじりと後退していった。そして二人からある程度の距離を取ると、アニタを引っ張って、すぐ近くにあった子供にしか入れなさそうな細い路地に駆け込んだ。ジャックが顔を真っ赤にしてその路地に突っ込んだ。がっしりとした体格を持つジャックはこの路地に入ることはできなくて、そのうえアニタに自慢のスーツをグショグショにされて怒り狂っていたところだから、冷静さを欠き、結局、頭だけ突っ込む羽目になったのだ。
「このガキども! こんなところになんか逃げ込みやがって!」
「バイバーイ」
 トミーはやんちゃな笑顔であっかんベーをして、顔を真っ赤にしているジャックに手を振った。
「くそ、待ちやがれ!」
「おやめ!」
 ジャックは舌打ちして細い路地を進んでいく二人を見据えていた。二人はときどき後ろを振り向いては自分たちが追ってこないのを確認していた。そしてその路地の向こう側に出て行くと、角を曲がって姿を消した。
「ガキどもが、おちょくりやがって・・・・・・」
 口調は怒りに満ちているが、その顔はさきほどよりも穏やかになっていて、まるで〈してやられた!〉と言わんばかりの笑みを浮かべていた。
「またあとで捕まえればいいさ。それよりいまは将軍に報告するのがさき」
 クイーンもなんともいえない微笑を浮かべていた。
「あーあ、将軍になんと言われることやら。またあのきつい目付きでにらまれるんだろうなあ」
 二人の脳裏に恐ろしくまっすぐに自分たちを見据えるアルベルト将軍の姿が浮かんできた。それから二人は深いため息をつくと、どんよりとした足取りで雨の中に姿を消した。
 トミーとアニタは適当に雨宿りすることのできる、古びた倉庫のなかに隠れていた。倉庫は木で作られており、世界中のどこの国よりも文明の発達したこのメリボルシアではめずらしい建物であった。その倉庫の中にあったものは薄暗くてよくわからなかったが、なんでもここにあるのは木製の部品やら道具らしきものであった。しかも所々雨漏りしているみたいで木が腐食しているらしく、カビ臭さが二人の鼻を突き、今にももげそうなほどの強烈な異臭を放っていた。
 トミーは深いため息をついて、あたりを見回した。人の気配はない。どうやらこの倉庫の中にいるのは自分たち二人だけのようであった。
「ここまでくればもう誰も追ってはこないよ」
 トミーが木箱に寄りかかってゆったりと腰を降ろすと、アニタもそれに習ってその場に座り込んだ。その動作を見ていたトミーは手を差し伸べると、ニコッと微笑んでアニタを見つめた。
「僕はトミー、西の海を渡ってここまで旅をしてきたんだ」
 アニタは初め、この見知らぬ少年の態度に動揺していたが、やがてもう追われていないことに安心しきって緊張感が緩んだのか、柔らかい笑みを浮かべると、トミーの手をそっと握り返した。
「危ないところを助けてくれてありがとう。わたしはアニタ」
 それからしばらくはあの奇妙な二人組のことを忘れて、トミーは自分の生まれ故郷のことや境遇、そしてこの島にくることになった経緯、もちろんあの天馬との出会いも、すべてを打ち明けた。
 アニタは感受性の豊かな少女だった。トミーの悲しみを打ち明ける、両親との死別、親を失ってからはずっと一人で暮らしてきたこと、しかしどんなに辛くてもやさしいロアナ島の動物たちがいつも励ましてくれていたこと・・・・・・。それらの話しすべてをアニタはときには感動して微笑み、またときにはトミーの過酷な運命に目を潤ませたこともあった。アニタはこの少年の本質がだんだんとわかってきたような気がした。この少年は両親を失い、生きることに何度も何度も絶望しかけても、それを断ち切ることのできる強い心と、そして天馬からの、これからのこの星の運命を委ねられているのとほぼ等しい過酷な旅を受け入れ、命の危険をかえりみずに立ち向かっていく勇気を持っている少年だった。この少年は自分にないものを持っていたのだ。アニタはこの少年に憧れ、好意を抱いた。
「ところで、あの二人はいったい何者なの?」
 トミーが突然話題を一変させてそう言ったとき、アニタは身の毛のよだつ感覚を覚えた。アニタは不安げにトミーを見つめた。トミーは自分の話を親身になって聞いてくれるだろうか? 自分が奴隷であったことを明かせばトミーは自分に嫌悪の念を抱き、去って行ってはしまわないだろうか? そういった不安がアニタを追い込んだ。トミーは自分のことを変に思ってはいないだろうか?
 トミーは一心にアニタを見つめ、やがてそっと微笑んだ。
「まあ、いまはそんなことはどうでもいいや」
〈いつかアニタの方から話してくれるだろう〉
 アニタは呆然としながらトミーを見つめた。トミーはさらに続けた。
「いまはそんなことよりも、僕は君と出会えたことがとても嬉しいんだ。君といれば自分の胸のなかに溜まっていたモヤモヤが晴れていくような気がするよ」
 アニタは呆然としていたが、しばらくすると満面の笑みを浮かべてトミーに感謝した。
「事情はよくわからないけど、君がもしも困っていて、助けを必要とするなら、僕は協力を惜しまないよ。かならず君の力になってあげる」
 そんなトミーのありがたい言葉に、アニタはもう胸が一杯でなにも言うことはできなかった。ただひたすらうなずき、感激にただ瞳を揺らしているだけであった。
「いいぞぉ! じゃあ、たったいまから僕らは仲間だ。これからわくわくすることがたくさん起こりそうだなあ!」













アルベルト将軍の秘密 一

 アルベルト将軍は無言で立ち尽くし、ただクイーンとジャックを見据えているだけであった。さきほどから依然として動きを見せようとしない将軍を前に、二人はピシッと立ってただひたすら頭を垂れているだけであった。ジャックはちらちらと少し頭を上げては将軍の様子をうかがうのだが、そのたびにアルベルト将軍の鋭い眼差しが自分の目を突き刺し、ジャックはあわてて視線をそらした。
 二人はやっとの思いで〈人買い〉ネオの居場所を突き止め、メリボルシアまでつれてきたアニタをみすみすと逃がし、そして〈怪力ジャック〉とあろうものが、まだまだあどけなさの残る少年にあっと言わされ、無様な目にあったことを報告した。
「わたくしどもの無様な失態、さぞかしお怒りのことだと思います、アルベルト将軍」
 なんともいえない気まずい雰囲気の流れるなか、クイーンは切り出した。アルベルト将軍の厳しい視線がクイーンを見据え、クイーンは思わず目をそらした。クイーンはうつむきながらはっきりとしない口調で続けた。
「仕置きを受ける覚悟はわたくしどもすでにできております。何なりと厳しい罰をお与えください」
 そう言って二人はさらに深々と頭を下げた。将軍は相変わらずの厳しい表情を浮かべ、重い空気のなかをよく響き渡る太い声でいった。
「君たちの失態はいまに始まったことではない。いまさら制裁を与えたところで意味もない」
 思いがけないアルベルト将軍の言葉に二人は思わず顔を見合わせて笑みを浮かべた。
〈罰を受けなくてもすむ〉
 二人は将軍の言葉から勝手にそう判断して喜んだが、将軍はますます厳しい表情になって続けた。
「しかし」
 二人はビクッとして将軍を見つめた。将軍の視線は恐ろしいほど険しく、まっすぐに二人を見据えていた。
「君たちは十年がかりで得た情報で王女の居場所を突き止めたのにもかかわらず、それをみすみすと逃した。たとえ失態ばかり犯している君たちでも決して難しい仕事ではなかったはずだ。少年の力があったのにせよ、子供の一人もここへつれて来ることができないとは。正直、君たちには失望した」
 アルベルト将軍の怒りはもっともだった。大の大人二人がかりであるのにもかかわらず、子供の一人もつれてくることができないとは。二人はあらためてこの失態の重さを思い知り、自分に対する屈辱と嫌悪に顔をゆがめた。そんな二人の様子を静かに見つめていた将軍は無言で身を翻すと、奥の自室に入って行って静かに扉を閉めた。
 アルベルト将軍は皮製の椅子に腰を降ろすと、机の上においてある一つの写真楯を手に持って、それをじっと見つめた。その写真楯のなかに入っている写真にはメリボルシア皇帝・王妃の優雅さと気品に満ち溢れた姿が映し出されていた。
〈すまない、友よ〉
 将軍は心のなかでそうつぶやくと写真の中にいる二人に向かって深々と頭を下げた。
〈この星を守り抜くにはこうするほかに方法がなかったのだ〉
 将軍は部屋の片隅にあるパイプオルガンの前に腰を降ろすと、そっと鍵盤に手を置き、しばらくのあいだまるで硬直したように目を閉じて動かなくなり深く瞑想すると、それからゆっくりと鍵盤を叩き、アルベルト将軍はメリボルシア皇帝・王妃のために鎮魂曲を奏でた。その音楽は将軍の自室から洩れ、大広間にいたクイーンとジャックの耳にも聞こえた。
「あの曲は・・・・・・」
 ジャックは大きく目を見開くと、となりにいたクイーンに振りかえった。
「静かにおしよ」
 ジャックがクイーンを見つめると、クイーンは深く目を閉じており、将軍のパイプオルガンの音にすっかり聞き入っていた。激しい音を出し、一度聞いてしまったら二度と忘れることのないパイプオルガンの強烈な音は、将軍が奏でると自然と柔らかくなった。パイプオルガン自体の激しい音は残っているものの、将軍の奏でるその鎮魂曲は優雅で気高く、時にはやさしいのだが、その曲はどこか悲しげな雰囲気を抱いており、聞く者すべてを虜にし、また思わず泣き伏してしまいそうなほどの切なさに満ちていた。
 曲が終わるとクイーンはゆっくりと目を開け、目を丸くして自分を見つめているジャックにつぶやくように言った。
「将軍は苦しんでいるんだね・・・・・・」
「どういうことだ?」
 ジャックは怪訝に顔をしかめた。
「たとえ言葉にされなくともアルベルト将軍の気持ちは痛いほどよくわかるよ。ああ、あの曲を聞くだけでわかるよ。楽器の音に巧妙に隠れてわかりにくくなっているけど、あの曲には将軍の決して言葉にはあらわすことのできない気持ちを含んでいるのさ」
「どうしてわかる?」
「さあね、なんとなくさ」
 二人は何を考えているのか、なんともいえない複雑な表情で将軍の自室の扉を見つめると、深いため息をついて大広間を出ていった。

「大丈夫、誰もいないよ」
 あれほど激しく降っていた雨もようやく止むと、トミーとアニタは倉庫から出てきて雲の隙間から点々と散らばっている無数の星星の浮かぶ夜空を見上げた。その空があまりにも美しくて、二人はしばらくのあいだ、無言でそれらを見つめていた。
 トミーはあまりもの感動に無言で瞳を揺らしていた。
〈この星って、すごいな。こんなに素晴らしい眺めを僕らに見せてくれるなんて〉
 この地上のどこかに、たったいま自分たちと同じようにこの美しい空を見ている人はいるのだろうか? もしいるとしたら、その人もきっと自分たちと同じ気持ちになっているにちがいない。この素晴らしい眺めを自分たちに与えてくれるこの星にきっと感謝していることだろう。そして思うはずだ。
〈僕らはこの星を守っていかなければならない〉
 それこそがまさにトミーが天馬から与えられた使命であった。いまなら天馬がなぜ何も持たない自分に力を与え、この星の運命を託したのかよくわかる。天馬はトミー自身がこの星を愛していることを知っていたのだ。この星がもたらす恩恵に感謝し、空を、海を、山を、この星を、そしてこの無限に広がる大宇宙を愛していたからだ。
 トミーが物音でハッとしてアニタをうながした。
「行こう」
 二人は子供にしか入ることのできない細い路地の隙間を探して入り込み、大通りに出るところで慎重にあたりを見回しながら、さきほどのおそろしい男女がいないかどうか確かめた。すると、その男女の代わりに今度は同じような白いスーツを着込んだいかつい体格をした男たちがあたりを巡回していた。白スーツたちの様子からして自分たちを捜していることは間違いなかった。
「すごい警備だな。きっと、さっきの二人組みがあいつらに僕らを捜すように命令したにちがいない」
「とにかくこの町を出なくちゃ」
「アニタ、君、この町の作りがわかるかい?」
 アニタはしばらく無言で考えてから口をひらいた。
「なんとなくは」
 アニタはここからちょうど北側に位置する、雲までも貫き、はるか高くそびえ建っているガラス張りの塔を指差した。
「あそこに高い建物が見えるでしょう。あれはここメリボルシアを治めているアルベルト将軍の要塞なの。あそこがこの町の中心地。たぶんあの白スーツたちはあの塔から出てきているんだと思うの」
 いまの言葉を聞いて、トミーはアニタに目を見張った。
〈あの白スーツたちはあそこから出てきているだって? ということは、アニタはそのアルベルト将軍とやらに狙われていることになるじゃないか。つまり国家に追われていることなのか?〉
 トミーはまるで信じられないというような表情をしてアニタを見つめた。
「ちょっと待ってよ。それじゃあ、君はそのアルベルト将軍に狙われているわけ?」
「そういうことになるのかも・・・・・・」
 アニタの声が小さくなっていった。
「君、いったい、なにをしでかしたのさ?」
「そんなことわからない」
 アニタはまるでつぶやくように言った。
「わたしはネオという親方さんの家族の使用人として静かに暮らしていたのよ。それなのにあの二人にいきなり連れさらわれてこの町に来たの。なんにも心当たりなんてありはしないわ。わたしの人生っていつもそうなの。物心がついたころにはすでに両親は死んでいて、わたしは親身になってくれていたおじさんのもとで暮らしていたの。だけど、そのおじさんも死んでしまって、それからは奴隷となってネオ親方さんに買い取られたの・・・・・・」
 トミーはもはや有無もいえなかった。
〈なんていうことだろう。何の罪もないのに国家に追われているなんて。そんなのひどすぎる〉
 トミーは思わずクラクラしてしまいそうなほどの激しい怒りを覚えたが、それを無理やり胸のなかに押さえ込むと、すこし震えた声で言った。
「ごめん、アニタ。僕はただ・・・・・・」
「お願い、聞いて」
 アニタは鋭い口調でトミーの言葉を遮ると、目に涙をためてじっとトミーのことを見つめていた。トミーはとっさに口を閉じた。
「こんなことになるのだったら、あのとき死んでおけばよかった」
「そんなの違うよ、アニタ」
いきなり大きくなったアニタの声を、今度はトミーが鋭い口調で遮った。
「もしもアニタが死んでしまっていたら、僕らはこうして出会うことはなかったんだよ。お願いだから、簡単に死ぬなんて言わないでよ」
 アニタは驚いてトミーを見つめていた。
「現実から逃げては駄目だ。いいかい、アニタ。苦しかったら、もがいて、もがいて、真っ暗な地面から新鮮な空気が吸える地上まで掘りあがるんだ」
 トミーの言葉に、アニタはもはや何も言うことはできなかった。ただ、心にトミーの言葉が響きわたり、まるで胸のあたりから全身にまで染み渡っていくようであった。突然出会い、何の関係もないトミーが自分を理解し、自分のなかの小さな希望の一つとなってくれた。
〈わたしはなんて考えを起こしていたのだろう〉
 アニタはトミーと一緒ならどんなことでも乗り越えていけるような気がした。そして、アニタがしてもらったように、トミー自身がなんらかに苦しんでいた時は、今度は自分がトミーを助けてあげようと心に誓った。
 トミーは路地の影からそっと顔を出してあたりの様子をうかがっていたかと思うと、すぐに引っ込めて大きなため息をついた。
「だめだな。これじゃあ、身動きが取れないよ」
 トミーはそう言って振り返ると、アニタは不安げな表情を浮かべてじっと自分を見つめていた。それを見たトミーはニヤッとやんちゃな笑みを浮かべると、ゆっくりとした口調で言った。
「こうしようよ。アニタはそのアルベルト将軍に追われることに心当たりなんてないんでしょう。それならあそこの塔に直接行って将軍に話せばいいんじゃないのかな」
 このトミーの提案にアニタはますます不安げな表情を膨らませた。
「でも、いま出て行ったら、将軍に会う前に牢屋に入れられてしまうかも。それに・・・・・・」
「それに?」
 アニタの声が消え失せそうになるほど、小さくなった。
「わたし・・・・・・何の関係もないトミーを巻き込みたくない」
「アニタ・・・・・・」
アニタがそう言うと、トミーは一瞬だけじっとアニタを凝視した。アニタはただまっすぐに自分を見つめつづけ、相変わらずどうしたらよいかわからなそうな不安げな表情を浮かべていた。それを見たトミーは温かい気持ちに包まれて、思わず表情を緩めて微笑んだ。
「僕のことはいいんだよ。僕が勝手に首を突っ込んだんだ。首を突っ込んだからには、とことん君の役に立たせてもらうよ。それに君をかばった僕のことをあの白スーツたちが放っておくわけはないよ。それに、逃げたってどうせ捕まる」
 そのとき足音が聞こえてきて、トミーはハッとして物陰からあたりをうかがった。白スーツの一人が路地の一つ一つを調べながら、だんだんとこちらに近づいてきていた。トミーはアニタの手を引っ張って、路地の奥へと入っていき、つきあたりにある〈兵器製造所〉という看板の貼ってある工場らしき建物の路地を曲がった。するとすぐそこにつきあたりがあり、そこは高い壁になっていた。その壁のはるか遠くには塔が見えた。その壁を登って向こう側に行こうにも、高すぎて登ることはまず不可能だった。あの塔に行くには廻りこんで壁の入り口らしきところを探すしかなかった。
トミーが左右を見渡すと、左側に出る大通りに白い人影が見え隠れしていた。白スーツたちに間違いなかった。右側には誰かがいそうな様子はない。トミーはアニタをともなって右側の路地を進んだ。
〈兵器製造所〉の横を通り抜け、そのさきにある工場の横も抜けていくと、ふたたび大通りに出た。トミーは路地の影からあたりを見回したが、誰かがいそうな気配はなかった。
二人は路地から出てきて、大通りを壁沿いに左に進むと、右手には〈人間科学工場〉の文字が見えた。以前にトミーが見物した〈人間科学センター〉とは違うが、おそらく似たようなものを扱っているのだろうと、トミーは思うと、センターにいたまるでロボットのように製造されているクローンの赤ん坊や子供たちが脳裏に浮かび、トミーは胸が張り裂けそうになった。
 大通りを突き進むと、今度はトミーが以前に見た〈人間科学センター〉のピラミッド状の建物が見えた。ちょうど壁もそこで途切れており、入り口らしきところがあった。
「ここが入り口かな?」
「さあ・・・・・・」
 トミーの質問にアニタが首をかしげると、遠くに白スーツの姿が見えた。二人はあわてて壁の入り口に駆け込んだ。
 おそらく、塔に繋がっているのであろう壁のなかを突き進んでいくと、この壁が相当手の込んだ迷路らしき作りになっていることがわかった。二人がどんなに進んでいっても、たどり着くのはその迷路のなかに作られた公園や白スーツたちの出入りしている警備施設だった。
 見つかったらどこにも逃げるところも隠れるところはない。二人は恐怖と不安に胸を締め付けられながらも、懸命に正しい道を探していった。
 時折、トミーが後ろを振り返ってアニタを見つめるが、アニタは自分よりもかなり動揺していて、しきりに瞳を揺らしていた。
 トミーの脳裏にあってはならない想像が浮かんできた。このまま迷いつづけて、もしも白スーツたちに見つかり、捕まってしまったらどうなるのであろうか。そのまま牢屋に放り込まれるのだろうか。いや、そんな生易しくないかもしれない。追われているアニタはともかく、あの白スーツを着込んだ男女の行動を妨害した自分はその場で殺されてしまうかもしれない。そんな恐怖がトミーの心を包み込んだ。
 あまりもの恐怖のうちに、トミーは意識が遠のいていくのを感じた。虚脱感がトミーと襲った。気分が悪くなり、吐き気がしてその場にうずくまった。胸が締めつけられたように苦しくなり、鼓動が激しくなって冷や汗がでた。一瞬、遠くであの白スーツを着込んだ男女の姿が目に映った。なにやらわめき散らしながら、自分とアニタに近づいてくるのを見た。しかし、トミーにはどうすることもできなかった。極度の疲労感が身体中を包み込んだ。・・・・・・アニタは? アニタは白スーツの男女が近づいてくるのにもかかわらず、その場でへたり込んでいる情けない自分に寄りそい、心配そうな眼差しを向けていた。
 白スーツの男がトミーの首根っこをつかみ、地面に叩きつけた。
「トミー!」
 アニタの悲痛の叫びが、あたりに響き渡った。その声にほかの白スーツたちも集まってきた。トミーの意識がはっきりしてくると、アニタが白スーツたちに捕まり、連れて行かれていた。抵抗しようと立ち上がると、トミー自身も白スーツの男に抱きかかえられてアニタと共に連れて行かれた。
 トミーが暴れると、その男は拳骨でトミーの頭を殴りつけた。
「おとなしくしねえか! お前が余計なことしてくれたおかげで、こっちはひどい目にあったんだぞ!」
「ううう・・・・・」
 殴られた痛みにトミーは頭を抱えて唸った。アニタも時折、抵抗して暴れたがそうすると白スーツの女に締め上げられた。
「暴れるんじゃないよ、この小娘め!」
 そんなことをくり返しているうちに、二人は塔の入り口に連れて行かれた。
「ここは?」
 トミーが尋ねると、白スーツの男は眉間にしわを寄せて乱暴な口調で答えた。
「この国の中心部だ。アルベルト将軍が指揮をとり、ここで政治をおこなっている。かつては王宮があったところだ」

「なに? 王女を捕らえただと?」
 白スーツから報告を聞いたとき、アルベルト将軍は自分の耳を疑った。
〈クイーンとジャックから逃げ延びたのだから、すでに町にはいないと思っていたが。作るのが遅すぎたと思っていた包囲網が役に立ったか〉
「いかがいたしましょうか?」
「会おう。ここに連れてきてくれ」
 感情というものをまったく含んでいない声でそう答えると、白スーツは顔をしかめて出て行き、将軍は一人になった大広間でしばらく呆然としていた。
 やがて、クイーンとジャックが王女と少年をともなって姿をあらわした。
 トミーとアニタはアルベルト将軍をじっと見据えていた。将軍は腕を組み、じっと動かずに二人を見下ろしている。悠然と腕を組み、威厳のある態度で立ち尽くして自分たちを見ている将軍を目の前にして、二人はまるで大蛇にでも睨まれた小動物のように硬直し、動くことも言葉を発することもままならなかった。まわりから見れば、ただ互いに見つめあい、相手の出方をうかがっているかのように思われた。クイーンとジャックはそんな両者の態度に肝を冷やしながらその場を見守っていた。
「わたしはこのメリボルシア帝国の将軍、アルベルトだ」
 長い沈黙のあと、ようやくアルベルト将軍が口をひらいた。二人はハッとすると、鋭い目付きで見つめてくる将軍から目を離した。アルベルト将軍はアニタのことを一心に見つめ、目を大きく瞬いた。
〈この娘が王女。皇帝の唯一の娘・・・・・・〉
 将軍の脳裏に自室にある写真楯のなかにいる人物、メリボルシア皇帝・王妃の姿が浮かんできた。あの髪の色、まるで青空を映しているかのように美しい瞳、質素な格好をしてはいるが、キリッと締まった口元はこの可憐な娘の意志の強さをあらわしており、それらからは代々皇帝の血を引く者にこそふさわしい気品が満ち溢れていた。
 将軍はアニタから目を離すと、トミーに目線を移して全身を見渡した。
〈みすぼらしい格好だ〉
 薄汚れた襟付きのシャツにジャケットを着込んでいるだけなのだが。だが、その瞳は、まるで黒曜石のように真っ黒で思わず見とれてしまうほど美しかった。
「トミー君、といったね」
 将軍は良く響き渡る声でいった。トミーはうなずくとゆっくりと顔を上げた。
「君のことはそのクイーンとジャックからよく聞いているよ。いろいろ、てこずらせてくれたらしい」
 トミーは肝を冷やしながら、将軍の話を聞いていた。トミーはこんなにも恐ろしい男を見たのは初めてであった。口調は穏やかだが、この男が放つ異様な空気は、この男に対するなんともいえない複雑な感情を抱かされた。
 トミーがうつむくと、将軍はふたたびアニタに目線を移した。
「アニタ君、なぜ君がこの二人に狙われていたのかがわかるかね?」
「いいえ・・・・・・」
 アニタの声が恐怖で震えていた。
「怖がることはない」
 将軍はまっすぐにアニタを見据えながら続けた。
アニタはあまりもの恐怖にかられて、思わず顔を背けた。胸の鼓動が早まるのを感じた。
この男を見ていると、不思議な映像が脳裏に浮かび上がった。それは銃を自分に向けて、悲しみに心をふさがれたような瞳で自分のことを見下ろしている、はっきりとはわからないがこの男らしき人物の姿だった。これは何の映像なのか? ただの錯覚なのか、それとも過去なのか、未来なのか。それすらもわからない。ただこの男がクイーンやジャックを見る目とも、トミーを見る目とも違う見方で自分を見ているのだけはわかった。
 だが次の瞬間、この男の口からとんでもない言葉が発せられた。
「わたしは君の両親を殺した」
 アルベルト将軍がそういった瞬間、アニタは自分のなかの、何かが崩れ落ちていくのを感じた。
     














アルベルト将軍の秘密 二

 東の空にわずかに姿をあらわし始めていた、まばゆい朝陽も差し込まない真っ暗な牢のなかで、二人は茫然自失で座り込んでいた。
 衝撃の事実を聞かされたあの瞬間・・・・・・。アニタは何も言えず、ぽっかりと口を開けて突っ立っていた。アニタはすでに自然と動き始めていた巨大な運命の歯車に巻き込まれていることを実感したのだ。それからアニタはがっくりと床に膝をつき、その場にへたり込んでしまった。それからは立ち上がることができなかった。まったく動こうとも口を聞こうともしないアニタを見て、アルベルト将軍はクイーンとジャックに二人をしばらくの間、牢の中に閉じ込めて置くように命じた。心に大きなショックを受けながらもトミーは自分で歩いたが、アニタはもうだれの声も耳に入ってこないようで、立ち上がろうともしないものだから、見かねたジャックがアニタを抱えて連れて行った。
 トミーはその牢の中でじっと座り込み、自分の推理を頭のなかで考え巡らせていた。
〈なぜ、アルベルト将軍がアニタの両親を。アニタとあの男には、いったいどんな関係が・・・・・・〉
 考えても考えても確信にたどり着く答えは思い浮かばない。アニタは自分が追われていたことにまったく心当たりがないみたいだし、あれからは、アルベルト将軍も何も言わなかった。それに将軍はこれから自分たちをどうしようというのか。殺される心配はおそらくもうないだろう。将軍が自分たちを始末するつもりなら、出会ったときにとっくに殺していたであろう。
 トミーはチラッとアニタを見た。アニタは相変わらず自分に背を向け、なにを考えているのかわからないが、じっと座り込んでうつむいたまま動かない。トミーは大きくため息をついて、この牢に閉じ込められた時に一緒に入れられた食事に手をつけた。アニタの分ももちろん用意はされていたが、アニタは動くどころか、それを見ようともしなかった。
〈やっぱりショックだっただろうな。突然、あんなことを言われたんだもの〉
〈そういえば・・・・・・〉
 トミーはあのことをアニタに告げたときの、アルベルト将軍の表情を思い浮かべた。トミーはしっかりと見ていた。あのとき将軍は、人を殺した人間のようにはとても見えなかった。そのほかは―とはいっても、さきほど出会ったばかりなのだが―複雑な表情をしていて、恐ろしく、鋭い目付きをしてみせていたのだが、あのときの将軍の表情は、その鋭い目付きも穏やかになり、それどころかなにを思っていたのか、すこし目元を揺らしていたようにも見えた。あれはあの男に残った良心からの悔恨の告白なのか。もしかしたら両親を殺してしまった罪をアニタに償おうとしているのかもしれない。
 トミーは横目でアニタを見据えた。とにかく、このままではいけなかった。いまはアニタをどうにかして元気づけ、もう一度アルベルト将軍に会って、もっと詳しく真実を確かめなくては。
 トミーは一度、立ち上がってアニタに近づくと、そのまま横に腰を降ろした。それからそっとアニタの表情をうかがってみた。
〈泣いているのかな〉
 アニタの顔をのぞき込んでみたが、涙は流れていなかった。アニタはただ悲しみに暮れ、瞳を揺らしながら、こうして長い時間うつむいているのだ。
〈なんて酷いんだろう〉
 トミーは悲しみを通り越して、そしてそれが心の奥底からだんだんと込みあがってくる怒りに変わるのを感じた。泣き出してしまいたい気分だった。ふたたび時間が経つにつれて、今度は怒りが切なさに変わってきたのだ。しかし、ここで自分が泣き出してしまえば、アニタにもっと苦しみを与えてしまうのはわかっていたので、顔をくしゃくしゃに歪めながらも、それをなんとか堪えていた。
「アニタ・・・・・・」
 トミーがそう囁くと、アニタはゆっくり振り向いて、悲しみがたっぷりとこもった虚ろな瞳を向けた。アニタは口を開かなかった。ただその虚ろな瞳でトミーを見つめていた。それを見てしまったトミーも何も言うことはできなかった。
ただ互いに見つめあい、一言もしゃべらずしているうちに、頑丈な牢屋の扉が開くと、白スーツの男が入ってきた。
クイーンとジャック、それからさきほど〈神の島〉の捜索から戻ったばかりのキングを加えた三人がアルベルト将軍に向かいあっていた。将軍は三人に背を向け、大広間からの窓から見ることのできる美しいメリボルシアの夜景に心を奪われていた。夜明け前の工場群の明かりがすばらしいイルミネーションを描き、はるか彼方に見える山々はすでに緑色に燃え上がり始めていた。
 この星に暮らす生命にだけ見ることの許された、とても言葉では表現しようのないこの偉大な光景を悠然と見つめるアルベルト将軍の瞳は、とても権力に飢えた独裁者のようには見えなかった。将軍は毎朝、心から、このすばらしい光景を見せてくれるこの星に感謝し、感動し、尊敬していた。
「アルベルト将軍」
 夢想をさえぎられ、将軍は顔をしかめてゆっくりと振り返った。
「ただいま戻りました」
 キングはそういうと、深々と頭を下げた。将軍もしっかりとからだをキングの方にかたむけると、小さく会釈して、この忠実な臣下の労をねぎらった。
「キングか、ご苦労だった」
 キングは主の感謝の言葉にうれしくなり、満面の笑みを浮かべた。
「さっそく、神の島の件についての報告をさせていただきます」
「いいや、その件はあとで聞くことにしよう。それより今は君たちとあの子供たちに聞いてもらいたいことがある」
 将軍は特有の威厳のこもった態度で三人を見据えてから、口をひらいた。
「わたしはあの子供たちを元老院議長殿のところへ連れて行こうと思っているのだ」
 三人は怪訝に顔をしかめると、まっすぐに将軍を見つめ返した。将軍はそんな三人の態度を確認すると、表情一つ変えずにしばらく間を置いた。
 そのとき、大広間の扉が開き、トミーとアニタ、白スーツの男が入ってきた。アニタは牢屋にいたときの様子とは違い、生気のこもったまなざしで将軍を見据えていた。将軍は横目で二人の姿を確認すると、白スーツの男に感情をまったく含んでいない口調でいった。
「ご苦労、下がっていい」
 白スーツの男が一瞬、ムッとしてから静かに大広間をあとにすると、将軍は静かに切り出した。
「役者がそろったな」
そう言うと、アルベルト将軍はゆっくりとアニタに歩み寄ってきた。将軍が鋭い視線で見つめても、アニタはひるまずに将軍を見据えつづけた。
「わたしが憎いかね?」
「はい」
 アルベルト将軍の質問にアニタは率直に答えると、将軍は身を翻して、窓から見える、東の空に姿をあらわしていた、輝かしい朝陽に向かってからだをかたむけ、まるでその朝陽までも飲み込んでしまおうと言わんばかりに、両手を大きく広げた。それから震える声で続けた。
「見たまえ、この美しい朝陽を! このまばゆい星の輝きを! 君はこの世界にこれ以上のすばらしい光景を見せてくれるものがほかにあると思うかね? あの太陽よりも我々を満たしてくれるものがほかにあると思うかね? あの輝きよりも我々この星に生きる生物が必要としているものがほかにあるかね?」
 トミーはもちろんのこと、白スーツを着込んだ三人の男女とも初めて見る、まるで理性を失ったかのようなこのアルベルト将軍の姿に驚き、動揺を隠せなかった。しかし、アニタだけはピクリとも動かず、決意の固い、青空のような瞳を輝かせ、しっかりと将軍を見つめていた。
「なにが言いたいのですか?」
「わからんかね?」
 アルベルト将軍はすばやく身を翻すと、強いまなざしでアニタを一心に見つめた。
「わたしはこの星とあの太陽のもたらしてくれる、まさに奇跡ともいえる自然の恩恵に感謝しているのだ! 太陽はこの星に暮らす、すべての生物に生命の光を与え、この星は我々生物に豊かに生きることのできる住処を与えてくださった! 大いなる神はまず初めに、太古に生きてきた恐竜たちにこの星を託し、その恐竜が滅ぶと、次は我々哺乳動物にこの星で生きることを許されたのだ! そして我々の偉大な先祖たちがある日、頭脳を持ち、多大なる文化を築き上げてきたのだ! そうして新たに生まれた人類はその類なる頭脳をもちいて、この星について学び、哲学を追求し、科学を進歩させてきたのだ! そして人類は〈科学はかならず、人間を幸せにしてくれるものだ〉と信じきった! ・・・・・・ところが、君も千年前に起こった悲劇を聞いたことくらいはあるだろう? そう、人類は絶対の信頼を寄せていたその科学に裏切られたのだ。科学に依存していた人類はあるとき、その科学によって地球環境が犯されていたことに気がついた。多くの人がそれを知っていた。突如急速に海面が上昇し、それはみるみるうちに小さな島々を飲み込んでいった。もちろん、これを一大事と考え、この星についてもっと深く考えるべきだと訴えた人もいた。ところが、そういった意見はすべて流されていった。・・・・・・この星が誕生して、およそ四六億年。寿命は九八億年だといわれていた。人類の生きている時間など、その星の歴史に比べればほんの一時のことだ。だから多くの人が、その一時でこの星が突如おかしくなり、破滅することはないと考えていた。しかし、この星も我々生物と同じで、生きていることを、生命であることを忘れていたのだ。人一人の寿命はおよそ八十年。だが、その一人の人間がかならずしも八十年生きるとは限らない。なぜなら、人は急な病気や事故などで突然、命を絶たれることがあるからだ。この星も一つの生命である以上、かならずしもその九八億年の寿命を全うするとは限らなかったのだ。・・・・・・それに気づかなかった人類はついに神罰を受けることになったのだ。大いなる神はわたしたちや君らの祖先など、限られた人間だけをこの星に残し、そのほかのものをすべて流してしまわれたのだ」
 アルベルト将軍は一息置いて、この大広間にいる全員の表情をうかがった。子供たちも、三人の白スーツの男女たちもいまの話に聞き入り、驚き、慄いた表情を浮かべていた。それらのすべてを見つめてから、将軍はまた静かに続けた。
「しかし、わたしは、美しいこの星を壊した人類を憎んではいるが、愚かな生き物ではないと信じている。なぜなら、人類は過去を学ぶ能力を持っているからだ」
 アニタはハッとして将軍を見つめた。将軍と目が合った。将軍の瞳はとても穏やかだった。
「あの男は、君のお父上は、すばらしい人材だった。天文学や科学についての正しい知識。部下もわたしも彼を慕い、彼も懸命にそれに答えようとしていた。しかし、科学への過信が再度、この星の命を脅かす危険があった。科学の進歩のためだと反対するわたしに常に言い聞かせ、ついに、自然の摂理をまったく無視したクローン人間などというものを作り上げてしまった。この星を愛していたわたしにとって、それは何よりもつらいことだった。そこでわたしは十年前、ついに、君のお父上、そしていつもそばにいた彼の理解者であった、君のお母上も殺してしまったのだ。・・・・・・ああ、わたしはまちがっていたのだ! わたしはこの星を愛しているなどと奇麗事を言いながらも、この星の一つの欠片であった君の両親を殺してしまったのだ!」
 アルベルト将軍は崩れた。両膝をつき、大いなる太陽に背を向けて、両手を広げた。
 そんな将軍の姿に激しく胸を打たれたアニタは、こわばっていた表情をほぐすと、やわらかい瞳と微笑みを浮かべ、それから近づいてきて、しゃがみ込み、将軍の大きな手をそっと握った。
 思いがけないアニタの行為に、四人はじっと目を見張った。トミーはアニタのふんわりとした青空のような瞳を見て、思わずあんぐりと口を開けた。トミーははじめて見るアニタの満面のやさしい笑顔に、まるで自分の思い描いていた天使を見ているような気分に陥った。
 アルベルト将軍も動きを止め、自分に握られた小さな手をじっと見つめていた。
〈温かい・・・・・・〉
 それからアニタを見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「わたしは生きている資格などないのだ」
 その言葉にアニタは一瞬だけ目を見開いたが、それからゆっくり横に首を振ると、つぶやくような小さな声でいった。
「わたしもあなたと同じで、この星をとても愛しています。あなたの言っていたように、たしかにわたしたちはこの星と太陽の恩恵を受けて生きています。この星から生きる場所をもらい、生きるための水や食べ物や光をもらい、またときには、すばらしい出会いを与えてくれます。でも、・・・・・・あなたが言っていたことに一つだけまちがえがあると思います。あなたは『自分は生きている資格などない』とおっしゃられましたよね。やっぱり、それはおかしいわ。だって、あなたもわたしも、この星を創った神様に選ばれて生まれてきたのよ。この星に生きることを許された一人の人間なんですよ。だからあなたは生きていなくてはならないんです」
 アニタはいまにも消え失せそうな声で続けた。
「たしかに父さんと母さんを失ったのは悔しいけど・・・・・・」
 アニタがそう言うと、アルベルト将軍は手を離して立ち上がった。すると、黒いスーツの内ポケットから銃を取り出した。四人が目を見張った。トミーがキッとして、すばやくアニタの前に立ちはだかってかばった。
「なにをするんだ!」
将軍はしばらくじっとトミーとアニタを見つめていたが、やがて視線をそらしてうつむいた。それから、ゆっくりと近づいてくると、悲しみに満ちた表情で二人を見下ろし、銃をアニタに手渡した。アニタは呆然としながら将軍を見上げた。
「両親を殺されたのが憎ければ、悔しければ、撃ってくれ」
「将軍、いけません」
「かまわん!」
 クイーンの動揺しきった声を、アルベルト将軍は鋭い口調でさえぎった。
「たとえ神から与えられた命といえども、わたしは人を殺したのだ。その罪はわたしの命で償う」
 不意にガチャという音が聞こえ、将軍は目を見張った。アニタが銃を捨てたのだ。アニタは目に涙をため、悲しみに暮れた表情をしていた。それを見た将軍は胸を突かれた。
「そんなのいけない」
 アニタがキッと顔を上げた。
「死んで罪を償うなんて、そんなのいけないわ。人を殺して、自分が生きるなんて、わたしにはよくわからないけど、つらいことかもしれない。でも、それよりも生きて、その罪を償うほうが大事なことなんじゃないんですか。・・・・・・生きてください。つらくても、苦しくても、残酷かもしれないけど、生きてください」
 アルベルト将軍は思わず顔をそむけた。
「わかった・・・・・・」
 そして消え失せそうな声で、ただ一言、そう答えた。













     



大宇宙

 アルベルト将軍の厚意で、トミーとアニタは牢屋ではなく別室に案内された。案内役のクイーンとジャックに続いて、二人は塔をエレベーターで下っていった。エレベーターの壁はガラス張りになっていて、そこからはメリボルシアの街全体を見下ろすことができた。ここはかなり高度があるのか、猛スピードで下っていくエレベーターの真横を雲がよぎることもあった。すっかり日も昇り、街では朝の働きに出かける研究員や洗濯物を持った主婦たちがちらほらと姿を見せた。
〈なんて豊かな街なんだろう〉
 トミーは昨夜とは違う、メリボルシアの朝の美しさに感動を覚えた。
 エレベーターが止まり、扉が開かれると、絨毯の敷かれたある程度の広さを持つ部屋が二人の目に飛び込んできた。二人は白スーツの男女にうながされて部屋のなかに入った。本来来客のために施され、大国家の威厳を保つ、芸術に駆使されたシャンデリア、きちんと整えられた洗面所、天気のよい日ならば温かい日差しを取り入れることのできるようにと設計された窓、そして二台のフカフカしたベッド。生まれてから今まで貧しい月日を送ってきた二人には何もかもが豪華で、はじめて見るものだった。
〈本当にここにいていいのかな〉
「しばらく、ここがあんたたちの部屋だよ。好きにやっていいよ」
 クイーンは穏やかな笑みを浮かべながらいった。
「あそこに座ってもいいの?」
 トミーはフカフカのベッドを指差して、ジャックを見つめた。ジャックはこの好奇心旺盛で目を輝かせている少年を見て、思わず顔を緩ませた。
「ああ、お前たちの部屋だからな」
 トミーは満面の笑みを浮かべると、ベッドに近づいていき、そっと手を触れた。フカフカして暖かい感触がトミーの手を包み込んだ。それからゆっくりと腰をおろすと、満足げの笑みを浮かべて二人を見つめた。クイーンとジャックは無邪気な少年のその笑顔に微笑み、顔を見合わせてうなずいた。それから部屋を出て行こうとした。
「ありがとう」
 アニタの喜びに満ち溢れた声が二人の足を止めた。二人は振り向き、アニタを見つめた。アニタは満面の笑みを浮かべて二人を見つめ返した。
「なんてお礼を言ったらよいか・・・・・・」
 クイーンはしゃがみこむと、愛らしいその少女の頬を手でそっと触れた。
「いいさ」
 クイーンは短くそう言うと、立ち上がってエレベーターに乗り込んだ。ジャックは呆然とアニタを見つめて立ちすくんでいた。アニタはペコリと頭を下げた。ジャックはアニタの微笑みに、照れ臭さで思わず顔を赤らめた。それからエレベーターに乗り込むと、扉が閉まる寸前にアニタに手を振った。
 エレベーターの扉が閉まると、アニタは身を翻して、はしゃいでいるトミーの隣にゆったりと座り込んだ。
「いい人たち・・・・・・」
 アニタがポツリとつぶやくと、トミーはアニタの隣で腹這いになって答えた。
「ほんとに」
 トミーは、今度はゴロンと仰向けになると、ニッと小さな笑みを浮かべていった。
「僕たちって、案外幸せ?」
「そうかもしれない」
 二人はしばらく無言で見つめあっていたが、やがて堪えきれなくなると、声をあげて笑った。

 何事もなく、長い時間が過ぎてゆき、この日も太陽が沈んで、ふたたび夜空に星星がまばゆい光を散らし始めていた。
「・・・・・・今夜、ご出発を?」
 キングはアルベルト将軍に目を見張った。
「そうだ」
 将軍は大広間の窓にからだを向け、肩越しに横目でキングを見据えた。キングは顔をしかめて目を細めると、うつむいてなにやら考え込んでいるような表情を浮かべた。
「どうした?」
 キングは顔を上げると、アルベルト将軍の目をまっすぐに見つめた。
「海に出るには軍艦が必要ですね。近頃では海も物騒になったものですからね。仲間の軍艦に化けた海賊・首狩りが出現しますからね。外国の船に限らず、メリボルシアの民間船も奴らに襲われることは珍しいことではありません。奴らは残酷です。奴らは人の命などなんとも思ってはいない。金目の物を盗み、口封じのためだといって、船員・乗客を皆殺しにする悪党なのです。この数年間で奴らは二十隻以上もの船を沈めました」
 アルベルト将軍は顔をしかめた。それから視線を窓の外に戻した。
「わかっている。議長にはすでに連絡を取ってある。今夜にも出発する。ベネディクトゥス号の船員は直ちに準備に取りかかるように」
 将軍はそう言うと、身を翻して大広間を出て行こうとした。
「どこへ行くのですか?」
 将軍は動きを止め、キングを横目で見据えたが、すぐに視線をそむけてふたたび歩き出した。
「アニタ君のところだ」
 そう言い残すと、将軍はエレベーターに乗り込み、姿を消した。

 部屋のエレベーターの扉が開き、アルベルト将軍が入ってくると、トミーはきょとんと目を丸くした。将軍は部屋中を見渡したが、そこにはアニタの姿は見えなかった。
「失礼・・・・・・」
 将軍は紳士らしく深々と頭を下げた。
「アニタ君はどこへ?」
 トミーは何を考えているのか、にわかに笑みを浮かべて、アルベルト将軍を見つめていた。
「展望台に行ってくるって言っていましたよ」
「そうか。ありがとう」
「将軍」
 トミーは部屋を出て行こうとする将軍を呼び止めた。将軍は足を止めて、からだをひねると、トミーを見据えた。
「こんなにすばらしい部屋を提供していただき、感謝しています」
「いや、礼を言われるまでもない」
 将軍はそう言うと部屋を出て行った。
 将軍がエレベーターで屋上にある展望台に上ると、冷たい夜風が頬を愛撫した。将軍は思わず顔をしかめた。
〈これは山からきた風か。もう冬は近いな〉
 将軍はあたりを見回した。すると柵にもたれかかり、月光に照らされ、はるか彼方にある山々をじっと眺めているアニタを見つけた。アニタのお下げが風に乗ってなびいていた。将軍が足音を立てて近づくと、アニタはハッとして後ろを振り返った。
「アルベルト将軍・・・・・・」
 アニタは初め、将軍が急にあらわれたことに驚いたが、すぐに視線をもとの山々に戻して小さな笑みを浮かべた。将軍はアニタの隣に立つと、同じように月光に照られている山々を見つめた。
 アニタはそれらを見ながら、ポツリとつぶやくように言った。
「きれい・・・・・・」
 将軍は首をかたむけて、アニタを見つめた。アニタは将軍の視線を感じ取り、振り向くとニコッと笑ってみせた。それから静かに続けた。
「あなたの言ったとおりでした。星の輝きはなんてきれいなんでしょう。こんなきれいな光景を見せてくれるこの星にほんとに感謝してしまいます。いままでこんなに長い時間、じっと、星を見ているなんてことなかったんです。だから、やっぱり考えてしまいます」
「なにをかね?」
「わたしたちのたったいま暮らしているこの星は、あの星星は、そしてこの無限に広がる大宇宙はどうやって誕生したんだろうって」
 アニタはそう言うと、アルベルト将軍をじっと見上げた。将軍も横目でアニタを見据えると、囁くような小さな声でたずねた。
「そのことについて、話をしようか?」
「はい」
 アニタはニコッと微笑んだ。将軍はその可愛らしい微笑みを見ると、視線を星星に戻し、大きなため息をついた。それから静かに話し始めた。
「今からおよそ百五十億年前、宇宙の全物質はごく小さい空間に凝縮されていた。その物質は恐ろしいほど密で、重力も熱もすさまじいほど高かった。それがあるとき、突如、大爆発を起こした。その大爆発は我々の世界で〈ビッグバン〉と呼ばれている」
「我々の世界?」
 アルベルト将軍はうなずいた。
「わたしは軍人でもあり、学者でもあるのだ」
 将軍は続けた。
「ビッグバンは大爆発によって、その物質を四方八方へ撒き散らした。わたしたちの暮らしているこの星や、太陽や、あの星星はその散らばった物質が固まってできたものだ。そしてその物質はたったいまも広がりつづけている。・・・・・・昼間にいつも我々の見ている太陽、あれは恒星と呼ばれている。その恒星のまわりを周っているこの星やそのほかの九つの星は惑星と呼ばれる。そして月のように、この星、つまり惑星のまわりを周っているものを衛星という。そして太陽を中心として構成されているそれらを、太陽系と呼んでいる。・・・・・・わたしたちの星の位置をまずはっきりさせておこう。太陽はある銀河の四千億個ある星の一つだ。この銀河はとくに〈銀河系〉と呼ばれている。銀河系はたくさんの腕を突き出した渦巻状の巨大な円盤のような形をしていて、太陽系はその腕の一つにある。そして宇宙にはほかにも同じような銀河系の星の塊がたくさんあって、それぞれ銀河と呼ばれている。いまわかっているもっとも遠い銀河は、この星からおよそ百億光年だ」
「光年ってなんですか?」
「光年とは、光の速度で一年間に進む距離。光分は一分間で進む距離をあらわす。そして光は一秒間で宇宙空間を三十万キロ―この星を七周半―も進むことができる。つまりその速度でさえも、この星から一番遠い銀河へ行くには百億年かかることになる」
「そんなにですか?」
「そうだ。そしてその銀河と銀河の間はわたしたちがこうして話しているときにも、だんだんと離れていっている」
「それはどういうことですか?」
 アニタは驚きを思わず声にまで洩らした。
「いいかね、アニタ君。風船を思い浮かべれば考えやすいだろう。ある程度膨らませた風船に点と点を書いて、また膨らませていく。すると点と点の距離は少しずつ離れていくはずだ。つまり宇宙はどんどん広がっていることになる。この星とその銀河との距離はだんだん遠くなっているということなのだ」
「そんな、それは永遠につづくのですか?」
 アニタは不安げにたずねた。もしそうだとしたら、わたしたちとその銀河にいるかもしれないほかの生命体と出会うことが難しくなってしまう。
 アルベルト将軍は答えた。
「そうかもしれん。しかし、そうではないかもしれん。ビッグバンによって宇宙は広がりつづけているのと同じく、引力に吸い寄せられてもいるのだ。そしてわたしたちには想像もつかないくらいさきの話だが、いつの日かビッグバンの力が弱まると、今度は逆に宇宙は吸い寄せられることになる。それが収縮だ。ただしこれにもビッグバンと同じくらいの時間がかかる。そして最後には宇宙がすべて小さな空間に集まってしまうことになるだろう・・・・・・」
 アルベルト将軍はいったん話を止めて、アニタを見てやった。するとアニタはおびえているのか、からだをブルブル震わせていた。
〈無理もない。こんな子供にこのような話をしてしまったのだから〉
「だが・・・・・・」
 アニタは将軍を見上げた。
「ふたたび爆発が起こり、宇宙はまた広がっていく」
 そう言うと、アニタの笑みが戻った。
「つまり、膨らんでは縮まり、また膨らんでは縮まる、ということですか?」
 アルベルト将軍はうなずいた。
「そうともいえるかもしれん。もしそうだとすれば、わたしたちのいま生きている宇宙は、何回目の膨らみなのかは、まだわかっていない。しかし、ほかの考え方もある。それは、宇宙は一度膨らんで縮んだらそれっきりという可能性もある、というものだ。もし宇宙が永遠に膨張、収縮を繰り返すとすると、今度は〈すべてはどうやって始まったか〉ということが大きな問題だ」
「宇宙はどうやって誕生したか、ということですね?」
「そうだ。神がすべてを創造したと考えるならば、その神が『光あれ』と言った瞬間が、ビッグバンにあたることになる。すると、考えてみたまえ。それならば神とはいったいどこから生まれたのだろうか。どこからきたのだろうか」
「トミーは天馬に逆に聞かれたらしいわ。『あなたはどうして存在しているのですか』って」
「天馬?」
 アルベルト将軍が顔をしかめた。
「わたしたちが出会った夜、トミーが教えてくれたんです。自分は西の海に浮かぶ島で天馬に出会って、この星の運命を託された、といっていました。何の話だか、よくわからなかったけど」
 将軍の表情がみるみると曇っていった。
「天馬・・・・・・」
 アルベルト将軍はすばやく身を翻すと、アニタを残してつかつかと歩き、エレベーターに乗って姿を消した。













大海原へ

「さあ、行くよ」
 そう言っていきなり部屋に乗り込んできたクイーンを、トミーはきょとんとした顔で見つめた。
「行くって、どこへさ?」
 トミーとアニタはわけがわからずに、互いの顔をまじまじと見つめた。それから互いに首をかしげて、もう一度、クイーンに視線を向けた。
「聞いていないのかい?」
 今度は逆にクイーンが首をかしげると、驚いた顔で二人を見つめ返した。トミーは渋々うなずいた。
「ううん、なんにも」
 トミーがそう答えると、クイーンは大きなため息をついて後ろで突っ立っているジャックを冷たいまなざしで見据えた。
「言ってなかったのかい?」
 クイーンが低く小さな声でそう尋ねると、ジャックはおろおろしながら、まるでいまにも消え入ってしまいそうなほど小さくつぶやいた。
「忘れていた・・・・・・」
 クイーンはふたたび大きなため息をつくと、ジャックの頭をコツンと叩き、それから二人に視線を戻した。
「じつはね、アルベルト将軍の指令で、軍艦でアトランタ大陸というところに航海することになったんだよ。だから、こいつにあんたらも準備するように言っておいてくれって頼んだんだけどねえ・・・・・・」
「すみません・・・・・・」
 クイーンがジャックを見据えると、ジャックは慌てて視線をそらし、ただ一言、そうつぶやいた。そんなジャックの様子を静かに見つめていたクイーンはついに堪えきれなくなって吹き出すと、ニヤッと笑みを二人の子供に浮かべた。そんな二人のやり取りをハラハラしながら見守っていたトミーとアニタもつられて思わず苦笑してしまった。
 四人は塔をくだって、トミーとアニタが、気が狂ってしまいそうだった迷路を通り抜けてアトランタ大陸とやらへ向かうための軍艦のある港に到着した。
 二人の子供は〈軍艦〉ベネディクトゥス号を一目見ると、思わず声をあげ、およそ一五〇メートルほどの全長を持つその巨大な姿を仰いだ。
「うわー、大きいなー」
 鋼壁の船体はまるで鏡のように自分をはっきりうつし出すほど透き通っていて鮮やかだった。
 四人はその巨大な軍艦の甲板に乗り移ると、トミーとアニタは船縁に近寄ってその船体をそっと触れてみた。鋼壁はドキッとするほどひんやりしていて、トミーが拳骨で軽く叩くと、甲高い音を響かせた。この不思議な金属を目の当たりにして、二人は思わず見つめあった。
「不思議だな。何でできているんだろう」
「さあ・・・・・・」
 トミーの質問にアニタが首をかしげると、後ろから低い声が響き渡った。
「これは、この星に降ってきた隕石から採取した特殊な金属で作られている」
 二人はハッとして後ろを振り向くと、クイーンとジャックが深々と頭を下げ、その二人のさきからアルベルト将軍がこちらへ歩み寄ってきた。
「特殊な金属?」
 トミーが怪訝に顔をしかめ、ベネディクトゥス号の鋼壁を見つめた。
「そうだ」
 将軍はうなずいた。
「二百年前にこの星に降ってきた〈巨大隕石〉ベネディクトゥスはこの星にはない特殊な金属を運んできた。ベネディクトゥスがどこの銀河からやってきた隕石なのかはまだ特定されていないが、ベネディクトゥスは物質のほとんどが特殊な鉄で作られていた。それもこの星にはない、とてつもなく強力で頑丈なものだ。メリボルシアの研究チームが、ベネディクトゥスの墜落現場に赴き、その金属を採取し、強度実験、耐熱実験、耐ミサイル・魚雷実験などのさまざまな実験をおこなった」
「ミサイル? 魚雷?」
 トミーはさらに顔をしかめて、アルベルト将軍をじっと見つめた。将軍はトミーを見下ろした。
「そうだ。メリボルシアの科学者はその金属を何か超強力な武器として活用できないものかと考えていた。そこでたどり着いたのが、この〈超強力万能軍用艦〉ベネディクトゥス号だった。この金属はあらゆる衝撃に耐え、ミサイルや魚雷のような爆発物をもちいても決して砕くことはできなかった。当時、国家勢力の増大をはかっていたメリボルシア国家にとって、この金属はまさにうってつけだった。科学者や研究者は互いの力を存分に出し合い、長い年月をかけてこの軍艦を完成させたのだ」
 トミーとアニタは互いに顔を見合わせた。それからアニタは悲しげな表情で、アルベルト将軍を見つめた。アルベルト将軍も怪訝に顔をしかめて、アニタを見据えた。
 しばらくの間、海の波の音だけが聞こえていた静寂のなかをアニタの澄んだ声がフワッと風に乗って響いた。
「あなたはこの船でいったい何をしようというの?」
 アルベルト将軍はそういわれても、なおもアニタを凝視し続けた。しかしトミーはそのとき一瞬だけ、アルベルト将軍がアニタから視線をそらし、チラッと自分を見たのを見逃さなかった。しかし、将軍はすぐに視線をアニタに戻した。
 そのときトミーはチクッと胸の奥底が痛むのを感じた。それは不吉な予感。この男はまだ自分たちに、いや、おそらくクイーンやジャックたち部下にもまだ話していないような、とてつもない秘密を隠し持っているにちがいないと感じたのだ。
「・・・・・・わたしはさがしているのだ」
「なにを、ですか?」
 アニタが震える声で問い詰めた。
「・・・・・・神の・・・・・・遺産だ」
 トミーはアルベルト将軍がそういうのとほぼ同時に手を握り締めたのを見た。
〈怪しいな〉
 トミーは怪訝に顔をしかめ、この男が何かを隠していることを確信した。しかし、いくら考えても、それが何であるのかわかるはずがない。トミーにはこの将軍がそれをいつか話してくれるのを信じてただ待つしかなかった。
「・・・・・・出航しよう」
 トミーがハッとすると、アルベルト将軍はただ一言、そう言い残して操舵室に去っていった。

 ベネディクトゥス号は動き出した。月光に照らし出された、まるで鋼のような青黒く輝く大海原を雄大に突き進んでいった。
月がほとんど真南へと移動し、アニタも白スーツの二人も船員たちも寝静まった夜更け、トミーはさきほどの胸騒ぎがずっと頭から離れず、寝付けずにいた。ようやくうっとりしてきたと思ったら、ロアナ島にあらわれた天馬の夢が脳裏に流れ込んできた。
 ロアナ島で出会ったときのように、この世のものとは思えないほどの美しい白い肌と輝きを帯びた天馬がじっと自分を見つめていた。しかし、ここからがちがった。天馬が悲しみを帯びた赤い瞳でこちらを見据えると、次の瞬間、その白いからだが何かものすごい速さのものに貫かれた。天馬のからだから、血であるのか、ドロッとした銀色の液体が流れ出て、悲哀の瞳で自分を見つめ、苦痛に耐えながらも必死で蹄を伸ばし、助けを求めているようだった。しかし自分にはどうすることもできずに、天馬はそれからバタッと頭をうなだれると、ゆっくりと目を閉じて、その場に動かなくなった。
 そのような悪夢が寝付きそうになるたびに、トミーの脳裏をよぎった。
 トミーはそんな悪夢に耐え切れず、ムクリとからだを起こすと、隣のベッドで深い眠りについているアニタを見つめた。可憐なアニタを見て、少しでも気をまぎらわせようとしてみたが、ちっとも気が晴れない。
〈風にでも当たろうかな〉
 トミーは個室を出て、甲板へ出ると、アルベルト将軍が手を後ろに組んで、その鋼のような青黒く輝く大海原をじっと見つめていた。
〈アルベルト将軍?〉
 トミーがゆっくりと近づくと、アルベルト将軍は振りかえった。トミーは自分に向けられているアルベルト将軍のまっすぐなまなざしを見ると、思わず緊張した。
「眠れないのかね?」
 ひどくやさしく、やわらかい声で、将軍はそう尋ねた。それからトミーの真っ赤になった目を見つめると、目を細め、顔をしかめた。
「悪夢を?」
「はい・・・・・・」
 トミーはうなだれた。
「悪夢を見るということは、なにかに怖れたり、後悔しているということだと、わたしは考えているが」
 トミーは顔をあげた。
「将軍も悪夢を?」
「毎夜のように見るものだ。だからこうして夜風に当たっていると、心がなごむ」
「どのような夢を?」
 トミーがそう尋ねると、アルベルト将軍は微笑しながら答えた。
「わたしが君に、どんな悪夢を見たか、と聞けば、君は答えるのかね?」
「それは・・・・・・」
 トミーは言葉に詰まった。将軍はトミーのそんな様子をじっと見つめていた。
「・・・・・・わたしはアニタ君の父親が、わたしの銃で撃たれて倒れた瞬間がいまとなっても忘れられずに、頭から離れず、毎夜のように、悪夢となってあらわれる」
 トミーはハッとしてアルベルト将軍を見つめた。将軍はふたたび青黒い大海原に視線を戻していた。
 将軍は、それ以上は何も言わなかった。ただ、どこまでも広がるその海をじっと見つめ続けているだけだった。トミーは何も言えずに、しばらくの間、そんな将軍の背中を複雑な思いで見つめていた。
〈人は誰にでも、決して人には言えないような秘密を抱えて生きているんだ。この胸のなかにも・・・・・・〉
 トミーは左手で自分の胸を押さえると、そっと目を閉じて、心臓の鼓動の音にじっと耳を澄ませた。
〈僕のこの胸のなかにも、天馬の熱い思いが込められているんだ〉
 トミーはゆっくりと目を開くと、海を眺めている、いまの将軍の姿をしっかりと目に焼き付けて個室に戻った。それからふたたび横になったのだが、その夜、あの悪夢があらわれることはもうなかった。トミーはからだをかたむけて隣のベッドで安らかな眠りについているアニタを見つめながら、目を閉じ、それから深い眠りについた。













ベネディクトゥス号

 鮮やかな青が一面と広がる朝の大海原、海以外には何も見当たらないはるか彼方の水平線から、まばゆい朝陽が顔を出した。
 その朝陽が個室の天窓から差し込まれるのとほぼ同時に、アニタは目を覚ました。壁にかけられている時計の短い針はちょうど真下を指していた。それから隣でまだ寝入っているトミーを見て、小さな笑みを洩らした。
 起き上がって個室の扉を開けると、晩秋の風に乗った潮の香りが吹き込んできて、それがアニタのからだのなかをめぐっていった。
〈なんて気持ちの良い朝〉
 アニタは深呼吸すると、はじめて見る朝の海に感激し、まさにこの星の恵みともいえる、この澄んだ空気を思い切り吸い込んだ。そうすると不思議なことに、いままでの落ち込んでいて、自分の体内に溜め込まれていた嫌な空気が体外に放出されていき、反対に、海の新鮮な空気でからだ中が満たされていくような気分になるのだ。
 それから船縁まで行くと、心のなかで彼方に見える朝陽に向かって挨拶をした。朝陽はまるでそんなアニタに答えるかのように、ますます盛んに暖かい日光を降り注がせた。
「あの、あなたがアニタさん?」
 アニタがじっと海を眺めていると後ろから声をかけられた。振り向くと、エプロン姿の若い女性がポツリと立って微笑んでいた。
「はい、そうですけど・・・・・・」
 アニタが答えると、女性はその美しい笑顔をそれ以上に穏やかにした。
「よかったわ。わたくし、この船で調理を任されている者です」
「この船の食事を?」
「そうです。朝食の支度ができましたので、あなたともう一人のおつれさんを呼んでくるようにと、料理長の方から言いつけられてきました。あの少し出っ張った作りが見えるでしょう? あそこが食堂です。よろしければ、おいでください。将軍が待っております」
 女性はそう言うと、クルッと身を翻して行ってしまいそうな素振りを見せた。
「将軍が? どうして?」
 女性は振り返ったが、やさしい笑みをアニタに向けただけで「早くね」とだけ言い残していってしまった。
 アニタは寝入っていたトミーを起こすと、共に食堂へ向かった。
「ああ、眠いや」
 トミーがそう言って大きなあくびをすると、それを見ていたアニタは小さく微笑んだ。
 ベネディクトゥス号のちょうど真中あたりに位置する食堂の扉の前に立つと、その扉が自動的に開いた。食堂へ足を踏み入れると、赤い布の敷いてある大きな長細いテーブルのさきにアルベルト将軍が腰をおろして、朝食を摂っていた。将軍の隣には髭を生やしてエプロンを着用した老人が立っていた。食堂は二人が見たこともないようなものばかりだった。壁は、外からはわからないが、中から見ると、一面ガラス張りになって、三百六十度の海の景色を眺めながら食事ができるようになっており、天井にはまるでどこかの王宮のような、いろいろな宝石の詰まった巨大なシャンデリア。どれもかしこにも圧倒されて二人は目を丸くしていた。
「二人とも、かけたまえ」
 二人はおっかなびっくりしながら、アルベルト将軍と向かい側の席に腰をおろした。
 食卓を見ると、脂の良くのった魚貝類や色鮮やかな海藻が並んでいた。アニタは見たことのないこの食べ物に思わず戦慄した。
「これは?」
 アニタはこの食べ物をチラチラ見ながら尋ねた。アルベルト将軍は食べる手を休めると、微笑しながらアニタを見つめ返した。
「知らんのかね? これは鰤という魚を照り焼きにしたものだ。隣のやつがアサリのシチュー、そしてこれがワカメのサラダだ。そうだったかね、料理長?」
「そのとおりです、アルベルト将軍」
 この老人がさきほど女性の言っていた料理長のようであった。料理長はあご髭を引っ張っていた。アニタは見たこともない生き物を焼いたこの食べ物を、顔をしかめながら見つめていた。
〈気持ち悪いな、これ〉
だが、やがてその食べ物におそるおそるフォークを伸ばして突き刺すと、またしばらく見つめて、それからようやく勢いよく口のなかに放り込んだ。アニタはなおも顔をしかめながらも、その食べ物の味を確かめていた。そんな様子をトミーも料理長も、アルベルト将軍までもが動きを止めてじっと見守っていた。
 アニタがゴクリと喉を鳴らしてそれを飲み込んだ。それからまわりで自分を見つめている三人を見ると、ニコッと微笑んだ。
「おいしい。すごくおいしいわ、これ」
 あわや興奮気味にアニタはうなずいて、それをもう一口食べた。するとアニタはますます笑顔を募らせた。久しぶりに見たアニタのうれしそうな笑顔につられて、トミーもその食べ物を一口食べてみた。
 なるほど、魚にかけられてあるこのソースが芳ばしさとほんのりした甘さを引き出しているのだ。
「ほんとだ、おいしいや」
 二人は互いに顔を向けてうなずきあった。料理長は自分の作った料理がこれほどまでに喜んでもらえたことに感激していた。
「そんなに喜んでもらえると、うれしいのう」
 アルベルト将軍もそんな二人を見ながら、やわらかい笑みを浮かべていた。
「わたしや料理長、そしてこの船の乗員、つまりメリボルシアの衛視たちは、陸にいるときはおもにその陸の食べ物を主食としているが、こうして海にいるときはその海のものしか食べないことになっている。何日もたってくると飽きてきてしまうこともあるのだが、海の食べ物のほうが陸のものより健康に良くて、新鮮なのだ」
 二人ははじめて見た、この男の笑顔に驚いてつい呆然と見とれてしまっていた。まるで二人のことを自分の子供を見ているかのようなやさしい笑顔を浮かべ、そして二人の喜びを自分の喜びと感じているかのように、頬の筋肉が緩んでいた。瞳は輝き、二人がこれまでに見てきたいつものこの男よりも生き生きとしていた。しかし、その笑顔の下にはやはりなんともいえない悲しみが入り混じっているようにも見えた。
「もしよければ、ベネディクトゥス号を案内しようと考えているのだが」
 二人はしばらく顔を見合わせ、それから満面の笑みを浮かべてうなずいた。
「はい、ぜひお願いします」
 食事を終えて食堂を出ると、アルベルト将軍はベネディクトゥス号の前方に二人を伴った。食堂と同じくらいの大きさを持つ建物の扉の前で将軍は一度足を止めた。
「ここがベネディクトゥス号のブリッジだ」
 将軍はそう言うと、自動で開く扉を通り抜け、ブリッジのなかに入っていった。二人も不安げに顔を見合わせ、それから互いにうなずくと、戸惑いながらも将軍の後に続いた。
 二人はブリッジから見える雄大に広がる大海原に思わず声を洩らした。ただ海が見えているわけではない。食堂の壁と同じく、外は鋼色の鋼壁であるのにもかかわらず、中からはガラス張りになっていて外の景色を見渡すことができるのだ。ただ食堂と違うのが、そのガラス張りが横の壁だけではなく、天井までもが、ブリッジ全体がそのように作られていたのだ。
 そして次に驚いたのは、そこにあるコンパス、速度計、ミサイルの残り弾頭数、近海の船の位置を確認するスコープ、舵などその膨大な機械類の数だった。ブリッジにいるスタッフはアルベルト将軍を含め、クイーン、ジャック、キングの四人で、それぞれの席がまるで将軍を囲むように弧を描いていた。クイーンは二人を見るとウインクし、ジャックは手を振ってくれた。二人とも笑顔が眩しかった。
「わたしたち四人がおもにこの船を動かしている。わたしは彼らにあらゆる指令を出し、その指令をクイーンが全艦のスタッフに伝え、ジャックがこの船の舵を握り航路を支える操舵長、キングが武器の残りを確認、わたしの指令で発射する」
 アニタが顔をしかめた。
「武器って?」
「この船に搭載されている兵器のことだ。それはおもにミサイルで殲滅弾、捕捉弾など、そして我々の最大の武器が誘導電波だ」
「誘導電波?」
 アルベルト将軍はアニタを見据えながらうなずいた。
「そうだ。敵艦の発射したミサイルの物質を短い時間で判別し、そのミサイルにあった波長をこちらから送り込むことによって、まずそれの自由を我々のものとする。それからキングがそれを海に落下させるか、敵艦に激突させるか、その場で誘発させるかをわたしの指示で決定する。敵艦の誇るどのような強力な兵器も今日までそれで回避してきた。我々の持つ殲滅弾のような大型壊滅兵器も我々の前では一切無効なのだ。仮に殲滅弾のようなものが発射され、誘導電波で避けられなかったとしても、この船の鉄鋼の前にはほとんどが無効だ」
「まさに無敵の戦艦というわけですね?」
 トミーは目を細めてアルベルト将軍を見上げた。そんなトミーを見たアニタもドキッとしてその場に硬直した。
〈トミー、怒っているの?〉
 だがトミーはすぐに将軍から視線をそむけると、悲しげな表情で雄大に広がる大海原を見つめた。まるではるか彼方にある何かを見ているかのようであった。
 トミーの脳裏に天馬の言葉がよぎった。
『この星を救うのです』

 次にアルベルト将軍は二人をブリッジのすぐ後方にある比較的狭い部屋に案内した。
「ここが動力室だ」
 動力室というものだから、難しそうな機械類がごちゃごちゃあるのかと思っていたが、そこに存在していたのは鋼壁と同じような巨大な金属の筒と数本の線だけだった。
「これは?」
 トミーがアルベルト将軍を見つめると、将軍はゆっくりとうなずいた。
「この鉄の塊がベネディクトゥス号の動力源だ」
「どういうことですか?」
「宇宙というものは謎で満ち溢れている。この星を誕生させたように、時として宇宙はとても我々の考えも及ばないような恵みをもたらすことがある」
「それがこの物質というわけですね。だけど、これは・・・・・・」
「そうだ。鋼壁とまったく同じものだ。これこそ宇宙のもたらした奇跡というのだろう。この金属は現在この星に存在するもののなかでもっとも強力で頑丈だ。しかし我々学者がもっと驚いたことがあった。それは、この金属にもともと含まれていた膨大な電気だ。しかも無尽蔵の。驚異的な科学力を誇るメリボルシアの研究チームを結成しても、この無尽蔵の電気の仕組みを解明することはできなかった。大気中の何らかの物質と融合しているのか、あるいは本当にこれが奇跡であるのかはわからない。だが、この尽きない電気によってこのベネディクトゥス号は万能を誇っていられるのだ。・・・・・・奇跡はまだある。君たちはブリッジや食堂の壁を見たであろう。あれもいまだ解明できていないこの金属の奇跡だ。ただし君たちの個室がそのようにならないのは内側に木製の壁を仕込ませているからだ。メリボルシアの絶対的な支配力を保ち、いくらこの星を守りたいと願っても、そのためには膨大なエネルギーをこの星から供給されなければならなかった。そしてその結果がこの星の破壊へと繋がってしまうものだ。だがそれを宇宙から降ってきたこの奇跡によって防ぐことができ、なおかつこれでメリボルシアの安泰も守られる。このことすべてを踏まえてわたしは、この金属そのものがまさに奇跡だと考えているのだ」










海上の戦い

 ブリッジのスコープが突然点滅し警戒音を発すると、クイーンは読んでいた本をあわてて放り出し、顔をしかめながらスコープを凝視した。スコープのレーダーに南東の方角から奇妙な物体が数十体の塊となって映し出されていた。
「将軍!」
 クイーンが普段と比べると異常なほどの声をあげると、スタッフ四人は一斉にクイーンに視線をそそいだ。
「どうした?」
 アルベルト将軍は落ち着きはらった口調でそう尋ねた。
「南東より数十体の正体不明の浮遊物体が我々に接近してきています!」
 クイーンがそう言うと、将軍はキッと目を吊り上げ、瞳を光らせた。しかし口調はさきほどとはまったく変わらなかった。
「物体の正体および距離、数を十秒以内で確認せよ」
「了解」
 クイーンはその正体不明の物体の放つ海面の振動音をキャッチするため、ヘッドホンを頭にかけ、食い入るような表情で海底から伝わってくるその音にじっと耳を済ませた。
 無数の振動音が電波となってざわざわとクイーンの鼓膜を揺らし、時折物体のからだに打ち付けられる波の音も混ざって聞こえてきた。
〈船体周辺の波の大胆な揺れ、大型船・・・・・・距離三〇〇〇・・・・・・数およそ十五対弱〉
 クイーンはゆっくりとヘッドホンを外すと、確信に満ちた表情でアルベルト将軍に振りかえった。
「敵の正体は十五対ほどの大型戦艦、距離はおよそ三〇〇〇です。しかし将軍、これは・・・・・・」
「わかっている。戦闘態勢だ」
 アルベルト将軍が鋭い口調でさえぎった。それから険しい表情を浮かべながら、将軍もまた確信に満ちたようなまなざしでスクリーンとなった前方のガラス張りに映し出された十五対の敵艦に視線を向けた。
「これはいまメリボルシアを脅かせている首狩り一族だ。奴らめ、軍艦など開発していたか」
 将軍は恨めしそうにスクリーンを見上げた。敵艦は映し出された映像でも、クイーンの近くで反応しているレーダーで見ても確実にこちらに接近してきているようであった。
 ふたたびヘッドホンをかけていたクイーンがまた大声をあげた。
「敵艦より、十五体のミサイル発射音を確認! 距離二五〇〇!」
「応戦だ!」
 アルベルト将軍は威厳に満ちた態度で腕を組み、前方のスクリーンを見据えていた。
「誘導電波用意! 面舵一杯!」
「誘導電波用意!」
「面舵一杯!」
 ベネディクトゥス号の船体が右に傾きはじめた。それとほぼ同時に船外では異様な機械音が鳴り、アンテナが動き始め、それははるか彼方から猛スピードでこちらへ向かってくるミサイルに向けられていた。
 首狩り族の軍艦が発射したミサイルが真っ赤な炎を吹き上げ、徐々にベネディクトゥス号に近づきつつあった。メリボルシア帝国の民間船が首狩り族の襲撃を受け、撃沈させられる。この事実は首狩り族の所有する軍艦にあったのだ。古来より首狩り族はある一定の島にとどまり、そこに偶然訪れた人間を襲い、その人間を殺し、皮を剥がし、肉をむさぼり、骨をえぐり出してそれを石で叩き割り、髄を啜る。
しかし、普段はその島にある食物を取って生活していた。それがつい最近、首狩り族は一族の人口増加に伴い、その島にある食物だけでは生活していくのが困難になり、ボートで海に出て民間船などを襲撃し始めたのだ。そしてしまいにはどこから取り入れたのかは不明だが、科学力を持ち始め、あの軍艦群を開発したのだ。
「距離五〇〇!」
 クイーンが叫んだ。するとアルベルト将軍はカッと目を見開いた。
「誘導電波放射! 全弾その場で自爆させろ!」
 キングはアルベルト将軍にうなずくと、親指を緑色のスイッチにそっと突き立てた。
「放射!」
 キングはグッと緑色のスイッチを押した。ベネディクトゥス号にビビビッという異様な音が響き渡り、アンテナから放射されているはずである電波が猛スピードで十五弾のミサイルをキャッチし、それのからだを揺らした。
 次の瞬間、あたりはカッと白熱し、十五弾のミサイルが一斉に大爆発を起こした。爆発の影響で波が揺れ、それがベネディクトゥス号に押し寄せた。
「衝撃波、来ます」
 クイーンがすっかりと落ち着き払った声でいった。すると爆風がベネディクトゥス号の船体を激しく打ちつけた。船体は横に大きく揺れ動いたが、船内にはそれほど大した影響はなかった。それらのすべてが止むと、アルベルト将軍は一段と鋭い目付きでスクリーンに動き出されている、攻撃が失敗に終わり、退却していこうとする首狩り族の軍艦を見据えていた。
「殲滅弾の用意だ」
 アルベルト将軍は冷たくそう言い放った。

 トミーは突然の胸苦しさに襲われた。それはメリボルシアの迷路で経験したあの苦しみにそっくりだった。突然の目眩と吐き気、虚脱感と恐怖感がふたたびトミーを襲った。もうどうすることもできなくなり、その場でバタッと倒れ込んだ。異様な物音にアニタが顔をしかめながら振り向くと、トミーが苦しそうに胸を押さえて倒れ込んでいた。
「トミー!」
 アニタはあわててトミーに近寄り、そっと頭を抱いた。額からは大量の冷や汗が流れ出し、頬が真っ青になっていた。
〈熱があるわ・・・・・・〉
 アニタはそう感じ取るや否や、その場にトミーを横にして自室を飛び出していった。
「待ってて、すぐ戻るわ」
 アニタは必死で甲板を走り、食堂と動力室のすぐ脇を通り抜け、荒々しくブリッジに飛び込んでいった。アニタが荒い息をつき、顔を赤くしながら入ってくると、四人のスタッフは一斉にアニタに振り向いた。クイーンは突然の出来事に呆然としていたが、すぐにハッとして叱るような口調でいった。
「非戦闘員は自室に退避していなさい!」
 アニタが目に涙をためて顔を上げると、四人のスタッフは不意に胸を突かれた。
「トミーが、トミーが大変なの」
「なんだって?」
 アニタのその言葉に、クイーンとジャックは思わず立ち上がった。
「トミーがどうした?」
「いきなり胸を押さえて倒れて、声をかけてもまったく返事をしてくれないの。顔が赤くて、ひどい熱があるわ」
「待っていろ、いま行く!」
「攻撃準備だ!」
 クイーンとジャックが同時に席を立ち上がり、すぐさまアニタのあとに続いてトミーのところへ行こうとすると、アルベルト将軍が厳しい口調で二人の行動を遮った。
「席に戻れ、二人とも」
「しかし、将軍。このままでは! ・・・・・・」
 クイーンがいきり立った。しかし将軍はもうそれ以上は何も言わずにただスクリーンを見据えているだけだった。
「わかりました・・・・・・」
 二人は落胆の表情を浮かべてアルベルト将軍を見つめると静かに席に戻った。
「攻撃準備完了しました」
「目標、首狩り族の戦艦十五体」
 これからなにが始まろうとしているのか、なす術もなくただハラハラしながらそれらの様子を見守っていたアニタは、ふとスクリーンに映し出されている戦艦に赤いスコープが表示されているのを見て、思わず戦慄が走った。
〈なにかとんでもないことが始まる〉
 そう直感したアニタは不安げな表情でアルベルト将軍と三人のスタッフを順々に見回した。四人はなにか決心をしたかのように頬を緊張でこわばらせ、それはこれから始まろうとしていた惨劇を予期していたのだ。四人ともしばらく無言でスクリーンに映り、遠ざかっていこうとしている十五対の戦艦を見据えていた。アニタはたまらなくなってアルベルト将軍を見つめた。将軍はアニタの視線にハッとすると、キングに向かってこの戦闘、最後となる指令を下した。
「殲滅弾発射。首狩り族を全滅させよ」
 アルベルト将軍のこのとんでもない指令に、アニタは目を見開き、思わず手で口を押さえた。
「いったい、何をしようというの?」
 アルベルト将軍はそれには直接答えず、腕を組み、まるで釘のように突き刺さっているアニタの視線を無理やりもぎ取った。そして目を閉じると、これから起ころうとしている惨劇からまるで身を避けるかのようにうなだれた。
「まさか・・・・・・」
 アニタはハッとしてほかの三人のスタッフを見回した。
「あの船を壊そうとしているの?」
 アニタに見つめられると、三人はその悲しげなまなざしを遠ざけようと、将軍と同じようにうなだれた。「お願い、やめて。あの船を壊したら、あそこに乗っている人がみんな死んじゃう!」
「それが目的だ」
「どうして?」
 アニタは目に涙をため、必死にアルベルト将軍の袖を引っ張って訴えた。アルベルト将軍と目が合った。するとアニタの脳裏に不可解な映像が映し出された・・・・・・。

 軍人服を着て機関銃を担いでいる男がいた。髭を生やして顔をひどく汚しているこの男はアルベルト将軍そのものと言ってもいいほどそっくりだった。男は荒い息をつきながら、バッと飛びのくと、近くにあった路地に隠れ込んだ。路地から見える大通りに無数の弾光が走り、飛び回り、大通りにいる人々のからだを無残にも打ち抜いていった。男はそこの路地に隠れ込んでいた若い女性と二人の子供を見つけると、ふとやわらかい笑みを浮かべた。それから男は三人を守るためなのか、路地のさらに奥へ誘導すると、反対側の大通りに出た。そして何かを警戒するような視線であたりを見回すと、そろそろと静かにその大通りを移動していった。しかしそのとき、あたりに笛の音が鳴り響くと、数人の異様な格好をしていた男たちが四人を囲んだ。男たちは首狩りのように、アニタには見えた。首狩りたちは狂ったような奇声を上げて男を襲おうとした。男は必死に抵抗し、勇敢に戦いに挑んだ。そのときだった。ものすごい爆発音が、男と首狩り族を襲った。男は吹き飛ばされ、大通りを転がりまわった。
 子供の泣き声が男の視線をうながした。男が助けた女性と二人の子供は猛り狂う炎に包まれ、絶叫を上げていたのだ。男は叫んだ。必死に三人を助け出そうとしたが、炎はますます盛んに燃え広がり、もはやどうすることもできなかった。
 男は自分の無力さに絶望し、ガクリと両膝を落としてその場にへたり込んだ。男は涙を流しながら、しばらくまったく動かずにその炎を見つめていた。
『時間が経つにつれて、絶望は悲しみとなり、その悲しみは次第に彼らに対する怒りへと変わった・・・・・・』
 アニタの脳裏に誰のものとも言えない、そのような声が響き渡った・・・・・・。

「殲滅弾、発射!」
 キングが誘導電波の隣にある赤いスイッチをグッと押した。
 ベネディクトゥス号の発射口が開き、轟音を立てて筒型のミサイルが発射された。殲滅弾は後ろから紅炎を噴き上げながら、はるか彼方へと飛んでいった・・・・・・。
 そのはるか彼方のずっと見えない遠くの海でカッと閃光が走った。それは一瞬ものすごい速さで収縮し、次の瞬間、一気に膨れ上がって大爆発を起こした。白い光がスクリーンではなく、その横の壁から見えるすべての光景を包み込んだ。何が起こったのか、まったくわからない。鼓膜が破れそうなほどの膨大な音が耳を突き、白い光以外は何も見えなかった。続いて、ものすごい衝撃がベネディクトゥス号を揺らしてかたむいた。
「神罰だ! 神の怒りが降臨したのだ、愚か者たちよ! 貴様らが死に追いやった惨めな人々の怒りの火だと思うがいい! 苦しむがいい! 喚くがいい! これがわたしからの貴様らへの制裁だ!」
 何も見えないなかで、アルベルト将軍がまるで狂ったかのようにそう叫んだ。狂気と化したその声は、アルベルト将軍の普段の穏やかな表情を微塵も感じさせなかった。この男のなかで何かがはじけ飛び散り、その何かがこの男を首狩り族の大殺戮というかたちへと導いたのだ。それはこの男に何十年間も積もり、溜め込まれた『怒りと憎しみ』だった。
 白い光が止むと、アニタは目をこすり、大海原を見つめた。はるか彼方から真っ黒い煙と炎が猛っていた。煙ははるか天空まで昇り、アルベルト将軍も三人のスタッフもまるで何事もなかったかのような表情を浮かべて、じっと座り込んでいた。
「終わった・・・・・・」
 やがてアルベルト将軍がそうつぶやくと、アニタはハッとして将軍を見上げた。アニタはたったいま目の前で起こった大殺戮を目の当たりにして、心の内側がボロボロに壊れていくのを感じた。
「なんてことを」
 アニタの涙声にアルベルト将軍は振り向いた。
「アニタ君、君は人が死ぬのがそんなにも珍しいのかね?」
「あたりまえです!」
 アニタは思い切ってそう吐き捨てた。それから顔をそらし、溢れ出しそうになる涙を必死にこらえた。
「そうかね?」
 アルベルト将軍は驚きを、いや怒りを声にまで洩らした。
「これが戦争なのだ! これが現実なのだ! わたしの暮らしていた地域では人の死など、けっして珍しいことでもなんでもなかった。そこでは全員が敵で腹が減れば、他人の食料を奪うために殺しあおうともいっこうにかまわない! 千年前もそうだったではないか! 人間は私腹を満たすためならなりふりかまわず人を殺していたではないか!」
「お願い、やめて。そんな話、聞きたくない」
 アニタは思わず耳をふさいだ。だがアルベルト将軍はものすごい力でアニタの手首をつかむと、そのまま引き寄せて、目の前に燃え広がっている惨劇をアニタに知らしめた。
「見たまえ、現実から逃げずに! これが真実だ! これが戦争だ! 人の死が珍しいというのならば、たったいまその目に焼き付けるがいい!」
「もうやめて、お願い・・・・・・」
 アニタはもうたまらなくなってすすり泣いた。その声でアルベルト将軍はハッと我に戻り、アニタの手を離した。三人のスタッフはただじっとそれらの様子を見つめていた。
「すまない。大人気ないことをした・・・・・・」
 アルベルト将軍から解放されると、アニタはすばやく身を翻し、涙を流しながら走ってブリッジを出て行った。
「アニタ!」
 クイーンとジャックは慌てて立ち上がり、アニタの後を追った。









伝説の大陸

 アニタは全速力で個室に飛び込むと、思い切りその扉を閉めた。シンと静まりかえっていた船内にその音が響き渡った。トミーがベッドに寄りかかり、まだ胸を押さえ、荒い息をつきながら、必死で立ち上がろうとしていた。
 トミーはあの苦しみが自分の心臓をギュッと締めつけたとき、一瞬、もうすぐ訪れようとしているのかもしれない生命の終わりというものを感じた。このまま心臓の鼓動がどんどん早くなり、そのまま破裂してはしまうのではないだろうかという不安に襲われた。
〈これが僕の最期か。こんなところで・・・・・・〉
 そう思ったが、それも時間が経つうちに徐々におさまり、なんとか自力で立ち上がるくらいにまで回復した。ようやくベッドに腰をおろすと、アニタが扉の前に直立し、涙を流しながらじっとうつむいているのがわかった。突然のことにトミーは胸を突かれた。そのときまたズキリと胸が痛んだ。その痛みに思わず顔をしかめた。
「アニタ? どうしたの?」
 トミーはアニタに心配を懸けるわけにはいかないと思い、無理やり笑顔を取りつくろったが、顔を上げたアニタはトミーのその笑顔がどこか引きつっているのを見逃さなかった。
「ううん、なんでもない。胸は、まだ痛むの?」
 アニタは首を横に振った。さきほど目の前で起こった惨劇が脳裏をよぎり、思わず泣き出しそうになるのを懸命にこらえて、涙を拭った。
 なにもかも話したかった。話して、トミーと自分の気持ちを共に分かち合いたかった。しかしいまあの惨劇を話せばトミーはますます心を病んで悩み、さらに具合を悪化させてしまうかもしれない。それだけは絶対に避けなければならない。いまは自分の胸のなかにだけしまい込んでおけばいい。いずれ時がきたら話せばいいのだ。
「すこしね。でもだいぶ良くなったよ」
 トミーは額にたまった汗を拭った。
「ひどい汗・・・・・・。からだの具合が悪いの?」
 アニタが心配そうな表情を浮かべてトミーを見つめると、トミーは思わず顔をそらした。
〈アニタを絶対に心配させない〉
 そんな気持ちがからだに勝って、トミーは満面の笑みを浮かべてみせた。するとアニタは本当に安堵した表情を浮かべてトミーを見つめた。
「たいしたことないよ。ちょっと疲れただけさ」
「よかった・・・・・・」
 二人が微笑を浮かべながら互いを見つめあっていると、不意に部屋の扉を叩く音が聞こえてきた。すると扉が開き、クイーンとジャックが大変気まずそうな表情で部屋に入ってきた。あの惨劇がふたたび脳裏によみがえると、アニタの顔から血の気が失せ、みるみるうちに表情を曇らせた。
「なにかあったの?」
 このただならぬ空気を察して、トミーが不安げに尋ねると、アニタは首をゆっくりと横に振った。
「ううん、なんでもないの。またあとでね」
「うん・・・・・・」
 アニタはそう言い残すと、そそくさと部屋を出て行った。トミーは怪訝に顔をしかめてクイーンとジャックを見回したが、二人ともチラッとトミーを見ただけですぐに部屋を出て行ってしまった。
「待ちなよ!」
 クイーンが必死に叫んで、ずんずん遠くへ行ってしまうアニタを呼び止めた。アニタは立ち止まり、怒りとも悲しみともとれない表情で二人に振り向いた。クイーンとジャックは小走りにアニタのもとへやってくると、躊躇いがちに口を開いた。
「・・・・・・将軍は、アルベルト将軍は苦しんでいたんだよ」
「・・・・・・」
 クイーンがいきなりそんなことを言うと、アニタは無言で顔をしかめてクイーンを見据えた。クイーンはそんなアニタの表情を見て、あわてて続けた。
「たしかにあんたの言うとおり、人を殺すのは間違ったことかもしれない」
「あたりまえです」
「最後まで聞くんだよ!」
 気づいたときにはクイーンは思わずそう叫んでしまっていた。アニタは一瞬ビクッとからだを震わすと、そのまま一歩後退して顔をそむけた。クイーンはいまのことを後悔したのか、頭を掻いてなんとか自分の激しく揺れ動いている感情をごまかそうとしていた。
「あのお方は、あたしも詳しくは知らないけど、軍人時代に自分の身に起こった過去を清算しようとしているんだよ」
 アニタの脳裏を、アルベルト将軍と一瞬だけ目が合ったときにあらわれた不思議な映像がまるで稲妻のようによぎった。あの悲しみの絶叫をあげていた男の人はやっぱりアルベルト将軍なのか? 仮にそうだとしても、あのときのなんとも言えない虚ろな瞳はいったい? あのときの目はいつもあの人が自分を見ているときと同じ目をしていた。それが首狩りらしき男たちに女性と二人の子供たちを殺された瞬間、憎悪を剥き出しにして、まるで鬼のような目になった。あれがやっぱりあの人の、本当の心の中であるのか。
 恐ろしくはあった。しかしアニタはアルベルト将軍のことをもっと知りたい、いや、おそらく生まれも育ちも違うあの謎に満ちた人物と、できれば理解しあいたかった。
 それよりもアニタにはどうしても一つ気がかりなことがあった。それはなぜ自分が、仮にあの男の人がアルベルト将軍だとしたら、どうして人の過去(?)を覗くことができるのだろうか、そしてそのなかで突然耳に飛び込んできたあの声はいったい誰のものだったのか、ということだった。以前にもたしか、このようなことがあったではないか。声のほうはともかくとして、それらの映像を見ることができたのは、もしかすると・・・・・・、
〈わたしの能力?〉
 アニタの背筋に戦慄が走った。もしそうなのだとすれば、自分はとんでもないものを見てしまったことになる。あれは決して誰も見てはいけない封印された光景。まだ誰も踏み入れたこともない未開の森に自分たった一人で入っていったようなものだった。そしてそのなかに一歩でも足を踏み入れたら二度と出て来られなくなるかもしれない、つまり自分になにかとんでもないことが起ころうとしているのはあきらかだったのだ。
「ひどい時代だったらしいんだよ」
 クイーンは続けた。
「十年前、あんたの両親があのお方に殺されてからは、メリボルシアの治安が乱れはじめ、帝国各地で内乱が勃発したんだ。その内乱はメリボルシアを軍勢力と元老院勢力の二つに分けた」
「ちょっと待って」
 アニタがクイーンの会話を不意に遮った。いまのクイーンの話にはおかしなところがあった。
「どうして私の両親がなくなったとき、内乱なんて起きたんですか? 両親は学者だったはずじゃあ・・・・・・」
 アニタのその言葉に、クイーンはハッとしたように目を見開いた。するとあわててアニタから目を離し、話の続きをした。
「メリボルシアの実権は代々皇室の人間が引き継ぐことになっていたけど、そのころの皇室は没落し、何の権限も持たなくなっていたんだよ」
「どうして?」
 アニタが怪訝に首をひねった。
「まあ、いいからお聞きよ。そんなとき、アルベルト将軍は軍勢力の要として軍人たちを引っ張っていたんだ。一方、元老院勢力の長はグリル議長といって、あたしも一度お目にかかったことがあるけど、おのれの欲望に蝕まれた非情な男だよ。アルベルト将軍はそのグリルと権力をかけて争ったんだよ。さきに攻撃を仕掛けてきたのは元老院側だった。奴らは『権力の所有は話し合いで解決する。なにがあろうとも我々が武力を振るうことはありえない』とか言っておきながらね。もともと武力を持ち合わせていなかった元老院は南半球の各地から放浪族となっていた首狩り族をうまく口車に乗せて利用し、軍を攻撃させたんだ。そのときの猛攻でメリボルシアは一時的に元老院に占領されたんだよ。大勢の国民や兵士が死に絶え、アルベルト将軍は嘆き苦しんだ。将軍や兵士たちは逃げ惑い、いつかかならずと、殺された仲間たちの復讐を誓っていたんだ。そして、そのときがきた。アルベルト将軍はメリボルシア中の科学者たちを集めてこのベネディクトゥス号を開発したんだ。そして海に出て、あんたがさっき見た殲滅弾で元老院の議会堂を破壊したのさ。あたしもその場にいたけど、そのときの光景はすさまじかった。圧倒的な威厳を誇っていた議会堂のすべてが一瞬にして無に帰した。なにもかもが吹き飛び、跡地にはそれどおりなにも残らなかった。グリルは事を奇跡的に回避したみたいだけど、戦いは軍の勝利に終わったのさ。メリボルシアの権力は軍が握り、元老院はその軍を監視するという立場にまわったんだ」
 アニタの心に確信が芽生えた。不思議な映像の男はアルベルト将軍に間違いない。アニタは少しでもあの人物のことを知れたのがうれしく思えた。

「そろそろかね?」
 日もすっかり暮れたころ、アルベルト将軍はそうジャックに尋ねた。ジャックはコンパスと外の様子を確認しながら、やがて確信したようにうなずいた。
「はい。この海で間違いないようですね」
「そうか」
 アルベルト将軍はそう言って立ち上がると、ブリッジを出て行って甲板後方へ歩いていった。
 部屋の扉がアルベルト将軍によって開かれると、突然のことにトミーとアニタは動揺しながら将軍を見上げた。
「ついてきたまえ」
 アルベルト将軍はたった一言、無愛想にそう言い残すと、そそくさと部屋を出て行ってしまった。まったく言い返す余裕も与えてもらえなかった二人はただ素直についていくしかなかった。二人が部屋から出てくると、将軍はふたたび甲板前方へと戻っていき、今度は艦首へと二人をいざなった。二人は艦首にくると、すぐ真下を見下ろして、今更ながらベネディクトゥス号が大海原を突き進む速度を体感した。船ははるか下でうごめく波を飲み込み、信じられない速さで悠然と海を進んでいた。
 そんな海を眺めていると、不思議な現象が起こった。二人は声をあげて驚いた。
海はいつものように月光の光を受けて反射しているのだが、なんとこのときはその月光で海底が透けて見えているではないか。こんなことがあり得るのだろうか? 二人は目を凝らしてじっとその海を見据えていた。
 海底? いや、ちがう。よく見てみると、海底だと思われていたものは石かなにかで作られた遺跡のようであった。月光に照らし出されたその遺跡は二人が見渡す限り、どこまでも繰り広げられていた。いったいこんなものを誰が作り出したのだろうか? しかし・・・・・・、考えてみればこんな海面すれすれに遺跡など見えるわけがないのだ。もしも海底にあるであろう遺跡が見えるほど浅い海だったらベネディクトゥス号は座礁してしまう。
「アルベルト将軍、これは・・・・・・?」
 トミーがあまりもの驚きで言葉を詰まらせながらも、なんとかアルベルト将軍にそう尋ねた。将軍は二人と同じように、ここにはあり得るはずのない遺跡を見据えていた。
「アトランティスの遺跡だ」
「アトランティス?」
 トミーが怪訝に顔をしかめると、アルベルト将軍はゆっくりとうなずいた。
「そうだ。いまから一万三千年前、神罰による地震と洪水によって一夜にして海の底に沈んだ。かつてアトランティス大陸はメリボルシア大陸からアトランタ大陸の海あたりの広大な範囲にわたって存在したといわれている。アトランティスはメリボルシアとはまるで桁違いの科学と軍事力を誇っていた。アトランティスの王はその驚異的な力を世界中に誇示しようと企て、当時北東に存在した国々を次々に征服していった。その勢いで王は全世界を我が手中に治めようと企てた。しかし、欲望のみに突き動かされた国家の栄えた時代はない。神はこの愚かな者たちに罰を与えようとお考えになられた。そして王を死に至らしめ、そのころ、他国の執拗な抵抗を受けていたアトランティスの軍がやむなく退却せざるを得なくなったとき、いままで味わったこともない雨、風、稲妻がアトランティス大陸とその人々を打ちつけたのだ。そしてしまいには、自然現象としてはとても考えられない洪水と大地震が大陸を襲ったのだ。・・・・・・この遺跡は沈んだ大陸の残り火といってもいいだろう。アトランティスの人々はその優れた科学力を生かして、こうして月光に照らされると、光り輝く石を作り上げ、その石でこの遺跡を完成させたのだ。・・・・・・それにしても、海底に沈んでいるはずの遺跡がこんなにもはっきりと浮き上がって見えるのには説明がつかない。ここには我々の理解をはるかに超えるなにかが集結しているのだ」
「この遺跡も神のもたらした奇跡ですか?」
 トミーが尋ねると、アルベルト将軍は首を横に振った。
「いや、神はアトランティスに敵意を抱いていた。神がこのような奇跡を起こすとはとても考えられない」
「じゃあ、いったいなにが?」
「宇宙の力よ」
 アニタがきっぱりと言い放った。トミーは驚いて、あんぐり口を開けてアニタを見つめた。するとアルベルト将軍もその意見に同意するかのようにうなずいてみせた。
「そうかもしれん。仮に神が宇宙を創造したとしても、宇宙はとてつもない力を持ち合わせている。この遺跡の石の原料がこのベネディクトゥス号のように宇宙の物質から作り出されているとすれば、そのような奇跡をもたらすことがあるかもしれん」
「とてもきれい」
「奇跡か・・・・・・」
 トミーはボソッとつぶやき、無数の星星に輝く夜空を見上げた。
     


元老院

 すっかり日が昇りきると、トミーとアニタは勢いよく表に飛び出した。それから艦首まで走って行くと、柵にもたれかかって前方に見える朝靄のかかった大陸を、胸を躍らせながら見渡した。ベネディクトゥス号が朝靄のなかを突っ切っていくと、その姿はしだいに明らかになっていった。
 ブリッジではアトランタ大陸が見えてくると、アルベルト将軍は立ち上がり、手を後ろに組んで数年ぶりに訪れることになるその大陸を凝視していた。日光に照らされて朝靄が薄まってきた。ジャックは目の前に見えてきた港の位置を確認すると、アルベルト将軍に合図を送って舵をその港にあわせた。ベネディクトゥス号は大きく方向転換すると、徐々に速度を落としてまっすぐに港に向かっていった。
「うわー、大きな大陸だなあ」
 トミーはアトランタ大陸を隅々まで見渡したが、それはどこまでも途切れることはなかった。そしてその大陸は見渡すかぎりに巨大ビル群が連なっていた。メリボルシアも塔を中心として多くの研究所等が並んではいたが、この大陸は雲を突き抜け、途中で見えなくなっているほどの高さを持つ建物ばかりだった。それはこの大陸に存在している都市がメリボルシアよりもさらに発達しているということを意味していた。
 ベネディクトゥス号はその巨大な船体を港にすり寄せるようにしながら、やがて停止した。港までくると、巨大ビル群はますます大きく広がって見え、二人はそれらの姿に圧倒されて、しばらくその場から動くことができずにいた。
「アトランタ大陸だ」
 振り向くと、アルベルト将軍は二人の真後ろまで歩み寄ってきていた。二人は将軍を見上げながら尋ねた。
「アトランタ大陸?」
「そうだ。場所としてはかなり離れてはいるが、ここもメリボルシア帝国の一つだ。元老院は本拠地がメリボルシア大陸から消え去った以後、ここを拠点としている」
「元老院?」
 トミーがそう尋ねると、アニタは思わず顔をそらしてうつむいた。
「そうだ。たとえば、現在メリボルシアの政権を握っているわたしがある政策を発案したとしよう。その政策はすぐさまわたしの所属している軍会議に提出され、そこで議論される。そして軍会議で認められたその案は次にここにある元老院に伝達され、今度は元老院議会にかけられる。そしてそこでその案が正当か不当か、必要か不必要かが議論されて、見事に通れば、その案は法律としてはじめて成立する。いわば、元老院は我々主権者の監視人という立場だ」
「帝国というわりには、意外としっかり話し合うんですね」
 トミーがそう言うと、アルベルト将軍は感心したのか、薄い笑みをこぼした。
「君は賢いな、トミー君。無人島からやってきたと聞いていたものだから、知識はまったくないものだと思い込んでいたのだが」
「アニタがいろいろと教えてくれたんです」
 トミーは照れ臭そうにしながらうつむいた。アルベルト将軍は続けた。
「帝国独特の政治は十年前に皇帝陛下が亡くなられて以来、廃止となった。実権を握ったわたしは国民自身が自分の生き方を決めていく時代をこころざして生きてきた。星がふたたび活動をはじめ、人類はもう一度自分自身の手で未来を切り開いていく機会を得たのだ。そのためには権力者が国民を従えるなどという愚かな思想など不必要なのだ。しかしメリボルシアはまだ完璧な国家とはいえないだろう。いつの日にか、この星からすべての兵器が消え去り、人々が安心して生活できるような世のなかを、わたしは夢見ているのだ」
「ここへは何をしにきたのですか?」
 アルベルト将軍はトミーから視線をそらすと、はるか雲を突き抜けているほどの高さを持つなかで、ひときわ高い建物を見上げた。そして震えた声で切り出した。
「あそこが元老院の議会堂だ。これから君たちに元老院議長殿に会ってもらおうと思っている」
「議長?」
 トミーは不安げにアルベルト将軍を見上げた。それから元老院議会堂に視線を移した。アルベルト将軍はそんなトミーの様子を横目で見据えていた。
「心配することはない。議長とわたしは互いを尊重しあう友だ。会うのは久方ぶりだが、月に一度ほどこちらの様子を報告するようなかたちで交流を取っている。・・・・・・さて、行こうか」
 アルベルト将軍はそう言うと、先頭を切って、トミーとアニタ、ベネディクトゥス号のスタッフであった三人の白スーツたちを伴って、万能軍艦と港をつないでいる橋を渡っていった。そのとき、アニタが物音で後ろを振り返ると、いままで無人と思われていた二人が暮らしてきたほかの個室から船員がぞろぞろと出てきた。アニタは意外なことに驚いて立ち止まり、さきを行っていたトミーのジャケットの端を引っ張った。
「トミー、見て」
「なあに?」
 トミーも立ち止まって振り返ると、ベネディクトゥス号の甲板を何十人もの人々が歩いているのを見てギョッとした。
「ベネディクトゥス号にあんなに人が乗っていたなんて・・・・・・」
 トミーがそうつぶやくと、後ろにいたクイーンがまるで二人の視界を遮るかのように顔を出した。
「そうさ、あいつらはみんなあんたたちのほかの個室でそれぞれの作業をしていたのさ。部屋から出てくることはめったにないよ。だからあんたたちは気づかなかったんだろうね」
 そんな馬鹿な、と言いたげな表情でトミーはクイーンを見つめた。
「食事はどうしているのさ? 誰も食堂に通っていた気配も物音もしなかったし」
 怪訝に顔をしかめて、ああでもない、こうでもないと互いに会話を交わしているトミーとアニタをまるでからかうかのように、クイーンはいたずらな笑みを浮かべてみせた。
「それはね・・・・・・」
 クイーンがそう言うと、二人の子供たちはワクワクしてまるで食い入るようなまなざしでクイーンを見据えた。クイーンは続けた。
「ひ・み・つ、だよ」
 二人が呆然としながらクイーンを見つめているのを見た、三人の白スーツたちは思わず吹き出して、笑いの旋風をあたりに振りまいた。
 橋を渡りきると、トミーが以前にメリボルシアで見かけた箱型の乗り物が自分達を出迎えていた。すると突然、その不思議な乗り物の扉が開いたものだから、トミーは驚いて思わずあとずさった。トミーとアニタはアルベルト将軍にうながされてその乗り物に乗り込んだのだが、なかは意外と広々としていてゆったりとできそうだった。あとから将軍と三人の白スーツたちが乗り込んでくると、前の座席の、将軍の隣の席に座っていた男はアルベルト将軍を見て、将軍がその男に合図を送ると、不思議な乗り物は初めゆっくりと発進して、そしてみるみるうちに速度を増していった。前に進む速度はベネディクトゥス号よりも速く思われた。
「すごい乗り物だな、これは」
 トミーがこの乗り物がまわりの景色をどんどん追い抜いていく光景に圧倒され、興奮しながら窓の外を、眺めていると、アニタはトミーの肩に手をおいて同じように窓の外の景色を眺めた。
「トミー、この乗り物は車というの」
「へえー、アニタはなんでも知っているんだなあ」
「そうはいっても、乗ったのは今日がはじめてだけど」
「諸君、もうすぐ議会堂に到着するが、よろしいかね?」
 二人がそのようなやり取りをしているうちに、車はさきほど港から見えた巨大な建物の真下を走行していた。港を出てから数分も経ってはいない。距離も見た目ではかなり離れていた。それなのにもう到着してしまう? トミーは現代の技術のすさまじさを痛感させられた。
 やがて、車はその建物の地下トンネルのなかに入っていった。トンネルのなかはさすがのアニタも見るのははじめてのようで、音がさかんに反響するのが鼓膜に響くのか、耳をふさいで顔をしかめていた。車はその地下トンネルを抜けると、広々としたホールに出た。車は徐々に速度を落として、やがてそのホールの一角に停車した。
「到着だ。出たまえ」
 アルベルト将軍がそう言うと、車の扉が自動的に開いた。全員が車を降りたのを確認すると、運転手に対して将軍は簡単に感謝の言葉を述べて、ホールに一つだけポツリとある透明の扉に向かって歩き出した。一向はアルベルト将軍に続くと、その透明扉を通ってエレベーターに乗り込んだ。エレベーターの扉がゆっくりと閉まると、やがて足に宙を浮く感覚が走った。エレベーターは数十秒間上り続け、やがてチーンというチャイムを鳴らすと、ふたたびゆっくりと扉を開いた。
 一人の男が窓の外を見つめていた。男はエレベーターのチャイムが鳴ると、ゆっくりと振り向き、満面の笑みを浮かべながらエレベーターから出てきた懐かしい友の顔を眺めた。
 アルベルト将軍はこの元老院議長―懐かしの友、グリル議長の顔を見るや否や即座に深々と頭を下げた。それはこの元老院議長に対する最低限の礼儀と将軍は心得ていた。グリル議長はさらに雄大な笑みを広げた。
「相変わらず謙虚な男だね君は、アルベルト君」
「お久しぶりです、議長殿」
「こうして会うのは何年ぶりかね?」
「十年ぶりでございます」
 アルベルト将軍はまだ頭を下げたままだった。そんな将軍の姿をじっと懐かしく見つめていたグリル議長はため息をついていった。
「顔を上げてくれたまえ、アルベルト君。我々は友ではないか。君は戦いに勝利したのだから、わたしに対してそんなに礼を尽くすものではないよ」
「おそれながら」
 アルベルト将軍はそう言うと、ようやく顔をあげた。グリル議長は将軍から視線をそらすと、今度はそのかたわらにいたトミーとアニタに目を向けた。
「おお、この子供たちがそうか」
 グリル議長は簡単にトミーの全身を見渡し、それからアニタの顔を食い入るように見つめた。アニタはまじまじとグリル議長を見上げた。議長は歳のいっている老人で、痩せていてスラッと背丈が高く、その表情は疲れきっているためか、青ざめて血の気がなかった。そしてこの男はアルベルト将軍とはまるで正反対のやわらかい表情を自分たちに向けていた。
「君がアニタ君だね。うん、お父上と瓜二つだ。よくこれほど可憐に育ったものだ」
「は、はじめまして・・・・・・」
 アニタは照れ臭くなって、思わずうなだれるようにしながら頭を下げた。
 アニタはこの男に妙な親近感を抱いた。グリル議長は自分になかなか心を開こうとしてくれないアルベルト将軍とは違い、親しみやすそうで頼りがいのある、そう、それはまるで〈人買い〉でアニタの父親、ネオのような暖かさに満ちていた。しかし、やはりこの男にもアルベルト将軍と同じような―けっして人には知られてはならない過去を抱いているような―雰囲気を漂わせているのを感じた。あの謎の映像としては見えないが、この男のなかにも隠されたなにかがあったのだ。それがアニタにわずかばかりの警戒心を抱かせた。
「お父上はとても偉大な人物だったよ。そのことに誇りを持ちなさい」
 グリル議長はそう言うと、やさしい笑みを浮かべてみせた。その笑顔があまりにもまぶしくて、アニタは思わず顔をそむけた。グリル議長はやがてアニタからも目を離して、ふたたびアルベルト将軍を見るとうなずいてみせた。
「よくぞやってくれたね、友よ。ようやく見つけることができた」
「長い十年でありました」
「うん。・・・・・・ところで君は彼女に真実を告げたのかね?」
「いいえ、まだそのときではありません」
 アニタの脳裏に稲妻が走った。
〈真実? いったいどういうこと?〉
 それからアルベルト将軍を見つめたが、将軍は顔をそらしてうつむいているだけであった。グリル議長が口調を荒げた。
「そのときではない? この子はそこの少年ともうすぐこの世を去ることになるのだよ」
 トミーとアニタはこの信じられない言葉にハッとしてグリル議長を見上げた。議長はついさきほどまでとはまったく違う、ニヤッといやらしい微笑を浮かべてみせたのだ。
「なんですと? アニタを殺す?」
 アルベルト将軍はカッと目を見開くと、猛然とグリル議長に喰ってかかった。
「彼女は生き延びた。生きる機会を得たのです。それを奪うのはあまりにも卑劣なことだ!」
「これはわたしの決定だよ、アルベルト君。見事にわたしの思い通りに動いてくれたね」
「わたしがメリボルシア帝国の主権者だ! 命令だ、その子たちを放せ!」
 アルベルト将軍がそう叫んだときには、トミーとアニタは横に控えていた紺色のスーツを着込んだ男たちに取り囲まれていた。紺スーツの男たちは将軍と三人の白スーツたちを押し止めた。
「卑劣な奴らだ」
「卑劣? それは心外だね。卑劣どころか、これはむしろ寛大というべきものだよ。彼女は君に捕らえられたといえども、たとえ短い期間であっても生きる機会を与えられたのだからね。おまけにアニタ君には可愛いらしいボーイフレンドがいるではないか。その子と共に死なせてあげようというのだから、これほど寛大なことはないよ」
「人間の端くれにも及ばん奴め!」
アルベルト将軍がそう言い捨てて、激しく抵抗しようとすると、紺スーツの一人が懐から銃を取り出し、それの銃口を将軍の太腿あたりに押し付けるとそのまま発砲した。部屋のなかを銃声が轟いたのとほぼ同時に、アルベルト将軍が絶叫をあげ、あたりに血が飛び散った。アルベルト将軍はどくどくと血が流れる太腿を押さえながら、床を転げまわると、鋭い目付きでグリル議長をにらみつけた。議長はそんな将軍を冷たいまなざしで見下ろしながら嘲笑った。
「ふん、愚か者めが。ここが元老院の本拠地だということを忘れたか。君の権力など、ここでは無意味なのだよ」
 アルベルト将軍はグリル議長を見据えつづけていた。
「悔しいかね? わたしが憎いかね?」
「最低な気分だ。化け狐に一杯食わされたようだ」
 アルベルト将軍がうなった。
「ふん、負け惜しみを。まだそのような口を利くだけの力があるのだったら、たったいまから仕留めてあげようじゃないか」
 そう言ってグリル議長は懐から銃を取り出した。そしてその銃口を将軍に向けた。アルベルト将軍はまったく微動だにせず、まっすぐにグリル議長を見据えていた。
「お別れだ、友よ」
「・・・・・・」
 グリル議長が引き金を引こうとしたまさにそのとき、アニタが油断しきっていた紺スーツたちの隙間からバッと抜け出し、アルベルト将軍を庇い出た。グリル議長は銃の狙いを外してアニタを見てやった。アニタは目に涙をためながらも必死に恐怖と闘い、からだを震わせながらも悠然と立っていた。
「なんのつもりかね?」
「この人を殺さないで」
「かまわん!」
 アルベルト将軍は叫んだ。
「ようやく死ぬときがきたのだ! アニタの両親を、メリボルシア皇帝・王妃を殺した過ちをようやく償うときがきたのだ!」
「それは、どういうこと?」
 思いがけない言葉にアニタは思わずアルベルト将軍に振り返った。紺スーツの一人がその隙をついて警棒を取り出し、アニタの後頭部を激しく引っ叩いた。強い力にアニタは吹き飛び、そのまま床に叩きつけられた。しばらくはか細い唸り声をあげていたが、やがてアニタの意識は地に落ちていった・・・・・・。
 トミーとアルベルト将軍は目の前で繰り広げられた出来事に驚き、目を見開いた。
「アニタ! アニタ!」
 トミーは必死で叫んでアニタを呼んだが、アニタは意識を取り戻すことはなかった。

     





決死の逃走

 アニタは夢を見た。いや、それが夢であったのかさえもよくわからなかった。はっきりとは覚えていないが、突然頭になにか強い衝撃が走ると、フワッと宙を舞っているかのような奇妙な感覚が全身を包み込んだ。
するとゆっくりと目を見開いて、あたりを見渡した。トミーがいた。アルベルト将軍もいた。クイーンもジャックもキングも自分を囲んで手を差し伸べていた。アニタはそれに笑顔で答えて、そのなかの一番小さな手を取った。その手の主はトミーだった。アニタがトミーを見上げると、トミーは溢れんばかりのやさしい笑顔を向けて、自分のからだを起こしてくれた。ほかの人たちもそれを手伝ってくれた。アニタは起き上がると一人ひとりの表情を見回した。するとみんなが突然と消え去り、なにも見えない真っ暗闇に覆われた。景色も色彩もなに一つとしてなかった。闇―、それ以外にはなにも存在していない。自分を常に不安に取り巻くその闇が、いまこうして自分のからだに一気にのしかかって来ていたのだ。アニタはとてつもない孤独と不安に襲われながらも必死に闇の虚空でもがいた。するとその手を誰かがそっと包み込み、自分を導いていった。
 闇の彼方に小さな光が見えた。自分を導いているこの誰かは確実にその小さな光を目指して進んでいた。やがてその光に到着すると、今度は逆にあたりが真っ白になった。しかしなにも見えなかったわけではない。光の靄が取り払われると、トミーが自分の手を握っていてくれていたのがわかった。アニタは安心感に包まれた。トミーは自分がどんなに絶望しても決して離れることはなく、ずっとそばにいてくれていたのだ。トミーは微笑んで、光のさきを指差した。するとクイーンとジャックとキングが肩をそろえてどこからか流れてきた曲のリズムに乗ってからだを左右に揺らしていた。二人が近寄っていくと、三人は道を開けた。三人のさきにはアルベルト将軍が手を後ろに組みながら、穏やかな表情で自分たちを見つめていたのだった。アルベルト将軍はゆっくりと近づいてくると、いきなりアニタを高く抱きかかえた。そしてその場でクルクルまわると、いままで見せたこともないような笑顔を洩らした。それから自分の顔を覗き込んでいった。
『わたしが怖くはないのかね?』
 アニタは大げさに首を横に振ってみせた。するとアルベルト将軍は瞳を輝かせてアニタを引き寄せ、それからひしと抱きしめた。アニタははじめ、驚き戸惑ったが、不思議な温もりにそんな感情はすぐにどこかへ吹き飛んでしまった。
〈温かい・・・・・・〉
 アニタは目をつむった。安心感と温もりがからだを取り巻いていった。するとアルベルト将軍はまるで赤ん坊をあやすかのようにからだをゆっくりと左右に揺らした。アニタは気持ち良さのうちにしだいに意識が遠のいていった・・・・・・。
 アニタは豪華なベッドの上で目を覚ました。ゆっくりと目を開けると、グリル議長は部屋の中央にある机でなにやら作業をしていた。議長はアニタが目を覚ましたことに気づくと、最初に会ったときのようなやわらかい笑みを浮かべてみせた。
「気が付いたかね?」
 アニタはからだを動かそうとすると後頭部に鈍い痛みが走り、思わず顔をしかめた。指でその痛む部分にそっと触れてみたが、どうやらひどい瘤ができているようであった。アニタはそれを手で押さえながら立ち上がった。するとグリル議長はアニタを横目で見据えた。作業の手は休めない。
「ああ、医者に見てもらったが、たいしたことはないらしい。単なる打撲みたいだよ。痛みはすぐに治まる」
「わたしの両親は何者なの?」
 アニタがそう尋ねると、グリル議長はいったん作業を止めてアニタを目で見張った。
「いきなりそれかね」
「質問に答えてください」
「まあ焦らないで。お茶でも一杯どうかね? それともジュースがいいかね?」
〈話をはぐらかそうとしている〉
 アニタはそう直感すると、キョロキョロとまわりを見回した。トミーもアルベルト将軍も白スーツの三人もどこにもいない。アニタは自分の問いかけを忘れて、話を転換させた。
「みんなはどこ?」
 グリル議長はいやらしく薄い笑みを浮かべると、立ち上がって窓に近づき、この議会堂のはるか下にポツンと一軒だけ建っている、小さなブロックで作られた小屋を指差した。そこは一日中日の当たらない位置に建てられており、特にこの時期ともなると、凍えきってしまうことは間違いない。
「あそこだよ」
〈みんな無事かしら〉
 アニタはとてつもない不安で胸が張り裂けそうになった。
「みんなに会わせて」
 アニタが必死にグリル議長の上着の袖を引っ張ってそう訴えると、議長はニッコリと微笑んだ。
「いいよ。しかしその前にわたしの質問に答えてくれたまえ」

「自分たちの足で脱出するのは不可能だな」
 アルベルト将軍が牢屋の鉄格子から議会堂を見上げながらつぶやいた。白スーツの三人は固まりあい、ジャックの持つ腕時計に向かってなにやらつぶやいていた。撃たれた片足に痛々しい包帯を巻きつけてそれは血がにじみ出ていたが、将軍は平気な顔をして立ち歩いていた。トミーは将軍に背中を向け、あぐらをかきながら肩越しに見据えた。それからすぐに立ち上がると、牢屋の壁にへばりつき、入り口の鍵穴から外の光景を見回した。体格がよく無骨な数十人もの紺スーツの男たちが牢屋を取り囲んでは、周辺をうろうろ巡回していた。トミーは鍵穴から顔を離すと、大きなため息をついてふたたび座り込んだ。アルベルト将軍はそんなトミーの様子を横目で確認しながら尋ねた。
「外の様子はどうかね?」
「将軍の言われたとおり、自分たちの足で脱出するのは不可能ですね」
「そうか」
 アルベルト将軍は鉄格子から離れると、その場に座り込んで壁に寄りかかった。それから深いため息をつくと、そのまま目を閉じた。
「そうかって、これからどうするつもりです?」
 アルベルト将軍はふたたび目を開くと、虚ろな瞳で鋼色のブロック塀を見据えた。
「君に聞いておきたいことがある」
「なんですか?」
 トミーはその場に寝転がりながら話を聞こうとする姿勢になった。将軍はそんなトミーに目を移すと、じっと見つめながら続けた。
「天馬という生き物を知っているかね?」
 将軍に背中を向けていたから見られなかったものの、トミーは〈天馬〉といわれたとたんに目を大きく見開いた。からだを動かすことはできなかった。動かさないように心掛けた。少しでも動かせば自分の心理を将軍に見破られてしまう気がしたのだ。
「知っているようだな」
 そんな心掛けも虚しく、アルベルト将軍は自分のテンポで話を進めた。
「天馬とはどこで知りあった?」
「まさか!」
 将軍がそう尋ねた瞬間、トミーは思い余って立ち上がってしまっていた。トミーは自分の行動にハッとしてあわてて座りなおし、顔をそむけた。将軍はそんな挙動不審なトミーをじっと見上げていた。
「話してはくれないかね?」
 トミーは上目遣いで、まるでアルベルト将軍を警戒しているかのようなまなざしで見つめていた。しかし観念したのか、やがて深いため息をつくと、ようやく静かに口を開いたのだ。
 トミーは語った。両親が亡くなり、愛くるしい動物たちと過ごしてきたロアナ島での長い年月、ロアナ島の浜辺が徐々に海に追い上げられてきたこと、ロアナ島の終わりを予期していたこと、それでも楽しく生きてきたこと、そしてある日の夜、突然雷雨が降り注ぎ、天からいままで見たこともないほど美しい真っ白な天馬との出会いを、そしてその天馬からわけもわからないままこの星の運命を託されてしまったこと。しかし、『この星を救うのです』という言葉と『与えられた力』に関しては一切語らなかった。
 下手に天馬の残した言葉をこの男に伝えたら、つまりこの言葉の趣旨はおそらくアルベルト将軍本人にもかかわることにもなりかねず、重大なことをこの男にしなければならないことになる。もしも将軍がそれを知れば、身の危険を感じ、すぐさま自分を殺すだろう、と考えたからだ。
 トミーの勘では、つまりそれはこの星に害を及ぼすものへの制裁、神や天馬に変わり『汚れなき白い島』に生まれた申し子として神罰を与えよ、ということではなかろうか。あのアトランティスを無残にも海の底に沈めた神ならば、それくらいのことはやらせかねないと考えたのだ。
 そしてもう一つの不可解なことは、天馬に『与えられた力』だった。たしかに天馬に力というものを与えられたとき、不思議な感覚が全身を走り巡ったことは覚えている。とてつもなく大きなものがからだの奥底から湧き出てくるのと同時に、ありとあらゆる不安や恐怖感も自分の胸のなかに入り込んできたような感覚を覚えた。あれはいったいなんだったのであろうか? そもそもあれが力というものだったのであろうか? その力とはどういうものなのか?
 トミーはずっとそればかりを考え続けてきた。自分ははじめ、ロアナ島を離れることにさえも躊躇っていた臆病な人間なのだ。常に不安が付きまとい、時折起こる発作がいつ自分の心臓を破裂させるのかと考えるだけでも恐怖が全身を虜にし、夜も寝るのが恐ろしいほどにまでさせている。
〈天馬なんかと会わなければよかったんだ〉
 そんな思いが常にトミーを取り巻いていた。いまトミーのからだに取り付いているのはまさに『絶望』というもの以外になにものでもなかった。

「あの少年はなにかとてつもないものを持っているように感じるのだが、君はどうお思いかね?」
 グリル議長は机に置いてあったグラスにまるで血のように真っ赤なワインを注ぐと、グラスを捧げてそれを眺めながら尋ねた。グラスによる反射でアニタを見つめていた。アニタの全身が真っ赤に染まって見えた。
「とてつもないもの?」
 アニタが怪訝に顔をしかめたが、グリル議長は身じろぎもせずに淡々と続けた。
「そうだね。超能力かもしれないし、いや霊感かもしれない」
 霊感という言葉にアニタが表情を歪めると、グリル議長はいたずらっぽく笑ってみせた。
「冗談だよ、お嬢さん。この世に霊などというものは存在しない」
「はっきりものを言うんですね。それはあなたの考えよ。わたしは霊は存在すると思っています」
 アニタがそう言ってみせると、グリル議長は激しく高笑いをした。アニタは何事かと思い、この男に対する恐怖に思わず戦慄した。議長は高笑いを押さえるとアニタに微笑を浮かべてみせた。
「愚かな。生き物はみんな死ねばそれきりなんだよ。ただの肉の塊と化すんだ。死してなお生きるなどというメルヒェンチックな考えはあまり持たないほうがいいよ。君は十三、四歳? もう子供っぽいことを考える歳じゃないだろう」
 アニタは険しい表情を浮かべてグリル議長を見据えていた。グリルはアニタを横目で見て鼻を鳴らした。
「なんてことを・・・・・・」
 アニタがうなった。
「でもそれが現実だよ。霊も神も天馬も存在しない。なにしろ科学では証明できないんだからね。科学で証明できないものは存在しない」
「それは過信よ」
「まあ、たしかにそうかもしれないね」
 グリル議長はあっさりと認めた。しかしその表情はまるでアニタを小馬鹿にしているようにも見えた。
「だが考えてみたまえ。過去にもいまにもその霊の姿をとらえた証拠でもあるというのかね。霊などというものは過去の愚かな人間どもが、悲しみの果てに作り出した幻想というものなのだよ。それとも君は霊を見たことがあるとでもいうのかね?」
「トミーは天馬を見たわ」
「天馬?」
アニタはその場かぎりの怒りの衝動に駆られて、気づいたときにはそう叫んでいた。アニタはハッとしてあわてて口を閉じた。グリル議長は毒の含んだ笑みを急にこわばらせてアニタを見据えた。
〈わたしはなんてことを〉
 アニタがグリル議長から顔をそむけた。すると議長のほうからアニタに近寄ってきて、この男のただならぬ雰囲気に顔を上げたアニタは、そのときすばやく胸倉をつかまれ、強い力で引き寄せられた。
「いま、なんと言った?」
 グリル議長がアニタをさらに締め上げるとからだが宙に浮き、アニタは顔を真っ青にして苦しそうにもがいた。アニタは震えながらもグリル議長を見上げた。目をむき出し、血管を浮き上がらせ、そこからはさきほどまでのこの男の穏やかな表情は微塵も感じられなかった。グリル議長はさらに力をこめて、アニタを締め上げた。ついにアニタの唇が痙攣しはじめ、ほとんど意識を失いかけていた。
「言え! さもないと」
「いやっ」
 アニタは震えた声でたった一言だけそう言った。いや、言ったというよりも、むしろうめき声をあげたとしたほうがいいのかもしれない。グリル議長はそのうめき声を聞くと、あきらめたのか、パッと手を離した。アニタは解放されると、床に倒れこみ、ぐったりしながら激しく咳き込んでいた。苦痛のあまり目元には涙が浮いていた。
「ふん、強情な奴め。だがお前がはっきりと天馬といったのをわたしは聞いたぞ。あいにくだがわたしは天馬に興味があってね。どんなことをしてでも話してもらうぞ」
 そう言ってグリル議長がふたたびアニタに詰め寄ったときだった。ものすごい破壊音が当たりに響き渡り、まるで大地震でも起きたかのような振動が伝わってきた。
「何事だ!」
「大変です! ベネディクトゥス号が!」
 グリル議長の部屋に飛び込んできた紺スーツの男が顔を真っ青にしながらそう叫んだ。
「まさか!」
 議長はバッと駆け出すと、窓から牢屋のあたりを覗き込んだ。
 議長の血の気が引いた。なんとベネディクトゥス号がここから数キロさきの港から、頑丈なはずのアスファルトをまるで氷でも砕くかのようにして突っ込んできていたのだ。ベネディクトゥス号の通った跡に見事なまでの道ができており、数年がかりで作り上げた埋め立て地からは無残にも海が剥き出しとなった。さらによく見ると五人がぱらぱらと牢屋を抜け出し、ベネディクトゥス号に向かっていた。
「トミーだわ。ああ、みんなも無事。よかった」
「なんだと!」
 アニタがいつのまにか窓にへばりついてそう叫ぶと、グリル議長はギョッとしてもっとさらに外に目を配らせた。すると、トミーが溢れんばかりの笑顔でこちらに手を振っていた。アニタは窓を全開した。
「アニタ! 必ず助けに行くからね! それまで待ってて!」
「うん、待ってる。待ってるわ。かならずよ!」
「約束だ! 僕を信じて!」
「うん」
 アニタの声が涙にかき消されてだんだんと小さくなっていった。みんなが無事だったことに安堵して、胸がいっぱいになったのだ。
「アニタ!」
 アニタはハッとして顔を上げた。
「泣いちゃだめだよ!」
 トミーは最後にそう叫ぶと、わらわらと追ってくる紺スーツに気づいて身を翻し、全速力でベネディクトゥス号に駆けていった。
「うん・・・・・・」
 アニタは去っていくトミーのうしろ姿をじっと眺めながらそうつぶやいた。






     アルベルト将軍の最期の言葉

「奴らを追え! かまわん、ベネディクトゥス号を撃沈しろ! 海の藻屑としてしまえ!」
 グリル議長は通信機を持ち、ゆっくりと海に去っていこうとするベネディクトゥス号の姿を憎らしげに凝視しながらそう叫んだ。その声は震え、激しい怒りに満ちていた。議会堂の頭上を数機の戦闘機が猛スピードで通過し、ベネディクトゥス号を追跡していた。
 ベネディクトゥス号のブリッジ。二十機の戦闘機の姿をレーダーが捉えるとクイーンがスコープを凝視した。
「戦闘機二十機がこちらへやってきます!」
「戦闘態勢だ!」
 戦闘機がベネディクトゥス号を捕捉すると、ミサイル警戒音がブリッジに響き渡った。そしてその音はしだいに危険信号へと変わった。
「ミサイル発射を確認! 距離二五〇〇!」
「誘導電波放射だ!」
 アルベルト将軍がそう叫ぶと、キングが緑色のスイッチを押した。ベネディクトゥス号の船体にあの異様な音がふたたび響き渡り、誘導電波が放射された。誘導電波は空を飛んでいき、はるか遠くを猛スピードでこちらに向かってきていたミサイルの胴体を揺らした。しかし、ミサイルは爆発しなかった。ミサイルは依然こちらを捕捉したままだった。
「誘導電波、効きません!」
 アルベルト将軍から血の気が引いた。トミーはこの男が戸惑う姿を始めて見た。
「しまった。耐電波加工か」
「距離五〇〇!」
「面舵一杯!」
「しかし、それでは船尾が・・・・・・」
「かまわん、直撃を避けられればそれでいい!」
「距離五〇! 来ます!」
 ベネディクトゥス号の船体が大きく右方向にかたむいた。そのとき、いまだかつてないほどの衝撃がベネディクトゥス号を襲い、その巨体が大きく揺らいだ。一つのミサイルがベネディクトゥス号の船尾に直撃したのだ。ミサイルが爆発を起こし、その超高熱がベネディクトゥス号の鋼壁をみるみる溶解していった。するといたるところで小規模な爆発が起き、絶対に損傷を受けるはずのない万能軍艦の船尾を次々と破壊していった。発生した火災が自動消火システムによっておさまると、真っ黒い煙がもくもくと立ち起こり、それもやがて風に吹き飛ぶとベネディクトゥス号の鋼壁が無残にも引き裂かれており、なかの個室が剥き出しになって、完全に破壊されていた。
「船尾、大破!」
 クイーンがそう叫んだ瞬間、ふたたび危険信号が鳴り響いた。
「いまの衝撃で海水が浸入!」
「浸入範囲は?」
「地下船尾までです」
「地下後部シャッターを閉鎖」
 クイーンがその場で立ち上がって頭上のスイッチを弾いた。船底では後部シャッターがゆっくりと閉じられていき、海水の浸入をなんとか食い止めることができた。
「いまのはなんです?」
 床に伏せていたトミーは顔を上げると、アルベルト将軍に尋ねた。将軍はほとんどうわの空で前方のスクリーンを見つめながらいった。スクリーンには二十機の戦闘機が映されていた。
「奴らめ。太陽高熱弾頭を完成させたか」
「太陽高熱?」
 アルベルト将軍はそれ以上は答えなかった。ただじっとスクリーンを見据え続け、敵の攻撃の対策を練ろうとしていた。そのときスクリーンでは二十機の戦闘機がいっせいにミサイルを発射している姿を映し出していた。ふたたびあんなものを食らえば、しかもそれが二十発も命中すればひとたまりもないことはトミーにもわかっていた。トミーもなんとか自分も役に立ちたくてしかたがなかった。ただブリッジで呆然と立ち尽くし、この戦闘の結末を見ているよりは自分もなにかの役に立ち、仮にベネディクトゥス号が撃沈されたとしても、そうすれば死というものを素直に受け入れることができるかもしれないと考えたからだ。ともかく、なにもしないでただ死ぬのがいやだった。しかし、そうしたところでいったいどうなるのであろうか。自分になにができるのであろうか。技術もなにも持たないただの子供が、大人ならともかくとして、たった一人で奮闘してもまわりの邪魔になるのはわかりきっていた。トミーはなにもせずにただおろおろと戦況を見守っているしかなかったのだ。
「捕捉ミサイル発射! 目標は敵弾頭すべてだ!」
 スクリーンにスコープが表示され、それは二十弾のミサイルに合わされると点滅した。キングが黄色のスイッチを押すと、ベネディクトゥス号の発射口が開かれ、二十弾ものミサイルが轟音を立て、紅炎を噴き上げながら空高く舞い上がっていった。スクリーンはしっかりとこちらのミサイルと敵ミサイルを映していた。アルベルト将軍はいま発射したミサイルを相手のミサイルにぶち当てて、相殺を図ろうとしていたのだ。そして運が良ければ、それでも生き残ったミサイルが戦闘機も撃墜してくれることを望んだ。だがその反対もある。敵ミサイルが生き残ればその逆もありうるのだ。アルベルト将軍はジャックにできるだけ早くこの海域から離れるように指令を出した。ジャックは即座にうなずくと、すばやく舵を取り、全速後退でベネディクトゥス号の移動を試みた。
 しかし、なにもかもアルベルト将軍の思惑通りにいかなかった。なんと、激突あと少しの距離でベネディクトゥス号から発射されたはずのミサイルが急に方向転換して、四十もの天の火と化して、こちらへ向かってくるではないか。
「なんだと!」
 三人のスタッフはいざ知らず、冷静沈着なアルベルト将軍までもがこのありえないとも言うべき出来事に思わず立ち上がり、戦慄したのだ。そしてしばらく呆然と映像を眺め、すると突然思い立ったのか、目を大きく見開くと、スクリーンの四十ものミサイルを凝視した。
「まさか、誘導電波か・・・・・・」
 アルベルト将軍の顔から血の気が引いた。
「ミサイルとの距離は?」
「距離一五〇〇!」
 クイーンが悔しさのあまり、吐き捨てるように答えた。
「この船の現在地は?」
「まだ海域から出ていません!」
「・・・・・・」
 アルベルト将軍は視線を落とすと、腕を組み、しばらくじっとなにやら考え込んでいた。そしてやがてなにか決心したのか、ふたたび顔を上げるとキッと前方を見据えた。それから通信機を持つと、独特の良く響き渡る声でベネディクトゥス号中にアナウンスした。
『わたしはアルベルトだ。たったいま四十発もの強力なミサイルがこちらを捕捉し、とても避けられそうにない。それらのミサイルをまともに受ければ、このベネディクトゥス号といえども無事ではすまないだろう。おそらくその瞬間に木っ端微塵にされるか、良くても撃沈は避けられん。もし仮に木っ端微塵とまではいかず、撃沈寸前で助かったとしよう。君たちはミサイルの衝撃に耐え、そしてそれがおさまったら、全員で船底の脱出口へ向かうように。わたしは今日までよくぞついてきてくれた君たちの貴重な命を粗末にするようなことはしない。君たちにはここから逃げ延び、それぞれ自由に生きてほしい。もしも敵に捕まるようなことがあったとしても、みずから死を望むような真似はしないでほしい。一分でも一秒でも長く生きてほしい』
「距離二五〇!」
 クイーンが叫んだ。
『そろそろ時間のようだ。最後に一言だけ言わせてくれ。・・・・・・ありがとう。いままでついてきてくれた君たちに感謝し、わたしは君たちを誇りに思う。・・・・・・では、全員、衝撃に備えるように』
 アルベルト将軍はそう言い残して通信機のスイッチを切った。そしてこちらへやってくる大量のミサイルを見据えると叫んだ。
「さあ、来るがいい! 沈められるものなら沈めてみるがいい!」
 四十ものミサイルがベネディクトゥス号にいっせいに殺到し、輝かしく白熱し、灼熱があたりを取り巻いた。まるで無数の隕石が降り注いで激突したかのような衝撃が船体を襲い、超高熱が鋼壁を溶かし始めた。ブリッジの透明張りに亀裂が走り、爆風で次々と割られていった。五人は伏せて、烈風が、灼熱が、自分たちに取り巻く絶望が過ぎ去るのを待った・・・・・・。
それらのすべてが止むと、トミーはゆっくりと顔を上げてあたりを見回した。ブリッジに火災が発生していた。煙があたりを取り巻き、ほとんどなにも見えない状態だった。アルベルト将軍は倒れていたトミーを抱き起こした。そして将軍の座っていた椅子を移動させるとその下に階段があり、アルベルト将軍はトミーを抱きかかえたまま、三人のスタッフを引きつれてそこに入っていった。階段に入ると、最後尾のジャックが重い音を響かすハッチを閉めた。真っ暗な階段を下りていくと、やがて一本の蝋燭の燈された部屋にたどり着いた。何十人もの人だかりがアルベルト将軍を待っていたのだ。
「ケガはないかね?」
 アルベルト将軍がトミーの顔を覗き込んでそう尋ねると、トミーは目にたまった涙を拭いながらも強情にうなずいてみせた。
「よかった。よくがんばったな」
 アルベルト将軍は心底安心して大きなため息を一つつくと、トミーの頭に手を置いて乱暴に撫でた。トミーの栗色の髪がクシャクシャに乱れた。そうされるとトミーは緊張の糸が急に途切れたのか、ワッと泣き出し、アルベルト将軍にしがみついた。将軍ははじめ戸惑い、からだを緊張させていたが、やがて頭に置いてあった手をトミーの小さなからだにまわして、力強く抱きしめてやった。トミーはアルベルト将軍の胸のなかで声をあげて泣きじゃくった。まわりの船員たちはそんな二人を誰一人として声を立てずにじっと見守っていた。トミーが泣き止むと、アルベルト将軍は立ち上がり、順々に船員たちを見つめた。船員たちはなんとも信頼のこもったまなざしで将軍を見返していた。
「最後とはならなかったな」
 アルベルト将軍がそんな冗談を言うと、一向は声を出して微笑した。
「いまからこの船底を上から引き離す。そうしたら六十秒以内にこの海域から離れるんだ」
「将軍はどうなさるのですか?」
 船員の一人が尋ねると、アルベルト将軍はいま来た階段を戻ろうとしたところでピタッと立ち止まり、後ろを振り返った。船員たちはまったく視線をそらさずに、まっすぐ将軍を見つめていた。アルベルト将軍はふたたびそんな船員たちを見回すと、ゆっくりと目を閉じていった。
「わたしにはまだしなければならないことがある」
 船員たちも三人のスタッフもトミーも、ここにいる全員が聞いた。アルベルト将軍は燃え盛る炎に包まれている本船との境界のハッチを開けようとしながら言ったのだ。
「無事に安全な場所にたどり着いたら、君たちから偉大なる神に伝えてくれ。アルベルトはみずからの犯した罪を償うために命を絶ち、最後の審判を授かるためにたったいま、そちらへ向かっていると」
 それがトミーやここにいるほかの人々が聞いた、アルベルト将軍の最後の言葉だった。将軍は本船へとつながっているハッチを開け放つと、本船まであがりきり、ハッチを勢いよく閉めて人々の前から姿を消し去った。
 アルベルト将軍はスクリーンの前に立ちはだかると、もしかしたらもうすでに壊れているかもしれないスイッチに手を触れた。幸運にもスクリーンは乱れながらもなんとか映像を映してくれていた。アルベルト将軍はそこにある機械類を巧みに操作し、設定を〈元老院 議会堂〉にセットして送信ボタンを押した。検索中の文字が表示され、そして数秒間経つと、パッと映像が映り、グリル議長が姿をあらわした。議長は驚きの表情でこちらに顔をのぞかせた。
『アルベルト君かね?』
「そうだ」
『あの攻撃を受けてまだ生きていられるとは、ベネディクトゥス号はかなり頑丈だね。まあ、君の生命力もそれに劣らずゴキブリ並みのようだが』
「グリル」
 アルベルト将軍はじっとグリル議長を見据えた。そうすると議長は緩みきった微笑を止め、真剣なまなざしで将軍を見据え返した。
「アニタはどこにいる」
 アルベルト将軍がそう言うと、グリル議長はニヤッといやらしい笑みを浮かべ、顎をしゃくって後ろを示した。アニタは紺スーツに囲まれ、頭に銃を突きつけられていた。アニタはじっと動かず、将軍の映像を不安げに見つめていた。
『さて』
 グリルは言った。
『君にはまだ利用価値がある。ここで死なせるのはじつにもったいない』
「なにが言いたい?」
 アルベルト将軍は鋭いまなざしを向けた。
『なあに、簡単なことだよ。天馬について教えてもらいたい』
「なにを言っている」
『天馬について教えてくれさえすれば、わたしは君たちの命を保証し、いまベネディクトゥス号の上空を旋回している救援部隊が保護してくれると言っているのだよ』
「断ればどうなる」
『そうだね。・・・・・・それはもう、君もろともほかの船員たちも、そしてアニタ君にも死んでもらうことになるよ。さあ、どうするかね? やさしい君のことだ。大切な仲間を巻き込んで死にたくはないだろう?』
 アルベルト将軍はグリル議長から目をそらし、頭をうなだれるようにしてしばらく考えつめているような格好をしてみせた。
〈この話はさすがに断りきれまい〉
 勝手にそう判断しているグリル議長はそのいやらしい笑みをさらに広げた。それだからアルベルト将軍が勢いよく顔を上げ、目を見開いて、
「断る!」
 といったときには大いに驚いてしまい、すぐに緩んでしまうその顔もさすがに引き締めざるを得なくなった。二人はしばらく硬直しあい、互いに見つめあった。
『断るだと?』
「そうだ」
 アルベルト将軍はきっぱりといった。そうするとグリル議長の表情がみるみるうちに怒りへと変わっていくのがはっきりとわかった。将軍は議長を見据えながら続けた。
「わたしはどんなに脅迫されようが、人質をとられようが、自分の意志を曲げるつもりは一切ない」
『ふん、負け惜しみを。そんなこと、いまに言えなくしてやろう』
「そうかな?」
 アルベルト将軍はそう言うと、赤いスイッチに手を当ててそれを思い切り押した。スイッチがカチッという音を鳴らすと、ベネディクトゥス号がまるで地震にでもあったかのように動き出した。そのときベネディクトゥス号の発射口が開かれ、殲滅弾が轟音を引き起こしながら、紅炎を噴き上げてものすごい速さと勢いで頭上に舞い上がっていった。ベネディクトゥス号の上空を旋回していた救援部隊の飛行機の一つに殲滅弾が直撃した。するとそこで大爆発が起き、万能軍艦を含まない半径数キロメートル以内にあったものすべてが一瞬にして無に帰してしまった。ベネディクトゥス号をふたたび強烈な衝撃が襲い掛かり、船底にいた人々は悲鳴を上げながらも必死に自分の身を守っていた。また、閃光はこの周辺だけではとどまらず、議会堂の高層にいたグリル議長やアニタにもはっきりと見ることができた。ものすごい爆風が頑丈に作られているはずの窓ガラスを揺らした。
『なんと!』
 窓が激しく揺れたことに驚いたグリルは思わず後ずさりをしていた。
殲滅弾の影響でスクリーンにしばらく雑音が流れて映像が乱れていたが、それも時間が経つにつれておさまり、ふたたびグリル議長が顔をのぞかせた。
「見たか、グリルよ。これがこの船の力だ」
『なんということだ!』
 グリル議長は憤慨して怒鳴り散らした。アニタに銃を突きつけていた紺スーツもビクッとからだを震えさせた。
『君と交渉などしたわたしが愚かだったようだ! ・・・・・・総攻撃だ。あの船を沈めてしまえ!』
 グリル議長の指令と同時に殲滅弾の影響をなんとか免れていた戦闘機の群れはいっせいにベネディクトゥス号を捕捉した。そして数十発もの太陽高熱弾頭が発射され、それはふたたびベネディクトゥス号に雨あられと降り注いだ。激しい爆発を起こし、瞬く間に鋼壁が溶かれていき、衝撃がこの船を揺らして、ブリッジはさらに炎に包まれた。
 アルベルト将軍はスクリーンがまったく映らなくなると、その場で硬直して立ち尽くし、決して押してはならない黒いスイッチを目の前にしていた。ブリッジ内で爆発が起こり、スクリーンが落下して床に叩きつけられてもこの男はまったく動じることはなく、ただじっとそのスイッチを見つめていた。
〈まさか、こんなところでこんなものを使う羽目になるとは〉
 アルベルト将軍は天を仰いだ。そのときちょうど、はたして幸運であったのか、真っ黒な煙の隙間からすっかりと晴れ渡った青空が顔をのぞかせた。アルベルト将軍は思わず表情を緩ませてその青空を見上げた。
〈神がわたしを招いているのか〉
 アルベルト将軍は上を見上げたままゆっくりと目を閉じた。そして黒いスイッチに手を置くと、この世に生を授かってから、これまで出したことのないほどの声を張り上げた。その声はベネディクトゥス号の天井を突き抜け、はるか天空まで響き渡らんとするほどのものだった。
「万能なる神よ! すべてが終わったのです!」
 ベネディクトゥス号はアトランタ大陸沖の海上で輝かしい閃光と共に四散した。殲滅弾も捕捉ミサイルも大宇宙から授かった特殊な金属も、この船に備わっているすべてのエネルギーがいっせいに動力室に結集し、そして次の瞬間、大爆発を起こしたのだ。それはまるでビッグバンのように飛び散り、瞬く間にあたりに影響を及ぼした。
 爆発の影響で高さ数十メートルもの大波がアトランタ大陸の沿岸に押し寄せてきた。大波は人々を飲み込み、あらゆる高層建物を飲み込み、ついに議会堂にまで押し寄せてきた。グリル議長や紺スーツたちは着実と迫ってくるこの恐怖に身動き一つ取ることもできずにその大波を凝視していた。ただアニタだけはその大波がアルベルト将軍の悲痛の叫び声に見えていた。その瞬間を決して逃すまいと、アニタはじっとアルベルト将軍の最期の姿を見据え続けていた。
大波が議会堂を飲み込んだが、幸運にも建物は崩れることはなかった。グリル議長はホッと息をつくと、ふたたびいつもの調子に戻り、部下たちにてきぱきと指令を出し始めた。
「なにをしている。ただちに都市に救援部隊を派遣し、国民の救助にあたらせるように」
 グリル議長は身を翻すと、早足でアニタに近づき、耳元で囁いた。
「いやー、危なかった。アルベルト君の無茶苦茶にも困ったものだね」
 その言葉にアニタの怒りは頂点に達し、この男に対しての憎しみが拳を握り締めさせた。グリル議長はいきなりアニタの腕を強い力で掴むと、不敵の笑みを浮かべながらつぶやいた。
「わたしが憎いかね? しかしどんなに憎んでも君を助けてくれる者はもういないよ。なにしろみんな死んでしまったのだからね」
 グリル議長は冷たくそう言い放つと、アニタの手を離して部屋を立ち去っていった。誰一人残すことなくみんな出て行くと、アニタは脱力してその場にへたり込み、誰にも聞こえないような声ですすり泣いた。







     首狩り族の島

 アルベルト将軍がハッチを閉じた瞬間、三人の白スーツは即座に動き出し、ジャックが船底の壁から舵を引っ張り出した。クイーンとキングは設置されていた窓から海底をのぞいてあたりを確認した。海のなかはどこまでも青く透き通っていて、ある魚の群れが目の前をものすごい速さで通り過ぎ、ある魚はその窓にへばりついて口をパクパクさせながらこちらを見つめていた。海のなかではさきほどの激しい戦闘を微塵にも感じさせないほど穏やかだった。
「用意はいいか? 離れるぞ」
「ああ、障害物なし」
「こっちも平気だ」
 三人は必死な表情でベネディクトゥス号からの離脱のタイミングをはかっていた。そんな三人をトミーは虚ろな瞳でじっと見つめていた。
〈どうして人間はこの海のように静かに暮らせないのだろう〉
 ロアナ島では自然がトミーにとって唯一の心の支えだった。ロアナ島のあの澄みきった空、無限の緑に囲まれて数百年も生き長らえてきた木々、どこまでも広がる海、そしていつも自分のすぐそばにいてくれた動物たち。寂しいときに、まるで両親のように甘えさせてくれた大木があった。昔に聞いた話では五百年以上もそこでロアナ島の人々を見守りつづけていたそうだ。トミーは辛いときや寂しいときによくその木のもとに赴き、すがりついて泣いた。木はまるでもうはるかさきに死んでしまった両親のように温かく自分を受け入れてくれた。そしてその日はその木と話し、遊び、眠った。
 トミーは知っていた。ロアナ島の人々がそうであったように、人間は時折どうしようもない不安と孤独に襲われる。そんなとき人は自分を取り巻く暮らしから身を遠ざけ、太古からそびえ立つ偉大なる木々にからだを預けるのだ。人は生き物だから、他人が不安や孤独に陥っていたときに遠ざけたりすることもある。けれど木はしゃべらない。文句一つ言わない。木はただその人を受け入れ、やさしく見守ってくれるだけだ。人々はそのときようやく感謝し、数百年も動かずにただじっとこの星を見て生きてきた偉大なるその木々に深々と頭を下げることができるのだ。
 船体が互いに擦れあう音がして、ついに船底がベネディクトゥス号本船から切り離された。しばらくのあいだ船底はまるでコケのように海中をさまよっていたが、やがて方向を決定すると頼りないエンジン音をたてて動き出した。脱出潜水艇と化したこの船底はベネディクトゥス号から、アルベルト将軍を残してどんどん遠ざかっていった。トミーは寂しげな表情を浮かべて、ただじっと窓からベネディクトゥス号を見守っていた。
 数分ほど経過したそのときだった。遠くで強い光が炸裂し、その光はしばらくのあいだ潜水艇にいる全員の視力を奪った。そしてそれで終わりかと思うと、今度はものすごい衝撃波が潜水艇を上下左右に激しく揺らした。
「あれは?」
 トミーが尋ねると、ジャックは窓から光の方向をのぞいた。
「ベネディクトゥス号が敵と心中した残り火だ」
「アルベルト将軍はみずからの命を投げうってまであたしらを守ってくださったんだ」
 クイーンは一瞬だけその光を見て、すぐに顔をそむけた。なんともいえない悔しさと悲しみのこもったような表情だった。
「この船はどこへ行くの」
 トミーがまったく感情の含んでいない声で尋ねた。
「わからんよ。舵は一応あるが、それはほとんど見かけだけなのさ。一番近くで安全な島をこの船がさがしだして俺たちを導いてくれる。そして島に近くなったらようやくその舵も自由に動かすことができる」
 思えば、これがキングと初めて口を聞いた瞬間だった。どこかで会えば互いに頭を下げたりくらいはするのだが、話したのはこれが初めてだった。キングは、外見はジャックよりはいかつくなく、穏やかな面立ちをしているのだが、無口でなにを考えているのかまったくわからず、突っかかりにくくもあったのだ。
「どんどん深くなっているな」
 ジャックが何気なくそんなことつぶやくと、あたりの空気に緊張が走り、それを聞いていた人々がいっせいに冷たいまなざしでジャックを見据えた。ジャックはそんな人々の様子に気づくと、不安げにまわりをキョロキョロと見回した。それからまるで臆病な小動物がするようにからだを縮こませた。
「一つ聞いておきたいことがあるんだ」
 トミーは不意にそう切り出した。三人はほぼ同時に振り向いてトミーを見つめた。トミーはクイーンをじっと見つめ返すと、強い感情のこもった目を向けながら続けた。
「アニタの両親がメリボルシアの皇帝というのはどういうことなの?」
 三人はじっとトミーを見続けていた。互いに表情を曇らし、困ったような表情を浮かべて視線で合図を送りあっていった。そしてジャックとキングの視線はしだいにクイーンに集中していった。二人に見つめられると、クイーンはギョッとして自分のことを指差してみた。すると二人はしきりにうなずいてすまなそうな顔をしてみせた。クイーンははじめどう話したらよいのか迷い、トミーを見ては困惑していたが、やがて頭のなかで話をまとめると、トミーと同じくらいの強いまなざしでこの少年を見つめ返したのだ。トミーはクイーンにじっと見据えられると、さらに緊張がまるで電流のように走り、気が引き締まった。
「どうしても聞いておきたいのかい?」
 クイーンがいつもよりさらに真剣に念を押した。トミーはそれに黙ってうなずいた。クイーンももう一度二人を見つめてからようやく語り始めた。
「十年ほど前、アニタの父親は、メリボルシア帝国皇帝陛下は国のさらなる発展のために科学に力をそそぎ、軍事力を強化させ、この星をメリボルシアという一つの国として統一しようという志を持っていたんだ。科学を発達させるためには千年前の人間の築きあげてきた文化を引き継ぎ、応用させて、千年前よりもさらなる飛躍を遂げようとしていたんだよ。千年前に人間の成し得ることのなかったロボット文明を作り上げ、自動運転車を開発し、そしてついにメリボルシアの科学の頂点を極めるためクローン人間の誕生を成功させた。クローンはわかるかい?」
 トミーは顔をしかめた。メリボルシアの人間科学センターで見たクローンの子供たちの姿が脳裏をよぎったのだ。
「うん、人の遺伝子とかいうのを取り出して、その人と同じ人を新たに作り出すやつでしょう?」
「そうさ。奇妙で愚かな考えだよ。人が人を作り出すなんてね。アルベルト将軍にとってその考えはまさに愚の骨頂だったのさ。あの人は神がすべてを作り出したという思想を抱いていた一人だから。その一方でアルベルト将軍はそのずば抜けたメリボルシアの科学力をこの星を救うために活用しようとした。せっかく発達した科学力があるのならば、その力を何千年、何万年と人間を支えつづけてきたこの星のために使うべきだとね。皇帝陛下は将軍の親友で、あの人の才能をいち早く見抜いたほどの人物だ。温厚で、国民からも部下からも厚い信頼関係を築きあげていたけれど、アルベルト将軍のその主張にはまるっきり反対でまったく耳を貸そうとはしなかった。あの人は絶望したんだ。このままでは本当にこの星はふたたび破滅への道を歩んでしまうとね。一人で嘆き苦しんでいたさ」
 クイーンの口元が固く引き締まるのをトミーは見逃さなかった。クイーンは思い切り歯をかみ締めた。
「グリルが、あのいまいましい悪魔があらわれたのはそんなときだった! あいつは一人で悩んでいたあの人に近づき、恐ろしいことをそそのかしたのさ! そんなに自分の信念が正しいと思うのならば、皇帝陛下を殺してしまえばいいと! 皇帝を殺せば、将軍が権力を握り、自分の所属する元老院は陰ながらこのメリボルシアを見守らせてもらうとね、そして結局あいつは裏切った。あいつはもし戦いに勝っていたらそのまま権力を握るつもりだったんだ。アルベルト将軍は物事の判別のつく人さ。どんな理由があろうと、もうけっして、誰一人として命を奪うようなことはしないと誓いを立てていたのに! けどあの悪魔は苦難を抱えていたあの人のわずかな心の隙を突いて、あの人の良心を奪ったんだ! あたしらが事の重大さに気づいたときにはもうなにもかも遅かった。アルベルト将軍はまだ幼かったアニタの目の前で皇帝・王妃を射殺したんだ! あたしらが駆けつけたとき、あの人はアニタにでさえも銃口を向けていた。あたしらはなにもすることができなかった。アニタを殺そうと殺すまいともうすべてが手遅れだってことに気づいていたんだ。あたしたちはただじっとその光景を見守っていた。幼い命が消されようとしていたのに、なにもできなかったなんて、いま考えれば自分を思い切り殴りつけたくなるほど愚かだった。だけどあの人は引き金を引かなかった。あの人は銃をしまうと、皇帝の側近の大臣を呼び出し、アニタの命が危険にさらされている、逃げてくれと言って二人を市街地へと放り出したのさ。けれどすぐにグリルの圧力がかかった。グリルはアニタには特別な力があることを知っていたんだ」
「特別な力?」
 トミーは不安げに顔をしかめた。
「そうさ。アニタには人の過去を見極める能力があるんだ。あの子自身はまだ気づいていないようだったけどね。アニタは人の目を見ると、その人の過去ばかりではなく、暮らしや境遇、思い出や、ときには犯した罪まで見ることができるのさ。グリルはアルベルト将軍をそそのかし、皇帝陛下・王妃を死に至らしめた自分の犯した罪がアニタに暴かれるのを恐れていたのさ。そしてアルベルト将軍に圧力をかけてアニタを捜させ、さらにはあの子を殺そうとしたのさ」
 クイーンは深いため息をつき、肩を落としてトミーを見た。トミーは視線を落として、じっと動かずに話を聞いていたのだ。話が終わったいまとなってもまったく動こうとはせず、ただじっと足許を見つめていた。
「トミー?」
 クイーンがそっと声をかけると、トミーはまるで息を吹き返したかのようにハッとして顔を上げた。それからすぐに悲しみに暮れて目をそらした。
「どうしたんだい?」
「どうして人は殺しあうのかな・・・・・・」
 トミーがつぶやくようにそう言うと、クイーンは鋭く目を細めた。
「トミー、人が死ぬのがそんなに珍しいもんかい?」
クイーンの口から出たその言葉に驚いてトミーは顔をあげて目を丸くした。
「なんだって?」
「あたしらは戦争をやっているんだよ」
 トミーは思わず立ち上がった。
「戦争だって! そんなのいつ始まったのさ?」
「たったいまさっきからだよ」
「まさかね!」
「ほんとだよ」
「じゃあ、いますぐやめるべきだ!」
「無理だよ。戦争はすぐにやめられたものじゃない」
「戦争なんてやっていたから、この星は滅びたんだ! なんで殺しあうのさ!」
「トミー」
 クイーンが鋭い口調で遮った。トミーはギクッとして口を閉じるとじっとクイーンのことを見据えた。クイーンは立ち上がると女性ながら威厳のこもった態度でトミーを見下ろした。
「それが戦争なんだよ! 殺すか殺されるかだ! どんなに奇麗事を言ってもそれが真実! あたしらは戦うしかないんだ!」
 そのときピッピッピッという音が潜水艇内に響き渡った。言い争っていた二人も、人々も思わずドキッとして話を止めて息を潜めた。ジャックが耳をすませ、やがてなにか感づいたのか、頭上のハッチを思い切り開けた。
「海面に出たぞ!」
 ジャックがそう叫ぶが否や、クイーンはトミーとの会話を投げ出してハッチへと急いだ。そしてジャックを押しのけるとはるかさきに小さく見えている島を指差した。
「島だよ!」
 クイーンはポケットからなにやら筒のさきにレンズのついた物を取り出すと、それを島の方向に向けてのぞき込んだ。その島はそれほど大きくなかったが、森林が生い茂っていて島全体は緑色に染まっていた。それはまだ人に手をつけられていないことを意味していた。クイーンは振り返ると、ジャックとキングにうなずいてみせた。潜水艇はさらに島に近づくとようやく自動操縦を解除して、ジャックは口笛を吹きながら愉快に舵を握った。潜水艇がどんどん近づいていくと、あまり幅のない浜辺があるのがわかった。ジャックは潜水艇をその浜辺に寄せた。
 浜辺に近づくとジャックはスピードを落とそうとしておそらく足許にあるであろうと思われていたブレーキのレバーに手を伸ばした。しかしジャックの手にブレーキのレバーがおさまることはなく、ただ空をかすめただけだった。ジャックはあわててレバーを探したが、そんなものはどこにもなかった。
「ブレーキがない・・・・・・」
 ジャックの顔が青ざめ、そのつぶやきを聞いていたまわりの人たちの顔からもみるみるうちに血の気が引いていった。そしてそんな人たちはバッとからだを床に伏せて頭を守った。哀れなことに、そうとも知らないほかの人たちは怪訝に顔をしかめながら、ただじっとそれらの光景を見つめていた。
ガコン!
衝撃が潜水艇を大きく揺らし、それと同時にその哀れな人たちのからだが宙に浮いた。そして激しく床に叩きつけられた。そうしばらくすると衝撃もおさまったようであたりは急速に静かになった。
「すまん、浜に乗り上げた」
 冷や汗だらけのジャックが恐る恐るそう言うと、人々は有無を言わず冷たいまなざしでそんなジャックを見据えた。床に伏せていたトミーはすぐに立ち上がると、ハッチを開けてあたりを見回した。
 乗り上げた砂浜の幅はやはりほとんどなく、その砂浜のさきにある森林地帯と海との距離は歩数を数える余地が数歩ほどしかなかった。トミーには一目見ただけでこの島もロアナ島と同じくこの星の悪影響を受けているのがわかった。おそらくこの島も数年後には海に沈む運命となるのだろう。
 トミーに続いて白スーツの三人が潜水艇から顔をのぞかせた。
「この島はいったいどこなんだ?」
 ジャックがそうつぶやいたが、それについては誰も反応することはなく、ジャックを残して三人は砂浜に降り立った。ジャックもあわてて潜水艇から下りてくると、三人に続いて森林地帯に足を踏み入れていった。潜水艇に残った人々にはしばらくそこで待機しているように指示を出しておいた。
 生い茂った木々は蛇や蛙や見たこともないおそろしい生き物たちにとっての恰好の住処となり、異常なまでに湿気が高くじめじめしていて大量の汗が流れ出た。さらには聞くだけでゾッとするような獣どものうめき声がいやというほど耳に飛び込んできた。そこは森林というよりもむしろジャングルといったほうがふさわしかった。
「いやに暑いところだね。このままじゃあ、焼け死んじまうよ」
「どこまで流されてきたんだろう。ロアナ島もこんなに暑くはなかったよ」
「こんなに暑い地域があったとはな。ほんとに世界は広いよな」
「俺の勘が正しければ、たぶんここは赤道直下だと思う。こんなに暑いところなんてそれ以外にはとても考えられない。ほとんど地獄だよ、これは・・・・・・ブツブツ」
 一行はグチグチとそんなようなことを洩らしながら、けだるそうにさきを進んでいった。
 そんな感じで数時間も歩いているとしだいに日も暮れてきてあたりは瞬く間に闇に包まれていった。夜が訪れると、もうそこからは獣の世界である。獰猛な肉食獣の唸り声が昼間よりもかなり頻繁に聞こえてくるようになっていた。また気温も信じられないくらいグッと下がり、昼間とは反対に今度は全身がブルブル震えた。それでもしばらくは火を燈しながらさきを進んでいたが、時間が経つにつれてなにかに見られているという不安が高まり、今日はこれ以上さきへ進むことをあきらめて、その場で焚き木を燃やしてキャンプをすることになった。
「変なところだな、ここは。異常な暑さかと思ったら、今度は異常なくらい寒くなりやがった」
そうつぶやいていたキングが潜水艇から持ってきた食料の入った缶詰を肩に担いでいたバックから取り出して地面に広げた。缶詰には、魚や乾燥肉、野菜やカットフルーツなど缶詰にしてはわりと豪華な品目がそろっていた。白スーツの三人はトミーの目もはばからずに、まるで子供のようにはしゃいでそれらの食べ物に食らいついた。
 後のことも考えずに満足に食いあさると、やがて睡魔が白スーツの三人を襲ってきた。三人はあたりを警戒することもなくその場に寝転ぶと、数秒後には大きなイビキを立てて、もう深い眠りについてしまっていた。トミーは眠たい目をこすりながらも、呆気に取られて三人を見つめていた。
〈早いな、もう眠っちゃった〉
 トミーは飽きれながらもすぐそばにあった木にからだを預けると、美しくも橙色に燃えあがる炎をじっと見つめた。トミーの瞳が炎の反射を受けて赤く輝いた。トミーは両手を前に出してみた。炎の温かさが少年の冷えた手を温めた。
 不意にトミーの脳裏をまるで流れ星のように一瞬だけアニタの微笑みがよぎった。
「アニタ・・・・・・」
 トミーは目に涙をためながら、折りたたんだ膝のなかに顔をもぐりこませると、そのまま眠りついてしまった・・・・・・。
 妖しげな足音が近づいてきても、一行は深く眠り込んでいたためまったく気づかずにいた。やがて草で作られた服を着込んで、顔中にどす黒く真っ赤な動物の血を塗りたくっている集団の男たちが一向を囲んだ。そのなかの一人がトミーに手を伸ばすと、声が出せないようにすばやく口を押さえ込んだ。トミーは突然襲ってきた輩にもがきながら唸った。その声に気づいてクイーンが眠たい目をこすりながらからだを起こした。だが、すぐに目の前の状況を認識すると、すばやく懐から銃を抜き出してトミーを掴んでいる男に向けた。クイーンが銃口を向けると、まわりの男たちは何を言っているのかまったく理解できない言語で喚き散らしてクイーンに弓矢を向けた。そのときになってようやくあとの二人も目を覚まし、あわてて銃を抜き出したが、矢を突きつけられてすぐにおとなしくなってしまった。
「あんたら何者だい?」
 クイーンが鋭いまなざしでそう尋ねたが、集団の男たちはそれには答えず、あいかわらずなにを言っているのか理解できない言語で相談し始めたのだ。
「なんて言っているんだよ?」
 クイーンとジャックが互いに顔を見合わせた。キングは無表情に、トミーは不安げなまなざしで男たちを見据えていた。やがて男たちのなかで話がまとまったのか、一行を立たせて後ろ手に縛り上げると、真っ暗な夜道を一つの塊となって進んでいった。
「こいつら何者だ?」
「この島の先住民族じゃないかな」
「冗談じゃないよ、まったく。それにしても気味の悪い連中だよ」
「俺たちをどうしようというのだろうか」
 一行は小さな声でぼそぼそとそのようなやり取りをしていると、それが気に喰わなかったのか、先頭を突き進んでいたずんぐりムックリした体格の男が牙を剥き出しにしながら一行にうなった。にらんでくるその形相があまりにも恐ろしかったため、一行は思わず唾を飲み込んで顔をそらした。それでもなお、さらに小さな声で話を続けた。
「僕たち、殺されちゃうのかなあ・・・・・・」
「馬鹿を言うんじゃないよ。殺されてたまるかい」
「殺す前にこき使われるんじゃないのか」
「しっ、静かに」
 キングの合図で三人はいっせいに黙ると、ふたたび唾を飲み込んで、近づいてくる先頭にいた男を凝視していた。男はまたなんと言っているのかさっぱりわからない言語で声をかけると、ジャングルを抜けたところに広がっている集落を指差した。どうやらあそこがこの集団の住処らしかった。男たちが後ろから追い立てると、一行はしぶしぶその集落に歩み寄っていった。
 集落に近づいていくと、いくつかの焚き火が出向かえた。そのまわりを男たちと同じように草で作られた服を着て、顔に動物の血を塗りたくっている女子供が囲んでいた。その人々は一行がおどおどしながらジャングルからあらわれると警戒のまなざしを向けてきた。そして早口でまたあのよくわからない言語でなにか言った。
「なんて言っているんだ?」
「さあね」
 先頭の男が歩み出てその女子供の一人の女性になにやら話し掛けていた。その女性は当初険しい表情を浮かべていたが、男が話し掛けるとしだいに顔の緊張を緩めていった。女性との話が終わると、男は今度は集落のなかでも一番丈夫そうに作られている住処を指差した。
「あそこに連れて行くって言っているのか?」
「とりあえず了承してみようか」
 一行はほとんど同時にうなずくと、男は背を向けてその住処の方向に歩いていった。一言もしゃべらないで黙ってついていくと、男はその住処の前でふたたび足を止めて振り返った。そして一言二言言い残すとそのなかに入っていった。
 数秒経って出てくると、男は簾を上げて一行にこのなかに入るようにとでも言いたげな仕草を見せた。黙ってはなかに入ると、そこには白髪だらけでかなり歳のいった老人があぐらをかいて座り込んでいた。老人は一行を頭から足許の隅々まで見渡すと、草のカーペットの上に座るようにすすめた。
「まあ、立っていないでそこへお座りなさい」
「我々の言葉がわかるのですね」
 クイーンはこの辺境の地で自分たちの言語が通じたことに驚き、思わずそれを声にまで洩らした。老人はニッと口元で微笑むと、そのまま続けた。
「もちろんですとも。儂はもう長い長い年月を生きてきた」
「ご老人はいったいお幾つなのですか?」
 老人は首をかしげると、指で数を数えるような仕草をしてみせた。
「はて、もう百五十年以上は生きたかな? いちいち覚えとりませんわ」
「そんなにですか! あなたはいったい・・・・・・?」
「儂はこの村の長老ですじゃ、お若いの。世間では首狩り族と呼ばれておるが」
「首狩り族?」
 首狩り族といえば、アルベルト将軍の沈めた戦艦に乗り込んでいた船員たちのことではないか。あの首狩り族がここの人々の一員であったとは限らないが、まったく関係がないということはあり得ない。なぜなら首狩り族は少数民族で、現在存在が確認されているものがほとんどいないからだ。ベネディクトゥス号から目撃したあの悲惨な出来事を知られるわけにはいかない。もし知られれば、自分たちはただでは済まされないであろうから。ただこの人々があれほどの技術力を持ち合わせているとは、到底思えなかった。
「不幸なことに、先日に儂らの一族がある巨大戦艦にことごとくやられてしまってな」
 長老は続けた。
「ところが聞くところによると、その巨大戦艦も海に沈められたそうじゃ」
「お察しいたします。お仲間が亡くなられたのはさぞかしお辛いことでしょう」
 キングが驚くほどうまく演技して、いかにも同情でもしているかのようにそう言った。しかし長老はまるで目がひっくり返ってしまうのではないかと思わんばかりにグリッと見開いてみせ、そう言ったキングを見据えた。
「仲間? とんでもない! あやつらは儂ら一族の恥じゃ! 軍艦などというものを作り出して大国に戦を挑もうなどと、愚かな考えを起こしおって! あやつらは人殺しじゃ。そのおかげで儂らは首狩り族などと呼ばれなければならなくなった!」
「では、ご老人はあの男たちのことを憎んでいらっしゃるのですね?」
 まったく空気の読めていないジャックがそう尋ねると、クイーンとキングはいっせいにジャックに飛び掛って口をふさいだ。そしておそるおそる長老に振り返ると、長老は怪訝に顔をしかめて自分たちのことをじっと見据えていた。
「あなたがたは、やつらを知っておられるのか?」
 クイーンとキングは返答に困って互いの顔を見合わせた。
「巨大戦艦とは、メリボルシアから出航したあの船のことでしょうか?」
 不意にクイーンがそのようなことを切り出した。
「さあ、よくわからぬ」
「そうですか。じつは、あたしらの乗った船もその巨大戦艦に撃沈されたのです」
 クイーンがいかにも相手の同情を引くような態度で身振り手振り表現しながら続けた。
「あの船は強力な破壊兵器を携えていました。あたしらはある港へ向かっている途中だったのです。ところがあの船が突然あらわれて、あたしらの乗った船は海の藻屑とされてしまったのです。そしていま浜辺に停泊してある脱出潜水艇でこの島に漂着したのです」
「そうか。それは難儀でしたなあ・・・・・・」
 長老は目を伏せた。クイーンはそんな長老にかまわずに続ける。
「船を貸していただけませんか? 港へ戻りたいのです」
 長老は上目遣いでクイーンを見据えた。
「船を? それは困ったのう。儂らは漁以外では海へはほとんどこの島から出ないのでのう、あいにくここにはそのための小さな船しかない」
「ベネディクトゥス号に沈められた戦艦の予備とかは?」
「とんでもない。奴らがすべて持っていってしまいましたわい」
 クイーンが困ったように後ろに振り返り助け舟を求めたが、三人は首を横に振ってうなだれただけだった。
〈あきらめるしかないのかねえ・・・・・・〉
 クイーンが大きなため息をつくと、じっと考え込んでいた長老はなにか思い当たったのか、ハッと顔を上げるとまっすぐにクイーンを見つめた。
「ただ・・・・・・」
「ただ?」
「ある程度の船なら儂らにも作ることはできるかもしれんよ」
 一行の表情がパッと明るくなり、三人はいっせいにクイーンに向かってうなずいてみせた。
「ぜひお願いします」
「しかしなあ・・・・・・」
 長老はそうつぶやくとまたうつむいてしまった。
「ご老人?」
 クイーンがじれったそうに尋ねた。すると長老は顔をあげて勢いに任せて言いたいことを言った。
「その脱出潜水艇とやらにはある程度の食料はあるだろう? そのう・・・・・・、儂らはいま食料難で多くの村人が飢えに苦しんどる。見てのとおりここは寂れた村じゃ。食料もないのにやたらと子供が増えてしまってな」
「わかりました」
 クイーンは長老の手を取って微笑んでみせた。すると長老は突然のことに驚いて思わず目を見開いた。後ろでそれを見ていた三人も思わず口に手をあてた。クイーンがいままで自分たちにでさえも見せたことのないやさしさをまさかこのようなところで見せたからだ。
「お安い御用です。あたしらでできることなら、なんでもいたしましょう。・・・・・・ところで」
 クイーンは続けた。
「この縄を解いてもらえないでしょうか?」
 そう言うと、縄のかけられた手をふらつかせた。
     





エデンの園

 アニタがベッドに腰をおろして窓から夜の高層ビル街を眺めていると、グリル議長があわただしく部屋に入ってきた。そして通信機のスイッチを入れると部下の紺スーツの顔が画面に映し出された。グリル議長の険しい表情に紺スーツは身じろぎながらも、まっすぐに議長を見つめていた。紺スーツはまるで蛇にでもにらまれた蛙のようにじっと動けずにいたのだ。
「あの連絡は真実かね?」
 グリル議長が荒い口調でそう尋ねると、紺スーツの額から汗がふき出てきた。
「間違いありません」
 紺スーツの声が震えていた。紺スーツがそう言うとグリル議長の表情がみるみるうちに曇っていき、そうなると議長は有無を言わずにいきなり通信機のスイッチを切った。
 アニタがじっとグリル議長を見つめていると、議長は視線に気づいてこちらに振り返った。
「どうやら、君の死が少しばかり伸びたようだ」
「どういうことですか?」
 アニタは怪訝に顔をしかめた。
「ベネディクトゥス号から船員たちの遺体が確認されなかった」
 グリル議長が悔しそうに唇をかみ締めて机を激しく叩くと、アニタは思わず立ち上がり、喜びに胸が弾んだ。
〈トミーが、みんなが生きている〉
 そう確信すると、もはやじっとしてはいられなかった。アニタは小走りで窓に近寄り、ベネディクトゥス号の沈んだあたりの海をじっと見据え、胸のそばで両手を合わせた。
「おのれ、アルベルト! あのときいったいなにをした? なにを仕掛けた?」
 グリル議長は激しい怒りに机をひっくり返して猛り狂った。椅子を投げ、書類をばら撒き、恐ろしいまでの形相をアニタに向けたかと思う、大きな足音を立てて部屋を出て行ってしまった。
 ふたたび窓から見える景色を眺めていると、不意に反射で部屋のなかの光景が映ったのを見て取れた。何気なくそちらに視線を送ったアニタは思わず口を手で覆う羽目になった。
 窓の反射で見える部屋の扉のところに、そこにいるはずのないアルベルト将軍が腕を組み、アニタを見据えて、いままでのように威厳に満ちた態度でじっと立ち尽くしていたのだ。
〈これが霊視?〉
 アニタはゾクッと身震いをし、悪寒が身体中を走ったが、驚くよりも早く振り返ってみせた。しかしアルベルト将軍はおろか、そこには扉一つあるだけで何一つとして変わったことはなかった。しかしふたたび窓に視線を戻すと、やはりそこにはたしかにアルベルト将軍その人が立っているのだ。アルベルト将軍はなんともいえない表情を動かすこともなく、じっとアニタを見据えているだけだった。
「どうしてここへ・・・・・・」
 アニタがそうつぶやくとアルベルト将軍はしばらく間を置いてからゆっくりと口を開いた。
『神と会ってきた』
 たった一言だけそう言った。アニタはそっと微笑みを浮かべると反射越しに見える将軍をやわらかいまなざしで見つめた。アルベルト将軍は続けた。
『不思議なものだ。人に限らず、生命は死んでから多くを学ぶものなのだな』
「なにを見たのか、宇宙の話をしてくださったときのようにまた話してもらえないでしょうか?」
『死ぬ真際、青空が見えて・・・・・・』
 アルベルト将軍はすべてが散る直後にしたように、宙を仰ぎながら話を続けた。
『神がわたしを招いているのがはっきりと見えたのだ。君の両親を殺してしまったからには、重い罰を授かることは当然の報いだとばかりわたしは思っていた。しかし神はそんなわたしに向かって微笑んでおられたのだ。そしてあたりが明るくなったと思うと、気づいたときには、わたしのからだは宙を漂っていたのだ』
「どういうことですか?」
『わたしは青く輝くこの星の姿を目の当たりにしたのだ。この星がこれほどまでに美しいものだとは思わなかった。振り返ると、神がおられた。神は言われた。〈どうだ、お前たちは大変愚かなことをしていたとは思わないか〉と。わたしは心から、正直にうなずいた。考えてみれば、わたしたち生命の一つなど、この偉大なる星の前では無力なのだ。わたしには自分たちの抱いてきた理想が一つの夢であったと思えてはならなくなってきたのだ。その夢とはなにも国家を築きあげることでも、戦争をすることにも限られない。わたしたちが生きるために真剣になってきたこと、苦しみながらも生きてきたことすべてが夢であると思うのだ。いや、それが悪いというのではない。ただそれが夢であるならば、一度ほどは時の流れに身を任せてみても良かったのではないかと思えてな。生きているあいだにそのことに気づくべきだったのだよ。・・・・・・その場では神はわたしの罪をお許しになられた。わたしは罰せられることを望んだが、神はいまはそれをお許しにはならなかった。なぜなのか、それはわたしにはわからない。・・・・・・死んだことに後悔はしていない。わたしは本当の自由を得たのだから。これは何物にもかえられないものだ。生命はもっと時の流れに身を任せてみるべきなのかもしれない』
 アニタは目元が熱くなってくるのをグッと堪えた。
「あなたはいまどういう存在なのですか?」
『天馬とも会うことができた。彼はとても動物とは言いがたい。優雅さや気品や知性に満ち溢れ、神と共にすべてを悟り、常にこの星を見守ってきた。天馬は邪悪な魔女の一欠片から産み落とされたという伝説を聞いたことはあるかね?』
「いいえ」
『そうか。しかし天馬は言っていた。〈そんな邪悪な魔女の一欠片から生まれた自分だからこそ、いまの自分があるのだと。邪悪な魔女のわずかな良心だけが、死ぬ真際に残り、それが生まれ変わって自分になった〉と。彼はその魔女の良心が残した魂なのだ。わたしの存在もそれと同じだ。君はわたしのいまのからだが空気より柔らかいと思うかね、それとも硬いと思うかね?』
 アニタはしばらく考えた後に答えた。
「柔らかいと思います。だっていまのあなたにはどんなに硬い壁でも、たとえベネディクトゥス号の鋼壁であっても通り抜けることができるでしょう。あなたは空気の精みたいなものだもの」
 アルベルト将軍はこのとき初めてにわかに硬い表情を崩して微笑んだ。
『たしかに。わたしはどんなに硬い壁でもなんでも通ることができる。しかし、それはわたし自身が空気の精であるからではない。その逆なのだよ。わたしのからだはどんな硬いものよりもさらに硬い。わたしにとってはこの世界自体が空気の精なのだ。だからわたしははどんなに硬いものでも通ることができる。それが神の創造した世界であって、わたしがこの世界自体が夢の一つであるという結論に達した理由なのだよ』
 アニタは顔をしかめた。
「それではつまり、わたしたちの存在は否定されることになるのですか?」
『そうではない。たしかにこの世界は、いや、大宇宙自体は神の作り出したものだ。しかし君たちはそのなかで生きているのだ。君たちは存在している。それだけはたしかだ。だからすべての生命は苦しい思いをしながらでも時を生きるのだ』
「どうして生命は苦しみながらも生きなければならないのでしょうか?」
『君は〈エデンの園〉を追放されたアダムとエヴァを知っているかね?』
「エデンの園?」
『そうだ。我々人類の遺伝子の歴史をはるかにさかのぼって行くと、我々は一人の女性のもとにたどり着くことができる。その女性がエヴァだ。人類の歴史はこの女性から始まったのだ。そしてそのエヴァの夫がアダムという名の男だった。まずは二人が子供を産み、わたしたち子孫へと繋がるまでの話をしておこう。はるかなる太古、神はアダムとエヴァを創られ、楽園エデンに置いてすべての生物の長としてその権威を与えられたのだ。彼らの使命はその楽園の秩序を保つことであった。毎日欠かさずに木々の手入れをし、動物たちの世話をする。当時は全地が神の光によって満たされていたために、動物が動物を食らうという弱肉強食の摂理はまだ存在していなかった。なぜならすべての生物は血ではなく、神の光によって生かされていたからだ。アダムとエヴァは身を被う衣をいっさい着ていなかった。彼らは永遠に死ぬことがなく、そのからだは光り輝き、偉大なる神の栄光をその身にあらわしていた。まさしく神に似せて造られていた。彼らはすべてに満たされていたのだが、ある日、その楽園を追放されてしまったのだ』
「どうしてですか?」
『アダムとエヴァにはただ一つ、神から禁じられていることがあった。神は二人に言われた。〈園のすべての木から実を取って食べなさい。ただし善悪の知恵の木から生えた実は決して食べてはならない。食べたらかならず死んでしまう〉と。じつは二人は目が見えなかった。瞼を見開くことができなかったのだ。もしも知識を得ることができてしまう知恵の木の実を食べると、二人は目を開くことができるようになり、神と同様に善悪の判断ができるようになってしまう。預言者でもあったアダムはそのことを承知していた。知識を得ることは同時に多大な重荷を背負うことを意味する。この世の摂理を知ってしまうことは、子供のように純真で無垢な心を失うのと同じことなのだ。しかしすでに地上には二人よりも高い知識と経験を持ち合わせた生物が存在していたのだ。それが悪魔だ。悪魔はその知恵を生かしてエヴァを欺き、知恵の木の実を食べさせた。アダムは時が熟したことを知り、エヴァから手渡された木の実を食べた。善悪を知ることはこの世の二次的価値観を知ることになる。つまり、善がいれば悪もいる。光があれば闇もある。神がいれば悪魔もいる。男がいれば女もいるということだ。そのとき知恵の木は生命の木となった。知識を得たアダムは生命の木の実を食べることによって、より神に近づこうとした。そのことを恐れた神はアダムとエヴァをエデンの園から追放し、使いである天馬に生命の木を守らせた。そして神は二人に永遠に許されることのない重い罪を与えられたのだ。アダムは必死で荒地を耕し、種を植え、作物を育てた。エヴァは子孫を宿し、生死の境にそれを産み落とした。それがいまの人間たちの姿となっている。そのときすべての生命はエデンの園から解き放たれ、動物は動物を獲って食らうという弱肉強食という摂理が始まった。生命は苦しみながらも生き抜くことを余儀なくされたのだ』
「つまり、アダムとエヴァが知恵の木の実を食べたその瞬間に、わたしたち生命の宿命が決まったというのですね」
 アニタは険しい表情でアルベルト将軍を見据えた。将軍は目を伏せた。
『そうだ。しかしわたしはこれでよかったのだと思っている。この世の創造主は一人でいいのだ。神は二人も三人も必要ない。神は正しい選択をされたのだよ。たとえ罪を受け、楽園から追放されようとも、生命が力強く、懸命に生きていく力を神は与えてくださったのだ』
 アルベルト将軍はそう言うと、片手をそっと前に出してみせた。しばらくするとその将軍の掌から真丸な形をなした青色の球があらわれたのだ。青い球はゆっくりと回転し、その青はまるで空のように美しく、アニタは思わずそれに見とれてしまった。
「きれい・・・・・・」
 アニタはそうつぶやくと、窓の反射越しに見えるアルベルト将軍を見上げた。将軍はアニタに近づいてきてその青い球をアニタに近づけた。するとアニタはまるでそれに心を奪われたかのようにまったく微動だにせず、瞳を輝かせながら見つめていた。
「これは?」
 アニタは顔を上げてアルベルト将軍を見つめた。
『この星の姿を収縮させたものだ』
 アニタはハッとしたようにその青い球に目を戻すと、ふたたび将軍を見つめ返した。
「これが!」
『そうだ。わたしたち生命の故郷だ。すべてはここから始まったのだよ』
 アルベルト将軍はもう片方の手でその青い球をやさしく覆ってみせた。そして目を伏せてその球にまるで力をそそいでいるかのような仕草をしてみせてから、ふたたび片手を離した。すると今度はその青い球に巨大な薄茶色の模様ができていた。
〈この星の歴史をたどろうとしているのね〉
 アルベルト将軍の両手に包まれていたとき、この青い球には大陸が創られていたのだ。将軍はアニタをじっと見下ろした。
『これはパンゲア大陸だ』
「パンゲア大陸?」
 将軍はうなずいた。
『そうだ。はじめ海から誕生した生物たちは、しだいに成長を遂げ、進化し続けて、ついにこの大陸に上陸することになったのだ。それらはしだいに姿を変え、昆虫や哺乳類、爬虫類などが誕生し、その爬虫類は飛躍的な成長を遂げて恐竜へと進化していった。そして長い時が過ぎてようやく恐竜が滅ぶと、つぎには我々の祖先である哺乳類が繁栄していった』
 アニタは青い球を見つめ、感動に瞳を揺らしながらうなずいた。
『わたしたちはエデンの園におさまらず、この美しい星を守るという新しい使命を与えられたのだ』
「とても大変な仕事ですね」
 アニタは穏やかな笑みを浮かべてみせた。アルベルト将軍はそんなアニタを見ながらうなずいた。
『そう。だからこそ、幸運にも知性を与えられた人間が中心となって、この星を守るのだよ』





     神の島へ 一

 島の先住民族の人々によって造られた木造船は波に揺られながら大海原をさまよっていた。船はもう何日もなんの目的もなく海を進み、いつか運命に導かれるのを待っていた。ベネディクトゥス号と比べてしまうと、はるかに狭い甲板に立って、トミーはその柵に寄りかかりながら、はるかさきの水平線の空に高くそびえる入道雲を呆然と眺めていた。
 船は数十メートルほどの大きさしかなく、屋根はなく、そのかわりに島の植物の葉で作られたテントを張りつめただけというきわめて簡単なつくりだった。そのため時折降りそそぐ強雨がその葉の屋根を突き抜け、四人の髪を湿らすことも珍しくはない。

潜水艇に乗っていた人々は前に立ち寄った、ある大陸の港に残してきた。三人の白スーツたちはトミーの背負った宿命を理解していた。もちろんその宿命には三人はまったく関係ない。しかし三人は、いや、潜水艇にいた乗組員の誰もがこの哀れな少年に気をかけずにはいられなかった。三人の白スーツたちは己の運命を全うすることを決意し、ふたたび旅立とうとしていた少年に同行することに同意した。乗組員たちも着いて行きたがった。しかしクイーンとトミーがそれを許さなかった。クイーンは少年の宿命に巻き込まれた自分たちは運命を共にすべきであると主張した。トミーとしてもこれ以上は関係もない人々を巻き込むことはどうしても避けたいと申し出た。乗組員たちはそれで十分に納得してくれた。少年の心境を察し、これからの過酷であろう旅の無事を祈ることを約束してくれたのだ。トミーは人々のこの温かい気持ちに感謝し、涙を流した。一人ひとりの手を握り、使命を終えた暁にはかならず無事に帰ってくることを誓った。
 四人は大海原に踊り出た。よく晴れて温かい潮風が頬を愛撫した。
『この星を救うのです』
 天馬の言葉がトミーの頭のなかをよぎった。

「トミー」
 キングが呼ぶと、トミーはからだを翻した。キングが船の床に先住民の島の長老から渡されたこの海域の地図を広げて、神妙深げな表情でそれを眺めていた。
「なあに?」
 トミーはそう尋ねて地図の前にしゃがみこむと、キングと一緒になってそれを見下ろした。地図の中央付近に印が書き込まれてあった。
 長老は一行が島を出る直前に、太古からの神が住むという島について話してくれた。その島はもう数十億年もみずからを濃い霧で覆い、その間、あらゆる生物たちの視野から逃れるかのようにひっそりと息を潜め、この星の末を見守っているという。その伝説の島を先住民の若者の一人が目撃したという。その若者はある日の漁の最中に悪天候でボートが転覆し、海に投げ出された。海面でもがき苦しんで〈もう駄目か〉と思ったとき、自分の近くの海面にいままで見たこともないほど美しい白い光を帯びた馬がその海の水を飲みに、舞い降りてきたというのだ。その白馬は自分に気づくと、躊躇することもなく、やさしく穏やかに死にかけている自分を掬い上げた。白馬は自分を背に乗せると、海面を蹴ってはるか天空へと舞い、自分を島まで送ってくれた。その白馬の背はまるで太陽のように温かくてまるで母親に抱かれているような安心感を抱かされたらしい。そのときその若者は不思議な薄い光の靄に包まれていた伝説の島を空からあがめたという。
「この印の島のことだが・・・・・・」
 キングがトミーを見つめた。
「推測ではこれが神の島ではないかと思うのだが、君はどう思う?」
「神の島?」
「そこには天馬が住んでいるという伝説があるんだ」
 トミーは顔をしかめて、キングと視線を見合わせた。
『力がいらなくなったとき、わたくしをさがし訪ねなさい』
 天馬がロアナ島に突如降り立ち、最後に自分にそう言い残した言葉が脳裏に浮かんだ。いまさらながらよく考えてみると、天馬は様々な不可解な言葉を残していったのだ。
〈力がいらなくなったとき?〉
 それも謎の一つであった。力がいらなくなるとは、いったいどういうことであるのか。
〈そもそも力っていったい?〉
 それ以前にやはりそのことが気がかりであった。もしかしたら自分はあのとき天馬によって、さらなる生きる力を与えられたのかもしれない。仮にそうだとすれば、力がいらなくなったときとはつまり、与えられた使命を果たしたならば、その力を取り上げて自分を天に招こうということなのか。そして時折、自分を襲う胸の苦しみはそのためのものなのか。・・・・・・神は自分にみずから命を絶てと言われておられるのか。
「トミー?」
 不意にキングがそう声をかけると、トミーはハッと我にかえった。キングはそんなトミーを怪訝に思いながらも話を続けた。
「この島はわたしの調査結果と青年の話とで一致しているんだ」
「どうして神の島の調査を?」
 トミーがそう尋ねると、キングは顔をそむけて考えるような仕草をしてみせていたが、吹っ切れたのか、顔を上げてトミーを見つめた。
「わたしはアルベルト将軍の指令で神の島に住むという天馬について調査するように言われたんだ。わたしの聞いた話によると、天馬は無限の力を保有し、神に匹敵するほどの、この世の万物を変えてしまうほどの力を持っているといわれていたんだ。どうやら将軍はその天馬の力を授かり、この星を自然に恵まれていたかつてのようにしたいと、よく言っておられた」
 トミーはこのときあのアルベルト将軍がはじめて惨めに思えた。たしかにあの男は賢く、勇ましく、威厳と誇りに満ち溢れていた。部下からの信頼も厚く、寡黙であまり多くを語らずとも、その瞳は常に鋭くまっすぐに前を見据え、はじめ警戒心を抱いていた自分やアニタも、その男のなんとも言えない神秘的な魅力に取り憑かれていった。
 しかしどんなに優れた人物であっても、所詮は一人の人間であったのだ。多くの人間と同じように、アルベルト将軍自身もくだらない伝説に囚われ、実際に存在するのかどうかもわからないその伝説を追い求めていたのだ。しかも将軍の追い求めていたそれが、いかにも学者らしい学術的な興味なのではなく、ただたんにおのれの実力を誇示しようとするためのもの。つまり自分の願いや野望をかなえるためのものだったとは。
 トミーはそのおかしさのあまりに思わず吹き出してしまった。
「なにがおかしい?」
 キングが不満げに顔をしかめた。
「いや、ごめん」
 トミーは押さえきれない笑いの小悪魔に取り憑かれていた。そしておかしさと、なんだかよくわからない悔しさの涙を拭いながら続けた。
「ほんとの話し、天馬はなんの力も持ち合わせていないんだ」
「どういうことだよ、それは?」
 さりげなく聞いていたクイーンとジャックがトミーのいまの言葉に思わず飛び出してきた。そしてクイーンはトミーに迫ると、肩を揺すりながら問い詰めた。
「天馬はなんの力も持っていないだって?」
「そうさ」
 トミーはきっぱりと、冷たくそう言い放った。
「天馬は僕に、この星を救うための力を与えるとかなんとか言って、この大海原に放り出したのさ。自分に告げられた宿命の重さを知って、大好きな友達たちとも別れて旅出たのさ。とくにあてがあったわけでもなく、ただひたすらとボートを漕いだんだ。メリボルシアに着くまでずいぶんと孤独と不安を味わされたさ。一人になると、どうしようもなく寂しかった。天馬が自分にどんな力を与えたのかをずっと疑問に思って胸に抱きながら、長い時を過ごしたんだ。・・・・・・ところがだよ。その力がどういうものなのかわからないどころか、近頃はそもそも天馬は力なんて持っていなかった、ということに気づいたんだ。僕は絶望したよ。死にたい気分になった。そして時折襲ってくる、この心臓の苦しみも、僕をさらに追い込むんだ」
 トミーは手で胸をぎゅっと押さえてみせた。三人の白スーツはそんなトミーを見て、ハッと息を呑んだ。
「やっぱり。あんた、からだがどこか悪いんだね」
 クイーンが震える声でいった。トミーは毒の含んだ笑みを浮かべて三人を見上げた。
「僕はもうじき死ぬんだ」
「なんてことを・・・・・・」
 トミーはうつむいた。するとトミーの目から流れ出た涙が木で作られた甲板にこぼれ落ちた。いままさにトミーには『死』そのものが取り憑いていた。
「トミー・・・・・・」
 クイーンが手を差し伸べようとすると、トミーはキッと顔を上げた。
「こうなるのが運命だったんだ」
「ちがうさ!」
 クイーンが鋭い口調で遮った。
「運命なんて、決めつけられたものじゃないよ。あたしはそんなのごめんまっぴらだよ。決めつけられた人生ほどつまらないものはないよ。神だか天馬だかなんだか知らないけどね、あたしはあたしだよ。さっきはあんたには自分の運命に従うとは言ったけどね、そんなのは本心じゃないよ。運命は自分で切り開くもんさ。ただあたしはあんたを助けたい一心でいまここにいるんだ。ねえ、二人とも」
 クイーンがまっすぐにトミーを見つめながらそう言うと、後ろでじっと立っていた二人はクイーンのその意見に同意するかのように大きくうなずいてみせた。しかしその表情は穏やかに微笑んでいた。
「もちろん。それが友情というもんさ。そして人間さ」




     神の島へ 二

「きたまえ」
 グリル議長は部屋に入ってくるなりそうアニタに言い放つと、近づいてきてほとんど強引に手首を引っ張った。アニタがもがくと議長は立ち止まって憎らしげに見下ろした。かなりの疲労にあるのか、その目を血走らせて鋭い眼光で見据えられたものだから、アニタは思わず目をそむけた。
「どこへつれて行くんですか?」
「・・・・・・」
 グリル議長はそのアニタの問いかけに対してまったく反応を示さなかった。ただまったく無表情に自分を見ているだけだった。そしてアニタをその視線からもぎ取ると、ふたたび手を引っ張って歩き出した。部屋を出ると三人の紺スーツの男たちが議長とアニタを待ち構えており、その三人は二人の後に続いた。
 一行は議会堂をエレベーターで降りて地下の駐車場に向かうと、そこに停車してあった車にアニタをつれ込んだ。
「出してくれ」
 グリル議長がそう言うと、運転席に乗った紺スーツの一人がうなずいて車を発進させた。
「これからどこへ行くんですか?」
 駐車場のトンネルを抜けて、町の道路を走行しはじめたときにアニタはふたたびそう尋ねた。夜のビル街の明かりがまぶしいほどにさんさんと輝いて目を突いた。グリル議長はまっすぐに前を見据えていた。するとビルの明かりがこの男を照らした。
「神の島というのを、君は聞いたことがあるかね?」
 グリル議長はようやくアニタに口を開いた。
「神の島?」
 アニタは怪訝に顔をしかめると議長をまっすぐに見つめた。
「そうか。アルベルト君もさすがにそのことは君には話さなかったようだね。いいよ、わたしが教えてあげよう」
 グリル議長はビル街に視線を移して続けた。
「じつはね、その神の島が元老院の調査隊によって発見されたのだよ。見事なものだよ。数万年も人目につかないように霧のなかに隠されていたのだからね」
「それと、アルベルト将軍となんの関係が・・・・・・」
「あるのだよ」
 グリル議長は鋭くアニタの言葉を遮った。
「アルベルト君は彼自身のこの星を一つにまとめあげるという私欲で動いていたのだよ。彼は神の島の天馬に万能の力を授かり、この星を自分の支配化にしようとしていたんだ。それ以外に力を手に入れ、この星をまとめあげる理由があると思うかね。我々元老院はそんな彼を監視し、そして彼を葬ることによってこの星を守ったのだよ。ちがうかね?」
「ちがうわ」
 アニタはきっぱりとそう言い放った。
「あの人は人間によって汚染されたこの星を救うために天馬の力を必要としていたのよ」
 必死でそう言い張るアニタを、グリル議長は目を細めて、冷たいまなざしで見つめた。
「汚染されたこの星を救うだと? 馬鹿な、そんなのはただの偽善にすぎん」
「なんですって?」
「いいかね」
 グリル議長は片手を上げてアニタを制した。
「人間はみんなそうさ。わたしはなにもアルベルト君のそんな考えを否定しているのではない。あのアルベルト君でさえも、私欲はあったというわけだよ。人は誰でもこの星を自分一人だけのものにしたがっている」
「それなら、あなたはどうなの? あなたはなぜ神の島へ行こうとするの?」
「わたしも同じさ。わたしもこの星が欲しい。この星を自分だけのものにしたい。なにがいけないのかね? なにを隠そう、アルベルト君の野望を打ち破ろうとしていたというのは、ただの大義名分だよ。わたしが彼の命を奪ったのは、この星をわたしと同じように手に入れようとしているあの男が目障りだったからだ。何十年も前からだよ。わたしが君の命を狙っていたのは君の不思議な能力を知って恐れたからでもあるが、それはただの名目で、わたしはあの男をこの世から消し去る機会を狙っていたのだ」
「なんて卑劣な」
「そうかね?」
 アニタが込みあがってきた怒りに顔を歪めると、グリル議長はそんなアニタを見下して嘲笑した。
「千年前もそうだっただろう。すべての国の長も同じことを考えていたはずだよ。これは人間が生きているうえで起こり得る当然の感情さ」
「議長、そろそろです」
 二人がそのようなやり取りをしているあいだに、車はいつのまにか空港へとたどり着いていた。
「ここは?」
 アニタが驚きながら翼の生えた飛行機械を見上げた。
「空港だよ。あそこから飛行機に乗って、神の島へ近づいたら船に乗り換える」
 アニタは不敵の笑みを浮かべているグリル議長を見つめた。
〈もう駄目。この人を止められない〉
 この男を哀れに思う気持ちと怒りが奇妙に入り混じって、アニタは複雑な気持ちにさらされた。






     
神の島へ 三

 進むにつれてしだいに白く深い霧が船を取り巻き始めた。トミーは不安げにあたりをきょろきょろ見回した。
〈霧だ〉
 そう思うや否やトミーはその周辺の海面を見て背筋が凍りついた。霧のなかへ入り込むと、そこには数々の船が無残な残骸へと化して、そこらじゅうに散らばっていたのだ。それらの残骸のなかにはこの船のような木造船もあれば、漁船やボート、霧に阻まれて端までは見えないが客船らしきもの、またベネディクトゥス号のような軍艦もあった。そしてそれらのすべてがまるで数千年前の遺跡のように静まり返り、無人の廃墟となっていた。そのなかにはまるで氷山のように音を立てて崩れ落ちていくものもあった。
「なんだいここは?」
 仮眠を取っていた白スーツの三人は船の崩れ落ちる音に目を覚ましたのだが、起きて早々に目の前に飛び込んできたこれらの恐ろしい光景に思わず息を呑んで、その場に戦慄した。
「ひどい。それにいやな臭いだ」
 ジャックが思わず鼻をつまんだ。それらのなかには腐食し、なんだかよくわからない数十センチほどのくねくねした虫が住みついていたものもあった。それらはいやな臭いをあたりに振りまいていた。
「船の墓場だ・・・・・・」
 キングがボソッとつぶやくと、三人はドキッとして思わずキングを見据えた。キングは驚愕の表情を浮かべながら自分を見ている三人に気づいて続けた。
「神の島は何千年も人間たちに捜し求められてきたんだ。その間、多くの調査船が各国から出航して、そのなかの大多数が忽然と姿を消したんだ。遭難した船を捜すための船も多くが消え失せたらしい。昔に読んだことのあるその記録には船の写真や歴史が書き込まれていた。だから間違いない。あそこの船を見てみて。あれは二七三六年に出航して、このあたりの海域で遭難したものだ。以後、その船を見かけた者は誰一人としていなかったらしいが、それがこんなところにあったとは。神の島はこの霧の向こうにあるにちがいない。この霧は神の島を捜し求めてきた者を飲み込み、島に上陸するにふさわしいかどうかを試しているんだ。この霧は呪いの霧だ」
「あたしらはどうなる?」
 クイーンが不安げに尋ねたが、キングは首を横に振るだけだった。
「わからない。神がわたしたちをどのように見ているかによる。はたしてわたしたちが神の島に上陸するのにふさわしい人間たちかどうか・・・・・・」
「きっと、大丈夫だよ」
 トミーが前を見据えながらいった。その表情はなにやら確信に満ち溢れていた。
「天馬が僕をここまで導いたんだ。だからここを通さないはずがない。いまは神を、天馬を信じようよ」
 白スーツの三人はトミーを見つめて同時にうなずいた。そしてトミーと同じように、後ろに立つと、じっと前を見据えた。
 数分間、悪夢のような光景を見続けていた後、霧がようやく少しずつ晴れてきた。一行は目を凝らしてじっと霧の向こうを見渡した。
 霧のさきに、なにやら陸のようなものが見えてきた。
「見て!」
 トミーが指差すと、それはさらに明らかになっていった。
 船が霧を突き抜けた。すると一面が緑で覆いつくされたロアナ島ほどの大きさを持つ島がようやく目の前にその姿をあらわした。一行は呆然としながらその姿を見つめていた。
「神の島・・・・・・」
 トミーがそうつぶやくと、キングは島を凝視しながらゆっくりとうなずいた。船はゆっくりと神の島へと接近していき、ついにその砂浜にたどりついた。
 














     生命の楽園

一行は島の中央あたりに位置している小高い丘を見上げた。その丘以外のまわりは緑一色の世界だった。一行はその島の雄大な姿に呆然としていた。トミーが砂浜を抜けて、一歩外の芝生に足を踏み入れると、まるで島が目を覚ましたかのように目前の森の木々にとまっていた鳥がいっせいに羽ばたいた。一行はドキッとして鳥たちを見上げた。その鳥たちは光の欠片を振りまきながら空へ舞い上がっていった。
「すげえ・・・・・・」
 ジャックが呆然と鳥たちを見上げながらつぶやいた。
 一行は森に足を踏み入れた。森はどこもかしこも緑で埋め尽くされていたが、太陽の光は一切遮られることはなくさんさんと地上に降り注いだ。見たこともない小動物たちは自分たちの足許を駆けずりまわり、可愛らしい鳴き声をあげた。
 奥へ進んでいくと、もう数百年も生きているであろう偉大な大木が悠然と立ちはだかっていた。木は日光に照らし出され、雄大なその姿をちっぽけな人間たちに見せつけた。トミーはクイーンが涙ぐみ、ジャックとキングが鼻をすするのを見た。トミーは胸がいっぱいになり、その大木に触れてみた。ひんやりとした感触が全身に伝わり、トミーは生命の源を見出した。そうすると一行はその大木の前に自然と両膝をついた。人間たちはこの木に癒しを求めた。人間たちは無言で木を見上げ、かまうことなく涙を流しつづけた。木はなにも言わなかった。ただそんなちっぽけな人間たちを受け入れ、やさしく抱いてくれたのだ。人間たちはここに生命の始まりを感じた。人間たちはこの木に懐かしさを感じ、この木にすがった。木はなにも言わなかった・・・・・・。
「ここは生命が始まった地なんだ。すべての生命はここから生まれ、それぞれの地上で生き、やがて生きることに疲れ果てて死ぬと、ふたたびこの地へ戻ってくるんだ」
 トミーがじっと大木を見上げながらそう言うのを、三人の白スーツは黙って聞き入っていた。
「神の島は、生命の楽園なんだね」
 クイーンがそう言うと、トミーは目を伏せてゆっくりとうなずいた。
「うん、僕ら人間も動物も植物も、すべてはここから旅立っていったんだ。だけど・・・・・・」
 トミーはクイーンを見上げた。
「どうしてこんなに素敵な楽園から旅立ったんだろう? ここにいれば永遠に幸せなはずなのに」
 三人の白スーツたちはハッとして互いに顔を見合わせた。トミーは続ける。
「いや、そもそも僕らはどうやって誕生したんだろう、どこからやってきたんだろう?」
 三人はトミーの問いかけに心から賛成して深くうなずいた。なぜ人間はその類まれなる頭脳を与えられながらも、ほとんどの人がその当然の謎に気づかないのだろうか。自分たち生命の誕生はもしかしたら偶然であるのかも知れないが、決してあたりまえではない。すべてがいつかかならず無から生まれ、これまでの成長を遂げたのだ。そうするとその無とは、いったいどこからやってきたのだろうか。
 三人の白スーツはこの当然の謎を、自分たちよりもはるかに小さいこの少年に言われるまで抱かなかったことを後悔した。もっと早くそのことに気づいていれば、もしかしたら人生に対する価値観が変わっていたかもしれない。しかしただ一つ、三人の白スーツたちはこの少年との出会いを与えてくださった神の慈悲に感謝した。いままで神など信じたこともない三人だったが、このときばかりはそう思わずにはいられなかった。
 白スーツの三人がなんともいえない表情でトミーを見つめていると、少年のはるか後ろにすっと立っている白い光の塊を目にした。
「トミー、あれ」
「えっ?」
 クイーンが指差すと、トミーはそちらに振り返ってその白い光を目の当たりにした。
 光の塊だと思われていたそれは、トミーには神々しい白い光を放っている白馬に見えた。白馬はやさしさに満ち溢れた表情を浮かべながら、じっと一行を見つめていた。
「天馬だ」
 トミーがそう言うと、三人の白スーツは唾をゴクリと飲み込んで天馬を凝視した。天馬はゆったりとした歩調で歩み寄ってきた。
 天馬はトミーの目の前に立ち止まると深々と頭を下げた。一行もつられてこの謙虚な白馬に対して尊敬の意を示した。トミーが顔を伏せていると、天馬は白い唇をそっと近づけてトミーの頬にやさしく口づけした。頬に走った温かい感触にトミーが驚いて顔を上げると、天馬は微笑みながらうなずいてみせた。
『ロアナの子よ、よくぞいらっしゃった』
 天馬の清らかで透き通った声が響いた。
「ずっと、さがし続けていました」
 天馬はトミーの全身を隅々まで見渡した。
『大変な冒険をなされたみたいですね。前に見たときよりもずっと大人びて見える』
「ありがとう・・・・・・」
 トミーは照れ臭くなってうつむいた。天馬はそんな愛らしい少年にやさしく微笑みつづけていた。天馬はトミーから視線をそらすと、後ろに立ちすくみ、緊張しきっている三人の白スーツを見つめた。天馬に見つめられると、クイーンは思わず一歩前に進み出て頭を垂れた。それらの動作はあきらかにぎこちなかった。
「お会いできて光栄です。あたしらはメリボルシア帝国の・・・・・・」
『どうぞ、からだの力を抜いてください』
 天馬がおかしさのあまり苦笑していた。
『メリボルシア帝国の治安と秩序を守る有能で賢い衛視たち。親愛なるアルベルト将軍の忠実な家臣。クイーン、ジャック、キング。あなたがたのことはアルベルトからよく聞いていますよ。アルベルトはあなたがたを褒め称え、いつも誇りに思っていました』
 三人はハッとして顔を上げた。
「アルベルト将軍がここにいらっしゃるのですか?」
 クイーンがそう尋ねたが、天馬は微笑みながら首を横に振った。
『少し前までは、ここにいました。しかし彼は神からの最後の審判を授かるため、いましがた天に昇りました』
「最後の審判?」
『死後の生をどのように生きるかを決めるためのものです。生命によっては裁きを受ける者もあります。道徳に反した道を歩み、ほかの生き物の命をむやみやたらと絶ち切った者にはそれなりの罰が与えられるものです』
「それでは将軍は・・・・・・」
『アルベルトは多くの人を殺しました。そして多くの人を悲しみに陥れたこともありましたね。彼にはとても重い罰が与えられることでしょう。しかしわたくしは心配しておりません。アルベルトは強い心と信念を持っている人ですから、罰に屈することはないでしょう。彼は反省し、神に悔い改めたそのとき、その罪は許され、ふたたびこの世に生を与えられることでしょう。しかしそのためにはとてつもなく長い年月が必要となります』
「それってどれくらい?」
 トミーが不安げに尋ねた。
『あなたがた人間の時間にたとえるなら、およそ四五、六億年というところでしょう。この星の歴史と同じくらいの年月を要します。もはやこの星自体が存在しているかどうかもわかりません。しかし生命はこの星に限られたことではありません。生命はこの星から何千、何百億光年も離れた星にも存在しているのです』
 一行は黙りこくった。しかし天馬はなおも微笑みつづけ、全員を見つめていた。
『少し歩きませんか。お話したいことが山ほどあります』
 天馬が身を翻して歩き出すと、一行はそれについていった。天馬の歩調は蹄がまるで宙に浮いているかのようにフワリとしていてとても軽快だった。そしてその蹄が踏みしめた跡は光の塊となってしばらく輝いていた。
『あなたがわたくしを訪ねてこの島へきたということは、与えた力が必要なくなったとみてもよいのですか?』
 天馬がトミーの横を歩きながらそう尋ねた。そう言われるとトミーは決心した。
〈力というものがどのようなものなのか、聞くにはいましかない〉
 そう思うと、歩調だけは天馬のゆったりとしたペースに合わせながらさりげなく言った。
「あなたの与えてくれた力って、僕自身が生きるための力のことだったんですよね」
 トミーがそう言ってみると、天馬はこのときようやく顔をしかめてなにやら考え込むようにうつむいてみせた。トミーは天馬がふたたび口をひらくのをじっと待っていた。
『それもありますが。・・・・・・もしかして気づいていないのですか?』
 今度はトミーが顔をしかめる番だった。トミーはじっと天馬を見据えた。天馬は笑いを堪えているのか、微笑を浮かべながら歩きつづけていた。もうすぐ森を抜けそうだった。
「なんのこと?」
 トミーが尋ねると、天馬はおかしさのあまり吹き出した。しばらくからだを震わせながら笑いつづけ、やがてある程度それもおさまると、ようやくトミーの問いかけに答えた。
『ああ、トミー。あなたはやっぱりわたくしの思い描いた少年でしたね。わたくしがあなたと出会ったとき、あなたはロアナ島が海に飲み込まれていくのに絶望し、生きる気力を無くしていましたよね。わたくしはあなたにその怯えた心を勇気に変える力を与えたのですよ。けれど人なんてそう簡単には変われっこないですよね。無論、あなたもそうでした。いまのあなたはとても臆病で小さくて、胸の病気に怯えきっていますよね。けれど、少しだけ変わっていますよ。あなたは始め、自分の知らない世界へ飛び出すことを非常に恐れていました。しかし、わたくしがちょっとばかりその力を与えただけであなたは小さなロアナ島を飛び立ち、素敵な出会いをしましたよね。しかもそれを守り抜くことはできずとも、いまはそれを成すための最大限の努力を尽くしているというのは事実です。それがあなたに与えた力なんですよ』
「あなたが人の願いをかなえるというのは?」
 天馬は目を伏せて、首をゆっくりと横に振った。
『迷信です。わたくしは人一人の望みをかなえるほどの大それた力など持っていないのです』
「しかし、あなたがそれをしようと思えばできることなのでは?」
『いいえ、できませんよ。神があなたがた生命を創造なさったのです。わたくしはただの神の使い。人々の願いを聞き入れ、それを実行できるのは神だけなのです。・・・・・・かつて、神の力を手に入れようとした哀れな人々がいました』
「誰ですか、それは?」
『アダムとエヴァ、それからあなたが前に見たアトランティスの遺跡に暮らしていた人々もそうだといえるでしょうか。彼らは神の偉大なる力を手に入れようとして神罰を受けた人々なのです。アダムとエヴァは知恵の木の実と呼ばれるものを食べてその力を手に入れようとし、アトランティスの人々は世界を手中におさめようとして神の罰を与えられました。この世に存在する生命はいかなる理由があろうとも、神の力を手に入れてはいけないのです』
 そこまで聞かされては、その力を欲していたあの人物についてもはや話さないわけにはいかなかった。
「アルベルト将軍もその一人でした。あの人もあなたならこの星をかつてのように自然に恵まれた場所にすることができると信じていました。よく考えてみれば、あなたが言ったように、たとえどんな理由があろうともそれはアダムとエヴァや、アトランティスの人々と同じことです」
 天馬はうなずいた。しかしその穏やかな微笑みを崩すことは決してしなかった。
『知っています。それもアルベルト自身が話してくれました。しかし、まだ彼のような考えを抱いている人はいるのですよ。・・・・・・お聞きなさい』
 一行は黙り込み、耳を澄ませた。するとどこからか船の汽笛のような音が響き渡ってきた。四人は互いの顔を見つめあって、それぞれがほとんど確信に満ちたまなざしでうなずきあった。トミーが天馬に向き直っていった。
「あなたは隠れていて。僕らは奴らの行動を食い止めにいきます」
 四人が身を翻してもときた道を戻ろうとすると、天馬が後ろから声をかけた。
『気をつけて。神のご加護があらんことを』









     神罰

 一行が船の置いてある砂浜に戻ってくると、ベネディクトゥス号ほどの船体を持つ巨大戦艦がそこに乗り上げてきた。その戦艦から数十、いや、数百人以上もの紺スーツたちがわらわらと出てくると、すばやく砂浜に散って整列した。
「元老院だ」
 トミーが森の茂みのあいだから顔をのぞかせながらそう言うと、その軍艦から後ろ手に縛られて険しい表情を浮かべているアニタと、まるで優越感に浸っているかのような笑みを浮かべているグリル議長があらわれた。アニタの動きを警戒するための三人の紺スーツがそのまわりを囲っていた。
「なかなかいい島じゃないか。しかしこの船があるということは、わたしたちよりもさきに先客がきているということだね」
 グリル議長はトミーたちの乗ってきた船を見ながら不気味な笑みを浮かべた。砂浜に一歩足を踏み入れてみた。すると靴が砂浜に埋まり、議長は眉間にしわを寄せてその砂を蹴散らしてふたたび歩き始めた。アニタと三人の紺スーツもそれに続いた。
「あの砂浜は邪魔だな。わたしが力を手に入れたら、あれらをすべて取り除こう」
 グリル議長がまるで楽しそうにそう言ったものだから、アニタはますます表情を険しくして議長を見据えた。グリル議長は森の前に立ち止まるとその周辺をきょろきょろ見回して、ほかの紺スーツにあたりに異常がないか調べるように命じた。
 その紺スーツの一人が自分たちのそばまで寄ってくると、白スーツの三人は互いにうなずきあって息を潜めた。そしてその男が自分たちの前の茂みを通りかかったところに、ジャックがバッと立ち上がって紺スーツをそのなかに押し込んだ。暴れる紺スーツの男の後頭部を銃で殴りつけた。男は失神するとその茂みのなかに顔を埋め、突っ伏してそのまま動かなくなった。ジャックは男をまわりから見えないようにするため、自分たちのもとに引きずり込むと、男の両手を縛り、口を布で締め上げた。
 一行は互いの顔を見合わせてほとんど同時にうなずくと、さきを進んでいく、グリル議長たちの後をそっと追った。臆病な紺スーツたちはトミーたちと同様に、見たこともない奇怪な生き物たちに圧倒されて、いちいち悲鳴をあげたり、互いに抱きあったりして、恐怖にぶるぶるとからだを震わせた。
 アニタはとても愛くるしい小動物が、クリッとした真ん丸の瞳を輝かせてこちらを見上げ、首をかしげている姿に、しゃがみこんで笑顔を浮かべた。
「まあ」
 アニタはその小動物の表情に心が癒されて、思わず手を伸ばして触れようとした。そのとき鉄の弾けたような音がアニタの後ろから響き渡った。アニタがビクッとして振り返ると、そこには銃を持ったグリル議長がじっと立ち尽くしていた。その銃口から硝煙がゆらゆらと宙に浮かび上がっていた。アニタが小動物に目を戻すと、いままでさかんにからだを動かしていたその小動物は倒れこんでおり、その小さなからだからは鮮血が流れ、それはアニタの足許にまで及んでいた。
 アニタが悲鳴をあげて両手で顔を覆うと、、グリル議長は冷酷な笑みを浮かべてそんなアニタを見やった。
「ちょこちょこと邪魔な奴だ」
 そう言うと、銃口から出ている硝煙をフッと息で吹き消した。アニタは目の前で起こった惨劇に目眩がしながらも、キッと振り向いて議長を見据えた。
「なんてひどいことを」
「そんなに怒ることではないだろう?」
「あなたはおかしいわ!」
 アニタはもうどうしようもなく押さえきれない怒りに全身を震わせながら叫んだ。
「そうさ、国一つをおさめようとしている人間が正常なわけがないだろう」
 グリル議長は冷ややかな笑みを浮かべていた。そして手を差し出すと、前方を指差して続けた。
「人類が誕生して以来、永遠に求めつづけてきたものがこのさきにあるのだ! わたしたちの宝が! 君はそれが欲しくはないのかね?」
 グリル議長はいままでアニタに見せてきた穏やかな態度を一変させて、まるで毒でも含んだかのように高笑い、叫んだ。それらの光景を遠くから眺めていたトミーは顔をしかめた。
「そんなものいらないわ! わたしにはもっと大切なものがあるもの」
 グリル議長は一瞬だけ笑うのをやめて、じっとアニタを見つめた。
「もっと大切なもの?」
 一言だけそう言うと、ふたたび吹き出した。
「大切なものだと? 神以上の力を手に入れることよりも大切で偉大なものが、ほかにあるとでもいうのかね?」
「あるわ。わたしはこの旅でかけがいのないものを見いだしたもの」
 グリル議長は怪訝に顔をしかめた。
「トミーや、クイーンさんたちやベネディクトゥス号の人たち、そしてアルベルト将軍。みんな、無知で生きることに希望を持っていなかったわたしに、生きることの意味や大切さを教えてくれたわ」
「それがどうした。そんなもの天馬の力さえあれば、たやすく手に入れることができる。なんなら、わたしがすぐに実演してやろうか?」
 アニタはまっすぐにグリル議長を見据えていた。
「かわいそうな人・・・・・・完全に力に支配されてしまっているのね」
「どういう意味だ!」
 グリル議長は思わず銃口をアニタに向けた。そして怒りに満ちた目でアニタを見据えた。しかしアニタはそれにもまったく怯むことなく議長を見据えつづけていた。
「撃ちたければ、撃ちなさい。わたしは逃げません。わたしが死んでも、その死を悲しむ人は誰もいないもの。・・・・・・わたしの死を悲しんでくれる人は、すでにあなたに奪われているわ!」
「ちがうよ、アニタ!」
 気づいたときには、トミーは思わず立ち上がってそう叫んでいた。アニタやグリル議長、紺スーツの視線がいっせいに少年に降り注いだ。
「トミー・・・・・・」
 アニタはトミーのそのいまの姿をじっと見つめた。すると、あたりの景色がなにやら急速に揺れ始め、目に熱いものが込みあがってくるのを感じた。トミーが立ち上がると、それに続いて三人の白スーツも潔く、堂々と胸を張って仁王立ちした。
「ああ、みんなも」
 アニタの目から涙の粒がこぼれ落ちた。
「アニタ・・・・・・」
 二人は見つめあった。二人のあいだにはもはや何者も立ち入れなかった。
「聞いて、アニタ。もしも君が死んだら、僕は永遠に悲しむよ。ずっとずっと、死ぬまで泣きつづけるよ」
 アニタは我を忘れて呆然と立ち尽くしていた。
「僕らや、帰りを待ってくれている人たちみんなが、アニタのことを思っているんだよ」
「ああ、トミー」
 アニタは左手で胸を押さえて動かなかった。ただひたすらにトミーを見つめつづけていた。白スーツの三人も二人の再会に感動し、それを隠すかのようにうなずきあっていた。
「感動の最中、悪いがね」
 グリル議長が怒りに満ち溢れた口調で遮った。
「やはりあの船は君たちのものだったか。神の島のことをここまで知っていたのは、わたしのほかに君たちだけだったからな」
 議長は険しい表情になって続けた。
「ここへこい!」
 グリル議長が合図すると、いつのまにかまわりに集まってきていた紺スーツたちが一行を取り囲み、銃を突きつけながら、議長のもとに誘導した。
 トミーは小走りにアニタに駆け寄ると、手を握り、温かいまなざしでじっと見つめあった。
「ああ、トミー。やっと、やっと会えた」
「へへ、久しぶり」
 トミーは頭を押さえると、やんちゃに舌をペロリと出してみせた。するとアニタがクスッと笑い、その笑い声がトミーの心を暖めた。アニタは久しぶりに心から笑った。
「なにをしている! こっちを向け!」
 紺スーツの一人が強引にトミーを引き離した。グリル議長は勝ち誇ったかのように微笑しながら一行を見渡した。
「万事休すだね。あの戦いの最中、わたしは確信していたのだよ。君たちはわたしの夢を妨げようとしている害虫であると言うことをね。・・・・・・こんな茶番はもう終わりだよ」
 グリル議長はトミーに狙いを定めた。トミーはじっと立ち尽くし、まったく身じろぎしなかった。
「君がわたしにとってもっとも脅威だということに気づいていた。悪い根は最初に摘んでおかなければね」
『お待ちなさい!』
 グリル議長がいままさに引き金を引こうとしたそのとき、木の陰から白い光が姿をあらわし、それが輝くのを全員は見た。天馬は軽やかに飛び跳ね、トミーとグリル議長とのあいだに割って入った。天馬を始めて見た者たちは、いままで見てきたどんな白よりも輝かしく、美しい毛並みを見て、思わず息を呑んだ。天馬はからだを折り曲げて、グリル議長を見下ろした。しかしその表情はさきほどトミーたちを見ていたものとはうって違い、それは硬直し、冷ややかなものだった。
『グリル』
 天馬はよく透き通る声で言った。グリル議長は一歩後退して天馬を見上げた。
『この星でずば抜けた科学と軍事力を兼ね備え、この星をおのれの手中に飲み込もうとしているメリボルシア帝国の元老院議長。主権を握ったアルベルトを始めとした、軍を監視し、国の治安を守るための長。・・・・・・しかし、その長がどうしてここへ?』
 天馬はさらに顔を近づけてグリル議長を見つめた。議長はさらに一歩後退すると苦し紛れに言い返した。
「なにが言いたい?」
 天馬は鋭いまなざしを向けた。
『わたくしは本来、メリボルシアを見守るはずである元老院の長であるあなたが、なにゆえ、このようなところにおられるのか、不思議でならないのです。なにを考えているのか、いまここで告白なさい』
「わたしは、お前の力が欲しいのだ・・・・・・」
 議長は顔をそむけて躊躇いがちにボソリとつぶやいた。天馬が目を細めるのをトミーははっきりと見た。天馬はしばらく間を置いたが、ふたたび口を開いた。
『よろしい。わたくしについてきなさい。あなたの望む通りにしましょう』
 天馬が身を翻して歩んでいくと、グリル議長や一行、大勢の紺スーツたちのからだはまるで何者かにでも操られているかのように勝手に動き始めた。
「からだの自由がきかねえ・・・・・・」
 ジャックが身じろぎながらうなった。
「なにをするつもりだ!」
 グリル議長が喚くと、天馬はゆっくりと歩みながら、その冷ややかなまなざしを向けた。
『じきにわかりますよ』
 一行がしばらく歩きつづけると、やがて森は途切れ、全員がさきほど一度は見上げたはずである小高い丘にたどりついた。その丘は殺風景でこれといったものは特になく、時折風で舞い上がる砂粒と真っ赤に熟れた実を成している木が一本だけポツリと立っているだけだった。大地は乾燥しきっていて、草木はたとえ一本たりとも根付いてはいなかった。一本の木に熟してある実はなんとも妖しく輝いていた。
「あれは?」
 呪縛から解き放たれて自由の身となったグリル議長は、天馬の真横に立ってそう尋ねた。天馬は木をまっすぐに見つめながら答えた。その天馬の瞳にはなんとも表現しようもない、悲しみやら、なんやらの特別な感情を抱かせていた。
『あれは生命の木です。あの木の実を食べれば、あなたは神と同様の力を手に入れることができる』
 アニタはハッとして天馬を見つめた。
〈そうなんだ。ここがエデンの園〉
そして生命の木といえば、霊の姿であらわれたアルベルト将軍が教えてくれた、あのアダムとエヴァが知恵の木の実を食べたことによって変化をもたらした禁断の木の実。
「おお、これが!」
 グリル議長はこれから実現するであろう、この星を支配する自分の姿を脳裏に描いた。議長は木まで走っていくと、無雑作にその実を毟り取った。サクランボほどの大きさの、掌におさまるほどの木の実だった。
〈だけど、だけどあれは〉
 アニタは冷や汗が全身を伝わるのを感じて身震いした。あれは決して人間が口にしてはならない、神の力そのものを兼ね備えた伝説の木の実。もしもグリル議長があれを口にすれば、この世に二人存在してはならない神が誕生してしまうことになる。天馬は知っているはずである。それならどうしてこの男の暴走を止めようとしないのか?
 グリル議長は大胆に木の実を口のなかに放り込むと、それを味わうことなく思い切って飲み込んでみせた。トミーやアニタ、白スーツの三人、大勢の紺スーツたちはじっとその様子を見守っていた・・・・・・。
 ビクン!
 グリル議長の心臓が一瞬だけ飛び跳ねた。
〈なんだ? からだが熱い〉
 グリル議長は腕に突然の痒みを感じて、呆然と腕を眺めた。
「なにがあったんだい?」
 クイーンが眉をひそめながら、トミーの耳元で囁いた。トミーは黙って首をひねった。
 グリル議長は自分の腕の血管が急速に浮き上がるのを見て、目を大きく見開いた。
「どうなっている!」
 グリル議長が苦しみのうちにもがいた。
「助けてくれ! からだが熱い、痒い。胸が張り裂けそうだ!」
 一行や大勢の紺スーツたちは信じられない出来事に目を見開いた。議長は苦しみに耐え切れずにその場にうずくまったかと思うと、そのからだから数おびただしいまでの体毛が全身に生え巡り、下半身は野獣の姿へと変貌し、それはたちまちグリル議長を飲み込んでいった。グリル議長、いや、その獣は着込んでいたスーツをぶち破ると、両手を繰り広げて島中に響き渡るほどの雄叫びをあげた。
 獣は暴れ始めると、近くにいた紺スーツの一人を巨大で無骨な手で鷲づかみにし、引き寄せてその男の首を一回転させてみせたのだ。トミーを始めとした一行も、紺スーツの男たちもそのあまりにも残虐な光景に思わず戦慄し、次に獣が動き出した瞬間にいっせいにワッと逃げ出し始めた。獣は人々が逃げ出すのを見ると、それらを追いかけ、逃げ遅れた紺スーツたちを次々と餌食にした。
 アニタがごつごつした石ころに足を取られて横転した。アニタの小さな悲鳴に獣の視線が向けられ、獣はものすごい迫力でアニタに迫ってきた。
 トミーはあまりの恐怖に動けなくなってしまったアニタをかばい、白スーツたちはまたその二人をかばうために銃を連射し、獣の動きを食い止めた。一行が危機を潜り抜けると、獣はふたたび雄叫びを上げた。
 その場にいた全員がその雄叫びに驚愕し、すくみ上がると、天馬は一行をそっと森の影に導いてくれた。一行はその影から見えるおぞましい光景を目の当たりにしていた。
「いったい、なにがあったの?」
 驚きに心臓が口から飛び出してしまいそうなほどに緊張していたアニタは血相を掻きながらそう尋ねた。天馬はその光景から目をそむけた。
『あれが、人間が生命の木の実を口にしたときの姿なのです』
「どういうこと?」
『神がアダムとエヴァに木の実を食べることを禁じていたのは、神と同様の力を手に入れることを恐れたからでもありますが、じつはもしも人間があの木の実を食べれば、人のからだはその膨大な力に耐え切れなくなり、見るも恐ろしいほどの変貌を遂げてしまうからなのです』
「あなたはそれを知っていたの?」
『知っていました』
「それならどうして止めなかったのですか?」
 天馬は目を上げて、紺スーツたちを追い詰め、むやみやたらに、そして残酷に殺していく獣を見つめた。
『悔しかったのです』
「えっ?」
『わたくしは長いあいだ、この島を守りつづけてきました。この星を守り、神に仕え、生命を見守ってきました。しかし人間という生き物が誕生して、アダムとエヴァがあの過ちを犯したとき、わたくしの心は掻き乱されました。人間は月日が経つにつれて、一度は忘れかけていたあの力をふたたび欲し始めたのです。わたくしは人間というものに失望しました。もう一度、この愚かな生き物に多大なる罰を与えてしまえばいいと考えるようになりました。・・・・・・愚かでした。神の使いともあろうものが、そのようなことを考えてしまうとは。しかしわたくしにはその衝動を抑えることができなかったのです。だから、あろうことかわたくしはあの男を犠牲にして人間に思い知らせようとしてしまった』
 天馬はいったん言葉を切って、ふたたび口を開いた。
『あの獣を止めにいきます。わたくしがあの獣を仕留め、そしてわたくし自身も倒れたら、あなたがたはこの島を脱出なさい』
「どういうこと?」
 トミーは天馬に寄り添った。
『わたくしは守れといわれていたこの木を守りきれなかった。神はわたくしに死を与えることでしょう』
「そんな・・・・・・」
 トミーの目に涙が宿った。
「この星はどうするのさ? あなたがいなくなったら、人間はまた好き勝手なことをやってしまう」
『トミー』
 天馬はトミーを優しいまなざしを向けた。天馬がたてがみを振ると、白い光が散り舞った。
『あなたがたがこの星を守るのです。あなたがた人間にはそれができる』
 天馬はそう言い残すと、森から飛び出していった。そしてものすごい勢いで獣に飛び掛っていくと、そのまま激突し、猛風と稲妻があたりを飛び交い、二つの塊は相殺してその場から消え失せた。
 天馬と獣がいるはずの空間にはなにも存在しなかった。島が揺れ動き出した。
 トミーの真下の地盤に亀裂が走ると、トミーはその亀裂の隙間に足をすくわれた。
「トミー!」
 アニタがそう叫んだのが聞こえたが、亀裂に落ちたのと同時に、トミーの意識は闇のなかへと吸い込まれていった・・・・・・。










     
二人の結び

 トミーは夢を見た。いや、それがもはや夢であったのかさえもよくわからない。地面に亀裂が走り、からだの自由が奪われ、その闇のなかに落ちていった瞬間、トミーの意識もそれと同時にその淵へと落ちていったのだ。トミーは死を悟った。恐怖も苦痛も感じ得ない、なにひとつ存在しないただの真っ暗闇の世界。どうしていようともほとんど察しがない。楽以外は感じられないのだ。自分を取り巻いていた生命の鎖から解放された自由によって、そのからだの隅々までもが歓びに満たされていた。
〈自由になれる・・・・・・〉
 トミーは心の底から安堵した。闇へ落ちていくなか、はるか彼方からまぶしい白い光が瞳のなかに差し込んできた。トミーは思わず目を細めてその光を見据えた。
『いいえ、まだその時ではありませんよ』
 天馬は言った。
『あなたはこの星を守っていかなければなりません』
 トミーは天馬を見据えると、うんざりしたような調子でそれに答えた。
〈もうたくさんだよ〉
 トミーは天馬から顔をそむけた。
〈あなたが言ったように、僕自身も人間というものに失望しました。それはなにも、あのグリルに限ったことではなかった。僕たち一人ひとりがそうなんです。ただの欲の塊だ〉
『・・・・・・』
 天馬はいつのまにか頭上に広がっていた夜空の星星を仰いだ。星の輝きは二人を照らし出した。
『たしかにそうかもしれませんね。だけどこれを見たらあなたは生きることに対する気力をふたたび取り戻すことでしょう。御覧なさい』
 トミーは天空を見上げた。そこには地上から見えたような点々とした光ではなく、一つひとつの星の光までもよく見ることができる。トミーはハッとして下を見た。いままで闇となっていた底は、いつのまにか宙になっており、はるか下界には、人が住んでいるらしき灯りが見えた。自分のからだはそのなかに浮いていたのだ。トミーはあわててバランスを取るようなしぐさをしてみせ、それを見た天馬は小さく微笑んだ。
『わたくしの背に乗りなさい。この星の美しさを見せてさしあげましょう』
 トミーはうなずいて、天馬の背を跨ぐと、天馬はものすごい速さで天空を飛び跳ね始めた。天馬はあらゆる景色を通り過ぎ、どんなに高い山々よりもさらに高い空を舞った。トミーは振り落とされないようにしっかりと天馬に捕まってはるかに小さく見える下界を輝く瞳で見下ろした。
〈すごい! すごいや!〉
 トミーははしゃいだ。ありとあらゆるものが小さく見え、天空の冷たい風が頬を愛撫して気持ちよかった。トミーの涙の欠片が天空を舞った・・・・・・。

 トミーが目覚めると、目の前には心配げなまなざしを向けるクイーンとジャック、キングの姿が自分を囲んでいた。
「おっ、目覚めたな」
 ジャックがそう言うと、トミーは起き上がってあたりに目を凝らした。
「あのう、アニタは?」
 トミーはあたりを見回してアニタのいないことを確認すると、少々興奮気味にそう尋ねた。
「アニタは庭にいるよ。・・・・・・あっ、ちょっと待ちなさい」
 トミーはクイーンの静止を聞かずに、勢いよく飛び起きると外を目指して出口の扉を開け放った。知らない家のなかだったが、いまはそんなことになんの感慨も抱かずに、ただひたすらにアニタを求めた。
「ここに奉られているのは?」
 ネオ親方はその家の庭で、両手を束ねながら墓前に祈りを捧げるアニタのうしろ姿を見つめた。
「この人は偉大な学者でした。つねにこの星の未来を見据え、不安に思っていた人なんです」
 トミーが勢いよく扉を開けると、地面に両膝をついていたアニタは振り向いてトミーに微笑んだ。ネオが微笑しながら家に戻っていった。
「もう起きて平気なの?」
「平気さ」
 どこか悲しげなアニタの笑顔だった。トミーが明るく答えてみせると、アニタはふたたび墓標に目を戻して手を合わせた。トミーが怪訝に顔をしかめてアニタの見ているものを覗き込むと、そこには小さな墓標があった。アニタはその墓標にひたすら祈りを捧げていたのだ。
「これは?」
 トミーがそう尋ねると、アニタは目を開けた。
「アルベルト将軍のもの」
「将軍の?」
 アニタはうなずいた。
「そう。こうしてここにいるとアルベルト将軍の声が聞こえてくるの」
「そうなんだ・・・・・・」
 アニタがその墓前にずっとたたずんでいると、どこからかアルベルト将軍の声が聞こえてきた。
『悲しいのかね?』
〈ええ、少しだけ・・・・・・〉
『悲しむことはない。天馬が言っていたように人間は欲望の生き物だが、決して愚かではない。人間はこの星を守ることができるはずだ。わたしはそう信じている』
〈そうかもしれません〉
『君はまだ長い時を生きることが許されている。希望をもって、わたしや犠牲となった多くの人々の分まで生きなければならない。ネオ親方はいい人だ。きっと君たちを幸せにしてくれるだろう』
〈ほんとにそうですね〉
 アニタは墓標を見つめた。
〈一つ聞いてもいいかしら?〉
『なにかね?』
〈生きることって、どういうことなんでしょうか?〉
『辛いこと、苦しいことばかりかもしれない。しかし一つひとつの生命が生きていることにはしっかりとした価値があるのだよ。その価値は自分自身で見出すものだ』
〈わたしは子供だからまだよくわからないけど、天馬はわたしたちに出会いというとても素敵な宝物を与えてくれました。それもまた一つの価値だと思うんです〉
 アニタは微笑んだ。

                                           〈 完 〉

神の島の天馬

神の島の天馬

  • 小説
  • 長編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-06-03

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted