地球上でいちばん美しい生き物のキミへ

 ぼくが誰かを殴った日は、キミがかならず泣くのだけれど、ぼくのこぶしと、キミの涙腺が、透明な長い導線かなにかで繋がっているのかもしれないけれど、キミの涙腺に伝わるのは、ぼくのこぶしの痛みなのか、それとも、ぼくのこぶしで傷ついた誰かの痛みなのか、よくわからないけれど、涙を流すキミは地球上でいちばん美しい生き物だと思う。それからキミの作るアイスクリームが、世界でいちばん美味しい。
 ぼくとキミはおなじ学校に通い、キミはアイスクリーム屋さんでアルバイトをしていて、ぼくは学校の屋上で日がな一日眠るのが好きで、ときどき、意味もなく誰かを殴ってはキミを泣かせてみたりして、相当のクズであるけれど、キミはぼくにアイスクリームを作ってくれるね。作るといっても、円錐形のコーンに盛るだけなのだけれど、ぼくにとっては母親の作るカレーライスよりも、一流シェフが作るハンバーグよりも、キミが円錐形のコーンに盛ってくれたアイスクリームが好きだよ。キミとおなじくらい好きだよ。
 そういえばキミ、チョコレートの味がするね。
 三日前に屋上で、うたた寝をするキミの右腕を、ぼくはそっとかじったよ。サクッ、という音と共に、キミの右ひじと右手のあいだの一部分が欠けた。欠けて穴の開いたキミのからだから、生々しく赤い血肉が現れるかと思いきや、ぽかりと開いた穴の中はぽつぽつ空気穴のある茶色い断面で、そう、その断面を見て頭に思い浮かんだのは、麩菓子だった。
 つまり、キミのからだは、チョコレート味の麩菓子ってこと。
 それでいいかな。
 いいよね。
 いいと思う。
 チョコレート味の麩菓子でも、キミはキミであるからね。
 きょうもぼくは誰かの顔を殴っているのだけれど、キミは、アイスクリーム屋さんでアイスクリームを売っている頃だろうから、きっと、キミの涙がぽたぽた落ちて、アイスクリームに適度な塩味を与えてるんじゃないかな。チョコレート味の麩菓子であるキミを、頭からばりばり食べてみたい。
 でも、そうしたら、キミの涙が拝めなくなってしまうし、世界でいちばん美味しいアイスクリームも食べられなくなってしまうから、だめだよね。
 だめでしょう。
 だめだって、わかっているんだけどね。
 じめじめした暗い路地裏で五、六人の誰かを殴り倒して、右手にべっとりついた誰かの血を舌で舐めとりながら、ぼくは、キミがアルバイトをしているアイスクリーム屋さんに向かう。
 足取りは軽やかだ。
 鈍色の空に圧迫され街の空気は薄い。
 キミのことを頭からばりばり食べる妄想に耽りながら、横断歩道を渡る。
 すれちがう人間みんな殴ったらキミの涙腺がどうなるか、ためしてみたい。
 こわれるかな。
 こわれるかもな。
 キミの涙腺が馬鹿になったら、キミは永久に地球上でいちばん美しい生き物だ。おめでとう。

地球上でいちばん美しい生き物のキミへ

地球上でいちばん美しい生き物のキミへ

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2016-05-29

CC BY-NC-ND
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