【La vita con il pianoforte】

ピアノラボ

 年齢を重ねることは、未体験ゾーンに足を踏み入れることと同じなのかもしれません。予めその世界を学び、イメージすることは出来ても、予め体験しておくことは決して出来ないのです。
 そして、それは、人生に限った話ではありません。あらゆる動物も植物も……もっと言えば、国も街も海も山も科学も音楽も、みんな一緒です。

 勿論、ピアノも。

 数年前の話です。お世話になっているアマチュア合唱団の選抜メンバーが、某老人ホームにて、慰問コンサートを行うことになりました。会場には、一台のアップライトピアノがあり、当日はそのピアノを使うことになった為、調律のご依頼を頂きました。

 実は、ご依頼を頂いた時は、ネガティブな想定ばかりが頭を過ぎりました。それは、過去の体験に基づいているのですが、こういった施設に設置してあるピアノは、様々な事情があり、メンテナンスが不充分なケースが圧倒的に多いのです。
 当日の限られた時間だけで、ろくに音も出せない(かもしれない)状態のピアノを、コンサート仕様にまでセットアップすることは、実質的には不可能です。従って、「最低ラインをどこまで下げるか」という、非常に後ろ向きなスタンスから取り組まざるを得ない、何とも悲しい作業になる可能性が高いのです。

 しかし、このピアノの場合、良い意味で予想を裏切られました。十分過ぎるぐらいに、使用可能なコンディションを維持していたのです。過去のメンテナンス履歴を見ましても、ほぼ毎年手入れされていることが確認出来ます。
 ピアノの保守に費やす予算や熱意が不十分なことが多い介護施設のピアノとしては、非常にレアなケースと言えるでしょう。
 では、何故この施設では、ピアノのメンテナンスに注力してきたのでしょうか?施設の方にお話を伺ったところ、非常に“面白い”お話を聞かせて頂きました。

 その施設に入所されている方で、もう100歳に近い、あるおばあちゃんの話になります。担当者の話によりますと、その方は全く年齢を感じさせない程足腰はしっかりしているのですが、早くから認知症を患っており、すでにご家族のことも理解出来ておらず、会話も困難なことがあるそうです。
 ところが、時々おばあちゃんは1人でホール(食堂兼談話室みたいなところ)にやって来ます。一目散にピアノの前に来ては、ピアノ椅子に腰掛け、鍵盤蓋を開け、おもむろにピアノの演奏を始めるのだそうです。

 どうやら昔は、この地域ではそこそこ名の知れたピアニストだったそうです。
 ピアノと共に歩んだ人生は、歳を取る毎に余分な贅肉を削ぎ落とし、不要なモノを捨て、あらゆる欲を失い……そして、認知症になり、少しずつ記憶も失われたのです。
 砂時計の砂が落ちていくように。

 しかし、奇跡的に零れ落ちることなく、最後に残されたモノが、ピアノだったのでしょう。
 おばあちゃんにとってピアノを弾くという行為は、立ったり座ったり、歩いたり食べたり眠ったり……といった、本能に近い行動へと昇華されたのかもしれません。家族も忘れ、想像すら出来ない人生も真っ白に塗り直され、それでも最後にピアノだけは綺麗に残されていたのです。
 いつしか切り離せなくなった習慣で、ほとんど本能とも言える感覚で、無意識にピアノと向き合うのでしょう。そして、自然と指が動き、音楽が紡がれる……そこに、おそらく理性はありません。

 何とも切なくて、悲しくて、そして、何故か少しだけ嬉しくて……様々な感情が交差し、涙が出そうになりました。
 そして、そのおばあちゃん、時々演奏を終えると、施設の方に言うそうです。

 「でら音狂っとるが。はよ調律しやぁ」

 どうやら、音楽的な聴力も健在のようです。そのおかげでしょうか、こういった施設に置いてあるピアノとしては、過去に見たことがないぐらいの良いコンディションが保たれておりました。

 おばあちゃんはピアニストとして、どのような人生を歩んできたのでしょうか。どこでキャリアを積み、どのような演奏をしてきたのでしょうか?
 野次馬的な関心もありますが、でも、もう過去なんて詮索すべきではないでしょう。おばあちゃん自身にとっても、今となってはどうでもいいことかもしれません。

 それに、多分……今はおばあちゃんもピアノも幸せに違いありません。

【La vita con il pianoforte】

【La vita con il pianoforte】

最期に残る記憶は何でしょう

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