中華粥

かぜをひいた。動くとあたまがぐらぐらする。やたらまぶたが重い。粘度のない鼻水がひたすら出る。喉がいがらっぽい。けれど元々体が丈夫じゃないので風邪をひくのは慣れっこだ。いや、慣れっこといってもきついことには変わりないのだが。幸いにも今日は土曜日だから一日ゆっくりしよう。さっき恋人に電話をしたら心配して あとでお昼ご飯を作りにいくよ と言ってくれた。私の恋人、ユタカは料理が上手だ。特にオムライスの卵の絶妙なとろけ具合なんかは一流の洋食屋にもひけをとらないのではと思う。ユタカは私がたびたび風邪を引いたときなんかにはいつも中華粥をふるまってくれる。しいたけやとりだんごが入っていて仕上げに刻んだ白ねぎを散らしたこれがまた絶品で、ユタカの中華粥のためになら毎日風邪を引いてもいいかなと思ってしまうほどだ。私はだらしがない女なので、毎日の夕飯はほとんどユタカに甘えっきりで、いつも彼の振る舞うごちそうに手放しで瞠目している。ユタカはそんな私にいやな顔ひとつせずに、住まいが二駅離れているにも関わらず、毎日の退勤後に嬉々として私の家に夕飯を作りに来てくれた。 
 そんなユタカは近頃私の家に来る度そろそろ同棲をしないかと持ちかけてくるようになった。しかし私はそれをいつも曖昧な返事で流してしまう。私はユタカが少し前から浮気をしているのに気付いていたのだ。ユタカとの表面上の関係は良好だと思う。わたしはユタカがすきだ。一緒に住んでもうまくいくだろうなあと思う。しかし一枚皮を隔てたところ。深い個の業のようなものを追求するには私たちの関係はうまくいきすぎている。私にはこの生活のなかでユタカに浮気のことをどう切り出せばよいのか全くわからなかった。一人でいるときふと灰色になり考えあぐね、しまいに途方に暮れてしまう。そしてユタカといるときはそんなことをほとんど忘れてしまう。堂々巡りだ。結局私のささやかな自棄のうえに成り立つ能天気な交際だったのか。そしてそれは日増しに私に不安を募らせていく。
そしてベッドの中でそんなことや、ユタカは何時くらいに来てくれるのかな…などとぼんやり考えているうちにいつの間にかくらくらと寝入ってしまっていた。



「ユミ、ユミ起きて」
体を優しくゆすぶられて目が覚めた。ぼうっとしながら体を起こすと目の前のテーブルに中華粥が一人ぶん拵えてある。ユタカは私の枕元に腰掛けていた。
 まだもやがかかっている頭で私はそれを認めてがらがらの声でユタカにありがとう、と言っておもむろにするすると中華粥を食べた。ほんのり甘くて少しごま油が効いてて、ユタカそのもののような味だ。鼻が詰まって味覚が鈍っていたが私はそれを十分に味わえた。ぼうとあたたかい気持ちになれた。そして徐々に頭もはっきりしてきた。
「熱は?もう下がった?」
「まだあるみたい」
「はかったの?」
「はかってない、はかってみる」部屋の隅の抽き出しにしまってある体温計を取りに立ち上がろうとするとユタカはそれを制して体温計を差し出してくれた。それから私のおでこに手をひたとあてた、ユタカの手はつめたくて胸がすうっとした。
「熱はあんまりないみたいだね」
「ほかになにか食べたいものはある?一応りんごとヨーグルトと、あとスポーツドリンクは買って来たけど」台所に戻って洗物をしながらユタカはそう訊ねた。
「ユタカ」
私はなんとなくその名前を呼んでみた。とたんにユタカのことで胸がいっぱいになった。なんだか泣きそうだ。
「ん」
「晩ご飯も中華粥がいいな」
「いいよ、熱は計れた?」
腋に挟んだデジタルの体温計を見ると表示されている数字の少数点のところが点滅していた。眺めていると数値が36・6°Cから36・7℃に上がり、それにともないアラームが鳴りだした。ピピピ ピピピ それはまるでユタカには共有できない私だけの秘密のように密やかに鳴っていた。 
ユタカは台所でスマホをいじりながら換気扇を回して煙草をふかしている。「このままでもいいよね」私は心のなかで反芻してみた
「このままでもいいよね…」

中華粥

中華粥

  • 小説
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  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-06-02

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