黒キ日常 第1話

「復讐代行業者という裏稼業を知っているか?」
これはその裏稼業に手を染めた男の物語。

 20年近く前になる。時代は90年代も半ばに差し掛かっていた。この頃の私は世界とは形容しようのない混沌とした得体の知れないものだと認識していた。そして、私はただ独り取り残されているような孤独感を密かに抱いていたのだった。あるいは自分がいつ死のうがどうでもいい、そういう風に心のどこかで思っていたのかもしれない。
 あの頃私が住んでいたのは、誰もが死人にでも化けているような、そんな町だった。死んだ魚のような目をしたその連中は、生き甲斐も将来の希望もなく、同じような毎日をなんとかやり過ごしていくのみ。そうして自分に残された時間をただ浪費していく。その連中には私自身もどうやら含まれているらしかった。
 世の中は馬鹿げた好景気に振り回されていた少し前の時代の余韻を残しながら、刻一刻と崩壊の一途を辿っているらしい。
 危機感とは無縁で鈍感な偽善者共の虚偽に対して、もっともらしく頷くこの国の文化というべきか、風習というべきか、この悪い癖はいつになっても呆れるほどに相変わらずだ。そんな嘘で塗り固められた世の中は話題こそその都度変われども、どれを取っても実に曖昧で滑稽なものだった。敢えて挙げるとすれば、次から次へとメディアに出現する、専門家だの評論家だのと名乗るどこかのとある権威みたいな連中ほど信用ならないものはなかった。どこから引っ張り出してきたのか知れないが、脳天気な道化の連中がよく使う『データに基づいた』などという言い回しから始まる感想やら予想やらの解説と物議は、私に関心を抱かせるどころか、心底この国への失望で飽き飽きとさせていた。
 この連中の吐く言葉の一つ一つは、国を蝕む猛毒のようなものだと私は思う。連中から唐突に飛び出すとんでもない余計な一言が、人々の根拠無き不安や怒りを煽り、挙げ句の果ては政治やら経済やらを揺るがす重症にまで至る事態も有り得るのだ。連中はメディアを格好の隠れ蓑にして、自分達を正当化し、あたかも何か特権でも持ち合わせているかのように、いつの時代もふてぶてしくのさばっている。このような危険を孕んだ存在が、時にはその稚拙な講釈で脚光を浴びた。この国が愚民共で構成された、数合わせで継ぎ接ぎのままならば、所詮はいつまでもこの程度のものか。
 もっとも、そんな事を私が危惧したところで、世の中が少しばかりマシになるという事もない。自分の目に映る世界が、より歪なものに変わるだけであった。血反吐にまみれた人生を綱渡りで生きてきた自分と、なんとなく日々を過ごす平和呆けした他の人間では決定的に経験してきた時間が違うのだが、その過去や考え方は自分が異質な存在なのだとつくづく思い知らされるばかりで、実際には内心軽蔑さえしているこの愚民達の中に不服にも溶け込んでいた。それが現代の、社会のシステムというものだ。自然と今現在自分の置かれている環境に順応させられていく。逆らってはまともに生きられない。
 陰鬱な時間はゆっくりと流れて、無気力な私にこれでもかとばかりの退屈を与え続けた。流されていく先には、一体何が待っているというのか。

 それは初夏の生温い昼下がりの事だった。
 路地裏は周囲にそびえ立つ古いテナントビルの影で薄暗い。湿気とゴミ屑と、どこかの誰かの欲求なんかの溜まり場といった風景だ。こんな場所は誰からも忘れられているかのようにさえ思える。或いは密かに何らかの犯罪が行われていようと不自然ではなかった。私の足元には三十半ばで茶髪の、どう見てもチンピラ風情の男が傷だらけのボロボロになって転がっていた。派手な安物のスーツは泥にまみれて汚れ、私はその汚れた肩を踏みつけている。チンピラの男は微かに意識があり、か細い声で命乞いをしていた。強かに殴りつけられた鼻からは血を流し、出血した瞼で片目の視界は奪われていた。もう片方の目は虚ろに私を見上げており、まだ折られていない方の片手は私の足にすがって「殺さないでくれよ、命だけは」と、もう口も利けないほど弱りきった主の代わりに何度も懇願しているようだった。私は無言のままで、さらに男の体を強く踏みつけ続けた。死なない程度に。この加減がなかなか難しい。
「……」
 この男が何者なのか私は知らない。ただ、私の知る由もないところで誰かの恨みを買い、そしてその誰かが私に仕事を斡旋する仲介屋に依頼を持ち込んだのは確かだ。
 割の良い仕事を引き受けた手前、最後まで徹底してこなさなければならない。こんな裏稼業を密かに生業にしている自分なりのポリシーだ。私は一切の感情を捨て、足元の男を痛めつけていた。
 やがて路地裏に向かってくる人の気配を感じ、私はその場から何食わぬ顔で立ち去っていく。後には意識朦朧とした重傷の男が一人、地面に残されていた。手足と肋骨、鼻骨の骨折、その他にも外傷の出血と内出血等々、全治3ヶ月といったところか。これが依頼通りの結果というやつだ。依頼人とこの男、私の仕事の裏に潜むだろう真実、誰かの損得の上に成り立つこの関係について、当事者として加わった私自身が考える事は何もない。自分の中で終わった仕事について些細な詮索をするほど、私は豊かな感受性も愚かな好奇心も、まるで持ち合わせてはいないのだ。あとは成功報酬から仲介手数料を引いた額をいつもの仲介屋の男から受け取るのみ。この件について我々が口外する事はなく、あのチンピラの男とももう二度と顔を合わせる事はないだろう。
 これが私の裏稼業、その中でも比較的平凡で退屈なものの一つだ。
 正しい名前など無い、裏の世界の稼業。人は始末屋だの仕置き人だの復讐代行だのと好き勝手に呼んでいる。
 

黒キ日常 第1話

ハードボイルドに近いミステリーを書きたいと思い、イメージしたのが黒木というキャラクターでした。

迫力と哀愁ある作品として認めて頂ければ幸いです。

黒キ日常 第1話

普段は清掃員をしている独り身の中年男、しかし夜には復讐の代行業者という裏の稼業に手を染める男、黒木。 裏社会で執行人と怖れられる彼は、一人の元刑事に追われていた。 次々に遂行していく奇妙な依頼……そして過去に巻き込まれた殺人事件『佐伯殺し』……。 男は腐敗した90年代のダークサイドに何を視たのか。

  • 小説
  • 掌編
  • アクション
  • サスペンス
  • ミステリー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-06-02

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted