秋になったら地球からいなくなる

 夕暮れの頃、秋になったら地球からいなくなってしまうキミを想い、すこし泣くことを日課とし、ぼくはきょうも正常に呼吸し生きているが、キミがいなくなったら地球の酸素は汚れてしまうかもしれないと、まことひそかに懸念している。
 キミは犬が好きである。猫が好きである。蟻が好きで、飛蝗も好きで、その同列で、ぼくのことも好きであることを、ぼくは知っているし、ぼくはその程度の存在でもかまわないと思っている。キミとは桜の散る頃、絵画教室で出逢った。ぼくは美大を目指しているが、秋になったら地球からいなくなるキミは「おれの星では絵を描くことが禁止されていたから」と、鉛筆や絵筆をたどたどしくも自由に走らせ、万人には少々理解しがたい独創的な世界を繰り広げていた。鳥の顔をした鳥人間が少女に小さな花を贈る絵。道路のど真ん中で今にも大型トラックに轢かれそうな男ふたりが愛おしげに抱き合っている絵。(曰く、このふたりは兄弟であるそうだ)海でくらげと人間の女性が交尾している絵。(くらげが女性に巻きついているだけのようにも見えるが)
 ともあれ、キミは秋になったら地球からいなくなってしまうわけで、地球を去らなくてはいけないのは「家庭の事情なので致し方ない」というのがキミの言い分である。ぼくは教室の中央で椅子に座っているモデルの男の人の姿を、男の人が着ているワイシャツのしわを、陰影を、腕の長さを、膝の位置を注視しながらも、おそらくモデルの男の人などデッサンしていないであろう、少し離れた席でカンヴァスに鉛筆を走らせているキミのことばかりが気になる。ぼくよりも膨よかであるが、ぼくよりも小食なキミ。絵画教室のあと、駅前のハンバーガーショップでハンバーガーを食べながら語らう時間は、生まれて十八年のあいだで最も貴く、清く、愛おしく、狂おしい時間であった。心地よい感じと、心地悪い感じが入り雑じり、早く帰りたい気持ちと、まだ帰りたくない気持ちとがせめぎあい、キミの口元についたハンバーガーのケチャップを舐めとってあげたい親鳥のような心境や、地球のことをまだ何も知らないで無邪気なキミを貶し蔑みたいという、いじめっ子のような心理状態で、ぼくは「いつ食べてもハンバーガーはおいしいね」と微笑むキミのことを見つめていた。ぼくがチーズバーガーとフライドポテトをもりもり食べているのに対し、キミはいつもハンバーガーひとつをゆっくり、食べ終わってしまうことを惜しむように時間をかけて食べるのだった。
 キミにとって、ぼくという存在が、犬猫と対等でも、蟻や飛蝗と同列でも、ぼくがキミを好きであることに変わりない。たとえキミが地球から去ろうとも。
 恋愛に制限はないのだと、キミは言ったね。キミの星では男は女としか結婚できないとか、ヒトはヒトとしか交われないとか、そういう決まりは一切なくて、好いた者同士が結ばれることができるという。男と女。男と男。女と女。ヒトとヒト。ヒトと獣。ヒトと昆虫。果ては家電量販店の店先に飾ってあった俳優の等身大パネルや、タータンチェックのクッションカバー、リサイクルショップで売っていたコーヒーサイフォンと結婚したヒトまでいるというのだから、ぼくが異星人であり男であるキミのことが好きで、キミと添い遂げたいとひっそり思い願っていることは、キミの星ではごく当たり前の事象であるということ。
「ぼくも、行きたいなァ。キミの星に」
 夏休みのある日、絵画教室の帰りのハンバーガーショップにて。
 いつものようにゆっくり、丁寧に、時間をかけてハンバーガーひとくちを咀嚼しているキミが、ぼくのつぶやきを聞いて微笑んだ。
「いいよ。おれは歓迎する。でも、おれの星にきたら、おまえ、絵描けなくなっちゃうよ」
「あ、そっか」
 それから、と言って、くちびるを舐めるキミは、誰よりもかっこよかった。口元にケチャップはついていなかったし、くちびるが乾燥している風でもなかったが、赤い舌でうすいくちびるを舐める仕草は艶めかしく、キミには少し不似合いにも見えた。
 なんか、蛇っぽい。とも思った。
「言ってなかったけどウチの星のヒトたち、雑食なんだ。おれも星に戻ったら、本来の姿に戻るから、もしかしたらおまえのこと食っちまうかもしれないけど、いい?」
 キミの本来の姿、とやらを想像しつつ、キミに頭を、腕を、脚を、からだのなかのあらゆる臓器を、ばりばり食べられる妄想に耽る、ぼく。食べかけのチーズバーガーを、手に持ったまま。
 交われなくとも、キミとひとつになれる。
 キミが描く、万人には少々理解しがたい独創的な世界の住人に、ぼくもなれる。
 これ以上の幸福があるだろうか。地球の人よ。

秋になったら地球からいなくなる

秋になったら地球からいなくなる

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-06-03

CC BY-NC-ND
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