ピンチ(PINCH)

■キャスト(主)   
亮介         
婦人        
中年男        
小林紀子       

■キャスト(脇)
詐欺師上司
詐欺師同僚(大田大輔・亮介の中学校同級生)
姐御(佐竹組・組長の女)
龍平(佐竹組の組員)
真理子(亮介の恋人)
輝彦(小林紀子の夫)

■入れ替わり図式
亮介 ← 中年男
 ↓    ↑
婦人 → 小林紀子

■一場 亮介の告白
   ※幕が開く。
   ※スポットライトが点灯。その真下に亮介が立っている。
亮介:ピンチです。僕は今、非常にピンチです。どれぐらいのピンチかというと、坂道を自転車で急降下している最中に、ブレーキが効かなくなった。肝試しで墓場に行ったら、本物の幽霊に会ってしまった。修学旅行で、女子の部屋に夜這いに行ったら、先生の部屋だった。と、いうくらいピンチです。あぁ、いったい僕はどうすればいいんだ。本当に僕は情けない。こんなギリギリの状況になって慌てるとは。いや、そんなこと言っている場合じゃない。なんとか真理子を止めなくては。でも、まだ間に合うはず。いや、僕は、間に合わせて見せます。
   ※亮介、片手に握りこぶしを作り、ぐっと力を込める。
亮介:僕には、ずっと何年も付き合っている彼女がいます。彼女の名前は真理子と言います。とても優しくて、明るくて、頭が良くて、笑顔が素敵で、料理が上手で。そして、僕のことを誰よりも理解してくれるたったひとりの女性です。その真理子と僕は、今まで、ずっと一緒に居ました。そしてこれからも、ずっと一緒に年を重ねていくことを、僕は何の疑問も持たずにいました。ところがです。先日、突然、真理子が僕に言いました。
   ※亮介、思い出すように天を仰ぐ。
亮介:『亮ちゃん、ごめんね。今まで黙っていたのだけど、私、決めたの―』僕は、ドキリとしました。僕と真理子との関係は、本当に美しく、嘘も秘密もないものだったからです。その真理子が、僕に秘密を持った。僕はとても嫌な予感がしました。出来ることなら、その話の続きは聞きたくない。しかし現実とはとても残酷で、無情なものです。耳を塞ぎたくなるのを必死で我慢している僕に、さらに真理子は言いました。
『私の、小さい頃からの夢。亮ちゃん、知っているよね?』勿論、知っています。僕は真理子の全てを知っている。だからその時、僕は素直に頷きました。真理子の小さい頃からの夢。それは、大学を卒業したら、英語を使った仕事をすること。真理子は、今までその夢を叶えるために、人一倍努力してきました。英会話の学校も通いましたし、大学の英語サークルにも入りました。家では、ラジオやテキストで、毎日、勉強をしてきました。真理子の努力は、真理子を裏切らず、真理子の力となって、今では日常会話なら当たり前、ビジネス英語も問題ないくらいの実力となりました。その真理子が、その真理子が、僕に言ったのです。
『決めたの、私。留学するわ』僕の目の前は、真っ暗になりました。留学―。そう、僕の中に真理子の留学という選択肢がありませんでした。真理子はずっと僕の傍にいて、僕の傍から離れないと思っていたからです。決断力と行動力のある真理子は、留学先からその日程まで、一人で全てを決めてしまっていました。それからの僕は慌てました。本当に自分が情けないくらい。どうやったら、真理子の留学を阻止できるか。毎日そればかりを考えてました。そして、ついに僕は、一大決心をしました。
   ※胸元から婚約指輪を取り出す。
亮介:真理子の留学を完全に阻止し、このピンチを乗り越えるには、もう、プロポーズしかない。
   ※亮介、片膝をつき、左手は胸に、右手は婚約指輪を掲げるようにして。
亮介:僕は真理子と結婚します。だから僕は、これから真理子のところへ行って、真理子にプロポーズをしてきます。
   ※亮介、走り去る。

■二場 婦人の告白
   ※スポットライトが点灯。その真下に婦人が立っている。
婦人:大変なことになりました。こういう時はなんていうのかしら、そうね、ピンチというのよね。昨日、離れて暮らしている一人息子から、電話がありました。
『母さん―』。その声は、とても暗く、泣いているようにも聞こえました。私はたずねました。どうしたの、と。息子は、昔から手先が器用で、勉強よりも、どちらかというと、手を使ったことが好きでした。だから、高校卒業すると、進学せずに、電化製品の部品を作る工場で、働くことになりました。離れて暮らすようになって十二年。たまにかかってくる電話では、忙しそうにしていながらも、息子は仕事にとてもやりがいを感じて、生き生きと働いているようでした。その息子が、とても悲しそうな声で言うんです。
『母さん、どうしよう。僕、大変なことをしちゃった』どうしたのと、何度もたずねましたが、息子は泣いているばかりで答えません。しばらくすると、息子の傍にいたらしい息子の上司と名乗る人が電話に出ました。その人の話によると、息子は取引先に品物を納品し、その取引先から受け取った代金を入れた鞄を会社に戻る途中の駅で置き忘れてしまったそうです。慌てて取りに戻りましたが、鞄は見つからなかったそうです。息子の様子がおかしいので、その上司が気づいて問いただし、事が発覚したそうです。本当にお世話になっている社長に申し訳ないというのと、せっかく勤めている会社を首になりたくないという理由で、息子は誰にも言えなかったそうです。その上司の方は言いました。息子の会社の社長さんというのは、とても厳しい人らしく、きっとこのことがバレたら息子は、間違いなく息子は首になってしまうだろうと。でも、もし、息子が失くしてしまったお金を、私が代りに払うなら、この件は社長にも言わないし、なかったことにすると。私は、息子が失くしてしまったお金がいくらだったのかを聞きました。百万円でした。私の生活はというと、主人は八年前に亡くなりましたので、贅沢は出来ませんが、ある程度の貯金もあります。ですから、息子のためなら百万円くらい、ちっとも惜しくありません。
   ※婦人、胸に手をあわせて祈るように。
婦人:すぐに私は、決意しました。そして、息子に言いました。すぐお金を用意するわ、と。私は、電話を切ると、銀行へ行き、きっちり百万円を下ろしてきました。
   ※婦人、肘にかけていたハンドバックを大事に胸元で抱きかかえる。
婦人:そして私は今から、息子の上司という人に、この百万円を渡しに行ってきます。息子は社長に怪しまれないようにと、今日は来ないことになっています。息子は泣きながら『母さん、ありがとう』と言いました。このお金で、息子が救われるなら、私は何の迷いもありません。
   ※婦人、小走りに退場。

■三場 中年男の告白
   ※スポットライトが点灯。その真下に中年男が立っている。
中年男:困りました。そう、ピンチです。先日、突然、三十年来の親しい友人から、電話がありました。久しぶりの電話でした。元気かとたずねる私に、彼はただ『すまん、本当にすまない』それだけ言って電話を切りました。一体、何だ、何のことだろうと私が疑問に思っていると、暫くして一通の手紙が私の元に届きました。
   ※中年男、ジャケットの胸ポケットから手紙を取り出す。
中年男:そう、これがその手紙です。封筒の中には二枚の紙が入っていました。一枚はあいつの字で、『申し訳ない、許してくれ』と書いてありました。そして、もう一通の手紙。いや、これは手紙ではなくて、借用書の写し。
   ※中年男、ジャケットの胸ポケットからもう一通の書類を取り出す。
中年男:彼の名前の借用証に、連帯保証人の名前で、私の名前が書いてありました。全く身に覚えのない借用書でした。誓って言います。私は、書いた覚えも、印鑑を押した覚えもありません。そもそも、その友人から借金の話などされたことがない。寝耳に水です。私は慌てて友人に電話をしました。しかし、電源が切られているのか、全く通じない。自宅にも電話しました。が、こちらもなしのつぶて。いわゆる音信不通です。さて、どうしたものか。困り果てました。そして、私はこの借用書をもう一度よく見ました。なんと、借用書の返済期限は、今日となっています。私は慌てました。これでは、私がこの借金を背負うことになる。今まで私は、贅沢をせず、地道に、真面目に暮らしてきました。質素と言ってもいいくらいの生活です。タバコ一本だって無駄に吸わず、外食は極力避け、旅行は年に一回の国内旅行。趣味は、テレビと読書。好き嫌いもせず、米一粒も残さず、文句を言わず。好きな言葉は、天下泰平。その私が、いくら親しい友人とはいえ、どうして身に覚えのない借金を背負わなくてはならないのでしょう。とにかく、ことの真相を探るため、友人と連絡がつかなくなった今、この貸主である人に直接会って、話を聞きに行かなくてはなりません。
   ※中年男、考え込むようにゆっくりと歩きながら退場。

■四場 小林紀子の告白
   ※スポットライトが点灯。その真下に小林紀子が立っている。
小林紀子:冗談じゃないわよ。小林紀子、四十三歳。私の平凡極まりないこの人生で、こんなピンチになるとは。こんなことってないわよ、まったく。一体どうしてくれるのよ。結婚十年目。うちの亭主、名前は輝彦って言うんだけど、輝彦は、正真正銘の浮気症。その亭主に、今まで、何度も何度も泣かされてきたわよ。初めは、キャバクラの若い女。その次は、会社の派遣社員。そして、つい最近は、大学時代の同級生。でもね、私だって亭主に浮気されて、はいそうですかって、大人しく黙っちゃいないわよ。ただ、泣かされてるばかりじゃないってんのよ。
   ※小林紀子、鋭い視線を客席に向ける。
小林紀子:浮気が発覚する度に、私は輝彦に誓約書を書かせたわ。『浮気はしません。それらしい行動も慎みます』って。でも、それだけじゃ信用できないから、自慢じゃないけど、彼を二十四時間体制で監視したわ。携帯電話の通話記録、メールはもちろん、パソコンの閲覧履歴だって毎日チェックを欠かしたことがないわ。だからもう、浮気は絶対ないと思っていたのよ。なのに、なのによ。
   ※小林紀子、頭を抱えて絶望的に。
小林紀子:先週あたりからどうも輝彦の様子がおかしいの。残業で遅くなるとか、休日出勤だとか、怪しい言い訳をするようになったの。それに、なんだかニヤニヤしちゃって。ソワソワじゃないわ、ニヤニヤよ。いつもならどちらかっていうと、私といるときは、猫に睨まれたネズミみたいにオドオドして、ビクビクしているのに。ニヤニヤよ。明らかに、様子がおかしいのよ。だから私も監視を強化したわ。でも一向に尻尾はつかめなかった。ところが昨日、会社帰りの輝彦を尾行した時、とうとう私、見つけたの。視線の直ぐ先には、ルンルンとした足取りの夫が歩いていたわ。
   ※小林紀子、輝彦を尾行している時の様子を再現。
小林紀子:黒ずくめの服で尾行する私。まるで映画のワンシーンのようだったわ。すると、どう、あの人ったら、とあるマンションの中に入って行くじゃない。そのまま彼の後を追って、問い詰めることも出来たはず。なのに、私は、なのに・・・。私は、そこで不甲斐ないことに、すっかり気が動転してしまって、情けないことに、おいおいと泣きながら、尻尾を巻いて、家に帰ってきてしまったのよ。あの人・・・。とうとうあの人、浮気じゃなくって、本気で女が出来たみたい。きっとあのマンションで、その女と一緒に住んでいるんだわ。あー、信じられないわ。
   ※小林紀子、一瞬、うなだれるも、次の瞬間には闘志をみなぎらせる。
小林紀子:いえ、絶対に許さないっ。小林紀子、四十三歳。このまま、泣き寝入りすると思ったら大間違いよ。私、今から、あのマンションに乗り込んで、輝彦に白状させてやる。そうよ、こっちにだってプライドもある。そう、そして覚悟もある。私、あんな男と離婚してやる。
   ※小林紀子、鞄から離婚届を出し、前に突き出す。
小林紀子:浮気な亭主に泣かされるくらいなら、こっちから別れてやるわっ。
   ※小林紀子、猛ダッシュで走り去る。

■五場 タクシー乗り場
   ※タクシー乗り場に亮介、婦人、中年男、小林紀子の順番でそれぞれが慌ててやってくる。
   ※四人ともそわそわと、タクシーが来るのを待つ。
   ※突然、雨が降ってくる。雨の音。
   ※それぞれが持参した傘を差す。
   ※段々と雨が激しくなり、雷が鳴り出す。
   ※大きな雷の音。
   ※暗転。
   ※しばらくの間。
   ※点灯。舞台が明るくなる。
   ※四人とも傘を投げ出し、その場に倒れている。
   ※それぞれが少しずつ起き出す。
   ※そして、ゆっくりと立ちあがり、お互いの顔を見て驚く。
   ※婦人、亮介を指差す。
婦人:僕がっ。
   ※小林紀子、婦人を指差す。
小林紀子:わたくしがっ。
   ※亮介、中年男を指差す。
亮介:わたしっ。
   ※中年男、小林紀子を指差す。
中年男:あたしがっ。
   ※暗転。

■六場 喫茶店
   ※登場人物は婦人→でも中身は亮介という設定
   ※幕は閉じたまま。婦人、登場。
婦人:ああ、どうしよう。困ったなあ。僕はどうしたらいいんだよ。さっきより、もっと困った状況になっちゃったよ。こんなことって、信じられないよ。あのすごい雷のせいで、あの場所にいた四人の中身が入れ替わっちゃうなんて。僕は本当なら、これから真理子に会いに行って、真理子にプロポーズするはずなのに。どうして、このおばさんの息子さんが働いている会社の上司とかいう人に会いに行かなくちゃならないの。
   ※婦人、ため息をつく。
婦人:でも、みんなで決めたことだから、しょうがないよね。だって、この自分達のピンチを切り抜けるためには、今、目の前のピンチをなんとかしようってさ。みんながみんな、自分達の任務を果たせは、みんながピンチじゃなくなるって。僕、だから頑張るよ。真理子のことは、あの人に任せるとして。どうせ僕は、このお金を届けるだけだし。あのおばさん、言っていたな。おばさんの息子さんが、会社の大事なお金を失くしちゃったってさ。だから、そのお金をおばさんが代りに、立て替えることにしたんだって。電話がかかってきたとも言っていたな。『オレだよ、オレって』さ。・・・あれ?これってもしかして・・・」
   ※婦人、退場。 
   ※幕が開く。
   ※喫茶店のソファーに三人が座って いる。
   ※片側の席に婦人。その向かい側に詐欺師上司と詐欺師同僚。
詐欺師上司:北原工務店の中野と申します。私が裕司君の直属の上司にあたります。そして隣にいるのが、裕司君の同僚の佐藤というものです。裕司君は、この佐藤と一緒にいた時に、鞄を失くしてしまったということもありまして、もう一度、その時の状況を詳しくお話する為に、今回、こちらに同行させました。
   ※詐欺師同僚、座ったまま婦人に向かってお辞儀をする。
詐欺師同僚:佐藤です。
   ※婦人、食い入るように、詐欺師同僚の顔を見る。
詐欺師上司:電話でもお話したと思いますが、今回・・・
婦人:大田・・・?
   ※ぎょっとする詐欺師上司と同僚。
婦人:君、大田君だよね、そうだよ、大田大輔君。君、元気だったか?
   ※婦人の言葉に驚いたように、慌てて席を立つ詐欺師上司と同僚。少し離れた所でささやき合う二人。
詐欺師上司:おい、おまえ、あのおばさんと知り合いか?
詐欺師同僚:ま、まさか。
詐欺師上司:でも、あのおばさん、今、おまえの顔を見て、別の名前を言っていなかったか?
詐欺師同僚:そ、その、どうしてか分からないけど、あの人、俺の本名、知ってるみたいです。
詐欺師上司:やばいよ、それって。俺、この件から手をひくわ。悪いけど、あとよろしく。
   ※詐欺師上司、逃げるように、去っていく。
   ※詐欺師同僚、どうしていいか分からず、迷いながらも席に戻る。
婦人:いやあ、懐かしいな、何年振りだろうな。大田君、全然、変わってないから、すぐ分かったよ。
詐欺師同僚:あの、あなたは一体・・。僕には、全くあなたのこと分からないのですが。
婦人:そうだよな。僕さ、ずいぶん変わっちゃったからな。昔は、かなり太ってたもんな。あれからさ、結構、僕も努力して、痩せたんだよね。だから、昔の僕を知ってる奴なんかに会っても、僕だって全然分からないみたいでさ。
詐欺師同僚:あの・・・、太ったとか痩せたとか以前に、僕、あなたみたいな年配の女性の知り合いっていないのですが・・・。
   ※無視して、話し続ける婦人。
婦人:そうか、中学校以来だから、もうかれこれ十年振りくらいになるのかぁ。
詐欺師同僚:そうか、この人、学校の先生か・・・、にしては、なんかちょっと違うような。僕って言ってるし。
婦人:ところでさ、君、あれからどうしちゃったんだよ。急に転校することになっちゃって。本気でびっくりしたんだよ。僕さ、あの頃、いじめられてたからさ。話しかけてくれる奴って、大田君くらいしかいなくてさ。だから、大田君が引っ越しするって聞いた時は、すごく悲しくて。どうしてもお別れが言いたくて、君の家まで行ったんだよ。なのに、もう引っ越した後でさ。あの時は、すっごく悲しかったな。でも、絶対いつか、大田君のこと探し出して、あの時のお礼を言うつもりだったんだ。
詐欺師同僚:お礼・・?
婦人:そう、お礼。大田君はもう忘れちゃったかもしれないけど。クラス対抗のサッカーの試合があるってんでさ、僕達のクラスの奴ら、妙にはしゃいじゃって。絶対優勝するんだとか言って。僕、太ってたし、サッカーあんまり上手くなくってさ。絶対みんなの足引っ張るの、目に見えてるし。僕のせいでミスったらって、すっげー悩んでたら、そしたら、君がさ、放課後、練習に付き合ってくれるって言って。僕、あの時は本当に嬉しかったなぁ。君が教えてくれても、結局、あんまり上手くはならなかったけど。それでも、大田君の気持ちが嬉しくってさ。本当にいい奴だって。
それに、いつだったか、僕の靴が誰かに隠されちゃってさ。泣きながら、ずっと探したけど見つからなくって。どんどん暗くなるし、靴履かないで帰ったら、お袋に心配かけるから、何としてでも探さなくちゃって。そしたら、先に帰ったはずの君が、見つけたくれたんだよな、僕の靴。いじめられてる僕のこと庇ったら、大田君だっていじめられるかもしれないのに。でも、平気な顔してさ。本当にいい奴だって、心から思ったんだ。だからずっと大田君とは友達でいたいって。僕、あの時、泣きじゃくってて、ちゃんと大田君にお礼を言わなかったの、ずっと後悔してたんだ。こうやって、君とここで会えたのも、きっと何かの縁なのかな。
   ※婦人、懐かしそうに微笑みながら、詐欺師同僚を見つめる。
詐欺師同僚:いったい誰なんだよ、このおばさん。でもなんだか泣けてきた。よく分からないけど、泣けてきた。
   ※詐欺師同僚、目頭を擦る。
   ※婦人、詐欺師同僚に、真剣な顔で話しかける。
婦人:大田君、君、転校してから、何があったんだよ。僕でよければ、話を聞かせてくれよ。
   ※詐欺師同僚、ため息をつき、俯きながら話し始める。
詐欺師同僚:俺さ、中学の時、急に両親が離婚することになってさ。オヤジと暮らすことになったんだけど。俺のオヤジが、かなりの借金抱えてたみたいで。まるで夜逃げみたいにしてさ。で、結局オヤジはそのまま行方知れず。そのあと、親戚の家をたらい回しにされて、なんとか中学は卒業できたけど。高校出てないと、就職なんて出来ないし。日雇いとかいろいろやったけど、結局だめでさ。騙されたり、裏切られたりして。俺、もう駄目だ、どうにでもなれって。そしたら、声を掛けてくれた奴がい
て。どう考えたって、怪しい話だよ。世間でいうオレオレ詐欺だろって。でも、どうしようもなくて。寝る場所だって、今日の飯を食べる金もないんじゃ。こんなこと、今日が初めてだったんだ。でも、俺、やっぱ罰が当たったのかな。
婦人:大田君。君は昔と全然、変わってない。君のその目を見れば分かる。大田君なら今からでもやり直せる。ここで会ったのもきっと何かの縁だ。僕に任せてくれ。
   ※婦人、拳でドンと胸を叩く。
詐欺師同僚:(ほとんど泣きながら)だから僕ってなんだよ。だからあんた、一体、誰なんだよーっ。
   ※暗転。

■七場 ヤクザの事務所
   ※登場人物は中年男→でも中身は小林紀子という設定
   ※幕が閉じたまま、中年男が登場。
中年男:なんであたしが、こんなおじさんのために、こんなところに来なきゃいけないのよ。あー、信じられない。今すぐにでも私は、輝彦の浮気現場に乗り込んで、離婚届を突き付けてやんなきゃいけないってのに。
   ※中年男、袖の匂いを交互に嗅ぐ。
中年男:はぁ、それにしても、おじさん臭ーい。 
  ※中年男、退場。
  ※幕が開く。
  ※中年男、ヤクザ事務所のドアの前に立っている。
中年男:(中年男、事務所のドアを開けながら)ごめんくださーい。あら、留守かしら?でも、誰もいないって、不用心な会社ね。ドアには、佐竹興業って小さく書いてあるけど、ここって、一体、何の会社かしらね。ま、とにかく、中で待たせてもらいましょう。
   ※中年男、事務所の中をキョロキョロしながら、一番奥の大きな椅子に座る。
中年男:あー、なんだか眠くなっちゃった。昨日も深夜まで輝彦のパソコンチェックしてたから、あんまり寝てないのよね。
   ※中年男、椅子に座って、寝むそうにする。
   ※姐御と龍平、事務所のドアの前にやってくる。
   ※姐御、幕の袖に向かって叫ぶ。
姐御:あんたたち、ここでいいわ。あとは外で佐竹が帰ってくるのを待ってなさい。
(声だけ)へい。
(声だけ)へい、姉さん、分かりやした。
   ※姐御と龍平、事務所の中に入ってくる。
   ※二人とも中年男には気づかない。
龍平:あー、姐さん。やっと二人っきりになれましたね。あいつらときたら、どこ行くんでも姐さんに付き纏いやがって。姐さんを絶対一人にするなって、親分から言われているからって。これじゃ、オレも姐さんと二人きりになれないじゃないっすか。
姐御:仕方ないわよ。佐竹がそういう指示出してるんだから。それにしても、あの佐竹の執念深さとったら、全く、いい加減にして欲しいわよね。二十四時間、私のこと監視して、どこに行くんでも子分達に見張らせてさ。
龍平:確かに、仕方ないっすよねぇ。姐さんこんなに美人なんだし、親分だって心配するの分かるってモンすよ。オレなんて姐さんの匂い嗅いだだけでイッちゃいそうっすよ。
   ※龍平、姉御の匂いをクンクンと嗅ぐ。
姐御:こらこら、あんたって、本当にカワイイんだから。
   ※姐御、龍平の頭を撫でる。
龍平:姐さん。まだ当分、親分は戻ってこないんでしょ。だったら、あっちの部屋で・・・
   ※龍平、姐御の手を引っ張り、奥の部屋に連れて行こうとする。
   ※中年男、椅子から立ち上がり、仁王立ちして二人を睨んでいる。
   ※中年男に気づく姐御と龍平。
   ※驚く姐御と龍平。 
   ※龍平、ヒャッと小さな悲鳴を上げて、姐御の後ろに隠れて抱きつく。
   ※中年男、仁王立ちのまま、怖い顔で、さらに二人を睨みつける。
龍平:ねっ、ねっ、姉さんっ、この人、もっ、もっ、もしかして、親分が雇ったっていう探偵じゃ・・
姐御:なにぃっ、探偵?ちょっと、どういうことよ。佐竹、探偵なんか雇ったの?
龍平:いやっ、あくまでも噂ですけどね、オレたち子分じゃ、姐さんを監視しきれてないっていうんで、どうもその筋に詳しい奴にやらせた方いいんじゃないかって、探偵を雇ったとかどうとか、耳にしたんで。
   ※姐御、じりっと一歩前に出る。
姐御:へー、探偵ね。いいじゃない、佐竹。受けて立つわよ。
龍平:受けて立つって、姐さん。オレと姐さんの関係が親父さんにバレたら、もうオレ、絶対、生きてられませんって。
   ※龍平、姐御にすがりつく。
   ※姐御、中年男を指差す。
姐御:ちょっとそこの探偵、あんた、佐竹に雇われたの?
中年男:冗談じゃないわよっ。あんた達、さっきから黙って聞いてりゃ、浮ついたこと言ってんじゃないわよ。あんた、そこの派手なあんたよ。(姐御を指差し)今の話じゃ、あんた、佐竹っていう、ちゃんとした男が居ながら、こんな若いのと出来てるって、全く、どうかしてるわよっ。
龍平:ね、姐さん?この人、なんか、喋り方おかしくないっすか?
姐御:(龍平を無視して)うるさいわね。あんたになんか関係ないわよ。
中年男:関係ないっ?そうよ、私は関係ないわよっ。でもね、私は、ちゃんとした男が居ながら、筋の通らない愛だの恋だのって語る奴が大嫌いなのよっ。
姐御:あんたに何が分かるのよ。私がどれだけ佐竹に苦労してきたか。ええっ?一体、あんたなんかに、何が分かるのかって言ってんのよっ。
中年男:そんなこと、知らないわよ。知らないけど、惚れてる女に騙されてる、その佐竹って男の気持ち、あんた、考えたことあんの?
姉御:佐竹の気持ちだ?
   ※中年男と姐御、だんだん、ヒートアップ。
中年男:ええ、そうよ。あんたのことを心から愛してる、佐竹って男の気持ちよ。
龍平:やっぱ、おかしいですって、あの人。自分のこと、『あたし』とかって言ってるし。
姐御:龍平、あんた、ごちゃごちゃと煩いわね。ちょっと黙ってなさいよ。
龍平:はいっ。
姐御:何が、佐竹よ。あんな男のすることなんて、愛だなんて言えないわよ。私が浮気しないようにって、四六時中監視して、束縛して。それのどこが愛だって言うのよ。
中年男:愛してるから、心配して、監視も束縛もするのよ。愛されてる証拠じゃない。
龍平:姐さん、やっぱ、変ですって、あの人。
姉御:(舌打ちして)あー、もう、ちょっと、龍平、煩いわね。私はこの人と、魂と魂でぶつかり合ってるのよ。見てくれや喋り方なんて、どうだっていいのよ。
龍平:で、でも・・・
姐御:あんた、冗談じゃないわよ。愛が監視や束縛だなんて、ふざけんじゃないわよ。それこそ、相手のことを信頼していないって証拠じゃないのよ。私だって人間よ。一人になりたい時だってある。ほっといて欲しい時だってある。それなのに、『今日は何してた?』だの、『どこへ行ってた?』だの、いちいち煩いってのよ。私は、私よ。どこへ行こうと、何をしようと、私の勝手よ。私の自由よ。私は私の意思で行動するわ。
中年男:ああ、なんか今、胸の内側をグサっと。
   ※中年男、胸を抑え、よろめく。
龍平:(慌てながら)姐さん、あの人、もしかして心臓発作かも。
姐御:ふん、なによ。あんたも心あたりあるわけ?もしかして、佐竹みたいに誰かを束縛して、愛だの恋だのって言ってるんじゃないでしょうね。
中年男:な、何よ、悪かったわね。でも、あんたもあんたよ。束縛男だろうが、何だろうが、男が居るくせに、別の男とこっそりいちゃついて。あんたも女だったら、一本、筋を通しなさいよ。筋も通さないで、束縛されたくないだなんて、言ってんじゃないわよ。
姐御:ああ、なんか今、胸の内側をグサっと。
   ※胸を抑え、よろめく姉御、支える龍平。
姐御:龍平・・・。
龍平:はいっ?
姐御:私、決めたわ。
龍平:え?何をっすか?
姐御:私、こんな生活にオサラバするわ。
龍平:え?だから、えっ?
姐御:この人と話して気付いたの。私は、私を取り戻すわ。佐竹なんかに束縛されない本当の自分を。   
   ※一瞬の間。
姐御:飛ぶよ。
龍平:へ?
姐御:(呆れた顔で)だから、佐竹のいない世界に行くのよ。外国でも宇宙でも。顔を変えても、名前を変えてでもね。私は私らしく生きる。龍平、あんた、もちろん私に付いてくるわよね?
   ※姐御、龍平の顔をじっと見つめる。
   ※龍平、背筋を伸ばす。
龍平:はい、姉さん。なんだかよく分からないっすけど、オレ、地の果てでも、宇宙の果てでも、姉さんに付いていきますっ。
姐御:よし。じゃあ、そこの金庫開けて。
   ※姐御、事務所に置いてある金庫を指差す。
龍平:ひえっ、な、何で?
   ※龍平、のけ反る。
姐御:バカね。旅立つにはそれなりの支度ってのが必要でしょ。金庫番のあんたなら、鍵の開け方くらい分かるでしょうが。早くしなさいよ。
龍平:はいっ。
   ※龍平、金庫から札束を取り出す。
中年男:ちょっと、それ。
姐御:煩いわね。手切れ金よ、手切れ金。十年近く、私は極道界のドンって言われてる佐竹の女だったのよ。これくらい貰って当然よ。私の女ざかりの十年を捧げたんだから。これくらいじゃ安いくらいよ。それに、佐竹なんか、これっぽっちのはした金、無くなったからって、痛くも痒くもないわよ。
   ※姐御、改めて気付いたかのように中年男を見つめる。
姐御:で、あんた。探偵じゃないようだけど、ところでここに何の用?
中年男:あ。そうだった。忘れてた。
   ※中年男、胸元から借用書を取りだし、姐御に渡す。
   ※姐御、渡された借用書を見る。
姐御:あんた借主?
中年男:いえ、違うみたい。
姐御:じゃあ、連帯保証人?
中年男:そうらしいわ。
姐御:龍平、これの原本の場所は?
龍平:あ、それならこれっす。
   ※龍平、書類箱から原本を取り出す。
   ※姐御、二枚合わせて真っ二つに破る。
姐御:これ、口止め料ね。私、この男と高跳びするから。その代り、いい?今見たことも、聞いたことも口外しないこと。分かった?
中年男:あ、はい。
姐御:龍平、行くわよ。
   ※龍平、ドアに向かう。
姐御:って、龍平、あんた、表から出てどうすんのよ。
龍平:へ?じゃあ、姐さんどっから?
姐御:トイレの窓からに決まってんでしょうが。
龍平:あ、それもそっすね。
   ※ドアとは反対側へ向かう姉御と龍平。       
   ※中年男、それを見送り、二人から背を向け、ドアに向かおうとする。
姐御:ちょっと、おっさん、あんたもよ。あんたもトイレから逃げんのよ。
中年男:あ。そっか。
   ※中年男、頭を掻きながら、二人に従う。

■八場 真理子の部屋
   ※登場人物は亮介→でも中身は中年男という設定
   ※幕は閉じたまま、亮介が登場。
亮介:(ため息をつく)しっかし、なんで私が、見ず知らずの女性にプロポーズだなんて。
   ※亮介、胸元から婚約指輪を出し、箱を開け、眺めた後、また胸元に戻す。
亮介:(再びため息をつく)うちの女房とは見合い結婚だったから、プロポーズなんてしたことないし。いやぁ、困った。これで、断られでもしたら、それこそピンチだ。それにしてもあの借用書、どうなったかな。そっちの方が気になるんだが。でも仕方がない。とにかく、やるしかないか。
   ※亮介、退場。
   ※幕が開く。
   ※亮介、真理子の部屋のドアの前に立っている。   
   ※亮介、再びため息をつきながら、ドアのチャイムを鳴らす。
   ※チャイムの音
真理子:はーい。
亮介:私、あ、いや、僕、いや、俺、いや、違うなやっぱり、僕かな、ですが。
   ※真理子、ドアを開ける。
   ※真理子、じっと亮介の顔を見る。
真理子:(亮介の顔をじっと見たまま)どうぞ。
   ※真理子、仕草で亮介を部屋の中へ促す。
亮介:はい・・・。
   ※亮介、部屋の中へ入る。
   ※真理子、部屋の奥に置いてあるベッドに座る。 
   ※亮介、頭を掻きながら、小さなテーブルの前に座る。
   ※真理子、じっと亮介の顔を見つめる。
   ※亮介、居心地悪そうにする。
真理子:あなた、亮介じゃないわね。
亮介:えっ?
真理子:見た目は亮介だけど、亮介じゃない。あなた、一体だれ?
亮介:え、あ、その・・・。
真理子:分かるわよ。分かるのよ、私には。どれだけ、私が亮介と一緒に過ごしてきたか。四歳からよ。日の出幼稚園、年中、タンポポ組の時から、私は亮介とずっと一緒に居るのよ。かれこれ十八年。だから、私には分かるのよ。
   ※真理子、腕を組む。
   ※しばらくの間。
真理子:で、あなただれ?
亮介:私は、ええとですね、何から説明してよいやら。うーむ。話せば長くなるのですが。
真理子:だったらいいわ、話さなくても。じゃあ、要件はなに?
亮介:要件・・ですか。ええと、あなた、真理子さんでしたっけ?
真理子:そうよ。
亮介:真理子さん、あなた、留学するそうですな?
真理子:そうよ。もう決めたの。
亮介:それで、あの、亮介さんとやらは、その、あなたの留学をやめて欲しいと思っているわけでして。
真理子:知ってるわよ、そんなこと。でもね、私、行くって決めちゃったの。
亮介:そうですが。はあ。困ったなあ。何とかなりませんか?
真理子:ええ、なりません。残念ながら。亮介にも何度も話して、分かってもらったはずなんだけどな。
亮介:そうでしたか。でも、私は、何とかあなたに留学をやめてもらわなくてはなりません。その為に来たのですから。それに、これを預かってきました。
   ※亮介、胸元から指輪を出す。
真理子:なにそれ?もしかして、婚約指輪だったりして。
   ※真理子、まんざらでもない顔をする。
   ※亮介、真理子の様子をうかがう。
亮介:それで、あの・・、受け取って、もらえるんでしょうか?
   ※真理子、じっと亮介の顔を見る。
真理子:いいえ。受け取らないわ。
   ※亮介、ガクっとうなだれる。
亮介:留学も止められず、プロポーズも受けてもらえず。私は一体どうすれば・・・。
   ※しばらくの間。
真理子:三ヶ月よ。
亮介:え?
真理子:だから、たったの三ヶ月。
亮介:何が、ですか?
真理子:(力強く)留学期間。
亮介:ええっ?
真理子:そうよ。たった三ヶ月間の留学で、亮介はジタバタしてるのよ。そりゃあね、十八年間、ほとんど片時も離れることなく私達はやってきました。これからだって、亮介とやっていくつもり。でも、それとこれとは別問題。たった三ヶ月よ、こんなの、留学ってほどじゃないのよ。ちょっとしたホームステイ。語学研修。私は、将来、外国に住むつもりも、外国で働くつもりもないの。でもね、今までせっかく英語を勉強してきたんだから、一度くらいは外国に行ってみたいじゃない。なのに、亮介ったら、この世の終わり見たいな顔しちゃって。すぐ戻ってくるって言ってるのに。ま、そこが亮介の憎めないところなんだけどね。
   ※亮介、拍子抜けする。
真理子:だから、亮介に言ってあげてよ。私はやっぱり留学するってね。
亮介:そうでしたか。分かりました。留学の件は、私からも伝えましょう。(ほっとしながら)では、この指輪は受け取ってもらえるのですね。
真理子:だから、あなたね、あなた見た目は亮介かもしれないけど、中身は全くの別人。別人からのプロポーズなんて受けられないわ。本当に私と結婚するつもりがあるなら、ちゃんと自分でプロポーズしなさいよって、それも伝えてくれるかしら?
亮介:あ。それもそうですよね。
真理子:(胸を張りながら)そうよ。
   ※笑い合う二人。
   ※暗転。

■九場 輝彦の隠れ家
   ※登場人物は小林紀子→でも中身は婦人という設定
   ※幕は閉じたまま、小林紀子が登場。
小林紀子:まあ、それにしても、困ったわ。どうしましょうね。よく事情が分からないんだけど。ええと、何だったかしら。この人の(自分を指差し)ご主人が浮気して、家を出て行っちゃったらしくて、それに怒ったこの人が(自分を指差し)、離婚届を書いたから、この人の(自分を指差し)ご主人に渡して欲しいだなんて。困ったことを頼まれてしまったわ。そんなことより私は、息子が駅で失くしてしまったという百万円を届けに行きたいのに。本当に困ったわ。だって、私の死んだ夫は、一度も浮気をしたことのない人だったし、私達は喧嘩もしたことが無いくらい仲が良かったから、こうゆうの、さっぱり分からないのよね。でもまあ、仕方がないわね。この離婚届を渡しに行かなくては。
   ※小林紀子、退場。
   ※幕が開く。
   ※小林紀子、輝彦の部屋のドアの前に立っている。
   ※小林紀子、ゆっくりとドアのチャイムを鳴らす。 
   ※チャイムの音。
   ※輝彦、ソファーでくつろいでいる。
   ※輝彦、チャイムの音を聞いて、不思議そうな顔でドアを開ける。
輝彦:きゃー(絶叫)
   ※輝彦、叫びながら、部屋の奥へと転がるようにして後ずさる。
   ※小林紀子、玄関で立ち尽くす。
輝彦:悪かった。本当に僕が悪かった。だ、だ、だから、許してー。
   ※輝彦、土下座しながら、叫ぶ。
   ※小林紀子、訳が分からずに、玄関で立ち尽くす。
   ※輝彦、しばらくしても、小林紀子が襲ってこないのに気付き、ソファーの陰から恐る恐る様子をうかがう。
   ※見つめ合う二人。
   ※小林紀子、首を傾げる。
   ※輝彦、不安そうに様子をうかがう。
小林紀子:あの、とりあえず入りますね。
   ※小林紀子、靴を脱ぎ、部屋へあがる。
   ※輝彦、クッションを盾に中腰で様子をうかがう。
   ※小林紀子、ゆっくりと部屋の中を見渡す。
輝彦:(声を上ずらせながら)な、な、見れば、分かるだろ。ここには何にも無いんだから。おまえがいつも俺に投げつけるような皿も、振りかざす包丁も、蹴飛ばす椅子だって。な、な、だから、暴れても無駄だからなっ。
   ※輝彦、話しながらも、再びソファーに隠れる。
   ※小林紀子、鞄の中に手を入れ、預かってきた離婚届を探す。
輝彦:(慌てた様子で)そ、そうか、おまえ、家から包丁持ってきたのか。それで、今度こそ、俺のことをグサっと刺すんだな。そして俺は、血まみれになって・・・(息絶える振りをする輝彦)。
   ※小林紀子、首を傾げながら、じっと輝彦の様子を眺める。
小林紀子:あなた、浮気しているの?
輝彦:ま、ま、まさか。浮気だなんて。一度だって。
小林紀子:でも、したのよね。私、聞いた話だけど。そう言っていたもの。
輝彦:え?言ってたって、一体、誰がそんなこと?だ、だから、それは、おまえが、勘違いしているだけで、俺は一度だって浮気なんてしたことないって。
小林紀子:キャバクラの晴美ちゃんと、派遣社員の雅恵さんと、同級生の良子さんって言ってたかしらね。
輝彦:だ、だから、キャバクラというのは、あれは先輩に無理やり連れて行かされただけだし、派遣社員の子は、たまたま研修で外回りに一緒に行かされただけだし、同級生ってのは、今度やる同窓会の打合せで会っただけで。俺は、絶対、神に誓って、浮気なんてする訳がないって。
小林紀子 まあ、そうなの。そうだとしたら、不思議なお話ね。どうしちゃったのかしら。じゃあこれはどういうことかしら。
   ※小林紀子、離婚届を輝彦に差し出す。
輝彦:キャー。
   ※輝彦、絶叫。
輝彦:なんで、なんで、そんなものが。おまえ、なんで、そうなるの?
小林紀子:そうよね。
   ※小林紀子、離婚届を見て、不思議そうな顔をする。
小林紀子:それにしても、このマンション・・・。ずいぶん殺風景なところよね。浮気して、別の女の人と暮らしているようには見えないわよね。
輝彦:ま、まさか、そんな、まさか、とんでもないっ。
小林紀子:じゃあ、このお部屋は、何のために借りたの?
輝彦:(少し照れたように)だって、俺、一度やってみたかったんだよ。その、第二の自宅と言うか、隠れ家みたいなやつ。えへへ。
小林紀子:まあ、そうなの?それで、あなた、ここで、いったい何を?
輝彦:何って、その、ただ、なんというか。珈琲を飲みながら、本を読むというか。
小林紀子:あら、まあ。
輝彦:だって。二四時間体制で、監視されてるでしょ、俺。だから、疲れちゃってさ。ちょっと一人になりたかったってだけで。でも、ここ、ウイークリーマンションだから、明日にはもう解約になっちゃうんだけど(残念そうにする)。
小林紀子:あら、あら、まあ。そんなことだったの。紀子さんって方、早とちりというか、よっぽど紀子さんはあなたのことが好きなのね。
輝彦:なんか人ごとみたいに聞こえるけど・・。いや、俺だって(胸を張り)紀子のことが大好きで。でも、ちょっと息が詰まっちゃったから、一人になりたかったってだけなのに。それにしても、どうして、離婚届になちゃうかなあ。毎日、些細なことで、大喧嘩になるし。俺は毎日、生傷が絶えないけど、それでも、紀子のいない生活なんて考えられない。紀子を愛している。これからだってずっと。俺には、紀子が必要なんだ。
小林紀子:なーんだ。そうだったの。
輝彦:(嬉しそうな顔をして)分かってくれたの?なんか、今日は、やけに大人しいし、素直だな、おまえ。
小林紀子:ううっ。
   ※小林紀子、ハンカチを口に当てて吐き気をこらえる。
   ※輝彦、とまどう。
小林紀子:これは・・・、この感じ。私、知ってるわ。ずっと、ずっと、昔のことだけど。経験あるもの。もしかして・・・、いえ、これは、間違いないわ。
   ※小林紀子、自分のお腹の辺りを片手でさする。
小林紀子:(気迫のある声を出し)ちょっと、輝彦さんとやら。
   ※輝彦、背筋を伸ばして正座をしなおす。
輝彦:はいっ。
小林紀子:一人になりたかったですって?そんな甘えた事、言ってる場合じゃないわよっ。
輝彦:(再び怯えながら)ひいっー。
小林紀子:あなた、浮気がどうのとか、一人になりたいとか、そんな子供みたいなこと言ってちゃダメよ。もう、あなたには一人になる時間も、浮気を誤解されるような無駄なことをやってる時間なんて、これっぽっちもなくなるんだから。
   ※輝彦、怯え過ぎて縮こまる。
小林紀子:あなた、もうすぐパパになるんだから。
輝彦:えっ??
   ※輝彦、驚く。
   ※小林紀子、優しく微笑みかける。
小林紀子:いい?分かったわね。分かったら、今すぐに、この部屋を引き払いなさい。
輝彦:(飛び上がって敬礼しながら)はいっ。

■十場 飛行場
   ※飛行機が飛ぶ音。
   ※亮介と大田大輔(詐欺師同僚)、欄干にもたれるようにして、空を飛んでいく飛行機を見送っている。
大田大輔:真理子さん、行っちゃったね。
   ※亮介、ハンカチで涙を拭きながら泣き続ける。
亮介:ああ、寂しいな、本当に寂しいよ、僕どうしよう。これから三ヶ月。真理子のいない三ヶ月、どうやって過ごそう・・・。
   ※大田大輔、楽しそうに笑う。
大田大輔:真理子さん、すぐ戻ってくるって。
亮介:うん・・・。
大田大輔:(笑いながら)そんなんで、本当に警察官なのって感じ。
亮介:そうだよ、これでも僕は、正真正銘の警察官だよ。みんなにいつもそうやって言われるけどさ。
大田大輔:見えないよ、こんな警察官。ナシだよ、ナシ。
亮介:いいんだよ。こんな泣き上戸な警察官が、世の中ひとりくらい居たってさ。
大田大輔:(遠くを見つめながら)それにしても、あの時は、本当に驚いたよな。突然、おまえが現れてさ、俺を警察に引っ張って行こうとするから、てっきり俺はこのまま警察に捕まるんだって思ってさ。でも、俺もさ、おまえに捕まるんなら、いいかなって心で思ってたらさ、おまえ、突然、言うんだもんな。『僕の友達が、振り込め詐欺グループ本部の潜入に成功しました』ってさ。ほんと、びっくりだよな。でも、良かったのかな、これで。
亮介:うん。僕は、これで良かったと思ってる。
大田大輔:そんな、自信満々に言われちゃってもな。
亮介:君の目を見て思ったんだ。君は本当のワルじゃないって。それに実際、君のお陰で、今まで捕まえられなかった詐欺グループを捕まえることが出来た訳だし。かえって借りが出来ちゃったよ。
大田大輔:おまえ、何、言ってんだよ。警察に捕まらなかっただけでも幸せだってのに。それに、おまえに仕事まで紹介してもらっちゃって。
亮介:いや、それについては、礼にはおよばない。だってさ、僕の父さん、めちゃくちゃ喜んじゃってさ、子供みたいに。これからも、店を続けられるって、俄然張り切っちゃって。僕さ、長男なのに、じいちゃんの頃からやってる豆腐屋継がずに、さっさと警察官になっちゃたから。だから君が、うちの店を手伝ってくれるって言った時は、本当に僕も嬉しかったんだ。かえって悪かったんじゃないかって、思ったりもして。だって、豆腐屋なんて、朝は早いし、重労働だし、父さんは堅物だし。
大田大輔:それがさ、結構、俺、向いているかも、豆腐屋の仕事。ま、まだまだ修行中の身って感じだけどな。でも俺、頑張ってみるよ。今までの人生、取り返さなきゃ。
亮介:うん。そう言ってくれると、僕も嬉しいよ。
   ※二人、照れくさそうにする。
   ※一瞬の間。
大田大輔:でさ、そんなことより、おまえに聞きたかったんだけど。あの喫茶店に金持ってきたおばさんっていったい誰?
亮介:えっと、・・・・。
   ※再び飛行機の飛ぶ音。
   ※暗転。
― 幕 ―

ピンチ(PINCH)

ピンチ(PINCH)

脚本です。恋人の留学を阻止したい男。息子の失くした金を肩替りしようとする女。借金を背負わされそうな男。浮気症の夫と別れたい女。ピンチの状況にある四人が、タクシー乗り場でタクシーを待っている。すると雨が降りだし、傘を差した瞬間、四人は大きな雷に打たれて中身が入れ替わってしまう。別人となってしまった四人は、さて、ピンチを乗り越えることが出来るのだろうか。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-06-01

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted