黒キ日常 第2話

「復讐代行業者という裏稼業を知っているか?」
これはその裏稼業に手を染めた男の物語。

 その店は感じの良い小洒落た喫茶店、といういかにも若者の好みそうな雰囲気とは程遠い、町外れにある寂れた喫茶店だった。客足は少なく、いかにも気難しそうな初老のマスターが一人で営んでいる。
 店にはそこかしこにどこの国で買い集めたのか知れない奇妙なアンティークが並んでいる。私が選んで座った席の場合は、パイナップルのような形の仮面を被った踊り子の焼き物がテーブルの端にぽつんと置かれていた。その横には粗末な字で字数の少ないメニューが置いてある。
 席に着いてからしばらくして、私は自分の分と待ち合わせ相手の分とでホットコーヒーを2つ注文した。店のマスターは私の方をチラリと一瞥すると、頷いただけでさっさとカウンターの向こうに去ってしまった。この店を仕事に利用するのは初めてではない。プライベートでも度々足を運んでいるが、私はどうやらこのマスターは口が利けないのだな、と睨んでいる。別に言葉足らずなマスターに対する嫌み、というわけではない。事実この気難しそうなマスターが口を開いた姿など一度としてお目にかかった事がないのだ。小さな喫茶店、しかも客足が少ないとはいえ、よくも一人で店をやっていけるものだ。
  店に入って奥のカウンター席には、一人の中年にさしかかった男が座っている。何度かこの店で顔を見た事があるからおそらく常連客なのだろう。見窄らしい風貌で、どっかりと自分の席を占領していた。いつものんびりと余暇を楽しんでいる、という風ではない。むしろ一人慌ただしい様子で、新聞やら専門誌やらを片手に、何やら使い古されたメモ帳にメモしているようだった。男は至極つまらなそうに溜め息を吐いては、時々グラスの中の残り僅かなアイスコーヒーを啜っていた。察するに、グラスの中に氷が無いあたり、最初から長居するつもりで氷なしを注文しこの一杯で粘っているのか、それとも最初は入っていた氷もすべて溶けてしまうほど既に長居しているのか。何にしてもこの望まれぬ常連客に対するマスターの視線は、今はグラスに無い氷よりもさらに冷ややかなものだった。
 男はメガネをかけたり外したりしては、ブツブツと独り言を喋って調べものを続けていた。見ていて妙な様子だ。最初はスポーツ新聞と睨み合いながら公営ギャンブルの博打打ちかとも思ったが、新聞が経済新聞であるあたりどうやら株か為替の値動きでも計算しているようにも見えた。何にしても到底私には関わりの無い、理解に苦しむ世界の住人であった事は他ならない。
 やがて私の待ち合わせの相手よりも先に、彼の待ち合わせ相手が来店した。店のドアは建具の金物が錆びているのか、傷んでいるのか、古い建物独特の「キィーキィー」という耳障りな音を静かな店内に響かせた。無様だが、差し詰め呼び鈴代わりにでもなっているようだ。
 相手の男はこんな寂れた店には似合わない高級なスーツをきっちりと着こなしており、顔はそのへんの男とは明らかに異なる美形の部類で、背丈も人並み以上であった。その整った容姿をひけらかすでもなく、待ち合わせの相手は奥のカウンター席にいる常連客を『先生、先生』と何度も呼んで直ぐに一緒に店を出て何処かへ同行してくれるよう頼み、常連客の中年男を異様に急かしていた。常連客の男の方はというと、切迫した相手の態度とは裏腹に気の進まない様子で新聞紙を畳み、メモ帳と共に小脇に抱えて立ち上がった。彼は面倒くさそうにふけだらけでボサボサの頭を掻きじゃくると、乱暴にテーブルの上に千円札を一枚置いてさっさとお迎えの者と共に立ち去っていく。釣りは受け取らない、今時珍しい人種らしい。案外とある業界ではとんでもない大物なのかもしれない。見窄らしい風貌からは、とてもそんな風には見えなかったが、しかしあのお迎えの優男の目には、明らかに羨望の眼差しが秘められていた。自分もかつてああいう目をある男に向けていたからわかる、というような似通ったものを嗅ぎ分ける本能が不意に働くのだ。洞察力が異様に発揮されるのは、つまらない職業病のようなものか。
 私の注文したホットコーヒーが来るまでには今しばらくかかるようだった。ここの店が注文を受けてから客に出すまでの遅さはいつもの事だ。それよりも、こうして無意味な観察をしていた退屈凌ぎは、自分の待つ相手がまだ現れないために他ならない。何故なら私は待ち合わせの時間より1時間近くも前にこの店で待っているのだ。相手が遅れる分にも、自分が遅れる分にも、私は寛容ではない。時間にルーズな人間ほど、信用のおけないものはないからだ。
 そんな他愛もない事を一人考えているうちに、マスターが今し方産地ブラジルからコーヒー豆を買い付けてきた、とでも言わんばかりの遅さで私の注文した2杯のホットコーヒーのコーヒーカップを盆に乗せて持ってきた。それらは既に所定の位置が決められている事を前提として、パイナップル踊り子の置物と私の待つテーブルに置かれる。一つは私の目の前に、もう一つは向かい合わせの席の前に。忘れた頃にやって来たが、この店の気難しいマスターに悪びれた様子は微塵もない。客は私一人だというのに、少しばかりあんまりではないか、などと思ってはいけない。別にそんな苦言は私の方にもないのだ。そもそもこれも見越して私は予定より早めに来て待っているのだから。まして何分以内に必ず持って来る、とでもどこかに書いているわけでもいない。このマスターがどう考えているのかは知れないが、客に美味いコーヒーを提供するのが目的で心血を注ぐマスターの喫茶店に対して、余計な詮索は無粋というものか。と思ったのも束の間、マスターは深い溜め息を吐いてカウンターの向こうへと去ってしまった。自分の店に対する異様な拘りはあるのだろうが、心血を注ぐ、とまでの情熱もサービス精神も別にこの男は持ち合わせてはいないのだ、とつくづく痛感させられる。前言は撤回しよう。内心、どこか納得のいかないような感情もあったが、私は密かにその感情を押し殺した。
 テーブルに置かれたコーヒーカップから立ちのぼる芳しい香が私の鼻孔を刺激する。
「むぅ……」
 変わりない、上質なコーヒーだ。そう、いつまでも変わりのないというのはなんと素晴らしい事か。徐に一口啜ると好みのほろ苦くも奥深い風味が口の中に広がる。この空間はこの瞬間を以て初めて完成すると云っても過言ではない。
 寂れた店内も、無愛想で口の利けない気難しいマスターも、この店中に置かれた奇妙な置物の数々も、すべては渋みのある哀愁をまとったものに一瞬でも思えてしまうのだ。
 だが、これは私好みのコーヒーが私の嗅覚と味覚を刺激した事による錯覚であり、一種の幻覚作用である。寂れた店は寂れた店に過ぎず、無愛想なマスターは無愛想なマスターに過ぎない。そして奇妙な置物が奇妙な置物に過ぎないのは云うまでもない。だが、私がこの店をなかなか気に入っているのは確かである。世の中の趣向といったものは往々にしてこれに似たり寄ったりであり、こういう曖昧なものなのだ。
 じっくりと楽しむ間もなく、私の待ち合わせしていた相手がやって来た。まるでコーヒーが淹れられる時を狙って待っていたかのように。あるいは客が私一人になる時を見計らっていたかのように、か。男はあの「キィーキィー」と鳴る建具の金物の音を呼び鈴代わりにドアを開けて入ってくると、自分の席を探す素振りもなく真っ直ぐに向かってきた。
 ツカツカと靴が床を叩く音を立てて男は私の目の前までやって来た。古い床はギシギシと軋むが、大柄な男が私の席に行き着くまでマスターは見向きもせず、カウンターの向こうでタバコを吸いながら文庫本片手に座っていた。
「やぁ、待たせたかな。まだ予定より15分は早いはずだが……」
 そう言いながら私の向かいの席に腰掛けたこの男こそ、私の裏の稼業での仲介人だ。本名かどうか定かではないが、男は村岡と名乗っている。私は村岡の顔を睨みつつコーヒーカップに口をつけた。
「そうおっかねぇ顔をするなよ、黒木さん」
 耳障りで軽快な喋り口調は相変わらずで、常に表情を崩してこちらのご機嫌伺いといった様子だが、その目は僅かばかりも笑ってはいない。
 ハンチングを被り、口元と顎には無精髭、頬や顎に脂肪のだぶついたひょうきんな顔、前に突き出た腹は典型的な肥満体型だが、ポロシャツを着こなしているゴルファーのような服装からも太く逞しい腕は確認できた。伊達に裏の世界でこれまで食ってきた人間ではない。
 村岡は目の前のコーヒーをぐっと喉に流し込むと、自分の好みではなかったとばかりに顔をしかめてコーヒーカップをテーブルに置いた。それから一つの紙袋を私に差し出した。中にはいくつかの品物が入っている。一つはクリアファイル。それから前の仕事の成功報酬と次の仕事の前金。2つの札束の厚みからして合計で百万前後といったところか。私は無表情のままそれを手渡しで受け取るのだった。金の動きも、ターゲットの資料も、一切の証拠を残さないためには、あえて接触の危険は犯しても取引は手渡しと決めている。無論それに相応しい場所は選ぶが。例えばこんな喧騒とは無縁の、寂れた喫茶店なんかがお似合いだ。
 紙袋からクリアファイルを取り出して内容に目を通す。次のターゲットの顔写真、経歴、現在の居所、職業。村岡にはほんの数分疑問点と注意点を訊ければ、取引はそれで十分だ。仕事を断るという事は報酬が見合わない限りまず無い。これも信用のうちだ。他に受ける同業者はいくらでもいる。抜きん出て認められるにはそれだけの仕事をするだけの事だ。
 この稼業での取引は、もう何度目になるだろう? 目の前の食えない男と顔を突き合わせるのも、もう何度目になるだろう?
 私は用を済ませると受け取った紙袋を小脇に抱え、村岡を置いてさっさと立ち去ろうとした。用が済んだらこんな場所に長居は無用だ。
「表の方での仕事かい?」
 皮肉のこもった村岡の声を去り際に背中で受け止めて、私はその場を後にした。

黒キ日常 第2話

ハードボイルドに近いミステリーを書きたいと思い、イメージしたのが黒木というキャラクターでした。

迫力と哀愁ある作品として認めて頂ければ幸いです。

黒キ日常 第2話

普段は清掃員をしている独り身の中年男、しかし夜には復讐の代行業者という裏の稼業に手を染める男、黒木。 裏社会で執行人と怖れられる彼は、一人の元刑事に追われていた。 次々に遂行していく奇妙な依頼……そして過去に巻き込まれた殺人事件『佐伯殺し』……。 男は腐敗した90年代のダークサイドに何を視たのか。

  • 小説
  • 短編
  • アクション
  • サスペンス
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-06-03

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted